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アカジヤンガー貝塚その後の資料: 沖縄地域学リポジトリ

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Academic year: 2021

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Title

アカジヤンガー貝塚その後の資料

Author(s)

高宮, 広衛

Citation

沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 3(1): 49-57

Issue Date

1963-01-10

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/10716

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ア カ ジ ヤ ン ガ ー 貝 塚 そ の 後 の 資 料

高 宮 広 衛

ADDITIONAL FINDS OF THE AKAJANGA SHELL MIDDEN

Hiroe TAKAMIYA

The result of the research made on the site in the winter of 1959 was published as a preliminary report in 1960 from the Culture Protection Committee of the Government of the Ryukyu Islands. The research was done to secure specimens from the destruction that was being done by 回nd-excavation. When the writer visited the site again late in the詞me year, the site was completely destroyed, leaving only the portion of a dirt road. It was quite fortunate, however. that the main portion of the mid -den was beneath the road.

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this triP. some more specimens were col・ lected from the surface. They were pottery sherds and stone implements. Bone and sheU artifacts that were secured in the '59 excavation, were not obtained. This paper aims, in addition to reporting these collections, to present'newly-discovered stone objects shown in Fig. 5. アカジヤシガー貝塚は本島中部具志川村字具志川221番地に所在し、 1955 年多和田真淳氏①によって発見された後期員塚である。筆者は1959年12月、 5日 聞にわたって本員塚の試掘調査を行い、その成果を1960年度版文化財要覧@に報 告bたよとζろでその後同60年秋、後項ミ追記11I乙記した目的で再び本貝塚を訪 れ、地表採集によって若干遺物を拾集したが、採集遺物中にはFig.5に見られる ような新資料があり、後期員塚の性格を陶明する上に検討さるべき重要な遺物だ と考えられるので、こζに追加報告をかね新資料の紹介を行いたい。 -49

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1 2

3

5C川. Fig. 1 Pottery Vessels. 今回の採集遺物は土器と右器だけで、 1959年冬の調査において出土を見 た貝製品、骨製品は一例も得られなかった。 土器はすべて破片で39個である。今ζれを前回の基準で分類すると表1 の通りで、第六類土器の欠如を除けば前回の範鳴をでる標品はなく、新型式の設 置或は追加を必要とするような資料は見当らなかった。 しかし、 第二、問、五及 び七類土器中には前回見られなかった文様を施文する土器片があるので、以下乙 れらの土器について簡単に記述したい。

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型 式

数 口 縁 部 目同 部 第 一 類 土 器 3 3 第

類 土 器 11 11 第 類 土 器 2 4 第 四 類 土 器 1 l 第 五 類 土 器 3 l 2 第 JFA--¥

第 戸じ 類 土 器 l l 第 八 類 土 器 2 不 19~ 3 2 土 器 Jii: 部 計 22 11

Tabl~ 1.Typzs and numbers of主盟主 vesselfragm~nts.

(The stub

fragmzntcxcluded from the tabb)

第一図2に示した聾形土器はかなり大きな破片より復元したもので、検捺 刻文上部にV字状の簡粗な文様を施文する。 ζのV字状文は曲線によって描かれ る連続山形文のくずれたものであろうが、 ζれが断続的に施文されるか否かは該 破片では窺い得ない。 いずれにせよζの種表現形式は後期における文様筒粗化の ー具体例であろう。上記両文様要素の組合せは第二類土器の主文なくしては現れ 得ないので、第二類土器に含めたが、横捺刻文との組合わせは未だ報告を聞かな い。 ζの土器は茶縄色の器色を有する焼成のいい土器で、 器 壁 の厚さは約七粍、 口唇部には刻文を施す。 第四類土器は直線によって構成される幾何学的文様を有する土器群で、 ζれに属する破片が二個ある。その中の一例は第2図 3のように口緑から胴上部 にかけて細出線を左右に斜行させ菱形状の格子文をつくり、下部に刻文を横捺す る。口唇部は無修飾である。 乙れは口径推算10糧の小型の葺形土器片で、器壁は 極めて薄く (4粍)、赤褐色の器色を有し、焼成は至って悪い。他の一例(第2 図4)は羽状形の文様を施文すると思われるが、破片が繍細なため全体的な構成 は窺い得ない。暗補色の器色を有する焼成のいい土器で、器壁の厚さは6粍、胎 土中には赤色の粗い粉朱が見られる。 第五類土器は爪形文を主体とする土器で、前回採集の標品は爪形文を一 条 横 捺 す る も の (八個)と同文様下に幅広い沈線を横走(二個)させる二種に分つ ことができたが、 ここに紹介するのは爪形文が更に縦列に施文される例(第2図 2)である。本標品は口縁部の小破片で下方における文様の展開状態を知ること

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F】g_4 A sherd with a pair of はできないが、縦列のものは二条一組のよう に思われる。口縁部は軽い波状を呈し、口唇 は無文のまま放置される。口径推算20樋の~ 形土器で焼成は良好。器色は暗禍色、器壁の 厚さは約7粍。 第七類土器は胴部上方t乙樹状の小突 起を貼付する土器で、今回採集せる標品は小 突起が縦に二個配列されている点でζれまで の例と異る。第2図5 (Fig 4)に示したも ので、 くびれた頚部をはさんで上下に貼付さ れ、上部の突起は口縁に接して付けられ口唇 hump-like Projections より上方へは突出しない。両突起とも貼付部 の径約1.5糧、高さ6-7粍で両者の間隔は3糎。現破片ではζのような突起が一 個の器体に幾組貼付されていたか窺知できないが、少くとも二組、 或は四組くら いはあったのではなかろうか。器色は黄褐色、胴部は幾分張り気味で、器壁は最 厚部が8粍、本貝塚採集の他の土器片に比すると焼成は余りよくない。 琉球諸島においては瀦状突起を胴部に貼付する例は極めて不顕著で、従 来の報告でみると僅かに十数個を数えるに過ぎない。最古のものは既 i乙荻堂貝塚 ③で一例知られている。 とζろが、乙の一例を除いては前期、中期の員塚では全 く報告がなく、後期へ至つてはじめて若干の出土を見る。 ζのような出土状態で 見ると荻堂貝塚出土の該標品は偶発的なもので、それが幾らかでも型態的な性格 を以て現われるのは後期においてであると見ていい。 ところで従来の標品は例外なく突起一個を単位として貼付され、 ζのよ うにニ個を以て一組とするものは報告がなかった。 私は嘗て、 くびれた鎖音~をは さんで貼付されたζの突起の機能を、 その位置から、翌if.f1ll乙批帯用の紐を結びつ け紐のヅレを防ぐためのものと考えたζとがあった。つまり結紐の方法如何によ っては手に下げるζともでき、 或は本島北部地方や奄美大島に見られるテノレのよ うに紐を前頭部にあて背で運ぶことも可能である。 しかし、 ζれは実際上可能で あるとしても、僅か一片の出土ではむしろ反証としかなり得ない。即ち、この突 起が若しその用途に使用されたとすれば、 それは確かに運搬に便利であり量産さ れてしかるべきだと考えるのである。 矢 張り一個づっ配列される例と同じく単な る装飾に終始したものであろう。ラミ1包が一個つ'つ配列されるものも、またこのよ うに二個一組の例もζの突起に外耳的性格を見出すことは困難のようである。

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a

.

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Fig. 5 Ground stone artifacts 本土におい℃もはりこぶ文がある時期かなり流行するようであるが④ 流行の時代や分布地域を見ると、琉球のこの種土器とはまづ無関係と見て差支え ないと考える。 土器底部については特に変った資料は得られなかっ た 。 一例は径3糠の 小型底部で、このような標品は前回も一例検出されている。他は径6糎前後のも ので、外表中央部が若干凹み従って内部に軽い盛上りを見せるのが二個、上記の 特徴を欠くものが二個である。 器形は前回同様壷形と整形の二種に分けられる。器形の窺える口縁破片 で見ると造形と認め得るのは第1図1に示した一例で、 口縁部に不規則な細出線 文を施文する焼成のいい土器である。 口径は比較的大きく、口唇部には刻文を施 す。乙の一例を除けば他は口縁の外反する饗形 土 器 で 、 外反の程度には種々差が 見られるが、その差は前回報告せる標品の域を出るものではない。 石器は前回の調査では石斧、磨石、石皿の他、用途不明の丸石等四種十 一個に及んだが、 今回の採集石器はこれらとは全然別種の三個で、 いずれも外観 三角柱状を呈する磨製の石器である。 図における 長さ cm.巾 川 高 さ cm 重さ kg.石 質 番号 一一一一 一 一一 一 一 標 品工 13.4 10.2 7.1 1.90 安山岩 Fig.5のa 標 品 2 11.0 8.4 5.6 0.95 砂 岩 Fig. 5のb 標 日13 14.0 10.6 8.5 2.20 変朽安 Fig.5のc 山岩

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ζれら三石器の中、二個(標品1 (3図1)及び3 (2図1)

J

は大体 同じ大きさであるが、他の一個ば幾分小さい。 いずれも両斜面は図に見られるよ うに直線状でなく幾分ふくらみを帯び、底部中央には長軸に沿って幅広い浅溝が 設けられている。 ζの溝は縦断面において点線で示した部分である。平面形は長 方形に近いが、第2図1(Fig.5の c) は一端が幅を減じている点で他の二例と 異る。標品の2(第3図2)は頂部中央に打欠痕があり、一方の斜面においては 同痕跡が中央部に及んでいるが、他の二標日lにはそれが見られない。大烈の二個 (Fig.5aとc)は光沢を有するまでには至らないが、かなり研磨されている。 しかし他の一例は形もどちらかといえば粗雑で研磨の程度も悪く、製作の過程に おいて生じた打欠痕が消えきらず全面それがうかがえる。 この積の石器も未だ嘗 て報じられたことがなく、従って時代性も明確さを欠くが、採集地より推して一 応先史時代後期に発現する遺物と見ているの 以上採集品中、特に前回得られなかった資料について略述したが、大方 は変異の範囲を,示すだけで別段取 tげる程のものではないが、 乙ζに特に興味を ひくのは前記三個の石器である。 編年的にはこの貝塚以外にζの種石器の報告がないから、本誌創刊号⑤ に紹介した大型の磨石同様後期文化を特徴づける遺物と見ていいと考える。標品 2石器 (Fig.5のb)の頂部に存する打欠痕は物を叩いたためにできたと思われ るが、 ζのような痕跡が他のニ例に存しないζとから、 該石器が例外的にその用 途に使用されたものと推測する。 ととろでとの種石器は如何なるものに使用されたであろうか。遺憾なが らこの石器の本来的性格については明示し得ない。ただ、底部中央を縦走する浅 溝の存夜、形体及び重量等からみて磨石の一種かと推考するが、 周期の他の遺物 や類例遺跡によって暗示される当時の生産的背景を勘案すれば、蓋然性は更に大 きいように思われる。 ところが、後期貝塚においては既に球状、石硝状、或は円 弧状の磨石が知られており、 乙と更ζのような形体をとったということは特にこ の形体を必要とする対象物の存在を認めねばならないが、その対象物が粉末にさ るべき物質であったが、将た、石皿の形体との関係によるものかは残念ながら推 察し得ない。要するに踏石の新例とするを最も可能性ありと考えるのであるが如 何であろうか。大方の御教示をお願いする次第であるの

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註 1 多和田真淳h琉球列島の貝塚分布と編年の概念H文化財要覧 琉球政府文化財保護委員会 , 1956 2 高 官 広 衛E具志川村アカジヤシガー遺跡調査概報H文化財要覧 琉球政府文化財保護委員会 1960 3 松 村 瞭h琉球荻堂貝塚H東京帝国大学理学部 人類学教室研究報告大正4年 4 芹 沢 長 介 毛 石 器 時 代 の 日 本9築地書館、昭和36年 5 高官広衡是野国海岸発見の石器についてH沖大論叢 第 一 巻 第 一 号 沖 縄 大 学 1960 追 記 今回の調査は私が1960年度後期たまたま琉球大学において考古学の講義 を委嘱された際、講義の一部に予定されていた実地調査の指導をかね行なわれた もので、 これは発掘調査というよりはむしろ発掘に至るまでの予備調査の方法を 指導し、同時に多くの遺跡を見学させる乙とを目的としたものであった。 当日 (11月18)はまづ荻堂員塚の地表調査を行い、次に野国貝塚、最後 に本貝塚を訪れた。野国民塚における表面調査では特に注目すべき資料は得られ なかったが、荻堂及び本アカジヤシガー貝塚では貴重な資料を得るζとができた 。本小文ではアカジヤシガー貝塚の資料についてのみ報告を行ったが、荻堂貝塚 の資料については別の機会に取上げたいと思う。 私がはじめて本貝塚の試掘を行った 1959年の募、本員塚に隣接する地 域では広範囲に亘って採砂作業が進行中であり、本貝塚の全壊も程遠くないこ とが予想されたので、遺物保存の意味から取急ぎ小範囲の試掘を行ったのである が、今回私達が訪れた時は前堂氏の宅も既に除去され前宅地は全く変貌して周辺 と同じく沼と化していた。幸い貝塚の中心部が宅地の前を東西に走る道路下一帯 にあることは前回の試掘で確めたところであって、道路に沿う部分は既に発掘済 みであり、また、 該道路も現存すると乙ろから全壊とはいうものの今回の採砂作 業によって決定的な打主要を蒙ったとは思えない。 当日私達が訪れた時はブノレドクザーガ稔りをたて採砂作業も終りに近づ いてはいたが、作業現場 i乙散在する遺物を全部(とはいつでも僅かではあった が)集め得たζとは、今にしてみれば大変幸いであったと思う。 末尾ながら、石質を同定して頂いた琉球政府経済局工鉱課々長朝武士靖 雄氏には衷心より感謝申上げたい。

参照

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