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昭和戦前期の本土における沖縄芸能の受容

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Academic year: 2021

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(1)昭和 戦前期 の本 土 にお ける沖縄 芸 能 の受容. 阪. 井. 芳. 貴. は じめ に 昭 和 戦 前 期 の 本 土 に お け る沖 縄 芸 能 関 連 年 表 第1章 . 沖縄 を訪 れ た ヤ マ トゥン チ ュが 観 た 沖縄 芸 能. 第2章 . 本 土 にお け る 沖縄 芸 能 公 演 の ヤ マ トゥ ンチ ュ に よ る評 価. お わ りに. は じめ に 明 治 政府 に よ る琉 球 王 国解 体(琉. 球 処 分=1879年)に. よ っ て 、 王 国 時 代 に 公 務 と して 御 冠 船 芸. 能 に 携 わ っ て い た 人 々 は 後 ろ盾 を失 い 、 民 間 に 下 って 舞 踊 を 教 え た り、 芝 居 小 屋 を構 え て 組 踊 や 新 た に 作 り上 げ た 琉 球 歌 劇(沖 縄 芝 居)な. どを 上 演 す る こ と で 、 生 計 を 立 て る よ うに な る 。 そ う. した 流 れ の 中 で 、 早 く も 明 治26年 に は 大 阪 と名 古 屋 で 沖 縄 芸 能 の 本 土 公 演 が 行 わ れ て い る。 そ こ で は 、 「国 の 寿 」 「 団扇 踊」 「 女 花 笠 踊 」 な どの 舞 踊 と と も に 組 踊. 「 姉 妹 敵討 」 「 手 水 の縁 」 な らび. に獅 子 舞 ま で も演 目に 挙 げ られ て い た 。 総 勢20数 名 に よ る こ の公 演 、 演 目 を 見 る 限 り画 期 的 な 公 演 で あ っ た と考 え られ るが 、残 念 な が ら興 業 と して は 失 敗 で あ った よ うで あ る。 本 土 の 観 客 に 理 解 され 受 け 入 れ られ る に は 、 時 期 尚早 で あ っ た の で あ ろ う。 そ の 後 、 本 土 に お け る沖 縄 芸 能 の 公 演 の機 会 は徐 々 に 増 え た と考 え られ る が 、 本 格 的 な公 演 が 企 画 され 、 ヤ マ ト ゥン チ ュ に 鑑 賞 ・評 価 され た の は 昭 和 に 入 っ て か ら と思 わ れ る 。 そ の 背 景 と し て は 、 沖 縄 の 研 究 者 に よ る組 踊 研 究 の 進 展 、 沖縄 県 内 に お け る郷 土 研 究 の 喧 伝 、 ヤ マ トか ら沖 縄 を訪 れ た 旅 行 者 の 沖 縄 芸 能 鑑 賞 の機 会 の 増 加 、SP盤. 吹 き 込 み に よ る沖 縄 民 謡 な ど の 普 及 、 折 口. 信 夫 の 芸 能 学 の 影 響 、 民 芸 運 動 に よ る 沖 縄 へ の 関 心 喚 起 、 な ど が 挙 げ られ よ う。 ロ ノ. 昭 和3年. の 八 重 山 芸 能 の 東 京 公 演 は 、 学 術 的 な 見 地 か ら注 目 され 、雑 誌. き く と りあ げ られ た。 昭 和6年. 「 民 俗 芸 術」 な どで 大. の 琉 球 舞 踊 ・古 典 劇 公 演 会 は 、本 土 に お け る 組 踊 の 本 格 的 な 紹 介. の 最 初 の 機 会 とな っ た 。 そ して 、 昭 和11年 の 東 京 で の 「 琉 球 古 典 芸 能 大 会 」 は 、 そ の 後 今 日ま で 長 く語 り継 が れ る 、 沖 縄 芸 能 史 上 画 期 的 な公 演 と な った の で あ る 。 こ の よ うに 、 昭 和 戦 前 期 に お い て 、 沖 縄 芸 能 の 公 演 は 規 模 も 内 容 も着 実 に 充 実 し た も の に な っ ・て ゆ くの で あ る が 、 従 来 、 そ れ が どの よ うに 評 価 され 、 あ る い は 受 け入 れ られ た の か に つ い て は ほ と ん ど検 討 さ れ て こ な か っ た 。 さ らに 、 そ う した 公 演 が 本 土 の 芸 能 に もた ら した 影 響 に つ い て は ほ とん ど知 られ て い な い に 等 しい 。.

(2) 本 論 考 は 、 そ う した 視 座 か らの 研 究 の 端 緒 と な るベ く、 資 料 を整 理 ・提 供 し、 い さ さ か の 分 析 を 試 み た もの で あ る。. 昭 和戦前 期 の本 土 にお ける沖縄 芸能 関係 年表 本 論 に 入 る 前 に 、 ま ず 、 大 正 末 か ら昭 和20年 ま で の 本 土 に お け る 沖 縄 芸 能 関 連 年 表 を提 示 し、 本 稿 が 考 察 の 対 象 とす る 本 土 に お け る 沖 縄 芸 能 の 受 容 に つ い て概 観 して お き た い 。 以 下 に 示 す 年 表 は 、 便 宜 上 、大 正14年 の 名 古 屋 の 「ア サ ヒ蓄 音 機 」 に よ る 沖縄 音 楽 のSP盤(ツ. ル レー ベ ル). 製 作 か ら事 項 を起 こ し、 昭 和19年 の 大 阪 ・南 進 座 で の 琉 球 歌 舞 団 公 演 ま で 、40項 目を 盛 り込 ん だ も の と な っ て い る。 映 画 関 連 を 除 い て40項 目を 収 録 す る本 年 表 は 、 先 学 の 類 似 の 年 表 に は な い 規 模 となっ た 。 この 年 表 を 眺 め る だ け で 、 想 像 以 上 に 本 土 に お い て 沖 縄 芸 能 の 紹 介 ・公 演 等 の 機 会 が 多 か っ た こ とが 伺 え る は ず で あ る。 な お 、 表 中 、 各 項 目の 末 尾 の[]は. 典 拠 を示 す も の で あ る。. ◎昭和戦前期の本土における沖縄芸能関係年表. 大 正14年6月. 名 古 屋 市 に ア サ ヒ蓄 音 機 商 会 設 立  ツ ル レー ベ ル レ コー ドを 制 作(昭. 和. 14年 ま で 存 続 、 沖 縄 民 謡 や 琉 球 歌 劇 ぐ組 踊 の 録 音 盤 少 な く と も202面 分 を制 作 。 た だ し本 土 で 販 売 され た 形 跡 は な い) [渡久地政 司 「 大正 末か ら昭和初期 の 「 琉球 レコー ド盤 」 の出 自を求 めて」 ほか] 大 正14年9月. 末. 啓 明 会 講 演 会&展 覧 会 に お い て 親 泊 興 照 の舞 踊 の 会 [『 啓 明会第 十五回講 演集』大 正14年12月 ほか]. 昭 和 元 年12月 末. 普 久 原 朝 喜  大 阪 で マ ル フ ク レ コー ド設 立 [「 脈 」第48号  平成6年1月. 昭 和3年4月11日. ほか]. 第 三 回 郷 土 舞 踊 大 会  八 重 山舞 踊 公 演(日 本 青 年 館) 喜 舎 場 永 殉 ・宮 良 長 智 ・国 吉 長 演 ほ か 総 勢14名 (朝 日講 堂 で も単 独 公 演 あ り〉 白保 節 ・トゥバ ラーマ ・シ ョンガネ ・赤 馬節 ・た らく じ節 ・与 那覇節 ・月夜 浜節 ・布 晒節 ・古 見ぬ浦節 ・崎 山 ゆん た ・黒 島口説 ・大原越 地節 な ど [「民俗 藝術 」昭和3年4月. 昭 和3年4月12日. 号 ほか]. 東 京 中 央 放 送 局 に て 八 重 山 民 謡 放 送(上 記 演 者 に よ る) [同上].

(3) 昭 和5年1月21日. 琉 球 民 謡 と舞 踊(日. 本 橋三越. 琉 球 展 覧 会). か ら28日. 伊 野 伶 晃 ・阿 波 連 本 啓 ・山 内 秀 子 ・山 内 千 代 子 ・玉 村 律 子 ほ か 上 り口 説 ・下 り 口説 ・八 重瀬 の 万 歳 ・万 歳口 説 ・こ て い ぶ し ・瓦 屋 節 ・天 川 節 ・ 新 カ ナ ヨ ー 節 ・谷 茶 前 節 な ど[『. 昭 和6年8月6日. 琉 球 舞 踊 ・古 典 劇 公 演 会(日. 琉 球 展 覧 会 目録 』]. 主催. 本 青 年 館). 民俗 芸術 の会. 伊 差 川 世 瑞 ・輿 世 田 朝 保 ・新 城 初 子 ・喜 友 名 榮 子 ・金 城 里 子 ・宜 保 安 昌 ・安 里 永 太 郎 ・比 嘉 房 子 ・赤 嶺 京 子 若 衆 扇 子 踊 か ぎ や で 風 節 ・嘉 手 久 節 ・出 砂 節 ・揚 高禰 久 節 ・上 り口説 ・濱 千 鳥 節 ・伊一 波 節 ・長 恩 納 節 ・四つ 竹 仲 里 節 ・花 風 節 ・下 出述 懐 節 ・万 歳 踊. 道 行 ロ説 ・. うふ ん しゃ り節 ・さ い ん す る節 ・仲 良 田節 ・瓦 屋 節 ・谷 茶 前 ・港 節 ・揚 作 田節 ・ 束 里 節 ・赤 田火 風 節 ・夜 雨 節 ・浮 島 節 ・か しか き ・加 那 よ一 天 川 ・諸 鈍 節 ・組 踊 「 花 売 りの 縁 」 な ど . 昭 和6年8月12日. [『琉 球 舞 踊 古 典 劇 公 演 プ ロ グ ラ ム』 ほ か]. 東 京 放 送 局 か ら輿 世 田 朝 保 ら が 全 国 放 送(35分. 間). 仲 良 田 節 ・瓦屋 節 ・シ ヨ ン ガ ナ ィ 節 ー場 作 田節 ・束 里 節 ・浜 千 鳥 節 ・加 那ヤ ウ節. ・ハ イユエ ー節 昭 和7年9月24日. 第7回 南 島 談 話 会(東. [「東 京 朝 日新 聞 」]. 京 尚志 会 館). 主 要話題 は 「 船 に 関す る雑 話 」 柳 田 國 男 ほ か [「民 俗 学 」昭 和7年10月. 親 泊 興 照 ・島 袋 光 裕 が 出 席. 昭和9年?. 号]. 玉 城 盛 義 ・伊 差 川 世 瑞 ら大 阪 で公 演? 〔 丸 山恵 山 『大阪の 沖縄 紀行』]. 昭 和10年5月. 「 敵 艦 見ゆ  久 松 五 勇 士 」 初 演(東 曽 我 廼 家 五 郎 一 座 . 京 ・歌 舞 伎 座) (8月 に 大 阪 歌 舞 伎 座 で も公 演 あ り) [真栄 田勝 朗 『琉球芝 居物語 』]. 昭 和11年5月28日. 東 京 中 央 放 送 局 か ら全 国 放 送 解 説 折口 信 夫 、 出 演 金 武 良 仁 ・玉 城 盛 重 ・新 垣 松 含 ・伊 差 川 世 瑞 か ぎや で風 ・源 氏節 ・述懐節 ・組 踊 「 二童 敵討 」・散 山節 . 昭 和11年5月29日. 琉 球 古 典 芸 能 大 会  試 演 会(日 本 青 年 館). 昭 和11年5月30、. 琉 球 古 典 芸 能 大 会(日 本 青 年 館)・. 31日. 主 催  日本 民 俗 協 会. [「東京朝 日新聞 」]. 玉 城 盛 重 ・新 垣 松 含 ・玉 城 盛 義 ・真 境 名 由 康 ・親 泊 興 照 ・儀 保 松 男 ・名 護 愛 子 ・新 垣 芳 子 ・田代 た か 子 ・金 武 良仁 ・池 宮 城 喜 輝 ・伊 差 川 世 瑞 ほ か.

(4) か ぎ や で 風 節 ・恩 納 節 ・長 伊 平 屋 節 ・中 城 は ん た 前 節 ・こて い 節 ・老 人 踊 ・か し か き 踊 ・上 り 口説 ・花 風 節 ・谷 茶 前 節 ・諸 鈍 節 ・四つ 竹 踊 ・下 り口説 ・濱 千 鳥 節 ・伊 野 波 節 ・高 平 の 万 歳 ・しゆ ん ど う踊 ・鳩 間節 ・む ん じ ゅ る節 ・八 重 瀬 の 万 歳 ・天 川 踊 ・組 踊 「執 心 鐘 入 」 「花 売 の縁 」 「二 童 敵 討 」 「銘 苅 子 」 ほ か [「日本 民 俗 」昭 和11年4月. 昭 和11年6月6日. 琉 球 古 典 芸 能 公 演(和. 号 ほ か]. 歌 山 市  和 歌 山 劇 場) [「沖 縄 日報 」か 、 佐 渡 山安 次 ス ク ラ ップ よ り]. 昭 和11年6月7、. 同 上(大. 阪市. 明 治 座) . [同 上]. 8日 昭 和11年7月1日. 東 宝劇 団. 「情 焔 賦 」 四 景 上 演. ∼26日. 東 宝 文 藝 部 編  町 田 嘉 章 作曲 . 組踊. 「執 心 鐘 入 」 の 翻 案. 、. 藤 間勘 十 郎振付 片 岡 芦 燕 ・市 川 高 麗 蔵 ・市 川 壽 美 蔵 ・坂 東 蓑 助 ほ か [「演 芸 画 報 」昭 和11年8月. 昭 和12年7月9日. 琉 球 古 典 舞 踊 と 講 演 の 夕(電 主 催 . 号 ほ か]. 気 倶 楽 部). 日本 民 俗 協 会. 渡 嘉敷 守 良 か ぎや で 風 節 ・こて い 節 ・上 り口 説 ・諸 鈍 節 ・濱 千 鳥 節 ・加 那 よ一 ・高 平 の 万 歳 ・前 の 浜 節 ・八 重 瀬 の 万 歳 . 昭 和13年3月6日. トラ ウ ツ 博 士 送 別 会(京 大 阪 在 住?の. 都. [「日本 民 俗 」第2巻. 量2号]. 独 逸 文 化 研 究 所). 男 女二人 ずつ. 御 前 風 ・こて い 節 ・上 り 口説 ・笠 の 段 ・仲 良 田節 ・四つ 竹 踊 ・濱 千 鳥 節 ・花 風 ・ 天 川 踊[「. 昭 和 司4年7月1日 か ら. 風 俗 研 究 」第215号]. 「琉 球 レ ヴ ユ ウ 」(日 本 劇 場) 伊 波 南 哲 原 案 ・葉 村 み き 子 演 出 振 付 東 宝 舞 踊 隊(桜. 井 七 重 ・内 本 實 ・澄 川 久 ほ か) [「東 京 朝 日新 聞 」・佐 谷 功 編 『日本 民 族 舞 踊 の 研 究 』 ほ か]. 昭 和14年8月1日. 「琉 球 レ ヴ ユ ウ 」 名 古 屋 公 演 . [「沖 縄 日報 」]. か ら 昭 和14年8月9日. 「 琉 球 レ ヴュ ウ」 京 都 公 演. か ら 昭 和14年11月14日. 演劇 と舞踊の夕(大 阪港区市岡会館) 主催 大阪球陽新報社. [同 上].

(5) 平 良 良 勝 ・又 吉 栄 義 ほ か 組踊 「 執 心鐘 入」 ほか  昭 和15年2月15日. 〔 新城 栄 徳 「 近代 沖縄文化 年表 」]. 「 琉 球 お ど り」(大 阪  梅 田映 画 劇 場) 日劇 ダ ン シ ン グ チ ー ム . 昭 和15年4月17日 か ら. [同上]. 「八 重 山 群 島 」 〔日劇 芸 能 レ ヴュ ウ〕(日 本 劇 場) 巌 き み 子 ・中 井 正 子 作 振 付 ・目劇 ダ ン シ ン グチ ー ム [「 東京 朝 日新 聞」・佐谷功 編 『日本 民族舞 踊の研 究』 ほか]. 昭 和15年5月1日. 大 阪 市 此 花 区 玉 川 町 の 戎 座 を金 城 興 行 部 の 直 営 と し、 沖 縄 演 劇 の 専 属 劇 場 と して 公 開 。 第 一 回 目 の興 行 は 伊 良 波 昇 吉 ・我 如 古 彌 栄 ら十 余 名 に よ る 郷 土 芝 居(6 月6日. 昭 和15年5月1日. ま で). [「沖 縄 日報 」]. 「 鴨 川 お ど り」 で 琉 球 舞 踊 「四 つ 竹 」 「 谷茶 前 」. から 昭 和15年7月29日. [「沖 縄 日報 」ほ か]. ラジオ番 組 「 府県めぐり 解 説 島 袋 源 一 郎 . 沖縄 県 の巻 」全 国放 送. 音 源 の 中 に 民 謡 等 あ り(全40分. 間). か ぎや で風 節 ・ダ ンズ 嘉 例 吉 ・国 頭 サ バ ク リ ・辺 野 喜 節 ・宮 古 民 謡 ・石 垣 民 謡 ・ ハ ー リー 唄 ・名 護 の 盆 踊 唄 下四竹 踊 ・伊 良 波 昇 吉 一 座 ・玉城 盛 重 「忠 臣 身 替 」 の 八 重 瀬 . 昭 和15年8月10日. 新 垣 澄 子 試 演 会(東. 宝 小 劇 場)=. 「首 里 城 明 渡 」(大 正 劇 場). [「琉 球 新 報 」昭 和15年7月27、28日] 新 垣 芳子 追善. 新 垣 澄 子 ・新 垣 久 米 子 鳩 間 節 ・谷 茶 前 節 ・濱 千 鳥 節 ・四つ 竹 踊 ・上 り口 説 ほ か [「月 刊 文 化 沖 縄 」昭 和15年9月 昭 和15年8月11. 新 垣 澄 子  東 宝 名 人 会 に 出 演(東. 日 ∼20日. 新 垣 澄 子 ・新 垣 久 米 子 ・ 日劇 ダ ン シ ン グ チ ー ム. 宝 小 劇 場). 鳩 問節 ・谷茶 前節 ・濱 千鳥節・ 四つ竹 踊 ・上 り口説 ほか 昭 和15年9月11日 ∼20日. 葉 村 み き 子 ・巌 きみ 子 演 出振 付(日 本 劇 場) [「東 京 朝 日新 聞 」]. 「 嘉 数 礼 子 舞 踊 発 表 会 」(日 比 谷 仁 寿 講 堂) 嘉 数 礼 子(6歳)の. 舞 踊 と伊 波 南 哲 の 解 説 ・河 村 只 雄 の 講 演. 8日 に早稲田大学演劇博物館で も披露 昭 和15年?. [同 上]. 「 琉 球 と八 重 山 」 〔日劇 ス テ ー ジ シ ョ ウ}. 新 垣 澄 子 ・東 宝 舞 踊 隊 昭 和15年11月5日. 号 ほ か]. 大阪 ・浪花座で沖縄芝居一座旗揚 げ 大宜見小太郎 ら. [「沖 縄 日 報 」].

(6) この ころほか に戎座 で金城 南邦座 元 の一座 、 与力 町の小 屋で 平安 山英 太 郎 の 一 座 な ど、 大 阪 市 内 に 三 つ の 劇 団 が 誕 生 [真栄 田勝 朗 『琉球 芝居物 語』] 昭 和16年3月9日. 文 化落 語 「 首 里 見 物 」(新 宿 末 広 亭) 桂 華 緑(小. 昭 和16年 春. 文 枝 改 め)〔. 「 月刊 文化 沖縄」昭和16年5月 号]. 東宝が 「 琉 球 レヴュー 」舞 台模型 出 品 ベ ル リ ン に お け る ドイ ツ 外 務 省 主 催 日独 伊 三 国 同 盟 記 念 日本 展 [「 月刊 文化 沖縄」昭和16年1月 号]. 昭 和16年5月1日 ∼25日 昭 和16年6月. 「敵 艦 見ゆ  久 松 五 勇 士 」 再 演(新 橋 演 舞 場) 曽 我 廼 家 五 郎 一 座 . 「 椿 説 弓張 月」 に 「 琉球 」 「 紅型」「 平 和な る八重 山」 宝 塚 歌 劇 雪 組(中. 昭 和16年7月29日. [「 演芸 画報 」昭和16年6月 号 ほか3. 村 武 夫 作 ・葉 村 み き 子 出 演)(大. 劇 場). 読 売 の 夕(田 園 調 布 グ ラ ウ ン ド) 東 宝 舞 踊隊 琉 球舞 踊 . [「 月刊 文化 沖縄 」昭和16年9月 号] も. 昭 和16年8月2日. 銃 後 後 援 会 強 化 の 集 ひ(後 楽 園 ス タ ヂ ア ム) 主 催  愛 国 婦 人 会 . 東 宝舞 踊 隊. 「 臼太 鼓踊 り」 ほか  昭 和16年9月27、. 東 宝 舞 踊 大 会(東. 28日. 新 垣 澄子. [同上]. 宝 劇 場). 鳩 間節  昭 和18年8月. [同上]. 「 琉 球 歌舞 団 」 公 演(浅 草 国 際 劇 場 ・築 地 国 民 小 劇 場) 仲 井 真 元 楷 主 宰 ・仲 井 真 盛 良 ・平 安 山 英 太 郎 ・真 喜 志 康 三 郎 ほ か 万 歳敵討 ・親 あん ま ・獅子舞 . 昭 和18年10月. [真栄 田勝 朗 『 琉 球芝居物 語』]. 大 阪 で 渡 嘉 敷 守 良 舞 踊 研 究 所 開設 会 長 豊 川 忠 進 、 理 事 平 尾 喜 代 松 ・真 栄 田勝 朗 ・阿 嘉 繁 ら. 昭 和19年1月. 金 城 南 邦 一 座 と仲 井 真 元 楷 の 琉 球 歌 舞 団 が合 同公 演 [同 上]. 大新城 忠 勇伝 ・女 よ強 くあれ 昭 和19年?. ,[同 上]. 琉 球 歌 舞 団 公 演(大 阪 ・南 進 座) '. 〔同 上]. 渡 嘉敷 守 良特別 出演. 注 . 本 年 表 で は 、 映 画 は 除 い て あ る。 出典 ・典 拠 は 主 な もの だ け を 挙 げ た 。 人名 ・演 目名 は 典 拠 の 表 記 を 尊 重 した 。.

(7) 第1章 . 沖 縄 を 訪 れ た ヤ マ トゥ ン チ ュ が 観 た 沖 縄 芸 能. 戦 前 期 は 、今 日 とは 異 な り、 観 光 目的 で 一 般 人 が 沖 縄 を訪 れ る とい う こ とは ほ とん どな く、 県 外 か らの 来 訪 者 は 、 役 人 や 企 業 人 、 ジ ャ ー ナ リス ト、 教 員 、 研 究 者 な どの い わ ゆ る 知 識 人 が 大 半 を 占 め て い た と思 わ れ る。 これ ら県 外 か ら の 来 訪 者 は 、 そ れ ぞ れ の 目的 を果 た す か た わ ら、 多 く は 、 主 と して 那 覇 滞 在 中 に 沖 縄 の 芸 能 に 触 れ る機 会 を 持 っ て い た よ うで あ る 。 そ れ は 、 お そ ら く 県 外 か らの 来 訪 者 の もて な しか た と して 、 王 国 時 代 に 冊 封 使 歓 待 の た め に 舞 台 芸 能 が 披 露 され た 、 そ の 伝 統 を 受 け継 い で い る とも考 え られ る し、 時 代 背 景 と して 、 昭 和 に 入 っ て か うの 郷 土 研 究 の 進 展 、 三 線 や 舞 踊 な ど に 対 す る 関 心 の 深 ま り、 伝 統 芸 能 の 保 存 の 機 運 の 高 ま り、 な どを 指 摘 す る こ と も可 能 で あ る。 そ こ で 、 ま ず 沖 縄 を訪 れ た ヤ マ トゥ ンチ ュ が 沖 縄 滞 在 中 に観 た 芸 能 に つ い て 、 どの よ うに 受 け 止 め た の か を 、 主 と して 彼 ら 自身 が 残 した 文 章 か ら見 て ゆ く。 提 示 した 資 料 は 、 伊 東 忠 太 ・半 澤 正 四 郎 ・安 藤 佳 翠 ・濱 田青 陵 ・島 田貞 彦 ・下 村 海 南 ・飯 島 曼 史 ・折口 信 夫 ・長 田 尭 春 ・井 上 友 一 郎 ・板 原 兵 三 郎 ・松 田毅 一 ・藤 田 嗣 治 ・佐 谷 功 ・島公 靖 ・外 村 吉 之 介 ・柳 宗 悦 ・若 山 浩 一 ・火 野 葦 平 ・杉 山 平 助 ・服 部 一 木 ・須 藤 利 一 ・蘭 郁 二 郎 ・遅 塚 安 三 ・遅 塚 冨 彦 ・小 山 周 次 ・坪 谷 水 哉 ら が 書 き残 した 紀 行 文 等 か ら の抜 粋 で あ る。 彼 らは 、 芝 居 小 屋 、 辻 、 そ して 地 方 で の 特 別 に 用 意 さ れ た機 会 な ど で 、 沖 縄 芸 能 に触 れ 、 そ の 印 象 や 感 想 を率 直 に 語 っ て い る。 芝 居 小 屋 な どで は 、 し ば し ば 、 県 外 か らの 来 訪 者 に 対 す る歓 迎 の 気 持 を込 め た 特 別 公 演 も行 わ れ た り して お り、 そ う し た厚 意 に応 え る意 図 も彼 らの 文 章 に は 込 め られ て い る よ うに 思 わ れ る 。. 、. なお 、 資 料 は 紙 幅 の都 合 上 、 抄 録 とせ ざ る を 得 な い こ とを お 断 り し て お く。 ま た 、 各 資 料 見 出 し は 、 著 者 名 ・タ イ トル ・発 表 年 月 ・発 表 紙 誌 名(号 数 等)の 順 を原 則 と し、 文 中 の … 略 部 分 、()は. は中. 筆 者 注 を示 す 。. ま た 、 日劇 関 係 者 や 民 芸 関 係 者 の 文 章 が 沖 縄 の 新 聞 に も発 表 され て い る が 、 本 土側 の 雑 誌 等 に 載 っ た もの と同 趣 の も の は割 愛 した 。.

(8) ・伊 東 忠 太 『木 片 集 』 昭 和3年5月. 刊(来. 県 は 大 正13年). (冊 封 使 に対 す る饗 応 と同 じ待 遇)余. 興 と して の 琉 球 古 楽 古誦 の 解 説 が あ り …. 万事. 古 風 に 由 て 、 宴 席 の 前 の 板 敷 の広 間 を舞 台 に 充 て 、 電 灯 の 代 りに 燈 火 を 点 し、 夜 色 の 濃 や か な る 間 に 、 涼 風 の 音 も な くそ よそ よ と吹 き こむ 裡 に 、 次 の 順 序 に 由 て 奏 演 され た の で あ る。 一. 、 琉 球 音 楽 「か ぎや で 風 節 」 「恩 納 節 」 「こ て い 節 」. 二 、 女 踊(歌) 三 、 二 才 踊 「上 り口 説 」(略 す) 四 、女 雑踊 「 花 風節 」 「 述懐 節」 五 、二 才踊 「 万歳 」 六 、女 踊 「 仲 間節 」 「 伊 野 波節 」 「 恩納 節」 「 長 恩 納 節 」 「しゆ とん 節 」 七 、 組踊 「 大 川敵 討」 この 奏 演 に は 楽 手 も踊 手 も み な 第 一 流 の 名 家 が 選 ば れ た 。…. 見 よ 、 音 曲 と謡 歌 と舞. 踊 と 、 互 に そ の 調 子 が シ ッ ク リ と合 つ て 一 糸 乱 れ な い 。 ・半 澤 正 四 郎 「 旅 行 談 南 国 琉 球 を語 る(下)」. 昭 和3年2月. 「 地 理 教 育 」 フー5. 琉 球 名 物 中 に 内 地 で 蛇 皮 線 の や うな蛇 の 皮 を張 っ た 三 味 線 が あ る。… 歌 詞 の 中 に は 世 界 に も誇 り得 べ き立 派 な も の が あ る。… 誇 つ て 居 る。…. 琉 球 に伝 は る. 立 派 な 史 詩 が あ る と琉 球 人 は. 琉 球 の 劇 壇 は 文 壇 と共 に 昔 は 非 常 に 盛 ん で 名 優 が輩 出 した が 、 現 今 は. 非 常 に 衰 へ 僅 に現 在 那 覇 に 残 つ て 居 る 琉 球 芝 居 に そ の 形 骸 を止 め る に 過 ぎ な い 。 劇 は 全 部 歌 劇 で 、 之 も 内 地 に は な か つ た で あ ら う。 ・安 藤 佳 翠 『沖 縄 へ の 旅 』 昭 和7年 … とお 目見 え の 挨 拶 を して 罷 出 る 女 の 何 れ も が 、 芸 者 で あ り踊 子 な ん だ か ら、 三 味 も弾 け ば 唄 も 歌 ふ 。 お 客 の 顔 次 第 で は 琴 や 太 鼓 ま で 引 張 り出 して 特 有 の 琉 球 舞 踊 を を どつ て み せ る。 劇 場 に は旭 劇 場 と大 正 劇 場 の 二 つ が あ る。 本 県 固 有 の 芝 居 と い へ ば 手 踊 が 主 で 二 輪 加 狂 言 、 それ に組 踊(能. 楽 の 暗 示 を受 け て 発 達 した も の)を 加 へ た も の で あ つ た が 、 近 来. 沖 縄 の史 実 等 を脚 色 した劇 風 の 幕 物 が 流 行 りだ して 来 た。 歌 謡 も 台詞 も大 方 は方 言 で 演 ず る の で あ る か ら、 初 め て の 客 に は わ か りに く か ら う。 しか しそ れ だ け郷 土 色 が 現 は れ て ゐ る わ け で あ る か ら、 一 晩 位 慰 み に 出 か け て も損 に は な る ま い 。 (「沖 縄 の 舞 踊 と 歌 謡 」 で 少 し解 説 あ り。 上 り 口説 ・下 り口 説 ・四 季口 説 ・濱 千 鳥 節 ・ か な よ節 ・鳩 間 節 の 歌 詞 つ き) ・濱 田 青 陵 「沖 縄 の 旅. 三 」 昭 和7年7月. ∼ 「ドル メ ン」7月 号 ∼. 辻 の 某 旗 亭 で催 され た 歓 迎 会 に 赴 い た が 、 私 達 が 此 処 で 沖縄 美 人 の 舞 踊 に打 興 じて ゐ る.

(9) 此 の 夜 は 島 袋 君 や 福 原 君 の 案 内 で 、 市 中 の 旭 劇 場 に か か つ て ゐ る 琉 球 劇 「阿 摩 和 利 」 を 見 に 行 つ た の は 嬉 し か っ た 。 劇 場 は 小 さ く粗 末 な もの で は あ る が 、観 衆 の 静 粛 な の に は 感 心 した の み な らず 、 前 狂 言 と して の 現 代 劇 も 中 々 面 白 く 、 見 物 を して 涙 を催 さ しめ る様 な 場 面 も あ つ た。 殊 に組 踊 りは 男優 に して斯 く も女 ら し く優 し く舞 へ る も の か と驚 か され た 。 ・ ・ 下 ・夜 は 更 け て も劇 は 中 々 終 らな い。 (名護 で)夕 食 の 後 村 の 青 年 会 の 人 々 十 数 人 が 特 に 私 達 の 為 に 盆 踊 りを や つ て 下 さ る と いふ の で 、 洋 服 に 著 か へ な ほ して 見 に 行 つ た。 琉 球 な れ ば こ そ 此 の 一 月 の は じめ に 、 野 天 で 篝 火 を焚 い て 踊 を 見 る こ とが 出 来 る の で あ り、 村 人 の 厚 意 に は深 い 感 謝 の 念 を 捧 げ る外 はな かつた。 恩 納 村 の谷 茶 で は 、 先 年 那 覇 へ 其 の 古 い 郷 土 の 踊 を 出 した こ とが あ る の で 、 あ れ を 名 護 か ら帰 りに 見 て は 何 うか と の 島 袋 君 の話 に 、 そ れ は何 よ り も有 り難 い 仕 合 と御 願 ひ を した 処 、 谷 茶 の 里 人 は 私 の 為 め に 村 の 婦 人 多 数 を繰 出 し、 二 日前 か ら練 習 を して ゐ る との 事 を 、 往 路 に 聞 か され て か ら 、 これ は 大 変 な 迷 惑 を か け る こ とに な つ た と後 悔 して も致 し方 が な い 。…. や が て 臼 太 鼓 の 踊 が 始 ま つ た 。…. 臼太 鼓 が す ん で若 い 娘 さん 達 の組 踊 数 番 が. あつ た が 、 凡 て 踊 り手 は 足 は だ しか或 は 全 くの 裸 足 で あ る。 (辻 で)私 達 は鶴 さ ん に踊 りを 所 望 す る と、 他 の 老 妓 の 蛇 皮 線 に合 せ て 、 彼 女 は 例 の 紺 ガ ス リ、 前 結 び の 帯 、櫛 髪 風 の 姿 で 、 い ろい ろ の 踊 を舞 ふ 。 其 の 手 振 り足 振 りの 優 し さ は 、 此 間 劇 場 で 見 た の と は 又 違 つ た 御 座 敷 の しめ や か さ が漂 ふ 。 ー島 田 貞 彦 「琉 球 の 旅 印象 」 昭 和10年1月. 「ドル メ ン 」4ー1. 細 帯 を 前 に 結 び 、 二 重 瞼 の 大 き な 眼 を 見 開 き漆 黒 の 結 髪 を い た だ い た 島 の 女 か ら 「 大和 入 」 と呼 び な ら し、 甲高 い 透 徹 す る声 で 琉 球 歌 謡 を 唄 ふ 風 情 は 恂 に 朝 鮮 妓 生 の そ れ と共 に 随 一 的 な 存 在 で あ ら う。… 那 覇 の と あ る 劇 場 で 琉 球 芝 居 を 見 た 印 象 は 、 支 那 芝 居 を彷 彿 せ しめ ず に は お か れ な か つ た。 演 出 され て ゐ た もの は 明 治 初 年 琉 球 に 置 県 さ る る前 後 で あ り琉 球 王 が 那 覇 港 出 帆 の 光 景 を以 て 大 詰 と して 居 つ た が 、 日本 で こ ん な異 国 的 な芝 居 が 上 演 され て ゐ る こ とに 一 驚 す る も の で あつ た 。 琉 球 志 士 奮 激 の 場 面 に満 場 割 れ る 様 な 拍 手 に は 全 く顔 負 けせ ざ る を 得 な か つ た 。 そ れ は 宛 か も支 那 芝 居 の 雰 囲 気 の 中 に あ る の と異 な らな い 。 ・下 村 海 南 ・飯 島 曼 史 『南 遊 記 』 昭 和10年10月 刊(4月. に 来 県). こ こ で は 琉 球 料 理 が 出 て 、 紺 飛 白琉 装 の 琉 球 芸 妓 が 泡 盛 の 酌 をす る。 そ れ か ら琉 球 の 唄 を聴 き 、 琉 球 舞 踊 を 見 せ て も らつ た 。 琉 球 音 曲 の 嘘 子 に は 蛇 皮 を 張 つ た 三 味 線 と琴 が は い る。 時 に は 太 鼓 も は い る 。 この 夜 の 立 方 新 垣 の松 含 と い ふ 男 の 師 匠 と そ の 弟 子 な る琉 球 芸 妓 で あつ た 。 〔 鍛 冶 屋 手 風 ・上 り 口説 ・万 歳 口説 ・仲 里 節 ・八 重 山 節 〕 お しな べ て い へ ば 、 今 日の 琉 球 舞 踊 は 、 琉 球 固 有 の型 を 純 粋 に 傳 ふ る もの は 少 く、 大 抵 は 日本 、 支 那 お よ び 西.

(10) 洋 の 手 振 の 合 流 した もの の や うに そ の 合 流 の 割 合 に は 等 差 が あ つ て 、 前 に 挙 げ た 鍛 冶 屋 手 風 の や うに能 楽 と神 楽 との 中 間 をゆ くや うな も の もあ れ ば 、 上 り 口説 や 万歳 口説 の や うに 日本 舞 踊 と支 那 舞 踊 と が 縫 目 もみ え ぬ ほ ど に融 合 して ゐ る の も あ る。 …. 囃 子 は、 僕 に. は よ く わ か らな い が 、概 して 雨垂 れ の や うに 単 調 に 聴 こ え た。 だ か ら よ ほ どの 名 手 で な け れ ば ゆ る ん で しま ふ 。 歌 も 日本 や 支 那 の 一 流 ど こ ろ に 比 べ る と 、稽 古 が 足 らぬ た め か よ い 師 匠 が な い た めか 、 声 が 練 れ て ゐ な い や うに 思 ふ た 。 滞 琉 中 四 度 ま で 琉 球 舞 踊 を 見 る機 会 を 得 た が 、 後 に な る ほ ど面 白み が わ か つ て 来 た 。… 琉 球 最 後 の夜 は 、…. 珊 瑚 座 で お 芝 居 見 物 を させ て も らつ た 。…. 当夜 の 出 し物 は 玉. 城 朝 薫 作 組 踊 五 番 の うち 「女 物 狂 」 と 「 執 心 鐘 入 」 で あ つ た 。 主 演 俳 優 は真 境 名 由 康 とい ふ 名 優(?)で あ つ た。 …. 「女 物 狂 」 は …. こ の あ た り安 い 涙 を 搾 る と見 え て 、 舞 台 の. 子 役 を 目が け て 盛 に 御 祝 儀 の お ひ ね りが 飛 ぶ 。…. 謡 曲 道 成 寺 の 見 ど こ ろ は 、乱 拍 子 と. 鐘 入 の 呼 吸 に あ る。 この 執 心 鐘 入 に は そ ん な もの は な い が 、 お 寺 の 座 主 と鬼 女 と の 立 ち廻 りは か な り確 か な 芸 で あ つ た。 女 物 狂 の 子 役 に して も、 執 心 鐘 入 の お ど け小 僧 に して も 、 沖 縄 に お い て お くの は 惜 い と思 ふ ほ ど よ くや つ た 。 内 地 に も あ れ ほ どの 子 役 は ザ ラ に あ る も の で は な い 。 … 供 が 舞 台 の 端 に 頬 杖 を つ い て 見 て ゐ る。 これ も寛 い で 面 白い 。. 琉球 の 芝居 で は平土 間 の 子 一. 折 ロ信 夫 「 過 去 及 び 将 来 に お け る沖 縄 の 宗 教 と芸 術 」 昭 和11年1月17日. 「沖 縄 朝 日新 聞 」. 一 体 芸 術 の 見 方 は そ の 発 生 を見 、 そ の 過 程 を 見 る の が 普 通 と され 、 今 の 姿 を 見 るの み で は 真 の 意 味 は解 らな い。 発 生 と経 路 を 知 らな い で 今 見 た ま ま の頭 で 芸 術 を鑑 賞 す るの は 無 鉄 砲 とい ふ もの だ 。 例 へ ば 私 が 組 踊 りの 一 曲 を 見 て 玉城 盛 重 を判 断 す る の は 間 違 つ て ゐ る。 然 し余 り過 程 を 見 る 形 に 捕 は れ 過 ぎ る と型 に 叶 つ た もの は何 で もい い とい ふ こ と に な つ て 私 が 玉 城 の 真 似 を す る と 「あ れ は 型 通 りや つ て ゐ る か らい い 」 とい ふ こ と に な つ て しま ふ 。. 一 体 沖 縄 の 芸 術 は 大 和 芸 術 も、 さ うで あ る が ぐ 宗 教 的 基 礎 を持 つ て ゐ る、 沖 縄 で は 明 確 に そ の 点 を 示 して ゐ る 、 根 が 宗教に 張 られ て 抜 か れ 切 つ て ゐ な い 。 そ う言 ふ 芸 術 を 綜 合 し た の が 組 踊 りで あ る と思 ふ 。 この 組 踊 りは村 踊 りか ら発 達 した とは 言 ふ もの の 本 土 の 能 と か 歌 舞 伎 な ど が 入 り込 ん で 立 派 な オ ぺ ラ風 の も の と なっ た 。 た だ 絵 画 的 に 欠 け て ゐ る と言 へ ば 背 景 が な い ご とで 、 本 土 の 演 劇 で も絵 画 を 取 り入 れ た の は新 し く、 沖縄 に これ が 無 い の は 当 然 で あ ら う。 先 日島 袋 図 書 館 長 と沖 縄 芸 術 を綜 合 した 組 踊 りを 保 存 す る こ とは 総 ベ て の も の を保 存 す る こ と に な る と い ふ こ とを 話 し合 つ た 。 考 へ て み る と組 踊 りは 舞 踊 、 音 楽 な ど と細 々 に 分 れ 次 第 に そ の も の は 滅 び か け て ゐ る。… 滅 びゆ く琉 球 芸 術 の 発 展 は勿 論 期 待 す る こ と は 出 来 な 睦 が 今 の 通 りだ と壊 滅 を防 ぐ こ と も 出 来 な い 。 組 踊 りは 時 代 に順 応 して 新 しい 人 に も感 興 を起 す や うに 台 本 と実 演 者 が 出 現.

(11) しな けれ ば な ら な い 。 ・長 田 甕 春 「沖 縄 の 初 印 象 」 昭 和11年3月29日. 「 婦 女新 聞」. 郷 土 舞 踊 に は 面 白 い 特 徴 が あ りま す 。 楽 器 は 琴 、 蛇 皮 線 を 用 ひ 、 歌 の調 子 に 延 び が あ っ て 哀 調 を伴 ひ 、 踊 子 は 予 告 も な くお 座 敷 へ 罷 り出 て 、 無 言 劇 を暫 し演 じ、 終 れ ば さツ さ と 帰 つ て 行 き ます 。 従 つ て 観 客 は 拍 手 を 送 る機 を さへ 失 ふ と い ふ 変 っ た も の で す 。 ・井 上 友 ー 郎 「琉 球 印象 記 」 昭 和11年4月. 「文 芸 首 都 」. 名 物 の 泡 盛 酒 を の み 、 料 理 の 箸 を とつ て ゐ る と、 突 如 ヒ ヨ ッ コ リ と舞 妓 が 出 て 踊 り出 し た 。 琴 、 蛇 味 線 、 太 鼓 な ど も い つ の 間 に か揃 つ て ゐ る の だ 。 琉 球 舞 踊 は 滞 在 中 に花 崎 亭 、 三 杉 楼 で 前 後 五 六 回 も見 る機 会 を 得 た 。 も と よ り無 粋 な 門 外 漢 の 私 に は 詳 し く判 らぬ 。 唯 、 漫 然 と見 受 け た 所 、 非 常 に 動 き の 悠 重 な の と、 反 対 に 軽 快 な も の との 二 つ に 別 れ る。 主 に 手 を うま く あ しら つ て 、 足 一 と い ふ よ りは 躯 全 体 を こ な す の は 余 りな い 。 元 来 、 琉 球 の 古 典 舞 踊 は 宮 廷 舞 踊 と して 発 達 した と い ふ こ と だ が 、 能 楽 の 影 響 を受 け た 点 が 殊 の 外 著 しい の だ 。 どの 宴 席 に も、 イ の 一 番 に 、 今 日の 誇 ら しやゝ 何 に ぎや譬 る  蕾 で ゐ る花 の 露 行 逢 た 如 …. と、 振 袖 の 若 衆 姿 で 踊 る 一. 「 か ぎや で 風 」 とい ふ の な ど、 悠 々 と して 荘 重 で も あ る。 … こ の ほ か 「上 り口説 」 と 云 つ て 、 黒 紋 付 に 胸 絆 を締 め た 青 年 姿 で 、 キ ビ キ ビ と明 る く踊 る二 才 踊 。 琉 球 古 来 の 華 麗 な紅 型 の 衣 裳 を纏 つ て 、 絢 燗 た る 花 笠 を 目深 く被 り、 手 に 四 ッ 竹 を 打 ち 鳴 ら しな が ら優 腕 な 姿 で 踊 る 「 花 笠 踊 」 な ど、 い つ れ も古 典 舞 踊 に 属 して ゐ る。 「 花 笠 踊 」 の 魅 惑 的 な 艶 麗 さ も 面 白 い が 、 しか し私 に は 、 宮 廷 舞 踊 に 糸 を 引 か な い 一つ ま り比 較 的 新 し く 民 間 に 起 つ た 「千 鳥 節 」 の 踊 り、 と云 ふ よ りは 哀 節 な 、 そ の 歌 を愛 した 。. 設 が 強 く て 、 も と よ り耳 で 聴 い た だ け で は サ ツパ リ判 らぬ 、 が 、 琴 と蛇 味 線 を 合 は しな が ら 、 舞 妓 の 背 後 一 ち や う ど薄 暗 い 宴 席 の 片 隅 で 、 二 人 の 年 増 が うた ふ 風 情 は 、 惻 々 と し て 肺 腑 を 抉 るや うに 物 悲 し く、 い か に も哀 婉 極 ま りな い も の で あ つ た 。 もつ と も 、 この 「 千 鳥 節 」 に 限 らず 総 じて 琉 球 の 歌 は 溢 れ るや うな 哀 調 を 孕 ん で ゐ る。 じっ さ い 痛 々 しい ほ ど遺 るせ な く ま るで 何 も の か に うつ た へ で もす るや うに 、佗 び し く、 哀 しい。… 私 は 強 烈 な 泡 盛 に 頬 を 染 めて 、 間 も な く座 敷 か ら響 い て く る 「 鳩 間節 」 に 耳 を 澄 ま した 。 と、 何 が な しに 、 琉 球 三 百 年 の 歴 史 が 頭 の 隅 を 掠 め る の で あ る。 論 者 あ つ て 、 琉 球 の あ ら ゆ る歌 が 哀 調 に 終 始 す るの は 、 も ち ろ ん 自然 の 声 で は な く、 島 津 支 那 等 の 三 百 年 に 亘 る惨 循 た る搾 取 に 歪 め られ た結 果 だ と説 く。 い か に も 穿 ち過 ぎ た 解 釈 は 解 釈 だ が 、 累 々 た る戸 外 の 墓 石 を み つ め る うち に 、 ふ と私 は最 初 に 覚 え た 「 食 物 呉 ゆ す ど吾 御 主 」 と 云 ふ こ の 地 の 俚 諺 が 、 座 敷 の 哀 調 に解 け合 ひ な が ら、 沁 々 と胸 一 杯 に 罩 み あが る の だ つ た 。・ ….

(12) 所 が 、 肝 心 の 芝 居 に は 、 さ うい つ た 現 実 の 生 ま生 ま し さ を 反 映 した もの が 一 向 に な い の で あ る。 も つ と も 、 私 の た め 、 市 内 の 珊 瑚 座 が 一 夜 の 番 組 を 変 更 して ま で 見 せ て く れ た 「金 細 工 」 「 ひ と盗 人 」 等 の 古 典 的 な舞 踊 劇 一殊 に 能 楽 の 香 り高 い 「 ひ と盗 人 」 の 雄 渾 の 情 趣 に は 、 流 石 永 年 打 ち込 ん だ伝 統 の 冴 へ は あつ た 。 が 、 現 代 劇 とい ふ の は 殆 ど歌 劇 で、 め うに レアル な 演 技 が あ る か と思 へ ば 、 急 に 堂 々 た る 有 髭 の 大 男 が 、 実 に ロマ ン テ イ クな 独 唱 で 筋 を運 ぶ 。 つ ま り芝 居 の 最 も難 しい 部 分 は 全 部 この 歌 で 運 ん でゆ くか ら、 一 向 受 け 取 る べ き 味 が な い 、 と 云 ふ よ り も、 支 離 滅 裂 な 感 じで あ る。 ・板 原 兵 三 郎 『沖 縄 視 察 記 』 昭 和12年5月. 刊. (辻 松 華 楼 で の 大 阪 商 船 主 催 沖 縄 視 察 団 歓 迎 会)南 国 特 有 の 丈 け なす 漆 黒 の 髪 を 沖 縄 独 特 の 螺 巻 と し大 き な 銀 簪 を 下 よ り上 へ 突 き 差 し広 袖 の 琉 球 服 に 帯 を 前 に て 結 び た る沖 縄 情 緒 溢 る る計 りの 愛 ら し き美 形 が 或 は 琴 を 弾 じ或 は 蛇 皮 線 を 弾 き 、 或 る も の は其 調 子 に 合 は せ て軽 妙 に 舞 踊 して 興 を扶 け る の で あ る が 、 其 光 景 は 筆 者 が 生 れ て 始 め て の も の で 珍 ら し と も云 は ん 方 な き も の だ つ た 。 ・ ・其 舞 踊 の 面 白 さ 、 舞 踊 の 衣 裳 が 古 典 の 沖 縄 風 で あ る 上 、 足 の 運 び が 南 洋 舞 踊 の 趣 きが あ つ て 愛 ら しい。… 昨 夜 大 正 劇 場 に 於 け る 古 典 劇 の 見 物 に 出 掛 け た 、 最 初 の 頃 は 古 典 歌 謡 と舞 踊 が 数 番 続 ひ た が 余 りに 時 間 が 取 る の で あ き が 来 て 筆 者 は 古 典 劇 を 見 ず して 切 り上 げ た が 、 見 て 来 た 人 の 話 を 聞 く と大 変 珍 ら しか つ た と の 事 に 見 ず に帰 つ た 事 を 後 悔 して居 る。 例 の 辻 の ア ン グ ワー は 悉 く沖 縄 風 で あ る。 ア ン グ ワ ー の 舞 踊 の 中 に 団 十 郎 や 幸 四 郎 の 歌 舞 伎 に於 け る 「 助 六 」 に 見 る 様 な 鉢 巻 を して 踊 る 舞 踊 を 見 た。 紫 の布 を 四 つ 折 に し鉢 巻 と な し頭 の 横 で 結 び て 其 端 二 尺 位 を 長 く垂 れ て 居 る の で あ る が 誠 に 愛 ら し … ー松 田 毅 ー 『台 湾 ・沖 縄 の 旅 』 昭 和12年9月 (辻 松 華 楼 で の 視 察 団 歓 迎 会)ア. 刊. ン ガ ー の ひ く蛇 皮 線 と琴 が 室 外 の 廊 下 よ り調 子 よ く鳴. り始 め 、 着 飾 つ た 女 が 次 々 と踊 り出 て 来 た 。…. 〔 上 り口 説 ・下 り口説 〕…. 沖 縄 舞 踊 の 最 も本 質 的 な 古 い 型 は 、 や は り田舎 の 神 事 を 見 な けれ ば な ら な い そ うだ 。 近 代 的 な 之 等 の 踊 りは 調 子 が 相 当 速 く、 衣 裳 は 舞 ひ 毎 に 変 り、一踊 り手 の 手 足 の 細 か い 動 き は 本 土 で は 見 られ ず 又 そ の 表 情 も奥 ゆ か しさ が あ り、 小 林 一 三 氏 が 来 れ ば 早 速 宝 塚 へ 連 れ 込 み た く な る で あ ら う。 〔 四 季口 説 〕 八 時 よ り我 等 視 察 団 の 為 に 特 に 開 演 され た 古 典 劇 を 大 正 劇 場 に 見 学 す る。 王 と 忠 臣 と逆 臣 を 中 心 とす る演 劇 で あ る。 言 語 が さつ ば り解 らぬ の で 予 想 外 に 興 味 が な い 。 ・藤 田 嗣 治 「夢 の 国 、 琉 球 」 昭 和13年6月11日. 「 琉球 新報 」. な. (琉舞 に つ い て)歌 詞 に  雅 に 、 音 曲 は 千 篇 一 律 に 、 舞 技 は 静 粛 に、 三 百 年 前 か らの 王 朝 時 代 の伝 統 を そ の 儘 受 け継 い で 、 開 け 放 つ た 窓 々 か ら漏 れ 漂 つ て 情 緒 誠 に こま や か で あ る。.

(13) 珊 瑚 座 で 名 優 、 真 境 名 、 島 袋 氏 等 が 私 の た め に 特 に 凡 そ 二 百 五 六 十 年 前 の 田里 親 雲 上 作 の 「 義 臣 物 語 」 を上 演 更 に 百 畳 敷 き の 見 晴 し亭 の 歓 迎 の 夜 、 舞 踊 の 大 家 、 玉 城 盛 重 翁 の 老 人 踊 り等 は 全 く優 雅 に 日本 伝 来 の 謡 曲 、 能 、 狂 言 を そ の儘 この 島 に保 守 して 居 る様 に そ の 門 の 高 貴 さに 打 たれ た 。 ・佐 谷 功 「琉 球 と八 重 山 」(昭 和14年6月. 来 県 『日本 民 族 舞 踊 の 研 究 』 昭 和18年 刊 所 収). 舞 踊 に 対 す る私 達 の 立 場 は 、 所 謂 舞 踊 研 究 家 と は 自 ら異 ら ざ る を 得 な か つ た。 私 達 は 、 予 め 日劇 に 於 け る琉 球 レ ビユ ウ の 上 演 と い ふ 目的 を 持 ち 、 そ の仕 事 の 実 質 的 な 裏 付 け の た め に 、 現 地 の 見 学 に 赴 い た の で あ る。 云 は ば 私 達 の 民 族 舞 踊 研 究 は 、 学 究 的 な研 究 が 目的 で は な く、 民 族 舞 踊 の 新 ら しい 舞 台 芸 術 化 の た め に す る の で あ つ て 、 こ の 方 針 は 当 時 よ り 今 に 至 る も変 つ て は ゐ な い 。 こ の 様 な 私 達 の 立 場 か ら 見 て 、 最 も 興 味 を 惹 か れ た の は 、 前 に も述 ベ た 様 に伝 統 あ る御 冠 船 踊 りで は な くて 、 現 地 の 人 々 か らは 軽 ん じ られ て ゐ る螺 踊 りの 一 群 の 踊 りで あ つ た 。 殊 に 、 新 垣 よ し子 さ ん の 鳩 間 節 、 那 覇 の 馬 上 氏 金 城 氏 の 御 世 話 で 見 せ て い た だ い た 上 間 栄 子 さん の 濱 千 鳥 節 、 谷 茶 前 節 の 三 つ が 琉 球 の フ ォ ー ク ・ダ ン ス と して 最 も私 達 を感 激 させ た も の で あ つ た 。 そ の す べ て を 通 じて 流 れ る軽 快 な リズ ム 、 健 康 な 逞 ま しい 生 活 意 欲 の 現 は れ 、人 生 に 対 す る 明 るい 希 望 等 、 民 族 の 意 欲 が 端 的 に 直 接 に 表 現 され て ゐ る。 私 は 今 度 作 る 琉 球 レ ビユ ウ は 、 この 三 つ の 踊 り を基 礎 に して 作 れ ば よ い との 確 信 を得 た 。 ・島 公 靖 「 琉 球 行 」(昭 和14年8月. 「 琉 球 新 報 」 『日 本 民 族 舞 踊 の 研 究 』 昭 和18年 刊  所 収). (那覇 三 杉 楼 に て)御 前 風 ・上 り 口説 ・四 つ 竹 踊 り ・鳩 間 節 ・濱 千 鳥 ・天 川 節 三 杉 楼 で くれ た 解 説 書 に は … (首 里 散 策 に て)そ. これ は 沖 縄 郷 土 博 物 館 館 長 島 袋 源 一 郎 氏 の 筆 で あ る。. こへ 馬 上 氏 が あ らは れ た 。 今 夜 私 達 に 踊 りを 、 見 せ て 下 さ る と い ふ 。. 池 宮 城 氏 や 、長 嶺 氏 と相 談 され て 、新 垣 芳 子 氏 や 、 そ れ か ら い つ も は 新 垣 氏 とは 派 が 違 ふ の で 、 一 緒 に 踊 ら な い 玉 城 舞 踊 研 究 所 の 方(田 代 た か 子)、 辻 遊 郭 の 方(上 出 場 して 下 さ る とい ふ 。…. 間 栄 子)も. 、. す べ て 本 式 に衣 裳 をつ け られ て 、 「こ て い 節 」 「濱 千 鳥 」 「四. ツ竹 踊1「 谷 茶 前 節 」 「 鳩 間節 」 「 花 風 」 の 六 曲 を 、 池 宮 城 、 金 城 両 氏 の 三 味 線 で か は りが は り踊 られ た 。…. 面映 ゆい思ひ で、 「 教へ て頂 きた い ものは、鳩 間に 、千鳥 に、谷茶 前. で す 」 とい つ た の で あ つ た 。 (翌 日鳩 間 節 を新 垣 姉 妹 に 、 残 り二 つ と 「ジ ュ リ馬 」 を 上 間 栄 子 か ら習 う) 珊 瑚 座 は 、 琉 球 戯 曲 の 常 設 上 演 場 で あ る。 場 末 の 活 動 小 屋 の 様 な 汚 い 小 さ い 小 屋 で あ る。 …. 前 晩 は時 代 歌劇 「 伊 佐 浜 の 恋 」 と い ふ の を や つ て ゐ た が 今 這 入 る と 同 じ様 な 歌 劇. 「 御 書 院 若 衆 」 とい ふ の をや つ て ゐ る。…. 唄 の 方 が 大 事 に な つ て ゐ る ら しい 。 …. 「 御 書 院 若 衆 」 が す む と、 「時 局 セ ン スル 」 とい ふ も の が 出 る。 セ ン ス ル 節 と い ふ 節 に 、 替 唄 して 時 局 を あ て こん で 唄 ふ の で あ る。 こ の 日は 絣 りの 着 付 の 女 が 日支 事 変 を読 み 込 ん.

(14) だ もの を 唄 つ た が 、 これ は 大 い に 受 け て ゐ た。 … 瀬 万 歳 」 等 が や られ た 。…. 「 浜 千鳥 」 「 鳩 間 節 」 「天 川 節 」 「八 重. そ の 次 に 待 望 の 組 踊 りが あ つ た 。 題 して 「 人 盗 人 」 とい ふ 。. これ は 通 称 で 本 当 は 「 女 物 狂」 と い ふ 。 …. 流 石 に 、 良 く洗 練 され た も の で あ つ た 。 能. の 様 に 片 苦 し く も な く、 又 く どい 写 実 も な く、 す べ て 清 潔 す ぎ る程 清 潔 な も の で あ つ た 。 ・外 村 吉 之 介 「 琉 球 の 芝 居 」 昭 和14年8月. 「月刊 民 芸 」1ー5. 新 しい 興 奮 を呼 ん だ も の に 「 芝 居 」 が あ る。 わ れ わ れ は屡 々 芝 居 小 屋 を ま は つ て 、 臭 い 便 所 の 風 に悩 ま され つ つ も、 眼 を 奪 ふ 歌 と踊 に幾 夜 か の 時 を 忘 れ た。 名 高 い 玉 城 盛 重 氏 の 踊 りは も は や 云 ふ に 及 ば ぬ 。 そ れ は こ の 国 の 富 土 山 で あ り国 宝 で あ る。 しか しあ の 小 屋 に 、 夜 毎 か か る琉 球 芝 居 の 歌 と踊 り こそ 、 名 も な い 山 々 で あ り、 民 衆 の 宝 で あ る。 宇 根 新 三 郎 、 宮 城 能 造 、 真 境 名 由 康 、 玉 城 盛 儀 とい ふ 、 そ れ らの 名 入 は人 に き かれ て 答 へ る も の に す ぎ な い 。 しか し、 そ の 仕 事 ぶ りの前 に は 名 だ た る三 津 五 郎 も菊 五 郎 も眼 を見 張 ら ざ る を え な い で あ ら う。…. 〔千 鳥 節 ・麾 ・天 川 踊 り ・仲 里 節 ・人 盗 人 〕…. わ れ わ れ は琉 球 の 芝. 居 で 「上 手 さ 」 や. 「う ま さ」 に 対 す る も の の 「よ さ」 に 接 す る こ とが 出 来 乱. …. われ. わ れ は 琉 球 の観 客 に 訴 えて 、 これ らの い い 踊 り手 を 殺 す こ とな く、 そ の 美 しい 仕 事 を歓 び と愛 と敬 ひ を 以 て 観 て も らひ 度 い と願 ふ 。 卿 等 の 眼 が この 世 に も比 較 な き 宝 を 永 く世 に 保 つ の で あ る。 内 地 で は そ れ が 曾 て 日本 青 年 館 で 紹 介 され た とい ふ だ け で 安 ん じ られ な い 。 一 っ の 郷 土 芸 術 と い ふ 風 に扱 はれ 感 心 され る 以 上 の も の が の こ され て ゐ る。 何 処 か の 桧 舞 台 の 上 に こ の 驚 くベ き 「 仕 事 」 を ひ ろ げ て 、 如 何 に これ が 美 し さの 至 宝 で あ る か を 心 あ る 人 々 に 知 ら し め た い 。 日本 の み で は な い 、 世 界 の 何 処 に 出 して もそ の 「よ さ」 は 、 多 くの 人 の 心 を 衝 つ こ と を 信 ず る。 わ れ わ れ は そ の 日を近 づ け る た め に 力 を つ く した い と思 ふ 。 ・柳 宗 悦 「琉 球 の 富 」 昭 和14年10月. 「工 芸 」100号. 琉 球 は 真 の 音 楽 の 国 な の で す 。… 覚 え る で せ う。 …. 真 の音 楽 に 飢 え る 人 は 、 琉 球 に 来 て 最 大 の 歓 喜 を. 私 達 が 沖 縄 に心 を 惹 か れ る一 つ の 理 由 は 私 達 が 失 つ て 了 つ た 人 間 と. して の 本 然 の性 質 を 、 未 だ に 唄 の 世 界 で 有 つ て ゐ るか らで す 。 〔 音楽〕 大 体 組 踊 と名 づ け る もの は 、 題 目に 於 て も 能 楽 と共 通 した も の が 多 い の で す 。 能 と吾 々 の 距 離 よ り もつ と吾 々 に近 い 感 じ を 与 へ ま す 。 動 き は 静 か で す が 更 に鋭 い の で す 。 私 は 沖 縄 の 至 宝 玉 城 盛 重 翁 の 踊 を 見 て 能 よ り も一 段 と深 い 感 銘 を 受 け ま した。 …. 就 中玉城 盛. 重 翁 の 芸 は天 下 の 至 宝 と も 云 ふ べ く、 か か る もの に接 す る時 、 人 間 は 己 が 此 の 世 に 生 れ た こ とに 感 謝 の 念 を 禁 じ得 な い で せ う。 〔 舞 踊〕 ・鳥 海 青 児 「沖 縄 行 」 昭 和15年1月22日1「 (辻 に つ い て)歌. 琉 球新報 」. 三 味 線 を 聞 い た り、 琉 球 踊 をみ た りす る に は こ こ で 宴 会 を 開 け ば ざつ. と一 通 り老 人 踊 、 女 踊 、 二 才 踊 、若 踊 とい ふ 風 に 琉 球 歌 舞 の 臭 ひ は か ぐ事 が 出 来 る。 唄 は 、 小 節 とか 粋 な ぞ と い ふ 内 地 の 唄 に 共 通 す る も の が な く そ れ か と 云 つ て 内 地 の 民 謡 の 様 に ひ.

(15) な び た 土 臭 い 感 じ もみ とめ られ な い。 声 柄 は 哀 調 子 で 一音 程 に 安 定 を 欠 く、 一 寸 楽 譜 に も 写 しに く い 複 雑 な もの だ 一異 風 と い ふ か 、 独 自の 形 式 と い ふ べ き だ ら う。 これ に 入 る大 太 鼓 、 小 太 鼓 、 打 ち か わ す 効 果 、 音 色 は 非 常 に うつ く しい 。 … ・佐 谷 功 ・若 山 浩 一(昭 和15年2月. 音 の 効 果 す ば ら しか つ た 。. 来 県 『日本 民 族 舞 踊 の 研 究 』 昭 和18年 刊  所 収 」). (竹富 島 で)竹 富 島 巻 踊 ・マ ミ ドー マ ・チ ョー ガ 節 と束 里 節 ・蝶 の 舞 ・黒 島 口説 ・鼓 ば や し ・久 高 板 舟 ・し ょ ん か ね 一 節 ・ トバ ラ ー マ (竹富 島 某 家73歳 祝 い)御 前 風 ・上 り口 説 ・銭 太 鼓 ・濱 千 鳥 ・竹 富口 説 ・む ん じ ゅ る 平 笠 ・カ ナ ヨー (石垣 島)布 晒 節 ・綛 掛 踊 ・麾 踊 ・目 出度 節 ・キ イ ヤ リの 踊 ・古 見 ぬ 浦 節 ・鷲 之 鳥 節 火 野 葦 平 ・杉 山 平 助 ら観 劇 の 記 事 「琉球 新 報 」 昭 和15年5月19日 目下 来 県 中 の 火 野 葦 平 氏 一 行 並 に 杉 山 平 助 氏 は 本 十 九 日昼 は 宮 城. ・ 順 氏 の唐手 を見学 し. 晩 は珊 瑚 座 で 琉 球 古 劇 及 び 舞 踊 の鑑 賞 を す る こ と に な つ て ゐ る が 珊 瑚 座 で は 数 日前 よ り座 頭 真 境 名 優 以 下 練 習 に 全 力 を 挙 げ て を り久 振 りに 絢 ら ん た る 舞 台 が 見 られ る も の と期 待 さ れ てゐ る出物 及び配 役左 の如 し 、 花 笠 四竹 踊. 仲里節. 島袋 き三 郎 、 備 瀬 知 源. 一 、千鳥節. 宮城 能造 、平 安 山英太 郎. 一. 片瀬 ナへ 子 、片瀬 チヱ 子. 、谷茶 前 、 萬 歳(八. 重 瀬). 真境 名 由康. 、天川. 宮城 能造 、親 泊興昭. 、綛 掛. 島 袋 き三 郎 、 備 瀬 知 源. 、組踊. 「人 盗 人 」. 人 盗 人:真 境 名 由康 、 亀 松:真 境 名 由 乃 、 母 親:親 座 主:山 川 加 明. ・服 部 一 木 『台 湾 沖 縄 游 記 』 昭 和15年6月. 泊興 昭 、. その他. 刊. 浜 千 鳥 と よぶ 琉 球 舞 踊 の 長 閑 な しぐ さ も 忘 れ られ な い 。 辻 で は 細 い 眼 、 ま う ま う と した 鼻 の 二 十 娘 が 例 の 紺 絣 、 銀 簪 で 八 重 山 舞 節 を 唄 つ た 。 花 柳 の 女 とも 思 へ ぬ 無 邪 気 さ で あ っ た。 蛇 皮 線 に守 宮 よ踊 れ 月 に 乗 り 月 高 し琉 球 踊 り卒 業 か ー須 藤 利 一ー・松 村 一 雄 ・比 嘉 盛 昇 ほ か 「沖 縄 文 化 を語 る 」 昭 和15年9月22日. 放送 「南 島 」 第 二 輯. 松村. 「「 執 心鐘 入 」 を 二度 、 それ か ら 「 人 盗 人 」 を 見 ま した が ・ …. ・柳 宗 悦 「 首 里 と 那 覇 」 昭 和15年10月. 「 工 芸 」103号. 玉 城 盛 重 翁 は も う古 稀 に 達 した 名 優 で あ る。・…. 翁 の 技 芸 は 神 域 に 達 した も の が あ つ.

(16) て 、 「老 人 踊 」 の 如 き 尊 厳 な も の は 、 世 に も少 な い で あ ら う。 見 る者 は 一 世 の 眼 福 に恵 ま れ た と 云 ふ 感 を 誰 も抱 くに 違 ひ な い 。…. 性 格 も厳 しい と こ ろ が あ つ て 、 翁 の 為 に 沖縄. の 芸 格 が ど ん な に よ く保 護 せ られ て ゐ る こ とか。 ・蘭 郁 二 郎f琉. 球 の ぞ 記 」 昭 和16年7月. 「茶 わ ん 」11-7. こ の席 上 で の 琉 球 舞 踊 、 四 つ 竹 踊 り、 花 風 、鳩 間 節 の 三 つ は そ の 代 表 的 な 三 つ の 型 で あ ら うが 上 陸 最 初 の こ と で は あ り甚 だ 印 象 的 に 、美 し く愉 し く我 々 の 眼 を 十 分 に 楽 しませ て くれ た もの だ つ た 。 夜 、 珊 瑚 座 に 琉 球 芝 居 を 見 る。 早 目に 行 つ た の で 「 上 り口説」 そ の 他 二 つ ほ どの 民 謡 の 踊 りが 見 られ た 。 そ れ か ら舞 踊 「 蛇 精 」、 第 二 伊 野 波 親 方 傳 、 時 局 舞 踊 、 商 道 セ ン ス ル ー 、 洩 らす な 機 密 とい つ た 番 組 で あ つ た。 こ の うち見 る べ き も の は 第 二 伊 野 波 親 方 傳 で 下 ・ ・ 残 念 な が ら我 々 に は殆 ん ど科 白 の 意 味 が わ か らな か つ た 。 ・遅 塚 安 三・ 遅 塚 冨 彦 『詩 の 国 沖 縄 』 昭 和17年9月. 刊(前. 年10月 来 県). (名護 の 料 亭 に て)此 家 の 抱 へ 芸 者 と も称 す ベ き か 、 蛇 皮 線 抱 へ しが 二 人 、 外 に 琴 掻 き 弾 す 女 一 人 に て 、 蛇 皮 線 に 合 せ て 琴 を 弾 じ、 蛇 皮 線 の 女 甲 高 き 声 して 唄 ふ 、其 調 恰 も節 に 抑 揚 な き 浪 花 節 を 聞 く如 く 、 一且 琉 球 音 の 歌 詞 な れ ば 、 其 意 味 を解 す る 事 能 は ず 、 漸 く歌 詞 の 文 意 と読 み 比 べ 、 意 味 を知 る 事 を 得 る 程 度 で あ る。 然 し此 唄 に つ れ て 踊 り出 す 女 子 、 主 と して 十 八 九 位 の 美 し き 少 女 が 、 夫 々 其 踊 に依 る衣 裳 を つ け 、 踊 り出 る様 は 誠 に 手 振 あ で や か な も の で あ る 、 且 最 も心 持 良 い 事 は 其 歌 詞 が 殆 ど 万 葉 調 とか 、 短 歌 詞 と か の 立 派 な る 文 章 で 、 内 地 民 謡 の 如 き 野 卑 な る 歌 詞 を含 ま ぬ 。 純 文 学 的 な もの で あ る事 が 嬉 しい 。 又 其 踊 子 の 衣 裳 が 全 く古 典 的 な 著 付 け で 、 甚 だ美 しい ば か りで な く、 其 踊 りの 一 投 手 一 投 足 が 、 歌 詞 と楽 器 の 響 と三 者 渾 然 一 体 と成 つ て 、観 る者 を して知 らず 知 らず 、 鑑 賞 の 内 に 引 き入 れ られ て ゆ く所 に 、 此 踊 りの 真 価 が あ り且 又 其 踊 りあ 型 式 が 、 丁 度 能 の 仕 舞 の 型 を崩 した 様 に 、…. 頗 る妙 味 を感 じた の で あ る。…. (辻 の 幸 楽 に て)同 亭:専属 の 踊 子 に 依 て 、 例 の か ぎや で風 節 、 上 り口 説 、 四 つ 竹 踊 等 五 六 番 の 舞 踊 を 見 物 す る こ と が 出 来 た 。 曾 て 名 護 町 に 於 て 見 物 した 舞 踊 と大 差 は な い が 、 何 と 言 つ て も本 場 丈 に 、 其 衣 裳 又 は 差 す 手 、 引 く手 の さ ば き方 頗 る 堂 に入 つ た も の で 、 甚 だ 敬服 せ らるる ものが 多 かつた。 ・小 山 周 次 「 曾 遊 沖 縄 」 昭 和18年11月1「 風 景 」10一11 三 味 線 の原 形 で あ る 蛇 皮 線 は 沖 縄 音 曲 に は 無 くて か な は ぬ 楽 器 で あ る。 そ れ と胡 弓 と の 伴 奏 に 合 せ て 踊 る 沖 縄 踊 り を見 た が 情 緒 の あ る もの で あつ た 。 ・坪 谷 水 哉 「沖 縄 の 思 出 」 昭 和18年11月. 「 風 景 」10ー11. 宿 の 番 頭 さ ん は終 日私 を 案 内 した 上 に 、 更 に今 夜 辻 町 の ア ン ガ ア も見 ま せ か と云 ふ 。 辻 町 とは 遊 郭 で 、 ア ン ガ ー と は娼 妓 な 相 だ 。…. ア ン ガ ア とい ふ の は 芸 妓 兼 娼 妓 で あ る。.

(17) 先 づ 水 菓 子 の バ ナ ナ や 、 菓 子 の カ ス テ ー ラ が 出 で 、 次 に泡 盛 の 焼 酎 が 出 た 。 女 は 二 人 、 琉 球 絣 の 広 袖 の 芭 蕉 布 を 着 て 、 帯 を締 め ず 、.腰の 辺 りで 摘 ん で 挿 む の み 。 頭 髪 は 束 ね て髪 を 銀 簪 で 前 方 か ら止 め て 居 る。 内 地 な らば 三 味 線 とい ふ 所 を 、 此 所 で は形 の 小 さ参 蛇 皮 線 を 弾 き 、 琉 球 唄 を 歌 ふ 。 唄 に は 流 行 歌 や 、口 説 ふ し と い ふ 文 句 の 長 い もの や 、 種 々 聞 い た が ゜ 一 向 分 らな い。 一 番 内 地 人 に分 り易 か ら う と て童 謡 に 、 一 々 宿 の 番 頭 か ら注 釈 を 附 け て 貰 つ た の が 左 の通 りだ。. 以 上 の 彼 らの 文 章 か ら、 沖 縄 の 芸 能 を どの よ うに 見 た の か 分 類 す る と、 次 の5点 よ う。 ① 事 実 の み 記 す. ② 絶賛 す る. ③ 比 較 ・研 究 す る. ④ 批判 す る. に ま と め られ. ⑤ 関 心 な し.. この うち② の 「 絶 賛 す る」 は 、 伊 東 忠 太 や 柳 宗 悦 の こ とば に代 表 され る。 た と え ば 柳 の 「 琉球 の 富 」 を 見 る と き 、 こ こ ま で 言 わ な くて も と思 っ て しま うほ ど、 今 の 表 現 を使 うな ら 「は ま っ て 」 い る。 確 か に 柳 は じめ 民 芸 の 調 査 団 は 、 他 の旅 行 者 とは 比 較 に な らぬ ほ ど長 く 滞 在 し、 芸 能 に接 す る機 会 も 多 か っ た か ら、 そ れ ゆ え 他 よ り思 い 入 れ も 強 か っ た の も うな ず け る の だ が 、 そ の 思 い 入 れ 故 の 冷 静 を 欠 く表 現 と も うけ とれ そ うで あ る。 しか し、 お お か た の 来 訪 者 が 沖 縄 の 芸 能 に魅 了 され た の は 、 た しか な よ うで あ る。 従 っ て 、 上 記 五 分 類 に は な い が 、 基 本 的 に 、 賛 美 した り、 プ ラス に 評 価 す る記 述 が 多 い と い う こ とは 、 指 摘 して お か な け れ ば な ら な い 。 そ の 基 本 線 を ふ ま え た 上 で 、 ③ 比 較 ・研 究 、 ④ 批 判 、 ⑤ 無 関 心 、 とい っ た 記 述 に つ い て 具 体 的 に 見 てゆ く。 比 較 ・研 究 とい うの は 、 次 の よ うな こ と ば に 代 表 され る 関 心 に 端 を 発 す る。 「日本 で こ ん な 異 国 的 な 芝 居 が 上 演 され て ゐ る こ と に一 驚 す る も の で あつ た 。」(島 田)す な わ ち 、 沖 縄 の 芸 能 が い か な る も の で あ る か とい う予 備 知 識 な く琉 球 舞 踊 や 組 踊 な どの 舞 台 に 接 した 者 が 誰 し も抱 く 、 い つ た い ど こ に位 置 付 け れ ば よい の か 、 とい う疑 問 と、 そ こか ら派 生 す る 異 文 化 と して の 印 象 ーと ら え方 で あ る。 そ し て 、 そ の 印 象 と若 干 の 考 察 とを 交 え た 結 果 、 中 国 ・朝 鮮 そ して 日本 の 能 ー歌 舞 伎 な ど と の 影 響 関 係 に 及 ぶ の で あ る が 、 紀 行 文 の レベ ル で は 当 然 な が ら、 学 問 的 に 深 み ρ あ る 言 及 に は 至 ら ず 、 本 格 的 な 比 較 ・研 究 は 後 述 す る本 土 に お け る公 演 に 対 す る評 価 に ゆ だ ね る こ と と な る。 た と え ば 、 下 村 海 南 を して も次 の よ うな 指 摘 に と どま っ て い る の を 見 れ は よ くわ か る。 「 今 日の琉 球 舞 踊 は 、 琉 球 固有 の 型 を 純 粋 に 傳 ふ る も の は少 く、 大抵 は 日本 、 支 那 お よ び 西 洋 の 手 振 の 合 流 し た もの の や うに そ の 合 流 の 割 合 に は 等 差 が あ つ て 、 前 に 挙 げ た鍛 冶 屋 手 風 の や うに 能 楽 と神 楽 と の 中 間 を ゆ くや うな もの も あれ ば 、 上 り口説 や 万 歳 口説 の や うに 日本 舞 踊 と支 那 舞 踊 とが 縫 目 も み え ぬ ほ どに 融 合 して ゐ る の も あ る」 た だ 、 日劇 レ ビ ュ ー 制 作 の 素 材 収 集 の た め に 沖 縄 を 訪 れ た 佐 谷 ・島 の 両 人 は 、 そ れ が 目的 で あ る だ け に 、 他 の 人 々 と は 異 な る 眼 で 芸 能 を観 て い る。 例 え ば 、 組 踊. 「 女 物狂 」 を見 て の感 想 は.

(18) 「 流 石 に 、 良 く洗 練 され た もの で あ つ た 。 能 の 様 に 片 苦 し く も な く 、又 く ど い 写 実 も な く、 す べ て 清 潔 す ぎ る程 清 潔 な も の で あ つ た 。」(島)と. あ る が 、 日劇 の 舞 台 に か け る 素 材 を 探 す 彼 らの 眼. は 、 古 典 よ り も 端 踊 りに 向 け られ 、 な か で も 最 も関 心 を 持 っ た 「 鳩 間節 」 「 浜 千 鳥節 」 「 谷茶前 節 」 等 を本 格 的 に 学 ん で か ら帰 京 す る の で あ る。 そ の 彼 ら に 、 流 派 や 立 場 を超 え て 沖 縄 の 芸 能 に 携 わ る 人 々 が 協 力 して い る の も、 興 味 深 い 。 島 の 「 琉 球 行 」 に は 次 の よ うに 記 され て い る。 「今 夜 私 達 に 踊 りを 、 見 せ て 下 さ る とい ふ 。 池 宮 城 氏 や 、 長 嶺 氏 と相 談 され て 、新 垣 芳 子 氏 や 、 そ れ か ら い つ も は 新 垣 氏 と は 派 が 違 ふ の で 、 一 緒 に 踊 らな い 玉 城 舞 踊 研 究 所 の 方(田 遊 郭 の方(上. 間 栄 子)も. 、 出 場 して 下 さ る と い ふ 。…. 代 た か 子)、 辻. す べ て 本 式 に衣 裳 を つ け られ て 、 「こ て. い節 」 「 濱 千 鳥 」 「四 ツ 竹 踊 」 「谷 茶前 節 」 「 鳩 間節 」 「 花風 」 の六 曲を、池 宮城 、金城 両氏 の 三 味 線 で か は りが は り踊 られ た 。 …. 面映 ゆ い思 ひで 、 「 教へ て頂 きたい ものは 、鳩 間に、 千鳥 に 、. 谷 茶 前 で す 」 と い つ た の で あ つ た 。」 これ は 、 あ る意 味 画 期 的 な こ とで 、 お そ ら く 島や 佐 谷 らの 意 気 込 み に 打 た れ た 沖 縄 芸 能 関係 者 た ち が 、 誠 心 誠 意 応 え よ うと した 結 果 で あ っ た と考 え られ る。 しか し、彼 らの そ の 批 評 眼 は 、 お そ ら く沖 縄 の 人 々が 考 え及 ば な か っ た 、 ビジ ネ ス(興 行 作 品) と して 使 え る か ど うか とい う価 値 基 準 を 伴 っ てか た こ と に は 、 注 目 して お か な け れ ば な らな い 。 つ ま り、佐 谷 ら 日劇 の 調 査 団 の 来 訪 は 、 後 述 す る 昭 和11年 の 琉 球 古 典 芸 能 大 会 を 経 て 、 沖 縄 の 芸 能 の 学 問 的 価 値 が 一 定 の 評 価 を得 た 後 で あ っ た た め 、 沖 縄 の 芸 能 関 係 者 が 本 土 側 の受 け入 れ に 対 して 多 大 の 期 待 を 抱 い た で あ ろ うこ と と、 に も か か わ らず 、 学 問 的 な ア プ ロー チ と は 一 線 を画 す 商 業 的 な ア プ ロー チ に は 疎 か っ た と思 わ れ る 点 、 そ の ギ ャ ップ に は 留 意 して お か な けれ ば な ら な い ので はな いか。 さ て 、 批 判 的 に 観 て い る代 表 は 下 村 海 南 で あ る。 下 村 は 前 述 した よ うに 、 現 在 の 琉 舞 が 琉 球 ・ 日本 ・中 国 ・西 洋 の 合 流 した よ うな もの に な っ て い る と し、 さ らに 囃 子 に つ い て 「 概 して 雨 垂 れ の や うに 単 調 に 聴 こ え た 。 だ か ら よ ほ ど の名 手 で な け れ ば ゆ るん でし ま ふ 。 歌 も 日本 や 支 那 の 一 流 ど こ ろ に 比 べ る と 、 稽 古 が 足 らぬ た め か よ い 師 匠 が な い た め か 、 声 が 練 れ て ゐ な いや うに 思 ふ た 。」 と厳 し く指 摘 して い る 。 下 村 は 良 い も の は 良 い と評 価 して い る の で 、 な お さ ら上 の 発 言 は 重 み が あ る。一こ う した 批 判 は 沖 縄 で は あ ま り聞 か れ な か っ た もの で あ ろ う。 他 に も、 た と え ば井 上友 一郎 は 沖縄 芝 居 につ い て、 「 現 代 劇 とい ふ の は 殆 ど歌 劇 で 、 め うに レア ル な 演 技 が あ る か と 思 へ ば 、 急 に堂 々 た る 有 髭 の 大 男 が 、 実 に ロマ ンテ イ ク な独 唱 で 筋 を 運 ぶ 。 つ ま り芝 居 の 最 も難 しい 部 分 は 全 部 こ の 歌 で 運 ん で ゆ くか ら、 一 向 受 け 取 るベ き 味 が な い 、 と云 ふ よ り も、 支 離 滅 裂 な感 じで あ る。」 と述 べ て い る が 、 これ な ど は な じみ の な い 演 劇 に 対 して の 受 け止 め 方 と して 、 興 味 深 い 批 評 で あ る 。 井 上 も、 組 踊 「ひ と盗 人 」 に対 して は 「 伝 統 の冴へ 」 を見 てい る人物 で あ る か ら、 そ の 厳 しい 評 も一 聴 に 値 す る 。 さ らに 、 これ は 今 日の観 光 客 ら に も通 じる の で あ る が 、 松 田 の 発 言 「 言 語 が さつ ば り解 らぬ の で 予 想 外 に 興 味 が な い 」 に 代 表 され る 、 歌 や 踊 の 内 容 の 理 解 の 困難 に 対 応 す る 工 夫 も課 題 で あ っ.

(19) た。 島 の 「 琉 球 行 」 に 見 られ る よ うに 、 辻 の 三 杉 楼 で は 、観 光 客 用 に 島 袋 源 一 郎 執 筆 の 琉 球 舞 踊 の 解 説 書 が配 布 され て い るが 、 芝 居 小 屋 で は類 似 の サ ー ビス は お そ ら くな か っ た で あ ろ う。 今 日 の 観 客 に もい え る こ と で あ る が 、 台 詞 や 歌 詞 が 理 解 で き る か 否 か は 、 舞 台 全 体 の 印 象 を 大 き く左 右 す る の で あ り、 と りわ け 戦 前 期 に 沖縄 を訪 れ た ヤ マ トゥ ンチ ュ に は この 点 が ネ ッ ク とな っ た こ とは 想 像 に難 くな い。 以 上 、 沖縄 を訪 れ た ヤ マ ト ゥン チ ュ が 見 た 沖 縄 芸 能 に つ い て概 観 した が 、 も う一 点 、 次 の 指 摘 の 重 み に つ い て 、 触 れ て お き た い。 そ れ は 、 半 澤 正 四 郎 の 「 琉 球 の劇 壇 は 文 壇 と共 に 昔 は 非 常 に 盛 ん で 名 優 が 輩 出 した が 、 現 今 は 非 常 に 衰 へ 僅 に 現 在 那 覇 に 残 つ て 居 る琉 球 芝 居 に そ の 形 骸 を 止 め る に 過 ぎ な い。」 とい う こ とば で あ る 。 お そ ら く沖 縄 の 知 識 人 か ら聞 い た 受 け 売 りで あ ろ うが 、 そ こ に 見 られ る 沖 縄 芸 能 の 現 状 お よ び 将 来 に 対 す る危 機 感 な い し諦 観 こそ 、 折 口信 夫 を して 琉 球 古 典 芸 能 の 東 京 公 演 を 実 現 させ よ う と思 い 立 つ 契機 とな っ た の で あ る。 そ の 東 京 公 演 に つ い て は 、 次 章 で 少 し詳 し く触 れ るが 、 こ こで 最 後 に 確 認 して お き た い の は 、 折 口信 夫 が 沖 縄 県 民 に 向 け て残 した メ ッセ ー ジ に つ い て で あ る 。 上 の 資 料 の うち 、 折口 の 「 過去 及 び 将 来 に お け る 沖 縄 の 宗 教 と芸 術 」 は 沖 縄 の 新 聞 に 掲 載 され た 文 章 で あ り、 す な わ ち沖 縄 県 民 に 向 け て の 発 言 で あ る。 そ こ に は 「 滅 び ゆ く琉 球 芸 術 の 発 展 は 勿 論 期 待 す る こ とは 出 来 な い が 今 の 通 り だ と壊 滅 を 防 ぐ こ と も出 来 な い 。 組 踊 りは 時 代 に順 応 して 新 しい 人 に も感 興 を 起 す や うに 台 本 と 実 演 者 が 出 現 しな け れ ば な らな い 。」 と あ っ て 、 実 際 の 舞 台 の 活 性 化 べ の 促 し が 見 て とれ る。 お そ ら く、 礼 賛 や 感 激 の 表 明 ば か りの 中で 、 こ の よ うな形 で ヤ マ トか らの 来 訪 者 が 沖 縄 芸 能 に 関 し て 県 民 に 直 接 訴 え か け た 例 は 、 ほ とん どな か っ た で あ ろ う。 そ の 点 が 、 ま ず は 特 筆 す べ き こ と が らで あ る。 そ して 県 民 に 向 け て 発 言す る だ け で は な く 、 折口 は 那 覇 滞 在 中 に 、 玉 城 盛 重 の 踊 りの トー キ ー 撮 影 を 提 言 、 さ ら に 沖 縄 の 芸 能 者 た ち及 び 東 京 の 日本 民 俗 協 会 との 仲 介 役 と して 、 東 京 に 連 絡 を と り 、東 京 公 演 の 実 現 に 向 け て 動 き 出 す の で あ っ た。 そ こ に は 、 文 面 か ら伺 わ れ る 相 当 の 危 機 感 と と も に 、 沖 縄 県 内 で の 芸 能 復 興 に は 限 界 が あ る との 洞 察 が あ つ た の で あ ろ う。 つ ま り、 ほ か の 来 訪 者 に お い て は 、 外 か らの 眼 が そ の 範 囲 だ け の 記 述 に 終 わ っ て い た の が 、 折 口の 場 合 は 、 そ れ が 沖縄 県 民 に 向 け られ 、 か つ 外 と 内 と を結 ぶ もの に な っ た の で あ る。 そ の 働 き か け の 結 果 、 昭 和11年 の 琉 球 古 典 芸 能 の 東 京 公 演 は 大成 功 を 収 め る の で あ っ た 。. 第2章 . 本 土 に お け る沖 縄 芸 能 公 演 の ヤ マ トゥ ンチ ュ に よ る 評 価. 本 章 で は 、 本 土 に お け る 沖 縄 の 芸 能 者 達 に よ る公 演 お よ び 沖 縄 に 素 材 を求 め た 本 土 芸 能 の 公 演 に 対 す る 評 価 と影 響 につ い て 見 て ゆ く こ と にす る。 前 章 と同 様 、 ま ず は 資 料 を提 示 し て お く。 な お こ れ らの 資 料 も 、 抄 録 で あ る こ と を お こ とわ り して お く。.

(20) ・昭 和3年. 八 重 山 芸 能 公 演 に つ い て:. 「 案 内 」 昭 和3年4月. 号 「民 俗 芸 術 」1-4. 先 年 啓 明 会 で 三 日間 に わ た り、 東 京 美 術 学 校 で 、 琉 球 に 関す る 講 演 会 と展 覧 会 を催 し 、 そ の 最 後 の 日に親 泊 興 照 とい ふ 俳 優 を 呼 ん で 舞 踊 の 会 を併 せ 行 つ た 事 が あ つ た。 沖 縄 本 島 の 歌 舞 は 将 来 も容 易 に東 京 に 紹 介 せ られ る機 会 が あ る か も知 れ ぬ が 、今 度 の や うに 八 重 山 か ら男 女 十 数 名 が 上 京 して 歌 ひ 舞 ふ こ とは 、 真 に空 前 で あ り且 つ 絶 後 で あ ら う。 同 好 者 が 此 の 好 機 を 逸 せ ざ らん こ と を切 望 した い 。 小 寺 融 吉 「八 重 山 の 舞 踊 の 印 象 」  昭 和3年6月. 号 、 昭 和5年10月. 号 . 「民 俗 芸 術 」. 私 は 此 の 舞 踊 を 見 て 、 殆 ん ど予 期 で き な か つ た 幸 福 を 図 らず も つ か ん だ とい ふ 気 が し た 。 そ れ は 何 か と 云 ふ と 、 日本 の 内 地 で も既 に 亡 び て しま つ た 、 日本 の 古 代 の 舞 踊 の 種 々相 で あ る 。 時 は新 しい 多 く の 物 を作 る と共 に 、 古 い 多 くの 物 を 埋 没 し た。 埋 没 せ し め られ た な か に は 、埋 没 す べ か ら ざ る もの も、 た く さん あ つ た の で あ る。 私 は 今 度 そ の 多 く の も の が 、 石 垣 島 に 今 に 残 つ て ゐ た の を 見 て 、 な ん と も云 へ ぬ 懐 し さ に 打 た れ た の で あ る 。・ ・ 八 重 山 の 舞 踊 に は 、 日本 の も の あ り、 支 那 朝 鮮 の もの あ り、 そ れ が 入 り乱 れ て ゐ る の が 興 味 が あ る が 、 そ の 根 本 が 島 の 古 代 舞 踊 で あ り、 そ して海 を渡 つ て き た も の を 、 或 る 程 度 ま で 八 重 山化 して ゐ る こ と は誰 も肯 く で あ ら う。・ ・ … 八 重 山 の 舞 踊 は 大 体 に 於 て 嘖 々 た る好 評 を博 した 。 然 し同 時 に 遠 慮 の な い 非 難 も あ つ た 。 そ の 一 つ は 八 重 山 島 の 郷 土 色 を豊 富 に 発 揮 した もの か 否 か の 問 題 で あ る。 これ は私 に は 分 らぬ 。 然 し これ で さへ 今 日は 存 続 が 危 ぶ ま れ る と聞 け ば 、 今 度 の 上 京 は 実 に 神 の 加 護 で あ る。 私 達 は非 常 に 幸 福 で あ つ た の で あ る。 次 に 今 度 の 舞 踊 が 古 い か 新 しい か に就 て の疑 問 も あ つ た。 だ が 舞 踊 の 如 く 、 法 則 あ つ て 法 則 な き芸 術 は 、五 年 十 年 の 中 に 大 い な る 変 化 を受 け る の で あ る か ら、 古 い ま ま と云 は れ て 安 心 し、 い や 新 しい と云 はれ て 失 望 す る人 が あ れ ば 、 そ れ は素 人 で あ る。 ま た 内 地 の 舞 踊 め 発 達 と八 重 山 の そ れ とは 決 して 平行 して を らぬ か ら、 八 重 山 に 於 て 百 年 前 に 作 られ た も の も 、 そ れ は 内 地 の 百年 前 とは 意 味 が ち が つ て 、 もつ と古 く な る の で あ る。 西 村 真 次 「感 想 」 昭 和3年6月. 「民 俗 芸 術 」1ー6. 八 重 山 民 謡 は 大 分 本 来 形 か ら遠 ざか つ た もの と な つ て ゐ る ら しい が 、 黒 島 口説 と 、ベ ン ガ ン トレー 節 と共 に 酔 心 地 に な り ま した 。 か う した 舞 踊 や 民 謡 が 、 毎 年 の 日本 青 年 館 の 出 演 に よつ て 保 存 され て ゆ くで あ ら う こ とは 、 何 とい ふ うれ しい こ と だ 。 「 八 重 山 島 歌 舞 合 評 」 折 口信 夫 、 伊 波 普 猷 、 柳 田 國 男 、 小 寺 融 吉 、 永 田 衝 吉 、 日高 只 ー 昭 和3年6月. 「民 俗 芸 術 」1ー6. 単 に 珍 しい もの を 見 た とい ふ 感 じ と、 芸 術 的 に 好 い も の を見 た とい ふ 感 じ とは 、 自 ら.

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