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「レンブラントの世紀」の服飾

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39-46(1990) 武庫川女子大紀要(人文-社会科学)

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諸 言

17世紀の初め,北部ネーデルラン卜は当時のイスパェアから独立して,オランダ共和国を形成した.そして 瞬く聞に, ヨーロッパにおける強国,矧ち商業大国となり,まずこ文化面においても独自の国民性愛かな文化を作 り上げ, ヨーロッパ全域に影響を与える程に発展させたが,これは文化の発生,発展,流行の過程としては非常 に特異な現象であった.この文化の最長主期は,画家レンプラントの活躍した時期と重なるところから, [レンプ ラントの世紀]と呼ばれている.またこの文化は「市民風の文化」とも呼ばれ, 16世紀のスペインを中心とす る荘重禁蔵な宮廷文化に対して,庶民的な「軽快さ」を特徴とする一つの様式美を作り出した.この軽快さは服 飾分野にも取り入れられて活動的な衣服が生まれ,ヨーロッパの他の国々に於いても広く着用されたのである. レンプラント (1606-1669)をはじめ, ヴアンダイク (1599-1641), フランス・ノリレス (1581-1666).ノレー ベン(1577-1640),フェノレメーノレ(1632-1675)など当時のオランダ酒家は,この市民風文化の特徴をよく彼等 の作品に表現している.彼等はごく身近な日常的な事物を題材として取り上げ,人物頭には一般市民を忠実に表 現した(写真1) 従来の人物闘は宮廷貴族の肖像闘か,またはキリストや聖母を描いた宗教頭が主であったの に対して,彼等の作品には庶民が絵画の主人公として捕かれ, しかも多くは群像として生活の場の姿がそのまま 表現されたのである(写真 2).

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(鹿 瀬,池 田)

1623年

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-ルス 聖 7 ドリ7 ソヌ市警備隊の士官 の宴会 1627年

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これは近世以来の絵画が,記念碑的,非 日常的な ものであ ったのに対 してオ ランダ絵画は作為的な性格 を排除 し, 日常生活の中の一瞬を捉えたスナ ップ写真的性格を持 っていた と考 え られ る,従 ってそ こに描かれた人物 の 服飾は写実的であ り,その画面か ら当時の人 々の 日常生活の様子を読み取 ることがで きるのであ る. 「軽快 さ」 を様式美 と した17世紀初期 の市民風服飾を当時のオ ラ ンダ絵画か ら探求す るとともに,その市民 文化を育んだ当時のオ ランダ社会の時代背景並びに,その文化が どの ような ものであ り,また何故 オ ランダが ヨー ロッパの文化的中心地 と成 り得たかを考察 してみたい.

オランダ市民風文化の背景

17世紀初期 に 「オ ランダ市民風」 の文化が発達 した要 因を当時の社会的背景に探 ってみ ると,先ず最初 に挙 げ られ ることは,国家構造が中世的都市体制のままであ った ことである.即 ち中央集権的な大権力は育たず,独 立小 自治体 の形を とっていたため,経済的に も分立体制が温存 され,そのため州単位の規則は固持す るが,祖国 とい う観念は希薄であ った・自治体 の中では古い慣習,古い伝統,古い特権が保持 されたが,それ らが集権化 さ れ ることはな く,思想的には中世的 自由が保れていた.これは当時のオ ランダに移民が多か った ことも原田の一 つ と考 え られ る.オ ラソダは移民に対 して寛大 であ ったため,スペイ ンに よる占領や宗教弾圧 を避けて, 16世 紀末か らフラン ドル地方の大商人,毛織物業者,金融業者が北ネ-デル ラソ トに移 り住む よ うにな った.また ド イ ツのカ トリック教徒や新教徒 も宗教上の迫害を逃れて移住 し,スペイ ン,ポル トガルか らもユダヤ人が移民 と してアムステル ダム周辺に住み着いた. これ らの移民はオ ラソダの産業発展に大いに貢献す ることになるのであ る. 市民夙文化発達の第二の要因は,オ ラソダの商業 の繁栄であ る・オ アソダは ト ゲ7-海峡を挟んでイギ リス に相対 し, フランス,北 ドイ ツに接近 し, また大河か らの分流や頻割 りを利用 した小舟 に よる内陸航路の発達 な ど地理的条件 を生か して,既に2-3世紀頃か らバル ト海, ノル ウェー-の海上輸送が発達 してお り,中世末期 か らは フラソス,スペイ ンへの航行 も盛 んにな り, 16世紀にな ると東 イ ン ド,ペル シャ-の航行 も始 まった. この よ うに して既に, 15世紀にはネーデル ラソ ト(フラン ドル とオ ラソダ )はイタ リア と肩 を並べ るほ ど,経 - 4

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0-「レンプラントの世紀」の服飾 済的にも文化的にもヨーロッパの先進地域であった.さらに独立後は貿易を主としてオランダは荷業大畠として 発展していくことになるが,このように独走約な発展をオランダに許した背景には 16世紀から 17世紀初めに かけてのヨーロッパ諸国の情勢が幸いしていた.当時,各国は危機的状況にあったため,経済的には消極的な沈 黙状態を保たさeるを得ない状態にあった.即ちドイツは30年戦争で疲弊しており,フランスは宗教戦争に加え てプンリ回世は国境周辺でハプスフ.ノレグの武力撃退に全力を尽くしており,イギリスはエリザベス一世が戦闘に 精力を傾けており,スベインは北部ネーデノレラントとの紛争で経済的に衰退しはじめているといった状態であっ た.この機に乗じて優れた貿易港念持つオランダはアムステノレダムを中心にして自由に海上を走り廻り,その結 果商業活動は活発になり蜜みの蓄積が可能になったのである.そして多くの移民遠から印刷技術,金属加工の技 術,金融などを導入してオランダは商業大国として一層の発展を遂げることになった. 第三の要因にはオランダでは身分に開きがなかったことが挙げられる.従来からオランダには大土地所有者が 存在せず,貴族の勢力も弱体化しており,袈験者も強い権力を持っていなかった.従って独立直後の社会におい ても身分の聞きはほとんどなかったのである.当時のオランダの上層階級は商人層で、占められており,彼等郎ち 市民が政治的にも経済的にも優位に立っていた.これが市民文化誕生に大きく貢献することになった. 最 後 に 市 民 風 文 化 発 達 の 理 由 と し て 挙 げ ら れ る の は , 宗 教 の 影 響 で あ る . オ ラ ン ダ で は エ ラ ス ム ス (1466-1536)の思想に基づきIB教・新教・ユダヤ教・イスラム教など全ての宗派が受け入れられ,また聖職者 の権力が大きくなかったことから,カノレヴィニズムが迅速に浸透し,カノレヴァン派の新教が事実上の国教となっ た. 1550年代のカノレヴァンの「禁欲的プロテスタンテイズム」が熱烈な支持を受けたが,この思想、によって貴 族は市民的精神を持ち続けることができ,また,この思想は商業の一層の発展を促すことになったのである. 以上のような社会的背景から, 17世紀初期のオランダで、は従来の宮廷を中心にした貴族文化とは

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異なる,市 民を中心とした「市民風の文イヒ」が生まれ,それが各国に波及してオランダはヨーロッパの文化的中心地となっ たので、ある.

オランダ市民風文化

この「市民民の文イヒ」とはどのようなものであったかを考えてみたい.まずこの文化の第一の特徴は市民生活 の中の「お常性」を大切にしたということである.即ち17世紀のオランダ文化は他の文化のように,限られた 場所で特定の人々によって作られ,限られた人々のみが享受したのではなく,市民の日常生活を纂盤として誕生 し市民全員がこれを楽しむことができた文化で、あった.倹約と質素はオランダ国民の特性であり,人々は日常 生活の中では身の回りに存在する物を常に美しく磨き上げて,その中に美を発見することに喜びを感じていたの である..経済的には裕福であっても新興の市民であった彼等は,特別な古典的知識を持たずに楽しむことが出来 る文化を求めて,それを身の回りに発見したのである このことは先にも述べたように,オランダ絵画によく現われている.即ち,オランダにおいては絵酒は日常生 活の鏡といわれる程,そこに描かれた題材は極日常的なものであり,その表現は徹底したリアリズムで賞かれて いた.17世紀のオランダでは風景蘭や静物爾に人気が集まったという.人々は幻想的な要素を含まない,自然 のままに表現された絵を好んだので‘ある. (写真3)はレンプラントの「聖家族」で,題名から察するとマリア とイエスの母子を描いたものと思われるが,護家族の姿を借りて当時の庶民の生活の一場部が実に忠実に描写さ れている.画面には大工道具,媛炉,鍋など

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常の必需品に加えて,柱に掛けた大蒜の束まで

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常的な事物が写 実的に描かれている.画面の人物描写も窓からの光線を受けて大工仕事にいそしむヨセフ,乳を与えるマリア, 膝で限るイエスやそれを覗き込む老人など,極日常的な庶民の生活の一瞬である.また(写真4・5)は時代的に は少し遅れるがフェノレメーノレの作品で、ある.前屈みになって手元を見つめながら細かし、手仕事に余念のない若い 女性や,部震の片隅で鍋に牛乳を注ぐ女中の描写である.いずれも庶民の日常生活の一瞬を捉えた

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常性あふれ る作品である.この種の絵画を高階秀溺氏は「市民絵闘」と呼んでおられるが,これらの絵画をオランダ市民達 は極日常的なこととして,自分達の部屋に飾って楽しんだのである. このようにオランダ絵図は従来の美術の最大のパト戸ンであった宮廷や教会に代わって,市民階級に支えられ て発展したので‘ある.オランダ市民達が競って絵画を賢い求めては自宅に飾る社会現象は,他の国ではみられな いことで,特に家の街路に面した部屋を高価な作品で飾り,農家の一室,肉屋やパン屋の}吉先,鍛冶屋や靴直し

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(鹿 瀬,池 田)

Photo3. レンブラソ ト Photo4. フ ェ ル メ ー ル Photo5. フ ェ ル メ ー ル

聖家族 1640年 レースを編む女 1670年 牛乳を注 くせ 1660年 Rembrandt HolyFamily Jam Vermeer Woman Jam Vermeer Maid servlng

knittng crochet milk(Melkmeisje) の作業場 な どに さえ も絵 を掛け て楽 しんだ とい う. これ らオ ラソダの市民文化は当然 ,宮廷や貴族 のサ ロンか ら生 まれ た ものではな く,その発祥 の場 は 「自警 団」 や 「組合 い」 な ど生活 の場 であ った .オ ラ ンダでは独立 以前 か ら市民 の生活を守 るために各都市 に 「自警 団」が 結成 され ていた .(写真6)は L/ソプラ ン トの 「夜警」 で,射撃 隊の面 /<を描 いた集 Efl肖像画 であ るが ,実際 に は既 に軍事 的役割 を失 って,外 国か らの賓 客 を歓迎す る際 以外 は活躍 の機会 はなか った . この よ うに 17世紀 に 入 る と自警 団はそ の警備機能 を失 って社交 クラブに変貌 し,組 合 い と共 にサ pソの役 割を果 たす よ うにな った (写真7). ここでは貴族 も門閥 も,裕福 な市 民 も一般市民 も一堂 に会 して,文化 を語 り合 い,論議 に花 を咲か せ ,教糞 を磨 くことに励 んだのであ る. また ここでは宗派を超越 してあ らゆ る宗教 の人 /<が共 に語 り合 うことが で きたが, この ことは ,服装か ら身分 を取 り除 くことにな り, 17世紀 オ ラ ンダにおいては ,国民 が等 しく同 じ 衣服を着 ることにな ったのであ る.

photo6. レンブラン ト 夜警 1642年 Photo7. -ルス 聖ア ドリアソヌ組合 1627年 Rembrandt NightWatch Hals Gild ofSt.Adrianne

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2-「レンブラン トの世紀」 の服 節

オランダの服飾文化

この市民風文化 の中の服飾文化 につ いて述べてみ る.オ ラ ンダ市民文化 の第一 の特徴 とされ る 「日常性」 は, 言 い換 え る と 「着 易 さ」「軽快 さ」 と して衣服 に取 り入れ られ た. これは貿 易を中心 とす る商業 活動 が盛 んであ ったオ ランダでは,必然的 にゆ った りした活動的 な衣服 を必要 と したために考 え出 された ものであ る・そ して当 時 ヨー ロッパ各 国が戦時下 にあ ったため, この活動的 な衣服 はその着 易 さか ら軍服 と して広 く着用 され て, ヨー ロッパ全域 に広 まってい った . この

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世紀 オ ラソダ市民風 の衣服 と, これ に先立つ

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世紀 にスべイ ソを中心 と して, ヨI .,ッ/<各 国で着 ら れ た宮廷衣服 と比較 してみ る.

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世紀 の宮廷 男子服 は (写真

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の よ うに貴族 の権威 と威厳 を象徴 した,荘重華毘 な大け さな ものであ った ・ これは上衣 (ダブ レッ ト又は プールポア ソ )と脚衣 (ホ ーズ又は ショース )か ら成 るもので,上衣 に も脚衣 に も 詰 め物 を入れ て膨 らませ , さらに人工的切れ 目 (ス ラ ッシュ )を入れ て装飾 と した.上半 身は袖や胸 に入れ た詰 め物 で膨れ あが り,大 き く脹 らませたお腹 は 「地鳥」 の よ うな形 にな った .下半身 も丸 く大き く脹 らんで,そ こ に ス ラ ッシュを入れ る と 「南瓜」や 「西瓜」 の よ うな形 と言われた. この詰 め物 に よる拡大は徐 /<にニス カ L ,-トしてゆ き,つ いには実際 の肩幅 の2倍 か ら 3倍 の大 きさにな った とい う. また襟元 には幾段 に も重 な った襲襟 (ラフ )を付けたが,大 げ さな襲襟 で時 には顎 が埋 まって しま う程 であ った. さ らに肩 には床 まで届 く程 の大 き な垂れ袖 を付けた り, マ ン トを羽織 った りした. 女子服 は, (写真9)の よ うにルネサ ソスの様式美 であ る 「均衡 の美 」を表すために,下掃 え と して ドレスの 下 に補助器具 を付 けて,人工 的に シルエ ッ トを作 り出 した.即 ち,上半身 は コルセ ッ トを用いて出来 るだけ小 さ く締め付 け,下半身は,ペチ コー トを入れ て拡大 させて,いわゆ る細胴大腰 の シルエ ッ トを作 り出 したのであ る. これ に襲襟 と垂 れ袖が付け られ ,足 には高 さが

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セ ンチ もあ る靴 (チ ヨt='ソ )を履 いた . このため歩 く時は召 使 いの肩 につか まって歩かねはな らず , また顎 が埋 まるほ ど大 きな襲襟 の為 に食事は他人 に食べ させ て もらわね はな らなか った.一 説に よる と,当時 の宮廷女性は一人 では歩 くことも,食事 をす ることも出来ず , 自分 の身体 の中で 自由に動 かす ことが出来た のは指 の先 だけだ った とい う. 即 ち

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世 紀 の宮廷服 は,豪華 ,荘重 ,威厳 を表現す ることを 目的 に,男子服 も女子服 も親張 った シルエ ッ トを求めて,「着易 さ」か らは程遠 い,全 く非活動 的な衣服 であ った . これ に対 してオ ラ ンダ市民風衣服 は,貴族 の威厳 や権威か ら脱却 し実用性 を重 ん じた活動 的な衣服 であ った . 先ず男子服は (写真

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3-(鹿 瀬,池 田) 然 に添 うよ うにな り着 易い ものに変わ ってい った.大け さな襲襟 は,肩 に垂れ る 「垂れ襟」 に変化 して全体 に軽 快 な活動的 な衣服 にな った . これは先 に も述べた よ うに貿易を主 とす る商業活動 で,船 を乗 り廻す オ ラソダの商 人達 には,動作が束縛 され ない ことが必要条件 であ ったために考 え出 され た衣服 であ った.この活動 的 な衣服 は, ヨー ロッパ各国で軍服 に取 り入れ られ て流行す る よ うにな る. 次に女 子服 につ いては ,世 界貿 易や戦争 に直接 には関わ らなか った女性達 は, 1620年代 までは 旧態依然 と し た 16世紀 のルネサ ンス夙衣服 を着用 していた . (写真 11)を見 ると,男子服 が軽快 な市民風衣服 に変 わ ってい るのに対 して,女子服 が まだ 16世紀 のスベイ ソ調 の名残 を残 してい ることが よく分か る. しか し30年代 に入 る 頃か ら女子服 も軽快 な衣服 に変化 してゆ く.即 ち 16世紀 の細胴大腰 の人工 的 シルエ ッ トが姿 を消 して,全体 に 身体 の線 に添 った細 身 の シルエ ッ トに変化す る (写真 12).当然身体 の 自由を奪 う補助器具は用 い られ な くな り, 顎 を覆 うほ どの大げ さな襲襟 は垂れ襟 に変わ り,袖 の詰 め物や垂 れ袖 もな くな って,一人 で動 くことがで きる活 動 的な衣服 にな った . しか し補助器具 で締め付け て人工的に シルエ ッ トを作 り出す ことはな くな った ものの, ま だ スカー トの重ね着や大 きな袖 ,-イ ウエス トの ドレスは男子服 ほ ど着易い ものではなか った. Photoll. ル ーペ ソス ル ーベ ンス夫妻 自画像 photo12. 作者不詳 ソフィ .ド ・ラ ・ガルデ ィの 1610年 肖像 1643年

Rubens SelfPortraitofMr.and Mrs. Unknown Artist PortraitofZophydela

Rubens Gardi

絵画 に見 るオ ランダ服飾

17世 紀初期 の オラ ンダ絵 画 はそ の写 実性 において,非常 に優れ た ものであ り,服飾文化 も 日常生活 に根 ざ し た市民文化 の特色 を よ く取 り入れ た ものであ った ことは,先 に述べた通 りであ る.そ こで これ等 の服飾 が どの よ うに絵 画 に表現 され てい るか をみ る と同時 に・絵 画を通 して 17世紀句期 の オ ラソダ風俗 ともい うべ き ものを探 求 してみたい. (写 真 13・14)は共 に-ル スの群像 肖像 画 であ るが ,いずれ も画面 に描 かれ た人物 の衣服 は黒一色 で統一 され てお り, ア クセ ン トと して 白い レースの大 きな垂 れ襟や カ フスを付けた姿 で描かれてい る. この よ うに装飾 も少 な く,色彩的 に も地味 な服装 は,清潔好 きなオ ラソダの市民風俗 を よ く表 してい る といえ るだ ろ う. - 4

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4-「レソプ ラソ トの世紀」 の服飾

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Harlem 上 に挙げた例か らも分か る よ うに, オ ランダ絵画 の人物 の衣服 は,黒が主体 で一般 に暗 い地味 な色が多い こと が 目に付 く.特 に群像 肖像 画は登場人物 が全て黒 い服装 で描かれてい る場合が多 い. この ことか らオ ラノダ人 が 黒 を特 に好 んだ ことが想像 で きるが, この理 由については,先ず スペイ ンの影響が挙げ られ る.威厳 と荘重 を求 めた16世紀 のスペ イ ン宮廷 では黒 が特別 な色 と して好 まれた . これは フ ィ リップ二世 が暗 い性格 か ら黒 を好 ん だ とも, また打 ち続 く身 内の不幸 のために常 に黒 の喪服 を着 ていた為 とも言われ てい る.オ ラソダは植民地 時代 に これ らの影響 を受けた ことも考 え られ るが,や は りこれは オ ラ ンダ市民 の質素 ・1集約を理想 と した堅実 な国民 性 に よるとい うのが,黒 の流行 の最大 の理 由であろ う.堅実 な国民性 は胸元 を きっち り締めた着装 に も うかがえ る.男性 も女性 も上衣 の襟 元を きちん と上 まで閉 じた凡帳面 な着 こな しであ る. これ らの絵 では人物 は主 に上半 身 の姿 で描 かれ てい るので,脚衣 は見 えないが上衣 は16世紀 の よ うな大げ さな詰 め物 がな くな り, 自然 な シル エ ッ トにな った ことが よ く分 か る. 唯一 の装飾部分 であ る白い襲襟 には さまざまな形が あ った こ とが うかがえ る.16世紀 に流行 した大げ さな襲 襟 は, 17世紀 には い る と徐 々に肩 に垂れ るやわ らかい ものに変化 して行 き, さまざまな形 を生み 出 してい った . 特 に (写真2)ではその過度期 の様 子が よ く分か る, ここに挙げた絵画 に描かれ てい る襟 も,鋸歯状 の レース襟 , 綜欄 の葉状 の レースで縁取 りした襟 ,襟 幅の狭 い襟 ,肩 を覆 うほ ど幅広 の襟 ,糊付けの硬 い襟や柔 らかい襟 な ど 多様性 を見せ てい る.襟 と並 んで装飾 の重要 なポイ ン トとな ったのが 白の カフスであ った. これは男女共 に袖 口 には必ず とい っていいほ ど付け られてお り,その幅は さまざまで,中には取 り外 しがで きる幅広 の もの もあ った. も う一 つ 目に付 くのが被 り物 であ る.男性 も女性 も登場 人物 は全 て被 り物 を付 け て描かれ て い るが, これ も 17世 紀 の新 しい風俗 であ る,特 に男性 は屋 内で も大 きな黒 い帽子 を被 った様子 が うかが え るが,つば の幅や頭 頂 の高 さには変化があ った.女性 の被 り物 は 白で頭部 にぴ った りした地味 な物 であ るが,いずれ も両耳が隠れ る よ うに被 られ た.この被 り物 は フラン ドル地方 で今 も民族衣裳 と して被 られ る コワフにつ なが る もの と思われ る. 上 に挙 げた絵画 は,すべ て市民生活 の一場面 を措 いた群像絵画 でそ の登場人物達 は ,いずれ も 17世 紀初期 の 典型的 なオ ラソダ風俗 ,即 ち簡素 で活動的 な ことを第一 の特徴 と した オ ランダ衣服 で装 ってい る.

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5-( 康 瀬 , 池 閉 )

まとめ

以上,絵画に捕かれたオランダ風俗を見てきたが,改めてオランダの市民風衣服と, 16也ー紀のノレネサンス風 衣服の相違点を挙げてみると,オランダ市民服は先ず簡素で装飾性の少ない毒事,豪華さよりも実用性を重んじた 事,技巧的であるよりも絞快な着易さを求めた事,そして硬直的なシルエットから柔軟なシノレエットへと変化し た事,更にこれらの特徴に加えて色彩が地味である事等が考えられる これらの服飾の特徴は,全てオランダ市 民の国民性を基擦とした市民文化の一端として生まれたものであった. 過去の文化の歴史をみても,文化は箆みと権威を持つ社会の

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二層部から生まれるのが常である.服飾文化の綾 史においても流行の源泉となったのは常に社会のトップクラスであり,ファッションリーダーと呼ばれる人々は 多くの場合,'15廷貴族の中から誕生した.しかし17世紀初期のオランダ市民風文化はこの常識を破って,権威 を持たない市民の中から生まれ,しかも関家が独立すると向時にヨーロッパの文化約中心地となり,その文化は 急速に他の国々に影響を及ぼすほどに発展し,ファッションをもりードしたのである.このオランダ市民風の服 飾の流行には特定のファッションリーダーは存在せず,それは市民生活の必要性に応、じて自然、に発生したもので あった.そしてそれが逆に,他の国々の上層階級にも取り入れられて広く流行したので、ある.庶民の中から生ま れた文化が支配階級に広まる現象は,日本の江戸時代にその例をみることができるが,歴史上非常に希なことで あった.しかしオランダでは先にも述べたように,種々の嬰悶が重なってこれが実現したのである. しかしこのオランダ市民風服飾lが,ヨーロッパの他の国々において活用されるようになると,やがて貴族途は 当然、自分達の身分表示を求めて,それらに装飾を加えたり,喜若葉な布地を用いたり,色彩も撃やかなものにした りと,本来の「市民風」からはかなりかけ離れたものに変化させてしまった.そして, 17世紀後半のノレイ十聞 批の治世期にはいると,それらはし、わゆるパロック風の様式美へと発展してゆくことになる. したがって 17枇紀の様式美は通常 rバロック様式」と呼ばれて一括して考えられているが,初期のオランダ 市民風の様式美はパロック様式の範鶴に入るものではなく,全く性格の異なるものとして,はっきり区別して考 えるべきであると恩う.

参考文献

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参照

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