O. Henry の“The Gift of the Magi”に関する一考察
本 城 精 二
序 人生には何度も他者に贈り物をする機会がある。贈り物、つまり誰かにプレ ゼントするということは、どういうことか。その意義を考えてみよう。誕生日 をはじめ、祝い事の際に物を贈る習慣がある。そのような習慣は国、地方、文 化、宗教など、さまざまな状況で差違があるだろう。 物を贈るというとき、さまざまな目的や思惑があるだろう。思いやりの心か ら物を贈ることもあれば、感謝の気持ちから物を贈ることもある。また何かの 見返りを期待して、自己の利益を求めようという欲望から物を贈る場合もある。 物を贈る場合にも、また受け取る場合にも、その贈り物の価値をどのように評 価するかが非常に重要な問題である。贈り物の価値を決める尺度はいったい何 なのか。また何故尺度が必要なのか。金額を尺度にするのか、思いやりの深さ を尺度にするのか。この差違が贈り物に関する重要な問題である。 O. ヘンリー(O. Henry, 1862-1910)は人情味のある短編を多数世に出してい る。そのうちの一篇「賢者の贈り物」“The Gift of the Magi”(1906)について 試論を述べてみたい。このストーリーは貧しい若い夫婦が質素に暮らしながら、 クリスマス・イヴにプレゼントを交換するという設定である。至極平凡なテー マだと思われるかもしれないが、ここに読者を魅了するドラマが巧妙に提示さ れている。若い、貧しい夫婦がクリスマス・イヴに、お互いに思いやりの心か らプレゼントを用意する過程に、読者の感性に訴えるドラマが展開されている。1 .夫に贈り物をする妻
この作品の一文一文に意味が込められている。いくつかの言葉を引き出して みよう。この作品は‘ONE dollar and eighty-seven cents. That was all.’1という記述で始まっている。何が始まるのだろう。何の話をしようとしているのだろ う、と読者が興味を起こすようなことばで始まっている。お金にかかわる話の ようであるが、これがストーリーの冒頭のことばとして読者に何かを訴える力 を持っている。
次にヒロインの名前が ‘Three times Della counted it.’(15)のように提示され ている。必死で小銭を数えるヒロインであるデラに、読者はなぜか名状しがた い共感を覚えてしまうのである。余程お金に困窮した貧しい庶民の姿を思い浮 かべてしまうのである。小銭を数え直したところで金額が変わるわけではない ことが分かっていても、 3 回数えるという描写が読者に何かを働きかける力を 持っている。 人生とは何かというような哲学的な問題を論じるのではなく、この作品に登 場する貧しい夫婦の場合の人生を、‘…life is made up of sobs, sniffles, and smiles, with sniffles predominating.’(15)というように述べている。貧しい庶民の悲し い現実を示している。もしも、経済的に恵まれていれば、悲しみや苦しみから 幾分かでも救済される部分があるかもしれない。現実には生活に苦しい社会的 弱者の日常生活を描いていると言えるだろう。
‘A furnished flat at $8 per week.’(15)ということばで賃貸の簡素なアパート に住んでいる若い夫婦の物語が語られようとしていることが判明する。そして このアパートの玄関にかかっている名札には‘Mr. James Dillingham Young’ (15)と示されている。そして読者はヤング夫妻が住んでいる庶民的なアパー トの生活実態が徐々に知らされていくのである。質素な生活、贅沢とは縁のな い簡素な住まいとして読者に提示している。羽振りの良い贅沢な生活を望みた くとも望めない庶民の悲しい現実を読者に提示している。豊かな暮らしは夢だ としても、現実は現実であり、どうすることもできない。そのような状況の中 でヒロインのデラはクリスマス・イヴに何をするのか。それが見事なドラマと して展開しているのである。 次の日はクリスマスだというのに、デラは夫にプレゼントをしたくても1ド ル87セントしかない。そのことでデラは泣きじゃくるが、泣いたところでどう なるものではない。デラは意を決して次の行動に移るのである。プレゼントを 買うために金策が必要である。今すぐお金を手に入れるためには、重大な決意 であるが躊躇することなく、またそれによって後悔しない自信のある決断であ
る。それは家宝ともいうべきデラの長い美しい髪の毛を売却することである。 ここで作者はこの夫妻の二つの家宝を次のように紹介している。
Now, there were two possessions of the James Dillingham Young in which they both took a mighty pride. One was Jim’s gold watch that had been his father’s and his grand grandfather’s. The other was Della’s hair.(17)
このように2つの家宝を示した後、それらがいかに素晴らしいものであるかを これでもか、これでもかと巧妙に説明しているのである。シバの女王もうらや ましがるほどデラの髪の毛の美しさをたたえている。そしてジムの金時計はソ ロモン王もうらやましがるほど素晴らしいものであることを語っている。それ ほど素晴らしい家宝のひとつであるデラの髪の毛を売却しようというデラの決 意は、たったひとつの目的のためであってまったく他の狙いはないし、その目 的のために躊躇もない。
髪の毛を売りに出かける用意をしているデラは‘With a whirl of skirts and with the brilliant sparkle still in her eyes ...’(17)というように嬉々としているよ うに見えるのである。家宝でもあり女の命でもある大事な髪の毛を売る決意を しても、デラの目は輝いている。後悔はしないという自負をデラに与えた描写 である。自分の目的に迷いはないという強い決意がみなぎった描写である。
髪の毛を20ドルで売り、それからまっすぐジムの金時計につけるプラチナの 鎖を買いに行くのである。‘It was a platinum fob chain simple and chaste in design, property proclaiming its value by substance alone...It was even worth of The Watch.’ (17)ここにジムに対するデラの思いが込められている。まずジムの時計が ‘The Watch’と固有名詞扱いである。他に代えることのできない「あのジムの 時計」という意味で、普通名詞ではなく、この世で唯一のものである、という 意味で固有名詞である。デラにとって代用品はない、まさしく愛するジムの時 計である。自分の髪の毛よりも大事なものは愛する人へのクリスマス・プレゼ ントである、と信じるデラの思いが感じられる。それは作者の信念をデラに投 影したものに他ならない。愛するとは、自分を犠牲にしても相手のために行動 にまで持続する強い信念である、と作者が読者に提示しているのである。何か をしてあげたいと思うだけではなく、現実に行動にまで持続することが愛情の
結露だという作者の主張である。
人生観のほんの一端であるが、デラという女性が夫にクリスマス・プレゼン トをする過程に、愛する意義を提示しているのである。
“If Jim doesn’t kill me,”she said to herself, “before he takes a second look at me, he’ll say I look like a Coney Island chorus girl. But what could I do—oh! what could I do with a dollar and eighty-seven cents?” (18)
ここに女心が巧妙に示されている。作者は男であるが女の微妙に動揺している 心理状態を描いているように思える。この髪型を見てジムがどのような反応を 見せるのか。この短い記述ではあるが、デラの頭の中にいろいろな思いが瞬時 の間に駆けめぐっていることが示されている。彼女にはそれ以外の取るべき道 がなかったことを、読者に理解を求めているのと同等のことを示しているので ある。 階下にはアパート全体の玄関があり、複数の住人が利用するために、多数の 足音が聞こえるはずである。足音は人それぞれ違うものである。そのような中 からデラは夫ジムの足音を聞き分けることができるのである。階下の玄関に足 音がした瞬間に、それがジムの足音であるとデラが察知する描写は読者を感動 させるものを含蓄している。ジムは定時に帰宅することが示されている。足音 を聞いただけで、デラはそれがジムの足音だと察するのである。いつもの決 まった時刻だからジムの足音と判断できるということではなく、ジムの足音を 固有のものとして認識しているのである。ジムの足音と感知していることは彼 に対する愛情の深さを遠回しに語っていると言えるだろう。 階下の玄関から一歩一歩近づきながら聞こえてくる足音により、デラは心が 動揺するのである。不安や心配が交錯する複雑な心理状態が推測できる。それ が 次 の 祈 り に 変 わ っ て い く。‘...and she turned white just for a moment...she whispered:“Please God, make him think I am still pretty.”’(19)ここにデラの内面 的な動揺が描写されている。まさしくそれは祈りである。
2 .ジムの登場
ジムがドアーを開け、部屋に入ってきた瞬間にデラは青ざめ、ほんの一瞬と いう極めて短い間にいろいろな思いをめぐらせている。人間というものはアッ という一瞬に実にさまざまなことを考えるものである。ジムが帰宅し、妻の姿 を見たときの描写が次のように示されている。
His eyes were fixed upon Della, and there was an expression in them that she could not read, and it terrified her. It was not anger, nor surprise, nor disapproval, nor horror, nor any of the sentiments that she had been prepared for. He simply stared at her fixedly with that peculiar expression on his face.(19) ジムがデラの姿に釘づけになっている様が、まるで映像を見ているかのように 視覚的に描写されているので、その光景がまざまざと想像できるのである。ジ ムの眼にはデラが読めない「表情」がある、という描写が非常にリアルである。 ことばで表現できない「表情」を的確に表している。それは怒りでもなく、驚 きでもなく、恐怖でもなく、デラが予測していたどんな「表情」でもない、と いう言い方が的を射たものだと言えるだろう。デラには理解できない、またそ れまでに経験したこともないジムの全体的表情を作者が上手く伝えている。名 状しがたいジムの眼に表れた「表情」を巧妙な文体で示している。 この時点でジムがデラのために用意したプレゼントが何か読者にも分からな いが、ジムの眼の「表情」が非常に深い含蓄のある不可解な何かを語っている。 その「表情」は、後にジムの用意したデラへの贈り物が何かを知ったとき、何 故そのような「表情」になったか理解できる。読者はデラがジムのために金時 計につけるプラチナの鎖を用意していることが分かっている。しかしジムがデ ラのために用意したものが何かは、この時点では判明していない。
ジムがデラをじっと見つめているので‘“Jim, darling...don’t look at me that way. I had my hair cut off and sold it because I couldn’t have lived through Christmas without giving you a present.”’(19)と言って、髪の毛を売ってしまったことを 説明しているのである。ここにデラの意図が明瞭に語られている。クリスマス
を楽しく過ごすためには愛する人にプレゼントをしたい、そしてそのためには 自分の持っているものを犠牲にしてもいいというデラの心理が語られている。 愛するとは自己を優先させるのではなく、相手を優先させ、自分を顧みず相手 のために尽くすことだと読者に伝えているのである。 次にデラはジムへのプレゼントを出すのである。この時点でも、まだお互い に用意したプレゼントが何なのか、相手にはわからないのである。ただデラは ‘“You don’t know what a nice —what a beautiful, nice gift I’ve got for you.”’(19)と 言って、ジムを満足させるだけの自信のあるプレゼントを用意したと思ってい るのである。これこそジムにふさわしい最高のものであるという自信である。 さらにデラは‘“I’m me without my hair, ain’t I?”’(20)と言って、人の価値は外 見で決まるものではなく、自分は今までと変わらぬデラですよ、と念押しの形 でジムを納得させようとしているのである。それは同時に自分への説得である かもしれない。確かに髪型も外見を美しく見せる魅力を持っているが、人の価 値は外見で計れるものではない。
愛は数えられないことを次のようにデラは言うのである。‘“Maybe the hairs of my head were numbered. but nobody could ever count my love for you.”’(20)と いうデラのことばは、人の愛は量ったり、数えたりはできないという当然のこ とを示している。また‘Eight dollars a week or a million a year—what is the differ-ence? A mathematician or a wit would give you the wrong answer.’(20)というよう に、作者は読者に大事なことを示そうとしている。8ドルと100万ドルの違いは 誰でも答えられるであろう。数学的な答えを求めるならば、誰でもこの質問に 簡単に答えることができる。しかし作者はここに問題提起しているのである。 数字で答えられない、あるいは計ることのできないものがあることを、このよ うな形で提示しているのである。物質的欲望の強い人間はすべてのものを計量 し、それぞれの価値を数値化して計るかもしれない。しかし作者は人の心は数 値化できませんと言っているのである。 デラがジムからのプレゼントを開ける描写が読者に強い衝撃を与えるように 描かれている。‘White fingers and nimble tore at the string and paper. And then an ecstatic scream of joy; and then alas!’(20)というように、ギフト・ラップされた 包みを慌てて開くところに、冷静さを完全に失った心模様がデラの動作に現れ ている。表現し難い嬉しさを表す声が示され、次に‘alass!’という悲嘆の声
に変わる。この一連の短い動作や声にデラの気持ちが凝縮されている。 ジムが用意したデラへのプレゼントは、‘...there lay The Combs—the set of combs, side and back, that Della had worshipped for long in a Broadway window.’ (21)というように紹介されている。デラが欲しがっていた櫛のセットが‘The Combs’というように、ジムへのプレゼントであるプラチナの鎖同様に固有名 詞扱いである。その櫛のセットは代用品のある普通名詞ではなく、まさしくデ ラのもの‘they were hers’(21)という意味で固有名詞扱いしているところに 重要な意図があると言えるだろう。
プレゼントを胸に抱きしめ、やっと見上げたおぼろげな眼で‘“My hair grows so fast, Jim!”’(21) と言うのが精いっぱいの状態である。自分への慰め というより、ジムの好意を無にしたお詫びの気持ちや、ジムをがっかりさせた ことにすまなく思う気持ち、その他さまざまに入り混じった複雑な感情が、こ の言葉になって出てきたのであろう。またそこにはデラ自身がそのことば通り、 「髪の毛が(元通りに)早く伸びて欲しい」と願う大きな希望とも受け止めら れるのである。 この時点でジムはデラがプレゼントとして何を用意してくれているのか分か らないのである。読者は知っているが、ジムは知らないのである。ジムがそれ を知ったとき、どのような反応をするかが見ものである。‘Jim had not yet seen his beautiful present.’(21)という直後にデラが、ジムの金時計にふさわしいと 思ったプラチナの鎖を手の平に出したとき、ジムの心中は決して穏やかではな いだろう。しかし冷静に、極めて沈着冷静に、ただ次のように、‘“They are too nice to use just at present. I sold the watch to get the money to buy your combs.”’ (21)とジムは冷静に櫛のセットを買うために時計を売ったことを説明するの
である。このジムの言葉には読者も感動させられるのである。自分のためでは なく、大事な愛しい妻のために、自分の大事なものを犠牲にしたという、一見 愚かな、しかし美しい話である。しかも当人たちは犠牲という感覚はなく、自 分の行為に両者ともに満足感を持っているのである。
3 .誰が賢者か
ジムのしたこと、デラのしたことすべてが明かされたところで、お互いに馬 鹿な結果を招いていると読者は思うかもしれない。プレゼントを用意する前に、 なぜお互いに相談しなかったのだろう。他の方法はなかったのだろうかと、悔 やまれることがいっぱいありそうである。何故これが賢者なのか?何故こんな 馬鹿げた贈り物が賢者の贈り物と言えるのか?馬鹿な人たちだと思うであろう。 確かに一番馬鹿げた方法で贈り物をしているのである。他にもっと賢明な贈り 物のしかたがなかったのかと疑ってしまうのである。それでも作品の最後の部 分で、作者が次のことばを示している。...of all who give and receive gifts these two were the wisest. Of all who give and receive gifts, such as they are wisest. Everywhere they are wisest. They are the magi.(22) ここに作者の見解が提示されている。この愚かなプレゼントの交換をしたこの 夫婦こそ最も賢明な者であり、まさしく賢者である。しかし何故この夫婦が賢 者なのか、その理由は明確には示されていない。ジムのために買ったプラチナ の鎖は使えない無用のものとなってしまっているのに、何故賢者と言えるのだ ろう、と読者は疑問に思うであろう。またデラのための櫛のセットは髪の毛が なくなった今、何の役に立つだろう。まったく無駄なものと化しているのであ る。二人とも家宝と言える極めて大事なものを失っているのに、それでもこの 夫婦こそ賢者であると言えるだろうか。 この貧しい夫婦が失ったものが何かは明瞭である。しかし得たものはなかっ たであろうか。失った物は物質的なものだから、すぐに気がつくであろう。二 人が得たもの、それはお互いが愛し合い、常に相手のことを深く思いやり、強 い絆で結ばれていることを確認できたことである。心底から愛し合い、思いや りの心でつながっていることが実感できたことが重要な点である。 贈り物は確かに物体として形のある物を贈るのが通例である。しかしどのよ うな目的で物を贈るのであろうか。何か見返りを期待していることはないだろ
うか。下心で贈り物をしたりしないであろうか。贈る側にはどんな意図がある だろう。善良な配慮がなされているのだろうか。贈り物の背後には人間の心が 潜んでいる。贈り物の価値は何で決まるのか。物の価格で決まるのだろうか。 そういう考えの人もいるかもしれない。しかし、そうではないという異なった 価値観があってもいいはずである。以前に書いた拙論に次のようなことを示し ている。 贈り物の価値は贈る物自体にあるのではなく、贈る人の心にあるのだか ら、Della や Jim こそ精神的な意味で価値ある贈り物をしたのであり、そ のような人物こそ一番の賢者である、というように解することができる。 そうすると O. Henry は暗に Jim と Della の物質的損失よりも、二人の精 神的利得の方が大きく、また価値があると主張していることになり、そ こに作者としての観点があると言えるのである。2 この作品に登場する夫婦は、クリスマス・プレゼントの交換に当たり非常に愚 かなことをしている、という印象を持つ読者もいるだろう。無にするようなプ レゼントを用意する前に、夫婦で十分話し合って別の物を用意するべきであっ たという意見があるかもしれない。しかし贈り物をする本来の精神は相手に対 する思いやりから生じるものである。見返りを期待する邪心があっては読者を 感動させることはできない。純粋に相手を愛する気持ちがあれば、どんな贈り 物であっても読者の心を打つものがある。金額の問題ではなく、思いやりの心 がどれだけこもっているかが問題である。そして当方がお互いに相手のために 自己犠牲になったと感じることなく、またみじめに思うこともなく、相手に十 分尽くすことができたという喜びと満足感を得ることが重要であると言えるだ ろう。
結論
ここに取り上げた「賢者の贈り物」は O. ヘンリーの作品の中で最高に読者 を感動させる作品である。哲学的に、あるいは思想性において優れた文学作品であるとは言えないかもしれない。どこにでもいる身近な夫婦の愛情物語が描 かれているだけである。日常生活の一面が、たまたまクリスマス・プレゼント の交換という場面に焦点を当てているだけである。その場面に崇高な思想が提 示されているわけではない。しかし平凡な若い、貧しい夫婦の思いやりの心が 読者の感性に訴えかける作品である。 贈り物の仕方に愚かさを見出すかもしれないが、この夫婦は失ったものに比 べて得たものの方がはるかに大きいのである。失ったものは物質的なものであ るが、得たものは何物にも代えがたい精神的なものである。それは愛情の確認 である。ここにこの作品の文学的価値が集約されていると言えるだろう。お互 いが強い絆で結ばれていることが明瞭になったこと自体が、この夫婦にとって 最大のクリスマス・プレゼントである。
Notes
1.O. Henry, The Best of O. Henry: One Hundred of his Short Stories, chosen by
Sapper(London: Hodder and Stoughton, 1966), p. 15.
(以下、同書からの引用は本文中にページを記す)
2.拙論、「O. Henry 文学の一側面—“The Gift of the Magi”と“The Last Leaf” を中心に」(武庫川女子大学英文学会、Mukogawa Literary Review No. 23,