Title
[論説] 近代期八重山諸島におけるマラリア有病地の地理
的環境 : 高島と低島の地理的環境の差異に着目して
Author(s)
崎浜, 靖
Citation
沖縄地理(14): 25-38
Issue Date
2014/6/25
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/17792
Rights
沖縄地理学会
Ⅰ は じ め に 八重山諸島では,前近代よりマラリアの蔓延に よって,多くの住民が辛酸をなめてきた歴史があ る.とりわけ,近世から現代まで,幾つもの開拓 新村の開発を阻害し,住民の尊い命が多く失われ ている. しかしながら八重山諸島の歴史の中で,これほ どまでにマラリアに関する記述が多いにもかかわ らず,マラリア有病地といわれた場所の地理的環 境を検討した研究は少ない状況である1). そこで本稿では,近代八重山諸島におけるマラ リアと住民の関係性を検討する歴史地理学的研究 の中で,地形・地質・水文環境,土地利用の特性 からマラリア有病地の地理的環境を明らかにした い.とくに仲松(1942),千葉(1972),小林(2003) による琉球列島におけるマラリアに関する先行研 究を踏まえて,近代期八重山諸島におけるマラリ ア有病地の地理的環境を検討する. Ⅱ 調査地 1.八重山諸島の地理的環境 日本列島の最西端部に位置する八重山諸島は, 北緯24 度から 25 度,東経 123 度から 124 度付近 に分布する.那覇市より八重山の中心地である石 垣市までは約400 km,日本最西端の与那国島まで は約509 km の距離がある.与那国島から台湾まで は,約111 km の距離がある. 八重山諸島の気候についてみると,年平均気温 は25℃前後,降水量は約 3,000 mm 前後である.
近代期八重山諸島におけるマラリア有病地の地理的環境
――高島と低島の地理的環境の差異に着目して――
崎 浜 靖
(沖縄国際大学経済学部)
Geographical Environment of Endemic Malaria in the Yaeyama Islands
in the Half of the 20th Century
Yasushi SAKIHAMA
(Faculty of Economics Okinawa International University) 摘 要 八重山諸島では,前近代より戦後の 1960 年頃までマラリアが蔓延した.とくに宮古島を北限とする悪 性の熱帯熱マラリアが八重山地域で蔓延することにより,多くの住民の生活は脅かされ,新村の開拓も阻 害されてきた.本稿では,マラリアが蔓延した土地の地形・地質・土地利用について検討し,近代統計資料, 住民からのヒアリング情報,そして石垣島名蔵,西表島南風見における GIS 分析などを加えて,八重山諸 島のマラリア有病地の地理的環境を明らかにした. キーワード:八重山諸島,マラリア有病地,地理的環境,地理情報システム Keywords: Yaeyama Islands, endemic malaria area, geographical environment, GIS
崎 浜 靖 図1 八重山諸島の位置 0 100 200km
台
湾
尖閣諸島八重山諸島
宮古諸島 沖縄諸島 奄美諸島 大東諸島 与那国島 西表島 石垣島 宮古島 沖縄本島 久米島 慶良間諸島 与論島 沖永良部島 徳之島 奄美大島 東 シ ナ 海 喜界島 波照間島 魚釣島 面積 最高標高 山地 大起伏 小起伏 砂礫 石灰岩 島分類 (km2) (m) (m) (丘陵地) (丘陵地) (台地段丘) (台地段丘) (地形別) 石垣島 223.41 525.8 50 7 13 17 13 高島 竹富島 5.53 20.5 100 低島 黒島 10.04 14.0 100 低島 嘉弥真島 0.40 31.0 85 15 高島 小浜島 8.26 99.4 71 14 15 高島 上地(新城島) 1.79 13.4 100 低島 下地(新城島) 1.59 20.8 100 低島 西表島 287.66 469.7 69 2 11 2 7 9 高島 由布島 0.13 100 低島 鳩間島 1.00 33.8 100 低島 外離島 1.35 149.0 89 11 高島 内離島 2.13 194.1 90 2 8 高島 沖ノ神島 0.38 102.0 100 高島 波照間島 12.68 59.5 100 低島 与那国島 28.38 231.2 9 10 31 41 9 高島 (尖閣諸島) 魚釣島 3.82 363.0 86 14 高島 久場島 0.88 118.0 100 高島 大正島 0.05 81.0 100 高島 北小島 0.30 129.0 46 54 高島 南小島 0.56 148.0 25 75 高島 島 火山地 地形別面積構成比(%) 低地 表1 八重山の島嶼(面積・最高標高) (目崎茂和『琉球弧をさぐる』1985 年 沖縄あき書房 p26 ~ 27 より一部修正して転載).台風の接近回数をみると,毎年4 月から 11 月にか けて台風が襲来し,7 ~ 9 月に大型の台風が接近す る傾向がある. また八重山諸島では大小20 の島々が連なり,11 の有人離島と9 の無人島で構成される(表 1).こ れら島々では,亜熱帯地域特有のサンゴ礁に縁取 られた美しい地形が分布しているが,これらは第 四紀の環境変動,とりわけ氷期と間氷期の間の海 水準面の変化が大きな影響を与えているとされる. 八重山諸島の中で最も大きな面積を有する島は 西表島であり,289.66 km2の面積を示す.2 番目は 石垣島の223.41 km2,日本最西端の与那国島の面 積は28.38 km2あり,八重山諸島では3 番目の面積 を有する島である. 2.島の自然景観-高島と低島- マラリアの蔓延に大きな影響を与えた自然環境 を,地形環境を基本に検討すると,目崎(1985) による分類方法が有効である.目崎は,自然景観 を山地主体の高島と低く平たい台地状の低島に区 分して,それを成因,地形(山地・丘陵・台地・ 低地),地質,土壌,水文環境等からその違いを整 理している(表2). 高島に分類される島の特徴は, 成因によって大陸性島,火山島に2 分され,地形 を大起伏の丘陵,砂礫段丘,谷底低地,地質につ いては古期岩類や火山岩がみられ,土壌は赤黄色 土,河川系の水文環境が展開する. 一方,低島に分類される島では,成因はサンゴ 島,大陸性島に2 分され,地形は小起伏の丘陵が 広がり,石灰岩段丘,海岸低地の地形が分布する. 地質については,琉球石灰岩,第三紀島尻層が主 であり,土壌については石灰岩土壌,テラロッサ, そして地下水系の水文環境が中心である.このよ うに琉球列島の自然環境を高島と低島に分けて検 討すると,住民の生活の基本である居住環境や土 地利用との関係も容易になる(目崎1985). これら目崎の島の地形分類を基本に,堀(1996) によって提示された南の島々の土地利用の模式図 を検討する.この図は,主に奄美諸島と沖縄諸島 の島々を念頭に入れて,「礁性の島」と「非礁性の島」 に分けて,図の中央部には瓢箪型の模式的な仮想 の島の平面型が描かれている.島の右側には,高島, 左側には低島を想定している(中村ほか 1996). この模式図で注目される事象は,水田の立地環 境である.礁性の島では,石灰岩が表層を覆う場 所においては,一般的に水田の立地は確認されな い.これは石灰岩が表層を覆う地質は,水が地下 に浸透するため,水を溜めることが難しいためで ある.それに対して,非礁性の島では,とくに泥 岩質類の地質が表層を覆う場合においては水田の 立地が容易であり,沖縄の水田地帯の多くは非石 灰岩地域に広がっている. 次に,八重山諸島の島々の地形的特徴を具体的 にみていこう.図3 は,八重山諸島全域の傾斜区 分図である.この図は島の地形的な特徴が理解で きるように作成されたものであり,傾斜度数の高 い場所ほど山地性の地形が広がっている. この地図からは,石垣島,西表島,小浜島,与 那国島などは山地性の高島であることがわかる. また,新城島(上地,下地),竹富島,由布島など は低島に分類できる.低島に分類される島の大半 は隆起石灰岩により形成されている. また石垣島では,島の北部と南部では大きく地 形環境が異なっている.北部地域では山地性の地 山地 丘陵 台地 低地 大 陸 性 島 大 起 伏 砂 礫 段 丘 谷 底 低 地 古 期 岩 類 火 山 島 丘 陵 火 山 岩 サ ン ゴ 島 小 起 伏 石 灰 岩 段 丘 海 岸 低 地 琉 球 石 灰 岩 大 陸 性 島 丘 陵 第三紀島尻層 高島 低島 河 川 系 地 下 水 系 赤 黄 色 土 テ ラ ロ ッ サ 有 無 島の分布 島の成因 地形 地質 土壌 水文系 表 2 高島と低島の自然景観の対比 (目崎茂和『琉球弧をさぐる』1985 年 沖縄あき書房 p47 による).
崎 浜 靖 形が展開し,中心地の四箇のある南部地域では傾 斜はほとんどみられない.この南部地域は琉球石 灰岩が表層を覆う地域でもあり,石垣島は島全体 でみれば高島に分類されるものの,低島の要素の ある場所もみられることがわかる. 次に図3 とあわせて表 1 にある島の最高標高地 点について検討してみると,高島に分類される石 垣島では県内最高峰の於茂登岳(525.8 m)があり, 西表島では469.7 mの最高標高が確認される.両島 とも400 m級の山々が連なり,高島にみられる自 然景観の要素がみられる.とくに西表島について は第3 図にもみられるように,島の大半は山地性 の地形が島を広く覆っている. 一方,「低島」に分類される上地(新城島)の最 高標高は13.4 mであり,下地(新城島)も 20.8 m となっている.高島の石垣島や西表島と比較する と標高差が明白である.但し,島の面積が広けれ ば島の標高も高くなるという一般的な傾向は踏ま えつつ,しかも隆起サンゴ礁からなる礁性の島々 では,非礁性の島々よりは標高が低い傾向にある ため,琉球列島における島嶼生態系の特徴として 理解する必要がある(中村ほか 1996). 3.八重山諸島の水文環境 地形環境が大きな相違があれば,当然ながら島 の水のあり方も高島と低島では大きく異なってい る.高島では山地や丘陵が多くみられるため,降っ た雨の多くは地表面を浸食しながら,土砂を運搬 して下流域で堆積させる,いわば河川系の水文環 境が基本となっている.ところが低島では,降っ た雨の多くは地下に浸透する地下水系の水文環境 が展開する.このように水文環境の大きな相違は, 島の地質・地形の成り立ちが異なるためである(目 崎 1985). また低島の多くは島全体が海成段丘からなる場合 が多くあり,段丘面は石灰岩(琉球石灰岩)であ
図2
図2 南の島々の土地利用 (中村和郎・氏家 宏・池原貞雄・田川日出夫・堀 信行編『南の島々』,1996 年,岩波書店 P49 より転載).り,典型的な隆起地形を示す.とくに琉球石灰岩 が多く占める低島においては,雨水は石灰岩の割 れ目から地中に浸みこみ地下河川をつくり,下流 付近で泉となって地上に現れる傾向がある.しか し,高島に分類される島においても,厚い石灰岩 が堆積される場所においては段丘が発達し,水不 足が生じやすい場所もみられる.そのため石灰岩 の堆積が厚い島ほど水利条件が悪くなり,夏の乾 燥が厳しくなる傾向がある.その他に水文環境と して特徴的なことは,年間降雨については高島で は比較的高い山がそびえるために,低島よりも地 形性降雨が多くなる傾向がある(崎浜 2007). 土地利用については,高島の多くは表層地質が 泥岩質の場合は水をためることが容易であるため, 古くから水田の立地が可能であった.しかし,低 島に位置づけられる島において,表層を石灰岩が 覆っている場合は,水をためることが困難な状況 がある.それは透水性のある石灰岩が広く覆う地 域では,地下に容易に水が浸透するために「漏水」 は避けられないからである.当然ながら,低島は 水田の立地にはきびしい地理的環境となる(崎浜 2006). しかし,波照間島のように,琉球石灰岩上に分 布するうすい表土を,鋤を使ってかき集めて,そ れを水田全域に押し広げて,地表面を覆う天水田 もみられた.さらに牛などの家畜を使いながら, 雑草や木々を水田に踏み込ませていく「踏耕」に よって,地下への「漏水」を防ぐ工夫もされていた2). このような石灰岩地域における水田地帯では,「漏 水」をさけるための労務がきびしくなることもあ り,近代期以降においても開田することが難しい 島も多かったと考えられる. 図4 は,八重山諸島の表層地質図である.この 地図は水文環境との関係性を検討するために,石 灰岩地域と非石灰岩地域に分けてある.この地図 と図3 の傾斜区分図を比較すると,島の水文環境 の特徴がわかる.まず礁性の石灰岩地域では,近 代以降に現存する集落の大半が立地していること
図3
図3 八重山諸島の傾斜区分図 (財団法人日本地図センター発行『土地分類図(沖縄県)』より作成).崎 浜 靖 である(小林 2003).これは生活用水源を湧水に 依存する集落が多いことを示唆するものである. さらに石垣島においては,北部の山岳地帯には マラリア無病地は確認されず,島の南部地域にマ ラリア無病地の集落が立地している.この北部地 域は,古くからマラリアが蔓延していた地域であ り,近世期においては幾つかの集落が廃村になっ ている.後述するが南部地域の住民がマラリアの 罹患をさけながら出作りした場所でもある. Ⅲ 八重山諸島におけるマラリア有病地 1.マラリア有病地の分布 八重山諸島においては高島と低島が混在する.前 述したように,これらの島は,地形・地質・水文 環境など自然環境の基盤が根本的に異なっている. 自然環境が大きく異なる高島と低島の地理的性格 は,マラリアの蔓延した場所においても大きな影 響を与えていた可能性が高いと考えられる.ここ では地形・地質・水文環境との関わりからマラリ ア有病地の地理的・歴史的特性を検討しよう. マラリア有病地について検討する前にマラリアの 特性についてふれてみる. マラリアには4 種類ある.3 日熱マラリア,4 日 熱マラリア,卵形マラリア,そして熱帯熱マラリ アである.とくに熱帯熱マラリアは悪性で,発病 すると死にいたる場合があり,宮古島を北限とし ている(稲福 1995;崎原・平良 1996). マラリアを媒介するのは,「ハマダラカ」という 蚊である.熱帯熱マラリアの媒介蚊は「コガタハ マダラカ」である.これら媒介蚊は,マラリア原 虫を人間の血管に移し,その原虫は肝臓で増える. その後,赤血球に侵入して,40 度以上の高熱をも たらすことも多い.媒介蚊のハマダラカは夜行性 である. マラリア媒介蚊が発生する生態的条件について みると,①気温が高く,適度の降水量があること, ②水のたまりやすい土地(湿地)であること,③ 塩分濃度が薄くきれいな地表水があること,④水 田が多く分布すること , 等に集約できる(稲福 1995). これら基本的条件を踏まえて,前述した八重山 諸島の自然環境の特性と併せて検討すると,①に おいては,平均気温が25℃前後,平均降水量が 3,000 mm であり,亜熱帯の湿潤地域であること.さら
図4
図4 八重山諸島の表層地質図 (沖縄県環境利用ガイド『環境特性地図集』(1992 年)所収の「表層地質図」及び土地分類図(日本地図センター)より作成).に②③④に関しては,高島を中心に表層を非石灰 岩の地質が広く覆う場所があり,山地性の地形を 有したきれいな地表水が流れ,水溜まり(水田も 含む)が形成されやすい場所があるといった点が 挙げられる.とくに水たまりや水田地帯では,蚊 のボウフラが発生しやすい環境であり,非石灰岩 地域を中心にマラリア有病地が形成されたことが 推測された(崎浜 2007). また,マラリア媒介蚊であるコダカハマラダカ のボウフラは,森林や竹藪などが広がる山間地域 のきれいな水が流れる場所において,流れの緩や かな場所や淀んだ水たまりにおいて繁殖する.と りわけ水田の分布は,マラリア媒介蚊のボウフラ の発生に大きな影響を与えていた可能性があり, 八重山諸島に類似する東南アジアにおける近年の 調査研究でも明らかにされている(茂木 2006). 2.近代八重山のマラリア有病地 次に近代期における八重山諸島のマラリア有病 地について検討してみよう.図5 は,明治期八重 山諸島における集落ごとのマラリア有病地・無病 地について地図化したものである(高橋 2009).こ の地図をみると,石垣島北部と西表島全域が,マ ラリア有病地であることがわかる. 一方,石垣島南部の四箇(登野城,大川,石垣, 新川)と真栄里・平得・大浜・宮良・白保,竹富島・ 黒島・新城島(上地・下地),などは,マラリア無 病地であることがわかる. ところで,マラリア有病地と無病地の分布の違 いにあるものは,先述した島の自然環境を考えな ければならないであろう.それはマラリア媒介蚊 であるハマダラカのボウフラは,山や川があり, 湿気の多い地理的環境で繁殖する.ところが,隆 起石灰岩で形成された地下水系の低島においては, 地表面における水の滞留が少ないため,降った雨 の多くが地下に浸透し,水たまりの形成があまり みられない.その上,水田の立地もきびしい地理 的環境にあり,媒介蚊の発生には大きな「制約」 があった.それはまたマラリアの拡大がみられな かった大きな要因であろう. 近世八重山諸島の歴史を繙くと,新村の創設に 際しては,多くの百姓が強制的に移動させられた 過去がある(石垣市 1989;得能 2007).その中で, 廃村に至った村を幾つか挙げると,石垣島におい
図5
図5 明治期における八重山のマラリア有病地 (高橋品子「近代八重山のマラリアと集落存続」『地理学評論』82-5,2009 年 p450 より転載).崎 浜 靖 ては桃里村(1732 年創建~ 1914 年廃村),盛山村 (1785 年創建~ 1917 年廃村),野底村(1732 年創 建 ~1934 年廃村),上原村(1768 年創建~ 1909 年廃村)などがある.これらの開拓新村の多くは マラリアが蔓延し,多数の死傷者が出たため廃村 に至っている.廃村になった村の多くが,非石灰 岩地域において村立を行った結果である(小林 2003;崎浜 2007). このような事例から,マラリア媒介蚊のボウフ ラは,「湿地」や「水たまり」を形成しやすい高島 を中心とする非石灰岩地域の地形環境と,地表面 を流れる河川系の水文環境の土地において繁殖す る傾向がみられる.地形・地質・水文環境などの 地理的環境の違いによって,近世からマラリアが 撲滅される1960 年代まで,マラリア有病地と無病 地が明白に分かれたのである(崎浜 2006). 次に遠距離通耕とマラリアとの関係から,マラ リア有病地について検討してみる. 先述したようにマラリア無病地の多くは,隆起 石灰岩が広がる低島である.しかし隆起石灰岩で 形成された島は水田農耕には不向きな土地が多く みられ,前近代からマラリア有病地の高島への遠 距離の通耕が一般化していた.また石垣島におい ても,島の南部にあるマラリア無病地である中心 地の四箇から有病地である北部山地地帯へも通耕 していた(図6 参照).このように稲作の不向き な礁性の石灰岩地域から,地表水が豊富にある非 石灰岩地域の水田地帯への人の移動は早くから行 われていた(浮田 1974).例えば,新城島から西 表島への遠距離通耕のヒアリング情報などからは, その生活史の一断面が確認できる(崎浜 2006). それはまさに,マラリアの罹患を避けながらの命 懸けの移動であった. Ⅳ マラリア感染者の推移 前章までは,マラリア有病地と無病地の地理的 環境の相違について検討した.ここでは,近代統 計資料との関わりから,マラリア有病地の地理的 特性を検討してみよう. 表3 は,近代期沖縄のマラリア患者数の統計資 料である.これらは稲福(1979)からのデータで ある.ここではマラリアに罹患した住民の数から, マラリア有病地の地理的環境を検討してみる. まず1899(明治 32)年における沖縄県全体の患 者数は4,814 人(男 3,428 人,女 1,386 人)である. 1906 年(明治 39 年)には 6,822 人(男 4,601 人, 女2,221 人)にも達している.死亡者数について も1899 年(明治 32 年)は,348 人(男 233 人,女 115 人)もおり,致死率は 7%にも達していた. 表4 は八重山諸島の地域別マラリア患者数の推
図
6
図6 八重山諸島における第二次大戦前の遠距離通耕の概況 (浮田典良「八重山諸島における遠距離通耕」『地理学評論』47-8,1974 年 p515 より転載).移である.1894 年(明治 27 年)には,石垣 267 人, 西表島300 人,与那国島 29 人,竹富島 20 人,小 浜島45 人,鳩間島 22 人,新城島 16 人,黒島 10 人となっている.この表からは患者数の多くは, 高島の石垣島と西表島が大半を占めていることが わかる.この中で興味深いことは,低島で,礁性(石 計 男 女 計 男 女 1899 明治32 4,814 3,428 1,386 348 233 115 1900 33 3,905 2,669 1,236 266 211 55 1901 34 6,169 4,463 1,706 115 76 39 1902 35 5,181 3,623 1,558 172 113 59 1903 36 2,579 1,719 860 92 69 23 1904 37 … … … … 1905 38 … … … … 1906 39 6,822 4,601 2,221 73 38 35 1907 40 6,482 4,273 2,209 78 42 36 1908 41 4,368 3,105 1,263 68 37 31 1909 42 6,493 4,792 2,001 115 72 43 1910 43 4,948 3,422 1,526 49 30 19 患者数 死亡者数 年次 稲福盛輝編『沖縄の医学〈医学・保健統計資料編〉』1979 年 孝文堂 p207 による . 表3 年次別マラリア罹患者数・死亡者数(1899 年~ 1910 年) 表4 年次別八重山群島地域別のマラリア患者数(1894 年~ 1945 年)
石垣
西表島
与那国
竹富
小浜
鳩間
新城
黒島
大浜
1894
明治
27
267
300
29
20
45
22
16
10
…
1928
昭和
3
836
676
56
…
…
…
…
…
1929
4
845
1,017
161
…
…
…
…
…
1930
5
725
581
79
…
…
…
…
…
1931
6
748
413
36
…
…
…
…
…
1932
7
785
480
58
…
…
…
…
…
1933
8
752
272
46
…
…
…
…
…
1934
9
788
245
222
40
…
…
…
…
…
1935
10
646
269
214
94
…
…
…
…
…
1936
11
601
257
46
53
…
…
…
…
…
1937
12
835
309
88
71
…
…
…
…
…
1938
13 1,339
628
187
100
…
…
…
…
…
1939
14
793
431
73
102
…
…
…
…
…
1940
15
517
149
7
31
…
…
…
…
…
1941
16
674
216
8
24
…
…
…
…
…
1942
17
695
169
44
22
…
…
…
…
…
1943
18
…
…
…
…
…
…
…
…
…
1944
19
…
…
…
…
…
…
…
…
…
1945
20 5,139
3,171
3,653
…
…
…
…
4,730
年次
稲福盛輝編『沖縄の医学〈医学・保健統計資料編〉』1979 年 孝文堂 p211 による.崎 浜 靖 灰岩で形成)の鳩間島や新城島においても患者が 確認されていることである.それはマラリア有病 地であった西表島への通耕(出作り)によって感 染した可能性が高いと考えられる.それはその後, 1945(昭和 20)年までの間に患者がほとんどみら れないことからも推定が可能である. 表 5 は八重山諸島の患者数,人口に対する百分 率,マラリア原虫の種類による患者数の内訳であ る.この表をみると,1938(昭和 13)年の 2,255 人(6.23%)をピークに,最も患者数の少ない 1940(昭和 15)年においても 704 人(1.90%)の 患者が確認される. 図7 と図 8 は,1922(大正 11)年から 1942(昭 和17)年までのマラリア患者数の推移を有病地ご とにグラフにしたものである.このグラフからは, 名蔵のように90%の罹患率を示した集落もあり, 両島の各集落ともに変動幅はあるものの軒並み罹 患率が高いことがわかる(南風見集落は廃村になっ ているためデータはなし). ところで,この表で特に注目されるのは,4 種類 のマラリア原虫の中でも,熱帯熱マラリアに感染 されている患者の数が多いことである.この表に ある総数の61%を占めており,多い時には 1938(昭 和13)年の 2,255 人中の 1,327 人の患者数がみられ た. この熱帯熱マラリアは,人間に感染すると早く に意識混濁や昏睡状態に陥ることが多くあり,死 に至ることもあった.住民にとっては最も恐ろし いマラリアである.熱帯熱マラリアの感染は,コ ダカハマダラカによって伝播され,日本では宮古 島を北限としている. 医学者(風土病研究者)である稲福盛輝によれ ば,マラリアの発病は,原虫を有する人の血液を, マラリア媒介蚊のハマダラカが吸血する時に,蚊 自体が感染し,その後,他人を刺して媒介するこ とによって,発病するとしている(稲福 1995).ま た地理学者の千葉徳爾によれば,熱帯熱マラリア を媒介とする蚊は,Anopleles minimus と Anopleles
三日熱 四日熱 熱帯熱 混合熱 1922 大正11 1,127 4.79 … … … … 1923 12 831 3.15 … … … … 1924 13 887 3.30 … … … … 1925 14 1,720 6.51 … … … … 1926 大正15 昭和元 886 3.03 … … … … 1927 2 1,055 3.66 … … … … 1928 3 1,568 5.14 693 53 822 -1929 4 2,024 6.77 790 26 1,204 4 1930 5 1,387 4.60 531 76 779 1 1931 6 1,197 3.79 365 57 775 -1932 7 1,324 4.13 391 55 878 -1933 8 1,070 3.38 253 28 779 10 1934 9 1,298 3.57 355 38 889 16 1935 10 1,223 3.40 309 55 846 13 1936 11 957 2.70 214 42 692 9 1937 12 1,303 3.71 341 52 896 14 1938 13 2,255 6.23 806 87 1,327 35 1939 14 1,399 3.81 667 62 655 15 1940 15 704 1.90 295 33 363 13 1941 16 922 2.55 370 30 498 24 1942 17 930 2.07 346 47 520 17 人口に対する 百 分 率 患者数 年次 マラリア原虫 稲福盛輝編『沖縄の医学〈医学・保健統計資料編〉』1979 年 孝文堂 p210 による. 表5 年次別八重山群島マラリア患者数(1922 年~ 1942 年)
oamai の 2 種類の蚊があり,前者は日光の照射を 必要とし,密林内の水流には生息しないタイプの 蚊である.後者は日光を嫌うために,森林内の薄 暗い水流にのみに繁殖する蚊としている(千葉 1972).このようにマラリアの蔓延には,明らかに マラリア媒介蚊が繁殖しやすい地理的環境が大き な影響を与えていたことがわかる. 戦前におけるマラリアへの対応については,防 遏所を設置して,罹患者にキニーネを投与する対 処療法に対して,戦後のマラリア対応は,昆虫学 者のウィラー博士のよるDDTの徹底散布による 環境対応であった(大鶴 1998). 7
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7 石垣島における集落別マラリア罹患率の推移
図7 石垣島における集落別マラリア罹患率の推移 (八重山支庁衛生部編『八重山支庁衛生部業績別冊』1941 年より作成)8
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8 西表島における集落別マラリア罹患率の推移
図8 西表島における集落別マラリア罹患率の推移 (八重山支庁衛生部編『八重山支庁衛生部業績別冊』1941 年より作成)崎 浜 靖 Ⅴ 大正期マラリア有病地の土地利用 これまではマラリア有病地の地理的特性を,既 存の地理資料・統計資料を用いて検討した.ここ では,旧版地形図(1921 年作製)と表層地質図を 基本にして,地形表現には10 m間隔の高精度DE M(GISMAP T errain 10 mDEM 「沖縄県」) を用いて地理的環境を復原する.さらには水系図 を発生させて,集落全域の空間構造を検証してみ る3). 事例地域には,石垣島と西表島の中でもマラリ ア罹患率の高い集落であった石垣島の名蔵集落, 西表島は南風見集落を挙げてみる. 1. 石垣島名蔵 石垣島中西部に位置する名蔵集落の土地利用図 (1921 年)をみると,集落周辺には水系網が複雑 に展開しているのがわかる(図9).現在でも下流 域にはマングローブ林の生い茂る湿地帯が広がっ ているが,当時はその湿地帯の近くに荒地,田圃 が広く分布していたことがわかる.畑作について も散居形態の集落の回りに分布しているものの, 湿地や水の淀んだ場所,そして水田の分布が顕著 であることがわかる. 湿地のまた集落付近は,やや標高の高い場所に あり,集落から西側にかけて,畑作→ 水田 → 荒 地→ 湿地帯の分布パターンがみいだせる.集落付 近は,やや高燥な場所にあることから,マラリア を避けるための集落立地とも考えられる.名蔵で は,先に挙げたマラリア有病地の地理的特性が確 認できる. 2. 西表島南風見 マ ラ リ ア が 蔓 延 し た 南 風 見 集 落 は,1920(大 正9)年に廃村になっている.住民の多くは,マ ラリア無病地の新城島を中心に帰島したものの, 1941(昭和 16)年に再びこの地に移り住むように なった.移動する前までは,新城島にいた住民は, 大 お お ほ ら だ 保良田,追 さ く だ 田,南 は い み だ 風見田といった水田地帯に通 耕していた.とくに通耕に直接関わる住民は,マ ラリアのリスクを避けるために,体力のある成人 男性を中心に移動して,田小屋で寝泊まりしなが ら通耕を行っていた.海岸付近の風通しの良い,や や高燥な場所に田小屋を建て,蚊の発生する季節, 時間帯などを考慮しながら,マラリアのリスク回 避につとめて農作業に従事していたのである4). 土地利用図(1921 年)からは,南風見集落の周 辺には水系網が展開し,大きな荒地と水田が分布 しているのがわかる(図10).名蔵と同様に,マラ リア有病地の地理的特性が確認できる. Ⅵ おわりに 本稿では,八重山諸島におけるマラリア有病地 の特性について,歴史地理学の視点から検討した 結果,以下のことが明らかになった. ①八重山諸島では,地形,地質,水文環境が大き く異なる高島と低島が混在する.高島と低島の地 理的な性格の違いが,マラリアが蔓延した場所を 分ける大きな要因であった. ②マラリア有病地に広がるマラリア媒介蚊である コダカハマダラカが好む場所は,高島を中心に表 層を非石灰岩の地質が広く覆う場所であり,さら に山地性の地形を有した清流が流れ,水たまり・ 水田が形成されやすい場所である.コダカハマラ ダカのボウフラは,山間地域における竹藪などが 広がる緩やかな場所,あるいは淀んだ水たまりに おいて繁殖したと考えられる. ③表層地質と水文環境との関係からマラリア有病 地の地理的特性を検討すると,礁性の石灰岩地域 では,集落の大半は前近代より現在の場所に立地 していた.さらに近代石垣島においては,非石灰 岩地域である北部地域では,マラリア無病地は確 認されず,島の南部の石灰岩地域はマラリア無病 地であった.それはまた地理的環境の差異がマラ リアの有病地と無病地を分けていた. ④マラリア感染者に関する近代統計資料からも, マラリア有病地と無病地の性格が明らかになっ た.山地性の島(高島)である西表島や石垣島に おいては,マラリア罹患者の数,割合が多いこと が確認された.またマラリア無病地で罹患した住 民の多くは,マラリア有病地への通耕によって罹 患した可能性が高いことが,新城島住民の西表島 への通耕の歴史から推測される. ⑤石垣島名蔵,西表島南風見の有病地の地理的環
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図9 石垣島名蔵の土地利用(GISマップ) 図10 西表島南風見の土地利用(GISマップ) 境を検討すると,湿地・水田があり,起伏の少な い低地である.そのなかで,名蔵にみられるよう に,集落空間のなかでも若干標高が高い場所で, 高燥な土地に民家がみられる.マラリアへのリス ク回避による居住地の選択とも考えられる. 以上が本稿で明らかにされたことである.今後崎 浜 靖 の課題としては,宮古諸島との比較研究や集落レ ベルでのマラリア対策などについて,研究を進め ていきたい. 本稿まとめるにあたり,立正大学地球環境科学部地 理学教室の鈴木厚志先生には大変お世話になりまし た.本稿の骨子は,2010 年・2011 年度日本地球惑星科 学連合大会,2010 年・2011 年度沖縄地理学会大会にお いて発表した. ( 受付 2014 年 4 月 30 日 ) ( 受理 2014 年 6 月 19 日 ) 注 1)石垣市総務部市史編集編『石垣市史 資料編近代 3 マラ リア資料集成』には,マラリアに関する歴史資料が多く 収められている.しかし,地理的環境について詳細に分 析した論文は少ない状況である. 2)戦前期波照間島の天水田に関するヒアリング調査によ る. 3)大正期の地形図と表層地質図などの現代地形図データの 重ね合わせ作業については,幾何補正をして復原図を作 成した. 4)西表島大原在住の新城島出身者のヒアリング調査による. 文 献 石垣市(1989):『石垣市 資料編近代 3 マラリア資料集成』 石垣市総務部市史編集室. 稲福盛輝(1995):『沖縄疾病史』三一書房 . 浮田典良(1974):八重山諸島における遠距離通耕 . 地理学 評論,47-8,511-523. 大鶴正満(1998):沖縄のマラリア ―― 日本本土,近接す る台湾と関連して――. 琉球大学附属地域医療センター 編『沖縄の歴史と医療史』. 金城朝夫(1988):『ドキュメント八重山開拓移民』あーま ん企画. 小林 茂(2003):『農耕・景観・災害』第一書房 . 崎浜 靖(2006):近代八重山諸島とマラリア . 沖縄国際大 学南島文化研究所編『八重山の地域性』東洋企画, 17-34. 崎浜 靖(2007):近代八重山諸島におけるマラリア有病地 の地理的性格. 八重山,与那国島調査報告書 (1),1-13. 崎原盛造・平良一彦(1996):沖縄におけるマラリア・フィ ラリア対策史. 琉球大学医学部附属地域医療センター編 『沖縄の疾病とその特性』九州大学出版会. 高橋品子(2009):近代八重山のマラリアと集落存続 . 地理 学評論,82-5,442-464. 千葉徳爾(1972):八重山諸島におけるマラリア.地理学評論, 45-7,461-474. 得能壽美(2007):『近世八重山の民衆生活史』溶樹書院 . 田里友哲(1982):『論集 沖縄の集落研究』離宇宙社 . 仲松弥秀(1941):琉球列島におけるマラリア病の地理学的 研究. 地理学評論,18-4,49-73. 茂木幹義(2006):『マラリア・蚊・水田』海遊社 .