近代技術史的考察から見た旧京都中央電話局上分局の評価
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(2) 年には従来の磁石式に代る日本初の共電式交換装置が導入され. 後に三で電話交換システムと上分局の建築計画との関連について論じ. について俯瞰し、次いで二では上分局の敷地の変遷について述べ、最. 一―一 第一疎水から第二疎水着工まで. 一 琵琶湖疎水を中心とした近代京都の技術革新. る。. た。. 次電池が不可欠で、当時の電話局は発送電イ. ・共電式交換機は受話器に電力を供給する必要上、大規模な交直変 換装置や大容量の. ②建築計画面. ンフラの立地と密接不可分な関係にあった。. ・最新鋭の共電式交換機を安定的に稼働させるためには、換気や放. 事業及び③電池事業を対比したものである。. 水事業から派生した電気工学的展開即ち①電車事業・電灯事業②電話. 表. 一―一―一 蹴上発電所について は明治五年から大正一五年までの建物の敷地の変遷と琵琶湖疎. 熱、採光、防災面で従来建築にはなかった設備計画的な総合的配 慮が必要となった。 本研究は以上の観点から、上分局成立の前提ともなった京都市の電. 近代京都の発展に琵琶湖疎水事業が大きな役割を演じたことは周知. のとおりであるが、上分局の建設につながる電話回線網の整備もその. 琵琶湖疎水は第三代京都府知事北垣国道のもと、明治一八年着工、. 一環としてとらえることができる。. し て の 機 能 を 終 え た あ と、. 疎水事業がすすめられた明治一〇年代は、世界的に見ると電気技術. 同二三年四月に第一疎水として大津市三保ヶ崎から鴨川合流点まで. 度の耐震的保存改修工事が行. の飛躍的な発展に支えられて電力産業化が爆発的に拡大した時期に当. 様々な用途で利用され、歴史. われた。一度目は新耐震設計. たっていた。すなわち明治一二年頃にエジソンが電灯の実用化に成功. と、蹴上から分岐する疏水分線が完成した。. 法の一年後の昭和五七年に、. した結果、明治一五年にニューヨークで世界初の直流発電所をゼネラ. にはニコラ・テスラが交流発電や送電に関する多数の特許を取得。明. 二度目は平成二三年に耐震補. 本報の一では主として、琵. 治二六年のシカゴコロンビア博覧会ではテスラの方式を採用したウェ. ル・エレクトリック社︵以下、GE︶が稼働させた。更に明治一九年. 琶湖疎水を中心とした京都に. スティングハウス・エレクトリック社の交流発電システム︵ Alterna-. 強が実施された。. 資産として活用するために二. ちなみに上分局は電話局と. 上分局の設計時の基本条件や計画について論じる。. 写真 1 外観写真(筆者撮影). 1. おける電気産業界の技術革新. - 65 -. 2. 力インフラや具体的な基本計画の考え方について考察するとともに、. 近代技術史的考察から見た旧京都中央電話局上分局の評価.
(3) ︶ が G E の 直 流 発 電 シ ス テ ム︵ Dynamo ︶を抑えて大成功をおさ tor め、次いで明治二八年にはナイヤガラ水力発電所からバッファローま での長距離送電を実現した。 機械装置の駆動には直流モーターが制御性の点で優れているため、 交流で発送電して、機械駆動には直流システムが定着した。. に基づくとわが国では明治二〇年各地で電灯事業が始められ. あった。 文献. る。 京 都 電 燈 は 第 一 疎 水 完 成 前 の 明 治 二 二 年 に 直 流 発 電 機 を 購 入 し. て、低圧直流送電での営業を既に開始していたが、疎水の水力発電に. より低価格で電力供給が可能となるため、同社は疎水からの電力供給. 北垣はニューヨークの水力発電装置の実況調査のために、田辺朔郎と. に工業用水車を設けて、機械を動かす予定であったが、明治二一年に. 明治二八年に京都電気鉄道が営業を開始し日本初の路面電車が生まれ. 遷都千百年を記念した第四回内国勧業博覧会の京都開催が後押しし、. そのほかに文献 の資料に基づいて俯瞰すると電車事業では、平安. を申請し、配電線を交流に変更した。. 高木文平を明治二一年一〇月から翌年一月末まで米国に出張させた。. た。このように疎水から供給される電力によって京都は急速に近代化. の資料に基づいて俯瞰すると琵琶湖疎水の当初計画では蹴上. この際、コロラド州アスペンの銀鉱山にて水力発電事業を視察した結. を遂げた。. 一―一―二 京都の電話回線整備 東京︱横浜間に日本初の電話が開通したのは明治二三年、大阪︱神. 蹴上発電所は明治二三年一月に工事に着手し、同二四年五月の建屋 の竣工に引き続いて、六月から発電機の設置に掛り、濃尾震災直後の. 二九年に京都市に公衆電話が設置され、翌明治三〇年には京都︱大阪 間の通話が始まった。. 一次拡張計画として明治二九年度から明治三五年までの七ヵ年に総額. このように急拡大する電話需要に対応すべく政府は日清戦争の賠償. ①GE製 エジソン式直流 八〇㎾ 五〇〇V 二基 ②トムソンハウストン製 交流単相 一一〇〇V 七五㎾ 一基 で直流電力はインクライン昇降用のドラムの動力源として利用され、. ︶ 一二八〇万二〇〇〇円の予算 ︵文献 を 承認した。. 電機で総出力は二〇二〇馬力︵約一五〇〇㎾︶を達成した。なお、一. その後、発電設備は拡張されて、明治三〇年五月には全一九基の発. 十号通信官署官制が布達され、電信電話局の体制が整った。. に、内閣総理大臣伯爵桂太郎、逓信大臣子爵芳川顕正の元、勅令第四. 明 治 三 六 年 三 月 二 〇 日 の 官 報 五 九 一 一号 に よ る と 同 年 三 月 一 九 日. ︵二︶. 金の一部を電話交換拡張に充てることを第九回帝国議会で決議し、第. 交流電力は市中点灯のため電灯会社に送電された。. 明治二四年当初、発電機は三基でその内訳は. た。. 戸両電話交換局が業務を開始したのは明治二六年三月、京都では明治. 8. 明治二四年一一月から試験送電を開始。翌二五年一月に事業許可を得. を提言した。市議会は明治二三年一月にこの発電事業を議決した。. 果、電力の優位さを認め、帰国後水車動力から水力発電への計画変更. 文献. 9. 九基のうち直流は六基七三五馬力、交流一三基一二八五馬力の構成で. 19. - 66 -. 8.
(4) 近代技術史的考察から見た旧京都中央電話局上分局の評価 表 1 建物の敷地と琵琶湖疏水・電技事業の沿革文献 7 ∼ 12 和暦 5 8 14 17 18 19 21 22. 西暦 1872 1875 1881 1884 1885 1886 1888 1889. 月 日 敷地の変遷(□)と電話事業(◆) 5 20 □女紅場として利用 4. 第一疎水工事の地形測量. 8. 第一疎水工事着工 田辺博士渡米し水力発電視察. 7 21. 23 1890 4 24 1891 25 1892 26 1893 27 1894 2 12 12 28 1895 2. 9. 第一疎水が竣工 第一期蹴上発電所の電力供給事業開始. 1 8 15 1. 明 治. ◆京都市に公衆電話が設置 ◆京都大阪間の通話開始. 30 1897 6 1900 8 1901 1902 1903. □女紅場が移転. 40 1907 3. 島津製作所が初代島津源蔵により開業. △京都電燈が直流発電機を購入し営 業開始. △疎水から電力の供給を願い出て, 配電線を漸次交流に変換 △配電方式が高圧交流 ●京都電気鉄道(株)が設立. 第一期蹴上発電所が竣工. △東九条火力発電所の第二期増設工 事落成 ●市議会で京都電気鉄道(株)買収 に関する建議案が可決 ●道路拡幅及び電気軌道敷設案が市 会で決定. 第二疎水工事着工. △黒田発電所の使用が許可され,特 別高圧送電. 44 1911 7 25 ◆京都郵便局の電話交換業務廃止 7 26 ◆京都中央電話局及び下分局の電 話通信事務開始 9 12 45 1912 2 24 第二期蹴上発電所使用開始 3 31 第二疎水が竣工 4 □第二高等女学校が移転 6 元 10 6 ◆京都中央電話局中分局の電話通 信事務開始. 2 1913 3 1914 4 8 5 22. ベルカープランテ電池を製造(明治期最初の 蓄電池試作). 源蔵が急逝 島津源蔵を息子梅治郎が襲名. 夷川発電所使用開始 伏見発電所使用開始. 携帯用ペースト式鉛蓄電池の実用化. 島津がクロライド式据置用鉛蓄電池を製作. 島津が蓄電池カタログを需要先に配布. △伏見第一火力発電所の第一号発電 機竣工 △京都電気の買収契約し,京都電気 の発電所を伏見第二発電所. 島津が日本初の蓄電池特許を取得. ●市営電車の第一期電気軌道工事の 一部竣工 ●市営電車の第一期電気軌道工事の「GS」及び「ジーエス」を商標登録 全て竣工. 自動車の点火・点灯用のセルロイド電槽の携 帯用ペースト式鉛蓄電池を発売 △京都市と京都電灯で営業区域の分 列車用チュードル式鉛蓄電池が完成 割. 4 1915 5 1916 10 27 ◆ SU 式防火装置現地試験 6 1917 7 1918 7. 工部省がペースト式鉛蓄電池の研究開始 屋井先蔵が乾電池を製作 源蔵が工場兼店舗を拡大 源蔵が二階建て店舗を新築. 島津がペースト式鉛蓄電池を完成 △東九条火力発電所が落成. 6. 41 1908 43 1910 1. 電池事業. 島津がプランテ式鉛蓄電池極板の試作に成功 (日本電池の創業) 暴風雨により一時的に疎水運河の通水 △疎水発電ができず 3 日~ 1 か月ほ 停止 ど停電 島津が X 線写真撮影に成功. ◆京都に日本初の共電式局(中京 郵便局) □第二高等女学校として利用. 37 1904 4 39 1906. 電車事業(●) ・電灯事業(△). ●京都電気鉄道(株)が営業開始. 29 1896 9. 33 34 35 36. 琵琶湖疎水事業. 大 正. ●第二期電気軌道工事の河原町今出 川線が竣工 ●市営電車と京都電気鉄道(株)の 路線の統一. 1. 8 1919. 9 1920 11 21 10 1921 ◆京都中央電話局西陣分局が竣工 11 1922 2 13 3 21 ◆京都中央電話局西陣分局の電話 交換業務開始 9 □◆京都中央電話局上分局 着工 12 1923 13 1924 1 □◆京都中央電話局上分局 竣工 3 9 ◆京都中央電話局上分局の電話交 換業務開始. 島津が鉛粉製造の研究に着手 自動車の始動・点火・点灯用のペースト式鉛 蓄電池の試作 島津が易反応性鉛粉製造法の発明,特許出願 易反応性鉛粉製造の特許登録. △伏見第三発電所が落成. ●烏丸線延長及び河原町線丸太町以 北軌道敷設工事竣工. 14 1925 2 2 ◆京都中央電話局第一期着工 15 1926 2 27 ◆京都中央電話局中分局の廃止 9 29 ◆京都中央電話局第一期竣工 ◆日本初自動交換局が東京にできる. ●蹴上線の竣工. - 67 -. ラジオ電池の発売.
(5) めに共電式が開発された。. あり、磁石式が最も早く利用され、電話機の利用効率を向上させるた. の接続を依頼しなければならなかった。手動式には磁石式と共電式が. ておらず、手動式であったため発信者は交換手を呼び出して相手方へ. 大きな変革期を迎えていた。当時はまだ自動交換システムは開発され. この頃、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて電話交換システムは. ︶ 工している ︵文献 。 また、電気利用が増え工業化が進んだために、労. 年二月、夷川発電所が大正三年四月、伏見発電所が大正三年五月に竣. が必要となり第二疎水工事が行われた。第二期蹴上発電所が明治四五. これより電気事業の利用者が増加し、京都の工業化が進み、より電力. き、それまでの火力発電から水力発電と変わり電力料金が下がった。. 市 電 敷 設 ﹂ の 大 規 模 な 都 市 基 盤 整 備 事 業 が 行 わ れ た。 第 一 疎 水 が で. 磁石式は電話機に取り付けたハンドルで小型の直流発電機を廻し、 その電力で交換手を呼び出す方式であった。 一方、共電式は電話局側から電話線に給電する方式のため磁石式の ように電話機の発電機や電池は不要となったが、電柱の腕木に架空配 線された夥しい数の直径九㎜の裸銅線に、二四V︵現在は四八V︶の 直 流 電 流 を 供 給 し、 起 鈴 時 に は 一 六 ㎐ の 交 流 信 号 を 重 畳 す る 方 式 で あった。この意味では共電式電話局は電車の変電所と同様の一種の電. 働者が増えたことで上水の整備されることとなる。労働者の増加は生. 活用品や資材の増加にもつながるため運搬や移動手段である道路拡 張・市電施設とつながる。. 一―二―二 有効電力範囲について の発電所や変電所の位置を現在の国土地理院の地図に示した 文献. ものが図. である。現在のようなインバータや整流器が当時はないこ. とから変電所から直流送電が行われていた。それを図中に示すと一点. 鎖線が各変電所や発電所から四㎞離れた範囲を示し、実線は二㎞の範. 都電気鉄道を買収する形で、市内の電車が統一された。. た。京都市は京都電気鉄道と京都市内で干渉するため、大正七年に京. 一―二―三 電車事業・電灯事業 電車事業では市営電車を明治四五年に一部竣工し翌年に全線竣工し. 所の位置が計画された。. これより、都市計画として市内全域に電力を送電できるように変電. ︵四︶. 磁石式に替わる日本初の共電式電話交換局が明治三六年に京都郵便. 囲である。四㎞範囲は現在の京都市をカバーできる範囲であり、二㎞. ︵三︶. 電信局︵現 中京郵便局︶の北側に建設された。当時の三条通りは東. 範囲においても概ね電力供給の主要な都市部を網羅している。. だけでなく、疎水の水力発電所からの恵まれた電力事情を背景に共電 式電話交換局が計画された。. 一―二 第二疎水着工以降 一―二―一 第二疎水について 京都では明治四一年一〇月から明治四五年六月にかけて、当時京都 市三大事業と呼ばれた﹁第二疎水開削﹂、﹁上水道整備﹂﹁道路拡張・. - 68 -. 8. 海道の終着点三条大橋を東端に商業の中心軸として電話需要も多かっ. 力プラントとみなすことができる。. 8. 1.
(6) 文献. によると電灯事業に於いて供給者の京都市と京都電燈の両社. は、市内における営業区域の混在を避けて、大正四年に市内の営業範 のように分割した。概ね蹴上発電所より北部の地域が京都. ︵五︶. ︵六︶. 能を持つようになり、外部から供給される交流の大電力を直流に変換. する整流変電装置と大容量の鉛蓄電池を設置する必要性があった。. 市の管轄であり、京都御所、府庁、市役所、京都帝国大学や上分局等. り、京都では西陣分局︵大正一〇年︶、上分局︵大正一三年︶が業務. を発明し、電池の性能が向上した。これより電話交換局の普及に繋が. 島津源蔵は鉛粉製造の研究を進め、大正九年に易反応性鉛粉製造法. の電話局︵現 中京郵便局や京都中央電話局西陣分局︵以下、西陣分. を開始した。. 囲を図. 局︶ ︶をはじめ官庁施設の多くが含まれていた。. が明治三. ︵八︶. ∼ に上分局の敷地である京都市上京区丸太町通河原町東入ル. 二 建物敷地の変遷 図. が明治二三年、図. ︵七︶. 4. が昭和三年で、各図のアが上分局の位. ︵一〇︶. 駒之町付近の過去の地図を示す。図 が大正九年、図. 6. ︵九︶. 図 2 市内電気供給区域(大正 7 年). 三年、図. 置で、各図の上方向が概 ね北を示している。よっ て、各図のアの右側を上 から下へ流れている川が 鴨川に当たる。 現存する上分局の敷地 に隣接する石碑によると 上分局の土地は当初九条 家のものであった。九条 ︵二︶. 家から明治五年五月二〇 日に新英学級及女紅場と して利用され、図 の明. 3. 6. 5. 一―二―四 電池事業 鉛蓄電池について 共電式電話機では電話局から多数の利用者の電話機に安定した直流. 図 1 直流送電範囲. 3. 治二三年の地図において. 3. - 69 -. 9 2. 電力を供給する必要があった。そのため、電話局は電力プラントの機 近代技術史的考察から見た旧京都中央電話局上分局の評価.
(7) も女紅場が明記されている。この頃には丸太町橋 が架けられ東詰には東竹ヤ丁・東丸太丁など新し い街区ができるとともに﹁加茂川ヘノヲチクチ﹂. ︵一二︶. を見ると女紅. 及び﹁中ジマ﹂と表記された疎水放水路と舟入が 完成している。 更に一〇年後の明治三三年の図 場の表記ではなく﹁京都コート女斈﹂・﹁北垣邸﹂ と さ れ て い る。 ま た 鴨 川 の 左 岸 に は﹁ 尋 常 中 学 校﹂ 、明治三三年に開学した﹁帝国京都大学﹂や. - 70 -. ﹁織物会社﹂ 、 ﹁牧畜場﹂などの大規模な施設の記 載がある。 なお、当時はカタカナ表記を使用していたこと から﹁京都コート女斈﹂の﹁コート﹂が﹁高等﹂、 ﹁斈﹂が現在の﹁学﹂の異体字であることより、 ﹁京都高等女学﹂となる。明治三三年に女紅場が 地図のイの地点︵地図上では師範学校︶に移転し. は女紅場が名称を変え移転する. て、第一高等女学校︵現在の鴨沂高等学校︶にな ることから、図. 京都府立朱雀高等学. の破線ウに注目すると、破線は丸太 では京都御所の南端の. 図 5 大正 9( 1920)年. 図 6 昭和 3( 1928)年. 図 3 明治 23( 1890)年 図 4 明治 33( 1900)年. 4. 前の地図である。また、移転後にこの敷地は図 ア の 第 二 高 等 女 学 校︵ 現. 5. 4. 校︶が明治三七年から明治四五年までその地を利. と図. 用している。 図. 5. 町通りを示しており、図. 4. 4.
(8) 境界と一直線に接続せず御所南東隅部の﹁美術学校﹂の東側でずれて を見ると丸太町通りは御所の南縁から鴨川を越え. る。. 昭和三年の図 ではアの位置に上電話局とイの位置に第一高等女学. 校がある。鴨川左岸には京大医学部や同附属病院などが完成してほぼ. いた。しかし、図 て東西一直線に整備拡幅されている。また、矢印で表された市電経路. 文献 によると大正一三年に京都市には五つの電話交換局︵本局・. 上分局・中分局・下分局・西陣分局︶があり、各分局の担当エリアが. のようであった。上分局の担当する範囲は、図中の﹁上局﹂と. ︵一三︶. いる。また、岡崎には第二勧業館のほか大学病院眼科部や府立第一中. を見ると第一高等女学校がイに、第二高等女学校がアに明記さ. れている。またエに示す部分が夷川発電所であるが、地図上に明記は. り、その地域には紡績工場や織物会社に加え、大学や高等学校・工芸. にまとめた。 ﹁不明﹂は印鑑が押されているがかすれてい. ︵一四︶. に示す。﹁吉. を 見 る と 印 鑑 の 種 類 は、 吉 田・ 新 作・ 鈴 置・ 大 島. で、各自の意匠図、構造図及び全体の中での割合で表. 2. 島三郎、﹁鈴置﹂の印は名古屋高等工業出身で大正九年に入省した電. 郎、﹁大島﹂の印は同じく東京帝国大学出身で大正六年に入省した大. 田﹂の印は東京帝国大学出身で大正八年に入省した設計者の吉田鉄. 3. も の で あ る。 表. る等で名前が特定できないものであり、﹁空白﹂は押印されていない. 名前を表. のが多く人物を特定しにくいため、特定できた設計者及び製図者欄の. る。写図者・校閲者欄にある印鑑は薄いものや文字がつぶれているも. あり、その中に図面名と設計者・製図者・写図者・校閲者の印鑑があ. 三―一 図面印 上分局の当初計画図面の中には逓信省経理局営繕課印というものが. 三 図面の分析に基づく逓信省建築計画の考察. 学校等の教育施設が多くあった。. 書かれたエリアで概ね烏丸通より東側かつ丸太町通りより北側であ. 7. されていない。アとエの夷川発電所の位置はかなり近く、この後アの. 図. 図. 野、東寺町、二条通りから寺町通りに市電のループラインが完成して. 現在の街並の原形ができている。. 6. を 見 る と 丸 太 町 橋 も 軌 道 併 用 橋 に 架 け 替 え ら れ、 更 に 丸 太 町 か ら 熊. 5. 学校など医学・文教施設が増加している。. 27. 2. - 71 -. 5. 位置は大正一一年に上分局の工事が着工し大正一三年一月に竣工す. 近代技術史的考察から見た旧京都中央電話局上分局の評価. 図 7 電話局担当エリア.
(9) 不明. 不明. 不明. 不明. 不明. 五 ∼五・五 m ︶ で あ る。 梁 間 方 向 に つ い て は. 階一七尺︵五m︶の スパンであるが、. ︵約一〇m︶となっている。. ︵一九︶. 上 分 局 は 建 設 年 代 か ら 共 電 式 交 換機 で あ. mのもの. ∼ mが最も設計しやすい﹂と﹁共. る。それを踏まえ文献 によると﹁柱の横の 間隔は. 電式局については普通スパン .. と . mのものとである﹂とある。上分局. 0.0% 25.0% 62.5% 12.5%. 25.0% 50.0%. 吉田. 大島. 鈴置. 新作. 不明・空⽩. 吉田. 大島. 製図者欄. 鈴置. 新作. 不明・空⽩. 意匠図中(28枚). 14. 0. 2. 1. 11. 6. 0. 1. 7. 14. 構造図中(8枚). 0. 5. 1. 2. 0. 0. 0. 2. 5. 1. 全図面数中(36枚). 14. 5. 3. 3. 11. 6. 0. 3. 12. 15. 意匠図中の割合. 50.0%. 0.0%. 7.1%. 3.6%. 構造図中の割合. 0.0%. 33.3% 41.7%. つ高度な技術項目に関与することはできなかったと考えられる。電話. 間、部屋の配置や構造詳細が定まるので、意匠設計者がこれら複雑か. 形状、信号配線、放熱や防爆対策、保守点検等とも関連して階高や柱. はこの両事項に概ね適合している。電話交換局では電気設備の寸法、. 表 3 計画図面の設計者欄及び製図者欄における各人物の担当割合. ︵一五︶ 空⽩. 不明. 信 電 話 建 設 局 技 手 の 鈴 置 良一、 ﹁新作﹂につ ︵一六︶. いては印鑑ではなくサインで、入省年代は不 明であるが技手の新作義信であると考えられ る。 設 計 者 欄 の 吉 田 の 印 は、 意 匠 図 で 一 四 枚 ︵五〇%︶ 、構造図で〇枚︵〇%︶となり、平 面図と立断面図と多少の詳細図にしか吉田鉄 郎がかかわっていないことがわかる。製図者 欄を見ると吉田の印は立断面図にあり、自身. 不明. 交換局舎では所要回線数によって、各室の規模が定まるので、敷地条. - 72 -. 構造図. 8.3%. 30.6% 16.7% 0.0%. 8.3%. 不明. 新作. 階の交換室は中央柱が無くなるため三三尺. 2. で設計した立断面図を吉田鉄郎自ら製図した ようである。 設計者欄の大島の印は、意匠図には一つもなく、構造図の五枚︵六 二・五%︶で構造図の半分近くが大島三郎の設計である。製図者欄に は彼の名は一切なく技手の鈴置や新作によって書かれている。. の下. 7. 鈴 置 と 新 作 は、 設 計 者 欄 を み る と 詳 細 図 な ど の 図 面 を 担 当 し て い. ︵一八︶. 階平面図には南西側にL字型に木造建物があったこと. 2. 12. 8.3%. 不明 空⽩. 5. 38.9% 13.9%. 不明. る。製図者欄をみると新作が最も多くあり、多くの図面を任されてい. 階及び. 5. 全図面数中の割合. 不明. 4. 3.6%. 空⽩. 新作 新作 新作. 意匠図. 0.0%. 不明. 新作. 1. 0.0%. 不明. 11. 39.3% 21.4% 0.0%. 製図者 空⽩. 8. 62.5% 12.5% 25.0%. 造. 空⽩. 吉田 吉田 鈴置. 0. 設計者欄. 不明. 鈴置 不明 新作 新作 新作 新作 新作 新作 鈴置 鈴置 新作 新作. 計. 不明. 鈴置 吉田 吉田 吉田 吉田 大島 鈴置 大島 大島 大島 新作 新作 大島 置. 不明. 図. 空⽩. 吉田 吉田 吉田 吉田 吉田 吉田 吉田 面 面 面 面. 不明. 吉田 吉田 吉田 吉田 吉田 吉田. 空⽩. 面. 不明. 設計者 吉田 図面 面 面 面 面 面 面 面 面. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36. 9. 表 2 計画図面の設計者及び製図者. 、 に示す。図 ∼ 12. たようである。. 、図. 11. ︵一七︶. ∼. 10. 三―二意匠図 上分局の当時計画図面を図. 8. 方向︵北側︶が丸太町通りに面し、左方向︵東側︶に鴨川が流れてい る。. 2. 図面の寸法表記は尺貫法で、 桁行方向の柱間隔は一五∼一八尺︵四・. がわかる。. 1.
(10) 件に応じて平面配置と外観意匠を決めれば、標準設計や標準仕様書に 基づいて効率的に設計を進めることができた。電話を普及させ近代国 家を築くために多くの電話交換局を建てる必要があり、それには柱ス. 眺望に優れた場所に配置されていた点である。. 男性職員の働く範囲は機械の修繕や調整などで、男子便所も 階に. ]も. ]室は女子. 階 平 面 図 で[. ]. 階に配置されてい. あり、 フロアで完結している。女性職員の働く範囲は、主として交. ] で あ り、 そ の た め 女 子 便 所[. の. ]∼[. 17. 2. 1. 換 室[. ︵二一︶. 階のほぼ全て[ 3. の破線は女性エリアを示し、図 ・. 2. ∼. ・ の. 10. る。図. ∼[ ]室、図. 49. 10. ︵二二︶. 広島郵便局電話分室︵以下、広島局︶の平面図を図 に示す。. ︵二三︶. 旧京都中央電話局西陣分局︵以下、西陣分局︶の平面図を図 に、. ことがわかる。. 交換手の区画であって、南東側の男子の区画と明確に分離されていた. 9. 8. 35. 45. 1. 38. 8 20. パン等の基本寸法は逓信省内で概ね決め、構造計算や換気採光につい. では、特に以下の諸点が注目され. ての計算が単純化できるようにし、効率化を図っていた。. 階から. 1. 階にあり、. 階に向かう。女性交換手. 階に交換室・女子食堂・女. 階に休憩室と女子宿直室が設けられている。. が利用する部屋は主に ・. 存しない建物の事務室︵C︶の前を通り、. 南東にある門扉︵A︶から敷地に入り、その後一般人が建物︵B︶に. 丸太町通りに開かれた正面玄関には門扉が設置され監視員詰所の前. 2. 2. 階に向かう。また、広島局に於いても 階に交換室・女子宿直室や. でである。女性交換手はその通路を通り東にある下足場︵E︶を通り. 次に広島局は昭和三年に上浪朗の設計で建設されたもので、西にあ. ②女子交換手への建築的配慮 欧米と同様に電話交換は女性が担当していたので、女子交換手に対. 分離されていた点と女性が使用する部屋は広く洗練されたデザインで. 建築計画的には女性が使用する部屋を集約して男性職員とは動線が. り、明確に動線が分離され女性交換手に対して配慮されている。逓信. キュリティが整えられ、施設関係者の男女で利用する部屋を分けてお. このように上分局に限らずこの当時の逓信建築には人の出入りのセ. 休憩室等の女性の利用する部屋が配置されている。. 2. き届いていた。. 丸太町通り側には幅の広い水路が配置され、外壁には寄り付きにく. 子休憩室、. 3. る出入口︵D︶から直ぐのところに窓口があり一般人の入場はそこま. を通らないと構内に入れなかった。. 2. く、鴨川側には丈夫な柵が設置されていたことなど保安上の配慮が行. 3. 対しては閉鎖的な意匠であった。. び、東側の鴨川並びに北側の丸太町に面するRC造建物が中庭を取り. 西陣分局は大正一一年に岩元禄の設計で建設されたもので、敷地の. 13. 三―二―一 平面計画について 階の平面図の図 ∼ る。. 11. に示すように竣工当初は南側と西側の平屋の木造建屋及. ︵二〇︶. 8. ある加入課前の公衆溜で事務手続きをし、その他の女性交換手等は現. 写真. ①保安計画について. 4. する建築的配慮がなされていた。. 2. - 73 -. 2. 14. 1. 囲んで一種のパティオ︵中庭︶を形成し、内に対して開放的で、外に. 近代技術史的考察から見た旧京都中央電話局上分局の評価.
(11) RC造. 木造. No 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 木造 18 19 20 21 RC造 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34. 女性エリア. 部屋名 階段室 廊下 室 室 廊下 食堂 室 室 室 階段室 室 室 室 室 女子. 室 室 室 子 室 子 室 便所 便所 子洗面室. 木造. 女性エリア. RC造. 図 9 2 階平面図(単位:尺). - 74 -. No 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45. 室. 室 階段室 女子下. 図 8 1 階平面図(単位:尺). RC造. 所. 部屋名 階段室 廊下 予備室 交換室 階段室 休憩室 廊下 食堂 階段室 女子洗面所 女子便所.
(12) 近代技術史的考察から見た旧京都中央電話局上分局の評価. 女性エリア. No 46 47 48 49 50. 部屋名 屋 休憩室 階段室 女子 室 階段室 屋. 図 10 3 階平面図(単位:尺). No 部屋名 51 階段室 52 屋. 図 11 4 階平面図(単位:尺). - 75 -. 室.
(13) 写真 2 西側当初外観. 図 12 断面図. 図 13 西陣分局図面(左:配置図兼 1 階平面図,中:2 階平面図,右:3 階平面図). 図 14 広島郵便局電話分室(左:1 階平面図,右:2 階平面図). 写真 4 広島局外観. 写真 3 西陣分局外観. - 76 -.
(14) ︵文献. ︶ に 、 広 島 局 を 写真 ︵文献. ︶ に. 階の屋上休憩室[. ]の内部写真を写真. ︵二四︶. 15. ︵二五︶. に、図 に. 5. の逓信省の方針であったと考えられる。 上分局の. 46. 省内で平面計画について以上のような方針があったと推測される。 ま た、 西 陣 分 局 の 外 観 を 写 真. 図 15 男女の部屋の詳細図(左:男性、右:女性). がされている。つまり、平面的なプランニングは同年代の建物で同様. では縦長窓で、建物への出入口部に分離派的な放物線アーチ状の装飾. り、東面には半円形の柱がありその間に開口部を設けている。広島局. 壁がタイル張で、窓際に備付の椅子が設置されており、写真 にもあ. 置され眺望について恵まれていない。それに対し右図の女性の部屋は. 戸で質素な仕上げであり、 階平屋木造建屋の南西隅に機能本位に配. ある。左図の男性の部屋の仕上げが腰壁に板張で、押入れの建具が板. 46. であるが、外観デザインは個性的で多様性がある。これは地域性など. 3. るように洗練された室内となっている。また、女性の使用する部屋の. 23. 1. 階の屋上休憩室[. ]で. 男女の休憩室の図面を示す。左図は男性が使用していた 階木造建屋. 40. 示す。この二つの建物はほぼ同年代に建設されているが、外観デザイ. 4. の小使室[ ]と湯沸室[ ]で、右図は. 39. ン が 全 く 異 な っ て い る。 西 陣 分 局 に は 北 面 に 印 象 的 な レ リ ー フ が あ. 3. 22. 1. 女子交換手の扱いが優遇されている。また、文献 によると﹁局内に. 図. 階、北側. ]、. ]を設. 階には広い無柱の. 2. 交換室[ ]を配し、 階北東隅には眺望に優れた休憩室[. 階 に は 階 高 の 大 き い 機 械 室[. 三―二―二 断面図 に鴨川に面する棟屋の南北方向の断面図を示す。主屋は南側が. た。. ︵二六︶. の道も講じてある﹂とあることから女性に対し福利厚生が整ってい. 読書室、娯楽室等の設備を施されて交代勤務の余暇にはそれぞれ慰安. 26. ように眺望や部屋の仕上げを見ると電話交換作業において重要である. 多くは鴨川に面し、東山から比叡山、北山を眺望に優れていた。この. 5. 46. 10. 12. 階からはパーゴラのある屋上庭園︵運動場︶に出ることができる。. けている。南棟と北棟の接続部には南北両棟に繋がる階段室を設け、. 3. 1. 38. 3. 火 装 置 の 巨 大 な 貯 水 槽 と な っ て お り、 貯 水 槽 直 下 の. 階のポンプ室. また階段室上部の塔屋は非常時に自然流下で水幕を形成するSU式防. 4. 1. - 77 -. 3 写真 5 当初 3 階屋上休憩室. を考慮し、電気プラントのような電話局を近代的な印象を与えるため. 近代技術史的考察から見た旧京都中央電話局上分局の評価.
(15) [. ]から揚水した。 ]、 屋 上 休 憩. ]及び貯水槽の屋根は図. な お 交 換 室[ 室[ 46. のように鉄骨トラス造に和風. ︵二五︶. 38. 13. り、施工業者の高田商会が解散により昭和一二年以降に用いないこと. となっている。これよりこの装置が設置されたのは一五年ほどで上分. 局はこの装置ができてから三年目に設置されており、京都では西陣分. SU式防火装置は窓の頂部に穴をあけた水管が配置されており、近. 局に次いで二番目に設置された。. 瓦屋根を葺き、鼻先をRCで固. 隣火災が発生すると、建物内の貯水タンクの開放弁を開いて建物の外. 壁・屋根・軒及び窓から水を流して水幕を作り延焼を抑える一種のド レンチャー設備であった。. 換局において最も重要なものは交換機であり、共電式交換機は局舎建. 作り延焼を抑えるものである。これが設置された理由としては電話交. 設置されており、これは外壁・屋根・軒及び窓から水を流して水幕を. 上分局にはSU式防火装置が. 三―二―三 内田四郎とSU 式防火装置について. 建築とするとともに、窓開口を守るために外観意匠については次の事. たって外に飛散させないことであった。そのため局舎はRC造の不燃. 用に当たって注意すべきは壁又は窓を伝ってきた水が庇や窓の桟にあ. 長者町分局︵以下、長者町分局と称す︶である。SU式防火装置の使. 下、下関局と称す︶、︵ウ︶は大正一五年三月竣工の旧横浜中央電話局. 局の階段周り、︵イ︶は大正一三年竣工の旧下関電信局電話分室︵以. はSU式防火装置を設置していた建物の矩計図で︵ア︶は上分. ︵二八︶. ︶ 設費の倍以上も高価であった ︵文献 。 当時の都市は木造家屋が密集し. 項が考慮された。. 図. ていたので、大規模な都市火災から局舎をどう防護するかは極めて重. る。. めた強固な防火構造となってい. 16 要な技術課題となった。このため逓信省が開発したのがSU式防火装 置であった。 大正五年一一月の建築雑誌第三五九号には﹁SU式防火装置式実地. ㈠水の自由落下で広がる範囲は限られるため、窓開口一面に水が行. 渡るよう縦長窓が採用される。軒部で噴射した水が庇や窓台でせ. き止められないように、外壁は彫が浅く平面的で、垂直性を強調 したなデザインとすること。. ㈡柱も水が垂直に流下しやすいように縦溝を穿つこと。. の. ︵ア︶∼︵ウ︶のaで示すように下端に室内側に向かい角切を設. 窓 面 に 雨 水 が 掛 ら な い よ う に す る が、 電 話 交 換 局 舎 で は 図. 五年一〇月二七日午後に逓信省構内で行われたSU式防火装置の性能. ︶ 試 験 を 視 る﹂︵文献 と い う 時 報 が 掲 載 さ れ て い る。 こ れ に よ る と 大 正. 17. ㈢一般のRC造建築ではスパンドレルの下端には、水切をもうけて ︵二七︶. によるとこの装置は大正一〇年以降の建物に設置されてお. 17. - 78 -. 図 16 小屋組詳細図 6. に関する耐火試験について記されている。この防火装置は別名内田式. 11. とも言われ、大正五年時に経理課営繕係長の内田四郎により考案され た。文献. 17.
(16) けている。これは壁面を伝った水を窓開口に呼び込みやすくする. ︶ への供給用電源 ︵文献 で ある。また、四〇V用蓄電池は北側に隣接す. 四V蓄電池台を配置している。二四V用蓄電池は当時の共電式交換機. ] ・電池室[. ]・電力室[ ]で、. ︵三一︶. ]を配置することによって、. 16. は当時の電話交換局の蓄電池室と使われた二次電池の一例. ︵三二︶. 室の南側には暖房機械室[. (イ)下関局. ] 、北側の電力室[. ]に設置された直. 14. 図 17 SU 式防水装置の設置された建物の 矩計図. (ウ)長者町分局. 流発電機のブラシのスパークが水素爆発を誘発させる危険性が考えら. 16. 濃度が一定限度に達すると水素爆発を起こすので、これを防ぐために. は過充電時などで鉛蓄電池の陽極に発生した水素によって室内の水素. である。当時の蓄電池室は階高が大きく、部屋の気積が大きい。これ. 写真. 蓄電池の気温の変化に伴う蓄電効率の低下を避けている。. る。電池室[ ]の南に暖房機械室[. は 華 氏 四 〇 ∼ 九 〇 度︵ 摂 氏 四 ∼ 三 二 ℃︶ に 保 つ よ う に 定 め ら れ て い. る電力室の直流発電機用と考えられる。文献. によると電池室の気温. ためであった。. 南︵写真奥︶より暖房機械室[. る。 に示す。同図には電池. ︵三〇︶. 37. 25. 室と電力室の基礎の配置と断面構造で何れも躯体から絶縁された独立. 鴨川に面する. 15. 部屋の階高を高くし容積を大きくして水素濃度を抑える。また蓄電池. 階の機械室の平面計画を図. ここには重量の大きい鉛蓄電池や振動を生じる発電機が設置されてい. 14. 三―三 設備の配置計画について ︵二九︶ 竣工写真の写真 の東面 階の三連のアーチ開口のある部分は、 1. 16. ]は機械保守に必要な間隔をあけて四〇V蓄電池台と二. (ア)上分局. - 79 -. 15 18. 7. 6. 1. 基礎である。基礎の盤厚は蓄電池用三尺︵約九〇㎝︶、電動機用一尺. 電池室[ 15. ︵約三〇㎝︶である。. 近代技術史的考察から見た旧京都中央電話局上分局の評価.
(17) (16) 15 14. 写真 6 当初外観写真 図 18 電力機械基礎設計図面. 図 19 マンホール詳細図. 写真 7 電話用蓄電池の一例. 写真 8 当初 2 階交換室 表 4 昭和 17 年の電話機の数. 本局 上分局 下分局 西陣分局 祇園分局 壬生分局. 共電式 普通 卓上 6,725 968 7,069 962 - 80 -. 自動式 普通 卓上 3,776 1,204 6,615 1,492 3,513 672 3,482 587.
(18) れるので高度な防災設計が施されていた。このような観点からこれら. されている。事実竣工当時の建物の丸太町通からの写真 を見ても地. た。その理由は市街地の景観を守るために地中配線から引き込んだと. 配置した。また、この部屋の開口部がアーチ状をした理由について二. とを物語り、地下に電話回線を埋設したのは京都市三大事業の﹁道路. 上配線は多少の電信柱と路面電車の配線しか見られないことはこのこ. ︵三四︶. の部屋を鴨川側に設け万一爆発しても周辺の建物に被害が無いように. つ可能性がある。第一に開口部に二ヵ所ある煉瓦造の方立が損傷・破. 拡張・市電敷設﹂の時である。図 の平面図の五〇. ︵約一五m︶の. 壊しても鉛直力がアーチ状の外縁を通り柱に伝達され、開口上部に影. ft. 室[. ]、. 階の交換室[. 階の試験室[. ]・機械. 9. ]に接続させ、配線経路を短くするよう. ケーブルはこの孔を通りマンホールの直上. 区間にケーブル引込孔︵七㏌=約一八㎝︶が無数に設けられている。. 19. ︵三六︶. どうやら共電式市内中継交換機のプラグ数は一座席当たり三二本で. ]、. 階平面図に示すようなマンホー 階の試験室[. 階 交 換 室[. 階の試験室[. ]の北側長辺方向は一一七. ] ・機械室[. ]の下にあ. あるほうが配線経路の短縮になるからである。これから建物規模はそ. るマンホールに配線されたケーブルを接続するうえで北側に交換機が. ていたと考える理由は、. 尺︵約三五m︶であり十分に北側一列に配置できる。北側に配置され. 合三二・四mで、上分局の. 械の寸法は一座席幅が概ね六〇㎝とすると、交換機を一列に並べた場. ︵三七︶. に示すように電力室から階段室の. であった。. 局・西陣分局︶があり、市内通話においても分局を介した交換が必要. 大 正 一 三 年 の 京 都 に は、 五 つ の 分 局︵ 本 局・ 上 分 局・ 中 分 局・ 下 分. 文献. 三―四 交換機について ︵三五︶ によると上分局が分担する加入者は約一七〇〇回線である。. に計画されている。. 1. 響がないこと。第二に蓄電池は温度により性能が変化するため開口面 積 を 他 の 四 角 い 窓 よ り 小 さ く し 気 温 変 化 を 抑 え る こ と。 ま た、 図. ︵イ︶の下関局では. 階. 階の階高は二・二五×六二. 階階高は六二段である。当時煉瓦一段は目地を含. ︵ア︶の上分局には煉瓦九・五段ごとに水平の段数尺が記入されている が、これによると めて二寸二分五厘が一般的だったので、 =一三九・五寸=約四二〇〇㎜である。図. ]には電力盤台・信号用台・度数計台・一二㎾電. 二〇㎜で上分局とほぼ等しい。このように機器により階高が決められ. ていた。 なお、電力室[. 動発電機台が配置されており、図. 38. あり、上分局で管理する一七〇〇回線では五四座席が必要となる。機. 階の機械室[ ]とその西側の試. ]に電力を供給していたようである。. 地下を通るカルバートを設けて床下から給電し、そこから. 室[. また、丸太町通りに面する北棟. の. 2. の建物で取り扱う回線数により決まっていた。. - 81 -. 6. 10. ]の北面の窓下にも図. ]を構築して、ここから多数の通信線を. 38. 9. 験室[. ル[. のマンホールの. ︵三三︶. た位置に敷地境界線があり、丸太町通りからケーブルを引き込んでい. ︵約一・二m︶離れ. ]に引き揚げるのが一般的であった。図. 9. 2. 2. 14. 詳細図の平面図で示すように、建物の壁から四. 19. 1. 10. 1. ft. 機械室[ 10. 10. 階の交換. 18. 8. 1. 1. 38 9. 11. 27. 17. 2. 1 17. 1. は床高四八〇㎜の木造床となっているので、RC造部分の階高は四五. 近代技術史的考察から見た旧京都中央電話局上分局の評価.
(19) 文献. にある昭和一七年時の京都中央電話局が管轄する電話機の種 に示す。自動式電話交換が導入されるようになったのは. 削によって電車、電灯を始め電池の製造や電話事業に於いて最新の技. たため、自動式が使われている。また本局と下分局は明治四四年から. 大正一五年以降のことで、祇園分局と壬生分局は昭和になり建設され. 川左岸には京都帝国大学や織物会社などが発達し、京都三大事業の道. し、女紅場・女学校を経て現在の建物が建設された。大正年間には鴨. 上分局は、もとは九条家の敷地で、現在の夷川発電所の近くに立地. 術によって都市を発展させた。. 電話交換が行われているため、大正一五年∼昭和一七年の間で設備が. 路拡張・市電敷設で都市化が急激に進んだ。. 類と数を表. 更新され自動式となった。しかし、上分局と西陣分局は自動式電話交. 上分局で使われている縦長窓はこの当時の逓信省建築では一般的な. 慮して各設計者の吉田鉄郎、岩元禄、上浪朗が外観デザインを行い、. ても平面プランは概ね逓信省の標準設計で定められ、地域性などを考. 日本初の共電式電話交換局が中京郵便局に開設されて、西陣分局に. ︶ ものであった ︵文献 。 この理由は二点ほど考えられ、まず一つは前述. 逓信省では個性的で多様な外観デザインを取り入れ電話局を近代的な. 換が導入される数年前に建設されてこともあり、昭和一七年時点では. したSU式防火装置の水幕が窓一面に広がるようにするためである。. 印象になるように努めていた。上分局は建物の延焼防止策として屋根. 続いた上分局が造られた。その外観デザインを吉田鉄郎が行い、構造. もう一方が煉瓦造からRC造に変わる変換期の建物であったため、煉. の鼻先をRCとすることや京都では二番目の最新の防火装置であるS. 自動式への設備更新がされていない。このことから上分局は京都の共. 瓦造の名残であるものである。今のように電灯による照明が発達して. U 式 防 火 装 置 が 標 準 化 さ れ て い た。 S U 式 防 火 装 置 を 設 け る に 当 た. や設備については大島三郎や技手が分担した。西陣分局や広島局を見. いない当時で手元を明るくするために重要な光源は日光である。一般. り、垂直方向に強調されたデザインが必要とされ、また交換室の換気. 電式電話交換局の中で最晩年に建設されたことがわかる。. 的な交換機の高さは二二五㎝程度であり、人の身長より大きな機器で. 採光を行う上でも効率の良い縦長窓が採用された。一方重量の大きい. の. ]の窓に面してある五・五若しくは六・五. ある。図. 蓄電池や発電機等の設備機械は独立基礎とし 階に配置した。電池室. 階交換室[. ︵三八︶. を見ると部屋の両端. 尺の線は交換機などの機器設置位置で、写真. は水素爆発の危険性を考慮して鴨川側に位置し、気積を大きくするた. 以上のことを要約すると吉田鉄郎は逓信省で培われた柱スパンやプ. ていた。. 確に分離させるとともに、女子交換手に対しての福利厚生が整えられ. 入者数により部屋の平面的な大きさが決定した。男女の仕事範囲を明. に背の高い機器が窓際に来ている。このような理由から電話交換局の. 都においては蹴上発電所や夷川発電所をはじめとする琵琶湖疎水の開. 明治から大正にかけて日本の電気産業は飛躍的な進化を遂げた。京. まとめ. めに階高を高く、換気しやすいようにした。また交換室の大きさは加. 1. 38. 24. 窓は採光・換気などを確保するために縦長窓が採用されていた。. 8. 2. - 82 -. 4. 23 9.
(20) 観に配慮し、その中で設計者としての特色を建物外観で示し、和瓦を. ランニング等の標準設計の基本原則に則っており、京都の歴史的な景. ことで﹁新﹂と付けられたと考えられる。. 物が上局となった。これらの経緯の結果新たに建てられた上局という. 一三年の際に﹁上局↓本局﹂と名称を変え、新たに建設された当該建. ︵三︶文 献. 年に設置された。 ﹂とある。文献. の七七九頁に. の四五頁によると﹁我が国最初の共電式局は京都で、大阪より. 印刷局発行の官報五九一一号の四四三∼四四四頁による。. ︵二︶国立国会図書館デジタルコレクション所蔵、明治三六年三月二〇日の. 基調にドイツ民家風の意匠を採用させるとともにSU式防火装置用水 槽の塔屋で近代的なイメージを印象付け、鴨川沿いのランドスケープ と調和が図られている。これらのことを含め設計した吉田鉄郎の巧み な手腕が上分局には表されており、明治・大正期の電気産業を知る上. も六年ほど早い明治. き ま し た。 ま た、 喜 多 幸 次 郎 氏 に は S U 式 防 火 装 置 に つ い て の 資 料 を 提 供. ︹謝辞︺ 本稿を執筆にあたりNTTファシリティーズの中野時衛氏並び にNTT国際通信株式会社の中井理貴氏に図面等の資料を提供していただ. 式交換機の設備が局舎建設費の二倍にもなる高価なもの﹂とある。以. 局︶が明治三五年八月一八日に竣工した。文献. て併合した。 ﹂とある。文献. でも近代技術史的に価値のある建物である。. い た だ き ま し た。 本 稿 の 執 筆 に 際 し 、 様 々 な ご 協 力 を 賜 っ た 皆 様 に 対 し 厚. 上から明治三六年に京都に共電式局というのは高価な最新の機器を都. 中京郵便局︶は﹁明治三六年四月一日京都電. く 御 礼 申 し 上 げ ま す。 な お、 本 研 究 を 進 め る に あ た り 平 成 三 〇 年 度 関 西 大. 市火災から守ることができる煉瓦造で、建てられて間もない中京郵便. 中京郵便. の一八〇頁に﹁共電. によると京都郵便電信局︵現. み。発電所や変電所の位置は文献. の五三八頁と五三九頁の間の送電. 国土地理院の電子地形図︵タイル︶に凡例及び直流送電範囲を書き込 ︵四︶. 局と考えられる。. 話局と改称し、次いで京都電話交換局を郵便局の一課たる電話課とし. 学大学院理工学研究科高度化研究費の助成を得ました。. よると京都郵便局︵現. 35. の一二一頁の図に対し建物位置、凡例名称と主な施設位置を書. によれば明治三五年頃二代目島津源蔵は大容量のクロライド式. ると当時の京都中央電話局は上局・中局・下局・西陣局の四局で構成. 行 の 京 都 電 話 番 号 簿、 大 正 一 一 年 一 〇 月 改 正 の 電 話 普 通 加 入 区 域 を 見. 建設。日露戦争が宣戦布告された明治三七年二月には据置型の一五〇. 鉛蓄電池の開発に成功し、これを受けて同三六年一月に河原町工場を. ︵六︶文 献. き込み。. ︵五︶文 献. 系統図を参考にした。四㎞と二㎞の範囲を地図上に明記した。. 8. 註 https://kunishitによると当該建物. ︶で記載されている旧京 ei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00000253 都中央電話局上分局を上分局と称している。文献. 6. 14. Ahの鉛蓄電池を帝国海軍の無線通信用電源として納入したが、翌三. これは国立国会図書館デジタルコレクション所蔵の京都中央電話局発. は﹁京都中央電話局新上分局﹂とあり、上分局の前に﹁新﹂とある。. 24. で示す本局の位置にあり、大正. さ れ て い た。 大 正 一 一 年 の 上 局 は 図. 7. - 83 -. 36. 10. 9. 12. ︵一︶本論文では、文科省の国指定文化財等データベース︵. 近代技術史的考察から見た旧京都中央電話局上分局の評価.
(21) 八年五月二七日の日本海海戦の劈頭哨戒艦信濃丸と巡洋艦和泉が旗艦. 上分局の当初図面によれば図面枠欄に﹁ ︵ ︶. 階平面﹂と明記されたもの. があるが、現在の建築基準法施行令第二条八項によると当初図面の. 以下であるため上分局は. 三笠へロシア艦隊の動きを通信部に打電するなど大きな成果をあげた. 位を書き込み。. ︵ ︶NTTファシリティーズ所蔵図面を一部抜粋し、文字・断面位置・方. 位を書き込み。. ︵ ︶NTTファシリティーズ所蔵図面を加工、文字・点線・断面位置・方. 印刷局発行の職員録の四五九頁によると逓信局技手に新作義信とある。. ︵ ︶国立国会図書館デジタルコレクションより大正一三年一〇月三〇日の. 置良一とある。. 印刷局発行の職員録の四五八頁によると臨時電信電話建設局技手に鈴. ︵ ︶国立国会図書館デジタルコレクションより大正一一年一一月二五日の. いては. 階平面と表記する。. 階建てと表現している。ただし、今回は当初図面を用いる部分にお. /. 階部分は階段室でありかつ建築面積の 明治. ことが知られて い る 。 国際日本文化研究センター所蔵の一八九〇年の西京区組明細図 ︵七︶ 改正を抜粋し文字と印を筆者が書き込み。. 最新を. 国際日本文化研究センター所蔵の一九〇〇年の京都新図を抜粋し文 ︵八︶ 字・印・破線を 筆 者 が 書 き 込 み 。. 抜粋し文字・印・破線・矢印を筆者が書き込み。 国際日本文化研究センター所蔵の一九二八年の京都地図 ︶ 新を抜粋し文字と印を筆者が書き込み。 石 碑 に は﹁ 女 紅 場 ハ 京 都 府 ニ 京 都 第 一 高 等 女 学 校 創 立 当 初 ノ 名 称 ニ シ ︶. 改正新案最. 国際日本文化研究センター所蔵の一九二〇年の京都市街地図 ︵九︶. ︵. ︵. によると太陰暦で記入されている. テ明治五年四月十四日旧九条家河原殿ニ開設セル者ナリ﹂と書かれて お り、 明 治 五 年 四 月 一 四 日 は 文 献. によ. ると昭和一七年の段階でも上分局の電話加入区域内電話機は共電式で. 手動電話交換の様式が磁石式・共電式・自動式とあるが、文献 ︵ ︶. ︵ ﹁ ︶北垣邸﹂は明治一四∼二五年に京都府知事で琵琶湖疎水事業などを. あり、自動式及び磁石式はゼロである。これより竣工当時から共電式. ︵ ︶文献. の写真に木造とRC造範囲を書き込み. 問官に任命され、大正五年京都で八〇年の生涯をとじた。晩年の北垣. の資料に各電話局. たと考えられる範囲である。. 階に男性職員の労働する. 階に食堂や宿直室があるが、交. 階に女性用の便所や洗面所が設けら. 階及び. の 人 々 は 主 に 女 性 で あ る た め、 れていると考える。また、. 階で働く人は多くが交換室におり、そ. ︵ ︶女性エリアは図面内に女子と明記あったものや主に女性が利用してい. ︶国立国会図書館デジタルコレクション所蔵の文献. 16. 換室に男性が入ることが難しかったことや. 2. 2. に滔々と流れ込む様を自邸から眺めていたことであろう。. 氏は東山を背景に対岸の疎水放水路から疎水の豊かな水が悠久の鴨川. 行った北垣国道氏の邸宅と考えられる。北垣氏は五五歳で琵琶湖疏水. ようであり、太陽暦では五月二〇日になる。. 4. 4. 1. であったと考えられる。. ︵. 中では上局︶範囲と主要場所の文字を明. 2. 1. 27. - 84 -. 4. 3. を完成させた後、明治三二年貴族院勅撰議員、大正二年には枢密院顧. 23. 7. 8. 1. の 境 界 の 実 線、 上 分 局 ︵ 図 記。. 7.
(22) 場が多いことから ・. 階のほとんどの範囲を女. 階以上の食堂などは女性のために設けられたもの. ではないかと考えられる。そのため、 には明治二九年の女性交換手の待遇について. には﹁こゝに働く人の慰安としては休憩. であるようです。 ﹂とある。民間企業は給料が良いために逓信省の福利 厚生が充実していた。文献. があります。これはどの局でも殆ど同じです。 ﹂とあり、福利厚生設備. 時間に休む休憩室があります。ピアノ、蓄音機、ピンポンなどの設備. 次のような記載がある。﹁新局舎での職員の定員数は四三名で、開業時. によると逓信省の管内では婦人も判任. が備わっている。また、文献. 官になれ、女性の社会的地位があった。. 子取締婦. に在籍していた人物は吉井茂則と三橋四郎である。吉井は明治二五年. 年に卒業し、明治三四年に逓信省に入省している。内田が入省した際. SU式防火装置の発案者である内田四郎は、東京帝国大学を明治三三 ︵ ︶. 交換手の仕事の上での監督をするのではなく、風紀上の取り締まりだ. から大正三年まで在籍しており、その二一年の内で内田は半分以上も. 女. と い わ れ て い る。 だ か ら と 言 っ て 交 換 手 の 風 紀 が 乱 れ て い た と い う こ. 共 に 働 き 逓 信 省 営 繕 を 支 え た。 内 田 は 吉 井 が 逓 信 省 を 去 り 自 身 が 逓 信. という役職の女子職員である。この取締婦というのは女子. とではなく、当時は交換室への男子の出入は非常に厳しかった。保守. 省を引退︵大正一四年︶するまで営繕のトップとして活躍し、吉田鉄. 郎等の逓信建築家の育成に当たっていた人物である。. ︵ ︶上 分 局 は N T T フ ァ シ リ テ ィ ー ズ 所 蔵 図 面 を 一 部 抜 粋 し、 レ ン ガ 段. の職員は交換室ではなく、休憩室の中に席を設け、常に交換. 手の相談相手、或いは日常生活の指導をしていたといわれている。 ﹂ち. NTTファシリティーズ所蔵図面を一部抜粋し、文字を書き込み。 ︶. より一部抜粋し・コンクリート部の塗り. 数・部屋名・コンクリート部の塗りつぶし・矢印とaの範囲を追記。. なみに文献 る。. ︶文献 の一二九頁の図を引用し文字と方位を書き込み。. ︵ 文献 ︶. に私設交換手として﹁尚電話事務員は、. より当時に女子交換手は一三∼二三歳で高等小学校程度の学力. ︵. を 有 す る 人 で あ っ た。 文 献. に よ る と 木 造・ 煉 瓦 造・ 石 造 の 時 代 は 大 正 一 四 年 で 終 わ. の二三頁の写真に文字などを加筆。. ︵ ︶NTTファシリティーズ所蔵図面を一部抜粋し、部屋名・寸法・各台. ︵ ︶文献. り、大正一五年からRC造と書かれていることとも一致する。. る。 文 献. 大 正 一 五 年 以 降 の 長 者 町 分 局︵ ウ ︶ で は 躯 体 は 全 て R C 造 と な っ て い. したものであり、これは煉瓦造からRC造への変換期のものである。. ている上分局︵ア︶と下関局︵イ︶はRCフレーム内に煉瓦壁を配置. つぶし・矢印とaの範囲を追記。年代から見るとほぼ同時に建てられ. 下関局・長者町分局は文献. によれば明治三四年から男子交換手は姿を消すようであ. 取締婦. 員でも交換機の修理以外は入室は絶対に禁止されていた︵中略︶ 女子. 子 交 換 手 四 名 で あ っ た。 こ の う ち 現 在 で は 珍 し い と 思 わ れ る の は. 四名、技手五人、雇員七人、女子交換手二一人、女子取締婦一人、男. の一八人に比べると増員されているが、その内訳をみると局長、書記. 性 エ リ ア と し た。 文 献. 3. 文献 の広島郵便局電話分室の図を引用し、文字と方位を書き込み。 ︶. ︵ 文献 より引用 。 ︶. ︵. 19. 33. 34. 16. - 85 -. 2. 2. 交 換 局 に 働 く 外 に、 銀 行 會 社 そ の 他 の 民 間 の 施 設 交 換 臺 で も 働 き ま. 33. 19. 33. 5. 16. 26. す。︵中略︶給料は勿論雇傭先の営業状態にもよりますが、概して割高. 24. 38. ︵. 近代技術史的考察から見た旧京都中央電話局上分局の評価.
(23) ︵. の名前を明記 当時基本的には発電所から供給される交流電力を共電式交換機や鉛蓄 ︶ 電池の充電用の直流に変化する必要があった。まだ水銀整流器は実用 化されていなかったので、交直変換は機械的に行っていた。そのため 先ず外部からの交流電力によって交流モータを廻し、さらに回転軸に 直結した直流発電機を回して直流電力を発生させる方式であった。ま た、 こ の よ う な 直 流 発 電 シ ス テ ム を 稼 働 さ せ る に は ま ず 蓄 電 池 か ら 電 磁石に直流電流を供給して交流モータや直流発電機に強力な磁界を生. は電動発電機の一例で三相誘導. じさせた後、交流モータを駆動させる必要があり、このためにも大容 量 の 蓄 電 池 は 不 可 欠 で あ っ た。 写 真. 図 20 共電式市内加入者交換機 ︵ ︶文献. は文献. より市内中継交換機の一座席当たりの寸法. の一二九頁の加入者交換機の形状寸法を示し、寸法の一. より引用。. 徹、川向正人. 参考文献 山. 研究、日本建築学会計画系論文集、第七九巻第七〇一号、一六四一∼. 原図分析による吉田鉄郎の設計プロセスに関する. は凡そ幅六〇〇×奥行一五七〇×高さ二二五〇㎜である。. 部書き込みを行った。図. 図 ︵ ︶. ランプを有す。 ﹂とある。. 通三十二本の中繼線プラグを設け、此れに附属して各一個づつの表示. 写真 9 電動発電機 一六五〇頁、二〇一四年七月. - 86 -. 電動機或いは三相同期電動機と直流発電機を直結したもので国立国会 図書館デジタルコレクションの文献 から引用している。 文献 の八〇頁と八一頁の間の図版より引用。 ︶ NTTファシリティーズ所蔵図面の一部を抜粋し、文字等を加筆。 ︶. ︵ ︵. で﹁電信電話線、又は. 国立国会図書館デジタルコレクションの文献 ︶. にある電話番号上部に. 電燈線は市街美を破壊しますから現今ではこれ等を出來るだけ地下に 埋没してゐます。﹂ 国立国会図書館デジタルコレクションの文献 ︶. ある﹁上﹂は上分局︵文献中では上局︶を示しており、上分局が担当. によると共電式市内中. す る 電 話 番 号 で あ る。 数 え た 結 果、 概 ね 一 七 〇 〇 回 線 を 上 分 局 が 担 当 していた。 国立国会図書館デジタルコレクションの文献 ︶. 32. ︵. ︵. ︵. 継交換機の﹁構造は外見加入者交換機に似たれども、普通一台二座席. 18. 20. 31. 27. 32. 16. 9 29. 六パネル︵加入者交換機は三座席︶より成り。 ︵中略︶一座席毎に、普. 1. 30.
(24) 近代技術史的考察から見た旧京都中央電話局上分局の評価. 山 田 守 と﹁ あ る 電 話 局 の 草 案 ﹂ ︱ 大 正 後 期 の 逓 信. 日本電池株式会社. 九五年一一月. 日本電池100年、日本写真印刷株式会社、一九. 喜 多 幸 次 郎 N T T フ ァ シ リ テ ィ ー ズ の 源 流 建 築 編︵ ︶ 、NTT ファシリティーズジャーナル、二四〇号、五七、二〇〇三年一一月. 郵政省 月 張菅雄. 高等建築学. 建築計画︻. ︼逓信省の建築、常磐書房、一. 建築記録/中京郵便局、郵政大臣官房建築部、一九七九年五. 2. 丹 羽 和 彦、 小 原 誠. 省建築に関する研究 その 、日本建築学会計画系論文集、第六三巻 第五一三号、二八五∼二九二頁、一九九八年一一月 小 原 誠、 丹 羽 和 彦 ﹁ 分 離 派 風 局 舎 ﹂ と 逓 信 省 営 繕 の 建 築 ︱ 大 正 後 期 の. 旧逓信省電話局庁舎に関する一考察︱上浪朗の作品を中心. 九三三年一〇月三〇日. 7 会、一九八四年一月. 株式会社エヌ・ティ・ティ・建築総合研究所. 大阪市外電話局. NTT京都中央電話局上分局︱電話局から福利厚. 郵政建築 逓信からの軌跡、建築画報社、二〇〇八年一二. K資料室、建築技術、№三七三、一三一∼一三. 建築技術調査研究資料 電気通信技術史. 五頁、建築技術研究会、一九八二年九月. 今野知則、石原完爾. 月. 日本郵政. 頁、一九八〇年一月. 大 阪 市 外 電 話 局 史 声 を つ な い で 八 十 八 年、 三 四. e、 一一二、二八∼四一頁、建築保全センター、一九九八年三月. 生施設へ、そして史料館からフィットネスクラブ&レストランへ、R. 池田芳樹 ほか二名. 支店、一九九八年一一月三〇日. 話局九段分局、株式会社エヌ・ティ・ティ ファシリティーズ首都圏. 建築記録/東京中央電. 高藤真澄 ほか二名 電気通信技術史料館 旧京都中央電話局上分局 の 再 生・ 保 存、 建 築 技 術、 № 三 八 九、 五 九 ∼ 七 二 頁、 建 築 技 術 研 究. Vol. 19. 逓信省建築に関する研究 その 、日本建築学会計画系論文集、第六 四巻第五一六号、二五七∼二六四頁、一九九九年二月 足立裕司. 広. として、日本建築学会近畿支部研究報告集、計画系︵五一︶ 、八八五∼. 建築家上浪朗の逓信局舎建築作品に関する考察. 八八八頁、二〇 一 一 年 五 月 李 明、 石 丸 紀 興. 12. 近畿電気通信局第一建築部. - 87 -. 島郵便局電話分室と広島逓信局庁舎建築を中心として、日本建築学会. 明 治・ 大 正 期 の 逓 信 建 築 の 研 究 モ ダ ニ ズ ム 期 以 前 の 局 舎. 計画系論文集、第六一〇号、二二一∼二二七頁、二〇〇六年一二月 古山精一. 京 都 市 学 区 大 観、 京 都 市 学 区 調 査 会、 一 八 六 ∼ 一 八 八. と技術者達、古山精一、二〇一三年五月 長塩哲郎 編. 十五万になった大阪電話、共成社印刷株式会社、一. 京都電燈株式会社五十年史、内外出版印刷株式会社、一. 京都市営電気事業沿革誌、内外出版印刷株式会社、一. 頁、一九三七年 八 月 京都市電気局. 九三三年三月 芦高堅作 編. 九三九年一一月 近畿電気通信局. SU式防火装置実地試験を視る、建築雑誌、第三五九号、六. 九五六年四月 編輯員. 九二∼六九三頁 、 一 九 一 六 年 一 一 月. Vol.. 2. 13 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 1. 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11.
(25) 昭和一七年京都商工経済統計年報、六五頁、一九四. 料館開設の記録、建築局標準設計室、№一三、一九八三年一〇月 京都商工会議所. 三年一一月 吉田鉄郎建築作品集、東海大学出版会、. 電気工学ポッケット・ブック、五三三∼五三八. 吉田鉄郎建築作品集刊行会. 一九六八年五月 若 目 田 利 助、 高 津 清. 京都電話番号簿大正十三年九月十五日現在、金谷嘉. 自活の出来る女子の職業、八六∼九一頁、洋光社出版部、一九. 頁、建築書院、 一 九 一 八 年 六 月 春陽. 一七年五月 京都中央電話局. 最近電気学の講話、二〇六∼二〇七頁、実業之日本社、一. 逓信省. 下関市指定有形文化財旧逓信省下関電信局電話. 逓信事業史第七巻、逓信協会、一九四〇年一二月. 文化財保存計画協会. 課庁舎︵下関市立近代先人顕彰館︶保存活用整備工事報告書、四三∼. 誰にもできる蓄電池及充電器製作法附取扱法、二. 四四頁、下関市、二〇一〇年三月 大日本電気研究所. 八五∼三一七頁、大日本電気研究所、一九一八年八月. NTTファシリティーズ CUP 西陣産業創造会舘︵旧京都中央電 話局西陣分局舎︶ 、新建築、第九四巻三号、一二二∼一二九頁、株式会. 復刻版近代建築画譜︵近畿辺︶ 、一四頁、二〇〇七年六. 社新建築社、二〇一九年三月 橋爪紳也監修 月. ︵のむら なおき 関西大学大学院理工学研究科/ にしざわ ひでかず 関西大学環境都市工学部︶. 被爆建造物調査研究会、ヒロシマの被爆建造物は語る 未来への記録 周年、八〇∼八一頁、広島平和記念資料館、一九九六年三月 被爆. 50. 右衛門、一九二 四 年 一 二 月 関口定伸. 九二五年一一月 簡明電気機械、斯文書院、一. 日本電池株式会社二十年史、八〇∼八一頁、日本. 日本技能教育研究会第一一分科研究部. 九四四年八月 日本電池株式会社. 電気の知識、博文館、一六三頁、一九二六年一〇月. 電池株式會社、 一 九 三 七 年 四 月 槇野年正. 最新電話前編、一四一∼一四二頁、電気の友社、一九二五. 職業婦人を志す人のために、一四三∼一四七頁、現人社、. 道田貞治. 年九月 河崎ナツ. 現代女子職業読本、一二∼二三頁、経済知識社、一九三. 一九三二年一二 月 経済知識社. 五年三月. - 88 -. 36 35 37. 38. 39. 40. 23 24 25 26 27 28 29 30 32 31 33 34.
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社会調査論 調査企画演習 調査統計演習 フィールドワーク演習 統計解析演習A~C 社会統計学Ⅰ 社会統計学Ⅱ 社会統計学Ⅲ.
ⅰ.計装ラック室,地震計室(6 号炉) ,感震器室(7 号炉) ,制御
6号炉及び7号炉 中央制御室 非常用ディーゼル発電機 GTG ※2
6号及び7号炉 中央制御室 非常用ディーゼル発電機 GTG ※2
事務局 山崎 健二 高岡市福岡駅前まちづくり推進室室長 橘 美和子 高岡市福岡駅前まちづくり推進室主幹 松嶋 賢二 高岡市福岡駅前まちづくり推進室技師
柏崎刈羽原子力発電所6号及び7号炉においては, 「実用発電用原子炉及びその附 属施設の位置、構造及び設備の基準に関する規則」 (以下,
KK67-0012 改02 資料番号. 柏崎刈羽原子力発電所6号及び7号炉審査資料
(約 1,700m) ,換気設備及び電源設備を 6 号炉,7 号炉中央制御室から独立させ,6 号