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弥生時代中部高地における黒曜石石材流通の復元

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研 究 ノー ト

弥 生 時代 中部 高地 にお け る黒 曜石 石 材 流 通 の 復 元

馬場伸

一 郎

は じめ に I.研 究史 と問題 の所 在 II.黒 曜石 石 材 の原 産 地 組 成 III.消 費 地 遺 跡 に お け る原 産 地 系 列 別 石 器 製 作 IV.黒 曜石 石 材 の 集 積 V.黒 曜石 石 材 中継 集 落 の存 否 VI.考 察 お わ りに 論 文 要 旨 弥 生 時 代 の 石 器 生 産 ・流 通 論 は そ の 開 始 か らそ の 後 の 変 化 に分 析 の 視 角 が集 中 す る一 方 で,生 産 ・流通 出現 前 段 階 に あ る物 資 の流 通 との 関連 性 に つ い て は 必 ず し も充 分 な研 究 が な され て い る と は 言 えな い。 本 稿 の分 析 地 域 と した 中部 高 地(長 野 ・山梨 県 域)の 特 に長 野 盆 地 南 部 で は 弥 生 中期 後 葉 以 後,特 定 遺 跡 に お いて 労 働 力 を集 約 化 した 石 器 生 産 と流 通 と,日 本 海 沿 岸 地 域 か らの 玉 類 の 流 通 が 明瞭 で あ る。 一 方,縄 文 時 代 か ら弥 生 時 代 中 期 後 葉 の 間 に は 黒 曜石 石 材 の流 通 が認 め られ る。 そ れ 故,異 種 の物 資 流 通 を比 較 検 討 す る の に 中 部 高 地 は格 好 の地 域 で あ る。 しか し,弥 生 時 代 の 黒 曜 石 研究 で は,原 産 地 の 利 用 実 態,石 材 中 継集 落 の 有 無,原 産 地 遺 跡 と消 費 地 遺 跡 の 石材 流 通 上 の 関 係 等,多 くの事 柄 が未 解 明 で あ り,石 材 流通 の 実 態 を復 元 す る こ とが ま ず必 要 で あ る。 そ れ を本 稿 の 目的 と した。 分 析 の 結果,(1)弥 生 中期 後 葉 栗 林 期 に 原 産 地 組 成 に 明 瞭 な変 化 が あ り,諏 訪 星 ケ 台 系 の 石 材 に加 え,和 田 和 田峠 系 の石 材 が一 定 量 組 成 す る こ と,(2)弥 生 中 期後 葉 は 原産 地 組 成 が変 化 す る時 期 であ る と同時 に,佐 久 盆 地 の例 が示 す よ うに 原 産 地 組 成 が遺 跡 単位 で 多様 化 す る時 期 で あ る こ と,(3)弥 生 中 期後 葉 の 消費 地 遺 跡 で は諏 訪 星 ケ 台 系 ・和 田和 田系 の 双方 の 石 材 が搬 入 さ れ,そ の 大半 は集 落 内 の 石器 製 作 で 消費 さ れ て い る こ と,(4)弥 生 中 期 後 葉 には,屋 外 石 材 集 積 例 の 欠 落,石 材 の 小 形 化, 石 材 出土 量 の減 少 が認 め られ る こ と,(5)弥 生 中 期 後 葉 に は 原産 地 遺 跡 と消費 地 遺 跡 の 間 に 石 材 中継 集 落 が認 め られ な い こ とが判 明 した。 この よ うに変 化 の画 期 の 多 くは弥 生 中期 後葉 に集 中 し,当 該 期 は 原産 地 で の石 材 採 掘 活 動 を含 む 「集 団組 織 的石 材 獲 得 ・流 通 シ ス テ ム」が欠 落 して い る と した。 弥 生 中期 後 葉 の栗 林 期 は 水 田 稲 作 を 基 幹 生業 とす る社 会 変 動 期 で あ り,大 規 模 集 落 の 形 成 ・遺 跡 数 増 加 ・特 定 遺 跡 で労 働 力 を集 約 した 手工業 生 産 に そ れ は象 徴 され る。 そ う した 社会 変 動 と黒 曜 石 石 材 の 流通 の変 化 は無 関 係 で は な く, 管 玉 ・勾 玉 ・磨 製 石 斧 とい っ た交 換 財 が新 た に 登 場 した こ とで,互 酬 性 的 な集 団 関係 維 持 の た め の 交 換 財 で あ った黒 曜 石 石 材 は その 役 目を終 え た と考 え た。 受 付:2006年3月27日 受 理:2006年9月12日 キ ー ワ ー ド 対 象 時代 縄 文 時 代,弥 生 時 代 対 象地 域 長 野,山 梨 研 究対 象 黒 曜 石 原 産 地 推 定 分 析,石 器 製 作 工 程 類 型,石 材 集 積 と遺 跡 分 布

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日本考 古 学 第24号

は じめ に

弥 生 時 代 の 石 器 生 産 と流 通 の 研 究 は,広 域 土 器 編 年 の 整 備 や 遺 跡 調 査 数 の 増 加 に と もな って 近 年 目覚 ま しい 研 究 の進 展 を み せ た 。 石 器 生 産 とは 磨 製 石 斧 や 磨 製 石 庖 丁 とい う木 工 具 ・収 穫 具 を 特 定 の 集 落 で 製 作 す る行 為 を 指 す が,そ の 教 科 書 的 存 在 とい え ば 今 山産 太 形 蛤 刃 石 斧 」・ 「立 岩 産 磨 製 石 庖 丁 」・「結 晶片 岩 製 磨 製 石庖 丁 」(下條1975 ・1983,酒 井1974)で あ る 。 そ して 類 似 す る石 器 生 産 ・ 流 通 が 日本 列 島 各 地 に 存 在 す る こ とを,最 近 十 数 年 の 研 究 は 明 ら か に した(蜂 屋1983,塚 田1987・1990,石 川 1994,安 藤1997,石 黒1997,禰 宜 田1998,高 木1999, 須 藤1999,馬 場2001,町 田2001,荒 井2003,杉 山 2003,土 屋2004,寺 前2006)。 ま た 弥 生 時 代 で は 金 属 器 の 使 用 と石 器 の 生 産 ・流 通 機 構 が併 存 し,金 属器 流 通 の 開 始 と石 器 生 産 ・流 通 機 構 の解 体 の 関 連 が重 要 な 課 題 で も あ る(安 藤1997,禰 宜 田1998)。 一 方,弥 生 時 代 中 期 に 特 徴 的 な 大 規 模 集 落 で 石 器 ・木 器 ・金 属 器 が 集 約 的 ・網 羅 的 に 生 産 され る た め,石 器 生 産 論 は 集 落 論 と も 接 点 を もつ(秋 山 ・仲 原1998,仲 原2000,馬 場2004a)。 そ こ で は 集 落 規 模 の 巨 大 さ に 目を 奪 わ れ が ち な 手 工 業 生 産 論 を 反 省 し,遺 物 出 土 量 ・製 作 工 程 ・集 落 内 出 土 分 布 の 点 検 か ら集 落 を再 評 価 す る特 徴 が あ る。 弥 生 時 代 全 般 の 手 工 業 生 産 を俯 瞰 し た 森 岡秀 人 氏 は,弥 生 時 代 の 分 業 と生 産 の 特 質 を 「ハ イ レベ ル な 生 産 技 能 を 契 機 とす る 専 業 化 の 品 目が 定 着 し,流 通 を も コ ン トロ ー ル す る一 元 的 管 理 の 分 業 生 産 が 芽 生 え て き た 段 階 」と評 価 し た(森 岡 2002,p203)。 こ れ ま で の 研 究 を振 り返 る と,石 器 の 生 産 ・流 通 の 出 現 と そ の 後 の 変 化 に 分 析 の 視 角 が 集 中 す る一 方 で,生 産 ・流 通 出 現 前 夜 の 物 資 流 通 の あ り方 との 比 較 研 究 は 充 分 とは 言 い難 い。 瀬 戸 内 で 竹 広 文 明 氏 が金 山 産 サ ヌ カ イ トの 利 用 を通 史 的 に 考 察 し て い る の が唯 一 に近 く(竹 広 2003),東 日本 で は 皆 無 で あ る。 石 器 の生 産 ・流 通 以 前 と以 後 を 比 較 検 討 す る の に 中 部 高 地 が ふ さ わ し い 理 由 は,石 材 と し て 多 用 さ れ る黒 曜 石 は 蛍 光X線 分 析 を 用 い る こ とで 原 産 地 の 推 定 が 可 能 で あ り,石 材 原 産 地 と石 材 を 消 費 す る集 落 遺 跡(以 下 消 費 地 遺 跡 と省 略)を 線 で 結 ぶ こ とが 可 能 で あ る点,そ して 弥 生 中期 後 葉 に磨 製 石 斧 と 玉 類 の 生 産 ・流 通 体 制 が 新 た に形 成 さ れ る か らで あ る。 長 野 盆 地 南 部 の 榎 田遺 跡 で集 中的 に生 産 され る緑 色 岩 類 製 両 刃 石 斧 と片 刃 石 斧(町 田2000・2001,馬 場2004a・ 2007)は 長 野 県 内 の み な らず 南 関 東 地 方 や 日本 海 沿 岸 に ま で 達 す る(馬 場2001・ 久 田2004)。 ま た 同 時期 に は 日 本 海 側 の佐 渡 島 産 管 玉 が 栗 林 ・松 原 ・中 俣 の 各遺 跡 で 見 られ,長 野 盆 地 北 部 ∼ 南 部 に 流 入 を 開 始 す る(笹 沢2004, 馬 場2006d)。 そ う した 物 資 生 産 ・流 通 体 制 が黒 曜 石 石 材 の 流 通 と同 時 期 併 存 す るあ り方 とな る。 し か し,弥 生 時 代 の 黒 曜 石 石 材 の 獲 得 ・流 通 ・消 費 と い っ た 一 連 の 体 系 的 行 為 は 充 分 に 明 ら か に さ れ て お ら ず,そ の 具 体 的 な 復 元 が 目下 の 課 題 で あ る 。

I.研 究 史 と問 題 の所 在

中 部 高 地 の 代 表 的 な 黒 曜 石 原 産 地 に は,和 田峠 一 帯 に 小 深 沢 ・星 糞 峠 ・高 松 沢 ・牧 ケ 沢 ・ブ ドウ 沢 ・東 餅 屋 ・ 和 田峠 西 ・土 屋 沢 の 各 原 産 地,霧 ヶ峰 一 帯 に星 ケ塔 ・星 ケ 台 ・観 音 沢 ・東 俣 の 各 原 産 地,八 ヶ岳 連 峰 一 帯 に 冷 山 ・麦 草 峠 ・双 子 池 の 各 原 産 地 が 存 在 す る(図1)。 直 線 距 離 に し て お よ そ20kmの 範 囲 で 発 見 さ れ た こ れ ら黒 曜 石 原 産 地 は,旧 石 器 ・縄 文 時 代 の み な らず,水 田稲 作 を基 幹 的 生 業 とす る弥 生 時 代 に も利 用 さ れ る こ とが 原 産 地 推 定 分 析 に よ り明 ら か とな っ て い る。 こ こで は縄 文 ・弥 生 時 代 の 研 究 史 を 中 心 に 整 理 した い 。 黎 明 期 の 研 究 は,鳥 居 龍 蔵 氏 の 『諏 訪 史 』が黒 曜 石 製 石 器 の分 布 を 取 り上 げ た 際,石 材 原 産 地 が 和 田峠 一 帯 に限 定 で き る こ とか ら,交 流 の 指 標 とな りう る こ とを 指 摘 し た こ とに 始 ま る(鳥 居1928)。 八 幡 一 郎 氏 は そ の 研 究 を 受 け 継 ぎ,黒 曜 石 原 産 地 が 日本 列 島 各 地 に存 在 す る こ と を示 し,石 材 の 分 布 か ら石 材 交 易 論 へ と研 究 を 発 展 させ た(八 幡1940・1956)。 ま た 八 幡 氏 は 交 易 論 を 論 じ る に は 特 定 物 資 の 原 産 地 と流 通 の 範 囲 を特 定 す る こ とが 必 要 で あ る とい う 観 点 を 示 し,今 日の流 通 論 の 基 本 的 視 座 を つ くっ た(馬 場1999)。 そ の 後,工 業 用 石 材 採 掘 時 の 発 見 を き っ か け に,藤 森 栄 一 ・中 村 龍 雄 氏 らは 星 ケ 塔 遺 跡 の調 査 を 開始 した 。 そ の 結 果,縄 文 晩 期 前 半 の 土 器 を伴 って 多 量 の 黒 曜 石 原 石 が 黒 曜 石 採 掘 跡 か ら 出土 す る とい う大 きな成 果 を得 た。 これ よ り縄 文 晩 期 以 前 は 周 辺 に散 在 し て い る原 石 を採 取 し,縄 文 晩 期 以 後 は 黒 曜 石 の 採 掘 が 開 始 さ れ,一 帯 が 「鉱 山 」に 変 貌 す る と し た(藤 森 ・中 村1962)。 中 村 氏 は そ の 後 も和 田 峠 ・星 ケ塔 ・霧 ヶ峰 ・鷹 山 の 各 黒 曜 石 原産 地 の 調 査 を継 続 的 に実 施 し,原 産 地 遺 跡 研 究 の 基 礎 を 作 っ た(中 村1977-1978)。 そ う し た 縄 文 時 代 の 調 査 事 例 とほ ぼ 併 行 し て男 女 倉 遺 跡 で は 旧 石 器 時 代 の 原 産 地 遺 跡 の 実 態 が 明 ら か に な りつ つ あ っ た(森 嶋 ・川 上1975)。 ま た,長 門 町(現 長 和 町)教 育 委 員 会 と明 治 大 学 に よ る鷹 山 遺 跡 群 の発 掘 調 査 で,縄 文 草 創 期(戸 沢 ほ か19991)) と縄 文 後 期 中 葉 の 加 曽 利B1期 の 黒 曜 石 採 掘 跡 が星 糞 峠 に お い て 確 認 さ れ(明 治 大 学 鷹 山遺 跡 群 調 査 団1994,図 2・ 写 真1),旧 石 器 時 代 か ら縄 文 時 代 の 原 産 地 遺 跡 と 石 材 消 費 に 関 連 す る集 団 活 動 が 通 史 的 に 検 討 さ れ て い る (小 杉1995・ 安 蒜2002・ 安 蒜 ほ か2005な ど)。 そ う し た考 古 学 的 手 法 の 一 方 で,黒 曜 石 原 産 地 と消 費 地 遺 跡 間 の 関 係 を復 元 す る理 化 学 的 分 析 が試 み られ(鈴

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弥生 時 代 中 部高 地 に お ける 黒 曜 石 石材 流 通 の 復 元 図1黒 曜 石 原 産 地 の 位 置 図2(上)・ 写 真1(右 上)「 星 糞 峠 黒 曜 石 採 掘 址 群 」 鳥 瞰 図 と採 掘 跡 の 現 状 写 真2(右 下)星 ヶ台 遺跡(人 物 立 地 地 点 が 採 掘 跡 と推 定 され る 凹 み)

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日本考古学 第24号 木1969・ 東 村1970・ 鈴 木1980),蛍 光X線 を用 い た 石 材 原 産 地 推 定 法 が そ の 後 定 着 す る(藁 科 ・東 村1983)。 原 産 地 推 定 分 析 を取 り入 れ た 旧 石 器 時 代 の 初 期 研 究 に小 野 昭 ・稲 田 孝 司 両 氏(小 野1975・ 稲 田1984)の 論 考 が あ る が,考 古 学 的 な 遺 物 分 析 と原 産 地 推 定 分 析 の 双 方 が融 合 し画 期 的 研 究 とな っ た の が,望 月 明 彦 ・池 谷 信 之 氏 ら に よ る「一 遺 跡 ・一 文 化 層 ・全 点 分 析 」とい う方 針 に 基 づ い た 沼 津 市 土 手 上 遺 跡 の 研 究 で あ る(望 月 ・池 谷 ほ か 1994)。 旧 石 器 時 代 の 石 器 ブ ロ ッ ク を 材 料 と した そ の 研 究 は,ブ ロ ッ クの 形 成 過 程 に 黒 曜 石 原 産 地 と集 団 が どの よ う に 関 与 す るの か と い う従 来 に な い 分 析 観 点 を 持 ち 込 む 。 ま た,中 部 高 地 か ら関 東 一 帯 の 縄 文 時 代 の黒 曜 石 研 究 で は,長 崎 元 廣(長 崎1984)・ 金 山 喜 明(1993)・ 小 杉 康 (1995)・ 古 城 泰(1996)・ 大 工 原 豊(大 工 原2001・2002 a・2002b)・ 池 谷 信 之(池 谷2003・2005a・2005b)・ 宮 坂 清(宮 坂2002・2004・2005・2006)・ 建 石 徹(建 石 2005)の 各 氏 の 研 究 が特 筆 に値 す る 。 中 部 高 地 一 帯 を 分 析 対 象 と した 大 工 原 豊 氏 は,具 体 的 な 材 料 を 用 いて3段 階 の 石 材 流 通 の あ り方 を復 元 した 。 縄 文 前 期 後 葉 の 諸 磯 b式 新 段 階 以 後,石 材 が和 田 峠 産 主 体 か ら星 ケ塔 産 主 体 へ と変 化 す る こ とを 指 摘 し,ま た 遺 跡 か ら出 土 す る 石 材 集 積 例 を取 り上 げ,そ の 分 布 と時 期 の 偏 りか ら交 易 体 制 や 集 団 組 織 の 変 化 を 追 究 し た。 ま た宮 坂 清 氏 は 原 産 地 遺 跡 で あ る星 ケ 塔 遺 跡 ・星 ケ 台遺 跡(写 真2)・ 東 俣 遺 跡 の 発 掘 調 査 を 行 い(宮 坂 ・田 中2001),黒 曜 石 岩 脈 を 狙 っ た 当 時 の採 掘 活 動 を星 ケ 塔 遺 跡 の 調 査 で追 認 した。ま た, 縄 文 時 代 前 期後 葉 ∼ 末 葉 が 星 ヶ台 産,縄 文 晩 期 で は 星 ケ 塔 産 とい う よ うに,主 体 とな る原 産 鞄 が 時 期 ご とに 異 な る可 能 性 が あ る と指 摘 した(宮 坂2005,p17)。 そ して, 駿 河 湾 ・伊 豆 半 島 ・南 関 東 地 方 に お け る縄 文 前 期 ∼ 晩 期 の 遺 跡 を分 析 対 象 と した 池 谷 信 之 氏 は,縄 文 中 期 後 葉 ま で は 神 津 島 産 黒 曜 石 が 主 体 で あ り,中 期 末 か ら後 期 に か け て 次 第 に 和 田 峠 や 星 ケ 塔 ・星 ケ 台 な ど の い わ ゆ る 「信 州 系 黒 曜石 」の 占 め る比 率 が 高 くな る こ と指 摘 した 。 こ の よ うに 原 産 地 推 定 分 析 を 援 用 す る こ とで,旧 石 器 ・縄 文 時 代 の 原 産 地 遺 跡 側 と消 費 地 遺 跡 側 の 対 応 関 係 が 次々 と明 らか に な る こ と と対 照 的 に,弥 生 時 代 で は 原 産 地 推 定 分 析 を 考 古 学 的 手 法 に 応 用 した 研 究 例 が長 ら く 皆 無 に等 し い 状 態 で あ った 。 最 近,杉 山 浩 平 氏 と池 谷 氏 は 駿 河 湾 ・伊 豆 半 島 ・南 関 東 地 方 の18遺 跡 の 原 産 地 分 析 結 果 を 公 表 し,神 津 島 産 と信 州 系 の 組 成 比 が 時 間 の 推 移 と と も に変 動 す る点 を 指 摘 した(杉 山 ・池 谷2006a・ 2006b)。 ま た 筆 者 は,望 月 明 彦 氏 と共 同 で 実 施 し た 中 部 高 地 北 部4遺 跡 と,長 野 ・山 梨 両 県 域 で既 に実 施 され た 原 産 地 推 定 分 析 結 果 を も とに,弥 生 中 期 後 葉 の 栗 林 期 に消 費 地 遺 跡 の 原 産 地 組 成 が 大 き く変 化 す る こ とを 指 摘 し た(馬 場 ・望 月2006)。 そ の 詳 細 に つ い て は,次 章 に て 触 れ る こ と に した い 。 この よ うに 弥 生 時 代 で も原 産 地 推 定 分 析 を 取 り入 れ た 研 究 が 最 近 に な り よ うや く登 場 し た が,原 産 地 推 定 結 果 を応 用 し た 研 究 は ま だ 途 に つ い た ば か りで あ る。 原 産 地 利 用 の 実 態 を は じ め,石 材 流 通 を 中 継 す る集 落(以 下, 石 材 中 継 集 落 と省 略)の 有 無,消 費 地 遺 跡 の 石 器 製 作 か らみ た 原 産 地 遺 跡 との 関連 等,石 材 流 通 の 実 態 を具 体 的 に復 元 す る の に必 要 な 諸 様 相 が判 然 と して い な い。 そ の 解 明 を本 稿 の 目的 と した い 。 表1望 月 明 彦 氏 の判 別 群 とエ リアー 系 の 対 応 関係

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弥生 時代 中部高地 における黒 曜石石材流通の復元

II

.黒 曜石石 材 の原 産地組成

こ こ で 触 れ る原 産 地 推 定 分 析 の 結 果 の一 部 は,分 析 対 象 資 料 の 抽 出条 件 や 原 産 地 推 定 の 判 別 方 法 の 説 明 を 含 め,別 稿 に て 分 析 者 の 望 月 氏 と と も に 公 表 して い る(馬 場 ・望 月2006)。 望 月 明 彦 氏 の 原 産 地 推 定 方 法 は,現 産 出地 お よ び 採 掘 跡 が 検 出 さ れ た 原 産 地 遺 跡(本 稿 で は 両 者 を 含 め 「原 産 地 」と呼 ぶ)で 採 取 した 黒 曜 石 原 石 に 蛍 光 X線 分 析 を 実 施 し,Rb・Sr・Y・Zr・K・Fe・Mnの 計 7元 素 のX線 強 度 の 比 を 用 い て 「判 別 図 」を 作 成 す る。 「判 別 図 」とは い わ ば 類 似 す るX線 強 度 比 の 集 合 を 示 す も の で あ る。 これ が ま ず 諏 訪 星 ケ 台 群 や 和 田鷹 山 群 な ど 「判 別 群 」とい わ れ る実 態 で あ る 。 次 に 同様 の 方 法 で 遺 物 を測 定 し,遺 物 のX線 強 度 比 が 「判 別 群 」の ど こ に 近 い の か を マ ハ ラ ノ ビ ス 距 離 を 使 用 し判 定 す る。 そ の 結 果,第 一 ・第 二 の 判 別 群 候 補 を 決 定 す る そ う し た原 産 地 推 定 分 析 の 結 果 を考 古 学 的 手 法 に援 用 す る場 合 注 意 しな け れ ば な らい な の は,例 え ば あ る石 器 の第 一 候 補 産 地 が和 田鷹 山 群 で あ っ た場 合,そ れ が100 %の 確 率 で黒 曜 石 採 掘 跡 が発 見 さ れ た 星 糞 峠 産 の 石 材 で あ る とは 限 らな い 点 で あ る(小 林1999)。 和 田 小 深 沢 群 と和 田 鷹 山群 とい う判 別 群 の産 地 は鷹 山 ・小 深 沢 ・東 餅 屋 ・丁 子 御 領 等 が 該 当 し,小 深 沢 産 の黒 曜 石 が和 田鷹 山 群 と判 別 さ れ る こ と もあ れ ば,星 糞 峠 な ど鷹 山地 区 産 出 の黒 曜 石 が和 田 小 深 沢群 と判 別 さ れ る 可 能 性 もあ る。 和 田高 松 沢 ・和 田牧 ケ 沢 ・和 田 ブ ドウ沢 の 判 別 群 も同様 で あ る。 す な わ ち,一 つ の 原 産 地 が 複 数 の判 別 群 と結 び つ く関 係 に あ り,判 別 群 が 黒 曜 石 採 掘 跡 な ど特 定 の 遺 跡 に 直接 結 び つ くとは 必 ず し も言 えな い2)。 そ の 点 に留 意 し つ つ 原 産 地 推 定 結 果 を 効 果 的 に 用 い る た め に は,判 別 群 と原 産 地 が 対 応 す る レベ ル で考 古 学 的 手 法 に 推 定 結 果 を援 用 す る こ とで あ る 。 例 え ば一 つ の 原 産 地 が 複 数 の判 別 群 と対 応 関 係 を も って し ま う和 田高 松 沢 ・和 田牧 ケ 沢 ・和 田 ブ ドウ 沢 の 場 合 で は,そ れ ら判 別 群 を 包 含 さ せ れ ば 特 定 の 原 産 地 に は絞 れ な い もの の 一 応 対 応 関 係 が成 立 す る。 そ う した 対 応 関 係 を は じめ て も つ最 も低 位 の レベ ル を 本 稿 で は 「系 」と し,望 月 氏 の 「判 別 群 」の 上 位 に分 類 階 層 と し て挿 入 す る3)。 そ の 他 判 別 群 に つ い て も 同様 に系 を挿 入 し,表1の よ う に対 応 関 係 を 成 立 させ た。 ま た 望 月 氏 に倣 い,諏 訪 ・和 田 ・蓼 科 とい う原 産 地 の 地 理 的 位 置 を 基 準 に 「系 」を さ ら に束 ね た 「エ リア 」を用 い,「 エ リア 」一「系 」一 「判 別 群 」とい う 分 類 階 層 を 採 用 す る。 「系 」につ い て は 本 文 で は 「原 産 地 系 列 」と 呼 ぶ こ とに す る。 さ て2006年 の 筆 者 らの 報 告 後 に追 加 さ れ た 原 産 地 推 定 結 果 を 付 け 加 え,表2・ 表3・ 図3を 作 成 した。 そ こ に は長 野 ・山梨 両 県 域 の 縄 文 時 代 前 期 か ら弥 生 時 代 の 原 産 地 推 定 分 析 の 結 果 を 点 数 ・点 数 比 ・重 量 比 で 提 示 して あ る。 分 析 遺 跡 の 測 定 対 象 は,全 点 あ る い は そ れ に近 い 測 定 の 場 合 は 「全 点 」,全 体 の5割 ∼8割 程 度 の 場 合 は 「半 数 以 上 」,半 数 に満 た な い 場 合 は 「一部 」と表 記 す る。 測 定 対 象 に 違 い は あ る が お お よ そ の 傾 向 を つ か む こ とが で き る。 時 代 の 古 い 順 か ら原 産 地 推 定 結 果 の 比 率(こ れ を本 稿 で は 原 産 地 組 成 と呼 ぶ)を 点 検 す る と,縄 文 ・弥 生 時 代 を 通 じて 両 県 域 と も諏 訪 星 ケ 台 系 の石 材 が 点 数 比 で8割 以 上 を 占 め る(図3)。 し か し,そ う した 傾 向 が 一 変 す る の が 弥 生 中期 後 葉 の栗 林 期 で,分 析 を 実 施 した 多 くの 遺 跡 で 和 田 エ リア(和 田 和 田 峠 系 ・和 田 男 女 倉 系)が 点 数 比 ・重 量 比 と も一 定 の 割 合 で 含 ま れ る 。 そ れ は 点 数 比 に して,茅 野 市 家 下 遺 跡 で21.8%(半 数 以 上 分 析),上 伊 那 の 箕 輪 遺 跡 で36.3%(半 数 以 上 分 析),佐 久 盆 地 の 西 一 本 柳 遺 跡 で38.6%(全 点 分 析),同 後 家 山 遺 跡 で8.5%(全 点 分 析)で あ る(表2)。 重 量 比 で は 家 下 遺 跡 で28.2%,箕 輪 遺 跡 で49.0%,西 一 本 柳 遺 跡 で54,6%で あ る(表3)。 ま た 一 部 資 料 の 分 析 に 留 ま っ て い る が,佐 久 盆 地 の 根 々 井 芝 宮 遺 跡 で は 点 数 比 に して21.3%,重 量 比 に し て61.1 %の 蓼 科 エ リア の 石 材 が 組 成 して い る 。 な お,長 野 盆 地 南部 の 栗 林 期 集 落 か ら出 土 す る黒 曜 石 石 材 は 限 定 さ れ た 原産 地 推 定 分 析 に留 ま り,遺 跡 全 体 の 傾 向 を示 す もの で は な い 。 参 考 ま で に 結 果 を示 して お く と,松 原 遺 跡 で は21点 中20点 が 星 ケ塔 産 で1点 が 和 田 峠 小 深 沢 産4),榎 田遺 跡 で は8点 全 て が 星 ケ 塔 産5),篠 ノ 井 遺 跡 群 で は6点 全 て が 星 ケ塔 産6)と い う結 果 で あ る。 そ れ ら分 析 結 果 を 本稿 の 原 産 地 表 記 に変 換 す る と,諏 訪 星 ケ 台 系 と和 田和 田 峠 系 の 二 つ の 原 産 地 系 列 に 該 当 す る。 松 本 盆 地 の 栗 林 期 集 落 に は 分 析 が 行 わ れ て い な い 。 こ う し た分 析 結 果 を 遺 跡 の位 置 関 係 か ら見 直 す と,弥 生 中 期 後 葉 の 原 産 地 組 成 の 変 化 は 特 定 地 域 の現 象 で は な く,佐 久 ・茅 野 ・上 伊 那 の複 数 地 域 で 認 め られ る(図4)。 な か で も分 析 遺 跡 数 が 充 実 す る佐 久 盆 地 で は,諏 訪 星 ケ 台 系 主 体 か ら和 田 エ リア が 一 定 量 組 成 す る様 相 が 明瞭 で あ る。 さ て弥 生 時 代 側 の 原 産 地 組 成 の 変 化 とは 別 に,最 近, 長 野 ・山 梨 県 域 以 外 で 縄 文 後 期 ∼ 晩 期 の 原 産 地 推 定 分 析 例 が 増 加 して お り,注 目す べ き結 果 で示 され て い る。 群 馬 県 安 中 市 の 縄 文 後 期(称 名 寺 期 ∼堀 之 内1期)の 大 原 南 遺 跡 で,36点 全 て が 「和 田 峠 小 深 沢 産 」と推 定 さ れ た(井 上 ・建 石2006)。 ま た 蓮 田市 雅 楽 谷 ・桶 川 市 高 井 東 ・川 里 村 赤 城 ・蓮 田市 さ さ らII・ 岡 部 町 原 ケ 谷 戸 ・川 口市 石 神 ・白岡 町 前 田 の 各 遺 跡 の 原 産 地 推 定 分 析 の結 果,後 期 中 葉 の 加 曽 利B期 が 主 体 と な る 雅 楽 谷 ・高 井 東 ・赤 城 ・原 ケ 谷 戸 ・石 神 の 各 遺 跡 に限 っ て,諏 訪 星 ケ 台 群 と 和 田鷹 山 群 の 石 材 が 点 数 比 ・重 量 比 と も ほ ぼ等 し く組 成 す る こ と が 明 ら か とな っ た(上 野 ・望 月2006)。 長 野 ・

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日本考古学 第24号

図3黒 曜石原 産地推 定分析結果 のエ リア別比率

表2黒 曜石原 産地推 定分析結果(点 数比)

表3黒 曜石原産地推 定分析 結果(重 量 比)

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弥生時代 中部高地 におけ る黒曜石石材流通 の復元 山梨 両 県 域 に縄 文 後 期 段 階 の 原 産 地 分 析 例 が 今 日ま で な い点 が,双 方 の 地 域 の 対 応 関 係 を追 究 す る 障 害 とな っ て い る が,星 糞 峠 に お け る加 曽 利B1期 の 黒 曜 石 採 掘 坑 の 検 出 と,群 馬 ・埼 玉 県 域 の 「和 田小 深 沢 産 」・「和 田 鷹 山 群 」の 組 成 率 の上 昇 は 対 応 関 係 に あ る こ とが 予 測 され る。 図 3に 示 し た よ うに 縄 文 前 期 末 以 降 に継 続 して 認 め られ る諏 訪 星 ケ 台 系 主 体 の 組 成 が 縄 文 後 期 の い つ の 段 階 か ら ど こ ま で の 間 変 化 して い るの か は 現 段 階 で は 明 らか に で きな い が,こ の 間 に は い ま ま で とは 異 な る原 産 地 の 構 成 を 考 え る必 要 が あ ろ う。 予 断 が許 さ れ る な らば,宮 坂 清 氏 に よ る採 掘 跡 の 検 出 さ れ た 原 産 地 遺 跡 の 変 遷 観 に基 づ き, 縄 文 前 期 後 葉 ∼ 末 は 星 ヶ台遺 跡,縄 文 後 期 中 葉 は 星 ヶ台 遺 跡 あ る い は 星 ケ塔 遺 跡 に 加 え 星 糞 峠 遺 跡,縄 文 晩 期 前 半 は 星 ケ塔 遺 跡 と い う黒 曜 石 採 掘 跡 の 変 遷 を推 定 す る こ とが可 能 で あ る7)。 し か し,弥 生 時 代 の 採 掘 跡 は い ま ま で の 発 掘 調 査 で 検 出 され ず,原 産 地 で の 石 材 採 掘 活 動 は 不 明瞭 で あ る。 しか し原 産 地 推 定 分 析 の結 果 に従 え ば,原 産 地 一 帯 で の 石 材 の 採 取 行 為 自体 は確 実 に 存 在 し て お り,弥 生 前 期 か ら中 期 後 葉 以 前 の 間 は 星 ケ 塔 あ るい は星 ヶ台 の 石 材 を主 体 的 に 利 用 し,中 期 後 葉 に 和 田 エ リア に 含 ま れ る原 産 地 が 星 ケ 塔 ・星 ヶ台 に加 え併 用 され た と考 え ら れ る8)。 で は,弥 生 中 期後 葉 の 原 産 地 組 成 の 変 化 の 際,消 費 地 遺 跡 側 の石 器 製 作 に変 化 は あ る の だ ろ う か。

III

.消 費地遺 跡 における原産地 系列

別石器製 作

1.石 器製 作 工程 の 類型 化 消 費 地 遺 跡 の 検 討 に あ た って は ま ず 黒 曜 石 石 材 の 消 費 過 程,す な わ ち 石 器 製 作 工 程 を 提 示 す る必 要 が あ る。 こ こ で は 後 家 山 遺 跡 と箕 輪 遺 跡 の 石 器 製 作 工 程 を 提 示 す る。 石 器 製 作 工 程 を 明 示 で き る最 も有 力 な 方 法 は 接 合 資 料 例 で あ る。 し か し接 合 作 業 の 未 着 手 の場 合 や,縄 文 時 代 の 石 器 製 作 が剥 離 ・切 断 とい った 二 次 加 工 に よ り素 材 形 状 を 多 分 に変 化 させ る こ とが 多 い た め,接 合 例 は 意 外 と少 な い 。 し た が って 接 合 作 業 とは 別 な 手 法 で製 作 工 程 の 連 結 の 蓋 然 性 を 高 め な け れ ば な ら な い 。 筆 者 が 接 合 と は 別 に採 用 し た の は 「厚 さ」と「剥 離 発 生 の 型 」で あ る。 素 材 剥 片 の 長 さ ・幅 は 二 次 加 工 に よ り多 分 に変 形 して しま うが,剥 離 の場 合 は 玉 作 りの 施 溝 分 割 な ど と異 な り二 次 加 工 に よ り厚 み が 大 き く減 じ る こ とは な い 。 「剥 離 発 生 図4分 析 遺 跡 の 位 置 ・地 域 と原 産 地 組 成 の 型 」はCotterelとKamminga(山 田 ・志 村1989に て 紹 介)が 指 摘 す る 「コー ン(ヘ ル ッ)・ クサ ビ ・曲 げ 」とい う 3タ イ プ を指 す 。 コ ー ン 型 は 打 点 直 下 に 円錐 とバ ル ブ の 発 達 す る タ イ プ,ク サ ビ型 は 打 点 付 近 に小 さな 階 段 状 剥 離 が 幾 多 も重 な り,バ ル ブ が 発 達 せ ず,リ ソ グ が波 状 形 を 呈 す る こ とが 多 い タ イ プ で あ る。 通 常,石 刃 の 剥 離 で は 前 者 が,両 極 打 撃 で は前 者 と後 者 が 混在 す る(Cotterel・ Kamminga1987,角張2002)。 剥 離 発 生 の 型 と打 点 の 種 類 の 相 関 性 は,後 家 山 遺 跡 で は 出 土 し た剥 片62点 中,コ ーン 型 は 自然 面 打 面48点 ・単 剥 離 面 打 面4点 ・線 状 打 面1点,ク サ ビ 型 は 自然 面 打 面 1点 ・線 状 打 面3点 で あ る 。石 核11点 は 全 て が コー ン型,' 両 極 打 撃 痕 を も つ石 器(こ れ を 両 極 石 器 と呼 ぶ)は5点 が ク サ ビ型 で1点 に コ ーン 型 とク サ ビ型 混 在 タ イプ で あ っ た(馬 場2004c)。 箕 輪 遺 跡 で は,剥 片21点 の うち コ ー ン型 は 自然 面 打 面10点 ・複 剥 離 面 打 面1点 ・線 状 打 面1 点,ク サ ビ 型 は2点 と も線 状 打 面 で あ る。 そ して 石 核15 点 中 コー ン 型 が7点,ク サ ビ型 が8点,両 極 石 器18点 は 全 て が ク サ ビ型 で あ る。 した が って,石 核― 自然 面 打 面 ―コ ー ン 型 と,両 極 石 器― 線 状 打 面― ク サ ビ 型 を有 意 な 関 係 と して 読 み 取 る こ とが で き る。

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日本 考 古 学 第24号 次 に 石 核 か ら剥 離 さ れ た 剥 片,両 極 石 器 か ら剥 離 さ れ た 剥 片(こ れ を 両 極 剥 片 と呼 ぶ)が どの よ う に二 次 加 工 工 程 へ 進 む か を示 した の が 図5で あ る。 そ こで は有 茎 鏃 の 製 作 工 程 を 例 に 挙 げ た 。 残 念 な が ら打 面 の 多 くは 押 圧 剥 離 等 の 二 次 加 工 に よ り消 滅 して お り手 掛 か りを得 る こ と は で き な か っ た が,7の 裏 面 に は ポ ジ テ ィ ブ な 面 が あ り, 8に は 両 面 に ポ ジ テ ィブ な面 が 認 め ら れ た 。 ク サ ビ型 に 特 有 な リン グ が 波 状 を 呈 す るあ り方 は認 め られ ず,7・ 8は コ ーン 型 の 剥 片 で あ る。 そ して7・8は 素 材 の 周 囲 に 押 圧 剥 離 が 加 え られ,な お か つ形 態 お よび サ イズ 的 に も石 鏃 未 成 品 で あ る こ とは 間違 い な い。 石 核 か ら始 ま る 剥 片 剥 離 工 程 が 石 鏃 製 作 工 程 へ 繋 が る こ とは そ う し た 連 続 性 か ら把 握 で き る。 で は,石 器 製 作 工 程 の 連 結 の 妥 当 性 を 検 証 す る も う一 つ の 属 性 と した 「厚 さ」は ど う か。 後 家 山 遺 跡 か ら 出土 し た 剥 片 ・両 極 剥 片 の 厚 さ は3∼7mmの 間 に度 数 が 集 中 す る(図6-1)。 有 茎 鏃 ・凹 基 鏃 の 完 成 品 の 厚 さ が2.5∼ 5.5mm(図6-2),そ の 未 成 品 の 厚 さ が3.5mm∼7mm(図 6-3)の 範 囲 で あ る点 と比 較 す れ ば,剥 片 ・両 極 剥 片 と石 鏃 完 成 品 ・未 成 品 の 度 数 の 集 中 範 囲 は 概 ね 一 致 す る。 一 方,石 錐 ・使 用 痕 剥 片 ・二 次 加 工 の あ る剥 片 とい う石 鏃 以 外 の ツ ー ル の 厚 さ は4.0∼13.0mmの 間 に分 布 し, そ の 一 部 は剥 片 の 度 数 集 中 範 囲外 に あ る(図6-4)。 石 核 か ら剥 離 され た 多 様 な厚 み の あ る剥 片 の 中 か ら器 種 に 適 合 す る素 材 を選 択 し て い た こ とは 充 分 に予 測 で き る こ とで あ る が,図6-1・2・3を 比 較 す る 限 り,剥 片 の 厚 さ と石 鏃 完 成 品 ・未 成 品 の 厚 さ の 度 数 分 布 が 数 多 く一 致 す る こ とか ら,黒 曜 石 石 材 の 消 費 の 多 くは 石 鏃 製 作 へ 向 か った と考 え られ る。 同 様 に 箕 輪 遺 跡 の 各 器 種 の 厚 さ を 比 較 検 討 す る と,剥 片 の 厚 さ は4.5∼7.5mmの 間(図6 -4) ,石 鏃 完 成 品 の 厚 さ は4.0∼5.5mmの 間(図6-5), 石 鏃 未 成 品 の 厚 さ は4.0∼7,5mm(図6-6)の 間 に度 数 が 集 中 す る。 石 錐 ・削 器 ・二 次 加 工 の あ る剥 片 ・使 用 痕 の あ る剥 片 は7.0mmと9.5mm前 後 に 最 頻 値 が あ る(図7-4)。 後 家 山 遺 跡 と 同様 に,剥 片 の 厚 さ と石 鏃 完 成 品 ・ 未 成 品 の 厚 さの 度 数 集 中範 囲 が概 ね 一 致 す る。 この よ う に 後 家 山遺 跡 ・箕 輪 遺 跡 で は,遺 跡 内 で 剥 離 さ れ た 剥 片 の 多 くが有 茎 鏃 ・凹 基 鏃 の 目的 的 剥 片 と して 利 用 さ れ て い る。 そ して 原 石― 石 核― 剥 片― 石 鏃 未 成 品― 有 茎 鏃 ・ 凹 基 鏃 完 成 品 とい う石 器 製 作 工 程 を設 定 す る こ とが 資 料 的 に妥 当 で あ る こ とを示 せ た もの と思 う。 次 に,設 定 した 石 器 製 作 工 程 を黒 曜 石 原 石 の 獲 得 と消 費 とい う観 点 か ら捉 え 直 し た場 合,そ う した 諸 行 為 と直 接 結 び つ くよ う な 器 種 組 成 を類 型 化 す る こ とは 有 効 な 手 段 で あ る。 まず,石 核 ・剥 片 ・石 器 未 成 品 ・石 器 完 成 品 の 器 種 で 構 成 さ れ,剥 片 石 器 製 作 の た め の 剥 片 剥 離(素 材 とな る剥 片 を 石核 か ら剥 離 す る行 為)と 二 次 加 工(素 材 剥 片 か ら ツ ー ル を 作 る た め の 加 工,例 え ば 押 圧 剥 離)が 完 全 復 元 で き る 石 器 群 をA類 型 とす る 。 す な わ ち,一 連 の 剥 片 石 器 製 作 工 程 が 復 元 で き る類 型 で あ り,石 核 ・ 剥 片 ・石 器 未 成 品 の3器 種 が セ ッ ト とな る こ とがA類 型 の 条 件 で あ る。 そ の場 合,原 石 は充 分 条 件 で あ る 。 な ぜ な ら原 石 だ け で は 剥 片 剥 離 の 存 在 を 示 し た こ,とに は な らな い た め で,剥 片 剥 離 に は石 核 の 存 在 が必 要 条 件 とな る 。 次 にB類 型 は 器 種 が 単 体 あ る い は 複 数 で 構 成 さ れ る 石 器 群 で あ り,1集 落 内 で石 器 製 作 工 程 が 完 全 に 復 元 で き な い 。 完 全 復 元 で きな い背 景 に は,石 核 や 素 材 剥 片 の 再 搬 出 とい う行 動 的 パ ター ン も考 え られ る が,集 落 が 全 域 調 査 され て い な れ け れ ば 資 料 的 に 不 完 全 さ を残 す の も ま た 当 然 の こ とで あ る。B類 型 の 意 味 を一 元 論 的 に決 定 す る こ とは で き な い た め,本 稿 で は こ れ 以 上 議 論 を 進 め な い。C類 型 は 原 石 の み で 構 成 さ れ るパ ターン で あ る 。 さ てAか らCの 各 類 型 を 原 産 地 系 列 に 適 用 す る こ と で,原 産 地 別 に 原 石 の 獲 得 か ら消 費 に 至 る実 態 を復 元 す る こ とが 可 能 とな る。 そ れ は,原 産 地 と石 器 製 作 者 の 関 係 性 を 「石 器 製 作 の 行 為 」とい う観 点 か ら結 び つ け る 有 効 な 分 析 で あ る。 な お そ の 分 析 に は か な らず し も全 点 の 原 産 地 推 定 分 析 の 必 要 は な い 。 出 土 石 器 の 量 が 千 点 近 く と も な れ ば 全 点 分 析 は 時 間 的 ・経 費 的 に 不 可 能 な 状 況 とな る。 可 能 な 限 りの 全 点 分 析 は志 向す べ き こ とで あ る が, 一 定 の選 択 条 件 を設 け,点 数 を 限 定 す る分 析 手 法 も他 力 必 要 とな ろ う。本 稿 のA∼Cの 類 型 化 で あ った ら,原 石 ・ 石 核 ・二 次 加 工 を 有 す る全 て の 器 種(未 成 品 ・完 成 品 双 方)を 優 先 的 に全 点 分 析 す れ ば 類 型 化 は 可 能 で あ る。 類 型 化 に よ り,特 に 出土 数 の 多 い 剥 片 の 分 析 数 を 数 量 的 に 抑 え る こ とが 可 能 とな る。 で は 以 下,弥 生 中 期 後 葉 の遺 跡 か ら時 期 を 遡 りつ つ,原 産 地 系 列 別 に石 器 群 組 成 を 点 検 し,石 器 製 作 工 程 の 類 型 化 分 析 を 開 始 した い 。 2.分 析 (1)佐 久 市 後 家 山 遺 跡(表4・ 図5) 佐 久 盆 地 東 部 の後 家 山遺 跡 は 沖 積 地 との比 高 差 約86m の 丘 陵 上 に立 地 す る 。弥 生 中 期 ∼後 期 の 集 落 遺 跡 で あ り, 中 期 後 葉 栗 林 期 の住 居 跡2軒 と囲 郭 溝 が 検 出 さ れ た 。 黒 曜 石 製 石 器 群 の 大 半 は,囲 郭 溝 覆 土 下 層 か ら栗 林 式 土 器 と とも に 出 土 した(冨 沢 ほ か2004)。 原 産 地 推 定 分 析 の 測 定 条 件 は 「全 点 」で あ る。(望 月2004a)。213点 中, 195点(91,5%)が 諏 訪 星 ケ 台 系,14点(6.6%)が 和 田 和 田 峠 系,1点(0.5%)が 和 田 男 女 倉 系,3点(1.4%)が 蓼 科 冷 山 ・双 子 池 系 で あ った 。 次 に 原 産 地 系 列 別 に 石 器 群 組 成 を 点 検 す る と,最 も出 土 量 の 多 い諏 訪 星 ケ 台 系 は原 石 ・石 核 ・剥 片,石 鏃 完 成 品 や未 成 品(6∼12)等,剥 片剥 離 と二 次 加 工 の 存 在 を 示 す 資 料 が 出 土 す る た め,A類 型 で あ る 。 次 に 和 田和 田 峠 系 は 有 茎 鏃1点(13)・ 凹 基 鏃6点(15・16)・ 石 鏃 未 成 品1点(14)・ 石 錐3点 ・剥 片1点 で 構 成 さ れ,B類 型 で

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弥 生 時 代 中 部 高 地 に お け る黒 曜 石 石 材 流通 の 復 元 あ る。 和 田 男 女 倉 系 は 有 茎鏃 (17)の み のB類 型,蓼 科 冷 山 ・双 子 池 系 は 原 石 ・有 茎鏃 ・石 錐 各1点 のB類 型 で あ る。 後 家 山遺 跡 に は諏 訪 星 ケ台 系 の 石 材 が 原 石 の状 態 で 大 量 に搬 入 さ れ,集 落 内 で 有 茎鏃 ・石 錐 な どが 製 作 さ れ て い る。 そ れ 以 外 の 石 材 は 全 体 的 に 少数 派 で あ る。 (2)佐 久 市 西 一 本 柳 遺 跡 (表5) 西 一 本 柳 遺 跡 は 佐 久盆 地 の 中 心 部 を 流 れ る 湯 川 右 岸 の 河 岸 段 丘 上 に あ る 集 落 遺 跡 で あ る。 北 西 の 久 保 遺 跡.五 里 田 遺 跡 と と も に 佐 久 盆 地 の 大 規 模 集 落 を 構 成 す る遺 跡 で あ る。 西一 本 柳 遺 跡 の 南 側 か ら 中期 後 葉1期 のV字 形 の 溝 が 弧 状 に 検 出 さ れ,環 濠 と して の 機 能 が 推 定 さ れ る(小 林 1999,森 泉2003.2004a・ 2004b・2005)。 時 期 は 栗 林 2式 新 段 階 を 主 体 し,後 家 山 遺 跡 と主 体 とな る時 期 が 概 ね 一 致 す る 。 原 産 地 推 定 分 析 の 測 定 対 象 は 「全 点 」で あ る 。 140中,86点(61.4%)が 諏 訪 星 ケ 台 系,43点(30.7%)が 和 田和 田 峠 系,1点 が和 田 男 女 倉系(0.7%),10点(7.1%)が 浅 間 千 ケ 滝 系 で あ る(望 月 2005b)。 諏 訪 星 ケ 台 系 は 原 石4点 ・ 石 核8点 の ほ か 剥 片 ・各 種 石 器 ・石鏃 未 成 品 で 構 成 さ れ,A類 型 に 該 当 す る 。 ま た,和 田 和 田 峠 系 は 原 石5 点 ・石 核2点 の ほ か 各種 石 器 お よ び 石鏃 未 成 品 で 構 成 さ れ,A類 型 で あ る。 和 田 男 女 倉 系 は 剥 片 の み のB類 型, 浅 間 千 ケ 滝 群 の 石 材 は 原 石 の み のC類 型 で あ る。 こ の よ う に諏 訪 星 ケ台 系 の 石 材 を 最 も多 用 す る点 は 後 家 山遺 跡 と共 通 す るが,一 方 で 和 田 和 田峠 系 の 比 率 が 高 い。 後 家 山 遺 跡 とは 同 じ佐 久盆 地 の 同 時 期 遺 跡 で あ りな が ら原 産 地 組 成 の 比 率 に 大 きな 違 い が み られ る。 (3)佐 久市 根 々井 芝 宮 遺 跡 西 一 本 柳 遺 跡 と同 じ く湯 川 流 域 の 集 落 遺 跡 で あ り,湯 川 右 岸遺 跡 群 の 対 岸 の 河 岸 段 丘 上 に あ る(羽 毛 田1998)。 栗 林1式 一2式 新 段 階 の 竪 穴 住 居 跡 が 認 め られ,主 体 は 栗 林2式 新 段 階 で あ る。 本遺 跡 は 原 産 地 産 地 分 析 が 実 施 さ れ て い る が(望 月2004a),そ れ は 検 出 さ れ た 栗 林 期 の 竪 穴 住 居 跡21軒 の うち わ ず か1軒 で,な お か つ土 器 内 貯 蔵 の60点 に 分 析 が 限 定 さ れ て い る。 そ の た め 遺 跡 全 体 の 傾 向 を示 す デ ー タで は な い 。 こ こで は 予 測 さ れ る 集 落 内 石 器 製 作 の 様 相 を 触 れ る に 留 め る。 Y25号 住 居 跡 の 壺No.3は 栗 林2式 新 段 階 の 壺 で あ り, 原 産 地 系 列 別 石 器 群 組 成 は 諏 訪 星 ケ台 系 が 原 石4点 ・石 核6点 ・剥 片28点 ・両 極 石 器5点 ・ 二次 加 工 剥 片4点 の 合 計47点 で あ り,A類 型 に 近 い 構 成 で あ る。 そ の 一方, 蓼 科 冷 山 ・双 子 池 系 は 原 石8点 ・石核1点 ・剥 片3点 ・ 両 極 石 器1点 の 合 計13点 で 構 成 さ れ,石 器 製 作 工 程 の 前 半 に 相 当 す る剥 片 剥 離 中 心 の 組 成 で あ る。 ツー ル の 原 産 図5原 産地 系 列 別 に み た 後 家 山 遺 跡 の 石 器 製 作 工 税

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日本 考 古 学 第24号 1.後 家 山 剥 片 の 厚 さ 2.後 家 山 石 鏃 完 成 品 の 厚 さ 3.後 家 山 石 鏃 未 成 品 の 厚 さ 4.後 家 山 石 鏃 以 外 の 石 器 の 厚 さ 5.箕 輪 剥 片 の 厚 さ 6.箕 輪 石 鏃 完 成 品 の 厚 さ 7.箕 輪 石 鏃 未 成 品 の 厚 さ 8.箕 輪 石 鏃以外の石器 の厚 さ 図6後 家 山遺 跡 ・箕 輪 遺 跡 出 土 の 黒 曜 石 製 石 器 群 の 厚 さ 地 分 析 が 実 施 さ れ て い な い た め 憶 測 の 域 は で な い が,双 方 の 原 産 地 系 列 と も集 落 内石 器 製 作 の 存 在 を示 すA類 型 で あ る可 能 性 が高 い 。 (4)上 伊 那 郡 箕 輪 遺 跡(表6) 箕 輪 遺 跡 は 天 竜 川 右 岸 に 近 い 自然 堤 防 上 の 集 落 遺 跡 で あ る。 栗 林2式 新 段 階 の 分 布 範 囲 の 最 南 端 に あ り,竪 穴 住 居 跡 が11軒 と,弥 生 後 期 の 竪 穴 住 居 跡 が12軒 検 出 さ れ た(市 川2005)。 原 産 地 分 析 の 測 定 対 象 は 「全 点」で あ る。 256点 中,140点(54.7%)が 諏 訪 星 ケ 台系,91点(35.5%) が 和 田 和 田 峠 系,2点 が 和 田 男 女 倉 系(0.8%),23点 (9.0%)が 未 発 見 原 産 地 の 石 材 で あ る(望 月2005a)。 和 田 エ リア の 比 率 が 約4割 で あ り,い ま ま で の触 れ た 遺 跡 の な か で は 最 も 高 い 比 率 を 占 め る。 諏 訪 星 ケ 台 系 は 最 も出 土 量 が 多 く,原 石2点 ・石 核6点 ・ 剥 片67点 と 各 種 石 器 ・石 鏃 未 成 品 で 構 成 さ れ るA類 型 で あ る。 和 田和 田 峠 系 は 原 石4点 ・石 核5 点 ・剥 片58点 と各 種 石 器 ・石 鏃 未 成 品 で 構 成 さ れ,こ れ も A類 型 に 該 当 す る。 そ の ほ か 和 田 男 女 倉 系 お よび 未 発 見 産 地 の 石 材 はB類 型 に 該 当 す る。 (5)茅 野 市 家 下 潰 跡(表7) 家 下 遺 跡 は 河 岸 段 丘 上 に あ る集 落 遺 跡 で,中 期 後 葉 の栗 林 期 と後 期 後 半 の 箱 清 水 期 の住 居 跡 が 検 出 され た(小 池1995・ 1996)。 原 産 地 推 定 分 析 の 対 象 は栗 林2 式 新 段 階 の 土 器 が 出 土 し た30号 溝 と25号 住 居 跡 の 石 器 群 で あ る。30号 溝 は 原 石 ・ 石 核 ・二 次 加 工 剥 片 の 全 て を,25号 住 居 跡 は 全 点 を 分 析 の 対 象 と した 。 測 定 対 象 は 「半 分 以 上 」で あ る 。87点 中,諏 訪 星 ケ 台 系 が68点(78,2%),和 田 和 田 峠 系 が18点(20.7%),和 田 男 女 倉 系 が1点(1.1%)で あ っ た 。 石 材 と して 最 も多 く用 い られ る諏 訪 星 ケ 台 系 は 原 石1 点 ・石 核5点 ・剥 片42点 ・両 極 石 器10点 ・石 鏃 未 成 品4 点 の ほ か 石 錐 等 で 構 成 され,A類 型 に該 当 す る 。 和 田和 田 峠 系 は 石 核1点 ・両 極 石 器8点 の ほ か 石 鏃 未 成 品7点 な どで 構 成 さ れ る。 石 器 完 成 品 が 組 成 しな い た め,分 類 上B類 型 と し た が,A類 型 の 可 能 性 も 高 い 。 和 田 男 女 倉 系 はB類 型 で あ る。 (6)松 本 市 境 窪 遺 跡(表8) 本遺跡 以降,栗 林 期以前 の遺 跡 を検討 す る。 境窪遺跡 は長野 県内 では数少 ない中期 中葉の集落 遺跡 であ り,竪

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弥生時代 中部高 地におけ る黒曜石石 材流通 の復元 穴 住 居 跡 ・平 地 式 建 物 跡 ・掘 立 柱 建 物 跡 が 検 出 さ れ た (竹 原 ほ か1998)。 原 産 地 推 定 分 析 は69点 に 対 して 実 施 し(馬 場 ・望 月2006),測 定 対 象 は 「一 部 」で あ る 。 黒 曜 石 製 石 器 群1157点 の1割 弱 の 分 析 数 で あ る。 使 用 痕 の あ る剥 片 を 除 き二 次 加 工 を も つ 石 器 は 全 て 分 析 の 対 象 と し た。 そ して 原 石 ・石 核 は,報 告 書 掲 載 の 資 料 と黒 曜石 集 積 箇 所 出 土 の10点 の 原 石 を分 析 対 象 と し た。 そ の 結 果, 諏 訪 星 ケ 台 系 が67点(97.1%),和 田 和 田 峠 系 が2点(2.9 %)で あ った 。 ま た 黒 曜 石 集 積 箇 所 出 土 の10点 の 原 石 は 全 て 諏 訪 星 ケ台 系 で あ っ た。 原 産 地 系 列 別 の 石 器 群 組 成 は,諏 訪 星 ケ 台 系 が 原石11 点 ・石 核11点 ・剥 片7点 と有 茎鏃24点 ・石 鏃 未 成 品2点 の ほ か 各 種 石 器 で 構 成 さ れ るA類 型 で あ る 。 和 田和 田 峠 系 は 石 器 完成 品 に 限 定 さ れ,B類 型 に該 当 す る。 分 析 数 は 全 体 の1割 弱 で は あ る が,こ れ まで 分 析 し た遺 跡 で は 石 器 完 成 品の 量 に比 例 す る原 石 ・石 核 数 が 出土 し,ま た 本 遺 跡 で は二 次 加 工 を 有 す る全 て の 石 器 を 全 点 対 象 と して 上 記 の傾 向 を 得 て い る た め,分 析 さ れ て い な い石 器 群 の 中 に和 田 エ リア に 該 当 す る石 核 が 含 ま れ る可 能 性 は 低 い と予 測 して い る。 (7)塩 尻 市 下 境 沢 遺 跡(表9) 弥 生 中 期 前 葉 の 平 沢 式 直 前 段 階 の 遺 跡 で あ る(小 口 1998)。 南 北 約120m,東 西 約60mの 調 査 区 か ら計18基 の 土 坑 が 検 出 され た 。 原 産 地 分 析 は95点 に 対 し て実 施 し, 測 定 対 象 は 「半 数 以 上 」で あ る。 二 次 加 工 を 有 す る 石 器 お よび 原 石 ・石核 は全 て 分 析 対 象 と し,剥 片 の 測 定 は一 部 で あ る。 分 析 の 結 果,諏 訪 星 ケ 台系 が92点,和 田 和 田峠 系 が2点 で あ っ た(馬 場 ・望 月2006)。 石 器 製 作 工 程 類 型 は,諏 訪 星 ケ 台 系 が 原 石20点 ・石 核27点 ・両 極 石 器22 点 ・剥 片3点 の ほ か,有 茎 鏃 ・凹基 鏃 等 の 石 器 お よび 石 鏃 未 成 品 で 構 成 さ れ,A類 型 に 該 当 す る 。 和 田 和 田 峠 系 はB類 型 に該 当 す る。 (8)佐 久 市 下 信 濃 石 遺 跡(表10) 本 遺 跡 で は縄 文 晩 期 末 の 氷I式 新 段 階 を 中心 とす る遺 物 ブ ロ ック が 検 出 さ れ た(森 泉 ほ か2006)。 黒 曜 石 製 石 器 群 は817点 出 土 し,そ の うち103点 に対 し原 産 地 推 定 分 析 が 行 わ れ た。 測 定 対 象 は 「一 部 」で あ り,測 定 対 象 の 器 種 は,石 鏃 類 ・使 用 痕 剥 片 ・石 錐 ・石 核 が 全 点,原 石 ・ 剥 片 ・二 次 加工 剥 片 は 一 部 で あ る。 測 定 対 象 が 「一 部 」だ が,石 核 と二 次 加 工 を有 す る石 器 全 て が 分 析 さ れ て い る た め,追 加 分 析 で類 型 に 変 更 が生 じ る こ とは な い 。 分 析 の 結 果,諏 訪 星 ケ 台 系 が102点(99.0%),和 田和 田 峠 系 が1点(1.0%)と い う結 果 で あ っ た(望 月2006)。 諏 訪 星 ケ 台 系 は,原 石2点 ・石 核13点 ・剥 片12点 と,有 茎鏃 ・ 凹 基 鏃 等 の 各種 石 器 と石 鏃 未 成 品 で 構 成 され,A類 型 に 該 当 す る 。 和 田和 田 峠 系 は 凹 基 鏃1点 の み のB類 型 で あ る。 境 窪 ・下 境 沢 の 各 遺 跡 と同 様,A類 型 が 諏 訪 星 ケ 台 系 に 限 定 さ れ るパ ターン で あ る。 こ れ ま で の 各 遺 跡 の 分 析 結 果 を 要 約 す る と,9遺 跡 は い ず れ も諏 訪 星 ケ 台 群 系 の 石 材 出 土 量 が 最 も多 く,な お か つ そ れ は 全 てA類 型 で あ っ た 。 し た が っ て 諏 訪 星 ケ 台 系 の 石 材 が 縄 文 晩 期 末 か ら弥 生 中 期 後 葉 の 間,石 器 製 作 の 原 料 と して 圧 倒 的 多 数 を 占 め て い た こ とが わ か る。 次 に,弥 生 中 期 後 葉 が 和 田 エ リア の 石 材 を一 定 量 伴 う原 産 地 組 成 へ 変 化 す る 転 換 期 で あ る こ とを 前 章 で 指 摘 した が,そ れ と連 動 し て 和 田 和 田 峠 系 の 石 材 がA類 型 とな る遺 跡 が 西 一 本 柳 ・箕 輪 の 各 遺 跡,そ し て そ の 可 能 性 が 高 い遺 跡 に 家 下 遺 跡 が あ る。 一 方,同 じ佐 久 盆 地 内 の 同時 期 で あ りな が ら も後 家 山 遺 跡 と西 一 本 柳 遺 跡 で は和 田 エ リア の組 成 率 が 点 数 比 に し て 約30%の 違 い が あ る。 ま た根々 井 芝 宮 遺 跡 で は後 家 山 ・西 一 本 柳 の 各 遺 跡 で は 出 土 の 認 め られ な か った 蓼 科 冷 山 ・双 子 池 系 の 石 材 が 多 数 伴 って い た 。 す な わ ち,弥 生 中期 後 葉 は 地 域 単 位 で は な く遺 跡 単 位 で 原 産 地 組 成 が 多 様 化 す る 時 期 で あ る。 次 に,い ず れ の 原 産 地 系 列 の石 材 に も共 通 す る点 は, 器 種 が 極 端 に 偏 る例 や,特 定 の器 種 と有 意 な 結 び つ き が 認 め られ な い こ とで あ る。 石 器 完 成 品 の み とい う例 は 少 な か らず 認 め られ た が,原 石 ・石 核 ・剥 片 とい う剥 片 剥 離 工 程 に該 当 す る器 種 と,石 器 未 成 品 な ど二 次 加 工 工 程 に 該 当 す る 器 種 の 出 土 量 の い ず れ か が 極 端 に 多 い傾 向 は,西 一 本 柳 遺 跡 の 浅 間 千 ケ 滝 群 の 原 石10点 を 除 き認 め られ な い 。 前 者 と後 者 の 出 土 量 は 概 ね 比 例 関 係 にあ る。 な お 浅 間 千 ケ 滝 群 の 黒 曜 石 は 著 し く夾 雑 物 を含 み,石 材 と して は 明 らか に不 適 切 な も の で あ る。 した が って 石 器 製 作 の 材 料 とは 考 え られ な い 。 した が っ て,原 産 地 か ら獲 得 した 石 材 を保 管 ・加 工 後, 再 度 集 落 遺 跡 か ら石 器 あ るい は 原 石 ・石 核 ・剥 片 の 状 態 で搬 出 し て い る可 能 性 は 完 全 に は 否 定 で きな い が,剥 片 剥 離 工 程 に 該 当 す る器 種 と二 次 加 工 工 程 に該 当 す る器 種 の 量 が 概 ね 比 例 関 係 にあ る こ とか ら,一 度 搬 入 した 石 材 の大 半 は集 落 内石 器 製 作 で 消 費 され て い る と考 え る ほ う が 自然 で あ る。 そ う した あ り方 は,弥 生 中期 後 葉 に和 田 和 田 峠 系 の 石 材 が 一 定 量 組 成 して も変 化 す る こ とはな か っ た 。 この よ う に消 費 地 遺 跡 の 石 器 群 組 成 か ら原 産 地 との 関 係 性 が 把 握 で きた と ころ で,原 産 地 か ら消 費 地 の 遺 跡 へ と石 材 は どの よ うに 運 搬 され た の か。 縄 文 時 代 との 違 い は あ るの か,そ の 点 を次 に検 討 して み た い。

IV.黒曜石石材の集積

黒 曜 石 石 材 の 運 搬 の検 討 に あ た っ て,注 目 した いの は 原 産 地 遺 跡 周 辺 で認 め られ る石 材 の 集 積 例 で あ る。 ここ で い う集 積 とは 「集 合 状 態 で 出土 し た黒 曜 石 製 遺 物 」で あ り,器 種 組 成 は 問 わ な い こ とに す る 。 た だ し石 器 製 作 の

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日本考 古学 第24号 表4後 家 山遺跡の原産地系列 別石器群組成 表5西 一本柳遺跡の原産地系列 別石器群組成 表6箕 輪遺跡 の原 産地系 列別石器群組成 表7家 下遺 跡の原産地系列別石器群組 成 表8境 窪遺 跡の原産地系列別石器群組 成 表9下 境沢柳 遺跡の原産地系列 別石器 群組成 表10下 信 濃石遺跡の原 産地系 列別石器群組成

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弥生時代中部高地に おける黒 曜石 石材流通の復元 結 果,面 的 に石 材 が 散 布 した ブ ロ ッ ク は こ こ に は 含 ま な い 。 か つ て,長 崎 元 廣 氏 が原 産 地 遺 跡 と近 い 距 離 に あ る 縄 文 時 代 中 期 の 諏 訪 湖 周 辺 に 黒 曜 石 石 材 の 集 積 例 が 集 中 して い る こ とを 指 摘 し,石 材 交 易 の存 在 を推 定 した こ と が あ る(長 崎1984)。 そ う した 先 学 の 観 点 を 踏 襲 して, 集 積 例 を 改 め て 集 成 した(表11)。 た だ し,全 て の 集 積 例 を 実 見 し点 検 す る こ とは で きな か っ た た め,一 部 は 報 告 書 記 載 の 器 種 を使 用 した 。 全 て の 報 告 書 に お い て 原 石 と 石 核 の 分 類 が か な らず し も一 致 す る と も限 ら な い た め, 実 見 した 事 例 以 外 は表11で は 原 石+石 核 とい う表 示 で 示 す 。 1.縄 文 時 代 か ら弥 生 時 代 の 石 材 集 積 例 の推 移 集 積 は 計64例 あ り,そ れ を 時 期 別 に み る と縄 文 前 期 初 頭 か ら後 葉 に9例,縄 文 前 期 末 ∼ 中 期 初 頭(諸 磯c期 ・ 十 三 菩 提 期 ・梨 久 保 期)に27例9),縄 文 中 期 前 葉 ∼ 後 葉 (狢 沢 期 ・新 道 期 ・藤 内 期 ・井 戸 尻 期 ・曽 利 期)に26例 (上 向Aの 時 期 不 明 例 含 む),縄 文 後 期(加 曽利B2期) に1例,縄 文 晩 期(氷I期)に11∼12例,弥 生 時 代(庄 ノ 畑 期 ・境 窪 期 ・栗 林 期)に4∼5例 認 め られ る。 特 に 縄 文 前 期 末 ∼ 中 期 初 頭 と縄 文中 期 前 葉 ∼後 葉 に 事 例 が集 中 し,黒 曜 石 原 産 地 か ら山 間 部 を 抜 け た10∼15km地 点 の 岡 谷 市 ・下 諏 訪 町 ・茅 野 市 に事 例 が 集 中 す る。 次 に,集 積 例 の集 中 す る縄 文 前 期 末 ∼ 中期 初 頭 と縄 文 中 期 前 葉 ∼ 後 葉 の集 積 場 所 を 点 検 す る と,前 期 末 ∼ 中 期 初 頭 の 屋 内(住 居 跡 内)例 が2例 ・屋 外(住 居 跡 外)例 が25 例,中 期 前 葉 ∼ 後 葉 の 屋 内例 が22例 ・屋 外 例 が4例 で あ り,時 期 を 違 え て比 率 が 逆 転 す る結 果 とな っ た 。 か つ て 長 崎 元 廣 氏 が 指 摘 した 傾 向 は資 料 が 増 加 した 今 日に お い て も な お 変 わ りは な い が,屋 内 ・屋 外 の 比 率 が 時 期 で 逆 転 す る こ とは 近 年 の事 例 増 加 の 結 果,新 た に 判 明 し た こ とで あ る。 な お 縄 文 中 期 前 葉 ∼後 葉 の屋 外 例 は い ず れ も 時 期 の 確 定 にや や 不 安 の 残 す 遺 跡 で あ る た め,場 合 に よ っ て は 屋 内 例 が 圧 倒 的 多 数 とい う結 果 に もな り え る。 2.縄 文 時代 の石 材 集 積 とそ の種 類 石 材 集 積 に は 屋 外 ・屋 内 とい う場 の 違 い が あ る 一 方 で,集 積 さ れ た 石 材 の サ イズ ・器 種 ・形 状 的 特 徴 に よ っ て も さ らに 分 類 が 可 能 で あ る。 い わ ゆ る ズ リ と よば れ る 10gに 満 た な い 原 石 を含 む 例 もあ れ ば,全 くズ リ を含 ま ず100g以 上 の 大 形 原 石 の み を 集 積 す る 例 あ る。 大 き く は この2類 型 に分 か れ る が,そ れ ぞ れ の 集 積 の 意 味 を考 察 す る た め に 以 下 分 析 を 行 う。 石 材 集 積 の 意 味 を考 え る上 で重 要 な 遺 跡 に 岡谷 市 大 洞 遺 跡(市 沢1987)が あ る。 大 洞 遺 跡 で は 丘 陵 斜 面 地 に 諸 磯c期 ∼ 梨 久 保 期 の 集 落 が 形 成 さ れ る 。1・2・3・ 5・7ブ ロ ッ ク と報 告 さ れ た 黒 曜 石 石 材 の 集 積 は 全 て 屋 外 に あ り,そ れ 以 外 に も黒 曜 石 ブ ロ ック が2箇 所 検 出 さ れ た(図7)。4号 プ ロ ヅ クで は 径 約7cmの 範 囲 に2∼7 mm程 度 の 小 剥 片 が合 計295点 出 土 した 。 小 剥 片 は 石 器 製 作 の 際 に 生 じる チ ップ で あ り,そ れ が 面 的 に 散 布 しな い 4号 ブ ロ ッ ク の あ り方 か ら し て,何 処 か の 石 器 製 作 の 際 に 生 じ た チ ップ を4号 ブ ロ ッ ク の 地 点 に て 一 括 投 棄 した もの と考 え られ る。6号 ブ ロ ック は 約1mの 範 囲 に チ ッ プ が2136点 集 中 して 出土 して お り,そ の 範 囲 内 に は 更 に . チ ップ が 密 に 出 土 す る地 点 が あ る とい う。 チ ッ プ の面 的 な 散 布 状 況 か ら判 断 すれ ば6号 ブ ロ ック の 地 点 は 石 器 製 作 の 場 で あ ろ う。 で は,大 洞 遺 跡 に おい て 石 材 集 積 が5基,そ れ も屋 外 に 遺 棄 さ れ た こ とは 何 を 意 味 す る の か 。 図8に は1・ 2・3・5・7ブ ロ ック か ら 出土 した 石 材 の 重 量 度 数 分 布 を 示 した(1∼5)。 出 土 した 石 材 は 全 て 原 石 で あ り, 未 使 用 で あ る。1・3・5ブ ロ ック の 重 量 は41∼50gを 概 ね 最 頻 値 とす る。 また 原 石 の 形 状 で は5号 ブ ロ ッ ク に 扁 平 で 長 細 の 原 石 が や や 目立つ(図7)。 そ して7号 ブ ロ ッ ク は1点 を除 き140g∼170gの 原 石 で あ り,い ま ま で の ブ ロ ック とは 明 ら かに 異 な る原 石 が 集 め られ て い る。 さ ら に2号 ブ ロ ック は300∼350gの 原 石5点,700∼800 gの 原 石2点 と遺 跡 内 で 最 も 巨大 な 原 石 が集 積 さ れ て い る(図7)。 した が っ て,原 石 を 意 図 的 に サ イ ズ 別 ・形 状 別 に 集 積 し た こ とは 明 白で あ る(大 工 原2002a)。 同 例 は茅 野 市 北 山 菖 蒲 沢 遺 跡 に あ り,第280号 出 土 の 原 石 は 最 小189g・ 最 大644gの 計8点,総 重 量2550gと 報 告 さ れ,ズ リは 含 ん で い な い(功 刀 ほ か1996)。 時 期 は 縄 文 前 期 末 の 諸 磯c期 で あ る 。 ま た 大 洞 遺 跡 と同 じ く諸 磯c期 ∼ 梨 久 保 期 の 集 落 遺 跡 で あ る岡 谷 市 清 水 田遺 跡 で は,ズ リを 含 ま な い 大 形 原 石 の み で 構 成 され る屋 外石 材 集 積 が 黒 曜 石 集 石 址2と 集 積 址5で み ら れ る(洵 原 ほ か2006)。 集 石 址2は 最 小82.9 gか ら最 大170.4gの4点 で 厚 み の あ る立 方 体 状 の 角 礫, 集 石 址5は 最 小220.4gか ら最 大642.Ogの5点 で 厚 み の あ る立 方 体 状 の もの を 中 心 と して 出土 した 。 大 洞 遺 跡 と 同 様 に 一 定 の サ イズ と形 状 を 基 準 と して 原 石 の 集 積 が 行 わ れ て い る。 しか し そ の 一 方,清 水 田遺 跡 の 屋 外 に あ る 集 石 址10 (図8-6)で は,100gを 超 え る大 形 原 石 が8点 と10g に 満 た な い ズ リ が16点 伴 っ た(河 原 ほ か2005)。 ま た, 清 水 田遺 跡 で は 黒 曜 石 廃 棄 土 坑 と報 告 さ れ た 例 が2例 あ り,原 石 ・石 核 ・剥 片 ・分 割 礫 ・二 次 加 工 剥 片 が 出土 し た 。 本 稿 で は これ も集 積 例 の 範 疇 に含 め る。 原 石 ・石 核 の 重 量 は10g未 満 の ズ リが 過 半 数 を 占 め,100gを 超 え る大 形 原 石 は一 切 認 め られ な い(図8-8・9)。 ち ょ う ど集 石 址10か ら大 形 原 石 を 差 し引 い た重 量 度 数 分 布 を 示 す 。 廃 棄 土 坑 と され た遺 構 か ら出 土 す る 器 種 の な かで 筆 者 が 注 目す る の は 分 割 礫 の 存 在 で あ り,そ れ は 原 石 の 大 きな 平 坦 面 に ほ ぼ 垂 直 に 交 わ る剥 離 面 を 形 成 した 器 種 で

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日本 考 古 学 第24号 表11黒 曜 石 石 材 の 集 積 一 覧(長 野 県 域) あ る。塊 状 あ る い は板 状 原 石 の 分 割 後 に 生 じて い るた め, よ り大 形 の 原 石 が 当 初 存 在 した こ とを 示 す 器種 で あ る。 そ の た め 黒 曜 石 廃 棄 土 坑 とさ れ た 遺 構 出土 の 石 器 群 は 石 材 消 費 の 最 終 過 程 を経 て 廃 棄 され た 残 滓 に 相 当 で あ る。 そ う した 廃 棄 土 坑 と同様 に109未 満 の ズ リが 含 ま れ る集 石 址10は,同 遺 跡 集 積 址2・5や 大 洞 遺 跡2号 ・7号 ブ ロ ック とは 別 な位 置 づ け を 考 え な け れ ば な らい な い 次 に 屋 内 石 材 集 積 例 を検 討 す る。 茅 野 市 棚 畑 遺 跡 が 良 好 な 出 土 例 で あ る 。 縄 文 中 期 の 狢 沢 期 ・藤 内I期 ・井 戸 尻 期 ・曽利 期 の 屋 内 石 材 集 積 例 が合 計7期 検 出 され た。 そ の うち 出土 量 が30点 を超 え る藤 内I期 の3例 で は,30 gを 超 え る原 石 が含 ま れ つ つ も,大 洞 遺 跡 の 屋 外 集 積 例 で は少 数 派 で あ っ た0.1g∼20gの 石 材 が 目立 つ(図8-10∼12)。 全 て の 遺 跡 の 重 量 度 数 分 布 を示 す こ とは で きな い が, こ こ ま で の 遺 跡 の 傾 向 と して 屋 外 例 は30gを 超 え る原 石

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弥生 時代中部高地 における黒曜 石石材 流通 の復元 が 大 多 数 集 積 され,屋 内例 は 0.1∼20gの 小 形 原 石 ・ズ リ が 主 体 を 占 め る。 屋 内 の 石 材 集 積 は そ の 後 の 石 器 製 作 の 原 料 と して 供 され た こ とは 充 分 に考 え られ る。 こ の よ う に 石 材 集 積 は, 100gを 越 え る 大 形 原 石 の み で構 成 さ れ る屋 外 例(1類), 大 形 原 石 と とも に 小 形 原 石 ・ ズ リを含 む 屋 外 例(2類),小 形 原 石 ・ズ リの み で 構 成 され る屋 内 例(3類),小 形 原 石 ・ ズ リお よび 分 割 礫 ・剥 片 な ど で構 成 さ れ る屋 外 例(4類)と い う4種 類 が存 在 す る。7種 類 の よ う に未 使 用 な 状 態 の 大 形 原 石 の み が 集 積 さ れ る屋 外 石 材 集 積 は,ズ リを含 む 屋 外 石 材 集 積 あ るい は 屋 内 石 材 集 積 とは 別 な 意 味 を考 え な け れ ば な ら な い 。 そ れ を外 部 集 落 との 交 換 の た め の 意 図 的 な石 材 選 別 と考 え る 仮 説(長 崎 1984,大 工 原2002a)を 否 定 す る材 料 は な く,筆 者 も そ れ を支 持 した い 。 す な わ ち,1類 は外 部 集 落 との 交 換 用 石 材,2類 ・3類 は石 器 製 作 用 の 石 材 と して 供 され る直 前 段 階,4類 は 石 器 製 作 に よ る消 費 の最 終 過 程 を 経 て廃 棄 さ れ た 一 群,と い う 意 味 が考 え られ る。 屋 外 石 材 集 積 例 が 集 中す る縄 文 前 期 末 か ら中 期 初 頭 は,黒 曜 石 石 材 の 交 換 が 一 時 的 に 最 も発 達 した 段 階 と位 置 づ け られ よ う。 な お,屋 外 石 材 集 積 例 が 縄 文 晩 期 後 半 の 御 社 宮 司遺 跡 で も多 数 確 認 で き るが(表11),資 料 内容 に 不 明 な 点 が 多 いた め,こ こで は言 及 を 控 え た い 。 3.弥 生 時 代 の 石 材 集 積 と黒 曜 石 石材 出土 量 さ て,縄 文 時 代 の 実 例 と比 較 す る と,弥 生 時代 の 黒 曜 石 石 材 の 集 積 の確 実 な例 は わ ず か4例 に 留 ま る。 集 積 の 検 出 さ れ た 長 野 市 篠 ノ井 遺 跡 群 聖 川 堤 防 地 点 は 弥 生 前 期 か ら中 期 初 頭 と報 告 さ れ(青 木 ・寺 島1992),角 礫 の 黒 曜 石 原 石 が8点 出 土 した(写 真3)。 原 石 は 全 て一 辺8cm を超 え る大 形 品 で あ り,重 量 は150g∼200g程 度 で あ る。 図7岡 谷市大 洞遺 跡遺構 図(上)と 石材 集積1類 篠 ノ井 遺 跡 群 高 速 道 地 点 か ら 出土 した 原 石 ・石 核 は聖 川 堤 防 地 点 と概 ね 同 時 期 で あ り,そ こで 出土 した 石 材 の 重 量 は10∼20gに 最 頻 値 が あ る(図8-15)。 屋 外 石 材 集 積 に は 大 形 の 原 石 が 集 め ら れ て い る こ とは 明 らか で あ り, 石 材 集 積1類 に該 当 す る。 次 に,弥 生 中期 中 葉 の 境 窪 遺 跡 で 検 出 さ れ た 黒 曜 石 集 積 は 全 て 原 石 で構 成 され る。 重 量 は30g前 後 に最 頻 値 を もち,最 大 は41.6gの も の を含 む(図8-17)。 報 告 書 に よれ ば 屋 外 の ピ ッ ト状 遺 構 に集 積 さ れ て い た とい う。 こ の屋 外 石 材 集 積 を 除 いた 原 石 ・石 核 の 重 量 は20gを 超 え る もの も 目立 つ 一 方 で,0.1∼10gに 最 頻 値 を も つ(図8 -16) 。 境 窪 遺 跡 で も屋 外 石 材 集 積 には100g未 満 な が ら も21∼50gの 原 石 が 集 め られ て お り,全 体 とは 明 らか に 異 質 で あ る。 そ の た め本 例 を 石 材 集 積1類 に比 定 しても

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日本考古学 第24号

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弥 生時 代 中 部 高地 に お け る黒 曜 石 石 材 流通 の 復 元 よ か ろ う。 した が っ て,篠 ノ井 遺 跡 群 ・境 窪 遺 跡 の 屋 外 石 材 集 積 の2例 に は 石 材 交 換 の た め の保 管 とい う一 定 の 意 味 が 含 有'され て い る と考 え られ る。 対 象 的 な の は 弥 生 中 期 後 葉 の 栗 林 期 の あ り方 で あ る。 黒 曜 石 石 材 の 屋 外 集 積 例 は これ まで 一 切 認 め られ な い 石 器 製 作 途 中 の 一 時 的 な 材 料 貯 蔵 を 示 す(馬 場 ほ か2〔〕06) 壷 内 集 積 が2例 検 出 さ れ た に と ど ま る。 ま た 松 原 ・後家 山 ・家 下 ・箕輪 の 各遺 跡 か ら出 土 した 原 石 ・石 核 の 重量 は,0.1∼10gを 最 頻 値 と し,20gを 超 え る 石 材 の 占 め る 割 合 が 大 き く減 少 す る か,伴 わ な い 遺 跡 も あ る(図8 -18∼21) 。 す な わ ち 原 石 ・石 核 の 小 形 化 が 著 し く,先 に み た 縄 文 時 代 の 屋 内 ・屋 外 石 材 集 積 の 重 量 分 布 と比 べ る と,石 材 の 小 形 化 が 鮮 明 で あ る。 こ う した 石 材 の 小 形 化 と連 動 す る か の よ うに,単 位 面 積 あ た りの 黒 曜 石 製 石 器 群 の 出 土 量 も減 少 す る 。 下 信 濃 石 遺 跡(氷1期)で は 調 査 面 積1200㎡ で689.6gの 黒 曜 石 製 石 器 群 が 出 土 し,1㎡ あ た り0.57gの 出土 で あ る。 同 様 に,下 境 沢遺 跡 は 調 査 面 積3,500m2で1063.6gが 出 土 し,1m2あ た り0.31g,境 窪 遺 跡 は5,190m2の 調 査 で 3,018.4gが 出土 し,1m2あ た り0.58gの 出 土 で あ る。 対 照 的 に 栗 林 期 の 後 家 山遺 跡 で は38,200m2の 調 査 で 592.7gが 出 土 し,1m2あ た り0.02g,西 一 本柳 遺 跡X 次 で は1500㎡ の 調 査 で192.3gが 出 土 し,1m2あ た り 0.13g,松 原 遺 跡 で は46,000m2の 調 査 で1,309.9gが 出 土 し,1m2あ た り0.03gの 出 土,箕 輪 遺 跡 で は31,700m2 の 調 査 で3,638.2gが 出 土 し,1m2あ た り0.12gの 出 土 で あ る。 当 該 期 の土 器 と黒 曜 石 製 石 器 群 の 分 布 に大 差 は な い 。 栗 林 期 に一 転 し て黒 曜 石 石 材 の 出土 量 が 減 少 す る 傾 向 を読 み 取 る こ とが で き よ う。 この よ うに,弥 生 中 期 後 葉 の 原 石 ・石 核 の 著 しい 小 形 化,石 材 集 積1類 の 欠 落,石 材 出 土 量 の 減 少 は 黒 曜 石 石 材 の 流 通 上,何 を 意 味 す るの か。 次 に遺 跡 分 布 か ら流 通 の あ り方 を 考察 して み た い 。

V.黒

曜石石 材 中継集 落 の存 否

縄 文 時 代 前 期 末 ∼ 中 期 初 頭 に 集 中 す る 石 材 集 積1類 (大 洞 ・清 水 田 ・北 山 菖 蒲 沢 の 各例)が 外 部 集 落 との 交換 を 目的 と した もの で あ る な らば,石 材 採 掘 活 動 を 行 う原 産 地 遺 跡,石 材 の 選 別 あ る い は 一 時 的 保 管 を 行 う原 産 地 周 辺 遺 跡,消 費 地 遺 跡 とい う3者 の 有 機 的 な つ な が りが 交 換 の 背 景 に は 存 在 す る と考 え られ る。 そ う した縄 文時 代 側 の あ り方 に 対 し,弥 生 時 代 の 石 材 流 通 の 仕 組 み は ど の よ う に復 元 で き る で あ ろ うか 。 こ こ で は 原 産 地 と遺 跡 間 の 有 機 的 な つ な が りを 点 検 す るた め に,弥 生 前 期.中 期 前 葉 の 遺 跡 分 布,弥 生 中 期 後 葉 の 遺 跡 分 布,弥 生 後 期 の 遺 跡 分布 を 示 し た(図9∼11)。 弥 生 中 期 中 葉 は 遺 跡 数 が 少 な く,傾 向 を把 握 で きる ま で に は 至 ら な か った 。 写 真3篠 ノ 井遺 跡 群 聖 川堤 防 地 点 の 石 材 集 積1類 原 産 地 の 星 糞 峠 直 下 に あ る鷹 山 遺 跡 群 第XII地 点 で, 縄 文 晩 期 後 葉 の 氷 式 の 土 器 片 が1点 出 上 し た(明 治 大学 2003)。 本 例 は 今 日,原 産 地 遺 跡 の 時 期 的 な 下 限 例 で あ る。 次 に,弥 生 前 期 ・中 期 前 葉 は 水 神 平 式 ・庄 ノ畑 式 併 行 期 に 該 当 す る 条 痕 文 系 上 器 を 出 土 す る 遺 跡 が 該 当 す る。 原 産 地 の 集 中 す る 山 間 部一 帯 に 当 該 期 の 遺 跡 は 認 め られ な い 。 佐 久 ・上 田 ・松 本 ・諏 訪 ・茅野 の 各盆地 に 遺 跡 は 散 在 して い る(図9)。 中 期 後 葉 の 栗 林 期 は 各盆 地 の 遺 跡 ドッ ト数 の増 加 が 明 瞭 で あ り,遺 跡 数 増 加 の 画 期 で あ る(図10)。 当該 期 はIV章 に て 石 材 の 小 形 化 と黒 曜 石 石 器 群 出 土 量 の 減 少 を指 摘 し た時 期 に も相 当 す る。 そ の 段 階 は 山 間 部 谷 筋 に 遺 跡 が 点 在 す る が,御 座 岩岩 陰 遺 跡 (鵜飼1986).栃 窪 岩陰 遺 跡(茅 野 市1971)と い っ た 洞 窟 遺 跡 に限 定 され る。 出土 した 石 器 群 の 時 期 の 決 定 は 難 し い が,盆 地 の 集 落 遺 跡 に 比 べ 出 上 量 は 少 な い 。 ま た 石 器 が 消 滅 過 程 にあ る 後 期 に も中 期 後 葉 と同 様 に 盆 地 か ら原 産 地 へ とむ か う 山 間 部 谷 筋 に遺 跡 が 点 在 し,そ の な か に 洞 窟 遺 跡 が 多 く含 ま れ る(図lD。 千曲 川 流 域 沿 い の 山 間 部 に は弥 生 中 期 ・後 期 の 洞 窟 ・岩 陰 遺 跡 が 数 多 く点 在 す る こ とが 指 摘 さ れ て お り(山 内1995・ 藤 森2005),こ う した 背 景 を 踏 ま え る と,原 産 地 周 辺 の 弥 生 中 期 後 葉 ・後 期 の 遺 跡 は 洞 窟 ・岩陰 を 利 用 した 逗 留 地 が 大 多数 と 考 え られ る。 な お,I章 お よびII章 で 指 摘 した よ う に,原 産 地 遺 跡 で の 石 材 採 掘 活 動 は 弥 生時 代 に 今 の と こ ろ 認 め ら れ な い。 こ の よ う に,黒 曜 石 原 席 地 に お い て 石 材 採 掘 活 動 が 欠 落 す る 点 と,盆 地 と原 産 地 を結 ぶ 山 間 部 谷筋 に お い て 石 材 中 継 集 落 に 相 応 す る遺 跡 が 存 在 し な い 点 が 弥生 時 代 に 明瞭 で あ る。

参照

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