〈論説〉明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況
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(2) 近 畿 大 学 法 学 第6 1巻第 2・3号. 鮮研究会古書珍書刊行第一期の内容,さらには梶井の細井肇にたいする評 価について,今まであまり問題視されなかった部分を提示する O また戦後 の翻訳についても言及して L ¥ く. O. 2 . 明治初期の対朝鮮への関心と翻訳 江戸時代には,和刻本『金驚新話(一六五三)jJ(1)r 懲忌録(一六九五)J j(2) 『蘭雪軒集(一七一一) J j ( 3 ) などが訓点付きで読まれていたが,本格的な和訳 は明治期以降に始まる O 一八七六年(明治九)年,長内良太郎 ・鈴木実訳『朝鮮柳氏懲皆、 録対 話 』ωが刊行された。内容は漢字とカタカナで表記された漢文訓読調の訳で ある。『懲忌録』をはじめとする朝鮮の役との関連書籍は江戸時代から刊 行されていることから,その延長であるといえよう O しかしその一方で, 征韓論をはじめとする,明治初期の対朝鮮への関心から『懲誌録』が翻訳. ( 1 ) 和刻本「金薫新話』については次の資料を参考されたい。遺恩田「朝鮮刊本 「金麓新話』と林羅山 J~大谷森繁博士古希記念朝鮮文学論叢」白帝社,二 00 二年,九四 ~-o二頁。早川智美『金惹新話訳注と研究』和泉書院,二 00 九. 年 。. ( 2 ) 元禄八年(一六九五)正月に,京都の書嘩大和屋伊兵衛によって開版(四巻 四冊)された。崖官「壬辰倭乱(文禄の役)と日本近世文学J~日本近世文学と 朝鮮』勉誠出版,二0一三年,五五頁。 ( 3 ) 和刻本『蘭雪軒集』二巻一冊は目平坂学問所,浅草文庫を経て国立公文書館 に所蔵されているものが二種類, 中山久四郎が昭和四三年九月に東洋文庫へ寄 贈したものが一種類ある。 住) 長内良太郎・鈴木実訳, ~朝鮮柳氏懲底録対話」含英舎,一八七六年。全 四. 冊であるが,このうち巻ーが国会図書館デジタル化資料として所蔵されている。 十九世紀の 『懲底録』の翻訳と しては,山口昂訳『朝鮮懲訟録 J(蒼龍窟,一八 九四〉がある。棲井義之『朝鮮研究文献誌一明治・大正編』龍渓書舎,一九七 九年,四七,六一頁参照。棲井の資料には「蒼龍窟」が「敬業社」と記されて いるが未詳。.
(3) 明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況. されたとも考えられる O 小説の翻訳としては, 一八八二年(明治十五)四月五日から五月十五日 にかけて在朝鮮国釜山港商法会議所発行『朝鮮新報』第八号. 十二号(十. 号は休載)に連載された宝迫繁勝(5) r 朝鮮林慶業伝』闘がある O この翻訳に ついては,釜山で発行されたことから,当時増加しつつあった日本人の朝 鮮事情への疎さに対し,その文物を知らしめる意味合いも兼ねていたと思 われる O しかし残念ながら,第四回以降の翻訳はなされなかった。 完訳小説としては, 一八八二年六月二五日から七月 二三 日にかけて大阪 朝日新聞に連載された半井桃水の『鶏林情話春香伝』仰が挙げられる O 半 井桃水は,対馬藩の典医の家に生まれ,幼い頃,釜山倭館に滞在している 。 その後,東京に出て英語を学び,対馬藩旧藩邸にいた二代目為永春水,す. ( 5) 宝迫繁勝は山口県出身で,その詳細については次の論文がある 。 棲井義之. 朝鮮学報』九,天理大学, 一九五六年。 ま 「宝迫繁勝の朝鮮語学書について Jr 染谷智幸・鄭嫡 た西岡健治も「日本への韓国文学の伝来について ( 戦前編 )J ( 八) において,宝迫繁勝の翻訳に 説編『韓国の古典小説」ぺりかん社,二 00 ついて言及している。. ( 6 ) 朝鮮国金華山人原著・日本国鷺松軒主人訳述 『朝鮮林慶業伝Jr 朝鮮新報』第 八,九,十一,十二号所収,釜山 :商法会議所, 一八八二年四月五日,四月十 五日,五月五日,五月十五日 。鷺松軒主人とは宝迫繁勝のことをさす。内容は , 林慶業の父である林鳳岳が出世し,恩人の李祥賢を扶養し,正三品になるとこ ろまでが翻訳されている 。 『朝鮮林慶業伝』に関する論考としては以下のものを 参照。 加藤信吾「日本における「林慶業伝」の評価と意義. 一八八二年の日本. 武蔵文化論叢』八,武蔵大学大学院人文科学研究科,二0 語翻訳版を中心に Jr. 0八年。 ( 7 ) 桃水野史訳『鶏林情話春香伝 J( 大阪朝日新聞,一八八二) 連載。 第一 回 (六月 二五日 ),第二回 ( 六月 斗七日 ),第三回 ( 六月 二八日 ),第四回(六月二. 七月六日 ),第八 九日 ),第五回 ( 六月三 O日),第六回(七月四日 ),第七回 ( 回 ( 七月七日 ),第九回 ( 七月八日 ),第十回 ( 七月十一 日),第十一回 ( 七月十 三日 ),第十二回 ( 七月十四日 ),第十三回 ( 七月十五日 ),第十四回(七月十六 日),第十五回 ( 七月十八日 ),第十六回 ( 七月十九日 ),第十七回(七月 二十 日),第十八回 ( 七月二一 日),第十九回 ( 七月 二二 日),第二十回 ( 七月 二三 日) 。.
(4) 近畿大学法学第6 1巻第 2・3号 な わ ち 染 崎 延 房 ( 一 八 一 八 一 八八六)という戯作作家を通じて,新聞へ の投書を始めた人物である O その影響もあってか,. r 鶏林情話春香伝』の. 内容は,戯作である人情本の手法がみられる ( 8 )。 染 崎 延 房 に つ い て は , 戯 作作家である 一方 , 一八 七三 年 ( 明 治 六), 対 馬 藩 に 伝 わ る 朝 鮮 地 図 の 写 しである 『朝 鮮 国 細 見 全 図』 を刊行している 。 またその翌年(一八七四) には 『朝鮮国細見全図』の附録として『朝鮮事情』を著している O これは 朝 鮮 通 訳 官 で あ っ た 小 田 幾 五 郎 (一七 五 五 一八三二)帥 の『象膏紀聞』な どを抜粋したもので,染崎延房の朝鮮に対する造詣の深さを示すものであ るO ま た 明 治 九 年 に は 「 東 京 絵 入 新 聞 社」 に 入 り 編 集 に 従 事 し た こ と か らω , このような影響が半井桃水にも及んだことは想像に難くな~ ¥ " 。 同郷 出身の半井桃水が一八八二年に生じた壬午事変前後の不穏さを感じ取り, 朝鮮に関する記事を多く伝えたのも極めて自然なことであったといえる ω 。 壬 午 事 変 と は 一 八 八二年七月二三日に,興宣大院君の率いる旧式軍隊が 待遇の不満を理由に反乱をおこした事件で,それは開化派である関妃や,. ( 8) 拙稿 r -r春香伝』の「日本的改変」について J~近畿大学法学』五八巻二 ・三. 号,近畿大学法学会,二 0-0 年,六八一頁参照。. ( 9 ) 小田幾五郎の詳細については,鄭美京『日本における韓国古典小説の受容 皿) J花書院, 二O一二年 , -0七 一O九,六七 六 ( 比較社会文化叢書 xx 八頁参照。 棲井義之,前掲書 ( 一九七九),二一 一 二一二頁。 Q u 桃水は亀浦事件を背景に 一八八一年 (明治十四)九月一七日「釜山港花柳通 信」第二報,壬午事変関連として一八八二年 ( 明治十五)九月 二十八日,三0 日「 京城通信」第二,三を報道し,十月三十一日から十一月十七日まで 「 朝鮮 み や げ J( 全十三回)を掲載した。表向きは記者であるが, 実は大阪の薬種問屋 の仲買業であったとされる 。 また亀浦事件の際には政治活動をしたことで留置 所へ投獄され,対馬に護送された。一八八三年五月四日から八日まで 「 在朝鮮 全四回)を執筆。一八八八年一月五日, i 絵入自由新聞」に 「 新篇開化 釜山 J( の復讐」を掲載。この頃,言論統制が強まり,長い朝鮮生活を終えて帰京した。 昭和女子大学近代文学研究室編 「 近代文学研究叢書 』 第二十五巻,昭和女子大 学近代文化研究所,一九六六年, 三三六 三三七,三四一頁。. ω.
(5) 明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況. 近代式軍隊の顧問をしていた日本人に対しても矛先が向けられ,. 日本公使. 館が襲撃された。これをきっかけに日本の朝鮮に対する関心は L、やがおう にも高まり,報道は新聞雑誌を初め錦絵,地図,絵草紙等,様々な方法で 行われた。明治十五年八月から十月までに刊行された「明治十五年事変関 係出版物」 ωをみると,その数は三六件八 O冊にも及んでおり,明治初期に おいて朝鮮関係の出版物がもっとも多く刊行された時期であった。 桃水はその後,大阪朝日新聞,東京朝日新聞の記者をしながら,朝鮮事 情に関する記事,. 日清戦争を背景に朝鮮を描いた小説『胡砂の吹く風』を. 著した。 また,樋口一葉の師であり,彼女を東京朝日新聞主幹の小宮山天 香に紹介している Q3)。 一葉自身,桃水から十七世紀の朝鮮古典小説『九雲 夢」を借りて筆写していたが,小宮山天香は一八九四年九月十八日から一 八九五年五月 二八日にかけて,. r 九雲夢』の翻案作品である『夢幻』全編. 。 二十五回,後編二十八回を,東京朝日新聞に掲載している ω 一八九五年までの朝鮮に関連する和訳は主に新聞記事として掲載された もので,その目的は朝鮮事情を一般の日本人に知らしめることによって,. Q 2 ) 棲井義之,前掲書(一九七九),四九 五十頁。棲井義之「明治と朝鮮』棲井 義之先生還暦記念会,一九六四年,二五六頁にある 「明治期朝鮮関係出版物趨 勢表」を参照。. ω -八九一 年 (明治二四〉四月十五日,樋口 一葉は東京朝日新聞社小説記者の 半井桃水を始めて訪問,小説の指導を請い,同五月八日,桃水宅で小宮山天香 に紹介される 。 山田有策編「樋口一葉年譜J~全集樋口一葉④評伝編』小学館, 一九七九年,二九一頁。. ω 一葉が小説修業の過程で,桃水から『九雲夢」を貸し与えられ書写したこと から, ~九雲夢』が小宮山天香の手に渡ったことが推測される 。 上掲書,二五九 二六O頁。詳細については,鄭美京,前掲書, -0七 ~-o九,一三二~一 四九頁参照。 東京朝日新聞の一八九四年九月十六日付二頁六段の記事「明日よ り俄手替りの小説は夢幻」には 「 古き韓版の小説に九雲夢と L、ふものあり其を 翻案して一場のお伽噺とはなしたるなり朝鮮とし、ふだけ際物めけど明末に唐代 の世界を書きたるものなれば随分と古めきたる際物と知り給へ とある 。素園は小宮山天香をさす。. 素園しるす」.
(6) 近 畿 大 学 法 学 第6 1巻第 2・3号. 新聞の発行部数の増加を促すという経緯もあったようである O 特に幼い頃 から釜山に滞在を重ね,朝鮮語に長けていた半井桃水はその役割を大いに 果たした人物の 一人であるといえる O しかしながら,. 日清・日露戦争を経て,東アジアの国際情勢が変化する. につれ,朝鮮に対する認識もまた徐々に変化していったことは周知の事実 である O この頃,朝鮮に関する情報量は増加し,政府レベルでの朝鮮認識 が庶民レベルにおいても共有され, I 遅れた朝鮮」ないしは 「 不潔な朝鮮」 というイメージが急速に形成・流布され,定着してし、く. O. そしてこれらは. 日本の朝鮮支配の正当化へとつながっていった回。 第一世代であり,朝鮮 の理解者であった半井桃水らが,これらの「マイナスイメージに限界を感 じ 」ω,以降,朝鮮に関する記事を一切書かなくなってしまったことも十分 理解できるといえる O その一方で,韓国併合の過程と相侯って,朝鮮文学を紹介する義務もま た必然的に生じてきた。 これは第二世代の新たな動きによるもので, I 内 鮮一体」を目指すための副産物としての朝鮮文学の翻訳といえる o I 明治 期朝鮮関係出版物趨勢表」仰 によると,その数は,日露戦争以降急増し,明 治四五年の日韓併合の時に最盛期を示していることから,いかにその影響 が強かったか推察できる O. 3 . 日露戦争以降の翻訳一朝鮮研究会の発足とその周辺人物 による翻訳 日露戦争以降の翻訳については,植民地史観と直結するものが多く,記. ω 森山茂徳 「第九章明治期日本指導者の韓国認識J,木村健二 「第一一章 明 治 期日本の調査報告にみる朝鮮認識Jc r 近代交流史と相互認識ー』慶応義塾大学 出版会, 二00 一),三一八,三八五 三八六頁。 帥 鄭 美 京,前掲書, 二八一 二八二頁O 仰 棲井義之,前掲書 ( 一九六回), 二五六頁参照。.
(7) 明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況. 者だけではなく,朝鮮総督府と関わりを持った人物もみられる O 明治三五 年一月には京城にて「韓国研究会」が発足され,同年九月には『韓国研究. r. 会談話録』第一号が発刊された 08)0 八域誌』ωの原文や,鮎員房之進「漢 文学」が載せられたが,第四号で終刊となっている O この頃の最も注目すべきは,京城にて発足した「朝鮮研究会」のメン バーが多くの和訳本を刊行したことである O 「 朝鮮研究会」の発足については未詳な点が多い。 しかし一九一O年十 二月,大村友之丞編『朝鮮貴族列惇』ωが,朝鮮研究会から最初に発行され たことや,古書珍書刊行第一期第一輯の大村友之丞編 『 角 干先生賓記看羊 録 東 京 雑 記 J( 朝鮮研究会, 一九一一年一月) の奥付裏面 にある 「 朝鮮研 究会創設趣旨書」に一九一 O年十一月と記されていることから,一九-0. ω一九O二 年 (明治三五)一月発足の「韓国研究会」では「韓国研究会談話録」 明治三五年九月,明治三六年五月, 明治三六十一月,明治三八年 第一 四号 ( 七月 )を刊行した 。各号の内容に関しては,棲井義之,前掲書 ( 一九七九)の 十頁参照。当 時の朝鮮研究団体についは,棲井義之,前掲書( 一九六四),一九 三頁,二八四. 二八七頁参照。前間恭作 『 古鮮冊譜』附録の「前問先生小伝」. によると,学部顧問幣原坦,文部省留学生金津庄三郎,漢城高等学校学監高橋 亨,乙未義塾長鮎員房之進,統監府法務院の浅見倫太郎らが,各自の職務以外 に朝鮮研究,朝鮮本の蒐集を行い,毎月 一回 ,. 日本人倶楽部や巴城館のホール. に集まって晩餐をともにした後,講演会を開いたとある 。末松保和「前問先生 小伝J~古鮮冊譜」第三冊,東洋文庫,昭和 三二年三月,六~七頁参照 (東洋文 庫東北アジア研究班 『日本所在朝鮮戸籍関係資料解題』東洋文庫,平成十六年 三月二六日所収)。なお漢城高等学校は現,京畿高等学校のことであるが,高橋 亨が漢城高等学校に勤めていたのは一九 O六年九月一日から 一九一一年十月末 であり,韓国研究会の開催されていた時期の一九 O二. 、 。. 一九 O五年とは一致し. なL. Q 9 ) 李重;換の地理書で明治二O年,近藤真鋤によって和訳紹介されており,原文. は明治三五年発刊『韓国研究会談話録」の第一,二号附録に掲載された。楼井 義之,前掲書 ( 一九六四),一九三頁参照。 仰. 大村友之丞編 『 朝鮮貴族列惇』朝鮮研究会,一九一O年十二月。大村友之丞 は大阪朝日新聞記者,朝鮮新聞記者,京城居留民団議員,のち 京城商業会議所 , 十三頁参照。 書記長となる 。棲井義之,前掲書( 一九七九).
(8) 近 畿 大 学 法 学 第6 1巻第 2・3号. 年十一月に発足されたと考えられる O これは,後に朝鮮研究会三週年記念 として出版された青柳綱太郎ω『朝鮮』第一輯の刊行が一九一三年十一月. 。 であることからも明らかであろう ω 古書珍書刊行第一期第一輯『角干先生貫記看羊録東京雑記』掲載の「朝 鮮研究会創設趣旨書」は以下の通りである O. 朝鮮研究会創設趣旨書 朝鮮の人文を研究し風俗制度│日慣典例を調査し以て指導啓発の資に 供するは方今時代の要求なり、社交を調理し社会の改善を企図し高. 。 ) 1 青柳綱太郎(一八七七. 一九三二) は号を南冥といい, 一八七七年 ( 明治十). に佐賀県に生まれ,東京哲学館 ( 東洋大学の前身〉 に学んだ後,一九 O三年 ( 明治三六)に大阪毎日新聞の通信員として渡朝し,韓国宮内府で朝鮮史編修に も携わった朝鮮史学者である 。 朝鮮総督府中学校教諭専務幹事として務める一 方で, 一九一一年 ( 明治四四)から朝鮮研究会の主幹となり,一九一七年 ( 大 正六)に 「 京域新聞」を発刊し社長となった人物である 。 青柳綱太郎の著作に 朝鮮研究会,一九二三) r 朝鮮文化史大全 J( 朝鮮研究会, は『朝鮮統治論 J( 一九二四)などをはじめ,その編著は多数に及ぶ。『朝鮮統治論』の肢は細井肇 が書いており, 一九 O八年当時,旧韓国の昌徳宮内で青柳と出会い,王宮内の 典膳司の職にあった青柳の好意で宮中午餐に参席したこと,後に細井は菊池謙 譲,大村友之丞と共に朝鮮研究会を設立し,先ず 『 朝鮮貴族列惇』に着手し , 執筆の任に当たって韓国の両班を歴訪したこと , その後,事業に参画した青柳 が経営困難ながらも 一人奮闘し,朝鮮研究会の他に,全道へ宣伝局を特置,京 城新聞を刊行,青柳の精力絶倫にして根気強靭なることが記されている 。棲井 , 義之 『明治年間朝鮮研究文献誌』書物同好会,一九四一年,八O頁,棲井義之 前掲書 ( 一九七九),二八 二九頁参照。広瀬順陪編・解説 『日本植民地下の朝 践J参照。 鮮研究』第二巻 クレス出版,二0一一年,細井肇の 「. ω 青柳綱太郎. 『 朝鮮』朝鮮研究曾三週年記念. 第一輯,朝鮮研究会,一九一三. 年十一月発行。現在,韓国国立中央図書館所蔵 ( 朝九一一九五)である 。朝鮮研 究曾五週年記念には青柳綱太郎 『 新朝鮮 J ,朝鮮研究会, 一九一五年五月発行が あり , ソウル大学校中央図書館古文献資料室和漢書分類に所蔵 ( 五五九 O 二 七)されている 。 日次内容に関しては,棲井義之,上掲書(一九七九), 十 五 十六頁参照。.
(9) 明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況. 尚なる趣味を加へ寛裕なる成興を附輿するは今日に於ける必然の要 求なり朝鮮研究会は此の要求に向て誠実に貢献せんが為めに創設し たものなり 故に有益なる朝鮮の書史を刊行して研究の資に供し或は講演曾を開 催して事物の講究と高潔なる社交場の機関に充て或は著述慈善教学 風紀に関して善良なる計劃を立て以て本会の目的を達するに努力す. べし 同志の士奮 って入会せられんことを希ふ. 明治四三年十一月. 朝鮮研究会. 評議員(し、ろは順) 朝鮮総督府農商工部嘱託ω. 本間九介. 朝鮮総督府事務官文皐士. 小田省吾ω. 東洋協会分校長文皐士. 河合弘民. 漢城高等学校学監文事士. 高橋亨. 朝鮮総督府通訳官. 前問恭作 淵上貞助. 朝鮮総督府鉄道管理局通訳官. 福田幹太郎. 東洋協会学校講師. 鮎川房之進. 朝鮮通信社長ω. 菊池謙譲ω. ω 明治四五年八月以降に書かれた本間九介の肩書は朝鮮総督府取調局嘱託となっ ている 。細井肇 『朝鮮文化史論」朝鮮研究会, 一九一一年八月,奥付の裏部分 に掲載。. 凶 小田省吾に関しては以下の著作がある 。 小田省吾『辛未洪景来乱の研究』小 田先生煩書記念会, 一九三 四,九月 。 まだ同年に刊行された 『 小田先生頒書記 京城:大阪屋号書庖, 一九三 四)には,多田正知「青丘永言と歌 念朝鮮論集J( 曲源流 J ,中山久四郎「江戸時代来聴朝鮮信使迎接応対筆語唱和図書目録」など の,朝鮮文学と関連する内容も収録されている O ~@ 細井肇 『 朝鮮文化史論』 の奥付裏面にある 「 朝鮮研究会創設趣旨書」には菊.
(10) 近 畿 大 学 法 学 第6 1巻第 2・3号. 京城控訴院部長判事法皐士. 三宅長策. 朝鮮総督府中学校教諭文皐士. 虞田直三郎. 幹事. 大村友之丞. (下線 :筆者,以下同様). 朝 その内容をみると,朝鮮研究会のメンバーは当時京城にいた人物で, I 鮮の人文を研究し風俗制度│日慣典例を調査し以て指導啓発」 かっ「社交を 調理し社会の改善を企園し高尚なる趣味を加へ寛裕なる威興を附輿する 」 ことを目的とし,朝鮮における指導者的立場にいた者の社会文化的理想を 具現するための斡持を示すものであることがわかる O 評議員に関しては,朝鮮研究会の刊行物で一九一一年四月刊行の『牧民 朝鮮研究会創設趣旨書」には,朝鮮研究会の事務所 「 京 心 書 上 巻F の 「 城南山町 1丁目」などに加えて,最後に幹事の大村のほか,青柳綱太郎, 飯泉良三の名前が記載されている O また,. 同年七月刊行の『牧民心書中. 巻』 には,事務所が「京城永楽町 1丁目 」 と変更されている ω。 一九一一年(明治四四〉八月刊行の 『 朝鮮文化史論』ω には青柳綱太郎の. 池の肩書部分がない。. 。 。. 菊池謙譲は号を長風山人とし,熊本の人。早稲田専門学校卒業後,国民新聞. 年に漢域新聞社長, 一九三 O年には李王職編纂委員となった。 社を経て一九 00. 大院君伝 J(日韓書房, 一九一 0 ), 著書に「朝鮮王国 J(民友社,一八九八), r ) , 『 朝鮮諸国記 J(大陸通信社, 一九二五. r 近代朝鮮史』上下(大陸研究所,. 一. 九三七)など,多くの著作を持ち,朝鮮統治を言論界の一端にあって強力に支 えた 。梶井捗「朝鮮文学翻訳の足跡←)一古典の翻訳刊行 Jr 季刊三千里』夏二十 二号,三千里社,一九八 O年 , 二 一 一 二一二頁。菊池の著書については復刻 版も出ている 。 広瀬順暗編・解説『日本植民地下の朝鮮研究』第五 六巻, レス出版, 二 O一一年。 的. 大村友之丞編輯『牧民心書上巻』朝鮮研究会,一九一一年五月 。. 倒. 大村友之丞編輯「牧民心書. 中巻』朝鮮研究会,一九一一年七月 。. ω 細 井 肇 , 前 掲 書 (一九一一)。. ク.
(11) 明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況. 肩書が専務幹事と変わっており,一九一二年(明治四五) 一月刊行の『朝 鮮野談集P の「朝鮮研究会創設趣旨書」評議員にも,主幹青柳綱太郎,幹 事飯泉良三,全大村友之丞とあることから,朝鮮研究会の主編集者が創立 当初の一九 -0 年(明治四三 〉 は大村友之丞だったのが翌年一九一一年 (明治四四)に入って青柳綱太郎に交代したことが伺える ω。 これらの中で,朝鮮研究会創設メンバーの一人であり,韓国官立中学校 教員として渡韓した高橋亨(一八七八 一九六七)ω は , 一九O六年六月に. C 3 0 ). 青柳綱太郎『朝鮮野談集』朝鮮研究会, 一九一二年一月 O. 側. 『朝鮮文化史論』にある明治 四五年八月の 「朝鮮研究会創設趣旨書」には,朝 鮮総督府中学校教論文皐士虞田直三郎に続き,専務幹事青柳綱太郎,幹事大村 友之丞,全飯泉良三の三名の順で掲載。 また『朝鮮野談集」にある明治四五年 の「朝鮮研究会創設趣旨書」には,朝鮮総督府中学校教論文皐士鹿田直三郎に 続き,主幹青柳綱太郎,幹事飯泉良三,全大村友之丞の三名の順で掲載されて L、 る。. ω 高橋亨は新潟県出身で,一九O三 年 (明治三六)韓国政府の招聴を受け,医 師である妻とともに,幣原坦氏の後任である官立中学校傭教師として渡韓した。. r. 。通堂あゆみ「高橋亨と朝鮮J 高橋 その詳細については次の論を参照された L、 亨朝鮮儒学論集』知和泉書館,二0一一年, 三九九. 四三八頁。李暁辰 「 高橋. 第六十二回朝鮮学会大会発表 亨の朝鮮学研究について一新資料を加えた考察 J( 要旨,天理学会,二0一一年十月二日)では,. r 欧米漫遊所感 Jr 欧米における. 子女教育」など,新たな教育関連著作が紹介されている 。 高橋は, 一九一 O年 (明治四三),朝鮮総督府の事業をして鮮内各地の古文金石文等の収集に務め, 一九一一年(明治四四),総督府の命により併合直後における儒生の動 向を調査 のため三南を歴訪しているが,文学研究の資料を得る際,非常に苦労したこと が述べられており,内容をまとめると以下のようになる 。 大正三年六月朝鮮の 狸諺集を出版したが,本業の朝鮮文学研究は資料が十分に得られず遅々として 進まない。(中略)朝鮮の上流階級の両班は,家がし、かに貧しかろうとも簡単に 書籍を売却することがない。 なぜならば書籍は多くが祖先の筆写したものであ り,永く保管すべきものと心得ているからである O また政治上の記録などは家 の秘密も書かれているので,他の人に見せないようにしている 。 その子孫がし、 かに生活に困ろうとも,清貧潔白な士人である限り書物を売却することはない のである 。 このような事情のため朝鮮に書広があっても,売っているのは経書 の漢籍か印刷した最近の日文の翻訳物ばかりで,古書が庖頭に並ぶことはない。.
(12) 近畿大学法学第 6 1巻第 2・3号 雑誌『太陽』第十二巻八号(太陽)に「韓国の文学春香伝の梗概」を載 せ,一九-0 年に『朝鮮の物語集附但諺Jl (日韓書房)を刊行し,. r. r 春香伝』. r. 『興夫伝Jl 長花紅蓮伝Jl 再生縁』ωを和訳している O 雑誌『朝鮮』では,高橋が「政治上の意味に於て朝鮮文学の研究は,吾 が徒が当然為すべき義務ある者として,其の趣味と特色とを広く紹介する. J という目的をもって『春香伝』を翻訳したことがわかる。 事に力めた L、. 殊に朝鮮文学に至っては僅かに史家が史料の編纂に資せん為め諸 書を漁りつつあるに止まって,而も文学の研究とは意味を異にして けんかく. 居る O 尚ほ且つ其れすらも記録に止むるもの少なく,充分の研豪に はいししようせつでんきなどただ. かんきょう. 苦 ん で 居 る 有 様 で あ る 。 況 や 稗 史 小 説 伝 記 等 只 に 一 時の感興を買 売し或は贈呈物とせる風習ある彼の地に於いてをやで,実に取って 観る可きの書に乏しくなって居る,要するに歓本となるも之れを填 補するの意志もなく,又大体に於て保存の方法が無いからであるが, 併し尽く無いと云ふでもなく,仮し無いとするも従来の知く不問に は附せられぬ事を感ずるのである,要は政治上の意味に於て朝鮮文 学の研究は,吾が徒が当然為すべき義務ある者として,其の趣味と. 当時,朝鮮の古書を多く所蔵しているのはわずかに公使館の前間通訳官と,幣 原博士,その他民間では二,三人ばかりである 。幣原博士は早く京城を去って しまった。私の財力は微々たるものであって到底,両班学者たちの秘蔵の書籍 や記録を借り出すことができない。(中略)歴代の王や宰相が,慶尚南北道の儒 生を見ること,日本の王朝時代に天皇や大臣が山法師を見るが如くである 。(中 略)彼らの意見に反したら,郡主や県監もなにもできない。慶尚南北道が治め られなければ十三道全てが動かな L、。(中略)朝鮮に於いてもっとも節制あって 合理的信念に従って動くのは慶尚南北道の儒生である 。総督府が私に三南(忠 清,慶尚,全羅)儒生を調べさせたのもこれゆえである 。高橋亨『李朝仏教」 大阪賓文館・賓文館, 一九二九年,緒言の二 七頁参照。 ~. ~再生縁』とは『淑英娘子伝』のことをさす。.
(13) 明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況. 特色とを広く紹介する事に力めたいのである,由って先づ手を触る るに至ったのは,即朝鮮の名花と称せらるる春香の伝である,ーは 青年男子に請せられ,ーは深窓の淑女に愛観され,ーは課程の教訓 として賞揚さるる処の春香伝である,其の内容は,詩歌,遊興,地 理,建築,衣食,調度,を明にし又調世噺俗笑誰する所に至っては 本文に入るにあらざれば尽す事を得ぬ,只恨むらくは此の原本が漢 訳でなく,漢半島の一種の文字,即ち諺文に由って書かれて居る, 事其れが既に珍らしいのみならず其の冊子すら余りに多くな~, 。 殊. に破れた処もあり摺れた処もある位で,之れを遺憾なく訳するは我 が力の遠く及ばざるを憾みとするのである ω 。. 高橋亨は,当時の京城で高等学校の学監として多数の韓国人学生を教育 し,韓国語や国情に通じていた。彼が『春香伝」 を訳したのも,その国を 統治する側として,. r 為政者社会政策者の経営施設への貢献」という目的. があった。 このことは『朝鮮の物語集附僅諺』に記されている O. 物語は社会生活の精髄的縮図にして,或は極めて上代に,或は下 りて中世に若しくは近き過去の人の手に成り,善く社会の興味を刺 戟して口々相承けて長く伝はり来れるものなり O 社会を唯だありの 偉に看過すれば一枚の写真を見るが如し,何等の意義をも割む能は ず。社会観察者はありの偉の生活の中に動かぬ風俗習慣の特色ある を認識せざるべからず。風俗習慣を究むるは猶不充分なり O 更に其 の風俗習慣を一貫する所の精神を看取し,而して其の社会を統制す. ω 高橋仏罵「韓国の文学春香伝の概説J~太陽』第十二巻第八号,太陽,. 一九. 0六年六月を参照。 日次には高橋仏骨と書かれているが,高橋仏駕のことで, 高橋亨をさす。.
(14) 近 畿 大 学 法 学 第6 1巻第 2・3号. る所の理想、に帰納して,始めて社会研究の能事畢れりとなすべし O 是の社会精神と理想、とを完全に発見し得たらんには,これ綱の大綱 を提げたるにて,為政者社会政策者の経営施設にも多大の貢献を輿 ふ直ちに民衆の心泉を割みて此に陶治の工夫を着くるを得せしむれ ばなり O 予客歳以来如上の目的を以て朝鮮の物語と僅諺とを蒐集し,積む て本書を成せり ω. 一方で,元東京朝日新聞記者であり, I 朝鮮研究会」 に加わり,後に自 由討究社を起こした細井肇(一八八六. 一九三四 )ω は , 一九一一年, ~朝. 鮮文化史論』第八篇「半島の稗史小説」 に 『秋風感別曲 J~南薫太平歌」 『沈清伝J~懲底録J ~九雲夢 J ~趨雄伝 J ~洪吉童伝J ~春香伝 J ~長花紅蓮 伝 J~再生縁』を抄訳している O. 『朝鮮文化史論』の冒頭には「この幼き努力のあとを謹んで故武田範之 先生の霊前にささげまつる著者」とある O 武 田 範 之 ( 一 八 六 三 一九 一 一)は新潟県出身の曹洞宗の僧侶だが,一八九 O年(明治二三〉 に政客と. 倒. 高橋享『朝鮮の物語集附但諺J(日韓書房,一九一 0) 収録。同書の 「自序」 一,三. 四頁参照 0. ( 3 @ 細井肇は新聞人,初め東京朝日新聞記者後同社を辞し,南北支那を周遊し, 岐路朝鮮を見聞するにおよんで朝鮮問題の研究に志し,. 日韓電報通信社に入り. 朝鮮言論界に活躍した。大正十年自由討究社を起こし,. r 通俗朝鮮文庫」および. 「鮮満叢書」大正十一年を刊行。 棲井義之,前掲書 ( 一九七九), 三 O ~ 三一頁 参照。 細井については,次のような『講談社日本人名大辞典』の説明もある 。 一八八六年 ( 明治十九)二月東京生まれ。一九三四年 ( 昭和九)十月十九日没。 明治から昭和時代前期の新聞記者,評論家。内田良平らの日韓合併運動を支援。 東京朝日新聞政治記者ののち,朝鮮に渡り, 一九二 O年(大正九) 自由討究社 昭和五),月旦社を創設し雑 をおこし朝鮮の民族研究にとりくむ。一九三 O年 ( 誌 「人の噂 J ,のち 「 人と国策 Jを発行,主宰 した。上田正昭ほか「講談社日本 一年,一六八五頁参照。 人名大辞典」講談社,二 0 0.
(15) 明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況. して渡韓し, 韓国併合を推進した人物である的。 したがって細井肇自身も 日韓同化を強く意識しており, 以下の自序にそれが表れている O. ちしつ. 自序. 同化の第一歩は対者の利病を知悉するにあり(中略)従来. 朝鮮研究に関し上梓せられたるもの,概ね時代の断片若しくは側面 を窺うに止まり,未だ統一的記述を有せず, 乃ち自ら端らずここに ゆえんなり. この著ある所以也(中略)京城苧洞の僑居に於て. 細井肇ω. (振り仮名:筆者). また凡例をみると,文学作品の翻訳に関しては, 山地白雨,稲田春水, 草場謹三郎らの助けを得ていたことが記されている O. - ij // lil i--ol-. 間 武田は当初開教とか布教といった目的で渡ったのではない。 むしろ政治に関 心をいだき政客として朝鮮に渡り,天祐教団なるものを組織して右翼的な活躍 を続けていたが後に不法者として日本に送還された 。 しかし再び明治三九年 (一九 O六〉黒龍会なる政治団体の委嘱によって渡鮮し,日韓合同の朝鮮側の与 論を喚起するために裏面工作をなした。 その功績は表面に表れなかったにせよ 偉大なるものがあったと伝えられている 。 彼は国事奔走の傍ら朝鮮仏教円宗の 総顧問となり政教両面に亘って活躍していた。 ために明治四一年(一九 O八) 二月宗務当局は彼を曹洞宗朝鮮布教監理に任じた。同年七月,武田範之により 京城大和町に曹諮寺という布教所が開設された。 この曹諮寺は後に朝鮮布教総 監部となる重要な寺院であった。 また明治四三年 ( 一九一 0 ) には,京城若草 町に約三百坪の敷地を購入し, そこに曹洞宗両大本山仮別院と曹洞宗朝鮮布教 管理所とを設置した。曹洞宗海外開教伝道史編纂委員会編『曹洞宗海外開教伝 道史』曹洞宗宗務庁,一九八 O年,四 五,三一,三三,三三四頁参照。曹洞 宗は一八九四年に国家権力ではなく教団側からの申請で従軍布教師を中国に送っ ている 。 また『曹洞宗海外開教伝道史』 の内容も誤った歴史認識と鮮人などの 差別表現があり,後に謝罪文を出し回収している。曹洞宗人権擁護推進本部 ~I曹洞宗海外開教伝道史」回収について』曹洞宗宗務丁,. 二頁参照。 ( 3 8 ) 細井肇,前掲書(一九一一),十六 十八頁。. 一九九二年,. 三,二.
(16) 近 畿 大 学 法 学 第6 1巻第 2・3号. 文友山地白雨,僚友稲田春水の両君は軟文学中の一部分に対し,文 辞の修飾,若くは材料の提供に於て本書の完成を助けられたり O 尚 此他に警務総監部通訳官草場謹三郎はその該博深遠なる支那文学の 葱蓄を以てして親しく本書を校閲せられたり,葱に特記して以上の 諸氏に深謝の意を表す。明治四十四年七月著者しるす ω. 細井肇はこの時,二十五歳であったこともあり,多くの序が寄せられて おり,その結びには以下のように記されている O. 「八月嶺南の閑居に於いて 「明治辛亥八月 「友人細井肌崖氏. 長風生ω J. 河合弘民」 明治四十四年七月. 「序肌崖兄足下明治四十四年夏日. 京城に於いて. 大村琴花」. 於 京 城 青 柳 南 冥」. 「序飯泉東洋」 「明治辛亥の孟夏望天肌村困惑麿」 「辱知山路白雨」 ω. はるかに年長である大村琴花の 「 友人細井肌崖氏J ,青柳南冥の「肌崖 兄足下」という言葉から,細井は年少でありながらも朝鮮関係の知識人と して独歩的な存在であったことがうかがわれる O その後,細井肇は一九二一年に『朝鮮研究叢書』全十巻, 庫』全十二輯,. r 通俗朝鮮文. r 鮮満叢書』全十一巻を相次いで自由討究社から刊行し, r. r. r. r. 『秋風感別曲 J 広寒楼記 J 懲訟録J 洪吉童伝J 沈清伝』などの作品を. ( 3 9 ) 細井肇,上掲書,二十 二一頁。. ω 菊池謙譲をさす。. ω 細井肇,上掲書,ー. 十五頁。.
(17) 明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況. 新たに和訳掲載した。さらに一九二四年には『淑香伝J~雲英伝」も加え, 奉公社から「朝鮮文学傑作集」を刊行した。しかし,これらの作品は重複 する内容や再版が多し、。 『朝鮮研究叢書」第一,二巻 は『通俗朝鮮文庫』 第一,六輯と, ~朝鮮研究叢書』三巻は『鮮満叢書』第六巻と重複してお り,朝鮮研究叢書第四巻以降はすべて『通俗朝鮮文庫J~鮮満叢書」から の再版である O. 通 俗 朝 鮮 文 庫 第 l輯. 牧民,心書. 1 9 21 .3. 通 俗 朝 鮮 文 庫 第 2輯. 荘陵誌謝氏南征記. 1 9 21 .4. 通 俗 朝 鮮 文 庫 第 3輯. 朋黛士禍の検討九雲夢. 1 9 21 .5. 通 俗 朝 鮮 文 庫 第 4輯. 朝鮮歳時記虞寒棲記. 1 9 21 .6. 通 俗 朝 鮮 文 庫 第 5輯. 懲意録南薫太平歌. 1 9 21 .7. 通 俗 朝 鮮 文 庫 第 6輯. 丙子日記. 1 9 21 .9. 通 俗 朝 鮮 文 庫 第 7輯. 洪吉童博. 1 9 21 .1 0. 通 俗 朝 鮮 文 庫 第 8輯. 八域誌秋風感別曲. 1 9 2 1. 11. 通 俗 朝 鮮 文 庫 第 9輯. 藩陽日記沈清博. 1 9 21 .2. 通俗朝鮮文庫第1 0輯. 雅言質非蕃花紅蓮惇. 1 9 2 2 .1. 通俗朝鮮文庫第1 1輯. 大亜遊記. 1 9 2 2 .4. 通俗朝鮮文庫第1 2輯. 李朝の文臣各種の朝鮮評論. 1 9 2 2 .5. 鮮 満 叢 書 第 1巻. 海瀧録燕の脚各種の朝鮮評論. 1 9 2 2 .7. 鮮 満 叢 書 第 2巻. 海瀞録的鳳風琴. 1 9 2 2 .8. 鮮 満 叢 書 第 3巻. 侍天教の教旨東経正義伯鳳風琴伺. 1 9 2 2 .9. 鮮 満 叢 書 第 4巻. 悲しき園. 1 9 2 2. 10. 鮮 満 叢 書 第 5巻. 東経正義肘朝鮮問題講演集. 1 9 2 2 . 1 1. 鮮 満 叢 書 第 6巻. 三園遺事. 1 9 2 3 .2. 鮮 満 叢 書 第 7巻. 鄭鑑録. 1 9 2 3 .2. 鮮 満 叢 書 第 8巻. 董永編. 1 9 2 3 .3. 鮮 満 叢 書 第 9巻. 朝鮮の教育. 1 9 2 3 .5. ω 大東遊記. 山地白雨遺稿. ω 淑香博. 鮮満叢書第1 0巻. 罷睡録. 1 9 2 3 .6. 鮮満叢書第1 1巻. 董永編同五百年奇聾雲英惇. 1 9 2 3.8.
(18) 近 畿 大 学 法 学 第6 1巻第 2・3号 朝 鮮 研 究 叢 書 第 1巻. 牧民心書. 1 9 21 .3. 朝 鮮 研 究 叢 書 第 2巻. 丙子日記. 1 9 21 .9. 朝 鮮 研 究 叢 書 第 3巻. 三園遣事. 1 9 2 3.2. 朝 鮮 研 究 叢 書 第 4巻. 八域誌荘陵誌. 1 9 2 6.4 再版. 朝 鮮 研 究 叢 書 第 5巻. 雅言費非董永編. 1 9 2 6 .5 再版. 朝 鮮 研 究 叢 書 第 6巻. 懲慧録藩陽日記. 1 9 2 6.6 再版. 朝 鮮 研 究 叢 書 第 7巻. 朋葉士禍の検討李朝の文臣. 1 9 2 6 .7 再版. 朝 鮮 研 究 叢 書 第 8巻. 海活字録(上・下). 1 9 2 6 .8 再版. 朝 鮮 研 究 叢 書 第 9巻. 五百年奇謹朝鮮歳時記. 1 9 2 6 .9 再版. 0巻 朝 鮮 研 究 叢 書 第1. 鄭鑑録. 1 9 2 6. 10 第 4版. また『朝鮮文学傑作集』の官頭にある i T朝鮮文学傑作集』の巻頭に題 す」をみると『朝鮮通俗文庫』の刊行までの経緯と,朝鮮研究会創設に関 する内容がある O. 私は大正九年四月に朝鮮会館の設立を発唱したが,時期尚早のた めに具体現を見るに至らなかった ω。 尤も朝鮮会館は,国家的に其 の必要を認められ,私たちが,計画したのと殆んど寸分違はざる組 織内容の会館が朝鮮総督府の手で実現されんとしつつあるのは,私 達主提唱者に取っての無限の悦びである O 当時事業に破れた私は, 会館の事業種目中の一つで、ある朝鮮古史古書の通俗訳解を思ひ立っ て,大正九年歳末朝鮮に赴き,今は生死も定かではない大庭景秋君 と共に創立した自由討究社の事業として,朝鮮の民族心性研究に関 する古史古書並びに詩歌小説の訳解を『通俗文庫」の名において刊. ω 細井肇は朝鮮会館設立のために私財を費やしており,. また関東大震災後,徹. 夜の執筆のために網膜剥離になったことが書かれている 。 細井肇編輯『牧民心 書』朝鮮研究叢書第一巻(自由討究社,一九一三)の後記にある長野虎太郎生 「細井氏の近業に就いて」 参照。.
(19) 明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況. 行することとなり,内鮮各地に同志を募り,四六版三百頁乃至二百 頁のものを毎月頒布ωした。 私は十七年前朝鮮において,長風,菊池謙譲・琴花,大村友之丞 両氏とともに朝鮮研究会を創設し,古史古書の直訳刊行を企て,荘 陵誌其他二三巻の古書を直訳し,朝鮮古書に親しむの機端を得て, 奥地勝覧とか東文選とか,東国文献備考とか,燃室記述とか,八域 志とか,三国遣事とか,高麗史など手当たり次第に頻りに濫読した。 その濫読に依って得たるものを綜合して一巻につづめたものが,朝 鮮文化史論である O 私は,それ以来朝鮮に在ると在らざるとに関は らず,朝鮮の事態に深甚の興味を引きつけられてゐた。朝鮮研究会 は其後経営困難のため長風,琴花両氏は退場して,現今の社長であ る南冥,青柳綱太郎氏が其の事業を継承した O 私は窓うした関係から,朝鮮に対して浅からざる縁を有つ。大正 八年三月 一 日,独立万歳騒擾の突発を東京に在って耳にした時,私 は私の一生の使命が,明らかに指し示されたのを見た。騒擾後直ち に南北支那を周遊しての帰途,朝鮮の事態を観察しそこに刻々に音 もなく国運民命を蝕み行く悪質の『癌』 を明らさまに眼に見ること ができた。帰来,私はーの決意を以って朝鮮に臨むことになった。 内鮮の真の結合は,何よりも先づ内地人が朝鮮人を理解するにある O 特長も欠点も知り抜いて,その特長に敬意を表すると共に,欠点に 同情するにある O 対者の特長も知らず,ただその欠点のみを蔑み憎 しんで居て,口頭に『親善 Jr 融和』を追求しても何が出来ゃうぞ。 大凡国家民族の心性を理解せんが為には,其の国家民族の文学を知 るより径捷なるはな~ ¥ " 。文学は,人情の極致を蒸溜して,水品玉の. ω 実際には一九二一年二月から一九二二年五月 二二年二・ 三月を除く 〉 までの毎月である 。. ( 一九二一年八・一二月と一九.
(20) 近 畿 大 学 法 学 第6 1巻第 2・3号. 如く結晶したるもの,単に当時の時代精神を知るの便宜にあるのみ ならず,時の古今を縦断して,その国民性格の由来を察することが できる O 然るに,朝鮮の古史古書の刊行されたるもの,朝鮮古書刊 行会の原文其僅のものと,上記の朝鮮研究会の二種あるのみ O 前者 は高価にして一般国民の購読に便ならず。後者も直訳にては意を尽 さざる節が少くなし 1。 内地人に朝鮮を諒解せしめるためには,難解 広汎なる朝鮮の古史古書を提要して通俗な言文一致に訳解するに如 くはないと信じるがため,その信じたるところに向かつて全力を傾 倒したのが通俗朝鮮文庫であり,鮮満叢書である ω. この文章は一九二四年九月に書かれたものであるが, I 十七年前朝鮮に おいて,長風,菊池謙譲・琴花,大村友之丞両氏とともに朝鮮研究会を創 設」とあることから, 一九 O七年(明治四十年)頃,すでに朝鮮研究会が 創設されたことになる O これは朝鮮研究会の発足と思われる「朝鮮研究会 創設趣旨書」が記録された一九 -0年十一月より三年も早い。したがって, 細井が十七年前というのは,おそらく記憶違いかと推測される O なお一九 二一年に刊行された通俗朝鮮文庫第二輯『荘陵誌・謝氏南征記』の「荘陵 誌の訳術について」には, I 荘陵誌は,今から十一年前,私が菊池謙譲, 大村友之,青柳綱太郎,飯泉良三 の諸君と朝鮮研究会を起した頃,一度直 訳したことのあるもので,其の直訳は平壌続志と合本になって朝鮮研究会 から発刊されて居る 。」ω とあり,朝鮮研究会について,一九-0 年に発足. ω 細井肇 i r 朝鮮文学傑作集」の巻頭に題す Jr 朝鮮文学傑作集J(奉公会, 二四),二. 一九. 六頁。細井肇はこの冒頭を大正十三年 ( 一九二四〉九月十五日に記. した。 この内容から,一九一九年の三・ー独立運動が, 自由討究社設立と『通 朝鮮研究叢書 Jr 鮮満叢書』出版の契機となったことが分かる。 俗朝鮮文庫Jr 帥. 細井肇編 『通俗朝鮮文庫第二輯荏陵誌・謝氏南征記』自由討究社,一九二一 年三月,ー頁。.
(21) 明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況. したことが記されている O 朝鮮研究会から彼の名前がなぜ評議員に掲載されなかったのかは不明で ある O おそらく彼の年齢が若かったということとも関連するのかもしれな L、 。 また彼の「内鮮の真の結合」へのエネルギーは植民地支配の肯定を前. 提としており,その点で彼の文化事業に対する評価には厳しいものもある 。 以下は梶井捗の細井に対する鋭い指摘を示している O. 朝鮮民衆の歩んできた道を一人ひとりの日本人がおのれの目で しっかりと確かめることによって,現実にある統治の対象としての 朝鮮,あるいは朝鮮人を理解しようという細井の主張は,三・ 一運 動の評価などにみられる歴史分析のあいまいさや誤り,植民地統治 そのものの是非という,最も根源的な問題と向き合おうとする姿勢 の欠如や,かんじんの文学史観のゆがみなどの問題点を含みながら もなお,かなりな説得力をもって迫って来るように私は思われる ω 。. かれが朝鮮統治に対していだいた危機感は,. しょせん,統治を感. 情的に肯定した上に立つものでしかなかったことは確かなのだが, それでもなおその足跡が消し去ることのできない鮮明さで残されて いることを,確認しておく必要があるのではあるまいか ω。. 梶井は「植民地統治そのものの是非という,最も根源的な問題と向き合 おうとする姿勢の欠知」を指摘する 一方で, I 現実にある統治の対象とし ての朝鮮,あるいは朝鮮人を理解しようという細井の主張」すなわち 「 朝. 帥梶井捗,前掲論文,二一一頁。 仰梶井捗,上掲論文,二一四頁。.
(22) 近 畿 大 学 法 学 第6 1巻第 2・3号. 鮮統治に対していだいた危機感」が「かなりな説得力をもって迫って来る 」 とし, I 消し去ることのできない鮮明さで残されていること」を論じてい るO. さらに「朝鮮文化史論』をはじめ,多くの古典文学作品を「言文一致に 翻訳して一般の日本人にも読めるようにした意義は大きかった」ωとし,そ の業績に関しては高く評価している O. 青柳南冥『朝鮮文化史大全 J(朝鮮研究会,一九二五四,稲葉岩 吉 ω 「朝鮮文化史研究 J(雄山閣一九二五),の二著があるが,細井 Oは , のそれ G. これらより十数年も先んじて出された,おそらく日本. 人としては最初の「朝鮮文化史」研究の書であった。 しかもそれに は特徴があった。 それは,. (中略)文学史を底辺とした文化史論で. 。 あったという点である ω. 私の知るかぎり,. 日本人として植民地統治時代の朝鮮で朝鮮文学. と本格的に取り組んだのは細井肇であった。 しかしかれの対象とし たものは古典で,史書から野談,伝説の類まで非常に広範囲にわ たっており,文化全般であった倒。 側 梶 井 捗 , 上 掲 論 文 , 二 O八頁。. 帥. 青柳南冥 『朝鮮文化史大全~ ( 朝鮮研究会,一九二四)をさす。発行年が一九. 二五年となっているが, 一九二四年の誤りである 。ここではそのまま引用した。 側. 文学博士,稲葉岩吉。君山と号し東洋史の権威として,朝鮮満州関係の著作 が多 L、 。 山口高商,陸軍大学等の講師から朝鮮総督府修史官となり,後,建国 大学教授となったが,昭和十五年五月廿三日病没。享年六十五。棲井義之 『朝 鮮研究文献誌一明治・大正編』龍渓書舎, 一九七九年,一一六頁。. 日) 一九一一年刊行の『朝鮮文化史論』をさす。 (5~ 梶井捗,前掲論文,二O八頁。. ω 梶井捗 頁。. r. 「日本の中の朝鮮文学 J 朝鮮文学』終刊号,一九七四年八月,五八.
(23) 明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況. たしかに「細井の前に細井なく,細井のあとに細井なし」 という ことになってしまう一それほどかれの活躍は精力的で目覚ましいも のがあったのだω。. しかし細井の目覚ましい活躍はともあれ,梶井自身が指摘しているよ. r 朝鮮文化史論』にある作品の中で, r 秋風感別曲 Jr 南薫太平歌』 『沈清伝Jr 九雲夢 Jr 趨雄伝Jr 洪吉童伝』は新出であるが,抄訳『春香伝』 『長花紅蓮伝Jr 再生縁』は既に高橋亨の『朝鮮の物語集附但諺』 でも訳さ れた作品である 旬 。 また「言文一致に翻訳」したとはいえ, r 趨雄伝』は未 完訳でω ,r 九雲夢』など,青柳綱太郎編の刊行物の同作品と比べて雑な箇 うに,. ω 梶井捗,前掲論文,. 二 O八頁。. w 梶井捗,上掲論文,二一四頁。 細井自身も以下のように述べている 。 「春香 伝,再生縁,及び長花紅蓮伝の三種は既に文学士高橋亨氏によって翻訳せられ, 同氏の著述 「 朝鮮の物語集附但諺」中に揚げられる,能く其要を摘み冗を削り, 訳筆頗る流麗也。 惟ふに, 一般読書子はこれによって充分原書の内容を知悉し 玉ふべし,のて予は唯其梗概を摘記するに止めたり 」 。 細井肇,前掲書 ( 一九一 一),六二七頁。『春香伝』の主人公の名前が李鈴となっていることから,雑誌 『太陽』掲載の高橋仏罵 「 韓国の文学 春香伝の概説」を参考としている 。 ( 0 0. r 趨雄伝」が未完訳であることについて,細井自身が次のように述べている 。. 「以上は,趨雄伝の五分のーばかりを意訳せるに過ぎず,趨雄ここに発奮して四 方に遊び,時に或は才媛を得て恋を語り,時に或は難に遇ふて文武の才を試み 巧名目に高く,遂に李柄に報復するに至るといふ,故にここにこの篇の筆を摘 くは,単に緒言を紹介せしに過ぎざるが如き感あれども 。 これ以下の原本を得 ざりしが為め遂にここに止むるの巳むなきに至れり 」 。 細井肇,上掲書,六 0 0 頁。また訳が十分でないことも本人が認めている 。「半島に於ける軟文学は以下 の諸篇に尽くされたるに非ず,金剛夢遊録,謝氏南征記,林慶業伝,於干野談, 清江雑著, 皇極篇,懐尼問答等の如き, 一般鮮人間に愛読せられ,尚この他に, 第二流第三流の読者を有する著書を列挙し来らば優に数十種を数ふべし。 予は 未だ此等の読書に指を染めざるを以て其内容をここに紹介する能はざるを遺憾 とす,以下の諸篇も或は全きあり,或は其一部分を訳出したるに止まるものも あり,直裁に日はば未だ公けにすべからざる未製品に属す」細井肇,上掲書, 五五一頁。.
(24) 近 畿 大 学 法 学 第6 1巻第 2・3号. 所も多い。また 自由討究社から新たに翻訳された古典小説は 『淑香伝J~雲 英伝』にすぎず,その全てを細井自身が訳したものではなし 1。したがって, 細井の前に細井なく,細井のあとに細井なし」 とは言 い難い。 実際には, I 細井が他のメンバーに比して文学,それも小説に比重を置いたことは事実 であり,この点は注目に値する O また『朝鮮文化史論』に載せられた高麗 の文臣の概略など,文学研究において重要なものだといえる O しかしなが ら細井は,博覧強記の人ではあるが,内戦一体の情熱を文学にぶつけたと いう感が否めず,歴史的知識が豊富な青柳綱太郎や,言語や宗教への造詣 も深かった高橋亨と比べ,学問的なレベルに於いて,底が浅いといわざる を得な~. ' 10. 同じく朝鮮研究会創設のメンバーであり,朝鮮総督府中学校教諭専務幹 事であ った青柳綱太郎は一九一二年から一九一六年にかけて古書珍書刊行 とされるシリーズを出版し,第一期第九輯の『朝鮮野談集』をはじめ,第 二期には原文和訳対照の『謝氏南征記 J~九雲夢 J ~漢唐遺事J ~燕巌外集』 など,多くの古典作品を収録している O. 朝鮮研究会シリーズ刊行本 第一 四期「朝鮮研究会古書珍書刊行(第二. 三期)含む」. 1 9 11 . 1 大村友之丞編. 『角干先生賓記看羊録東京雑記』. 1期 1輯. 1 9 11 . 4 大村友之丞編. 『荘陵誌、・平壌績志」. l期 2輯. 1 9 1 1 . 5 大村友之丞編. 『牧民心書上巻』. 1期 3輯. 1 9 11 . 7 大村友之丞編. 『牧民心書 中 巻 』. 1期 4輯. 1 9 11 . 9 大村友之丞編. 『牧民 心 書 下巻」. l期 6輯. 1 9 11 .1 1 青柳綱太郎編. 『経世 遺 表 第一」. 1期 7輯. 1 9 1 1. 12 青柳綱太郎編. 『 経 世 遺 表 第 弐」. 1期 8輯. 1 9 1 2 . 1 青柳鋼太郎編. 『朝鮮野談集』. l期 9輯. 1 9 1 2 . 4 青柳綱太郎編. 『鮮人之記せる豊太閤征韓戟記. 1 9 1 4.3 青柳綱太郎編. 『原文和諜封照謝氏南征記九雲夢全』. 全』. l期 1 0輯 2期 l輯.
(25) 明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況. 1 9 1 4.4 青柳綱太郎編. 『 原 文 和 語 封 照 三 園 史 記 上』. 2期 2輯. 1 9 1 4 .5 青柳綱太郎編. 『原文和諜 封 照 三 園 史 記. 下」. 2期 3輯. 1 9 1 4 .6 青柳綱太郎編. 『原文和語針照. 小 華 外 史 上』. 2期 4輯. 1 9 1 4.8 青柳綱太郎編. 『原文和誇封照. 小 華 外 史 下』. 2期 5輯. 1 9 1 4 . 1 0 青柳綱太郎編. 『山林経 済 全 』. 2期 6輯. 1 9 1 4. 11 青柳綱太郎編. 『原文和語封照東園通鑑ー』. 2期 7輯. 1 9 1 4 . 1 2 青柳綱太郎編. 『原 文 和 諜 封 照 東 園 通 鑑 二 』. 2期 8輯. 1 9 1 5 . 1 青柳綱太郎編. 『原文和諜封照東園通鑑三』. 2期 9輯. 1 9 1 5 . 2 青柳綱太郎編. 『原文和語針照東園通鑑四』. 2期 1 0 輯. 1 9 1 5 .3 青柳綱太郎編. 『原文和諜封照東園通鑑五』. 2期 1 1輯. 1 9 1 5 .4 青柳綱太郎編. 『原文和詳封照東園通鑑六』. 2期 1 2輯. 1 9 1 5 .5 青柳綱太郎編. 『原文和誇封照海遊録』. 2期 1 3輯. 1 9 1 5 .6 青柳綱太郎編. 『原文和語封照三園遺事全』. 2期 1 4 輯. 1 9 1 5 .7 青柳綱太郎編. 『慕夏堂集全」. 2期 1 5輯. 1 9 1 5 .8 青柳綱太郎編. 『原文和訳対照漢唐遺事」. 2期 1 6輯. 1 9 1 5 .9 青柳綱太郎編. 『原文和語封照朝鮮外冠史』. 2期 1 7輯. 1 9 1 5. 10 青柳綱太郎編. 『原文和誇封照大韓彊域考上』. 2期 1 8 輯. 1 9 1 5. 11 青柳綱太郎編. 『 原 文 和 書 封 照 大 韓 彊 域 考 下』. 2期 1 9輯. 1 9 1 5. 12 青柳綱太郎編. 『燕 巌 外 集 上 』. 2期 2 0輯. 1 9 1 6 . 1 青柳綱太郎編. 『燕巌外集下』. 2期 2 1輯. 1 9 1 6 .2 青柳綱太郎編. 『高麗史提綱上』. 2期 2 2輯. 1 9 1 6.3 青柳綱太郎編. 『高麗史提綱中」. 2期 2 3輯. 1 9 1 6 .4 青柳綱太郎編. 『 高 麗 史 提 綱 下J. 2期 2 4 輯. 1 9 1 6 .7 青柳綱太郎編. 『原文和誇封照青埜護輯. 上』. 3期 2 5輯. 前韓国内閣編集 1 9 1 6 .8 青柳南冥増補. 『 原 文 和 語 封 照 青 埜 護 輯 下』. 3期 2 6輯. 1 9 1 6.9. 前韓国内閣編集 青柳南冥増補. 『原文和語劃照李舜臣全集上』. 3期 2 7輯. 1 9 1 6 . 1 0. 前韓国内閣編集 青柳南冥増補. 『原文和諜封照李舜臣全集. 3期 2 8輯. 下』. 1 9 1 6. 11 青柳綱太郎編. 『 原 文 和 語 封 照 芝 峰 類 説 上』. 3期 2 9輯. 1 9 1 6 . 1 2 青柳綱太郎編. 『原文和誇封照芝峰類説下』. 3期 3 0輯. 1 9 1 7.1 青柳綱太郎編. 『 原 文 和 諜 封 照 芝 峰 類 説 中』. 3期 3 1輯.
(26) 近 畿 大 学 法 学 第6 1巻第. 青柳綱太郎編 李文田 註. 2・3号. 『 元 朝 秘 史 註 全』. 3期 3 2輯. 1 9 1 7 .3 青柳綱太郎編. 『園朝賓鑑. ー』. 3期 3 3輯. 1 9 1 7 .4 青柳綱太郎編. 『園朝賓鑑. 二』. 3期 3 4輯. 1 9 1 7.5 青柳綱太郎編. 『園朝賓鑑. 三』. 3期 3 5輯. 1 9 1 7.6 青柳綱太郎編. 『園 朝 賓 鑑 四』. 3期 3 6輯. 1 9 1 7.7 青柳綱太郎編. 『園 朝 賓 鑑 五』. 3期 3 7輯. 1 9 1 7 .9 青柳綱太郎編. 『原文和語封照増補文献備考. 1 9 1 7 . 1 1 青柳綱太郎編. 『原文和語封照増補文献備考二』. 4期 3 9輯. 1 9 1 7 . 1 2 青柳綱太郎編. 『 原文和語封照増補文献備考. 4期 4 0輯. 1 9 1 8 .1 青柳綱太郎編. 『原 文 和 語 封 照 増 補 文 献 備 考 四』. 4期 4 1輯. 1 9 1 8 .2 青柳綱太郎編. 『 原 文 和 書 封 照 増 補 文 献 備 考 五」. 4期 4 2 輯. 1 9 1 8.4 青柳綱太郎編. 『原 文 和 書 封 照 増 補 文 献 備 考 六』. 4期 4 3 輯. 1 9 1 8.6 青柳綱太郎編. 『原文和課封照増補文献備考七』. 4期 4 4 輯. 1 9 1 8.9 青柳綱太郎編. 『原 文 和 葬 封 照 増 補 文 献 備 考 八 』. 4期 4 5輯. 1 9 1 8.1 青柳綱太郎編. 『原 文 和 書 封 照 増 補 文 献 備 考 九』. 4期 4 6輯. 1 9 1 8. 12 青柳綱太郎編. 『原 文 和 語 封 照 増 補 文 献 備 考 十』. 4期 4 7輯. 1 9 1 7 .2. ー』. 三』. 4期 3 8輯. r. ところで古書珍書刊行の一期の作品については未詳な点がある o 朝鮮 文化史論』明治四十四年八月の裏書 にある 「 本会既刊書目」には,以下の ような内容がみられ,これらが一期の最初にあたると思われる O. 第一輯東京雑記,看羊録,角干先生実記 第二輯 荘 陵 志 , 平 壌 続 誌 第三輯 牧 民 心 書 上 第四輯牧民心書下. ところがこれ以降の 『 牧民心書下』を見ると,本来第五輯になるはずで あるが,その奥付には「第 6回配付分」 とあり,実際の古書珍書刊行シ.
(27) 明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況. リーズの第一期は以下のように構成が未詳である O. 第一輯角干先生賓記看羊録東京雑記 第二輯荘陵志,平壌続誌 第三輯牧民心書上 第四輯牧民心書中 第五輯. ?. 第六輯牧民心書下. 「第六回配付分」. 第七輯経世遺表第壱. 「第七回配付分」. 第八輯経世遺表第弐. 「第八回配付分」. 第九輯朝鮮野談集. 「第九回配付分」. 第十輯豊太閤征韓戦記. ちなみに,奥付の「第九回配付分」は六回以降から付記されており,そ れ以前は刊行年度から順番を定めるしかない。また「第十輯 豊太閤征韓戦 記」には配付分の箇所が記載されていない。 棲井義之『朝鮮研究文献誌 一明治・大正編』の二九頁には以下のように 掲載されている O 第六. 八輯を『経世遺表』としているが,. は第壱と第弐しかないので,これも矛盾する構成である O. 第一輯角干先生賓記看羊録東京雑記 第二輯牧民心書 第三輯 牧 民 心 書 第四輯荘陵志,平壌続誌 第五輯牧民心書 第六輯経世遺表. つ. r 経世遺表』.
(28) 近 畿 大 学 法 学 第6 1巻第 2・3号. 第七輯経世遺表 第八輯経世遺表 第九輯朝鮮野談集 第十輯豊太閤征韓戦記. 第二期一輯から 三期二六輯に関しては二六輯を除き,全輯の表紙に 「 朝 鮮研究会古書珍書刊行」第何輯と明記してある O また三期二七輯以降は何 も記載されていない。第四期に関しては,国立国会図書館の表記にあるの みで,他にはどこにも第四期という言葉が記されていな L例。 したがって, 四期分類の根拠に関しては未詳である O また,第二 ・三期である青柳綱太郎の『古書珍書刊行』 とその和訳につ いては,細井への厳しい評価と同様の考えがみられる O 再快済は,. r 古書. 珍書刊行』の評議員について 「 韓国文化研究を日本の国益と直結文学を通 じて矛盾した理論的根拠を定立させて,植民史的文化論の記述並びに拡大 再生産に利用しようとした」 とし,彼らが意図した韓国文化研究とは「朝 鮮に植民地を建設しようとする日本国の理論的根拠を捺えるためであった」 と主張した。また青柳南冥『謝氏南征記』の叙から i I謝氏南征記』を「九 韓国の歴史事件を浮き彫りに 雲夢』 より優位に取り上げている 」 とし, I して,党争を前面に打ち出した歴史主義的な文学解析によって,その目的 を強調した」 と結論づけた問 。 おそらく再快済の結論は『古書珍書刊行 J ,すなわち朝鮮研究会発行の 第二,三期の作品構成だけで評価したためだと思われる O 文学作品の翻訳 開. 梶井捗 「 朝鮮文学翻訳の足跡己一続古典の翻訳刊行 J(~ 季刊三千里』 秋二十 三号,三千里社,一九八 0),二三二頁には「増補文献備考」第三期三八. 四七. 輯として紹介している 。 ( 5 8 ) 高快済 「 伝統文化の理解と韓日両国関係一朝鮮研究会の古書珍書刊行を中心 にJ~朝鮮学報』 一七八 , 朝鮮学 会,二 00一年,一八一 ~ ー八二, 一八四頁。. 2 4 4.
(29) 明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況. は一期に『朝鮮野談集』があるように,ことさら『謝氏南征記』を強調し たわけではな L、 。一期から三期全体の文学作品を烏敵していえることは, 彼の興味が韓国の歴史や史実にあったことである ω 。 たしかに『九雲夢』 は思想的には奥深いものもあり,文学としては高く評価されるべきである が,韓国の史実や実像を映し出すものではな~ ¥ " 。 したがって彼が『謝氏南. 征記』に比べて『九雲夢』への関心が薄かったとしても何ら不思議ではな L、 。他の文学作品と比べて『九雲夢」 だけが虚構物語であることを考える. と,むしろ虚構物語であるにもかかわらず,文学的に優れたものであるが 故に掲載したのだと考えられる O. 4 . 昭和期以降の翻訳 一九二六年には,総督府財務局長を務めた和田一郎が,天民散史のペン ネームで『金驚新話』を和訳し,雑誌『朝鮮』に掲載している 側 。 朝鮮研究会古書珍書刊行に関しては朝鮮史学者であった青柳綱太郎の編輯で. ~9). あるため,歴史に重きを置いた作品の訳がなされている O それゆえ歴史から外 れるような箇所,たとえば「小華外史下』巻十一「大報壇志」の祭杷と関係す る箇所は「本篇は翻訳の価値なきを以て之を略す」 とある 。 青柳綱太郎編 『原 文和語封照小華外史. 下』古書珍書刊行第二期第五輯,朝鮮研究会,一九一. 四年, 二九五頁。 和田天民は, 一九二二年(大正十一) 七月 三 日から 一九二 四年(大正十三). 側. 八月一三日まで朝鮮総督府財務局長を勤めた ( 参考 URL: h t t p ://homepage1 .. n i f t y. comjkitabatakejtyosen.html)。 和田一郎(天民散史訳) r 金驚新話と. r. 其の著者J 無情の花と有情の花. 満福樗蒲記 J(~朝鮮』第一三九号,朝鮮総督. 府,一九二六年十二月 ), r 風流才子と崖家の娘. 李 生 窺 培 伝J(~朝鮮』 第一 四. r 浮碧楼の天女 浮碧亭酔遊記J(~朝鮮』 第一四一号,朝鮮総督府,一九二七年二月), r 龍宮の夢遊一龍宮赴宴録J( ~朝 鮮』第一四二号,朝鮮総督府, 一九二七年三月), r 地獄問答一南炎浮州志J( ~朝 O号,朝鮮総督府,一九二七年一月),. 鮮』第一四三号,朝鮮総督府,一九二七年四月 )0 ~金薫新話』のほかに,次の 翻訳もある 。 和田一郎(天民散史訳) r 東廟記 五. 金道令婚物語J~朝鮮』第一四. 一四六号,朝鮮総督府,一九二七年六,七月 。.
(30) 近 畿 大 学 法 学 第6 1巻第 2・3号. 一九三0年代は,高橋亨が内房歌詞,多田正知が高麗漢文学史や『青丘 永言』に関する紹介を行っているが,新たな古典小説の翻訳は見られない。 その後,. r 春香伝』の翻案や新訳が出た程度にとどまる ω。. 戦後の翻訳として特筆すべきは,一九七一年三月に刊行された洪相圭訳・ 第一巻 J(曽名文化社・大陸書房発売). 八束周吉編『韓国古典文学全集. r. r. r. r. がある ω 。 ここでは『春香伝J 洪吉童伝 J 興夫伝 J 林慶業将軍伝J 奮 花・紅蓮伝』 の五作品が訳されており,作品自体は既出のものばかりであ るが,巻末最後の「韓国古典文学瞥見」に古典文学概論内容が記載されて いる O その詳細は以下のようになっている O. 目次 序 言 国字 の創造 第一章上古時代文学 神話にかすむ伝説の詩歌 二.スオラボル千年の都に月明るく 三.五百年の王都松の都に 第二章. 時調文学 時調とはなにか. 二.善竹橋を朱く染めて 制 高橋亨 「 嶺南大家内房歌調 Jr 朝鮮』第二二二号,朝鮮総督府,一九三三年十 朝鮮』第一八一 一八三号,朝鮮総督府, 一月 。多田正知「高麗朝漢文学史 Jr 一九三O年六 八月 。『青丘永言』については本稿の注 を参照。 この時期に日 朝鮮文学を日 本の文学者が一人も朝鮮文学に接近しようとしなかった理由に, I 本文学の中の一つの地方文学としてしか取り扱っていなかった」 ことが挙げら れる 。梶井捗,前掲論文 ( 一九七四),六五頁参照。これは戦後になってもしば 岩波文庫,一九五六)など,在日朝 らくは同じ状況であり,許南麟 『 春香伝 J( 鮮人による翻訳があるのみであった。 側梶井捗,前掲論文(二三号),二三八頁参照。. ω. -246-.
(31) 明治期以降の朝鮮古典文学作品の和訳状況. ー. あ一死六臣. 四.花の朝月の夕べ 五.韓国のムォッ 第三章歌辞文学 一.散文への先駆 二. 松 江 鄭 激 第四章小説文学 小説の芽生え. 一 儒教と小説. →. 『 金糞新話 j r 花史 j r 洪吉童伝」. 一 国字小説の誕生 → 『九雲夢j r 謝氏南征記』彰善感義録』 四.儒教の分裂と小説の開花 1.朴祉源とその小説. →. 『両班伝』. 2 . 戦 争 物 語 → 『 壬 辰 録j r 超雄伝 j r 田再治伝 j r 張国振伝』 『劉忠烈伝』. 3 . 愛 情 小 説 → 『 春 香 伝j r 彩鳳感別曲 j (一名秋風感別曲) 『淑香伝 j r 淑英娘子伝j r 雲英伝 j (一名寿 玉丹春 j r 梁山伯伝 j r 白鶴扇 聖宮夢遊録) r 伝 』. 4 . 家 庭 小 説 → 『 蓄 花 ・ 紅 蓮 伝jr 沈清伝 jr コンジュイ・パッ チュイ』. 5 . 風刺小説 → 『斐樽将伝』 五.女流小説. →. 突丑日記 j r 閑中録』 『仁顕王后伝 j r. 解 説側. 側. 洪相圭訳・八束周吉編『韓国古典文学全集第一巻 J~干名文化社・大陸書房発 売,一九七一年,四八二. 五三五,五三九. 五四八頁 。.
(32) 近 畿 大 学 法 学 第6 1巻第 2・3号. 「 第四章小説文学」以降では,各々記載紹介された小説名を矢印で示し た。 また最後の解説では,翻訳した五作品の紹介が載せられている O おそ らくこれほどまで,古典小説の概説について詳しく論じたものは戦後に なって初めてではな~\かと考えられる O ひでや. その他には,一九七七年から一九八九年に行われた宇野秀輔ωの 「 朝鮮 文学試訳』全七O冊が挙げられる O 宇野秀禰については,一九四二年,聖 学院中学校高等学校の歴史担当の教員であった人で,一九七四年ごろから 朝鮮近代文学を訳し始め,一九七七年からは本格的に古典作品にも着手し. T こO 宇野秀輔『朝鮮文学試訳』作晶表. No.. 区分. 作品名 刊行年度. 典. 原. r c. 徐基源『馬鹿列伝 J 文学思想』一九 七二年二月号所載〉 崖海君『波紋 J 現代文学」 一九七三 年 ・二月号所載). 韓国短編 馬鹿列伝 1 小説紹介 l 波紋. 韓国短編 2 小説紹介 その二. 制. r c. パン・チョッパリ 題陶工の娘 馬徳昌大人. 原. r c. パク ・シジョン 『陶工の娘 J 新東亜』 一九七三年十月号所載) 鮮干煙『望郷』 鮮干;揮『馬徳目大人 JC 一九七二年,一志社). 宇野秀輔は一九二 O年東京生まれ。 一九四二年,東京帝国大学文学部国史学 科日本史専攻卒業。 同年三月,聖学院中学校高等学校に着任。一九五O年頃, 桑ヶ谷森男に日本史を教える 。 一九五一年 , 三省堂の高校国語教科書に 「映画 を味わうために 一 トーキーの表現」を執筆。 一九六七年,聖学院高等学校の評 価委員会の委員に選ばれる 。 一九八六年三月,聖学院中学校高等学校を定年退 職後,. 1 <雄 雑 伝〉一朝鮮古典文学翻訳の試み」を聖学院中学校高等学校編 『研. 究紀要』第五号(聖学院中学校高等学校, 一九八六)に掲載。 一九九 O年 一月 逝去。三省堂編修所『高等国語 二下』三省堂, 一九五一年八月,五七. 六九頁. 参照。聖学院 中学校高等学校編『聖学院 中学校高等学校百年史」聖学院中学校 七 , 三 一五 高等学校, 二 00. 三三二,三三五頁参照。 宇野秀輔については,. 鄭雅英氏,平方邦行氏,桑ヶ谷森男氏から, 感謝の意を表します。. ご情報をいただいた。 ここに深く.
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