<論説>L.G.ゴスリツキ“De Optimo Senatore”論--人権思想への影響との関連において
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(2) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. を 及 ぼ し た 。 ドイ ツ に も 神 学 者 に して 人 文 主 義 と プ ロ テ ス タ ン テ ィ ズ ム を 調 和 さ せ よ う と し た メ ラ ン ヒ トン(1497-1560),人 (1455-1522)が. お り,フ. 文 主 義 者 の ロ イ ヒ リン. ラ ン ス に はエ ラ ス ム ス と親 交 の あ っ た人 文 主 義 者. で 思 想 家 の モ ン テ ー ニ ュ(1533-92),ラ. ブ レ ー(1494-1553)が. い る。 イ. ギ リ ス に は エ ラ ス ム ス と 親 交 を 結 ぶ 人 文 主 義 者 で あ り,「 ユ ー ト ピ ア 」を 著 し,晩. 年 に は 大 法 官 を 務 め た トア ス ・モ ア(1478-1535),多. い た シ ェ ー ク ス ピ ア(1564-1616)が. くの 劇 作 を か. い る 。 ス ペ イ ン に は 風 刺 小 説 「ド ン ・. キ ホ ー テ 」 の 著 者 セ ル バ ン テ ス(1547-1616)が. い る。 ま た 羅 針 盤 や 印 刷. 機 が 発 明 され たの も この 頃 で あ る。 グ ー テ ンベ ル クの 発 明 す る活 版 印 刷 術 (1450年 頃)に. よ り ル ネ サ ン ス の 新 し い 思 想 は 瞬 く 間 に 流 布 し た の で あ り,. こ う して ル ネ ッサ ン ス は 中 世 の 暗 黒 時 代 の 束 縛 か ら人 間 精 神 を 解 放 し た 輝 か しい時 代 で あ っ た と評 価 され るの で あ る。 他 方,ポ. ー ラ ン ドに つ い て は 通 説 の 天 動 説 に 対 して 地 動 説 を と な え た コ. ペ ル ニ ク ス(1478-1543)を. 除 い て 殆 ん ど知 ら れ て い な い の が 現 状 で あ る 。. 然 る べ き 評 価 が な さ れ る な ら ば 影 響 力 が あ る と 考 え られ る 知 識 人 の 存 在 は 案 外 知 られ て い な い 。 社 会 科 学 系 か ら そ れ ら に 該 当 す る 人 物 を あ げ る な ら ば,ル. ネ ッサ ン ス の 影 響 を か な り早 く に 受 け て14世 紀 中 期 創 設 の ク ラ ク フ. 大 学 の 学 長(1400-1413)を justis)を. つ と め 教 会 法 を 教 授 し 「正 戦 論 」(Debellis. 説 い た ス タ ニ ス ワ フ(Staniskaw)と,続. いて 同学 長 を 務 め 内外. で 宗 教 的 寛 容 を 説 い て い た ヴ ォ トコ ヴ ィ ッ ツ(Wkodkowic)を. 挙 げな けれ. ば な らな い 。 ス タ ニ ス ワ フ は 宗 教 的 寛 容 の 理 論 を 説 き キ リ ス ト教 徒 と 異 教 徒 の 平 等 を 一一 貫 し て 主 張 し て お り,後. に 大 学 が 人 文 主 義(humanism)で. ヨ ー ロ ッパ 中 に 名 声 を 博 す る 基 礎 と な っ て い る 。 彼 ら は 宗 教 的 寛 容 の 概 念 を 実 際 的 理 由 か ら国 内 外 で 現 実 に 展 開 す る こ と を め ざ し,コ 会 議(1414-18)に. ン ス タ ン ツ公. お い て宗 教 的 寛 容 と 自 由思 想 を披 渥 す る。 エ ラ ス ム ス. の 影 響 を う け た 人 文 主 義 者 と して 人 間 の 普 遍 的 自 由 と 平 等 の 概 念 を 提 唱 す. 2.
(3) L.G。. ゴ ス リ ツ キ"DeOptimoSenatore"論. る 政 治 思 想 家 モ ジ ェ フ ス キ(A.F.Modrzewski.1503-72)は. 重 鎮 で あ る。. 彼 は ス タニ ス ワ フの 理 論 を 現 実 に展 開 す る。 彼 等 は 自然 法 の 父 と仰 が れ る グ ロ チ ウ ス(Grotius.1583-1645)よ. り 二 世 紀 も前 に 活 躍 し た 宗 教 家 で あ. るが,前 者 二 人 は正 当な る原 因 の な い戦 争 の 反 対,い わ ゆ る正 戦 論 を 説 い て い たの で あ る。 後 者 は万 人 に正 義 が 行 わ れ る こ とを 主 張 す るの で あ り, 彼 ら の グ ロ チ ウ ス に 対 す る 影 響 は 明 ら か で あ る(1)。ま た 主 権 概 念 は ボ ー ダ ン(Bodin.1530-96)が. 確 立 し た と 言 わ れ る が,実. ス ト ロ ロ グ(JanOstror6g:1436-1501)が. (1)ス. は さ ら に 一 世 紀 早 くオ. 発 表 し て い る の で あ る(2)。. タ ニ ス ワ フ(StaniskawofScarbimiria)は15世. be〃isjustis)を. 説 き,正. 闘 は 含 ま れ な い と す る そ の 考 え は,200年 1583-1645)が. 紀 初 め に 正 戦 論(De. 当性 の な い戦 争 は 禁止 され るべ き とす る。 これ に は私 後 に グ ロ チ ウ ス(HugoGrotius,. 話 す 内 容 と同 じで あ る。 ク ラ ク フ大 学 学 長 を務 め る ヴ ウ ォ トコ. ヴ ィ ッ ツ(Wkodkowic;Vladimiri)は. さ ら に国 内 外 で の宗 教 的寛 容 を 説 い て. い る 。 の ち に 彼 は コ ン ス タ ン ツ 公 会 議(1414-18)で. ポ ー ラ ン ド代 表 を 務 め. る 。WenceslasJ.Wagner,JusticeforAll:PolishDemocracyinthe RenaissancePeriodinHistoricalPerspective,inSFiszman(ed), TheRenaissanceinitsEuropeanContext,P・133.モ (Modrzewski)は. ジ. ェ. フ. ス. キ. 身 分 ・階 級 を 超 越 して 万 人 す べ て の 市 民 間 に お け る 普 遍 的 な. 自 由 と平 等 の概 念 を提 唱す る。 国家 間 に お け る 関係 も同 様 と考 え る。 モ ジ ェ フ ス キ に は1543年. の 二 つ の 論 文,階. 級 問 の 区 別 に も と つ く ポ ー ラ ン ド刑 法 を 告 発. す る 論 文(Lasciussivedepoenahomicidii)と. ポ ー ラ ン ドー 般 市 民 の 政 治. 的 権 利 を 擁 護 す る 論 文(OratioPhilaletisPeripetici)が. あ る 。 ま た1551年. 行 のCommentariorumdeRepblicaemendandalibriquinqueは,慣 法 律,戦. 争 の 仕 方,教. は ス ペ イ ン,独,英,ロ. 刊 習,. 育 の改 革 を通 して総 合 的 に は教 会 改革 を 主 張 す る。 同 書 シ ア 各 国 語 版 が だ さ れ,一. 躍 ヨー ロ ッパ で 有 名 にな る。. 後 に グ ロ チ ウ ス はViaAdPacemEcclesiasticam(1642)に. おいて同書を. 引 用 し な が ら モ ジ ェ フ ス キ と 同 じ主 張 を し て い る 。WaldemarVoise,PolishRenaissancePoliticalTheory:AndrzejFryczModrzewski,in SamuelFiszman(ed.),op.cit.,p.174.ス. タ ニ ス ラ フ とモ ジ ェ フス キ の 思. 想 が グ ロ チ ウ ス に 引 き 継 が れ て い る の を 考 え る と,か 上 の 師 匠 筋 にあ た る こ と にな ろ う。 (2)WaclawSzyszkowski,TheLawofNationsinPolandfromthe MiddleAgestoModernTimes,inWJWagner(ed),PolishLaw ThroughouttheAges,p.69.. 3. れ らは グ ロチ ウス の 思 想.
(4) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. そ う し た 中 に 列 挙 さ れ る べ き 識 者 の 一一 人 と 考 え られ る の が,宗 想 家 ゴ ス リ ツ キ(羅. 語 名:LaurentiusGrimaldiusGoslisciusi,ポ. ー ラ ン. ド語 名:WawrzyniecGrzymalaGoslicki:1530-1607)で. あ る(3)。 か れ が. ク ラ フ ク 大 学 卒 業 後 留 学 し た イ タ リ ア で1568年. OptimoSenatore"は,そ. 刊 行 し た ラ テ ン 語 版"De. の 内 容 が ヨ ー ロ ッパ 全 体 に 共 通 す る 普 遍 性 に と. む 問 題 を 扱 か う も の で あ っ た た め,彼. の 名 は 一耀 ヨ ー ロ ッパ 中 に 広 が る こ. と に な る(4)。著 書"DeOptimoSenatore"は. ザ モ イ ス キ(JanZamoysky,. 15042-1605)の"DePerfectoSenatore"(1564)の. 影 響 を 多 分 に う けて い. る(5>。著 書"DeOptimoSenatore"の よ り1世. 教 家,思. 紀 前 の1568年. 名 声 は,英. 訳 版 が ピュ ー リタ ン革 命. に 出 版 さ れ て 流 布 して い た こ と も あ っ て ヨ ー ロ ッパ. の 中 で も と くに イ ギ リ ス に お い て 高 い(6)。同 書 で 扱 わ れ る の は,自. (3)ポ. 由,正. ー ラ ン ド ・ル ネ ッ サ ン ス に 顕 著 な 貢 献 を し て 後 世 に 影 響 を あ た え た 人 物 と. し てN.デ モ イ ス キ,ポ. イ ビ ス は,科. 学 者 コ ペ ル ニ ク ス,宗. 教 指 導 者 で あ り宰 相 を 務 め た ザ. ー ラ ン ド国 民 文 学 の 創 始 者 コ チ ャ ノ ウ ス キ,最. 文 法 の 作 成 者 ザ ボ ロ ウ ス キ,最. 初 の ポ ー ラ ン ド語. 初 の ポ ー ラ ン ド地 図 作 成 者 ワ ポ ウ ス キ な ど と 並. ん で ゴ ス リ ツ キ を も 挙 げ る 。NormanDaves,God'sPlaygroundAHistort'ofPoland‐,reviseded.,ColumnbiaUniv.Press,2005,vo1.1. p.119. (4)ゴ. ス リ ツ キ の1568年. の 著 書,GrimaliiGoslicii,DEOPTIMOSENA-. TORE,Venetiis,1568は,書 行 さ れ る が,1593年 (5)後. 名,著 にBaselで. 者 名 と も ラ テ ン 語 で 書 か れ2巻. 分冊で刊. も刊 行 さ れ る 。 脚 注(6)を も 参 照 。. に 宰 相 を 経 験 す る ザ モ イ ス キ は,イ. ギ リ ス の バ ー レ ー 卿,エ. の 政 治 顧 問 ウ オ レ イ ン ハ ム 等 と と も に20世. リザ ベ ス 女 王. 紀 初 頭 の 国 際連 盟 に類 似 す る ヨー. ロ ッパ 国 際 会 議 を 構 想 し て い た 。 ゴ ス リ ツ キ は こ の 壮 大 な 政 治 家 ザ モ イ ス キ の 影 響 を 受 け て い る 。W.J.Stankiewicz,TheAccomplisedSenatoreof LaurentiusGoslicius,OficynaWarszawskaAbroad,1946,p.14. (6)ラ. テ ン 語 版DeOptimoSenatore,Veniceが1568年. ン ド ン で 英 語 版 が1598年. に 出 て か ら30年 後,ロ. に"TheCounsellor,ExactlyPourtraitedin. TwoBooks,WhereintheOfficeofMagistrates,theHappinessLife ofSubjects,andtheFelicitieofCommon-wealesispleasantlyand PithilieDiscoursed,AGoldenWorke,Replenishedwiththechiefe learningofthemostexcellentPhilosophersandLawgiuers,andnot/. 4.
(5) L.G。. ゴ ス リ ツ キ"DeOptimoSenatore"論. 義,政 治 論,人 民 の 幸 福,権 力 の 行 使 と制 限 な ど多 岐 にわ た るが,基 調 と な るの は共 和 主 義 思 想 の 下 で の 人 民 の 幸 福 で あ る。 同様 の 内容 の 書 は以 前 に も扱 わ れ た こ とが あ るが,そ れ らの 殆 ど は権 力 者 へ の 追 従 と抑 制 的 表 現 で 終 始 す る の に 対 し,ゴ. ス リツ キ に は それ が 見 当た らな いの で あ る。 訳 者. の 表 現 を か りる と,彼 は娩 曲 的 で 微 妙 な 表 現 を しな が ら も,臆 す る こ とな く問 題 を批 判 的 に 展 開 す る の で あ る(7)。しか もそ の 内容 は普 遍 的 な事 象 を 扱 うが ゆえ に評 判 を 呼 ん だ の で あ り,ま た こ との 本 質 に迫 るが ゆえ 古 典 の. \onelyprofitable,butverieneccesarieforallthosethatbeadmitted totheadministrationofawell-gouernedCommon-weale,Writtenin LatinbyLaurentiusGrimaldus,andConsecratedtothehonourof thePolonianEmpire,NewlietranslatedintoEnglish."と タ イ. ト ル の も と で,次. は1607年. と し て 刊 行 さ れ た 。 し か れ,翻. 訳. し 両 書 は 書 名 を 変 え た だ け で 内 容 は 殆 ん ど 同. も正 確 で は な い と 指 摘. 意 味 を 僅 か に 変 え て エ. い う 仰 々 し い. に"ACommonwealthofGoodconsaile". さ れ る 。 例 え ば,1598年. じ と さ. 版 は 自 由(liberty)の. リザ ベ ス 女 王 に 好 都 合 に 偏 向 さ れ て お り 自 由 思 想 を 受 け. い れ て は い な い 。W.J.Stankiewicz,TheAccomplishedSenatorofLaurentiusGoslicius,OficinaWarszawskaAbroad,1946,p.11-12.し 初 期 の 英 訳 版 は,原. 典 の ラ テ ン 語 版(1598)を. か し 随 所 で 部 分 的 に 削 除 し た り 翻 訳. が 為 政 者 に 都 合 の 良 い よ う に さ れ て い る の が 発 見 さ れ て い る 。TeresaBakukUlewiczowa,TheSenatorofWawrzyniecGoslickiandTheElizabethanCounsellor,inS.Fiszman(ed.),ThePolishRenaissanceinits EuropeanContext,IndianaUniv.Press,1988,p.259at271-3. そ の130年. 後,有. 能 な 翻 訳 者 オ ル デ. ィ ズ ワ ー ス を え て1733年. に,Laurence. GrimaldGozliski,TheAccomplishedSenator,DoneintoEnglish, FromtheEditionprintedatVenice,in1568,ByMr.Oldisworth, London,in1733.が を. 刊 行 さ れ た 。 さ ら に2世. ラ テ ン 語 名 か. ら ポ ー ラ ン. 紀 半 後,書. ド語 名 に 変 え て 復 刻. 名 は 同 じ だ が 著 書 名. さ れ た の が,Wawrzyniec. GrzymalaGosliski,TheAccomplishedSenator,newintroductionby Prof.KennethThompson,TheAmericanInstituteofPolishCulture,Miami,1992で さ れ た,1733年. あ る 。 今 回 筆 者 が 使 用 す る の は,1992年 英 版"theAccomplishedSenator",翻. Oldisworth,の. 復 刻 版 で あ る 。. (7)Oldisworth'sDedication.Goslicki,DeOptimoSenatore,(Oldisworth'sedition),1992.. 5. ア メ リ カ で 出 版. 訳 オ ル ズ ワ ー スW..
(6) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. 部 類 に 該 当 す る と 評 さ れ る の で あ る(8)。ゴ ス リ ツ キ が ヨ ー ロ ッ パ で 大 き な 足 跡 を 残 し て い る 証 拠 は,当 デ ィ ー(JohnDee)が,ル. 時 の イ ギ リ ス の 神 学 者,哲. 学者 ジ ョン ・. ネ ッサ ン ス 期 に 活 躍 し た 人 間 の 一一 人 に彼 を 挙 げ. て い る(9>こ と か ら も 窺 い 知 る こ と が で き る 。 イ ギ リ ス で の 名 声 は 百 年 以 上. に亘 るが,イ ギ リスで の 支 持 が 衰 え な か っ たの は この 国 に彼 を 必 要 とす る 状 況 が あ っ た と い う こ と で あ る 。 た と え ば17世 紀 の ピ ュ ー リ タ ン 革 命 (1638-60)に. 国 王 側 と 対 決 す る 反 王 党 派 は ゴ ス リ ツ キ の 言 葉 か ら精 神 的 な. 滋 養 を得 な が ら,至 る所 で ゴ ス リツ キの 主 張 を 引 用 して 貼 り付 けて 運 動 を 鼓 舞 して い た の で あ る⑩。 君 主 主 義 に反 対 し共 和 主 義 を掲 げ る思 想 家 も滋 養 を え て い た か も しれ な い 。 そ う で あ る と す る と,そ. の 影 響 は看 過 で きな. い ほ ど に大 き い筈 で あ る。 イギ リス に影 響 が あ る とす れ ば以 後 の 政 治 思 想. (8)Ibid.,Oldisworth'sDedication&IntroductionbyProf.K.W. Thompson. (9)ル. ネ ッ サ ン ス 期 イ ギ リ ス の ジ ョ ン ・デ ィ ー(1527-1608)は,哲. 学 者 で あ り数. 学 者 で あ り 占 星 術 師 で あ り且 つ ま た 神 学 者 で も あ っ た 。 か れ の 膨 大 な 収 集 資 料 は 英 国 に て"RenaissanceMan:TheReconstructedLiteraturesofEuropeanScholars,1450-1770,SeriesOne:TheBooksandManuscriptsof JohnDee,1527-1608"と て い る が,そ. の 第6部. し てAdamMatthewPublicationsか の 中 に,賢. が あ る こ と か ら も 知 れ る 。20世. 者44名. ら刊 行 され. の 中 に ラ テ ン語 名 で ゴ ス リ ツ キ の 名 前. 紀 に入 りデ ィー の書 物 の影 響 の 大 き さが 評 価 さ. れ て い る 。 ジ ョ ン ソ ン は,「 こ の 偉 大 な 図 書 は デ ィ ー の 仲 間 内,学. 生 の 問 で はい. つ も 利 用 で き て い た 。 大 学 で 最 も基 本 的 で 中 心 的 な も の が 図 書 で あ る と 考 え る な ら ば,デ. ィ ー の 周 辺 こ そ1560年. か ら1583年. に か け て イ ン グ ラ ン ドの 科 学 的 な. 大 学 と 呼 べ る と こ ろ で あ る 。」F.R.Johnson,AstronomicalThoughtin RenaissanceEngland,Baltimore,1937,p.139. ω. 絶 対 君 主 と王 権 神 授 説 を否 定 す る ゴ ス リツ キ が エ リザ ベ ス 女 王 や 初 期 ス チ ュ ア ー ト朝 の 国 王 に 歓 迎 さ れ る は ず が な く,特. に ゴス リツ キ の 暴 政 君 主 に対 す る. 抵 抗 権 や 人 民 主 権 論 は 初 期 ス チ ュ ア ー ト朝 に は じ ま る 反 王 党 派 の 運 動 を 支 持 す る もの とな る。 こ う した状 況 に あ る か らゴ ス リツ キ の書 物 は 反 王 党 派 の 運 動 員 た ち に 広 く読 ま れ 引 用 さ れ て い た の で あ る 。H.E.TytusFilipowicz,"The AccomplishedSenator",ProceedingsoftheAmericanSocietyofInternationalLaw(1932).p.234.. 6.
(7) L.G。. ゴ ス リ ツ キ"DeOptimoSenatore"論. に もな ん らか の 影 を 落 とす か らで あ る。 とす れ ば,そ れ は また 独 立 前 後 の ア メ リカの 政 治 思 想 に も影 響 を 及 ぼす で あ ろ う こ とを 暗 示 す る。 共 和 主 義 と い う斬 新 な 政 治 思 想 の 影 響 の も と に ア メ リカ は1776年 独 立 宣 言 を お こな い1789年 合 衆 国 憲 法 を 採 択 す る。 そ こ に登 場 す る人 民 主 権,共 和 主 義 な どの 新 思 想 は世 界 を 驚 か せ たが,同 文 憲 法,ポ. ー ラ ン ド 「1791年5月3日. リカ独 立 宣 言,フ. じもの は ヨー ロ ッパ 最 初 の 成. 憲 法 」 に もみ られ る。 これ に は ア メ. ラ ン ス革 命 の 影 響 も あ ろ うが,む. しろ16世 紀 か ら18世 紀. にか けて 彼 らな りの 人 民 主 権,共 和 主 義 と い う思 想 を 温 存 して いた ポー ラ ン ドの伝 統 文 化 を 再 現 させ た とい うべ きで あ ろ う(ll)。 郷 土 の先 輩 ゴス リス キ(Goslicki)は. そ の 面 で は確 か な貢 献 を して い る。 ま た ア メ リカ 独 立 宣. 言 に も政 治 思 想 面 で の 関 係 が あ る。 然 るべ く評 価 され るな ら ば彼 を 影 響 力 あ る人 物 と して 扱 わ な けれ ばな らな い とす るの は,そ う した 理 由 に よ るの で あ る。 ゴ ス リス キ に関 す る論 考 はわ ず か しか 存 在 せ ず,し か も ポー ラ ン ドと移 民 の い る ア メ リカ に偏 在 す る。 それ らの 多 くは歴 史 や 思 想 の 視 点 か ら扱 わ れ るが,本 稿 は人 権 思 想 の 視 点 か ら考 察 す る こ と とす る。 な お 中世 ポ ー ラ ン ドは 当時 の 他 の ヨ ー ロ ッパ 諸 国 と比 較 す る と特 別 な 国 内事 情 を 抱 え て い た。 貴 族 の 国 と言 わ れ る よ う に他 国 よ りも貴 族 が 占 め る 割 合 が たか く,政 治 の 実 権 は国 王 よ りも シ ュ ラ フ タ層(貴 族)に. あ った の. で あ る。 文 化 の面 で も宗 教 の 面 で も ポ ー ラ ン ドは特 異 な 進 歩 を み せ て お. (ll)ポ ー ラ ン ド1791年 憲 法 は第4条 言 す る」 と定 め,続 い て第5条. で 「 我 々 は す べ て の人 間 の 完 全 な る 自由 を 宣. で 「 社 会 の す べ て の権 力 は人 民 の意 思 にあ る」. と規 定 す る と こ ろか ら,全 面 的 な人 民 主 権 主 義 に立 つ か の よ うで あ るが,同 憲 法 は第2条 で シ ュ ラ フ タ(貴 族)の. 「 私 的公 的生 活 に対 す るあ らゆ る 自由 と特. 権 の 優 先 」 を宣 言 す る よ うに シ ュ ラ フ タ の政 治 的権 力 を 存 置 して い る辺 りを 考 慮 す る と,純 粋 な人 民 主 権 主 義 と は程 遠 い に して もそ れ に接 近 す る思 想 を 採 用 して い るの で あ る。. 7.
(8) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. り,そ れ らが ま た ゴ ス リス キ に影 響 した と考 え られ るの で,最 初 に政 治 経 済 の 状 況,宗 教 や 文 化 の 思 潮 と い っ た もの を 概 観 す る こ とか らは じめ る。. 二.中 世 ポ ー ラ ン ドの 国 情 「君 主 主 義 か ら共 和 主 義 へ 」. ゴ ス リス キの 思 想 を 理 解 す る に は先 ず ポ ー ラ ン ド史 と国 情 を 知 って お く 必 要 が あ る。 それ は 当時 の ポ ー ラ ン ドは他 の ヨ ー ロ ッパ 王 国 と異 な る形 で 発 達 して き た経 緯 が あ り,そ れ に伴 い独 自の 文 化 が 存 在 して お り,そ れ が ゴ ス リツ キ に も表 わ れ て い る と思 わ れ るか らで あ る。. ポ ー ラ ン ド史 の 概 要. ポ ー ラ ン ドは 「10世 紀 に 歴 史 の 霜(か. す み)の. 中 か ら う ま れ た 」⑫ と 言 わ れ,10世. 紀 末 か ら14世 紀 ま で は ピ ア ス ト朝(Pi-. astdynasty:992-1370)が. 〔そ の 間12世 紀 初 期 か ら14世 紀 初 期 ま で. 治 める. の 分 裂 時 代 お よ び14世 紀 初 期 に 空 位 の 時 期 が あ る 〕。 ピ ア ス ト朝 の 始 祖 ミエ シ コ1世(MieszkoI)は mysliddynasty)の. チ ェ コ 公 の 娘 と 結 婚 し,960年. プ リ ミス リ ド王 朝(Preか ら992年 に か け て ポ ー. ラ ン ドの ポ ズ ナ ンで 生 活 し た 。 そ の 翌 年 ミエ シ コ は 婚 姻 契 約 に も と づ き 原 始 宗 教 を す て さ り キ リ ス ト教 に 帰 依 す る 。 そ の 後 死 没 す る ま で に 大 地 域 を 5つ 併 合 す る が 周 辺 と の 軋 礫 を さ け る た め ミエ シ コ1世. は王 国 を ロ ー マ教. 皇 の 直 接 保 護 の も と に 置 く よ う要 請 し た ⑱。 ポ ー ラ ン ドは 以 後 そ の 領 土 と. (12)Davies,opcit,p.52ff.;JerzyLukowskiandHubertZawadzki,A ConciseHistoryofPoland,2"``ed.CambridgeUniversityPress.p. 83;ス 訳),恒. テ フ ァ ン ・キ ェ ニ エ ヴ ィ ッ チ 編 文 社,1966年,188頁;伊. ド ・ ウ ク ラ イ ナ. ・バ ル. 東 孝 之 ト 史 」,山. 「ポ ー ラ ン ド史 」(加 ・井 内 敏 夫. 川 出 版 社,1998年,43頁. (13)JerzyKloczowski,AHistoryofPolishChristianity,Reviseded. CambridgeUniv.Press,2000,p.5ff.. 8. 藤 一 夫,水. ・ 中 井 和 夫 編 著,「 。. 島 孝 夫 ポ ー ラ ン.
(9) L.G。. ゴ ス リ ツ キ"DeOptimoSenatore"論. 住 民 に 対 す る 統 制 を 徐 々 に 強 め て い く。14世 紀 ま で の 治 世 下 に あ っ て 外 部 か ら モ ン ゴ ル の 襲 撃(1241,1259),修 を う け て 難 儀 す る が,そ. 道 僧 ドイ ツ 騎 士 団 の 攻 撃(1327-32). れ ら に 備 え る た め に カ ジ ミエ シ3世(位1333-70). が リ トア ニ ア と 結 ぶ 防 衛 条 約(1325)⑭. は 後 に ヤ ギ ェウ ォ朝 を 誕 生 させ る. 素 地 と な る 。 辺 境 に て 常 備 軍 の 兵 士 と して 国 防 に あ た る 土 地 所 有 の 騎 士 は 地 位 を 強 く す る が,大 ピ ア ス ト朝 末 期,土. 多 数 の 兵 士 は 農 奴 さ え も た な い 下 級 騎 士 で あ る ⑮。. 地 所 有 の シ ュ ラ フ タ 騎 士 は 地 方 議 会 の 議 員 と して 民 主. 主 義 の 発 達 に 寄 与 す る 。 カ ジ ミエ シ3世 と め,さ. は13世 紀 中 期 ユ ダ ヤ 人 に 自 由 を み. ら に 難 民 の 受 入 れ を も 始 め た こ と で 後 に ポ ー ラ ン ドは 世 界 最 大 の. ユ ダ ヤ 人 の 共 同 体 と な る 。 カ ジ ミエ シ3世 ofBuda)に. は 既 に1355年. 「ブ ダ の 法 」(Act. て,甥 の ア ン ジ ェ ー 家 ハ ン ガ リ ー 王 ル ドウ ィ ク の ポ ー ラ ン ド王. 就 任 と 交 換 に シ ュ ラ フ タ に は 従 来 の す べ て の 法 と 特 権 の 容 認 を 約 束 して い た が,カ. ジ ミ エ シ 王 没 で ピ ア ス ト朝 が 断 絶 す る と 遺 言 に よ り ル ドウ ィ ク. (Ludwik)が. ア ン ジ ュ ー 朝(Angevindynasty)ポ. ー ラ ン ド国 王 に な る. (ポ ー ラ ン ド王,位1370-86)。 ヤ ギ ェ ウ ォ朝(Jagielloniandynasty:1386-1572)は,リ ヨ ガ イ ラ(Jogaila)と. ポ ー ラ ン ド女 王 ヤ ド ヴ ィ ガ(Jadwiga)の. ガ イ ラ の キ リ ス ト教 へ の 改 宗,ウ Jagiekko)へ -1434)と. トア ニ ア 大 公. ワ デ ス ワ フーヤ ギ ェ ウ ォ(Wkadyskaw-. の 改 名 な ど が あ り,国 王 ウ ワ デ ス ワ フ2世 し て 開 か れ ,以. 後186年. 婚 姻,ヨ. ヤ ギ ェ ウ ォ(位1386. 間 に わ た り ポ ー ラ ン ドと リ トア ニ ア を 治. め る こ と に な る 。 こ れ は ドイ ツ 騎 士 団 の 攻 撃 に 対 抗 す る た め に リ トア ニ ア と ポ ー ラ ン ドが 同 君 連 合 を 結 成 し て の 誕 生 で あ る 。 ヤ ギ ェ ウ ォ 朝 は ヤ ゲ ロ ー朝 と も言 わ れ る。. (14)IwoCyprianPogonowski,Poland:AnIllustratedHistory,HippoIrene,2000,p.33. (15)Ibid.,p.29.. 9.
(10) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. ヤ ギ ェ ウ ォ朝 の ポ ー ラ ン ド 「王 」 は リ トアニ アで は 「大 公 」 を 兼 任 し, 対 外 的 に は 「君 主 」 とな る。 当時 の ポ ー ラ ン ドは,人 口1割 弱 の シ ュ ラ フ タが 選 挙 で 国 王 を 選 び,シ ュ ラ フ タ 中心 の 身 分 制 議 会 で 国 政 上 の 主 導 権 を に ぎ って い た た め君 主 を 擁 しな が らも 「ポ ー ラ ン ド共 和 国 」 と呼 ばれ る。 シ ュ ラ フ タ を 中 心 に謳 歌 さ れ る民 主 主 義 は貴 族 の 民 主 主 義 と呼 ば れ て い た。 シ ュ ラ フタ と は貴 族 の こ と で あ る(詳 細 は後 述)。 そ う した 中 で ポ ー ラ ン ドと リ トアニ ア両 国 の 貴 族 が 一一 五 世 紀 初 め に交 わ した協 定 は,崩 壊 の 過 程 に あ る君 主 主 義 の終 章 と な る もの で あ る。186年 間 続 くヤ ギ ェ ウ ォ朝 は ま たル ネ ッサ ン ス期 と重 複 しポ ー ラ ン ドの 文 化 を 開 花 させ た時 代 で も あ る。 当時 ポ ー ラ ン ドは ヨ ー ロ ッパ で も大 国 の 部 類 に は い る国 土(フ の 約2倍)を. ランス. 有 して お り,北 はバ ル ト海 か ら南 は黒 海 の 北 部 に至 る地 域 ま. で 占 めて いて 歴 史 上 最 盛 期 を 誇 って い た。 王 国 で は あ るが 他 の 絶 対 主 義 体 制 下 の 王 国 と は様 相 を ま っ た く異 にす る政 治 制 度 を 有 して い たの で あ る。 ヤ ギ ェ ウ ォ朝 末 期,継 承 者 の 欠 如 か ら両 国 の 関 係 断 絶 を 憂 慮 す る貴 族 が 両 国 の さ らな る関 係 強 化 を も と め,1569年7月. ル ブ リン議 会 で 両 国 の 制 度. 的 一 体 性 を 図 る こ と とな る。 国 王 は共 通 の 選 挙 で 選 び,議 会 は合 同で 開 催 し,外 交 政 策 は統 一一して 行 う こ と にな る(但. し行 財 政 機 構 と軍 隊 は別 々)。. こ う して 国 王 を 内外 の 貴 族 か ら選 出す る選 挙 王 制 の 時 代 に は い る こ と にな る。 選 挙 王 制(ElectiveMonarchy:1572-1795)は. シ ュ ラ フタ(貴 族)の 選. 出す る国 王 に よ る統 治 を す る もの で あ る。 同様 の こ と は ヤギ ェ ウ ォ朝 で も 理 論 上 み られ て い たが,今 度 は それ を 制 度 と して 実 施 しよ う とす る。 国 王 は これ まで シ ュ ラ フ タ との 交 渉 で か れ らの 要 求 を の む 場 面 が しば しば あ っ たが,選 挙 王 制 で も国 王 は シ ュ ラ フ タ に よ る協 議 で 選 定 され るが,ほ どの 場 合,シ. とん. ュ ラ フ タ は国 王 に条 件 を つ け,国 王 が これ を 承 知 す るの が 常. で あ る。 そ う した こ と は ピア ス ト朝,ヤ ギ ェ ウ ォ朝 で も起 きて い た。 外 国 10.
(11) L.G。. の 候 補 貴 族 の 場 合,自. ゴ ス リ ツ キ"DeOptimoSenatore"論. ら条 件 を 示 して 関 心 を 引 こ う と す る 。 そ の 結 果,選. 挙 王 制 で は 市 民 的 要 求 が 採 り入 れ られ 共 和 主 義 的 傾 向 は い ち だ ん と 強 くな る 。 そ う し た 例 の 代 表 的 な も の が,「 パ ク タ ・ コ ン ヴ ェ ン タ 」 と 「ヘ ン リ ク諸 条 項 」 で あ る。 国 王 が それ に反 す る行 動 を と る こ と は許 され て いな い の で あ る か ら,そ. の 意 味 で は それ は社 会 契 約 の 嗜 矢 で あ る とみ る こ とが で. き る で あ ろ う 。 自 由 は 法 律 で 権 利 や 特 権 が 付 与 さ れ る か ら 生 ま れ る が,共 和 主 義 で は 人 民 が そ う し た 自 由 を 享 受 して い る こ と が 重 要 な の で あ っ て, こ れ を 他 国 に 先 が け て16世 紀 ∼18世 紀 に 享 受 す る ポ ー ラ ン ドの 人 間 は,我 国 は 他 国 と は 違 う の だ と 自 覚 し た の で あ る(⑥。 選 挙 王 制 末 期,開 王 ス タ ニ ス ワ フ2世(位1764-95)の. 明的な国. も と で ヨ ー ロ ッパ 初 の 人 民 主 権 に 基. づ く「1791年 憲 法 」の 誕 生 を み る 。 しか し 自 由 の 謳 歌 は 束 の 間 の こ と で あ っ た 。 そ の 直 後,隣. 接 の 大 国 は 「自 由,平. 延 を 絶 滅 す る と 称 して1795年. た し,ま. 主 主 義 」 な どの 伝 染 病 の 蔓. に 国 家 消 滅 を 強 制 し た の で あ るqD。 そ こ に 至. る ま で ポ ー ラ ン ドは 周 辺 で 起 き る 戦 争 (1700-21),7年. 等,民. 戦 争(1756-63)〕. 〔30年戦 争(1618-48),北. 方戦 争. に もか か わ らず 国 内体 制 を 維 持 して き. た貴 族 の 自 由を 廃 止 す る こ と もせ ず に国 家 を 持 続 させ て きた の で. あ る。 ポ ー ラ ン ドの 歴 史 を 概 観 す る と 以 上 の よ う な 経 過 を 経 て い る の で あ る 。. (16)AnnaGrzeskowiak-Krwawicz,Anti-monarchisminPolishRepublicanismintheSeventeenthandEighteenthCenturies,inMartinvan Gelderen&QuentinSkinner(ed.),Republicanism,vol.1.RepublicanismandConstitutionalisminearlyModernEurope,p.43at45. ⑰. 国 際 関 係 の 視 点 か ら す る と,モ. ス ク ワ大 公 国 当 時 の ロ シ ア は 弱 か っ た が そ れ. が ロ シ ア と な る と 相 対 的 に 国 力 を 強 め て き た の に 対 し,か. つ て の 大 国 ポー ラ ン. ドは過 度 の 自 由 を もっ て秩 序 を維 持 す る シ ュラ フ タ の履 き違 え に よ り虚 弱 な 体 質 に な っ た 点 は 見 逃 せ な い 。 そ の 原 因 と な る 典 型 的 な も の は17世. 紀中期以降 に. 頻 発 す る 「自 由 拒 否 権 」 の 行 使 で あ る 。 こ れ が ポ ー ラ ン ド解 体 に 繋 が っ た の で あ る 。NicolasV.Riasanovsky,AHistoryofRussia,SixEdition, 2000,p.152,181,264-275.. 11.
(12) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. 以 下 で は人 権 思 想 に関 係 あ る箇 所 を 重 点 的 に眺 め る こ と にす る。. ヤ ギ ェ ウ ォ 朝 ポ ー ラ ン ド:君 主 主 義 か ら 共 和 主 義 ヘ ピ ア ス ト朝(992-1385)は に 継 嗣 が な い た め 断 絶 し,遺 ウ ィ ク(Ludwik)が. カ ジ ミエ シ3世(Kazimierz皿,位1333-70) 言 に よ り ア ン ジ ュ ー 家 の ハ ン ガ リー 王 ル ド. ポ ー ラ ン ド王(位1370-82)と. な る 。 こ れ は,当. 時の. 政 治 状 況 に 接 す る と,ポ ー ラ ン ドの シ ュ ラ フ タ(貴 族)の 利 益 が ル ドウ ィ ッ ク の 政 策 と 折 り合 っ た 結 果 で あ り,ル と い う よ り も,ポ. ドウ ィ ク が ポ ー ラ ン ド王 に 選 ば れ た. ー ラ ン ドが ル ドウ ィ ク の 領 地 に 取 り込 ま れ た と 言 う の が. 実 情 で あ る ⑱。 ポ ー ラ ン ドの 共 和 主 義 の 萌 芽 は 以 下 で み る よ う に14世 紀 以 来 み ら れ る が,頑. な な 君 主 主 義 は15世 紀 初 め に 姿 を 消 し そ れ に 代 っ て 共 和 主 義 思 想 が. 根 を張 る こ と にな る。 国 家 と国 王 の 観 念 の 分 離. 君 主 制 の 崩 壊 と共 和 主 義 の は じま りは国 家. と 国 王 の 観 念 の 一一 体 性 が 崩 れ て い く過 程 か らみ られ る が,そ の カ ジ ミエ シ3世. れ を14世 紀 末. の 遺 言 を 足 掛 か りにみ て み よ う。. ピ ア ス ト朝 で は 国 王 は 世 襲 制 が 原 則 で あ っ た が そ れ は 国 を 為 政 者 の 所 有 物 と す る 家 産 思 想 と 一一 体 を な す も の で あ っ た 。 しか し カ ジ ミエ シ3世 の14世 紀 に 「ポ ー ラ ン ド王 国 王 冠 」 と い う 言 葉 が 登 場 す る が,こ. 時代. れ は,国. 家 自身 が 国 王 と は別 に権 利 を もつ と しその 総 体 は王 冠 に よ って 象 徴 され る と す る 概 念 で あ り,そ. の 核 心 は国 家 の 権 利 と領 土 の 不 可 譲 渡 性 に あ っ た。. しか し カ ジ ミエ シ 大 王 自 身 は,国 き ず に お り,王. 家 自身 が 権 利 を 持 つ と い う概 念 を 理 解 で. 国 を 依 然 と して 家 産 と み な して い た ⑲。 こ う し て ポ ー ラ ン. ドで は14世 紀 以 来,国. 家 と 国 王 は 別 個 の 法 的 実 体 と して 考 え られ る 段 階 に. (18)Davies,opcit.,p.88. ⑲. 前 掲. 「ポ ー ラ ン ド ・ ウ ク ラ イ ナ ・ バ ル. 12. ト 史 」,70頁. 。.
(13) L.G。. ゴ ス リ ツ キ"DeOptimoSenatore"論. き て い た の で あ る ⑳。 14世 紀 後 半,カ 旨 の 遺 言 を し,シ. ジ ミエ シ3世. が 「孫 に ポ ー ラ ン ド領 土 の 一 部 を 贈 与 す る 」. ュ ラ フ タ が こ れ を 拒 ん だ 事 実 は 「国 家 と 国 王 の 関 係 」 の. 考 察 に 重 要 な 示 唆 を 与 え る 。 カ ジ ミエ シ3世. に継 嗣 が な いた め甥 の ハ ンガ. リ ー 王 ル ドウ ィ ク が ポ ー ラ ン ド王 に 指 名 さ れ て も 両 国 の 利 害 が 一 致 した の で 問 題 は 生 じな か っ た が,遺. 言 で 領 土 の 一都 を 孫 カ ス コ に 遺 贈 す る 件 に 関. して は 一一 転 して シ ュ ラ フ タ が 強 く反 対 し た の で あ る 。 カ ジ ミエ シ3世. の遺. 言 の シ ュ ラ フ タ に よ る 拒 否 は,一 一 人 の 人 間 に よ る国 家 の 処 分 行 為 は法 に反 す る か らで あ り,法. は 国 王 の 上 位 に あ り国 王 は 法 の 下 に あ る と す る 原 則 を. 例 証 す る も の で あ る 。 こ の 原 則 は ポ ー ラ ン ド王 国 の 不 文 法 の 一 部 と な る 。 こ う して 国 家 と 国 王 の 権 威 の 分 離 が14世 紀 末 に は み ら れ る に 至 る の で あ る(2t)。 ヤ ギ ェ ウ ォ 朝 に な る と 事 情 は さ ら に 進 展 す る 。 初 代 国 王 ウ ワ デ ス ワ フ2 世(位1386-1434)治. 下,ポ. ー ラ ン ド と リ トア ニ ア の 貴 族 間 で,共. あ ら ゆ る 問 題 は 貴 族 と の 合 意 が な け れ ば 決 定 で き な い と す る1401年 ル ノ ・ラ ドム 協 約 」 と,2国 定 す る と す る1413年. 和 国の 「ヴ ィ. 間 に関 係 す る問 題 は双 方 貴 族 の 合 同会 議 で 決. 「ホ ル ドウ ォ 協 約 」 が 交 わ さ れ た 。 こ れ ら は 国 王 を 顧. 慮 せ ず に 政 治 を お こ な う と い う 貴 族 の 決 意 で あ り,す. で に崩 れ つ つ あ る厳. 格 な 君 主 主 義 の 崩 壊 を 決 定 的 に し た の で あ る 四。 さ ら に ウ ワ デ ス ワ フ2世 は1425年. 「ブ ル ゼ ス ク の 法 」(ActofBrzesc)で,王. 位 継 承 者 を 国王 の 兄. 弟 に も広 げて 認 めて い る。 国 王 を 直 系 卑 属 の 世 襲 に限 る ど こ ろか 傍 系 に ま で 広 げ た り シ ュ ラ フ タ も 国 王 選 出 に 関 与 す る と い う こ と は,世. (20)WaclawUruszczak,ConstitutionalDevicesImplementingState PowerinPoland,1300-1700,inAntonioPosada-Schioppa(ed.),LegislationandJustice‐OriginsoftheModernStateinEurope,13thto 18`"Centuries,OxfordUniv.Press,1997,p.175. (21)WaclawUruszczak,ibid.,p.175. (22)NormanDavies,op.cit.,p.95-6.. 13. 襲制の もと.
(14) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. で 理 解 され て い た国 家 を 国 王 の 家 産 とす る意 識 を か な ぐ り捨 て て 初 めて 可 能 と な る もの で あ る㈱。 国 王 の選 出 は シ ュ ラ フ タの 影 響 力 が増 大 しか つ 議 会 制 度 の 発 達 と平 行 して 確 固 た る もの と して あ らわ れ る。 同 時 代 の ヨ ー ロ ッパ 絶 対 王 政 国 が 世 襲 制 の も とで 国 王 が 権 力 を 行 使 しな が らも その 行 為 の 責 任 につ いて は無 答 責 主 義 を 貫 いて い たの と比 較 す る と ポ ー ラ ン ドの 極 め付 きの 先 進 性 を 感 じな いわ け に は いか な い。 ウ ワ デ ス ワ フ2世 以 降 の 国 王 は 「ブル ゼ ス クの 法 」 の も とで,そ の 子 息 ウ ワ デ ス ワ フ3世. が1434年 に 就 任 す る。 こ れ 以 降 カ ジ ミエ シ ュ4世. (1445),ヤ ン1世(1492),ア. レク サ ンデル(1501),ジ. ジ グ ム ン ト2世 ア ウ グ ス ト(1548)は. グム ン ト1世(1506),. 先 代 王 の 子 息 か 兄 弟 で あ る。 シ ュ ラ. フ タ に よ る国 王 選 出 が 本 格 的 に な るの は選 挙 王 制(1572-)か. らで あ るが. 理 論 上 それ は ヤギ ェ ウ ォ朝 か ら始 ま って い るの で あ り,こ う して15世 紀 の ポ ー ラ ン ドで は国 家 と国 王 の 観 念 の 分 離 は完 全 にな され て い たの で あ る。 国 王 の 選 出 は(国 王)選 が これ を お こな い,さ. 出議 会 に参 集 す る諸 身 分 代 表 の 面 前 にて 枢 密 院. らに国 王 は戴 冠 の 宣 誓 を す る。 儀 式 に よ る と国 王 は. 王 国 の 拘 束 力 あ る法 律 す べ て に従 う こ とを 誓 約 す る。 それ らは例 え ば,諸 身 分 層 に関 す る もの,社 会 と個 人 に関 す る もの 等 で あ る。 こ う して 戴 冠 式 の 宣 誓 は,法 は国 王 の 上 位 に あ る とす る原 則 を 定 め るの で あ る。 その よ うな 国 家 と国 王 の 観 念 の 分 離 は,国 王 の 上 位 に法 は存 す る との 原 則 を確 か に も た らす けれ ど も,他 方 で 国 王 の 義 務 の 範 囲 が 必 ず しも明 確 で な い た め そ の 原 則 に は 実 際 に は不 完 全 な側 面 もあ る の で あ り,そ の結 果 ポ ー ラ ン ドは15,16世. 紀 に 数 多 くの 政 治 的 緊 張 を 経 験 す る の で あ る。 ヤ. ギ ェ ウ ォ朝 に流 行 っ た理 論 に よ る と,国 王 は法 と特 権 を 絶 対 に遵 守 しな け. (23)LudwikKos-Rabcewicz-Zubkowski,PolishConstitutionalLaw,in WJWagner(ed),PolishLawThroughouttheAge,HooverInstitudonPress,1970,p.223.. 14.
(15) L.G。. ゴ ス リ ツ キ"DeOptimoSenatore"論. れ ばな らな い と い う もの で はな か っ たの で あ る⑳。 国 家 と国 王 の 観 念 の 分 離 は,結 果 と して シ ュ ラ フ タ に有 利 な か た ちで 現 わ れ,多. くの 権 利 を 認 め られ て 国 王 と対 立 す る にお よぶ 。 そ れ は また 共 和. 主 義 の 思 想 と して 定 着 して い くの で あ る。. 国 王 と貴 族 の 関 係 1370-82)の. ア ン ジ ュ ー 朝 ポ ー ラ ン ド王 ル ドウ ィ ク(Ludwik,. 最 大 の 関 心 事 は 息 女 マ リ ヤ,ヤ. 承 さ せ る こ と で あ っ た が,こ sice)で. れ は,1374年. ドヴ ィ ガ の ど ち ら か に 王 位 を 継 「コ シ ツ ェ の 法 」(StatuteofKo-. シ ュ ラ フ タ に 財 政 面 で 優 遇 す る策. の 免 除,領. 【す べ て の 貴 族 に 領 地 の 土 地 税. 地 で 小 作 農 が 耕 作 す る 土 地 に は 従 来 の6分. の1の. 交 換 す る 形 で 容 認 さ せ る の に 成 功 し て い る 。 同 法 は,ピ. 税 に減 額 】 と. ア ス ト朝 時 代 に. シ ュ ラ フ タ に 認 め られ て い た す べ て の 権 利 を 認 め た う え で 更 な る 特 権 を 認 め た の で あ る ⑳。 こ う し て ポ ー ラ ン ド憲 政 史 上 で も 画 期 的 な 出 来 事 と さ れ る,シ. ュ ラ フ タ へ の 大 幅 な 財 政 的 な 権 利,特. 国 王 ル ドウ ィ ク の 関 心 事 は,マ る な か で 解 決 さ れ た が,彼. 権 が 認 め られ た の で あ る。. グ ナ ー ト(有 力 貴 族)が. ら は シ ュ ラ フ タ(中. 小 層 貴 族)や. 主導権を発揮す 都市の代表を. も 交 え て 「王 国 の 全 共 同 体 」 と 称 し君 主 の 選 択 に お い て も 活 躍 した(26)。 マ. ⑳WackawUruszczak,op.cit.,P・176. ⑳Davies,op.cit.,p.89-90.但. し. 地 方 議 会 の 承 認 を 得 れ ば 可 能. 「コ シ ツ ェ の 法 」 は 新 税 の 課 税 に つ い て は. と す る こ と に ル. ド ウ ィ ク 王 は 同 意. し て い る 。. MarkBrezeinski,TheStruggleforConstitutionalisminPoland,St. Martin'sPress,1998,p.33;JacekJedruch,Constitutions,Elections andLegislatureofPoland,1493-1993,Reviseded.,Hippocrene Books,1998,P・31.地. 方 議 会 で の 新 税 扱 い 問 題 は15世. の 発 達 と の 関 係 で 浮 上 す る。 な お ポ ー ラ ン ド国 内 の 法 政. 紀 初 頭 に な っ て 議 会 制 ・議 会 の 動 き は,Chro-. nologyofPoland'sConstitutionalandPoliticalDevelopment,ICPognowski,PolandAHistoricalAtlas,op.cit.,pp.17-44参 (26)前. 掲. 「ポ ー ラ ン ド ・ ウ ク ラ イ ナ. 照 。 ・バ ル. 15. ト 史 」,72頁. 。.
(16) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. グ ナ ー トが 国 王 に 選 ん だ の は 次 女 ヤ ドヴ ィ ガ(10歳7ケ れ は マ グ ナ ー トが 長 女 の 婚 約 者,オ. 月)で. あ る が,こ. ー ス トリア皇 太 子 の 受 容 れ を 拒 ん だ こ. と を 意 味 す る 。 ヤ ドヴ ィ ガ が リ トア ニ ア 皇 太 子 と 結 婚 す る 際 に も マ グ ナ ー トで 構 成 さ れ る 枢 密 院 は 大 き な 影 響 力 を 示 して い る ⑳。 以 上 か ら知 られ る よ う に ポ ー ラ ン ドの す べ て の 問 題 は,王 名 を 含 め て,国. 位継承者の指. 王 の 一存 で 決 定 で き な い 状 況 が 当 初 か ら存 在 して い た の で. あ る 。 ヤ ギ ェ ウ ォ 朝 は 継 承 者 の な い ジ グ ム ン ド2世 の 死 に よ り1572年 断 絶 し,以. 後 は 選 挙 王 制 と な る が,ジ. グ ム ン ト2世 存 命 中 に 決 定 し た ポ ー ラ ン. ドと リ トア ニ ア の 国 家 制 度 の 統 一一は 両 国 の 貴 族 が 予 め 決 め て い た も の で あ る。 ま た選 挙 王 制 で は国 王 は シ ュ ラ フ タ に よ って 選 出 され るの で あ る。 す べ て の 問 題 は シ ュ ラ フ タが 主 導 権 を 発 揮 して 初 め て解 決 さ れ る こ とに な る 。 こ う して,「 ポ ー ラ ン ドで は,老. 国 王 が 自分 の 息 子 の 王 位 継 承 権 を,国. 王 権 力 を 制 限 し て 多 くの 自 由 を 保 証 す る こ と に よ っ て 買 い 取 らね ば な らな か っ た」㈱ と い う事 実 を わ れ わ れ は 知 る の で あ る 。 基 本 的 に こ れ の 繰 り 返 しが み られ る 結 果,国. 王 の 権 力 は 弱 くな り シ ュ ラ フ タ の 立 場 は 強 くな る の. で あ る。 貴族の台頭. シ ュ ラ フ タ 層 は,コ. シ ツ ェ の 特 権(1374)で. 税 は さ れ な い と い う 財 政 上 の 優 遇 を 獲 得 し,チ (PrivilegeofCzerwifisk,1422),イ na,1430)で. 実質的な課. ェル ヴ ィ ン ス キ の 特 権. ェ ル ドニ ャ の 特 権(PrivilegeofJedl-. 身 分 上 の 優 遇 措 置 を 受 け な が ら 自 らの 権 力 と財 力 を 徐 々 に 増. 殖 す る 。 殊 に イ ェ ル ドニ ャ の 特 権 は,か. りに シ ュ ラ フ タ層 に王 令 に反 す る. 行 為 が あ っ て も 国 王 は 裁 判 所 の 令 状 な し に 彼 らを 逮 捕 は で き な い た め 権 力 の 弱 化 を 進 め る 。 そ こ に 国 王 と 貴 族 に 政 治 権 力 の 逆 転 現 象 が み られ,シ ラ フ タ 層 の 貴 族 は 限 られ た 範 囲 内 に して も 経 済 的 な 富 を 手 に し,精. ⑳. 前掲。. (28)前 掲. 「ポ ー ラ ン ド史 」,136頁. 。. 16. ュ. 神的 に.
(17) L.G。. ゴ ス リ ツ キ"DeOptimoSenatore"論. 余 裕 あ る 立 場 に あ る こ と か ら貴 族 の 自 由 が 生 ま れ る の で あ る 。 シ ュ ラ フ タ 層 は,「 コ シ ツ ェ の 法 」 と 「チ ェ ル ヴ ィ ン ス ク の 特 権 」(29)で え た 財 政 上 の 保 障 に 加 え,「 イ ェ ル ドニ ャ の 特 権 」で 裁 判 所 の 判 決 な け れ ば 投 獄 さ れ な い と い う身 分 上 の 保 障 を も え て い る 。 こ れ は,「 裁 判 で 有 罪 で な い 限 り,誰. も 投 獄 も さ れ ず 罰 金 も 課 さ れ な い 」(Neminencaptivabinus. nisiiurevictum)と リ ス の1679年. す る 原 則 を 確 認 す る も の で あ る ⑳。 同 様 の も の は イ ギ. 「人 身 保 護 令 状 」(Habeascorpus)に. み ら れ る が,イ. ギ リス. よ り250年 も 先 行 す る こ と は 注 目 さ れ る 。 イ ェ ル ドニ ャ の 法 に よ る と,こ れ は 国 王 の 権 力 を い ち じ る し く弱 め る 一一 方,シ. ュ ラ フ タ に市 民 的 自 由を 発. 祥 さ せ る も の と し て 注 目 さ れ るGl)。イ ェ ル ドニ ャ の 特 権 が 保 護 の 対 象 に す る の は 形 式 上 シ ュ ラ フ タ 層 だ け で あ る が,実. 際 に は当 時 盛 ん で あ った 自 由. の 精 神 と 宗 教 的 寛 容 の 精 神 の も と で 一般 の 市 民,ユ. ダ ヤ 人,自. の 恩 恵 に浴 して い るの で あ る㊨ ⇒ 。 さ ら に そ の 法 理 は1588年. 由農 民 もそ. には シュラフタ. に犯 罪 者 隠 匿 の 嫌 疑 が あ っ て も家 宅 捜 査 で き な い ま で に拡 大 さ れ て い る㈱。. (29)「 チ ェ ル ヴ ィ ン シ ク の 特 権 」 はNecbonarecipiantur特 こ れ は,成. 権 と も言 わ れ る。. 分 法 に 基 づ く裁 判 に 依 ら な け れ ば 個 人 財 産 の 接 収 を 禁 止 す る と い う. 主 旨 か ら す る と,財. 産 上 の 保 護 を 約 束 す る も の で あ る 。 他 方 そ の 保 護 は,あ. 犯 罪 の 罰 則 と して 財 産 の 接 収 を 認 め る 現 行 法 の 下 で,と 容 認 さ れ る の で あ り,そ. る. い う但 し書 きの も とで. の犯 罪 と は 国家 の 緊急 事 態 に 際 して の 軍 事 召 集 に対 す. る 拒 否 で あ る 。 シ ュ ラ フ タ の 騎 士 で 召 集 を 拒 ん だ 人 数 は1497年. に2,400人. を数. え て い る 。Jedruch,op.cit.,p.31. (3① 小 ポ ー ラ ン ド向 け の 「イ ェ ル ドニ ャ の 特 権 」(1430)が ラ ン ド向 け の1425年. 「プ ジ ェ シ チ(Brzesc)の. 内 容 で あ る が イ ェ ル ドニ ャ が 有 名 で あ る 。 (31)EdwardOpalifiski,CivicHumanismandRepublicanCitizenshipin thePolishRenaissance,inMartinvanGelderenandQuentinSkinner (ed.),Republicanism:AsharedEuropeanHeritage,vol.1,Cambridge Univ.Press,2002,p.147at148. (32)ICPogonowski,Poland:AnIllustratedHistory,op.cit.,p.45. (33)WJWagner,JusticeforAll:PolishDemocracyintheRenaissance Poland,op.cit.,p.133.. 17. だ さ れ る5年. 前 に大 ポー. 特 許 状 」 が 出 され て い る。 同 一.
(18) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. 上 記 に シ ュ ラ フ タ(貴. 族)が. 頻 繁 に で て く る が,こ. 要 す る 。 先 ず 中 世 の 社 会 階 層 に つ い て み る と,国 民,ユ. ダ ヤ 人,小. 合 同)当. 当 時 で 約1,100万. 族)に. つ い て 歴 史 学 者N.デ. の 社 会 構 造 を 考 察 す る に 際 して,後. 侶,貴. 族,一 般 市. 口 は1569年(ル. 人 劔 と さ れ,貴. 一 般 市 民 も ユ ダ ヤ 人 も 各10%,僧. 最 多 は 小 作 農 で16世 紀 か ら18世 紀 に 約65%強 フ タ(貴. 王,僧. 作 農 の 六 つ の 身 分 階 級 が あ り,人. 時 で750万 人,1634年. お お よ そ10%,一. れ につ いて は説 明 を. 侶 は 約5%と. ブ リン. 族 の人 口が 推 定 さ れ,. を 占 め て い る ㈲。 そ の シ ュ ラ. イ ビ ス は,「 近 代 初 期 の ポ ー ラ ン ド 期 の 歴 史 に登 場 す る基 準 を も って それ. を 判 断 す る こ と は 大 き な 誤 りを 犯 す こ と に な る 」 と 注 意 を 喚 起 し,続. けて. 述 べ る。 「ポ ー ラ ン ドの 社 会 階 級 は 生 産 手 段 の 有 無,収 よ っ て 決 ま る の で は な く,法. 入 高,経. 済状態 な どに. 的 権 利 と 伝 統 に よ り社 会 内 部 に お い て 意. 図 さ れ る 役 割 に よ っ て 決 め られ て い る の で あ る 。 歴 史 家 で す ら貴 族 の 中 の 力 関 係 を 考 慮 して 並 み の 貴 族 と い う 意 味 で シ ュ ラ フ タszlachta, 大 物 貴 族 と い う 意 味 で マ グ ナ ー トmagnateriaな り,ま. た 英 国 流 に 倣 っ て 紳 士gentlemanと. る言 葉 を 使 い分 け た. 貴 族peerに. 分 けて 述 べ た. りす る の は 正 し くな い 。 英 国 流 に い わ れ る ジ ェ ン ト リ ー は ポ ー ラ ン ド で は シ ュ ラ フ タszlachtaに. ㈲. 該 当 す る の で あ る 。」㈱. 国 土 と 人 口 は 一 帯 の も の で あ る が,ポ 時 代 に よ り 国 土 の 変 更,減 1634年. ー ラ ン ドに 限 っ て そ れ は 妥 当 し な い 。. 少 が 生 ず る の に 伴 い 人 口 も激 動 す る か ら で あ る 。. 当 時 ポ ー ラ ン ドの 国 土 は フ ラ ン ス の2倍,モ. く ヨ ー ロ ッパ 最 大 の 面 積 を 擁 して い た が,人. ス ク ワ公 国 よ り僅 か に大 き. 口 は1,100万. 人 で これ は フ ラ ン スや. モ ス ク ワ 公 国 の そ れ よ り も 少 な い 。NormanDavies,op.cit.,p.23.1686年 に は ヨ ー ロ ッパ で3位 し,1795年 ㈲16世. の 面 積 に な り,1773年. に は英 国 と同 じ く らい ま で に減 少. に は国 土 が 消 滅 す るの で あ る。. 紀 の 小 作 農 の 約40%は. 会 の 奴 隷 も 同 じ%で. 貴 族 の 奴 隷 と な り,約10%は. 王 国 領 土 の 奴 隷,教. あ る 。 自 由 小 作 農 は そ の 半 分 し か 居 な い だ ろ う 。18世. 半 で も こ の 構 成 比 に 変 化 は な い 。Davies,op.cit.,p.167の (36)Davies,op.cit.,pp.157-160.. 18. 図表 参 照 。. 紀後.
(19) L.G。. ゴ ス リ ツ キ"DeOptimoSenatore"論. ヨ ー ロ ッパ 諸 国 の 貴 族 の 割 合 は そ う し た 事 情 に よ り,フ イ ギ リ ス の2%に. 対 し,ス ペ イ ン,ハ. ポ ー ラ ン ドは7%∼14%も. ン ガ リー で は5%と. 示 し て お り⑳,他. ラ ン ス の1%, 少 し高 く な る が,. 国 と比 べ て 群 を抜 い て 高 い割. 合 を 示 して い る 。 貴 族 の 総 称 で あ る シ ュ ラ フ タszlachtaは. 理 念 上 す べ て が 平 等 な 関係 に. あ る 。 しか し シ ュ ラ フ タ に は 「領 地 」 を 有 す る か 有 さ な い か で 差 が あ り, 領 地 を 所 有 す る も の は 富 裕 に な り そ れ に 付 随 す る 権 力 を も つ 層 と な る が, 土 地 を も た な い 側 は そ れ ら と は 無 縁 の 層 と な る の で あ り,実. 際 は平 等 で は. な か っ た と い う の が 真 相 で あ る ㈱。 こ う し て シ ュ ラ フ タ に は,最. 上 位 に名. 門 の 血 統 に 繋 が る 「真 紅 の 貴 族 」,経 済 的 に 富 裕 で 権 力 の あ る有 力 貴 族 「マ グ ナ ー ト」(Magnates)が. あ り,そ. の 下 に 政 府,官. 僚 お よ び軍 隊 で 活 躍 す. る の が 多 い 「中 流 の 貴 族 」(Zamoznaszlachta)が,そ の 半 分 を 占 め る,貧. の下 に シュラフタ. 困 層 と 同 意 義 の 「下 流 の 貴 族 」(Drobnaszlachta)が. あ る な ど 落 差 が あ っ た の で あ る(39)。 こ の 差 は17世 紀 中 期 か ら さ ら に 広 が る ㈲。 国 王 の 有 す る 王 領 土 は ポ ー ラ ン ド ・ リ トア ニ ア 共 和 国 土 全 面 積 の15. ⑳. 貴 族 の 人 口 に は,10%超 ∼14%と. と す る の が 多 い 。Davies,ibid.,p.166.他. す る 見 解 も あ る 。WenceslasWagner(ed. 方,10. .),Introduction,inPol-. ishLawthroughouttheAges,1970,p.5.;MarkBrzezinki,op.cit., p.34.シ. ュ ラ フ タ(貴. 族)の. 割 合 が 分 か れ る の は,例. そ れ 以 上 の 土 地 を 有 す る 貴 族 が 全 貴 族 中 で43%居 の 貴 族 が57%も. 紀 中期 に村 落 や. った く持 た な い 無 産. 居 た の で あ る 。 下 級 貴 族 で は そ れ は 顕 著 で あ り,ス. 無 産 の 貴 族 は た ち ま ち 淘 汰 さ れ た の に 対 し,ポ で あ る,そ. え ば17世. た が,ま. ペ イ ンで は. ー ラ ン ドで は 急 速 に 増 殖 し た の. の 結 果 下 級 貴 族 の あ り さ ま は 農 奴 よ り も 酷 い 状 況 に な り,18世. は 自 発 的 に 農 奴 に な っ た 多 くの 例 が あ り(Davies,ibid,p.177-78),そ. 紀 に れ らを. どの よ う に扱 うか に よ り シ ュ ラ フ タ層 の 割 合 は増 減 す るで あ ろ う。 ㈱AntoniM凱czak,PolishSocietyandPowerSystemintheRenaissance,inFiszman(ed.),ThePolishRenaissanceop.cit.,p.17. (39)PolishNobilityAssociationFoundation.Retrieved2010/05/15.経 的 な 側 面 か ら シ ュ ラ フ タ の 分 類 に つ い て は,Davies,op.cit.,p.171.参 (40)狭. 済 照。. 小 な 領 地 を 有 す る 貴 族 の 中 に は 小 作 農 と 区 別 で き な い ほ ど の も の の 存 在 が/. 19.
(20) 近畿大学法学 一20%で. 第58巻 第2・3号. あ る に 過 ぎ ず(41) ,残. る 殆 ど は ご く少 数 の マ グ ナ ー ト(有 力 貴 族)の. も の で あ っ た の で あ る 働。. 平 等 で あ る べ き シ ュ ラ フ タ に貧 富 の 差 あ る現 実 に,16世 紀 初 め に下 層 シ ュ ラ フ タか ら諸 法 の 完 全 実 施 を 求 め る 「法 の 執 行 運 動 」 が 起 き た。 それ は国 家 活 動 の 四 つ の 主 要 分 野,す な わ ち財 政,軍 事,司 法,行 政 の 面 で の 改 革 を要 求 す る⑬。 そ の 運 動 に は特 定 の 指 導 者 が い た わ け で は な いが,16 世 紀 中頃 まで に は プ ロ テ ス タ ン ト系 の 人 物 が 相 当数 活 躍 して お りこれ は宗 教 改 革 と結 びつ くの で あ る。. 議 会 にお け る貴 族 階 級. ポ ー ラ ン ド語 で 「議 会 」を 意 味 す る言 葉Sejm. は古 代 ス ラ ブ語 で は人 々の 集 会 や 会 合 の 意 味 を もつ 。 初 めて の 集 会 は12世. \ 知 ら れ て い る 。 下 級 貴 族 は 経 済 的 苦 境,農. 業 の 不 作 に よ り悩 ま さ れ て い る が,. ポ ー ラ ン ドを 荒 廃 さ せ た17世 紀 の 戦 争 時 は と く に 辛 酸 を 経 験 し て い る 。 そ の 結 果,苦. 境 を の り こ え られ る 有 力 貴 族 と そ れ が 不 可 能 な 下 級 貴 族 と の 格 差 は さ ら. に 開 い た 。 こ う して17世. 紀 中期 あ た りを境 に. 「貴 族 の 共 和 国 」 は. 「マ グ ナ ー ト. の 共 和 国 」 に 変 化 す る 。 共 和 国 の リ トア ニ ア 側 で 領 土 の75%は,18世 は,2%未. 紀後半 に. 満 の 貴 族 に よ っ て 所 有 さ れ て い た 。 専 門 家 に よ る と,絶. 貴 族 の0.7%に. 過 ぎ な い マ グ ナ ー ト17家 が63.3%を. 頂 期 に は全. 所 領 し て い た と さ れ る。. (41)JerzyLukowski,Liberty'sFollyThePolish-LithuanianCommonwealthintheEighteenthCentury‐,Routledge,1991.p.12. (42)DanielStone,ThePolish-LithuaniaState,1386-1795,Universityof WashingtonPress,2001,p.294-5,298-9;18世 ニ ア で は65-70%が. 紀 の ポ ー ラ ン ド ・ リ トア. シ ュ ラ フ タ に,7-14%が. カ トリ ッ ク教会 に属 して い た と さ. れ る 。Lukowski,Liberty'sFolly,p.13. ⑬. 運 動 の 端 緒 は1504年. 全 国 議 会 制 定 の王 領 地 の譲 渡 は止 め るべ き とす る法 律 で. あ る 。 ま た 上 級 官 職 の 権 限 も 厳 し く規 定 さ れ,兼. 職 を 禁 止 す る措 置 が と られ. た 。 そ れ らの影 響 を受 け る の は王 室 の顧 問官 た ち で あ った。 彼 らは そ の 地 位 に い る こ と に よ り 利 益 を 得 た り影 響 力 を 及 ぼ し て い た か ら で あ る 。 そ こ で 貧 乏 シ ュ ラ フ タ の 最 初 の 要 求 は,マ. グ ナ ー トや 債 権 者 に 王 領 地 を 譲 渡 す る く ら い な. ら 君 主 は 自 分 の 財 産 か ら 国 土 防 衛 費 用 を 支 弁 せ よ,と. い うの で あ った 。 これ が. 結 果 的 に は シ ュ ラ フ タ へ の 課 税 を 無 し に す る の だ が 。Lukowski&Zawadzki,op.cit.,p.71.. 20.
(21) L.G。. ゴ ス リ ツ キ"DeOptimoSenatore"論. 紀 中 期 前 に 地 域 ご と に も た れ て お り,13世 隊 を か か え て い た が,カ. 紀 に は各 領 主 が 法 廷 と小 さな 軍. ジ ミ エ シ 大 王(位1333-70)末. 期 に は軍 事 防衛 と. 消 滅 寸 前 の ピ ア ス ト朝 の 出 先 機 関 を 整 理 統 合 す る な か で,領 意 識 す る 評 議 会 を も つ こ と に よ り地 方 議 会(sejmik)が デ ス ワ フ2世(位1386-1434)治. 下 の1404年,コ. 主 らが 政 治 を. 現 出 す る鱒。 ウ ワ. シ ツ ェ の 特 権(1374)で. 新 税 導 入 に 関 して は 地 方 議 会 の 同 意 が 必 要 と さ れ る の に 関 連 して 議 会 制 を 進 展 さ せ る 動 き が で て き た し,ま. た1422年. に は財 源 確 保 の た め枢 密 院 顧 問. に 地 方 シ ュ ラ フ タ 層 と 基 金 確 保 に つ い て 相 談 さ せ て い る ㈲。 当 初 課 税 は な い と 受 け と られ た コ シ ツ エ の 特 権 は 本 質 的 に は 地 方 議 会 の 同 意 の も と に 課 税 で き る こ と を 考 え る と,ポ. ー ラ ン ドは 「代 表 な け れ ば 課 税 な し」 原 則 を. イ ギ リ ス よ り も400年 前 に 認 め て い た こ と に な る 。 全 国 レベ ル の 合 議 機 関 と して15世 紀 初 期 に は 聖 職 者 と マ グ ナ ー トか ら な る 諮 問 機 関,枢 (位1446-1492)治. 密 院(PrivyCouncil)だ 下 の1454年,国. エ シ ャ ヴ ァ(Nieszawa)の. け が あ っ た が,カ. 王 が シ ュ ラ フ タの 騎 士 に特 権 を 認 め るニ. 勅 令(46)を契 機 に して 各 地 の シ ュ ラ フ タ は 自 ら 関. 係 す る 政 治 や 法 律 作 成 で 頻 繁 に 会 合 し,国 り,こ. ジ ミエ シ ュ4世. 王 の 政 策 を も検 討 す る よ う にな. う して15世 紀 中 期 に 議 会 の 発 達 は 決 定 的 に な る 。. 従 前 は 枢 密 院 か ら成 長 し た 上 院(Senate)だ 世 紀 末 に は 全 国 議 会(GeneralSejm)は,1493年 と な る 。2院. 制 議 会 の 確 立 に は,マ. け の1院. 制 で あ っ た が,15. か ら上 院,下. グ ナ ー ト(上 流 貴 族)に. 院 の2院. 制. 対す るシュラ. フ タ の 優 位 を 支 持 す る ヤ ン ・オ ル ブ ラ イ ト(JanOlbracht,位1492-1501) の 後 押 しが あ っ た ㈲。 こ う して1493年. 以 降,全. 国 議 会 は 上 院(Senate)と,. 幽)JecekJedruch,oP.cit.,P・34. q5>Ibid.,p.31. (46)こ. れ は 「貴 族 の 同 意 が 無 け れ ば 」 貴 族 に 新 た な 課 税 も し な け れ ば 軍 隊 に 徴 兵. も しな い とす る約 束 で あ る。 ⑳. 前掲. 「ポ ー ラ ン ド史 」,173頁. 。. 21.
(22) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. 地 方 議 会(sejmiki)か と か らな る2院 聖 職 者(大. ら選 出 さ れ る 議 員 で 構 成 さ れ る 下 院(Chamber). 制 議 会 を 形 成 す る 。 上 院(Senate)は. 司 教,司. 教)と. 国 家 の 高 位 官 職 保 有 者(県. ど の90名 前 後 か ら 構 成 さ れ,そ た 。 そ の 構 成 員 は,ポ (1569)後. は 約140名. 知 事,大. 臣 な ど)な. れ ら は原 則 と して カ ト リ ック教 徒 で あ っ. ー ラ ン ドと リ トア ニ ア を 統 合 す る ル ブ リ ン合 同. に 増 加 す る。 他 方,下. ら選 出 さ れ る 議 院2名. カ トリ ック教 の 高 位. 院(Chamber)は. 各地方議会か. ず つ の 議 員 で 構 成 さ れ90余 名 中3分. タ に して プ ロ テ ス タ ン トで あ り(48),ルブ リ ン合 同(1596)後. の1は. シュラフ. は 約170名. を数. え て い た 。16世 紀 ポ ー ラ ン ドは シ ュ ラ フ タ が 実 力 を つ け て き た こ と で 族 の 国 」 と 呼 ば れ る ま で に な り,政 て い た の で あ る が,宗 ヴ ィ ン派,ル. タ ー 派,ポ. 「貴. 治 的 実 権 の 殆 ど は 彼 ら に よ っ て 握 られ. 教 改 革 で 非 常 に 多 く の シ ュ ラ フ タ が 新 教 徒(カ ー リ ッ シ ュ 反 三 位 一一 体 派,チ. ル. ェ コ 兄 弟 団 な ど)に. 改 宗 した た め に カ トリ ック教 徒 は議 会 に お いて 多 数 派 を 占 め る こ と さえ な か っ た。 貴 族 同士 の 宗 教 上 の も め事 は国 王 に有 利 にな る。 シ ュ ラ フ タ層 は その 種 の 内紛 を 起 こす に は余 りに連 帯 が 強 か っ た。 これ は司 教 ミス コ ウ ス キ イ が1565年. 議 会 に 「聖 書 の 理 解 が 違 っ て も 仲 間 の 愛 情 を 閉 ざ す な!」. と. 訴 え た こ と に 現 わ れ て い る ㈲。 シ ュ ラ フ タ は 宗 教 上 の 内 紛 は 得 る よ り 失 う 方 が 多 い と 理 解 して い た の で あ る 。 16世 紀 初 頭,シ. ュ ラ フ タ の 権 力 や 自 由 を 強 化 す る 法 律 が,国. 王の権威が. 失 墜 す る の に 反 比 例 す る よ う に 成 立 す る 。 ア レ ク サ ン デ ル 王(位1501-06) 治 世 下,先. ず1501年. 議 会 は,実. 弟 を 次 期 国 王 に 就 け る 代 わ り に 国 王 か ら法. (48)Jedruch,op.cit.,p.60. (49)JanuszTazbir,AStateWithoutStakes:PolishReligiousTolerationintheSixteenthandSeventeenthCenturies,1967,p.50,117,121. CitedinDanielH.Cole,Poland's1997ConstitutioninitsHistorical Context,SaintLouisWarsawTransatlanticLawJournal,vol.5, 1997,p.9. 22.
(23) L.G。. ゴ ス リ ツ キ"DeOptimoSenatore"論. 案 提 出権 を 奪 う こ とで 国 王 に対 す る優 位 性 を 確 保 し,次 いで1505年 議 会 は 「ニ ヒル ・ノ ヴ ィ法 」(NihilnoviAct)を. 可 決 す の で あ る。 これ の骨 子 は,. 共 和 国 の 法 律 お よ び行 為 全 般 に関 して は両 議 院 の 貴 族 の 一 致 す る 同意 が な けれ ば国 王 は法 律 を 制 定 す る権 限 が な い とす る もの で あ る(但. し,王 領 都. 市,王 領 土,王 領 農 地,鉱 山,封 土 及 び ユ ダ ヤ人 に 関 す る もの を 除 く)。 こ れ は ポ ー ラ ン ドの シ ュ ラ フ タが 王 権 との 関 係 に お いて 国 王 に勝 利 した こ と を 意 味 し,こ れ 以 降 シ ュ ラ フ タが 国 王 に優 位 す る と い う時 代 を 築 く画 期 的 な 法 律 で あ る6① 。 同 法 は ま た,国 王 も議 会 の 不 可 欠 の 構 成 員 で あ る こ とを 鮮 明 にす る。 上 院 と下 院 で は 「ニ ヒル ・ノ ヴ ィ法 」 の も と議 員 の 一 致 す る意 思 表 示 が な けれ ば決 議 が 成 立 しな い た め,一 一 人 の 反 対 表 明 で も議 事 の 進 行 も決 議 の 成 立 もな くな る。 この 自 由拒 否 権(Liberumveto)を. 使 って議 員 が 「反 対 」,. 或 い は 「不 賛 成 」 と叫 ぶ と議 長 が 休 会 を 宣 して 会 議 は終 了 せ ざ るを 得 な く な る61)。こ れ の 行 使 は,全 国 議 会 で1652年 以 降2年 毎 に 開催 の議 会55回 の う ち48回 報 告 さ れ て い る励。 これ は立 法 機 関 を 機 能 麻 痺 にす る もの で 褒 め られ た もの で はな い。 「ニ ヒル ・ノ ヴ ィ法 」は後 世 に悪 影 響 を お よぼ す こ と にな る。 ポ ー ラ ン ドで は国 王 の 権 力 が 削 が れ る場 面 は多 々 あ るが,他 の ヨー ロ ッ パ 王 国 と違 って 王 権 神 授 説 を も って 国 王 権 力 の 絶 対 性 が 主 張 され る場 面 は ま っ た くみ られ て いな い。 専 門 家 に よ る と,ポ ー ラ ン ドで は王 権 は最 初 か ら最 高 の 権 力 と は捉 え られ て お らず,王 権 の 上 に は国 家 が 存 在 す る と され て い た。 国 家 に対 す る理 解 は16世 紀 で は未 だ 抽 象 的 で あ った が,16世. 紀か. ら17世 紀 へ の 曲 が り角 で は,「 貴 族 全 体 の 参 加 を え て政 治 的 に活 動 す る市. (50)Davies,op.cit.,p.164,254. (51)Davies,ibid.,p.264. (52)MarkBrzenski,op.cit.,p.39;Lukowski,op.cit.,pp.91-2. 23.
(24) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. 民 全 体 」 が 国 家 と し て 理 解 さ れ る よ う に な っ て い る ㈱。 こ う し た 国 家 像 は, 理 論 上 シ ュ ラ フ タ の 権 利 と さ れ る 「君 主 の 選 出 」,君 主 と の 契 約(「 パ ク タ ・ コ ン ヴ ェ ン タ 」,「ヘ ン リ ク諸 条 項 」)が 存 在 す る と い う 事 実,こ 他 方 当 事 者 が 共 和 国 で あ る,と. の契 約 の. い う事 実 か らも確 認 され る。 したが って 王. 権 は 初 め か ら非 常 に 限 定 的 な も の で あ り,さ. らに それ は神 に 由来 す る よ う. な 抽 象 的 な 権 利 で は な か っ た の で あ る 。 こ の 理 論 と 政 治 的 実 践 か ら して, 君 主 は 絶 対 に 法 の 淵 源 た り え ず,自. ら施 政 す る 国 の法 律 に服 す こ とに な. る 。 こ の こ と は 「パ ク タ ・コ ン ヴ ェ ン タ 」 に て 国 王 自 らが 確 約 す る 。 こ う し た 事 情 の 下 に あ っ て は,国. 王 の 属 性 で あ る王 権 神 授 説 が で て くる こ と は. あ りえ な い の で あ る 。. 選 挙 王 制 ポ ー ラ ン ド:一 般 国 民 と 国 王 と の 約 束 ヤ ギ ウ エ ォ 朝 の 後,ポ. 「社 会 契 約 」 の 登 場. ー ラ ン ド共 和 国 は 選 挙 王 制(electedmonarchy). と な る 。 こ れ は シ ュ ラ フ タ が 国 内 外 の 有 力 貴 族 や 諸 国 の 皇 族 の 中 か ら選 出 した国 王 を も って 政 治 を つ か さ ど る王 制 で あ る。 選 挙 王 制 で は 国 王 選 出 ま で 国 王 不 在 の 空 白 期 が 生 ず る が,シ. ュラフタは. 前 年 フ ラ ン ス の サ ン バ ル テ ル ミの 虐 殺 の 二 の 舞 の 発 生 を 懸 念 して1573年1 月 ワ ル シ ャ ワ 連 盟 を 結 成 し カ ト リ ッ ク と プ ロ テ ス タ ン トの 衝 突 を 回 避 す る 協 約 を 作 成 し,こ. れ は 全 国 民 が 遵 守 し な け れ ば な ら な い と さ れ た 勧。 当 時. ポ ー ラ ン ドで 最 も 信 者 の 多 い の は カ ト リ ッ ク 教 で あ り,1573年 え る と 推 定 さ れ る ㈲ が,そ ロ テ ス タ ン ト(ル. の 他 に 東 方 典 礼 カ ト リ ッ ク 教,ロ. タ ー 派,カ. ル ヴ ァ ン派),ユ. ダ ヤ 教,イ. は50%を. 超. シ ア 正 教,プ. ス ラ ム教 な ど あ. (53)AnnaGrzeskowiak-Krwawicz,op.cit.,p.47. 励. 宗 教 的 寛 容 は 後 に は 全 て の 宗 教 ・宗 派 ま で 認 め ら れ る が 当 初 は 新 旧 の キ リ ス ト教 だ け が 想 定 さ れ て い た 。 小 山. 哲. 「ワ ル シ ャ ワ 連 盟 協 約 の 成 立 一16世. ポー ラ ン ドにお け る宗 教 的 寛 容 の 法 的 基 盤 ㈲. カ ト リ ッ ク 教 徒 数 は 図 表(Davies,op.cit.,p.127.)か. 24. 紀の. 」,史 林735(1990),80-115頁 らの推 定 で あ る。. 。.
(25) L.G。. ゴ ス リ ツ キ"DeOptimoSenatore"論. らゆ る宗 教 が あ っ た。 多 くの 宗 教 を か か え る 中で 不 測 の 事 態 を 避 け るべ く ワル シ ャ ワ連 盟 は動 い たの で あ る。 ワル シ ャ ワ連 盟 に よ る国 王 の 選 出. 国 王 を 決 め る準 備 議 会 は ワル シ ャ. ワ近 郊 の カ トリ ック勢 力 の 強 い町 に召 集 され,国 王 の 選 出方 法 は当 時 無 名 の ザ モ イ ス キ に任 され た。 国 王 選 出の 権 利 は シ ュ ラ フ タ民 主 制 の も と に地 位 の 上 下 を 問 わ ず シ ュ ラ フ タ全 員 に認 め られ,カ 教 ウハ ン ス キ(Uchanski)が. トリ ックの 推 す 首 座 大 司. 王 位 空 白期 の 摂 政 に就 任 し王 権 を 代 行 す る こ. と に な った56)。国 王 選 出 選 挙 に は4万 人 の シ ュ ラ フ タ が参 集 して お り,こ れ は事 後 の 選 挙 の 参 集 者 と比 較 す る と関 心 の 度 合 い は格 段 に高 い もの が あ る勧。 ワ ル シ ャ ワ連 盟 の 主 要 な 関心 は,異 端 宗 教 の禁 止(カ 又 は宗 教 的 寛 容 の 容 認(プ. ト リ ック)か. ロ テ ス タ ン ト)か の 選 択 で あ るが,こ れ に は更. に外 交 方 針 の 選 択 も絡 ん で お りカ トリ ック は懊 を,プ. ロ テ ス タ ン トは仏 を. 支 持 して い た⑬。 仏 留 学 の 経 験 あ る ザ モ イ ス キ が フ ラ ンス贔 屓 を告 白 しハ. (56)前. 掲. ⑳1634年 の3分. 「ポ ー ラ ン ド史 」,186頁;DanielStone,op.cit.,p.117. 当 時 の 総 人 口1,100万 の1が. 人 の 約10%が. 貴 族 と す る と,11∼12万. 人 とな りそ. 参 集 し た と す る と高 い 熱 気 を 感 ず る 。 こ れ 以 後,1632年. ワ デ ス ワ フ4世. 選 出)で. は 僅 か4千. 選 挙(ウ. 人 しか 参加 して い な い。 そ の 後 の 選 挙 で 有. 力 候 補 者 が 自 国 人 で あ る 場 合 に は 同 じ貴 族 か ら嫌 わ れ る現 象 が 見 ら れ て い る 。 JerzyLukowski&HubertZawadzki,op.cit.,p.84. (58)こ. の 問 題 で は,殆. 持 に た ち,プ. ど カ ト リ ッ ク の マ グ ナ ー ト(上. 院 議 員)は. ロ テ ス タ ン トで あ る 多 数 の シ ュ ラ フ タ 貴 族(下. ス を 選 択 し た が,プ. オ ー ス ト リア支 院 議 員)は. フラン. ロ テ ス タ ン トの 心 配 は オ ー ス ト リ ア が 勝 つ と オ ス マ ン 帝 国. か ら ハ ン ガ リー を 取 り戻 し て 再 征 服 す る で あ ろ う,そ ク ラ イ ナ や 黒 海 沿 岸 に ま で 国 土 を 広 げ る で あ ろ う が,最 マ ン トル コ 軍 と 対 決 す る こ と に な り,タ る だ ろ う と い う 点 で あ っ た 。 一 方,フ. うな る とポ ー ラ ン ドは ウ 後 は 非 常 に強 力 な オ ス. タ ー ル人 の 略奪 を そ そ の か す こ と にな ラ ン ス に 就 く と ポ ー ラ ン ド ・ リ トア ニ ア. は トル コ と 平 和 的 関 係 に な る の で バ ル ト地 方 と モ ス ク ワ 大 公 国 と の 境 界 を 広 げ る こ と に専 念 で き る点 が有 利 と考 え られ た。 た だ フラ ンス支 持 に まわ る と不 安 視 さ れ る の は,ポ. ー ラ ン ド共 和 国 は 南 の ハ プ ス ブ ル グ 家 と東 の モ ス ク ワ 大 公 国. か ら脅 威 を う け る か も し れ な い 点 で あ る 。 こ の 不 安 は18世 の と な る 。DanielStone,op.cit.,p.117.. 25. 紀 中続 く現 実 の も.
(26) 近畿大学法学. 第58巻 第2・3号. プ ス ブ ル ク 家 の 絶 対 体 制 を 批 判 す る と 会 場 の 空 気 は 一変. し,参. 加者 はフラ. ン ス 支 持 に 大 き く傾 き 反 対 派 は 相 次 い で 会 場 を 後 に し た(59)。 連 盟 は この 直 後,事. の 重 要 性 か ら 「全 員 一 致 」 の 形 式 を と る こ と に す る 。 署 名 投 票 で は,. カ トリ ック側 は連 盟 の 決 定 を 名 を 拒 否 し た(但. 「悪 魔 と の 協 定 」 と して 強 く反 対 し代 表 は 署. し ク ラ シ ン ス キ は 署 名)㈹ が,プ. ロ テ ス タ ン ト代 表 は 全 員. が 署 名 し た 。 準 備 議 会 は 摂 政 ウ ハ ン ス キ が ア ン リ ・ヴ ァ ロ ア を 正 式 に 国 王 に 指 名 して 散 会 し た 。 プ ロ テ ス タ ン ト3派(フ コ ・ブ レ ス リ ン)の 可 決 さ れ,ポ. ェ ビ ア ン,ル. ー テ ル,チ. 共 同 提 案 と さ れ る ワ ル シ ャ ワ 協 定 は1573年1月. ー ラ ン ド共 和 国 の 「基 本 法 」(constitution)と. ェ. 議会で. な る(一 一 般 に. 「ヘ ン リ ク諸 条 項 」 と 称 さ る)(61)。 新 国 王 ア ン リ ・ ド ・ヴ ァ ロ ワ(Henryde Valois),ポ. ー ラ ン ド語 名 ヘ ン リ ク ・ヴ ァ レ ジ ィ(HenrykWalezy)は. 国 議 会(sejm)で. 全. 貴 族 に よ り正 式 に 選 出 さ れ た 。. ア ン リ ・ヴ ァ ロ ア は,国. 王 就 任 を 要 請 す る 代 表 団 か ら 「宗 教 的 寛 容 の 保. 障 な し で の 統 治 は 不 可 能 」 と の 報 告 に そ れ を 承 知 し た ⑫。 選 挙 王 制 の 新 国 王 に は ア ン リ ・ ド ・ヴ ァ ロ ワ(位1573-74)が. 選 出 さ れ た が,し. か しそ の. (59)Stone,ibid.,p.117. (60)カ. ト リ ッ ク か ら 唯 一 の 署 名 者 ク ラ シ ン ス キ(Franciskrasinski)は,連. は 宗 教 一・ 般 に も. 盟. 「真 の 信 仰 」 に も 反 し な い と す る 。 「ワ ル シ ャ ワ 連 盟 は 戦 争 や 流. 血 と い う 大 な る 悪 の 代 わ. り に 異 教 徒 に も あ る 権 利 を 与 え る と い う 小 な る 悪 を 与. え る に 過 ぎ な い 」と 考 え る 。JanuszTazbir,AStatewithoutStakes:PolishReligiousTolerationintheSixteenthandSeventeenthcentury, 1967,p.148.QuotedinDanielH.Cole,Poland's1997Constitution initsHistoricalContext,SaintLouis-WarsawTransatlanticLaw Journal,1998,p.21. ㈹Constitutionを 3日. 「憲 法 」 と 捉 え る の は18世. 憲 法 」 が 最 初 で あ り,そ. ielStone,op.cit.,p.119.そ -83 (62)代. 紀 後 半 に 登 場 す る. 「1793年5月. れ 以 前 は 普 通 の 法 の 意 味 で 用 い ら れ て い る 。Danの 例 は,NormanDavies,op.cit.,pp.246. . 表 団 は カ. ト リ ッ ク9名,プ. ロ テ ス タ ン ト4名,上. 名 で あ る 。DanielStone,ibid.,p.119.. 26. 院 議 員8名,下. 院 議 員5.
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