第
34回国際養蜂会議
- ローザ ンヌで開催一
渡辺
英男
酒井
哲夫
大津
華代
原点 に帰 った大会 の企画 1. 大会運営に新風を吹 き込む アピモ ンディア (国際養蜂協会連合の呼称) は, ここ10年 マ ンネ リ化 しているというのが 大方の風評で,なんとか脱却 したいと会員達の 多 くが考えていた. 特に,国際会議 は,名古屋 ・ワルシャワ以後, リオデジャネイロは大 イ ンフレに見舞われ,ス ピリッツは戦争で中止,北京 は,中国の内部問 題で,プロシーディングはおろか,負担金 も支 払 っていない始末である. 一方,地球規模で,蜜源減少 ・環境汚染 ・異 常気象が起 こり,貿易問題 も加わ って,養蜂業 の存続が難 しくなり,一刻 も早 く手 を打たなけ ればないという焦燥があ った. そこで,北京大会以後,100年前の結成当時 か らの歴史を紐解 き,原点 に立 ち返 って,アピ モ ンデアの在 り方が討議 され, この中で, ロー ザ ンヌ大会が企画されたのである. ご承知の通 り, 2年 に 1度開催 される国際養 蜂会議 は,総会 ・理事会 ・発表 ・展示会等が同 図2 開会式 1-図 1 会場となったポリュ-宮殿 時に行われるが, これに一本筋を通 し,連動 さ せ,具現す ることを根底 に置いた. また,参加 しやす く,わか りやすいように した. 例えば,3種類 (全 日・3日 ・1日)のコース を用意 して,多 くの蜂友 が参加 で きるよ うに し,言語の壁を配慮 して, フィルムや ビデオを 増や した.また,時事問題 に取 り組むため,専門 部会を設 ける一方,ア ピェキスポは,で きるだけ 多 くの国 と分野か ら出展 して頂 くように した. 更 に,常任委員会の会長に,各 自のセ ッショ ンの案内 (開会 日)・導入 と総括 (当日)・結果 (閉会 日) を発表 させ, 以後2年間の活動の主 なテーマにす ることに した. 言語 ・習慣 ・歴史 ・政治の壁を越えなが らの 作業 は大変であったが, 4つの言語を持っ連邦 共和制のお国柄 と優秀な人達 に支え られて, ど うや ら,所期の目的を達す ることができた. 2. 先進諸国に示 したホ ビー養蜂の意義 養蜂の社会的貢献を知れば,誰 しも,地珠上 のすべての地域で ミツパテを飼育す ることが望 ましいと思 う筈である.環境並びに食糧問題が 深刻 さを増す時,なおさらであろう. ところが,現実は,経済や環境上の理由で, 世界各地で ミツバチの空洞化が進んでいる. スイスは,九州程の山の多い小 さな国である が, 各地 に,隈無 く,約30
万群,飼育 してい る. しか も,すべてホ ビーであるか ら,外国の 安 い生産物で,打撃を被 ることもない. 彼等 は ミツパテの貢献を広 くPR して,政府 に協力 させ,マーケッ トを拡大 して,相応の利 益を得ている.会議を終えて,外国の蜂友達 と5日程 スイス 国内を回 ったが, 自然環境の改善や食糧増産 に 対する ミツバチの貢献を認識 して,公費を投入 している様子が伺えた. 先進国の ミツバチの空洞化を埋める一つの答 えをスイスの人達 は示 して くれたと思 う. 3.日本人達の貢献 今大会に参加 した日本人 は,約
1
00
名で,内 半数 は,会期中,開催地 に滞在 した.現地の養 蜂 を視察す るエクスカー ションに も大勢参加 し,スイスの人達を大 いに喜ばせた.開会式だ けの日本人,の印象を払拭 したようだ. また、名古屋市 の井上氏,富田林市の東氏が, それぞれ,利益を度外視 してブースを構え,国 際親善 に努 めていたの も,好感が持 たれた. 今大会の リポー トは, 60
か国か ら47
4
題提 出されたが,日本か らは3題で,出席者の割 に は少 なか った. しか し,玉川大学 の酒井 ・松 香 ・吉田先生達のお陰で,面 目を保っ ことがで きた.役 目柄,多数の リポー トに目を通 したが, 日本の レベルは高い方である.世界の養蜂の発 展の為に, 日頃の成果を発表 して欲 しい. (〒1
5
8
世 田谷区等 々力7
-
2
3
-
l
l
7ビモンデア理事 (養蜂経済常任委員長)渡辺 英男) チンメルマン博士 と nigra-Tu'graの
ふる里で
APIMONDIA ローザ ンヌ大会でスイス行 き を決めたとき,先ず第一 に頑に浮かび,是非た ずねてみたいと思 ったのが,その名の示す通 り に真 っ黒の ミツバチnigra-nigrla品種のことで あった.1
9
52
年, この ミツバチの女王蜂をス イスか ら遥々送 って下 さったのは,玉川学園を こよな く愛 し,戦前戦後 を通 して6度 も玉川の 丘に来 られたテ ンメルマ ン博士であった. チ ンメルマ ン博士 は,文学,理学,経済学の 3つの博士号 を持 ち,
「地球 はわれ らの故郷 で ある」をモ ットーに世界中を旅行 し,国 と国, 人 と人 との協和敬愛運動 をっづけてお られた.1
93
0
年, 初めて日本を訪れたときに玉川学園 の ことを知 り,開校間 もない学園で半年間滞 荏,生徒たちに語学を教 え, ピアノを弾 き共に 図3 アビェクスポの会場 歌 い,牛舎で搾乳を一緒 にやるなど,す っか り 小原園芳先生 の新教育の実践に感激 し, とりこ にな られた方である.戦後1
9
49
年11
月,世界 旅行の途次再 び玉川学園を訪れ,数 カ月の滞在 で戦後の日本をっぶさに調査 された.玉川の丘 では,新制玉川大学が発足 し,岡田一次博士が 小原園芳先生のご賛同 と激励を受 けて ミツバチ 研究にとりかか られたときであった.チ ンメル マ ン博士 に, ヨーロッパの ミツバチ研究者たち との連絡を依頼 されたところ, さっそ く帰国後 ス イ ス の有 名 な ミツバ チ の 月 刊 誌 で あ る「
Sc
hwe
i
z
e
r
i
s
c
heBi
e
ne
n-
Ze
i
t
ung
」をは じめ, ミツバチの遺伝や飼育法 などの書籍を寄贈 して 下 さり, さらにスイスで50
年間にわたり育成 淘汰 され,スイスの自然 と国民性 に順応 した品 種であるとして,nigra-nigra を送 ってこられ たのだ った. これは日本 にはか って輸入 された ことのない ミツバチ品種であった. 当時その飼育 と形態学的比較研究に携わ った 1人 として, 形態学的に見て他のセイヨウ ミツ バチ (mellifera)品種 よりもニホンミツバチに 近 く,生態学的にも,群 はあまり大 きくな らず 分蜂性がやや強いなどニホ ンミツバチと似てい図4 アジア養蜂研究会 (AAA)の集会 る点があり,北方系 (寒冷地)の1品種 と言え るのではないか と考えた. 8月15日 (火) 4千 人を こえ る参加者 に
Pa
l
a
i
sdeBe
a
ul
i
e
u
の登録受付 はごった返 し ていた.残念なが ら, これだけの出席者を処理 す るための受付 システムとしては誠に不十分な 人員配備 と不適当な方法であった.前 もって登 録費を支払 っていた私たちです ら,名簿の中の 自分の名前を改めて自分で探 して初めて会議関 係の書類の入 った鞄や名札を受 け取れるのであ る.開会式壇上 の APIMONDIA役員の顔ぶれ を見 ると,10年前名古屋大会 の頃のお顔 は会 長のBor
ne
c
k
氏 と見事な口髭のTo
ns
l
e
y
副 会長の2人だけで,歳月の移 り変わ りを実感 し た. しか し一方渡辺英男氏が養蜂経済, また旧 知のNi
c
ol
a∫.Br
a
dbe
a
r
女史が途上国の養 蜂分科会の委員長 として壇上 にお られ,力強 く 感 じた.広い会場 なので,特 に講演者や壇上の 様子をテ レビカメラでステ-ジのスク リ-ンに 大写 しにす る工夫がなされていた. 日本か らも 日本養蜂 はちみつ協会竹下富雄団長以下37名 の皆 さん,その他のグループも加えると100名 くらいの出席者で大変頼 もしく思 った. ア ビェクスポe
xhi
bi
t
i
on
(展示会)の開会式 に引 き続 いて,11時30分か らはそれぞれの分 科会委員長か ら各分野の発表内容の説明がなさ れ,渡辺英男氏 も15分位講演 された. 昼食後,会場の裏山へ登 り,色々な ヨーロッ パ式巣箱で十数群の ミツバチが置いてある蜂場 をたずねた.先述 したnigra-nigra品種 もいる に違 いないと思 い,一群一群丹念に見てB]った ところ,-チはすべて黒色系の品種で白いバ ン ドのはっきりしたものか ら, ほとんどバ ンドは な く真 っ黒なものまで多様であった. これ こそ はnigra-nigra に違 いないと胸をときめかせた が,よく聞いてみると違 っていて,今では一部 の地方で飼育 されているにすぎず, スイスの現 在の一般普及品種 はコ-カシア ン, カー二オラ ン系とのことであった. 午後の分科会 は病理学であった. 8月 16日 (水)2日目,午前中は養蜂経済 とVa
r
r
oami
t
e
s
に関す る分科会が2
会場で平行 して行われた.午後2時か らは ミツバチ生物学 とバ ロ了の会議が続 き,午後5
時か らはポスタ ーセ ッションが行われた.玉川大学か ら松香光 夫教授がベ トナムか らの留学生Ho
a
n
氏の研 究内容を,吉田忠晴助教授 は ミツバチ交尾飛行 時刻の光周制御について発表 し, 1時間の待 ち 時間を充分に活用 して質問に応 じていた. 4千人余の出席者で各会場 は熱気 にあふれ, 発表会場, ポスター会場では研究者 による発表 と質疑が熱心 に行われた.96
のスタン ドか ら なる展示場 は世界中か ら集め られた養蜂具, ミ ツバチ生産物,それぞれのお国柄を表現するポ スターなどで埋め尽 くされ,浅草の仲兄世を防 排 とさせ る 「門前市をなす」賑わいであった. 日本か らは井上敦夫氏の養蜂研究所 と東 政宏 氏の東養蜂, (秩)セラリカ NODA が出店 さ れ,好評であった. 午後8時か ら宮殿 の大会場 でスイス民族文 化 の夕べが催 された. スイスの フォークソン グ, フォークダンスに参加者 は我を忘れ,十分 に堪能することができた. 8月 17日 (木)1日研修 ツアーは 12のグル ープに分かれ,朝7時半をめどに宮殿前広場か ら次々 と大 型 観 光 バ ス で 出 発 した. 私 はSi
mme
nt
a
l
地方 の花粉採集を主 とす る養蜂場 と医療用 ミツバチ生産物工場を見学 し, さらにGs
t
a
a
d
方面を見学するNo
.50
のバスに乗 っ た. レマ ン湖沿いにアウ トバー ンを進むバスの 車窓か らは, ガイ ドブックそのままのスイスの 景色が見 られ,国を挙 げて観光立国に力を注い でいる国民性が羨 ま しいとっ くづ く感 じさせ ら れた.・手入れが行 き届 き,整然 としたブ ドウ畑 ・山頂 まで森や林以外はすべて牧草畑 (あの急 な斜面の草刈 りは大変に違 いないと話 し合 っ たことだ った.) ・山の高 いところにも立派 な家々があり,その 窓辺を飾 る色 とりどりの花々 ・道路の側壁 もコンク リー トの打 ちっ放 しでな く石が張 ってあったり,石積みであった り, その細かい心配 り ・ナナカマ ドが色づ きは じめ,玉川の丘で もク リスマスツ リーによ く使 った ドイツ トウヒの 大木 も沿道でよく見 られた. 日本の
○○
峡等 とはスケールが違 う,雄大な 渓谷美に圧倒 されなが ら Simmentalに着 く と,そこは古い教会,製材所,養魚場,養鶏場 などが点在す る典型的な スイスの カ ン トリー で, 1766年建築の旧家が博物館 として保存 さ れていた.その博物館の庭 に咲 くマ ジョレ-ヌ の花には真 っ黒 い働 き蜂が群が って花蜜を吸 っ ていた. Simmentalの養蜂場では, 近辺の養蜂家十 数名が大 きなスイスの旗を振 って出迎えて くれ た.養蜂組合の研修所をかねたヨーロッパ特有 の蜂舎で 10群の ミツバチが飼われていた. 栄 門は赤,白,育,黄の色分 けをされているが, 巣箱同士 は隙間な くびっしりつまっている.蜂 会の中にはいると,手入れをするための巣箱の 扉があり,巣箱の中には花粉団子を採取す る ト ラップがつけられており,引 き出 しでそれを取 り出す ことがで きるようになっていた. スイスの民族衣装を着た上品な老夫人にもう 一度ni
gr
a-
ni
gr
a はいないだろうかと尋ねたと ころ,
「ここにはいない.所 々まだ飼 っているよ うだが,今ではカーニカ, コーカシカ, リグス ティカの雑種が主流で,群 は大 きくなるが この 地方の蜜源植物 は少ないので,-チ ミツの採取 量 は少ない」 と説明 して くれた. 屋外 でケーキや ジュース類 の もて な しを受 け,記念写真を撮 り蜂場を後 に したが,ケーキ や ジュースにさっそ く盗蜂が集 まって きていた ので,流蜜す る花が少 ない ことがよ くわか っ た. 187 断崖絶壁 の山道 を2階建て大型バ スで は ら はらしなが ら通 り,途中降 りだ した雨 もレマ ン 湖がみえ始める頃には晴れ上が り,思い出多い excursionは無事終わ った. 8月 18日 (金)午前中の分科会 は養蜂技術, 花粉媒介 と病理学.私 はPollinationの分科会 で勉強 した. 午後か らは ミツバチ治療学分科会 と, ミツバ チの国際間移動の討論会が開かれた. 午後5時か ら6時 までのポス ターセ ッショ ンでは玉川大学松香教授,大津華代大学院生な どのプロポ リスに関す る発表があり,質問者 は 次々現れ, テ レビの撮影 も行われるなど盛会で あった. 午後6時か ら7時 までの 1時間 アジア養蜂 研 究 協 会 の集 会 を行 った.Borneck会 長, Koeniger教 授 夫 妻, オ ー ス ト ラ リ ア の Guilfoyle氏 も参加 して下 さり,約50名 の出 席 であ った.松香事務局長 の司会 で特 に来年 10月にベ トナム,- ノイで開催す る第 3回大 会についての準備状況の説明をベ トナムの- ン 女史に して もらった.質疑応答の後,Wongsiri 副会長の閉会の言葉で会を終えた. 8月 19日 (土)午前中の分科会は開発途上国 養蜂 とバ ロアの2つで,これですべての分科会 が終了 した. 午後2時か らは渡辺英男氏 などによる分科 会 の 総 括 講 演 が あ り, 午 後 3時 か ら は APIMONDIA 総会 とメダル授与式. 玉川大学 が出品 していた 「アジアの ミツパテ」の絵 はが きセ ッ トが銀 メダルに輝 き,壇上の吉田忠晴先 図5絵はがき 「アジアのミツバチ」に授与された 銀 メ ダル生 に大 きな拍手が送 られた. 午後4時半か らいよいよ閉会式,続 いてお別 れ レセプ ションで第34回国際養蜂会議 ローザ ンヌ大会 は盛会裡 に幕を閉 じた.今回の会議 で すでに決 まっている1997年 のア ン トワープ大 会 に続 く 36回大 会 が カ ナ ダのバ ンクーバ ー で,37回 は南 アフ リカで開催 と決定 した. 松香光夫教授夫妻,野 口耕司氏 と私 たち夫婦 は大会の後,列車 と レンタカーで南 フランスか ら北 イタ リアをまわ り,養蜂や農業事情の視察 とともにヨーロッパの古 い文化 に触れ る機会を 得 た. 特 に8月21日, 南仏 ア どこ ョンか ら車 で約 1時間のApt市 にあ るJourdan氏の養蜂 場を訪れたのでそれを付記 したい. 同氏 は3年前 か ら自力 で石造 りの採蜜工場 の建築 をは じめ, はば完成 したところだ った. 200-250群を飼育 して いるとの ことで, 主要 蜜源の一つの ヒマワ リはフランス人の噂好 に合 わず, ほ とん ど餌蜜 と して い るとの ことであ る.人気があるのは南仏特産 ラベ ンダーの蜜や 甘露蜜で, 日本の レンゲ蜜 よ り数段高値で売買 されていることがわか った.蜂 は従来の黒色系 の もの もあるが,黄色系の リグステ ィカを最近 導入 し,良 い成績 を上 げているとの ことであ っ た . また最後 にローマでは,名古屋大会の打 ち合 わせに訪問 して以来の懐か しいア ピモ ンデ ィア 本部 に RiccardoJannonトSebastianini事務
総長 を訪ね,懇談をす ることがで きた. (〒194 町田市玉川学園 6-1-1 玉川大学 ミツバチ科学研究施設内 アジア養蜂研究協会事務局 酒井 哲夫)