[論 文]
アジアのソーシャルワークにおける宗教の可能性
─イスラム教の場合─
松 尾 加 奈
※ Key words:イスラム教、国際ソーシャルワーク、価値、ソーシャルワーク定義はじめに
2001年に国際ソーシャルワーク学校連盟(IASSW)と国際ソーシャルワーカー連盟(IFSW) が採択したソーシャルワーク国際定義(以下、「2001年定義」と表記する。)は、日本の社会福祉 専門職団体にとっても大きな拠所であった(Matsuo,2013)。日本だけではない。アジア太平洋 圏域の多くの国ではこの定義をソーシャルワーカーの定義として使ってきた。一方で2010年6月 に始まったアジア太平洋ソーシャルワーク学校連盟(APASWE)によるソーシャルワーク国際 定義の再検討作業過程において、この定義に対する批判や苦情の声が絶えずあった。すなわち 「西欧(多くは「キリスト教」)の価値観に寄った西洋のものであり、我々の文化・歴史・民族・ 社会・国の実情にあっていない」、「スピリチュアリティ(spirituality)が欠如している」「先進国のモデルである」「専門職がいない」等々である(International Definition of Social Work Review:
APASWE/IASSW Asian and Pacific Regional Workshop(4 November, 2010), 2011)。
第二次世界大戦後にアジア圏域に導入された西欧ソーシャルワーク教育がそれぞれの国や地 域に 現 地 化 した過程について調査した国際共同研究では、それぞれ固有の民族・宗教・価 値観・知識等を持つコミュニティやクライエントに対し、西欧ソーシャルワーク教育を受けた ソーシャルワーク専門職の 藤、調査対象国のソーシャルワーク教育が専門職化(=資格化) を志向しつつ、その国や地域固有のソーシャルワーク教育の必要性もまた感じていることが 報告された。また、アジア圏域のソーシャルワーク教育に必要な要素として「スピリチュアリ ティ」やキリスト教以外の「宗教的価値観」という視点が挙げられていた(Internationalization &
Indigenization of Social Work Education in Asia, 2014; Internationalization of Social Work Education in Asia, 2013)。
本稿は日本社会事業大学社会事業研究所アジア福祉創造センターの研究チーム1)が2015年4
月に開始し、同年12月より淑徳大学長谷川仏教文化研究所アジア仏教社会福祉学術交流センター が協働した国際共同研究「アジア地域におけるイスラム教ソーシャルワーク実践」(日本社会事 業大学、2016年)においてイスラム教の聖職者、宗教施設(モスク)で実施されている“ソー シャルワーク”2)の活動報告を分析した同報告書内の筆者の論文を再構成し、淑徳大学アジア国 際社会福祉研究所が昨年度から展開している国際共同研究「ソーシャルワークにおける宗教の可 能性」についてイスラム教からその可能性を分析・検討したものである。
Ⅰ 先行研究
日本の先行研究ではムスリム(イスラム教に帰依した者)が行っている社会福祉(あるいは ソーシャルワーク)活動について報告された研究はあるものの全体として数は少ない。その研究 の方向性は、①執筆者が現地で体験した活動や視察の報告、②来日したイスラム教徒への支援の 実際や課題、③イスラム教におけるジェンダー問題、と大きく3つに分類される。筆者が2016年 6月と9月に文献検索サイトGoogle Scholarで検索したところ、「イスラム教ソーシャルワーク」、 「イスラム教社会福祉」、「イスラムソーシャルワーク」、「ムスリムソーシャルワーク」でヒット した文献はなかった。またキーワードの組み合わせで文献検索をかけた結果は表1で示すとおり である。 表1 Google Scholar での和文文献ヒット件数 (2016年9月18日現在) キーワードの組み合わせ ヒット件数 イスラム ソーシャルワーク 117 ムスリム ソーシャルワーク 116 イスラム 福祉 1,830 ムスリム 福祉 518 イスラム教 福祉 869 イスラム教 社会福祉 1,180 イスラミック ソーシャルワーク 98 一方英文文献については表2で示すとおり、100万以上の文献がヒットした。とくにソーシャ ルワークとスピリチュアリティから様々な宗教を持つクライエントへの支援、援助の核を問うたカンダ(Canda & Furman, 2010)やイスラム教徒であるクライエントの価値や宗教的多様性を重
視した援助の重要性を説いたクラブツリー(Crabtree, Husain, & Spalek, 2014)のように西欧ソー シャルワーク―多くはキリスト教的価値観がマジョリティを占めるソーシャルワーク―における
リカ・イギリス・フランス等欧米各国では、多くのムスリムが既存コミュニティに移住し新しい 生活をたち上げる中で様々な摩擦が顕在化していることも理由として考えられる。ムスリムたち が新しい土地で生活する中で感じる生活課題にソーシャルワークがどのように向き合うかという 視点については前述した分類の②と同様の視点である。 表2 Goolge Scholar での英文文献ヒット件数 (2016年9月18日現在) キーワード ヒット件数
Islamic Social Work 1,320,000
Muslim Social Work 1,240,000
Islam Social Work 1,500,000
2014年にメルボルンで開催された「ソーシャルワーク教育社会開発に関する合同国際会議」
(IASSW/IFSW/国際社会福祉協議会(ICSW))において採択されたソーシャルワーク専門職の
グローバル定義“Global Definition of the Social Work Profession”(以下、「2014年定義」と記す。) は宗教の多様性やスピリチュアリティに直接言及していない。しかし、アジア太平洋地域におい てこれらは重要な要素4)であるという声は挙げられている。また、アジアの国々の中では仏教 が西欧ソーシャルワーク伝播以前から「支援の必要な人々への活動」を実施している例もある。 淑徳大学が2012年∼ 2014年にベトナム国立社会人文科学大学、日本社会事業大学と実施した国 際共同研究「宗教とソーシャルワーク:その異同と関係─仏教の場合─」では、ベトナムでは西 欧ルーツのソーシャルワークが導入された後も人々が仏僧のもとに相談に訪れ、また支援の必要 な人々への救済活動を寺院が展開している例や、仏教信仰や仏教の価値観に基づいた「ソーシャ
ルワーク」活動が人々に支持されていることが報告されている(The Roles of Buddhism in Social
Work; Vietnam and Japan, 2013; The Roles of Buddhism in Social Work; Vietnam and Japan, 2015)。 本研究は「イスラム教が実施している“ソーシャルワーク”活動」に着目している。このよう
な研究は福祉分野よりも宗教学(スレイ・ガイダンス・センター(Sulay Guidance Center);子島
進)や国際関係学からのアプローチが見られた。小杉は定めの寄付(ザカット)を取り上げイス ラムの福祉国家論について述べている(小杉泰,2006)。また、トッドは「イスラムVS西欧」の 文明の構図が虚構であると人口学の切り口で述べている(エマニュエル・トッド & ユセフ・ク ルバージュ,2008)。 1.ムスリム・ソーシャルワークかイスラミック・ソーシャルワークか ソーシャルワーカーによるスピリチュアリティやムスリムへの理解に着目した研究とは異な り、本研究はイスラム教という宗教が、高齢、障がい、子どもや生活困窮者という、いわゆる 「福祉ニーズのある人々・支援が必要な人々」に対しどのような“ソーシャルワーク”活動をし
ているのかという実例を収集したものである。よって本研究のタイトルはイスラム教徒を指す 「Muslim(ムスリム)」ではなく、「Islamic(イスラミック=イスラム教)」ソーシャルワーク実 践5)の報告とした。 2.「ソーシャルワークは専門職である」か 2014年定義は「ソーシャルワークは専門職である」から始まっている。一方でアジア太平洋圏 域ではコミュニティでソーシャルワークの実践をしているのはソーシャルワーク専門職だけでは なく、宗教家や地域のリーダー達による活動(Functional Alternative(FA):ファンクショナル・ オータナティブ)があり、「ソーシャルワーク≠専門職」であることも報告されている(Akimoto, 2013)。はたしてソーシャルワーク専門職ではない人々により実践されている「支援が必要な 人々への活動」はソーシャルワークではないとするのか。2001年定義及び2014年定義の説明がな されている文献は社会福祉士養成課程の教科書に多く見られるが、未だ十分に議論が尽くされて いるとは言い難い。
Ⅱ 目的と方法
1.研究の発端 本研究は前述の「宗教とソーシャルワーク」にかかる国際共同研究の第2フェーズとして、 「イスラム教によるソーシャルワーク活動はあるのか。それはどのように行われているのか」と いう実に素朴な質問から始められたものである。 2.目 的 本研究の目的は、イスラミック“ソーシャルワーク”の活動例を各国から集め記録することで ある。調査チームは活動例の範囲を定め、調査の目的と枠組みを以下のように提示した。 • 西欧ルーツのソーシャルワークが範囲とするような領域、すなわち生活困窮者、高齢者、子 ども、障がいを持つ者、HIV/AIDSの人々、自然災害・人工的な災害により被災した人々、 経済的・身体的・精神的・心理的に困難を抱える人々を対象とする。 • イスラム教のモスクや聖職者達は上記の人々に対し具体的にどのようなことを行っているの かを記録する。 • イスラム教が実施している“ソーシャルワーク”の活動事例をアジア太平洋圏域で同じよう に活動している人々や知的関心を寄せている人々に紹介すると共に情報を共有する。 • 「イスラミック・ソーシャルワーク」の理論構築のための基礎とし、研究者ネットワークの 構築を図る。 繰り返される西欧ルーツのソーシャルワーク専門職に対する「自分たちと異なる宗教的背景であり馴染まない」という議論は「他の宗教的背景のあるソーシャルワークとは何か」という事実 なくしては先に進まない。本研究の長期的ゴールは宗教とソーシャルワークの理論構築にある。 3.研究の方法 今回の調査はアジア地域の中で(a)国民の多くがイスラム教徒である国と(b)イスラム教徒 は国民全体から見るとマイノリティだが国内で無視できない勢力を持っている国という二つの カテゴリーを対象とした。(a)のカテゴリーからバングラデシュ、インドネシア、マレーシア、 (b)のカテゴリーからタイとフィリピンを選択し、該当する国々について過去の国際共同研究参 加者などの協力者を通じ参加者を公募した。公募の際、参加応募者には①「ソーシャルワーク」 活動の例示、②各国の人口及び各種統計的事実、③イスラム教聖職者や宗教施設が“ソーシャル ワーク”活動をする理由、の3点の記述を求め、参加者を選定し、共同研究のスタイルをとり各 国チームが調査を自主的に実施した。 4.リサーチスケジュール 2015年 7 月29日、 バ ン グ ラ デ シ ュ、 イ ン ド ネ シ ア、 マ レ ー シ ア、 フ ィ リ ピ ン、 タ イ の APASWE会員校に「アジア地域におけるイスラム教ソーシャルワーク実践」というテーマで共 同研究のカウンターパートを公募した。同年8月10日に公募締切とし、独立した選考委員会によ り参加者を選定した。 調査期間は同年8月25日から2016年1月31日である。2015年12月12−13日に東京で開催された 日本社会事業大学主催、淑徳大学長谷川仏教文化研究所アジア仏教社会福祉学術交流センター共 催「第24回環太平洋セミナー」にて中間報告発表及び意見交換を実施し、2016年3月31日に最終 報告書を発行した。 5.参加したリサーチグループ 今回参加したリサーチグループは以下の通りである。それぞれの参加者は調査研究チームが設 定したガイドラインに沿って自主的に調査を実施した。以下「Ⅲ 結果」に記載の出典は、特記 がないかぎり報告書「Islamic Social Work Practice: Experience of Muslim Activities in Asia(アジア 地域におけるイスラム教ソーシャルワーク実践)」に収録されている報告である。 ムハンマド・サマド、アンワール・ホサイン(バングラデシュ) アディ・ファハルディン、フスミアティ・ユスーフ、トトン・ウィトノ、ロファ・ムザキール (インドネシア) ツァリーナ・マット・サアド、ズルカルナイン・ハッタ(マレーシア) メルバ・L.マナポル(フィリピン) ワンワディ・ポンポクシン(タイ)
Ⅲ 結 果
1.各国の報告概要
今回調査に参加した5カ国の概要を統計データで形作ると表3の通りである。カテゴリー(a)
のバングラデシュは160万人の人口のうちイスラム教徒が89.7%、インドネシアは257万人余り
の人口のうち88.1%、マレーシアは連邦の宗教としてはイスラム教であるが人口のうちマレー
系66.1%、25.2%が中国系という民族構成と宗教の分布が重なっている(Saad & Hatta)。カテゴ
リー(b)のフィリピンはアジアでは唯一のキリスト教国家であるが15%がイスラム教徒との報告 がある。またタイは国民の94%が仏教徒でありイスラム教徒は5%に満たないが、そのイスラム 教徒が南部に集中(イスラム教徒のうち77.92%)しており、モスクの数も全体の3,722の施設数 のうち3,158施設(84.85%)が南部に存在しているという特徴がある(Poonpoksin, p.109) 表3 調査参加国の基礎データ1 バングラデシュ インドネシア マレーシア フィリピン タイ 独立年 1972年 1949年 1957年 1946年 面積(km2)2 147,570 1,910,931 329,8473 300,000 513,120 年央推計人口(100 万人)(2015) 161.00 257.56 30.33 100.70 67.96 人口のうち都市部に 占める割合(2015) 34% 54% 75% 44% 50% 都市部人口増加率 (2015) 3.6% 2.7% 2.7% 1.3% 3.0% 人口密度(2015) 1236.8 142.2 92.3 337.7 133.0 出生時の平均余命 (2015)(男性) 69.9(男性) 66.6(男性) 72.2(男性) 64.7(男性) 70.8(男性) 72.3(女性) 70.7(女性) 76.9(女性) 71.6(女性) 77.6(女性) 1人当たり国民総 生産(米ドル) 1,3174 3,475 7,0415 2,765 6,270 宗教の分布 イスラム教89.7%、 ヒンズー教9.2%、 仏教0.7%、 キリスト教0.3%、 その他(アニミズム や無宗教)0.1%6 イスラム教88.1%、 キリスト教9.3%、 ヒンズー教1.8%、 仏教0.6%、 儒教0.1%、 その他0.1%7 イスラム教61%、 仏教20%、 儒教・道教1.0%、 キリスト教9.0%、 その他8 イスラム教15%、 キリスト教(ロー マン・カソリック) 80%、 キリスト教のその 他の宗派及び仏教 5%9 イスラム教4.94% (うち77.92%は南 部に集中してい る。)10、 仏教94%11 1本研究の報告書にて最新データが明示されていない限り国際連合統計局「世界統計年鑑2013 58集」を元に筆者が作成。 2出典:総務省統計局「世界の統計2014」
32015年1月1日現在(Saad & Hatta, p.61) 42015年現在(
Samad, p.16)。
52014年現在(Saad & Hatta, p.62) 62011年センサスによる( Samad, p.11) 7外務省「インドネシア共和国基礎データ」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/indonesia/data.html#section1)より 8外務省「マレーシア基礎データ」( http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/malaysia/data.html#section1)より 9(Manapol, p.89) 10( Poonpoksin, 2016, p.109)外務省のデータでは5%とある。いずれもトータルは100%にならない。 11外務省「タイ王国基礎データ」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/thailand/data.html#section1)より
リサーチグループは各国のイスラム教による「ソーシャルワーク」活動を①モスクの役割、② 「定めの喜捨」「喜捨税」と呼ばれるザカット(zakat)と、サダカ(sadaqah)の行為について報 告した。また、「なぜ“ソーシャルワーク”活動をするのか?」という動機について「戒律(アッ ラーに対する行為)」と”ソーシャルワーク”活動をしている行為者の「相互扶助の思い」につ いて報告があった。 2.イスラム教が実施している“ソーシャルワーク”活動 (1)モスク(mosque)の役割 モスクはイスラム教の礼拝所であると同時にコミュニティの社会文化的なコミュニティの中心 に位置する。マレーシアのモスクには、教育活動、社会活動、社会開発、緊急災害時の支援、司 法的な機能の他にも芸術や社会復帰支援(rehabilitation)など、人々の社会生活全般に関与する
機能を持っている(Saad & Hatta, p.69)。また寺院や教会のように宗教施設としての「聖」の機
能だけではなく、政治の議論のように「俗」の機能を併せ持っている(Samad, p.10)。
ムスリムの生活全般の規範の中心に聖典「コーラン(アル・クラーン)」に記された神の啓
示がある。モスクはその解釈を教える場としての機能を持っている(Fahrudin, Yusuf, Witono, &
Mudzakir, p.54)。つまり、人々が生活を送る上で必要な律法の解釈を教えるために集まる場所が モスクであり、モスクに人々が集うことで、モスクが共同体(=コミュニティ)の中心としての 機能を発揮しているのである。 (2)ザカット(zakat)とサダカ(sadaqah) イスラム教はアッラーを唯一の神と信じる6)という宗教である。ムスリムには、5項目の生 活上の義務(五行)を課せられる。すなわち、①証言あるいは信仰告白(Shahadah:アッラーが 唯一神でありムハンマドがアッラーから遣わされた預言者であると信じると証言すること)、② 礼拝(Salat:毎日決まった時間に5回礼拝をすること。金曜日にモスクに集まり礼拝をするこ と)、③喜捨(Zakat:困っている同胞に対し金品を提供すること)、④断食(Sawm:ムハンマド に神の啓示があったラマダーンの月には日の出から日の入りまで飲食を経つ)、⑤巡礼(Hajj:
一生のうち一度はメッカに巡礼すること)である(Manapol, p.92; Saad & Hatta, p.66)。これらは 全てアッラーによって定められた方法で行わなければならない。
五行のうち「ザカット」は日本語で「喜捨」あるいは「定めの喜捨」「喜捨税」と呼ばれるが、
生活に余裕のある者が収入や貯蓄に応じて定められた率7)を払うという信仰上の義務である。ザ
カットを「宗教税(a religious tax)」(Saad & Hatta, p.66)と表記することもあるが、国・行政に収 める「税」とは別に徴収されるものである。ザカットを徴収する機関・事務所は政府の機関ではな いが、極めて公的な性格の強いイスラム教の機関のひとつであり、徴収したザカットはモスクの建 築やコーランで定められている生活に困っているムスリムへ配分される。またザカットはイスラム 教が行っている“ソーシャルワーク”活動の資金源ともなっている(Saad & Hatta, p.73; Samad)。
義務として徴収されるザカットの他に、自分の意思で行う慈善行為全般を指す「サダカ」と いう行為がある8)。「すべてのものはアッラーのもとに作られ全てアッラーのもとに属している」 とするイスラム教は、アッラーが保護者として共同体を守っているのだから共同体を成す構成 員のために余力のある個人の財産・才能・時間・技術を出し合い支えあうことを義務と捉えてい る。インドネシアにおけるサダカの事例として、金品支援、マイクロ・ファイナンス、社会支援 (social service)、保健衛生、リハビリテーション、コミュニティ開発や社会開発、(地域の)エン パワメント等が報告された(Fahrudin et al., p.38)。 (3)イスラミック“ソーシャルワーク”活動 バングラデシュからはモスクによる活動の他に「サー・サリムラー・ムスリム孤児院(Sir
Salimullah Muslim Orphanage)」と「アンジュマン・モフィダル・イスラム(Anjuman Mofidul
Islam)の活動が報告された。アンジュマン・モフィダル・イスラムは貧困層の住民に対する様々
な活動、例えば家庭のない子ども・夫を亡くした女性・障がい者への支援、無料検診、被災者へ
の緊急支援やムスリムのみを対象とした無料埋葬支援を実施している(Samad)。
インドネシアは「ムハンマディア(Muhammadiyah)」、「ドンペ・ドゥアファ財団(Dompet
Dhuafa Foundation:「ドンペ・ドゥアファ」とは貧困者の財布、の意)」、「ポンドク・ペサントレ
ン・イナバ・スリヤラヤ(Pondok Pesantren Inabah Suryalaya)」、「マスター・デポック(MASTER
Depok)」の4事例が報告された。ムハンマディアとドンペ・ドゥアファ財団は貧困層の家計設 計支援(economic empowerment)やマイクロファイナンス、被災者支援や災害マネジメント、教 育、ヘルス・ケアや貧困対策をフィールドとしている。またポンドク・ペサントレン・イナバ・ スリラヤは薬物使用者に対する精神・心理的セラピーであり、マスター ・デポックはストリート ・チルドレンのシェルターである。他にも、イスラム系大学のソーシャルワーク教育とカナダ・ マクギル(McGill University)によるソーシャルワーク教育カリキュラム共同開発についても報 告された(Fahrudin et al.)。 マレーシアからは「ウィラヤ・ペルセクツアン(Wilayah Persekutuan)モスク」の宗教指導者、
「クバン・パスー ・ザカット徴収機関(Kubang Pasu Zakat Collection Office)」の調整官(Zakat
Officer)、「ヤヤサン・ヌスラー(Yayasan Nusrah:ヌスラー財団)の理事長、クバン・パスー地方
のモスクの宗教指導者20名による聞き取り調査が報告された。ヤヤサン・ヌスラーはシングルマ ザー支援や被災者支援等困窮者支援を行っている。またモスクの宗教指導者たちはモスクで様々 な“ソーシャルワーク”活動を実施している。例えば、教育、医療支援、シングル・マザー支援、 女性向けの料理教室、環境保全活動等である。またモスクがイスラム教の解釈や理解を人々に伝 える場であることから日常生活の悩みや抱える課題を相談する場にもなっていることが報告され た(Saad & Hatta)。
フィリピンは国(Department of Social Welfare and Development(DSWD):社会福祉開発省)のソー
アクト(Tawi-Tawi Islamic Association for Community Transformation (Islamic ACT)の活動が報告 された。ムスリムがマイノリティであるフィリピンではソーシャルワーカーのイスラム教および その価値観の理解が必須である。またタウィ・タウィ ・イスラミック・アクトはコミュニティに おけるイスラム・リーダーの育成プログラムを実施している(Manapol)。 タイは“ソーシャルワーク”活動を①ムスリムによるムスリムへの“ソーシャルワーク”活 動、②一般的なソーシャルワーク実践の中で、特にムスリムにむけた、ムスリム/非ムスリム のソーシャルワーカーが行っている活動、③タイ南部地域のムスリムが多い地域におけるムス リムソーシャルワーカー、の3種類に分類し、①としてザカット管理と「サッタチョン財団 (Satthachon Foundation)」による孤児や夫を亡くした女性達への教育・就職支援及びライフ・ス キル支援の活動が報告された。また②として「レインボー ・スカイ・アソシエーション(Rainbow
Sky Associaiton of Thailand)」、「チイワビバルン(Cheewabhibaln)緩和ケアセンター」、「キング・ チュラロンコン(King Chulalongkorn)記念病院」、「タイ赤十字(Thai Red Cross Council)」を取 り上げ、性的マイノリティやジェンダー、終末期医療という教義と実践のジレンマに言及し、こ
れらの領域の支援については別の人道支援NGOや政府機関による支援がカバーしていると報告
している(Poonpoksin, pp.118-122)。③の事例としてタイ南部で展開されている「ヤラ・ホーム・
フォー・ボーイズ(Yala Home for Boys)」と「バアン・タクシン・ヤラ高齢者社会福祉開発セ
ンター(Baan Taksin Yala Social Welfare Development Center for the Elderly)」の活動が報告された。
いずれも国の機関であり、ヤラ・ホームは社会開発・人間安全省社会開発福祉局(Department
of Social Developmenta and Welfare, Ministory of Social Development and Human Security)、 バ ア
ン・タクシン・ヤラ高齢者社会福祉開発センターは社会開発・人間安全省高齢者局(Elderly Department)のなかで高齢者福祉サービスのモデルロールの役割を持っている。いずれの施設も ムスリムのソーシャルワーカーがおり、信仰や文化の違いを尊重し宗教的な配慮をしていること が報告された(Poonpoksin)。 このように、イスラミック“ソーシャルワーク”活動は西欧ルーツのソーシャルワーク実践が 対象とする子ども、シングルマザー、高齢者や障がいを持つ人々等様々な人々を対象としている ことが各国から報告され、またソーシャルワークの専門教育を受けていないイスラム教指導者や 信徒も多数活動していること、その活動の財源としてザカットが使われていることが報告され た。また、ムスリムがマイノリティであるタイやフィリピンは、国の財政基盤や福祉制度の整備 状況に左右されるとはいえ全国民を対象とする基本的なサービスは国のシステムの上に平等に差 別なく提供され、イスラム教徒しての宗教的配慮が必要な事項をイスラミック“ソーシャルワー ク”活動がカバーしていることが報告されている。 (4)“ソーシャルワーク”活動の動機 本調査で報告されたイスラミック“ソーシャルワーク”の活動の主体は宗教指導者やコミュニ ティのリーダー等のように「コミュニティで信頼されており且つイスラム教の価値観や信念に基
づいた人々」が各国に共通していた。相互扶助や困窮者支援であるサダカやザカットはムスリム の義務であり、「コーラン」やムハンマドの言行録である「ハディース」にも繰り返し説かれて いる。各国の報告からは「困っている人を助けるのはムスリムにとって当然のことである」とい う認識が共有されていた。 また「善行という種を現世で蒔いておき、死した後には天国でアッラーからの褒美という刈入 れをする」という発言(Fahrudin et al., p.47)や、宗教指導者が社会政治的指導者でもあるイス ラム教の特徴を反映して「宗教指導者としての社会に対する責任がある」という発言(Manapol, pp.99-102)のように、イスラミック“ソーシャルワーク”活動の動機として「アッラーへの義 務」、「社会・コミュニティへの責任」が挙げられた。
Ⅳ 考察:イスラミック“ソーシャルワーク”活動とは
ソーシャルワークという言葉が西欧からアジア太平洋圏域に入ってきたと同時に、ソーシャル ワークの根底にある「キリスト教にルーツをおきながらも政教分離・聖俗分離をすすめる西欧の ソーシャルワーク専門職」概念も同時にこの圏域に入ってきた。各国の報告にもあるように、イ スラミック“ソーシャルワーク”活動で支援の対象とする人々は西欧ルーツのソーシャルワーク が支援の対象とする人々と重なっている。しかしイスラミック“ソーシャルワーク”活動は、根 底にある聖俗を分離しない。イスラム教が生活規範そのものであるムスリムにとって、宗教を分 離する西欧ルーツのソーシャルワークの価値観とは異なるものである。 イスラミック“ソーシャルワーク”活動の動機をみると相互扶助や利他の行為は神(アッラー) を信じるムスリムとしての義務であり、その行為の方向性の先は常に神(アッラー)にある。西 欧ルーツのソーシャルワークとは異なり、すべての活動は神に対する義務として明確に定義され ている。「支援する者」と「支援される者」は神(アッラー)の下で水平な関係を持つ。これは イスラム教の共同体における個人の関係と同じである。(図1参照) アッラー(神の啓示) 動機の方向性 行為の方向性 支援する者 “social worker” 支援される者 “client” 水平な関係 図1 イスラミック“ソーシャルワーク”の支援の方向性一方でフィリピンやタイのようにムスリムがマイノリティである国では、イスラミック“ソー シャルワーク”活動が生活の質の向上に不可欠な基本的要素を全てカバーしているわけではな い。これらの事例はイスラム教がメジャーであるカテゴリー(a)の国々と、マイノリティである カテゴリー(b)の国々ではイスラミック“ソーシャルワーク”活動の範囲が異なっていることを 示唆するものである。
Ⅴ 結 論
2015年12月12−13日に東京で開催された日本社会事業大学主催・淑徳大学共催の「環太平洋社 会福祉セミナー」において「宗教とソーシャルワーク∼イスラムの場合」として本研究の中間報 告と意見交換がなされ、本調査の最終的な報告に至った。ソーシャルワークという言葉に既に含 まれている西欧ルーツの価値観に基づく様々な支援・実践の経験や理論・技術論からみると、イ スラム教の価値観に基づく“ソーシャルワーク”の支援・実践の報告である本研究は実証データ の報告に過ぎない。イスラミック“ソーシャルワーク”活動から「イスラミック・ソーシャル ワーク」の理論構築を導くためには未だ数多くの行程が必要だろう。 本調査で挙げられたイスラミック“ソーシャルワーク”活動の事例では専門知識を持っていな い人々により実践されており、彼ら自身も西欧ルーツのソーシャルワークと同じような活動をし ているにも関わらずソーシャルワークをしているという意識を持っていなかった。これは先行す る仏教によるソーシャルワーク活動と重なる点といえる。また、一般的な福祉の成立過程では宗 教によるソーシャルワーク活動と国家による福祉サービスの成立の過程は呼応した関係がある (木原活信,2015,p.18)。国家による福祉サービスを補完する役割が宗教によるソーシャルワー ク活動にあり国家による福祉サービスが充実する過程で宗教ソーシャルワークはその活動を変容 させてきた。しかし本研究では、イスラム法が国家よりも上位に位置する国やコミュニティでは 宗教ソーシャルワーク活動を国家のシステムが補完する役割という関係ができている可能性が示 唆された。インドネシアとカナダの大学の協力関係のように、西欧ルーツのソーシャルワーク教 育とイスラム教系の大学(イスラミック“ソーシャルワーク”)がソーシャルワーク教育のカリ キュラム構築に協力しているという報告もあった。今回の調査に参加した研究者の全員がムスリ ムであり且つ西欧ルーツのソーシャルワーク教育を受けた研究者であったことから、イスラム教 を反映した自国のソーシャルワーク教育のカリキュラム開発の必要性も指摘された。 本研究を通じてイスラム教の教えに基づく“ソーシャルワーク”活動があること、また経済的 にも組織的にも戒律で定められており、国は違ってもイスラム教の共同体として共有されている ことが分かった。また西欧ルーツのソーシャルワークとは支援の方向性が異なることが報告され た。第二次世界大戦後のアジア太平洋圏域の復興及び社会開発支援の一環として人材育成、特に ソーシャルワーカーの育成とソーシャルワーク専門職教育の必要性が説かれ、国連の様々なプログラムが進められた。これがアジア太平洋圏域に伝播した西欧ルーツのソーシャルワーク教育の 国際化の原点にある。一方で専門職ではない宗教をベースとした“ソーシャルワーク”の存在が あり、これは仏教とイスラム教とが一致するところである。 淑徳大学アジア国際社会福祉研究所が平成27年度から実施しているブッディスト・ソーシャル ワークの理論構築研究と同様にイスラミック・ソーシャルワークを理論化しその構成要素を抽出 する研究が、多様な宗教の価値観の違いを超えて共通する「ソーシャルワークとは何か」の答え につながると考える。 謝辞 本研究は「平成27年度文部科学省 私立大学等教育研究活性化設備整備事業対象事業(淑徳大 学)」及び「平成27年度国際比較研究 ソーシャルワーク新国際定義の地域における独自性検討 のための基盤資料作成―特に、宗教とソーシャルワークについて―(日本社会事業大学)」によ り実施された。調査代表である藤岡孝志日本社会事業大学教授、秋元樹淑徳大学教授のご指導に 感謝します。また、調査に参加を希望した全ての人々、参加したムハンマド・サマド、アンワー ル・ホサイン(バングラデシュ)、アディ・ファハルディン、フスミアティ・ユスーフ、トトン・ ウィトノ、ロファ・ムザキール(インドネシア)、ツァリーナ・マット・サアド、ズルカルナイ ン・ハッタ(マレーシア)、メルバ・L.マナポル(フィリピン)、ワンワディ・ポンポクシン (タイ)の誠意にも心より御礼申し上げます。 【注】 1) 調査代表者:藤岡孝志(日本社会事業大学教授、日本社会事業大学社会事業研究所長(当時))、コー ディネータ:松尾加奈(日本社会事業大学共同研究員)、スーパーバイザー:秋元 樹(日本社会事業 大学特任教授・淑徳大学長谷川仏教福祉学術研究所長(当時)) 2)ここでいう「“ソーシャルワーク”活動」は近年一般的に使用されている社会福祉士養成講座等におけ るソーシャルワークではなく、社会貢献活動・社会事業・社会福祉活動・その他利他行為全般を指すた め、あえて“ ”をつけている。
3)今年5月のInternational Social Workでは特集として「イスラムとソーシャルワーク(Islam and Social Work)」が取り上げられている。
4)2014年7月14日、オーストラリア応用心理カレッジ(Australian College of Applied Psychology (ACAP))
メルボルン校にてAPASWEが主催したワークショップ参加者から2014年定義のアジア太平洋圏域展開 定義に必要な項目として「宗教、信仰、スピリチュアリティ」等が挙げられた。 5)ここで“ソーシャルワーク”実践にしなかったのは、今回共同研究への参加者たちが西欧ルーツのソー シャルワーク教育を受けており、筆者が意図する脚注2の活動を意識していなかったからである。 6)六信とは「①唯一アッラー(神)を信じる、②アッラーの遣わす天使の存在を信じる、③経典を信じる、 ④預言者を信じる、⑤審判の日を信じる、⑥天命を信じる」を指す。 7) 宗派によって異なるが、今回の調査報告では各国「2.5%以上」をザカットとして収めているとあった。
8) サダカをCharityと表記した報告もある(Saad and Hatta)。
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