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国語科授業論についての研究 : 音読・朗読を生かした授業づくりをめざして

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(1)一九九八︵平成一〇︶年度. 兵庫教育大学大学院学位論文. 国語科授業論についての研究    一音読・朗読を生かした授業づくりをめざして一. 教科・領域教育専攻. 言語系︵国語︶コース. M九七四∼OC. 苅  尾  邦  子.

(2) はじめに.  非行の低年齢化が目立ち始め、純粋で屈託がないと思われていた小学生の問題行動が目に余る事実として、新. 聞紙上やテレビ等で取り上げられるようになってきた。中でも、学級崩壊で授業が成立しない実態は、都市部だ. けに限らず、全国どこの地域でもいつ起こるかしれないという。原因は、家庭や社会のあり方も大きく左右して. いるであろうが、それでも学校の責任は免れないと思う。勉強がわかりたい、わかるとうれしい、という気持ち. は誰もが持っている。わかる喜び、できる喜び、それを十分味わわせることで、児童は学ぶことの楽しさを知る ことができると思う。そういう現実に浸らせることで学校、教師への信頼を取り戻したい。.  そこで、楽しく、自分らしさを発揮し、力の付いたことが実感でき、学級集団で認めあい、高めあいながら学. 力をつける学び方はないものだろうかと考えたとき、音読・朗読が浮かびあがったのである。.  これまで、私の教職経験の中で、いろいろと授業形態を試行錯誤しながら、少しでも楽しく、よくわかる授業. のあり方を試みてきたが、いつも教師ひとりが躍起になっていただけであったように思う。︸入﹁入を大切にし. た授業のあり方、個性を発揮できる授業、全員が活躍できる授業等を成立させていきたい。そう考えて取り組ん. だとき、音読・朗読を核にした授業は、実に効果的であった。だれでも活躍できる場があれば、学校は楽しいも. のになるはずである。学習の場が楽しければ、自ずと授業に対する態度が前向きになり、学級や仲間を大切にす る子どもが育つのではないかと考えるのである。.  一人一人を大切に、生き生きとした学級づくりをめざして、音読・朗読を中心にした授業展開に取り組んでい くことは、価値あるものだと実感している。.  そこで、この方法をこれからも踏襲していくためには、音読・朗読の理論を学び、私のこれまでの実践を裏づ けることが必要と考えるのである。.

(3)  はじめに. 目. 次. 序 章 研究の目的と内容−−−・−一−−−−−−−−:−−−−−−−−−−;:−−−−:−−:−−:−::−:ーー−一−−−−−:−−:−−−−−−・−−−;−一⊥. 第﹁章 国語科教育の今日的課題.  第一節 国語科の目標と授業の実際::−−−−−−−−−:−−−−−:−−−−−−−::一−−−−−−−圏−−−−−−−−−−−i−−−−且−−−−−−:−−−:−四.  第二節 音読・朗読の位置と内容−−−−−:−:;−:−:−−−・−−−:−−−−:−−:−−−−:−:−−:−−−−:−:−−−−一−−−−−−−−−−=二.  第三節 音読・朗読の意義と目的−−−⋮−−−−喜−−−−−⋮−1:−−−⋮−−−::−−−−−⋮−−−−−畦−−−:−:−一−−−−;−−−−−,−二四. 第二章 音読・朗読を生かした授業の有効性.  第一節 音読・朗読の機能と特性−−−:,−−−−−−−−⋮−−⋮,−:−,−−⋮,−−暉,−−−⋮:−,−,−−−⋮,−⋮−−−⋮−−−,三二.  第二節 音読・朗読を生かした授業の価値−−:−−−::⋮,−:−,,−−⋮−,−⋮−−−−−,;−−:−−−−−−−−−⋮−⋮−−−⋮三七.

(4) 第三節 音読・朗読を生かした授業の方法−−−−−−−:−−−−−−−−−−−−−一−:−−−−−;−−−−−−−−−−−−−−−−−−1−−−−−−一−−:四四. 第三章 音読・朗読を生かした授業の実際. r;一![狂 C こ︻﹁a.= 笥  く櫨月イーF筆ノ. 建箋り出詠距暁レ一﹁串守鍾. ダ﹂〆丘︸−= 釜︵←→︸仁7’ く、’  ‘ 耳にご 一’. 建曵封罫列り既要レ一.そ黙り致雪肺. 第︸節 音読・朗読で展開する授業の.分析・考察−−−1−一−:−:−−−−−−−:一−−−:−−−一:−−一−−−:−::−−−−−・−四九 1. 2. 1. 授業実践の長所と短所. 授業実践の共通点と相違点. 第二節 音読・.朗読で展開する授業の有効性−−−−−ーー;−−−−−−−−−−:−;::−−1−−−−−−−一−−−:−:−一−−一−−−−−六四. 2 七丁ウ週ラr;フロ蹉〆︶ 工を豪弓κゑ唱し. 3 受.挨建斐D里誤象. 終 章 音読・朗読を生かした授業のまとめと今後の課題::−−−1−−−−−−l−−−−::−−一−−−一::−−一:−−−−:−七九. 冬’づ.りこ. 壽尋一 し. く資料編﹀.

(5) ﹁音読・朗読﹂の表・記は、引用文や書名については原文ど. 引用資料中の傍点は、断りのない.限.り原文のままである。. 、引用資料中の︵中略︶は、すべて引用者による.ものであ.る。 、. 、. おりとし、.他の部分はすべて角音読・朗読﹂で統一.した。. 、引用資料中の旧漢字は、現代の常用漢字に改.めて表記.した。.

(6) 序章 研究の目的と内容.  私は、これまでの教育実践の中で、全員参加でどの子も楽しく学び、生き生きとした授業展開をめざして、い. ろいろ考え、試みてきた。しかし、教師が一生懸命になればなるほど、国語をむずかしい、おもしろくない教科 にしてしまい、かえって国語嫌いを生み出していたように思う。.  その授業形態の多くは、話し合いが中心であった。思ったこと、感じたこと、気づいたことを自分のことばで. 表現し、それをみんなの前に出すことは、子どもにとってかなり抵抗のあることであったに違いない。思いはあ. っても言いたくない子、言いたくても言えない子、どう言えばいいのかわからない子、さまざまな理由が発言を. 妨げていたのであろう。言えない子を言える子にするのも、大切なことであるかもしれないが、ひとり残らず全. 員が発言できるようにすることは、かなり至難の業である。                                                    レ  そこで、全員参加の学習活動として、音読・朗読を授業の中核に据えることを考えたのである。音読・朗読な  口. ら、練習すれば誰もができる。本来、子どもは、読むことが好きである。好きなことを通して、授業を展開させ、 生き生き活躍できる場を与えてみたいと思ったのである。.  子どもは、自分が活躍できる場があれば、自信を持ち、どんどん積極的に授業に参加していくものである。そ. して、授業に参加できた満足感、充実感を味わうこともできる。その自信が、子どもを大きく変容させるきっか けになるのである。.  このように、全員が十分に活躍できる機会が与えられるということは、↓人一人を大切にした授業を作りあげ. ることであるともいえる。また、音読・朗読は、読み手によって、それぞれ違った味があり、個性がはっきり表. れることが多い。文章から読み取った思いを、自分の声で表現するのである。読みの技術は拙くても、このよう. に読んでみたいという思いを持って読めばよい。そこには個性が表れてくる。どの子も自分の読みを、音声に乗.

(7) せることで、自己表現できるのであるし、友達の読みを聞き合うことで、お互いの良さを認め合う機会にもなる。.  読み声を響かせる授業を展開していく中で、文章に表現された内容が理解できるようになっていくものと考え. る。文章は存在するだけでは、文字が並んでいるだけの単なる記号であるが、それを読むことによって、理解し、. いろいろな思いが沸きあがってくる。そのはたらきを助け、イメージをより豊かに広げることができるものとし て、音読・朗読をあげることができる。.  音読・朗読をすることによって、読み手の思いがそのまま音声となって表現されるので、文章に生命が吹き込. まれることになる。音声で表現された文章は、読み手にとっても、聞き手にとっても、黙読で理解するより容易. に理解できると考えられる。つまり、音読・朗読によって理解が深まるということである。.  このように、多くの長所が考えられる音読・朗読である。それを理論的に裏づけ、長所や短所を明らかにして いくことで、授業に取り入れるためのよりよい方法を考えていきたい。. 音読・朗読を生かした授業は、読みかたに工夫ができ、個性の伸張を図ることができる。また、. 的で確実に内容理解に結びつくものになるのではないか。. にだして音読・朗読するので読解活動になる。それは、話し合いによる読解活動よりも、効果. 音読・朗読を生かした授業は、﹁読書百遍、意、自ずから通ず﹂ということば通り、何度も声. した活動を繰り広げることができるのではないか。. さらに、工夫によっては全員参加の学習を成立させ、興味や関心を持続させながら、生き生き. 音読・朗読を生かした授業であれば、練習さえすればだれもが音読・朗読できるようになる。.  この研究を進めるにあたって、次のような仮説をたてた。 ︻仮説一︼. ︻仮説二︼. ︻仮説三︼. 読み声を聞き合い高め合いながら、 人一人を大切にしたよりよい学級集団を作ることができ るのではないか。. 一. ㍗.

(8)  このような仮説を立て、次のような筋道で考察し検証していきたい。.  第一章では、﹁国語科の今日的課題﹂について考えていく。現在、実際に展開されている多くの国語教室の実. 態から問題点を探り、国語科の授業はどうあるのが望ましいのかを考察していく。﹁国語科の目標﹂にせまるた. めには、なぜ音読・朗読が効果的であるといえるのかということを探る。それには、歴史的変遷をたどりながら、 位置づけや、意義、目的、内容を考えることで明らかにしていきたい。.  第二章では、﹁音読・朗読を生かした授業の有効性﹂について考える。音読・朗読を授業に取り入れた場合、. それは、どのような機能を発揮し、どのような特性をみせるのか探っていく。さらに、どのような価値が見いだ されていくのか考察をくわえ、﹁授業の方法﹂を検討する。.  第三章では、﹁音読・朗読を生かした授業の実際﹂の具体例をもとに、それぞれの授業実践を分析、比較検討 し、よりよい効果的な授業のあり方を求めていく。. 一. 卸.

(9) 第一章 国語科教育の今日的課題 第[節 国語科の目標と授業の実際.  本章では、国語科がめざす目標と今日における国語科授業の実態を明らかにし、抱えている問題点を探ってい く。そして、授業の実態を振り返る材料としたい。.  平成元年に改訂された﹃小学校学習指導要領﹄の﹁第2章 各教科 第﹁節 国語﹂の中で、国語科の目標と して次のように述べられている。.     国語を正確に理解し適切に表現する能力を育てるとともに、思考力や想像力及び言語感覚を養い、国    語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる。︵注一︶.  ﹁国語﹂とは、﹃日本語大辞典﹄によると、﹁国が公用語として認めている言語。また、その国のことば。国. 家語。﹂︵注二︶とある。その﹁国語﹂で身につけることは、ことばを﹁正確に理解﹂しておくことと、それを. 用いて﹁適切に表現する能力﹂である。ことばを正しく習得しことばの正しい意味や使い方がわかっていると、 あらゆる場で﹁適切に表現﹂することができる。.  また、頭の中で考えたり、想像したりする行為は、すべてことばを媒介として行うものである。これまでに習. 得したことばを駆使して、いろいろな考えや想像をする。ことばが豊かであれば、考えたり想像することも豊か. になっていくものである。反対に、ことばが乏しいと、思いをふくらませることはむずかしいと考えられる。.  ことばを豊かに用いることができるためにも﹁言語感覚を養﹂おうというのである。ことばを正確に使ったり. ﹁表現﹂したりすることを心がけることによって、﹁国語に対する関心﹂を﹁深﹂めたり、﹁国語を尊重する態 度﹂を育てたりしょうともいうのである。. 騨. 塩.

(10)  以上のことから、国語科のめざす目標とは、﹁国語を正確に理解し﹂自分の思いを国語で﹁表現する能力﹂を. 育てることである。さらに、﹁思考力﹂、﹁想像力﹂、﹁言語感覚﹂を﹁養う﹂ことと、﹁国語﹂に﹁関心を深め﹂﹁尊. 重する態度﹂を育てることである。.  また、同じ平成元年版の﹃小学校学習指導要領﹄の﹁第一章 総則 第4 2 ω﹂に﹁以上のほか、次の事. 項に配慮するものとする﹂︵主面︶とした項目があり、そのωで、﹁学校生活全体を通して、言語に対する意識. や関心を高め、言語環境を整え、子どもの言語活動が適正に行われるよう努めること。﹂︵注四︶と述べている。.  わざわざこの場で、言語についての記述があるということは、注目に値する。﹁言語﹂とは、国語科のみで指. 導するだけのものではないことが分かる。﹁学校生活全体を通して﹂指導すべきものなのである。そのためには. ﹁言語環境﹂を整えることが必要である。整った﹁言語環境﹂の中で、﹁言語活動が適正に行われるよう﹂にし. なければならない。ことばを学ぶ国語という教科の持つ重大さがうかがわれるのである。﹁言語﹂は、知識とし. て身につけるだけのものではない。正しく使うことができなければならないのである。﹁思考力﹂や﹁想像力﹂. をはたらかせる源になる﹁言語﹂は、活用することに価値がある。無理なく活用するカをつけるためにも、教科. 内での指導だけでなく、学校生活のあらゆる場を利用して意識や関心を高めることが求められている。.  国語科で、正しい﹁言語﹂を習得し、﹁国語を正確に理解し適切に表現﹂できる知識として身につけたものを、 日常の場に生かすことができるというのが理想的な姿であると考える。.  また、平成元年版の﹃小学校学習指導要領﹄にみられる、新しい試みが顕著に表れている記述として次のよう な 項 目 が あ る。.        ︵ の 各教科等の指導に当たっては、体験的な活動を重視するとともに、児童の興味や関心を生かし、自       主的、自発的な学習が促されるよう工夫すること。.     の 各教科等の指導に当たっては、学習内容を確実に身に付けることができるよう、児童の実態等に応    ︵. ■. 鋲.

(11)     じ、個に応じた指導など指導方法の工夫改善に努めること。︵五五︶.  この項目から、学習とは教室の中だけで学ぶものではなく、実際に体験する中からの習得も大切であること、. 人から教えられる受け身の学習でなく、自分からすすんで学ぶ意欲を持たせることが必要であることのこ点が読 みとれる。.  つまり、各教科とも体験を重視し﹁自主的、自発的﹂に学習を進める授業形態を考えていかなければならない. というのである。そして、﹁学習内容を確実に身に付け﹂たり、﹁個に応じた指導﹂をしたりするためには、﹁指. 導方法の工夫改善に努め﹂ることが必要というのである。これは、 一人一人を大切にした指導法を取り入れた授 業形態につながる。.  ﹁個に応じた指導﹂は、 一斉授業にありがちな知識注入型では、実現が困難であると思う。国語科授業も、 ﹁. 人一人を大切にした授業展開を考え、﹁授業の改善や工夫﹂がなされなければならない。.  平成元年版の﹃小学校学習指導要領﹄で特筆されていることをまとめると、次の二点である。.  ①﹁体験的な活動﹂や﹁児童の興味や関心﹂が重視されること。  ②﹁児童の実態﹂や﹁個に応じた指導﹂が重視されること。.  ここには、﹁児童﹂ ﹁人﹁人を大切にした指導法を取り入.れようとしていることが読みとれる。.  ﹁体験的な活動を重視し﹂、﹁児童の興亡や関心﹂を大切にするために、一人一人の﹁実態﹂や﹁個に応じた. 指導﹂を重視していく方法を取り入れる。子どもが進んで学習する意欲を持ち、自分でできる活動を通して、生. き生き学習[する環境を作っていくのである。そのために門授業方法の工夫改善﹂をするのである。.  その方法として音読・朗読を取り入れることが効果的であることを、清田淳子の文章からうかがえる。.     朗読の練習を始めると、教室の雰囲気ががらりと変わる。声を出すことで、開放感や活気が生まれる.    ということもあるだろうが、﹁私はこんなふうに読もう﹂という、子ども一人一人の意志や存在が急に主. ,. ひ.

(12)    張され始めるためでもあろう。読解中心の授業では、子ども全員である﹁つの課題に向かっていくとい.    う協同性や求心性が感じられるのに対し、朗読の授業では子ども 人一人がいわば﹁晴れ舞台﹂に立つ    ことができる。︵注六︶.  ﹁朗読﹂をすることで、﹁教室の雰囲気が﹂変わるという。﹁声を出す﹂活動を通して、﹁開放感や活気が生ま. れ﹂、﹁私はこんなふうに読もう﹂とめあてを持つことによって、自分らしさが表現できるのである。それは、. 一人﹁人が大切にされ、存在感が認められているからできることである。読解中心の授業になると、みんなで﹁. つの課題を追求していく方法になる。そこには、﹁協同性﹂や﹁求心性﹂は存在するが、個人はみんなの中の一 人として扱われ、個性を発揮する場が少ない。.  しかし、﹁朗読﹂では、 一人 人の工夫を音声で表現することができる。つまり、個性が表出されるというこ. とになる。個性の表出が認められることは、﹂人一人が大切にされているということである。そして、﹁朗読﹂                                                    ㍗ する﹁子ども一人一人﹂が、﹁晴れ舞台に立つことができる﹂というのである。                髄.  読むという体験を通して、次は、﹁こんなふうに読﹂みたいという意欲が沸き上がってくる。それが、興味や. 関心を呼び起こす原動力になる。﹁読解中心の授業では﹂みんな同じ﹁課題﹂であるが、ここでは、 ﹁人ずつ異 なった自分だけの﹁課題﹂に向かって授業に参加することができるのである。.  左館秀之助は、﹃授業を変える音読のすすめ﹄の中で、﹁国語の学習指導要領が、何度改訂になっても、現場. の私たちがその気にならなければ、何も変わらないことは確かです。今度の改訂︵平成元年−引用者︶で﹃言語. 教育の立場を明確にする﹄という大眼目があっても、私たちが、これまでの国語の授業をチェックして、その改. 善の方向を言語教育に定めないかぎり、何も変わらないのです。﹂︵注七︶と述べ、教師が変わらなければなら. ないことを指摘している。教師の意識変革がなければ、いくら指導要領が新しい試みを取り上げてみたところで、. 何も変化は起こらないというのである。意識して、﹁言語教育﹂をしていこうという気持ちがなければ、国語の.

(13) 授業は少しも変わらないと述べている。.  ﹃小学校学習指導要領﹄が改訂され、教育の改善が求められている機会に改訂の趣旨を理解し、指導法の工夫. 改善に努めなければならないのである。そこで、左館秀之助は、﹁言葉の教育の︸つ﹂に﹁手近な自然な方法と して、﹃音読﹄があることを私は提案したいのです﹂︵注八︶と提言する。.  ﹁音読﹂を﹁言葉の教育の一つ﹂として、取り上げようとしているのである。﹁音読﹂が、ことばを理解﹁し、 ことばの学習を支える重要なはたらきをするものであると考えている。.  ﹁音読﹂がことばを理解させるものであることは、左館秀之助の次の文章からも読み取ることができる。.     言語で書かれているただの活字の並んでいる文章を見て、その中からいろいろな価値を引き出してく.    る秘密みたい一なものへ開眼する本当の言語の教育のために、音声によって、ただの活字の列にいのちを.    吹き込みたいのです。そうすること以外に、今の音無しの国語教育は蘇生できないだろうと思うのです。    ︵注九︶.  ﹁言語で書かれている﹂﹁文章﹂は、﹁活宇が並んでいる﹂だけであるという。しかし、﹁文章﹂の中にはいろ. いろな﹁価値﹂が込められており、その﹁価値を引き出﹂すことが﹁本当の言葉の教育﹂であるととらえている。.  したがって、﹁本当の言葉の教育﹂を遂行させるためには﹁音声﹂が必要となる。﹁音声﹂で﹁ただの活字の. 列にいのちを吹き込﹂ませようというのである。﹁ただの活字の列﹂にすぎなかったものが、﹁音声﹂表現する. ことで﹁いのち﹂が芽生えると考えている。それによって、現在の﹁音無しの国語教育﹂が﹁蘇生﹂するという のである。.  つまり、声を出すことで授業に活気がでるので、﹁音無し﹂の授業ではなくなり、﹁活字の列にいのちを吹き 込﹂むことができるので、﹁蘇生﹂すると述べている。.  伊藤経子は、﹁いい文章に出合ったとき、ひとりでに声に出して読んでいることに気づくことがあります。目. 一. 8.

(14) で読むだけでは足りなくて、声に出してしまう。耳が.,登れを聴晒て溶しんでいる﹂︵注︸○︶と述べている。.  声に出すことで音声を耳でとらえることができ、文章を﹁愉し﹂む実感が体験できるというのである。左館秀 之助の﹁活字の列にいのちを吹き込﹂むという考えに通じるものがある。.  国語科の工夫改善された授業の一つとして、音読・朗読を取り上げてきた。授業の実際の場においては、どの ような形態がとられているのか考え、問題点を探りたい。  左館秀之助は、今日の国語科授業の実態を、次のように述べている。.     現在、国語教室で行われている読解指導の、もっとも特徴的な病弊のひとつが分析症というやつです。.    文章を細かく切り刻むそのやり方です。分析的な見方が悪いというよりは、いい加減な読みの中での、    変に科学的なそのやり方が問題なのです。    ︵中略︶.     つまり、読み解いて分かればそれでよしとするそのことが、実は読解活動をむなしいものにしている.    のですし、生徒の側からみれば、何のために読み解くのかという目的が奪われたままであることは確か.    なのです、分かったらそれが何かに生きて働くことがないならば、それはゲームに過ぎません。ゲーム.    は勝敗を決します。読解は教師によってその答えの正否が決せられるだけです。しかも読解は今のとこ.    ろ正否の判定が実に曖昧なまま行われている実状からみて、ゲームとしての面白味に欠けていますから、.    教師も子供たちも浮かぬ表情を隠しません。二、三の者が義務的に参加しているだけなのです。.     文意がつかめたなら、それを生かして実際に音読してみようという必要感があるなら別ですが、本当.    の必要感をもたぬ読解だからこそ、子供たちの読みの構えに真剣さが写るということはないのです。    ︵中略︶.     ﹁読む﹂という時、今は通読の段階で二、三人が指名されて読むといった具合で、次は一次感想を書こ. 一. 9..

(15)    うとか、学習計画を立てようとかの活動があって、いよいよ得意の読解がはじまるのが普通です。そうし.    て五、六年生や中学生は、学習指導要領で朗読となっているものですから、読解のまとめが済んだ後で、.    思いついたようにそれをやってみたりするわけです。しかし、すらすら読めるところまでいっていません.    から、﹁他人に読み聞かせる﹂読みに程遠いことはいうまでもありません。通読段階の拙劣な読みから何    歩も出ないというのが一般です。︵注一[︶.  左館秀之助は、縞目の国語科の授業形態の多くは、﹁読解指導﹂が中心であると述べている。それも、音読・. 朗読をすることで文章全体を通した筋の流れやことばのリズムをつかむのではない。ことばにこだわって﹁文章. を細かく切り刻﹂んでいく﹁分析的な﹂やり方である。このやり方が問題なのである。これを、﹁病弊﹂といい. ﹁分析症﹂と名づけている。﹁分析的﹂に細かく文章を﹁切り刻﹂んで読み取りながら理解に繋げていく方法も、. 決して悪いことではない。﹁いい加減な読みの中で﹂分析をするのが問題だというのである。なぜなら、﹁いい. 加減な読み﹂では﹁内容把握﹂が十分にできていないからである。その段階で、﹁文章﹂を﹁切り刻﹂んでいく のは、文章の内容を理解することは困難であると考えられる。.  ﹁いい加減な読み﹂しかできていないということは、﹁内容把握﹂ができていないのである。その状態で、文. 章を﹁切り刻む﹂のである。子どもにとって深い読み取りどころか、あらすじさえつかむことができないことが. 考えられる。そこには、国語は難しいもの、答えにくいもの、そして、嫌いな教科といった概念が、形成されて いくのである。.  また、このような﹁分析﹂的な﹁読解指導﹂で子どもが﹁内容理解﹂をすることができたとしても、そこで培. った力は何ら役に立たないというのである。理解できても、理解することだけにとどまり、次へ生かされること. がないという。培ったカがありながら﹁生きて働く﹂力にはなり得ないのである。これでは、左館秀之助の述べ. る通り、﹁読解活動﹂がますます﹁むなしいもの﹂になっていくことは必至である。﹁何のために読み解くのか﹂. ひ. 4.

(16) という目的がないから﹁むなしいもの﹂になり、学習意欲を駆り立てることにはならないのである。.  子どもが難しい﹁読解﹂に挑んでも、その場限りのものに終わってしまい、何らかの機会にも使えず、役に立. つ﹁生きて働く﹂ものでなければ、単なる﹁ゲーム﹂である。しかも、その﹁ゲーム﹂は﹁面白味に欠けている﹂ のであるから、子どもの興味や関心をそそり、やる気にさせるものとはいいがたい。.  読解活動の授業では、音読・朗読をほとんどしないまま、﹁通読の段階で﹂﹁二、三人が﹂読むだけで、﹁﹁次. 感想を書﹂き門学習計画を立て﹂、﹁分析的﹂な﹁読解﹂に終始する。そして、自ら学ぼうとする意欲や学ぶこ との楽しさ、活気が消失していく。.  このような授業では、子どもは活動する場がなく、聞いていることばかりの多い時間になり、国語嫌いを作り だしていく危険性が潜んでいる。.  読み声のない中学校の授業を参観した左館秀之助は、次のように述べている。                                    ママ     にぎやかに声に出して読み、テープレコーダーから流れる質問に真剣な目差しで応答する英語教室から、.    隣りの国語教室へ移っていって、その余りの音無しの構えなのには驚かざるを得ませんでした。はたから.    眺めていると何か異様ですらあります。黙読で深い読みが続けられているのかと思うと、そんな様子もあ.    りませんし、教える側も生徒の方も、何か憂欝そうで重苦しい雰囲気なのです。︵注﹁二︶.  英語科の授業は、読み声が聞こえるのである。自分で声を出し、にぎやかに読んだり、テープレコーダーから. 流れてくる質問を真剣に聞いている姿がある。音声があると、活気や真剣さが表れる。なぜなら、声を出すこと で自分も活動している満足感や充実感を味わうことができるからである。.  国語科で育てる力は、前述したように、国語を正確に理解し、適切に表現できる能力を養うことと、国語を尊. 重し、豊かな言語感覚を身につけることである。しかし、現在の国語教室では、音読・朗読をあまり取り入れな. いために、ことばを自然に楽しく覚えるということがなく、むずかしいものにしてしまっている。そこで、音読. L d.

(17) ・朗読を授業に取り入れることで、ことばを楽しく学びながら自然に身につけ、 ではないと感じさせていかなければならない。. 同右 二﹂ページ. 一九ページ. 成元﹀年一〇月︸︸版二三∼こ四ページ. 国語の学習は、むずかしいもの. 八戸音読研究の会・左館秀之助編﹃授業を変える音読のすすめ﹄明治図書一九八五︿昭和六〇﹀年五月初版 一九入九︿平. ﹁  こ ペ ー ジ. 伊藤経子﹃続 音読の授業﹄国土社 一九九〇︿平成二﹀年=一月一〇日初版 一九九五︿平成七﹀年=一月二〇日五刷り. 同      右. 同右  一一〇ページ                                       、. 成 元 ﹀年一〇月 一版 . 八戸音読研究の会・左館秀之助編﹃授業を変える音読のすすめ﹄明治図書 一九八五︿昭和六〇﹀年五月初版 一九八九︿平. 月四版 五四ページ. 高橋俊三編﹃音読・朗読・群読の指導﹄︵清田淳子︶明治図書 ﹁九九四︿平成六﹀年六月初版 一九九五︿平成七﹀年七. 同     右. 同右 三ページ. 文部省﹃小学校学習指導要領 平成元年 3月﹄ 三ページ. 九五︿平成七﹀年七月三日第二版第↓刷 七五六ページ. 梅樟忠夫・金田一春彦・阪倉篤義・日野原重明監修﹃日本語大辞典﹄講談社 一九八九︿平成元﹀年︸︸月六日初版 一九. 文部省﹃小学校学習指導要領 平成元年 3月﹄ 五ページ.  ︿注﹀第一章第一節  . 二. 三 四. 五 六. 七. 八 九.. ○. 二. ㍗. 4.

(18) 第二節 音読・朗読の位置と内容.  ﹁音読﹂ということばと﹁朗読﹂ということばは、区別して用いられることが普通である。.  しかし、実際の指導にあたって厳密に区別して行うことはむずかしい。しかも、小学校の段階で﹁今は音読の. 指導をしている﹂﹁今は、朗読の指導をしている﹂とその違いを明確にすることはできないし、しょうとしても. 意味のないことだと考えられる。ましてや小学生に﹁今は音読をしている﹂﹁今は朗読をしている﹂と分けて意 識させることはできない。.  このような音読と朗読の区別について、左館秀之助は、次のように述べている。.     音読は理解のための読み、朗読は表現のための読みといってみても、実際にはなかなかあり得ないこと.    で、むしろ理解と表現の交互作用である音読を工夫し磨いていくなかで、朗読という理想的な音声表現に.    至るというのが自然でしょう。学級の四十人の子供たちの実態からすると、経験的には朗読の定義である.    ﹁その文が己が有となる﹂ことは、極めてまれであって、大半の子供たちは﹁音読﹂の状態にとどまるの.    が普通です。私がこの小論の中で文章の音声表現をあえて﹁音読﹂という言い方で通している所以はそこ    にあるのです。.     ですから、浮橋先生が言われる朗読の定義、﹁文章という客体を朗読者の主体が箔全に債有しだ上で、.    それを領有した自己を表現するのである。﹂の傍点部分を、﹁それぞれの能力に応じて領有した上で﹂と    訂正しなければ、私たちの国語教室の実情に合わないということです。︵注一︶.  ﹁音読﹂は読んで﹁理解﹂するためのものであり、﹁朗読﹂は﹁理解﹂したことを﹁表現﹂するための読みで あるといわれているが、実際の問題として、厳密に分けられるものではないのである。.  ﹁音読﹂を通して、﹁理解﹂したり﹁表現﹂したり﹁交互作用﹂を繰り返しながら、﹁音読﹂が磨かれ、﹁朗読. 鋲. d.

(19) という理想的な音声表現に至る﹂という。﹁音読﹂を何度も工夫しながら読んでいるうちに、いつのまにか﹁朗. 読﹂が、できるようになっていたというのが、音読・朗読の過程の自然な形であることが理解できる。.  ﹁朗読﹂は、﹁理想的な音声表現﹂と述べていることから、﹁音読﹂よりも技術的に上位のものととらえるこ. とができる。声に出して読んでいるはじめの段階が﹁音読﹂であり、だんだん上達していくと﹁朗読﹂になって いるというのである。.  しかし、小学校の教室では、子どもの実態から考えると、ほとんどが﹁﹃音読﹄の状態にとどまるのが普通﹂. である。﹁朗読の定義である﹃その文が己が有となる﹄﹂ところまでいかないのである。これは、読んでいる文. そのものがよく理解できて、内容を十分にとらえ納得できる状態で音声表現したものが﹁朗読﹂であるというの であろう。.  小学生にそこまで要求するのは、無理があるということで、左館秀之助は、敢えて﹁音読﹂と﹁朗読﹂の区別 は し な い と いう。.  ﹁音読﹂も﹁朗読﹂もともに技能にかかわることであり、音声という形がなく、目に見えないものでもあるの で区別することは、むずかしい。.  そこで、ここでは、音読・朗読と表記して並列の関係でとらえていく。.  次に、音読・朗読と黙読との違いを考えていきたい。現在、読みの多くは、黙読が中心に進められている。.  そこで、音読・朗読と黙読を比較しながら、戦後の国語科教育の中で、読むことの領域がどのような変遷をた どっていったのか明確にしていくことで、音読・朗読の位置づけをしたい。.  かつて、一般的な国語学習といえば、大きな声で本を読むことが主であった。それが今では、国語教室から読. み声が少なくなってしまったという。そして、黙読が重視される傾向が強くなっていったのである。  日本の教育が大きく変わったのは、第二次大戦後のことである。. 41. d.

(20)  敗戦の混乱の中で、新しく文部省より出された学習指導要領は、国語教育を次のように変えたのである。.     昭和二二年、文部省の試案として出された学習指導要領は、混迷していた当時の国語教育界を︸つの方.    向に押し進めることとなった。その方向とは、方法としては単元学習であり、内容としては、アメリカの    実用主義を取り入れて、言語生活の向上を図るということであった。.     このことが、音読を衰退させる大きな原因の一つとなる。つまり、朗読だけでなく音読までをも、聞く.    こと・話すことの領域に入れて扱うようになったということ、および、読むことの性格の大きな変更であ    る。︵注二︶.  敗戦後、 一日も早く教育を軌道に乗せようと多くの人々の努力があったことと思う。.  そして、昭和二二年、﹁文部省﹂から﹁学習指導要領﹂︵試案︶が出され、ようやく新しい歩みが始められる ようになったのである。.  その学習指導要領は、﹁方法としては﹂﹁単元学習﹂であり、﹁内容としては﹂﹁実用主義﹂であった。﹁単元学. 習﹂を進めながら、﹁実用主義を取り入﹂れる実践が行われた。﹁実用主義﹂とは、日常生活に生きて働くカと. なる﹁言語生活の向上を図る﹂ことである。そこでは日常、自然につかえることばを身につけることが重視され. た。目常の﹁言語生活の向上﹂であれば、音読・朗読よりも、話し合いに重点を置くことの方が大切だととらえ. られたはずである。それが、﹁音読を衰退させ﹂た﹁大きな原因の﹁つ﹂であると述べている。.  これまでは、朗々と声を出して本を読むことそのものが、国語の学習と考えられていたのに、ここで大きく変 わってきたのである。.  また、読むこと、つまり音読・朗読が、﹁聞くこと・話すことの領域に入れ﹂られてしまったという。.  高橋俊三は、読むことと話すことはもともと異なったものとしてとらえるべきだと述べている。それをひとま. とめにしてしまったことが、﹁音読を衰退﹂させる原因になったというのである。これは、﹁アメリカの実用主. 畠. d.

(21) 義﹂の考え方が、入ってきた結果であると思われる。.  荒木茂も、﹁敗戦後の読み方指導は、素読にかわって黙読が重視されました。国語科は日常の言語生活の技術. を身につける道具教科という考え方になり、黙読が実用主義的な要望から重視されました。﹂︵愚蒙︶と述べ、﹁実. 用主義的﹂な立場に重きを置いたことが、﹁音読﹂を遠ざけ黙読を重視した﹁因になったことを示唆している。.  そこで、昭和二二年の学習指導要領の国語科編︵︽資料一︾の︸∼四ページを参照︶とはどのようなものであ ったのかみていきたい。.  ﹁第﹁章 まえがき 第二節 三﹂で、﹁すらすらと読んだり書いたりできるようにする。﹂と、読むことと 書くことの目標をあげている。.  そして、さらに細かく具体的に述べていく中の︵五︶番目に﹁音読や黙読がよくでき、また、正しくはやく読. めるようにする﹂とある。小学校においては、すらすら読むことができるようになるためには、﹁音読﹂でも、                                                    ひ ﹁黙読﹂でも、どちらでもよいとしている。しかし、﹁正しくはやく﹂の中の﹁はやく﹂ということは、読む速  d 度が要求されているのである。.  そこには、﹁音読﹂ができたうえで﹁黙読﹂もできるようになることを要求していることが読みとれる。.  ﹁第二章 小学校︷、二、三学年の國語科学習指導﹂の﹁第一節 話しかた 二 教育計画  ︵三︶次の段階。. ︵︸年後期から三年までごと段階を追った指導が述べられている中で、読みかたを話しかたの領域に入れて詳. しく記述している。これが、前述した高橋俊三の述べる﹁朗読だけでなく音読までをも、聞くこと・話すことの 領域に入れて扱うようになった﹂︵注二︶に通じるものである。.  ﹁第一節 話しかた こ 教育計画  ︵三︶次の段階。︵ 年後期から三年までごをさらにみていく。﹁一年. の後期から三年までの低学年の段階では、話しかたはおもにつぎにかかげるような三つの方向に発展していく。﹂. としている。これは、話しかたの指導であるにもかかわらず、﹁1 読みかた、作文とならんで発展する。︵中.

(22) 略︶読みかたでは次のような学習活動が行われる。﹂︵注四︶と、読みかたについての学習活動を述べている。.  読みかたについて書かれている学習活動で、音読・朗読と黙読にかかわる部分を取り出すと、次のようにある。.    1 文章を朗読することによって、思想を理解することを学び、また、正しい発音や、語調などを身に            つける。     ︵中略︶.    3 詩・童話、その他の文章をあんしょうする。    4 文やことがらを脚色して、朗読したり演出したりする。︵三五︶.  読みについては、﹁朗読﹂を強調している。﹁黙読﹂ではなく、声をだして読む﹁朗読﹂である。﹁朗読﹂する ことを話しかたの︸つとしてとらえていることが分かる。.  ﹁第三節﹂になって﹁読みかた﹂がでてくる。そこで﹁一 読みかた指導の一般的目標﹂の十二番目に﹁音読. あるいは黙読によって、読む習慣や、その能力および態度をしだいに完全なものにする。﹂︵注六︶と述べられ ている。.  ﹁読みかた指導﹂の急撃的目標﹂としては、﹁音読﹂でも﹁黙読﹂でもどちらでも読むことができるように. なればよいことが述べられていると理解する。﹁読む習慣﹂や﹁能力﹂﹁態度﹂を﹁完全なものに﹂することが ねらいなのである。.  つまり、自分の身の回りにあるいろいろな印刷物を進んで読もうとする﹁習慣﹂や﹁態度﹂を養うことを重視 していることがとらえられる。.  そのときの﹁読みかた﹂は、小学校︸、二、三年の段階では、﹁音読﹂、﹁黙読﹂にこだわらないという。どち. らでも読むことができればよいのである。読もうとする気持ちを育てたり、読み取る﹁能力﹂をつけたりするこ とが重要であるということがうかがえる。. ㍗. d.

(23)  しかし、﹁四 読みかたの学習指導﹂における﹁読みかた﹂は、﹁黙読﹂に重点が置かれていることが明確で ある。.  それは、﹁︵二︶読みの目標﹂に、次のようにして三点をかかげているからである。.   7 目で行を追う力。   8 ある行の終りから次の行のはじめへの正確な視線のすすめかた。.    0 声をだして読む力。︵注七︶    1  これは、﹁7﹂と﹁8﹂では、﹁目で行を追う﹂とか﹁正確な視線のすすめかた﹂という目の動きについて述. べられている。﹁黙読﹂するときには、目で文字を拾って読んでいくのであるから、目の動きが要求されるとい. うのである。つまり、﹁黙読﹂についての記述である。その後、10番目に﹁声をだして読むカ﹂とあり、﹁音読﹂ を指導する項目が登場している。.  ﹁黙読﹂が、先述されていることから、小学校一、二、三年生であっても、国語科の学習指導においては﹁音 読﹂より﹁黙読﹂を重視していることが読みとれる。.  同じように、﹁四 読みかた指導﹂の三番目に﹁︵三︶学習指導の要領﹂では、低学年前期、後期を通して、 述べられていることをまとめると、次の二点になる。.  ①読みかたと話すこととは、別の領域のものではなく、密接に関わり合っているものである。.  ②読みかたにおいては、目を正しく動かすこと、はやく読みとること、という黙読についてのことが述べら    れている。.  このことから、読むことは話しかたの一つの方法であるということ、理解するための読みとりは、黙読が重視 されていること、以上を読みとることができた。.  ﹁第三章 小学校四、五、六学年の國語科学習指導﹂においても、同様のことが述べられている。. 匙. d.

(24)  大熊 徹は﹁この黙読優位の傾向は、学習指導要領で言えば昭和二十六年度版︵試案︶から昭和四十三年度版. 頃まで続くが、昭和三十三年度版の時代がピークである。﹂︵十八︶と述べている。そこで、黙読優位の傾向が 顕著に表れてきた当初にあたる昭和二六年版の学習指導要領をみる。.    昭和二十六年︵﹁九五︸︶改訂版 小学校学習指導要領 国語科編︵試案︶文部省    第三節 国語能力表. ︵注九︶. に関する項目のみを取り出した。昭和二二年忌は、小学校﹁、二、三年目四、五、六.            ︿必要部分のみ引用者が抽出してまとめたもの﹀. 9 読む速度がいよいよ早くなる。13 娯楽のためや知識をうるために、黙読する能力が増してくる。14 他人を楽しませたり、情報を伝えたりするために、明確な発音でなめらかに音  読する能力が増してくる。. 5 読む速度がだんだん増してくる。. 3 音読より早く黙読することができる。n 他人を楽しませるために、なめらかに、わかりやすく音読することができる。. 3 黙読するとき、くちびるを動かさないで読むことができる。8 問に答えるために、黙読することができる。. 7 声を出さないで、目で読むことができる。8 声を出してよむことができる。.    三 読むことの能力 ︸ 年. 二 年. 三 年. 四 年 五 年. 六 年. こ こ で は、﹁読むこと﹂. 餌. d.

(25) 年とに大別して述べられていたが、昭和二六年版では、もう少し詳しく各学年ごとに﹁読むことの能力﹂につい ての記述をみることができる。.  これによると、四年を除いてすべての学年に﹁黙読﹂に関する指導事項がかかげられている。.  音読・朗読に関するものとして、︸年で﹁声を出して読むことができる﹂、三年で﹁他人を楽しませるために、. なめらかに、わかりやすく音読することができる﹂とあり、そして六年で﹁他人を楽しませたり、情報を伝えた. りするために、明確な発音でなめらかに音読する能力が増してくる。﹂と、この三つの項目があるのみで、後の. 学年については、何も触れられていない。﹁音読﹂における指導をすることより、﹁黙読﹂の指導法を述べて充 実させることをねらっているととらえることができる。  このことから、﹁音読﹂よりも﹁黙読﹂の優位性をうかがい知ることができる。.  黙読の優位性について石田佐久馬も、﹁終戦を境として、音読︵一斉音読をふくめて︶が姿を消して黙読が取. り入れられた。それまでは音読が国語授業を支えていた。黙読はアメリカの実用主義の影響であり、理論的にも. 音読にまさると考えられた。﹂︵注一〇︶と述べ、戦後の教育が、アメリカの影響を大きく受けながら進められ. てきたことを指摘している。音読・朗読が取りあげられず、﹁黙読﹂が、読みかたの前面にでた時代は昭和四三 年まで続いたのである。.  ﹁黙読﹂とは、具体的にどのような﹁読み方﹂がされていたのかみていくことにする。  高橋俊三は、読みかたが、次のような場面で取り入れられていたことを述べている。.    二六年版の﹁読むことの経験﹂に挙げられている五項目をみる。    12 新聞・雑誌・掲示・ポスターなどを読む。    13 知識や情報をうるために本を読む。    14 楽しみのために本を読む。. 俳 12.

(26)     15 図書館を利用する。     16 辞書や参考書を使う。.    まことに生活的な言語経験を示している。第14項を除いては︵いわば伝統的︶音読・朗読の入る余地が.   なかったのである。また、この方向で編纂された教科書の教材は文章の種類も多く、音読・朗読をする必   要のないもの︵するに堪えないもの︶がほとんどであった。︵注一こ.  ﹁黙読﹂の優位性が、二六年版でより強調されることになったことは、﹁読むことの経験﹂﹁五項目﹂から読 みとることができる。.  ﹁読むことの経験﹂では、﹁新聞・雑誌・掲示・ポスター﹂というように、すべて日常生活において必要なも. のだけが取りあげられている。しかし﹁14﹂だけが、少し違ったとらえ方ができる。つまり、﹁楽しみのため﹂. に﹁読む﹂というのである。これだけが、﹁音読﹂で読むことができるものでもある。しかし、後はすべて、﹁音 読﹂ではなく、﹁黙読﹂で読むことになるものがあげられている。.  こうして、﹁黙読優位の傾向﹂は、昭和四三年版まで続き、昭和五二年版の学習指導要領からは、﹁黙読﹂と いうことばは、すっかり姿を消してしまったのである。.  現在、学習指導をしていく基準になっている平成元年版の学習指導要領はどうなっているのかみていきたい。.    B理解    ω国語による理解力を育てるため、次の事項について指導する。     ウ 語や文としてのまとまりを考えながら音読すること。︿一年生一引用者﹀     ウ 文章の内容を考えながら音読すること。︿二年生一引用者﹀.     ウ 文章の内容が表されるように工夫して音読すること。︿三年生−引用者﹀.     ウ 事柄の意味、場面の様子、人物の気持ちの変化などが、聞き手にもよく伝わるように音読す. レ. 2.

(27) ること。︿四年生一引用者﹀.    A表 現    ω国語による表現力を育てるため、次の事項について指導する。     ウ 聞き手にも内容がわかるように朗読すること。︿五年生i引用者﹀.     ウ 聞き手にも内容がよく味わえるように朗読すること。︿六年生一引用者﹀︵注一二︶.                             ︿必要部分のみ引用者が抽出したもの﹀.  ここでは、﹁音読﹂と﹁朗読﹂ということばが使われている項目のみを取り出してみた。平成元年版では、﹁黙. 読﹂ということばが、全く出てこない。日常のふつうの読みが﹁黙読﹂で通用していることから﹁黙読﹂をわざ わざ指導する必要がないということであろう。.  ﹁音読﹂については、各学年ごとに指導すべき目標を掲げているが、﹁黙読﹂においては、なんら特別に指導 すべき事項は表記されていないのである。.  このことから、指導においては﹁黙読﹂より﹁音読﹂の方が重視されているものととらえることができる。.  また、﹁音読﹂は、声を出して読むということで理解を助けることが理解できる。そして、﹁朗読﹂は、﹁理解 力を育てる﹂ものではなく、﹁表現力﹂をつけるものである。.  ﹁聞き手にも﹂﹁わかるように﹂読もう、﹁味わえるように﹂読もうというのである。しかし、当然﹁理解力﹂. をつけたうえで﹁朗読﹂ができなければならない。そうでなければ﹁表現﹂することは困難である。.  いずれにしても、文章を﹁理解﹂するためには、﹁音読﹂や﹁朗読﹂が必要であることがいえる。  戦後の学習指導要領をたどることによって、次のことがいえる。.  ①戦後、アメリカの影響を受けて、昭和二二年から﹁音読﹂より﹁黙読﹂が重視されるようになった。.  ②現在では、﹁読む﹂という限定された領域でなく、﹁表現﹂や﹁理解﹂という大きな領域で音読・朗読が. 21. 2.

(28)    とらえられていること。. ③ 音読・朗読は、理解を深めたり、理解したことを表現したりするためのものである。.  以上の事柄が、明らかになり、音読・朗読の位置づけができた。 ︿注﹀ 第︼土早第一﹂新即.   八戸音読研究の会・左館秀之助編﹃授業を変える音読のすすめ﹄明治図書 一九八五︿昭和六〇﹀年五月初版 一九八九   ︿平成元﹀年一〇月一一版 五〇ページ. 一九七九︿昭和五四﹀年七月二〇目部版  一九八九︿平成元﹀年上月一〇日子刷 二四九. ニ 高橋俊三﹃群読の授業﹄明治図書 ﹁九九〇へ平成二﹀年 八月初版 ﹁九九五へ平成七﹀年一二月︸○版 ﹁六九ページ 三 荒木茂﹃表現よみ入門﹄一光社 .   ぺ⋮ジ 四 文部省﹃昭和二二年度︵試案︶学習指導要領 國語科編﹄一四ページ 五 同右一四∼一五ページ. 六同 右三三ページ 七  同      右     四 = ﹁ ぺ i “ ン. 八 大熊 徹﹁教育科学・国語教育﹂M532 明治図書 ﹁九九六へ平成八﹀年一〇月﹁日 三〇ページ 九 文部省﹃昭和二十六年︵︸九五︸︶改訂版 小学校学習指導要領 国語科編︵試案︶﹄. ○ 石田佐久馬﹁教育科学・国語教育﹂翫369 明治図書  ]九八六︿昭和六一﹀年  一〇月一日 二〇ページ. 一 高橋俊三﹃群読の授業﹄明治図書 一九九〇︿平成二﹀年八月初版 一九九五︿平成七﹀年皿二月︸○版 一七〇∼一七↓.   ページ. こ 文部省﹃小学校指導書 国語編﹄ぎょうせい ︸九八九︿平成元﹀年六月︸五日初版 ︷九九三︿平成五﹀年[○月二五日.   六版. 餌. 2.

(29) 第三節 音読・朗読の意義と目的.  最近、音読・朗読の良さが見直されるようになってきた。その良さとは何か、なぜ、音読・朗読を授業に生か. すことが良いのか、この二点について考えていくことが意義と目的につながるものである。.  ここでは、先に立てた三つの仮説を明らかにしながら音読・朗読の意義と目的を述べていく。.  高橋俊三は、音読・朗読すると理解がしゃすく、深められるとして、次のように述べている。.     音読・朗読は、読み手と聞き手を同時に育てていくのに有効な言語活動である。読み手は、理解したこ.    とを音声で表現し、聞き手に一つの解釈を送る。聞き手は、音声でとらえたことをイメージ化し、新しい.    言葉の解釈をして理解を深めていく。このように、音読・朗読は、表現活動と理解活動が有機的に結ばれ.    る学習であるということがいえる。音読・朗読は、言葉を声に出して読むという活動の中に、実に多くの.    学習要素を含んでいるのである。 ︸人一人の読み声の違いが、読みを広げ、読みを深め、読みを確かにし    ていく力があると言えよう。.     言葉が音声にのせられたとき、はじめて言葉に命が吹き込まれ、読み手や聞き手に語り掛けてくる。﹁読.    書古豪、意自ずから通ず。﹂と言われるように、読んで読んで読みこなしていくうちに、文章の息づかい.    が感じられてくる。音読・朗読の不思議な力は、 ︸人一人の表現を大切にすることから、言葉の本来もつ.    大切な機能にも気付かせることができるのである。それだからこそ、声は、内に引っ込めるものでなく、.    堂々と外に向かって放出させたいものである。声を出すことが、心の解放にもつながると言われる今、教    室に響きのある声を育てることが求められている。︵注︸︶.  音読・朗読をすることは﹁表現活動﹂と﹁理解活動﹂の二つを同時に満たすことになるという。.  ﹁表現活動﹂とは読み手が音声で表現することであり、﹁理解活動﹂とは聞き手がとらえたことを﹁イメージ. 娼. 4.

(30) 化﹂し、文章に書かれた内容を理解することである。音読・朗読をすることは、読み手だけの活動ではなく、聞. き手にも文章の内容を理解させるという活動をさせていることになる。これを授業に取り入れると、読み手と聞. き手の両者が活動するので、全員が授業に参加できることになり、内容の充実した活動になるというのである。.  また、﹁言葉﹂を声に出して読むという活動は、読みを確かなものにしていく。読み声は﹁人一人違っており、. 理解も違う。その違いが、﹁読みを広げ﹂たり、﹁深め﹂たりしながら、﹁確か﹂な読みにしていくのである。 ︸. 人↓人が抱いているいろいろな思いで、繰り返し﹁読んで読んで読みこなしていくうちに﹂、内容が理解できる. ようになっていくものである。﹁読書百遍、意自ずから通ず。﹂の通り、何度も読んでいるうちに﹁文章の息づ. かいが感じられ﹂文章の中に潜んでいる意味がいつのまにか読みとれるということである。それは、音声にのせ. ることで、﹁言葉に命が吹き込まれ﹂るからであるという。音声で表現すると、ただの文宇がならんでいるだけ. の﹁言葉﹂ではなく、﹁命﹂の宿った﹁言葉﹂となって、﹁読み手や聞き手﹂の心に響いてくる。音声に乗せら. れた﹁言葉﹂を耳でとらえているうちに、自ずと﹁言葉﹂の習得ができていくと考えられる。.  一人一人が声を出し、文章を自分の音声に乗せて表現していくとき、﹁一人一人の表現を大切にする﹂ことに. なる。表現の仕方や声質はいろいろである。一人一人の違う﹁表現﹂を大切にしていくなかで、﹁言葉のもつ大. 切な機能にも気付﹂くことができる。それが音読・朗読のもつ重要な意義であり、声は﹁うちに引っ込め﹂ず﹁外. に向かって放出させ﹂なければならないというのである。声を出すことは、﹁心の解放﹂になり、気持ちのいい. ものである。朗々と声が響きわたる教室は、﹁心の解放﹂された子どもたちであふれ、どの子も授業に参加しよ うとする意欲が起き、全員参加の授業が成立していく。.  これは、︻仮説一︼の全員が参加できる授業が成立するということの裏づけになる理論ととらえることができ る。.  左館秀之助は、、現在の国語教室の課題を次のように述べている。. 鋲. 2.

(31)     今、いちばん大事なのは、この文章に密着して日本語を読むという真剣な構えです。︸字[句もゆるが    せにすまいという音読の姿勢です。.     声に出して文章を読むということで、自分のからだを通して自分の読みを点検し評価すること、黙読で.    いい加減にやり過ごしてきた悪い習慣を、正しく目元語の文脈で自己訓練すること、これが私たちの国語    教室の課題だと思うのです。.     カの定着とよく言いますが、覚えるというのは、からだが覚えるということでもあります。ただ分かる.    というなら頭だけで足りますが、後々まで忘れずにそれができるためには、やはりからだを通さないと不       可 能 です。︵注二︶.  ﹁文章に密着して日本語を読む﹂ということが﹁いちばん大事﹂であり、今、要求されていることであるとい. う。﹁密着して﹂読むとは、コ字⋮句もゆるがせにすまいと﹂﹁真剣﹂に文字を追い、 一字一句を正しく読むと. いうことである。正確に文字を拾って読むことが﹁音読﹂では要求されるというのである。これは、声を出して. 読むからできることである。自分の発した音声を自分の耳がとらえ、読みまちがいに気づくことができるからで. ある。その読み声を聞いて、自分の音声を評価する。声を出し声帯を使い、その音声を耳でとらえる。これが﹁か. らだを通し﹂た活動をしていることになる。声を出し、耳でとらえた音声は、快いリズムや流れとなり自然に心. に浸みいるものとなる。そして、﹁からだが覚える﹂ということでしっかり﹁カの定着﹂がはかれる。.  ところが、﹁黙読﹂では、﹁字一句を正確に読まず﹁いい加減にやり過ごして﹂いるというのである。﹁声に. 出して﹂﹁読﹂まないのであるから、まちがった﹁読み﹂をしていても気づきにくく、﹁からだを通した読み﹂ をしていないから、﹁正しく日本語の文脈で自己訓練﹂もできないことになる。.  つまり、音読・朗読は、声に出して読むので文字の﹁[字一句﹂も正しく読むことができるということ、から. だを通して読むことで門力の定着﹂がはかれるということ、この二つの意義を見いだすことができた。. ひ. 吻.

(32)  また、左館秀之助は、﹁子供たちは目で言葉を捉えながら音声化していきます。言葉を声に出すことで最初の. 理解が成立します。ここでは音声化という表現と意味の理解が、密着した活動として進行します。﹂︵身構︶と 述べ、音読・朗読の意義が﹁音声化﹂であることを示唆している。.  文字をひとまとまりの﹁言葉﹂として﹁捉え﹂、それを﹁音声化﹂していくとする。﹁音声化﹂は、稚拙であ. っても、﹁言葉﹂を﹁声に出す﹂ので、音声をとらえることができ、﹁最初の理解が成立﹂する。黙読では、文. 字だけを臼で追っているので、﹁言葉﹂としてとらえていなかったり、﹁理解﹂するまでに至っていなかったり. する。﹁音声化﹂するには、文字としてとらえるのではなく、文字をひとまとまりの﹁言葉﹂としてとらえなけ. ればならない。それが、﹁理解﹂に結びつくのである。﹁最初の理解﹂から、﹁音声化﹂を繰り返し、﹁理解﹂は. 深められていく。﹁音声化﹂した表現が﹁理解﹂に導くのである。﹁理解﹂するために﹁表現﹂する。﹁表現﹂す. ることで﹁理解﹂ができる。この二つは相乗効果を発揮しながら﹁密着した活動﹂をすることになるのである。.  したがって、音読・朗読をすることは、黙読に比べて﹁理解﹂が容易であるととらえることができる。  これは、︻仮説二︼の結論であるととらえることができる。.  さらに︻仮説二︼をより確かな実証に導くために、荒木茂の次の文章を引用する。.     黙読段階の読みでは、文章のもつリズムはかなり主観的で恣意的で、あいまいなものになっています。.    実際に声にだして音声表現することにより、自分のありのままの音声表現が対象化されて自分の耳で聞く.    ことができ、客観的に知覚して分析できるようになります。実際に音声表現すれば、文章のリズムが読み.    手の、これまでの原型︵個性︶としてある意識や肉体に、新しいリズムとして影響を与えます。そして従.    来の読み手のリズムを変革していきます。つまり、読み手の思考を、認識を、感情を、論理を、意識を、.    人格を変革していきます。アタマだけで理解した思想の変革でなく、肉体にひびいた、肉体まるごとの思    想・感情の変革が行われます。︵注四︶. L. 2.

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