• 検索結果がありません。

資本の回転と資本の価値増殖 -『資本論』第Ⅱ巻第二篇の解明-

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "資本の回転と資本の価値増殖 -『資本論』第Ⅱ巻第二篇の解明-"

Copied!
24
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

資本の回転と資

  −﹃資本論﹄

目 次 はしかきI問題の所在 一 流通期間と前貸資本量 二 回転期間と資本の価値増殖 三 年利潤率の定式化  補論 資本の回転と特殊的利潤率 はしがきI問題の所在

本の価値増殖

第H巻第二篇の解明−

  ﹃資本論﹄第n巻﹁資本の流通過程﹂第二篇﹁資本の回転﹂の根幹部 分を形成する第一五章﹁回転期聞か資本前貸の大きさに及ぼす影響﹂と 第ヱハ章﹁可変資本の回転﹂の課題は回転期間と資本の価値増殖とか如 何なる関係にあるかを理論的に分析すること、にあるが、私見によれば、 資本の回転と資本の価値増殖との関係の分析における核心は、生産期間 と流通期間とから成り立つ回転期間のそれぞれの構成要素の大きさの変 動を一応捨象してそもそも回転期間か一定の流通期間を含む限り連続的 生産形態の基礎上において資本の回転と資本の価値増殖とが如何なる固 有な関係に立つのかを本質的に解明する点にある。換言すれば、資本の 回転と資本の価値増殖との関係の分析における焦点は、回転期間のうち の生産期間と流通期間というそれぞれの構成要素の大きさの変動が資本 の価値増殖に与える影響如何をみる際の基本に位置する連続的生産形態 。一       ミ 頭 川        博 ︵人文学部経済学科︶ の基礎上での一定の生産期間と一定の流通期間とからなる回転期間と資 本の価値増殖との固有な本質的関係の考察にある。というのも、連続的 生産形態の基礎上での資本の回転と資本の価値増殖との関係如何という 課題は、概念上回転期間かそれ自体としては価値も剰余価値も形成しな い資本の単なる形態的な諸変態W−G−Wに要する流通期間を含まざる をえないという資本主義的生産に内在的な事惰によって提起される固有 な課題にほかならないからである。・換言すれば、連続的生産形態の基礎 上での資本の回転と資本の価値増殖との関係如何という課題の生じる所 以か究極的には回転期間中に価値も剰余価値も形成しない資本の形態的 諸変態に必要な流通期間が含まれるところにあるとみる限りでは、連続 的生産形態の基礎上での資本の回転と資本の価値増殖との関係の分析は 本質的にそれぞれ一定の大きさからなる生産期間と流通期間とによって 構成される一定の回転期間と資本の価値増殖との間に伏在する特有な関 係それ自体の分析に帰着する。そこで、資本の回転と資本の価値増殖と の関係の分析の主軸が連続的生産形態の前提上での一定の生産期間と一 定の流通期間とからなる一定の回転期間と資本の価値増殖との間の本質 的関係の考察にある点を確認した上で、回転期間が前貸資本量と年間剰 余価値量とに及ぼす影響をそれぞれ論じる第一五章﹁回転期間が資本前 貸の大きさに及ぼす影響﹂と第一六章﹁可変資本の回転﹂に踏みこむなら

(2)

一 一 高知大学学術研究報告 第三〇巻 社会科学 ば、われわれにとって先ず第一に第一五章﹁回転期間か資本前貸の大き さに及ぼす影響﹂の固有な課題は一体何か、第二に流通期間を含んだ回 転期間の想定に立つ第一五章と流通期間を捨象した回転期間の想定に立 つ第一六章﹁可変資本の回転﹂との論理的関係如何という単純素朴な二 つの基本的疑問が生じるのである。というのも、第一に、第一五章の固 有な課題は一体何かという疑問点に関して敷徊すれば、第一五章の中心 論点が断続的生産形態から連続的生産形態への論理的移行に際しての前 貸総資本の増加という点にあるこ迪は確かであるけれども、われわれに とって断続的生産形態から連続的生産形態への論理的な切り替えに際し て前貸総資本の増加が必要であるという第一五章の中心論点は同じ﹃資 本論﹄第U巻第一篇第四章﹁循環過程の三つの図式﹂における次の指摘 つまり連続的生産形態実現の要件が前貸総資本の分割にあるという指摘 と如何なる概念的相違をもつのかあるいはより根本的にはそれは如何な る意味で資本の回転と資本の価値増殖との関係の分析にとって概念的に 照応的な本質的内容を形成するのかか必ずしも判然としないからであ る。第二に、流通期間を含んだ回転期間の想定に立つ第一五章と流通期 間を捨象した回転期間の想定に立つ第一六章との論理的関係如何という 疑問点に関して敷行すれば、第一六章の固有の課題は可変資本の回転と 年間剰余価値量との関係を考察する点にあることそれ自体の理解は容易 であるけれども、連続的生産形態の基礎上での資本の回転と資本の価値 増殖との関係を分析する際、先行する第一五章では流通期間を含む回転 期間と前貸資本量との関係を取り扱いながら後続する第一六章では流通 期間を捨象した回転期間と年間剰余価値量との関係を考察するとすれ ば、第一六章では第一五章と違って連続的生産形態が想定されていない ようにみえ、回転期間そのものの構成要素に関して相異なる想定に立つ 第一五章と第一六章との間には理論上一見架橋しがたい断層かあるよう に映じるのである。   ところが、われわれの最終的に到達した結論を先回りしていえば、第  一五章には連続的生産形態達成のために前貸総資本の分割を必要とする  という第四章の指摘と概念的に区別されしかも資本の回転と資本の価値  増殖との関係分析に照応する固有な課題か存在すると同時に、流通期間  を含んだ回転期間の想定に立つ第一五章と流通期間を捨象した回転期間  の想定に立つ第一六章とはともに連続的生産形態の基礎上での資本の回  転と資本の価値増殖との関係の考察として首尾一貫した関係にある。す  なわち、連続的生産形態を資本主義的生産形態の最も一般的な生産形態  として想定すれば、生産期間と流通期間とから成り立つ回転期間を通じ  て間断なく生産過程が営まれるには流通期間中に不可避的に生じる生産  過程の空白を埋めるべく原資本に加えて追加資本が前貸しされねばなら  ないことは周知の事柄に属する。換言すれば、断続的生産形態から連続  的生産形態への論理的移行に際しては、流通期間中に生じる生産過程の  空白部分を穴埋めするために投下されねばならない追加資本分だけ前貸  総資本は増加しなければならないのである。ところか、断続的生産形態  から連続的生産形態への論理的移行に際して前貸総資本の増加が必要で ヽあるという場合、それは第n回転期間に属する生産期間終了後直ちに第  べ回転期間に属する生産期間か始まることに規定されて生じるものにほ  かならない。言い換えれば、連続的生産形態の基礎上では、断続的生産  形態の場合のように第n回転期間に属する流通期間終了後第十回転期間       nliχs  に属する生産期間か始まるのと違って、第n回転期間に属する流通期間  xxiis%x xs4 1 の開始と同時平行的に第い回転期間に属する生産期間が始まることに規  定されて前貸総資本の増加か生じるのである。従って、断続的生産形態  から連続的生産形態への論理的移行に際して極力注目すべきは、増加し  た前貸総資本が第n回転期間に属する生産期間と第n回転期間把属する          。' ^' 'ドド ”’I`  l‘゛`iIIJ ︱r`゛’ 流通期摺の長さに相当する分の第︰一] 回転期間に属する生産期間との双方

(3)

に配分されて投下されることによって、前貸総資本が全額一挙に一つの 回転期間中に生産資本としては機能することができないという事実にあ る。つまり、連続的生産形態では文字通り生産過程が継続的に営まれる けれども、それは単に第n回転期間に属する生産期間終了後直ちに第十 回転期間に属する生産期間が始まるという回転期間の重層的な展開のう ちに達成されているにすぎず、一つの回転期間をみる限り剰余価値生産 に直接的に携わる生産資本は前貸総資本の一部分でしかありえないので ある。それゆえに、断続的生産形態から連続的生産形態への論理的移行 に際して前貸総資本の増加が生じるというマルクスの指摘のもつ根本的 意味は、連続的生産形態においては前貸総資本が一回転期間中に機能し うる生産資本よりも必然的に大きくなるという点にある。換言すれば、 第一五章﹁回転期間か資本前貸の大きさに及ぼす影響﹂の固有な課題は 前貸総資本が一回転期間中に機能しうる生産資本よりも大きくならざる をえないという連続的生産形態に内在する特有な一つの経済法則の析出 にある。ところが、連続的生産形態の基礎上では一回転期間中に剰余価 値生産に直接従事できる生産資本が前貸総資本の一部分に限定されると いうことは、同時に、前貸可変資本の一部分のみが一回転期間中に産出 される剰余価値の直接的な母胎であるということを意味するのである。 つまり、連続的生産形態の基礎上では資本の価値増殖度合を規定する一 方の要因たる前貸総資本は一回転期間中に機能する生産資本より大きく なる半面、他方の要因たる年間剰余価値量は前貸可変資本の一部に限定 される充用可変資本によってもたらされるにすぎないのである。従っ て、連続的生産形態の基礎上では一回転期間中に機能する充用可変資本 が前貸可変資本より小さいという確認の上で前貸総資本に対する年間剰 余価値量を考察する場合、・年間剰余価値量が前貸可変資本の﹂部分に限 定される充用可変資本と剰余価値率と一年間に継起的に反復される生産 期間数の積に等しい限り、一つの回転期間に属して生産期間の後に接続 三   資本の回転と資本の価値増殖︵頭川︶ド する流通期間はこれを無視してよいということになる。換言すれば、回 転期間か生産期間と流通期間の総計から成り立つのにマルクスか第一六 章において第一五章と違って流通期間捨象の想定の下で可変資本の回転 と年間剰余価値量との関係を分析したのは、年間剰余価値量か前貸可変 資本の一部たる充用可変資本と剰余価値率と一年間に絶え間なく繰り返       1される生産期間数との積に等しく、第E回転期間に属する生産期間の反 面においてそれと同時平行的に進行する第n回転期間に属ずる流通期間 が一回転期間中に機能する充用可変資本の回転と年間剰余価値量との関 係にとって直接関係がないからである。従ってJ第一六章が第一五章と 違って流通期間捨象の想定に立脚するという場合、それは一つの回転期 間中に含まれる流通期間が切り捨てられ一回転期間が生産期間に等置さ れているのでは全然なく、年間剰余価値量が前貸可変資本の一部分たる        1充用可変資本と剰余価値率と年間生産期間数の積に等しく、第E回転期 間に属する生産期間の裏面で展開する第n回転期間のうちの流通期間が 理論上無視されるということを意味するにすぎないのである。従って、  ﹃資本論﹄第U巻第二篇﹁資本の回転﹂の根幹に位置して資本の回転と 資本の価値増殖との間に伏在する固有な本質的関係を解明する第一五章  ﹁回転期間が資本前貸の大きさに及ぼす影響﹂と第一六章﹁可変資本の 回転﹂という二つの章は、ともに連続的生産形態という共通の想定に立 って、最初に資本の価値増殖度合を規定する一方の要因たる前貸総資本 が一回転期間中に機能しうる生産資本よりも大きくならざるをえない所 以を分析し、続いて回転期間中に含まれる生産期間内にしか前貸可変資 本の一部分としての充用可変資本が剰余価値を生まないことから一つの 回転期間中に含まれる流通期間を無視して、資本の価値増殖度合を規定 する他方の要因たる年間剰余価値量か充用可変資本と剰余価値率と年間 生産期間数との積に等しいことを明らかにするというそれ自体として首 尾一貫した上向的関係にある。

(4)

四    高知大学学術研究報告 第三〇巻社会科学  以上、第一五章と第一六章において展開された連続的生産形態の基礎 上での資本の回転と資本の価値増殖との本質的関係に関するわれわれの 理解を結論的に述べたか、われわれが連続的生産形態の基礎上での資本 の回転と資本の価値増殖との固有な関係を分析した﹃資本論﹄第n巻第 二篇の第一五章と第一六章の首尾一貫した体系的理解を重視するのは、 連続的生産形態の基礎上での資本の回転と資本の価値増殖との本質的関 係の解明が﹃資本論﹄第U巻第二篇﹁資本の回転﹂の中心テーマとして 決定的な意義をもっという珪由のほかに、連続的生産形態の基礎上での 年利潤率は如何に定式化されるべきかという﹃資本論﹄第Ⅲ巻第一篇第 四章﹁回転が利潤率に及ぼす影響﹂に直接かかわる問題意識にある。換 言すれば、われわれが連続的生産形態の基礎上での資本の回転と資本の 価値増殖との固有な関係の分析を重視する一つの理由は、それが連続的 生産形態の下での年利潤率を定式化する際の根本的基礎をなすからに ほかならない。というのも、後に明らかにするように、﹃資本論﹄第 H巻第二篇の第一五章と第一六章の分析を基礎にして樹立されるべき  ﹃資本論﹄第Ⅲ巻第一篇第四章でのエングルスによる年利潤率の定式 り、"    c+v 卜︵n =か丿p=^肺fflfBi。 z =m.mmrs︶は資本主義 的生産の一般的形態としての連続的生産形態を想定したものではなくて 断続的生産形態を想定したものにすぎず、従って、われわれがマルクス またはエングルスに代わって連続的生産形態の基礎上で一般的に通用す る年利潤率の定式を構築する際には﹃資本論﹄第U巻第二篇の第一五章 と第一六章の体系的理解がその理論的前提に据えられねばならないから である。  それゆえに、本稿の課題は、連続的生産形態の基礎上での資本の回転 と資本の価値増殖との間に伏在する固有な本質的関係を分析して、﹃資 本論﹄第U巻第二篇﹁資本の回転﹂の根幹をなす第一五章﹁回転期間が 資本前貸の大きさに及ぼす影響﹂と第一六章﹁可変資本の回転﹂の体系 的理解を構築することにある。以下、先ず第一節﹁流通期間と前貸資本 量﹂において、第一五章の最初の総論部分に照準をしぽって第一五章に おける固有な課題をさぐりだし、続く第二節﹁回転期間と資本の価値増 殖﹂において、第一節の分析成果を手掛りをして第一六章での流通期間 捨象の理由を解明することによって総じて連続的生産形態の下での資本 の回転と資本の価値増殖の関係を分析する第一五章と第一六章との体系 的理解を樹立し、最後の第三節﹁年利潤率の定式化﹂において、以上の  ﹃資本論﹄第U巻第二篇の第一五章と第一六章との体系的理解の直接的 延長線上に﹃資本論﹄第Ⅲ巻第一篇第四章でのエングルスの断続的生産 形態を想定した年利潤率の定式にとって代わる連続的生産形態の基礎上 での年利潤率の定式を構築する。以上の骨格をもつわれわれの分析によ っIて、﹃資本論﹄第U巻第二篇という﹃資本論﹄体系研究上の一つの基 本的な空白部分か埋められると同時に﹃資本論﹄第n巻第二篇の主題を なす資本の回転と資本の価値増殖との関係の分析が何故に貨幣資本の生 のかという所以もまた明らかになろう。  ︵1︶参考のために記しておけば、﹁資本論﹂第Ⅱ巻第二篇の核心部分を取り扱   う本稿﹁資本の回転と資本の価値増殖−﹁資本論﹂第H巻第二篇の解明−﹂   は以前に公表済みの拙稿﹁資本の流通過程と資本の循環範式−﹁資本論﹂第   H巻第一篇の解明−﹂︵[11]︺︶と拙稿﹁再生産表式と貨幣資本の前貸−﹁資   本論﹂第n巻第三篇の一解明j﹂ ︵︹12︺︶の中間に位置する。従って、拙   稿﹁資本の流通過程と資本の循環範式﹂は本稿の基礎に位置し、本稿は拙稿    ﹁再生産表式と貨幣資本の前貸﹂の基礎に位置するという関係にある。それ   ゆえに、前二稿をあわせて参照されたい。  ︵2︶ここでいうところの資本の形態的諸変態とは、生産過程上で価値量と使用   形態ともに変化か生じる資本の実質的変態に対して、流通過程上で使用形態   のみに変化が生じる資本の単なる姿態変換︵貨幣資本の生産資本への転化と   商品資本の貨幣資本への再転化︶の総計を指す。

(5)

 ﹁さらにここで明らかになることは、流通に属する二つの変態G−WとWI Gのどちらでも、同じ大きさの同時に存在する価値存在か相対していて互い に置き換えられるということである。価値変化はただ変態Pすなわち生産過 程だけで起きるのであり、したがって、生産過程は、流通の単に形態的な諸 変態︵die formellen Metamorphosen︶ にたいして、資本の実質的な変 態︵reale Metamorphose des Kapitals︶として現われるのである。﹂  ︵﹁資本論﹂H、五六ページ︶  ﹁スミスは、生産物すなわち商品資本か流通部面で通るところの、そして諸 商品の持ち手変換を媒介するところの、商品の単に形態的な変態︵die  nur formelle Metamorphose︶を、生産資本のいろいろな要素か生産過程で通 る物体的な変態と同列に置いている。﹂ ︵同上、一九八ページ︶  従って、同じ資本の姿態変換でも使用形態にのみ変化か生じる形態的諸変 態と価値量と使用形態ともに変化か生じる実質的変態という概念上峻別され るべき二つの変態か存在することに注意か払われるべきである。換言すれ ば、資本の姿態変換のうち実質的変態は﹁資本論﹂第1巻﹁資本の生産過 程﹂の固有の分析対象をなし、形態的諸変態は﹁資本論﹂第n巻﹁資本の流 通過程﹂の固有の分析対象をなす。  ﹁第一部では、それ自体として見られた資本主義的生産過程か直接的生産過 程として示し﹃ている諸現象が研究されたのであって、この直接的生産過程で はそれにとって外的な諸事情からの二次的な影響はすべてまだ無視されてい たのである。しかし、ごのような直接的生産過程で資本の生涯は終わるので はない。それは現実の世界では流通過程によって補われるのであって、この 流通過程は第二部の研究対象だった。﹂ ︵﹁資本論﹂m、三三ページ、傍点 −マルクス︶      一 流通期間と前貸資本量  ぱしがきで述べた通り、本稿の課題は、連続的生産形態の基礎上での 資本の回転と資本の価値増殖との本質的関係の分析に重心をおく﹃資本 論﹄第n巻第二篇の第一五章と第一六章についての体系的理解を提示す ることにある。従って、本節では先ずもって連続的生産形態の基礎上で の資本の回転と前貸資本量との関係の分析にあてられた第一五章の固有 五   資本の回転と資本の価値増殖︵頭川︶ な課題を確定する・        ’  第一五章においてマルクスが生産期間と流通期間との量的関係に起因 する遊休貨幣資本の生成の有無の分析に多くの紙面を費やしたために、 通常第一五章の主要な内容か生産期間と流通期間との量的関係如何の区 別からする遊休貨幣資本の生成の有無の分析にあるかのよう﹃に思れれが ちであるが、われわれの理解によれば、第一五章﹁回転期間が資本前貸 の大きさに及ぼす影響﹂の固有な課題は第一節﹁労働期間か流通期間に 等しい場合﹂にはいる以前の最初の総論部分において既に展開済みで ある。そこで以下、第一五章の最初の総論部分を念頭において、連続的 生産形態の基礎上での回転期間と資本前貸量との本質的関係を分析して 第一五章における固有な課題を発掘する。  資本主義的生産の基礎上では、最大限の価値増殖を追求する剰余価値 を生む価値としての資本の内的本性から、生産過程を中断すれば不可避 的に生じる固定資本の物質的摩滅を回避するために生産過程の連続的維 持が資本にとって一つの至上命令どなる。 ﹁固定資本の発展規模が大きければ大きいほど、生産過程の連続性 ︵die  Kontinuitat des  ProduktionsDrozesses︶ または再生産の不断の 流動が、ますます資本に立脚する生産様式の外的強制条件となる。﹂  ︵﹃経済学批判要綱﹄Ⅲ、五九一ページ、傍点Iマルクス︶  ﹁固定資本は、生産に用いられないかがり、価値低下︵entwertet︶す るから、その増大は労働を不断持続的︵perpetuierlic巴 にする傾向と むすびついている。︶ ︵同上、Ⅳ、七一〇ページ、傍点Iマルクス︶  ﹁労働の連続性は、総じて資本主義的生産に固有のものであるが、それ は固定資本の発展とともにはじめて完全に発展する。﹂ ︵﹃経済学批判  ︵一八六一−一八六三年草稿︶﹄I、二三三ページ、傍点Iマルクス︶  というのも、生産過程が流通期間のために中断されずに継続的に営ま れるならば、唯一の超歴史的な現実的労働として存在する特定の生きた

(6)

六   高知大学学術研究報告 第三〇巻 社会科学 具体的有用労働は労働過程において固定資本の存在形態たる労働手段に 対象化された特定の死んだ具体的有用労働に合目的的に働きかけること によって、一方では特定の死んだ具体的有用労働を新たな生産物に移し 替える半面、他方では労働手段の使用価値そのものを自然界の物質的摩 滅の脅威から保護するという役割を果たすからである。ところが、最低 必要資本量が実在する産業資本の各生産部面で固定資本は最低必要資本 量に従属的に規定された一定の与えられた大きさとして存在するから、 固定資本の物質的摩滅の回避の目的のために流通期間中も生産過程を継 続しようとすれば、原資本に加えて流通期町中も生産過程を継続しうる だけの追加資本の投下が必要である。いうまでもなく、原資本︵但し固 定資本部分を捨象する︶と流通期間中に生産過程を継続するのに要する 追加資本との比率は一回転期間中に占める生産期間と流通期間との比率 に等しく、生産過程の継続のために必要な追加資本の前貸総資本︵但し 固定資本部分を捨象する︶に占める比率は流通期間が一回転期間中に占 める比率に等しい。﹁流通に存在する資本部分対総資本の比率は、流通 時間対生産時間の比率に等しい。﹂ ︵﹃経済学批判要綱﹄Ⅲ、五五八ペ ージ︶たとえば、原資本が六〇〇で生産期間か六週間の場合に三週間に 亘る流通期間中も生産過程を続行しようとすれば、原資本六〇〇に加え て追加資本三〇〇を要し、前貸総資本は総計九〇〇となる。そこで、い ま生産過程の継続的維持のために原資本六〇〇に加えて追加資本三〇〇 が投下されるとすれば、前貸総資本九〇〇の回転運動は以下のようにな る。すなわち、先ず第一回転期間︵第一週?第九週︶ の第一生産期間  ︵第一週?第六週︶に原資本六〇〇が投下されるか、原資本六〇〇は第  一流通期間︵第七週?第九週︶の終わりになって初めて還流するから、 第一流通期間の開始と同時平行的に第二回転期間︵第七週、c第一五週︶ に属する第二生産期間︵第七週?第二一週︶が始まり、第二生産期間の 前半には追加資本三〇〇が後半には還流してくる原資本の半分の三〇〇 がそれぞれ投下され、第二流通期間︵第一三週?第一五週︶の開始と同 時平行的に第三回転期間︵第一三週?第二一週︶に属する第三生産期間 第1図 連続的生産形態の下での前貸総資本の回転運動          生産期間   流通期間 ごl 600投下      600回収 、 300準備    ;1 21回転期│問1 1 :1:  1  1 1 1、d d 111 300投下  300投下     600回収     「 300遊離     第3回転期間II・。11・sl 」 l冒1●i。J万・i,J       300投下  300投下    600回収        ( 300遊離  ︵第一三週?第一八週︶が始まる⋮ ⋮というように、前貸総資本九〇〇 の回転運動か行なわれるのである。 以上のような生産期間と流通期間と かそれぞれ六週間と三週間とから成 り立つ回転期間の繰り返しの中で生 産過程が継続的に行われると想定し た場合の前貸総資本の回転運動を図 解すれば第1図の通りである。  ところか、ここでわれわれは、連 続的生産形態の基礎上で流通期間中 も生産過程を継続するために原資本 に加えて追加資本が必要となるある いは連続的生産形態の基礎上では断 続的生産形態に比して流通期間相当 分だけ投下すべき流動資本が増加し て前貸総資本が大きくならざるをえ ないというマルクスの指摘のもつ根 本的意味を閑却して、連続的生産形 態という事実に眼が奪われ前貸総資 本がすべて一回転期間中に生産資本 として機能しうるという混乱した観 念に陥りがちであるかあるいは前貸 総資本がすべて一回転期間中に生産資本としては機能しえないという連 続的生産形態に内在する固有な内実をつかむことなしに素通りしてしま

(7)

いがちである。換言すれば、連続的生産形態の基礎上では年間を通じて 生産過程が恒常的に営まれることから、連続的生産形態は前貸総資本が すべて一回転期間中に生産資本として機能しうるという外観を創造せし めるのである。しかし、連続的生産形態の基礎上では前貸総資本が全額 一回転期間中に生産資本として剰余価値生産に従事できるという外観は 虚偽の仮象にすぎない。  すなわち、先ず最初に、連続的生産形態の基礎上での前貸総資本の回 転運動をみる際極力注意すべきは、第n回転期間に属する流通期間の開 始と同時平行的に第心回転期間に属する生産期間が始まるという点にあ る。換言すれば、第n回転期間に属する生産期間終了後間髪をおかずに 第べ回転期間に属する生産期間が始まることによって、連続的生産形態 が成り立つのである。従って、一般的にいえば、連続的生産形態とは、 SSS SS% ゛      WS Sχ %S第n回転期間に属する生産期間終了後直ちに第刊回転期間に属する生産 期間が始まることによって成り立つ産業資本の連続的な回転運動にほか ならない。因みに、マルクス自身、生産期間と流通期間がそれぞれ六週 間と三週間と想定した連続的生産形態の基礎上での前貸総資本の回転運 動の展開について第一回転期間︵第一週?第九週︶ に属する生産期間  ︵第一週?第六週︶終了後直ちに第二回転期間︵第七週?第一五週︶が 始まると確言している点については以下の引用文の示す通りである。  ﹁そこで事柄の経過は次のようになる。  lssiss  si%xx第一回転期間。第一1九週。  第一労働期間。第一−六週。資本I六〇〇ポンドが機能する。  第一流通期間。第七−九週。第九週の終わりに六〇〇ポンドが還流す   る。 sssxss  lisssl第二回転期間。第七1一五週。  第二労働期間。第七−コー週。 七 資本の回転と資本の価値増殖︵頭川︶   前半、第七−九週。資本旦二〇〇ポンドか機能する。第九週の終わ   りに六〇〇ポンドが貨幣になって還流する︵資本I︶。   後半、第一〇−一二週。資本Iのうちの三〇〇ポンドが機能する。   資本1の残りの三〇〇ポンドは遊離している。  第二流通期間。第一三−一五週。   第一五週の終わりに六〇〇ポンド︵半分は資本Iがら、半分は資本   Uから成っている︶か貨幣になって還流する。 第三回転期間。第コニー二一週。  第三労働期間。第コニー一八週。   前半、第一三1一五週。遊離していた三〇〇ポンドが機能しはじめ   る。第一五週の終わりに六〇〇ポンドが貨幣になって還流する。   後半、第一六−一八週。還流した六〇〇ポンドのうち三〇〇ポンド   が機能し、残りの三〇〇ポンドは再び遊離している。  第三流通期間。第一九︱二一週。この期間の終わりに再び六〇〇ポン  ドが貨幣になって還流する。この六〇〇ポンドでは資本Iと資本nと  はもはや区別できないように融合している。﹂ ︵﹃資本論﹄H、二七  五−六ページ、傍点︱頭川︶  そこで、連続的生産形態の基礎上にあっては、第n回転期間に属する        1生産期間終了後直ちに第十回転期間に属する生産期間か始まると理解す れば、連続的生産形態の基礎上で一回転期間中に前貸総資本が全額一挙 に生産資本として機能しうるという混乱した観念を批判的に克服する際        1の問題の要点は、第n回転期間に属する生産期間に第E回転期間に属す る生産期聞か直結することによって、前貸総資本中一回転期間に生産資 本として機能しうる部分か一回転期間中に占める生産期間の比率に制限 されざるをえないという一点の着眼にある。換言すれば、回転期間が生 産期間と流通期間との総計から成り立つがゆえに、連続的生産形態の達        s4si≒lssixxsssssxxsl成のためには前貸総資本が第一回転期間に属する生産期間で機能する生

(8)

八 高知大学学術研究報告 第三〇巻 社会科学 産資本部分と第一回転期間に属する流通期間の長さに相当する第二回転 sis%ss%lsissxs%s4s ssx%ち期間のうちの生産期間中に機能すべき生産資本部分とに分割されねばな らないのである。従って、連続的生産形態の達成のために前貸総資本は 原資本と追加資本との総計によって構成されねばならないとはいって も、前貸総資本のうちの一方の部分と他方の部分とでは生産資本として 機能する回転期間を異にするのである。それゆえに、連続的生産形態と いえども、回転期間が生産期間と流通期間とから構成され、第n回転期 間に属する生産期間に直結する第刊回転期間中の生産期間の反面に第n sss≒       n 回転期間に属する流通期間が存在する限り、一回転期間中に生産資本と して剰余価値生産に従事できるのは前貸総資本の一部分でしかありえな いのである。逆にいえば、連続的生産形態という資本主義的生産の最も 一般的な生産形態の基礎上では、前貸総資本は生産過程において剰余価 値生産に直接携わる生産資本よりも必らず大である。  かくて、われわれは、資本主義的生産の最も典型的な生産形態である 連続的生産形態を想定して、そこでは前貸総資本が一回転期間中全額一 挙に生産資本としては機能しえないという一つの経済法則を確定した が、実をいえば、回転期間と前貸資本量との関係を考察する第一五章  ﹁回転期間か資本前貸の大きさに及ぼす影響﹂の中心論点は、連続的生 産形態を基本とする資本主義的生産の基礎上では回転期間中に流通期間 が含まれる限り、投下されるべき前貸総資本は剰余価値生産という産業 資本の本質的機能を営む生産資本よりも必然的に大きくならざるをえな いという一つの経済法則を論証することにあった。換言すれば、マルク スが第一五章﹁回転期間が資本前貸の大きさに及ぼす影響﹂でその表題 が示唆するように連続的生産形態の基礎上では断続的生産形態を想定す る場合に比較して前貸資本量が増加せざるをえない点を中心的に強調す る場合、それは連続的生産形態にあっては前貸総資本が一回転期間中に 生産資本として機能する部分より必然的に大きくなり、従って、資本家   S SSX4XIXSSS%S%XXIXSSIぢSXX ISは生産資本部分をこえて前貸総資本を投下しなければならないというこ とを意味するものにほかならない。けだし、資本家が固定資本の物質的 摩滅の回避を目的として連続的生産形態を採用する場合、そこで生じる 前貸総資本の増加によって一方では第n回転期間に属する生産期間終了      1後直ちに第E回転期間に属する生産期聞か始まって連続的生産形態の実 現が可能となるが、他方では前貸総資本が第n回転期間に属する生産期    1間と第い回転期間に属する生産期間のそれぞれにおいて機能する生産資 本に振り分けられる結果、一つの回転期間中に生産資本として機能する 資本部分の前貸総資本の一部分への限定という必然的帰結が生じるから である。いうまでもなく、連続的生産形態の基礎上では前貸総資本が一 回転期間中に生産資本として機能する資本部分より必然的に大きくなら ざるをえないということは、一つの回転期間中に流通期間が含まれてい        Iるのに第n回転期間の生産期間終了直後に第E回転期間に属する生産期 間が始まることから生じる一つの必然的な経済法則であるから、前貸総 資本の回転運動の途上において遊休貨幣資本の分離が生じるか否かは連 続的生産形態の下で前貸総資本が全額一挙に生産資本として機能しえな いという一つの経済法則に何の変更も加えず、前貸総資本の回転運動の 途上で遊休貨幣資本の分離が全然生じない場合でさえ前貸総資本が全額 一挙に生産資本としては機能できず、従って前貸総資本が必然的に生産 資本よりも大きくならざるをえない点に注意を払うべきである。たとえ ば、生産期間と流通期間とがともに等しく五週間で前貸総資本が100 0の場合には生産過程で生産資本として機能する二つの相等しい五〇〇 の資本部分の単純かつ機械的な交替が規則的に行なわれ遊休貨幣資本の 分離は生じないけれども、ここでは第n回転期間という一つの独立した 回転期間中に生産資本として機能しうる資本部分は前貸総資本一〇〇〇 のうち一回転期間中に占める生産期間の比率︵%︶によって五〇〇に限 定されるのである︵第2図︶。

(9)

 従って、連続的生産形態の基礎上では生産資本が前貸総資本の一部分 に制限されざるをえないという一つの経済法則は回転期間の構成要素を       なす生産期間と流通期間との量的関係如 第2図 生産期間=流通期間の場合の前貸総資本の回転運動    生産期間    流通期間こ;;;i1   500投下       500回収   『 500準備    祠。転。扇。幽。,11,㎡。j..d。1・。』      500投下      500回収 第3回転期間Lj一一.a-a−』●i・●i・.I』 500回収 500投下 何に関係がないとすれば、第一五章にお ける生産期間と流通期間の種々の組み合 わせからする遊休貨幣資本の分離の有無 の分析はそれにあてられた紙面の量にも かかわらず、連続的生産形態の基礎上で の前貸総資本の回転運動の内奥に潜む一 つの経済法則の析出という固有な課題解 決に付随する系論としての位置付け えられるべきであるということにな

 かくして、われわれは、以上の考察に よって、第一五章﹁回転期聞か資本前貸 の大きさに及ぼす影響﹂の固有の課題が 連続的生産形態の基礎上では一回転期間 中に機能する生産資本よりも大きな前貸 総資本を要するという一つの経済法則の 析出にあることを探りあてたが、ここか らすれば、はしがきにおいて第一五章の 固有の課題か既に展開済みであるとわれ われが先回りして指摘したその総論部分 の事実上の締め括りか以下の引用文であ ることの意味は決定的であるといわねば ならない。   ﹁およそ回転の機構︵der Mechanismus des  Umschlags︶  bi!ついて は少しも明らかなことを示していない経済学者たちは、いつでも、この 九   資本の回転と資本の価値増殖︵頭川︶ 重要な契機を見落としている。すなわち、生産が中断なく進行するため には、実際に生産過程で働いているのはいつでも産業資本の一部分でし かありえないということを見落としている。一つの部分が生産期間にあ るときにはいつでも他の部分は流通期間になければならない。言い換え れば、一方の部分が生産資本として機能することは、他の部分が商品資 本または貨幣資本の形態で本来の生産から引きあげられているという条 件のもとでしかできないのである。このことが見落とされるならば、総 じて貨幣資本の意義も役割も見落とされてしまうのである。﹂ ︵﹃資本 論﹄H、二六九ページ︶  また、以上のような第一五章における固有な課題の理解からすれば、 第四章と第一五章との概念的相違は明瞭であろう。すなわち、第四章  ﹁循環過程の三つの図式﹂と第一五章﹁回転期間が資本前貸の大きさに 及ぼす影響﹂との概念的相違は、単に第四章では連続的生産形態の要件 としての前貸総資本の分割が質的に分析され第一五章では前貸総資本の 分割の量的割合が確定されるという違いにあるのでは全然なく、第一五 章では第四章における連続的生産形態達成の要件についての指摘を論理 的前提に踏まえた上で更にI歩突っこみ資本の回転と資本の価値増殖と の関係という固有の観点から連続的生産形態の下では前貸総資本が生産 資本よりも大きくならざるをえないのだという点を指摘する点にある。 従って、第四章と第一五章との相違を単純に連続的生産形態の要件とし ての前貸総資本の分割の質的規定と量的確定との違いに求める以下のロ ーゼンベルグの見解は、﹁回転期間が資本の価値増殖に及ぼす影響を取 り扱う﹂ ︵﹃資本論﹄n、二六〇ページ、第一五章の冒頭の一文、傍点 −頭川︶ことを課題とする第一五章からその課題に概念上照応的な固有 なテーマを看破しえなかったところから生じた見解として、きわめて皮 相であるというそしりを免れないといわねばならない。   ﹁第四章では質的な分析があたえられた。すなわち、つぎのことがし

(10)

一〇  高知大学学術研究報告 第三〇巻 社会科学 めされた。︲資本の三つの形態は、一方ではたがいに継起するが、他方 では同時に並存する。口資本の諸形態の継起的交替とその同時的並存と はたがいに制約しあっている。ところか、この章︵第一五章−頭川︶で は、生産段階にある資本︵またはその諸部分︶と貨幣形態にある予備的 資本との量的な関係か確定される。﹂ ︵︹10︺二I○ページ︶  ︵1︶特定の生きた具体的有用労働が労働過程で労働手段に対象化された特定の    死んだ具体的有用労働に合目的的に働きかけることによって、一方では特定    の死んだ具体的有用労働を新生産物に移転させ、他方では労働手段の使用価    値を自然界の物質的摩滅の脅威から守る役割を果たすことは、マルクスの表    現によれば、﹁生きている労働の無償の天資﹂ ︵﹁資本論﹂11、一七三ペー    ジ︶である。     なお、ここで特別に関説しておけば、特定の生きた具体的有用労働によっ    て労働手段に体化された抽象的人間労働が新たな生産物に移転させられると    いう際の最大の注意点は、凝固した抽象的人間労働の新生産物への移転か特    定の生きた具体的有用労働による特定の死んだ具体的有用労働の合目的的な    消費を媒介にして行なわれる点にある。つまり、特定の生きた具体的有用労    働によって労働手段に対象化された抽象的人間労働か新たな生産物に移転さ    せられるという場合、それは特定の生きた具体的有用労働か特定の死んだ具    体的有用労働を労働過程で合目的的に消費して新生産物に移し替えることを    意味し、新生産物に移し替えられた古い特定の具体的有用労働か市場におい    てそこから労働の具体的有用形態を捨象されて抽象的人間労働に還元される    のである。けだし、唯一の超歴史的な現実的労働は特定の具体的有用労働で    あって、労働過程という超歴史的な過程では特定の具体的有用労働しか存在    しないからである。従って、マルクスか経済学史上初めて発見した二重的形    態にある労働の分析を取り違えて価値実体をなす抽象的人間労働を超歴史的    なカテゴリーとして固定化した上で、特定の生きた具体的有用労働か労働手    段に体化された抽象的人間労働に働きかけることによって労働手段の価値移    転か行なわれると絶対に考えてはならないのである。  ︵2︶前貸総資本と一回転期間中に機能しうる生産資本との差額分として連続的    生産形態か保たれる限り個別的再生産過程において恒常的に存在するところ    の貨幣資本は、個別的再生産過程の総体をなす社会的再生産過程においては    社会的総資本の有機的成分として必然的に現出する。つまり、個別資本にと    って前貸総資本の一成分として存在する貨幣資本は、流通によって媒介され   る社会的総資本の再生産過程を表わす再生産表式での始点の貨幣資本として   現われる。従って、再生産表式の始点では社会的総資本は資本家によってあ   らかじめ所有されている貨幣資本と商品資本の総計から成り立つ。再生産表   式の始点における貨幣資本か社会的総資本の構成要素をなしながらなおかつ   G−W−Gというそれ自体としては価値増殖を含まない貨幣の単なる出発点   への還流運動しか描かない所以については拙稿﹁再生産表式と貨幣資本の前   貸﹂ ︵︹12︺︶を参照されたい。 ︵3︶従って、最初の総論部分で第一五章全体にかかわる固有な課題か分析さ   れ、第一節以降において遊休貨幣資本の生成如何という派生的な課題か取り   扱われているという点からすれば、第一五章は変則的な論理構成をとってい   るといっでよいであろう。 一 一 回転期間と資本の価値増殖  われわれは、前節において、第一五章の固有な課題か連続的生産形態 の基礎上では前貸総資本が生産資本より必然的に大になって前貸総資本 の一部分しか生産資本として機能しえないという一つの経済法則の析出 にあることを究明して、連続的生産形態といえども回転期間中に流通期 間が含まれる限り前貸総資本量と生産資本量とは大きな違いをもつこと を最大限強調したけれども、第一五章の叙述は回転期間と資本の価値増 殖度合を規定する二つの要因のうちの一方の前貸資本量との関係の分析 にあてられているにすぎず、未だ考察されていない回転期間と資本の価 値増殖度合の他方の規定要因たる年間剰余価値量との関係の分析は第一 六章﹁可変資本の回転﹂の固有の課題に属する。そこで、本節では、先 行する第一五章に関する分析結果を直接的に受けとめて第一六章での可 変資本の回転と年間剰余価値量との関係の分析に踏みこみ、連続的生産 形態の下での資本の回転と資本の価値増殖との間の本質的関係に照明を 与えた第一五章と第一六章についての体系的理解を構築する。  はしがきにおいて指摘したように、第一六章では第一五章と違って流

(11)

通期間捨象の想定か採用されていることは以下の引用文に明らかであ る。       、  ﹁五〇〇ポンドの可変資本か一年にI〇回転し、一年のうちに五〇〇〇 ポンドの剰余価値を生産し、したがってそれにとっ﹃て剰余価値の年率は 一〇〇〇%であるとして、この資本を資本Aと呼ぶことにしよう。  もう一つの五〇〇〇ポンドの可変資本Bは、まる一年間︵すなわちこ こでは五〇週間︶にわたって前貸しされ、したがって一年にただ一回だ け回転すると仮定しよう。さらに、一年の終わりには生産物かその完成 と同じ日に代価を支払われ、従って、生産物か転化した貨幣資本がその 同じ日に還流するとしよう。そうすれば、この場合には流通期間はゼロ であり、回転期間は労働期間に等しく、すなわち一年である。前の場合 と同じに、労働過程には毎週一〇〇ポンドの可変資本かあり、したがっ 。て五〇週間では五〇〇〇ポンドの可変資本がそこにある。﹂ ︵﹃資本 論﹄U、二九九ページ︶  そこで、第一六章では第一五章と違って何故に流通期間捨象の想定に 立って可変資本の回転と年間剰余価値量との関係をマルクスが分析した のかというプリミティブな疑問が生じるのである。けだし、第一六章で の流通期間捨象の理由は一体何かを究明しない限り、流通期間を含む回 転期間の重層的展開の基礎上で成り立つ連続的生産形態の想定に立った 第一五章での分析と。第一六章での分析とが一体的関係にあるものとし て、二つの章を体系的・統一的に理解することかできないからである。      4ssx xx4ssisi s従って、連続的生産形態の基礎上での資本の回転と資本の価値増殖との 本質的にして固有な関係の解明を主題とする第一五章と第一六章という 二つの章の体系的理解の要は、第一六章での流通期間捨象の所以如何の 解決にある。  それでは、マルクスが第一六章において可変資本の回転と年間剰余価 値量との関係を分析する際流通期間を捨象したのは一体何故か。  一 一  資本の回転と資本の価値増殖︵頭川︶  われわれの見解を端的にいえば、マルクスが第一六章で流通期間を捨 象した謎を解く鍵は、第一五章において析出された一つの経済法則つま り連続的生産形態の下では前貸総資本の一部分しか生産資本として機能 しえないという一つの経済法則ぞれ自体の理解に伏在する。すなわち、 連続的生産形態の基礎上で生産資本として機能しうる資本部分が前貸総 資本中回転期間に占める生産期間の割合に相当する部分に必然的に限定 されざるをえないということは、これを一歩進めていえば、前貸総資本 に相対する年間生産剰余価値量か同心連続的生産形態の基礎上では一回 %x %six・‘sxss4 %xsIss s転期間中に機能する生産資本の可変部分と剰余価値率と一年間に継起的 に繰り返される生産期間数の三者の積によって規定されるということを 指し示す。換言すれば、連続的生産形態の下においては前貸総資本は全 額一挙に生産資本として機能できないから、一回転期間中に生産される 剰余価値の直接的な母胎をなす充用可変資本は前貸総資本中に占める前 貸可変資本よりも小さく、従’つて、前貸総資本に相対する年間生産剰余 価値量は厳密にいえば前貸可変資本の一部分としての充用可変資本と剰       ssisl%s 4 %べ 4s 41x ss ss余価値率と一年間に絶え間なく反復される生産期間数の三要素の積とし て計算されねばならないのである。  ﹁生産過程にたいする流通時間︵die Zirkulationsze巳の関係から生ず る結論はこうである。すなわち、ある一定期間に生産された価値総額、 または資本の価値増殖の総額は、単純に資本が生産過程で創造する新価 値によって、または生産過程で実現される剰余時間︵Surpluszeit︶によ って規定されるのではなくて、この剰余時間︵剰余価値︵Surpluswert︶︶ に、ある一定期間に資本の生産過程が何回反復されるかをあらわす回数 を乗じたものによって規定される。﹂ ︵﹃経済学批判要綱﹄Ⅲ、四四二 ページ︶  ﹁そのものとしての流通で実現されるところの、資本によって創造され た総価値︵再生産された価値と新たに創造された価値︶は、もっぱら生

(12)

一二  高知大学学術研究報告‘第三〇巻’社会科学 産過程によって規定されているのであるから、ある一定時間で創造され うる諸価値の総額は、この期間内に生産過程か繰り返されるその回数に 依存する。﹂ ︵同上、五二〇−一ページ︶  従って、剰余価値率を所与の値として前提して前貸総資本に対する年 間生産剰余価値量を考察する場合、それが一回転期間中に機能する充用 可変資本と年間生産期間数によって実質的に規定される限り、一方の一 回転期間中に機能する充用可能資本は前貸可変資本と回転期間に占める 生産期間の比率との積によって前もって与えられ、他方の年間生産期間 数は9 も匹叶によって簡単に規定されるから、一回転期間中に確かに 流通期間か含まれているとしてもこれを概念上無視してI向にさしつか えないということになる。つまり、生産期間が五週間で流通期間か三週 間の場合に前貸可変資本八〇〇が一年間に生産する年間剰余価値量は。        ss%% 3χss%%%sis s4剰余価値率をI〇〇%と前提すれば充用可変資本五〇〇と年間生産期間 数一〇とによって規定されることになり、一回転期間中に機能する充用 可変資本量さえあらかじめ前貸可変資本と一回転期間中に占める生産期 間の比率との積によって規定しておくならば、年間剰余価値量の計算に 際して一回転期間中に含まれる流通期間そのものは意味をもたないこと になるのである。従って、先の﹃資本論﹄の引用文で示された﹁資本 A﹂の場合、マルクスは五週間の生産期間を回転期間と等置して五〇〇 ポンドの可変資本か一年間にI〇回転して五〇〇〇ポンドの年間剰余価 値量を生産するとのべているが、ここでは実際上一回転期間中に五週間 の生産期間に加えてたとえば三週間の流通期聞か存在すると同時に一回 転期間に機能する五〇〇ポンドの充用可変資本の背後に八〇〇ポンドの 前貸可変資本が実在するものと理解すべきである。換言すれば、五〇〇 ポンドの可変資本が一年間にI〇回転して年間剰余価値量五〇〇〇ポン ドを生産する﹁資本A﹂においては、流通期間が例えば三週間あって前 貸可変資本が八〇〇ポンドであるにしても、一回転期間中に機能しうる 充用可変資本量さえおさえておくならば年間剰余価値量計算にとって流 通期間は無関係であるために、マルクスはあえて流通期間を無視して生 産期間=回転期間の想定をおいたのだと考えられるべきである。その意 味では、流通期間捨象の想定に立つ第一六章を理解する際、前貸可変資 本と一回転期間中に機能しうる充用可変資本の量的な相違をおさえてお くことは決定的に重要である。逆にいえば、第一六章では第一五章と一 八〇度違って本来的に流通期間を含まない回転期間の想定に立つという 一般的にありかちな観念は、第一六章において回転期間と等置された生 産期間に投下される可変資本をもって概念上流通期間を含んだ一回転期 間中に機能しうる充用可能資本にすぎないものと把握せず、誤って範嗚 的に厳密な意味での前貸可変資本と取り違えるところから生じているの である。それゆえに、第一六章は第一五章と違って流通期間捨象の想定 に立つといっても、そこでは一つの独立した回転期間が生産期間に等置 されているのでは全然なく、年間生産剰余価値量が一回転期間中の充用 可変資本と剰余価値率と年間生産期間数によって規定される限りにおい て、第べ回転期間に属する生産期間の裏面にあってそれと同時平行的に    nちlsss4       x%4ssxss ss進行する第n回転期間に属する流通期間が理論上無視されているにすぎ ないのである。  ところで、資本の価値増殖度合の一つの規定要因である年間生産剰余 価値量か一回転期間中に機能する充用可変資本と剰余価値率と年間生産 期間数の三者の積に等しいとすれば、マルクスが第一六章で流通期間無 視の想定において剰余価値率と年間生産期間数に前貸可変資本を乗じて 年間生産剰余価値量を算出する際の前貸可変資本は概念上厳密にいえば I流通期間を含む回転期間の重層的展開によって成り立つ連続的生産形 態の基礎の上では1前貸可変資本と一回転期間中に占める生産期間の比 率との積によって規定される充用可変資本を意味することになる。従っ て、マルクスが流通期間無視の想定に立つ第一六章で一回転期間五週間

(13)

に投下される五〇〇ポンドの可変資本が年間五〇〇〇ポンドの剰余価 値を生産するという議論の展開途上において、﹁前貸可変資本︵das vorgeschoiSne variable Kapital︶は五〇〇ポンドである﹂ ︵﹃資本論﹄ H、二九八ページ︶とのべ、﹁前貸可変資本の価値総額にたいする一 年間に生産される剰余価値総額の比率を、われわれは剰余価値の年率  ︵die Jahresrate des Mehrwerts︶と呼ぶ﹂︵同ページ︶と規定する際、 前者の﹁前貸可変資本﹂も後者の剰余価値年率の構成要素としてその分 母にはいる﹁前貸可変資本﹂もともにその内実はマルクスのいわゆる  ﹁充用可変資本︵das angewandte variable Kapital︶﹂︵﹃資本論﹄U、 三〇二ページ︶つまり範鴫的な意味での前貸可変資本と一回転期間中に 占める生産期間の比率との積に等しい充用可変資本を意味するものと理 解されるべきである。それゆえに、流通期間無視の想定に立つ第一六章 での前貸可変資本がその実範鴫的に厳密な意味での前貸可変資本と流通 期間を含む回転期間中に占める生産期間の比率との積に等しい充用可変 資本を意味するものとして理解されるべきであるとすれば、そこでマル クスが定立した剰余価値年率の定式 ぶ   ゝ   鼎目許際萱浄家路帥  営諒回料節外・漣浄ま蔵斜・回弟勁 −       11−  游拗回料節外  −      き諒回料湾外 1 1 vm' -n ︱  V 1        ︷︸ は流通期間を含む回転期間の重層的展開の上に成り立つ連続的生産形態 の下では厳密には 1 1 と理解されるべきことになる。というのも、剰余価値年率Mの二つの規 定要因のうち一方の分母にはいる前貸可変資本は名目上そのままで正し い半面、他方の分子にはいる年間生産剰余価値量は充用可変資本と剰余       価値率と年生産期間数の三者の 第3図 前貸可変資本(V)の回転運動

ご?S

辞r回a ■・i 投下幽V回収 遊離 積に等しく。  Ξ=v≫m' -n︵コ=0 ︶ に代わって  K=訃に・く■m"n︵n=︱ マ︶ として規定されねばならないか らである。︵第3図︶。つまり、 第一五章と第一六章とを体系的 ・統一的に理解する立場からい えば、第一五章ではその固有な 課題として一回転期間中に機能 する生産資本が前貸総資本より 必然的に小さくなるという一つ の経済法則が定立されI  ﹁o十く▽゛﹂  ﹂゛︵り十こ1、 第十六章ではこれを受けて年間 剰余価値量と剰余価値年率とが  M =卜v-m ・n︵n =卜︶ として規定されたということができる。    `︶+z p  M、=八八刈・ヨ、ら﹁ロー﹂ベレ︶ それゆえに、第一六章での年 間剰余価値量あるいは剰余価値年率をもってza十でヨ、・ロ︵ロ= 1 tffrc N。K <.r= -i^ '^^r^ ' ^、。/!、!y.︱//一ノfイー一、XT P+N     。−・ 叩︶あるいはぶヽ=斗・m' '11︵ P ︶と規定して初めて、第  `I冷油回料湾外・型浄家蔵谷・賄蕪mfiiWi M'   =       游拗回料蹄料 ・ 4 一三  資本の回転と資本の価値増殖︵頭川︶

(14)

− 四 高知大学学術研究報告 第三〇巻 社会科学 一六章はc十ぺ▽こやぺ︵り十こという一つの経備七則を析出した第一 五章と論理整合的な関係に立つごとになるのである。なお、念のために 付言しておけば、剰余価値年率という概念は、‘前貸可変資本の回転と年 間生産剰余価値量との関係の分析か連続的生産形態の基礎上での資本の 回転と資本の価値増殖との関係の分析における不可欠の構成要素をなす ことを認める限り、前貸可変資本の回転と年間生産剰余価値量との関係 そのもののに内包されそこから必然的に導出される概念にほかならな い。なぜならば、前貸可変資本の回転と年間生産剰余価値量との関係と は前貸可変資本Vの年間生産剰余価値量かふ・ヨ、6に対する比率と 同義であるからである。﹁剰余価値の年率、すなわち、一年間に生産さ れる剰余価値と前貸総可変資本︵一年間に回転する可変資本とは違うも の︶との比較はけっして単に主観的な比較ではないのであって、資本の 現実の運動そのものがこのような対比を生じさせるのである。﹂ ︵﹃資 本論﹄u、三〇八ページ、傍点Iマルクス︶  かくして、われわれは、前節と本節に亘って、﹃資本論﹄第u巻第二 篇の核心部分を形成する第一五章と第一六章の体系的理解を構築する立 場から資本の回転と資本の価値増殖との間に潜む固有な本質的関係を分 析して、一方では前貸総資本が一回転期間中に機能する生産資本より大 になり他方で前貸総資本の一部分に限定された生産資本の可変部分のみ が年間に生産される剰余価値の直接的な母胎をなすにすぎないという連 続的生産形態の下での前貸総資本の回転運動に内在する一つの固有な経 済法則を論理的に導出したのである。翻っていえば、われわれは、はし かきにおいて、連続的生産形態の下での資本の回転と資本の価値増殖と の関係如何という課題が一回転期間中に価値も剰余価値も形成されない 資本の形態的諸変態に要する流通期間が含まれている点に規定されて生 じる固有な課題であることを指摘したが、これまでのわれわれの分析は 次のことを回帰的に指し示す。すなわち、一方で前貸総資本が生産資本 より大になり他方で前貸総資本の一部に限定された生産資本の可変部分 しか剰余価値を生みえないという連続的生産形態の下での前貸総資本の 回転運動に内在する事情は、一つの回転期間中に資本の形態的諸変態に 要する流通期間が含まれる点に起因する資本主義的生産に固有な経済法 則であるから、一回転期開か流通期間を含むことから必然的に生じる一 つの経済法則の析出をもって中心内容とする資本の回転と資本の価値増 殖との関係についての分析は、資本の実質的変態と概念的に峻別される    sis%s s %sx sislべき資本の形態的諸変態そのものを分析対象とする資本の流通過程論の 固有な内容を形成する、と。  ︵︱︶従って、流通期間を含む回転期間の重層的展開のうちに成り立つ連続的生    産形態が資本主義的生産の典型的な生産形態である以上、従来の解説轡にみ    られるようにヽ剰余価値率「と前貸可変資本の年間回転数コマト︶と       ssss      り+N   の穣ヨ、ロによって剰余価値年率を︸般的に規定することは理論的厳密さを    欠くといってよい。けだし、剰余価値年率をもって剰余価値率と前貸可変資    本の年間回転数との積と規定することは前貸可変資本がI回転期間中にすべ    て剰余価値生産に携わるという想定に立つことに等しく、これは断続的生産    形態において通用しても連続的生産形態の想定と矛盾するからである。因み    に、マルクスは、年間充用可変資本を前貸可変資本で割って前貸可変資本の    年回転数を算出する﹁平均計算は、ただ剰余価値の生産だけを問題にするこ    こでは、絶対に正確である︵これは年間剰余価値八mを前貸可変資本とその年    回転数と剰余価値率の積としてあるいは剰余価値年率を剰余価値率と前貸可    変資本との積として計算する方法を指すI頭川︶﹂ ︵﹁資本論﹂Ⅱ、二九八    ページ︶が﹁別の観点からすれば完全に正確ではない﹂︵同ページ︶あるいは    ﹁それは資本家の実際目的のためには十分であるか、すべての現実の回転事    情を正確または適当に表現してはいない﹂ ︵同ページ︶とのべているか、こ    れは、剰余価値率と前貸可変資本の回転数との清として剰余価値年率を規定    する場合そこには連続的生産形態か内蔵する回転期間︵流通期間を含む︶の    重層的展開という事情か概念的に無視されていることを指し示す。

(15)

三 年利潤率の定式化  われわれが前二節で展開したように、資本主義的生産の最も一般的な 生産形態が連続的生産形態である限り、資本の価値増殖度合の経済学的 分析はあくまでも連続的生産形態の下での前貸総資本の回転運動の実際 的展開に即してなされねばならない。従って、資本の価値増殖度合の概 念的表現である年利潤率の定式もまた連続的生産形態の下での前貸総資 本の回転運動との厳密な照応関係を考慮して構築されるべきである。そ して、﹃資本論﹄・第Ⅲ巻第一篇第四章﹁回転か利潤率に及ぼす影響﹂こ そはまさしく連続的生産形態の下での前貸総資本の回転運動との関連に おいて年利潤率を定式化すべき箇所にほかならない。ところか、﹃資本 論﹄第Ⅲ巻の﹁序文﹂で明らかにされているように﹁第四章は表題があ るだけだった﹂ ︵﹃資本論﹄Ⅲ、コーページ︶ためにエングルスがマル クスに代わって第四章の全文を書き上げたのであるが、﹁回転か利潤率 に及ぼす影響、という点は決定的な重要性をもつ﹂ ︵同ページ︶という エングルスのそれ自体としては正しい理解に反して、エングルスによる 年利潤率の定式tヽ卜よ準キは連続町生産形態ではなく断続的生産形 態つまり前貸総資本が全額一挙に生産過程に投下され流通期間中は生産 過程がストップするという特殊な生産形態を想定してつくられた年利潤 率の定式にすぎないのである。そもそも﹃資本論﹄第n巻の論理次元上 では連続的生産形態の基礎上での資本の回転と資本の価値増殖との間の 内面的関係を分析しながら、﹃資本論﹄第Ⅲ巻の論理次元に上向するや 連続的生産形態の想定を破棄して断続的生産形態の下でのみ通用する年 利潤率の定式をつくるとすれば、連続的生産形態の下での資本の回転と 資本の価値増殖との関係についての﹃資本論﹄第n巻第二篇の分析のも つ意味が不明瞭になるばかりか、ひいては連続的生産形態をもって資本 一五  資本の回転と資本の価値増殖︵頭川︶ 主義的生産の一般的形態とする﹃資本論﹄第n巻全体に貫く一貫した 大前提か覆される恚いう﹃資本論﹄体系上の前後撞着が生まれることに なる。しかし、年利潤率が連続的生産形態の下での前貸総資本の回転運 動の現実的展開に即して定式化されねばならないのに、現状では断続的 生産形態を事実上想定した﹃資本論﹄第Ⅲ巻第一篇第四章におけるエン グルスの年利潤率の定式t、トヱJ∼万が暗獣のうちに承認されて、エ ングルスの年利潤率の定式にとって代わる連続的生産形態の下で通用す る年利潤率の定式か提出されていないのである。そこで、本節では、﹃資 本論﹄第Ⅲ巻第一篇第四章において本来定式化されるべきであった連続 的生産形態の下での前貸総資本の回転運動を概念的に反映した年利潤率 の定式を構築する。  先ず﹃資本論﹄第巻第一篇第四章においてエングルスが規定した年 利潤率の定式を掲げれば以下の通りである。  ﹁1。1 nr=-=^nir.M ^ n。l^ ;-。^l V-m' V ・ m、 ﹁年間利潤率の定式︵り、C c+v 頭川︶ が厳密に正しい ものになるためには、単純な剰余価値率のかわりに剰余価値の年率を、 つまりmのかわりにMまたはm'nを置かなければならない。言い換え れば、mすなわち剰余価値率にIまたは、結局同じことになるが、Cに 含まれている可変資本部分Vにlnすなわちこの可変資本の年間回転数 を掛けなければならないのであって、そうすれば、り、=ヨ、ロ巾が得ら れ、これが年利潤率の計算のための定式になるのである。﹂︵﹃資本論﹄ Ⅲ、八四ページ︶ そこで、エングルスの年利潤率の定式t、=mにv-n (コ  .‘.  ....1どう﹃、!、..!⋮⋮‘   Q+く  .  り+N、 に着目すると、年利潤率を規定する二つの要因のうち一方の分母の前貸 総資本には前貸不変資本︵c︶と前貸可変資本︵V︶のすべてが計上さ れ、他方の分子の年間生産剰余価値量は前貸可変資本︵V︶と剰余価値 と規定されていることがわかるが、エングルスの年利潤率の定式におけ

参照

関連したドキュメント

︵逸信︶ 第十七巻  第十一號  三五九 第八十二號 ︐二七.. へ通 信︶ 第︸十・七巻  第㎝十一號   一二山ハ○

緒 言  第圏節 第二節 第四章 第一節 第二節 第五章 第口節 第二節第六章第七章

︵人 事︶ ﹁第二十一巻 第十號  三四九 第百二十九號 一九.. ︵會 皆︶ ︵震 告︶

      ︾+跨切

︵原著及實鹸︶ 第ご 十巻   第⊥T一號   ご一山ハ一ご 第百十入號 一七.. ︵原著及三三︶

︵原著三三験︶ 第ニや一懸  第九號  三一六

経済学の祖アダム ・ スミス (一七二三〜一七九〇年) の学問体系は、 人間の本質 (良心 ・ 幸福 ・ 倫理など)

〔追記〕  校正の段階で、山﨑俊恵「刑事訴訟法判例研究」