社会科における知識の評価(そのII) : 発展する知識の構造とその評価のための視点
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(2) 21. 社会科における知識の評価(そのⅡ) contradiction) 4) Direction Analysed. of the. knowledge,. then. developlng. knowledge.. 1.. Wbetber. 2.. What. element 3.. of. the. among 4.. As. study. the. social. one. these in. the. the. are. be. has. to. presented. or. gotten. the. about. by. made. the. evaluation. subjective. the. of. operation.. background,. or. outline,. developing. the. examine. for the. the. and. and. oneself are. theories,. or. movements. prlnCiples. of. relatipnships. facts.. the. recognlZe. view-points near. to. of value). e氏ciency. facts.. of social. facts. (direction its. view-points. one. understands. elements. social. four. knowledge. develop. judged. and. knovledge. the. of. one. How. between. it is. to. points. followlng. the. kind. How. knowledge. four. these. between relationship as an individual.. only. our. social. they. assumptions. facts. should. and. be. human-being,. tested. by. and. practical. future.. 目. 次. 1. 序. 2. 意味追究の論理. 3. 社会認識の発展. 4. 発展する知識の構造. 5. 発展する知識を評価するための視点. 1. 序. わたくしはすでに発表した論文「学習の転移と発展+1)において,転移をめざした学習 は,転移をひきおこす内発力に注目したとき,その本質において発展するものであること を指摘した。すなわち,教材と学習者との関係を厳密に追いかけていき,どこに学習を連 続させるエネルギーが潜むかを明らかにしていった結果,つぎの三点に集約されたのであ る2)0 1. 発展する学習は主体的である。. 2. 発展する学習は豊かな内発力をもつ。 発展する学習は弁証法的な連続である。. 3. この過程には,すでに"知識”という学習の成果が断ち切り難い連関をもって登場する のであるが,そこでは,ついに"知識そのもの”のあり方を分析することほなかった。そ こで本論では,この知識を,発展する学習に対応する"発展する知識”として措定したう えでその構造を明らかにし,そこから知識評価の主要な観点を導出することにする。その 場合,発展する学習にそのまま対応させるならば,. (1)主体的な知識,. (2)内発力の豊か. な知識, (3)弁証法的な知識,というpatternが出てくるのであるが,ほたしてこのよ うな知識観が成り立つものであろうか。ここに,わたくしの具体的な問題意識がある。 さて,それでほ発展する知識の構造を明らかにしようとする場合,どのような方法をと るベきであろうかo一般的にほ,知識は認識の成果であるだけに,認識作用との関係で論.
(3) 22. 山. 田. 勉. じられるのが自然であろう。しかし,わたくしがここでとりわけ重要視したい方法は,学 習を事象の意味追究と考える立場から,当然の帰結として,発展する知識を意味追究の発 展に対応させていくことである。そのうえで,認識作用一般の発展段階をも射程内にとり こんで提示したいと思う。. かくして明らかにされた発展する知識の構造をふまえて,つぎに,知識評価の視点を設 定する。こうして設定される視点ほ,いまだ仮説の段階であって,今後,授業分析やテス ト分析を通して,実践的,実証的に検証していくつもりである。 2. 意味追究の論理. これから考察しようとする発展する知識はその機能面から言えば,連続を多角的にひき おこし,転移し得る新しい場をかぎつける以上に,それを呼びおこすものであって3),そ こに,学習の連続性を保証する学習発展の主体的必然性が依拠するものである。すなわち, 知識そのものを完結的・孤立的に閉鎮されたものとみるのではなく,逆に多くの触手をも ち,常に他との関連を求めて動く. dynamicなものであると考える。このような知識であ. ってみれば,その本質,構造を明らかにしようとするわたくしの意図からすれば,その知 識の成立と発展の過程に即して考察するのが,最適の方法である。しかも,その成立過程 も,知識を獲得する主体が知識内容の構成要素である客体,すなわち社会的事実をいかに とらえ,とらえたものをどのように知識化していくかの過程に照明をあてることがどうし ても必要である。. そこで,哲学論としては古い"愛知”の構造,すなわち,人間が知や知識を求める最も 基本的な型にたちもどるところを考察の原点としたい。すなわち,愛知としての哲学を展 開したPlatonによれば,. Sokratesがメノンとの対話において「--ほ何か+という問. いのもつparadoxをつぎのように解決したという。 今, 「Ⅹは何か+と問う場合, なわも,. sopbistの考えによれば,問うことが不可能になる。す. Ⅹについて何も知らなければ,. Ⅹについて問うことができないし,. Ⅹについて知. っていれば問う必要はないということになる。すなわち, Ⅹを知っている。 Ⅹを知らない。. ・---I--------------・-・-------I(1). というparadoxicalな帰結になってしまう。そこでSokratesほ,この(1)の二つの命 題が互いに両立したとき・にはじめて「Ⅹは何か+. という問いが成立すると考え,問題は. 「知る+ということの意味が異なるのだと考える。. そこで,. のもつparadoxはつぎのように置きかえられて, Ⅹをあいまいな知り方で知っている。. Ⅹを誤まりのない確実な知り方で知っていない。. Sokratesによれば,この間い. 矛盾が解消されるのである。. )---・-------・-・-(2). この解決の仕方は"知る”という知的活動に,またその結果としての知識に,次の二つ の異なった"知る”あるいほ知識があることを示している。その一つは,非常に感覚的な 経験に由来する,漠然として恐らくは不正確な知り方であり,他の一つほ,理性的で確実.
(4) 23. 社会科における知識の評価(そのⅡ). な検証によってその真理性が立証されている知り方である4)0 この二つの知り方を,これから考察を深めようとする意味追究の面から表現してみると つぎのようになる。 Ⅹという事実を示すことばを知っている。. ------・①. Ⅹという事実のもつ意味を明噺判明にほ知っていない。 すなわち,. -②. --------・(3). Ⅹという事実に対応する記号としてのことばほ,どこかで聞いたり見たりした. ことがあって知っているが,その記号のもつ意味すなわちⅩという事実の現実について,. 明噺判明な認識がないということである。 ②はその到達点における知り方を示してい この①ほ,意味追究のための出発点を示し, る。そこで,意味追究の論理とは,この二つの段階の間をいかに充填していくかという, 連続の論理になるわけである。それほまた, ①にとどまるⅩについて?知識が,いかにし て⑧に到達するかという,知識の発展の過程の論理でもある5)0 さて,いよいよこの過程を明らかにしていかなければならないのであるが,まずほじめ. に,その過程を考察するために必要な立場について触れなければならない0 一般に意味を追究しようとする場合,事実そのものの存在をしだいに明確にしていく方 法がとられる。それほ事実に正確に対応する言語表現の形式をとり,内容的には,法則性 や因果性をもってとらえられるものである。それは,近代以後の科学に着実な成果をもた らした方法である。また,認識論でよく問題にされる,主観と客観の相互規定性を苛凱克と して上の問題に迫ることもあろう6)。しかし,ここでは,科学論でも認識論でもなく,む. しろ,学習によっていかに知識を獲得し生み出していくかという意味追究の論理を明らか にする立場をとりたい。この立場は,科学論,認識論,存在論その他多様な存在と認識を めぐる立場と全く異なるものでほなく,それらをふまえたうえで,教育論,学習論,教育. 認識論というような意味あいで考察を進めるものである。 Ⅹという事実の存在ほ,それに対して問いをもつ人間にとってのみ真の存在となり得る。 ただし,その間いの成立は意識が存在より先行するという定形において発生するものでは ない。存在の周辺,存在との関係にある他の存在と,いかなる関係を主体がもってきたか という主観一客観閲係の在り方に,問いの発生の根拠があるというべきであろう。この Ⅹという事 ような問いを,主体に対するⅩという事実の最も原初的な意味とするならば, 実の有意味化の可能性は,それが知識を求める人(主体)の知覚にとらえられたときに開. かれるということができる。知覚にとらえられるためには,主体がその事実に何等かの関 連をもつ他の事実について,ある関心を持っていなければならない。またほ,その事実が, 主体にとって,過去のすべての経験とは全く異質の驚くべき事実,あるいはまた,予測で きなかった事実であるというような,過去の事実との間に消極的な関連をもっていなけれ ばならない。すなわち,. Ⅹという事実は,積極的にしろ消極的にしろ,主体の認識活動と. の関連においてのみ,知覚によってとらえられることにな'る.ここに本格的な意味追究の Ⅹという事実を,過去の経験,学習で得た知. 前段階がある。それほ別のことばでいえば,. 識といかに異たり,どこが類似しているかという,極めて単純な関係において意識する段.
(5) 24. 山. 田. 勉. 階である。. Ⅹという事実についての有意味化の可能性がこうして開かれた後の意味追究の第一段階 ほ,. Ⅹという事実の真偽問題である。すなわち,前段階においてほ,. Ⅹという事実ほ主体 にとっては全くぼんやりとした輪郭をもつ存在として映るに過ぎない。この不明確さは, かえって主体の疑問をかきたて,その存在の輪郭と内実とを明瞭にしようとする活動をう ながすことになる。この輪郭と内実とを明瞭にとらえようとして,はじめに追究されるの が,その事実が確実に存在したか否かということである。同時にそれほその事実が現象的 に確実であるか否かの追究にもなるのであって,交通事故における現場検証にもたとえら. れる性質のものである。こうして,事実の輪郭がその判然さを増すことによって,事実が 存在することの真なることが明らかになれば,事実のもつ意味追究の地平が無限に開かれ ることになる。なぜ,. Ⅹという事実が存在したのか,どうして,とらえられたような事実. となったのか,また,その事実によって,他の事実が時間的空間的にいかなる影響を受け. るかなど,様々な問題が事実のもつ意味として追究されることになる。これがⅩという事 実を社会・歴史・心理的に追究することである。こうして,. Ⅹという一つの事実の意味は. 無限に拡大し,拡散していく。そして収赦されるのを待つ。交通事故の事例一つをとって みても,この段階でほ,どのようにその意味限定がなされるかわからないのである。それ. ほ単なる物理的事故として調査され,様々の角度からの意味づけを待つという形である。 こうして,. Ⅹという事実についての意味追究の第一段階ほ,その事実の真偽がいわば物. 理的に確認され,その事実の社会・歴史・・[J理的追究を待つ段階ということができる。し. たがって,ここでは,事実に対応する記号が事実との関係において定着するのであって, まだその事実にいかなる意味が付与されるかは未確定である。したがって,その事実に対 応する知識も,まさに記号-系統化された命題としてでほない. としてであって,意. 味ある知識の組織ほ形成されていない。 意味追究とほ,意味の限定であるともいえる。無限定の意味,それほ無意味と同-であ って,そこから何らかの限定が加えられてはじめて,ある意味が成立する。 この意味限定ほ事実の輪郭を明瞭にしようとして,その事実を認識の対象とした主体に 対する事実そのものからの問いか桝こよって開始される。もちろん,その間いかけを問い かけたらしめるのほ主体である。それは,. Ⅹという事実をなぜ認識の対象としたか,その. 点が主体にとって意識的におさえられていないと,. Ⅹという事実は輪郭以上の何ものにも. なり得ないからである。それほⅩという事実を認識の対象とするところの主体による, への志向性に対する対象からの反作用と考えてもよいであろう。つまり,. Ⅹ. Ⅹという事実の. 存在が主体にとってどんな意味I-関係-があるかという意味限定がここから生まれる わけである。. Ⅹという事実の意味を追究する主体を今Aとするならば,このAの存在そのものも,実 ほⅩにおとらない社会的存在である。様々な社会的連関のうえに,ある輪郭をもって想定 されたⅩという事実は,個体としてのAの存在を,その連関要素のひとつのelementと して(むしろmomentと考えることが望ましい)包みこんでいるし,. Aの目的志向的行.
(6) 社会科における知識の評価(そのⅡ) 為によっては,. 25. Ⅹのもつ意味を変える可能性さえあるということができる。すなわち,こ. の段階では,すでに主観-客観関係ほひとつのきづなとして相互規定関係を形成しつつ あるわけであるoこのⅩを認識の対識として,主観-一客観閲係の成立しているAの立場 を,. Ⅹに対するAの主体性ということができる。. こういう主観-客観関係のなかで,. Ⅹという事実をAがいかに主体的に受けとめるか. というところに,第二の意味追究の段階がある。ここでは,真であることが確認されてい るⅩという事実が主体の立場によって意味づけられていく。身内の老が被害者である交通 事故と,市井の-偶にたまさか遭遇した交通事故とに対する姿勢に大きな相違が生じるの ほ,つとに明らかなところである。また,このような交通事故絶滅のために日々車体の改 善に苦労している者と,同じことに努力を重ねながらも,それを医学的にあるいは医療的 に,被害者の更生に当っている者とほ,事故に対する姿勢において強い共通性をもちなが らも,その意味づ桝こかなりのずれが生じるであろう。これらほ,いずれも主観一客観. 関係の主体性における意味づけの違いである。 このように,. Ⅹという事実の意味追究の第二段階ほ,それを認識する主体にとっていか. なる意味をもつかということを,主体が主体性を基塩に追究する段階であるということが できる。. この第二段階における意味づけも,社会・歴史・心理的追究がより深まると,その主体 に対するⅩという事実の問いかけがますます深まり,いわゆる主体性は,個別性をのりこ えたものになっていくと考えられる。すなわち,交通事故の単なる目撃者と技術者と医学. 者とtberapistとの間に,特殊個別的な関心をのりこえた連帯性が生じる。それほ,特殊 個別的主体性の超克としての,より異なる主体性の確立ということができるであろう。こ. こに社会総体としての意味づけの可能性が開かれる。 しかし,この場合にも,共通性は単純に抽出できるものでほない。また,事実のもつ一 般性も簡単にとらえられるものでほない。ましてや,特殊個別主体の総和がその超克とし ての異なる主体性の母体になり得るものでほない。しかし,それにしても,ここでいう, Ⅹという事実の現 社会総体としての意味づ机いわば一般的意味づけがなされなければ, 実ほ明らかになったとほ言い得ない。そしてこの段階における意味追究こそ,明噺判明さ と体系性とを属性としてもつ知識が,必然的に求めるものであって,それがいかなる構造 や組織をもつかが重要な問題になるわけである。科学的認識や知識といわれるものほ,普 さにこの1evelでの意味づけを通して得られる認識や知識である。これこそⅩという事実 の意味追究における第三段階で,科学的に追究する段階ということにふさわしいものであ ろう。. 以上,意味追究を,ぼんやりとした輪郭を意識する前段階,真偽を究める第一段階,主 体的に受けとめる第二段階,科学的に追究する第三段階の四段階に分けて考えたのである. が,これほ,すべての意味追究がこの段階をこの順序で必ず通過するというほどのもので はない。それはあくまでも一般的に,ある意味では,仮構として設定されたもので,現実 の意味追究を分析する尺度ともいうべきものである。しかし,意味ある知識として体系化.
(7) 26一. 山. 田. 勉. された事実認識ほ,少なくとも以上の四つの段階に述べた意味把握が何等かの形でなされ ていなければならないということほ言えるであろう。 われわれが本考察の原点とした‥知る”ということ,また"知識を求める”という,い. わゆる"愛知”の構造と,この意味追究の四段階とを対比してみたとき,前段階の事実に ついてのぼんやりした輪郭をとらえる段階は, いう,. Ⅹという事実を示すことばを知っていると (3)の①に対応するものであり,また,第三段階の科学的に追究する段階ほ, (3). の②の裏返しであるところの,. Ⅹという事実のもつ意味を明断判明に知っているというこ. とに対応するものである。そして,. ①からいかにして②に移行するかという愛知の重要な 課題に対して,ここに意味追究という視点から,事実についての真偽の物理的確認とその 主体的意味づけという二つの過程を設定したことになるわけである。そして,とりわけ認 識における主観一客観関係において重要な認識主体が意味追究においても追究主体とし て確立されなければならないことを指摘したのである。 つぎに,この第二段階における,第一段階から第三段階に発展的に連続させ得る可能性. 杏,その構造において若干触れてみたい。 意味追究の第一段階においてとらえられる事実存在の物理的確実性は,前段階において, 主体が事実を漠然と意識したときにとらえられたそのあり方をつきくずすことになる。す なわも,その意識はそのままであることができず,とらえられていく確実性によって,い ろいろな方向へ変容していく。その過程をやや分析すればつぎのようにいえるであろう。 前段階において漠然と意識された事実存在が,その確実性を増していく間に,意識する 主体は,自己とのかかわりにおいてその存在性をつきと軌. 自己の生活の目的との関係で,. その存在をいかに目的のための方法的手段に転化するかの問題にこたえながら,事実存在 の意味を主体的にどこまでも追究していく。このとき,必然的に生じる対象としての事実 存在からの問いか桝ま,主体である自己の生活,すなわち,存在としての自己の確認が, 社会・歴史的関連や背景のなかで,どのようになされているかということである。この自 己を社会・歴史的存在として確認することは,実ほ,内なる自己を外において客体化した ときにほじめて可能なのであって,そこに,必然的に自己を超克した自己以上のものへの 自己の接近がなければならないのである。. この自己を越えることほ,実ほ自己から離れ,他との関係においてあらためて自己を見 直すことであり,ここに,客体である社会事実等の認識. 意味追究-の深化過程との. 相互規制的関係において,主体が登場し,かつその存在性が確立されていく理由がある。. このような自己超越的な自己の創出には,また,自己と他者との比較考察からとらえられ る一般性を媒介にしなければならない。それは,一般性を介することによって,はじめて 自己と他者の間にある同一性と差異性,類似性と対立性等が明らかになり,あらためて, 先にあげた客体との関係における主体の新たな創出が可能になるからである。 この,対象との関係のなかで登場し,一般性を介して成立する自己超越的な主体性の意. 識が,意味追究の第二段階から,その第三段階へと深まりいく契機となると考えられる。 それでほ,意味追究の第三段階を経過して獲得した事実についての知識ほどのような鏡.
(8) 社会科における知識の評価(そのⅡ) 能をもっているのであろうか。. 自己超越的な自己は,決してある特定の立場にほじめから最後まで固執するものではな い。社会的事実を追究する問にとらえられる一般性を介して,新たな統一のために自己の 立場をふり返えることのできるdynamicな自己であり,その事実と関連する他の諸事実 との関係をも包括するために,みずからを動かしていく,すなわち新しい統一を求めて動 いていく自己である。したがって,このような自己によって体系化される知識も,全く同 様なdynamicな体系をなしていなければならないほずである。 本来,知識ほ人間の判断・行為の根拠になる多様なdataを提示し,行為の方向を指示. する機能をもつものである。このような機能を時空を越えて常に果し得る知識こそ,現在 いろいろな角度から研究されている"生きて働く知識”であり,そのような方向-の知識 の再編成をはかるのが"知識の有機化”ということであろう。このような"生きて働く知 識”や"有機化された知識”ほ,決して断片的ではあり得ない。それは相互に関係づけら れた要素の集合としての組織を,さらにそれらが全体としての体系を形成しており,その 関係づけのあり方によって異なった働きをするものである。したがって,その関係づけの あり方を変換することによって,異なった目的のた捌こ,いつでも働くことのできるもの となる。このような知識は,新たに遭遇した問題事態がいかなるものであっても,その問 題事態にかかわる様々な情報を特定のchannelを通してとらえ,それに適確に対処する ことができる。すなわち,既成の体系をそのまま再現し維持することのできる能力をもっ たまま,新しい体系を流動的に構成していけるものである。このような体系をもった知識 こそ,生きて働き得る知識なのである。このように,事態に対処する体系を流動的に構成 するた捌こは,知識そのものに,問題にいかに対処するかという方法についての思考や能 力が備わっていなければならない.そのた糾こは,方法的思考・操作能力が重安な節や触 手となって個々の知識が組織化され,全体としての体系が構成されていかなければならな いのである。ここに,意味追究の過程を通って獲得される知識の意義がある。これに対し, 固定された体系のもとに組織された知識ほ,環鏡の変化とりわけ新たに発生する問題事態 に対応することができず,ある特定の目的のためにのみ順序づけられた閉鎖・固定的な系 をなすものであって,実際には断片的な知識と大差のない体系となっているのであるo 意味追究の第三段階を経た知識は,こうしてその主体性において極めてdynamicであ り,事実のもつ社会・歴史・・[J理的意味について多様な角度からとらえることができ,未 来において十分生きて働くものになっているということができるo 3. 社会認識の発展. Ⅹという事実についての意味追究が,その事実を認識の対象とする自己一主体の自己 超越的創出を核として科学的なものになることを述べたのであるが,この過程を,ここで さらに別の角度から考察し,発展する可敵性を豊かにもつ知識の構造model設定に進み たいと思う。. 社会についての認識は,自然認識などと異なり,自己についての認識と社会についての. 27.
(9) 28. 山. 田. 勉. 認識とがoマerlapするところに大きな特色がある。それは特色であると同時に,社会の認 識をゆがめていく可能性をもつ重大な障害でもある。この障害をいかに乗り越えるかとい うところに,意味追究で述べた段階的発展があり,さらに,知識が発展していく可能性も. ある。すなわち,社会認識の深化とは,対象である社会において,機能し生活している自 己,ならびに自己と社会との関係をいかに認識するかという点に焦点づけられて考えられ. るのであり,さらに,その焦点づけられた問題のなかに,認識の発展と方向があると考え られるのである。. そこで,意味追究よりほ,より直接に知識と結びつく社会認識の発展を,先に述べた意 味追究の論理を手がかりにしながら考察し,知識の構造を考える視座をもちたいと思う。 社会を認識する場合,常に基盤となるのは自己を中心とした社会の認識である。それほ いわば,主観的認識であるが,それだけに,自己の心情,利害関係等を認識の核として,自. 己の生活経験,すなわち社会に激しく衝突したり,受け入れられたりするところに存立す る社会的関係をとらえていこうとするだ桝こ,極めて強烈で,情動的であるということが できる。このような社会認識ほ,意味追究の論理からいえば,前段階から第一段ド削こ相当 するもので,真の社会認識からいえば,まったく漠としており,しかも部分的でしかない。. そこでとらえられた社会像は,自己の像と混同をおこし,自己の考えに普遍性や権威を 認める結果になる。そして,社会関係から生起する自己の利害関係を社会のなかにあるも のとして認め,そこから,自己が社会に期待する.ことまでも,真なる社会的事実であると 思いこむことも生じやすい7)0. このように,自己中心的,経験的,主観的な社会認識を,社会認識における第一段階と しよう。. この第一段階から次の段階へ発展するた捌こほ,この社会認識がなんらかの方法で否定 されていかなければならない。. この否定の契機は,まず自己を再認識することである。すなわち,経験的,主観的な自 己を否定し,そのような自己を中心に組織されてきた社会についての個々の知識が否定さ れることである。このような否定は,社会についての既成の知識をもってしてほどうして も説明できない事態に直面したり,どうしても既成の認識の方法でほ納得できないような 事態に追いこまれたりしたときに,その可能性が広がり,そこに,自己の社会認識と社会 との矛盾が現実化するのである。社会が自己の予想し期待した方向-動いていかないとい う現実の認識などは,まさに,この自己と自己中心的社会認識の否定-の可能性を豊かに 含む突放である。. 自己中心的な自己から新たなる自己が創出されることほ,意味追究の論理でも述べたが, ここで,それをもう一度社会認識の角度から見直しておこう。 自己の社会認識と現実の社会との問に横たわる矛盾に気づいたとき,どこがおかしいか まず検討されるのほ,社会の動きそのもののとらえ方に誤まりはないだろうかということ である。自己の認識が誤まりゆがんでいる現実ほ,なかなか考え及ばないものである。こ うして,もう一度,二度と新たなるdataに基づく分析を加えて,そこに新しく発見する.
(10) 29. 社会科における知識の評価(そのⅡ). ものほ,社会のなかで,さまざまな利害関係を原理として動く自己の像である。その周辺 にほ,同じ階層の集団,共通の利害関係で動く集団,そして,それらをとりまく他の様々 な集団や組織,労働,生産関係等々が,それぞれ緊密にまた複軌こからみ合っている。こ の社会を自己ならびに,なんらかの原理に拠って分化された諸集団や諸力の統一体として 認識することは,自己を社会において見ることであり,自己の立場を新たに認識すること になる。. 自己を一つの立場として考えたり,また,ある立場に立つ自己を認めたりすることほ,. 自己中JL、的自己から解放された認識の形態である。この自己の立場を,社会的事実の追究 につれて,また追究を展開するために,転換していくことほ科学的社会認識に固有な相対 性のあらわれである。. このような自己の否定を媒介にして,社会についての認識の客観性ほ高まる。それは, 自己がその内にあり機能する社会を,経験的自己から切り離して距離のあるところにおき, より自然認識に近い方法で科学的に認識することになり,主体的認識という面では一段と 高度で立体性を増したものである。こうして社会ほ,どこまでも個性的志向性や利害関係 のなかで,目的的行為に徹する人間諸個人の集団としてとらえられてほいるものの,科学 的分析の対象としては,全体の自然的過程,すなわち,独自の法則性をもって運動する客. 観的過程としてとらえられ,それを納得していく。このように社会を認識する自己を,香 観的自己と名づけておこう。 この科学の相対性をさとり,社会を自然的過程としてとらえようとする客観的自己なら びにその社会認識も,遠からず否定されていく。それほ,自然過程のなかでうごめく自己 自身の現実性についての認識から,生活者としての自己の現実を見つめることになり,そ れがさらに,新たなる自己の再発見につながるからである。すなわち客観的に見つめる自 己は,自己が生活していく理想や理念,ならびにそれらの実現という点からみると,その 理想や理念-の志向性があるにもかかわらず,ただ社会の自然的な運動法則に巻き込まれ, 自己の足場を失い,大きな流れに抗しきれずに押し流されていく,疎外された自己を発見 することになる。. このような客観的自己による社会認識は,再び自己に問いかけ,自己否定をうながし, 実践的自己-の脱皮を迫る。実践的自己とほ自然過程としての社会の動きに,竿さし,自 己の求める方向にむかって,すなわち自己実現にむかって社会に働きかける自己の姿であ る。それは,社会的存在としての自己,社会との関係を実践という1evelで保持する自己, また,その実践の方向を法則的な社会認識のもとに定めていく自己である。このような自 己こそ,まさに認識主体としての自己と,認識対象としての自己の統一された姿である。. しかし,こゐように高度な自己ならびに社会認識ほ,再び自己め実践の意図とその効果 等における矛盾に着目することによって,また素朴な自己確認にもどるように憩われる。 しかし,それは決して当初の自己ならびに社会の認識そのものに回帰することではない。 それほ質的に大きく変わった,すなわち発展した自己であり,社会の認識である。そして, 再びかつて経験したものと似て非なる発展の道をたどるのである。.
(11) 30. 山. 田. 勉. 以上考察してきた社会認識の発展は,ほとんど先の意味追究の第二段階,第三段階に対 応するものであるが,それほあくまでも原則論であり,現実にほ,. cycleの長短や,段階. の飛躍や重複,繰り返し,異質なもの-の発展など様々な変種があるほずである。また, 認識の成果と.して形成され組織される知識は,この認識の発展とともに形成され組織され るものである。したがってこの認識の発展と知識の組織化との関係に注目するとき,発展 する知識の構造modelの視座が明白になってくる。以下その追究に移ろう。 4. 発展する知識の構造. 今までの認識に関する考察によって,発展する知識にとってまずもって明らかにしなけ ればならない視点は主体性の問題であるということが明らかになった。主体性とほすでに みたように,自己ならびに社会の認識を否定的に発展させていく主体のもつ主体性であり, 知識の所有者として,すなわち社会の諸事実に対応する個々の知識を組織し,さらにそれ を全体としての体系に構成するた捌こ必要な,諸要素の関係づけの中核となるところの, 環境・社会・自然等に対する主体のあり方である。要するに,知識を自己のものとして獲 保し,自己否定を介して発展させ,さらに新しい認識に対応させて再組織化をはかること の可能性が,知識と主体とのかかわりによって決定されてくるのである。したがって,発. 展する知識の構造modelを設定しようとする場合,土の主体性が先ず明らかにされなけ ればならない重要な視点だということができる。. つぎに考えなければならないのは,知識が自己と何とのかかわりによって組織されたも のかということ,すなわち,いかなる事実を認識することによって形成されたものかとい う,認識の対象であって,知識に対応している社会的事実の視点である。ここでほ,これ を知識の対象という表現でおさえておきたいと思う。これほ認識が主体としての自己なら びに自己を含む客体をとらえ評価していくことであるならば,その結果として組織される 知識を考える場合当然重要な視点といわなければならない。この場合,主体と客体との関 係の発展,すなわち先に考察した意味追究や認識の段階によって,認識の対象としての可 能性を共通にもつ社会的事実が,知識としてほ全く異なるものになることを忘れてはなら ない。つまり,知識の対象は常に認識の対象すなわち社会的現実そのものと同一でほない ということである。. つぎに知識を発展という概念で考えようとする場合,その知識が発展する情況を,発展 の過程ならびに方向として動的にとらえる視点が必要である。 以上の視点を総括すると,つぎのような知識構造model設定のための視座が設けられ ることになる。. (a)主体としての人間が知識のなかでどのような機能を果しているか。 (b)いかなる対象をどこまで深くとらえている知識であるか。. (人間の介在). (理解の様相) (c)知識を発展させる要因としていかなるものを含み,その可能性はどうだろうか。 (矛盾の意識). (d)知識ほどの方向-むかって発展するだろうか。. (価値の方向).
(12) 社会科における知識の評価(そのⅡ). 31. これらの視座の基盤には,知識における主体性すなわち社会認識における自己の否定が どのようにすすめられるかということがある。以下この基盤のうえでおさえられる視座で,. さらにいかなる視点が考えられねばならないか考察をすすめてみたい0 (b)知識の対象一理解の様相一 教育の場で知識を問題にするとき,常にまた必ず取り上げられてきているのが,知識が いかに社会的事実を反映しているかということである。そこで,まず知識をその対象すな わち客体との関係においてとらえる視点の分析からはいることにする0 ① 社会的事実を輪郭のあるものとしてとらえている知識(現象的知識) すでにみたように,社会的事実の認識は,その事実を一つのまとまり,あるいは,その 輪郭を漠然と意識するところから始まる。そして,それを意識する立場ほ自己中心的自己 であり,したがって,その段階でほ対象の客観性が全く確立されていない。しかし,当該 の社会的事実を自己との直捷的なかかわりにおいていかにとらえようとし,かつとらえて いるかが最も鮮明に赤裸々に露出されるのである。 ② 社会的事実を関係づけ,そこに統一性を見出した知識(本質的知識) 社会的事実は複雑な諸要素が関係づけられて成立している。この関係づけの原理や,関 係づけの運動法則等を見出すことが事実の本質をとらえることになるが,この諸要素の関 係づ桝こ対応して形成された知識が本質的知識である。 ③. 分析・総合の操作を自主的に行なった知識(操作的知識). 対象との関係においておさえられる知識において,特に重要なものが,分析・総合とい う操作をしたうえで組織された知識であるか否かという点である。しかも,その操作ほ知 識の獲得老が,かりに他者,すなわち指導者や1eaderの指導と1eadがあったにせよ, 自主的に行なうことが必要なのであって,他者が分析・総合した過程と知識をそのまま注 入したものであってほ,ここでいう操作にほならないのである。 このように操作を伴ったところの知識は,今問題にしている社会的事実を,当初問題に した範囲内の事実にとどめることほない。知識ほ関係づけの原理や運動法則を求めながら, その事実を内包するところの,より広く,より大きな,より本質的な社会的事実の追究に はいり,その拡大.・深化した状況の中で,社会的事実を明らかにし,かつ全体の中での位 置づけをしていく。そしてこのような事実追究のたゆみない過程として,すなわち,常に みずからをみずからの必然的運動として生成・発展する知識となるのである。 ここにこそ,所与の組織としての知識ではなく, 知識,すなわち発展する知識の生命がある。. 、しだいに主体によって組織されていく. 以上を要約すると,対象という視点からみられる知識ほ,現象的知識,操作的知識,本 質的知識とよばれるような構造要素をもつ。とくに,それほ現象から本質把握にいたるた めの操作すなわち方法的思考や能力・技能の裏づけをもった知識を,その発展のための契 機として,また過程としてもたなければならないのである。これが自主的になされなけれ ばならないところに,発展する知識の主体性が具現しているというべきである。.
(13) 32. (c)知的発展の過程. 矛盾の意識-. 知識がいかに生成発展するかということはすでに意味追究や認識の段階で述べたところ であるが,意味追究や認識の発展の段階は知識が発展する過程に相当するはずである。こ. こでほ,この発展の過程をひきおこすものに触れて分析してみたい。 ① 矛盾を内包した対象ならびに知識(矛盾の存在) 認識の対象ほ常になんらかの矛盾を内包する。それは単に存在そのものの内にあるばか りでなく,その存在することが他といかなるかかわりをもつかということにおいても矛盾 をほらんでいる。認識の対象においてこのような矛盾を内包することは,認識およびその. 成果である知識においてもなんらかの矛盾をもつことになる。この知識における矛盾の解 消に知的欲求があらわれ,対象における矛盾に対して,いかに働きかけるかというところ に実践のもつ意義がある。 ②. 対象と知識のもつ矛盾の組織化(矛盾の意識化). 対象が内包する矛盾は,主体によって意識されなければならない。また,この意識化は 知識のもつ矛盾を意識することである。こうして,矛盾の存在ほ意識化と並行して解消へ の努力がなされることになる。 ③. 矛盾の科学的追究とそれによって再組織される知識(知識の再組織化). ①に述べたことをもとにして,. ②の意識化ならびに認識の深化,発展,すなわち知識の. 発展ほ次のように考えられる。 前に述べたように,知識ほ対象との関係において,対象ならびに自己との関連でとらえ られる関係づけの原理を求めて次第に本質化する。この本質化の過程において,さまざま な矛盾が解消されていくのであるが,完全な統一性ほ実現しないであろう,もし完全な統 一が実現すれば,それほ愛知の終蔦を示し,したがって,それ以上の世界の発見がなくな り,知的世界はその瞬間をもって鎮された世界に転落してしまわざるを得ない.. 関係づけの原理を求めての統1-への動きが厳しくあればあるほど,最後に残された統一することの不可能な何物かを発見し得るはずである。この統一しきれないものと統一し得. た組織との問にある矛盾,これが社会的事実,すなわち対象のもつ本質と考えられる。こ の矛盾を,さらに組織を修正して統一しようと試みるところに認識の深まり,知識の発展 がある。. 知議の再組織の過程ほ,客体としての社会的事実の動きを主体がいかに受けと軌自己 の問題としてとらえていくかということにかかっている。それはそれ以前の社会的事実に. ついての認識を否定していくことであり,事実と自己との関係のあり方を根本的に考え直 していくことである。. (d)知識発展の方向. 価値の方向-. 知識の発展の方向は,当然のことながら発展の諸過程と常に同時にあらわれるものとし. て関係づけられていなければならない。知識が自己否定を介して発展するならば,その方 向は,先に考察したように,社会的事実の把握にからむ経験的自己から実践的自己の方向 へとむかうほずである。しかも,この方向を大きく視制するものとしては,発展の論理ば.
(14) 35. 社会科における知識の評価(そのII). かりでなく,知識を保持し発展させる主体のもつ倫理観や人間性,いわばEtbosをあげ なければならない。もちろん, Etbos・ほ社会に生き,社会を認識していく過程で形成され るものであるが,それが他方,その認識の方向を大きく左右するものなのでもある。 ① 自己との関係においてとらえられる価値(経験的価値) 極めてpragmaticなものであり,自己中心性のぬけきれない段階であるo ②. 自己の価値観の否定(自己否定). 経験的・自己中心的価値む羊自己否定を通して一段と高度な価値実現にむかう。否定のみ られない価値の移動は,単なる認識の過程にみられる立場の移動であって,本質的な発展 とほ言い難いものである。 ⑧. 実践を介して検証される価値(実践的価値). 価値の否定は,本質的には実践を通して行なわれる。そして形成されるのが実践的価値 であり,そこにEtbosが結合するわけである。知識も,この実践的価値との深いかかわ りをもって,その実現の方向-発展するものでなければならない。 (a)知識の主体性-人間の介在以上の考察ほ,知識が発展する動きに注目したものであるが,最後に,対象としての社 会的事実の最も重要な構成要素である人間については,知識の発展がどのようなかかわり をもつか考えなければならない。 ① 幸福を求める人間が社会的事実の中核であることの確認(生活者としての人間) 社会的事実を構成する人間は,生活する人間,労働する人間,目的をもつ人間として生. きている。その生きる自的のために社会的事実が存在し,構成されるというべきである。そこで,社会的事実を観察したり理解したりする前提として,人間ほ常にしあわせを求め て動いているという原則を承認しなければならない。 ② 個人や集団の願いと社会の動きとの矛盾(願望と現実との蔀離) 個人ないし集団がしあわせを求めて行為するということほ,その行為の結果すなわちそ れらの総体としての社会的事実が,人間のしあわせを保証するものになるということでほ ない。ここに先述の主観的自己の否定が存立するのである。 ⑨. 社会的事実における人間主体の発見と確立(主体性の確立). そこで,社会的事実を個別的人間の行為から剥離し,それ自体として追究したうえで, 人間の主観的意図との関連を明らかにするごとき,高次の客観的な事実把握が必要である。 それこそ,社会的事実における主体としての人間の科学的な認識であり,それを裏づ桝こ 第1表 経験的自己の世界 視. 一. 客観的自己の世界一実践的自己の世界. 点. 人間の介在 理解の様相 矛盾の意識 価値の方向. 生活者としての人間の確認 象 的 知 識 *現 矛. 盾. の. 存. 経. 験. 的. 価. 在 値. *願望と現実との轟離 *操. *矛盾 *自. 作. 的. 知. 識. の意識化 否 定. 己. 主体性の確立 *本. 質 的 知 識. 知識の再組織化 実 践 的 価 値.
(15) 34. 田. 山. 勉. してこそ,-実践主体としての人間の生き方が定まってくるのであろ。知識は,社会的事実 と人間との関係を{-こまでとらえたものでなければ,発展することはできないのである. 以上考察した発展する知識の構造を表化すると第1表のようになるo 5. 発展する知識を評価す畠たあの視点. 発展する知識の構造を以上のように考えると,こわ構造のなかで発展するか否かの鍵を にぎっているものは,認識の発展の第二段階の構造である。この構造がdynamicで強固 なものとして構成されれば,知識は第三段階-発展し,さらに,また一段と深まったつぎ の次元の第一段階への発展の可能性を豊かにもつことになる。したがって,子どもが獲得 した知識がはたして発展的なものであるか否かを評価しようとする意図8)からすれば,評 価の対象は当然この第二段階に集中しなければならないほずである。 ーまた,知識ほ対象としての事実を資源として構成されるものであるが故に,第二の視点 としてあげた知識の対象すなわち理解の様相も重要な評価視点となるはずである。 (前記 表において*印をつけたもの) さて,以上の知識構造の6断面ほ,認識のB那皆において共通の次元にあったり,知識の 対象であったりするために,やや共通の面すなわち交差・共有する面が極めて多い。そこ で,これを知識評価の視点にするためにほ,若干統合整理する必要があろう。 認識の発展における第二段階,客観的自己の世界がdynamicで強固なものになるため には,まずなによりも認識自体の主体性が確立されることが必要であることは,すでに述 べたところである。そして,その主体性は経験的自己の否定によって地歩を固め,さらに 客観的自己の否定によって,実践的自己の世界-突入するときに,その存在が顕示される のである。つまり,主体性とほ自己否定をmomentとしてもつときのみ,その其の意味 における存在が保証されるのである。 さらに,このような自己否定ということほ,すでに考察したとお■り,主体的な操作を介 してのみあらわれるのである。他律的な認識や注入される学習においてほ,自己の破たん をつくろい,皮相的な合理化が行なわれるだけであって,自己改革につながるところは何 もないのである。. したがって,評価の視点ほ,まず,主体性. 自己否定一操作的認識とつらなる一連. の中核的な知識の構造にむけられなければならない。 中核的ということは,この一連のものが,発展する知識の,いわば中心性を形成するも のであって,他のすべての視点をみる場合に共通に注目しなければならない視点であるか らである。評価としては,主体性. 自己否定一操作的認識という視点を,すべての評. 価楊面,評術内容につらぬかなければならないということになる。 つぎに考えられることほ,自己否定を生み出す機構を想起するときに容易に理解できる. ことであるが,自己中心的世界すなわち,社会的事実についての現象的知識がいかなるも のかということであるoそれは,真の意味で学習の目的にはなり得ないが,学習の目標, すなわち実践的価値がそこから育つものである。また,′学習者が自己の認識を高めるため.
(16) 社会科における知識の評価(そのⅡ). 35. の否定的契機,すなわち矛盾をそこからとらえるものでもあるoしたがって,それは既習 の知識がぐらつき,自己の立場を越えようとするためのSpring-boardの機能を果たすo それだけではなんの教育的価値をもたないものであるが,客観的世界がそこから開かれる だ桝こ重要視しなければならない。 現象的知識に意味をもたせるものが,そこからいかなる矛盾を学習者がとらえているか ということである。 それは主体的・操作的でなければならないことはもちろんであるが,この視点独自のも. のとしては,その矛盾を動的・相対的なものとしてとらえているかどうかが問題であるo. もし,矛盾を固定化してとらえるならば,社会的事実の把握が硬直化し,つぎの段階への 動きも定式化されざるを得ないo. ideology的,教条的といわれるのは,まさにこのこと. である。. また,社会的事実における矛盾の把握ほ,主観-一客観閲係においてなされるものであ って,社会的事実に内在する客観的矛盾と,主体の認識に内在する主観的矛盾とが相互に 規定しあって矛盾としてとらえられるものであると考えるoしたがって,社会的事実の本 質的把握ということは,この矛盾把握のなかにすでにあるわけで,いかなる矛盾をとらえ たかということが明らかになれば,学習者の認識・知識の組織化の状況をとらえることが できることになる。. 本質的把握といわれることは,よく言われるように,事象の法則性をとらえるというこ とだけでほない。その法則性を生み出す矛盾をどのようにとらえているかが重要なのであ る。そうでなければ,本質をとらえるということは,静的で定型化した事実の把握という ことになってしまうのである。それは,発展する知識の構造をとらえるどころか,死蔵さ れた知識の有無をとらえる視点に転落してしまうo そこで注目しなければならないことほ,学習者が現象的知識として保有する社会的事実 についての諸々の要素知というものをいかに関係づけているかということであるoiこの関 係づけのあり方によっては,矛盾が見えなくなることもあるし,その事実の動きの予測を 誤まる場合もある。つまり,矛盾を矛盾として適確にとらえられなくなるのである。 要素知の関係づけをみる時,落としてほならないものに,人間の介在性の問題があるo 自己を中心とした関係づけから,自己を越えた人間を中心とする関係づけ-展開する言のが, 認識の発展であるが,人間を中心にした見方ができるかどうかが,まず極めて重要な視点 である。戦後の高度成長産業政策や科学技術の発展の落とし子である公害ほ,両者が癒着 しながら,あるいは相互に補完関係を保ちながら,ついに人間を中心にすえることのなか った社会認識にその本源的理由があり,それが今日,矛盾の現実化とともに多くの人々の 目に映り出したわけである。知識はどこまでも,人間を中心に組織化されなければならな いはずである。 関係づけの中JL、に人間をおくことほ,矛盾をとらえるた捌こ必要不可欠であるばかりで. なく,それが自己変革,すなわち自己否定を生み出す根拠を生成するoそこには,自己中 ,Ll的世界から客観的世界-,さらに実践的世界の認識-発展するenergyが醸成されるの.
(17) 36. 山. 田. 勉. である。. 以上を要約すれば,発展する知識の評価視点ほ,つぎの4項目になる。 (1)主体的な操作によって獲得され形成された知識であるだろうか。 (2)社会的事実についての輪郭や,それを構成する要素について,どのような知識を もっているだろうか。. (3)社会的事実を構成する諸要素の関係づけの原理や関係の動きについての法則,と りわけそこにみられる矛盾をどのようたとらえているだろうか。. (4)社会的事実と人間,社会的事実と自己との関係をどのようにとらえているだろう か。. かくして,発展する知識を評価するための四つの視点,すなわち,主体的操作,要秦知, 矛盾,人間性を設定できたのであるが,これほ,それぞれが独立の対象領域をもつという ものではない。それらは,つぎの知識を求めて動くだけのenergyと方向性とをもった知 識であるか否かを見究めようとする視点なのである。したがって,以上の4点をこれ以上 細分することほ好ましいことでなく,つねにtotalな形で知識の状況をとらえることが望 一ましいであろう。. しかし,別の角度からは,やや分析的な表徴をいくつか挙げることはできる。例えば, (1)についていえば,他律的・自律的,受動的・能動的,解釈的・実験的,思索的・行動 的など,いずれも様々な操作がどの程度自主的であるかということをある程度表現できる。 しかし,これらの表現ほ,子どもの知識を実際に評価したときに出てくるものであって, 尺度として固定させることほ困難である。むしろ固定させることは,学習者の保有してい る知識を固定化させて評価する傾向をさえ生み出す危険をもっている。あくまでも,知識 のtotalな把握のうえにたって,その主体性はとらえられねばならない。 また,このことは,発展する知識の評価の方法も規定することになる。一般に評価ほ,. ある教授-学習活動のまとまりの場で行なわれるのが多いが,実は教授-学習活動の場で. 子どもをとらえ,教材選択や解釈を生み出していくための行為として規定されるのがより 本質的である。すなわち評価は子どもの学習が終ったところにあるのではなく,その学習 の頭初からの過程に位置づくものである。したがって,知識の評価はその知識を獲得し, 利鳳し,再組織をはかっている場をとらえてなされなければならないことになる。逆にい えば,このような評価によってのみ,学習の連続・発展が保証されるし,教授-学習活動 が過程として成立するのである。. 要するに,発展する知識を評価するための四つの視点ほ,授業の場において生かされる のが本来の姿であり,単元終了時に一括して行なうためには,くふうされた条件設定をし なければならないのである。. その条件とは,学習内容と類似した内容をもちながらも,学習によって獲得した知識を. そのまま投射しただけでは対応できない場に子どもを追いこむことである。その新しい場 に対処するとき,発展する知識をとらえることが可能になるほずである。 したがって,今後に残された問題ほ,視点を活用しながら,授業の分析と授業終了後の.
(18) 社会科に串ける知識の評価(そのⅡ). 芦7. 評価の分析とを対応させて,視点の検証を重ねるとともにより現実的で効果のあるテスト の類型を描き出すこと.にある。. さらにまた,このことは,教育が最終的にはひとりの人間を人間として形成していくこ とであることを思えば,学習者ひとりひとりの認識と,知識構造の評価というかたちで行 なわれなければならないことになる。そこからほ,評価結果の数量的処理よりも,むしろ 個性的知識を合理的に解釈していく方法が要請されるであろう。ここに今後採るであろう ところの授業分析とテスト結果とを関連づける,極めて実践的な研究の意義がある。 珪 1) 2). (そのⅠ )-学習の転移と発展一 横浜国立大学教育紀要第九輯「社会科における知識の評価+ 上記論文ではこの三点についてはつぎのようにその要旨が述べられている。 (1)発展する学習は主体的である。 学習を教材′のもつ意味を追究していく過程だと考えると,学習の発展は,学習者が教材との 間に多様なコミュニケ-ショソを連続的にしたときに成立するものであって,学習者自身のも のである。それほ他者から引継く小こともできないし,コミュニケーションを他者に依存しても できないことである。あくまでも学習者が教材を自己-の問いかけとして受けとめ,個人とし て理解し認識していくときにできるものである。かくして,発展する学習ほその完全な意味で 主体的でなければならない。 (2)発展する学習は豊かな内発力をもつ。 主体的な学習は教材との関係において,常に統一-むかう凝集的な力をもち,これがまた新 たなる要素をはじき飛ばし,さらにそれをも統一せんと自らの統一を破っていく。この統一, 破壊,統一の過程が新しい教材を引き寄せていく。この主体的統一を志向して新たな教材を引 き込んでいく力が学習の内なる力の外-の発現であり,これを内発力とよぶ。これが学習発展 のエネルギーである.. (3)発展する学習は弁証法的な連続である。 内発力による学習の発展は,認識における矛盾の止揚である。せっかくの学習者による内と 外すなわち学習者と教材との統一ほ,破れること,すなわち否定を媒介にして連続する。ここ に発展としての連続が成立する。否定ほ破たんの場合もあるし,ほころびの場合もある。した がって常に全面的否定とほ限らない。しかし,仮りにそれが部分的修正であっても,そこには 必ず否定が媒介としてある。発展は否定的連続であり,それが生きた連続でもある。 3)上田 薫:人間形成の論理 217頁-242頁から多くの教示を得る。 とりわけ,論文「未来のための学力+ 4)沢田允茂: 「知識の有機化一現代的な愛知の視角-+岩波講座,哲学の課題 「チアイテトス+岩波文庫 platon,田中美知太郎訳: we 5) J. Deweyは"flow think”において,あらゆる思考の各単位ほ二つの極限をもっている Reflective thinkingがあり,それが固定した ことを指摘し,この両極の間に,彼のいう sequenceをもたない5つのpbases. (oraspects)をもつという。この二つの極限のうちのpre・. post-reflectiveなものが,晴朗で reflectiveなものが,混乱し紛糾し雑然とした事態であり, 統一的なはっきりと明らかにされた事態である。したがって,形式的にいえば,わたくしの問 題のとらえ方とDeweyのそれとほ対応することになる。 Jobn. Dewey:. How. We. Think,. D.C.. Heath. &. Co.,. 1933. (pp. 106-107). 6)高橋里美: 「認識論+岩波書店 本書は認識論を主観一客観関係,形式一内容関係,真一偽関係の三つの観点から扱ってい Situation)に対応して設定されたもの る。これらほ認識論的状況(erkenntnistbeoretiscbe で,認識現象の成立のためにはその何れか一つを欠くことも,またそれぞれの関係における関 係項の一方を欠くこともできないという。 なお,本書の緒論において,つぎのような文章に接するが,これほわたくしの本論展開の立.
(19) 3S. 場からみて興味深いものがある。 「私の取らうとする観点を,私ほ直接に認識そのものの本性に求める。然るに/認識の本性は. 吾々がこれから知らんと志す所のものであって,予め吾々に知られてゐる?ではないo若しそ れが既に知られているならば,吾々が態々それについて探究する必要もない筈である。けれど も若し叉それが全然知られていないならば,吾々ほそれを探究する何等の手懸りをも発見しえ ないであらう。故にそれは或る程度に於いて既知であり,或る程度に於いて未知でなければな らぬ。探究には常にその著手点として,この程よき程度を発見することが肝要であるoそれほ 必要以上の仮定を含むものであってほならぬと共に,必要以下に漠然たるものセあってもなら (19・20頁). ない。+. 7). 8). 洋:現代とマルクス主義26頁-28頁 評価が,単に知識の有無を調べるだけでなく,その知識が将来働くか否かをみなければならな いという見解ほかなり一般化してきた。しかし,将来働く知識とはどういうもので,その評価 Indiana をどうすべきかということについての提案には,今のところあまり接する機会がない。 uni∇ersityのDufee, M.は,問題解決において使用される知識(knowledge),子どもが生活 する世界についての知識から育ち,かつ時空を越えて適用可能な理解(understandings),将来 の行動を方向づける態度(attitudes),社会科の方法分野で必要であり,かつ問題解決過程にお いて基礎的な技能(skills)の4つを,評価が関与する学習分野としているが,その後で,社会 料では,子どもたちが将来民主社会においてどう生きるかというところに最終の評価があるこ とを指摘し, 「社会科の学習は,子どもたちが獲得した知識や技能が,将来有効であることの 「現にもつ 実証によって評価されなければならない。+という。そして,子どもたちの理解は, 知識を新しい学習と関心のための布石(stepping stone)として活用するときに明らかになる.+ 水田. (Evaluation. in Social. Studies. p・. 171)ともいう。. しかし,評価の方法においては,極めて常識的であり,わが国の一般的な評価研究の水準と 殆どかわらないと考えられる。すなわち,知識そのものの構造に即した評価方法を考える試み ほ,そこからは見出せないのである。. Saglの共著によるSocial Studies throughProblem Dunfeeと変わらぬ指摘を,彼とHelen solvingによってみることができる。そこでも知識・態度等のテストが統一的にとらえられ ず,分裂しているところに大きな問題を感ずる。 Maxine. Dun. school. Social. 丘ftb. Yearbook. Maxine elementary. Dun. fee:. Evaluating. studies, of the. in Harry. D.. National. Council. fee/Ⅲelen Sagl: school. teachers-Holt,. Attitudes,. Understanding,. Social. Berg. for. Studies Rinehart. the. Social. Behaviors. and. (Ed.): Evaluation. in. Studies,. Winston,. 1965.. in Elementary Studies,. Inc・. 1966・. Thirty-. pp.. 154-173.. pp・. challenge 279-308・. Solving-a. throughProblem and. Social. to.
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