ドイツ語教育の問題
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(2) ドイ. 63. ツ語教育の問超. 育基準の確立を要求したのであるo しかしながら,そうした問題はこんにちそQ:t緒につい刻まかi)であi). ,前記学会の委. 員会すE,v,まだにその結論を出していないよう馴太態であるo哀して,一般にはむしろ この問題を軽視す畠憤すらあったのであるが,それは質より量の研究業績が重視されて いること6)にもよるであろう。しカこし今や,そうLた傾向に対する反省と非難とが高ま ってきた。そして,良き教師をして「(教師は)自分がドイツ文学者セあったb,或ば卓. a)醜くれでZ払ったIv)する必要は全くないoトイツ語研究者であb,良心的なドイツ語教 育者で糾Lはよい」7)とさえ云わしめてL,るb 大部分の教師が,あるぃは教師q)情動の大部分が,. Forscherこごあると同時にLehrer. であることを要語されている筈である。そうした自覚・反宥が〉こんたち-までなかった, または乏しかったのではないであろうか。. 註 I)斎藤信『我が国におけるドイツ語教育について』. (『ドイノツ文学19号』). 2)杉浦孝明『ドイツ語教授法について』・(同. 上) (同.′上) √. -3)津村浩三『ドイツ語教育の諸問題』 54年度には約200,QOO人と推定される0 4) 1950年度には約85,000人, 国におけるドイツ語教育の現況』. 日本独文学会の『わが. (1955)の中の統計には.多数の学生を有する大学(早稲. 田大学等)で回答におくれたため,あるいは回答がなかったために洩れているものがあり, また短大・高校にも調査洩れがある。 5)旧制高校におけるドイツ語の授業を過10時間としても,それを3年間履鯵したわけであ,り, それに対して,新制度ではせいぜい適2-6時間を2年間履修するにすぎない。 ′6)渡辺格司Bコ新制大学におけるドイツ語授業の反省』. 7)斎藤. (『ドイツ文学19号』). ▲. 信(註1) [lI]. 現在,ドイツ語教育の′大半は四年制大学で行なわれている1)。しかもその約65%では 「必修」なV'し「撰択必修」として行なわれている。履修期間ではa). もの約49%, っていて,. 1-2年にわたる. b),1-3■年にわたるもの約13%,. c) 1-4年にわたるもの約21鬼とな i-2年にわ凍るものはそれほど多くはない。その週間授業時数をみると, cでは4時間-4時間-2時間-2. aでは4時間⊥4時間が最も多く,全体の約22%,. 時間が最も多く,全体の約6%であるoまた「初年度把文法と読本,次年度以陸中級読 物忙入るもの」は約48%,. 「初級のみに終るもめ」は約34%と患っているo. 『大学設置基準』によれば「欝21条. '. に,■文法か読本のみに終るもの忽どがある.). (そめ他. 大学は,外国語科目に関する授業科目として. 二以上の外国語の科目を開設するものとする。ただし,学部及び学科由種類により特別 の事情があ・るときは, -の外畠語の科目とする_ことができる.」とあわ.7,また「第25条 2 8単位とするo 外国語科目は, 7c・だし,二以上の外国語の科目を開設する大学にあ.
(3) 64. 阿. っては,. 部. 賀. 隆. 4単位以上とすること. -の外国語の科目を8単位とし,他の外国語の科目は,. ができる。」とあるので,大部分が第二外国語として履修されているドイツ語は,. 4単. 位の履修ですむわ抄であるが,実際には4単位Qjもの∼を忠全休の180/o以下であろう。 短期大学では,その約半数の111・校でドイツ語が教授され,しかも20校では第一外 国語として課されているo. 2年間にわたって週2時間ずつ履修するものが過半数であ. り,従って初級のみに終るものが85校に遷している。 高校では,第二外国語の2-4単位が認められ,. 第2学年以後にぉいて履修させ,. 「第二外国語を履修させる場合は.,. 1暦学年に厭ける単位数は,. 2な.いし4とする」2)と. 規定されている。もちろん,唯一の外国語としてドイツ語を履修することは,従来と同 様可能な.bけであ¢,現在ドイツ語が教授されている高校の数は,. 100校前後と推定さ. れる3)oしかし,それが大学側Qj強い要請にもかかわらず,減少こそすれ,増加の憤向. を示さないことの理由としては,第一に高校生の大学入試に対する負担がはなはだしく 重いこと,ついで大学での既習者に対する受入れが不十分であること,また更に時間割 の上からも適当な教師が求めがたいこと,などがあげられるであろう. こうした状況の◆もとで,ドイツ語教育はいかに行なわれるべきであろうか。 問題を四年制大学に限ってみても,そこには第一外国語と第二外国語との別があるわ けであるo本稿では,ドイツ語教育の大部分を占める第二列国語としてのドイツ語教育 に問題を限定することにしたい。 註. 1)前掲(註Ⅰ-4)の資料によると,四年制大学159,700人,短大12,680人,高校5,070人 (1954年度)であるが,前述の事情による調査洩れを考えると,その人数の比率は高校・短 大・四年制大学で大体1:. 2:. 35となるであろうか。以下,特に示さぬ限り数値は前記学会. の資料による。 2)文部省『高等学校学習指導要領外国語科篇』. 4-5頁。. 3)学会の資料(註Ⅰ-4)では56校となっている。 [ⅠⅠⅠ] yドイツ語学習の意義については,英語の場合と同様,その実際価値vz3L重点をぉくもの と,いわゆる教養価値に重点を患くもajとがある。ーそのいずれに属するか拭,諸種の条 件によって規定されなければならないが,本稿で問題とする第二外国語としてのドイツ 語の場合は,そのいずれに重点をぉくべきであろうか。 もちろん,その一に重点を溶くことは他を無視するこど∈・はな\ハo. たとえ教養価値を. 強調するとしても,それは実際的な面を無視しては成り立たないであろう。 要領[ヨ1)では,外国語科の目標をつぎのように述べているo 「外国語科は,外国語の聞き方,話し方,読み方潜よび書き方の知識潜よび技能を伸 Jぱし,それをと潜して,その列国語を常用語としている人々の生活や文化について, A-理解を深め,望ましい態度を養うことを目標とするo」. 『学習指導.
(4) ドイ. 65. ツ語教育の問題. すなわち,ここでは「単に知識や技能だけの指導にとどまることも,また,ノ知識や技 能の指導を潜ろそかにして理解や態度を深めることを目ぎすことも,ともに誤わであ る」2)とされているのである。それは′まさに理想であっ七,そこに疑いをviれるもので. はない。それでは,ドイツ語の知識・技能を身につけ,ドイツ語をと哀してドイツ語国 民の生活・文化を知i),望ましい態度を養う,とはいかなることであろうか。まして,. 今や英語ほ世界語であるに対し,.ドイツ語国民の数は一億にすぎない。3)そして重た, われわれはドイツ語を聞き・話し・読み・書く必要に直接迫ら航ているわけでもないo なぜ,大学の一般教育課樫にぉいて,ドイツ語が第二外国語として好んでとわあげられ る4)のか。 F・. Thierfelderは,その著"Die. Deutsche. Sprache. im. Ausla′nd"におV,て,ア. メ1)カの教育制度に対してつぎのような見解を述べているoそれほわれわれ'F=.も参考Vt なると思われるので,引用してみよう。 すなわち,アメ1)カにはドイツ語の研究相対して偏見があるが,それはアメリカの敵 背制度にとって不幸である,. -と述べ,その理由の潜もなる・ものを9項目に示しているの. である。5). 1・ドイツ語には学術の文献(eine. wissenschaftliche. Literratur)が豊富であるが,. ■ それに手を触れることのできるのは, ドイツ語をよくするものだけせあるo 2・中欧とスカンジナビア諸国の学術的夜著作(wissenschaftliche Werke)吃,はド. イツ語で出顎されるもQ)が多い。 3・他国がドイツ語で出敬するごとは別としても,ドイツ自身がTeごhnik, Physik,. Cllemie,. Biologieの最も豊富な文献所有国の-7f・あるo. 4・ドイツが政治上に果たす役割が小さくなることがあろうと(それはまず考えられ ないことであるが)前項の事情に変化はない。. 5・ドイツ語を知ってこそ,ドイツ文学のゆたカゝな宝庫を開き得る。現代の教育から は,もはやドイツ文学の世界は単純に抹殺することができないo. 6・ドイツがZivilisationのために果たした重要な寄与を理解せしめ得るのは,ド 1イツ語だけで優る。 7・ドイツ音楽は,. Volksliedからklassische. Operに至るまで,内容ゆたカゝな無. 月の泉であるが,それを感得するためにはドイツ語の力が必要である。 8・ドイツの歴史と経済とは,ドイツ語を知らなくて他理解できない。 9・アメ7).カ人にとらては,英語に近似したドイツ語を習得することによって,自国 語をゆたかにすることができる。ドイツ語の知識は英語に対するSprachsinnを 強め,従って自国語に対するGefiihlをつちかうことができる。 最後の項目を除いて要約すれば,ドイツ語を学ぶことによむ,. 1)ドイツ患よび中・北欧諸国の学術文献を読む'ことがifyき, 2)ドイツの生活や文化について理解を深める,. ということであろうoそれにわれわれは異論をさしはさむものではないoドイツ文学を.
(5) 66. 部. 阿. 賀. 隆. ドイツ語で読み,ドイツの歌をドイツ語で理解し,ドイツの歴史をドイツ語で研究する 等々のことが,われわれ日本人に対していかなる利点となるかは,本稿の問題ではな 『学習括. 「視野を広める」6)ということだけは,云い得るであろう。. いoすくなくとも,. 導要領』には, 『(外国語科の)患もな教養上の目標』としてつぎのように述べられてい る。7). 「その外国語を常用語としている人々の生活や文化について,理解を深める-とともに, それをとぉして,みずからの教養を高め,わが国の文化の■向上を図ろうとする態度をさら一に養うこ-と」. ・. 前述の「望ましい態度」は,ここでは具体的に「みずからの教養を高め,bが国の文化 の向上を図ろうとする態度」として述べられているわけである。ところでThierfelder の第9項,すなわち 3)英語の理解に役立つ とは,われわれにと′つてどのような形であらわれるであろうか。 day. every. といった名詞がAdverbialeとして用いられる過程は,アイツ語のeines Verbum. jeden Tagという形が示すであろう.また,. Tages,. da吏,. FlexionとSyntaxの面からもうかがえよう。-たとえば,英語のOne. それは,. Finitumが一つの文. の中でいかに重要な存在であるか,あるいはまた,接続詞がその種別によっていかに異 なった機能をもつものであるか,といったことは,むしろドイツ語をと患してよi)容易 に理解され得るで優ろう。 しかし,われわれ日本人にとって,.問題はまだあるようである。その一つは,ドイツ. 語が直接的に英語に対する理解と関心とを助長するのと同様に,間接的には 4)国語に対する理解と関心を深める ということである。それは`『学習指導要領』にも8)「国語に対する関心,ひいては言語 一般に対する関心を深めることなどが含空れている」というふうに説明されているので あるが,日常われわれが全く無意識に用いられているl一郎吾は,ドイツ語をとおして,深 く関心づけられるにちがいないo der. たとえば,「病気のために休む(wegen +. く. (fiir dieKinder. arbeiten)」,. 「恐怖の兜めにふるえる(vor ●. fehlen)」, 「子供のために働 4>. 「生存のための闘争(der ●. Kampf. ums. +. Dasein)」,. ●. Furchtzittern)」などにぉける「ため」,あるいはまた. ●. 「弟に与える(den. Bruder. geben),. 「日曜日に(am. ●. zimmer. Krankheit. +. sein)」,. 「部屋に入る(ins. Sonntag)」,. 「部屋にいる(im. ●. ●. Zimmer,eintreten)」などにおける「に」等々は,. ●. 二英語をと激して理解される面もあるであろうが,ドイツ語をと患して,よ:oよく理解さ れるであろう.そこから,国語,言語一般,さらtn:-は日常無関心にすごしている物事, そうしたものに対する関心を深めることは容易に期待されるべきである. ドイツ語学習の意義として,最後にあげたいのは. 5)論理的・科学的な思考力を養う ということであるo前述の.よう一に,ドイツ語ほ英語に対する関心と理解とを深める上に.
(6) ドイ. 役立つであろうo. 67. ツ語教育の問題. また,ドイツ語も英語も,国語に対する関心と理解とを深めること. に,あずかって力があるであろうoしかし,国語はもとよi),英語にしても,それがド イツ語ほど「論理的・科学的な思考力を養う」といえるであろうかo 欧米諸国の学校において,ギ1)シヤ語・ラテン語が学ばれるということについては, 母国語に対する関心と理解とを深める,ということのほかに,言語をとぉして論理的な 思考力をつちかうことが含まれているのである.それはちようど,われわれが基礎学科 として数学・物理学を学習するのと同じ意義をもち得る。ギリ`シヤ語・ラテン語が,わ れわれにとって遠きにすぎるとすれぼ,欧米人に怠け畠ギ1)シヤ語・ラテン語は,われ われに怠けるドイツ語であってよいで∵あろう。 Deklination,. たとえば,発音,. Konjugation,酉己帯の間喝といったことにおける論理. 性・科学性は,抽象的な論理・数理とは異なわ,ことばをとぉしているだけに,われわ れに身近なもの・. V,わばE]帝的なものとして入ってくるであろう.. こんにち,ふつう第二列国語としてのドイツ語に与えられている授業時数・クラス編 成では,ドイツ語の知識・技能を身につけ,それをとぉしてドイツ語諸国民の生活や文 化を知る,ということは,遥感ながら一般的に・みて,はるかに遠いことのようである。 しかしながら,. 8単位の履修,いな4単位・. 古松教授は,9). 4単位--一一文部省令による最低の第二外国語単位-だけのドイツ語履. 2単位の履修すら否定さるべきではないo. 修は無意味であるから,それくらいならドイツ語をやめて,その時間を英語にふわむけ よ,と説かれている。事実,. 8単位未満の履修では,それをただちに学問の世界に活か. すことは不可能に一近いであろうが,しかし,学校はすべてを与える場ではなく,学問の. 世界に活かすべ筆端緒を与えることで満足せぎるを得ない場合もあるにちがいない。そ して空た,. 2単位の履修ですら,われわれの国語,あるいは英語と相異なる体系をもっ. た言語にふれるということは,学習者の生活態度に患いて,プラスにこそなれ,決して. マイナスとなることはないであろうo患よそ,相違を知b,栄.きを知ることは知識の偲 じめである。. 以上の5項目のうち,教養価値がその多くを占めているようであるが,外国語の学習 は,既述のように,その知識・技能の獲得から独立に老えらるべきでないことは,論を またないであろう。 註. 1). (註ⅠⅠ-2)3日o 上。. 2)同 3). F・ Tbierfelder:. Die. Deutsche. Spracbe. im. Ausland,. Bd・. Ⅰによると(S・. 82),. SCOの調べでは,中国語45000万,英語25000万,ヒンドスタン語16000万,ロシヤ語 14000万,スペイン語11000万,ドイツ語10000万となっており,またチ.)-の"Confi・ dencias"誌では,英語22500万,スペイン語12000万,ドイツ語7900万,フランス語. 5700万となっているが,こうした数値の差は,それぞれの言語を国語としてみなすか.'ま たは有力な外国語とみなすか,という差違から生じるのであるという。. UNE.
(7) 68. 阿. 部. 隆. 賀. 4)- 第二外国語としてドイツ語・フラン語・その他が与えられた場合,学生の70-80%はドイ ツ語を撰択する。. 5). Thierfelder:. Die. 6). (註ⅠⅠ∵2) lo員,. 30頁。. 7). (同」二). 9頁,. 29頁。. 8). (同. lo貞,. 30日o. 上). 9)古松貞一-. Deutscbe. im. Spracbe. 『大学におけるドイツ語教育』. Ausland,. Bd.. ⅠⅠ,S. 384. (『ドイツ文学19号』). [ⅠⅤ] Thierfelderは,外国語の指導にあたっては,まずつぎの4項目に留意しな杵ればな らない,としている。1). 1.学習目的(zu. welchem. Zwec・k. 2.学習年令(in. welchem. Alter. 3.既習列国語の有無(ob. er. ]'emand er. si°h. eine. Fremdsprache. moderne. lernt). tut). es. bereits. andere. Fremdsprachen. angeeignet. bat) 4.言語環境(in. welcher. Umwelt. sprachlichen. der. Sprachunterricht. statt・. findet) まず第一の学習目的については,. wissenschaftlichであろうとpraktischであろう Leistungssteigerung. と,ドイツ語そのもののために学習するものと, みるもの,という二つの. Hauptgruppe. の手段として. に分けられているが,われわれの場合は,ド. イツ語を第一外国語として履修するか,第二外国語として履修するか,ということ昭よ って分けたほうが適切であろうと思われる。 本稿のと9あげるのは,第二外国語としての・ドイツ語の問題なのであるが,「第二外国 語」という立場は,すでに他の外国語-第一外国語・=-を前提としているのでなけれ ぼならないo. 他の外国語とは,われ.bれの場合,ほとんどすべてが英語であるo. その. とき,二つの立場が考えられるであろう。すなわち,. a)ドイツ語を第一外国語としての葵語とは独立に考える。 b)ドイツ語を第一外国語としての英語の補助的なものとみる。 たとえ授業時数は僅少であっても,第二外国語はそれとして独立であってよいわけで ある.英語把対する紳助学科としてみる,ということは,常に英語との比較に患いて考 える,ということではないo. 既述(III)のごとく,. Flexion. の乏しい現代英語が,早. の祖語の形をとどめているドイツ語をと会して理角牢されるように指導するのである。そ うした効果は,ドイツ語履修の方法の如何にかかわらず,おのずと認識されることは当. 然であるが,授業時数や学習者の質を考えた場合,. Deutsch. als solchesを与えるとい. う考え方よi)ち,こうした,いわば副次的な効果をむしろ目標にすることがあってよ い,と思われるのセある。. 『学習指導要領』〔第二外国語(ドイツ語)〕2)に. 「複数形の名詞から単数形を類推させることはよいが,単数形から複数形を作らせる.
(8) ドイ. ツ語教育の問題. ととは,-一般的にいって望ましくなく,また,. du. 69. haltstやer. nimmtな.どに患い. て,不定詞がhattenやnehmenであることは強調しなければならない卵Lども, 逆に,たとえばtretenを与えてer. trittを作らせることは,求めるべきではない.」. と説明されているの■も,ひっきようこうした考え方に基づいているoすなわち,たとえ ばDeklination,. Konjugationそのものではなく,そうした変化をとぉして,名詞.動. 詞の機能を理解するよう把持導するのである。. つぎに学習年令についてみると,大学にぉいてドイツ語を学習するものは2O才前後 であるoこれは,外国語学習の年令としては甚だ倉そい,といわねばならない。外国語. の学校教育は10-20才でなされるのがよい,といわれる。3)そうとすれば,わが国に ぉけるドイツ語の教育のはとんどすべてが,年令の限界において行なわれてV)るといわ な朋Lばなら潅いoしかしながら一方にぉいて,この年令では比較・分類・類推の力が 大きいと.いえる。従って「言語材料をある程度組織的に提示することができる」4)ので ある。. 「組織的・に接示する」とは,いかなることか。それは,たとえば『学習指導要領』に患 Viて,5)語いにつき 「単一語,複合語・派生語などを含めてとはいうものの,複合されている要素を簡単 に分解して,一定の明らかな原理によって直接的拓.理解することができる複合語と か,派生の関係が一見して明らかな語などは別語とする必要はないであろう。発とえ ばsch6nとSch6nheitについては,. を指示すれば,あえて2語とみなす必要はなく,. -heitが抽象名詞を作る後つづわであること Arbeiter, Arbeitも1語 arbeiten,. とみなしてよいb」 とV,う考え方に、もあらわれている。古松教授が「Erinnerungという名詞が出て来る と・それが他動詞erinnernと再帰動詞sich なることを説明し,. erinnernの二つともにErinnerungに. -ungの名詞は名詞のところだけをしらべずに,必ずそれを動詞に. もどして考える習慣をつけさせる」と述べて潜られるのも,同じ趣意からであろう。 同じことは,文法の基本事項についてもV,えるoすなわち,一例をあげると,冠詞に ついて1格と4格が示されるとき,. 2・3格についてなんらの知識も与えられぬならば,. それは適当ではないであろう。それは,各格を同時に理解せしめよ,というのではな いoそれぞれの格の用法は,その必要のつど与えられてj:い,しかし,すべての格のう ちで当面の格の溶かれている地位が示されるべきである1というのである。 しかし夜がら,この. GramlTlatik-Unterricht。は文法のみを教授すればよい,という. ので、はいo統計7)fによると,四年制大学に患いて「初年度に文法のみ」の数は「文法 を用いないもの」の数の8分の1にすぎないoこれは自然である。. 1年間に過2時間の. 授業しかない場合一次年度PL降があるにしろ,ないにしろ-「文法」のみ教授され るということは,甚だ不適当であって,むしろ「読本」によって▲GrammatikUnterrichtが行なわれるべきであろう。 direkte. Methodeが請う"Im. An fang. war. der. Satz=は否定さるべきでは患い..
(9) 部. 阿. 70. 隆. 賀. 文の申に簸けることばが,体系的・組織的に把捜されるよう指導すべきであるoもちろ ん,ドイツ語教育が現在の英語教育と同じ年令に患いてなされる場合は,全く別の方法 がとられなければならないであろう。 このことはまた,われわれの場合,英語を既習外国語としてもつ,とV,う点に関して 「教授法の選択にあた もいえることであるoここでもThierfelderの言葉をかi)ると,. り,なかんずく成年(20-40才)においては,既習外国語の有無が重要な要素である」 と前提して,つぎのように述べている8)0 Hat er. jemand die. meist. zweimal. grammatisch-syntaktischen. die dem. er. in der. bi]dlich. Sprache. neue. det. das. Sprache. neuen. s9. einordnet・. und. nicht. anders. und Er. besitzt. m6chte. ausdriicken. Haken, einen. wissen,. (der. Sprache hat・. gemacht. zieht. si°h bereits. er. einer. die wichtigsten. kann,. werden. Fremdartige. vertraut. gelernt,. weil. vdr, Gerdst. diirfen,. ausdr;iicken. aufgehiingt. Neue,. Methode. Fremdsprache). ersten. Fremdsprache. moderne. den. und es. eine. (grammatikalische). Muttersprache wir. oder. indirekte. mit. wenn. klassische. eine. Er. kennt, denen. an. MaBstab・ warum. mach er. si°h. soll・ Methodeのほうが. "warum・・という間を発しなV,最初の外国語の場合姥-direkteよいが,. ich. soll. ,,Warum. mich. in. dieser. Sprache. so. und. nicht. anders. dr註cken?りに答えるものはGrammatikであるべきであろうo 註. 1). ど. ′rhierfelder,. ibid・. Bd・. Ⅰ, S・ 93. 2). (註ⅠⅠ-2) 36瓦. 3). Thierfelder,. 4). 『学習指導要街』(註ⅠⅠ-2) 37日。. ibid・. Bd・. Ⅰ, S・. If・. 95. 5)同上19日。 6). (註ⅠⅠ-9) 89貞o. 7). (註Ⅰ-4). 8). Tbierfelder,. ibid・. Bd・. Ⅰ,S・ 95. ⊂Ⅴ]. 指導の実際にあたって,一番の問題は「翻訳」に関することであろう. とと接は感想Q)あらわれである。生きている。われわれが国語を読み・聞き・話す虜 令,文法を考えてはいない.外国語に対しても,これと同じ鮮度をとれること,すなわ ち,国語を媒介としないで外国語がその意味と直接に結合すること-いわゆる直読直 解-それが理想であるにちがいないoしかし,この理想に到達するため咋は幾多の障 害があゎ,また,その中間過程に対する方法がなければならないo. こうして,一般に. 「翻訳」と,〉いう手段がとられているのであるo との場合,. 「都訳」把は和文独訳を含まなLU,として,つぎの四種類が考えられるo1). aus-.
(10) ドイ. ヂ1. ツ語教育の商虐. (1)行間逐語訳. (2)特定の箇所のみの訳. (3)全文通訳. (4)大意としての訳. それぞれの得失について,若干の考察を加えてみよう。. (1)行間逐語訳とはJamesHamilton. (1796-1831)とV,う人の創始した方法で,. わが国の初期項語教育にぉいて∴非常に重用されたというo2)たとえば fiihlen. Wir. mit. den. Fingern.. (1)我々は(4)さわります(3)で. (2)指. (橋本文夫『橋本ドイツ語講座』より). この方法は,ドイツ語ではあま'o用いられない.その理由には,年令的にかな少おく れてはじめるドイツ語学習者にとって,この方法がprimitivにみえることもあるであ. ろうと思われる、oしかし,それは誤Tjである。なぜならば,学習者が20才前後であっ ても,箇々の単語を知らないことに患いては,英語の初歩者と同じだからである.そし て空挺,この方法では,外国語一般の初歩者が最も知i)たがる「単語」について,簡別 的に訳語がつけられ,従って一語もゆるがせに▲しない習慣もでき,かつ国語との語順の 比較などもできる,という長所をもつからであるo しかしながら,一語もゆるがせにしないことは甚だよいことであわ,国語との語J頃の 比較は英語によって大体知っている達して,単語についての訳を,ドイツ語では第一に 考える必要があるのであろうかo. 3であ. Fingernを「指」とみるよ力も,この語がpl.. わ,それがmitに規定されているためである,ということの惟うが重要ではないで優 ろうかoそう考えるとき,. den. mitと. Fingernとが箇々のものとして頭に入るという. ととろに,この方法の最大の欠陥がある串うに思われる.0 倍々の単語ではなく,一つの概念をなしている最小限度の語群3)が単位でなければな らないoすなわち上の文を例にとると, Wir. fiihlen. F立hlen Mit. wir. den. I mit. den. Fingern.. l mit. den. Fingern?. Fingern. l fiihlen. wir.. このような語群に患いて,それぞれの意味を与え,変化形を説明するO,が妥当である と思われるo Fingern. Grammatik-Unterrichtをとる-,とはいっても,それはfiihlenあるいは. \だけをと_i)出しての. wirに/ぉけるfiihlenを,またmit. Grammatikではなく, den. wir. Fingern. fiihlen. -あるいは. 暗怠けるFingern. ftihlen. を問題とする. のである.それによって,同時に配語の問題,前置詞の∼格支配なども,視覚的にまた聴 覚的に理解される筈である。 Georg. Lapper. という人の唱道している"Singendes. Lernen"という教授法があ. る。4)これは,中国人や国こ教徒が長い経典を窮する際の方法をとったものセ,全身をリ ズミカルに動かし,告た朗詠ふうに単調にドイツ文を唱えるものであるという.彼ほ,I ここで. direkte. Methode と. Gratnmatik-Unterricht. aufhebenしたもの-直意図ノしているらしいo とした解明法よわも,. との中間-あるいは両者を こごに述べた,最小限度Q)'L語群を単位. ditekteMethbd巳に近いようであるが,それは,リドイツ人がドイ.
(11) 72. 部. 阿. 隆. 一賀. ツでドイツ語を教授する,という言語環境から考えて,当然のことといえようo また,学習者が圏;qの単語の意味にのみこだわり,結局は,単語の意味さえわかれば. 文意が理解できる,という誤解をいだくことは,極力排さな朋LばならなV,ことの一つ であるo und. A,:'とえ苛晋, spineーzwelge. 把おい七,. rauSChten,. als. riefen. sie mir. zu.. alsを「・・・とき」と訳すのは,単語の意味だけでは文を解明できない,と alsが「-・とき」であるならば,. いうことの証左でもあるo. als sie mir. zuriefenとあ. るべきせはないか-われわれがこの文の訳を求めるときに要求することは,このこと. である筈セある。 とかく学習者は,ドイツ語の原文を離れて,倍々0,単語の訳語で翻訳文をつづり易 いoかなり多くの文は,それで文意が通じるだけに,これは最も留意しなければならな い点であろう。. (2)特定の箇所のみを訳すということには,いろいろの場合があるoプ己とえば,翠 語・熟語,構造の複雑な箇所,直訳では意味の通じない簡所などであろう。. これは,重安な箇所に注意を集中させることができる,という利点をもっているが, 学習者の質が均一であり,しかも教師がその層度を十分に矢口i),また,訳を要する箇所 が多すぎることのない教胡でなければならないわけであるo. この方法が最も効果を釧ヂるのは,授業にぉいて学習者の翻訳に儲_i)のあったときで あろう。すなわち,学習者の発音・翻訳が正しく,かつ上記の「特定の箇所」がない場 合は,教師があらためて翻訳することをしない,という原則の-もとで,学習者の翻訳に いささかなりとも誤i),またほ不明瞭な箇所があるときは,ただちに,その箇所につV,て 問答する,という方法をたてるのである。そこでは,残余の学習者/は同僚の読み方・翻 訳に十分の注意を払うであろうし,また重要な箇所を特に確認させることもでき■るであ ろう。これによって,原文を読む時間をふやすことができるのであるが,教師がその 学級の学力を十分に知っている,ということが最も重要な条件とならぎるを得ないoま た,誤わの箇所につき,教師がただちに正しV,・訳を与える,とV.うことではなしに,そ の誤り.の根源を察知して,それを学習者に認識せしめるよう指導すべきであろう.. (3)・全文訳にあたっては,ふつう前記の「特定の箇所」について説明を加えるので あるが,それのない場合にLは,原文の構造に忠実であ'oながら,-しかも原文の意味を十. 分に伝えるような翻訳でなければならない。変,る意味では,文学作品などにおける「技 術としての翻訳」よ1oもむつかしい,とV,えようo 「技術としての翻訳」は,原則として,語学の教授に患いてはとるべきではないが, しかし,内容をいっそうよく伝え,かつ国語の表現との相違を意識せしめる上に役立つ 面もある。たとえば, -Er. liebte. deb. Jungen. wie. der. Vater.. という二文は, 「少年を父親のように.愛した」というよわも, ●. ●. 「少年を自分QT/息子のように●. ●. 愛した」と職訳され潅旺うが,理解し易い筈である。しかし,これは,翻訳を語学学習.
(12) ドイ. 73. ツ語教育の問題. の一つの中間過程とみる立場からは,認めがたいこととV.わなければならないo. (4)大意としての翻訳のみを与えることは,直読直解-の最短の道であろうoすな わち,学習者姥与えられた大意に基づき,構想力と類推能力とによって,原文からただ. ちに情景を東に描くことができるoしかし,ここにもいくつかの条件が考えられる.栄 一に,教材が平易であることoむつかしい単語・熟語が若干含まれているのはよいが, あ空1oに複雑な構文では不適当である。第二に,学習者の学力が中程度以上であるこ とo少数or既知の単語・熟語から,国語でその情景をつづるようではよくない.第三に, 大意を与える範囲が良きにわたらぬことo. 翻訳は,あく空でも文意を把接するた哲の便宜的な手段であるo以上の方法のいずれ か-をもって徹底するということは,ふつうにはないことであi),それぞれの得失に基 づき,各種の方法を時に応じて適当にとるべきであろう。 註. 1)黒田魂『英語教授論考』に基づく。同書では, (3)全文訳, 2)同上. (4)技術としての訳. (2)難解の箇所のみに訳,. に分類されている。. 22頁。. 3)英語教育では! Tbierfelder,. 4). (1)行間逐語訳,. unit. とかgroup. ibid.. Bd.. と呼ばれている。. Ⅰ, S.. 98. 〔参 考. 文. 献〕. 『ドイツ文学』 19号. 欝藤. 信. 杉浦. 孝明. 博村. 浩三. 『ドイツ語教育の諸問題』. 古松. 貞一. 『大学におけるドイツ語教育』. 渡辺. 格司. 『新制大学におしナるドイツ語授業の反省』. 千代正一郎 日本独文学会. 『わが国におけるドイツ語教育について』 『ドイツ語教授法について』. 『西日本におけるドイツ語教育の現状とその対策』 『わが国におけるドイツ語教育の現況』. 文. 部. 省『高等学校学習指導要領(外国語科篇)』. 文. 部. 省『大学設置基準およびその解説』. 黒田. 魂『英語教授論考』. 星山. 三郎『最新英語教授法』. 研 塩谷. 究. 社『新英語教育講座』(第1,2, 既『ドイツ語学の反省』. (r糞土』 3号). 『続ドイツ語学の反省』 Franz. Thierfelder:. Die. Deutsこhe. Bd.. Ⅰ, Die. V61kerverkehr. Bd・. ⅠⅠ,Die. Verbreitung、der. 3巻). (『形成』7号, Spracheals. im. sprachliche I)eutschen-. 8号) Auslandノ Aufgabe Spracbe. (1956) in der. Welt. (1957).
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