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12世紀のブルターニュ物語における船について

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12世紀のブルターニュ物語における船について

著者

三木 賀雄

雑誌名

年報・フランス研究

32

ページ

119-132

発行年

1998-12-25

URL

http://hdl.handle.net/10236/9401

(2)

12世

紀のブルターニュ物語における船 について

三木賀雄 は じめに ジヨゼフ0ノエル・ベイ トンは、1862年 に『 アーサー王の死の船』と題する 絵画を発表 した(1)。 死せ るアーサー王を乗せて、今 まさにアヴアロンの島へ旅 立 とうとする船 を描いたこの作品は不思議な魅力にみちている。まるで墨絵の ように、すべてが黄褐色の淡彩で塗 りこめられた画布か らは、王の死 を悼む悲 劇的な情感が漂 って くる。王の縁につながる女たちは嘆 きをあ らわに し、深い 頭巾に表情 を隠 した渡 し守たちは黙々と船をあやつる。 しかもその所作は きわ めて適確で リアル。舵 をとるもの、膳櫂 を漕 ぐもの、帆桁 を揚げるもの、そ し て帆足を整えるもの、いずれをとつても理にかない、右舷後方か らの風をうけ、 粛然 として離岸する船の様子が精緻な筆づかいで描かれている。あえて不自然 なものをあげるとすれば、渡 し守たちが身につけている十字架 と、船尾に彫刻 された見事な天使像であろう。それ らは、アヴァロンを楽土とするケル トの西 海浄土信仰 とキ リス ト教の奇妙な共存を印象づけずにはおかない。 広 く知 られるように、死にいたる傷 を負い、アヴァロンに運ばれ、そこで復 活の 日を待つ伝説の王アーサーは、サクソン人に追われてイングラン ドの周縁 に暮 らすケル ト人、すなわちブ リ トン人にとって、ただひ とつのこされた輝か しい希望であった。一説によると、あ らたに英国支配に乗 り出 したノルマンデ ィー公ヘンリーニ世は、サクソン人に対する支配基盤 を確立するために、この アーサー王の伝説 を巧妙に利用 したといわれる。アーサー王を称揚 してプリト

(3)

120 12世 紀のブルターニュ物語における船について ン人の奮起 をうなが し、さらにアーサー王の決定的な死 を暗示することによっ て、「神話的な保護者 を失つて現実のノルマン人の王をたよるしかな くなった プ リトン人を、味方に引きいれること」を画策 したというのである(2、 このような政治的背景か ら推察すれば、ベイ トンの絵画には、死を現世の生 命の終焉 とみなすキ リス ト教の教義を手だて として、転生思想 を教理 とするケ ル ト信仰の無力化 をはかろうとした、プランタジネ ッ ト王朝の意図が象徴的に 描 き込 まれているのだといえな くもない。 しか しそれで もなお、 この絵の情景 か らはケル ト的な何 ものかが強 く感 じられてならない。そのひ とつは、船が平 張 り工法を用いて建造されていることであろう。それは、 ノルマン人によって 伝 えられ、たちまち北ヨー ロッパの海を席捲 した、あのスカンデ ィナヴィア伝 統の、よろい張 り工法 とは まつた く異なる造船技術であ つた(3)。 しか し実際の ところ、プ リトン人たちが平張 りの船を使 つたという確かな証拠はない。また、 なにゆえベイ トンがケル トの伝説の船にそのような構造 を与えたのかというこ とも不明である。ただ、12世紀に成立 した「 ブルターニュもの」と呼ばれるい くつかの作品に、そのような船の存在を示唆するごくささやかな痕跡がみ とめ られるにすぎない。本稿では、そのわずかな痕跡をとりあげ、卓越 した海の民 であつたプ リトン人の船について、若干の考察を加えてみたい。 ノルマ ン人の船 ア ングロ 。ノル マ ン語領域 の詩 人たちが、古 いケル トの伝説 に想 を得て書 き の こ した一連 の トリスタ ン物語 には、大 きな船 をあ らわ す用語 と してネ フ(nef) が しば しば登場 す る。た とえば、オ ックス フォー ド本『 トリスタン祥狂』(以下 オ ックス フォー ド本 と略記

)と

名づけ られ た作 者不詳の作 品にお いて、英仏海 峡 を渡 ろうとす る トリスタ ンが乗 る船は、次の よ うに描 写 されて い る。

(4)

12世紀 の ブル ターニュ物 語 にお け る船 につ い て ここでネフと呼ばれているのは、「幾多の海をこえ商品を積み」という記述 か らみて、海港都市 ウィンチェルシーの印章に描かれているような、ネフ型商 船ではなかつたか と思われる(5)。 船舶史的な分類に したがえば、ネフは一般的 な船の代名詞 というばか りでな く、ある特定の種類の船 をあ らわす用語 として も用い られていたのである。それは ヴァイキングの貨物船 クノールを祖型 とし (6\ ょろい張 りの船体 と一本マス トに一枚横帆、そ して右舷船尾に舵櫂 をそな えたノルマン人の船であつた。船型は耐久性 と載貨能力を考慮 して丸 く太つた 形状 に造 られ、撓走 を重視 した多櫂式の襲撃型 ヴァイキング船 とは異なつて(7\ 帆走 を重ん じた艤装 を特徴 としている。以下でネフと呼ぶのはそのような類型 に属する大型帆走商船 を意味する。 騎士道物語本系の作家とみ られるオ ックスフォー ド本の詩人は、 ノルマン人 を始祖 とし、海上での権益拡大を意図するプランタジネ ッ ト家 と深 くかかわつ ていたのであろう。そ して詩人の身近には、数多 くのネフが浮かび、活躍 して いたにちがいない。彼は、イズーをマルク王のもとにいざなう トリスタンの船 についても、次のような記述 をのこ しているか らである。

Bone cum cele ke ert markande; De plusurs mers charge esteit; En Engleterre curre devait。 (4)

Quant en haute mer nus meimes, Ben vus ttrrai quai nus felmes. Li jur h beus e fesait chaut,

E nus f―

es ben en haut。 Pur la chalur etstes sei;く8)

商船 としてまことにふさわ しい。 幾多の海をこえ商品を積み、 イングランドに向けて出帆するところであつた。 私たちが大海原 に出たときに、 私たちが何 を したか申 し上げま しょう。 よ く晴れた暑い日で した。 私たちは上で気持 ちよ くすご してお りま した。 暑さのせいであなたは喉 がお渇 きにな られた。 この船がネフであると考えられる理由は、上記引用中の en hautの 解釈による。

(5)

122 12世紀 の ブル ターニ ュ物 語 にお け る船 につ いて

オ ックスフォー ド本のプレイヤ ッ ド版編者 ミレーユ・ ドゥモーは、これを一応

は「 甲板上」と解釈 しなが らも、「第470行は謎めいている。ベデ イエはため ら

いがちに en hautを en haute mer(洋 上にて

)と

訳 した。ホエフナーはむ しろ、

この表現を、en bliaud(プ リオー姿で

)の

改富された表記 と見ている」と指摘 している(9)。 た しかに、ドゥモー女史の透巡は首肯で きる。なぜなら、ことさ らにen haut(甲板で

)で

「気持ちよ くすごす」というか らには、言葉の足場 と して en basが 想定 されていなければな らず、 この場合に en basが 指すところ といえば、甲板下の船倉をのぞいてほかには考え られない。 しか し中世初期の 船 において、船倉が どれほ ど劣悪な空間であつたかは周知の事実である。汚水 や食料の腐臭、家禽や馬の汚物の悪臭、これ らの汚臭が漂 う不潔な区画に、未 来の王妃イズーが足 を踏み入れることなど想像で きない。それでは夜間や荒天 時に彼女が雨露 を しのいだ場所は どこか。この疑間に対する唯一の合理的な解 答は、en hautを船尾楼 甲板だと解釈 し、イズーの居住空間を船尾楼 と理解 す る以外にない。のちに前者は船長の指揮所 として、また後者は高級士官や高位 の人々の居住区画 として発達をとげるが、その理 由は、そこが衝突や乗 り上げ 事故の危険か らもつとも遠 く、 しかも高い位置か ら船 内を一望で きる快適な空 間であつたか らである。オ ックスフオー ド本の詩人が想定 していた船は、その ような船尾楼 をそなえたネフではなかつたのだろうか。も しそうだとすれば、 すべて平仄が合 う。なぜな ら、船尾楼や船首楼のネフヘの設置が一般化するの は、 まさ しくこの時代であつたか らである(10)。 一方、ベル ン本『 トリスタン祥狂』(以下ベル ン本 と略記

)の

逸名作家は、オ ックスフォー ド本に対応する場面を次のように書 きじる している。

Qant de havre hmes tom6,

Au tierz jor no fa遇 L o“.

Toz nos estut nagier as rains;

Je melsmes i lnis les mains.

私 たちが港 を後 に して、 三日目に風が落 ちる。

私たち全員が櫓 を漕がなければな らなか つた。 私 もそれ を手伝 いま した。

(6)

12世 紀のブルターニュ物語における船 について 123

Granz fu L chauz

ぎaimes soi。 (11)ひ どい暑さで、私たちは渇きを覚えました。

この引用か らは、オ ックスフォー ド本にみ られた安逸な雰囲気は伝わつてこ ない。む しろそれとは裏腹の、海上での苛酷な現実が描 き出されている。凪 に 船足 を奪われた トリスタンー行は「全員が膳 を漕がなければな らなかつた」 と ベル ン本の作者はいう。 しか し現実には、重い膳 をあやつつて、乾舷の高い大 きな船 を漕 ぎ進めることは思いのほかむつか しい。 しかも帆走を重視するあま り、ネフには数対の舶櫂 しか装備 されていなかった。もともと数十本もの膳櫂 による推進 を想定 して設計された地中海のガ レー船でさえ、波浪の高い水面で は、思い通 りの操船がで きなかったといわれる(12)。 凪 とはいえ、高いうね り と激 しい潮流が渦巻 くケル ト海で、わずかな膳櫂 を頼 りに鈍重なネフを押 し進 めることが、いかに困難な作業であつたかは想像にかた くないであろう。内実 をいえば、ネフの乗組員は膳櫂の推進力にさほど期待 をかけていなかつたので はあるまいか、 と疑われるふ しさえある。海港都市の印章に描かれたさまざま なネフのなかには、オール穴をもたないものまで存在するか らである(13、 事実、騎士道物語本系詩人の トマの手になる『 トリスタン物語』には、凪 に 捉 え られても、撓走 しようとしない船が登場する。物語の終幕近 くで、瀕死の トリスタンを救 うため、一路 ブルターニュをめざすイズーの船がそれである。 プランタジネ ッ ト家の宮廷作家 とみ られ る トマの立場か らしても、また艤装か らしても、明 らかにネフと思われるその船は、トリスタンが待ちわびるブルタ ーニュの沖合いで突然の嵐に遭遇する。ようや く嵐を乗 り切 り、ふたたび港に 近づこうとすれば、今度は凪に行 き脚 をころされる。遅延が トリスタンの死 を 招 くことを怖れるイズーは上陸を切望 してやまない。 しか し、不幸なことに足 船 として使 う小舟は嵐のさなかに失われていた。 トマはイズーの苛立つ心情 を こと細か く描写するが、なぜか膳櫂 によって船 を進める手法については一言も ふれようとしない。イズーの焦燥感が くりかえ し強調 して語 られるだけになお さら、撓走による入港 というもつとも基本的な接岸手段の言い落 としには、不

(7)

124 12世 紀のブルターニュ物語における船について 自然さを覚えてな らない。ことによれば、トマの脳裏には、終櫂 をもたないネ フのイメージが形成されていたのかも しれない、 とさえ思えるほ どである。 ネフにおける膳櫂の役割 を示す興味深い事実がある。1962年にデンマー クの ロスキレ 0フ ィヨル ドの海底に横たわる5隻の ヴアイキング船が調査され、そ の うちの2隻がクノール と判明 した。それぞれ「残骸船1」 および「残骸船3」 と名づけられたそれ らの沈没船は、11世紀の建造 とみ られることから、きわめ てネフに近い構造をもつ船であつたと推測される。ただ しその船体サイズは、 「残骸船 1」 で全長 16.5メ ー トル、全長20メー トル前後の平均的なネフとく らべ るとかな り小ぶ りである。 しか しこのように小型の クノールでさえ、重い 船体がわざわい して撓走が嫌われたらしく、オール穴は船首 と船尾にそれぞれ 四ケ所ずつ しか見つかつていない。全長13.5メ ー トル とさらに小さい「残骸船 3」 のオール穴は全部で七 ケ所。膳櫂の水かき部分を素早 く通すためか、穴は 四角いかたちにあけ られていたが、それは必ず しも漕 ぎやすい形状 ではなかっ た。さらに船首両舷先端のオール穴だけに、特にはげ しい摩耗の跡が見 られた とぃぅ(14、 これ らの事実は、クノールの膳櫂が、よほ どの緊急時は別 として、 推進力を得 るため というよ りも、む しろ狭陰な港内や水路などにおいて、もつ ば ら舵 を補助 し、針路を変えるために用いられていたことを強 く示唆 している (15)。 そ して クノールよ りも大 き く重いネフにおいては、 ますますこの傾向が 顕著になつていたのではないかと考えられるのである。 以上のような膳櫂の役害Jの変化か ら判断すると、ベル ン本の作者がいう「 全 員が膳 を漕がねばな らなかつた」船が、はた して ノルマ ン人のネフであつたの だろうかという、根本的な疑間が浮かび上がって くる。飛躍 を怖れずにいえば、 それはプ リトン人の船ではなかつたのではないだろうか。 プ リトン人の船 フランスにおける中世の海事史に造詣の深い ミッシェル 。モラによれば、中

(8)

12世紀 の ブル ターニ ュ物 語 にお け る船 について 125 世初期にこの海域 を周航 していたプ リトン人の船は、「 い くつかの文献 と、アイ ルラン ドにのこされた黄金製の ミニチュアモデルにその姿をとどめているよう な、一本のマス トと九席の漕手座、そ して舵櫂 をそなえた長 くて大 きな船」で、 「 全長は20から30メ ー トル、被覆 甲板 をもち、複数の帆で艤装されていた」 とい う。さらにブ リトン人 自身については、「軽量の船舶でこの海域に挑 もうと した民族 としては、破格 ともいうべ き海技に関する資質を求め られていた」 と 述べている(16)。 モラが示 した船 は、ネフと同等かそれ以上のサイズであ りな が ら、撓・帆両用の軽 くて丈夫な船であつたと想像される。 しか しそのような 船体の軽量化は一体 どのように して実現 されたのであろうか。 この点に関 しては、中世船舶史の研究家モー トン・ナ ンスの見解が興味をそ そる。ナ ンスは、ルーヴル美術館 にのこるランヴェオ ックの漁船のモデルに、 「若干の改良」は加え られてはいるものの、「平張 りの船体を持ち、四角い横帆 をそなえたプ リトン人の船の最後の生 き残 り」を見出 した。「 その全体的な特徴 は有史以前 とまではいわないに して も、少な くとも中世 まではさかのぼること がで きる」 とナンスは考える。さらに「 その船体の形状 と構造においてきわめ て類似 した」船が、ブルターニュの各地に存在することも発見する。 しか し、 とりわけ彼を驚かせたことは、海峡 をへだてたコー ンウォールの漁船ほど、ラ ンヴェオ ックの船 によ く似た船 を、ほかの土地で見つけることができなかつた とい う事実であつた。コー ンウォール とブルターニュの両海域にだけ、あたか も双子のような、 ブリトン人の船の末裔が浮かんでいたというのである。さら に彼が瞳 日したのは、それ らの船が平張 り構造で造 られていたことであつた。 一般 に中世中期までの北部ヨー ロッパの船は、よろい張 り構造で建造されたと 考え られている。 しか しナ ンスは、平張 りこそがコー ンウォール とブルターニ ュにおいて伝統的につちかわれていた技術であつて、 よろい張 りはヴァイキン グの来寇以降に導入された、新 しい造船技術であると主張する(17)。 ょろい張 りと平張 りとではそれぞれ長短があるが、外板の縁 を重ねて張 りあわせてい く 前者の利点 としては、比較的に安易な工法で建造できること、外板相互の固着

(9)

126 12世 紀のブルターニュ物語における船について によって強度が得 られること、水中での木材の膨潤性 を利用 して高い水密性 を 獲得できること、などがあげ られる。これに対 して、外板の縁 を直接継 ぎ合わ せ る後者においては、縁を隙間な く接合するための高い工作精度が求め られる。 しか し、 よろい張 りのように外板同士の重なる部分が不必要なため、船体重量 を飛躍的に軽減で きるとい う重要な長所 がある。ナイフ程度の大 きさのノコギ リしか知 らなかつたノルマ ン人の祖先にとって、木材の縁 を正確に切断 し、間 隙な く接合する平張 り工法は、さぞか し手にあまる作業であつたことであろう。 彼 らがさほ ど厳密な工作精度を必要 としないよろい張 りを採用 したひとつの理 由は、案外そのようなところにあったのかも しれない。一方、プリトン人は水 密 を確保 するための、高度な工作技術を獲得 していた とみ られる。もつとも高 い水密性が要求される容器である樽 を最初に発明 したのは、ほかな らぬ彼 らブ リ トン人であつたか らである。 平張 りのプ リトン人の船がアングロ・ ノルマン語領域の詩人に意識されてい たのではないか、 と思わせ る理 由は文学作品にも見出せる。マ リー・ ド・フラ ンスの短詩『 ギジュマール』にあ らわれる船に注 目しよう。それは、射殺 した 大牡鹿か ら「 恋の苦 しみ」 とい う呪縛をかけ られ、また跳ね返 つた矢によって みずか らも深手を負つた騎士ギジュマールを、ある王国の美 しく高貴な妃のも とに、人間の手を借 りることな く、ひとりで運んでい く「 不思議の船」である。

Hult esteit bien apparillee. Defors e dedenz fu peiee

Nuls hun n′ i pout trover jointure;

N′i out cheville ne closture

Ki ne fust tute d′ ebenus; Suz ciel n′ at or ka vaille plus. La veille fu tute de seie, Mult est bele ki la depleie。 (18)

船は見事に厳装をほどこされていた。 外側 も内側 も詰め物がされていて、 誰一人として1合板の継 ぎ目を見ることができない。 楔も、木釘も、 黒檀でないものはなかった。 天下に、これ以上に価値あるものはない。 帆布はすべて絹地、 風を学んで非常に美 しい。

(10)

12世 紀のブルターニュ物語における船について 127 このブルターニュの華麗なお伽の船は、 もちろん現実のものではない。 しか しその豪奢な姿を透か して、マ リーが抱いていた船の理想像がおぼろげなが ら 浮かんで くる。まず船体は、継 ぎ目も見えないほどの巧み さで填隙されている とい う。 しか し、そのような滑 らかな船体への欲望は、凹凸のあるよろい張 り 工法によって充足 されることはなかったであろう。それは明 らかに、外板同士 を隙間な く密着させる高度な工作技術への憧憬をあ らわ しているのだ。手桶以 上に有効な排水手段をもたず、苔やまいはだ以外に効果的な填充物を知 らなか つた時代 に、た しかな水密性の確保がどれほど切実に求め られていたか、また 浮力が高 く、水上 を滑走する軽快な船体がどれほ ど望 まれていたかを、この滑 らかな船体への憧れが如実にいいあ らわ しているのである。つぎに、木釘や楔 の材料 として黒檀があげ られていることも注 目に値する。黒檀 は美 しい光沢 と 希少性 によって価値が高 く、またその心材がステ ッキに用い られるほど堅牢な ことでも知 られる。その強度は鉄釘 にはおよばないが、 しか し海水や樹液のた めに腐蝕することがない上に、た とえ船がはげ しく動揺 したとしても、周囲の 木材 との硬度の差か ら生 じるゆるみを懸念する必要もない。逆に水分による膨 張によって、木釘の固着力 と水密性はいつそう確実になるとさえいわれる(19ヽ もちろん鉄釘 よ りも軽 く、それ 自体が浮力を有する木釘が、船体の軽量化に利 することはい うまでもない。 しば しば激 しい波浪が船べ りを叩 くこの海域にお いて、外板 をか しめ、肋材に固定する木釘や楔に最適な材料 として、黒檀のよ うに強靭な材質の木材が望 まれたのは当然であろう。帆布の素材に絹が使われ ていることも見逃せない。もちろん絹織物の優美な光沢や風合い、黒檀 と同様 の希少性などが、「不思議の船」の豪華さを際立たせているのだが、しか し同時 に、絹織物はナイロンに迫る強 さと軽さをもち、耐摩擦性、耐水性、弾性のい ずれにもに秀でた布地であることも忘れてはならない。重 く、厚 く、扱いに く い当時の帆布 か らすれば、まさに夢のような素材であつたにちがいない。 このように見て くると、この女流詩人が思い描いた「不思議の船」は、あたか もブ リトン人の船の理想化 された心象ででもあるかのように思われて くる。モ

(11)

128 12世 紀のブルターニュ物語における船について ラがいう撓・帆両用の軽量な船。ナ ンスの主張する平張 り構造の船、マ リーが 夢見た滑 らかな船体の軽 くて美 しい「不思議の船」。このようなプリトン人に固 有の船の残像が、ベル ン本『 トリスタン伴狂』の作者の心中に棲みついていた のではないたろうか。も しそうだ とすれば、それは重 く船足の遅いネフか らはな ん と遠いイメージであることか。 12世紀後半、すでに北 ヨー ロツパの海上は、本格的な商業貿易の時代 を迎 え ていた。そこで望 まれたものは、速力を犠牲 に しても多 くの商品を確実に輸送 で きる安定の よい船であつた。ネフはそのような要望のなかで生まれ、改良さ れ、やがてコグ型商船 とともに、ハ ンザ同盟や五港連合の隆盛を支える花形商 船 に成長 してい く。騎士道物語本系の トリスタン物語作者たちが、こそつて大 型商船 を称揚 し、商業航海についての讃辞を惜 しまぬ姿勢 を見せるのは、この ような時代精神の反映 として理解 されなければな らない。他方、流布本系 トリ スタン物語の作者たちは、 より伝説の源泉に近いプ リトン人の船を想定 してい たように思われる。その根拠はすでに述べたような船舶構造の相違に基づ くが、 いまひ とつは海に対する思想の問題 に求めることがで きる。ベルン本『 トリス タン伴狂』で、凪 を逃れようとした トリスタンは膳櫂 によって船を進めようと した。もちろんその動機は、マルク王の負託に応 え、イズーを無事にコー ンウ ォールヘ連れ帰 りたい と願 う、トリスタンの使命感に根 ざすものであろう。そ れに しても、トリスタンを含めた全員がな りふ りかまわず力漕 しなければな ら ないほどに、事態は切迫 していたのだろうか。このような行動の背景には、 ブ リトン人に固有の、海に対する特異な思想が息づいているのではなかろうか。 端的にいえば、海を渡るノルマ ン人の関心は、ひたす ら現実の陸地に向け ら れていた。略奪であれ、通商であれ、また植民のためであれ、彼 らはつねに陸 地か ら実益を得 ることをめざ して航海をつづけたのである。もちろんブ リトン 人 も同様に、海を生業の場 としたことにはかわ りない。 しか し同時に彼 らは海 を、転生を待つ死者が暮 らす異界 との接点 とみな し、生命還元の円環 を形成す る源 として とらえる思考を根強 くもちつづけていたのである。それゆえ、本来

(12)

12世紀 の ブル ターニュ物 語 にお け る船 につ い て 129 的に人が生息で きない危険な空間を行 くもの とい う船の概念が、拡大解釈 され、 抽象化 されて、異質の世界 を自在 に行 き来するシヤ トルとしてのイメージを獲 得 するにいたる。 ブ リトン人にとって、船は、海 とわた りをつけて、暫時そこ に とどまるだけの道具ではなかつたのだ。それは他界 と現実 とをむすぶ驚異の 乗 り物であつた。 またそれだけにますます、現実の陸地をめざす場合には、あ らゆ る手段を講 して是が非でも確実 に海を押 し渡 る必要があつたのである。ベ ル ン本の トリスタンが見せるあの異常なまでの撓走への熱意は、このようなケ ル ト的思考を勘案することな くしては とうてい理解できないであろう。 結語 ベイ トンの「 アーサー王の死の船」に描かれた船はケル ト信仰 とキ リス ト教 の不思議なアマルガムである。十字架や天使像 という明確なキ リス ト教的烙印 を押 されなが ら、なおもケル ト的な性格 を拭い去ることができない。軽やかな 平張 りのプ リ トン人の船は、海のかなたの楽土に行 く先を定め、風 を学んで大 き く展開 した帆には、かすかに昇竜の文様が浮かび上がつている。そ してその 龍は、『 聖エフラム とアーサー王の探求の旅』に登場する龍を紡彿 させ る。乞わ れてブルターニュヘ龍退治に出かけたアーサー王は、この怪物 と激 しく戦うが、 どうして も討ち取 ることができない。巣穴に逃げ込んだ龍を誘い出 し、岩場の 頂上か ら海へ身を投げるように導いたのは、キ リス ト教徒である聖エフラムの 祈 りであつた(20)。 龍は、アーサー王の武力によってではな く、聖エフラムの 信仰の力によって退治 されたのである。あの龍は死んだのであろうか。いずれ に しても、この逸話が、ブル トン人の武威に対するキ リス ト教の優位 を表現 し ていることは明 らかであろう。その龍がよみがえつて天駆 けるかのように、ア ーサー王の船の帆に浮かんでは、船 をかなたに連れ去ろうとしている。それは まさに地上を支配するキ リス ト教原 義の東縛 をのがれ、再びケル トの伝承の世 界へ旅立 とうとするアーサー王 を印象づけずにはおかない。もとよ り船は両義

(13)

130 12世紀 の ブル ターニュ物語 にお け る船 につい て 性の象徴である。相容れない観念や価値観がするどく対立する世界であるとい つてもよい。そこでは、陸上の東縛 と海上の 自由が、定住 と流浪が、安逸 と苦 難が、生 と死が、そ してケル トの奔放な異界信仰 とキ リス ト教の厳格な死生観 が、微妙な均衡の上で共存する。ベイ トンはケル ト信仰 とキ リス ト教 とが絶え ず拮抗 しなが ら生みだ し、育んで きたプ リトン人の精神世界の超越性 を、その ような船の両犠牲 を借 りて表現 したいと願つたのかも しれない。 註

(1)ジ

ヨゼル・ ノエル・ベイ トン、『 アーサー王の死の船』

1628年

、グラスゴ ー・ ミュー ジアムズ・アン ド・アー ト・ギャラ リーズ蔵 (図

1狙

(2)ア

ンヌ・ベル トウロ、『 アーサー王伝説』松村 剛監修 創元社

1997年

(3)(図

2参照

)田

中 航 『 帆船時代』 毎日新聞社 昭和57年 p.37 (4)ChriStiane Marchelb‐

NLね

, }is餞″ θι ysaυム Gallimard, Paris, 1995,

p.219

(5)12世

紀以降に頻繁に用い られた海港都市の印章には、 当時の船の図がさかん に描かれたが、それ らのひ とつであるウィンチェルシーの印章には、船首楼 と 船尾楼 をそなえたネフがみ られる。(図3参照)

(6)ク

ノールの復元図 と断面図。は14参照)

(7)『

ノルマン・コンケス ト』を主題 とするパイユーの壁掛けには、戦闘用のノル マ ン人の船が描かれている。軍船には無風時での走航 と速力が要求されたため、 まだ多 くの膳櫂 を有 していた。ちなみに トリスタンは商人と身分 を偽 つて航海 することが多 く、相手に警戒心を抱かせるこのような強襲用の戦闘船 を用いる ことはなか ったであろうと考え られる。

(8)Chrおtiane Marche1lo‐

NLia,前

掲書 p.229

(9)Chrぉtiane Marche1loONizia,前 掲書

p.1337

(14)

12世 紀のブルターニュ物語における船について 131 Dudszus & EHlest Henriot, translation ね English Keith Thomas, DicrJi19J2η aF Sh」

P

ηなη

tt COnway Ma五

time Presse, 1986, London,

pp。 ,162‐163)

(11)Christiane Marchello・Nizね, 前掲書 p.256

(12)田 中 航 前掲書 p。18 (13)ビ ョール ン0ラン ドス トローム 『 世界の帆船 海の ロマン六千年』 石原裕 次郎監修 ノーベル書房

1976年 p.72

なお、実際に復元されたクノール 船「 ガイア」を用いてノル ウェイか らアメ リカヘ航海 したジュデ ィ・ローマ ッ クスは、クノールのオールの能力についての記述 をのこ している。(『ヴアイキ ングの航海』仙名 紀訳、図書出版社、1994年

p.24)そ

れを根拠に算定す るな らば、オールー本あた りの馬力数は通常でわずか0。3馬力強、全力で漕い た としても 0.5馬 力にす ぎない。 (14)以 上 クノール船 についての引用はすべて、Ian Atokinson ttθ レ牲れダ訪わ

Cambridge Un市ersiw PreSS 1979 pp。 ,23‐

24に

よる。

(15)事 実、前述のクノール船「 ガイア」での航海体験か ら、ジュデ ィ・ ローマ ックス

は、「実際、狭い水域を移動するとなると、 ヴアイキング船は柁柄 のいうこと

を素直にきいて くれなかった。そのような場合、大昔にはオールが使われた」

と述べている。(ジュデ ィ・ ローマ ックス 前掲書 p.142)

(16)モ ラか らの引用はすべて、Michel MOllat,ル 7」ila gυθが出閉Лθ dbs♂ 盟

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″α・(珈∠ル ″が9口θ五准χ

7rJ先

た,HaclЮ tte,Paris,1983,pp"15‐ 17によ る。

(17)ナ ンスか らの引用はすべて、MortOn Nance,スPri轟が

“ ″勢ι閉 い ,¶隆

Marheres M士 【鶏VOl.IV, No.9。 Septtmbe■ 1914,pp.,307‐308による。 (18)Marie de France,LJtt Blackwell,Oxford,1969, pp。 ,6‐7

(19)戸 田孝昭『 ヨッ ト/モーターボー ト 材料 と構造』舟艇協会出版部 1973年 p.85

(20)イ ア ン・ ツ ァイセ ック『 図説 ケル ト神話物語』 山本 史郎・ 山本泰 子 訳 原書房

1998年

(15)

32       図 12世 紀のブルターニュ物語 における船について

よろい張 り断 面図 図4 図 面 断               ヽ

ハ一、

(神戸商船大学商船学 部教授)

参照

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