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経営戦略と集団的成果 : 社会システム論の視角から

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(1)

経 営戦 略 と集 団 的成果

Management Strategy and

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じ め に

転換期 として認識 され る過激な環境変動の時代 , 環境の不透明な時代である(1)。企業に とって も環 境変動-の対処がその存亡をかけた課題 として判 知 されてお り,その為の経営戦略の策定が情報 シ ステム (環境情報を察知 ・入手 し,的確な対応を 行い得 る情報創造を可能 とす る) との関連で課題 となっている(2)。 ここで転換期 としたのは近代社 会の構成原理が変化 しているとの謂である。それ 故,われわれは先ず経営戦略を策定す ることの社 会的根拠について検討を加える。経営戦略の策定 には何 よ りも企業が確固 とした 自己認識を持つ こ とが肝要であ り,そ うした 自己認識は企業 目的に 社会的意義を与えることを通 じて,企業の社会的 機能 と深 く関わ るか らである。企業の社会的機能 は社会の構成原理に より決定 され る。脱 -近代の 社会構成の新原理は未だ定かな ものではないが, 変化-の現実的対応を迫 られている企業経営がそ の鍵を握 っているとわれわれはみている。 現代の 「エ クセ レン ト・カンパニー」はどれ も 幾分か柔構造組織 と称す ることができる特質を兼 ね備えている(3)。われわれは,現在はシステム観 の変質の時代であると考えている。企業が現在の 環境変動に対応可能な組織形態を採 るためには, 従来 とは違 ったシステム観を導入 し,既存のシス テム観に重ね併せ る必要がある。従来のシステム 観 とはシステムを全体の側か ら捉えた ものである。 そ うしたシステム観によれは,システムが先ずあ って,それか ら個 々の構成要素がある。 ここで用 意す るいま一つのシステム観は個 々の構成要素が 先にあ り,それ らが システムを 自律的,内発的に 構成 してい くのである。 ここでは個 々の構成要素 はそれぞれ システム ・メイカーと呼ぶ こととす る。

田 英

Hideaki Wakuda

要諦は,異質なものが寄 り集 って一つのことを為 し遂げるか,寄せ集め られて為 し遂げるか とい う 違いにある。 システム観の変質は文化的異質性を は じめ として,異質なるものの相互協力 ・協働が 盛んになる時代にあっては避け られない価値の相 対性の是認を前提 としている(4)0 システムを規定す ることは裏返 しに環境を規定 す ることでもある。従 って,システム観は環境観 (客体観)でもある。西欧合理主義は主体 と対象 とを峻別す ることに よりその客観的地歩を得た。 主客の厳格な二分法は主体に よる客体の極端な操 作性を許容す るが,人間を構成要素 とす るシステ ムの内外に もこうした傾向があるのは否めない。 現在,こ うしたシステム観が時代の足伽 となって きた。科学的認識 と言えども主客二分法に基づ く 認識枠-の評価は大 き く変化 している。 こ うした 変化を承けて現代はシステム (主体)の側の認識 の仕組みの変化に よる環境変動 と環境そのものの 累積的変化 とが折 り重なった二重の環境変動の時 代であると言 う方が よいか もしれぬ。主体が環境 を認識 しつつ 自己を変容 させ,また環境 も変えて い くとい う要因が

,

『成 り行 き 』として表現でき る総体的な環境変動に加わ っているか らである。 企業の経営戦略はこ うした環境変動に臨んで,人 間的要因を戦略策定の基礎に捉えて,新たな社会 構成原理を模索 しつつ2つのシステム観を融合さ せなが ら策定 され るべ きである。

1

.

環 境 変 動 の歴 史 的 意味 と経 営戦略 1.1環境変動 と経営戦略 一一・一経営戦略 と社会-ここに言 う環境変動 とは,端的に言えは,それ に見舞われる意識的主体に とっては 「得体の知れ ぬ もの」が増えることであ り,また,環境の不透

(2)

明性 とは 「何が起 こるか分か らぬ」 とい う事態に 直面す ることである。 これらは当該主体による環境 適応 ・環境制御 との兼ね合いで言えば以下のこと を意味 している。 (1)環境を認識す る主体の認識装置のポテソシャ ルが減 り 不測の事態を認識枠に沿 って認識体 系中に厳格に定位 しようとすればす るほど,却 って進展す る事態の真相を障蔽す る結果を招 く とい うこと,つま り,現前に展開す る事態に関 して,言わは 「見えてはいるが,見えない」 と い う状況に陥 ること。 (2)予測不可能な事態の看過 し得ぬほ どの増加, それは,その主体に とって内外の環境 自体が次 第に得体の知れぬもの となっていること,つま り制御 しているつ も りの対象が何であるか分か らないこと。 こうした状況に臨んで,当該主体は自身のアイ デ ンテ ィティに対 して漠たる不安を懐 くこととな る。企業に限 らず組織体は,主体 として 自己の存 続 ・発展を 目して環境 との最適な交流を図るが, その交流の諸様式に鑑みて, 自己の保有す る資源 や能力を最 も有効な Fかたち (パターン) 』で自 己の内外に配置 していかなければならない。環境 との交流様式は組織の採 る,この Fかたち 』で決 す る。 この Fかたち EIを戦略 と呼び,環境 と組織 との相互作用を考慮 しつつ戦略を決定 してい く行 動をここでは戦略策定 と呼ぶ(5)0 環境 と組織 との交流は物質,エネルギー,情報 の各 タームで把捉 され るが,それ らが組織の認識 過程において把握 t処理 され るには各情報は一括 され,一つの意味体系を構成 していなければなら ない。企業組織の場合,物質 ・エネルギ一 ・情報 を貨幣 タームに変換 した総合的な会計情報が公式 ・非公式に重要なもの となるが会計情報を主要な 一要素 としつつ も,総合的な企業 システムとして の自己認識,即ち環境 との間に共有 され る自己規 定が環境 と組織 とを連結す る紐帯 となる(6)。それ がシステムの環境におけ るF意味 』に他な らない。 そ して, この F意味 』は企業組織の採 る諸資源 ・ 諸能力の配分の Fかたち

-戦略 と深 く関わ る。 この場合,戦略 とは企業組織の側か らす る環境へ の自己表現で もあるか らである。 変動の激 しい時代にあっては組織 (主体)は自 己 と関係す る他の諸主体の F意味 』を相互に再確 認 しなければならないが,現在では,相互の関係 を確認す る F意味 EBの母体 となる社会 システムは 近代社会の論理的終蔦の中で歴史的変質を遂げつ つあ り,その帰結 として,各主体の姿

-

F意味 』 は模糊 として きている。企業組織の採用す る Fか たち 』は企業組織を内包す る社会 システムに制約 され る。企業組織 も歴史的存在だか らである。経 営戦略には企業を環境に適応存続 させてい くとい う主た る目的があるが,その策定には企業が社会 に対 して もつ社会的機能が意識 され,適応存続 の 社会的根拠が提供されていなければならない。上に 述べた F意味 』の相互確認 とはこれを言 う。経営 戦略は方法論的には西欧合理主義を根幹 に据えて 展開す る一連の経営管理技法を用いて策定 され る が,一貫 して主客の二分法に基づ くアプローチを 用いて企業 システムの対環境操作的な適応 ・存続 の Fかたち 』を決定す るものを分析塾経営戦略 と 呼び,二分法 のみに固執せず内外の環境 との相互 作用過程 より生ず る創発的な行動を重視 し,その 意味で一見 相対的に対環境操作性の少ない戦略策 定を行 う過程重視の戦略をプロセス塾戦略 と呼ぶ 37) われわれはこの2類型は社会 システムとの関連に おいて歴史的に異質な社会的根拠を もつ と考えて いる。 この根拠の区別はそれぞれの戦略を発展 さ せ る上で重要である。以下,足早にその歴史的経 緯を振 り返 ってお くこととしよう。 1.2 分析型戦略策定の社会的根拠 焼烈な市場競争を前提 とす る個別企業活動に関 して言えば,環境変動の可測性-の危

椙(

-環境 変動の不可測性)は寧 ろ不断に感得 されて きた と ころである。それぞれ企業は自己の保有す る諸資 源の特殊性を以って環境変動の不可測性を して 自 身に有利に展開 させ るべ く戦略を練 ってきたので ある。巷間, よく聞かれるように, この意味で, 環境変動は企業存続の危棟であると同時に発展の 好機で もあった。 環境変動を好機 と位置づげ, これを積極的に喚 起 しようとす る活動の典型は,企業家に よるイノ べ-シ ョソである。華 々しいイノべ-シ ョソに限 らず,元来,市場参入者は何 らかの企図的変動因 を用意 して市場 とい う環境に影響を及ぼ し,市場

(3)

メカニズムに よって新たな利潤獲得の機会を与 え られ るのであった。その成否は別 として,企業家 や経営者のこ うした行動を支えるのは市場 システ ムと,その構成要素 としての行動主体-の信頼で あ った。不確実性は帯びるが,市場 として象徴 さ れたマ クロの欲求充足機構は,それに戦略が上手 くフィットすれば相応の成果を企業に もた らすの である。戦略策定を企てる意欲には前提 として消 費者や競争者に対す る信頼,即ち,彼 らの行動に 見出せ る管の構造的特性が必要である。つま り, 消費者や競争者は商品 と価格 とに託 された メッセ ージを正 しく受け取 る,即ち,商品は経済的交換 の対象 としてのみ解釈 され,彼 らには価格の 『意 味 』が正当に判断できなければな らない。逆に消 費者や競争者か ら言えば,純粋 な商品の価格を反 吹

,

『意味 』していると判断 し得 るような,価格 の正当なつけ方が要求 され る。価格を狭 んで,相 互間に成立 しているべ き信頼関係は市場 システム を内包す る上位 システムとしての社会 システムが もた らす ものである。その信頼を敢て一言で言 う な ら,市場 システムの構成者は 「ある程度,商人 にな り」行動す るとい うことであろ う(8)。 こうし た意図が両者間に共有 されていなければならない。 交換 システムとそれに伴 う評価 システム (貨幣 メデ ィアの コミュニケ-シ ョソ ・システム),具 象的には商人が活躍す る場 と 「用具」を意味す る が,それ らが西欧近代社会の智明期にその論理構 成上,重要な役割を果た しているのは周知のこと である(9)。近代市民社会は商人相互間の関係を構 成す る上述の交換 システムの原理に基づ く商業社 会(commercialsociety)をモデル として経済的 交換原理を経済 システム以外の他のシステムに敷 街 していこ うとした ものであった。即ち,社会 シ ステムが備えるべ き価値一個人主義 と合理主義一 は取引の場における平等 と貨幣を メデ ィアとす る コ ミュニケーシ ョンとに よって実質的意味を与え られたのである。 こ うした社会 システムが構成 さ れれば,社会のあらゆ る局面で, 「ある程度,商 人にな り」行動す る人には,その行動の確実性に 高い期待を もっことができるのである。 この社会 システムは経済次元の自由競争を中心に,自由競 争を保障す る政治次元の民主主義,並びに法律次 元の契約関係 とい う3つのシステムを統合す るシ ステムとして展開 し,それぞれのシステムは 「分 業的」に社会 システムの下位 システムとして位置 づけ られ ,法 システムを主軸 とす る公式の統制機 構に より統制 され るとい う仕組みを もっこととな った 。 分析的 ,論理的次元 ,即ち公式的な社会の仕組 みを離れて現実に眼を向ければ ,現実の行動主体 -.1国人や組織-ほ経済 ・政治 ・法の各 システムの 中で ,それ らと混沌 として交わ りつつ ,相互浸透 的な影響を被 り,また与えているのであった。社 会が一つの社会 として成立す るには ,その構成員 が或 る程度は共通 した社会像を措いている必要が あ り,そ うした必須の可視性を獲得す るために上 述の社会 システムは複雑化 した現実を縮減 して, 把捉 ・構成 されているのである。それには或 る種 の レトリックが必然的に伴 っている。 ここで言 う複雑化 とは同 じ平面に複数のパター ンが重なっていることである。但 し一つ-のパタ ーンは読み取れ るのであるが ,重なった とき,読 み取れない とい う点を付け加えておかねばならな い。複雑化 した状況では 「見えてはいるが見えな い」事態が顕れていると考 えるのである。 「ある 程度,商人 として」行動す ることは,その背後に 人間関係の合理的構築の可能性を仮定 し,あらゆ る事物の価値を貨幣尺度に変換可能であるとす る 仮構的な信念に より,社会的行為に一元的解釈を 施 して,そのパターンの合理的一元化を企てるも のであった。ただ ,それ らは共同的な仮構であ り, それ らを人 々が操作すべ きことは充分に意識 され ていた。社会 システムの諸機能が,それぞれ激能 特化すべ きもの として措かれているのであるか ら。 それ らが操作可能なものであったかは自ず と別問 題である。 この 「ある程度,商人にな り」 とい う, 行動に課せ られた擬制は当然,集合的 ・組織的行 動主体である企業に対 して も充て られ,恰 も人の 如 き欲求を もつ主体 として擬人化 して扱 うとい う 形でそれは擬せ られた。 これは自身の欲求充足を 叶えるために利潤動機で動 くのは人間の本性 とし て自然なことであるとい う信念を企業に も敷術す ることを意味 したのである。 更にこの擬制は,企業に とっての環境変動は市 場を通 じて,価格を基に形成 された言わは経済的 情報体系に集約 されて察知 され処理 され るとい う

(4)

信念 を派 生す る。つ ま り企業 は経済的価値を何 に もま して優 先 し,一般 的 な環境情報 を変換 し て,経 済 的情 報体系 の与 え る意味 -評価 にのみ 基づいて合理的に行動す るとい う社会的信念が生 まれたのであ る。そ して企業には経済 システムの 中心にあ って欲求充足機構の合理的で優秀 な機械 であること,擬人化 ,それ も純粋な 「経済人」 と しての擬 人化が要請 されたのである(10)。それが社 会 システムの付与 した企業の 『意味 』であった。 しか し,企業 におけるもう一方の登場人物である 労働者 の側か ら言えば,交換は基本的に,その場 限 りの ものであ り,交換に臨む当事者 の歴史的存 在性 ,その個人の資質 ,精神的 ・身体的成長過程 に占め る位置等 々,交換を不平等 として しま う要 因はその場では無視 され る。経済的交換に赴 く個 人は原理的には社会的に解決 し得ぬ諸問題を季 ま され ,それ らを個人的に解決すべ きもの とされた 個人であるに過 ぎない。社会 システムの中で企業 はその ような人 々に も 「経済人」 として結局の と ころ是認 され ,経済 システムにおいて 「経済人」 として行動すべ きもの とな り,最 も理想的な 「商 人」 として行動 し得たのである。それには ,企業 経営者 の側か らは,資源の効率的配分 とい う 「神 の見えざる手」に よる欲求充足の浄化-の期待か ら生ず る市場に対す る神聖視 とい うべ きものが影 響 してお り,他方 ,労働者の側では近代市民社会 のモデル としての交換が ,当為 として平等を仮構 してい ることも影響 したのである。社会 の仕組み としては交換 の平等を保証す る為の社会的措置は 経済領域 を離れて政治 ,法過程を経 由して実現 さ れ るべ きもの とされているのである的。労働者の 政治過程 におけ る公式的な実力行使であ る選挙の 論理的根拠は市場のそれ と同型である

(

l功。 こ うし た仕組みに沿 って労働者 も純粋な 「経済人」 とし て行動す るよ うになった として もよかろ う。 ともか く,企業経営者が企業の名において ,そ の トータルな人間性を否定 し 「経済人」に徹す る ことがで きるのは社会の構成原理がそれを許容 し 要請 したか らである。西欧近代社会 システムの論 理的に最 も先鋭な主体である企業が 自己 目的 とし て利潤 最 大化 を設定す る,その背後 には西欧近 代社会 システムの論理的完結性 とい う深層構造が あ った と言え よ う。擬人化は組織体である企業 と 人間である労働者 との交換を可能に した。近代社会 システムの レトリックは論理的には矛盾を季む。人 であって人ではないとい う類の矛盾は西欧に伝統的 な合理主義 と最 も相入れぬものである。に もかかわ らず,あるいはそれ故に近代社会 システムの構成原 理の下で, 「経済人」とい う仮構に双方が歩み寄 っ たのである。そして,個別企業の分析型戦略策定の 社会的根拠は この レトリックにあるのである。 1.3 プロセス型戦略策定の社会的根拠 企業行動は利潤最大化 を 目的 として行動 した と して も経済領域にのみ展開す るわけではな くその 行動は様 々な経路で政治,法,社会,文化 に及ぶ。 しか し,社会 システムの要請す る論理的完結性は, その影響を経済 システムを通 してのみ認識す る傾 向を生 んだ と言えよ う。それは,上述 した よ うに 政治 ・法機構を経 由す る統制を確保す るには経済 ・政治 ・法を分析的に峻別可能な もの とす る必要 があ ったためで,経済 システムの主要な構成要素 であ る企業は経済 システムにおいてのみ主要な機 能を果たすべ きであ り政治,法 と無 闇に連結 して はな らぬ とい う社会 の構成原理上の要請,法制的 タテマ-があるか らである。 ところが現実に眼を 向ければ,機能分化 して把握 され る政治的,法的 諸実体を繋 いで個 々の企業活動を営むために各実 体 を行 き来 して連結す る個 人が眼 に とま る管で あ る。 それ は恰 も,人 々が機 能主義 的建築物を 行 き来 して 自身の 目的を遂げ るよ うで もあろ う。 各下位 システムは水面下では主 に人的ネ ット・ワ ークに よって連結 しているのが近代的 自由のホソ ネか ら言 って も当然ではあるが,そ うした連結が 存在 している事実は近代の社会構成 の論理か らは 決 して是認 されず,現実は ど うであれ,そ うした ネ ッ ト・ワークは公式的には 「見えてはい るが見 えない」 もの とな り,下位 システムである経済, 政治,法の諸 システムは別個の論理を もつ もの と して存在 していなければな らないのである(13)。そ れ ら諸 システムの相互浸透 した領域に何 らかの組 織が介在すれば公式的統制機構を超越す る統制 も, また可能 となるか らであ る。 経済,政治,法の諸 システムが混清 した問題は, 各 システムを公式的に統制,補導す る国家磯構, 国家官僚制機構,並びに政府政策等 々 との関係の

(5)

問題 と して,国家 と企業 ,政 府 と企業 とい う文 脈 に最 も顕 れ易 いSDこ うした問題 は個 別企業 の 経 営 戦 略 策 定 と関 わ りを もち看 過 しえ ぬ重要 性を もつが,前者 に よる後者の統制 とい うタテマ -が存在す るため,企業は法的規制-の対処行動 とい う形で事後的に,それを戦略策定に対す る環 境的制約の一項 目として扱 うことになる。 ところ が現実には法的規制が実施 され る以前にそれに対 応す る自社製晶の研究開発, 自社に有利 な規制 と な るべ く関係諸機関-働 き掛け る,世論操作等 々 の事前 の対策が可能であ り,企業の戦略的対応 と して はそ うした事前 の措置 が採 られ てい るg9こ の こ とは企業 が既 に 「経済 人」 として経済 シス テ ムの中だけ で ,単 に経 済 の論 理 のみ に依拠 し て行動 してい る とす ることが タテマ-の上 で も で きな くな った とい うこ とを意味 してい る。わ れわれ は企業 の社会 システ ムにおけ る属 性が変 わ った としなけれ ば な らないので あ る。個人が その社会 的属 性 に付与 され る社会 的 『意味 』に ょって規定 され ,社会 的役割や 規範 の 中で特定 の行為準則を与 え られ るのは社会 システムが特定 の構造 ・秩序 を維持す るためではあ るが,企業活 動は 自らの領分を越 えざるを得な くな って久 し く, 既に近代社会の論理を超えて,近代社会 システム の構造 ・秩序 を壊 しているのである。そ うい った 意味 で,脱 -近代 ,ポス ト・モダンの論理が必要 とな ってい るのである。 この点を象徴的に示 してい るの

ほP.

ドラ ッカ ーの言説 である。 ドラ ッカーは企業 の環境 に対す る積極的働 き掛けの典型であ るイノベ ーシ ョンに 関 して,発明や発見はイノベーシ ョンに必要 とな る場合が多いが, 「イノベーシ ョンの焦点は知識 にあ るのではな く,成果

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,釈 , 47頁 〕 と した。 そ うな る と企 業 の 『意 味 』, 戦 略

-

『か た ち 』は 当然 変 化 す る。 企 業 の社 会 に対 す る基 本 的機 能 は イ ノベ ー シ ョンとマ ー ケ テ ィ ン グー 事 業 家 の環 境 (特 に社 会 ・経 済 シ ス テ ム) に対 す る積 極 的 活 動一 に な る〔同 上

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頁〕 。そ して企業が 「経済人」であ り,欲求充足の最大化を期 して行動す ることの決 定的な証,利潤最大化 とい う目的は否定 され る。 「個人の悪徳は万人の美徳」 とされ る際の悪を測 定す る基準 となる経済的成果-利潤は,記号 として 表徴す る 『意味 』を変質 させる.(W (従 って 「万人の 美徳 とは成 り得ないとも言える訳であるが) ともか く,それは 「事業活 動

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や意思 決定の妥当性を検証す る一つの基準を提供す るも の

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頁〕 として企業行動の解釈 としては福次的 『意味 』を与えるに過 ぎない記号 とな るのである。市場が 「神や 自然」の手か ら離 れた とき企業行動は,公式的に,最大利潤 の追求 とい う 「人間的」欲求に よる比愉 では解釈不能に な ったのである。 企業 と社会 システムとの コミュニケーシ ョンの 根幹にあ った,人間の欲求充足 とい う比倫が使え な くな ってみ ると企業 の戦略策定 の社会的根拠は 実に暖味にな って くる

『必要悪 』としての利潤 最大化 とい う,企業 と社会 とが相互に企業行動を 解釈す る主要文脈がその社会的意義を部分的にで はあれ喪失 して しま うのである。 こ うな ると企業 は政治 ・法過程を通 して社会 システムを統制す る 機 構 に託 され ,時 間的には繰 り越 され て いたが, 存在 していた交換 モデルの平等性 に纏 わ る諸問 題 に正面 か ら取 り組 まねは な らな くな る。 こ う 言 うことが許 され るな ら

,

『必要善 』について 配 慮 しな け れ ば な ら な くな った の で あ る。 これには企業活動に伴 う外部不経済効果の顕在化 に伴い企業の社会的責任論に耳 目が集 ま り,企業 がオープン ・システムであ ることが意識 された こ とや,そ して また逆に企業が存在す ることに よる 経済的効果,外部経済効果 も再認識 された ことも 関係 してい る。 こ うなると企業行動は必然的に経 済領域におけ る文脈だけでな く,複合的な文脈で 展開せ ざるを得な くなる。企業は社会 システムに おいて社会 システムの レ トリックを経 由せず直接, その 『意味 』を見 出さなければな らな くな ったの だ。その結果,経営戦略策定は社会的根拠 も不明

(6)

瞭にな り必然的に複雑化す るのである。 こういっ た状況でプロセス型戦略は社会的根拠を定立 しな ければな らないのであるが,例えはマーケティン グ活動の ように対環境相互作用を積極的に行い自 身の経済領域-の限定を止めるなら,それは近代 社会 システムの論理を超えた新たな社会構成原理 に基づいていなければならないのである。

2

人 間 関係 の構成 原 理 一一一.経営戦略 と人間的要因の社会 ・文化的基礎一 戦略策定の社会的根拠について記 して きたのは 企業経営 とい う行為 自体が歴史的具体的制約の 下 で 「経営 の実践 のなかか ら生 まれて くる経営 上 の ニーズを充足す るために展開 され

亡小野 1979,i頁〕て きた ものであ り,現在 にあって も基本的に個別企業 は同様 の制約条件下 で 「経 営上 の ニーズを充足す るために」模糊 とした環 境 と自己 とを起爆 力 として,その双方を再構成 していこ うとしていることに変わ りはないか らで あ る。個 々の企業 の属す る社会的背景 とその歴 史的文脈において経営戦略は特殊性を もつのであ り,世界的な規模で事業展開が為 されている今 日 で も現地の社会 ・文化的特殊性 と母体 となる企業 の社会 ・文化的背景 とは文化摩擦 として意識 され るtl竹そ して摩擦は組織 ではな く先ず,人間に顕れ る。 人間の組織的営為に不可欠な統制の文脈に遡及 す るまで もな く,人間的要因に着 目した管理の基 本が 「人を して為 きしむ」 ことにあるとす るなら ば先に記 した企業行動の擬人化 した把握様式を西 欧近代社会の文化の一つ として捉えて も不 自然で はなしさ1.0その文化が用意 した経営管理における鉄 則,結果を説明す る究極の法則は進化論的な適者 生存概念であった。競争のあるところには,企業 組織単位でも,また個人を単位 とす る場合でも優 勝劣負をポジティヴに評価す る進化論的説明図式 一西欧近代社会の拠 り所-が適用 され るのであっ た。そしてこれは企業内部で 「人を して為 きしむ」 ための基本原理に関 して も同様であった。 こうし た点に西欧近代社会におけ る自然認識 と社会認 識 との相同性が象徴的に認め られ るのであるが, ここではこれを総 じて主体 (システム)が対象 (環境)に対 して採 る態度

,

F構え 』の歴史的 ・ 文化的 ・社会的特殊性 として扱 う。 組織に関す る客観的知識の体系である組織理論 の,その文脈で環境 と言 うとき扱われ るのは一般 環境, タスク環境,組織間環境、創造環境等の諸 概念である 亡野中他,1978〕 。 こ うした諸概念の 背後には,主体によって採 られ る或 る特定の F構 え 』,つま り環境 とシステムとを峻別 し前者を後 者に よって一方向的に制御 ・統制す ることができ るとい う西欧合理主義の伝統的態度が見受け られ ると言えよう。それは例えば, 「外界の対象の行 動および他の人間の行為について或 る予測を もち, この予測を結果 として合理的に追求 され考慮 され る自分の 目的の為に<条件>或いは<手段> とし て利用す るような行為である

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ヴェバーに より規定 された 目的合理的行為の中に見出せる近代的な態度であ る。 このような態度,行為が人間相互間において 可能なのは F自 』 ・F他 』の明確な二分法的峻別 が自然に受け入れ られ る土壌があるか らである。 目的合理的行為者が取 り結ぶ社会関係には対象 と 主体 とを峻別 した客観主義に立脚 した個人主義が 前提 としてあるのは言 うまで もない。 さて,上の規定にみ る 「利用す るような行為」 は他方においては 「利用 され るような行為」でも ある。いま人間同志の相互行為の在 り方に関 して 言えば,個人主義が ど う規定 され ようとも,一方 的に 「利用 され るような行為」が続 くようではそ もそも個人が相互に自身を個人 として意識 してい るとは言い難い。そ して これ もまた自由意志の議 論 とは別の次元で

,

F自分のことは自分で決め る』 とい う程度の主体的な意志を発揮 して当事者相互 が社会的関係を取 り結ぶ とい うこと,或いはそ う 望む ことは歴史的,地理的にも寧 ろ普遍的に見出 せ ることである。 この ような意志を もつ個人が継 続的に社会的関係を締結す るに際 しては,一方的 に 「利用す るような行為」を,そ うでない行為 と して構成す る必要性があった と考えて もよかろ う。 おそらくバ ラソス ・シー トを書 き続け ることに よ り 「利用」 とい う概念 自体を慣習の中に消失 させ て しまったのであろ う人摂学的な互酬関係 もそ う した-例である

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多 くの社会では,社会生活を円 滑に行 う為には 「利用す るような行為」に陰在す る不平等性を変換 ・解消す る装置が必要であ り,

(7)

それは成員間の対等な関係の構築を通 して社会の 一体化 とも深 く関わ っている。 西欧社会の社会思想史的な個人主義的背景を考 えてみれば,こ うした変換 ・解消は 「利用す るよ うな行為」を 『相互に利用す る行為 』- と発展 さ せ るべ く進展 していった と言えるだろ う

F相互 に利用す る行為 』とは制御 ・統制の語を借 りて言 えば,相互に制御 ・統制す るとい うことである。 これ は,その時 々の交渉 に よって成立す る交換 的関係に よ り成 り立つ。西欧社会 の個人主義的 主体 は相互 に他者 を制御 ・統制 しつつ交換的社 会 関係を成立 させてい る とい うことにな るので あ る。先に述べた西欧近代 の社会的行為を貫 く 経済的交換モデルへの準拠は,交換当事者の交渉 の 自由を確保す るとい う意味での平等の政治的 ・ 法的保障,並びに貨幣 とい うコ ミュニケーシ ョン ・メデ ィアの共有に より,個人主義の 目す る『相 互に利用す る行為 』を社会的に実現,構成す る装 置 として捉 えることができる。そ して,この交換 モデルに準拠 して,経済の在 り方を真似て社会的 行為のすべてに 『相互に利用す る行為 』を成立 さ せ るべ く政治的,法的機構が社会 システムを制御 ・統制す るのであった。 しか し,社会で共有 され る認識体系に意味付与 され る社会的行為の 『意味』 と現実の生活次元におけ る個 々の人 々の社会的行 為の 『意味 』とには 自ず とズ レが在 る。個人が個 人であるのは自身の行 う社会的行為に自ら意味付 与を行 うこと,言い換 えれば 自身の一連に連な る 社会的行為の文節化を 自由に行 うことである。 と ころが,経済を真似た上述の装置は現実の生活の 場にあってほ個人の社会的行為を経済的行為 とし てのみ文節化す ることが結果的には平等条件を整 える,つま り自由を確保す るとい う論理的構造を もつため極めて強引に他の行為 まで経済的に文節 化 して しま うのである。 こうして社会 システム内 におけ る経済的 『意味 』がすべてに優先す る。 こ うなると個人の側か ら言えは,経済的行為 と他の 行為 とを意識的に峻別す ることが生活を営む上で 肝要になって くるのである。 この近代の レトリックにより生ずる欠陥は,経営 組織に顕著に顧れている。端的に言えば個人と組織 との金銭の交渉一経済的行為 として分析的に把捉 可能である一に関 しては上述の様な経済的交換関 係が成立 し,従 って 『相互に利用す る行為 』が成 立 した とす ることもできる。他面,各人が分担す る 『仕事 』に関 しては,それが社会 的行為であ るに もかかわ らず 『相互に利用す る行為 』とし ては構成 されていない。職務分掌 に よ り明確に 規定 された職務に より具体化 された行為群は,階 層 的に行為 の束 として組織構造 に対応す る。組 織構造を視覚的に示す組織 図が即 ち,公式的な 権力構造 の模式図であ り, こ うした経営組織 を 見れば制御 -被制御 の関係 のみが露骨 である。 労使双方がそ うした構造 を作 って きた とも言え ようEo 効率性 とい う概念を持ち出す まで もな く,なる ほ ど,組織の行動には明確な意思決定体系 と厳格 な命令体系 とが必要であ り,それ らは 『仕事 』が 大 き くなればなるほど重要性を増す ことは当然 と して よいであろ う。 しか し,組織を通 じて為 され る F仕事 』が,人々の行為を連鎖的にシステムと して作 り上げた成果 として完成す ることを思えは, その一人一人の為す行為が 「外界の対象の行動」 と同位に扱われ る程度の軽重において, 「他者の 行為」 として把握 され,即座に職務体系 として上 記の階層的組織構造 と対応づけ られ,制御 -被制 御の関係図式に当然の如 く族め られ るのには疑問 を懐かざるを得ない

「利用す るような行為」に 陰在す る不平等性を変換 ・解消す る装置に対す る 配慮が,協働 して 『仕事 』をする行為そのものに関 しては欠落 してい るか らであ る。西欧近代社会 が依拠 してきた 『相互に利用す る行為 』を構成す るとい う交換的社会関係の構成原理が,労働市場 にのみ適応 され,現実の労働現場には貫徹 されな い とい うことは実のところ,極めて奇妙なことで ぁる

3

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確かに,経済的関係 としてほ労働 と賃金 との交 換において 『相互に利用す る行為 』は完結 してい る。その限 りにおいて管理す る主体 と管理 され る 客体 とい う関係は厳 として存在 している。そ して, 当然の ことなが ら上述の ような経営組織構造の背 後にあるのは管理す る主体 と管理 され る客体 とい ラ,この二分法的認識であることは容易に察せ ら れ る。問題はこうした二分法的に規定 された関係 の用い方である。 ここでは経済的に意味づけ られ た相互の平等性は認め られ るとして も,現実の人

(8)

闇行為 の交錯 一特 に重要 なのは F仕事 』を狭 ん だ場面 の人間 関係 -の意識 的再構築 には無頓着 であ る。 頓着す る として も,それ は当然 なが ら 管理す る側 か らの

,

F労働 』をめ ぐる頓着 であ るoそ れ らは テ イ ラーに よる科 学 的管 理に よ る労 働 力 の管 理,Personnelmanagementに よる労働 力の管理,Human Relationsに よる労 働者 の管 理- と進展 したが,経済的関係 を本質 的な関係 と規定す る被制御者か らはそれ らは皆, 原理的に制御 -被剃御 (管理 -被管理) の一方 向 的な文脈 に よるもの と見倣 され ざるを得ず,管理 の強化以外の意義づけは持 ち得ないことになるS砂 ここでわれわれは,環境 とは システム (主体) ではない ものであるとい うことを想い起 こさなけ ればな らない。 システムでない ものは明確なF他』 である。 これは,人間を環境 として位置づけ対象 として把握す る場合に も変わ らない。問題は人間 を含めて

,

F他 』の扱い方にある。人間の制御 -統制,管理に纏わ る問題の端緒 は ここに見出せ る のである。経営組織 におけ る管理は当然,その環 境 である社会 システムの内部で為 され るのであ り, 「他者を して為 さしむ」には社会 システムにおけ る一般的な人間の制御 -統制方法が採用 され る。 先に記 した よ うに西欧近代社会では進化論の用意 す る適者生存 とい う鉄則が共有 されて きたのであ るが,それを も含めて特定の環境 (対象)観が近 代社会におけ る企業活動をかな り容易な ものに し てきた

「他者を して為 きしむ」場合の 「他者

を徹底的な他者性の もとに扱い得たか らである。

3

.

分析 型 経 営戦 略 とプ ロセ ス型 経 営戦 略 の 類型 的 比 較 われわれは分析型戦略を近代的な性質を もつ も の と見倣 し,プロセス型戦略をそれ とは別個 のも の として見倣 してきた。 ここで,それぞれの戦略 アプローチの特徴について記 しておこ う。われわ れは分析型戦略の本質的特徴は対象に対す る操作 的 F構え 』であると考 えてい る。その F構え 』は 西欧近代において公式の社会的文脈で人間にまで 拡張 された,主体 と対象 との完全な二分法に よ り 生 じて くるものであ る。つ ま り,われわれの観点 か らす るこの両 アプローチの本質的な相違は内部 環境,外部環境を問わず,環境 と主体 との関係性 の認識 にある。前者が環境 に或 る特定の間合いを とるのに対 して,後者は環境 との間に密着 した関 係を意識 しているとい う点であ る。 この場合,密 着 した関係 とは一体化ではな く,不特定の間合い (複数の関連) とい うことを意味す る。従 って, われわれの立場か ら言えば,分析的であ りこの二 分法を採 るものであって も操作的 F構 え 』を止場 して実用に供 しているものであれはプロセス型戦略 と見倣 され る。その,プロセス型勤略策定の観点から ほ環境に対 して知識創造,環境創造 (-ナ ク トメ ソ ト) とい う積極的働き掛けが意識 され るC.9意識 され ると記 したのは,前者において も知識創造, 環境創造は西欧近代におけ る合理化 とい う特定の 形式で社会 システムを通 して既に行われてきた と い う点を強調 したいか らである。 さて,上野は分析型戦略 アプ ローチの代表例 と され るPPM,PIMS,経験曲線等は 「一貫 し て経済合理性に導かれた ものである」ノ∈卜うっれわ れか ら言えば,正に F商人 』として行動す ること - を指摘 した後,こ うしたアプローチの特徴を, (1)「トップは ≠全知oであると考 えてい る点」, (2)「環境 一戦略一組織 一個人の間に連続的な斉合 関係があることが重視 されてい る」点,(3)「戦略 は戦術 ・実行マニュアル- とブ レーク ・ダウンさ れ る」点を挙げている。 これは戦略策定主体 と戦 略そのものの特徴であるが, こ うして策定 された 戦略の有効性は以下の条件 の下に委ね られ ること になる。上野の示す諸条件は経営主体 の もつ仮説 に他な らないが,それ らは経済的交換がすべての 行為を文節化す るとい う近代社会の約束 を反故に した場合には,主体 と対象 との関係に対す る甘 い 予断に過 ぎな くなって くる。仮説即ち,(1)「環境 が事前に相対的に分析可能な こと」,(2)「経営戦 略を組織 内の メソバーが事前に十分に理解 し,オ ー トマテ ィックに メソバーが計画通 りに動 くこtJ 等である 亡上野, 1990, 652貢コ。 こ うした環境 (対象)観が組織形態- と具現化 した ものは階層型組織であ るが,企業 の 「経営上 のニーズ」を充足す る為に組織 にはその成長段階 に応 じて職能制組織 ,事業部制組織,マ トリクス 組織等の発展形態-の変化が可能であ る。 これ ら の組織構造への発展が戦略 と組織構造 との関連 と して取 り上 げ られ る擁会 は多か ったgDしか し,

(9)

こ うして環境-の対処能力の増大を図る場合に も 階層制 の原理的構造は変 らず , トップが判断を 誤 らぬための事前情報の入手が中心的な課題 とな り

,

「経営戦略を組織内の メンバーが事前に十分 に理解 し,オー トマティックに メンバーが計画通 りに動 く」 とい う操作意識の強い理念には十分な反 省が行われてはいなかった。先述の経済的交換モ デルに よ り導 出,敷術 され る行為の経済行為的一 般化に多 く依存 したため,人間そのものに関す る 戦略的配慮を欠 くこととなって しまったのである。 組織構造 自体 も人間を労働市場に求め容易に交換 可能なもの と見倣 してきたが,例えばモチベーシ ョンや現場におけ る創意工夫,それ らの交換 ,現 場情報の提供等 々,従業員の内発的契機に依存 し てお り人間が本来,経済的に交換 し得ぬ もの即ち, 経済的交換 に よ り本質をそ こな うものは交換 し 難い とい う事実を無視 して きたのであ る。 この ことが分析 型戦略 においては人間的要 因,つま り人事戦 略 が軽視 され る とい う結 果 を招 いて いる

.

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知識創造的でイノべ ィテ ィヴな組織を 目指す場 合,人的要因が,その組織形態を決す る要の位置 を占め る。表は伝統的組織 とイノべ ィテ ィヴな組 織 とを対比 させた ものであ り,そ こでは組織効率 は環境適合的に決定 され る。 その表 でイ ノべ ィ ティヴな組織に注 目す ると,自律的作業チームに よる協働的作業を核 として全員の作業能力の増大 が期待 されているのだが,経営戦略の核心部分に 労働者の労働者 としての成長が大 き く関わ ってい ることが明らかである。経営戦略は長期的視野を 要す るが企業の ドメイン決定を行 う上でも,基本 的にその方向を決めているのほ,具体的には ヒ ト に蓄積 している有形 ・無形の技術力である。そして ヒトが組織の内外で情報を蓄積 し,創造するように, 亡表〕 伝統的組織 とイノべ ィテ ィヴな組織 組織 デザインの構成要素 伝 統 的 組 織 イノベ イテ イヴな組織 タスク/技術 ルーテ ィン ;高度に確定的 複雑 ;不確定 従業員 とりたてて成長へのニーズはな 成長へのニーズは高い; 刀 , , 直 い; 多 -技能化 している 観,態度,パーソナ リテ ィ) 限 られた技能をみ っち り 情報/意思決定の諸 システムニケーシ ョン, 目標設定,フィー ドバ ック-裁量過程ふ くむ)(情報過程 と意思決定 ;コミュ 集権化 ;クローズ ド 分権化 ;オープン 人的資源の諸 システム 標準化 した採用管理 ;ルーテ ィ 実際の職務を事前に検討 ;継続 (採用,教育訓練,評価報酬 シ ソ化 した訓練,職務給 ; 的訓練,職能業績給 ;職務の充 ステム, ワーク .デザイン) 限 られた反復的職務 実化 ;チームに よる自己調整 構造 縦長の確固 とした フラットで柔軟な (-イアラーキ,管理限界,メ -イアラーキー構造 ; -イアラーキー構造 ; スク .フォース,総括責任者) 職能部門制 自給的な事業単位制 組織内の価値お よび規範 従順 さやルーテ ィン化 した行動 組織 との関わ り合い,イノべ-つ ま り学習す るように方向づけ られている場合に は彼 らは極めて重要な戦略的情報を もた らす可能 性 も多 くなる。小 さな改善の集積に例を見 るよう な集合的創意工夫の技量が経営戦略の要因になる よ うに

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『仕事 』を中心に した現場知識体系のポ

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テンシャルには未だ底知れぬ ものがあるとすべ き であろ う。経営戦略策定主体の中心部 との密接な 交流が必要なのである。だが,従来の,経済的関 係 と割 り切 った労使 関係 で は能力の高 ま りとと もに ジ ョブ -ホ ッピングを招 いて しま う。 こう -

(10)

27-なると基盤人事の形成が重要な課港 となって くる。 基盤人事 とは津 田最激に よれば 「従業員がわが社 に生涯を託 して悔いのない安心感 と,わが社で全 人格を投入 して悔いがないとす る意欲の確立を う ることを 目的 とす るヒ トについての育成,活用, 処遇の基盤 となる人事労務管理思想 とネ ット・ワ ーク,およびその蓄積のこと

〔津 田, 1987, 73頁〕である。われわれは自社-の強す ぎるコミ ットメソ トは却 って労働者個人の創造性を偏狭な ものに してしま うと考 えるが,ここではふれない。 ともか く,企業が労働者に対 して自身の魅力をア ピール しなければならない局面がここにはあ る。 雇われ る側は 日々の労働が新鮮で魅力があ り, 報酬が良ければ少な くとも文句は無い訳だが,企 業 はそ こに固有 の事情 を もってい る。大切なの は F仕事 』を中心に据 えて,それをチームに託 し信頼す ることであろ う

「商人 として」行動す ることを期待す るのではな く, 「労働者」 として 優秀な F仕事 』をす ることに期待 しなければなら ない。そもそもF仕事 』を通 して成長 してい くの が 「労働者」であった。 こうした点に関 して反省が為 され る契磯を与え たのが自己組織 システム論である。 この場合,企 業が事前に戦略的観点か ら自己組織 システムに注 目したのではな く,注 目すべ きェクセ レソ ト・カ ソバニーが 「経営上のニーズか ら」そ うしていた 組織 の在 り様に,幾分か,自己組織的原則が 「見 えは じめた」のである。 自己組織 システムは野中の整理によれば普遍的 に,(1)不均衡性,(2)自律性,(3)自己超越 (self -transcendende),(4)メタ ・スクビリテ ィ,(5)選択 ・保持,(6)非確定性 (オープソネス)の諸原則を 持たねばな らない ⊂野中, 1983]。西欧的合理性 に慣れ親 しんだ主体が こうした諸原則を自己に対 して適用 しようとても,対象に対 して適用 しよう として も上手 くほいかない。先ずその F構 え 』を 変えなければな らないのである。経営 ・管理に 別 して言えば, 「計画通 りに動 く」より以上のこ とを期待す るとい うFかたち 』が加わ り, 「人を して為 きしむ」方法がわれわれの言 う意味で複雑 化す るのである。 プロセス型戦略に特徴的 とされ るのは,(1)企業 と環境 との相互作用過程か ら創造的に形成 される - 28-とす る戦略観,(2)戦略策定 と実行過程 とを二分せ ず コソセプ トとコンテソ トの交流に よ り戦略を組 織過程そのものか ら産み出す こと,(3)アプ リオ リ な前提を排除 し,事前 ・事後の循環的なセソス ・ メイキソグを旨とす る行動重視 とい った諸特質で ある

〔奥村,1989

亡上野,1990〕。 こうした 特質は組織に 自己組織的特質を与えなければ不可 能な ものばか りである。時代の転換期に当たる現 荏,このような方向-企業が注 目しているとい う 点は重要なことであるが,そ うした中で企業 とし て 自己組織性の備える新奇 さ,殊に自己超越 とそ れに より結果的に現われて くる情報創造機能にの み焦点が絞 られているのは本末転倒の事態である とす るのがわれわれの立場である。組織が 自己組 織性を もつには先行要件がある。 われわれは環境変動に関 して,(1)主体の認識装 置のポチソシャルが減 ること,(2)内外の環境 自体 が得体の知れぬ ものになっていること, とい う二 点を特に強調 し,こ うした事態は主体のアイデソ テ ィテ ィを不安定なものにす るとした。 こうした 不安を主体が もたぬ限 り,自己組織性概念は企業 に とっては無意味である。そ して,この場合の主 体は トップではな くそれを含めた組織全体なので ある。われわれは環境変動-の企業の対処的措置 の一つ としての

CI

(コーポラテ ィブ ・アイデ ソ テ ィテ ィ)に新たなアイデソテ ィティの模索の典 型をみ ることができるe.0企業 コソセプ トの開発, 即ち企業の自己定義か ら展開 され る一連の計画は, 単に多角化に伴 う事業領域の設定に関す る,或 る 種,表現論的な手段 としてではな く,また従業員 に対す る新たなモチべ-シ ョソ戦略 としてではな く,更に企業広告の手法 としてでもな く,正 しく CIであるとす るな らば,それ らの統合 としてC I実施に伴 う現場の真撃な営為を必要 とす る。重 要なのは,企業の自己定義を現場従業員の何人が どれだけ真撃に行えるか とい うことであ り,そ う した文化を企業がこれまでに構築 してきたか とい う点にある。企業 との経済的関係を締結 しつつ 自 己の属す る企業の F意味 』を問 う従業員の自問, それがあっては じめて企業の社会的 F意味 』を検 討 したことになる。社会 システムとの相互的な, F意味 』確認の一歩を印した と言えるのである。 企業がこれ まで上述 してきた ような意味で,環境

(11)

(社会 システム)か らの支援を多 く受けてきたから である。 プロセス型 と称 してきた戦略の策定は自社 の情報創造過程に こうした環境か らの支援を意図 的に吸収す るとい うことでもある。それは,多 くは人 々が経済的交換 として公式の文脈を与えてこなかっ た部分,人 と人 との直接の関係によるアウト・プッ トの産出とい う集団次元の成果として吸収される。 組織に自己組織的特質を与えるとは,われわれ の文脈で言えば組織内に 『相互に利用す る 』よう な文脈を構築す ることである。言い換えれば

,

『仕 事 』を管理す る行為に対応 して,管理させる行為を 対等に築 き上げることである。 これは 『仕事 』を 決定 し,設計 し (させ) ,実行 させ るシステムが 階層型組織構造において具現 されていた ことに対 応づけれは

,

『仕事 』を決定 させ,設計 し(させ), 実行す るシステムとして完成す るのである。 この とき肝要なのが対象に臨んでの主体の 『構え 』な のである。 この 『構え 』は経営戦略策定の際,最 も重要なもの となる。即ち,環境に対 してモノに 対処す るように接す る方法を経済的交換モデル-の準拠に よって人間にも適用 していたのであるが, 激 しい環境変動に対応す るには寧 ろ,本来,人間 に接す るべ き方法をモノに も適用す るとい う補完 的装置を経営戦略の根幹に据 えなければな らない のである。人間に接す るべ き方法 とは自他を二分 せず,また同一視す ることな く対処す ることであ る。組織のもつ認識装置 と環境 とが同時に変動 し つつある場合,組織を常に環境に対処できる状態 に保 とうとする場合,内外の環境 と適度に 『間 』を とりつつ戦略を策定するのが最良の策だからである。

4.

システム ・メイカー

人間をその構成要素 とす るシステムを考察す る に当たって,われわれが留意 しておかなければな らぬ ことは,当該 システムの構成要素た る人間の もつ 自律性である。 この場合,自律性 とは 「他 と 与 しな

い」,

「他を頼まない」 とい うことでは勿 論ない。 システムを構成 しつつ 自律性をもつ とい うことである。言わば 『和 して同ぜず 』とい う繋 が りである。 ここでは,全体 と個 々の構成要素 と の直接的な関係はシステム自体 とは別であると考 えなければな らない。 ここに言 うシステムとは構 成要素の諸関係に より生ず る (実体,属性,作用 としての)全体のことであるが,上記の諸点に留 意すれば システムか ら個 々の要素を構成要素 とし て一方的に把握す るだけでな く,構成要素の側か らもシステムを把握す る方向が当然あるとしなけ ればならない。 ここで,システムを把握 している 個 々の構成要素をシステム ・メイカー と呼ぶ。 次に,人間が構成要素 として把握 され る場合 と, システム ・メイカーとして把握 される場合の相違を 述べておこう。構成要素 として把握 され ようがシ ステム ・メイカーとして把握 され ようが,それ ら が個 々に認識体系を もつ人間であることに変わ り はない。 しか し,構成要素 として把握 され る場合 には個 々の認識 の同一性が常に問題 となる。名文 化 された契約がその良い例であるが,言語による記 述 と,それに より表現 された ものとの対応を一義 的に規定できることが,そ もそ も人間を構成要素 とす るシステムの成立要件である。極言すれば, システムの構成要素は 「それさえできれはよい」ので ある。 システム ・メイカーか らすれば言語に,そ うしたことを期待す るのはそもそも無理である。 彼 らは具体的事物か ら概念-の直接的飛躍には慎 重である。従 って,認識におけ る視覚的要素が重 視 され,その方が寧ろ共通認識 の拠 り所 となるこ とが多い㌘彼 らは単語 と事象 ・事物 との一対一対 応を認めていない ようで もある。言語で共通な世 界を記述す ることができるとは基本的には信 じて いないQ.鈎できた として も一時的な 『取 り決め 』で あ って,世界 その もの,具体的行 いはまた別で あ る。従 って,システム ・メイカ-が集 ってシ ステムを構成す るためには各 システム ・メイカー は全体を認識 しなければならない。無論,完壁な 全体認識 ではない。 ここにこの立場の弱点が存在. す る。 ともか く,システム ・メイカーのこ うした 特質は一言で言えば,言語を狭んで対峠す る対象 に対 して

,

『問 』をとると言 うことができるであ ろ う。 この 『間 』は事象を解釈す るに当た って一 元的解釈に拘泥 しない多元的な解釈を,複数文脈 を読み取 る余地を与える。それ故,逆に一元的解 釈-の拘わ りが際立つ とい うことに もなる。 われわれはシステム ・メイカ-として描 き得 る 特質を 日本の企業組織,その労使双方に見出して い る。思いつ く俵に列挙すれば,(1)具体か ら抽象 -の直接的飛躍を認めないか ら経営者が現場を知 - 29

(12)

-らぬ と言 う労働者の不満が根拠を もつのであるし, 経営者がそれを知 ろ うと躍起にな るのである@.9)(2) 視覚的要素-の重視 は小集団活動,TQC等に も 見出す ことがで きる㌘ 図を措 くことは言語だけで は伝わ らない何かが在 ることを象徴 してい る。(2

この何か特殊な ものは職場の特質,組織におけ る 職位に応 じて,それぞれの立場で特殊 な何かがあ ることを合意 している。(3)雇用契約は純然た る経 済的関係ではあ るが,具体的に行われ る仕事がす べて金の為だけに行われ る訳 ではない と考 えてい る0.1'(4)一人前 とされ る労働者は仕事の段取 り--1土 事全体 の時間的 ・空間的計画イ仁一が行 える人であ る0.a(4,)自分 の属す る会社に対す る全体的認識を 労働者 が問題 に し,経営者 や上 司を批判す る場 令, 「やつ ら」 としてではな く,全体的な見地か らそれぞれの職能を考慮 した上 でその Fや り方 』 を批判す る等 々O.頚ここで,何故, 日本か とい う点 に関 しては 日本語の言語的特質 と関連があると考 えてい るが本稿ではふれない0.0ただ,われわれは 個人主義 とは相入れない もの とされてきた 日本社 会の伝統的特質 も西欧個人主義 との接触に よ り新 たな発展の方向を得た と考えていることは記 して ぉ く0.9以上は欧米企業が西欧的合理化 に よ り受け たの と同様の意味で,我が国企業 の 日本的経営 と い うべ きものを社会 システムが構造的に支援 して きた-局面で もある。 もっとも, 日本的経営 と言われ るその実体は定 かではな く,概念の抱 える問題 もまた多いO.ゆしか し,われわれが システム ・メーカーとい う語句で 見出す システム的特質を幾分かは現実の企業が も っていることも事実であろ う。 それを正当に評価 し,発展 させ る社会的文脈を見出す ことが 戦略策 定の上で も大事なのであるo

あわ りに

現在 ,若い従業員の意識変化 として捉えられ る 企業の内部環境変化に象徴 され る F企業組織-の 社会 システムの侵入 封 ま

,

F問 』を持たない合理 的装置 を企 業 内に導 入す る形 で,上記 の可能性 を抹殺 し,企業 を無 国籍的 に システ ム化す る危 険性を もた らしてい る。或 いは女子雇用 の増大 - 30-は個 人 の ライ フ ・サ イ クル を企業 組織 内に持ち 込み,不可避的に F仕事 』の定義 とその仕組みの 見直 しを要請 して くる。転換期 とは社会 システム と企業 との関連の上 で も,何を伝統 として守 り, 何を改革す るかを真剣に検討 しなければな らない 時期なのであ る。それ故,経営戦略策定の社会的 根拠が問われなければな らな いのであ る。 システ ム ・メイカーとい う理念的な形での構成要素把握 は, 自己組織性 として捉え られ るべ き特質を備え るための条件である,内外の環境に F間 』を と り つつ行 う経営,その戦略策定に充分資す るものが あろ う。 システム ・メイカーが システムを構成 し てい く上で要 とな る一体化 とい う概念を差 し挟む まで もな く,それ は労使双方に とって重要な方 向 なのである

「今 日の ように幅の挟 い訓練 しか受 けていない状態の経営者たちが,その影響す ると ころがきわめて大 きい管理 とい う任務を,果た し て責任を もって遂行す ることができるのか

」〔

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ndler,1977,釈,855貢〕 とい う

A.

Dチ ャン ド ラーの疑問に抜本的な解答を出す ことができるの は経営者 も含 めた,システム ・メイカーたちでは ないか とわれわれは考 えてい る。 (1991. 1. 8受理) 注) (1)転換期について本稿を補足するものとして拙稿 ⊂湧田,1990b〕,また転換期に対する社会科学の 採るべき対応については 〔湧田, 1989〕 を参照さ れたい。 (2) こうした状況を背景にした情報と経営組織 との関 連に関する調査研究には 〔奥林 ・石井, 1981],亡伊 藤,1983,1985,1988〕, 〔奥林,1990),〔島田 1990〕等を参照。 (3) 卓越した会社の経営慣行に見られる8つの特質は 最後に 「厳しさと緩やかさの両面を兼ね備える」と いう項目で纏められる〔Peters,T.J.andR.H. Waterman,1982,訳293頁〕。また, 〔若松,1984〕 参照。 (4)異文化の交流をめぐる技術論として, (川喜多, 1979〕は企業の海外技術協力の在 り方についても示 唆に富む指摘をしている。 (5)ホッファーとシェソデルは 「環境がその環境に対 してなしとげるこのマッチの基本的特性が,戦略と

(13)

いわれ る」 〔Hofer,C.H.andD.Schendel, 1978,訳 7頁〕 とい う包括的な定義を下 し,一覧表 を設けて先行研究者 の戦略概念を比較 している。 〔同上訳書,22-23頁〕. (6) 筆者は門外漢ではあるが情報利用者に対す る 「公 開」 とい う社会的機能 との相互作用に より会計理論 に対す る基本的 アプローチは 「古典的アプ ローチ」 か ら 「意思決定 -有用性 アプローチ」に転換す る 〔津守,1990〕

,

〔徳架,1990〕。そ うした方法論 的展開 と合わせて例えば,企業内容デ ィス クp-ジ ァーの問題な どが会計情報 と社会 との意味的関連に ついての一つの焦点 となる 〔諸井,1979〕 , 〔津曲 1979〕 0 (7)進化論 アプ ローチか ら2つ に類型化 され る経営戦 略に沿 って, 〔奥村,1989〕の頬型化を象考に して いる。 (8)ス ミスは述べ る,「あ らゆる人は交換す ることに よって生活 し,つ ま りある程度 ,商人にな り,また 社会その もの も適切にいえば一つの商業社会に成長 す る」 〔Smith,1776,釈 ,133頁〕 (9)モソテスキ ューの叙述は商業-の多大な期待を表 していて興味深 い。「民主主義が商業に基礎づけ ら れ るとき,民衆は道徳 の腐敗を伴わずに巨大な富を 獲得す るであろ う」なぜ な ら,「商業精神は倹約 , 節約 ,中庸 ,労働 ,慎慮 ,平静,秩序な らびに規則 の精神を自然に養 う」 〔Montesquieu,1748,釈, 70京〕, 「人 々がただ商業の精神に よってのみ動 く 国では,彼 らはすべての人道上の徳 ,すべての道徳 上の徳を売買す る。そこでは些細な事柄 も,人間愛 が要求す ることも,ただ貨幣 と交換でのみ与え られ る

」 〔同上,訳喜,139貢〕 8領 周知の ように 「経済人」はH.A.サイモソに よっ て 「経営人」- と進化 させ られたが,後に明 らかに なるように,これは本稿のわれわれの観点か らは さ した る進化ではない。

典型的なのは契約内容について充分な知識 を もち, 経済的 ・社会的な優位者が予め定めた契紛一一一附合契 約 の規制であ る。 また経済法 ,社会法に よる契約-の干渉は契約 自由に制限を設け る社会システム 「全 体」か らの制御 ・統制であ る。西欧近代社会 システ ムの論理で重要な役割を果た し,世界性を もって敷 術 していった契約観念 自体 について,「近代西欧大 陸法的契約理論」に過 ぎぬ として相対化す る必要が 説かれてい る〔星野, 1966,1983コ。そ うなると厳 密には,社会 システムを支える支柱 とな る契約観念 に関 して我が国に固有な法観念一般に遡 って検討 し なければな らない。 我が国の法意識 に関す る議論は 活発であ るが, ここでは 日本人の法観念に関 して, 西洋的法観念 との比較の上で歴史的に も遡 った再考 が促 されてい ることを記 してお こう⊂大木雅夫 , 1983〕 。 82)多元社会化 し,利益 団体 を通 して選挙 とは別経 路 で政 治的交渉 を行 う場 合 も,各 団体 内で指導者 を決す るのは選挙 であ る。 しか し,民主主義,市 場経済 ,福祉国家は相互に作用 し合 うことに よって システムを構成 し,「市民」をシステム内で主権を 与えた まま機能化 して しま う。「機能化 された市民」 は国家に よ り組織化 されたサービス ・供給物に依存 してお り,巧妙に組織化 された権力に行動を抑圧 さ れ る〔Offe,1987〕 。 こうなると選挙に よ りシステ ムを操作す ることはで きな くな り政治的実力行使は 非 日常的で新奇な形態を とって くる。西欧福祉国家 の一断面であるが,「機能化 された市民」 とは 「経 済人」の末喬であ る. この様に も把捉 され る西欧福 祉社会の源初の形が この社会 システムなのである。

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3) 組織間連結の①個人 1/ベルにおける血縁関係,イ ンナー ・サー クルに よる政治的な資源贈与 ,②代表 レベルにおけ る役員兼任 ,境界連結担当者等に よる 人的資源 の交流,③制度 レベルにおけ る企業間情報 ネ ッ ト・ワー クに よる株式 ,部品等の相互持ち合い ・供給 とい う形での把握に従えば,制度的 レベルで の連結が行われ るまでの人のフローの重要 さが明 ら かになる〔Eisenberg,eta1.,1985〕。社会 システ ムに固有な社会階層 の構造的な相違を配慮すれば, 階級社会 として把握 され る側面 もここでは分析 の条 件に加えなければな らない。我が国に関 していえば, イ-を中心に長期の時間的要素 も考慮に入れた交流 が各 レベルの連結を立体的な ものに している。所謂, 『コネ 』である。企業においては特 に創業経営者の 後 を うけて,誰が代表経営者になるか とい う経営者 の出処進退問題は組織権力構造だけの問題でな く, 組織外部 とのネ ッ ト・ワー ク資源 の保有量の問題 と して も扱われなければな らないが,そ うなると社会 システムの意思が 『世間の評価 』として企業組織内 部に影響を与えて くる可能性は大 きくなる。 制御 ・統制機構の健全な発達が望 まれ るのである

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