額 田王 の三輪 山悲歌
額 田王,近江国に下 りし時,作れ る歌,井戸こた 王すなはち和ふる歌 うま ま 味酒三輪の山 あをによし奈良の山の 山の際に い隠 るまで 道の隈い積 るまでに つば らにも見 こころ つつゆかむ を しばしばも見放 けむ山を 情 な く 雲の 隠 さふべ Lや (
1
7
歌) 反歌 三輪山をしか も隠すか雲だに も情あ らなも隠 さふ べ Lや (
1
8
歌) 右の二首の歌 は,山上憶良大夫の類東歌林 に ふそなは いは く,「都 を近江国に遷す時に三輪 山を御覧 す御歌 な り」といふ。 日本書紀にいは く,
「六 年丙寅 の春三月,辛酉の朔の己卯,都を近江 に遷す」 といふ。 み わ やま き血 綜麻形の林 の さきのさ野榛の衣 につ くなす 目につ くわが背(
1
9
歌) かんが 右の一首の歌 は,今 案ふ るに,和ふ る歌 に似 つぎて ず。ただ し旧本にこの次に載す。 この故に猶 し載す。 1 長歌 の冒頭 の ウマサ ケは三輪 の枕詞。「三輪 の 山」 は下への続 きが様 々にとられています。次に 概略 を示 しましょう。 三輪山を (「見つつ」の 目的語) 代匠記・略解 ・ 注疏 ・美夫君志 ・全釈 ・山田氏講義 ・佐 々木 氏評釈 ・窪田氏評釈。 三輪 山が (「い隠 る」の主格) 井上氏新考 ・豊 田氏新釈 ・橋田氏女流歌人歌集 ・次田氏新講 旧版 ・小学館本。 三輪山 よ (呼 び掛 け) 古義 ・左千夫新釈・佐 々 木氏選釈 ・武田氏 (総釈 ・新解 ・総合研究 ・ 全注釈)・新講新版 ・次 田真幸 氏 (評説 ・評 釈)・私注 ・大系--0福
沢
武
一 三輪山は 正訓 ・精考 ・金子氏評釈 ・森脇氏解 釈 と鑑賞 ・佐伯氏評解。 三輪山 も 折 口氏 口訳 三輪山 と (奈良山が) 土岐氏歌話 「三輪山 よ」を通解 といっていい よ うです。それ に不審を懐 きます。 ここで三輪山に呼 び掛けて も 妙なものです。心をこめて三輪山を歌 ってはいま すが,他称,第三人称 とい うべ きです。 「三輪山が」は,一番近い 「い隠 る」へつ らなっ てい く点,平明です。しか し,-歌の重点 は,ず っ と下の方,
「見つつゆかむを」 にあ ります。「あを によし」か ら 「い積 るまでに」 までは,いわば括 弧 に くくっていいのです。 では 「三輪山を」を選ぶべ きで しょうか ? ここにも疑問がはさまれ ます。 考察を進めるため,-歌の構成を図示す ること に します。a
あをによし奈良の山の b山の間にい隠 るまで C道の隈い積 るまでに dっはらにも見つつゆかむをe
しばしばも見放けむ山を bc・deがそれぞれ対 をなしています。その前後 の関係は次のよ うにとられているのです。a
-
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一
三
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山田氏講義 ・武 田氏(新解 ・全 注釈)a
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石諾 憲 子認 諾 「山の際 にい隠 るまで」 は,最後 の兄をさ めまでで,
「道 の隈い積 るまで」は,遠 く行 き 行 くまでで,順序が前後 してゐるが, これは 「い隠 る」 を主 として,感を強め る為 に繰返 - 127-Lとして云 った もので,謡 ひ物の系統の歌 と しては自然 といはなけ山 王ならないO(窪田氏 評釈)沢薦氏注釈,同解 謡い物 とは心外です。順序 も前後 などしていま せん。次のような構成だ ったのです。
a
-I :I :i
次の例を見れ ば思い半 はに過 ぎるはずです。 ・-=寄 り寝 し妹を 露霜の置 きて しくれは C′この道 の八十隈 ごとに e′よろづ たび 顧みすれ ど いや遠 に里はさか りぬ・・-・ (131,138人麿) C′e′はceの結合を実証 しています。bdが結合す るのは自然の勢いです。 ところで,d
e
の対句 は, 「みつつゆかむ山を」 といふべ きを,言余れ ば下なる丁 み さけむ山を」 に譲 りて 「やま」 といふ語を略 したるな り。(井上氏新考)① そ うまでい うことはあ ります まい。「見つつゆか むを」は,
「見 なが らゆ きたいのに」の意。従 って, 対をなす 「見放 けむ山を」は 「遠 く見や りたい山 なのに」の意でなければな りません。② 「を」は前 の句の 「を」と同 じく,
「なるもの を」の意であると共 に,下の 「隠 さふ」の客 語 を示す意 をもかねてゐるo(沢拾氏注釈) これは親切 なよ うで,実は当た りません。 なぜ なら,
「山を」(山であるのに) に注 目して くださ い。 この句の主格 は,- 冒頭の 1, 2句がそれ でなか ったで しょうか ?③ 2 前項で到達 した ところを別の面か ら検討 したい と思います。 主語につ く 「の」
「が」は主 として句 (従属 文)に用ゐ られ るとは誰 もいふ所である-・・・o (万葉語研究 2ペ) この ように前置 きして,佐伯氏は集中の用例を 逐一検証 しました。それが一段落 した ところで次 のように述べています。 例外の多い言語現象の ことであるか ら, こ こにも例外 はあるけれ ども,その数は極めて 少い。(
1
0
ペ) その数少い例の一つに主題歌の 「雲の」 を挙げ ています。「雲 は」とあるべ きところだ と考 えたの です。 はた して 「雲の」 は例外で しょうか。 ・・-・国原は煙立 ちたつ 海原 はかまめ立 ちた つ =-・(2 鮮明天皇) ここでは 「煙が」
「か まめが」と補 って受 け とら れます。それ らを包む大 きい文主「国原は」
「海原 は」があるためです。 ・--青 きをはお きてそ嘆 く そ こ し恨 め し 秋山われは(
1
6
折田王) この場合 は次の ように補言 していいはずです。 そ こ (が)(われは)恨め しい。秋山 (が)わ れは (懐 しい)0㊨ 主題歌の 「雲の」を これ らと同等に考 えます。 「雲 の隠 さふべ Lや」 を包む大 きい文主があるの です。 ほかで もない,それが冒頭 の 「味酒三輪の 山」だ と思 うのです。 次のよ うな声が聞 こえないではあ りません。 - 例示 された 「国原 は」
「海原 は」は文王では ない し,
「そ こし」
「秋山」 は 「が」を補お うが, 補 うまいが,主格ではな くて,いわば目的格なの だ, と。 敢 えて否定 しません。次の場合を類例と考えます。こころ 大和恋 ひいの寝 らえぬに情な くこの渚の崎に たづ 鶴鳴 くべ Lや (71 忍坂部乙暦) 諸注例外 な く 「鶴が鳴 く・べ きであろ うか」 と訳 文 を与 えています。本文が 「鶴が」の使いざまで あることを証 しているのです。それを包む 「今膏 は」 などの存在が条件 になっています。その 「今 宮は」を文主だ と強弁 はしません。それ は一文の 主題のあ りかを指示 しています。 なにではない, こうしたや りきれない夜,だったのです。主題の あるところに,- 主語 の場合,時や所 の場合, 事柄 につ いて も,主題 の所在 を示 唆す る働 きが 「は」にあるのです。主題でない主語が「が」
「の」 を伴な うことはい うまで もあ りません。 主題歌の 「雲の」は,それ以外 に主題があるこ とを明証 しています。 冒頭の「味酒三輪 の山(は)」 が大映 Lになって当然です.一歌の主題が最初に ドカソとす え られ たのです。それが作者 の意 図 たったのです。それは 「見放けむ山」の主語 ・主 題であるだけでな く,
「見つつゆかむを」の主題で もあ ります。全体 にも,細部にも,主題 は浸透 してい るのです。 反歌 にな ります と,が らりと変わ ります。初句 に 「三輪山を」 とお きました。主題が他に移 った 証拠です。五句の 「隠 さふべ Lや」 は,長歌の結 句 と全 く一致 しますけれ ど,ずれています。反歌 では次のよ うであるはずです。 (雲 は三輪山を)隠 さぶべ Lや。 反歌 は,一見 長歌の単 なる反復にみえます。 実 は大 きく変化 しています。心の焦点が移 ってい るのです。 しかも二歌 に同一の血が脈 々と流れて います。同 じ心臓の鼓動を伝 えて高鳴 っています。 3
1
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歌では,まず初句が問題 にな ります。可能性 のある訓 は次のようです。 ソマカタノ 旧訓 ・仙覚抄 ・拾穂抄 ・代匠記初 稿本。 へ ソカタノ 代匠記精撰本 ・古義 ・井上氏新考 ミワヤマ ノ 僻案抄 ・考 ・略解 ・椿の仙 ・燈 ・ 致証 ・美夫君志 ・国歌大観 ・注疏 ・折 口氏 (口 訳 ・辞典)・豊田氏新釈 ・伊丹氏難訓考 ・松田 氏作者 と作品 ・山本氏万葉読本。 - ソカタノが通訓です。- ソは,つむ ぎ糸を巻 いた ものです。古辞書によると, 巻子 閉蘇。今案ふ るに,本文いまだ詳か な らず。但 し、問巷伝ふ る所 は、麻を績 み し円巻の名な り。(倭名抄)原 漢文 そのへ ソを とって地名 とした- ソ7ガタが原形 といわれます。実証的 な裏づけには欠けています。 ミワヤマ ノは三輪山伝説 に由来 しています。崇 神記か ら書 き写 します。 い くた まよ り ひ め か た ち うるは 活玉依毘売,その容姿端正 しか りき。 ここ を とこ か た ち よそ ほひ た ぐひ に壮夫 あ りて,その形姿威儀 ときに比なきが, よ なか め 夜半の時 にたちまち来つ。かれ,あひ感でて まぐは す 共婚ひ して共住める問に,いまだい くだ もあ をと ■) ちちuは らわは,その美人は らみぬ。 ここに父母その tFすわ はらみ し事 を怪 しみて,その女に問ひていひを けらく,
「なは自らはらみぬ。夫なきにいかに かはらめ る」 といへ は,答へていひけ らく, かばねな 「麗 しき壮美あ りて,その姓名 も知 らぬが, 上ひ 夕 ごとに来 た りて共住 め る間 に 自らは らみ ぬ」 といひきO ここをもちてその父母,その おも 人を知 らむ と欲 ひて,その女に教へていひけはL= へそ を らく,
「赤土を床 の前に散 らし,閃蘇紡麻針に すそ 貫 きて,その衣 の欄 に刺せ」といひ き。かれ, あした 教への ごとくして朝に見れば,針つけし麻 は かぎ 戸の鈎穴 よりひき通 りて出でて,ただ逼れ る h わ 麻 は三勾のみ な りき。 ここに即ち鈎穴 よ り出さま で し状を知 りて,糸のまにまに尋ねゆけば美 和山に至 りて神の社にとどま りき。かれ,そ の神の子 とは知 りぬ。かれ,その麻の三勾遣 りしによ りて,その地を名づけて美和 といふ な り。 これが周知の伝説だ とはいえ,次の よ うに論拠 づけるのは飛躍がす ぎます。 綜麻の二字をみわ とはよめ るな り。 (致証) 綜麻の麻糸が三巻 き這 っていたか らこそ ミワと いえたのであって,
「綜麻」即 ミワではないのです。 致証 はさらに続 けます。 それに形の字 を附 した るは,形 の字をや ま とよ・むべ き為也。 いかにぞなれば,綜麻 の形 まど は円かなるものなれは,形 の字をや まとはよ む也。 まど 「綜麻 の形」な ら 「円か」ともいえまし ょうが、 「綜麻」を 「円か」
,
「形」一字 を 「山」 と言 える ものではあ りませ ん。 ミワヤマ訓に新たな見解を示 したのは折 口氏で す。 所謂紡錘状 の山で.綜麻形 と書 いた のは 当ってゐる。 (同氏万葉集辞典) 義訓に, 綜麻形 と書いたのは,此山今で も つ tr 綜麻の紡錘の様 に,山の尾長 く引いて磯城平 野の初瀬河内の入 口に延びてゐる処か ら,当 時の人,綜麻形 といへば,三輪山を思ひ浮べ たであ らう。 (同書補) ツムは糸を巻 く心棒です。 これに竹 の細い管を 通 し,糸車で回転 させ て糸を巻 きとらせ ます。巻 きとるほどに膨 らみ ますOそれが- ソ (綜麻)で す。 その形状が紡錘形 です。「紡錘」は本来 ツムで す し, ツムはとが っています。 どうも- ソとツム を混同 しているらしい。1
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歌の綜麻形 は即紡錘形 と考 えていい。その山容か ら 「三輪山」の義訓が 導 かれるのは自然です。 三輪山が綜麻形 をなせ りといふ ことは古の 伝説に もな く,又今見 てもしか見 えざるのみ-1
2
9-ならず--・。(山田氏講義)⑤ そんなことはあ りません。三輪山は実に見事 な 紡錘形です。ぶ っ くり膨 らんだ- ソの縦半分だか ら地物線を措いているのです。 美 しい三輪の山容を 「綜麻」に例へてゐよ う。僻案抄以来引かれて来た古事記の三輪山 伝説 も必要ではない。「綜麻形 の三輪山」とい ふ語か ら,或は意か ら,綜麻形 をただちに ミ ワヤマ と訓 ませ よ うとした ので はあ るまい か。(松 田氏作者 と作品) いきつ くべ きところ-いきついた気が します。 なお
,
「綜麻形」は成語で,地名か, とす る説が佐 竹昭広氏か ら出 されています。沢潟氏の一文か ら 孫引 きします。 - ソカ タも三輪 の地 名 だ ったか も知 れ な おも い。「按ふに,此 は三輪山の古への異名なるべ きか」 と舌義に云 ってゐるの も再考 に値す る か も知れない。「これ らは偏 に今後のへ ソカタ の宿題であ る」 と述べて,それ以上訓話 の問 題 には及 ばれてゐないが,更に一歩 を進めて, 「綜麻形 (条)」をやがて三輪山の表記 として 用ゐるに至 った と考- られないであ らうか。 とj:とり はるひ 「飛鳥」を明 日香,
「春 日」をカスガの表記 と す るに至 った と同 じや うに。(注釈) 成語の仮説 をまつ まで もないと思います。いず れにせ よ,三輪 山の山容が- ソに似ていることを 根本におか なければ始 まらなかったのです。1
7・1
8
歌 は同一人の- 額 田王その人の,作品 に相違 あ りませ ん。それに和 したのが井戸王の1
9
歌です。1
7・1
8
歌が 「三輪山」をもって歌い始め ています。1
9
歌の初句を 「三輪山の」と訓むなら は,和歌 らしさをいかほどか獲得 します。 左往にいへ る如 く和歌 とはお もほれず。 さ み わ やま れ ど綜麻形 とよみたるゆゑに上の三輪山 と同 類 とこころえて ここに載 せ た る ものな るべ し。(注疏) 似ているだけではない。まがい もな く和歌です。 その意味で ミワヤマの訓 は尊重 され るべ きです。1
9
の歌 は,額 田王が実に烈 しく「三輪山」 を歌 っている1
7・1
8
の歌 に 「即 ち和ふ る歌」 であるか ら,集中の多 くの唱和歌を見 ても,1
7・1
8
の ことばと同 じことばが用い られてい る確 率 が大 きい はずであ るの に, ソマ カタ ノ ・へ ソカタノ ・ヲチ カタノ (荷田御凪) と 訓むならは全然,存在 しない ことになって し まい,異例 といわね ばならない。 この点か ら 考 えるに, ミワヤマ ノと訓め るならばきわめ て自然である。(伊丹 氏難訓考) 三輪山の林 のさきの-- とすれば,1
7・1
8
歌 との関連 もよみがへ り,すなはに読解が出 来 るのであ る。「綜麻形」 は1
8
歌 「三輪山」 の替字で もあ らうか。 (松田氏前掲書) 念のため訳文 を与えてお きます。 三輪山の林の外縁 に生 えている榛の木がよ く衣服に染みつ くよ うに, ひ どく目につ くい としいお方 よ。 4 右の三首の作者程諸注に異説の多い ものは ない。(万葉歌人の誕生) この よ うに前置 きし,沢潟氏は諸説を列挙 しま した。 ここで は松 田氏が追 加改稿 した ところに 従 って略記 します。 (1
)1
7・1
8
額 田王1
9
井戸王 (和)仙覚抄 ・拾 穂抄 ・代匠記精撰本 ・僻案抄 ・古義 ・左千夫 新釈 ・正訓 ・佳調 ・武 田氏 (新解 ・総釈 ・全 注釈)・佐 々木氏評釈 ・私注 ・土岐氏歌話 ・森 脇氏解釈 と鑑賞 ・谷氏額 田王 ・伊丹氏難訓考(
2
) 1
7・1
8
大海人1
9
額 田王 (初)考 ・略解 ・ 長井氏評釈(
3
) 1
7・1
8
額 田王1
9
額 田王 (別)楢の如 ・金 子氏評釈(
4
) 1
7・1
8
井戸王1
9
額 田王 (和)燈 ・美夫君 志 ・折 口氏 口訳(
5
) 1
7・1
8・1
9
井戸王 (和) 致証(
6
) 1
7・
1
8
大海人1
9
額 田王 (別)墨縄・槍才爪・ 野雁新考 ・私考 (7) 1
7・
1
8
額 田王1
9
不 明 (別)注疏 ・井上氏 新考 ・次田氏新講 ・評説 ・窪田氏評釈(
8
) 1
7・1
8・1
9
額田王 豊田氏 (新釈 ・通釈)(
9
) 1
7
額 田王1
8
井戸王1
9
不明 (別) 精考(
1
0
) 1
7・
1
8
天智天皇1
9
額 田王 沢括氏 (歌人 の誕生 ・注釈)・佐伯 氏評解(
l
l
) 1
7
額 田王1
8
・
1
9
井戸王 (秤)松 田氏新見 と実証 (1
2)1
7
天智天皇1
8
額 田王1
9
井戸王 山 口氏修辞 の研究 (13)17額 田王 18井戸王 (和)額 田王 .松田氏 作者 と作品 18歌 は長 歌17に付随す る反歌であって,歌柄 か らしても異 口同音 とはいえません。前 にも一言 した通 り,同 じ心情が両歌 に沸騰 しているのですO 別 々の作者 に帰す るなどとは,作品の声を無視 し た ものとい うべ きです。 (9)・(ll)・(12)・(13)はまっ先 に捨 てられ て当然です。 次 に題詞 を認 め るか認 め ないかで大別 され ま す。前者に従 えば次のごとくにな ります。 此題,傍例に達へ り。此 には額 田王下近江 国時作歌一首井短歌 と題 して,綜麻形 の歌 の 処に井戸王即和歌一首 とあ りぬべ き事 な り。 古記の まま歎 。 (代匠記精扶本) これに従 って,諸注の うち(1)を どれ よ りも尊重 すべ きです。それが軽視 され,否 定 された理 由 - 結果か らみてのことですが,それには次の3 点が指摘で きます。 H 題詞 を軽視す る風潮があるOそ こか ら混迷 が始 まった。 E) 17・18歌 の真意 を うかが う明に欠 けてい た。 臼
1
9
歌 が示 唆す るところに耳 をかそ うとし なかった。 三歌の真意 がいささか難解なことは確かです。 しか し解明不可能 とは限 りませんo怠惰 な独断を 自戒すべ きです。 この歌詞を否定すべ き決定的 な論拠 はない -・・・。 (沢潟氏歌人の誕生3
8
ペ) その とき,否定の立場で論を進めるべ きではあ ります まい。 その前 になすべ きことがあ ります。 題詞 に従 って主題三歌の理解に徹す ることです。 もっと正 し くは,作品そのものに聞 くことです。 しか もなお題詞が認めかねた時,つ ま り先の(1)が まともに否定 された時, はじめて左往を顧慮す る ことが認容 され ます。その意味で,(
2
)
以下の諸説 は一番最後 に関説 されればいいのです。 先 に題詞 を否定す る論拠 を見 出さなか った沢潟 氏が次のよ うに言葉をつ ぎました。 題詞 に不審の点が濃厚 とすれば,左往を否 定すべ き論の見出されない限 り・・.・・・歌林の説 に従ふべ きが 自然ではなか らうか。 (同上書) 不安を払拭 しかね ます。歌林の説 (左往)が怠 惰 な独断でない保証 はどこにもないのです。 5 だれ とて17・18歌 の気迫に驚かされ ます。三輪 山を歌 っていますが,いかなる対人的 な歌 よりも 激 しています。次のよ うに信ず ることはほ とん ど 不可能です。 - この作品は三輪山そのものへの惜別 を歌 っ ている。 これに対 し,次のように三輪山に 「ふ るさと」 を認め るのが古義以来の通解です。 - 三輪山は住みなれた大和の象徴だ。大和で 日ごろ眺めていたのが三輪山だったか ら。 それにしても二歌の惜別は烈 しす ぎます。 もっ と深 く愛憎にかかわ るものが他 に想定 されて当然 です。 いや,想定せねは うそです。 なにを想定す べ きか ? それを一番先 に,一番適確 に,一番格 調高 く伊藤左千夫が解明 して くれてい ます。⑥ 愈大津の都へ召寄せ らるる事 になって,奈 良を出づ るに臨み,恋人 (大海人皇子)の宮 地 なる三輪山を望見すれば,雲 は山を掩 うて 山 も見 えない。感情の蔵烈 なる詩聖女王が, 滋 で堪-難 き慎悩を漏 らさずに居 られ る訳が ない。 -・-女王 は真の恋人た る皇太弟 に別 るるを かな しみ,蓬 に三輪山を見 て悲泣 の声を呑 ん だ。現 はにさ うとも云ひかねての此 の長歌は, 一言一句悉 く其の音底に燃ゆ るが如 き熱情を 蔵め居 るのである。(新釈 263ペ) 三輪 山は大海人の宮地ではあ りませ ん。遠 ざか りゆ く大和の, これがせんどの名残 りです。その 意味で大海人その人を象徴 しました。 額 田王 には,三輪 山に対 して,単 なる自然 としてで無 く,深い追憶,おそ ら くは大海人 皇子へ奉仕時代の深い追憶 をお持 ちなのでは 無か らうか。その御悲 しみが,大和を とこし へ に見捨 てて近江の新宮へ移住 しようとし給 ふ機会 に触発 したのではないか。(川田順氏女 流歌人) ち ょっと補説 します。- 17・18歌 の動機は追 憶 ではあ りません。いまLもいた ましい悲劇のた だ中に額 田王 は立た されているのです。その点を - 1 3 1-田辺氏が次のよ うに指摘 して くれ ます。 -つの想像 を許 していただ こうO毛白田王 は この時,間違 いな く天智天皇 の後宮 ⑦ に身 を置いていたであろ うが,その身が倭の京に ある間は郷関 にも程近 く,或 は時に大海人皇 子 と行 き違 うぐらいのことはで きたか も知れ ぬ。--行 くを欲せぬ大津の地 は,王 の心の 中で灰色に淀 んでい る。そ こでは,天智天皇 の強権のみが倖な く発動 され, 自分のような 弱い立場 の者 は,何一つなし得ない ように考 えられる。(初期万葉の世界) 17・18歌 の悲痛 を前 に して思 いお よぷ ところ は,ほぼ この よ うなことしかあ りませんO改めて, われ人に揚言 したい。- 作品その ものに聞 くこ とに卑怯であってはならない, と。 額田王 は遷都 を境に して大海人を断念す ること を迫 られていた,- このよ うに考 えられ ます。 い うな らは,三輪山歌 は額 田王が大海人を思いき らざるをえない瀬戸際だ った と思われます。 思えば,すでに長い間, この瞬間を覚悟 してい た額田王で した。すでに9歌において避 け難 き別 れを身 も世 もな く泣 きました。それは最初 のせ っ ぱづまった悲嘆で した。㊨ 泣かま くも慕 ひこそ行けわが背子がい立たせ りけむ厳榎が本 (9歌 鶴 田王) (大意) ひと りになって泣 きたいので慕 って い くのです,い としいあの方がお立 ちになっ た とい う榎の木の ところへ。 以来10年近 い問,最後 の決断はつかないで きま した。つけずにい られないのが今度 とい う今度で す。「雲だに も」 に絶望の深 さが察せ られ ます。 6 上述 の見解 に強 く反論す るの は谷馨氏 です。 17・18歌を揖 田王,19歌 を井戸王の和歌 と認めた 上 の反論ですo 王の どの歌 を採 って も,悲恋による暗愁な どは詠 まれていないのである。(同氏「額 田王」
2
6
ペ) 早速,再反論せずにい られ ません。額 田王の7 敬, 8歌が明るいか らといって,17・18歌が暗 く てはどうしていけないので しょうか ? 一歌-歌の背景を尊重 しましょう。それぞれが 生 まれ るべ き背景を担 っています。背景が異れは 同一人の作品 も変 ります。 7歌, 8歌 は喜悦の中 に花咲 きました。それ らに続 く9歌 は, もはや血 の涙 にさいなまれています。波乱 に生 きた額 田王 に明暗二つの絶唱があっても不思議はないはずで す。 それ よ りもまず,そ一れ らの説が別れを惜 し む と臆測す る対象人物たる大海人皇子に して か らが,大和京 に残 る筈 がないのであ る。即 ち遷都 に当たっては,
「留守官」を置いて,皇 族諸卿群臣の大半が従 う習いなのである。(同 書同べ) 本格的 な遷都 とあれはその通 りです。 しか し, 題詞 に 「近江国に下 る」 とあることを看過 で きま せん。 「いまだ近江へ遷都 し給 はぬ前,勅にまれ, 私にまれ,ゆゑあ りて下 らるるとて・・-・
」
(古 義)とす る説 もあるが従 えない。 (同書2
2
ペ) 「上 る」でないのです。 なぜ従 えないのか,是 非弁証があるべ きです。それが聞かれず,古義説 の補足 を聞 くはか りです。それは松田氏の一文で す。⑨ 「上」でな く 「下」であ り,
「近江官」
「大 津宮」でな く 「近江国」であるか ら,遷都前 であ り, 日本書紀 は じめ公的に認めてゐない が,女帝である中皇命 (倭姫)の時代で, 普 だ大和の後置本官 にをられたが,その折,皇 太子中大兄 (天智) は新都造営のため近江国 に滞在中だ ったのではあるまいか。 おそ らくその時,大海人皇子 もまだ大和 の 後置本宮 に残 ってを られたであろ う.折 しも 額 田王 は皇太子中大兄に召 され,井戸王 を伴 ひ近江へ下 ってい く。そ の途上 で この一連 (17・18・19歌)が成立 したのではあるまい か。(作者 と作品) 全面的 に賛同 したい。 ただ一点 を除 いては。 そ れは,時の中皇命は間人皇后だった とい うことで す。 谷氏は次の点を反証 としています。 第5句 を 「和裁勢」で結ぶ歌に 「右一首歌, 今案不似和歌」 といふ左往のあるの も,注者 は,王の嘆 きが皇弟を対象 とした ものでない ことを認めたか らに外 ならぬ。か くて,皇弟は王の惜別対象 とはな り得ず
,
「三輪山」は山 以外の ものではない。 (前掲苦同ペ) 谷氏は題 詞を肯定 して立論 しました。論証の段 階になって左往を基準に変 えました。それは自家 撞着です。1
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歌が 「わが背」と和 しているか らこ そ17・18歌 は単 なる山へ の惜別で はあ りえませ ん。 三 山歌 に作者中大兄の心事を投入す るのは俗解 です。谷氏 もその一人で した。 中大兄の三山の歌 ⑲ 香具山 は畝傍雄 々しと 耳梨 と相争 ひき 神 代 よ りか くにあるらし いにしへ も然にあれ こそ うつせ み も つ まを争 ふ ら しき(13 歌) これは題詞通 り 「三山」を歌 った客観的 な詠歌 です。17・18歌 は身 もだえんばか りな悲憤を吐露 しています。 もはや主観 はおさえかれ あふれ出 ています。 お さえようとしているだけに,いたま しいのです。谷氏 はそれには耳をか さず,次のよ うに うそぶ きます。 遷都 の一行が奈良山越 えに際 して,神たる 三輪山の祭祀PE歌があって,天皇に代 り額田 王が詠進 した。その緊張感が この絶唱をなし たのだ。 (前掲害による) この見解 には先錠があ ります。折 口氏です。 此 は恐 らく天智天皇近江遷都の途すが ら, 額田王 が代作 を命ぜ られた もの と思はれ る。 大和鎮護 の三輪の神山に別れて行 くといふ, なご り惜 しみの歌である。(恋の座) なお谷氏 の1
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歌解 は土屋氏私注 に沿 っていま す。 ここには概蕗に とどめ ます。-1
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歌 は,行 を共 に した井戸王 が 自らの夫 を思 いや って詠 じ た。 それがたまた ま17・18歌 と併載 されたのは, ち ょうど13・14歌 に15歌が一括反歌 として採録 された ごと くである。 併載 されただけの-歌 について「即 ち和ふ る歌」 と題すで し ょうか ? これを要す るに,谷氏は題詞を軽視 し過 ぎまし た。歌作品そのものには耳 もかせ ませんで した。 額 田王 の肉声 な どお よそ問題 で はなかった ので す。 7 こんどは前向 きに検討 しましょう。 「和ふ る歌」 に考察を加 えた筆頭 も左千夫で し た。 額 田王が今大海人の皇子を恋悲 しみ,三輪 山を見 るに事寄せて詠め る歌 に和 して,女王 恋悲 しむのに同情 した ものに相違 ない。女王 の嘆 くも無理 はない。 自分等にも野は りの衣 につ く如 く,つ き易 く目につ く我が背 と,大 海人の皇子 も親 しい人であるか ら,我が背 と 云 ったのであ らう。(新釈) もの足 らなさを禁 じえません。その よ うに心の 中で理解 し,そ うだそ うだ と自得 している分には 構わないけれ ど,悲嘆に暮れている当人に語 りか けることにはな りません。次の場合 も同様です。 額 田の王の歌の陰に隠れてゐるある男性 をほ 井戸王が美めて,額 田の王の心を慰めたので あ らうか。(武 田氏新解 ・総釈) 「隠れてゐるある男性」は大海人以外 に考 えら れ ません。それは当然 として,額 田王 は悲嘆を極 めています.その時,井戸王が額 田王の思い人を はめ ることが慰め となるで しょうか ? この歌 は,元来,額 田の王の影 々として慰 ま ざ る情 を和 げ る意 味 が あ るの で あ ら う --。同音を利用す る技術は,歌では相当に 発達 してゐるが, この歌では句の途中にこの 手段を用ゐて,全体の音声 を滑かに音楽的 に してゐる。その点が額 田の王の心 を浮 き立た せ よ うとしてゐる目的に適 ってゐ る。(武田氏 皇室歌人) そんなことで慰め られ る額 田王の心情ではあ り ません。 額 田王を慰めて詠 んだ歌 と解 したい。(佐 々 木氏評釈) その論証 を与 える人はあ りません。断念 した向 ばか りが多いのです。 そ こを突破せね ばな りませ ん。 まことに 「琶 々として慰 まざる」 は額田王その 人です。大海人ゆえの慎悩悲嘆です。 しか も大海 人のオの字 もないのです。お くびにも出さない と はこの こと。出 した くて も出せなか ったのです。 限 りなき恋の悲痛を深 く胸底に包みつつ, - 13 3-現 はには泣 くことも出来 ない境遇に倶悩 した 時 に,其の造瀬 なき思を僅に漏 らされた歌が, 即 ち此の歌であるのだ。(左千夫新釈17歌注) 事情 は9歌 と全 く一つです。 ひときだずつ,ひ ときだずつ,額 田王は大海人皇子の手中か ら切 り 離 されつつあったのです。その事情 は歌作品が想 定 を余儀 な くさせ る底の ものです。 呼びかけて も聞いては くれない し,何を希 求 しても,何の効果 もないことはわか ってい る。それにも拘 らず, このよ うな非情の山や 雲 にさえ呼びかけをす るのは,胸中の苦情が はけ口を求めてや まないか らである。(岡崎義 恵氏 「万葉凪の探究」呼びかけの歌) 額 田王の思 うところ,言いたかった ところは大 海人皇子です。 いまはオの字 も出せない。 その こ とが彼女を置結 させている,- これは信 じてい いのです。17・18歌の悲恰性 はまさにこれです。 出口を失 っている心俵です。ただ悶々としている のです。い うならば, このままでは自爆作用を起 こさず におかないのです。 井戸王の和歌 は時宜 をえています。安全弁の役 目を果た したのです。額 田王 に代 ってス トレスの 開放 を行なったのですo 言 に出でて言 ははゆゆ しみ山川のたぎつ心を せかへた りけ り(1432) 周囲の情況が言表 をさしひかえさせ ました。や がてを結がつのった らたま りませんO こもり沼の下ゆ恋ふれは術をなみ妹が名の り つ忌むべ きものを (2441) ・--軽の市 にわが立 ち聞けば 玉砕畝傍の山 に 鳴 く鳥の声 も聞 こえず 玉梓の道行 く人 も 一人だに似て し行かねは 術をなみ妹が 名呼びて 袖そ振 りつ る (207 人暦) 言語 に放出す ることがス トレスのや り場です。 それ しかな くなるのです。それを井戸王が買って 出たのです。 19歌の表の意味は先にとりました。「わが背」は 井戸王 にも思い人です。 あ りていに言 えば,大海 人皇子その人です。 19歌 は確かに 17・18歌 に くっつ きかねます。そ れは一見だけだ と思 うのです。井戸王 は, まこと にあか らさまに
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「よく目につ くお万です こと」と 言い放 ちました。 それは意図的です。大海人をオ クビに も出せない額 田王 に対置 させたのです。対 置が きわ どいはっか りに,
「あなたが言いた くて, 言いた くて, しか も言い出せないでいるのは Fわ が背』 なのですね」の代弁になっています。それ は額 田王の真意の暴露以外のなにもので もあ りま せん。ただ し,悪意のそれではない。 もっとも勝 義の善意だったのです。 は じめ19歌を井戸王の和歌 と考 え,後 に改案 し た松田氏に次の ような論述があ ります。 「わが背」を前稿で井戸王が額田王の心に なっての表現 としたが,無理 な説明だ った と 反省 してゐる。井戸王の名はここ以外 にな く, 全 く不明であるが,大海人皇子の妃で もない 人が,額 田王 と如何 に親 しい間柄 とはい-, 額 田王 を前に して 「わが背」 と呼 び得 るとは 思へない。 井戸王 も皇族関係ではあ らうが,愛す る人 で も,妃で もな く,血族関係にもないのに, 後 に皇太子 にな り,即位 もされ る大海人皇子 め L= つ く わ が せ を 「目爾都久和我勢」 といふのは,やは り不 自然であ り,馴れ馴れ し過 ぎる表現 とい- よ う。(前掲書) 愛す る人で も,血族関係で もない, と断定 され る。その確証 な しに。その時,次の 「婦人」 など はどうい うことになるので しょうか ? 天皇崩時,婦人作歌一首 姓氏未詳 うつせみ し神に堪へねは 離 りゐて朝嘆 く君 放 りゐてわが恋ふ る君 玉 ならは手 にとり 持ちて 衣 ならは脱 く時 もな く わが恋ふる 君そ きその夜 夢 に見 えつ る(
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歌) 天智天皇の崩御を悼 んだ一歌です。皇后倭姫皇 后をはじめ とし,額 田王 ・舎人書年 ・石川夫人 ら と共 に哀悼歌を奏でています。 もっとほかにも思 い人,思われ人がいたはずです。 井戸王 は大海人皇子 をとりま く 「そ うした婦人 方」の一人だった といいたいのです。 8 お くればせなが ら一項 を設けなければな りませ ん。18歌の 「雲だにも」 についてです。 助詞 「だに」 は,他の事 はともか く,せめ て,何 々だけで も, と云 った意味の場合に用 ゐ られる.(沢潟氏注釈)その通 りです。それを主題歌 にあてがえばどう なるで しょうか ? ここの場合は
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「せめて雲だけで も・--」と い う意 で,言外 には雲以外の人間に対す る感 情が働 らいていることを示 している。(森脇氏 解釈 と鑑賞) これが通解です。 これに谷氏が きびしく反対を となえました。 「雲 だ けな りとも」 と歌 った心 は, 自然物 を非情 と観 じて,せめて今見 る雲だけな りと も情あれか し- と興奮のあま り不可能 に可 能 を要求 した もの と考へ るのが, より自然で はあるまいか。即ち,一事に執 して他を問題 とせぬ強意の語法であ り,敢 えて判然たる対 照物を設定す る要がないのではあるまいか。 それに, この反歌 は長歌の心を更 に繰返 した ものであ るのに,長歌 には雲に人を対 させた 気配が少 しも無いのである。つ ま り,反歌 は, 長歌の心を更に鋭 く歌 い緊めるものであ り, 従 って 「だに」 は強意に止 まる。若 し敢 えて 対照物 を定め ようとすれば,それは人に非ず して他 の非情 なる自然物であろ う。
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などの 「今管だに」の如 きを見 ても,今宵以 外の膏 に対 して歌 ってお り,昼 に対せ しめて はいない。(額 田王3
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べ) 「だに」 は単なる強意ではあ りません。例証 に 引かれた次の二歌にして も同様です。 あす よ りは恋ひつつ も行かむ今膏だに早 く腎 より紐解 け吾妹(
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庭に立つ麻で小会 こよひだに妻寄 しこせね麻 で小会 (
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他の官をあ きらめて,「せめて今宵だけで も」と, 最小限の可能 を口にのぼせたのです。主題歌でい えば,
「せめて今見 る雲だけな りとも」と,最後の 願 いを ここにかけています。それだけが期待をよ せ るに値 したのです。他 は排除す るまで もな く, 望むに値 しなか ったのです。 それにして も,谷氏に傾聴 しなければな りませ ん。「雲だに」の対照物 に人間を拒否 した点です。 主題歌が一種 の比喰歌であることは先 に指摘 しま した。人間を持ち出す ことは比境 と現実を混同 さ せ ることなのです。 明確 を期 して図示 します。 ア 三輪山--今見 る雲--・- (具象) イ 大海人目-・天智天皇--- (想念) 通解 はアとイを混交 しています。念のため一例 を引 きます。 雲 といふ 自然物 を他 と比較 し,本来情なき ものにそれを要求 してゐる所か ら,情あるべ きものにそれのない ことを暗示 してゐ るもの である。 さ うした著 は王 と関係の深い人でな くてはならない。 (窪田氏評釈) 「王 と関係の深い人」
,それは端的にいって天智 天皇です。 と, ア ・イ二つの系列が完全に混用 さ れていることがわか ります。 念のため添記 します。「せめ て雲だ けな りとも ・・・-」と呼びかけた雲 は,
「雲 とい うもの」一般で ないのです。「今見 る雲」であ り,三輪山を隠 しつ つある雲です。 これに比喰 されている天智天皇は きわ立 った二つの面をそなえています。一文を借 用 して指摘に代 えたい。 彼を単純 に-デスポ ッ トであるとい う 「政 治史」の概念で片づけて安心す るならは, こ の時代の人間性ゆたか さ奇怪 さを抹殺 し抽象 す ることで善良な道徳家になっていると恐 ら くいえそ うだO-・・・・政治家 としての彼 とV,請 人 としての彼 とは通俗的 ・現象的 には和解 L がたい矛盾に見 えるが,実 は-の有枚的共存 であ り, したが ってその一方だけをきり離 し て論 じた り,常識で両面を中和 させた りす る のは,正当であ るまい.(西郷氏私記H l
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べ) だれ よ りも額 田王 は天智天皇の非情 ・温情の二 面 に通 じていたはずです。9歌以来の 10年間,辛 じて大海人の側 にとどまれたの もこの温情 に負っ ていました。 しか し今度 とい う今度は覚悟 をせ ま られ ました。次の作品の世界へ推移 してい く転換 点が主題歌 に看取で きます。主題歌の1,2
年後, 天智天皇 を次のように思慕 しているのです。 君待つ とわが恋 ひをればわが宿のすだれ動か し秋 の風吹 く(488 額 田王) 9 改めて17・18歌 に立 ち入 ります。 17歌 は三輪山を中心 に18歌 は雲 を中心 に歌 っ ていましたO前者 は主題の三輪 山を思い きり大映 しにしました。雲 は邪魔 を入れ るべ きものでない -13 5-こととして歌われています。18歌 になると,邪魔 すべ きでない雲がひどく気にされてきます。「雲」 を前面 にす えて,厳 しい 口調で畳みかけています。 そんなに邪魔す るのか(しか も隠すか), と,いぶ か り,そんな ことをすべ きでない ことをお前はか りはわかって欲 しい,と懇望 し,哀訴 し
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「隠 さふ べ Lや
」 と抗議 し,難詰 しています。 長歌の しめやかに静かであ ったのとは異 っ て,遮かに鋭 さを現 し来 って,長歌以上に拝 借気分を現 した ものである。叙事的 なものを 野情的に,平面的 なものを立体的 にしてゐる ところ,長歌 と短歌の特色を示 してゐる。(窪 田氏評釈)⑪ 長歌 も叙事的 ・平面的ではあ りません。拝借の 限 りをつ くしています。反歌はその限度を突破 し, 絶叫に近づいています。二つは表裏です。 予の見 る処では,此の反歌 は無 くもがなの 感がある。長歌ですでに十分である。多 く云 はない処 に余韻が寵 る質の歌 であるか ら,長 歌だけに して置 く方が奥ゆか しいのである。 此の長歌 の如 き極めて真面 目な精神の寵 って ゐる歌 に,少 しで も云ひ過 しては,実意が減 ず るのである。「心無 く雲 の隠 さふべ Lや」と つつましやかに云ひ留めて置 く処に奥ゆか し い味 ひがあるのを,反歌の如 くに,
「三輪山を 然 も隠すか」既 に才走 った詞つ きである.「雲 だにも心 あ らなむ」愈才走 って居 る。長歌 に 寄せた同情が反歌 になって大いに減 じた。 ど うして も此の反歌 は無い方が よい。(左千夫新 釈) 「奥ゆか しい味 ひ」 に とどまった歌評 は左千夫 らしくない。反歌 まで来 ないでい られない額田王 だったのです。才走 ってなどいません。やむにや まれぬ叫びです。絶叫なのです。 「雲だにも惜あ らなむ隠 さふべ Lや」- 人 間本能の さなが らの声の如 き此の力強い表現 は,人暦 の 「妹が門見む磨 けこの山」といふ, あ らゆる情熱の昂揚 を吐 き尽 した表 白にも比 肩 し得べ く,全生命の絶叫の声であるのであ る。 (伍藤信綱氏詩精神 と文化) 人麿に匹敵す る? いや, もっと純粋です。心 底の声です。人暦 には誇張があ り,思いあが った いやみがあ ります。その意味で,次の評言を選 び ます。 「雲だに も心あ ちなむ隠 さふべ Lや」の二 句 を取 って見ただけで も, なは人麿の 「妹が 門見む磨 けこの山」 に も匹敵す るといふ より は,それに先行 して, しか も凌駕 して居 ると さへ思 はれ る。(土屋氏私注 ) その烈 しさは,自然物への惜別や怨嵯ではない。 鎮魂の兄歌 といったもので はま してない.心底か ら燃 え上が る叫びです。 それは自然を通 して現実 世界-響 き返 る悲鳴です。 10 一通 り述べ終 え,も一度 出発点 に立 ち返 ります。 題詞 に導かれて-敬-歌 の肉声を聞 くべ く方針 を立てました。 ほは所期 の 目的 を達 しえたか と考 えます。 H 題詞を否定することはい らない。(
∃ 17・18歌 は額田王 が三輪山に惜別の限 りを 尽 くした。それは別れ糞臣い人- 大海人皇子へ の,精一はいの惜別だ った。(
∋ 19歌 は同輩の井戸王 が 17・18歌 に和 し,節 田王の琶結を解毒 した-歌だo この見解 が もし当を得 て いなか った として も - 提唱者の責任において当をえていない とは思 わないのですが,その時 で さえ,みだ りに題詞を 捨 てて左往 につ くべ きで はあ りませ ん。 まして, 左往を さえ捨 てて、- た とえば17・18歌を別な 作者 に帰属 させ るなど, もっての外 の臆説です。 左往 はそれを認容 してい ません。作品そのものは, まして許容す るものではあ りません。要す るに, 題詞をなみ した諸注は独 断だったのです。 17・18歌 と 19歌が相関的 なことは大前提です。 19歌 に 「わが背」とある ことは 17・18歌が人事歌 であることを示唆 します。 げに,17・18歌 は熱 っ ぽい。考 えて もみていただ きたい。 こんなに全精 魂 を打 ちこんで人間世界 の惜別 を奏でた作者が, 作品が,ほかにあるで し ょうか ? 人間臭 さをきらい,兄性 を心掛けたのは谷氏で した。その所説の限界は19歌を和歌 と認めない と ころにあるのです。その文 中に次の一節が 目につ きます。 留守官を背に持つ井戸王が, 同 じ境遇にあ る女官達の別離の悲情 を代弁 し,以 ってを情を零 さん とした, これ亦時に応 じた作歌 と解 し得 られ る・-・-0 (同氏額田王