氏 名 小野 多加江 博士の専攻分野の名称 博 士 ( 医科学 ) 学 位 記 番 号 医工博甲 第392号 学 位 授 与 年 月 日 平成29年3月23日 学 位 授 与 の 要 件 学位規則第4条第1項該当 専 攻 名 人間環境医工学専攻(生体環境学コース) 学 位 論 文 題 名 日本における生殖補助医療の倫理的諸問題の分析-AID 技術導 入者の言説調査- An Analysis of Ethical Issues of ART in Japan:From an
Historical Survey of the AID Technology Pioneer in Japan
論 文 審 査 委 員 委員長 教 授 山縣 然太朗 委 員 准教授 石山 忠彦 委 員 講 師 石黒 浩毅
学位論文内容の要旨
(研究の目的)1 9 4 9年 、日 本で 初 めて 非 配偶 者 間 人工 授 精( artificial insemination with donor’s semen:AID)による子が誕生したといわれている。この施術は慶應義塾大学 産 婦 人 科安 藤 画一 教 授の 指 揮 のも と 行な わ れた 。日 本 初 AID児 誕 生の話 題 は 当時 、新 聞や 雑 誌 で 取 り上 げ られ 、各界 専 門 家か ら 賛否 が 呈さ れ た 。その こ とも 踏ま え 、日 本初 AID児 誕 生 を 日 本 に お け る 生 殖 補 助 医 療 を め ぐ る 生 命 倫 理 的 な 議 論 の は じ ま り と 捉 え る 研 究 も 行 わ れ て い る 。 安 藤 は AID施 術 に 際 し ド ナ ー の 匿 名 性 を 条 件 と し 、 夫 婦 に は 子 供 に AIDに よ り 生 ま れ た こ とを 秘 密に す るよ う 求 めた 。近 年 、子供 の 出 自を 知 る権 利 の観 点 か ら AIDに つ いて 考 え な お そう と する 議 論が 目 立 つよ う にな っ てき た 。ま た 、こ の ような 議 論 は AIDで 生 まれ た 人 が 語 り は じ め た こ と も あ り 、 ド ナ ー 開 示 の 必 要 性 と い う 従 来 に は な か っ た 新 し い 動 き と 見 な さ れる こ とが 多 い。し か し AID導 入 期 に は子 の 出 自と い う観 点 から 議 論 は行 な われ て い な か っ たの で あろ う か。そ も そ も安 藤 はな ぜ匿 名 性 を条 件 とし た のだ ろ う か 。AIDを 希 望す る 人 た ちは 子 供の 出 自を ど の よう に 考え て いた の か 。そし て また 、社 会 は AIDを め ぐ る諸 問 題 を ど の よ う に 捉 え て い た の か 。 こ れ ら の 点 を 明 ら か に す る こ と が 本 研 究 の 目 的 で あ る 。 ま た 2 0 0 8 年 、 日 本 学 術 会 議 は 「 出 自 を 知 る 権 利 に つ い て は 、 子 の 福 祉 を 重 視 す る 観 点 か ら 最 大限 に 尊重 す べき で あ るが 、そ れ にはま ず 長 年行 わ れて き た AIDの 場 合な ど につ い て 十 分 検 討 し た 上 で 、 代 理 懐 胎 の 場 合 を 判 断 す べ き で あ り 、 今 後 の 重 要 な 検 討 課 題 で あ る 」 と す る 提言 を 出し て いる 。本 研 究は 、こ の提言 も 念 頭に 置 きな が ら日 本 に おけ る AID萌 芽 時
代 を 焦 点 と し て 子 供 の 出 自 と い う 論 点 に つ い て 具 体 的 な 検 討 を 行 う こ と に よ っ て 、 生 命 倫 理 的 な 議 論 が 果 た し て き た 役 割 、 さ ら に は 果 た す べ き 役 割 を 明 ら か に す る 手 が か り を 得 る こ と を 目的 と する 。 ( 方 法 )本研 究 の方 法は 文 献 研究 に よる 。具体 的 に は 、1 9 49 年の AID児 誕 生を 始 点に 安 藤 が 亡 くな る 19 6 8年 ま で の言 説 を中 心 に調 査 、 分析 す る。 ま た近 年 に おけ る 生殖 補 助 技 術 に 関す る 意識 調 査を 参 照 した 考 察を 試 みる 。 ( 結 果 ) ① AID導入時にドナーを匿名にする影響が問題として意識されており、その際の論点が血 族 結 婚 、相 続 問題 、 子・ 夫 婦 への 心 理的 影 響に あ っ た ② 学術以外の雑誌や創作物がAIDの問題を夫婦、AIDで生まれた子、精子提供者の心情など 人 間 の 内面 を 長期 的 な視 点 で 疑義 を 呈し た ③ 不妊に悩みAIDを望む人は子供の出自に関し長期的に捉える視点を欠いていたと推察さ れ 、 近 年に お いて も 不妊 で 子 供を 望 む人 が 類似 し た 考え を 持つ 傾 向に あ る ④ 日本初AID児誕生から10年を迎える頃、AIDの先駆者である安藤は血族結婚回避のため、 ド ナ ー 匿名 性 の再 検 討を 説 い た ⑤ 血族結婚や子、夫婦、ドナーら当事者への心理的影響については心理学的観点を中心と し た 議 論が す でに 行 われ て い たこ と 、に もかか わ ら ず大 き な社 会 的議 論 が 生ま れ なか っ た 理 由 とし て は、 ⑥ 安藤の周辺が医学的な立場を重視し、ドナーの匿名性の再検討に関心がなかったことが 考 え ら れる ( 考 察 )「 ド ナー 匿 名性 」 と いう 論 点を め ぐっ て は 、安 藤 が「 血 族結 婚 の 可能 性 」を 重 要 視 し 、 社会 一 般は 「 子・ 夫 婦 ・ド ナ ーへ の 心理 的 影 響」 を 危惧 し 、安 藤 の 周辺 の 施術 者 が 「 AIDの 医 学的 な 意義 」を 優 先 して い た 。こ うし た 違 いは 、立 場に より 関 心 が異 な るこ と を あ ら わ して い るだ ろ うが 、AID導 入 から 2 0年間 の 推 移を 見 ると 、異な る 立 場は 相 互に 議 論 を 交 わ すこ と なく 終 わっ た と いえ る 。そ の ため 、 当 時も 子 供の 出 自を め ぐ る議 論 がそ れ な り に 行 われ て いた に もか か わ らず 、 同じ 論 点が 従 来 には な かっ た 新し い も のと し て近 年 意 識 さ れ てし ま うこ と にも な っ たと 思 われ る 。AID導 入 期に お いて 子 の出 自 を めぐ る 議論 の 可 能 性 が あっ た にも か かわ ら ず 展開 さ れな か った こ と には 、 生命 倫 理的 な 議 論が 果 たし て き た 役 割 、さ ら には 果 たす べ き 役割 を あき ら かに す る 手が か りが あ る。 (結論)生 命 倫理 的 な議論 、つ まり 新 し い医 療技 術 と 生命 を めぐ る 問題 に つ いて 議 論を 十 分 に 展 開 して い くた め には 、少 な く とも 新 しい医 療 技 術の 発 展だ け に目 を 奪 われ て はな ら ず、 社 会 的 影響 に つい て 立場 と 関 心を 異 にす る 者を 結 び つけ て 検討 し てお か な けれ ば なら な い こ と 、 また 検 討に 際 して は 新 しい 医 療技 術 の被 施 術 者が そ の技 術 がも た ら すで あ ろう 問 題 に 対 し 、一 般 と比 べ 長期 的 に 捉え る 視点 が 欠け て い る可 能 性を 考 慮す る 必 要が あ る。 生 命 倫 理 が 果た す べき 役 割の 中 心 はお そ らく そ うし た 議 論の 場 を設 定 する と と もに 、 その 場 に お い て 議論 を する こ とに あ る 。あ わせ て AIDの 導 入 者 であ る 安藤 が この 施 術 の見 直 しを 説 い た こ と を鑑 み れば 、 新し い 医 療技 術 の導 入 後の 調 査 や再 検 討を 行 うべ き で あり 、 言い 換 え れ ば 生 命倫 理 的な 議 論の 再 設 定の 意 義が 示 され て い ると い える 。 (1944字 )
論文審査結果の要旨
1.学位論文研究テーマの学術的意義
本研究は日本初の非配偶者間人工授精(artificial insemination with donor’s semen:AID)による 誕生を指揮した安藤画一を中心に言説の歴史的調査を、ドナーの匿名性に着目しながら考察したもの であり、1949年のAID 児誕生を始点に安藤が亡くなる1968年までの言説を中心に考察し、 安藤が自ら導入したドナーの匿名性の再検討の必要性を説いていたこと、及びAID の諸問題として 血族結婚や子の心理への影響をあげていたことを初めて明らかにして、AID 導入期において子の出 自をめぐる議論の可能性があったことと考察したものである。昨今、議論になっている第三者が関与 する生殖補助医療技術における出自を知る権利の議論に歴史的事実を提示できた点に本研究の意義 がある。 2.学位論文及び研究の争点,問題点,疑問点,新しい視点 本研究が安藤画一氏を中心とした資料の収集にとどまっており、本テーマを議論するにあたって他 の関連資料の検討が必要ではなかったか、この結果が現在の出自を知る権利の議論にどのように繋が っているのかについてさらに検討が必要であったのではないかとの疑問が残る。一方で、AID が実施 された当時から出自を知る権利についての議論の萌芽があったことを初めて明らかにした研究とし て評価される。 3.実験及びデータの信頼性 本研究の方法論の範疇では十分な資料と適切な活用がなされている。 4.学位論文の改善点等 第三者の関与する生殖補助医療技術の出自を知る権利については、AID は歴史的にその議論を難し くしている要因があること、すなわち、その後の体外受精においては日本産科婦人科学会が配偶者間 での実施しか認めなかったことで出自を知る権利についての論争が不要であったことなどを踏まえ て、今後、第三者の配偶子や受精卵の活用がなされる際の出自を知る権利のあり方を倫理面での検討 してほしい。 以上より、学位論文として十分な水準にあると審査員一同、一致した意見であった。