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大正大学大学院研究論集33号 032木内堯大「『守護国界章』と『法華秀句』における文献引用態度の相違」

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Academic year: 2021

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『守護国界章』と『法華秀句』における文献引用態度の相違

『守護国界章』と『法華秀句』における文献引用態度の相違

木 

内 

堯 

他宗に優れた自宗義を明らかにすることを目的としているのであり、そ れまでに見られた他宗に依憑する態度はここに改められるのである。当 然のように『法華秀句』における、引用文献の利用態度も、いかに自宗 義を効果的に示すかということに主眼が置かれており、他宗に依憑をし ない態度が明確に示されているのである。

一、

『法華秀句』引用文献の検討

以 下 に、 『 法 華 秀 句 』 上 下 巻( 中 巻 は 別 撰 と 推 測 さ れ る の で 除 く ) に 最澄が引用する経論を五に分類しその傾向をあらわすこととしたい。 ( 1 )法華経・天台教義関係 『妙法蓮華経』 『法華論』聖徳太子『法華義疏』 『法華玄義』 『止観 輔行伝弘決』等 ( 2 )その他の一乗を説く経典 『観普賢菩薩行法経』 『無量義経』 『維摩経』 『涅槃経』等 ( 3 )徳一の主張に由来 『勝鬘経』 『入楞伽経』 『摂大乗論』 『大乗荘厳論』 『瑜伽師地論』 『瑜 伽論述記』 『瑜伽論記』等 ( 4 )徳一説の否定のために引用する経論 『成唯識論』 『法華玄賛』等 ( 5 )唐の新説 淡延『法華経七喩三平等十無上述』 ・澄観『華厳経疏』 最澄『依憑天台 集 (( ( 』では、天台教学に影響を受けて自らの教学を立て た人師、あるいは天台大師 ・ 南岳慧思などを高く評価する人物に対して、 天 台 に 依 憑 し て い る と い う 点 か ら 肯 定 的 に 扱 っ て い る。 ま た、 『 守 護 国 界章』では、最澄が自らの主張を正当化するために、他宗の説を引用し 教証として用いるという態度が見られる。これは最澄自身による他宗に 対する依憑的態度とも言えるであろう。ところが、 晩年の著作である 『法 華秀句』ではその態度が改められているのであ る (( ( 。 『法華秀句』序には以下の文がある。 法 華 秀 句 者。 琢 二 磨 髻 珠 一 砥 礪 也。 乃 有 下 山 明 珠。 遠 伝 二西 秦 一 天 台 珠 嚢。 遙 流 中 海 上 施 レ 之 客。 各 諍 二 是 非 一 求 レ 之 主。 無 レ所帰 是以。 剪 二除麁食之見林 造 二立天台之円城 於 レ是。 有 二 謀 家 一云。 天 台 所 立 四 車 義 者。 令 下 厳 宗 奪 取 中 義 上 又 其 所 立成仏義者。 令 下三論宗奪取其義 上 。然則。 天台法華宗。 以 二何等義 為 二 宗 義 一 若 無 二 宗 義 一 不 レ 宗 一者。 欲 矇 二 人 一 度 レ 為 レ謀。 誣 誷 亦 甚。 是 故。 且 著 二 華 秀 句 三 卷 一 庶 妙 法 勝 幢。 千 代 不 レ傾。一乗了義。開悟群心。但恐。織成不正。汚聖耳目也。        (『伝全』三 ― 一) あ る 人 師 が、 「 天 台 所 立 の 四 車 義 は 華 厳 宗 に 奪 わ れ、 所 立 の 成 仏 の 義 は三論宗によって奪い取られてしまっている。天台法華宗の自宗の義と はどのようなものなのか。自宗の義がなければ別に宗を立てることを許 さない」 と述べた。これに対して、 最澄は自宗の義を闡明するために、 『法 華秀句』 を著したとある。このように、 最澄の 『法華秀句』 撰述の意図は、 一

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『守護国界章』と『法華秀句』における文献引用態度の相違 阿目法抜日羅『金剛頂瑜伽中阿耨多羅三藐三菩提心論』 神肪『種性論』 ・義寂『十二巻本大乗法苑義林章』 義一『法華論述記』等 ( 1 )法華経・天台教義関係 『法華秀句』 において、 最澄は 『法華経』 を諸経の王、 最第一の経と述べ、 開三顕一、 先三後一、 四十年未顕真実などを強調する。 また、 「夫頓悟機熟。 説 レ 頓 時 至。 爾 時 諸 仏。 応 レ 説 レ 頓。 当 レ知。 法 華 経。 機 頓 教 頓。 是 実 是 円 也。 」( 『 伝 全 』 三 ― 一 八 ) と 述 べ、 頓 機 に 対 す る、 頓 教 で あ る こ と を重要視するのである。したがって、法華以前の教えを歴劫修行因分の 教とし、法華を直道果分の真実の教としてその優劣を述べるのである。 『法華論』に関しては、 『守護国界章』における態度と同様に『法華経』 に 準 ず る も の と し て 扱 っ て い る。 『 法 華 玄 義 』 も『 法 華 経 』 の 優 位 を 証 明するための資料として扱われていることは当然のことであろう。 ま た、 『 法 華 義 疏 』 も 肯 定 的 に 用 い ら れ て い る。 周 知 の 通 り、 聖 徳 太 子は南岳慧思の後身とされて、日本天台において信仰を集めた。最澄自 身も、弘仁七年に上宮廟に訪れたことが伝えられてい る (( ( 。その真偽はと もかくとしても、聖徳太子を天台智顗等と同列に扱い、依憑する対象と して扱っていたことは注目される。 ( 2 )その他経典 『 法 華 秀 句 』 下 巻「 即 身 成 仏 化 道 勝 八 」 に は、 即 身 成 仏 を め ぐ り『 普 賢観経』に対する言及が見られる。 普賢経者。能結法華経也。即入之言者即身無異。他宗所依経。都無 二 身 入 一 雖 二 一 分 即 入 一 推 二 地 已 上 一 不 レ 許 二 夫 身 一 天 台 法 華 宗。 具 有 二 入 義 一 四 衆 八 部 一 切 衆 生。 円 機 凡 夫。 発 心 修 行。 即入 二正位。得普賢。不八地。許凡夫故。      (『伝全』三 ― 二六七) 竜女成仏をめぐる『法華経』の即身成仏に関する議論であるが、特に 『普賢観経』には「応時即入」とあり、 『法華経』と同様に即身成仏を説 いていることから、 「能結の法華経」と名付けるのである。ところで『普 賢 観 経 』 は、 四 十 年 の 開 会 の 以 後、 『 法 華 経 』 の 結 経 と し て 説 か れ た 経 典であるから、依憑すべき対象として扱っているが、開経である『無量 義経』に対する対応はいささか異なる。 『 無 量 義 経 』 の、 「 歴 劫 修 行・ 直 至 道 場 」 に 関 す る 記 述 は『 法 華 秀 句 』 に お い て 盛 ん に 引 用 さ れ る。 し か し、 『 法 華 経 』 の 開 経 で あ っ て も、 法 華が説かれる以前の教説であることから、法華開会という点より、この 経典をいかに扱うかという問題が生じる。そこで最澄は、以下のように 述べている。 当 レ知。 已説四時経。 今説無量義経。 当説涅槃経。 易信易解。 随他意故。 此 法 華 経。 最 為 難 信 難 解。 随 自 意 故。 随 自 意 説 勝 二 於 随 他 意 一 但 無 量 義 随 他 意 者。 指 二 合 一 辺 一 不 レ 部 随 他 意 一也。 語 レ 則 像 終 末 初。 尋 レ 唐 東 羯 西。 原 レ 則 五 燭 之 生。 闘 諍 之 時。 経 云 二 多怨嫉。況滅度後 一。此言良有以也。     (『伝全』三 ― 二五一) ここでは、 『法華経』のみが随自意であるから難信難解であり、 『無量 義経』 と『涅槃経』 は随他意であるから易信易解であるとする。ただし 『無 量義経』は法華経の直前の説であり、未だ開会されていないという点に おいてのみ、随他意であり、その他の経典の随他意とは意味が異なると いう理論である。また次のようにある。 其 大 直 道 者 是 果 分 故。 是 故。 無 量 義 経 云。 善 男 子。 是 則 諸 仏 不 可 思 議 甚 深 境 界。 非 二 乗 所 知 一 亦 非 二 地 菩 薩 所 一レ 及。 唯 仏 与 一 乃 能 究 了( 已 上 経 文 )。 当 一知。 果 分 之 経 具 二 七 名 一 無 量 義 経 者。 法華序分第三如来欲説法時至成就。 故約 二未合義辺随他意 能生一法無相理智。同 二法華経。故法華十七名初。無量義名也

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『守護国界章』と『法華秀句』における文献引用態度の相違         (『伝全』三 ― 二四一~二四二) 『 無 量 義 経 』 は 随 他 意 で あ る が、 果 分 の 経 で あ り、 そ の 法 は 無 相 の 理 智 で あ っ て『 法 華 経 』 と 同 じ で あ る と い う 主 張 で あ る。 と こ ろ で、 『 守 護国界章』 には天台宗の所依の経典に関して以下の如く述べられている。 弾 曰。 汝 今 安 立 円 教 依 経。 此 都 不 レ爾。 汝 今 未 レ 了 二 円 宗 正 依 経 一 故。 今山家所 レ伝円教宗依経。 正依 二法華経及無量義経傍依大涅槃。 華厳。 維摩。 方等般若。 甚深諸大乗所 レ説円教。 文殊問般若。 般舟。 大 方 等。 請 観 音。 虚 空 蔵。 観 普 賢。 遮 那 一 切。 説 レ 等 諸 経 諸 論 等 一 先 開 二 権 教 一 後 会 二 実 経 一 汝 何 輒 判 二 他 宗 一 偽 送 二 文 仏怨失 一 (『伝全』二 ― 二六三 ― 二六四) 円 教 の 正 依 の 経 典 を『 法 華 経 』『 無 量 義 経 』 と し、 大 乗 経 典 に 説 か れ る 円 教 を 傍 依 と す る の で あ る。 『 守 護 国 界 章 』 の 時 点 で 最 澄 は こ の よ う に述べるが、 『法華秀句』では傍依とされる「大涅槃、 華厳、 維摩、 方等、 般若」の扱いは大きく異なる。 例 え ば『 維 摩 経 』 に 関 し て は、 「 維 摩 経 敗 種。 資 粮 論 八 喩。 其 義 皆 同 二 未 顕 真 実 一 。」 (『 伝 全 』 三 ― 三 七 )「 維 摩 已 死。 法 華 再 生。 其 文 分 明。 其義顕了。 」( 『伝全』三 ― 四一)等の文が見られ、 『維摩経』に見られる 敗種の語から、 『維摩経』を未顕真実を示す証拠として用いるのである。 そ し て、 『 維 摩 』 で は 敗 種 と な っ た も の が『 法 華 』 に よ っ て 再 生 す る こ とを強調している。 『 涅 槃 経 』 に 関 し て は『 守 護 国 界 章 』 で は 以 下 の よ う に 依 憑 す る 態 度 が明確である。 弾曰。 此証非 レ理。 所以者何。 不 レ経意故。 其経本意。 説 二後身菩薩。 八 相 成 道 事 一 不 レ 二 大 独 覚。 永 不 レ 成 二 仏 道 一 高 山 之 時。 未 レ 不 一 唯 入 涅 槃。 金 河 之 日。 定 レ 仏 一 故 涅 槃 経 云。 迦 葉。 第 五 人 者。 永 断 二 欲 瞋 恚 愚 癡 一 得 二 支 仏 道 一 煩 悩 無 レ余。 入 二 於 涅 槃 一 真 是 麒 麟 独 一 之 行。 是 名 二 五 人。 有 病 行 処 一 是 人。 未 来過 二十千劫。便当阿耨多羅三藐三菩提 一 。   (『伝全』二 ― 五二二) 徳一が『華厳経』を根拠に決定趣寂の独覚が存在すると主張するのに 対して、華厳会ではまだ成仏・不成仏は定まっておらず、涅槃会に成仏 すると定められると述べている。そして、 教証として 『涅槃経』 を引用し、 独 覚 が 涅 槃 に 入 る こ と を 示 し て い る。 こ こ で は、 『 法 華 経 』 に よ る 成 仏 を用いることなく、独覚の成仏を『涅槃経』に依憑することで示してい る。ところが、 『涅槃経』 に対する態度は 『法華秀句』 では異なっている。 又 云。 舍 利 弗。 如 レ 皆 為 レ 得 二 一 仏 乗 一 切 種 智 一故( 已 上 経 文 )。 当 レ知。 能 説 釈 迦。 随 二 四 仏 一 帰 一 為 レ 極。 是 則 第 五 釈 迦 文 諸 仏 道 同後一之文也。妙法華経唯一仏乗已究竟故。是真実説。先三後一釈 迦 会 釈。 先 後 法 異 天 親 亦 会。 莫 レ 華 一 乗 涅 槃 一 道 被 二 釈 一故。 不 上 レ 二 極 説 一 其 涅 槃 一 道 文。 但 会 二 後 之 悪 執 一 不 レ 世 之 教理 一 華厳一道。 深密一乗。 成仏不成二説倶存。 是故。 淨論之本。 法 華 一 乗 皆 悉 成 仏。 是 一 説 故。 不 二 論 本 一 他 宗 所 依 経。 随 二 本 性 一説。 天台法華宗。 出世本法説。 当 レ知。 後一之宗。 勝 二於諸宗也。        (『伝全』三 ― 二五〇) 先述の通り『涅槃経』は随他意の易信易解の教えとされるが、本資料 に よ れ ば、 「 但 会 二 滅 後 之 悪 執 一 不 レ 会 二 世 之 教 理 一 」 と あ り、 諍 論 の 本となると述べているのである。 『華厳経』に関しては、 『守護国界章』と『法華秀句』との見解の相違 について別稿で触れた が (( ( 、ここに行位と直道という問題を少しく述べる こととしたい。 『 守 護 国 界 章 』 に は 天 台 が、 円 教 の 行 位 に 関 し て「 十 信 以 前 を 円 の 賢 位として、十住以上の四十二位を円の聖位とする」と主張するのに対し て、徳一が『瓔珞経』を用いて批判する文が見られる。すなわち『瓔珞 三

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『守護国界章』と『法華秀句』における文献引用態度の相違 経』では七住以前は退分となるという主張である。 これに対して最澄は『華厳経』の行位を円教の行位として扱っている ように見られる反論を行っている。 弾 曰。 汝 難 非 レ理。 十 住 有 レ 故。 瓔 珞 本 業 経。 六 種 性 之 位。 約 二 円入別 一 説 二歴劫修行 三賢十地。 地前地上。 次第行布。 真応二身。 帰 二 徳 蔵 一 華 厳 経 十 住 初 発 心 住 位。 不 レ 相 二 本 業 一 其 華 厳 経 梵 行 品 云。 初 発 心 時。 即 得 二 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 一 知 二 切 法 即 心 自 性 一 成 二 慧 身 一 不 二 悟 一 已 十 住 初 住。 便 成 二 覚 一 何 不 レ 位 之 名 一 。 汝 執 二 劫 位 一 難 二 道 頓 位 一 豈 不 レ 二 教 理 一哉。           (『伝全』二 ― 二七五) 『華厳経』と『瓔珞経』の行位は異なり、 『華厳経』では、十住の初住 に 正 覚 を 成 就 し て い る か ら、 十 住 の 初 め か ら 聖 位 と な り、 『 華 厳 経 』 の 行位は直道の頓位であるという主張である。まさしく円教の行位に関し て 述 べ て い る が、 『 守 護 国 界 章 』 に お け る 最 澄 の 理 解 は、 華 厳 は 別 円 を 兼ねるというものであるから、特に問題はないであろう。 し か し、 『 法 華 秀 句 』 で は、 華 厳 を 直 道 と は せ ず、 歴 劫 修 行 の 頓 教 と するのである。 弾 曰。 此 説 不 レ 爾。 機 会 相 違 故。 其 未 レ 入 二 正 位 一 不 定 性 二 乗。 従 二 十 年 前 一 一 乗 根 機 熟。 是 故。 華 厳 教 至 二 華 之 前 一 四 味 教 之 中。 説 二 二 一 乗 一 令 レ 二 一 乗 道 一 麁 食 者。 何 名 二 尊 法 久 後 一 已 説 二 二 一 一 麁 食 者。 何 名 二 当 説 真 実 一 其 已 入 二 位 一 性 二 乗。 並 歴 劫 修 行 菩 薩 等。 従 二 四 十 年 一前。 未 レ 竟 果 分。 一 乗 直 道根機 一故。 由此如来。 不 二務速説 是故。 無量義経云。 種種説 レ法。 以 二 便 力 一 四 十 余 年。 未 レ 実 一 是 故。 衆 生 得 道 差 別。 不 レ 得 三疾成無上菩提 一 已上経文 。今其已入 二正位。定性二乗。及歴劫修 行 菩 薩 等。 已 熟 二 究 竟 果 分。 一 乗 直 道 根 機 一 故。 世 尊 法 久 後。 要 当 レ 実 一 其 円 機 菩 薩。 従 二 華 厳 会 一 至 二 若 等 経 一 聞 二 分 円 教 一 入 二 因 分 仏 慧 一 是 故。 云 二 見 我 身。 聞 我 所 説。 令 入 仏 慧 已上経文 。 其歴劫修行利根菩薩等。 法華序品。 第三如来。 欲 レ法時。 至 二 成 熟 時 一 聞 二 量 義 経 一 迴 二 径 之 路 一 向 二 直 之 道 一 又 彼 歴劫修行鈍根菩薩等。聞 二法華経。向大直道 一 。       (『伝全』三 ― 四四~四五) 『法華秀句』では、 『無量義経』に基づき、華厳を歴劫修行の因分とす る。 『 守 護 国 界 章 』 に お い て、 円 教 の 行 位 を 述 べ る た め に『 華 厳 経 』 に 依憑する態度とは明らかに異なるのである。 ところで、最澄が『法華秀句』で目指した理想は、他宗の経論を根拠 とせずに『法華経』によって自宗義を顕すことであるから、当然のよう に 限 界 が 生 じ る こ と も あ る。 そ の 一 つ が こ の 行 位 の 問 題 で あ る。 別 教・ 円 教 の 行 位 は『 瓔 珞 経 』『 華 厳 経 』『 仁 王 経 』 等 を 根 拠 と し て 構 成 さ れ て い る の で あ る か ら、 『 法 華 経 』 に の み 依 憑 し た 態 度 で 行 位 に 対 し て 対 応することはできない。従って、ここに見られるように「正位」という 言葉で『法華経』の位を定義づけるのである。つまり、円教の行位の究 極 的 な あ り 方 と し て の 一 位 即 一 切 位 で あ る。 従 っ て、 『 法 華 秀 句 』 で は 五十二位等に言及することなく、天台の立てる六即を用い、これによっ て、即身成仏が示されるのである。 な お 最 澄 は、 『 法 華 秀 句 』 で の 基 本 的 態 度 を 崩 さ な い た め に、 次 の 如 く述べている。 誠願。 一乗学生。 謬莫 レ之。 如 レ是等権実。 及成不成。 定不定性。 約位約種。 密意隱密。 義鏡章等。 慧日羽足。 遮異見章等。 委悉遮破。 如 二守護国界章。照権実鏡。決権実論。通六九証等 一 。     (『伝全』三 ― 七一) 位 に 約 す 種 性 に 関 し て は、 「 守 護 国 界 章、 照 権 実 鏡、 決 権 実 論、 通 六九証等」を参照せよとある。最澄の主張は無性・有性、二乗・三乗な 四

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『守護国界章』と『法華秀句』における文献引用態度の相違 どの種性は位によるものであり、法華の開会によって、全て成仏し、永 久 に そ の 位 に と ど ま る の で は な い と い う 主 張 で あ る (( ( 。 し た が っ て、 『 法 華経』だけで種性を論じた場合には位の差別というものは存在しないこ ととなるのである。その意味で『法華秀句』の立場はすでに全ての人が 開会された正位にいる状態であるという前提で議論がなされており、先 三の説を述べる必要は無くなるのである。 ま た、 『 守 護 国 界 章 』 で は、 徳 一 が『 華 厳 経 』 引 用 し て 以 下 の よ う に 述べている。 華 厳 十 地 説 云 二 分 可 説。 果 分 不 可 説 一 此 即 同 二 首 品 文 一 前 文 同 二 九 地 文 一 若 執 二 文 一 為 二 教 一 乗 一 者。 因 果 相 対。 校 二 量浅深 一。諸大乗経。皆応別教一乗   (『伝全』二 ― 六二九) 『 華 厳 経 』 で は、 因 果 を 相 対 し て 浅 深 を 校 量 し て い る。 こ の よ う な 大 乗経典は他にも存在するから、それらも別教一乗とするべきであるとい う主張である。これに対して最澄は以下のように述べる。 救曰。 此例自害尤深也。 因相果相。 浅深不同。 因地果地。 権実何同。 三 乗 之 因 如 二 河 溪 一 一 乗 之 因 如 二 岸 一 賢 首 四 車 同 時。 三 外 別 教 一乗。豈得 レ立哉。汝唐捐之詞。還著汝倒耳。         (『伝全』二 ― 六三〇) 『守護国界章』では、三乗と一乗では因相と果相の浅深は不同であり、 因地と果地の権実は異なるという主張をし、別教一乗の果分を認めてい ると言えるであろう。ここでは「不可説」という語を、別教の果分は深 遠であるという意味に理解していると思われる。 ところが、 『法華秀句』 では同じ文に対して異なる理解をするのである。 夫 華 厳 経 者。 前 後 翻 訳。 合 有 二 本 一 初 六 十 卷。 次 本 八 十 卷。 後 本 四 十 卷。 重 訳 之 経。 同 本 異 訳。 但 説 二 上 地 上 因 分 一 未 レ 来 内 証 果 分 一 是 故。 天 親 十 地 論 云。 因 分 可 説。 果 分 不 可 説 者。 即 其事也。当 レ知。果分勝於因分      (『伝全』三 ― 二四四) 華 厳 で は 因 分 を 説 く か ら、 「 因 分 可 説 」 と い い、 果 分 が 説 か れ な い か ら「果分不可説」 と述べていると理解するのである。 このように、 『華厳経』 の「不可説」の語を「説かれていない」と解釈するという変化が見られ るのである。 ( 3 )徳一の主張に由来する引用 徳 一 は、 十 教 二 理、 四 教 二 理 等 で 法 華 経 を 権 教 で あ る と 主 張 す る が、 そ の 時 に 徳 一 が 証 拠 と し て 用 い る 文 が、 こ の 範 囲 に 含 ま れ る。 最 澄 は、 徳一の教証の利用が誤りであるとを証明するために、再び徳一が用いる のと同じ経論を引用することがある。 麁食者。 又謗 二法華云。 又勝鬘経云。 若如来。 随 二彼意欲 而方便。 説 下唯有一乗 無 上 レ二乗 一(已上経文) 。 麁食所 レ引。 吠声而謬。 其 正 本 経 文。 都 無 二 欲 言 一 但 有 二 欲 之 句 一 所 与 レ 両 字。 其 訓 稍異。 有 二一疏師 一 。改 二所字 一 。為 レ自義 一 。為 二意字 一 。又其正本経。 大 唐 真 本。 並 諸 家 疏。 新 羅 義 疏。 我 大 日 本 上 宮 御 製。 都 無 二 有 一 乗 句 一 三 国 正 本 経 疏 等。 正 有 二 是 大 乗 句 一 可 レ 哉 可 レ 哉。 為 レ自義 恣改 二経文 誰有 レ智者。 可 二黙止哉。 但近江伊香県。 有 二 一 本 経 一 有 二 有 一 乗 文 一 恐 見 二 疏 文 一 改 二 経 文 一歟。 麁 食 者。 取 二 経 意 一云。 此 意 決 定 二 乗。 終 不 二 仏 一故。 一 乗 名 為 二 便 一 故 法 華 拠 二 定 機 一 以 二 二 乗 一 便 一 一 乗 為 二 真 実 一 勝 鬘 対 二 決 定 性 一 以 二 四 乗 一 為 レ実。 説 二 唯 一 乗 一 是 為 二 方 便 一 是 故。 法 華 一 乗 為 二 実 義 一 甚 大 謬 迷( 已 上 麁 食 者 )。 此 説 不 レ 理。 以 下 之 眼 転 一 謬 謂 中 地 山 河 転 上故。 其 勝 鬘 経 重 訳 両 本。 宋 代 訳 経 本 云。 若 如 来 随 二 彼 所 欲 一 而 方 便。 説 下 是 大 乗。 無 上 レ 有 二 乗 一 二乗者入 二於一乗 一乗者即第一義乗 (已上経文) 。 唐訳経本云。 若 諸 如 来。 随 二 所 欲 一 而 以 二 便 一 二 乗 即 是 大 乗 一 以 下

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『守護国界章』と『法華秀句』における文献引用態度の相違 一義無 上 レ 二 二乗 一 。二乗者同入 二一乗 一 。一乗者即勝義乗 (已上経文) 。 此 経 正 意 者。 未 レ 二 正 位 一 二 乗。 令 レ 入 二 乗 真 実 一 故 説 云。 二 乗涅槃。 名 二向涅槃界 四智究竟得 二蘇息処 是仏有余不了義説 (已 上 経 文 )。 豈 一 向 二 乗 為 二 実 一哉。 其 経 又 云。 説 二 乗 道 一 如 来 四 無 畏 成 就。 師 子 吼 説( 已 上 経 文 )。 豈 一 向 一 乗 為 二 便 一 哉。 彼 法 華 之 前。 勝 鬘 夫 人 所 レ 説。 存 二 之 一 乗。 顕 二 乗 真 実 一 其 経 上 下 文。 無 二一乗方便 一 。        (『伝全』三 ― 四一~四二) こ こ で は 徳 一 が、 『 勝 鬘 経 』 を 根 拠 に 一 乗 と い う の は 方 便 で あ り 真 実 ではないと主張している。それに対して最澄も『勝鬘経』を引用し、徳 一の用いる『勝鬘経』には句の錯簡があり、勝鬘経では一乗を真実とし ていると反論している。このように、徳一が『法華経』を権教とする根 拠として他の経論を用いる場合には、それを訂正するために、最澄がそ の経典を引用するという構成であり、この例のような引用はいくつか存 在 す る。 当 然 の よ う に、 徳 一 の 説 に 由 来 す る こ と か ら、 最 澄 が『 法 華 経 』 以 外 の 経 論 に 依 憑 し て い る こ と に は な ら な い で あ ろ う。 ま た、 「 彼 法 華 之 前。 勝 鬘 夫 人 所 レ説。 存 二 之 一 乗。 顕 二 一 乗 真 実 一 其 経 上 下 文。 無 二 乗 方 便 一 。」 と、 敢 え て 法 華 開 会 以 前 の 経 で あ り、 二 乗 を 存 在 さ せ ていることを強調しており、自らは『勝鬘経』に依憑して思想を展開す るという主張は見られないのである。 なお、 この範囲に含まれるものとしては、 『摂大乗論』 『瑜伽師地論』 『瑜 伽論述記』 『涅槃経』 『入楞伽経』等があげられる。いずれも徳一が根拠 として引用する文であり、徳一の根拠を否定するためにそれらの経論を 引用している。   ( 4 )  他宗説の否定のための利用 次に、徳一の説から導かれたわけではなく、ただ、徳一の説(唯識法 相)の説を否定するために、経論の引用や、経論の意義を解説するなど の場合がある。他にも他宗の教学が劣ることを証明するために、他宗の 論に書かれている文を引用して、証拠とする場合もある。 夫 三 十 唯 識 論 一 卷 二 紙 天 親 本 頌。 依 二 厳 等 経 一 立 二 唯 識 義 一 天 竺十論師。 各造 二其釈論 乃玄弉三蔵。 齎 二其梵本来。 十論師釈論。 各 各 令 二 別 釈 一 於 レ 是。 三 蔵 門 人。 大 乗 基。 数 朝 諮 曰。 三 蔵。 前 停 三 別 二 十 師 論 一 同 訳 三 人 去 二 処 一 独 糅 レ法。 正 二 旨 一 名 曰 二 唯 識 論 一 十 卷。 遂 隱 二 十 師 義 一 唯 伝 二 論 旨 一 其 十 卷 本 天 竺 所 レ無。 故 基 公 即 曰。 雖 三 本 出 二 天 一 然 彼 無 二 茲 糅 釈 一 真 爾 十 師 之 別 作。 鳩 集 猶 難。 況 更 摝 二 此 幽 文 一 誠 為 レ有。 斯 乃 此 論 之 因 起 也( 已 上 基 語 )。 当 レ 知。 五 天 無 本 独 糅 之 論。 不 レ 二 五 天 有 本 重 訳 之 経 一 訳 二 華 一 蔵。 有 二 験 一 糅 二 釈 論 一 賛 師。 未 レ 聞 二 霊 験 一 千 仏 之 一 仏 所 釈 之 諸 義。 何 有 二 減 失 一 専 不 レ 本 一。更加糅釈詞。是故。不比妙法華宗        (『伝全』三 ― 二四四~二四五) ここでは、唯識法相宗が所依とする『成唯識論』の成立に関して述べ ている。そもそも『唯識三十頌』の注釈書には、十論師がそれぞれに立 てたものがあるが、玄奘がそれを持ち帰った際に、基が一人で諸師の解 釈を交えて教義をただして『成唯識論』十巻として、成立させたもので あ る。 こ の よ う に、 イ ン ド に も と も と 存 在 し な か っ た 本 が『 成 唯 識 論 』 であるということを慈恩基の文を引用して示している。このような自分 勝手な翻訳方法は誤りであり、 鳩摩羅什の翻訳態度とは明らかに相違し、 妙法華宗とは対比することもできないと述べている。法相宗の所依の論 を否定するために、法相宗の説を逆に引用するという方法がとられてい る。これは、三論や華厳に対しても同様の手法が用いられており、他宗 の教学に依憑するどころか、他宗教学を否定することに全力を注いでい るのである。 六

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『守護国界章』と『法華秀句』における文献引用態度の相違 ( 5 )新説の採用 前にも述べたように、最澄には中国から最新の仏教を輸入してきたと いうことに対する強烈な自負がある。それは、自らの著作につけられて いる署名にも反映されている。 『依憑天台集』や大乗戒壇建設に関わる著作には、 「前入唐受法」など の言葉が自称として用いられており、唐の最新の仏教を受法したことが 強調されている。 『顕戒論』でも、 「大唐の新制」である『不空表制集』が用いられ、こ の傾向は、 『守護国界章』でも、 『法華秀句』でも見られるものである。 『法華秀句』 の六証一量の中の第五証には、 神肪 『種性集』 、十二巻本 『大 乗法苑義林章』 、 義一『法華論述記』 、 義寂(十二巻本『大乗法苑義林章』 か)等の論が見られ、いずれも唐の新しい説であることを理由に引用さ れているのである。 徳一は『法華論』に見られる四種の声聞は、趣寂するために受記を得 ることができないと主張する。 これに対して最澄は以下のように述べる。 法 華 宗 通 曰。 此 証 最 非 也。 所 以 者 何。 唐 三 蔵。 並 神 肪 師。 義 寂 師。 義 一 師 等 諸 法 相 宗 師 皆 云。 法 華 論 中。 決 定 即 為 二 方 便 決 定 一 或 名 二 暫 時 決 定 一 彼 土 迴 心 故。 為 二 未 来 決 定 一 具 如 二 肪 師 集 中 卷。 大 乗義林章第三。義一師法華論述記下卷説 一    (『伝全』 三 ― 八八) 徳一に対して、神肪、義寂、義一などの法相宗諸師は徳一と見解が異 なっていることを主張している。すなわち、 法相宗の唐の新説に対して、 『 法 華 玄 賛 』 の 古 い 解 釈 に 基 づ く 徳 一 の 見 解 は 大 き く 異 な り、 徳 一 は 新 し い 説 を 採 用 で き て い な い と い う こ と を 述 べ て い る の で あ る。 こ の 後、 神肪『種性集』中巻、 『義林章』第三、 義一『法華論述記』下巻を引用し、 そ の 相 違 を 示 す が、 『 守 護 国 界 章 』( 『 伝 全 』 二 ― 六 六 五 ) と 全 く 同 内 容 であり、主張も変わらない。これは、徳一と同じ法相宗の新説を用いる ことで、 徳一を古い説に執着するものとして扱うための方法であり、 『守 護国界章』 『法華秀句』に共通する方法論であると言える。 三師の説は全て、決定声聞にも二種があり、第一は畢竟決定、第二は 暫時決定であり、 第一は『瑜伽論』に説かれる四声聞を指し、 第二は『法 華論』に説かれる四種声聞を指しており、第二の暫時声聞は後に発心し て授記されるという内容である。 『守護国界章』では、これを受けて、以下のように述べる。 麁食当 レ知。 新義決擇。 無 二謗法失 一 。自 レ今以後。 此間学生。 自他不 レ論。 改 二彼古執。就此新義也。此第三証言。無不成義。今世後世。 為 二大河漢也。           (『伝全』二 ― 六六五~六六六) 三師の新義には謗法の過失はなく、 これより学ぶものは古執を改めて、 新義を採用しろという内容である。また『法華秀句』には以下のように ある。 如 二 翮 破 者。 彼 義 寂 師。 義 一 師 等。 応 レ 意 一 亦 応 二 句 雑 乱 一也。 噫 短 翮 者。 公 独 知 二 文 意 一 唐 諸 師 不 レ 哉。 既 彼 三 蔵 解。 及 神 肪 義 寂。 並 義 一 法 師 等 法 相 宗 法 将。 二 種 決 定 性。 自 二 度 一 二 伝 東 一 来 二 大 唐 国 一 自 二 唐 国 一 相 二 海 外 一 二 日 本 一 短 翮 者。 趣 為 二 迷 乱 一 短 翮 愚 耳。 又 彼 土 迴 心 者。 是 有 余 迴 心。 非 二 余 後 迴 心 一者。短翮臆説。無誠証故。        (『伝全』三 ― 九二) 神肪、義寂、義一等は、法相宗の法将であり、徳一とは異なり二種の 決定性を立てている。これは、インドから中国・日本と伝来してきた教 えであり、徳一のみが愚かなのである。また、徳一は不定性の二乗が有 余 涅 槃 か ら 無 余 涅 槃 に 入 ろ う と す る と き に、 『 法 華 経 』 を 聞 い て、 成 仏 をすると言い、無余涅槃に入った二乗が無余涅槃で回心するのではない と主張するがこれは誤りであると述べている。 今まで述べてきた『法華秀句』における最澄の基本的立場と、この引 用文献の利用方法は相違している。なぜなら、法相教学に依憑した態度 も見られると言えるからである。当然のように無般涅槃の畢竟決定の存 七

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『守護国界章』と『法華秀句』における文献引用態度の相違 在を最澄は認めないのであるから、これらの文を引用するのは不適当で あるとも思えるが、最澄は徳一説を批判するのに新しい法相宗人師の説 を 引 用 す る こ と に よ っ て 批 判 を 加 え る の で あ る。 こ れ は、 『 法 華 秀 句 』 を 撰 述 す る 立 場 と し て、 『 法 華 経 』 の み に 依 憑 す る と い う 態 度 の 他 に、 最澄が唐で新しい仏教を学んできたという自負に基づく、もう一つの最 澄の意図があるということがわかるであろう。

小結

  最澄は『守護国界章』の撰述時には、諸宗を融合的に捉え、天台教学 に依憑するという態度を積極的に評価し、自身も縦横無尽に他宗の教学 を利用して、徳一との論争を繰り広げたのである。 ところが、このことによって華厳・法相・三論・涅槃などの教学と天 台教学とが部分的に同一視されることにもつながり、 それが最澄をして、 『 法 華 経 』 の み を 用 い る こ と に よ る 純 粋 な 天 台 教 学 の 確 立 と い う 態 度 へ と変化させた理由となったのである。 そこで、最澄は行位に関しては、正位であるか、正位ではないかとい う二元論的な理解を用い、正位である円教の六即だけが用いられたので あろう。そして、 『法華経』による開会、開示悟入だけを論じたときに、 即身成仏という思想が確定したともいえるであろう。 個々の経典に関しては、 『法華経』を随自意とし、 『法華経』以外の経 典 を 全 て 随 他 意 と す る も、 『 無 量 義 経 』 に 関 し て は 随 他 意 で あ っ て も 他 の経典とは区別すべき経典であることを主張している。また、 『涅槃経』 『 維 摩 経 』『 般 若 経 』 等 に は、 『 法 華 経 』 と は 区 別 さ れ、 依 憑 す る 姿 勢 は 見られないのである。 こ の よ う に、 『 守 護 国 界 章 』 の 時 点 で は、 依 憑 的 態 度 を 肯 定 的 に 捉 え るという立場であったが、 『法華秀句』では依憑的態度を完全に捨てて、 註 (()『伝全』三 ・ 三四三~三六五頁 (()先行研究として浅田正博『守護国界章』と『法華秀句』との関連性 における疑義 ― 特に 「七教二理」 と 「十教二理」 をとおして ― (『仏 教文化研究所紀要』昭和六二)があげられる。浅田博士は「七教二 理」と「十教二理」をめぐって『守護国界章』と『法華秀句』の記 述はその差異がほとんど見られないと有るが、別教一乗に対する円 教一乗の優位、他宗教学に対する依憑的態度などが見られないとい う点において、筆者は多少の相違が見られると感じている。 (()牛 場 真 玄「 伝 教 大 師 最 澄 の 上 宮 廟 誓 願 詩 に つ い て 」( 『 印 仏 研 究 』 二〇 ― 一一九七一)には、最澄の上宮廟誓願詩を偽撰とし、最澄が 聖徳太子廟を参拝したことに疑義を示している。 (()拙稿「伝教大師における法蔵教学受容について」 (『多田孝正博士古 稀記念論文集』未刊)参照 (()草 木 成 仏 に も 最 澄 は こ の 理 論 を 用 い る。 田 村 晃 祐「 最 澄 の 法 宝 批 判 」( 塩 入 良 道 先 生 追 悼 論 文 集 : 天 台 思 想 と 東 ア ジ ア 文 化 の 研 究 』 一九九一)等参照 『法華経』のみに依憑し、 『法華経』のみに基づいて作られる最澄独自の 天台教学というものに発展していくのである。それは、様々な大乗経典 を会通していくという天台の立場とは、異なるとも言える。 ただし、最澄には唐の最新の仏教を学んできたという自負があり、そ のことから唐の新制度や新しい教学、新しい翻訳などを重要視するとい う傾向が同時に具わっていったのであろう。 八

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木内堯大氏   学位請求論文要旨 (課程博士) 「伝教大師教学の基礎的研究 ― 守護国界章の注釈的研究を通して ― 」 全ての有情に仏性を認めるかという論争は、インド、中国、日本に連 綿と受け継がれてきた課題であった。日本において、この問題に関する 本格的な論争は、徳一と最澄との間にはじめに起こったと言える。徳一 は法相教学に基づく三乗思想の立場から、最澄は天台教学に基づく一乗 思想の立場からそれぞれ論を展開し、この二人の論争は三一權實論争と 呼 ば れ た。 こ の 論 争 を 示 す 最 も 大 部 と な る 最 澄 の 著 作 が『 守 護 国 界 章 』 で あ り、 本 稿 は、 『 守 護 国 界 章 』 全 九 巻 の 訳 注 作 業 を 通 じ て 行 っ た 研 究 である。 第一章   『中辺義鏡』の批判対象 『 守 護 国 界 章 』 は 徳 一 の『 中 辺 義 鏡 』 に 対 す る 反 駁 書 と し て、 最 澄 に よ っ て 著 さ れ た も の で あ る。 本 書 の ほ と ん ど の 部 分 は、 『 中 辺 義 鏡 』 の 批 判 対 象 と な る 文、 『 中 辺 義 鏡 』 の 本 文、 最 澄 の 反 論 と い う 構 成 と な る が、多くの引用文献の存在と合わせて、その構造は複雑なものとなって いる。この『中辺義鏡』の批判対象となる部分の正確な著者は不明であ るが、本稿では、従来言われてきた、最澄以外の最澄に近い人物が著し た書であるという根拠を否定するに至った。また、徳一が批判対象とし て い る 文 を す べ て 抽 出 し 考 察 し た 結 果、 『 中 辺 義 鏡 』 の 批 判 対 象 の 撰 述 者は、最澄以外の人物と断定することはできないし、あるいは徳一自身 による天台典籍等からの直接的な引用の可能性もあり、また、複数の文 献による複合的成立の可能性も高いという結論に至った。 第二章   守護国界章における引用文献の考察 ― 最澄の依憑的態度 一、最澄の華厳宗諸師の説に対する依憑 守 護 国 界 章 で は 華 厳 宗 関 係 の 引 用 文 献 が 多 く 見 ら れ る。 ま た、 「 華 厳 の一乗義を救う章」などが設けられるほど、華厳教学や華厳宗諸師を優 位に扱っている。このような態度は、最澄自身が法蔵の著作を通じて天 台の所説に邂逅したこととも関連するが、特に華厳宗諸師が天台に依憑 的な態度をとっていることに起因する。そこで、法蔵、慧苑、澄観、李 通 玄 な ど の 華 厳 宗 諸 師 の 説 の 引 用 を『 依 憑 天 台 宗 』『 守 護 国 界 章 』 な ど から抽出し、考察を加えて、四教判・四車説をめぐる最澄の華厳経学へ の 対 応 を 明 ら か に し、 最 澄 の 華 厳 学 受 用 態 度 を 示 し た。 『 守 護 国 界 章 』 では、果分=一乗という視点から、むしろ徳一との論争の中で華厳の四 車説を擁護する立場をとるほどであったが、 『決権実論』に至ると、 歴劫 ・ 直 道 と い う 点 か ら 華 厳 の 四 車 を 否 定 す る 片 鱗 が 伺 え、 『 法 華 秀 句 』 の 完 成を見て、華厳を因分一乗、法華を果分一乗とする点から批判を与える の で あ る。 『 守 護 国 界 章 』 の 時 点 で は 果 分 = 一 乗 と い う 発 想 で あ っ た も のが、果分=法華一乗という変容を遂げたことにより、唐朝の法将とま で称した法蔵を、天台義の依憑者、あるいは天台義を奪い取ったものと して扱うこととなるのである。 二、法相宗関係の文献 『 守 護 国 界 章 』 で は、 徳 一 の 主 張 に 反 駁 を 与 え る 際 に、 基・ 智 周・ 恵 沼などの他の法相教学の説を肯定的に引用し、それらの説と徳一の説と の相違から、徳一個人の法相教学理解が劣ることを示す箇所が多数見ら れる。筆者はこのように自説の証拠として他宗の教学を利用することを 依 憑 的 態 度 と 呼 ん で い る。 『 守 護 国 界 章 』 の 時 点 で は、 最 澄 は 法 相 宗 教 学にまで依憑する態度を見せているとも言える。一方、最澄は法相宗の 人師に対して善悪・新旧といった概念で差別を与えている。そこで、最 澄が考える善 ・ 悪、新 ・ 旧という概念に対しての考察も合わせて行った。

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第三章   守護国界章から法華秀句へ 『 守 護 国 界 章 』 の 時 点 の 最 澄 は、 他 宗 の 学 匠 が 天 台 教 学 に 依 憑 す る こ とを肯定的に受け入れていた。すなわち他宗に天台との相関性をあるこ とを示して天台宗の存続意義を顕したとも言える。一方、 最澄の側にも、 自らの主張を正当化するために、他宗の説を引用し教証として用いると いう態度が見られるのである。これはすなわち、最澄自身が依憑的態度 を取っていたということを意味するのである。ところが晩年の著作であ る『法華秀句』では、他の教学と、同一視されることを避けるために依 憑的態度は改められ、他宗教学の影響を排除することに努められている と 言 え る。 本 章 で は、 『 守 護 国 界 章 』 か ら『 法 華 秀 句 』 へ と 至 る、 最 澄 の態度の変化を考察した。 第四章   『守護国界章』現代語訳注

参照

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