地域ケア・システムの社会学的比較研究
著者
永井 彰
地域ケア・システムの社会学的比較研究
課題番号12410043平成12年度-平成15年度
科学研究費補助金(基盤研究(B) (2) )
研究成果報告書
平成16年3月
研究代表者 永 井 彰(東北大学大学院文学研究科助教授)
地域ケア・システムの社会学的比較研究
課題番号 12410043 平成1 2年度∼平成1 5年度科学研究費補助金(基盤研究(B) (2)) 研究成果報告書 平成16年3月 研究代表者 永井 彰 (東北大学大学院文学研究科助教授)は が 研究組織 研究代表者 研究分担者 研究分担者 研究分担者 研究分担者 交付決定額(配分額) (東北大学大学院文学研究科助教授) (東北学院大学教養学部助教授) (東北大学大学院情報科学研究科助教授) (北海道教育大学教育学部助教授) (東北大学大学院文学研究科助手) (金額単位:千円) 直接経費 間接経費 合計 平成12年度 2, 600 0 2, 600 平成13年度 2, 400 0 2, 400 平成14年度 2, 300 0 2, 300 平成15年度 1, 800 0 1, 800 総計 9, 100 0 9, 100 研究発表 学会誌等 永井彰・菅原真枝「大都市地域における地域ケア・システムの現状と裸題 一東京都足立区千住地域における健和会の取り組みを事例として-」、 『文化』第65巻第1・2号、 2001年9月25日。 永井彰「高齢者の地域ケアをめぐる今日的問題状況」 『文化』第6 6巻第1 ・ 2号、 2002年9月25日。 永井彰「ユニットケアをめぐる問題状況」 『東北大学文学研究科研究年報』 第52号、 2003年3月25日。 永井彰「農山村地域における地域ケア・システムの再編成一長野県・佐久総合 病院の事例-」 『東北文化研究室紀要』第44集、 2003年3月30日。 永井彰「地域ケア・システムの形成と展開」 『社会学研究』第7 3号、 2003年8月12日。 研究成果による工業所有権の出願・取得状況 なし し き 広 人 晃 枝
彰
政
直
丈
真
間井
久
川
松
原
永
佐
徳
小
菅
目 次 序論 地域ケア・システムの社会学的比較研究 第1部 高齢者の地域ケアをめぐる諸問題 第1章 高齢者の地域ケアをめぐる今日的問題状況 第2章 地域ケア・システムの形成と展開 第3章 ユニットケアをめぐる問題状況 第2部 事例研究 第4章 大都市地域における地域ケア・システムの現状と課題 一東京都足立区千住地域における健和会の取り組みを事例として一 第5章 農山村地域における地域ケア・システムの再編成 一長野県・佐久総合病院の事例一 第6章 長野県諏訪地域における医療・福祉の情報化 47 59 73
序論 地域ケア・システムの社会学的比較研究 本研究課題においては、高齢者介護の問題を念頭におきながら、地域ケア・システムを 社会学的に比較研究する。地域ケア・システムを一義的に規定することは実際的には困難 であるが、ここではさしあたり、一定の地域的範域のなかで、行政機関、医療機関、福祉 施設、住民グループなどが連携しつつ、高齢者本人やその家族にとって必要なサービスを 提供する社会的ネットワークのこととしておきたい。 「地域ケア・システムの社会学的比 較研究」という研究課題名には、われわれの関心がコンパクトに表現されている。ここで この点についてあらかじめ説明を加えておくことにしたい。そのさい、次の三つの問いに 答える形で議論をすすめていくことにしたい。すなわち、 (1) 「なぜ地域ケア・システム が主題化されなければならないのか」、 (2) 「なぜ社会学的考察が必要なのか」、 (3) 「な ぜ比較研究という方法を採用する必要があるのか」の三つである。 まず第-に、地域ケア・システムが主題化されなければならない理由についてであるが、 このことには、実際的な事情がかかわっている。つまり、端的にいって、要介護高齢者の 生活を支えるためには、地域ケア・システムが必要だからという理由である。要介護高齢 者にかかわるサービスがばらばらに提供されているのでは、現実的には、その高齢者の生 活は支えきれないo要介護高齢者にしかるべき水準の生活を保障するためには、高齢者ケ アにかかわるさまざまなアクターが連携しネットワークが構築されていなければならない のであり、つまりは地域ケア・システムが形成されていなければならない。しかもここで さらに問題なのは、この地域ケア・システムというべきものが現実には限定された地点で しか形成されていないということである。必要であるにもかかわらず、現実には形成され ていない。なぜ形成が困難なのか。どのようにしてその形成を促進させることができるの か。そうした現実的な課題を解明するためにも、地域ケア・システムの現状を明らかにす る必要がある。 第二に、社会学的な研究の必要性についてであるが、このことについても実際的な事情 がかかわっている。なぜ地域ケア・システムがあらゆる地点で形成されていないのか。こ のことに目を向けるならば、制度論的な考察の限界ということに気づかされることになる。 地域ケアの推進ということは、たいていの自治体の「高齢者保健福祉計画」において捷唱 されてきた。地域ケア会議の開催など、地域ケア・システムの構築のための施策は、いく っも導入されてきた。しかし、それにもかかわらず、地域ケア・システムは限定された地 点にしか形成されなかった。地域ケア・システムの構築のためには、少なくとも高齢者ケ アにかかわる専門家や行政が主体的に取り組むことが必要であったし、そうした取り組み をするなかでアクター間の連携を工夫して作りあげていく必要があった。しかも、厚生労 働省による制度的な誘導によっては、こうした主体的な取り組みや工夫は生みだされえな かった。つまり、アクターがみずから連携をとらなければ地域ケア・システムは構築され えなかったのであり、地域ケア・システム構築のためには、制度的な整備は決定的な有効 性をもちえなかったのである。こうした事情からしても、制度にだけ着目するアプローチ には限界がある。むしろ、地域ケア・システムの具体的な存立のありようを分析し、地域 ケア・システム形成の阻害要因や促進要因を解明することの方が、有効なアプローチであ
ー1-ろう。より具体的にいえば、高齢者ケアにかかわるさまざまなアクターのあいだの関係を 分析したり、そうしたアクターをとりまく地域社会的な諸関係を分析したりするといった 研究アプローチである。こうした研究手法は、もともと社会学が得意としてきたことであ った。そうした社会学的分析が、地域ケア・システムの現状解明には不可欠なのである。 第三に、比較という方法の必要性についてであるが、これについてもまた、実際的な事 情がかかわっている。高齢者ケアにかかわる地域ケア・システムの形成は、それぞれの地 域の主体的な取り組みに委ねられてきた。そのため、そもそも地域ケア・システムの構築 それじたいも限定された地点でしかなされなかったのであるが、そればかりでなく、形成 された地域ケア・システムも、それぞれのシステムが形成された事情が異なっているため に、多様性を持つことになる。このことは、公的介護保険制度が導入されても基本的には 変わっていない。たしかに、公的介護保険制度の導入によって、高齢者の介護サービスの 水準はある程度平準化された。公的介護保険制度の導入は、これまで介護サービス(とり わけ在宅系のサービス)が不十分だったところでは、基盤整備をおこなうきっかけとなっ た。他方、在宅系の介護サービスの利用が進んでいたところでは、在宅系のサービスに利 用限度額が設定されたことや利用者の自己負担額が増大したことにより、利用抑制の問題 が発生した。この事情により、在宅サービスに力点を置いた地域ケア・システムは、一定 の軌道修正をせまられることとなった。サービス利用が従来少なかった地点では利用増大 のための条件が整えられたし、利用が進んでいたところでは利用を差し控えさせるような 力学が作動したo しかし、このことは、地域ケア・システムをめぐる問題に本質的な変化 をもたらしたわけではなかったD そもそも日本の公的介護保険制度は、全国一律のケアの 水準を保障するようには設計されていなかった。ケアの水準や内容は、現実的には、個々 の基礎自治体における取り組みに大きく左右されていた。しかも、われわれのみるところ では、介護サービスのメニューを整備することそれじたいが重要なのではない。さまざま なアクターが連携し工夫をこらさなければ、要介護高齢者の生活を支えることは実質的に 困難である。つまり、地域ケア・システムが構築されている必要があるのだが、地域ケア ・システムの形成は、それぞれの地域社会における当事者の自発的な努力に依存している。 このような現状においては、地域ケア・システムは、それぞれの形成の事情におうじて、 多様なものとならざるをえない。そうした多様な事例を念頭におきながら、形成された地 域ケア・システムを相互に比較していくことは、現代日本における地域ケア・システムの 存立構造を解明していくうえで有益である。 われわれは、こうした前提のもとで研究をすすめた。われわれは、できるだけ多くの事 例をみることをこころがけた。現場に出かけ、直接に関与者から話を聞き、資料を集めた。 そのさい社会学者であるということには、意外なメリットがあった。われわれは、医療や 福祉の現場の人間ではないし、そうした現場出自の医療研究者や福祉研究者ではない。そ のためわれわれには医学や介護福祉学の専門的な知識(とりわけ医療行為や介護行為につ いての専門的知識)が欠けており、そのことは現場を理解するうえでやはりマイナスに作 用する。他方、現場の実践者や実践者を経験した研究者には、現場の思考法にどうしても 縛られる傾向がある。とりわけ、みずからの立場から自由に語ったり考えたりすることが 困難である。医療と福祉には制度的な障壁があるし、専門職集団(医療職、看護職、介護 職)のあいだにも一定の垣根がある。またそれぞれの専門職者たちは、一定の方法論や理
-2-念にもとづいて研究会や学会を作っている。こうした研究会は、実質的には派閥形成の機 能を果たしている。これらのことから、現場の人は、どうしてもみずからの立場に拘束さ れることになる。また実際的にも、自分と意見を異にする人と議論をする機会は多くない し、候向の異なる「派閥」の研究会に出席することも稀である。われわれは、現場から距 離をおいているがゆえに、多様な立場の人に会いに行くことができる。また多様な種類の 研究会や学会を聴講することもできる。これはわれわれにあたえらえた特権でもある。わ れわれは、このメリットを生かして、ともかく多くの現場を見て歩くことにした。またわ れわれには、地域社会を総体としてとらえるという習性がある。高齢者ケアの問題をきっ かけとして調査対象地に出向いたとしても、その地において興味深い地域おこしの取り組 みがあればそれについても聞き取りをした。地域社会の基礎的な資料についても収集をし た。こうした回り道は、高齢者ケアの問題を考えるうえでも役立っている。本報告書は、 こうした多くの事例についての現地調査に基づいている。 本研究報告書においては、まず第1部において、高齢者の地域ケアをめぐるさまざまな 問題をいくつかの角度から取り扱うことにする。さらに第2部においては、限定したいく っかの事例について、地域ケア・システムの事例研究をおこなうこととする。
第1章 高齢者の地域ケアをめぐる今日的問題状況 1 問題の所在 本章においてわれわれは、地域社会学的な視角から高齢者の地域ケアについて論点整理 をおこない、地域ケアの今後のあり方を構想していくうえでの基本的な方向性を明らかに したい。高齢者ケアをめぐる現実のさまざまな動きは錯綜しており、そのことを背景に、 高齢者の地域ケアの問題については、さまざまな立場から多様な主張がおこなわれ、それ らの言説はしばしば対立しあっている。しかし、そうであるにもかかわらず、何が重要な 係争点なのかが必ずしも明確ではなく、社会的に討議されるべき重要な論点が何であるの かが、共通認識になっていない。高齢者ケアはどうあるべきでそのなかに地域ケアをどの ように位置づけていくのかという問題は、突きつめれば、それぞれの地域社会がどのよう な生活を地域住民に保障していくのかという問題であり、さらには国家がどのような生活 を国民に保障するのかというより大きな間者にもかかわっている。そうだとするなら高齢 者の地域ケアをどうするかという問題については、少なくとも基本的な論点を地域住民に 明示しなければならないし、ばあいによっては何らかの選択を地域住民の側に問いかけて いく必要がある。だが、そうした社会的合意形成の手続きは実際にはほとんどなされてい ないし、そもそもいったい何が本当の論点なのかについてすら、必ずしも明確になってい ない。 高齢者の地域ケアを推進するという基本的な原則については、おおむね賛同がえられる ことであろう。どのような立場に立つ論者であっても、地域ケアの推進という主張を唱え ているからである。しかし、そうした表見上の一致にもかかわらず、その言説に込められ た思惑は、同じではない。また高齢者の地域ケアの推進ということが提唱されているにも かかわらず、高齢者の地域ケアが実際に推進されているとは、簡単には断定できない。こ れらの点にこそ、この種の問題をめぐる難しさが端的にあらわれている。たとえば、 2000 年4月に導入された公的介護保険制度は、理念上は地域ケアの推進という目標を掲げてい る。しかし、公的介護保険制度の導入によって地域ケアが推進されたとは、必ずしもいい きれない。また、日本の各地において、地域ケアの実践が繰り返されてきた。しかし、そ うした多くの実績にもかかわらず、実践の積み重ねをふまえて、地域ケアのシステムが漸 進的に改善されてきているとは、簡単にはいえない。実践の一つ一つは、高く評価される べきであるけれども、結果的にみると、その時点での緊急の課題を何とか対処してきたと いうのが実情であろう。 こうした問題の背景に、財政的な問題があることは事実である。公的介護保険にしても、 自宅に帰りたい人をすべて自宅に帰すといった制度設計にはなっていない。このことは、 在宅系のサービスに限度額を設定していることからも明らかである。給付限度額があって もその枠内でなんとか生活のできる条件のある人だけが、自宅で生活することができる。 もともと公的介護保険制度は、放置しておけば青天井に増加しかねない老人医療費を抑制 しつつ高齢者ケアという政策的課題に何とか対処しようとする方策として生みだされてき たのであって、高齢者の地域ケアの推進を至上の目標として誕生したのではない。そうし ー7_
てみると、高齢者の地域ケアが前進しない要因は、財源の問題であり、また資源配分の優 先順位の問題であるようにみえる。この判断は、一面においては正しいo高齢者ケアの水 準は、高齢者の医療や福祉にどれだけお金をかけるのかということに大きく左右されるか らである。しかし、財政的な問題にすべてを還元することもできない。お金をかけさえす れば地域ケアの水準は確保されるかというと、そうとはいいきれないからである。現状に ぉいて高齢者の地域ケアが推進されないということには、さまざまな要因が絡まりあって いる。本章では、そうした要因を解きほぐし、高齢者の地域ケアの問題を考察するうえで 避けることのできない論点を明示化するようこころみたい。 2 地域ケアの今日的意味 地域ケアないしコミュニティ・ケアという用語は、それぞれの論者や用いられる文脈に ょって、やや異なった意味付与がなされたり、力点の置き方が異なったりしているけれど も(.,、最大公約数的に定義すれば、 「日常的身辺介助を必要とする要援護者にたいして個 別的、総合的、直接的に対応する、専門家と住民の公私協働による、施設ケアを含んだコ ミュニティにおけるケアの総体」 `2'ということができる。ただわれわれは、地域ケアをど のように定義するのかという文言上の問題には関心がない。ここでむしろあらためて確認 しておくべきなのは、地域ケアというものが提唱されてきたさいのもともとの理念であろ ぅ。地域ケアの概念には、地域社会のなかで生きていくということをできるだけサポート するという考え方が含まれている。たとえ体が弱ったり障害があったりしても、地域社会 のなかで暮らしていく。そのさい、家族、友人、専門家集臥地域社会の各種のグループ など、さまざまな人の助けを借りながら生活をいとなんでいく。このような生活のイメー ジこそが支持されるべきであるとする理念が、地域ケアが提唱される前掛こあるはずであ る。地域ケアという概念を精確に理解するためには、そこに込められたこうした意味あい をあらためて確認しておく必要がある。地域ケアというのは、いろいろなサービスが地域 社会のなかで提供されるということだけをいいあらわしているわけではない。地域ケアと いう概念には、ノーマライゼーションを地域社会のなかで実現するという理念が表現され ているのである。 地域ケアの提唱は、しばしば「施設から在宅-」というスローガンとしていいあらわさ れている。このことは、決して間違いではないけれども、この文言をあまり図式的に理解 するべきではない。このばあいも、このスローガンに込められた意味をまず確認しておく 必要がある。この表現には、収容型の施設を出て自分らしく生きるのが当然であり、その こと-のサポート体制をつくるべきであるという理念が込められている。ただたんに療養 の場所が病院や老人ホームから家-と移動するということだけをいいあらわしているわけ ではないのである。 このことをふまえるなら、地域ケアの推進ということは、ただたんに施設ではなく自宅 で生活することを可能にするという地点にとどまってはならない.自宅にいることを余儀 なくされるのではなく、自宅で生活することの積極的な意味の探求ができなければ、地域 ヶァを推進するということにはならない。そして、そのためには、行政組織、医療機関、 福祉施設、地域住民組織などさまざまなアクターが共働する必要がある。そのことによっ
一名-てはじめて、家でただ生かされているのではなく家で生きることの積極的意味を享受しう るからである。そうだとするなら、地域ケアの推進のためには、さまざまなアクターをコ ーディネートしシステム化していく必要があるのであり、つまりは地域ケア・システムを 構築する必要がある。 もともと家で生きるということには、それだけで積極的な意味があるはずである。高齢 者にとって老人病棟は生活の場ではない。高齢者にとってみれば、自分のなじんだ空間や 環境のなかで生活したいというのは当然の要望である。この願望をできるかぎりみたして いこうとする文脈のなかで、地域ケアが推進されてきた。他方、地域ケアの推進には、も う一つの文脈がみられる。つまり、長期入院の高齢者を自宅に帰すことによって、老人医 療費を削減するという政策的なねらいである。そのさい、地域ケア・システムが十分に整 備されていないと、ただたんに在宅生活を強要するということになりかねない。 ここで重要なのは、サポートを必要とする高齢者に必要とするだけのサービスが供給さ れるということである。現実的には、老人医療費の抑制という政策的基調は無視しえない としても、何のために地域ケアを推進すべきかという理念にてらして考えれば、高齢者本 人にとって望ましい生活をできるかぎり保障するということでなければならない。そのた めには、さまざまな専門家が協力し、連携する必要が生じてくる。とりわけ介護保険以前 の状況においては、行政が管轄するさまざまな福祉サービスと医療機関などが提供する訪 問看護や訪問診療などのサービスが組みあわされることが強く要請された。福祉施設、行 政機関、医療機関の連携の必要はつねに強調されてきたが、実際には容易には実現できな かった。この困難を乗り越えてはじめて、地域ケア・システムが構築されたのであり、い くつかの地域社会において地域ケアの実践が積み重ねられてきたO'o たとえば長野県小県郡武石村においては、村の診療所、特別養護老人ホーム、デイサー ビスセンター、ヴオランティア・グループなどが連携し、独自の地域ケア・システムが作 りあげられてきた。そのなかで村の在宅介護支援センターが、日常的なさまざまなサービ スの調整にあたってきた。利用者一人一人のケアプランの作成を、在宅介護支援センター が担ってきたのであり、いわば地域全体のケア・マネージメントを実施してきた。この事 例において重要なのは、村の診療所の医師が高齢者の自宅生活を支えることが重要課題で あると認識し、この課題達成のためには福祉サービスを充実させ医療はむしろバックアッ プの役割を担うべきだと主張し、この観点から地域ケアのシステム化をおしすすめたとい うことであろう。診療所の医師は、訪問診療や訪問看護に積極的に取り組むとともに、そ うした日常的な実践をつうじて福祉サービスの充実を行政当局に認めさせていった。また、 日常的な連携の体制も確立されていった")。一般的にいって、地域ケアのシステム化とい う課題は、比較的広く認識され、たとえば高齢者サービス調整サービスチームの制度化な ど、そのための方策も日本全体の政策として実行されてきた。しかし、そうした方策によ っては、地域ケアのシステム化は促進されなかった。それぞれの地域社会において、地域 ケアにかかわるさまざまなアクターがみずから工夫し、努力することによってしか、地域 ケアのシステム化は生みだされなかった。また、地域ケア・システムの構築においては、 市町村の関与が非常に重要であったo専門家集団と行政機関とが連携し、地域ケアをシス テム化するこころみのなかで、必要なサービスを必要とする人に責任をもって供給すると いう仕組みが作りあげられていった。
ー9-2000年4月に公的介護保険制度が導入され、そのなかで一人一人のケアプランがケア マネージャーによって作成されることになった。一見すると、このことは、武石村をはじ めいくつかの地域社会において実践されてきた地域ケアの取り組みと合致している。しか し、その基本的な発想法に着目するなら、ケアプラン作成の制度化は、地域ケアの取り組 みとは似て非なるものである。公的介護保険制度下では、介護保険で使えるサービスの量 がまず決められる。ともすると、この制度のもとでは、ケアプラン作成は、そのサービス 量の範囲内にさまざまなサービスをあてはめていくという数あわせの作業に終始しかねな い。必要とする人に必要とするサービスを何とか工夫して提供しようというケアマネージ メントのもともとの理念が、ここでは見失われがちである。ケアマネージメントにとって 重要なのは、サービスを調整するということではない。支援を必要とする人を何とか地域 のなかで支えていくために工夫をこらしていくことこそがケアマネージメントの原点であ り、サービス量を調整したり、スケジュールを組んだりするというのは、あくまでも高齢 者を地域社会のなかで支えていくための手法であった。しかし、こうした原点は、公的介 護保険制度下では、必ずしも重視されていないoこの点においては、公的介護保険制度導 入が地域ケア・システムに不安定要因をもたらしている。 3 生活の場の探求 すでにみたように、地域ケアのあり方を考察するためには、その本来の意味あいをあら かじめ確認しておく必要がある。つまり、体が弱ったり障害があったりしても地域社会の なかで生活をしっづけられることが大切であり、そのためにさまざまな専門家集団や地域 住民がサポートしていくということに地域ケアを推進するもともとのねらいが存してい る。そうだとするなら、このことを原点として、地域ケアをめぐるさまざまな問題を整理 してとらえなおす必要があるだろう。地域ケアの推進は、療養の場が施設から自宅-と移 動するということとして表面的にとらえてはならない。より本質的にいうならば、ケアを 必要とする人にたいしてその人らしい生き方をできるだけ支えていくという理念が根本に あり、その実現のために在宅生活を可能にするという努力がおこなわれているのである。 その人らしい生活を大切にするということは、ある意味で当然の考え方であるし、その ことが高齢者の地域ケアにとって重要な課題であるということも、認識されてこなかった わけではない、しかし、にもかかわらず、この課題の実現がなおざりにされてこなかった だろうかという疑念は残される。その背景には、施設ケアの状況と比較することにおいて、 在宅ケアを評価してきたという事情がある。かつての老人病院や特別養護老人ホームは、 4人部屋や6人部屋が普通で、個人として生活する場とはいえなかった。それと比較すれ ば、自宅で生活を続けられるだけで、その人らしい生活を保障することとみなすことがで きた。地域ケアをめぐるこれまでの工夫は、何とか自宅での生活を可能とすることを主眼 としていた。たとえば、訪問看護や訪問診療の充実によって、医療的なサポートを必要と する人でも自宅で暮らせるようになった。デイサービスやショートステイの充実は、介護 者の負担軽減に役だっただったし、閉じこもりがちの高齢者にとっては大きな刺激となっ た. 24時間ホーム-ルプサービスの実施は、身体を生活に保てるなど快適な生活の保障 に役だった。だが、こうした方策の実施によって、問題がすべて解決したわけではなかっ
Ilo-た。 他方、ようやく近年になって、特別養護老人ホームや老人保健施設といった入所型の高 齢者施設においてもケアのあり方が見直されるようになってきた。このことは、直接的に は施設ケアの問題であり、地域ケア固有の問題ではない。だが、施設ケアにおけるこの根 本的な反省は、地域ケアにたいしてもインパクトをあたえると考えられるので、ここで取 りあげておきたいo 今日、提唱されているケアの考え方は、ユニットケアと呼ばれている`5'。ユニットケア とは、 1ユニットを10人程度とし、それを-つの生活単位とするという考え方であるo 具体的には、それぞれのユニットごとに居間を設けて、そこを日常生活の場とし、食事も そのユニットごとにおこなうようにする。また職員もそれぞれのユニットごとに張り付け る形をとり、小人数のなかで親密な人間関係が構築できるよう配慮する。施設そのものは、 50人定員とか100人定員であったりしても、入所者全員で集団生活をするのではなく、 小さな単位で日常的な生活ができるよう工夫する。この考え方は、従来の収容型入所施設 とりわけ特別養護老人ホームでごく当たり前に行われてきたケアにたいする反省から生み だされてきた。従来の施設は、一人一人の生活を大切にしてこなかったのではないのだろ うか。そもそも、施設は、一人一人の入所者にとって生活の場であったのだろうか。こう した疑念は、これまでの高齢者施設では封印されてきた。だが実際のところ、特別養護老 人ホームは、集団的な処遇の場にはかならなかった。決まった時間に食事をしたり入浴し たりするのは、ごく当然のこととみなされてきたのである.そもそも大人数で集団生活を いとなむというのは、普通の生活とはまったくかけ離れている.学生寮に入るなど人生の 一時期にそうした集団生活を送ることはあるとしても、ふだんは家族といった小人数の環 境で生活している。にもかかわらず、高齢になり自宅生活が困矧こなると、こうした集団 生活を余儀なくされていた。 こうした集団的ケアの見直しとして、ユニットケアは誕生した。ケアの見直しというこ とは、いくつかの施設においてなされていたが、それが広く認知されるようになるにあた っては、岡山県笠岡市にあるきのこ老人保健施設の功績が大きい。きのこ老人保健施設は、 ごくありふれた老人保健施設の建物を改装し、小人数単位に生活空間を分割し、そのこと が高齢者に及ぼす効果を具体的に明らかにしていった。またこうしたケアのあり方をユニ ットケアとして特徴づけ、その普及を福祉関係者や厚生省などに広く訴えていった。こう したこともあって、ユニットケアという用語は、厚生労働省の公式文書にも採用されるよ うになり``)、 2002年度からは、特別養護老人ホームにおいては、個室・ユニットケアが標 準的仕様として公認されるようになった`7'。 ただここで確認しておくべきなのは、ユニットケアの提唱は、ケアのあり方そのものの 見直しに直結しているということである。つまり、ただたんに小人数の生活単位にすると いうことがユニットケアの本質なのではないということを銘記しておく必要がある。小人 数にするというのは、あくまでも手法であって、入所する高齢者を画一的な処遇の対象と してしか換えなかった従来の流れ作業的ケア-の根本的反省が、ユニットケアの提唱には 込められている。施設が、高齢者にとって落ち着いた日常生活の場になっているかどうか。 そのためのサポートを、職員がおこないえているかどうか。きのこ老人保健施設では、こ うした観点からケアのあり方そのものを変えていこうとしている。ここでは、してあげる
ー11-ケアから寄り添うケア-の転換をはかっている。従来、高齢者施設では、高齢者本人の都 合ではなく施設の都合が優先されており、施設のタイムスケジュールにあわせて高齢者の 日常生活が組み立てられていた。そうしたタイムスケジュールのなかで、さまざまなケア が日課としてこなされていった。このようなケアのあり方そのものを見直し、高齢者に寄 り添うことそれじたいを重視し、そのなかで、必要におうじて手助けするというやり方を とろうとしている(B)。 他方、今日の施設ケアにおける注目すべき取り組みとして、小規模施設を地域社会のな かに建設しようとするこころみがある。小規模な施設が地域社会のなかにとけ込んでしま えば、そこで普通の地域生活がいとなまれるはずである。このような考え方から、施設ケ アを見直す実践がおこなわれつつある。長野県小県郡真田町にあるアザレアンさなだは、 こうした実践の代表例である。アザレアンさなだは、現在、民家改修型グループホームを 3カ所で運営している。これらは、いずれも古くからの集落のなかに位置している。 アザレアンさなだは、 1993年に開所した特別養護老人ホーム(50床)で、民間の社会 福祉法人が運営している。ここには、開設当初からショートステイ(lo廉)とデイサー ビス(B型15名、 E型8名)が併設されていた。この施設は、真田町の中心部に立地し ており、町役場にも近い。真向かいには町営の日帰り温泉施設が位置していることもあり、 施設の周囲は人通りも多い。またアザレアンさなだには、町直営の在宅介護支援センター が併設されており、真田町における高齢者福祉のセンターとしての位置づけがあたえられ ている。真田町では、アザレアンさなだを中心に施設福祉と在宅福祉の一元化が図られて きた。またアザレアンさなだでは、 「自分の入りたい施設」にするという理念が掲げられ、 入所者の立場に立った介護をすることが、施設での目標とされていた。もし自分が入所者 であったらどのような介護をしてほしいだろうかという観点から、できるだけ快適な環境 を提供しようというのが基本的な考え方であった。 アザレアンさなだのこうした基本的姿勢は、さしあたり高く評価しておくことができる。 たんに入所施設を建設するというのにとどまるのではなく、町の行政と社会福祉法人とが 連携して、高齢者福祉のセンターとしての役割を担っていくということは、きわめて重要 である。また自分の入りたい施設づくりという目標を掲げることで、ケアを無反省的にお こなうのでなく、ケアのあり方をつねに見直していくこととなった。この取り組みもまた、 当時の高齢者施設の実態にてらしてみれば、むしろ先進的であったということができる。 ところが、アザレアンさなだでは、自分の入りたい施設づくりという理念には限界があり、 この理念そのものを見直さなければならないということに気づかされることになる。自分 の入りたい施設といっても、しょせんは施設であって、本音では自分から望んで施設に来 る高齢者はいない。何らかの事情があって、仕方なしに来た人が大半である。そうだとす るならば、そうした人もできるだけ自宅で暮らせるようにすることの方が大切だ。また自 分たちは、介護と称してじつは高齢者から生活を奪ってきたのではないか。だとしたら、 施設のなかではできるだけ生活を返していくことが必要だ。こうした考えから、 1996年 には、 「人として、幸せに、安心して生きる日々を大切に」が新たな理念として掲げられ ることになり、この見直しをすすめるなかで、 1998年に民家改修型のグループホームを 傍陽地区に開設した(定員6名)。さらに1999年には本原地区(定員5名)、 2001年には 長地区(定員6名)にも、民家改修型グループホームが開設された。
-12-これらのグループホームの特徴は、集落のなかの民家を借り上げて使っているというと ころにある。それらは、小学校の前にあったり、農協の裏にあったりして、まさしく普通 の生活環境のなかに立地している。普通の生活を実現するという目標が、ほぼ達成されて いる。ただし、これらのグループホームには、その地区の高齢者が入居しているばあいも あるし、そうでないばあいもある。地区ごとにグループホームがあるからといって、生ま れ育った地区にずっと住み続けられるとはかざらない。このことには、入居する高齢者が 痴呆を抱えているという事情がかかわっている。家族によっては、知り合いの多い地域社 会の施設に自分の親を入れることに蹄曙を感じることがあるからである。痴呆ということ を、家族や地域社会が自然に受けとめられるようになるまでは、こうした問題はどうして も残らざるをえない。しかし、他面において、身近な地域社会のなかに痴呆をもった高齢 者が穏やかに暮らしているということは、きわめて重要なことである。このことは、痴呆 というものを地域社会が冷静に受けとめられるような文化的土壌の育成につながっていく からである。 アザレアンさなだのこころみは、地域ケアについてのもう一つの具体的なイメージを提 供してくれる。いうまでもなく自宅での生活をさまざまなサービスをつうじてサポートし ていくというのが、地域ケアの一つのイメージである。それにたいして、地域社会のなか にとけこんだ小規模施設に住まうというのが、地域ケアのもう一つのイメージである。自 宅ではないにしても、それに近い形をとって、地域社会からさまざまな力をえながら生活 することができるというのは、地域ケアの一つのヴァリエーションとみなしてさしつかえ ない(')。 高齢者福祉施設における高齢者ケアの見直しという動きは、地域ケアのあり方にも一定 のインパクトを与えることになっていく。このような新たなこころみのなかで提起されて きたのは、一人一人の生活を大切にするという基本的な考え方の再確認であり、その実現 のための具体的な手法の開発である。こうした動きと対比するなかではじめて、地域ケア においても、一人一人の生活を大切にするという課題がどれほど達成されてきたのかとい う問題が、浮かびあがってくる。地域ケアの本質的課題は、生活の場の探求にはかならな い。さまざまなサービスが供給されるということは、大切なことである。しかし、それは あくまでも手段にすぎず、普通の生活を支えるということの方が、より根本的な目標なの だということができる。施設ケアの新たな動きは、地域ケアを担っているひとびとにこの 課題を突きつけている。 4 むすびにかえて すでにのべたように、地域ケアの推進ということは、二つの方向性のなかで主張されて おり、このことが地域ケアのあり方を考えるうえで問題を複雑なものにしてきた。一方に おいて、高齢者のなかには、障害があったり体が弱ったりしたとしても、自宅ないしそれ に類する場所で生活しつづけたいという希望があり、それをできるだけ実現させていこう という考え方が、地域ケアを推進する根底にある。病院であれ特別養護老人ホームであれ、 それは「自分の生活したい場所」ではなかった。家で暮らし続けたいという高齢者本人の 希望や、それを何とか支えたいという家族の願いをかなえていくという文脈のなかで、地
-13-域ケアの実践は積み重ねられてきた。他方において、地域ケアの推進ということは、政策 的には、高齢者医療・福祉の経費抑制という文脈のなかに位置づけられてきた。施設に居 っづける必要の薄い高齢者を自宅に帰すことができれば経費の抑制につながることにな り、そのための手段として地域ケアが推進されてきた。地域ケアの推進は、高齢者を自宅 に帰す受け皿づくりと位置づけられたのである。これら二つの考え方は、そのめざす方向 性という点においては大きく異なっている。しかし、現在の制度設計は、この二つの方向 を同時にみたそうとしている。ここに、地域ケアをめぐる議論にねじれが生じるそもそも の要因があった。 だが、そもそも何のために地域ケアを推進しなければならないのだろうか。地域ケアの あり方を考えていくためには、この点をまず確認しておく必要がある。年をとり体が弱っ ても自分らしく生きたいというのは、人間にとって当然の願望であり、それを地域社会と してできるだけ支えていこうというのが、高齢者をめぐる地域ケアの原点である。地域ケ アのあり方や今後の方向性を整理して考えていくためには、この当然のことがらを十分に 確認しておく必要がある(lO)a こうした観点からするなら、地域ケアの推進ということを、在宅系のさまざまなサービ ス基盤の整備という点だけでとらえることはできない。さまざまなサービスのメニューが 揃っているということは、たしかに必要である。しかし、それだけでは、高齢者の生き生 きとした生活を支えていくことはできない。高齢者が自分らしく生きることを支えていく ためには、さまざまなアクターが関与し、相互に連携しあわなければならない。つまり、 地域ケアのシステム化をすすめていくことが、高齢者を地域社会のなかで支えていくため には必要不可欠なのである。だが、この課題の達成は、現実的には困難である。サービス を供給する基盤の未整備という点ではなく、地域ケア・システムを構築することが難しい という点にこそ、根本的な問題がある。 地域ケア・システムは、いかにして構築されうるのか。このことについては、地域ケア ・システムを構築しえたケースを分析し、その要因を探求する必要がある`11'。そうしたケ ースにかぎっていえば、医師や高齢者福祉施設の施設長など、専門家のリーダーシップが、 地域ケアのシステム化に大きく貢献していた。また地域ケア・システムの構築にあたって は、基礎自治体の行政機関がはたす役割が重要であったo 公的介護保険制度が導入され、高齢者ケアにおける基礎自治体の役割は大きく変化した。 しかし、にもかかわらず、地域ケア・システムの構築が重要課題だとするなら、市町村の はたすべき役割はいぜんとして重要である。公的介護保険制度下では、福祉サービスは市 町村による措置の手を離れ、サービス利用は、利用者とサービス供給者との直接契約に委 ねられるようになった。福祉サービスを行政機関が一元的に管轄するわけではなく、その かぎりにおいて、地域ケアにたいして行政機関が関与する度合いは弱まった。だが、他方 において、基礎自治体は、老人保健福祉計画や介護保険事業計画を策定しており、それぞ れの地域社会において高齢者ケアのあり方を構想する主体でありつづけているし、地域住 民にたいしてサービスを供給する責任をおっている。高齢者にとって必要なサービスを何 とか供給しようとする日常的な工夫を積み重ねることによってしか、地域ケアのシステム 化はおこなわれえない。 地域ケアのシステム化をいかにしてすすめていくことができるのかという問題とならん
ー14-で、ケアを受ける高齢者の生活をどのようにして豊かなものにしていくことができるのか という問題は、地域ケアの今日的な課題である。そのさい、施設ケアにおける新たな動き が、高齢者の地域ケアにたいしても大きなインパクトをあたえている。特別養護老人ホー ムや老人保健施設といった入所型の高齢者施設において、ユニットケアのこころみがなさ れるようになった。これは、形のうえでは小人数単位のケアのこころみだが、より本質的 には、ケアの質そのものをみなおしていこうとするところにねらいがある。入所施設にお けるケアが、してあげるケアから寄り添うケア-と転換してくるとなると、地域ケアによ って支えてきた在宅生活のあり方にも目を向ける必要が生じてくる。自宅で生活を続けら れるだけで幸せという面があり、それを可能にするためにさまざまな専門家によるサポー トがおこなわれてきた。しかし、そこには、寄り添うケアという発想は必ずしも強調され てこなかった。高齢者本人の生活を豊かにするという発想に立てば、在宅ケアにおいても 寄り添うケアという側面を無視するわけにはいかない。この点については、地域住民との 共働も視野に入れながら、ケアのあり方を点検していく必要がある`12'。 さらには地域ケアと施設ケアの役割分担をどのように考えていくのかという問題も残さ れている。現実問題として、高齢者が一人暮らしであるとか、家族がいてもうまく高齢者 の生活を支えられないようなばあいなど、自宅で生活しつづけることが困難であるケース は、これからも増加するものと考えられる。専門家のサポートをえながらあくまでも自宅 での生活を維持するというケースも考えられるが、やはり施設に人らざるをえないという ケースは、どうしても生じざるをえない。ただ、そのばあいであっても、できるだけ普通 の生活が尊重されるということは重要であるし、そのさい、アザレアンさなだが展開して いるようなやり方はきわめて示唆に富んでいる。地域社会のなかにとけ込む形でグループ ホームが地区ごとにつくられれば、その人らしい生活を比較的保障できるからである。そ のさい本体の特別養護老人ホームは、入所施設というよりも地域ケアのセンター的機能を 強くもつようになってくる。そのように変化してくれば、地域ケアと施設ケアを対比的に とらえる必要も薄れてくる。 現状においても、入所型の高齢者施設-の期待は大きい。現実に、特別養護法人ホーム への待機者は多い。また在宅ケアを推進するというよりも入所型の施設を建設した方が、 地域住民から受けがよい。また高齢者福祉・医療の専門家からも、福祉は投資であるとい った主張がなされる。たしかに雇用創出効果はあるし、同じ公共事業であれば、道路や福 祉施設を建設する方が望ましいというわけである.しかし、高齢者本人にとって何が望ま しいことなのかというそもそもの原点の問いにさかのぼって考えるならば、地域ケアを推 進する方が優先的課題であろう。住み慣れた場所で暮らせることを支え、自分らしく生き られる環境で暮らせることを保障することの方が、根本的な課題である。高齢者本人にと って何が望ましいのかという原点につねに立ち返って、地域ケアのシステム化というプロ ジェクトをすすめていくことが、いまなお最重要の課題であろう。 (1)おおむね地域医療の文脈では、在宅ケアに関連するさまざまな医療・福祉サービスの 総体という点に力点が置かれているのにたいし、地域福祉の文脈では、地域住民の相互扶 助という点に力点が置かれているように思われる。
_15-(2)社会福祉実践理論学会編『社会福祉実践基本用語辞典』川島書店、 1989年、 49ペー ジ。 (3)ここでは、新潟県南魚沼郡大和町、広島県御調郡御調町、長野県小県郡武石村などの ケースを念頭においている。 (4)このケースについて詳しくは、永井彰「農村地域における地域医療・福祉システムの 形成と展開一長野県小県郡武石村の事例-」 『東北文化研究室紀要』第38集、 199各年、 を参照。 (5)ユニットケアという考え方については、外山義・辻哲夫・大熊由紀子・武田和典・高 橋誠一・泉田照雄『ユニットケアのすすめ』筒井書房、 2000年、を参照。 (6) 2000年度予算にかかわる文書のなかでは「グループケアユニット型」という表現が なされたが、 2002年度においては「ユニットケア」という表現が採用されている(『高齢 者ユニットケアハンドブック』厚生問題研究会、 2002年、 16-19ページ)。 (7)現在のところ老人保健施設では、標準的仕様とはされていない。 (S)このことが、ケアそのもののパラダイム転換であることを見過ごしてはならないoた とえば、従来、食事介助というと、職員が入所者に食べさせてあげることとされてきた。 しかしここでは、職員が入所者といっしょに会話をしながらリビングで食事をすることそ れじたいがケアなのである。 (9)ただし、小規模施設化しさえすればよいというわけではない。そこでのケアの質が確 保されなければならないからである。小規模施設が成果をあげるためには、理念をもった 経営体が入所者一人一人の生活を支援できるノウハウをもった職員を配置させる必要があ る。そのことにより高齢者が穏やかな生活を送ることができれば、周囲の地域社会からも 理解がえられ、その施設は、あたかも普通の家のように地域社会のなかにとけ込むことが できるだろう。 (10)この点を見逃すと、高齢者ケアの問題が費用の問題だけに還元されかねないD しか し、この分野に費用をかけさえすればよいというものではない。特別養護老人ホームに入 所している高齢者は、本当に幸せなのだろうか。たとえば、このような素朴な疑問から目 をそらさずに、高齢者にとってより幸せな生活を保障する道をさぐっていくというところ に、地域ケアをめぐる今日の課題があるように思われる。 (ll)この点について本稿では詳述しえない。事例分析については、次のものを参乳永 井「農村地域における地域医療・福祉システムの形成と展開一長野県小県郡武石村の事例 -」 (前掲)。永井彰・菅原真枝「大都市地域における地域ケア・システムの現状と課題一 東京都足立区千住地域における健和会の取り組みを事例として-」 『文化』第65巻第1・2 号、 2001年。 (12)たとえば、 NPO法人の神戸ライフ・ケア-協会では、通常の在宅介護は公的介護 保険の事業として対応しているが、阪神淡路大震災を経験した心理的な影響により、閉所 恐怖を感じ一人では入浴できない高齢者に付き添いをするようなケースは、有償ボランテ ィァサービスで対応している。このようなサービスは、寄り添うケアの一例であり、地域 ケア・システムのなかにこのような仕組みを組み込んでいく必要があろう。
ー16-第2章 地域ケア・システムの形成と展開 1 問題の所在 高齢化という事態は、社会学者のさまざまな関心を喚起してきた。地域社会学ないし地 域社会論という文脈に限定しても、多くの研究がなされてきている。そのなかで、金子勇 は、こんにちの高齢社会を研究するさいの基本的なスタンスについて、次のような趣旨の 捷言をおこなっている。これまでの研究は、高齢者を問題として放り扱ってきた。支援を 必要とする高齢者のことだけが取りあげられてきた。しかし現実には、高齢者の大多数は 「在宅元気老人」であり、こうしたひとびとまでもが弱者扱いされてきた。これはまさし く「老人問題史観」であり、こうした考え方そのものを反省する必要がある(金子1997、30 -31ページ)。金子にいわせれば、「この視点こそエイジズムにはかならない」(金子1997、 31ページ)のであり、むしろ「高齢者が社会システムの重要な一員として、他の世代と ともに社会システムを支えていく」 (金子1997、 248ページ)という考え方に立って高 齢社会をとらえていくことが必要とされる。われわれとしても、この提言の主旨について はまったく異論がない。高齢化の進展を問題としてだけとらえてきたのではないか。この 視点は、加齢するということをマイナスイメージでとらえること生みだしてこなかったか。 元気な高齢者が社会のなかでしかるべき役割を果たしつつ生きているという事態を見逃し てはこなかったか。こうしたこと-の反省をふまえて、高齢者社会の現実を冷静に分析し ていく必要性は、十分に理解できる。だが、われわれは、金子のこうした提言をふまえた うえで、それでもなおかつ、要介護高齢者(l)の問題に焦点を絞りたいと思う。要介護高齢 者をどのようにして社会的に支えていくのかという問題は、それぞれの地域社会にとって、 どうしても解決しなればならない緊急の課題であると考えられるからである。 高齢化の進展にともない、高齢者の絶対数とりわけ後期高齢者の数が増加する。このこ とは、要介護高齢者の数が増加することを直接的に意味している。だがいうまでもなく、 すべての高齢者が長期間にわたって要介護状態になるわけではない。そのかぎりにおいて、 高齢者介護の問題は、直接的には、すべての高齢者の問題というわけではない。とはいう ものの、長期間にわたって要介護状態になる可能性は、すべての高齢者が保持している。 この意味においては、高齢者ケアの問題は、すべての高齢者にとってかかわりがある。要 介護高齢者を支える仕組みをどのようにそれぞれの地域社会が構築していくかということ は、こんにちにおいてはきわめて重要な社会的課題である。 本章では、この間題を地域ケア・システムをめぐる問題として主題化することにしたい。 ここでさしあたり地域ケア・システムとは、一定の地域的範域のなかで、行政機関、医療 機関、福祉施設、住民グ/レ-プなどが連携しつつ、高齢者本人やその家族にとって必要な サービスを提供する社会的ネットワークのこととして理解しておきたい。地域ケア・シス テムという表現は、医療や福祉の実践報告といった文書においてはしばしば登場するo た だし、この文脈においては、地域ケア・システムといった言葉は、地域ケアを推進する仕 組みといった程度の意味で用いられるのが通例であって、必ずしも一義的な定義がなされ ているわけではない。他方、社会学においては、地域ケア・システムという用語が、共有
ー17-の概念として認知されているというわけではない○また、地域ケア・システムを主題化す るという研究分野が、社会学という研究領域のなかで定着しているわけでもない。だが、 ゎれわれとしては、地域ケア・システムの形成と展開という論点に焦点を当てる形で、高 齢者ケアと地域社会のかかわりの問題について考察を進めていきたいと思う。そこでその 理由についてあらかじめ説明をくわえておきたい。 高齢者ケアと地域社会との関連を論じるにあたっても、さまざまな論点が選択可能であ る。そのなかで、あえて地域ケア・システムの問題を主題化しようとする第-の理由は、 要介護高齢者の在宅生活を支えるうえで地域ケア・システムの構築が不可欠だからであ る。個々の介護サービスのメニューがひととおり揃っているだけは、現実的には要介護高 齢者の在宅生活は支えきれない。さまざまな諸機関が連携することによってはじめて、高 齢者本人やその家族を支えるために必要なサービスを提供することができる。つまり地域 ヶァがシステム化されている必要があるのである。また高齢者の生活支援の問題を考察し ていくさいに、集落や都市コミュニティといった基礎的な地域社会に焦点を当てることも できる。そうした基礎的な地域社会の有する高齢者ケアの機能は、それじたいとしては、 興味深い研究対象である。しかし、要介護高齢者の在宅生活支援においては、そうした基 礎的な地域社会は、現実的には限定された役割しか果たしえない。要介護高齢者の在宅生 活を主要な課題として設定するなら、地域ケア・システムの問題こそが中心的な位置価を 占めることになる。第二に、地域ケア・システムの問題は、制度論的な考察では十分に解 明することができない。むしろ社会学的に考察すべき対象であることが強調されるべきで ある。われわれがいう意味での地域ケア・システムは、実際には・限られた地点にしか存 在していない。この事実は、地域ケア・システムが現行の保健・医療・福祉の制度におい ては自然には形成されえないことを示唆している。老人保健福祉計画の策定義務化、高齢 者サービス調整チームの設置、地域ケア会議の開催など・地域ケア・システムの形成をう ながす制度的施策は、いくつも導入されてきた。しかし、それにもかかわらず、地域ケア .システムはなかなか形成されえない。そうだとするなら、地域ケア・システムが形成さ れえない要因を現実の地域社会のなかに探求すべきであろう。そのためには、地域ケア・ システムが形成されている事例を観察・分析し、それらがいかなる事情の連鎖のもとに形 成されえたかを解明することが有益である。この作業によって・それ以外の多くの地点に ぉいてなぜ地域ケア・システムが形成されえないのかを解明する手がかりをえることがで きる。第三に、地域ケア・システムの形成と展開の分析は、それぞれの地域社会を一定の 視角からとらえなおすことになる。つまり、高齢者ケアという課題をめぐって、行政機関、 各種の専門職、地域住民がどのようにかかわっているのかを分析することによって、地域 社会の現状を浮き彫りにすることが可能である○この点においては、地域ケア・システム にかんしてモノグラフ的研究を積み重ねることそれじたいが、地域社会学的に意味がある と考えられる。 地域社会学分野でのこの種の研究としては、すでに相川良彦による長野県佐久地域の研 究(棉)I1 2000)や小松田儀貞による岩手県東磐井郡藤沢町の研究(小松田1996、 1998、 2001)などがあるが、現在までのところ、それほど多くの研究蓄積があるとはいえない。 そうした研究状況のなかでわれわれは、地域ケアの現場をできるかぎり多く観察し、現場 のなかから問題をつかみとるという研究姿勢で現地調査を積み重ねてきた。またいくつか
-18-の事例については、当事者-の聴取調査や関連資料の収集・分析をもとにして、モノグラ フ的研究を公表してきた(永井1997、 2003、永井・菅原 2001)oわれわれの調査研究 はまだ途上にあるが、本章では、これまでの研究をもとに、地域ケア・システムをめぐる 諸問題についてやや概括的に考察してみることにしたい。より具体的にいうなら、地域ケ ア・システムというべきものが形成された事例を念頭におきながら、地域ケア・システム の特質について明らかにしたいと思う`2㌧そこでまず、いくつかの事例を参照しながら、 地域ケア・システムという概念はいかなる事態をいいあらわしているのかについて説明を くわえたい。次に、地域ケア・システムの形成過程について検討したい。現在の地域ケア ・システムは、一定の社会的文脈のなかで形成されてきており、そのことが地域ケア・シ ステムに一定の特性を刻み込むことになった。それゆえ、地域ケア・システムの現状を把 握するためには、形成過程について確認するという作業が不可欠だからである。さらに最 後に、それまでの検討をふまえて、地域ケア.システムの特徴について明らかにしたい0 2 地域ケア・システムの意味内容 われわれは上において、地域ケア・システムを、一定の地域的範域のなかで、行政機関、 医療機関、福祉施設、住民グループなどが連携しつつ、高齢者本人やその家族にとって必 要なサービスを捷供する社会的ネットワークのこととして暫定的に規定しておいた。この 説明は、いささか一般的すぎるともみなされよう。しかし、地域ケア・システムは、現実 には多様な形態をとっており、それらを給括的に表現するためには、どうしてもこの程度 の規定にとどめる必要があった。ここでは、地域ケア・システムということでいかなる事 態のことを表現しているのかについてより具体的に説明するために、さしあたり次の二つ の事例を参照しておきたい。 事例① 長野県小県郡武石村 武石村は、長野県東信地域の西南端に位置する農山村である。人口は4194人であり、 65 歳以上人口は1161人、高齢化率は27.7パーセントとなっている(2000年国勢調査)。村 内に居住しても上田市近郊の事業所-通勤可能だという条件があり、人口は1970年以降 ほぼ横這いである。村の在宅ケアの拠点は村の診療所であり、往診や訪問看護をおこなっ ている。診療所の北側には、 1991年に開設された多目的福祉センターやすらぎがある。 ここでは、デイサービスやショートステイなどの事業がおこなわれてきた。地域住民のボ ランティアグループのいずみ会が、デイサービスの手伝いをした。武石村では、最期まで 自宅で暮らせることを目標とし、緊急時の往診に対応するとともに、診療所の医師がリー ダーシップをとって、訪問看護、デイサービスなどといった在宅支援の取り組みを充実さ せてきた。誰がどのようなサービスを受けるのかについては、訪問看護婦、やすらぎの職 員、ホーム-ルパーが話しあって各ケースごとに調整した。それをふまえて、やすらぎの 職員がスケジュール表を作成し、効率的な訪問がおこなえるように工夫した。つまり武石 村では、やすらぎを拠点として、村の要介護高齢者全員についてのケアプランが作られて いたわけであり、いわば村全体のケアマネージメントが実施されてきた。ただし、この状 況は、介護保険導入後は変化する。ケアプラン作成には依田窪福祉会など他の事業所も参
-19-入したこともあり、やすらぎの職員がケアプランを一元的に管理するという状況はなくな った.とはいえ、村の在宅ケアの中心が診療所と多目的福祉センターであることには変わ りはない。 事例② 長野県下伊那郡泰阜村 泰阜村は長野県南部に位置し、天竜川沿いの山村である。人口は2237人(2000年国勢 調査)であるが、そのうち65歳以上の人口は783人を占め高齢化率は35.0パーセントと なっている。泰阜村における居宅介護サービスは、村の診療所と社会福祉協議会によって 提供されている。診療所では訪問診療や往診をおこなっている。夜間や休日の往診依頼に も対応している。社会福祉協議会では、ホーム-ルプサービス、デイサービス、ショート ステイの事業をおこなっている。訪問看護ステーションも、社会福祉協議会が運営してい る。村内には、特別養護老人ホームやすおか荘があり、南信州広域連合によって運営され ている。泰阜村では、高齢者の一人暮らしであっても、自宅で最期まで暮らすことを可能 にしてきた。そのために、診療所では、いつでも往診を受け付ける態勢を整えている。ま たホームヘルプサービスについては、一年中、朝6時から夜の1 1時まで稼働しており、 必要な人については、一日に6、 7回訪問している。泰阜村では、診療所と村の保健福祉 支援センター(訪問看護ステーション、ホーム-ルパー詰め所、デイサービスセンターな どとして利用)が棟続きにあるという利点を生かして、ケアにかかわる専門職たちが、対 象者の状態について、日常的に情報交換をしている。ケアプランについても、そうした情 報交換にもとづき、高齢者の状態の変化にあわせて、臨機応変に修正している。村の行政 も、居宅サービスの限度額を超過する高齢者にたいする上乗せサービスを村費で負担した り、サービス利用料の六割を減免するなどの施策をとって、在宅ケアの取り組みを支援し ている(3)a これら二つの事例においては、村という一定の地域的な範域のなかで、高齢者ケアにか かわる諸機関が連携しており、そのことによって要介護高齢者の在宅生活が支えられてい る。われわれは、こうした事態を念頭において、地域ケア・システムという表現を使用し ている。現実には、諸機関の連携のあり方やそうした連携の緊密度は、それぞれの事例ご とに異なっている。それゆえに、ある事例が地域ケア・システムといえるかどうかの一義 的な線引きは、きわめて困難である。ここでこれら二つの事例をあげたのは、この二つの ケースにおいては、地域ケアのシステム化という事態が比較的可視的な形で現象している からである。つまりこれらの事例においては、高齢者ケアにかかわる諸機関が連携し、医 療や福祉のサービスが一体的に提供され、そのことによって自宅で最期まで暮らすことが 可能とされてきたのであり、これらの地点では、地域ケアのシステム化が現実に具体化さ れてきたのである。これらの事例を念頭におきつつ、地域ケアのシステム化という事態に っいてより一般化して述べるなら、地域ケアのシステム化がおこなわれる背景として、さ しあたり次の三点を指摘することができる。その第-は、要介護高齢者の生活を支えるた めには、医療と福祉という二系統のサービスが必要だということである。要介護高齢者が 自宅で生活を続けるためには、どうしても医療的なサポートが不可欠である。定期的な訪 問診療や訪問看護とともに、容態が変化した時に往診をしてもらえることが必要とされる