博 士 ( 文 学 ) 加 地 雄 一
学 位 論 文 題 名
記憶における動作と百語の相互作用
ー被験 者実演課 題と手話の 記憶を中心にー
学位論文内容の要旨
本論文は,「腕を組む」などの言語的指示により行う動作の記憶や,手話,書記の記 憶を問題として取り上げ,動作を行うことがその動作に対応する言語的命題ないし語の 記 憶 に 及 ば す 影 響 を , 実 験 心 理 学 的 な 手 法 に よ り 検 討 し た も の で あ る 。 動作, ないし行 為の記憶は,「腕を組む,手を挙げる,足を上げるJなどの文(行為 文)を実演しながら記銘する課題(Subject Performed Tasks:SPTs)によって検討されて きた。SPTsにおける典型的な結果は,行為文を実演する条件の方が,実演しない条件よ りも行為文の記憶成績がよい,というものである(実演効果)。このような現象が生じ る境界条件を明確にし,理論化することは,手話や書記のような,動作と言語が密接に 関る活動の理解を深め,動作が言語的記憶に及ぼす影響を全体的に明らかにする上で重 要である。
従来の研究では,SPTsの理論化において,実演に含まれる運動的構成要素の役割が重 要な論点とされてきた。そこで本稿では,◎運動的構成要素の役割について検討すると ともに,◎SPTsの理論が,動作を伴う他の記憶課題(手話,書記を伴う記憶課題)で生 じる現象をも説明できるかどうかを検討し,その上で,◎より包括的な理論を提案した 本論文は4部8章からなる。以下,各章の概略を述べる。
1. 第ー部
第一部では,SPTs課題の遂行における運動的構成要素の重要性について検討した。第 一 部は1章と2章からな る。
第1章では ,SPTsにおけ る諸理論を 概観し,SPTsにおける 運動的構 成要素が 重要な 論 点となっ ているこ とを示した 。
第2章では ,SPTsの記憶 における運 動的構成 要素の働 きを,実 際に動作 をする条 件 と 動 作 のイ メ ージ を 行 う条 件 とで比較 した。従 属変数は ソース・ モニタリ ング(SM) であった。その結果,実際に動作を行った条件の方がソース・モニタリングの成績が高
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か った。また,このような効果は,動作の言語的表現にっいてのみ見られ,文脈(言語 的 表現を男声で提示したか女声で提示したか)の記憶には見られなかった。これらの結 果 から,実演することにより特有の運動的構成要素が形成されること,この情報がSPTs の 記憶において重要な役割を果たしていること,運動的構成要素はいわば動作主のみが 得 る こ と の で き る 情 報 で あ り , 自 我 関 与 と の 関 わ り が 深 い こ と が 示 唆 され た 。
2.第二部
第二部では,書記行為における動作と,書記によって書かれる言語情報との関わりに ついて検討した。第二部は3章と4章からなる。
第3章では ,SPTsの理論 によって書記の記憶が説明できるかどうかを考察した。書記 の記憶研 究(例え ば,単語 のりストを書いて覚える)ではSPl's研究とは対照的に,書 記の動作が言語的情報の記憶を向上させないことが示されている。しかし書記行為を,
概念を介さない言語的入出力変換装置(特権ループ)として捉えることにより,書記の 記憶に関する研究成果を,SPTsの理論的枠組みで説明することができることが示唆さ.れ た。
第4章では ,書記の 動作を大きくし,動作の意識化を促しても,SPTsで見られるよう な実演効 果は生じ ないこと を示した。第3章で考察した通り,実演効果が生じるには運 動 的 構 成 要 素 が 概 念 的 表 象 を 活 性 化 さ せ る 必 要 が あ る こ と が 示 唆 さ れ た 。
3.第三部
第三部では,手話における動作とその意味(言語的情報)との関わりについて検討し た。第三部は5章,6章,7章からなる。
第5章 では,SPTsの 理論によって手話の記憶を説明できるかどうか考察した。手話経 験,すなわち(実験に参加する以前の)手話の動きと言語的情報との連合という視点を 考慮することにより,SPTsの理論によって手話の記憶が説明できる可能性が考えられる。
そし て,運動 的構成要 素の重要性 に関するSPTs研究の論争点にっいても,この視点を 取 り 入 れ る こ と に よ り , 解 決 が 可 能 で あ る と い う 予 測 が 立 て ら れ た 。 第6章 では手話 未学習者 を,第7章で は手話熟 達者を対象とし,手話の動作によって SPTsと同 様の実演 効果が生 じるかどう かを検討 した。その結果,予測通り,手話未学 習者では実演効果は生ないが,手話熟達者では実演効果が生じることが明らかとなった。
4.第四部
第四部では第一部〜第三部までの成果を概観し,動作と言語的情報に関する新たな理 論的枠組みが提示された。第四部には以下の8章が対応する。
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第8章で は,これ らの成果をもとに,動作の記憶に関する新たな理論を提案した。す なわち,実演効果が生じるためには,a)言語材料と動作が(実験に参加する以前に)一 意に連合していること,b)動作の表象が語彙(ボキャブラリ)として備わっていること,
c)動作が概念を活性化させること,が必要であるという理論的枠組みである。この枠組 みにより,SPTsパラダイムで扱われてきた行為文の記憶課題を越えて,書記や手話など,
他 の 言 語 と 動 作 の 働 き に つ い て も 説 明 し , 検 討 で き る 可 能 性 が 示 さ れ た 。
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学位論文審査の要旨 主査 教授 仲 真紀子 副査 助教授 川端康弘 副査 助教授 高橋伸幸
学 位 論 文 題 名
記憶における動作と言語の相互作用
― 被 験 者 実 演 課 題 と 手 話 の 記 憶 を 中 心 に ー
1. 本 論 文 の 研 究 成 果
ス ポ ー ツ の コ ー チ ン グ , 茶 道 の 稽 古 な ど , 言 語 的 指 示 に そ って 身体 を動 かす こと は,
日 常 的 に も よ く 体 験 さ れ る こ と で あ る 。 本 研 究 は こ の よ う な 言語 的指 示に そっ た動 作の 記 憶 に 焦 点 を 当 て ,SPTsパ ラ ダ イ ム に よ っ て , 行 為 が 行 為 に 対応 する 言語 的情 報の 記憶 に 及 ば す 影 響 を 検 討 し た 。SPTsに お い て 精 緻 化 さ れ て き た 理 論は ,手 話や 書記 の記 憶に も 適 用 で き る の か , で き な い と す れ ぱ ,SPTsと そ の 他 の 動 作 とは どこ が異 なる のか ,ど の よ う に 考 え れ ば , よ り 広 い 現 象 を 統 括 的 に 捉 え る こ と が で きる のか 。こ れら の問 題を 9つ の 実 験 に よ り 検 討 し , 新 し い 理 論 的 枠 組 み を 提 出 す る に 至 っ た 。 本 研 究 の 成 果 と し て , 以 下 の 三 点 を 挙 げ る こ と が で き る 。
第 一 は , 動 作 , あ る い は 行 為 の 実 演 に よ っ て 形 成 さ れ る 記 憶表 象の 特性 を明 らか にし た 点 で あ る 。 従 来 の 研 究 で は ,SPTsの 記 憶 に お い て 運 動 的 構 成要 素が 重要 な役 割を 果た し て い る か ど う か が 論 争 点 と な っ て い た 。 第2章 で は , 運 動 的 構 成 要 素 の な か で も , 特 に 自 我 関 与 の よ う な 動 作 主 の み が 得 ら れ る 情 報 が 実 演 効 果 に おい て有 効に 機能 する こと を 示 し た 。
第 二 は ,SPTsの 知 見 を , 書 記 や 手 話 な ど の 他 の 動 作 的 記 憶 にも 適用 でき るこ とを 示し た 点 で ある 。書 記の 記憶 にっ いて は特 権ル ー プと いう メカ ニズ ムを 導入 する こと によ り,
手 話 の 記憶 にっ いて は実 験以 前の 動作 と言 語 の連 合と いう 視点 を取 り入 れる こと によ り,
SPTsの 理 論 の 枠 組 み で , 書 記 や 手 話 に 見 ら れ る 動 作 と 言 語 と の関 連性 が説 明で きる こと を 示 し た 。
第 三 は , 上 記 の 成 果 に も と づ き ,SPTsに と ど ま ら な い , 動 作を 伴う 言語 的記 憶全 般を 説 明 す る新 たな 理論 的枠 組み を提 案し たこ と であ る。 すな わち ,あ る記 憶課 題に おい て,
動 作 が そ れ に 対 応 す る 言 語 的 表 現 を 促 進 す る に はa) 動 作 と 言 語 的 表 現 と が す で に ( 実 験 よ り も 以 前 に ) 一 意 に 連 合 さ れ てい るこ と,b)動 作が 語彙 とし て運 動的 表象 に備 わっ て い る こ と ,c) 動 作 が 概 念 を 活 性 化 さ せ る こ と , の3点 が 少 なく とも 必要 であ ると 考え ―37―
た。この理論的枠組みにより,SPTsパラダイムを越えて,他者の行う動作の理解やコー チングなどにおける言語と動作の働きについても説明し,検討できるプラットフオーム が整備された。
しかし,不十分な点がないわけではない。本研究で扱っているのは,実演した動作の 言語的側面であり,動作そのものの再生は,必ずしも求められていない(一部の実験で は検討されてはいる)。また,言語的指示によって動作を行うと,言語的情報の想起は 促進されるわけだが,このことは新奇な動作についてはあてはまらない。本研究は,こ のことが境界条件となっていることを示した点で意義深いが,今後は新奇な動作の効果 についても検討してほしい。また,一般に運動学習ではスケジューリングが重要な変数 となるが,こういった変数の検討も今後の課題として残されている。しかし,これらの 問題は,本研究で展開された実証的,理論的検討があったればこそ,明らかになった課 題 である。 本研究で は,真摯に積み上げられた9つの実験を通じて,SPTs研究の枠組み を,書記,手話といった行為にまで拡張した。そして,動作が言語的情報の記憶に及ば す影響のあり方を,より広い枠組みで説明することができた。本論文は動作と言語の記 憶 の研究に 大きく貢 献したとい える。
2.審査の要旨
本研究は ,従来SPTsの 枠組みで 検討されて きた動作 の記憶研究から出発し,その枠 組みでは捉えられなかった書記や手話などの動作の記憶を視野に入れ,動作が言語的情 報の記憶に及ばす影響について,新たな知見を提供したものである。行為が言語的表象 を促進する要件として,a)言語的材料と動作が実験以前に一意に連合されていること,
b)動作が語彙として運動的表象に備わっていること,c)動作が概念を活性化させるこ とが必要であること,を明らかにしたことの意義は大きい。これらの成果の一部はすで に学会誌に掲載され,一定の評価も得ている。
以上のことを総合的に評価し,本委員会は,本論文の著者加地雄一氏に博士(文学).
の学位を授与することが妥当であるとの結論に達した。
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