• 検索結果がありません。

第 1章   津島岡大遺跡の調査・研究

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "第 1章   津島岡大遺跡の調査・研究"

Copied!
38
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

1節

 

立会調査 の概要

第 1章   津島岡大遺跡の調査・研究

第 1節   立会調査の概要

1.調 査 の実施状況

2004年 度 において津島地 区で実施 された立会調査 は、事業数 で15件 を数 える (表1、5)。 件 数 と調査期 間 は例年 に比べ てやや少 な く、その多 くは掘削深度が浅 く造成土内あるいは近代層 まで掘削が な された ものであ つ た。そ う した中で、以下で述べ る公共下水桝接続工事 (調

1)と

津 島キ ヤ ンパ ス環境整備 (調査

6)に

ついて は、掘削深度が深 く、中世層以下の土層 や遺構 ・遺物が確認 され、それぞれ に貴重 な成果 を得 ることがで きた。

ここでは、 これ ら

2件

の立会調査 に関す る調査成果 について述べ る。

公共下水桝接続工事 (留 学生等宿泊施設 )に 伴 う立会調査 僻島南BB〜 B D26区

)

a.調

査 区 の位 置 と調 査 の経 過 (図 1)

2003年度 に引 き続 き、公共下水桝の接続工事が実施 され、2004年度 は留学生等宿泊施設付近 において工事が実施 された。本調査区は、津 島南地 区の西端部 にあた る。立会調査 は、 9月 1日 〜13日の期 間中に 実施 した。宿 泊施 設 の北側 にお い て

2箇

(図 1)、 そ の南側 (女子 学生寮北側

)に

おいて

1箇

所実施 した。 その うち、包含層 まで掘 削が 及 んだのは第

1地

点 。第

2地

点 の桝部分 で あ る。

2地

点 は地 表 面 か ら

122cmま

で掘 削 し、近代層 と近 世層 をそ れ ぞれ 一層確 認 した。一方、第

1地

点 で は掘 削 深 度 が 深 く、

168cmま

で掘 り下げが な され、中世 までの土層 を確認す る とともに、現在 の歩 道下 に流 れてい る用水路 に沿 うか たちで、近世 と近代 の東西溝 を確認

した。以下で は、第

1地

点 におけ る調査 成果 について概説す る。

b.調

査 の概要

 

層序 (図 2)

検出された基本層序中か らは、遺物の出土がみ られなかったため、土層の 時期 については既往の津島岡大遺跡の土層堆積 と対比 した結果 を述べる。

1層 は、1907年 (明治40年

)の

陸軍駐屯地造成以降の造成土である。

2層

は青灰色粘質土で、近代層 と考えられる。

2層

の上面か ら、溝

2が

掘 りこま れている。 3〜 5層 は近世層 と考えられる層で、

3層

が明灰色砂質土、

4層

が明灰褐色粘質土、

5層

が灰黄橙褐色砂質土 となる。いずれ も鉄分やマ ンガ

ンの沈着がみ られ、耕作土 と考 えられる。 5層 の上面か らは、溝

1が

掘削 さ れている。

6層

は近世〜中世層 と考えられる明灰色粘質上である。7・

8層

は中世層 と考 えられる粘土層で、 7層 が明灰 白色粘土、

8層

が灰 白色粘土 と なる。

歩道(用水路)

│       

調査区 と土層断面 図位置―

(縮尺1/800) 6L

0       1m

造成±       5  灰黄橙褐色砂質上

青灰色粘質±    6  明灰色粘 質土

明灰色砂質±    7  明灰 自色粘上

明灰褐色粘質±   8  灰 自色粘土

溝1 明灰掲色弱粘質土 溝2 ①暗青灰色粘土

②明青灰色粘土 図

公 共 下 水 桝 土 層 断 面

(縮尺 1/50)

N I

外国人留学生 研究員宿泊施設

(2)

第1章

 

津島岡大遺跡の調査・研究

 

地形 と遺構

遺構 としては、現在の東西に流れる用水路の前身 といえる近代溝 と近世溝 を確認 した。

近世溝 (溝

1)は

、現存幅56cm、 深 さ

20cmを

測 る。溝

2に

よつて半分以上の幅 を切 られている。埋土 は明灰 褐色弱粘質土 となる。遺物は出土 していない。

一方、近代溝 (溝

2)は

、現存幅98cm、 深 さ

62cmを

測 る。埋土 は二層 に大別 される。 1層 は暗青灰色粘土 で、

2層

は明青灰色粘土 となる。 1層 の掘 り方に沿 うように、護岸用 と思われる二段の石積みが施 されている。

この石積みよりも北側 は、溝の埋土 と考えられる。

2層

は裏込め土か、あるいは石積み構築以前の溝の掘 り方で あると考 えられる。

津島岡大遺跡の調査研究に基づいた近世段階の条里の復元案・)を参照すると、これ らの東西溝 は条里の区画 に 則つとるものではない。近世段階には、道路向かいに位置する座主川が東西の条里のラインと考 えられている。

この座主川は、大学構内を東西に貫流するものであ り、中世段階まで遡 る可能性があることが第25次調査 (農学 部散水施設

)に

よつて確認 されている。

一方、明治時代 に作成 された地籍図には、本調査区で確認 された東西溝が記載 されている。今 回の調査成果 は、地籍図に記載 されているこの東西溝 による区画が、近世段階にまで遡る可能性が浮かび上がったもの といえ る。

(1)野

崎貴博 2003「津島岡大遺跡 における近世の条里遺構について」『津島岡大遺跡12』 岡山大学構内遺跡発掘調査報告第17冊 岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター、pp.142‑148

津 島 キ ャ ンパ ス環境 整備 (留 学生 セ ンター西 )に 伴 う立会調査 伸 島南

B B09。 10区)

a.調

査 区 の位 置 と調査 の経 過 (図3)

本調査区は、津島南地区の留学生セ ンターの西 に位置する。長方形の池を有する盛土の施 された緑地が、調査 対象地点である。津島キャンパス内の環境整備の一環で、外灯の設置や雨水用の排水工事、樹木の移植が実施 さ れることとなった。調査期間は樹木移植が2004年 9月 24日、他は2004年10月 5日 〜11月 4日 であ り、調査は断続 的に実施 された。

調査区 より東40〜

50mほ

どに位置する保健環境セ ンター (旧保健管理セ ンター

)地

点は、津 島岡大遺跡第10 次調査 と して1993年 に発掘調査が実施 されてお り、すで に報告

書 も刊行 されてい るa)。 第10次調査 地点 は河 道 の 自然堤 防 にあ た り、弥生時代後期 の土坑群や古墳 時代初頭 ・後期 の集落が ひ ろが っていた ことが明 らか にされてい る。津 島岡大遺跡 におい て当該期 の遺構が密集す る地点 は第10次調査地点のみであ り、

本調査 区 はその ひろが りに関す る知見 を得 られることが調査前 か ら予想 された。

調査 が必 要 な工事 掘 削 は、外 灯 設 置 箇所 (第 1・

3地

)、

雨水排水 桝 ・管埋 設箇所 (第

2地

)、 樹 木移 植 箇 所 におい て な され た (図 3)。 そ の うち、包含層 を確認 したの は第1〜 3 地点であ る。第

3地

点 につ い て は、道路 面 か ら

50cmの

深 さ を 掘削 し、 中〜近世層 を確認 した。一方 、第

1地

点で は道路面 よ り115cm、

2地

点 で は

112cmの

深 さの掘削が な され、弥生 時 代後期 の土層 と基盤層 を確認 した。第

1地

点で は、包含層 中に

I N

│    

調 査 区 と土 層 断 面 の位 置

(粕言ナ鷲1/800)

樹木移植地点

(3)

第 1節

 

立会調査の概要

弥生時代後期の小片が多 く含 まれ、第

2地

点においては 同時期の遺構の可能性がある溝状の土層 を確認 した。

b.調

査 の概要

 

層序 (図4)

第 1〜

3地

点 ともに、共通 した土層 を確認 したため、

ここでは層名 を統一 して呼称す る。層序 を図示 したの は、掘削深度が深かつた第

1地

(a断

)と

、第

2地

点の桝部分 (b・

c断

)で

ある。

l層 は陸軍駐屯地造成以降の造成上である。

2層

は、

2地

点の

b断

面でのみ確認 した青灰色砂質土で、近代

く第 2地 点〉

b       c

6      ̲

造成±      4a  黒褐色砂質土(小礫、土器)

青灰色砂 質±       4b  黒掲色砂質土 (小礫多)

3a 暗茶褐色砂質土(小)     5  暗黄掲色砂 質上

3b 暗茶掲色砂質土 (白色微砂)   6  黄灰掲色砂混 じり礫層

3c 暗茶褐色砂質土(小礫、白色微砂)①

 

黒褐色砂質土(礫)

津 島 キ ャ ンパ ス環 境 整 備 土 層 断面 (縮尺 1/50)

の耕作土 と考 え られ る土層である。

3層

は、

3つ

の地点でいずれ も確認 している暗茶褐色砂質土で、包含物 よ り

a〜

c層 に細分 した。小礫 や 白色微砂 を含 む層 で、津 島岡大遺跡 の基本土層 とは様相 を異 にす る ものである。鉄 分やマ ンガ ンがみ られず、耕作 土 の可能性 は低 い。近代 以 降の再堆積土 であ る可 能性 も含 めて検討 したが、

b断

面 において近代 の耕作土 と考 え られる

2層

が上部 に確認 されたため、現状 では包含層 と認識 している。道路 や何 らかの土盛 り等 の造成用 の土である可能性 もある。

3層

の時期 については、遺物がみ られなか ったため不 明であ るが、土層 の堆積順序 と第10次調査 の土層 の堆積状況か ら考 えれば、中世 〜近世の もの と考 え られる。 なお、第

3地

点 にお ける掘 削 は、本層 中で収 まってい る。

4層

は、第1・

2地

点 において確認 した黒褐色砂 質土 であ り、

4a・ b層

に分層 した。第

1地

点 において、弥生 時代後期 の土器小片 を多 く含 んでいた土層 である。5層は、暗 黄褐 色砂 質土 で、第

2地

点 において認 め られた基盤層 で あ る。

6層

は、黄灰褐色砂混 じり礫層 で、

5層

と同様 に 基盤層 と考 え られ る。

土 質や色調 か ら、近接 す る第10次調査地点の上層 との対応が想定 されるのは、2層 と

4層

5・

6層

で ある。

まず

2層

は、土層 の特徴 か ら考 えれば第10次調査 における近代層 の

2層

に該当す るだろう。 ただ し、本調査 区に お ける

3層

の存在 によって、

2層

上面の標高が第10次 調査 地点 よ りも約

40cm高

くなる こ とは注意 を要す る。 4 層 は、10次地点 の弥生 時代 ・古墳 時代 の土層 であ る7層 (黒褐色砂 質土

)に

ほぼ該当す るだろ う。5・ 6層は、

第10次調査 地点 の基盤層 で あ る9層に相 当す る。5層が

9a層

(淡黄灰 色細 砂)、

6層

9b層

(灰色礫

)に

当す る もの と考 え られ る。一方、本調査 区 において特徴 的 に認 め られた

3層

に該 当す る土層 は、10次地点 におい て見 出す ことがで きない。

津 島岡大遣跡 の鍵層 となってい る、突帝文土器 や弥生時代前期土 器 を包含す る「黒色土」 は、第10次 調査 地点 と同様 に本調査 区 において も認め られなか った。

 

地形 と遺構 。遺物

本調査区の地形 については、「黒色土」が認 め られず、かつ基盤層 までの包含層 の厚 さが薄い ことか ら考 え て、第10次調査地点 と同様 に自然児防上に位置することが想定 される。第10次調査区北側の土層の標高が第

1地

点の土層の標高 とほぼ対応するもの と考 えられるため、本調査区の微高地は第10次調査地点 と一連の微高地であ る可能性がある。

微地形 については、第10次調査地点 において弥生時代か ら古代 までは北狽Jが高い地形 となっていたことが明 ら かにされている。今回の調査区においては、調査地点が限 られているため確実な微地形の復元 は行い得ない。た だ し、現状の調査成果か らは南恨1の

2地

点の方が北側の第

1地

点 よりも土層が上がっているように見受けられ るため、南〜南東 に向けて微高地が高 くなる可能性 も存在する。

本調査区では、弥生時代後期 と中〜近世 という二時期の遺構 。遺物 を確認 した。 まず、弥生時代後期段階の遣

(4)

第 1章

 

津島岡大遺跡の調査・研究

構 と して は、第

2地

点 の

c断

面 にみ られ る溝 状 の遺構 が挙

'デ

られ る。現存 幅123cm、 深 さ

15cmを

測 る。埋 土 は、礫 を多 く含 む黒褐色砂 質土であ り、

4層

に類似す る。 したが って、 この溝状遺構 は弥生時代後期段 階の所産 と考 え られる。 また、包含層 である

4層

につ いては、第

1地

点 にお いて弥生時代後期 の土器小 片 を多 く含 んでお り、第

2地

点 において もわず かであ るが小片 が 出土 してい る。 こ う した包含層 の状況 は、第10次 地点 において検 出 された遺構群 の ひろが りを想起 させ る ものであ る。 ただ し、土器が小 片 であ る ことか ら考 えれ ば、本調査 区は 集落 の 中心 とは考 えが た く、第10次調査 地点 と同様 に集落の縁辺部 にあたるであろ う。

次 に中〜近世 と考 え られ る段 階 につ いては、

3層

の堆積 に注 目す るこ とがで きる。 この土層 の性 格 につ い て は、今 回の調査 だけではにわか に判断 しが たいが、い くつかの可能性 について検討 してみ よう②。先 に道路 用 の 造成土 の可能性 を述べ たが、南北方 向の道路 で ある と仮定す るな らば、10ライ ンを北 に延長 した場所 に位置す る 第19次調査 地点 (コラボ レー シ ョンセ ンター

)に

おいて、近世段 階の南北 の道路状遺構が検 出 されてい ることに 注 目す る こ とがで きる。 ただ し、 この道路状 遺構 の上面 は削平 を受 けてい る もの と考 え られ るが 、その ようにみ た場合 において も、検 出面 よ りも

3層

上面が不 自然 に高 くなる とい う問題 は依然の こされる。あるいは視点 を少 し変 えて、調査 区付近の旧地形 との関連 について も注意 してお く必 要がある。 岡山大学津 島キ ヤンパ スが構築 さ れ る以前 の土地利用 の様子が わか る明治時代 に作成 された地籍図 を参照す る と、調査 区付近 は周 囲の田畑 の長方 形 を呈 す る区画 とは異 な り、逆台形状 の区画 の東辺 にあたる。 こ う した区画 の乱 れは、旧地形 を反映 した もので あ る可能性 が あ る。 その ように考 えるな らば、旧地形 に規定 され たか た ちで、 中〜近世段 階の何 らかの造成 が本 調査 区 におい て な され た可 能性 が考 え られ る。いず れ にせ よ、今 後 の調査 にお いて継続 的 に検討 す る必 要 が あ

る。

以上のように、本調査 によつてい くつかの貴重な知見 を得 ることがで きた。 まとめると、まず本調査区は10次 地点 と同様 に自然堤防上 に位置することが判明 した。 このことは、津島岡大遺跡の地形復元 を検討する上で も重 要な成果 となった。 また同地点で確認 された弥生時代後期段階の集落が、本調査区までひろがることが判明 し、

当該期の集落のひろが りについて知見が得 られた。中〜近世の段階については、造成土か と思われる土層 を確認 し、今後 の調査 における新 たな課題 を得 ることがで きた もの といえよう。 (光本

 

)

(1)山

本悦世・岩崎志保編 2003『津 島岡大遺跡11』 岡山大学構内遺跡発掘調査報告第16冊、岡山大学埋蔵文化財調査研究 セ ン ター

(2)検

討 にあたつては山本悦世氏か ら有益 なご教示 をいただいた。

表1 2004年度津島地区調査

=覧

番 号 種 類 調査地 区 構 内座標 所 属 調 調査期 間 掘削深度

(CL m)

1 立 会 津 島南 BB〜BD26 公 共下水桝接 続工事 留学 生等 宿泊施設 91〜13 122〜168 中 LI層 ま で 掘 削 2 立 会 津 島北 AX16 文法経 文  経 動物実験 施設 ガス漏 れ補4笏工事 既掘 内

3 立 会 津 島 南 BB〜

BD09 10 津 島キ ヤ ンパ ス環境 整備 一般 教育棟樹 木

移植 05〜07 造成上 内

4 立 会 津 島 北 AX03 教育学部 ガス配管切 り替 え工事 927、 101 082〜118 造 成 上 内

5 立 会 津 島南 南宿 舎駐車場 整備 1 15 近代 層 まで掘 削

6 立 会 津 鳥南 BB9 10 津 島 キ ャンパ ス環境 整備 留学生 セ ンター

西 105、 114 05〜115 弥生後期 包含層 遣 構 礫 層確認

7 立 会 津 島 北 AU03 津 島構 内道路 等改修工事 工学部駐車場 10 22 07 造 成 土 内

8 立 会 津 島北 AU AV06 工学部 12号 館 前 ガス漏 れ補修 ガス配管工

1022、 1117 08〜100 既 掘 内 、 造 成 上 内

9 立 会 津 島北 AWll 工学部 本館 西 ガス漏 れ補修工事 1 1 25 既設 内

立 会 津 島南 BF BG02

03、BG10〜12 ‡島キヤンパス環境整備

 

東団地境界 07〜12 西 地点 は造 成 上 内、東 地点 は近代 層 まで指 削 した箇所 あ り

11 立 会 津 島 北 AU05 肯機廃 液保管庫新営電 気設備工事 08〜10 造 成 上 内

12 立 会 津 島北 AY AZ12

13、 BA13 辛島 キ ャ ンパ ス環境 整備 北 団地理学部本 追前

214、 31

4 16 085〜13 一部 で近代 層確認 、他 は造 成土 内

13 立 会 津 島北 AV12 中央 図書館非常 階段 整備 10 造 成 土 内

立 会 津 島 北 AV05 工学部排水工事 34 造成上 内

15 立 会 津 島 南 BC BD05 造 成 土 内

(5)

1節

 

立会調査 の概 要

津 島 北 地 区

型 鞘

一一一一一二

グラウン ド

AU

等 設 生 施 学 泊

0       2001n

BA

BC

BE

BG

立会調査地点

番号 は表1の調査番号 に対応す る。

│     │     │

(6)

第 2節   津島岡大遺跡の研究

構内遺跡 における発掘調査資料の自然科学的分析

岡山大学埋 蔵文化財調査研 究 セ ンターで は、構 内遺跡 の発掘 調査 資料 に関 して、必 要 に応 じて 自然科学 的 な分 析 を行 っている。分析 の内容 は、年代測定・植物珪酸体分析 。花粉分析 ・植物遺存体 の分析 (炭化植物 ・種子 な ど)・樹 種 同定 ・動物 遺存体 の 同定 ・石材 同定 を中心 と し、そ の他 に様 々 な分析 (ガラス津 。赤色顔料 ・金属 ・ 鉄 淳 ・火薬 ・粒 度組成 な ど

)を

含 む。 こ う した分析 の一覧 は文 末 に掲載 した (表3)。 ただ し、肉眼 同定 の もの は多岐 にわたるため に省 略 した°)。

なかで も、津 島岡大遺跡では年代測定 ・植物珪酸体分析 、花粉分析 、植物遺存体 の分析 あるいは樹種 同定 につ いて、特 に系統 的な分析 を継続 してい る。今 回は、その中か ら放射性炭素年代測定結果 について、その成果 を報 告す る。

ai対

象 と した試 料

放射性 炭素年代 測 定 を行 ったの は、津 島岡大 遺跡 の11箇 所 の調査 地点 にお い て で あ る。試 料 点 教 は合計33点 で、その内訳 は土器外面 に付着 した炭化物

8点

、貯蔵穴 出土 の堅果類

5点

、杭お よび利用木材

7点

、遺構 に伴 う 炭化材 あ るい は炭化物 10点 、基本土層 中の炭化物

3点

である (表3A)。

ここでは、同遺跡 を理解す る上 で重要 となる縄文時代 〜弥生時代前期 にあたる試料 について、本 セ ンターが 中 心 と して分析測定機 関 に依頼 して実施 した年代分析 のデー タに関 して まとめ ることとす る。対象 となる試料 は、

正式報告が既刊 の調査 に加 え、今年度刊行す る第23次 調査 まで を含 めて、

9箇

所 の調査 地点か ら抽 出 した計25点 である (表2)。 試料 の内訳 は、縄文時代後期 の土器 を共伴 す るかあ るい はその可能性 が高 い炉 ・土坑 か ら炭化 物 を

6点

(第17・ 27次 調査

)と

貯蔵穴 か ら堅果類

1点

(第15次調査)、 縄 文時代後期河道 内の杭

4点

(第23次 調 査)、 縄 文時代 の面 で検 出 されたが遣物 を伴 わ ない遺構 内の炭化物

4点

(第7・

8次

調査)、 そ して、土器外面 に 付着 した炭化物 を突帝文土器

3点

(第3・ 23次 調査

)と

弥生時代前期 の甕

1点

(第23次 調査

)か

ら、突帯文土器 を共伴す る貯蔵穴か ら堅果類

1点

(第

3次

調査)、 弥生 時代 前 期 の土器 を伴 う河道 内の堰構 成材

2点

(第23次 調 査

)の

ほかに、弥生時代早期 〜前期 の土層 と判 断 してい る「黒色土J、 あ るい はその直下 の土層 とい う基本土層 か らの

3点

(第22次 調査 ・試掘調査

)で

あ る。

分析 方法 は、加速器 質量分析法

(AMS法)が

中心 であ るが、樹 木 な ど一部 で β線計算法が選択 されている。

b.個

別 試 料 の 内 容

分析対象 とした試料 の年代測定値 は表2・ 図13に 示 した。 まず 、分析 を行 った個別試料 につ いて、発掘調査 か ら得 られた内容 を説明 してお こう。

試料

1(図 6):試

料 は第

7次

調査 地点 の炉 1内に残 された炭化材 であ る。同遺構 は平面規模 が直径30〜 35cm、

深 さは約

30cmを

測 る。壁面 か ら検 出面 の肩部 にかけて焼土化 した被熱痕が顕著 に残 る。炭化材 は、その壁面 に 張 り付 くように検 出 された。炉 に伴 う遺物 は皆無 であるため、炉 の時期 は確定で きない。

同炉 の検 出面 で は、その他 に炉

1基

と焼土 。炭化物集 中 ピッ トな どが広が り、少量の土器が出土 してい る。そ の時期 は縄文時代後期 中葉 を中心 とし、中期 に遡 る可能性 のあ る ものはご く僅 かである。

試料2・ 3。

10(図 7)i第 8次

調査 地点 の土坑

3基

に伴 う試料 であ る。 同遺構検 出面 で は土坑10基 と小溝

5条

が確認 されているが、いずれの遣構 か らも出土遺物 は皆無 であ り時期 の確定 はで きない。 ただ し、検 出面 あるい

(7)

第1章

 

津島岡大遺跡の調査・研究

試料別年代測定値一覧

調査次 出土遺構 土層

測定法 HC年

髄 ∽

補 正HC

年代 暦 年較 正年代 測定機 関番号 共伴 関連 土器

の型式 時期  

1 7次 ナテ三1 炭 化 材 5030±90B P〈3080■90B C〉 Gak‑16160 キR告 9

2 8次 土坑Kl―

炭層 炭化物 4960± 110B Pく 3010B C〉 Gak‑16416 R告 8

3 8次 土坑K6‑

炭層 炭 化 物 4490± 130B P(2「D40B C〉 Cak‑16418 報 告8

4 第27次 1 炭化材 β線計数法3960± 60 ‑273 920±6(

σ

I cal BC2450 cal BC2480〜 2310 cal BC2570〜2210

Beta‑172000 (中津式) 報告18:分析番号 No l

5 第27次 炉 2 炭化物 β線計数法3930■6( ‑267

'910■

6(

交点i cal BC2450 :cal BC2470〜2300 :cal BC2570〜 2ワ 0,2500〜 2210

Beta‑172001 中津式 報告18:分析番 号 No 2

6 第17次 上坑9‑1

炭化物 AMS法 3900±4( ‑257 ,890±4(

交′点:cal BC2400,2380,2360 σ l cal BC2460〜 2300

σ i cal BC2470〜 2220

Beta‑194639

福 田K]式〜縁 帯文 土器 成立段

報告21:分析 番弓 No 4

7 17次土坑9‑3

炭 化 物 AMS法 38?Э±4( ‑261 850±4(

交点i cal BC2300

σ i cal BC2400〜 2380,2360〜 2220 σ i cal BC2460〜 2200

Beta‑194640

福 田KⅡ式 〜縁 帯 文土器成 立段

報告21:分析番号

No5

8 15次貯 蔵 穴 SF

16 堅 果 類 AMS法 3890±5( ‑27, 3850±5(

交点 i calBC2300 σ i calBC2430〜 2210 2o:calBC2465〜2145

Beta‑134021

《福 田KⅡ式 〜 縁 帯 文 土 器 成 立 段 階 )

報告19:分析番号

No2

9 第17次 住 居1‑炉1 炭化物 AMS法 3砕0■4( ‑234 ,770±4(

交点 :cal BC2200

lo:cal BC2270〜2260,2220〜 2140 σ i cal BC2300〜 2120,2100〜 2040

Beta‑195251 縁帯 文土器成立 段 階

報告21:分析番号 No 6

10 8次 土坑K5‑

炭層 炭化物 3880± 130B P(1930B C〉 Cak‑16417 報 告8

第23次 河道1

杭群 β線計 数法 3670±4( ‑27〔 630±4(

交点i cal BC1970 σ i cal BC2030〜 1940 :cal BC2130〜 2080,2060〜 1890

Beta‑206670 (中津式〜福田 KⅡ 式》

報告22:杭 No 184、分 析 番 召 No 10‑2005年

12 第23次 河道1

杭群 β線計数法3650±7( ‑30そ 560±7(

交点i cal BC1900 l o i cal BC1970〜 17‐0 2o:cal BC2120〜 20902050〜1720

Beta‑146335 KⅡ(中津式 〜福 田) 報告22:杭

No 55、 分 析 番 ち No l‑2000年

13 23次 1可道 ユ

杭 群 β線計数法3520±4( ‑27「 3480±4(

交 点 :cal BC1760 l o i cal BC1880〜 1740 :cal BC1900〜 1690

Beta‑206671 KⅡ(中 津式 〜福 田)

報告22:分析 番掲 No ll‑2005年

14 23次 河適1

杭 群 β線計数法3250±7( ‑2: 3210± К

σ

:caI BC1490 cal BC1530〜 1410 cat BC1630〜 1380

Beta‑172002 KⅡ《中津式 〜福 田)

報告22:分析番蝙 No l‑2002年

第17次 竪穴住居状

遺悔l―3 炭化物 AMS法 2930±5( ‑23を 3950±51

σ

i caIBCl140 i calBC1260〜 1055 :calBC1305〜1000

Beta‑134022 縁 帯文土 器成立 段 階

報告21:分析番ち No 3

16 試掘

(T37)

T6‑「 色土」 の下

,魯

炭化物 β線計数法 800■6( ‑2〔 3840±6(

σ σ

:cal BC1000 cal BC1060〜 920 caI BCl190〜 840

Beta‑146336 年報18

17 第筋 次 2地点 ― 15層(「黒色 Jの下唇)

炭 化 物 AMS法 」690±5( ‑2[ 3720±5(

σ

:calBC840 caIBC910〜 820 calBC975〜 805

Beta‑134019 報告21:分析番ち No 2

第23次 河 道3、 木 材 β線尉教法 ど700±5( ‑28〔 2640±5(

交 点ic』BC810

σ i cal BC820〜790 σ i cal BC880〜780

Beta‑206669 《弥 生前期 中葉

〜後葉)

報 告22:支保材2, 分 析 番 号No9‑

2005年 23次 河 道3、 β線計数法 ,660±6( ‑29( 2590±6(

交点i cal BC790 σ i cal BC810〜

80 :cal BC830〜 750,700〜「D40

Beta‑206668 《弥 生 前 期 中 葉

〜 後 葵 》

報 告22:

W35(杭3)、分 析 遷 No 8‑2005年 3次 13層 土器付着

炭化物 AMS法 ウ580■4( ‑261 2560±4(

交点i cal BC790 lo:cal BC800〜 770 :cal BC810〜 760,680〜 550

Beta‑206666 突 帯 文 土 器 報 告5:

図49‑207、 測定犯 は本 紀要 3次 貯蔵穴SPl 堅果類 AMS法 〕620■4( ‑284 2560±4℃

交点 :calBC785

:calBC795〜770

σ i calBC810〜755,BC680〜550

Beta‑134020 突術文土器

報告5、 測定値 は 報告19、 分析番号 No l

3次 13帰 土 器付 着

炭化物 AMS法 を5紹Э±4( ‑261 2550±4C

交点i cal BC780 σ i cal BC790〜770 :cal BC800〜 750,700〜 540

Beta‑206667 突帯文土器 報告5:図40‑36、

測定値 は本紀 要

第23次 河 道 2 土器付着

炭化物 AMS法 2550±4( ‑26( 2520±40

交点 :cal BC770

σ i cal BC790〜760,680〜 550 :cal BC800〜 520

Beta‑206942 突 帝 文 土 器

報告22:図38‑4、

分 析 番 号No l―

2005年 23次 河 道 3 土器イ句着

炭化物 AMS法 9510±5( ‑264 2490±rD0

交点 i cal BC760,640,560 σ i cal BC780〜520 :cal BC790〜 410

Beta‑206943 弥 生 前 期 中 乗

〜 後 葉 土 器

報告22:図 鬱‑36、

分 析 番 号No 2‑

2005年 第22次

2地点 ― 13層(「黒色 キ ヽ

炭化物 AMS法 И90±6( ‑22( 2530± 60 交点:calBC795〜 750,caIBC695〜i calBC775 540 :calBC810〜415

Beta‑134018 報告211分析 番号

「 黒 色 土 」

:三 No l

昇 と 緊 銹 笠 優 を

8容

写 蒼 蓬 蒼 的 な 土 層

      lj::::協

権 重 1         華 告

1嵩

Ξ 奨 豊 蓬 舌 書 課 晃 撮 名 馨 景 馨 も の

Cak:学習 院大学 、Beta:ベー タ社

(8)

第2節

 

構内遺跡の研究

はそれ を覆 う土層 には福 田

KⅡ

式 の土器片が わず か に含 まれ る こ とか ら、縄文 時代 後期 の時期 を想定 した報告 を 行 った。

試料

2は

土坑

Kl内

の炭化物である。同遺構 は平面規模が95× 85cm、 深 さ

32cmを

有す。内部 には焼土 あ るい は炭化物 の堆積土層 が確認 される (図

7‑b)。

分析 を行 つた試料 は、土坑使 用段 階 に形成 され た木炭 であ る。

試 料

3は

土 坑

6内

の炭 化物 塊 で あ る。同遺 構 は平 面 規模72×

52cmが

復 元 され、深 さは

17cmを

測 る。埋 土 は、前述の土坑

Klと

はやや異 な り、堆積土層全体 に炭化物が多 く含 まれ、被熟 した大形の角礫が認 め られる。

土坑

Kl・ K5と

はそれぞれ

7m程

度 の距離 を有 す る。

試料10は 土坑

K5内

の木炭である。 同遺構 は平面規模が165× 121cm、 深 さ

25cmを

測 り、内部 には多量 の焼土 と木炭塊が堆積す るな ど、土坑

Klと

の類似性が高い。 同土坑 とは約

10m程

度 の距離 を もつ。

試料 4・

5(図 8):第

27次 調査 の炉1・

2に

伴 う試料 で あ る。両炉 の検 出面 で は、他 に炉

1基

・焼土 と炭の集 中箇所数 力所 のほか土坑

3基

が検 出 され た (図

8‑a)。

同面 で 出土 す る遺物 は少量 で あ るが、縄 文 時代 後期 初 頭 の中津式 に属 す る土器 の ほか に、やや下層 か らは中期 に遡 る土器が わずか に確認 されてい る。

試料

4は

1の内部 か ら出土 した炭化材 である。炉1は、

4m前

後 の範 囲 に窪 み部 と被 熱 痕 を残 す 張 り出 し 部 で構成 され、焼土塊 や炭化物 の集 中堆積 が認 め られ る。試料 は、その焼土 あ るい は炭化物 の堆積層 間 に位 置す る。炉 内か らの出土遺物 は皆無 であ るが、 ご く周辺 の検 出面 において遺物が集 中的 に分布 す る。 これ らの土器 (図

8‑b)は

中津式 にあた り、炉1周辺以外 では出土遺物が極 めて少 ない ことか ら、同遺構 との共伴 関係が想 定 され る。

試料

5は

、炉 1と は

4〜 5mの

間隔 を もつ炉

2の

上層 に集 中的 に包含 され た炭化物 であ る。炉

2は 4m前

後 の範 囲 に窪 み部 と張 り出 し部 を有 し、被熟痕 あ るい は焼土・炭化物 の包含 な どの点 で炉 1と 共 通 した特徴 を示 す。試料 をサ ンプ リング した土層 中か らは、中津式 の土器 (図

8‑c)が

ま とまって出土 している。

試料 6・

7(図 9‑a・ b):第

17次調査 で検 出 された土坑

9の

試料 で あ る。 同土 坑 は平 面 規模 が2.6× 2.3m、

深 さ

50cmを

測 り、埋 土 は黒色 土 に近 い上層 と黄色系 の色調 を示 す下層 とに大 別 され る (図

9‑a)。

土 質 の明 瞭 な差異 に加 えて、両層 間 には出土遺物量 あ るいは土層堆積状況 な どの点で堆積環境 の違 いが窺 われ た。

試料

6は

上層 にあたる1層の土壌 に含 まれ る炭化物 である。上層 か らは福 田

KE式

〜縁帝文土器成立段 階 を中 心 と した土器 (図

9‑b)が

集 中的 に出土す る。試料

7は

下層 にあたる

3層

の土壌 に含 まれ る炭化物 である。土 器 の出土量 は非常 に少 な く、縄文 時代 後期 と判 断 され るのみであ る。

試料

8(図 10)i第

15次調査 地点の貯蔵穴SP16内に残 された堅果類 (カシ類

)で

あ る。試料 は上層

(2層 )か

出上 してお り、貯 蔵 され てい た堅果類 と判 断 され る。 その採 集 時期 は貯蔵 穴使 用 時期 に一致す る と考 え られ る が、明確 な時期 を示す共伴遺物 は認め られない。参考 となる土器 は、同一面 に広が る貯蔵穴か ら出土 した福 田

K

Ⅱ式の土器 、そ して、同遺構が河道斜面下端付近 に構築 されている とい う点か ら、河道内 に豊富 に包含 される福 田

KⅡ

式 〜縁帝文土器成立段 階 を中心 とす る土器 が あげ られ る。 その他 に、河道 内か らは里木 Ⅱ式 ・縄文 時代 中 期末段 階 。中津式 ・縁 帯文土器が わず か に出土す る。

試料9・

15(図 9‑c・ d)i第

17次調査 で調査 された竪穴住居状遺構1に伴 う炉址

2,3か

らの試料 であ る。

土壌サ ンプル として採集 した炭化物 について

2回

にわた る分析 を行 つた。試料15が2000年 の分析試料 であ り、試 料

9は

2002年 に同 じ土壌サ ンプルか ら試料 を再度採集 した

2回

目の分析試料 である。

分析対象 とした

3層

は、炉

2か

ら炉

3へ

と炉が再構築 されるなかで形成 された土層 であ り、炉

3の

使 用 に伴 う 被 熱壁面 を構成す る。 その上面 には炉

3に

伴 う1個体 の深鉢 (図

9‑d:土

2)が

張 り付 いて出土 し、炉

2上

面 にはその深鉢 に続 いて別 の深鉢片 (同 :土 器

1)が

残 る。 この土器 の特徴 は縁 帯文 土 器 成 立段 階 を示 してお り、竪穴住居状遺構 の床面 出土土器 の時期 とも一致す る。覆土 には福 田

KⅡ

式 〜津 雲

A式

の上器 を含 むが、分析 試料 の形成 に最 も関わ りが強 い炉2・

3の

時期 は、縁 帯文土器成立段 階 と考 えている。

(9)

第1章

 

津島岡大遺跡の調査・研究

N! 川Д 判トキー十 げ 

25m

b

試尉 団

・炭粒

     

匡三]焼土

。 焼土粒     匠三]赤変 部 分

0

│   │   │   │

0      10m

暗黄 協色上(木)   7  暗褐色土(木炭 、焼■)

津 島岡大遺跡第7次調査

晴 褐色上

黄 褐色 土

津 島岡大遺跡第3次調査

黄褐色上(Mn)    10  暗褐色土(木炭塊)

暗寅褐色主(Mn、 木炭)11  暗褐色土(木炭多)

黄褐色i(Mn多)   12  黄掲色土(壁の崩落)

b土

Kl

a遺

構配置図

津 島岡大遺跡第27次 調査

暗褐 色砂 質上

暗褐色■(木)

盛鰈浚   追述ゴ

:

b炉

1周辺 出土土器

鑢 勃 導イ弐 輯典 籍 勢 鱒 懲

i鵡 ― /

̲章

.鵡 あ労

季リ

螂 ぇ 絣 .ヽ 4充

0         10cm

<:贔l言

2

写真

炭化材 出土状況

7

鍵坑 12

c炉

2出土土器

(10)

第2節

 

構内遺跡の研究

期 、 受 蕃覇劾 8瑾 鰈雲 `

〈上層 〉 く下層 〉 0      1m

b土

坑9出土土器

黒褐色粘質± 3.灰色粘質土 2.暗灰色粘質±

明灰色〜灰褐色粘質土

責褐色弱粘質土

a土

坑 9

□ 絲配

2]

匡コ被熟I」■ Eコ焼土粒分布範囲

試料番号9・15

Э       locm

c竪

穴住居状遺構 1内 炉2・

3      d竪

穴住居状遺構 1内 炉2・ 3出土土器 図

津島岡大遺跡第17次調査

試料11〜

14:試

料 は第23次 調査 において河道1内に打 ち込 まれた杭 群 の中の

4点

で ある。200本 以上 の杭 で構成 され る杭群 には複数の機能が想定 されているが、その利用 に関 しては一連 の もの と捉 え られている。河道内か ら は、縄文後期初頭 〜前棄 (中津式 ・福 田

KⅡ

)を

中心 と した土器が出土す る。後期 中葉の ものは小片 であ り数 点が含 まれるのみである。

試料 の杭 は、いずれ も先端 を炭化 させ てお り、樹種 はコナラ属 アカガシ亜属である。樹皮 は試料14を除 く試料 11〜13で 残 って い る。試 料11は 直径 3cm、 残 存長45cm、 試 料12は 直径2.7cm、 残 存 長34.lcm、 試料13は 直 径 2.6cm、 残存長19。4cm、 試料 14は 直径 3cm、 残存長

20.4cmを

測 る。

試料

16:試

料 は第17次調査 地点の南狽1で実施 した試掘調査 において採集 した土層 中の炭化物である。分析対象 と

雌 ≫

鵬 減

0         05m

9d‑2

/

(11)

第1章

 

津島岡大遺跡の調査・研究

%

0         10cm

灰黒色粘土(炭、粘土粒)

2        ク

8m     3  茶黒色粘土(木皮 棠多)

灰黒色粘上(葉)

灰色粘土(堅果類)

堅果類層

M倒

試料番号8

SP16〕

灰色粘質土(白色砂)   4  灰色細砂

灰色砂 〜砂 質土(堅果類少)5 暗灰色粘質土(細砂多

茶灰色細砂       6  灰色細 〜粗砂

有機物少

試料番号21

0       1

a貯

蔵穴

SPl

10 

津 島岡大遺跡第15次調査

試料番拝チ22

b13層

出土土器

図‖

 

津 島岡大遺跡第3次調査

試料番号 20

試 料 番 号23 0      10cm

試料番号18。19(堰)関 連土器

12 

津 島岡大遺跡第23次 調査

した土層 は、津島岡大遺跡 において「黒色土」 として鍵層 になっている土層である。ただ し、同地点 において は、通常の「黒色土」 と比べると、土層の厚 さが非常 に薄 く下層 との境が不明瞭で漸移的な状態 にあつた点は注 意 しなければならない。津島岡大遺跡ではこの「黒色土」か ら突帯文土器あるいは弥生前期土器が出土する場合 が多いが、サ ンプリングを行つた同地点では遺物は出土 していない。

試料17・

25:両

試料は第22次調査 において採集 した堆積土中の炭化物である。試料17は「黒色土」の直下 に堆積 する15層 (第17・ 22次調査基本土層

)に

、試料25は「黒色土」 にあたる13層 (同基本土層

)に

、それぞれ含 まれ る。いずれ も時期 を示す遺物は出土 していない。

試料18。

19(図 12):試

料 は、第23次調査 の河道

3内

に構築 された堰 の構成部材

2点

である。同河道 は、前述 し た試料11〜14が位置する縄文時代後期の河道上部 に重複する。堰 は杭

7本

と支保材

3点

などで構成 される。

試料18は

3本

の支保材の中央 に位置 し、

189,4cmの

長 さをもつ丸木材で、樹種はヨナラ属 ヨナラ節である。

試料19は

7本

で構成 される杭列の西か ら

3番

目に位置 し (報告 :杭3)、 中心的部材 として堰 を構成する。直 径 は11.2×

10.6cmを

測 る九木材で、長 さは

44.8cmが

残 る。樹種 はコナラ属 クヌギ節である。両試料 は、その 位置関係か ら一連の構造物 を成す ことは明 らかであ り、使用時期 はほぼ一致する可能性が高い。時期 を考える上

0      10cm

試料番号24

(12)

第2節

 

構内遣跡の研究

で参考 になるのは、堰 に絡み合 うように出土 した弥生時代前期 中葉 の土器 (図

12:土

4)あ

るいは同堰 か ら溝 へ の取水 日にあた る位 置 に置かれ た弥生前期 中葉 〜後葉 の重 (同 :土器

3)が

あ げ られ る。 また、同河道 か ら は、後述す る試料

24(同

:土器

2)が

出土 してい る。

試 料20。

22(図 11‑b):試

20(図 11‑b:土

2)と

試 料

22(同

:土 器

1)は

、第

3次

調 査 に お い て13層 (同調査 基本土層

)か

ら出土 した突帯文土器 の外面 に付着 した炭化物である。河道斜面 に堆積す る同層か らは、

突帯文土器 を中心 と した多量 の土器が集 中 して出土 した。土器 の特徴 か ら縄 文時代 晩期 の前池式 と沢 田式 の間 に 位置す る土器群 と して報告 してい る。

試料

21(図 11‑a):試

料 は、第

3次

調査 地点 にお いて河道斜面下端 に構築 された貯蔵穴SP lの最 下層

(4層

) に貯蔵 された状態で堆積 した堅果類 (カシ類

)で

あ る。河道斜面 には、前述 の試料20。 22を 含 む土器群が貯蔵穴 直上 を覆 つてお り、 同貯蔵穴 内か ら出土 した突帯文土器 とともに、 その埋没時期 を窺 わせ る。

試料

23(図 12):試

料 は、第23次 調査 の河 道

2か

ら出土 した突帯文土器 (図

12i土

1)の

外 面 に付 着 した炭化 物 で あ る。 同河道 か らは突帝文土器が ま とまって出土 し、弥生土器 を伴 わない。

試料

24(図 12):試

料 は、第23次 調査 の河道

3か

ら出土 した弥生時代前期 の甕 (図

12:土

2)の

外 面 に付 着 し た炭化物 である。前述 した ように同河道 は試料18・ 19にあたる堰が設置 された河道であ る。土器 は

3条

の沈線 な

どか ら前期 中葉 〜後葉 に属す る と判断 される。

c.考

古 学 的 成 果 と分 析 結 果 との 関 係

ここまで、試料1〜25に ついて考古学的資料 か らその内容 を説明 した。次 に、発掘調査 か ら年代 を推 し量 った 試料 に関 して、放射性 炭素測定値 (表 2・ 図

13)と

の関係 を整理 してお こう。

まず、縄文時代後期 の土器が直接 的あるいは間接 的 に共伴 す る試料

4〜

9・ 11〜 15に つ いて確認 しよう。試料 4・

5で

は中津式 、試料

6〜 8で

は福 田

KⅡ

式 〜縁帯文土器成立段 階、試料9。 15では縁帯文土器成立段 階、試 料11〜14では中津式 〜福 田KⅡ式 が主体 をなす。 それ に対 して分析 か ら得 られる数値 は、試料 4・

5で

は交点

B C2450(lσ

:B C 2480〜 2310、 2σ :B C 2570〜

2210)と

交点

B C 2450(lσ

:B C 2470〜2300、 2σ

:BC

2570〜2520・ 2500〜

2210)で

あ り、交 点 あ るい は 2σ で ほ とん ど一致 す る。一 方、試 料

6〜 8で

も、そ の数値 は、例 えば試料

6(lσ

:B C 2460〜2300、 2σ :B C 2470〜

2220)を

みて もわかるように、試料4・

5の

数値 とかな りの部分で重複す る。交点で は、試料

6,7・ 8は

B C 2400。 2380・ 2360、 B C 2300、 B C 2300を それぞ れ示 し、試料 4・ 5よ りは若干新 しい値 となるが 、数値域 の多 くが重複 す る点 は見過 ごせ ないであ ろ う。

さ らに、考古学的見地 とは明 らか に一致 しない場合が指摘 される。試料 6・

7に

関 して分析 数値 を比較 してみ よう。両試料 は同一土坑 の上層 (試料

6)と

下層 (試料

7)に

あた る。当然 、試料

6は

試料7よ りは新 しい数値 が予想 され るが、分析数値 は 2σ で は重複 しつつ交点で は下層 にあたる試料

7の

値 の方 が新 しい。 そ の差 は100 年 〜60年 の幅 を見せ てお り、堆積順序 とは逆転す る こ ととなる。 その他 に、試料 9と 試料 15に も、サ ンプル位置 が ご く近い試料 間 に もかかわ らず、大 きな数値 の差が認 め られる。両試料 は同一の土壊サ ンプルか ら抽 出 した試 料 で あ り、共伴土器 は縁帯文土器成立段 階の土器 で ある。 それ に もかか わ らず、例 えば試料

9の

2σ で は全体 で B C 2300〜2040、 試料 15で はB C 1305〜 1000年 を示 し、1000年 前後 とい う大 きな差 が生 じてい る。確 か に、試料

9だ

け を取 り上 げる と、交点あるいは 2σ の値 は試料

6〜

8よ りもやや新 しい傾向 を示す点か ら、両試料 間に認 め られる土器型式 の関係 と相容 れないわけで はない。 しか し、 2σ が示す数値域 の一部で、異 なる土器型式 を伴 う試料

6,7と

重複す る点 はやは り注意 してお く必要があろ う し、 また、試料15の 数値 を否定す る根拠 も求め ら れ ない ことは言 うまで もない。

試料11〜14に ついて は どうであ ろ うか。 同試料 は縄 文時代後期 の河道 内 に打 ち込 まれた杭 で、使 用段 階 に強 い 関連性 を有す る構成材 と評価 され る。 そ して、 同河道 内出土 の土器 は中津式 〜福 田

KⅡ

式 が大半 で あ る。それ に

(13)

第1章

 

津島岡大遺跡の調査

 

研究

(試料番号〉

3300   3100   2900   2700   2500   2300   2100   1900   1700   1500   1300   1100    900    700    500    300 (BC年)

13 

津 島 岡 大 遺 跡 に お け る暦 年 較 正 年 代

対 して、各杭 の分析 か ら得 られた数値 は、交点でB C 1970・ 1900。 1760・ 1490、 2σ 全体で はB C 2130〜1890、

B C 2120〜 1720、 B C 1900〜 1690、 B C 1630〜 1380と い うバ ラツキを示す上、出土土器 の編年観 とは大 きな開 き を見せ る。 これは、中津式 にあたる試料4、 同

5の

数値 (交点 :B C 2450、

2450)あ

るい は福 田

KH式

〜縁帯文 土器成立段 階の試料6〜

8(交

点:B2400・ 2380・ 2360、 2300、

2300)と

の比較で も明 らかである。

次 に、突帯文土器 あるいは弥生土器 を共伴す る試料18。 19・ 20〜 24を 検討 しよう。

まず、試料18。 19は 、前述の試料11〜14と同様 に、河道 内 に設 け られた堰 を構成す る部材であ り、各部材 間の 利用 時期 に大 きな差 は認めが たい。分析 で得 られた数値 は、試料18と19は 交点でB C810と B C 790、

 lσ

の範 囲 でB C820〜790とB C810〜780と 、非常 に近 い数値 を示 すが、 2σ (試料18:B C 880〜 780、 試 料

19:B C 830

〜750、 700〜

540)で

は試料18に 古 い数値域 そ して試料 19に 新 しい数値域が現 れ る。試料 19の この数値 を他 の試 料 と比較す る と、試料20〜 23に 近似 し、試料24と もか な り重複す る。

ここで、試料20〜 24の 状況 を確認 してみ よう。試料20・ 22・ 23は 突帝文土器、試料21は 突帯文土器 を共伴 す る 堅果類、試料24は 弥生時代前期 中葉 〜後葉 の土器か らの炭化物 である。試料20〜 22の 分析数値 は交点 ・ lσ ・ 2

σ数値 に関 して非常 に近似 した値 を示す。 こう した関係 は、試料21を 伴 う貯蔵穴の直上 に試料20・ 22を 含 む堆積 層 が覆 う状 況 や出土土器 の特徴 が共通す る とい う発掘調査成果 と矛盾 しない。一方、 2σ の値 を比較す る と、試 料20〜 24の 上 限 はすべ て

B C810〜

790の 中 に収 ま り、下限で は試料20〜 23でB C 550・ 540あ るい は520、 試 料24 でB C410と なる。つ ま り、 これ らの試料 に対応 す る突帯文土器 と弥生前期 中葉 〜後葉 の土器 に関 しては、測定 値 幅の多 くの部分で重複す ることとな り、土器の編年観 とは必ず しも一致 しない。

再 び、試料18・ 19に立 ち返 る と、発掘調査 か らは弥生時代前期 中葉 あるいは中葉 〜後葉 の上器が 同試料 に伴 う 可能性が高いのに対 して、 2σ の数値 は、試料

24(弥

生時代前期 中棄 〜後葉の土器

)と

重複 しつつ、試料20〜 22

(突帯文土器

)に

よ り近 い値 を示す結果 となっている。 この ように、試料18・ 19に つ いて も、分析数値 と共伴土 器 の年代 観 に関 して試料20〜24と 同様 の問題が指摘 される。

最後 に、縄 文 時代 と した試 料 の 中で、共伴 土器 が認 め られず時期 が不 明 な遺構 の試料1〜 3・ 10②につ い て

○ :交 点、 :lσの数値、

:2σの数値

:HC年

<…………→ :同一遺構の試料

( ):共

伴土器型式 ,時 期

 

:周辺か ら出上 し関連性が高い土器型式

 

時期

(14)

第2節

 

構内遺跡の研究

は、縄文後期 の可能性が報告 されている。それ に対 して、分析数値 は試料1・

2が

縄文 時代 中期 に、試料 3・ 10 は同後期 にあたる値 を示す と考 え られ るが、 これ らの分析 数値 に関 しては、

HC年

代 に とどまってお り、そ の評 価 については参考資料 と してお きたい。

d.成

果 と問題 点

各試料 に関 して考古学的な評価 と放射性炭素測定法 によって得 られた数値 との関係 を確認すると、両者が一致 した方向を示す場合 と明 らかに矛盾 を生 じている場合 とが存在することがわかる。

縄文時代後期の土器編年 については、後期初頭 に位置づけられ中津式 と併行関係 にある称名寺式の年代力認470 c』

BCこ

ろ (2500〜

2450calBC)と

されている

0点

と比較する と、中津式土器 を共伴す る試料4・

5の

数値 (交 点

calBc2450)あ

るいは、それに続 く試料

6〜 8な

どとの関係は、比較的良好 な対応関係 を保つ と評価で きるか もしれない。 しか し、実際の年代 は数値域の幅の中の一時期 にあたることを考慮すると、これ らが必ず しも同時 性あるいは時期的な差 を現 しているとは言い難い点は注意 しなければならない。 また、同一土坑内での上下層で の数値の逆転 (試料6・ 7)、 同一サ ンプル内での数値 の違い (試9。 15)、 あるいは河道 内の杭 (試料11〜

14、 試料18・

19)に

認め られるような共伴土器 との飢齢、突帯文土器 と弥生土器の重複 (試料20〜

24)の

よう に、考古学的評価 とは異 なる数値が同時 に存在することも事実である。イレギュラー と感 じられる数値 に対 し て、様 々な解釈 を行 うことは可能であろう。 しか し、データを取捨選択する明確 な根拠 を考古学的な解釈か ら認 めることは困難な場合が多い。炭素14年代測定法 に対 して全 く否定するものではないが、実際の遺跡・遺構 を評 価する場合、分析で得 られた数値 をどのように解釈するか という点で、慎重であるべ きだと考える。

先後関係 に関 して比較的矛盾 を見せない縄文時代後期 においても、接近する型式間レベルの問題では、かな り の重複関係 を示す これ らの試料 を見 る限 り、数量的な裏付 けな しに論 じることは危険であることも明 らかであ る。考古学的な十分 な検証 を踏まえた上で、データの蓄積 を進めることが必要であることは言 うまで もないだろ う。今後、考古学的検証 を十分 に踏 まえた試料 を蓄積することによつて、こうした分析データを実態 に沿ったも のへ とつなげてい くことが重要であ り、そうした作業のなかで、暦年代の問題 も考えてい くこととしたい。

(山本悦 世)

なお、試料

12・ 14・ 16の

年代測定には、平成

12年

度〜平成

13年

度科学研究費補助金

(研

究代表

:山

本悦世  

盤研究にヽ

2》

〈課題番号

12610414〉

および平成

14年

度〜平成

15年

度科学研究費補助金

(研

究代表

:山

本悦世   基 盤研究

(Cヽ2》

く課題番号

14510427〉

の成果の一部を含む。

(1)石

材同定あるいは動物遺体の同定あるいは樹種同定の一部が肉眼同定で行われている。

(2)第

7次8次調査の分析データは1995年の分析である。

(3)小

林謙‑2004『縄紋社会研究の新視点―炭素14年代測定の利用―』六一書房 106頁 参考文献

中村俊夫2003「波射性炭素年代測定法 と暦年代較正」F環境考古学マニュアル』同成社 春成秀爾2004「近畿

 

中国の実年代JF弥生時代の実年代』同成社

小林謙‑2004『縄紋社会研究の新視点―戊素14年代測定の利用―』六一書房 挿図出典

図 6〜12:津島岡大遺跡の各調査地点の発掘調査報告か らの引用、一部加筆 第23次調査以外の発掘調査報告 は59頁付表5に掲載

津島岡大遺跡第23次調査 :野 崎貴博 ほか2006F津島岡大遺跡17』 岡山大学構内遺跡発掘調査報告第22冊

 

岡山大学埋蔵文 化財調査研究セ ンター

図 15  第 16次 調査地点土層柱状 図 (縮 尺 1/30)

参照

関連したドキュメント

毘山遺跡は、浙江省北部、太湖南岸の湖州市に所 在する新石器時代の遺跡である(第 3 図)。2004 年 から 2005

Figure  第Ⅰ調査区 SK9 土坑出土遺物  第Ⅰ調査区 SX3075 土坑は、 覆土に黒色の炭化物を大 量に含んだ不整形な土坑で、

中里遺跡出土縄文土器 有形文化財 考古資料 平成13年4月10日 熊野神社の白酒祭(オビシャ行事) 無形民俗文化財 風俗慣習 平成14年4月9日

甲州市教育委員会 ケカチ遺跡和歌刻書土器の全体写真

このような環境要素は一っの土地の構成要素になるが︑同時に他の上地をも流動し︑又は他の上地にあるそれらと

ぎり︑第三文の効力について疑問を唱えるものは見当たらないのは︑実質的には右のような理由によるものと思われ

遮へい 容器および建屋 コンクリート、土、容器 なし なし 飛散. 防止 容器 テント、土、容器

縄 文時 代の 遺跡と して 真脇 遺跡 や御 経塚遺 跡、 弥生 時代 の遺 跡とし て加 茂遺