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19世紀末合衆国借地諸関係の発達 : その歴史的意 義に関する覚書

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(1)

19世紀末合衆国借地諸関係の発達 : その歴史的意 義に関する覚書

その他のタイトル Remarkable Growth of Tenancy in America, 1880‑. II

著者 東井 正美

雑誌名 關西大學經済論集

巻 6

号 6

ページ 508‑534

発行年 1956‑10‑01

URL http://hdl.handle.net/10112/15687

(2)

:108 

れ︑公表されたのである︒そしてこの小作統計は︑ 象が現れたのである︒ つかみつつあった︒これは︑

十九世紀末合衆国借地諸関係の発達

I

アメリカ農業における資本主義発達の画期は︑南北戦争である︒南北戦争を画期として︑資本は︑急速に農業を

本主義的農業発展の型は︑ 一般経済史家たちによって︑通常﹁農業革命・﹂と呼ばれている︒そしてまた︑この資

アメリカ型の道としてひろく知られている︒

このようなアメリカ農業における資本主義の急速な発達のなかで︑アメリカ借地農の顕現および発達の明白な現

アメリカ合衆国においては︑この国の土地所有および土地諸関係に関する最初のセンサスは︑

0年合衆国総農場数︵農場数と農業経営者数とは一致︶のう

ち借地農場数の占める百分比が二五・六彩であることを︑明らかにした︒この年以来︑

サスは︑借地農の増加傾向を示したのである︒表示してみれば︑第一表のごとし︒

0年になさ

‑0

年目毎になされたセン

(3)

509 

つかみつつあった︒アメリカのセンサス資料によれば︑ えんは︑ここにある︒

第 一 表 19世 紀 末 借 地 提 ( ク ロ ッ パ ー を 含 む )

増 加 の す う 勢 : 合 衆 国

地 帯 別

年別 18801890  1900 1910 / 1920 

Iア メ リ カ 合 衆 国 25. 6 28. 4  35. 3  37. 0 38. 1 

1 北 . 部 19.2  22. 1 126. 2  28. 2 28. 0 

南 部 36.2 38.5  47.0  49.6  49.6 

1 西 部 14.0 12.1  16.6  14.0  17. 7 

このように︑合衆国借地諸関係は︑南北戦争以降アメリカ資本主義的農業の発展

途上において︑明白に顕現し発達したのである︒しからば︑かかる借地諸関係の顕

現および発達の明白なる現象は︑歴史的段階との関連において︑

つのであろうか︒これが本論文の課題である︒そしてこれは︑

る資本主義発達の研究の一環としてとりあげられたことは︑ いかなる意義をもアメリカ農業におけ

いうまでもない︒

本稿の意図は︑アメリカ型の資本の農業把握︵または資本の土地所有形態の改造︶のな

かで︑換言すればアメリカ型農業における資本主義発展の特殊性のなかで︑十九世

紀末合衆国借地諸関係の明白なる顕現および発達の歴史的意義を検討しようとなす

ことにある︒そして本稿は︑拙稿﹁一九世紀末合衆国借地諸関係発達の歴史的意義

︵関西大学論集︑第六巻第四号︶の続稿をなす︒なお本稿では︑主題の歴史

的意義についての予備的研究であって︑将来の礎石としたい︒あえて覚書としたゆ

アメリカ農業における資本主義発達の画期は︑南北戦争である︒南北戦争を画期として︑資本は︑急速に農業を

﹁南北戦後の十力年間に︑農家戸数は一八七0年の二六六

万から一八八0年の四

00

万九千に増加し︑その耕地面積は四億七七0万エーカーから五億三六一0万エーカーぇ

(4)

510 

十九世紀末合衆国借地諸関係の発達︵東井︶

と︑約一億三千万エーカ

r

ーカーとなった︒

年から一九0

00

年の期間に︑農家総数は︑二倍以上増加して︑

0

0年の五七三万七千戸となり︑その耕地面積は︑四億三千万エーカー増加して︑

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Wa sh in gt on   19 33 , 

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50 7 50 8,  5 17

5 18 .)  

最も重要な食糧作物︵小麦︑裸麦︑トーモロコッ︑燕麦︑大麦︶の作付面積は︑

ら一八八0年の一億二0七六万三千エーカーえ︑

( 1 )  

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19 37 , 

P . 

9 ,  31 ,  51 ,  61

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このように南北戦争を画期として急速に発達した資本が︑発展当初歴史のうちに見いだした土地所有形態は︑他

すなわち十五年間に二倍以上に︑増加した

( AAg ri cu lt ur al S  ta

  , 

の先進諸国が見だした土地諸関係の古い形態ー封建的地主的土地所有︑

有︑等々ーではなかった︒

リヤシチェンコが︑彼の著﹁マルクス主義農業経済学﹂においていつているごとくに︑

ける土地諸関係および農業組織は︑この国の全歴史を通じ︑その植民および植民地的発展の一般的諸条件との連関

において形成された︒ヨーロッパはこの地に多数の種々雑多の国民の代表者を投げだし︑彼等が故郷でもつていた

種々の農業生活︑種々の農業組織をここに移した︒だから最初は︑ ﹁北アメリカ合衆国にお

合衆国の土地諸関係は或る部分はイギリス的

な︵特権的大土地所有︑資本主義的借地農業者の借地︑限嗣相続

( (e n t ai l s ))

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関する法律その他︶或る部分はフランス的な︑

極めて多種多様の制度の混合物であった︒それにも拘わらず︑新らしい経済環境と新らしい経済的諸条件の下にお

AHれらの古いョーロッパの土地諸関係は急速に廃れて︑全然新たな発達を遂げるに至った︒農業組織のこの新

たな傾向を決定した諸特性は︑自由な肥沃な広大な土地を有し︑新らしい人口︑新らしく安い労仇力のみならず︑ 農民的共同体的土地所有︑氏族的土地所 一八六六年の五五六一万三千エーカーか

00

年の八億三八六0

(5)

!JII 

新らしい生産手段および資本が不断に急速に流入する︑

一 五

この国の発達の一般的植民地的性質と︑これらの諸条件の

現代農業組織の発端および土地諸関係の新らしい時代は︑本質的には︑植民地としての各州の︑以前の本国である

イギリスからの︑分離の時代に始まつている︒独立の経済的発達のために成熟し︑急速に全資本主義的経済を取り

入れた合衆国は︑その土地諸関係を改造しはじめ︑これらの諸関係をばその経済的発達の急速なテンポに順応せし

めた︒土地の世襲および限嗣相続の形態で残っていたイギリス的な﹃貴族的﹄土地制度の残存物は︑既に十八世紀

の終りに大多数の州において廃棄されていた︒独立国家および統一的連邦の形成以後は︑この新たな政治的統一は

新たな土地所有諸条件のうちに自己の経済的土台を見出した︒この土地所有は︑新らしい土地とその占有の上で行

われる急速な経営上の拡張とに立脚するところの︑急速にして﹃自由な﹄経済的発達の新たな諸要求に適合した一

( 2 )  

様な組織を与えられた﹂︒

アメリカ農業資本がその成立期に見だした土地所有形態は︑

アメリカにおける典型的な農民は︑自作農民であった︒

この自作農民は︑レーニンがアメリカ資本主義的農業発達の基礎として評価したところの︑

る—ー一方では、あらゆる中世的な束縛から、農奴制度と封建制度から自由な、他方では、私的土地所有の束縛か

( 3 )  

いた画期

11

南北戦争以前には︑ ﹁自由な土地におけ

に︑まさに転化しようとしていた農民であった︒けだし︑アメリカ農業資本がもっとも急速にして自由な道を切開

アメリカ農民は︑古くから植民された地方および南部の棉︑タバコ地域においての

ら自由な︑ーーそういう自由な土地における︑ 一般的にいえば︑自作農民的土地所有制であった︒ 下で作り上げられた文化および企業的精神の高い水準とである︒

(6)

512 

諸国民のもとでは︑封建制的土地所有の解消から生ずる諸形態・の一っとして見出す︑﹂自営農民の自由な分割地所有

というこの形態︑例えば﹁イギリスのヨーマンリ'[自営農民層︺︑スウェーデンの農民身分︑フランスや西ドイツ

( 4 )  

の農民﹂とは︑別の条件のもとで発展したのである︒この独自性は︑辺境

11

自由にして豊富な公有地の存在という'

要因によってつくりだされたものである︒そしてこの独自性によってうらづけられることは︑

農民たる自作農民は、自由な土地における—|.一方では、あらゆる中世的な束縛から、農奴制度と封建制度から自

由な︑地方では︑私的土地所有の束縛から自由な︑ーーそういう自由な土地における︑自由な農民であったので

ある︒このような合衆国の典型的な農民の独自性については︑ アメリカの典型的な

日高明三氏が彼の著﹁ジャクソニアン・デモクラシ

﹁フランス自営幾民があたえられた主権を放棄して一人の主権者を作ったとき︑われわれの自営農民は当時の世界に比類の ないデモクラツーを作っている︒この絶大な差異を生ましめた要因は何か?重ねて言おう︑それは辺境である︒

刻々に西漸し︑拡大する辺境の存在のゆえに︑西部農民は狭小な地域に堆積される恐れがなかった︒

﹁かれらの農地はかれらの孤立をまねかないで自由と平等と独立とをもたらし︑かれらの解放と致富との地盤になる︒かれ らは東部の資本にたいして負債者の地位にあるが︑資本はかれらを最後まで吸血することはできない︒辺境はかれらに無限の 逃避所をひらきあたらしい自由を保証する︒再生する辺境は再生する不蠣独立を伴い︑辺境の物質的生活はピューリタンの精 神的傾向をつよめ︑かくて西部農民の社会には強烈なデモクラシーが支配する︑分割地農民は時とともに零細化する地片にし

がみつき︑帝国復古の夢魔にとりつかれた孤立の﹃保守派﹄であり︑自由と独立とを戦いとらんとして都会の労佑者と協力しよ ー﹂において明らかにする︒長いが引用しておこう︒ この独立農民は︑範疇的にいえば割地農民ではあるが︑マルクスがわざわざことわっているごとくに︑ 局地的商業的農業の発達を除いては︑一般的にいえば自給自足的穀をまとつていたのである︒ 十九世紀末合衆国借地諸関係の発達︵東井︶

(7)

r ,  

一ューイングランドに小作農が

うとは夢想だにしないが︑西部農民は辺境的社会の物質的精神的共通性のもとに一体化し︑さらにすすんで東部の被抑圧階級

( 5 )  

と協力しこれを指導する﹃進歩派﹄としてあらわれる﹂︒

このような自由に土地におけるー一方では︑あらゆる中世的な束縛から︑農奴制度と封建制度から自由な︑他

方では、私的土地所有の束縛から自由な、'~そういう自由な土地における、自由な農業企業家たる自作農民が、

(6)アメリカ農業における資本主義がその成立当初にでくわした典型的な農民であったのである︒

しかしながら︑借地農が全然いなかったかといえば︑

﹁ニューイングラソドの田紳は︑紳士的な態度で︑歎待的で︑気持のいい作法で︑彼等のエステイトに徒食して暮すことが できる︒というわけは︑生活必需品の豊富さは︑家計をいちじるしく楽くにしており︑彼等が所領地のうち貸与した部分によ つてえられる地代の小額なることを埋合せてくれるからである︒この専情は︑すべての者が未占有地に自ら農業者として植民 することの容易さによる︒これは︑小作農を少くする︒というわけは︹農場に家畜を入れるに十分なお金をもつ人たちは︑他の 農場の小作人である場合よりもより有望であるとこるの︑一連の荒撫地を開拓するに十分である︒かかる事情は︑その土地で

小作人になることを妨げると︑

人は想像するであるうが︑ そうではない︒

これは事実ではない︒

低い地代および偶然的な出来事は︑時には 植民することよりもむしろ暮すことに彼等をいざなうであろう︒︺しかし概して︑ニューイングランドでは小作農は一般的では

( 7 )  

ない︒オーヴァンアーズの経営下にあるエステイトの方が︑小作農に貸与しているエステイトよりもずつと多いのである︒

ヘンリー•C・テイラー(Hery

C.

 Taylor)

( 8 )  

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のなかに引用されている︒この一文によれば︑古くから︑ 一アメリカ人﹁アメリカの農業﹂

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I7 75

︶中の一文である︒そして.

( Ou t l in e s   o

f 

いたことは︑あきらかである︒そしてこの小作農の発生の根拠は︑地代の低廉さおよび偶然の出来ごとによるもの

十九世紀末合衆国借地諸関係の発達︵東井︶

(8)

.514 

が存在していたことは︑たしかである︒

である︒かかる発生の根拠をもつ借地農が︑古い植民地時代において︑広大な未占有地の存在にもかかわらず︑

前におけるアメリカ小作農について︑ たしかに︑南北戦争以前に借地農は︑数的比重はあきらかではないが存在していた︒テイラーは︑

その時代の文献をせん索してこれらの実証的研究をなしている︒この実証的

研究によれば︑十八世紀には︑

小作農の存在したことは明白である︒

があきらかであるが︑

紀のいつの時代にも︑ ニューイングランドやペンシルヴェニアに︑イギリス型の田紳およびイギリス型の

﹁﹃田紳﹄がいたことは小作農がいたことよりもよりはつきりとしていること

アメリカにはアメリカの生誕以来小作農がいた﹂のである︒

アメリカ合衆国の若千の地方に小作農が見だされないというこは︑決してなかった﹂︒合衆

( 9 )  

国において小作農が存在していセことの︑他のいくつかの例がある︒

このように︑テイラーの実証的研究によって︑早くも十八世紀半頃には︑小作農の存在が明白に確認されうる︒

もっとも早く植民された地方︑ニューイングランド︑メイーン︑

ニュジアシーなどにかぎられていた︒もっとも︑十九世紀半頃には︑

農が存在していた︒そおじて︑

ていたようである︒ともあれ︑ しかしこれらの小作農は︑

アメリカにおける小作農は︑南北戦争以前では︑古く植民化された地方にかぎられ

アメリカでは︑南北戦争以前にも︑数的比重はあきらかではないとはいえ︑小作農

アメリカの植民時代における小作農についは︑N

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・グラースも書いている︒ グリーンリーフ

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がメイーンの調査において︑

イリノイスなどにも小作

デラ

分益農の色々の形態について書いており︑﹁+九世

0

たからといつて不思議ではない︒ 十九世紀末合衆国借地諸関係の発達︵東井︶

一 八

モオゼス

0年以

(9)

十九世紀末合衆国借地諸関係の発達︵東井︶ ﹁植民地時代においてさえも︑或る程度の地主的所有制が徐々に形成されていた︒たとえばニューイングランドにおいては︑

( Ph i l ad e l ph i a )

の周辺には借地農業者がいたと記録されてもいるから︑

地主の中にはその所有地の一部を自分で耕作し︑残りの土地を賃貸契約のもとに小作に出している者もあった︒フィラデルフ

当然地主がいたわけである︒

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or

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のようなアメリカ連邦

( Fe d e ra t i on )

の父と云われる人々︑またさように公的には知名で

ない︑その他の多くの富裕な人々が︑投機のためにどれだけ西方の土地を買い上げたか︑また耕作者にどれだけ小作に出した

かと云うことは︑今日正確に知ることはできない︒しかし︑徐々に︑少なくとも十九世紀の初期には借地農業者に小作させるこ

とを目的とする大農場が生れ︑そして云うまでもなくそれ以来今日に引きつづいているのである︒ニューヨーク州のジェネセ

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)

河流域にあるウァズウプース大農場︵

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は︑中世部にあるスカリィ大農場

(S

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y e s t a t e )  

︱つの有名な事例である︒前者は既に社会的に有名であった一家族によって所有されたが︑後者はそれによってひ

( 1 0 )  

き起された社会的反対のために有名になったのである︒﹂と︒

かくして︑南北戦争以前に︑

ではない︒しかしアメリカにおける地主制は︑広大な未占有地の存在によって︑さ低ど成長したとは思われない︒

そしてまた︑

アメリカには借地農が存在していた︒そしてこの借地農の数的比重は︑

つまびらか

これらの借地農の存在は︑もっとも早く植民された地方︵例えば十八世紀半頃からの︑︶ニューイング

メリーランド︑デラウェア︑

地方の︑範囲外にでるものではなかった︒

ニュジアシー︑︵十九世紀半頃には︶アイオワ︑イリノイスなどの

アメリカ資本主義的農業生産が発展当初見だした土地所有形態は︑例外的には︑地主制︑

かつ典型的には︑自作農民的土地所有制であった︒もっとも︑

奴隷制プランテイション制があった︒

これらの土地所有形態とは別に︑ 一般的にして

アメリカ南部には

(10)

516 

けたのであり︑この進化のこのような道は︑

﹁南北戦争﹂後急速に広汎に発達したのである︒

アメリカでは︑

に行われた︒

アメリカにおける土地の均等割替を説いたとき︑

資本が土地所有形態を自己に適応さす改造は︑

暴力は農奴主的地主にむかつてもちいられた︒彼らの土地は分割され︑

土地所有は封建

的大土地所有からプルジョア的小土地所有に転化しはじめた︒

いして︑新しい生産様式のための︵すなわち資本主義のための︶新しい土地制度をつくりだすというこの役割をはた アメリカの大量の﹃自由な﹄土地にた

したものは︑﹃アメリカの黒い割替﹄︑四0年代の地代撤廃期成運動

( An t i ‑R e

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0

おそくとも五年後には︑その土地は占有者の所有となった︒﹄︺などであった︒

産主義者ヘルマン・クリーゲが一八四六年に︑

えせ社会主義のエス・エル的編見と俗物理論とをあざわらったが︑

資本主義の利益を進歩的に表現する運動として︑

アメリカにおけるこの﹁改造﹂この﹁役割﹂は︑

﹁生産力のもっとも急速な発展︑

ドイツの共

マルクスはその

しかし彼は︑アメリカにおける生産力発展の︑︑︑︑︑︑アメリカの土地所有反対運動の歴史的意義を評価した﹂

(11) (レーニン「一九0五—一九0七年のロツア革命における社会民主党の農業網領」、以下『農業網領』と略す)。

﹁農業へ自由に資本をもちいるのを妨げ︑資本が︱つの部門か

ら他の生産部門へと自由に移動するのを妨げるいつさいの障壁﹂の除去に役立ち︑アメリカ農業における資本主

︑︑︑︑︑︑︑そしてこの発展の型をレーニンはアメリカ型の道と名づ

住民大衆にとつてもっとも良い労

( 1 2 )  

自由な農民が農業家に転化するもとでのもっとも急速な資本主義の発展を意味するであろう︒﹂この基礎 ﹁南部諸州の奴隷所有者経営にたいして暴力的

(11)

517 

先ず第一点︑南北戦争を画期として急速に発達したアメリカ資本主義的農業の基礎となったのは︑自由な土地に

おけるーー'一方では︑あらゆる中世的な束縛から︑農奴制度と封建制度から自由な︑他方では︑私的土地所有の束縛から自由な、ー'—そういう自由な土地における、自由な農業企業家の自由な経営であった。そしてこのような自

由な農業企業家は︑

ある︒だから︑ アメリカの典型的な農民

11

自作農民であったのである︒

アメリカには︑南北戦争以前にも限られた範囲内で借地農がいたのである︒このような借地農の存立の

基礎は別として︑この存在の意義は︑本稿での主題の歴史的意義と切離さなければならない︑けだし︑これらの借

地農は︑広大な未占有地で独立農民が絶えず発生しつつあるときに︑かつ自給自足的なアメリカ農業のうちに現れ

たのであり︑主題の十九世紀末借地諸関係の明白なる現象は︑アメリカ資本主義的農業の急速な発達のなかに現れ

たからである︒いいかえれば︑一っは資本と関係のない借地農であり︑他は資本と関連のある借地農であるからで

この点において︑両者は切離すべきであって︑南北戦争以前の借地農は︑ここで切捨てておく︒

(1)エル・イー・リュポシッツ、農業恐慌理論の諸問題、八六—七頁。

(2 )

た次の二点を前提とし︑その二点から出発する︒ となったのは︑﹁自由な土地における︑

自由な農業企業家の自由な経営であった︒

アメリカでは︑土地はその広大

な予備から名目だけの価格で分配された︒そして︑いまや︑そこでは︑新しい︑まった<資本主義的な基礎のうえ

( 1 3 )  

にはじめて土地私有が発達した﹂︵﹁+九世紀末ロツアにおける農業問題﹂︶︒

このようなアメリカ農業における資本主義の急速な発達のなかで︑明日に顕現し発達した十九世紀末合衆

国借地諸関係の歴史的意義をどのように評価したらよいのであろうか︒この課題の解明は︑以上の叔述からえられ

(12)

518 

十九世紀末合衆国借地諸関係の発達︵東井︶

( 3 )

>ーニン︑﹁十九世紀末ロツアにおける農業問題﹂マルクー^

11

書店刊'︱二三頁︒

(4

) 長谷部文雄訳マルクー︿資本論︑第三部︑青木書店︑一一三六頁︒.

(5 )

日高明三著︑﹁ジャクソニァン・デモクラツー︑ーー独立自営農民の政治像ー﹂︑一七ニー三頁︒

( 6 )

ーニン﹁一九>0五ー一九〇七年のロツア革命における社会民主党の農業網領﹂︵以下﹁農業綱領﹂と略す︶︑>ーニソ

全集︑第十三巻︑ニー三頁︒

(7 ) 

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(10)N.s.B・グラース著、三橋時雄•本岡武訳、アメリカ農業史、三0ー三一頁。

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. 

(1 1)

(1

2)

( 1 3 )

レーニン全集︑第十五巻︑大月

借地諸関係は︑明白に顕現し(‑八八

0年︶︑発達した(‑八八0年以降︶のである︒しからば︑

白なる顕現および発達は︑これの歴史的段階との関連において︑

この借地諸関係の明 いかなる意義をもつのであろうか︒

9

よび発達についての︑具体的な数的内容を︑地帯別に︑確認し

(13)

519 

西

0年 ︶ ︑

ニューヨーク

西

アイオワ

第二表 世帯別借地農場比率の変動

1880‑1920: 合衆国

!1sso!1sgoJ1goolig10J1920 

国…125.628.4 35. 337.0 38.l 

ニューイングランド地方… 8.5  9.3  9.4  8.0  7.4 

中 部 大 西 洋 岸 地 方 ・ ・ ・19.2 22.1 25.3 22.3 20.7 

東 北 中 央 部 地 方 ・ ・ ・20.5 22.8 26.3 27.0 28.1 

西 北 中 央 部 地 方 …20.5 24.o 29.6 30.9 24.2 

南 部 大 西 洋 岸 地 方 ・ ・ ・36.1 38.5 44.2 45.9 46.8 

東 南 中 央 部 地 方 ・ ・ ・36.8 38.3 48.1 50. 7 49. 7 

. 西 南 中 央 部 地 方 …35.2 38.6 49.1 52.8 52.9 

方… 7.4  7.1 12.2 10.7 15.4 

大 平 洋 岸 地 方 ・ ・ ・16.8 14.7 19.7 17.2 20.1 

た ︒

西

カンサス

一貫して増加している︒これら北中央諸州における借 これに次いで︑東北中央部地方が︑これら

二九•六96(五・六彩増)、

00

南部地方であった︒次いでもっとも顕著であったのは︑西北中央 ておこう︒合衆国地帯別借地農比率の変動(‑八八

0

0年︶を表示すれば︑第二表のごとくである︒

第二表によれば︑借地農の増加のもっとも顕著であったのは︑

部地方であった。この地方では一八八0年には、二0•五%、

八九0

れら諸州における総不動産抵当負債は︑五五三︑九六四︑ ニ四.o~~c前年に比ぺて、三・五%増)、

0

地諸関係の発達は︑

イリノオイス

0年には︑三0

三四・ニ形(三•-l-%増)であっ

顕著であった︒

両地方の借地農は︑普及率において南部地方を除いた諸地方をり

次の事情を考慮すると︑

より明白となるで

合衆国の不動産抵当負債の最高を示したのは︑

ペンシルヴェニア︵中部大西洋岸地方︶の六州であったのであり︑こ

五九四ドル︑換言すれば合衆国総不動産抵当負債のうち

五一%を占めていた︒このように︑東北︑西北中央部地方における不動産抵当負債の高率であることは︑地代集積

の明白な過程の現れでもあり︑土地所有農業企業者の土地所有および企業家なる二人の個人への分離過程が促進さ

(14)

520 

者経営にたいして暴力的に行われた︒他方で︑

﹁アメリカの黒い割 アメリカ大量の自由な土地にたいして︑新しい生産様式のための れつつあることの現れである︒だから︑かかる不動産抵当負債の高額なることは︑土地所有の個人の経営からの分

離において借地と同一方向への運動速度を強めていることに低かならない︒しかして︑東北・西北中央部地方にお

ける借地諸関係の顕著な発達は︑借地農場比率表︵第二表︶に表れたより以上に顕著なものであることが︑明白で

あるであろう︒

すでにみたごとく︑アメリカ資本主義的農業生産が発展当初見だした土地所有形態は︑例外的には地主制︑

的にかつ典型的には︑自作農民的土地所有制であった︒他に︑これとは別に︑南部には︑奴隷制プランテイション

発展当初の資本主義的生産様式が歴史のうちに見いだす土地所有の形態は︑資本主義に適応しないか

ら︑資本主義は.土地諸関係の古い形態ー│'封建的地主的土地所有︑農民的共同体的土地所有︑氏族的土地所有︑等

々│から自分に適応した形態をみずからっくりだすのである︒アメリカでは︑この改造は︑南部諸州の奴隷所有

︵すなわち資本主義のための︶新しい土地制度をつくりだすというこの役割をはたしたものは︑

替﹂︑四0年代の地代撤廃期成運動︑ホームステッド法などであった︒就中︑南北戦争による奴隷所有者大農場の

粉砕およびホームステッド法は︐他の先進諸国に存在しない二つの事情として︑レーニンによって評価されている︒

レーニンはいう︑﹁合衆国には︑他の先進諸国に存在しない二つの事情があって︑それが農業における企業数の増加

を非常に強め︑且つ促進している︒それは第一に︑南部においては奴隷を所有した大土地所有の分解が今日に至る

まで行われ︑黒人のみならず白人の農民もまた﹃植附ケ地所有者﹄

(P

la

nt

er

の土地を少しづつ﹃買戻し﹄つつある)

制があった︒

四四

(15)

ことである︒第二は︑広大な面積に互る︑占有されない︑自由な土地が存在し︑

(14) 者に分譲されつつあることである︒﹂と︒

このような改造は︑

業企業家に転化したのである︒ところで︑このような資本主義的進化は︑

なく︑南部地方では︑

慢に行われたのである︒アメリカ合衆国は︑

それが政府によってすべての希望

アメリカ資本主義的農業の発達を急テンポに早め︑独立農民を自由な土地における自由な農

アメリカ全部の地方によっての特徴では

かつての奴隷制がながく遺制化し︑資本主義の発達が︑北部地方とくに西部にくらべて︑緩

という見解をしりぞけて︑

は︑封建的制度の経済的残存物と竜末も異なるところがないのみか︑曽つて奴隷を所有せし合衆国の南部において︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ヽヽ

( 1 5 )

は︑これらの遺制が今日にいたるまで非常に強く残っている︑﹂といつている︒ ﹁曽つて封建主義を識らず︑その経済的遺制を有せざる国家である﹂

﹁これは頭から真理と矛盾する断定である︒蓋し奴隷制度の経済的残存物.

だから十九世紀末合衆国借地諸関係の明白なる顕現および発達の歴史的意義についての検討にあたっては︑奴隷

制度の残存物が資本主義の発達と植民過程を阻止した南部におけるそれとそれらの障害なしに発達した北部および

西部におけるそれとをそれぞれ別個に︑なされなければならない︒

︵一︶先ず︑南部地方から検討をはじめよう︒

南北戦争は︑南部農業に壊滅的な打撃を与えるとともに︑四0万の奴隷を解放して︑南部の奴隷制プランテイシ

ョン制度に終止符をうった︒南部再建には二つの方向があって︑一っは︑旧南部を革命的に改造しようという方向

( 1 6 )  

であり︑もう︱つの方向は旧南部を改良的に改造しようという方向であった︒結局︑改良の道が制覇し︑ついに一

八七六年に﹁南部の権力は︑ふたたび完全に旧プランクーの手にかえった︒それと併行して︑プランテイション制

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