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平和学の根拠が試される時代

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Academic year: 2021

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(1)

─1─

9.11および3.11以降の世界

 2001年の9.11事件以降、世界は暴力のルーツを 認定し、分析し、どう市民自らの自由の中でより 暴力の少ない未来をつくっていくかという平和学 の重たい課題を負うことになった。そして、2011 年3月11日のフクシマ事件は、この問いに追い打 ちをかけるように、より少ない資源で、より豊か な世界は可能なのかという現代文明が依拠する大 量エネルギー消費社会の見直しを私たちに迫っ た。

 欧米主導の反テロリズム戦争は、まさに見えな い、予期しない恐怖との戦いゆえに、終わること もなく続いている。実際アフガニスタンとイラク での戦争は正規軍戦ではなく、見えない、いつま で続くかいっこうに不透明かつ非対称的なテロな いしゲリラ活動との戦いとなっている。

 そして今やこの2013年初頭のフランス軍による マリ北部への軍事介入のように、この戦いは北ア フリカを経て、サハラ沙漠を南下さえしている。

 21世紀はこの10年を振り返っても明らかに新し い文明の世紀の始まりというより、万人の安全を どう確保するかというセキュリティーの時代の始 まりを告げているようだ。

2つの道筋:結果処理型か原因対処型か

 ここにきて、私たちは大きく分けて2つの道筋 の 岐 路 に 立 た さ れ て い る。 1 つ は、 セ キ ュ リ

ティーを技術的にどう確保したらいいかというセ キュリティー強化の道である。

 国家間であれば、自国の軍事力強化であり、社 会内であれば、監視・警備システムの強化と罰則 の範囲拡大や厳罰化である。この道は現状の政治 経済秩序を与件として受け入れ、技術によってセ キュリティーが確保できる意味を考えるゆえに結 果処理型アプローチと呼んでいいだろう。その最 大の陥穽は、インセキュリティーを生む時代の多 様な要因を探ろうとしないため、強化の度に市民 的自由が犠牲とされる危険をはらむことである。

その究極の形態は戦争である。戦争とは非日常 モードで、その準備から終了時まで市民的自由と 人権は停止する。

 もう一つのアプローチは原因対処型アプローチ である。ある暴力の行使を単なる社会にあっては ならない事実として、技術的に処理しようとする のではなく、なぜ暴力が生じたのか発生原因を時 代と地域や文化の文脈の中で解読しようとし、突 き止められた暴力のルーツそのものをなくすか、

緩和しようとする道筋である。

 9.11事件に関しては、米国主導の反テロ戦争が 独自の基準でテロリスト集団を定義し、対話より も排除の論理でテロリストなき世界を信じようと するアプローチは、結果処理型アプローチと言え よう。また、3.11事件も、許容放射能基準の行政 による攻防、除染、ガレキや冷却水の処分のたら 巻頭言

平和学の根拠が試される時代

勝 俣   誠

(PRIME 所長)

(2)

巻頭言  

─2─

い回しによって解決すると信じるのは、やはり結 果処理型となる。なぜ、未だに制御システムが確 立していない、また安全な廃棄処分方法の確立や 廃棄場所が確保されていない核エネルギーに頼っ てまでエネルギーの需要に応えるのか。核エネル ギーは人間にとっての生存の手段なのか、目的な のか。そこから人類の生存条件を視界に入れた原 因対処型アプローチの展望が開ける。このアプ ローチは、時代と場を越えて、この地球で人々が 安心して生きていくことこそ平和の原点だという 意味で、すぐれて平和学の課題だ。

国際平和と人権のよりよき関係に向けて

 もっとも平和学の課題は時代とともに著しく深 化・拡大してきている。国際平和と人権の関係を 問う作業も同じである。東澤靖所員による今回の 特集「国際平和における人権の可能性と困難性」

でも、2012年6月の国連人権理事会による平和に 関する権利宣言の起草のための交渉をする委員会 設置決定においていかにその対象範囲が多岐にわ たっているか指摘されている。

 にもかかわらず、本特集ではそれぞれの所員の 専門の切り口から問題の所在を「国際平和と人権 のよりよき関係性」を求めていく必要性を示唆し てくれている。

 この特集に加えて本号では現代グァテマラの先 住民女性の労働が現代資本主義に社会へと包摂さ れていくかを主としてライフ・ヒストリーの聴き 語りから考察した論文が掲載されている。その接 近の特質は「現代グァテマラ多文化主義国民国家 においてどの程度マヤ系先住民として社会的尊厳 が確立された否かと問いかけ、鳥瞰的視点から診 断」する手法を批判し、彼女たちの家事労働を起 点として広がる親密圏の再統合をいわば虫瞰的視 点から検討していることである。

「人権の普遍性」の南北問題

 ここでも読者は「最貧国」ないし周辺資本主義 国の先住民の日々直面する問題を富裕国の私たち によって「世界共通の普遍的な女性に対する抑圧 の問題として分断して論じ」てはならないという 中田論文の指摘に、「人権の普遍性」が北の世界 から南の地域に向かって発せられる時に生まれ得 る危うさに気づくであろう。この危惧はアフリカ のフェミニズム研究者もフェミニズムと人権を論 じる時なぜしばしば西欧のフェミニストと波長が 合わなくなるか次のように指摘している。

 「何を優先課題にすべきかは西欧のフェミニス トとアフリカのフェミニストの間の数ある意見の 不一致の最たる点の一つである。西欧のフェミニ ストの言説は多くのアフリカ女性の抱える緊急課 題と響き合わないのだ。なぜならアフリカ女性に は日常生活の他の基本的困難がより抑圧的な形で のしかかっているからである。」(1)

 そして彼女は普遍主義と文化相対主義をどのよ うに和解・両立させるかについて「西欧の形而上 学的枠組みの外にあるさまざまな文化と対話し、

耳を傾けることはもうひとつの理解や概念を検討 してみることで、ただ一つの普遍的なるものを受 け入れることではない」(2)とフェミニスト研究の 資源としての差異の認知と利用重要性を示唆して いる。

 中田論文は読み手の問題関心によってさまざま な読み方が可能であるが、新自由主義下の南の 人々への暴力のトポスをその分析手法も含めて批 判的に考察する大切さを教えてくれている。

 なお私たち国際平和研究所は「資源と暴力」の 問題を研究プロジェクトとして数年前から実施し てきた。2012年度は1月と3月に連続国際ワーク ショップを開催した。その報告も

PRIME

の刊行 物として共有したい。

(3)

  巻頭言

─3─

(1) Joy Ngozi Ezeilo, Feminism and Human Rights

at a Crossroads in Africa: Reconciling Universalism and Cultural Relativism, Marguerite Waller and Sylvia Marcos(Ed.) , D i a l o g u e a n d D i f f e re n c e : F e m i n i s m s Challenge Globalization, Palgrave Macmillan,

2005, p. 242.

(2) 前掲書、p. 247.

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