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森川竹礎 の 『 欽定詞譜』批判 ( 上)
萩 原 正 樹
は じ め に
清 ・康 照帝勅撰 の 『欽定詞譜』 (四十雀) は,最 も信頼 すべ き 「詞譜」 とし て,清代 は もちろん現在 において もなお高い評価 をえている。た しか に,す べて八百二十六調,二千三百六体 の作例 を挙 げるその規模 か らみて も,詞体 の校定 の詳密 さか らみて も, 『欽定詞譜』が詞牌研究 に とって非常 に有益 な書 物 で あることは疑 いないで あろう。 しか し,編纂当時 (康 照 54年,1715)の 資料 的 な限界等 もあって,誤解 や遺漏が少 なか らず見受 けられ る ことも事実 である。
『欽定詞譜』補訂 の必要性 は,つ とに夏承鳶 ・呉熊和両氏 によって 「但不論
≪詞律≫与 ≪詞譜≫,還都応増補修訂。例如敦塩 曲的発現,其 中好些詞調就是 這些書 中没有 的。又如 ≪道蔵≫所載金代全真教道人的詞,也有不少新調可拠 以増補」 (『読詞常識』第三章,七,詞譜,中華書局,1962)と指摘 されてい る。現在,特 に中国の研究者 を中心 として, 『全唐文』な ど晴代 に編纂 された 大規模 な書物 の修訂作業がなされてい る と聞 くが, 『欽定詞譜』の所説 も今後 詳細 に再検討 され る必要があるだ ろう①。
ところで,「日本墳詞史上,唯一 の尊家」 (神 田喜一郎博士後掲書) と評 さ れ る森川竹礎 (名鍵蔵,字雲卿) に, 『詞律大成』 とい う著作がある ことが, 神 田喜一郎博士の『日本 にお ける中国文学ⅠⅠ』 (神 田喜一郎全集第七巻,百二 十九, 『詩苑』 と墳詞 (≡),同朋社,1986)に紹介 されてい る。 この 『詞律 大成』 は,森川竹礎 自 らが主宰 した雑誌 『詩苑』の初集 (大正 2年,1913, 10月刊)か ら,竹礎 の病没 によって廃刊 され る第 四十八集 (大正 6年,1917,
9月刊) まで連載 された もので,書名か ら知 られ るように,清 ・万樹 の 『詞 律』 (二十巻)に範 を とり,大幅 に増補改訂 を行 った 「詞譜」の書である。 竹 礎 は万樹 『詞律』「発凡」の後 に付 して, 自著 について次の ように説明 してい
る。
万民詞律所収者六百五十九調,一千一百七十三体,今所刊者十二調,一 百十二体,所補者一百九十六調,六百三十五体,凡所録者八百四十三調, 一千六百九十六体,其註則全改之,間録 旧註者,皆以万民 日冠之,名 目 詞律大成,依 旧分為二十巻,万民未録大 曲,今編為一巻,名 目詞律補遺, 付其後蔦,幾閲二十年而成,然独力所致,見聞不広,遺漏誰鍔,知亦居 多,按万民詞律,成於嶺外,所見之書無幾,而其高見卓説,超越千古, 今余浅学罪才,而漫然補改,得罪於万民者多臭,但所釆列諸詞,比万民 所録,棺近干債,亦未必無補於斯道也,
ほ とん ど二十年 の歳月 を費や して完成 された 『詞律大成』は,「凡所録者八 百四十三調,一千六百九十六体」 と言 うように,詞体数で は及 ばない ものの 詞調数では 『欽定詞譜』の八百二十六調 を上回ってお り,収載す る詞牌 の多 さか ら見れ ば,当時最大 の 「詞譜」であった。「但所釆列諸詞,比万民所録, 棺近干備,亦未必無補於斯道也」 とい う語 には,竹礎 の並々な らぬ自信 の程 が窺 えよう。 ただ神 田喜一郎博士が 「原稿 は,すべて二十巻, それに大 曲を 録 した 『補遺』一巻 とが全部完成 してゐた らしいが, 『詩苑』が中絶 したので, 惜 しい ことに巻八 までが刊 出せ られたに止 まった。爾余 の原稿が どうなった か,今 日で は全 く躍跡 し得 ない」 (神 田喜一郎博士前掲書)と記 してお られ る ごとく③,現在 その完本 を見 ることがで きないのは,非常 に残念 な ことであ る。 『詩苑』に発表 された部分 は全体 の三分 の一強 に過 ぎないが, それで も四 百五十頁 あ まりの分量があって,処処 に竹礎 の高い見識が示 されている。『詞 律大成』 は,近年 の詞学研究 においてほ とん ど顧 み られ ることがないが,そ の価値 はもっ と正 当に評価 されて良いであろう。
森川竹礎 は, この 『詞律大成』 (「発凡」・「余論」)の中で,万樹 『詞律』以 後 の詞体研究 の書 に対 して厳 しい批判 を展開 している。 扱われているのは,
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杜文潤 『詞律校勘記』・『詞律補遺』,徐本立 『詞律拾遺』,謝元准 『砕金詞譜』, そ して 『欽定詞譜』 であ り,特 に 『欽定詞譜』 に対 して は 「余論」 の半分以 上 の紙数 を費 や し,すべて十項 目にわた って徹底的 に批判 を加 えてい るので あ る。 従来, 『欽定詞譜』の不備 を指摘 した文 はい くつか あるが, これ ほ どま
とまった形で 『欽定詞譜』 を批判 した ものは,他 にないであろう。 この十項 目の批半胴ま,今後 の 『欽定詞譜』再検討, ひいては詞牌研究 に,資す る とこ ろ少 な くない と思われ る。 そ こで小稿 は, この竹礎 の 『欽定詞譜』批判 を紹 介 しなが ら, その内容 について精 し く検討 してみたい③。
なお,最近 出版 された播慎 主編撰 『詞律辞典』 (山西人民 出版社,1991)は,
渚慎氏 が三十年 の労苦 の末 に完成 された もので, 『欽定詞譜』をはるか に越 え る千二百 四十二調,三千四百十二体,大 曲五十調,別名詞九百十体 を収録 し た,現在 にお ける詞牌研究 の最高水準 を示す 「詞譜」であ る。ただ残念 なが
ら, 『欽定詞譜』 の誤 りをその まま踏襲 されてい る部分 もい くつか見 られ る。
以下で は, この 『詞律辞典』 の所説 も参照 しなが ら検討 を進 めてい きたい。
森川竹瑛 は まず 「康黙帝欽定詞譜,広捜博采,為譜 中之最,其所采列実八 百二十六調,計二千三百六体,可謂盛英,只惜魯魚之誤,既不可枚挙,加 之 塀痕百 出,得失井見,今摘 出其数例於左,以告来者」と述べて,十項 目の『欽 定詞譜』批判 を開始 す る。 その第一 の批判 は,次の ように記 されてい る。
其「,撰調之誤者,拝新 月柘枝 引清江 曲各一体,秋風清二体,一七令 四 体,皆詩也,又列元 曲小令十七調,三十九体,是皆不可入詞譜者也,而 失収之調,遺漏之体,亦不為少,
ここで竹礎が指摘 しているの は, 『欽定詞譜』の撰調 の誤 りである。 す なわ ち, 『欽定詞譜』が収載 してい る 「拝新 月柘枝 引清江 曲各一体,秋風清二体, 一七令 四体」が詞で はな く詩で あって,「元 曲小令十七調,三十九体」ととも
に, 「詞譜」に入れ るべ きで はない と言 う。 また, その ように余計 な ものが収 め られてい るの とは逆 に, 「失収之調,遺漏之体」が少 なか らず存在 す ること
を批判 してい るのであ る。
「詞譜」が扱 うの は,当然 の ことなが ら詞 でなけれ ばな らない。言い換 えれ ば,「詞譜」を著 そ うとす る ものは,詞 と他 の韻文 とを弁別 す る識見 を, まず 持 っていなけれ ばな らないのである。すべて二十二調,四十八体 の誤技 と多 くの失収遺漏 がある とされ る 『欽定詞譜』 は, この基本 的 な識見 その もの を 疑 われてい ることになる。 竹礎 の批判 は大変厳 しいが, この批判が はた して 妥 当なのか どうか,次 に具体的 に検証 したい。
(1)拝新 月 (『欽定詞譜』巻‑。 また杜文潤 『詞律補遺』)、
『欽定詞譜』 は,詞牌下 の註 に 「唐教坊 曲名」 と記 し,唐 ・李端 の次の詩 を 挙 げる。
開簾見新 月 便即下階拝 細語人不問 北風吹襟帯
証 で は 「此即唐灰韻五言絶句,而語気微粉,墳此詞者,其平灰 当従之」 と 述べ, この詩がrLL韻 の五言絶句 であることを明 らか に している。 五言絶句 と しなが ら 『欽定詞譜』が これ を収 めているの は, 「拝新月」が唐教坊 の曲名で あ り,歌唱 されていた と考 え られ るか らであろ う。
唐代 においては近体詩 を歌唱す る風 が あったが,現在 で はそれ らを 「唐声 詩」 と称 す る。 「唐声詩」 とは,任半塘氏 『唐声詩』 (上編 ・46頁,上海古希 出版社,1982)によれば,「唐声詩,指唐代結合声楽,舞踏之斉言歌辞 ‑ 五, 六,七言之近体詩,及其少数之変体,在雅楽,雅舞之歌辞以外,在長短句歌 辞以外,在大 曲歌辞以外,不相混清」 と定義 され る ものである。 李端 の 「拝 新 月」詩 はち ょうどこの定義 にかなってお り, 「唐声詩」の一 つである とみな すべ きで あろう。任氏 『唐声詩』 (下編 「拝新 月」・84貢) も李端詩 をその作 例 として掲 げ, 『欽定詞譜』の 「填此詞者,其平灰 当従之」とい う証 について,
「此等灰韻詩調,後世詞入 園無墳用者, 『平灰 当従』云云,一句空話而己」 と 述べてい る。
李端 「拝新月」 を詞 で はな く詩 である とす る竹礎 の説 は, ほぼ当た ってい る と言 うことがで きよう。 ただ, 「唐声詩」を 「詞譜」の中で どの ように扱 う
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か については, いろいろな考 え方が あ りうる。 『詞律辞典』 (前言)が, その 採録方針 として 「≪詞譜≫,≪詞律≫,皆収釆部分唐声詩及元入小令,本書拡大 了膚声詩之釆集面,別除了元小令。困為声詩乃宋詞之源,元小令則為宋詞之 疏,我イ門的原則是遡其源而不逐其流」 と言 うの も,一つの態度であろう。 な お 『詞律辞典』 (「拝新月」・33貢)は,李端詩の他 に唐 曲雑言体 として,八十 四字体 (敦短詞),八十六字体 (敦短詞),一百一字体 (張夫人)の作例 を挙 げている。
(2)柘枝引 (『欽定詞譜』巻‑. また徐本立 『詞律拾遺』奄‑)
『欽定詞譜』 『詞律拾遺』いずれ も 『楽府詩集』 (巻五十六,舞 曲歌辞五,柿 枝詞)無名氏 の次の詩 を引 く。
将軍奉命即須行 塞外領強兵 間道燦煙動 腰 間宝剣匝中嶋
この詩 について 『詞律辞典』 (「柘枝 引」・1549頁)は,『唐声詩』 (下編 「柘 枝辞」雑考・176頁) に 「此曲在唐,己有雑言並行」 とあるのを引いて,「此 即 ≪唐声詩 ・推考≫ 中所言与斉言 ≪柘枝辞≫井行之雑言者。両者似有淵源, 然亦不宜混為‑談」と述べ る。 この言の ごとく,「柘枝引」詩 もや は り 「唐声 詩」であると考 えるべ きであろう。 任半塘氏が 「詞譜及杜文潤詞律拾遺均以 柘枝引名指長短句之調,未知何拠,殆亦臆訂」 (『唐声詩』下編 「柘枝辞」・174
貢) と記 して, 『欽定詞譜』 『詞律拾遺』 を批判 されているのは,竹礎 の批判 とはか らず も軌 を一 にしている。
(3) 清江 曲 (『欽定詞譜』巻十二。 『詞律拾遺』啓二)
「清江曲」とい う詞牌 として両書が載せているのは,宋 ・蘇犀 の作品である。
属玉双飛水満塘 菰蒲深処浴鴛鴛 白寿満樟帰来晩 秋著芦花一岸霜 扇舟繋岸依林堪 斎粛両聾吹華髪 万事不理酔復醒 長 占煙波弄明月
『欽定詞譜』詞牌下誌 には,「此宋蘇序淀舟清江作也,体近古詩,因花草粋 編採入,今仇之」 とあ り, 『花草粋編』 (奄六) に従 って この詩 を録 した と述 べ る。 しか し 「体近古詩」 と言 うように,体例 は古詩 と何 ら変わ らず, また
他 の宋人 の作 も残 っていない ことな どか ら,「清江 曲」が詞 である ことを裏付 ける積極的 な証拠 が現われ ないか ぎ り,古詩 と考 えるのが妥 当であろ う。 唐 圭嘩編 『全宋詞』 (香港中華書局,1977,第 2冊,659頁)も,蘇序 の存 目詞 の項 に 「清江 曲」 「後清江 曲」 を挙 げ,「乃古体詩,非詞」 と述 べている。
(4)秋風清二体 (『欽定詞譜』巻二)
『欽定詞譜』は詞牌下註 に「一名秋風 引,冠準詞,名江南春,劉長卿灰韻詞, 名新安路」 と記 し,李 白,冠準,劉長卿 の作三体 を挙 げる。 この うち冠準 の 作 は,万樹 『詞律』 (省一)に 「江南春」 として録 され, また竹礎 も 『詞律大 成』 (巻二)に呉文英一百九字体 とともに同 じ く 「江南春」として載せてい る ので,「秋風清二体 」とい うの は李 白 と劉長卿 の作 を指すので あろう。 二体 の
うち李 白の詩 は次 の ような もので ある。
秋風清 秋月明 落葉衆還散 寒鵜棲復驚 相思相見知何 日 此時此夜 難為情
『李太 白文集』 (巻二十三) をはじめ として諸種 の李 白集 は, いずれ もこの 詩 を 「三五七言」 と題 す る。 一方,「新安路」 とされ る劉長卿 の詩 は, 『劉随 州詩集』 (四部叢刊本,奄十)によれ ば 「新安送陸濃帰江陰」と題 されてい る。
「秋風清」 「新安路」 とい う詞牌名 は, ともに両者 の首句 を取 った もので,後 人 の命名 であろう。 これ らを詞 とす るか古詩 とす るかは議論 の分かれ る とこ
ろであろうが,や は り詞 とすべ き根拠が無 い以上, 『全宋詞』 (誤題漢人姓名 詞存 目,第 5冊,3869貢)が郡深 の 「秋風清」体 の詩 を 「乃詩而非詞」 とす
るの と同様 に,古詩 とみなすべ きであ る④。
(5) 一七令 四体 (『欽定詞譜』巻十一. 『詞律補遺』 は白居易詩一体 のみ)
『欽定詞譜』は, 白居易,葦式各一体,張南史二体 のすべて四体 を掲 げてい る。 この うち白居易 の詩 を挙 げてお こう。
詩 椅美 壊奇 明月夜 落花時 能助歓笑 亦傷別離 調清金石怨 吟苦鬼神悲 天下只応我愛 世 間惟有君知 日従都尉別蘇句 便到司空
森川竹礎の 『欽定詞譜』批判 (上) 291
送 白辞
この詩 は 『唐詩紀事』 (奄三十九,葦式) に見 える もので, 『唐詩紀事』 は
「楽天分司東洛,朝賢悉会興化亭送別,酒酉乱 各請一字至七字詩,以題為韻」
と述べて,王起,李紳,令狐楚,元積,貌挟,葦式,張寿,箔尭佐, 自居易 の九詩 を挙 げてい る⑤。 これ らの諸作 は酒宴 の席 で の遊戯 的 な詩 で あ り,す で に 『詞律』 (「発凡」)が 「又唐人送 白楽天席上,指物為賦,一字起至七字止, 後人名為一七令,用以入詞,殊属牽強」 と弁 じてい るように,詞 とす ること
はで きないであろう。 『欽定詞譜』の 「後遂沿為詞調」とい う説 は根拠 の無 い 空論 で ある。 なお 『詞律辞典』 (「一七令」・1381頁)も『欽定詞譜』に したが っ て 「一七令」 を詞牌名 として掲載 してい るが,訂正 の必要が あろう。
( 6 )
元入小令十七調三十九体竹礎は具体例 を挙 げていな いが,次の十七調三十九体を指 して い るのであ ろう。
「慶宣和 」(『欽定詞譜』巻‑)
「究閑人 」(巻‑)
「梧棄児 」(巻‑)
「寿陽曲」(奄‑ )
「天浄沙」(省一)
「乾荷葉」(巻二)
「喜春来」(巻二)
「金字経」(奄二)
「後庭花破子」 (巻二)
「平湖楽 」 (巻四)
「殿前歓 」 (巻 四)
「水仙子 」 (巻 四)
「酔高歌 」 (巻八)
「黄鶴洞 仙 」 (巻八)
体体体体体体体体体体体体体体一二五三二二四三二三二二一一
「木星 」 (巻九)
「折桂令」 (奄十)
「鶴鵡 曲」 (巻十)
一体 四体 一体
以上 を 「詞譜」 に入れ るべ きでない とす る竹礎 の批判 は もっ ともで はある が,詞 と元代 の散 曲 とは当初 あ ま り明確 に区別 されていなか った との指摘 も あ り⑥, その弁別 はなか なかむつか しい。
ただ, 『欽定詞譜』が これ らの元入小令 を,た とえば 「梧棄児」証 において
「此在元人為小令,其定則 曲也,但其詞未至便邸,故井採入以備体」と言 うよ うに,雅俗 の兄 を基準 として採録 してい る点 は,責 め られね ばな らないであ ろう⑦。竹礎 は第八 の項 目において, 『欽定詞譜』の この雅俗 の兄 を厳 しく批 判 してい る。
(7)失収之調,遺漏之体
『欽定詞譜』 に失収 の詞牌,遺漏 の別体 が多 い ことは,現在 の 『詞律辞典』
の規模 か ら見 て も明 らかで あろう。竹礎 は 「失収之調,遺漏之体」 の具体例 を挙 げてお らず, また 『詞律大成』 も中断 してい る ことか ら, その内容 の詳 細 は今知 ることがで きない。ただ失収 の詞牌 については,現存 の『詞律大成』
の中 に も 『欽定詞譜』が詞牌名 として立 てていない詞牌 が い くつか見 られ る ので,以下 に請書 を引いて簡単 に紹介 し,後考 に備 えてお きたい⑧。
O「一点春」 (『詞律大成』省一,侯夫人詞二十四字体)
『詞律』 (省一) に も見 え,「此陪宮看梅 曲也」 と言 うO 『詞律辞典』 (「一点 春」・1369貢)は 『詞律』よ り引いて一項 を立 てている。 しか し呉梅氏 の 『詞 学通論』が論 じてい るように, この詞 は後人 の偽託 であろう⑨。
O「楽遊 曲」 (『詞律大成』巻一,聞后陳氏 詞二十七字体)
『詞律』 (巻‑) に見 える。 『歴代詩余』 (奄‑) は この詞 を挙 げて 「調与漁 歌子相近,按腔則有別耳」と言 うが, 『欽定詞譜.再こは見 えない。杜文潤 『詞 律校勘記』 は 「按詞譜未収此調」 と述 べ, 「疑即 漁歌子也」 と結論 す る。 『詞 律辞典』 (「楽遊 曲」・601貢)は この詞牌 を立 てて,「但 ≪詞譜≫非 "以詞属調〟
森川竹礎 の 『欽定詞譜』批判 (上) 293
論者,失収之可能較大」 と述べてい る。
O「柳枝」 (『詞律大成』巻一,朱敦儒詞四十四字体)
『詞律』 (奄‑) は, この詞 を 「楊柳枝」の 「又一体」 とす る。一方 『欽定 詞譜』 (巻三)は 「添声楊柳枝」の別体 としている。竹礎 は註 に 「此詞,原名 柳枝,万民以為楊柳枝又一体,査此詞全属別格,困従其原名,別列干楊柳枝 後」 と述べているが, これ は 『詞律辞典』 (「柳枝」・661貢)の 「我僧認為, 既然詞体不 同,調名又不相混,応該男列」 とい う説 と一致 してい よう。
O「阿那曲」 (『詞律大成』巻‑,楊太真詞二十八字体)
『詞律』 (啓一)及 び 『歴代詩余』 (巻‑)には見 えるが, 『欽定詞譜』 (巻一,
「春暁曲」)は 「査唐宋詞並無阿那 曲名, 自明楊慎以唐詩絶句,偽託為詞,今 正之」と註記 して 「阿那曲」を採 らない。 『詞律校勘記』は 「按此調詞譜未収, 疑即絃那 曲之転音」 と解す る。 『唐声詩』 (下編 「阿那 曲」・480頁) は唐失名 氏作 の 「唐声詩」として この詞 を載せ, 『欽定詞譜』の偽託説 を批判 している が⑩, 『詞律辞典』 (「阿那 曲」・2頁) もこれに従 っている。
O「清平調引」 (『詞律大成』巻一,王蔑称詞五十字体)
『詞律拾遺』 (巻‑) は 「清平調」 として この詞 を録す。『全宋詞』 (王 南称 存 冒詞,第 1冊,2頁)は 「乃王珪作」と述べ,王珪 の項 (同冊,202貢)に
「平調発引」の詞牌名で挙 げている。 『詞律辞典』 (「清平調」・872貢) は, こ の 『全宋詞』の説 を引いて 「而 ≪全宋詞≫之名 ≪平調発引≫,実即 ≪導引≫,
(中略),故不能類列干此,特此校正」 と論 じている。
O「楼心月」 (『詞律大成』省一,陽春 白雪無名氏詞二十八字体)
清代 の 「詞譜」にこの詞牌名 は見 えない。 『全宋詞』 (第5冊,3679貢)は
『陽春 白雪』 (巻六)よ り 「楼心月」三首 を引 く。 『詞律辞典』 (「楼心月」・691
貢) には 『詞律大成』 に挙 げるの とは違 う一首 を録 している。
O「回心院」 (『詞律大成』巻‑,遼斎観音詞二十八字体二首)
『詞律拾遺』 (巻‑)に見 えている。 『詞律辞典』 (「回心院」・478頁)も同 じ 二首 を掲 げ,「≪詞譜≫未収」 と述べ る。
O「甘州子」 (『詞律大成』巻‑,顧夏詞三十三字体)
『詞律』 (巻‑)及び 『歴代詩余』 (巻二)に載せ る。 『欽定詞譜』 (巻二)は 顧夏詞 を 「甘州 曲」の文体 とす る。 この説 に対 して 『詞律辞典』 (「甘州」・304
頁)は,「甘州」の演変 を論 じて最後 に 「故 ≪詞譜≫之以 ≪甘州子≫為 ≪甘州 曲≫之別名,失之武断」 と結論 し,「甘州子」 の一項 を立 ててい るo
O「無夢令」 (『詞律大成』巻二,鳴鶴余音無名氏詞三十三字体) O「如意令」 (『詞律大成』巻二,魂泰詞六十六字体)
『欽定詞譜』 (奄二)は この両首 を 「如夢令」の 「又一体」とし, 『詞律辞典』
(「如夢令」・916頁) もその説 を襲 ってい る。
O「湘霊家 」 (『詞律大成』巻二,劉填詞三十三字体)
『詞律拾遺』 (巻‑)に見 える。 『全宋詞』には この詞 (第 5冊,3331頁)の
他 に,無名氏 の作 (同冊,3665貢)が録 されてお り,『詞律辞典』 (「湘霊家」・
1271頁)が 「此調只此‑請,無別首宋詞可校」 と述べて 「湘霊家」 を僻調 と す るの は失検 であろう。
O「睡花陰令」 (『詞律大成』巻 四,仇遠詞四十五字体)
『詞律拾遺』(巻‑),『全宋詞』(第 5冊,3401貢),『詞律辞典』(「睡花陰令」・
1073貢) に見 える。
O「陽台怨」 (『詞律大成』巻四,仇遠詞 四十六字体)
「睡花陰令」と同 じ く, 『詞律拾遺』 (奄‑), 『全宋詞』 (第 5冊,3403頁),
『詞律辞典』 (「陽台怨」・1341頁) に録 されてい る。
O「碧玉篇」 (『詞律大成』巻五,花草粋編無名氏詞 四十八字体 )
『歴代詩余』 (巻十九), 『詞律拾遺』 (巻‑) に載せ る。 『全宋詞』 (「訂補附 記」,第 5冊,3907貢) は,清 ・孫致弥 『詞鵠初編』 (巻二) よ り同詞 を引い ている。 『詞律辞典』 (「碧玉箭」・51貢) に も見 える。
O「帰 田楽令」 (『詞律大成』巻六,黄庭堅詞 四十四字体)
『詞律』 (巻六,「帰 田楽」)は この詞 について 「谷老又‑詞止四十 四字,然 査係残欠不全,又皆俳語難暁,故不録為調首」と述べ,「帰 田楽令」を詞牌名 として採 らない。だが 『詞律辞典』 (「帰 田楽令」・348頁)は, 『詞律』の説 を
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引 いた後 に 「其実此調与 ≪帰 田楽≫不 同,故男立」 と言 い,一項 を立 ててい る。
O 「双燕児」 (『詞律大成』零六,張先詞五十字体 )
『欽定詞譜』 (奄十 ) は 「双雁 児」 の別名 として 「双燕子」 とい う調名 を挙 げてい る。 「双燕児」は, 『詞律拾遺』 (巻‑), 『全宋詞』 (第 1冊,66貢)に 見 え, また 『詞律辞典』 (「双燕児」・1046貢) も 「双燕 児」 を立 てて 「与 ≪双 雁児≫無渉」 と述 べ てい る。
O 「鷺声鏡紅楼」 (『詞律大成』巻六,妻垂詞五十字体)
清代 の 「詞譜」いずれ に も見 えない。 『詞律辞典』 (「鷺声擁紅楼」・1426頁) は, 「此調与杜安世 之 ≪惜春令≫字句全 同,疑為又体,然平灰 及用韻有異,又 不似 同調,政男列以備考」 と論 ず る。
O 「慶佳節」 (『詞律大成』巻七,張先詞五十一字体二首)
両首 は 『詞律拾遺 』 (巻二), 『全宋詞』 (第 1冊,63貢), 『詞律辞典』 (「慶 佳節」・888頁) に見 えてい る。
O 「闘鶏 回」 (『詞律大成 』巻七,杜竜沙詞五十一字体 )
『詞律拾遺 』 (啓二)に載録 され てい る。 『全宋詞』 (第 5冊,3178頁)は 『陽 春 白雪』 (巻七)よ り引 く。 また 『詞律辞典』 (「闘鶏 回」・222頁)は 「此為僻 調,宋人無填者,或為杜竜沙之 自度 曲」 と述 べ る。
O「清平令」 (『詞律大成』、巻八 ,高麗史楽志無名氏詞五十二字体)
『高麗史』 (奄七十一,楽志二,唐楽) には,宋朝 よ りもた らされた詞が多 数録 され てい る。 『欽定詞譜』も 『高麗史』よ りか な りの詞牌 を拾 ってい るが,
この 「清平令」 と以下 に挙 げる 「中腰令」 は失検 してい る。 なお 『全宋詞』
(第 5冊,3826貢)は「清平令破子」として掲 げ,『詞律辞典』(「清平令破子」・
874貢) もこれ に従 う。
O 「結帯 巾」 (『詞律大成』巻八 , 中呉紀 聞無名氏詞五十二字体 )
『詞律拾遺』 (巻二), 『全宋詞』 (第 5冊,3667貢)に見 える. 『詞律辞典 』 (「結帯 巾」・520貢) は 「≪詞譜≫未収」 として この詞 を挙 げる。
O「香花天影」 (『詞律大成』巻八,妻褒詞五十八字体)
清代 の 「詞譜」いずれ もこの詞牌 を取 らない。竹礎 は朱敦儒 の 「杏花天」
詞 と比 して,「前後段第三句倶不押韻,其下用短韻,両結倶句法異,即灘破之 格也」 と論 じてい る。 また 『詞律辞典』 (「香花天影」・1300貢) も,「此或妻 垂拠 ≪香花天≫調改譜,増入新声而成,故称 ≠影〟,既入新声,当為新調,不 宜与 ≪香花天≫類列」 と記 し,「香花天」 とは区別すべ きことを述べ る。
O「中腔令」 (『詞律大成』巻八,高麗史楽志無名氏詞五十四字体)
「清平令」の項で述べた ように, この詞牌 も 『欽定詞譜』に見 えない。 また,
『全宋詞』 (第 5冊,3824貢)は録 しているが, 『詞律辞典』には収 め られてい ない。
O「紅窓怨」 (『詞律大成』巻八,王質詞五十五字体)
『詞律拾遺』 (巻二) に見 える。 この王質詞 は,少 し字句 を異 にす るが 『斉 東野語』 (巻十一,中華書局,1983)に萄姑 の詞 として も引かれている。 『欽 定詞譜』 (巻十二) は 「市橋柳」 とい う詞牌名で萄妓詞 を掲 げ,「此詞平灰無 他首可校」と記 して,「市橋柳」を僻調であると断 じている⑫。 この 「市橋柳」
詞 について竹礎 は,「其字句与王質紅窓怨詞大同小異,蓋 当時萄妓歌王質詞, 而取詞 中字名市橋柳耳」と論 じ⑫,「紅窓怨」が原名 である と主張す る。 また,
『全宋詞』 (第 5冊,3263貢)も 「案此首斉東野語原不著調名,詞綜巻二十五 作市橋柳,疑 出杜撰」 と述べ,詞牌 を 「市橋柳」 とす る 『詞綜』 の杜撰 を指 摘 している。 『詞律辞典』 (「市橋柳」・1023貢)が,萄妓詞 と王質 「紅窓怨」
詞 とを挙 げて 「此調之正名,似応為 ≪紅窓怨≫,≪市橋柳≫乃別名」 と論 じな が ら,結局 は 「困 ≪詞譜≫以 ≪市橋柳≫列調,姑併之」 としているのは,不 可解であると言わ ざるをえない。
以上 に見て きた ように,森川竹礎 の 『欽定詞譜』 に対す る第‑の批判 は, ほぼ妥当な ものであるといえるであろう。「誤撰」 「失収」 は, その 「詞譜」
全体 の良否 をも左右す る非常 に大 きな問題 である。 この点 について 『欽定詞 譜』が,必ず しも満足 のい く水準 に達 していない ことを,竹礎 の批判 は明 ら
森川竹礎の 『欽定詞譜』批判 (上) 297
か にしている。 さ らに この批半掴ま,最新 の研究成果で ある 『詞律辞典』 に対 して も, なお有効 である と思われ るのである。
第一 の批判 が総論 で ある とすれ ば,以降の説 はいわ ば各論 に当た る と言 え る。 竹礎 の第二 の批判 は,次 の ごとく述べ られてい る。
其二,各調解題,或渉楽府,或指摘詞 中字句,亦毛先野墳詞名解之亜, この第二 の項 目で は, 『欽定詞譜』の 「各調解題」に対 して批判 の矢 を放 っ てい る。 『欽定詞譜』は詞牌 を挙 げる際 に,各詞牌 の下 にその調 の所載文献 や 命名 の由来,別名 な どを簡単 に註記 してい る。竹礎 の言 う 「解題」 とは, こ の うち特 に命名 の由来 を指 してい るのであろ う。 『欽定詞譜』の註 す る詞牌名 の由来が, 「或 ひは楽府 に捗 り,或 ひ は詞 中の字句 を指摘 し」てい るが, それ が毛先野 『墳詞名解』 (四巻, 『詞学全書』所収) の亜流で ある と批判 してい るのであ る。
竹礎 は具体例 を挙 げていないが, 「或渉楽府」とは,た とえば次 の ような記 述 を言 うのであろう。
古楽府有清商 曲辞,其音多哀怨,故取以為名, (後略),
(『欽定詞譜』奄 四,「清商怨」) (前略),按郭茂借楽府詩集,有清商 曲烏夜噂,乃大朝及唐人古今体詩, 与此不同,此蓋倍 旧曲名,男翻新声也, (『欽定詞譜』巻六, 「烏夜噂」) ここに引いた 「清商怨」 「烏夜噂」 について, 『填詞名解』 は, それぞれ次 の ように説 く。
清商怨,晋楽府有清商 曲,子夜話歌辞是也,声極哀苦,至唐,舞 曲有清
商伎 ,詞采其意,変今名, (巻‑)
烏夜噂, (中略),古楽府有鳥夜噂,宋臨川王義慶所作, (中略),至唐, 相沿有此 曲,墳詞困之, (後略), (巻‑) また, 「或指摘詞 中字句」 の例 について は, 『欽定詞譜』 と 『填詞名解』 の 説 とを並べ て挙 げてお こう。
此調有両体,四十九字者,調見尊前集,唐荘宗製,困詞有文人陽台夢句, 取以為名, (後略), (『欽定詞譜』巻七,「陽台夢」) 後唐荘宗詞云,楚天雲雨去押目和,又入陽台夢,其調遂名 目陽台夢,
(『填詞名解』巻→) 調見花間集,ヂ顎賦宮怨詞,有満地禁花傭掃句,取以為名,
(『欽定詞譜』巻八, 「満宮花」) 満宮花,唐戸顎賦宮怨詞,有満地禁花傭掃句,遂取以名,
(『填詞名解』巻‑) それぞれ記述 に多少 の違 いが あるが,おおむね 『欽定詞譜』が 『墳詞名解』
を襲 ってい ることは明 らかで あろう。
毛先静 の 『填詞名解』は, 『四庫提要』 (巻 四十,集部,詞 曲類存 目)に 「附 会支離,多不足拠」 と言われ るように,杜撰 のめだつ書 である。 『欽定詞譜』
の 「解題」が多 く 『填詞名解』 に拠 っ'てい ることは,現在 で はた とえば 『宋 詞大辞典』 (十二,詞論集, 「墳詞名解」,遼寧人民 出版社,1990)に 「≪欽定
詞譜≫ 的調名詮釈多取資干此」 との指摘が あるが,竹礎以前 の説 は,管見 の 及ぶ範 囲で は見 つ ける ことがで きなか った。
ところで神 田喜一郎博士 .(前掲害 I,神 田喜一郎全集第六巻,四十七,梶 南 の詞話 (二))は,竹礎 の師である森塊南が 『新新文詩』連載 の詞話 におい て,填詞 の調名 がいか に してつ けられたか を説明 してい る ことを紹介 されて い る。それ によれ ば椀南 は,後唐 の荘宗 の詞 を挙 げ,「この詞 は如夢令 とも宴 桃源 ともいはれ るが, それ は詞中の字 を取 った ものであ り, また一 に憶仙姿 ともいふが,それ も詞中の意 を取 った ものであ り,『墳詞命名 の義 は,大抵 こ れに類 す』」 と述べてい る とい う。 この椀南 の説 は, 『墳詞名解』 と何 ら変わ
る ところが無 い。
師であ る森税南 の説 について,竹礎が どの ように考 えていたのか,今 で は 知 ることがで きない。 『詞律大成』が,憶説 を排 して詞牌名 の由来 についてほ
とん ど何 も語 らないの は,立派 な態度 ではあるが,非常 に残念 で もある。
詞牌 の名称 について は,現在 において もなお まとまった研究 はなされてい
森川竹礎 の 『欽定詞譜』批判 (上) 299
ない ように思 う。 『墳詞名解』及び 『欽定詞譜』の非 を正 してい くことは,今 後 の詞牌研究の課題 の一つであろう。
第三の批判 も,詞牌下 の註 に関す るものである。
其三,註宮調,上 白楽府,下及金元曲子,其名 同者,皆挙之,其労可想, 両足取者砂臭,
『欽定詞譜』詞牌下註 には,先 に挙 げた所載文献や命名 の由来,別名 な どの 他 に, その詞牌が どの宮調 に属 しているかを記 しているものがある。 この宮 調 の註 に,詞 の宮調だ けではな く,調名が同 じであれば楽府や金元 曲の宵調 も載せ られている点 について,「其労可想,両足取者砂臭」と竹礎 は言 うので ある。以下 にい くつか例 を挙 げてみよう。
(前略),楽府詩集,回波,商調 曲, (後略),
(『欽定詞譜』 巻‑,「回波楽」)
(前略),太平楽府,注黄鐘宮,太和正音譜,注仙 呂宮, (後略),
(『欽定詞譜』奄二,「憶王孫」) 唐教坊 曲名, (中略),中原音韻,注商調,太和正音譜,亦注商調,慢詞 始 自柳永,繍幡睡起詞,注中呂調,長空降瑞詞,注仙 呂調,
(『欽定詞譜』巻十一,「望遠行」) この ような記載 は,他 にも多数見 つけることがで きる。
当然の ことなが ら, 『楽府詩集』が記 しているのは楽府 における楽 曲の宮調 であ り, 『朝野新声太平楽府』や 『中原音韻』 『太和正音譜』が註 しているの は曲の宮調 である。 これ らを詞体 の書である 「詞譜」 に掲 げて もあま り意味 が無 い とい うのは, その通 りであろう。最後 に挙 げた 「望遠行」 には,柳永 詞の宮調が引かれているが,本来 「詞譜」 に必要 なのはこの ような詞の宮調 のみで\あろう。竹礎 は 『詞律大成』 (「発凡」)において,次の ように述べてい
る。
詞之宮調,万民措而不記,按柳永楽章集,以宮調分類,妻垂白石道人歌
曲, 自度腔皆註宮調,其他聞有註宮調者,今皆証明之,以備考,若夫存 曲名与宮調,而其詞不可見者,井元明曲子宮調則不取蔦,
この厳密 な姿勢 か らすれ ば, 『欽定詞譜』の,同名 の調 に関す る宮調名 はす べて拾 お うとす る 「博捜」が 目に余 る もの として写 ったであろうことは,十 分理解 で きる。
ただ,請,詞,曲の楽 曲の関連 を考究す る立場 に立 てば,『欽定詞譜』の「博 捜」 もあなが ち無意味 とは言 えないか もしれ ない。詩,詞, 曲それぞれが同 じ調名 を冠 してい る場合,文辞面 のみで はな く音楽 の面 において も多少 の関 連 を有 してい る可能性 が ある。 詩,詞,曲は, それぞれ別個 のジャンル とし
て峻別 されなけれ ばな らないが, それ らを歌辞文芸 として総合的 に とらえる 見方 も必要で あろ う。 『欽定詞譜』の記載 は, この ような視点 の表れ とみなす
ことがで きる。
四
第 四の批半掴ま, 『欽定詞譜』に引 く詞牌 の別名 の誤 りについてである。 竹礎 は,
其 四,各調別名,所記極多,
と述べ,四調 の具体例 を挙 げて 『欽定詞譜』 を批判 してい る。以下 に, この 四調 に関す る所説 を紹介 してお きたい。
(1) 長相思
竹礎 は次 の ご とく言 う。
如長相 思又名長相思令,刻本誤脱長芋,詞譜即註謂又名相思令,
すなわち,「長相思」 は別名で 「長相思令」 とも称 す るが,「刻本」が誤 っ で 「長」字 を脱 し, 『欽定詞譜』が この誤 りに従 って 「相思令」を別名 として 採 っている と批判 す るのである。
『欽定詞譜』 (巻二, 「長相思」) は,「長相思」 の別名 として 「呉 山青」 「山 漸青」 「青 山相送迎」 を挙 げ,最後 に 「楽府雅詞,名長相 思令,又名相思令」
森 川竹礎 の 『欽定詞譜 』批判 (上) 301
と述べ る。 すなわち 『楽府雅詞』よ り 「長相思令」 「相思令」の別名 を採 って いるのである。
とすれば,竹礎 の言 う 「刻本」 とは, 『楽府雅詞』の 「刻本」を指 している のであろう。 『楽府雅詞』 の諸本 については,鏡宗頗氏 の 『詞集考』 (中華書 局,1992)に詳 しいが, それによると 『楽府雅詞』の 「刻本」 には,秦恩復 享帝精舎刊本 と 『卑雅堂叢書』本 の二種がある。試 みに両書 を検 してみ ると,
「拾遺」 (巻上)に林甫 の 「相思令」と無名氏の 「長相思令」⑬が見 える。 『欽定 詞譜』 に 「楽府雅詞,名長相思令,又名相思令」 と言 うのは, この二首 を指 していよう。 しか しなが ら両種 の刊本 は 『欽定詞譜』 よ り後出の書であ り,
『欽定詞譜』が これ らに拠 った ことはあ りえない。 『四部叢刊 』 所収 の旧抄本 (他 の抄本 は未見)及 び 『四庫全書』所収本 を見て も,「相思令」 「長相思令」
と題す ること刊本 と同様 であ り,結局竹襖 の説 はよ くわか らない。不明の ま ま記 して,博雅の御指教 を切 にお願 い申 し上 げる次第である。
なお,張先 に も 「長相思」体 の 「相思令」詞 (『全宋詞』第 1冊,64貢)が あ り⑯,緑斐軒抄本 に拠 った 『知不足斎叢書』本 『張子野詞』 (奄‑)には 「相 思令,一作長相思」 とある。 また, 『彊村叢書』本 『張子野詞』 (省一) に付 された夏敬観氏 の手批 によれば,葛鳴陽刊本で は 「長相思」 と題 している と い う。
(2) 謁金門 竹礎 は,
謁金門葦荘詞,首句,空相憶,古今詞話云,葦荘空相憶云云,譜即謂古 今詞話名空相憶,
と述べている。 この言の ごとく, 『欽定詞譜』 (巻五,「謁金門」) には 「宋楊 淀古今詞話,因葦荘詞起句,名空相憶」 と見 え,「空相憶」を 「謁金門」の別 名 として採 っている。 『古今詞話』 (「葦荘」, 『詞話叢編』所収)には次の よう な逸話が載せ られている⑮。
葦荘以才名寓苛,王建割拠,遂寄留之,荘有寵人,資質艶麗,兼善詞翰,
建聞之,託以教 内人為詞,強荘奪去,荘追念恨快,作小童 山及空相憶云, (後略)
ここで 「作小童 山及空相憶云」と言 ってい るのが,詞牌名 である 「小重 山」
と「空相憶」とを並列 してい るように読 み取れ ることか ら, 『欽定詞譜』は「空 相憶」を詞牌名 と誤解 したのであろう⑯。 しか し,章荘 には 「小壷 山」詞 は一 首 しかな く, 「小重 山」 と言 えば どの詞 であるかす ぐわか るのであるが,「謁 金門」詞 は三首有 るために, その首句 を挙 げなければ詞 を特定で きない。 こ の事情 を考 える と, 『古今詞話』が 「作中重 山及空相憶云」と記 すの は,本来 は 「作小重 山及謁金門空相憶云」 と言 うべ きところを,詞牌名 である 「謁金 門」を省略 した もの と読 む ことがで きる。 『古今詞話』以外 に 「謁金門」を 「空 相憶」 と称 す る例 は無 く,竹礎 の言 うように 「空相憶」 を別名 とす るのは, 誤 りであろ う。
なお 『詞律辞典』 (「謁金門」・1364貢) は, 『欽定詞譜』 をその まま引 き, その説 に従 ってい る。
(3) 燭影揺紅
竹礎 の説 は,次の とお りである。
毛済燭影揺紅,題為帰去 曲,譜即謂毛済詞名帰去 曲,
『欽定詞譜』 (巻七,「燭影揺紅」)には 「戒名帰去 曲,以毛済詞有送君帰去 添湊断句也」 と見 える。 しか し竹礎 の言 うごとく, これ は明 らか に附会 の説 で ある。 「帰去 曲」 とは, 『欽定詞譜』が引 く詞 (首句 「老景粛条」)とは別 の
「燭影揺紅」 (首句 「撃緑瓢斎 」, 『全宋詞』第 2冊,682貢)詞 に付 されてい る 小題 であって,詞牌 の名 で はない。 『彊村叢書』本 「東堂詞校記」,史竜治 『東 堂詞校注』 (文津 出版社,1978)等 を検 して も, 「帰去 曲」 を詞牌名 としてい るテキス トは見 当た らない。 また 『全宋詞』に も, 「帰去 曲」を詞牌 とす る例 が無 く, 『欽定詞譜』 の所説 は誤 りとすべ きである。
またついでなが ら, 『欽定詞譜』が王託詞 を 「燭影揺紅」の 「又一体」に採 っ てい る点 も,訂正 す る必要が あろう。 「燭影揺紅」とい う詞牌 は,宋 ・呉 曽『能