方法
著者 酒井 大輔
雑誌名 明治学院大学法律科学研究所年報 = Annual Report of Institute for Legal Research
巻 34
ページ 139‑160
発行年 2018‑07‑31
URL http://hdl.handle.net/10723/00003442
「新しい政治学」の構想
――大嶽秀夫の体制論とその方法
酒 井 大 輔
第1節 はじめに――科学としての政治学/科学史としての政治学史
⑴ 歴史のなかの「科学としての政治学」
過去30年、日本の政治学は大きな変化を経験してきた。方法面では統計資料やサーヴェイ調査、
インタビューなどの活用(大嶽1983a;…村松1981)はもちろん、近年は実験や計量テキスト分析な ども導入されている(谷口2014;…樋口2017;…日本政治学会編2017;…cf.…飯田2017)。また、推論形式 の厳密化(久米2013;… 加藤他2014)、理論・モデルの洗練化も著しく進んでいる。さらに従来は
「ジャーナリスティックな分野」として避けられた日本の現代政治にも、分析の視野を拡大させ た1。また、査読付論文や外国語論文の発表は現在では珍しくない(菅原2010)。こうした研究活 動の変化は、より一般的には、「科学としての政治学」ないし「政治科学(political…science)」の 確立とセットで考えられている(渡部2010)2。
しかし、これらを歴史的事実として記述・分析し、政治学史研究として発展させる試みが十分 行われているとはいいがたい。例えば、レヴァイアサン・グループの登場前後までを扱った田口
(2001)は既に17年前の著作であり、その後、少数の例を除いて、日本の「科学としての政治学」
の歴史的検討は進んでいないのが現状である。この学史研究の停滞状況は、端的に日本政治学史 というディシプリンの未発達の現れといえる3。本稿は、こうした研究状況を前進させるための 一つの試みである。
ところで、このような――現代の政治学史研究が十分なされていないという――見方には、異 論もあるかもしれない。というのも、1990年代頃から、社会科学分野の教科書は急速に充実化が 図られ4、教科書に学説史は詳述されているとも見える。しかし、学史研究は学説の変遷のみが 検討対象ではない、という考え方もある。そこで最初に、学史研究とは何を行う研究なのか、科 学史研究を参照して簡単に検討しておこう。
⑵ 科学史としての政治学史
学問を対象とした歴史研究のうち、蓄積のある分野の一つは科学史研究である。科学史研究で は、しばしば学史記述には内在史と外在史があると言われる5。政治学史もまた科学史の一分野 だとすれば、この区分は検討の出発点となりうる6。
まず前者の内在史(internal…history)では、主たる検討対象は学説である。典型的には、教科 書や概説書、研究動向論文として記述される学説史がこれにあたる。この内在史では、諸学説の 整理・体系化に力点を置くため、その他の諸要素――学説とは区別された著者の思想、研究上の 試行錯誤、論文執筆の社会的背景など――は基本的に捨象される7。また先行研究の整理を伴う
ため、現在の研究活動にも直接資することになる。しかし、検討対象が研究書や論文として発表 された文献資料に限られ、歴史記述としては記述範囲が大幅に限定される。
次に後者の外在史(external…history)とは、「社会集団としての科学者の活動」に焦点を当て るもので、科学の社会史とも呼ばれる。学史研究の検討対象には、現に研究活動にレリヴァント なものすべてが含まれうる。研究の方法や規範、研究者のパーソナリティ、研究機関や研究費の あり方、調査研究の技術といった諸要素は、それらが現に研究活動を規定する限り、学問史とし て分析対象となる。例えば、アメリカ政治学を検討対象とした山川(1977)は、研究者の団体活 動や、アンケート調査をもとに研究者意識を記述するなど、狭義の学説史を超えた学史研究であっ た8。また、特定の研究者の学説を整理・研究する試みも、純粋な内在史とは言えないだろう。
なぜなら、著者という学説外のファクターを重視するからである9。こうした外在史研究は、主 として「なぜこの学問はこのようになっているのか」という視角から、学説外部も含め検討する ことになる。
さて、この区分に即してみると、内在史研究が教科書の充実化の中で進展しているのに対して、
外在史と呼びうる日本政治学史研究は豊富とはいえない。本稿が進展を図りたいとするのも、こ の後者の分野である。しかし、一定の成果は蓄積しつつある10。まず、日本政治学史の見取り図 を描こうとする著書としては蠟山(1969)、大嶽(1994a;…1999a)、田口(2001)、大塚編(2006)、
論文では山川(1987)、Taniguchi(2010)が挙げられる。次に、特定の著者に注目したものは 比較的多く、今村(2009)、三谷(2013)、山田(2004)、岡本(2016)、畠山(2017)、酒井(2016)、
大矢根編(2016)、初瀬他編(2017)などがある11。また、研究者集団の世代的傾向については 藪野(1987)、渡部(2010)、猪口(1996;…2015)、酒井(2017)、木下(2004)、大学別では内田(2007)、
吉村(1982)、中野(2014)、今野(2016a;…2016b;…2017)、田口(2005)、堀江(1988)がある。
さらに、研究機関の制度的側面については、佐々木研一朗の一連の研究(例えば佐々木2014;…
2017)が貴重な業績である。しかし、その対象領域は広く、今後明らかにされるべき日本政治学 史の研究領域は、依然多く残されている。
⑶ 「新しい政治学」をめぐって
こうした研究状況を踏まえ、本稿では、1980年代以降に登場した「政治学の新しい流れ(以下
「新しい政治学」という。)」の理念を検討したい。この時期以降の日本政治学の変容は、目指す べき政治学像の変化でもあったと言われるからである。以下のケーススタディでは、レヴァイア サン・グループの中でも最も明示的に戦後政治学批判を行った大嶽秀夫に焦点を当て、彼の行っ た実証研究にまで踏み込んで、その「新しい政治学」を再構成する。この作業を通して、日本政 治学史における彼の政治学像の独自性を明らかにしたい。
その際の手がかりとなるのは、分析の厳密性の確保と、マクロな体制分析の関心という、政治 学研究における相異なる二つの要請である。政治学の「科学化」の潮流の中にあって、大嶽はこ の二つに対して特異な立場にあった。まずこの点の確認から始めたい。
第2節 方法的厳密性と体制分析の関心
⑴ 分析対象の限定をめぐる議論
1987年、村松岐夫・大嶽秀夫・猪口孝の 3 人を編集同人とする政治学専門誌『レヴァイアサン』
が創刊された。その発刊趣意書は「学界のにない手の世代交代の宣言」とも表現され、学界に大 きなインパクトを与えた(田口2001:…424-425)12。同文書は次のように「部分的側面に分析を限 定すること」の重要性を強調している。
「…従来の特殊日本的分析が、しばしば日本政治の全体を『丸ごと』あるいは一挙に、しかも無限定に解釈し、
特徴づけようとする傾向を持っていたのに対し、〔新しい政治学の流れでは〕部分的側面に分析を限定す ることによって、特定の変数を抽出することを可能にし、それがまた、独自の比較分析と累積的な知識 体系の構築への道を開いている」(村松他1987a)
また 2 年後の樋口陽一との対談でも、大嶽は同趣旨の発言をしている。
「…大嶽 ストラテジックには、政治の問題を限定することによって政治学を科学にしようという狙いがあ るわけですね。何もかも包み込んでしまうと、政治学というのは科学的には成立しなくなってしまうから、
できるだけ限定しよう。……狭くすることによって厳密にするわけです。」(樋口・大嶽1989:…54-55)
こうした限定化は、現在ではひとまず標準的な研究規範と言ってよいだろう。現象のある部分 から他の部分(ないし「全体」)へと推論を拡大するには、厳格な手続きが必要となるからであ る(キング他2004)。
しかしこの反面、政治学研究の細分化・専門分化を生み、政治体制のトータルな把握を困難に したという懸念が、研究者間で生じるようになった。例えば渡部純(2000:…6)は、「現代日本政 治研究は、1980年前後の、村松岐夫・大嶽秀夫・猪口孝らの所謂『レヴァイアサン・グループ』
の登場以降飛躍的に向上したと言えるが、90年代に入ると国家・体制といったマクロな問題は正 面から取り上げられなくなりつつある」と指摘している13。同様のことは、近年の教科書でも繰 り返し指摘されている(苅部2011:…168;…新川他2017:…ⅱ)。これらは、分析対象の限定化がテーマ と方法の専門分化を促し、マクロな政治体制の認識を困難にしたという指摘である14。
⑵ 大嶽秀夫の後続世代批判
大嶽はこの懸念をどう考えていたのだろうか。実は大嶽自身も、後続世代が「政治体制の全体 像を捉えていない」と批判的であった。次の文章は、後年に大嶽が「最近の研究」のあり方に懸 念を示すものである。
「…政治のある側面だけに焦点を当て、例えば元来多元主義がもっていたようなレジームとしての民主主義 度を『測定』しようというようなマクロな視点が失われ、日本政治の全体像とその評価を、最近の研究 が目指していないことには懸念をもつ。」(大嶽2007a:…26)
この大嶽の文章は、ある意味で読者を困惑させるかもしれない。というのも、「政治のある側 面だけに焦点を当て」ることの意義を強調し、その方向に政治学研究をリードしてきたのは、他 ならぬ大嶽自身ではなかったかと疑念が浮かぶからである。しかし大嶽の考えでは、研究対象の 限定化が「政治体制の全体像」を見失わせる原因ではなかった。
「…規範的関心がなくなったことで、全体像を捉えようとする関心を維持する必然性が失われたのである。
皮肉にも、『近代主義政治学』の衰退が、多元主義以降の日本政治学にマクロな関心それ自体を失わせる 結果となった。」(大嶽2005:…19)
つまり、「全体像を捉えようとする関心」は「規範的関心」に支えられるとしている。したがっ て、対象の限定化とマクロな体制分析は両立可能であると大嶽は考えていた。
この点を踏まえると、大嶽が表明した「分析対象の限定化」志向についても、異なるニュアン スがあることがわかる。彼は分析対象が「狭くなりすぎる」ことにも批判的であった。次の大嶽 の文章は、行動科学が「瑣末主義」に陥る危険を指摘したものである。
「…検証可能性を研究対象選択の基準とすることは、瑣末主義を生む危険をもつ……これは、行動科学にお ける実証研究に共通な特徴の一つである」(大嶽1979b:…23)
また次の発言は、先に引用した樋口陽一との対談の中でのものである。
「…大嶽 ぼくはいつもあまり狭くなりすぎるなと文句を言っているほうなんです。……たとえば会社にお けるコンフォーミティとか、あるいは家庭内の権力関係とか、かつて行動政治学がいちばん最初に出た ころの関心からみれば格好の研究素材だと思いますが、それを実際にやった人はアメリカ政治学にもほ とんどいないし、その後の蓄積もわずかしかありません。」(樋口・大嶽1989:…55)
この「狭くなりすぎるな」という彼の発言は示唆的である。従来、レヴァイアサン・グループ の「新しい政治学」は、分析対象の限定化と実証の厳格化によって、「政治学の科学化」に先鞭 をつけたと理解されがちである。しかし、少なくとも大嶽自身について言えば、それは彼の目指 す政治学の一側面にすぎない。大嶽の研究は、他方では分析対象を拡大させ、マクロな体制分析 を志向していた(石田1992)。彼にとって、マクロな体制分析への関心は、分析の厳密化ととも に重要な視点であった。
では、それはどのようにして両立可能だったのだろうか。以下では、大嶽が実際に行った体制 分析を取り上げ、彼の目指す「新しい政治学」の構想を検討したい。
第3節 体制論――後期資本主義体制
⑴ 体制とは何か
体制分析は、大嶽秀夫の研究に頻出するキーワードの一つである。自身の研究の狙いが体制分
析にあることを、大嶽は繰り返し強調していた15。
大嶽の言う体制とは何だろうか。この点、大嶽は必ずしも明確な定義を行っていないが、政治 体系(political…system)の空間的・時間的パターンとして捉えているように思われる(大嶽 1979b:…30)。つまり、体制(regime)とは、当時は資本主義体制や社会主義体制を連想するのが 一般的であった(山口1989)。これに対し、大嶽はその構成要素であるサブ・システムも捉えよ うとする。例えば、「丸山眞男のいう軍国主義者の精神構造、石田雄のいう村落共同体の構造権力」
も体制のサブ・システムであるという。そうした「各サブ・システムのパターンの体系化」とし て、ヴェーバーのいう家父長制国家などの「理想形」があるとする(大嶽1979b:…30)。こうした 政治システム全体の「パターン認識」を目的とすることが、大嶽の文章の端々から伺われる。
ではこうした体制認識を踏まえて、大嶽はどのように研究プログラムを設計するのだろうか。
ここで研究活動の背景を踏まえるために、彼の個人史に目を向けてみたい。というのも、彼の体 制理解には、時代背景の影響が大きいように思われるからである。
⑵ 大嶽秀夫の時代経験
大嶽秀夫の学生時代は、大学紛争と新左翼の時代であった16。1943年岐阜県生まれの大嶽は、
名古屋の高校に通い、 2 年生時には六十年安保闘争のデモに参加した。また安保条約をめぐって は、高校教師と深夜まで議論を交わしたという熱心ぶりであった。当時の若者と同じく、大嶽青 年もまた政治の季節の只中にいたのである(大嶽・大嶽1999:…86-87)。1962年、18歳の大嶽は京 都大学に進学する。その頃の大学は、大学管理法(大管法)反対闘争が吹き荒れていた時期であっ た。学内では新左翼系、共産党系の学生団体の各セクトがデモ、スト、貼り紙、集会を繰り返し ており、大嶽もまた、新左翼系の社会主義学生同盟(社学同)のデモ行進に参加した(大嶽 2007b)。また、在学時には谷川雁や吉本隆明、サルトルやボーヴォワールの著作を読みながら、
思想的な思索をめぐらせていた17。青年大嶽秀夫はこうした環境の中で、「新左翼譲りの反権威 主義的な心情」を育てていったのである18。
大嶽が政治学の道に入ったのは、 3 年生で受講した、勝田吉太郎の西洋政治思想史講義がきっ かけとなった。当時、勝田は『近代ロシア政治思想史』(1961)を刊行したばかりの気鋭の若手 学者であり、ロシアのゲンツェル、ドストエフスキーの思想から説き起こして政治思想を講じて いた。勝田のドストエフスキー論に「大いに刺激された」文学青年の大嶽は、「最も熱心に聴講 する学生の一人」となった(大嶽1986:…356)。それ以前からも大嶽は、 1 年生では野口名隆のプ レゼミに参加し、また 2 年生では高坂正堯の外書購読でトクヴィルを読むなど(大嶽1986:…
355)、政治学に触れてはいたものの、この時期から政治学へと本格的に関心を寄せていく。そし て、 3 年生後期には猪木正道ゼミに入り、ゼミ論として明治維新論を書いた(大嶽1986:…355)。
こうして大嶽は、政治学の世界へとその立ち位置を移していくことになる。
ただ、彼の政治学研究への歩みは、政治運動から距離を取ることとパラレルであった。大嶽は 1966年に京大を卒業し、1年間の浪人生活の後、1967年に東京大学大学院法学政治学研究科に進 学した。そして岡義達の熱心な指導の下、アメリカの公民権運動をテーマに本格的な勉強を開始 した。やがて、医学部を発端とした東大紛争が学内で巻き起こることになる。大嶽が修士課程 2
年、修士論文を準備していた矢先の出来事であった。法学部周辺にも闘争の喧騒が及び、東大全 共闘などによる度重なる授業妨害や、研究室封鎖などに遭遇する。こうして大嶽は再び学生運動 に関わることになる。東大紛争が加熱する中、大嶽は法学政治学研究科の自治会委員長に選出さ れたのである。
「…東京大学大学院法学政治学研究科に在籍中には、1969年安田攻防戦に向かう東大紛争に係わらざるをえ なかった。奇妙な偶然から、私は法学政治学研究科大学院の自治会の委員長に選出された。」(大嶽2017:…
266)
しかし、大嶽は東大全共闘からは距離をおいた。彼は東大全共闘の反権威主義的な姿勢には共 感したが、大学粉砕、政治革命といった彼らの唱える理念は荒唐無稽としか思えなかった。
「…(共産党の青年組織)『民青』に対してそれほどの反発もなく、全共闘に対して一定の共感をもちつつも 大学から革命を始めるなどという発想は噴飯ものだという認識をもっていた。しかも仮に国家の場で『革 命』が起ころうと、医学部の体質が変わることなどありえないという認識もあった。加えて政治学研究 者としてのリアリズムもあった。東大紛争の切っかけとなった医学部の権威主義的体質(まさに私的権 力の露骨な行使であった)に憤慨していたし、法学研究科の教授たちに見られた、当人たちに意識され ざる『リベラル権威主義』に反発していたので、全共闘に心情的には共感した。民青と全共闘双方に距 離をとっていたので、両者に立ちうる存在として、双方から妥協の産物として私が委員長に選ばれたの であろう。」(大嶽2017:…266)
高度経済成長が進む日本の社会状況の中、もはや政治革命のスローガンは時代錯誤だというの が大嶽の肌感覚であった。大嶽の視線は、先進資本主義国における現代の政治現象――例えば修 士論文のテーマである公民権運動――に向けられていたのである。
東大紛争の収束に伴って、ささくれ立ったキャンパスの雰囲気から逃れるように、大嶽はアメ リカ留学を決めた。1970年 3 月、よど号ハイジャック事件のニュースを耳にした頃には、「赤軍 派やハイジャックはもう遠い世界の事件」と感じるようになっていた(大嶽2004)。フルブライ ト奨学金を得てシカゴ大学へと発ったのは、同じ年の夏、大嶽が26歳の時のことである。シカゴ 大学に到着した彼は、都市政治を研究していたポール・ピーターソンのもとを訪れる。彼の指導 下で、刊行されたばかりのダールやアリソンの著作を読み、最先端の政治分析の手法を吸収して いく。そしてこの経験が、約10年後の日本政治学における「日本型多元主義」の登場を準備する ことになるのである。
⑶ 大嶽秀夫の体制論
この個人史で注目したいのは、現代の「政治」を大嶽がどう捉えているかである。高度成長期 を経て、市民にとっての「政治」の意味は変化していた。従来の「政治化(Politisierung)の時代」
から、政治は「サイドショー」ないし日常生活から縁遠いものとなりつつあった。学生運動に対
する大嶽のスタンスの変化は、彼自身にとっても「政治」の位置づけが変化したことを裏書きし ている。
では大嶽は、現代の政治体制をどのように理解するのだろうか。後年の著作とあわせて再構成 すれば、概ね次のようになるだろう。まず彼は、政治参加のコストの大きさに注目する。学説的 にはオルソンやダール、ウォルツァーなどを参照しながら19、政治参加のコストがベネフィット を上回る場合には、人々は政治参加を行うとは限らないと想定する。人々を動員する政治的起業 家が現れない限り、基本的に政治参加は低調になるだろう。
ここまでは、以前からも公共選択論などで論じられてきたことである。大嶽の独自性は、多元 主義理論家を参照しながら、これを体制論にまで発展させることである。彼によれば、「19世紀 までは、『富への唯一の道、あるいは最も早い道が政治権力や公職経由である時代が……続いた』
のに対し、現代は最早そうではない」(大嶽1990:…223)。現代においては「政治は大衆にとって利 益実現の中心的アリーナではなく、周辺的活動である」(大嶽2005:…5)。大企業にとっても、「政 治権力への接近は、市場における企業の地位……など経済権力とそれにとともなう特権とを確立、
維持するためには不可欠ではない」(大嶽1979d:…215)。こうして現代は、「政治(とその基礎と なる物理的強制力へのアクセス)が価値配分にとって、必ずしも不可欠でも、効率的手段でもな い社会」として理解される(大嶽1990:…223)。このため、「現代資本主義体制ではWho…benefits…?…
がWho…governs…?…の指標たりえない」(大嶽1990:…223;…cf.…Otake…1974)。
このような彼の体制理解は、「政治と社会の分離」という基本構図を持つものといえる。いまや、
社会の全領域が「政治化」されているとする政治理解は維持しえない。政治と社会は分離され、
各領域に固有の価値配分が行われる。従って体制のトータルな分析のためには、政治領域だけで なく、サブ・システムないし社会領域の分析も要請されるだろう。またこのような体制理解は、
彼自身が経験した時代状況を色濃く反映していることは、容易に見て取ることができる。
では以上を踏まえて、大嶽はどのように体制の実証研究を行うのだろうか。次節では、大嶽が 実際に行った分析に即して、そこに体制論がどのように現れたかを見る。
第4節 実証研究――事例研究による体制分析
大嶽の研究テーマは非常に多岐にわたるが、実証研究に限定すれば大きく二つに分けられる。
政治権力に関わるものと、社会権力に関わるものである。この二つは相互に関連しながら、大嶽 の体制分析の一環をなしている。
⑴ 政治権力
一つ目の研究領域は、広義の政治権力に関わるものである。具体的には政府の政策決定過程、
選挙・集票行動などの分析がこれにあたる。彼の研究スタイルは新聞・雑誌記事や当事者インタ ビューを素材としてミクロな政策過程を仔細に記述する点にあり、それは直接的には「分析対象 の限定」という彼の研究規範の現れではある。しかし「事例研究による政治体制の分析」(大嶽 編1984)という副題をもつ編著があるように、また以下で見るように、彼の記述はつねに体制分 析の一部として組織されている。彼の主な理論枠組は多元主義、イデオロギー対立、ポピュリズ
ムへと変遷したので、順にこれを見ていこう。
ⅰ)多元主義
研究生活をスタートした彼が最初に取り組んだのは、多元主義を主な理論枠組とする体制分 析である。時期区分としては主に70年代から80年前後までの研究であたる。ここでは二つの研 究を取り上げよう。
一つは、アメリカ公民権運動の分析である。前述のように、大嶽は修士論文でアメリカ公民 権運動を素材とした。この修士論文はシカゴ大学から帰国後にリニューされ、英文で発表され た(Otake…1974)。同論文は、公民権運動におけるイシュー化プロセスを分析するものである。
大嶽はこの過程の叙述を通して、政策決定過程に浮上する争点は社会の潜在的利益の一部でし かなく、イシュー化を抑制するコストや政治文化の存在を指摘している。
もう一つは、欠陥自動車及び日米繊維交渉の分析である(大嶽1979d)。同研究はよく知ら れるように、一方では、大企業の経済権力を浮き彫りにし、「私企業が政府に対して高い自立 性を持つ多元的社会」(大嶽1979d:…1)を描き出している。また他方では、政治アクターの自 律的な政策決定過程の叙述を通して、外部に対する政治領域の「制度的遮蔽性」を示している
(酒井2016)。これらは、政治・経済領域の各アクターの自律性を叙述することを通して、政治 体制の多元的構造を示すものである。
なぜ、現代の体制は多元的構造をもつのだろうか。大嶽によれば、ある政策アリーナにおけ る政治的リソースが、他のアリーナからの影響力を遮断する「遮蔽性」を有するからである。
そのリソースの一例として、大嶽は各政策領域に固有の専門知識の存在を挙げている。例えば テクノクラート政治においては、各政策の専門知識に基づき政策が決定され、他の領域からの 影響力は基本的に排除される(大嶽1989)。この場合、多元性とは政策アリーナの多元性を指 している。大嶽はこのように、「決定的事例」(crucial…case)の研究を通して、多元主義体制 の分析を進めるのである20。
ⅱ)イデオロギー対立
しかし大嶽の研究枠組は、80年代に入って、マクロなイデオロギー対立のパターン認識を中 心としたものに変わっていく。そこでは、多元的対立の背景にある構造的なイデオロギー対立 や、先進資本主義諸国の政治潮流のサイクルに焦点が当てられる(酒井2016)。
イデオロギー対立の枠組は、次のような分析視角として現れる。大嶽によれば、「社会民主 主義と自由主義という二つの路線が後期資本主義体制の中にビルト・インされ、これが様々な 局面で政策をめぐる対立として浮上してくる」(大嶽1983b:…151)。とりわけ、文教政策・防衛 政策のアリーナでは、専門的知識の役割は相対的に後退し、イデオロギー対立が政策決定を規 定した。ある時期までの日本やフランスのように、激しいイデオロギー対立の中では、専門的・
技術的な政策議論は困難となる21。ここでは、現代の体制の多元主義的構造は否定されないも のの、イデオロギーの「二つの路線」が時間的サイクルを伴って浮上し、これを規定する側面 が着目される。大嶽はこれらを豊富なケーススタディに基づき記述していく22。大嶽の仕事の
うち、もっとも分量が多いのはこのイデオロギー対立に焦点を当てたものである。
ⅲ)ポピュリズム
さて2000年頃から、大嶽はポピュリズムという分析枠組を用い始める。これは、その後隆盛 するポピュリズム研究の先駆的業績となったものである。
なぜ大嶽は、ポピュリズムに注目したのだろうか。そこには、冷戦終結によるイデオロギー 対立の急速な後退により、イデオロギー対立の分析枠組では同時代の政治現象を十分に捉えら れないという認識があった。そこで彼は、1990年代においては政治不信と政治行政改革が新た な政治的対立軸となったとする。その文脈で登場するのが、分析枠組としてのポピュリズムで ある。
ポピュリズムとは何か。大嶽はこれを、リーダーシップの一つのスタイルと捉える(大嶽 2006)。しばしばポピュリズムは大衆迎合と訳され、批判的に言及される。しかし大嶽によれば、
ポピュリストは善悪二元論による道徳的対立軸を作り出しつつ、テレビを効果的に活用しつつ
「劇場型」の政策決定を演出する23。また、ポピュリズムはリーダーの政治手法やパーソナリティ に依存するため、制度変化からは説明しきれない。そしてポピュリズムの下では、改革者に対 する熱い期待と幻滅という、短期的サイクルが反復されるという。大嶽は、ポピュリズムとイ デオロギーの結びつきを明らかにしつつ、1990年代以降のこの新たな政治現象を分析していく のである。
⑵ 社会権力
さてここまでの研究は、大嶽の独創的な視点を含むとしても、依然として政治へのインプット・
アウトプットに焦点があるという意味では、政治レベルの権力分析が中心であった。しかしそれ 以降の彼は、社会レベルの政治/権力の分析も手がけ始めるようになる(田村2012)。この研究 戦略は、彼の体制分析にとって重要な意味を持つ。まず企業内政治の分析について見ていこう。
ⅰ)企業内政治
大嶽の企業内政治の分析は、主に80〜90年代になされたものである。最初の研究は、日産争 議の分析である(大嶽1996a)。この中で大嶽は、企業内政治でも政治領域と同じような対立構 造が見られることを示し、政治秩序と経済秩序の連続性を見いだせるとする。
「…政治秩序の構成原理を表現するイデオロギーが同時に、(とくに生産の場における)経済秩序の構成原 理ともなっている。」(大嶽1996a:…56)
また彼は、自由主義的改革の時代における、企業内の「ミクロ・コーポラティズム」の研究 を行っている(大嶽1994b:…第 2 部第 5 章)。彼は企業内の政治過程の叙述を通して、企業内の ミクロ・コーポラティズムと、マクロないしメゾ・レベルの経済的自由主義とがどのように並 存しているかを再現している。
「…経済的自由主義とコーポラティズム(さらには、より一般的に社会民主主義)とは、レベルを異にす ることによって、より正確にはレベルを一つずつずらすことによって、並存ないしは(より積極的に)
相互補完する原理なのである。」(大嶽1996a:…140-141)
こうした大嶽の企業分析に、どのような研究上の意図があるかは明白だろう。一方で方法的 には、これまでと同様、イシュー・アプローチによるイデオロギー分析を採用するものであっ た。他方で対象としては、企業内の労使関係へと視点の移動させている。後年大嶽は、日産争 議の研究を次のように振り返っている。
「…これまでは『経済をめぐる政治』というふうに見ていたんですけれど、それと同時に、日産争議では、
企業の中でもそういう争いがある、ということがわかった。」(大嶽2014:…103)。
こうした労使関係の政治学的分析は、当時も現在も必ずしも一般的ではなかったことに注意 したい。労使関係の分析は、伝統的にはマルクス主義が扱ってきたテーマである24。また後に は、ネオ・コーポラティズム理論が労使関係に改めて注目するようになってはいる。しかしい ずれも、労使関係を変数とした政策過程へのインプットに焦点が当てられていた。これに対し て大嶽は、政策過程へのインプットとは一端独立に労使関係を分析し、これとマクロ・レベル のイデオロギーとの連続性ないし補完性を論じるのである。これは、「体制の基本単位」とし ての経済領域の大企業、それも企業内部の権力構造に注目するものと言うことができる(大嶽 1979a:…14)。このことの含意は後にまた触れる。
ⅱ)ジェンダー秩序
そして1990年代以降、大嶽はさらに自身が「『体制』を構成する最も重要な要因」(大嶽 2011:…v)と述べる対象へと分析視野を拡大することになる。それがジェンダー秩序、とりわ けフェミニズム運動の形成・展開過程の分析であった。その研究意図について、大嶽は次のよ うに説明している。
「…振り返ってみると、筆者の研究の出発点は、狭義の政治現象を超えた、経済的活動の場における権力 作用への強い関心にあった。遅々とした歩みであったが、それをさらに進めて、家族や今でいう『親 密圏』における権力関係の分析視点に向かった。」(大嶽2011:…x-xi)
その焦点は、私的領域における権力関係に当てられている。こうした親密圏の権力関係は、
社会学では研究蓄積があり、また政治学においても着想がないわけではない。大嶽は、初期の 行動論政治学には、社会関係の権力作用にも関心があったことを指摘している。
「…(国家とは相対的に独立の)社会関係における『権力』作用……は、ラスウェルやメリアムを先駆者と して行動論的政治学に導入された概念であるが、その後はアメリカでも実証的裏付けを得ないまま現
在に至っている。」(大嶽1994a:…47)
そこで問題は「実証的裏付け」、すなわち私的領域の権力分析をどのような資料や視角に基 づいて行なうかである。大嶽は、一つの方法論としてエスノメソドロジーに期待するものの
25、自身は主として「政治経済学的アプローチ」、すなわちフェミニズム運動の形成・展開過 程の叙述という方法を取った(大嶽2011;…2015;…2017)。これは、従来から大嶽が慣れ親しんだ イシュー・アプローチをジェンダー秩序分析に応用したものといえる。
⑶ 体制論の含意
以上見てきた大嶽の諸研究は、彼の「政治と社会の分離」という体制理解の下で組織されてい る。その基本的視角は、「価値配分のメカニズム」としての権力主体は、社会レベルにも存在す るということである。第一に、経済領域では、大企業は狭義の政治過程で圧力集団として機能す るだけでなく、大企業自体が労使関係等を通して「価値配分のメカニズム」として機能すること を示した(大嶽1981)。これは、一般的な圧力集団論とは対照をなすことに注意したい。第二に、
ジェンダー秩序においては、既存の制度・文化が男性支配を可能にし、争点化を抑制していた。
しかしながら、フェミニスト運動の隆盛によりジェンダー問題の争点化を遂げ、公共的な議論の 対象とすることに成功した。これを大嶽は、体制への「ビルト・イン」と表現する(大嶽 2017)。政治システム内での争点化のパターンに組み込まれたということである。このように、
大嶽の政治学研究は、政治レベルに加えて、社会レベルの権力/政治を分析することで、初めて 体制をトータルに分析することになるという分析視角が貫徹している。
なぜ社会レベルの政治分析が必要なのだろうか。大嶽は争点形成以前または争点形成プロセス の事例研究と位置づけている(大嶽1991:…6)。江原由美子との対談では、大嶽はその意図を明確 に述べている。
「…社会制度と政治のつながりを考えるときに、ジェンダーの問題から入っていくと、うまく分析できるん じゃないか……。公と私の区別と連関というのは……研究ストラテジーとして、ジェンダーの問題から 切り込むことが有効じゃないか……一種の事例研究。」(江原・大嶽1991:…11)
政策過程の概念をこのように、争点化ないし議題設定のプロセスまで広げて捉えれば、社会領 域の政治学的分析も必要となる。大企業やジェンダー秩序などの社会ユニットを分析対象に取り 入れることで、体制の権力構造をトータルに明らかにする意図がここには認められる。次の大嶽 の言葉は、そうした問題意識を率直に述べたものといえよう。
「……ぼくは正直いって、社会の問題というのが今はいちばん重要な問題と思っているから、政治や何かの問 題にからめて議論するのではなくて……。」(樋口・大嶽1989:…47)
第5節 おわりに
⑴ ポスト・モダンの政治学
以上のように大嶽の諸研究は、体制分析を志向する観点から、政治・経済・ジェンダーの各領 域の権力分析として組織されていた。こうした社会権力の分析には、「新しい政治学」にとって 先行世代批判としての意味があった、と見ることができる。
大嶽の「新しい政治学」は戦後政治学の何を批判したのか。一つは、「片手間、評論的、印象 主義的」批判である(村松他1987a)。もう一つは、「体制の基本単位」の変化を見逃したことに ある。彼は次のように表現している。
「…60年代以降日本政治学が体制分析への実証的手がかりを失ったのは、政治学者が天皇制体制の基本単位 であった『村』の解体もしくはその形をかえた存続にのみ目を奪われたことによる。いいかえると、
……55年以降明確にその地位を確立した権力機構としての大企業がもつ、体制の基本単位としての性格 を日本の政治学が見のがしたためである。」(大嶽1979a:…14)
言い換えると大嶽は、社会的権力の分析を含めた政治学を目指す。大嶽はこれを、近代主義政 治学と対比して「ポスト・モダンの政治学」(大嶽1999a:…ⅲ)とよぶ26。前述の引用文から約20 年後、彼はポスト・モダンの政治学への関心を明示するようになる。
「…日本政治学の歴史を検討していて気づいたことだが、60年代末から登場したポスト・モダンな政治学は、
日本政治の分析に充分な成果をあげないまま影を潜めてしまったようだ。社会学では、フェミニズムや 社会的差別をこの枠組で分析する仕事が成果をあげているのと対照的である。」(大嶽1997)
彼によれば、日本の政治学は「家族や会社、教育機関における『社会権力』」という「社会に おける『中心』の政治学的側面」に対する分析、すなわち「ポスト・モダン的な政治現象の分析」
に進むことが遅れていた(大嶽2005:…10)27。大嶽の社会権力分析は、戦後日本における体制の権 力構造の変化を捉えるため、戦略的に導入された視角なのである。
⑵ 二つの政治学のあいだ
さて、このような内容をもつ大嶽の「新しい政治学」は、一方では実証性・厳密性を重視しな がらも、他方ではマクロな体制分析という「対象の拡大」を志向したことは明らかだろう。それ はどのように可能であったのか、方法論的な観点からまとめれば、次の二点を指摘できよう。
第一はパターン認識である。彼以降の世代では、因果推論を重視する研究が増大したといわれ る(粕谷2018)。一般に因果推論には、分析単位を明確化するために分析対象の限定が要請され る(渡部2010)。しかし大嶽の研究手法は、因果推論ではなく、体制のパターン認識とその記述 にあった(大嶽2005)28。ここには、政治科学が何をゴールとするかの大嶽の考え方が反映され ている。
第二はイシュー・アプローチである。彼が多元主義から引き継いだこの方法は、「反理論的」
なものとして理解されていた。イシュー・アプローチは、行動論的方法とは対照的に、政策決定 過程にレリヴァントな要素を幅広く記述に含めていく性格をもつためである29。言いかえれば、
イシュー・アプローチは記述の厳密性と同時に、記述対象の拡大を志向するものとして理解され ている。
以上を踏まえると、大嶽の目指す「新しい政治学」は、「科学化」とはやや異なる志向性を含 むものであったといえよう。それは因果推論的ではなく、相対的に対象限定的ではなかった。そ れは政治学の専門化傾向に対しての態度にも現れている。実は大嶽は、早くも『レヴァイアサン』
創刊号で、政治学の専門化に懸念を示していた。
「…広い意味での政治学界全体として見ると、むしろ専門化というのは一貫して進んできた。マイナスの面 も同時に伴ってきて、強い現実政治的関心を失うと同時に、タコツボ化して、非常に些末なことで研究の、
一種の訓詁学みたいな形になってくる。それがあるから、必ずしもプロフェッショナルがプラスだけに 働くとも思わないし、今の現代日本政治の研究だって、そっちの方へ行く可能性が無いとは言えない、
そのへんのバランスの問題というのが重要なんじゃないか。」(村松他1987b:…188)
このように考えると、大嶽の研究は、伝統的政治学と現代政治学の間で、ある種の緊張関係を 維持しようとするものと言えるかも知れない。それは、単に古い学問から新しい学問への過渡期 という消極的なものではなく、むしろその間のバランスに積極的意義を見出すものである。大嶽 が1979年に初めて日本政治学会で報告した内容は、こうした彼のスタンスを映し出して余りある ものであった。
「…科学的厳密性への指向と社会的需要への関心という二つの相対立する要請の間の緊張こそが、実証研究 の瑣末主義化と理論形成の無内容化の危険の回避を可能にする。今日における体制分析の試みは、こう した課題に応えるものでなくてはならないし、またそれが可能な研究対象領域であると筆者は考える。」
(大嶽1979c:…31)
当時34歳の気鋭の政治学者にとって、この一文に込めた意気込みは「科学としての政治学」の 意気揚々とした宣言というものではなかっただろう。むしろ、これからの政治学研究は、マクロ な体制認識という先行世代の問題意識を引き継ぎつつ、分析手法を緻密化・精密化させる、ある 種の緊張関係に立つことを自覚化させるものだったのである。
それでは、大嶽秀夫以降の政治学史の流れについて、どのように理解すればよいのだろうか。
後続世代における変化はなぜ、どのように生じたのだろうか。そこにレヴァイアサン・グループ 世代の研究上の影響はあったのだろうか。これらは今後の日本政治学史研究に残された課題とし たい。
[謝辞]…本稿は、日本公共政策学会関西支部例会(関西大学、2016年12月)及び国家類型論研究
会(明治学院大学、2017年7月)での報告を基にしたものである。報告の機会を頂いた渡 部純先生、宗前清貞先生、並びに議論に参加頂いた方々に感謝申し上げたい。また、草 稿段階でコメントを頂いた大嶽秀夫先生に御礼申し上げたい。
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