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叙事詩「人間」について松本忠

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(1)

叙 事 詩 ﹁ 人 間 ﹂ に つ い て

松 本 忠 司

二〇世紀初頭︑ロシャ第一次革命の準備期に︑マクシム・ゴーリキイは文芸戦線における民主々義勢力の統一的結

集を企画していた︒

すでに九〇年代の末からゴーリキイは︑モスクワのテレショフ家で開かれていた文学サークル︽水曜会︾に関係を

もっていた︒もっとも︑文学サークルといっても︽水曜会︾は特定の綱領とか規則とかをもつ専門的文学団体という

ものではなく︑文学者や画家や俳優たちの個人的友情から発する親睦機関にすぎなかった︒しかし多くの場合︑若い

作家たちの新作は印刷に付される前に︑この集りの席上で読まれ︑参会者のあいだで批判・検討されるのがつねであ

った︒戯曲﹃どん底﹄の最初の朗読もゴーリキイ自身によってこの会でなされたのである︒その意味でも︽水曜会︾

の存在は︑当時の文学界にあって注目すべき現象といわねばならない︒

ゴーリキイは早くから︑この集りのなかに︑当時の文壇を席捲していたデカダン的シソボリスト的熱中とは無縁な

55 7

健康な民主々義文学の端緒を見てとり︑次々と若い作家たちを導き入れた︒こうしてスキターレツとアソドレーエフ

(2)

56 7

リーソ︑ガーリソHミハイローフスキイもモスクワ滞在中は顔を出し︑チェーホフ︑コロレンコ︑ズラトヴラーツキ

イのような古い世代の作家たちもしばしば︽水曜会︾に出席するようになった︒期せずして︑当初の個人的親睦機関

は種々の色合があるとはいえ︑疑いなく民主々義の理念に立ち︑リアリズムの伝統を押し進める作家たちの一大牙城

の観を呈したのである︒

ゴーリキイは︽水曜会︾に革命的精神を注入しようと努力した︒ここで﹁著名な社会活動家たちの抗議文が編ま

れ︑数多くの署名に満たされた請願書が書かれ︑激烈な公開演説がおこなわれた︒﹂﹁当時の政府の不届至極な行為に

( 1 )

関連して︑全モスクワ的な抗議の主導はしばしばここから始った︒﹂︽水曜会︾はゴーリキイの主唱によって︑﹁違反

の際は兵卒として辺境に勤務せしむることを条件として学生の政治活動禁止﹂に対する︑大学生たちの抗議運動を支

持し(一九〇一年)︑民衆に対する政府によるテロを弾劾し(一九〇五年)︑数種の文集を刊行して︑その収益を凶作に

苦しむユダヤ人の救済に︑貧困学童の寄宿舎設置に︑労働者の争議に資金として提供した︒

一九〇〇年九月︑ゴーリキイは出版社﹁ズナーニエ﹂に編集同人として参加した︒カ︒ピャトニーツキイの主宰す

るこの出版社は︑大衆の社会意識をめざめさせるために主に通俗科学書の紹介をおこなっていたが︑ゴーリキイが参

加してからは︑同時代のロシヤ作家の作品の出版が大きな比重を占めるようになった︒ゴーリキイは﹁ズナーニエ﹂

の基本的課題として︑民主々義的文学勢力の結集と︑従来とかく不安定な状態にあった著作者の収入を保証すること

を定めた︒﹁この出版所の仕事は︑出版社の圧迫と束縛から著作者を守るという明白な旗印1﹁出版による収益のす

べては著作者のものであって︑出版人のものではない﹂という明白な原則のもとに︑すすめられた︒苦しい資本主義

の時代にゴーリキイによって実現されたこの原則を︑われわれ作家ー1いつもゴーリキイの懇切な配慮と評価と厳格

,

(3)

な態度で導かれたわれわれ作家たちは忘れてはならない︒ゴーリキイは出版社の搾取から作家の仕事を解放する条件

( 2 )

の第一歩を最初に築きあげた人である︒﹂と︽水曜会︾の組織者テレショフは書いている︒

こうしたゴーリキイの指導と配慮のもとに︑同時代のすぐれた作家たちは次第に︑︽水曜会︾の構成メソパーを中

心に︑出版社﹁ズナーニエ﹂の企画のまわりに集るようになった︒一九〇三年はじめ︑ゴーリキイは個々の作家の著

作の出版にとどまらず︑﹁ズナーニエ﹂に結集しはじめた作家たち全体の総力を一丸とした文学運動としての文集刊

行を計画した︒セラフィモーヴィチは︑この時期にゴーリキイが語った言葉を次のように伝えている︒﹁私は一つの

仕事を計画しました︒作家たちを集める必要があります︒われわれのところにはすぐれた作家はいるが︑みなばらば

( 3 )

らです︒﹂さらに︑文集の基本的構想を終え︑数人の作家たちと評議をつくしたのち︑彼はテレショフに宛てた手紙

のなかで語った︒﹁⁝⁝われわれがモスクワで語った話のつづきとして︑次のことをお伝えします︒もしも編集方針

がまったく文学的なものであるならば︑この文集のために︑ア・ぺ・チェーホフが短篇を寄稿してくれるそうです︒

私の意見はこうです︒つまり︑厚さなどを気にすることはちっともいりません︒ただ厳格に人選する必要があるだけ

です︒もしこの文集が︑チェーホフや︑アソドレーエフや︑クプリーソや︑ユシケーヴィチや︑テレショフや︑ゴー

リキイや︑スキターレツや︑セラフィモーヴィチや︑ブーニンやチリコフの労作で編集されたら︑もしもこうした人

たちが︑みんな立派な堂々たる作品を力いっぱい書いてくれたら︑これは文学上の事件となるでしょう︒文集の第二

( 4 )

集では編集の幅をひろげて︑もっと多くの新しい顔ぶれを集めることができるにちがいありません︒﹂

( 5 )

かくて翌年一九〇四年四月︑﹁ズナーニエ﹂文集第一集が刊行された︒その内容は次のとおりである︒エリ・アン

ii

57 7

!Hp!

(4)

ーー

58 7

﹃二つの岸のあいだ﹄︒そして巻頭には︑この本の純益のうちから︑文学基金に︑女子高等専門学校に︑女子医学研

究所に︑教員組合および養護施設に︑国民保健組合および託児所建設資金に各千ルーブリずつ︑国民巡回文庫に五百

ルーブリを寄附するということが宣言されていた︒

この寄附の宣言は文集の性格を何よりも明瞭に物語るものとして︑時の政府や読書界に強い印象をあたえた︒

四万一千部のこの文集は刊行後旬日にして売りきれるという︑当時としてはまったく類のない成功であった︒ゴー

リキイによる﹁厳格な人選﹂をとおってきた作家たち︑すなわち理念において進歩的民主主義的傾向︑創作手法にお

いてリアリズムの伝統を継承する作家たちの文集の成功は︑反社会性・反リアリズムを標傍するデカダソ派・象徴派

の陣営にとって壊滅的衝撃を与えるものであった︒デカダソ派・象徴派およびもろもろの神秘主義者の拠っていた

﹃ノーヴィ・プーチ﹄(新しい道)その他の雑誌は︑ズナーニエ派を﹁野蛮人﹂と呼び︑メレジコ!フスキイが主宰した

﹃ヴェスィ﹄(天秤)は︑﹁ズナーニエ﹂文集が広汎な読者層をとらえて︑読者の文学趣味を堕落させ邪道に導いている

から︑ロシヤ文学を愛するものはすべて結束して︑この文集の影響とたたかわねばならぬ︑と宣言した︒彼らの攻撃

はとりわけゴーリキイに対して集中された︒彼らは︑ゴーリキイがこの文集に発表した叙事詩﹃人間﹄のなかに︑﹁ズ

ナーニエ﹂文学運動の綱領的宣言を読みとったのである︒

( 1 )

( 2 )

( 3 )

( 4 ) エ ヌ ・ テ レ シ ョ フ ︒ 作 家 の 手 記 ︒ M ︑ 一

同 書 ︒ 六 八 頁 ,

ア ・ ア ・ セ ラ フ ィ モ ー ヴ ィ チ ︒ 著 作 集 ︑

ゴ ー リ キ イ ︒ 三 〇 巻 著 作 集 ︒ 第 二 八 巻 ︒ 九 四 八 ︒ 五 一 ‑ 五 二 頁

第 十 巻 ︒ M ︑ 一 九 四 八 ︒ 四 二 二 頁

M ︑ 一 五 五 四 ︒ 二 八 二 頁

(5)

( 5 ) ﹁ ズ ナ ー ニ エ ﹂ 文 集 は 一 九 〇 四 年 〜 一 九 = 二 年 ま で つ づ け ら れ ︑ 四 〇 集 ま で 出 た ︒

叙事詩﹃人間﹄が﹁ズナーニエ﹂文集に発表されて読書界に異常な反響をよびはじめると︑保守派の言論陣は筆を

そろえてこの作品の﹁破綻﹂を論じ︑ゴーリキイの影響力から読者を切りはなそうと腐心した︒

﹃モスコフスキエ・ヴェードモスチ﹄(モスクワ通報)紙に戴ったア・パッサルギソの論文は次のように始まる︒﹁い

( 1 )

まこそ︑マクシム・ゴーリキイ氏の文書に欠けていた言葉が言いきられた︒彼の創造には鍵がかけられてしまった︒﹂

かつてゴーリキイの文壇登場時代には︑彼のなかにニーチェ流の力の讃美者のみを見ようとして︑若い作家の出現に

賞讃を惜しまなかったこの批評家は︑﹃人間﹄において示された社会的モチーヴが作家の創造を偏狭な枠のなかに閉

じこめてしまったと︑はげしく非難した︒彼の見解によっても︑この叙事詩はゴーリキイの全創作と有機的につなが

り︑それ自体革命を呼びかけ︑﹁社会的カタストロフ﹂によって社会体制をおびやかすものであった︒

この見解はエヌ・ヤ・ステーチキソによって︑さらに発展させられた︒﹃ルースキイ・ヴェースニク﹄(・シヤ報知著)

紙に発表された︑六篇のゴーリキイに関する論文を収めた書物のなかで︑ステーチキソは述べた︒ーゴーリキイの

作品を読みとおして︑彼の前には︑﹁自分が何を︑何のためにおこなっているかをよく知っているところの︑革命の

. ( 2 )

伝導者の明確な姿がくっきりと浮かびあがった︒﹂それゆえに︑﹃人間﹄は﹁彼(ゴーリキイ)の短篇︑長篇︑劇作によ

って撤き散らされたすべての総括﹂であると︑彼は正しく規定した︒ゴーリキイの読者の数を推定してみて︑彼は恐

怖に襲われた︑i五百万!そしてゴーリキイを打倒し︑彼によって開始された﹁社会︑国家︑道徳および宗教に反

59 7

対する進軍﹂を阻止しなければならぬ︑とツァーリと﹁祖国﹂の忠良な臣民に呼びかけた︒人間は﹁古いもののすべ

(6)

て﹂を投げ棄て︑踏みにじり︑打ちこわすというゴーリキイの言葉を︑ステーチキンは次のように正当に解釈した︒

﹁︿古い﹀宗教︑︿古い﹀家族︑︿古い﹀社会︑︿古い﹀国家︑︿古い﹀教会権力︑︿古い﹀祖国愛︑忠良な臣民の

セ も

︿古い﹀忠誠︑これらすべてが︿古い﹀のであり︑そのすべてをマクシム・ゴーリキイは︿投げ棄て︑踏みにじり︑

( 3 )

打ちこわす﹀ことを欲しているのだ︒﹂

デカダソ派の雑誌は文集創刊の当初は︑そこに椰擶的紹介記事を戴せて黙殺の態度をとっていたが︑文集の読書界

における異常な成功が明らかになるにつれて︑本格的な攻撃に移った︒﹃ノーヴィ・プーチ﹄六月号で︑ゲ・チュルコ

フは︑当時すでに使い古されていた方法︑つまりゴーリキイの近作を以前の諸作品に対置し︑作家のかつての主人公

である浮浪人の形象を讃美し︑﹃人間﹄︑﹃小市民﹄その他の近作の﹁失敗﹂を政治への接近によるものと説明した︒同

じく十月に同誌にデ・フィロソーソフの論文が戴った︒神秘主義哲学の鼓吹者である彼の見解によれば︑ゴーリキイ

の人間は絶対的真理を所有しない︑世界に不可知なるものの存在を認めない︑死の恐怖を知らない︑それゆえ理想で

なく単なる幻想にすぎないのである︒しかし同時にこの作品が既存体制の安寧に対する大きな脅威であることを無視

するわけにいかなかった︒とくに︑﹁各人が人間であることを要求する﹂というくだりが彼には危険に思われた︒﹁正

確に■思い起す必要がある︑これは超人ではなくて︑たしかに大文字で書かれてはいるが︑彼をとりまくものとまった

く何ら区別されない人間である︒彼は人の長として他の人々より高く先頭に立っている︒しかし長になる道は誰にも

( 5 )

禁じられていない﹂と彼は書いた︒このように彼は自分の陣営に注意を喚起するとともに︑ゴーリキイの人間のあと

にではなく︑地上生活の放棄︑彼岸の世界における神との和合による﹁偉大な解放﹂を唱道するデカダン派のあとに

従うよう読者に呼びかけた︒ブイロソーソフと同じ基盤に立って︑﹃ノーヴォエ・ヴレーミヤ﹄(新時代)ではヴェ・

ブレーミソが﹃人間﹄を非難して読者の関心を冷やそうと努め︑﹃ビルジェヴィエ・ヴェ!ドモスチ﹄(株式報知)で

(7)

はア・イズマイ冒フとぺ・ゲイスマンが︑ゴーリキイの叙事詩はありふれた理窟の粗雑な集成にすぎぬと主張し︑ギ

ッピウスは・その著書のなかで早くもゴーリキイの﹁終焉﹂について語った︒

これらの保守派もしくは反動派の攻撃に対して︑中間的立場にあった自由主義陣営は一応ゴーリキイ﹁擁護﹂の立場

をとった︒当時はまだ急進的気分にあったア・アソフィテアトロフは︑その著書﹃文学アルバム﹄でこうした立場をと

り︑人間を読者に健康な意欲をよび起すものとして高く評価した︒しかし彼の感激的礼讃にはゴーリキイの理想を抽

象的にとらえ︑それを人類一般の姿に置きかえて︑この形象のもつ尖鋭さと現実性とをいちじるしく削ぐ傾きがあっ

⁝や(﹃)

(︑・)!

( 6 )

含めた︒このような混合によって人間の形象の階級的本質を曖昧化する傾向は比較的ゴーリキイに近い立場にある人

たちのあいだにもあった︒

ブレーニンその他︑ゴーリキイへの批判者に対するもっとも見事な反駁をおこなったのは︑著名な芸術学者スター

ソフである︒彼はゴーリキイをロシヤ文学の偉大な国民的伝統の正当な継承者として評価し︑﹁⁝⁝﹃人間﹄はゴー

リキイのもっとも基幹的︑もっとも深味のある創造の一つである︒なんという広大さと思想の豊かさが︑なんという

詩的な画面が︑なんという表現の簡潔さと彫りの深さがあることかノこれは全ロシヤ文学のもっとも重要な︑もっ

( 7 )

とも独創的な所産の一つである﹂と書いた︒

また︑当時において民主主義的気分をもつ知識人層の意見を代弁して﹁ル:シ﹂は﹃人間﹄について次のように述

べている︒﹁マクシム・ゴーリキイのもとには﹁時代の共通の言葉﹂を見いだすためのある特別な贈物がある︒それ

61 7

はコロンブスの卵を直立させるようにつねに単純であり︑それはi世紀の幸福の公式として1自分でわれらの詩

(8)

人11社会評論家の胸を破って飛び出たところの﹁言葉﹂である︒まさしく彼は︑シラーのように︑評論家であるとき

もっともよき詩人であり︑詩人であるときもっともよき評論家である︒﹂そして︑ゴーリキイを﹁若きロシャ社会の

指導者﹂と呼びながら︑社会は﹁ゴーリキイほどには︑ほかの誰をもこんなに熱烈に愛さないし︑誰からもこんなに

( 8 )

多くを期待しないし︑誰のためにもこんなに熱心に争わない︒﹂とこの新聞は伝えている︒

一九〇四年なかばから﹃人間﹄の反動的もしくは自由主義的解釈に対してマルクス主義批評家(ルナチャールスキイ︑

チヴィリコフスキイその他)が進出し︑ゴーリキイ創作のもつ巨大な意義を新たに照らし出した︒彼らの影響のもとに

社会民主党機関誌は︑自分の読者にゴーリキイから大きな︑貴重な教訓を学び取るよう呼びかけた︒あるボリシェヴ

ィークは次のように語っている︒﹁われわれは叙事詩を搾取社会との決定的格闘に進み出た社会主義的人間︑革命家︑

プロレタリヤの讃歌として把握した︒そのテキストは永遠に記憶のなかに刻みこまれた︒われわれは︑われわれの叙

事詩として︑われわれがそれによって生き︑それを夢想し︑そのために闘ったその内奥そのものをうたいあげた歌と

( 9 )

して把握した﹂と︒

762

へ  

87654321

))))))))

新 聞 ﹃ モ ス コ フ ス キ エ ・ ヴ ェ ; ド モ ス チ ﹄ 一 九 〇 四 ︑ 三 二 一 号 ︒ 十 月 二 〇 日 ︒

エ ヌ ・ ヤ ・ ヤ ・ ス テ ー チ キ ン ︒ マ ク シ ム ・ ゴ ー リ キ イ ︒ ペ テ ル ブ ル グ ︒ 一 九 〇 四 ︒

同 書 ︑ 二 五 三 ー 二 五 四 頁 ︒

雑 誌 ﹃ ノ ー ヴ ィ ・ プ ー チ ﹄ 一 九 〇 四 ︑ 六 月 号 ︑ 一 = 八 頁 ︒

同 誌 Q 一 〇 月 号 ︒ 三 二 六 頁 ︒

ア ソ フ ィ テ ア ト ロ フ ︒ 文 学 ア ル バ ム ︒ ペ テ ル ブ ル グ ︒ 一 九 〇 七 ︒

ヴ ェ ・ ス タ ー ソ フ 芸 術 ア カ デ ミ ー 文 献 集 ︑ 第 一 巻 ︑ 一 九 五 二 ︒

新 聞 ﹃ ル ー シ ﹄ 一 九 〇 四 ︑ 一 四 六 号 ︑ 五 月 九 日 ︒ 二 二 四 頁 ︒

(9)

( 9 ) 雑 誌 ﹃ プ ラ ウ ダ ﹄ 一 九 〇 四 ︑ 六 月 号 ︑ 二 七 四 頁 ︒

叙事詩﹃人間﹄の構想は︑ゴーリキイがニージニィ・ノーヴゴロドを追放されてアルザマスに滞在していた頃に醗

酵しはじめたものと考えられる︒一九〇二年夏︑作家はピャトニーツキイにこう打ち明けている︒﹁ピアノを弾く稽

古をしています︒小風琴を覚える手始めです︒できるようになると確信しています︒それは私に必要なのです︒﹃人

間﹄という一幕ものを計画しているので︒登場人物はt人間︑自然︑悪魔︑天使︒これは韻文で書かなければならな

( 1 )

いので︑音楽を必要とするのです︒﹂この時期に︑アルザマスを訪れた同時代人たちの回想はよれば︑彼らの前でゴ

1リキイはこの主題による即興詩を朗吟したこともある︒

ゴーリキイは︑かなり長い期間にわたって︑﹃人間﹄の主題と内容にふさわしい形式を探りっづけていたようであ

る︒一九〇三年八月下旬︑ズナーニエ文集創刊の準備に忙殺されていたさなかに︑ゴーリキイは︑﹁短篇を書いていま

す︒こう無性に忙しくては書けないような気がします︒しかし1気を落してはいません︒﹂とピャトニーツキイに

書き送っている︒戯曲︑短篇︑対話︑拝情的独白1これらはいずれもゴーリキイの主題を満足せしむる形式にはな

りえなかった︒叙事詩の形式によるこの主題の展開がはっきりと定められたのはその年の秋に入ってからであろう︒

この時期︑ゴーリキイは文集およびその他の出版の仕事に関連する問題で︑ひんぱんにピャトニーツキイに手紙を送

っているが︑それらによって彼の﹃人間﹄制作の進行過程がおおよそ推定できる︒十月初め︑﹁⁝⁝自分の仕事をす

すめています︒i﹃人間と小市民について﹄を書きはじめました︒﹂とゴーリキイは書いたが︑その三日後には︑﹁ま

もなく﹃人間と小市民について﹄を送ります︑腕も頭もひどくほてっています︒﹂と書いていることから︑この仕事に

(10)

没頭しているさまが想像される︒十月十八日には︑ゴーリキイはすでに叙事詩のタイプ原稿を出版所に送った︒

64 7

﹁親しい友

あなたに私の﹃人間﹄を送ります︒これを注意ぶかく︑繰り返して読んでくださるようくれぐれもお願いします︒

そのあとでこれの感想とまずい所とを知らせてください︒

リズムの不均衡はtあまり気にしないでください︑もしもそれが聴覚にあまりにひどい不快感を与えるものでさ

えなければ︒私には韻律をもった散文を書くつもりはなかったのです︒これは思いがけなく︑あたかも主題自身によ

ってよび起されたように︑こうなってしまったのです︒

流麗甘美な韻交を私は欲しないし︑言葉を修正することもしないでしよう︒

ところでーこれには余計なものや足りないものがありますか?概してーよく見てください︒それから必要と

思われる注釈と指示とをつけて︑原稿を送り返してください︒

この作物は私をたいへん当惑させています︒いつものように︑私はこのすばらしい主題をだめにしてしまったよう

です︒

私は小市民について書きつづけるでしよう︒それは1人間を追いかけてーはるか後方を歩みます︒そして自分

のうしろにやがてありとあらゆる法律の名をかたるところのあらゆる汚らわしいがらぐたを曳きずってくるのです⁝

これはもう別の種族です︑もちろん︒﹂

ピャトニーツニキイに送られたタイプ原稿は叙事詩の初稿である︒

しかし数日後にゴーリキイはこの初稿に大きな修正と補足を加え︑十月二十一日にふたたびピャトニーツキイに報

告している︒﹁⁝⁝﹃人間﹄を上から下まで手を入れています︒理由があるのです︒三分の一は1出て失せろ︑で

(11)

す︒﹂こうして叙事詩は重要な改作がなされた︒新しいプラソによる肉筆の改訂稿は叙事詩の第二稿と考えられる︒

第二稿はやはりタイプでコピーをとられたが︑これをピャトニーツキイに発送するに先立って︑ゴーリキイは再度い

ちじるしい修正を加えた︒さらに植字の階段に入ってからも︑ピャトニーツキイに手紙を送って︑叙事詩への新しい

補足をおこなった︒このような修正を加えられた﹁ズナーニエ﹂文集のテキストは叙事詩の第三稿と考えられる︒

後年︑ゴーリキイはさらに一度叙事詩にもどり︑﹁ズナーニエ﹂版﹁ゴーリキイニ○巻著作集﹂(一九一〇年︑ペテル

ブルグ)刊行のさい︑第九巻に収められたテキストの校正に新しい修正と補足をおこなった︒

このように︑叙事詩﹃人間﹄の原稿は四種存在する︒それら異本の比較・検討は︑叙事詩の思想内容と芸術家の創

作的構想の発展の正しい理解のためにも︑ゴーリキイの言葉に対する配慮を知るためにも欠くことのできない問題で

ある︒

第一稿から始める︒叙事詩は三章に分かれていた︒第一稿第一章の書きだしは第三稿と完全に一致する︒そして

﹁しかし世間の色々な些末事の密雲は⁝⁝﹂という節のあとには︑のちに第三稿で第二章の書きだしとなった文章が

つづき︑さらに第二章後半最初の部分︑すなわち自己の疑惑に対して人間が反撹して叫ぶところー﹁お前は嘘をつ

いている⁝⁝﹂から﹁おれはー未来においてー全世界の闇を照らす大火だ!﹂までを含めた文章があった︒第一

章の終結はのちの稿では叙事詩全体の完結となっている︒

第一稿第二章は﹁惑星が太陽を取り巻くように︑人間の周囲を彼の心霊の被造物がぎっしりと取り巻く⁝⁝﹂とい

う句で始まり︑本能の意志に圧しつぶされた人間についての﹁人間は自分自身を失う︒﹂という文章で終っている︒

第三章を構成するのは︑のちのテキストで︑人間が自分の疑惑をあばき生活に対する自分の見解を表明する独白体

765

(12)

の部分に相当する︒ただし︑初稿では独白形式は用いられず︑語り手をとうして語られる︒﹁私の人間は1生活の

66 セ も フ ロ

闇のなかの松明だ︑私の人間はtたたかいの人間だ!﹂(傍点松本)このような形で︑この章の三分の一ほどは

も も

行を改めるごとに︑[私の﹂という代名詞ではじまる︒

叙事詩の初稿は次のスローガソで終る︒﹁私の人間はー生活の闇のなかの松明だ︒彼は万物のためにあかあかと

道を照らす‑前へ!より高く!つねに前へ!そしてーより高く!﹂

以上述べた構成上の差異のほかに︑個々の文節・句︑用いられている形容語においてものちの稿に比較していちじ

るしく違っている︒また︑全般に人間そのものの偉大な影像よりも︑語り手のほうが前面に押し出されており︑語り

手の人間における没理性的根元に対する否定的態度がきわめて強い調子で述べられている︒また前置きの部分では語

り手の疲労感が過度に強調されており︑力を失った思想は現代の恐ろしい混沌を理解できないぼかりでなく︑﹁胸が

悲哀と恐怖によって満たされている︒﹂

第二章には自分の感情の誘惑に敗れた人間について次のような叙述がある︒

﹁侮辱されて︑忠実な親友はそっと人間のそばを立ち去ったー自由な︑嘲笑的な思想は︒

そして︑伝染病に似た卑しい退屈の娘の汚らわしい俗悪が四方八方から人間に這い寄り︑油ぎった腐蝕性の埃りで

彼の脳髄を︑心臓を︑眼をおおう︒

し も ぱ

すると思想は︑遠方から︑彼女の僕でも︑友達でも︑君主でもあり︑いまでは心をおおうもののために無意志の奴

隷に︑寄生虫に︑誇りと思想をもたぬ動物になり果てた人間を侮蔑のまなざしで追いながら︑苦い笑いであざわらう

⁝⁝︒﹂

ここでは人間の唯一の真の知己となるはずの思想が︑きわめてシニカルな相貌をもって示されている︒第二稿で

(13)

は︑作者は引用文の第一節と第三節をほとんど削っている︒

また︑のちの叙事詩では重要な主張の一つとなっている死に対する思想の︑

まだここでは提出されていない︒ ﹁不死﹂の創造の可能性による勝利は

叙事詩の第二稿は初稿よりはるかに主題的に明確であり︑人間の形象が能動的になっている︒構成を見ても︑それ

は初稿の三章に対し二章となっている︒人間の理想の保持者としての語り手が占めていた比重は︑第二稿において量

的にはいちじるしく縮少された︒初稿において語り手によって述べられた人間の闘争宣言は︑たたかう人間の誕生の

提示によって置き換えられた︒その結果︑﹁私の人間は生活の闇のなかの松明だ⁝⁝﹂以下の文章は削除された︒ま

た︑人間讃美に関係する語り手の言葉は︑ほとんどが人間自身によって語られるようになった︒

初版における第一章の終結はここでは叙事詩の完結になった︒人間が自分の疑惑のもとへふたたび戻るところに

は︑新しい文章が書き加えられた︒﹁しかり︑おれは死ぬる身だ⁝⁝しかし︑おれの思想はー不死なのだ!そし

て死は思想の奴隷になるだろう︒おれはそれを知っている︒知っているぞ!

そして︑おれはすべての謎を解く鍵を見いだし︑おれは自分自身の支配者になろう!

おれが自分の身をほろばすことになるとしても︑おれはおれの心のなかから一切の暗いもの︑惨酷なもの︑醜悪な

ものを引きぬく︑tそのとき︑ふたたび思想の生ける力によって自分を︑おれの思想が創った︑また創りつつある

神々に似たものとして作るのだ!﹂

この三つの改行文は第三稿では﹁日が近づいているーおれの胸のなかに⁝⁝﹂以下︑一つにまとめられている︒

67

なお︑この稿では思想と感情の関係については次のような記述があった︒人間にとって感情は﹁含有量の多い鉱石7

(14)

であり︑思想はその奇蹟的な炎で感情の山を熔解し︑動物的情慾の混沌のなかから︑重苦しく不要なものの混合のな

かから︑燦然と輝やく黄金t自由な︑溌渕とした感情を解放しようとつねに願っている︒﹂この文章は第三稿では

削られているが︑ゴーリキイの人間を理解するために重要な意味をもつものと思われる︒

この稿ではあらゆる種類の嘘︑﹁黄金の夢﹂に対する主人公の非妥協的態度が強調されていて︑ペシミズムと魂の枯

渇の源泉としての嘘との容赦ない闘争の必要が叫ばれている︒この目的から﹁近視眼的な感情の暗示によって⁝⁝﹂

に始まり︑﹁しかしもしも人間が嘘の毒に冒されたなら⁝⁝﹂を含む四つの改行文が新たに付け加えられた︒さらに

嘘と死の恐怖との有機的関連が示され︑﹁そして弱気から生まれた三羽の鳥⁝⁝﹂に始まる文章は別の形で結ばれた︒

初稿の﹁この生活全体が無意味で︑恥ずべきで︑嫌らしい⁝⁝﹂とはじまる改行文のあとには︑﹁私の人間は生活

のかかるシニズムと和解することはできない︒﹂という︑きわめて漠然とした文章がつづいていた︒第二稿ではこれ

が次のように変えられた︒﹁べとつく蜘蛛の巣に似て︑人々の頭脳と生活に巻きつく偏見︑迷盲︑習慣の一切よ︑呪

われてあれ︒彼らは人々を圧迫して︑生きることを妨げるーおれは彼らを滅ぼす!﹂﹁生活のシニズム﹂と和解し

ないだけでは不十分であった︒ゴーリキイの主人公はそれらとたたかう人間なのである︒

人間が前方へとすすむ姿も次の改行文によって︑具体的な内容をもつようになった︒﹁彼はゆく︑心臓を血でうる

おしながら⁝⁝﹂

第二稿を終えるにあたって︑ゴーリキイは末尾の文章i﹁かくて反逆の人間は進む﹂の後に︑﹁人々のはるか前

方を︑生活よりはるかに高く︑炎となってただ一人⁝⁝﹂という文章を書いて︑すぐ消している︒ゴーリキイの主人

公は孤立した人間ではない︑しかし人間全体でもない︒﹁全体﹂はすべての国家︑すべての民族︑すべての階級のな

かで︑久しい以前からいくつにも敵対的グループに分断されていた︒それでは︑彼は﹁全体﹂の一部分の未来を意味

768

(15)

するであろうか︒この問題に対して︑前に引用したゴーリキイのピャトニーツキイ宛ての書簡と︑叙事詩第二部の構

想を示すところの次の断片が答えている︒﹁炎の花のように︑生活の闇のなかであかあかと燃える灯明︑思想から生

まれた世界の征服者t人間は︑人々のはるか前方で燃えて︑人々を完全性へと導く道を照らしている︒tだが彼

のはるか後方では︑一歩ごとに計算しながら︑おずおずと左右を振り返りながら︑地上の現在の主で︑分別を弁え

た︑かの尊敬すべき小市民が彼らの跡をつけている︒﹂

このように前方には人間と大衆︑後方には小市民と小市民層が立っている︒この断片に示された構想は完成されな

かったが︑その基本的思想はまもなく論文﹃小市民層についての覚え書﹄で展開されるのである︒

叙事詩第三稿は︑第一稿に対する第二稿の変改のような根本的全面的な改訂はない︒

第一章では︑ちょうど半ばのあたりに︑﹁彼は自分の悲しい従者⁝⁝﹂の一行が新たに挿入された︒第二章では︑

終りに近く︑﹁疑惑よ!お前はただ思想の火花で⁝⁝﹂の次にくる改行文三つが一つにまとめられたこと︑これと

関連して︑﹁それらは⁝⁝鉱石だ⁝⁝﹂以下の感情の性格規定が削られたこと等である︒

さらに︑植字の段階で改訂された部分があるが︑これはピャトニーツキイ宛のゴーリキイの書簡(一九〇三年+二月

+二日〜+三日)から引用しよう︒

﹁どうぞ﹃人間﹄に嵌込んでください︒1﹃おれの武器は1思想だ﹄という言葉のあとへー

﹃そして思想の自由に対する︑その不死とその創造の永遠の成長に対する固い信頼がーおれの力の不滅の源泉

697それからー

(16)

﹃思想はおれにとって人生の闇を照らす永遠の︑ただ一つ偽りではない灯明であり︑人生の恥ずべき迷妄の暗黒

70 7

に燃える火である︒おれはそれがより明るく燃え︑より深く︑神秘の深渕を照らすのを知っている︑そしておれ

は不滅の思想の光芒の火のなかを︑彼女の後に従って進んでゆくのだ︑つねにーより高くノそしてi前

へ!﹄

このように修正と補足を加えられた第三稿が﹁ズナーニエ﹂文集第一集に発表されたのである︒

しかし︑叙事詩に対するゴーリキイの仕事は第三稿で完全に終ったのではなかった︒﹁ズナーニエ﹂版ゴーリキイ

著作集第九巻に収録された﹃人間﹄は︑校正刷ではなお数カ所の加筆・削除がなされている︒第一章の書き出しの部

分では︑コ点の上を不吉に旋廻する﹂という文の﹁一点の﹂が消されて︑﹁日々の混沌の﹂と書き換えられ︑つづく

﹁私は私の空想の力で人間の偉大なる像を自分の前によび起す﹂では﹁私の空想の力で﹂が抹殺されている︒次の改

行文では︑人間に対する﹁世界のように無窮の﹂という形容詞が削られている︒二番目の修正はとりわけ重要な意味

をもつと思われる︒それは人間の理想が1観念的思惟による抽象的な︑こしらえものの理想ではなく︑現実の発展

の典型的傾向の本質的反映としてとらえられていることを︑いっそう明確に強調するものであり︑理想の現実性およ

び語り手と人間のあいだに越え難い深渕がないことを説明するものである︒

決定稿ともいうべきこの第四稿は作者の生存中には]度も印刷されなかった︒おそらく︑﹁ズナーニエ﹂版著作集

第九巻が印刷に廻された以後の︑それもかなり後になってからのゴーリキイによる改訂であろうと思われる︒

このような叙事詩の改訂にしたがって︑読者にとって人間の形象を理解するのに障害となるようなものがすべて除

かれ︑曖昧な記述と誤解を招きがちな表現は﹁鋭い剣のような﹂人間にふさわしく︑正確で︑力つよく︑響きの強い

(17)

言葉に置き換えられたのである︒

((

21

))

ゴ ー リ キ イ 文 庫 第 四 集 ︒ M ︑ 一 九 五 四 ︑ 九 五 頁 ︒ ( ゴ ー リ キ イ の ピ ャ ト ニ ー ツ キ イ 宛 の 書 簡 は す べ て こ れ に 拠 っ た ︒ )

ア ・ チ ー ホ ノ フ に よ れ ば ︑ 初 稿 に は 次 の 後 書 き が あ っ た と い う ︒ ﹁ 私 は 多 く を 体 験 し た ︒ し ば し ぽ 死 が 私 を ま と も に 見

f

i

i(

ル ブ リ ャ ー コ フ ( ア ・ エ ヌ ・ チ ー ホ ノ フ ) ︒ 時 代 と 人 ︒ = 三 二 頁 ︒

叙事詩﹃人間﹄において︑ゴーリキイは︑ロシヤ文学の全世代が解答を求めつづけてきた課題に最終的解決を与え

ようとした︒

ずっと以前︑黎明の前兆かと思われたデカブリストの星が消えて︑ますます暗い夜の寒気が旨シヤを凍てつけてい

たころ︑﹃死せる魂﹄の制作にとりかかっていたゴーゴリは︑悲痛の思いをこめて語った︒i﹁前へ!‑この精気

溢るる言葉を︑あまねくロシヤ人が待ち焦がれている言葉を︑魂を鼓舞する叫びとして発する﹂ことのできる﹁高潔

な人﹂がロシヤの現実には存在しない︑と︒﹁何処にいるのだろう?﹂とゴーゴリは問う︒﹁わがロシヤの魂であるロ

シヤ語で︑﹁前ヘノ﹂と︑この何よりも力強い言葉をわれわれに呼びかけることのできる人は?われらの天性の力

と特質のすべて︑深奥のすべてを会得して︑魔術のようなこの言葉でわれらを崇高な生活へと指し向けることのでき

( ‑ ) 71

る人はどこにいるだろうか?恩義を知るロシヤはいかなる涙︑いかなる愛をもってその人に酬いることか!﹂7

(18)

72 7

てがこの﹁前ヘノ﹂と語りかける人間を期待し︑彼の登場を信じ︑彼のために路を清めることに生涯を捧げた︒ロシ

ヤのもっともすぐれた知性と良心の担い手であるこの人々の祖国と人民への献身的奉仕に対する報酬は︑流刑と牢

獄︑ときには発狂と餓死でさえあった︒しかし﹁かぎりなく明るい未来﹂の信念の灯は吹きすさぶ風雨にかき消され

ることなく︑ゴーリキイの時代にまでついに承け継がれてきた︒

も も ら も ら も も も

そして︑ゴーリキイは大文字で書かれるところの人間を描くことができた︒

叙事詩の冒頭における語り手の述懐は︑まさしくロシヤ文学全世代の献身と苦闘と受難の連続を意味する︒彼は大

空のはるか彼方に幸福の幻を追うのではなく︑地上にそれを創りだす源泉を求めている︒ここ1地上では︑二〇世

紀初頭のロシヤの現実のなかに﹁巨人的︑全世界意義﹂をもつ覚醒が始っていたのである︒

そして︑語り手の前に壮大な人間の姿が浮かびあがる︒

人々の前方を︑誇り高く自由な人間が前へ︑より高く︑はるかな未来へと向って進んでゆく︒それは生存の原初か

ら﹁人間﹂であることを思い止まらせようとする数知れぬ敵たちと絶え間なく格闘し︑傷つきながらも︑なお停止を

知らぬ﹁悲劇的に美しい人間﹂である︒彼は﹁なんのために存在するのか?﹂という悩ましい問題を抱えているが︑

﹁恐怖を知らぬ力︑強い思想﹂に武装されて歩みっづける︒険しい道を歩みながら︑彼は自分の心臓のなかで燃え立

つ血潮のなかから﹁詩歌の不殿の花﹂を造り︑その反逆の魂からほとばしる悲痛な叫びを﹁音楽﹂に変え︑経験か

ら﹁科学﹂を生み出す能力を所有している︒この力を発揮することによって︑人間は疲労をみずから回復し︑自分の

生活に彩りを添えながら︑さらに豊かな精気を吸いこんで存在の謎に挑戦し︑﹁自然界の支配者﹂となるのである︒

しかし︑人間の創造的精神の所産のなかには︑彼の歩みを後方へと引き戻し︑彼の魂の翼に錘りをつける﹁奇怪な︑

(19)

不完全な︑弱々しい﹂ものもある︒

﹁惑星が太陽を取り巻くように︑ー人間の周囲を彼の心霊の被造物がぎっしりと取り巻く︑たえず飢えている愛が

彼につきまとい︑はるか後方で友情が足をひきずって彼を追い︑前には疲れた希望が歩んでいる︒さらに︑憤慈に抱

えられた憎悪は︑手にした我慢の枷をうち鳴らし︑信仰は彼の反逆の顔を暗い眼付で眺めながら︑彼を自分の静かな

抱擁のうちに待っている⁝⁝﹂

ここではあたかも感情一般が否定されているかに見える︒しかし次の段で明らかにされるように︑否定されるのは

﹁古い真理のポロをまとい︑偏見の毒に浸され﹂︑思想に敵意を示す感情であって︑﹁思想と一緒になって一つの力強

い創造の火焔に熔け合う﹂ことも可能な積極的役割が感情のなかに認められているのである︒ゴーリキイは愛や友情

や希望の積極的要素を︑それらの奇蹟的威力を高く評価するとともに︑その不安定さを指摘しているのである︒たし

かに愛はーすべての感情のなかの精華である︒愛はi一瞬にして徐儒から美丈夫を︑野獣から騎士を︑乞食から

魂の王者を創り出し︑死に打ち克つ力を人間に与え︑人間の思想が生み出した神の座にまで人間を引きあげる︒しか

し愛はまたー利己︑狡猜︑嘘︑虚栄と容易に結びつきたちまちにして死ぬ︒独占慾と結びつくならば︑愛はたちま

ち嫉妬の腕のなかで絞殺され︑憎悪となって蘇えり︑無数の新しい悪徳を生み出す︒ゴーリキイによれば︑さまざま

な感情の混沌のなかから純金ー﹁自由な︑溌渕とした感情﹂を解放するのはただ思想の奇蹟的な炎のみである︒

ただ思想のみが﹁天と地のあらゆる秘密に打ち克つ道を﹂前へ︑つねに前へとすすむ人間を勇気づける︒﹁そして

思想の炎のみが彼の前途の障碍︑生の謎︑自然の神秘の闇︑彼の魂の暗い混沌を照らす︒﹂

ゴーリキイの人間には三つの課題が与えられている︒ー生存の社会的謎の解明︑自然の神秘の闇の払拭︑暗い

混沌から魂の解放である︒思想は彼が目的へ近づくのを助け︑無力な希望と着飾った嘘の誘惑から彼を守る⁝⁝︒思

(20)

想は宗教のなかに﹁邪悪なる︑限りない権力の渇望﹂の潜むのをあばき出し︑しなびた友情のかげには﹁残酷な︑空

虚な好奇心︑羨望︑誹誘﹂が隠されていることを警告する︒さらに思想は憎悪にその足枷を脱することを許さず︑狂

気や︑死にさえもたたかいを挑んで︑それらを人間の意志に従属させようと願う︒

冒頭で語り手が自分の前によび起こした人間の形象の輪郭は︑大ざっぱに言ってこのように示される︒自分の理想

を追求しながら︑彼は現に存する生活の歪みとの妥協を避け︑悪への無抵抗についての呼びかけを斥けるように︑傲

慢な魂を鎮めよ︑との呼びかけを憤然と斥ける︒かくて彼の理想は︑彼の魂を疲労から救い出し︑彼をして反逆的な

人間に当然具備さるべき新しい力と道とを見いださせる︒

すでに一九〇〇年︑エム・オリミソスキイはロシヤ作家の理想追求に関連して︑次のように書いた︒﹁理想はすば

らしい所産である︒だがそれが在るというだけではまだ独創性を証明するものではない︒それゆえ芸術家の発達した

個性の標識とはならない︒ロシャ文学が理想についての問題に触れてから百年になんなんとしている⁝⁝シチェドリ

ンの後継者たちの前にあるのは質シヤ文学において理想一般について解釈することでなく︑一定内容の理想を生活へ

( 2 )

導入するためのたたかいである︒﹂

十九世紀の進歩的ロシヤ作家たちはそれぞれに人間の理想を求め︑その理想の現実化のためにたたかってきた︒ゴ

ーリキイの人間は彼らの理想から︑とりわけ革命民主々義者の理想からよき特質を継承している︒しかし︑その核心

を形成するものは︑新しい時代によって条件づけられた具体的︑独自的内容ープロレタリアートの世界観における

人間であゐ︒ゴーリキイは書いている︑﹁カール・マルクスはあらゆる﹃真理﹄を︑労働者階級t新しい歴史的勢

力が実現しなければならぬ一つの具体的真理へ導いた︒カール︒マルクスは言った︑﹃人間にとって最高の存在は人

間自身である︒したがって︑人間がそのなかで卑しめられ︑奴隷にされ︑軽蔑される存在となるすべての関係︑すべ

774

(21)

( 3 )

ての条件を廃止しなければならない︒﹄と︒﹂

ゴーリキイの人間はこのようなマルクス的理解の上に︑理想と現実の深渕を埋めつくす基礎を具現するものとして

示されている︒彼の本質は叙事詩第二章において︑いよいよ鮮明に示される︒

第二章の発端は︑たたかいに疲れた人間の提示によって始められる︒﹁いま︑彼は疲れ︑よろめき︑坤いている⁝

⁝﹂この発端において語り手の姿はすでに作品の前面から消え去っているが︑このことは︑人間の理想をよび起した

語り手がすでにここでは自分の理想そのものなかへ溶けこみ︑人間とともに前方へ︑より高く歩みつつあることを︑

すなわち理想の保持者が理想そのものに近づきつつあることを意味するのであろう︒人間のすすむ道は語り手にとつ

て﹁生活の醜悪﹂から生れる疲労を克服する道である︒

語り手は人間の壮大な姿11理想を﹁自分の前に﹂よび起こした︒しかしこの理想を最終的に組み立て具体化するた

めに︑彼自身が古いものを鍛して新しいものをつくり︑自然の力のすべてを所有し︑その秘密のすべてを解く仕事の

過程をくぐらなければならない︒この仕事に全身的に没入することによって︑彼のなかの理想と現実の深渕は次第に

狭められ︑彼自身の姿が彼の理想の姿に迫ってゆく︒かくて語り手のなかに大文字で書く人間が育てられ︑彼自身の

存在が理想の一部分を形づくるようになる︒

ロシヤ文学は︑すばらしい理想と醜悪な現実との衝突のさなかでひきさかれた悲劇的人間の形象を数多く与えてい

る︒偉大な呼称をもつこの人間と彼の生活実態とをいかにして調和させるべきか?という問題についてさまざまな

処方箋が書かれたが︑生活の現実はつねに一方的にそれら処方箋の無効を宣言し︑人々をあるがままの位置に繋ぎ止

めていた︒

75ゴーリキイの主人公に対しても︑かつて彼の先行者たちがそのために無漸な敗北を喫したところのすべてが襲いか7

(22)

7﹁いま︑彼は疲れ︑よろめき︑坤いている︒そのおびえた心は宗教を求め︑愛のやさしい愛撫を声高に願うている︒

そして弱気から生れた三羽の鳥i倦怠と絶望と哀愁‑三羽の黒い異形の鳥が不吉に彼の魂の上を飛び廻り︑た

えず陰欝な歌をうたう⁝⁝人間はつまらぬ虫けらで︑彼の知識は有限であり︑思想は無力で︑神聖な諦りは滑稽であ

り︑いくら努力しても彼は所詮死ぬのだと!﹂

死の恐怖は彼を宗教の牢獄へとかり立てる︒愛は疲れた旅人を﹁本能の餓えたデスポチズム﹂を秘めたその抱擁へ

と誘う︒希望は平安と和解の幸福を呼びかけ︑﹁美しい言葉で彼のまどろむ魂をあやし︑怠惰の甘い泥沼とその娘の

退屈の掌へ押しこむ︒﹂嘘の豪華な衣裳はとりわけ彼女の魅力をひきたて︑人間を﹁安らかな自己満足という家畜小

屋﹂へ導き︑この世には﹁胃の腋の満足以上の幸福はなく︑飽満と平安とけちな生活の享楽にまさる喜びはない﹂と

信じこませる︒そのときには思想はみみっちい感情の攻撃の前に後退せざるをえない⁝⁝

﹁そして︑伝染病に似た卑しい退屈の娘のけがらわしい俗悪が四方八方から人間に這い寄り︑油ぎった腐蝕性の埃

りで︑彼の脳髄を︑心臓を︑眼をおおう︒

すると︑人間は自分自身を失って︑その弱さのために誇りと思想をもたない動物に生れ変るのである⁝⁝﹂

かくて疲れはてた人間はたたかいを放棄し︑人間の座からの転落に身をまかせるかに見える︒しかし彼のなかでは

傷つけられた誇りが憤激し︑その怒声によって眠っていた思想がめざめる︒思想はふたたび嘘とのたたかいに起ちあ

がり︑嘘とその一族の虜囚となっている人間の心を﹁絞刑吏のように苛責﹂し︑彼を生活の真理探求の道へと連れも

どす︒

かくて︑最良の真実の友である思想に導かれた人間は︑﹁誤謬の荊棘﹂のなかをくぐりぬけ︑﹁疑惑の燃える火花﹂

(23)

と﹁古い真理の廃嘘﹂のなかを︑確固たる歩調で真理へ向かう道を歩み︑行手に立ちふさがる疑惑をはらいのける︒

叙事詩はこの場面から1偉大な誇り高い自由な人間がみずから自分の目的︑自分の存在理由を明らかにし︑たた

かいに向かう自分の姿勢を点検し︑敵と味方の本質を確かめ︑来るべき勝利の確信を高らかに宣言する独白形式に変

る︒

﹁おれがこの世に呼ばれたのは︑全世界を照らし︑その神秘の闇を拭い︑自己と世界とのあいだに調和を見いだし︑

自分自身のなかに調和を創造し︑皮膚病のように不幸と悲哀と憎悪のかさぶたにおおわれたこの苦難の地上にある生

活のあらゆる暗い混沌を照らし出し︑あらゆる醜悪な泥土を地上から過去の塚穴に掃き落すためだ!﹂

ゴーリキイの人間は︑目的としての調和︑条件としての集団主義︑目的につらなる道としての革命について語って

いる︒調和の端緒は社会的闘争のなかにある︒彼の理想の実現のためには︑まず﹁あらゆる古いもの︑あらゆる狭く

汚いもの︑あらゆる悪しきものをくつがえし︑うちこわし︑踏みにじり〜そして︑思想によって鍛えられた︑自由

と美と人類への尊敬の確固たる基礎の上に新しいものを創る﹂ことが心要である︒﹁人類の各人が人間であることを

求める﹂と彼は叫ぶ︒人々に人間らしさを取り戻させるために︑彼は﹁おびえた人たちを︑血みどろに反目し合い︑

たがいに相手を貧り喰うあの動物群に近づけているあらゆる迷妄と誤謬の結び目を解きほぐ﹂さねばならない︒そし

て彼は=方の人々の力に余る奴隷的な勤労を︑]方の人間がパソと精神の贈物として満ち足りるために跡片もなく

費やされる不合理な︑恥辱的な︑許しがたい生活﹂とのたたかいを宣言する︒

私有財産の原則に根ざす社会の廃絶︑﹁万物を万人に﹂の制度の確立を︑ゴーリキイは︑前へ︑より高く人間がす

すむ運動の緊急の条件の一つと考える︒階級杜会の打倒‑これが人間のもっとも手近な目的である︒

77 7

あらゆる偏見︑迷信︑悪習とのたたかいに人間は大きな意義を与えている︒すべての観念は思想によって創られ

(24)

る︒だから思想は﹁その成長の自由を妨げるものを滅ぼす神聖不可侵の権利﹂をもっている︒人間はこの思想を武器

として︑人々のなかに巣喰う一切の﹁非人間的要素﹂を排除し︑健康な魂を復活させる︒縛めを解かれた魂は万象を

正しく認識し︑さらに高く理想へ向って羽ばたく︒人間が生活改造を押し進め理想に近づくにしたがって︑理想はま

すます壮大な展望を彼の前にひらく︒

ゴーリキイの主人公は古いものの否定者であるばかりではなく︑彼は改造者であり︑新しいものの創造者である︒

彼はその天賦の才能の全面的開花を促進する生活条件の創造という課題を据える︒﹁すべては人間のなかにある︑ー

すべては人間のためのものだ!﹂しかし︑これは人間が自由な労働への権利を獲得してはじめて︑言葉のもつ正しい

意味で可能となるであろう︒

さらに人間は宣言する︒﹁おれは人生の意味を創造のなかに見る︒そして創造は無限だ!﹂と︒﹁創造﹂は﹁力不相

応な︑奴隷的労働﹂に対置される︒それは自由な解放された人間の労働である︒労働に対する人間主権の回復︑そこ

から人間のあらゆる可能性が生れるのである︒そしてゴーリキイは創造の仕事のために︑人間から力のすべてを︑生

活のすべてを要求する︒

﹁そしておれは認識しよう︑勝利するのは勝利の果実を取るであろう者でなく︑戦闘の野に残るであろう人々のみで

あることを⁝⁝できるだけ明るく燃えるために︑より深く闇を照らすためにおれは行こう︒そして︑破滅はおれにと

って1褒賞だ!

他の褒賞はおれには必要ない⁝⁝﹂

このように︑ゴーリキイの主人公は生活創造の偉大な事業に全力をあげて献身的に参加しながら︑﹁勝利の果実﹂

を欲せず破滅以外の褒賞を斤ける︒ロシヤにおける解放闘争の輝やかしい先行者たち︑ーデカブリストも︑革命的

(25)

9

民主主義者たちも︑戦闘的人民主義者たちも同じように報酬を求めぬ決意をもって︑ツァリーズムとの闘争に赴い

た︒褒賞を求める心は闘争の短期的決戦を求め︑一つのささやかな勝利の上に安住しようとする︒しかし人間のたた

かいは無限である︒彼にとって一つの勝利はたたかいの終結ではなくて︑次の勝利の前提にすぎない︒ソヴェト時代

になってから︑パクーの集会でゴーリキイは言った︒﹁われわれがある地点にまで達したらそこへ止まるだろうとい

う能弁家の思想に︑私は賛成できない︒人間は前へ︑より高く進むために創りだされた︒そして諸君の子供たちや孫

たちもそのように進んでゆくだろう︒みんなが快適な樹陰に横たわりほかに望みをもたなくなるときには︑いかなる

幸福もありえないのだ︒そんなことはない︑人類はさらに火星にまでもよじ登り︑海をある場所から他の場所へ移

し︑砂漠へ海を流し入れて潅涯し︑諸君がここで海からその一部を奪い取って︑それを乾いた土地に変えたように︑

そうした類いの大胆な課題を自分に課するでろう︒﹂(全集二四巻九二頁)

人間にとって勝利はたださらに偉大な目標へと向かう一段階にすぎない︒その意味で﹁人間には終極がないノ﹂ゴ

ーリキイの人間が人々の前に現存体制打破の課題を提出したのは︑人々をその廃嘘の上で休息させるためではなく︑

前へ︑より高く︑創造的生活へ向かうもっとも手近な目標を定めたにすぎない︒

﹁各人が人間である﹂べきはずの人類を人間以外のものに歪めようとする搾取杜会と︑それが生み出するもろもろ

の悪徳を根絶し︑人類のかぎりない進軍を夢見てゴーリキイの人間は期待に胸をはずませる︒

﹁おれの胸のなかで︑おれの感情の世界がおれの不死の思想と偉大なる一つの創造的火焔に熔け合い︑その火烙に

よっておれが︑もろもろの魂のなかからあらゆる暗いもの残酷なもの醜悪なものを焼ぎはらい︑おれの思想が創っ

た︑また創りつつある神々におれが似るであろう日がその日が近づきつつある!

﹃すべてが人間のなかにある︒1すべては人間のためのものだ!﹄﹂

J779

(26)

かくて人間は︑後につづくであろう人類のために︑彼の前途に立ちふさがる謎を一っ一つ解き明かしながら︑未来

の道を照らしつつ進んでゆく︒謎の群は﹁深い天空の星のように無数である︒そこで人間にとって路の終りはないの

だ!

かくて反逆の人間は進むー前へ!より高く!さらに前へ!より高く!﹂

( 1 )

( 2 )

( 3 )

( 4 ) エ ヌ ・ ゴ ー ゴ リ ︒ 六 巻 選 集 ︒ 第 五 巻 ︒ M ︑ 一 五 五 二 〜 五 三 ︒ 二 八 〇 頁 ︒

ゴ ー リ キ イ 著 作 集 ︑ 第 二 五 巻 ︑ 八 五 頁 ︒

エ ム ・ オ リ ミ ソ ス キ イ ︒ 文 学 問 題 に つ い て ︒ M " L ︑ 一 九 三 二 ︒ 九 四 頁 ︒

同 書 ︒ 第 二 四 巻 ︒ 九 二 頁 ︒

ゴーリキイの叙事詩は︑反動批評家たちさえ認めざるをえなかったように︑作家の先行する全創作の総括を示すも

のと見ることができよう︒

﹁悲劇的に美しい人間﹂の壮大な雄姿は初期のゴーリキイのロマソチックな主人公たちの鮮明な︑光芒をはなつ諸

形象を彷彿たらしめる︒〜自由を愛し︑たたかいを渇望する誇り高き鷹︑自分の胸からひき抜いた燃える心臓を高

くかかげ︑その火で人々に道を照らし出すダソコ︑迫りくる嵐を告げ︑雷鳴のとどろく大空を雄々しく飛翔する海燕

⁝⁝これら諸形象の所有するもっとも優れた美質が綜合︑錬磨︑拡大されたものとして︑またこれらの形象を通じて

ゴーリキイが提起した一連の課題の解決として︑人間を見ることができよう︒

ゴーリキイは生活の芸術的表現の方法として官マソチックな形式を好み︑文学活動の最初からこれを利用してい

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