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イギリス福祉国家の再編過程 一福祉国家理念の史的考察- 深

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イギリス福祉国家の再編過程

一福祉国家理念の史的考察‑

はじめに

福祉国家を巡る最近の議論では,70・80年代に見られた「福祉国家の 危機」という議論は姿を消し,「福祉国家の再編」について主に論じられ ている。この議論の流れは,福祉国家の解体を標模して80年代に先進資 本主義諸国で登場した新しい保守主義の政権が,結局彼らが言うような 福祉国家の解体に失敗し,貧困の事後的救済に国家の役割を限定する体 制への転換が,不可能であることを明らかにしたことを受けている。し

かし,福祉国家の再編を巡る議論で使われる福祉国家または福祉社会と いうタームには,さまざまな意味合いが付与されていて,共通している のは貧困問題に国家が何らかの役割を果たすという点だけである。つま

り,福祉国家を再編することによって,どのような社会を実現するのか については,さまざまに論じられているのである。

本稿は,かつて「揺りかごから墓場まで」と呼ばれ,福祉国家の典型 として日本にも大きな影響を与え,そして80年代にはサッチャリズムの なかで新しい保守主義の影響を強く受けたとされるイギリスを題材にし て,福祉国家の再編過程と,その背景にある理念の変遷を明らかにする。

本稿は,『ペグァリッジ報告』に示された福祉国家の特徴を,労働市場と 社会保障制度との連関に見て,この二つの社会システムの連関がどのよ

うに再編されていくかを考察している。このような枠組みで福祉国家の (55)

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再編過程を考察することによって,福祉国家再編の問題が単なる資源配 分の問題ではなく,どのような社会が望ましいのかという,より理念的

な問題であることを示すことを試みている。そして,今後,福祉国家の 再編について研究する上で,どのような問題があるかを考察したい。

1.『ベヴァリッジ報告』における福祉国家の理念と構造

(1)ナショナル・ミニマムと『ベヴァリッジ報告』の理念

『ペグァリッジ報告』の社会保障制度の体系ほ,強制的拠出を財源と する社会保険を基軸とし,これを補完する国民扶助と任意保険との三つ の制度からなる。『べヴァリッジ報告』でほ,社会保障とほ所得保障を意 味していて,この概念規定がイギリスにおける「社会保障(SocialSecu‑

rity)」の定義となっている。本稿でもこれにならって社会保障と書くと き,所得保障の意に用いている。

『べヴァリッジ報告』の社会保障政策史における画期性ほ,社会保障 を,包括的かつ普遍的なものとし,それに対する国民各自の権利と国の 責任を明確にした点にある。そして,この画期性は,均一額の最低生活 費給付,均一額の保険料拠出,行政責任の統一,適正な給付額,包括性, そして被保険者の分類という六つの基本原理によって表現されている。

『べヴァリッジ報告』の理念を知るためには,この六つの原理の意図す るところを理解することである。また,これらの原理がどのように政策 体系に描かれているかを分析することが,『ペグァリッジ報告』の構造を 知ることにつながる。ところで,この六つの原理は個々が独立している のではなく,ナショナル・ミニマムの原理を根幹にして相互に関連して いる。したがって,六つの諸原理はナショナル・ミニマムとの関連のな かで理解することができる。そこで,六つの諸原理を援用しつつナショ ナル・ミニマムの原理を考察することによって,『べヴァリッジ報告』の

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理念について検討しよう。

『ペグァリッジ報告』のなかでナショナル・ミニマムは,「最低生活水 準を越える部分については各人の自由裁量にゆだね,国家は最低生活水 準を全国民に保障する」(1)と定義されている。毛利氏(2)は,『ペグァリッ ジ報告』におけるナショナル・ミニマムにほ,「最低生活費を保証すると いう積極的原則」の側面と「最低生活費以上を国家が補償してほならな

いという最高原則」の側面があると指摘している。『ペグァリッジ報告』

の理念を理解する上で,ナショナル・ミニマムのこの二つの性質がきわ めて重要である。

ナショナル・ミニマムに言われる最低生活費は具体的に,適正給付の 原理に述べられている。ここでの給付の「適正」性とは,「〔給付以外に

一深井〕ほかの資産がなくてもその額だけで生存に必要な最低生活所得 を保障するに十分であるということ」,そして「ニード(need)がつづく

かぎり資力調査(meanstest)なしに無制限に給付はつづく」(3)と表され ているように,給付額と給付期間の二点における適正性である。そして,

『ペグァリッジ報告』における給付額は,ラウソトリー(4)らの方法にな らって算出されたものであり,生理的意味での最低生活を営む上で必要 とされる費用を足し合わせて算出される絶対的価値の概念に基づく。絶 対的価値で算出された最低生活費は,従前の所得を保障することを目的

にしているのではなく,年齢や家族の規模などで同じような条件を備え た人びとは,その所得水準に関係なくまったく同じ最低生活費を必要と すると考える。つまり,『ペグァリッジ報告』による社会保障制度ほ,す べての国民に対して従前の所得水準に関係なく,一律の最低生活費を保 障する。後段で細述する均一原則の「均一」とは,以上のことを背景に

している。以上よりナショナル・ミニマムの「最低生活費以上を国家が 保障してほならないという最高原則(以下,「最高原則」と表記)」ほ,

絶対的貧困概念に基づいて算出された最低生活費以上を国家が補償して

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はならないということを意味している。最低生活費以上の所得保障は個 人の自由裁量とされ,最低生活費以上について国家が個人の自由に介入 すべきではないというのが,『ペグァリッジ報告』の最高原則の意である。

『ペグァリッジ報告』における最高原則は,基本的に人びとは政府の悪 意的な権力から解き放たれていることを保証する原則であり,伝統的な

自由主義概念である政治的自由の保証を意味する。

では,ナショナル・ミニマムの「最低生活費を保証するという積極的 原則(以下,「積極的原則」と表記)」ほ何を示しているのだろうか。す でに見たように,『べヴァリッジ報告』の社会保障体系ほ,社会保険制度 を基軸として,国民扶助がそれを補完するように位置付けられている。

『ペグァリッジ報告』が最低生活費保障の手段として強制的社会保険制 度を用いる理由ほ,拠出に基づく給付ほ資力調査を必要とせず権利とし て最低生活費保障を受ける手段だからである。このように最低生活費保 障を権利として受けるための制度的特長が強調される背景にほ,資力調 査をともなう公的扶助は,受給者にステイグマ(賂印)感を与えるとい

う問題があった。すなわち,資力調査をともなう無拠出制の給付ほ,そ

の心理的効果ゆえに窮乏からの真の解放策とはならない,という問題が あった。『べヴァリッジ報告』の積極的原則は,この問題を解決すること を目的とする。つまり,ナショナル・ミニマムの積極的原則ほ,人びと を窮乏といった社会的諸悪への経済的隷従から開放することを意味する ものである。このより積極的な自由主義概念は,先の政治的自由の保証

と区別して,経済的自由の保証と特徴付けることができよう。

以上のように『ペグァリッジ報告』ほ,政府の悪意的な権力からの自 由を保証する伝統的な自由主義概念を踏まえつつも,同時に権利として 最低生活水準が人びとに保障される必要性,つまり,経済的自由をも人

びとに保証することを意図している。伝統的な政治的自由の保証に留ま らずに,経済的自由の保証を人びとの権利とし国の責任とした点に,新

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自由主義老(5)ペグァリッジの思想的側面が現れている。また,ナショナ ル・ミニマムの積極的原則こそ,べヴァリッジが社会保障制度を計画す る上で重視していたことは以上から明らかである。このような新自由主 義的理念ほ,失業・貧困=怠惰とする伝統的観念から失業や貧困の社会 的責任を認める観念への転換,すなわち「貧困観の旋回」(6)を背景にして いる。

ペグァリッジほ,以上にみたナショナル・ミニマムを具体的に制度化 するにあたって,均一原則に基づく保険制度を用いた。均一原則は,「稼 得時の収入額に関係なく,均一の保険給付を支給する」均一給付原則と,

「すべての被保険者は,富める者も貧しい老も,同一の保障に対しては 同額の保険料を支払う」(7)均一拠出原則から成っている。つまり,すべて

の人びとが,最低生活費を保障する給付に見合った拠出を,所得に関係 なく等しく拠出するということである。均一原則の国民保険制度のねら いは,先にも少し触れたが,給付の価値に相当する拠出をすることが資 力調査を拒否する最善の理由になることと,また人びとに社会保障が無 償の保障でないことを明らかにすることによって,道徳的退廃を防く"こ

とにある。つまり,均一原則の保険制度ほ,無償の給付は人びとの道義 心の退廃を招くとする観念の上に,権利としての社会保障制度を設置す るための制度的工夫であると言える。また,『ペグァリッジ報告』が規定 する社会保障制度の再分配のあり方ほ,社会階層間での所得移転を意味 する垂直的再分配ではなく,水平的再分配であり,ライフ・サイクルの なかで,所得が多いときと少ないとき,または所得のあるときとないと きとの間で行われる再分配のことである(8)。さらに,『ペグァリッジ報告』

では,社会保険の拠出に所得に基づく高低があると,それほ実質的な目 的税たる所得税であると指摘し(9),保険と所得税とを明確に区別してい

る。つまり,『ペグァリッジ報告』の社会保険制度ほ,資本主義社会の私 有財産権を侵害しない再分配制度として計画されてし.、る。べヴァリッジ

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は,均一原則の保険制度ほ一般に支持が得られやすいとしているが,そ の意味するところは,自立・自助と勤勉・倹約といった精神土壌と,私

有財産制を基礎とする資本主義社会に均一原則の社会保険制度が受け入 れられやすいということでほないだろうか。

(2)『ベヴァリッジ報告』における福祉国家の構造

前項で『ペグァリッジ報告』の理念と,その理念を具体化した均一原 則に基づく保険制度の意義について述べた。次に,社会政策の全体像か

ら『ペグァリッジ報告』についての考察を深め,『ペグァリッジ報告』の 福祉国家の構造を考察する。

よく知られているように,『ペグァリッジ報告』の社会保障制度は,「児 童手当」「包括的な保健およびリハビリテーショソ・サービスの普遍的供 与」および「雇用の維持,すなわち大量失業の回避」の三つの前提の上 に規定されている。

一つ目の前提について,べヴァリッジは,賃金は家族の大きさにした がって決まるのではなく,市場競争のなかで労働の生産性によって決ま るため,子供の数の多い大家族はど貧困に陥る可能性が高いと指摘する。

したがって,社会保障の給付は世帯の大きさにあわせて最低生活費を算 出するから,社会保障を受給している世帯の可処分所得のほうが就労か ら所得を得ている世帯の可処分所得よりも高くなることがある。このよ

うな場合,社会保障制度が人びとの勤労意欲を阻害する懸念がある。ペ グァリッジほ,このようなモラル・/、ザードをナショナル・ミニマムの 原則に基づき解決するために,社会保障とは別に無拠出で普遍的な児童 給付をすべての世帯に支給する必要があると考えた。逆から言えば,児 童給付は,社会保障の給付よりも就労による収入のほうをより魅力的に することによって,人びとが労働に就くように促すことを目的にしてい て,雇用を維持する機能の一端を担っている。また,二つ目の前提にお

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いても,特にリハビリテーショソの機能についてだが,「リハビリテー ショソというのほ,労働不能の老を何もできない状態から,十分な医療 保護のもとに,生産者なり獲得老なりの状態に移らせる継続的な過程で

ある」(10)と述べられているように雇用問題と関連付けられている。

このように,以上の二つの条件は,社会保障制度においてナショナル・

ミニマムの原則を具体化するための前提というだけでなく,雇用を維持 することもその日的にしていた。そして三つ目の条件,「雇用の維持」で

べヴァリッジは,社会保障制度との関連において雇用を維持する必要性 について,(1)長期失業ほ労働者の道義心を低下させる危険性があり,こ れを防ぐため労働センターや訓練センターが提案されているが,大量の

長期失業者の存在ほこれらのセンターの機能を麻痔させてしまう,(2)自 発的失業であるか非自発的失業であるかを見極める手段は,働き口を提

供することであり,大量失業はこれを不可能にする,(3)大量失業の状態 は人びとの労働に対する意思を失わせてしまう,(4)社会保障は最低生活 水準を保障するのみで,生活再建の唯一または主要な手段ほ労働だけで ある,そして(5)失業は給付のための支出を増大させるとともに,その費 用を負担する所得を減少させるものであって,最悪の形態の浪費である, と五つの点を挙げている。特に,ペグァリッジは第四の理由を最も重視 している。第四の理由ほ,社会保障が保障するのほあくまで最低生活水 準であり,それ以上の生活向上は社会保障制度の役割でほないことを述 べたもので,ナショナル・ミニマムの原理が語られている。

雇用政策の方針におけるペグァリッジの最大の特徴は,雇用の維持の ために「国の力を,どの程度にもせよ必要なかぎり利用して,完全な雇 用の持続ではないにしても,生産的雇用の適度なチャンスを全国民に確 保するというほっきりした決定がともなわなければならない」(11)と,雇 用を維持する努力を国家の責務にしている点である。

以上のように,『ペグァリッジ報告』の福祉国家は,低賃金の問題に対

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してほ児童給付を給付すること,そして失業問題に対しては国家の責務 で雇用を維持する努力をすることを前提にしている。つまり,『べヴァ

リッジ報告』の福祉国家ほ,まず労働年齢層が基本的に労働から最低生 活費以上の所得を得られるような,安定した雇用条件を整備することを

国家の責務にしている。その上で,『べヴァリッジ報告』の福祉国家ほ, 人びとが稼得手段を喪失する事故に遭った際に,社会保障制度によって 人びとが貧困に陥るのを防ぐことを責務にしている。

2.所得比例制導入における二つの福祉国家理念

本節では,50年代から70年代中葉までのイギリス福祉国家の展開を 考察する。イギリス福祉国家ほ,戦後に制定された福祉関連諸法によっ て建設された。しかし,制度自体が内包する問題と,その後のイギリス 経済の不調が原因となって,50年代半ばにほ見直が必要になった。最も 重要な見直しは,50・60年代に所得比例制度が国民保険制度に導入され て,国民保険制度が『べヴァリッジ報告』の均一原則から離脱したこと である。前節に見たように,均一原則ほナショナル・ミニマムを制度化 するための工夫といえる。均一原則の放棄によるペグァリッジ原則から の離脱によって,福祉国家の理念がどのように変遷したかが本節の課題 である。

前節で見たように,『べヴァリッジ報告』に基づく福祉国家ほ,雇用の 維持と均一原則に基づく国民皆保険との二つの社会システムの連関のな

かで,その理念が具体的に制度化されていた。したがって,以下でもこ の二つの社会システムに焦点を当てつつ分析する。

(1)積極的雇用政策の始まり

労働市場政策がイギリスにおいて積極的に行われるようになるのほ,

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60年代に入ってからである。そして70年代に失業が無視できない水準 になると,労働市場政策はより拡充された。この時期の労働市場政策に は,大別すると,財政政策による裁量政策,職業訓練計画,雇用補助, そして最低賃金制度がある。

戦後,福祉国家の建設を押し進めた労働党は,当初,基幹産業をはじ めとする主要な国内産業を国有化して経済の国有化を計画した。しかし, それが行き詰まると,次第に間接的な経済管理の方法へ,一般に言われ るところのケインズ主義的経済運営へと移行していった。50年代,イギ リスほ第二次世界大戦で金準備および外貨準備を使い果たしていたた め,経常収支の改善に最も高い政策上の優先順位を置いていた。イギリ ス政府は,経常収支の改善を裁量的財政政策によって行ったため,経常 収支が悪化すると財政を引き締め,そしてその反動で失業が高まると拡 張的財政をとるという「ストップ・ゴー政策」に陥り,経済の持続的な 安定成長が妨げられた。失業率が2%台で推移していた60年代中葉まで は,失業は経常収支の改善策にともなう一時的副作用と考えられていた。

しかし,イギリス経済の国際競争力の低下が深刻になるにつれて,失業 問題を無視できなくなった。また,インフレ率も上昇してスタグフレー ションに陥った。このような経済状況は,裁量的財政政策に足かせを課 すことになった。

1964年,国家が職業訓練の領域に関与する契機となった法律,「産業別 職業訓練法」が作られた。同法は1973年雇用・職業訓練法によって拡充

された。1973年法によって,労使間の自主的交渉(ヴォランタリズム) の原則に基づいて労使代表各3名,地方自治体代表2名,そしてスコッ

トランドとウェールズの代表各1名から構成されるマンパワー・サービ ス委員会(ManpowerServicesCommission:MSC)が中央の委員会と して設置された。MSCほ国家による職業訓練事業を担う体制として, サッチャー時代に改編され,メジャー時代に廃止されるまで続く。

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このように60年代半ば以降に職業訓練が労働市場政策として導入さ れた背景には,先に述べたような経済状況があるだけではなく,イギリ

スの産業構造の転換がある。製造業を中心とする第二次産業から第三次 産業へと産業構造が転換するのにともない,失業の原因が,戦後の需要

不足を原因とする失業から摩擦的失業へと転換した(12)。このように,こ の時代の職業訓練計画は,産業構造の転換による摩擦的失業に対する国 家の対応であった。

しかし,70年代に入り失業率が3‑5%台に至ると,摩擦的失業に対 する職業訓練計画だけでは対応できなくなり,雇用補助が行われるよう

になった。たとえば,MSCの下で1975年に,解雇を避けて雇用を継続

するように雇主を誘導するために,補助金を交付する「一時的雇用補助」

(79年に「一時的短期時間雇用補助計画」に改定)が設置された。また, 特に失業率の高い若年労働者(16〜18歳)を対象に「若年雇用機会(創 出)事業」(YouthOpportunitiesProgramme:YOP)が1978年に設置

された。さらに,上記のような雇用補助金の交付だけではなく,この時 代の雇用補助として,国家が直接失業を吸収する政策が行われた。60・

78年代に民間企業の国有化が行われたが,この時代の国有化ほ経済の国 有化を目的にしているのでほなく,倒産する民間企業の雇用を守ること

を目的にしていた。

ところで,社会保障制度との関連で労働市場政策を考察する上で,低 賃金問題について触れておかなければならない。『ペグァリッジ報告』は, 児童給付によって家族の大きさを理由とする低賃金問題を解決すれば,

低賃金を原因とする貧困ほ存在しないと考えていた。しかし,現実には 低賃金による貧困ほ消滅するどころか,特に失業率が上昇する60年代半

ば以降,貧困の重要な原因として再登場する。低賃金問題に対処するた め,1945年に低賃金問題を抱える産業ごとに賃金審議会が設置された。

審議会は,労使同数の代表と識者による中立委員から構成され,労使間

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の自主的交渉の原則を尊重することを基本原理としていた。しかし,ヴォ ランタリズムを基本原理として個別産業に設置された賃金審議会ほ,使

用者側と妥協に至らない限り決定がなされないため,審議会の決定は当 該産業の支払能力に依存せざるを得ず,衰退産業や激しいインフレの時 期には十分な最低賃金を保証するに至らなかった(13)。このように,低賃 金による貧困という,『ペグァリッジ報告』の想定していない貧困の諸相 が存在したのである。

以上のように,この時代の労働市場政策ほ,財政政策による対需要側 の政策に留まらずに,職業訓練といった対供給側の政策へと国家の政策 領域が広がっていった。この過程ほ,すでに見たように,産業構造の転

換に対応して雇用を維持することを試みたものである。また,戦後イギ リスの雇用政策に関する歴史研究によると,70年代に失業が急激に増加 しているが,いずれの政府においても政策目標として完全雇用ほ放棄さ れていないことが明らかにされ,またイギリスの雇用政策の流れは大き く分けて70年代末で分けることができ,「70年代末までの第一期におい て,失業は主に需要側の問題とみなされていた。政府は高い雇用水準の 達成に責任を負い,またそれを達成する手段を持っていると信じてい た」(14)と結論されている。つまり,雇用の維持という労働市場における

『ペグァリッジ報告』の理念は維持されていたと言える。しかし,労働 市場によって生み出される失業や低賃金を原田とする貧困が,重要な問 題になっていった。

(2)均一原則からの離脱と福祉国家の揺らぎ

前節で見たように,『べヴァリッジ報告』の社会保障は,均一の保険料 と均一の給付額を定めた均一原則が設けられていた。しかし,50年代か ら70年代の社会保障制度の展開のなかで,保守党の1959年「国民保険 法」改正によって国民保険の退職年金に所得比例制が導入され,また,

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1966年に労働党による「国民保険法」改正によって,失業給付,疾病給

付,業務上災害給付,そして寡婦給付といった国民保険の短期給付にも 所得比例制度が導入され,イギリス社会保障制度ほ均一原則から離脱し

た。

戦後の福祉国家建設で実現された国民保険は,均一原則に基づいて計 画されていたが,最低生活費を十分に保障する給付水準を実現すること ができなかった。その結果,国民保険を受給しても,国の定めた貧困線 である公的扶助の給付基準に届かない貧困層が存在した。このように, 国民保険が最低生活水準を十分に保障できない水準に留まった理由とし て,第一に,均一原則に基づく国民保険のもつ制度的欠陥(15)と,そして 第二に,保険数理の原理が予想する以上に速くインフレが進行した点(16) が指摘されている。一点目について,均一原則の下では,必然的に保険 料ほ低所得者の支払える水準に制限され,それに対応する給付額も十分 な水準にならないことは明らかであった。つまり,『ペグァリッジ報告』

でほ児童給付で解決するとされていた低賃金問題が,現実には存在した ことが問題であった。また二点目について,国民保険は保険数理の原則 に基づいており,5年ごとにその基準額の見直しが計画されていた。し かし,予想されていたインフレ率以上に現実のインフレが速く進行した ため,保険数理に基づく前提が成り立たなくなった。国民扶助ほ最低生

活費と結び付けられているので,インフレが進行する度に国民扶助局に よって引き上げられたが,国民年金ほ5年ごとの見直しだった。結果, 常に国民扶助給付額が国民保険の給付額に先行することになった。そし て,保険給付と最低生活費の差額が扶助給付によって補足されるのが常 態となり,国民扶助が社会保障制度の基本部分であるかのようになった。

均一原則の持つこのような限界について,保守・労働両党ともに一致 した認識を持っていた。しかし,所得比例制度に対して意図するところ ほ,保守党と労働党で違った。1959年法で保守党よって導入された所得

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比例制は,所得再分配機能が弱く,国民保険基金の赤字を解消すること を目的にしていた。一方,59年法を根本的に改定した労働党の1975年法 は,十分な額の年金の支給を実現すること,そして給付額にスライド制 を導入して,インフレによって年金の実質額が低落するのを防止するこ と,さらには所得再分配機能を強めて社会的公正を実現することが目標 とされていた(17)。両党の理念の違いについては後に立ち返るが,ここで 確認しておかなければならないのは,最低生活水準を権利として保障す

ることに関しては,労働・保守両党ともに一致している点である。公的 扶助制度の展開に,この労働・保守両党の一致点を見ることができる0

所得比例制度の導入と60・70年代の保険給付水準の引き上げにもかか わらず,イギリスの社会保障制度における公的扶助制度の重要性が減少 することはなかった。しかし,財政赤字と苦しい経済状況のなかで,国 民保険の給付水準を引き上げることには限度があり,貧困問題に取り組

むために公的扶助制度を多用することほ避けられなかった(18)。このよう な状況のなかで,権利としての所得保障という理念を維持しつつ保障制 度が行えた対処ほ,公的扶助制度からステイグマ感を取り除くことで あった。

労働党によって1966年「社会保障法」(後に「補足給付法」と呼ばれ るようになる)が制定され,国民扶助のステイグマ感を取り除く努力が なされた。この法律によって社会保障省が設置され,それまで国民扶助 を扱っていた独立機関の国民扶助局を補足給付委員会として社会保障省

に吸収し,国民保険と補足給付(公的扶助制度)を行政機構において統 一した。これによって,国民年金と補足年金の両方を受給する年金受給 者は,それまで二冊別々の手帳を必要としたが,一冊の手帳で両方を受 給できるようになった。また,長期特別加算を設け,補足年金受給者全

員および二年間にわたり補足手当を受給した老(ただし失業者は除く) に一律額を追加支給して,それまでの自由裁量給付を廃止した。自由裁

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的にしていたが・これを利用するためにほ,担当官が家庭訪問をして調 査する手続きがあったためステイグマ感が強かった。66年法は,受給権 を持つ人びとが・みずからの権利を行使することができるような新しい 制度を用意することを目的にしていて,イギリスの公的扶助の歴史で初 めて諸要件を満たす人びとに対して,明確な受給権を定めたと評価され ている(19)。

以上に見てきたように・70年代中葉までの社会保障制度の展開ほ,本 来社会保障制度の基軸であるはずの国民保険が十分な額を給付すること ができず・また厳しい財政事情による制約とあいまって,公的扶助制度 が多用される過程であった。そしてこの時代,ペグァリッジがナショナ ル・ミニマムを制度に具体化するために設けた均一原則から,国民保険 制度は離脱した0だが,この時代の社会保障制度の展開を概観するなら ば・公的扶助の多用をやむを得ないとしつつも,所得比例制度が導入さ れたり,インフレ対策として,物価か賃金かいずれか受給者に有利なほ うに合わせたスライド制が国民保険制度に導入されたり,または公的扶 助の受給者に与えるステイグマ感を除く努力がなされたりと,給付を受 給するための要件を満たす人びとが,権利として受給できるような制度 を作るための努力がなされていると一定評価できる。

しかし・労働年齢層の失業や疾病を対象とする国民保険の短期給付ほ, 労働意欲に対するモラル・ハザードを防く‑ために,社会保障制度の給付

による収入よりも就労により得る収入のほうをより魅力的にするという 劣等原則に基づいて・低く押さえる工夫がなされた(20)。『ペグァリッジ報 告』における劣等原則は,社会保障制度以外の社会政策によって安定し た雇用条件が整備されている労働市場を前提にしていた。前項で考察し たように,60・70年代の労働市場ほ,一定の努力がなされているとほい え,労働市場によって生み出される貧困が再び増加している時代であっ

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た。失業の社会的責任を認める新自由主義の立場から言えば,劣等処遇 の原則ほ,雇用水準が十分に高い場合にのみ失業者の再就職に効果を発 揮するのであり,失業率の高い中での劣等処遇の強化ほ,失業者が失業

でいることに対するペナルティ以外の意味は持たない。明言することは 難しいが,失業者や低賃金層といった労働市場によって生み出される貧 困層が増加しているなかで,これらの貧困の責任を個人に帰結させる意 味をもつ劣等原則が過度に強調されることほ,失業・貧困=怠惰という 伝統的な貧困観を,特に労働年齢層の貧困層に対して助長したのではな いだろうか。

社会保障制度の展開との因果関係を述べることは不可能だが,70年代 後半に福祉給付受給者を「たかり屋(scrounger)」として非難する「反 福祉キャンペーン」(21)が行われ,サッチャー政権を誕生させる世論的土 壌が作り出された。少なくとも人びとの観念の奥底に伝統的な貧困観念 が存在することは確かである。先に触れたように,労働党と保守党との 間にほ,福祉国家の理念に相違がある。所得比例制度を導入するにあたっ

て,労働党ほ社会保障制度に所得再分配機能を導入し,国民保険制度の 拡充を図った。つまり,労働党は,すべての国民が関わる保険制度によ

る防貧の枠組みを重視した。一方,保守党は,所得比例制度そのものに は反対しないが,社会保障制度に所得再分配機能を導入することには消 極的で,限られた資源のなかで公的扶助制度による貧困層の効率的な救 済を意図した。そして,現実の社会保障制度の展開は,公的扶助制度の 多様化であった。公的扶助制度は,国民を養う老と養われる老とに区別 するため,社会の中で養われる者にステイグマ感を与える。国民を二つ に分化する社会保障制度の選別主義化は,貧困=怠惰という伝統的貧困 観念を煽る危険性があると言えるだろう。

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3.イギリス福祉国家のサッチャリズム的再編

サッチャリズムとほ何を指すのかについて色々な議論があるが,本稿 では詳しく立ち入る余裕ほない。本稿ではサッチャリズムを,ハイエク やフリードマン流のネオ・リベラルな経済思想と,パターナリズムおよ び自立・自助を強調する権威主義的保守主義とによって作り出されたイ デオロギーであり,それに基づく政策プログラムとする。

サッチャー政府ほ,1979年『政府支出計画自書』でイギリス経済が困 難に陥っている原因は公共支出の大きさにあると述べ,福祉国家にその 責任を帰結させる。その上でサッチャー政府ほ,インフレーションの抑 制を経済政策の第一の目標に掲げ,その手段としてマネーサプライの目 標値を設置して公共支出の削減を図った。このことは,サッチャー政府

が,経済政策の手段として財政政策でほなく金融政策を中心に用いるこ とを意味する。戦後イギリスの歴代政府ほ,財政政策を手段として経済

指標の達成に責任を負っていたが,サッチャー政府の金融政策への偏重 は,政府ほインフレ率についてのみ責任を負うが,雇用や経済成長には 責任を負わないことを明言したことに他ならない。つまりサッチャー政 府ほ,経済政策における政府の役割を経済成長のための環境整備だ桝こ 限定したのである(22)。歴代の内閣もイギリス経済の不調のなかで,イン フレを抑制するために財政支出を削減することがあったが,それほ経済 回復までの一時的措置であった。しかし,インフレ抑制による環境整備 を政策課題とするサッチャー政府の下での福祉関連支出の削減は,やむ を得ない一時的措置ではなく,政策目標を達成するための手段であっ た。

また,サッチャー政府は,サッチャリズムの権威主義的保守主義の側 面から,福祉国家は人びとの自立・自助の精神を破壊すると批判する。

たとえば,家父長制に基づく伝統的家族形態から逸脱する単身世帯と

(17)

いった家族形態の増加ほ,女性が男性の扶養の下に置かれる家父長的家 族形態からの女性の自立とはみなされないで,厚い福祉国家の保護が,

「自然の規範」に基づく家族形態を破壊しているとみなされる(23)0また・

失業者の増加ほ,社会経済構造が原田ではなく,社会保障制度によって 人びとの勤勉・倹約の精神が破壊されて,人びとの国家への依存心を高 め,「たかり屋(scrounger)」を生み出しているとみなされる0つまり福 祉国家の存在が,自立・自助,勤勉・倹約といった19世紀ヴィクトリア 時代に美徳とされた資本主義の精神を破壊していると主張される0

以上のように,サッチャリズムの福祉国家批判の特徴は,諸問題の責 任を福祉国家に帰結させることである0サッチャリズムほ,個人の選択

の自由が保証されて自立・自助の精神が働く市場によって作り出される

「自然」な状態が,福祉国家によって破壊されて「不自然」な状態が作

られていると主張する。サッチャリズムは19世紀ヴィクトリア時代の資 本主義の精神への回復を唱え,福祉国家の解体を主張した0しかし,実

際には現実との葛藤のなかで,サッチャリズムによる福祉国家への影響 は,「解体」から「再編」と呼ばれるようになった0

(1)労働市場における窮乏化政策

サッチャー政府の労働市場政策は,二つの方向をもって行われている0 一つほ,労働市場の機能の回復であり,サッチャリズム流に見て労働市 場の機能を妨げる障害物を,個人の利益や選択の自由の擁護をロジック

に取り除いた。もう一つは,労働市場からの国家の退場(24)であり,特に 雇用政策の民間への移管が図られた。

サッチャー政府の緊縮財政政策ほイギリス経済を冷え込ませ,失業率 は79年の約5%から81年には約10%に跳ね上がり,それ以降10%台を 下回ることはなくなった。自然失業率の概念を用いるマネタリズムに基 づくサッチャー政府は,高い失業率は高い賃金水準のためであって政策

(71)

(18)

の失敗とほ考えない。失業率が低下しないのほ,労働市場の機能を妨げ る要素が存在するためと考えられた0そして,サッチャー政府ほ,労働 市場の機能を回復するた捌こ,労働組合に対する規制の強化と,最低賃 金規制などの労働市場における規制の緩和の二つを推し進めた。

労働組合に対する規制の強化として,政府によって労働組合の戦術が 規制されたことは言うまでもないが,その規制を正当化するために用い

られたサッチャリズムのロジックがより注目に値する。サッチャー政府 の反労働組合の論脈は二重である0労働組合の外にほ,労働組合が労働 市場を不当に独占し,主に失業中の未組織労働者に不利益をもたらして いるとのロジックが用いられた。労組の内に対しては,サッチャリズム 流の「組合の民主化」が言われ,組合員の個人的利益・自由を擁護する とのロジックが使われた。反独占や個人の利益・自由の擁護という論脈 ほ,サッチャリズムによる福祉国家批判に頻繁に用いられるが,これが 労働組合規制に適応される場合,個人的利益を主張して他の労働者との 連帯を断ち切る労働者に十分な条件を与えて,労働組合が従業員の代表 として機能するために築いてきた組織的条件を解体するためのロジック として用いられた。

他方,労働市場における規制緩和として,最低賃金規制の撤廃と不安 定労働の促進の二つが行われている。前節で触れた賃金審議会のなし崩

し的形骸化や,公正賃金決議の撤廃といったように,サッチャー政府は 最低賃金規制に関わる諸機関の形骸化ないしほ廃止を行い,低賃金を放 置容認しただけでほなく積極的に奨励していった(25)。表1を見ると,世 帯所得補足(FamilyIncomeSupplement:FIS)の受給者数が1980年

から急増しているのが分かる。FISほ,常勤労働者の条困層が受給する公 的扶助であり,FIS受給者の増加は,低賃金を理由とする常勤労働者のい る貧困世帯が増加していることを意味している。また,サッチャー政府 は労働市場におけるパート・臨時雇用といった不安定労働を増加させる

(19)

表1社会保障の主要給付の受給者数

(単位:千人)

失業給付 疾病給付 退職年金 児童給付 FIS 補足給付 失業者* 以上合計

1974 270 1,064 8,144 4,606 79 2,778 316 16,943

1975 464 1,035 8,328 4,603 67 2,897 566 17,390

1976 617 1,052 8,510 4,592 85 3,049 684 17,905

1977 589 1,068 8,637 7,506 97 3,106 705 21,003

1978 561 1,180 8,785 7,390 89 3,048 632 21,053

1979 503 1,238 8,936 7,410 89 2,970 599 21,146

1980 753 1,197 9,108 7,397 106 3,247 901 21,808

1981 1,206 1,156 9,291 7,352 143 3,873 1,384 23,021

1982 1,041 1,198 9,386 7,261 179 4,432 1,798 23,497

1983 987 1,202 9,487 7,174 215 4,524 1,908 23,589

1984 926 1,150 9,528 7,097 218 4,788 2,040 23,707

1985 901 1,098 9,732 7,034 214 4,771 2,028 23,750

1986 956 1,133 9,865 6,979 218 5,158 2,214 24,309

1987 811 1,168 9,944 5,088 2,025

資料:CentralStatisticalOffice,AnnualAbustYaCt〆Statistics,1986および1989・

江:失業給付1981年とFIS1986年は,グレートブリテンの数値である。疾病給付の 1976,84,86年は,一画氏による推計。

*:補足給付受給者のうち失業者の受給者数である。

出所:一圃光弼「サッチャー政権と社会保障制度改革」宇都宮編(1990)p.140。

政策をとった。たとえば,/ミート労働者を国民保険の適用から除外する ことによって,/ミート労働を雇用することによる雇用主の国民保険の拠 出責任を取り払い,パート労働を利用しやすくした。特に,女性労働者 のパート労働への進出が指摘されている(26)。

以上のようなサッチャー政府が行った労働市場における規制強化・規 制緩和ほ,労働市場における個人の利益・選択の自由が強調されること が特徴である。また,失業や低賃金や不安定労働と貧困問題との関連は 考慮されず,市場に任せれば「自然」な状態に至るという市場原理主義 的考えに基づいて,失業や低賃金や不安定労働にともなう諸問題の解決

という政策課題が,市場の機能を回復するというロジックに還元されて (73)

(20)

しまう。

これまで見てきたように,サッチャー政府は,一面で失業は労働市場 の機能を回復することによって解決するとの立場をとりつつも,高失業 は社会不安を高めて政権の命取りになりかねず,他面では前節に触れた MSCの拡張・拡充を因って雇用政策を展開している(27)。サッチャー政府

ほMSCの予算をいったん大幅に切り詰めたが,失業の激増によってそ の予算を増額せざるを得なくなったのであって,雇用政策の拡充は,サッ チャリズムと現実との葛藤のなかで,サッチャリズムがある程度譲歩し た証拠の一つである。

しかし,労働市場から国家ほ退場すべきというサッチャリズムのイデ オロギーまでが後退したのではない。サッチャー政府ほ失業の増加に一 段落がっく80年代末になると,雇用政策の民間への移管を進める。MSC に替わって職業訓練事業を行う組織として,雇用省の下に「職業訓練局」

が設置され,そしてその地方機関として「職業訓練・企業協議会」(Train.

ingandEnterpriseCouncils:TECs)が設置された。TEC sは12人の メンバーのうち三分の二ほ民間商工業界の指導的人物から選出され,そ の管理費ほ独立採算が期待された。しかし実態ほ,TECs独自の資金調達 ほ多くを望めず,収入の多くは政府に委託された職業訓練事業からであ

り,また政府からの補助金に依存していて,政府の計画の下請機関に過 ぎないという印象を否定できないことが指摘されている(28)。

以上のように,サッチャー政府の労働市場政策は,当初ほサッチャリ ズムに基づいて市場機能を回復することで労働市場の諸問題の解決を 図ったが,実際には政府が失業問題のために何らかしらの政策を行わざ るを得なかった。このようにサッチャリズムほ,政策遂行のスタイルに おいてほ断絶が見られる。しかし,イデオロギー的側面においては連続 性を認めることができる。労働市場で求められる技能等を持つ人材を供 給することは,経済成長のための環境整備と考えられて,サッチャー政

(21)

府の下での雇用政策は,サッチャリズムの理念と矛盾するものと考えら れていない。つまり,サッチャー政府における雇用政策とは,雇用創出 が目的でほなく経済成長に従属するものである。この点でサッチャリズ ムの雇用政策は雇用の維持を目的とした『ペグァリッジ報告』の理念と 異なる。

社会保障制度との関連で言えば,サッチャー政府の労働市場政策は, 労働市場によって生み出される貧困の原田である失業や低賃金を解消し

ょうと努めるのではなかった。労働市場において経済成長のための環境 をサッチャリズム流に整備することを目的に,むしろ失業を誘導してそ の圧力のもとで労働市場の流動化を図り,さらには低賃金を意図的に政 策課題として推進した。つまり,サッチャー政府の下では,労働市場の 生み出す貧困が,意図的に増加させられたのである。

(2)社会保障の経済政策への従属化

1979年『政府支出計画白書』において,「これまで公共サービスに投入 されていた資源を厳しく制限するということは,これらのサービスが改 善を必要としていることを否定するものではない。だがむしろ,サービ

スの改善がなされる唯一の方法は,より高い生産性によって貨幣や資源 が生み出されることだということが認識されるべきである」(29)と述べら れているように,社会政策が目的としての経済成長に準じることが明記 されている。サッチャー政府は経済成長の妨げにならない社会保障制度 を実現するために,財政支出の軽減を計画し,また社会保障制度の効率 化を計画した。具体的にほ,財政負担軽減のために給付を削減した。そ

して社会保障制度を効率化するため,社会保障制度の選別主義を強化し, 同時に社会保障制度の民間への移管を行った。サッチャー政府による社 会保障制度改革は,「国家=非効率,市場=効率」という社会観や,福祉 の給付ほ国家への依存心を高めて,人びとの道義心を退廃させる,とい

(22)

うサッチャリズムのロジックを背景にしている。

1980年社会保障法が制定されて,社会保障支出の削減が実行された。

その主な内容は,(1)退職年金のスライド制を物価によるスライドのみに 改定(30),(2)失業給付,疾病給付,障害者年金を課税対象とする,(3)失業 給付,疾病給付といった短期給付の所得比例制度を廃止する,そして(4) ストライキ中の労働者の扶養家族に対する補足給付の引き下げである。

しかし,サッチャー政府の下で財政支出総額は減少することなく増加し た(31)。サッチャー政府が意図してその増額を図った防衛そして法・秩序・

保安は別として,財政支出が増加した原因は,社会保障支出であった。

社会保障支出が財政支出に占める比率は,サッチャー政府が政権につい た当初,約20%だったのが80年代半ばまでに約30%まで高まり,90年 に29%とその比率を下げていない。また,前掲の表1を見ると全体の受 給者数ほ増加しているが,失業給付や疾病給付の受給者数よりもFISや 補足給付の受給者数が急増している。つまり,80年法によって国民保険 の所得代替率が低下して,社会保障制度における選別給付の役割が高

まっている。以上のことから,前項で見た労働市場によって生み出され る貧困層が,国民保険から公的扶助へと追いやられているのが分かる。

また,サッチャー政府の緊縮的財政政策による貧困層の激増が,社会保 障支出が増加した最大の要因であった。サッチャー政府ほ経済成長の促 進を目的として福祉国家の解体を目論んだが,もしサッチャー政府の下 で経済の増進が行われたとするならば,それは福祉のセイフティ・ネッ

トのおかげで可能だったのである(32)。

第二期に入ったサッチャー政府は,社会保障支出の削減よりも社会保 障制度を民間に移管することを重視した。このような民間への社会保障 の移管という目的が,最も大規模に盛り込まれた改革が,1985年に行わ

れたファウラー改革(33)のなかの年金改革である。ファウラー改革の年金 改革は,職域年金や個人年金といった私的年金を育成することを目的に

(23)

していた。この改革ほ,個人が自由に選択する私的年金は,強制的な国

民年金よりも優れているという,サッチャリズムのロジックを理由にし

ていた。

ファウラー改革は当初,私的年金への加入を義務付けて75年法によっ て導入された国家所得関連年金制度(所得比例制度)を廃止するという

方法で,所得比例部分を民間へ移管しようと計画した。これには労働者 団体のみならず使用者団体や生命保険業界からも反対が起こり断念せざ

るを得なかった。これによりファウラー改革ほ,国民年金の所得比例部 分を全廃する計画を取り下げたが,所得比例部分を民間へ移管するサッ

チャー政府の意図が断念されたわけではなかった。私的年金への移管を 促すためにサッチャー政府ほ,国民年金の適応除外を受ける場合の保険 料の割引率を優遇したり,新規適用除外老に補助金を支給したり,そし

て国民年金給付は課税対象にもかかわらず私的年金の給付は非課税にし て税制で優遇したりとさまざまな奨励策を行った。このような奨励策は, 実質的に国庫からの多額の支出を必要とし,政府支出の削減にほ効果が

なかったことが指摘されている(34)。

このように,サッチャー政府が行った社会保障制度の民間への移管ほ, 政府支出の削減といった実質的な効果を考慮することなく,サッチャリ ズムに基づく社会を実現する側面だけが自己目的化した観がある。サッ チャー政府における市場とほ,経済的性格よりも道徳的性格を持ったの もであったと言えるだろう(35)。

以上に見てきたサッチャー政府の社会保障改革の特徴は,経済成長と いう目的に社会保障が従属させられたことである。社会保障制度の選別 主義化の傾向は,保守党のもつ伝統的な流れであった。しかし,サッ チャー政府の選別主義化は,労働市場を流動化するために社会保障制度 が補完的役割を担うことを目的にしている点で,単に効率的資源配分を

目的とする保守党の伝統的な考え方と異なる。80年社会保障法ほ,スト

(77)

(24)

ライキ中の労働者の扶養家族に対する補足給付の引き下げを規定してい るが,これは労働紅合との対決のなかで間接的な労働組合への攻撃に なった。また,社会保障制度の給付水準は,人びとの勤労意欲を回復す るというサッチャリズムのロジックの下で,経済成長に適した環境を整 備するために引き下げられた。しかし,給付水準を引き下げた結果は,

多くの人びとを貧困に追い込み,人びとが低賃金労働や不安定労働を受 け入れざるを得ない状況を作り出した。そして,サッチャリズムが,こ のような労働市場の環境を意図的に実現しようとしていたことほ,前項 で見た通りである。サッチャリズムの社会保障制度は,自由な労働市場 で自立・自助に基づいて競争し,そこで敗れた貧困者を救済することを 目的にしている。先に見たように『べヴァリッジ報告』の福祉国家ほ, 安定した雇用条件を前提にして,社会保障制度での防貧を理念にしてい

たが,サッチャリズムほ公的扶助制度による貧困の救済に社会保障制度 の役割を限定することを理念にしている。経済成長を偏重するサッチャ リズムのロジックほ,経済全体が成長すれば,その恩恵がすべての国民 に行きわたるとする,トリクル・ダウン(trickledown)の考え方を背 景にしているものと考えられる。しかし,サッチャー政府による福祉国 再編が,社会階層の分化を押し進め,さらに,貧困の解消どころか貧困 問題を深刻化したという事実を忘れてはならない(36)。

終わりに

本稿は,戦後イギリス福祉国家の再編過程を,サッチャー政府の時代 まで,特にその理念に着目しながら考察してきた。イギリスの福祉国家 の原型となった『ペグァリッジ報告』は,貧困の社会的責任を認めるこ とで,社会保障制度を人びとの権利として国家の義務として計画したと ころに,イギリス社会保障制度史上の画期性があった。『ペグァリッジ報

(25)

告』によって計画された福祉国家は,上記のような理念を制度的に具体 化するために,社会保険制度を基軸とする社会保障制度を計画した。そ

して,べヴァリッジの社会保険制度ほ,すべての人びとが社会階層に関 わりなく均一の保険給付を受給し,そして受け取る給付と等しい価値の 保険料を拠出するという均一原則に基づいていた。均一原則に基づく保 険制度は,社会階層間での所得移転を目的にせず,ライフ・サイクルの なかで所得を水平化することを目的にしていた。また,べヴァリッジの 均一原則に基づく保険制度は,ナショナル・ミニマムを実現するために, 労働市場における二つの国家の責務を前提にしている。第一に,低賃金 の問題を児童給付によって解決することである。そして第二に,所得を 獲得する手段を喪失するような事故に遭わない日常においてほ,人びと が労働に就いて所得を得るように,国家が雇用を維持する努力をすると いうことである。つまり,『ペグァリッジ報告』の計画した福祉国家は, 安定した雇用条件が保証された労働市場と,権利として最低生活水準を 保障する社会保障制度との二つの社会システムの連関によって成り立っ

ている。

しかし,現実に福祉国家が建設されると,労働市場における二つの前 提が実現されることはなかった。イギリス福祉国家は,その成立の当初 から再編のための努力をせざるを得なかった。その再編の過程のなかで, 社会保障制度における公的扶助の役割が重要になっていった。このよう な傾向は,社会のなかに扶養される者と扶養する老との社会階層の分化 を引き起こした。

もちろん,一度成立した福祉国家が,社会に対してまったく社会理念 上の影響を与えなかったわけでほない。サッチャー政府によるイギリス 福祉国家への影響を世論調査から論じた研究ほ,年金,公的医療保険, 家族・児童手当といった領域は共通して最も人気があり,失業補償や公 的扶助といった種類の福祉領域ほ,最も人気がないことを示してい

(79)

(26)

る(37)。つまり,年金や公的医療といった,人びとが普遍的に利用する可 能性のある福祉は国家的責任であるという認識が,世論においても定着 している。しかし,失業に対する補償や貧困層に対する公的扶助といっ

た,自立・自助の精神に関わるような災厄を対象とする給付で,特に労 働年齢層に対する給付ほ人びとの支持を得るのが難しい。そして,この 傾向は,本稿で見てきた福祉国家の再編過程のなかで,『ペグァリッジ報 告』の雇用を維持するという前提が現実の労働市場の実態に合わなく なっているにも関わらず,劣等原則が失業給付といった短期給付に対し て徹底されている点に現れている。

福祉国家が貧困問題に対処するためには,その財源として何らかの形 で労働年齢層から支出されなければならない。したがって,福祉国家の

再編を考察する際にまず考えなければならないのほ,労働年齢時に人び とが安定した収入を得ることである。老齢年齢時代の貧困問題の多くは, 就労時代の貧困とつながっている。しかし,労働年齢層の福祉サービス

が世論の支持を最も得られ難い。その背後には,失業や貧困の原田を怠 惰といった個人の人格的欠点に帰結させる伝統的な貧困観念がある。

本稿ほ,労働市場と社会保障制度との二つの社会システムの連関で福 祉国家を考察する枠組みを用いることによって,福祉国家の再編が単に 資源配分の問題ではなく,貧困問題に対して社会システムをどのように 構築するかという,より社会理念が問われる問題であることを示し

た(38)。そして,本稿は歴史研究を試みたが,今後,福祉国家のあり方を 研究する上で,労働年齢層の貧困をどのようにして解決するのかが重要

な課題であることを示している。そのためにはまず,失業・貧困を個人 の人格的欠点に帰結させる,偏見とも言える貧困観念を取り除く努力を することが重要である。

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