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福祉国家批判と「新福祉国家」(II)

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Academic year: 2021

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(1)Title. 福祉国家批判と「新福祉国家」(II). Author(s). 吉崎, 祥司. Citation. 北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編, 52(1): 75-89. Issue Date. 2001-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/714. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 2巻 第1号 北海道教育大学紀要 (人文科学・社会科学編) 第5. l ) Vo ia i ISc i ences t i esそmdsoc ‐I iぢofEducat .52 ー Umani , No on (Ht s Jou 1malofHo塾 恋doUDiver. 平成 13 年 9 月 Sept ember , 2001. 福祉国家批判と 「新福祉国家」(=). 吉. 崎. 祥. 司. 北海道教育大学岩見沢校社会学研究室. 福祉国家批判と 「新福祉国家」(1) は じめ に 1. なぜ福 祉 国家. ロ 福祉国家とは何か 田 階級の視点からの福祉国家批判 W ジェンダーの視点からの福祉国家批判. (以上前号掲載). 福祉国家と 「新福祉国家」(ロ) V. エス ニ シティ の視点 からの福祉 国家批判. 班 新福祉国家 おわりに. V. (以上本号掲載). エスニシティの視点からの福祉国家批判. 福祉国家においても, 人種‐民族的に少数派であるがゆえに, 経済的に不遇であり, 政治的な諸制約をう け, 社会的に尊重されず, 文化的に駁められる という事態は変化しなかっ た‐ むしろ, そう した状況の存続 が福祉国家にとって本来的に好もしいものであっ て, 福祉国家自体 が人種・民族的少数派の不利益を再生産 している という 批判 が, 60年代 以 降, とく に80年代 にな っ て高 ま っ て き た.. 人種・民族的少数派にたいする福祉国家の差別と抑圧の構造 先住民と移民, 移民の各集団間 (先着と後発, あるいは文化的懸隔) やアメリ カ黒人などの間には種々の 差異があり, 同一の次元で論ずることには少なからず問題が残るが, あえて概括す れば, 再分 配の側面と政 治的承認の側面および文化的次元で次のような差別 的事態が存在してきた. 再分配の側 面では, 一部のエリート層や特定の民族集団をのぞき, 全体としては貧困状態にあり, それ は, 雇用 (採用‐昇任) における不利, 高失業と低賃金, 劣悪な住居や生活環境, 教育環境や保健 医療の貧 弱さ, 社会保障や福祉の不備と差別的処遇, などにもとづいている. 先住民の ばあい, 人口的にも権力的にも少数派であり, 言語や文化, 教育にまつわる歴史的な背景によっ て, 熟練技能者や有資格者が少なく, 低い労働組合組織率や, 有力な政治的背景勢力 をもたないことなどか ら, 不断に底辺化・周辺化の圧力にさらされており, とく に不況期や景気後退期にその傾向が顕著である. そこでは, 福祉も, しばしばたんなる恩恵として与えられるにす ぎない. こう した境遇は, 北米をはじめと して, 先住少数民族に顕著な高い失業率によっ て示唆されている‐ 移民の ばあい, 一般的な生活困難に, 社会保障等における差別が加わる. 法形式上あるい は取り扱いルー 75.

(3) . 吉. 崎 祥 司. ル上のちがいが存しないばあいでも 社会保障制度が長期継続的フルタイム型雇用形態を前提と して構成さ , れているかぎり, 産業予備軍類似の断続的雇用によって実質的に差別されている 公共住宅の配分や児童の . 進路決定においても, 劣悪住宅への割り当て制度や不利な教育制度が存在し また 給付申請の裁定もしば , , しば懇意的である. そして, 扶養親族にたいする市民権付与の否認や 受け入れ国によっ ては教育・職業訓 , 練費用の出身国負担が求められるケースなどもある‐ ⑪ 政治的側面では, 移民の ばあい 国民国家の非成員として 市民権にもとづく 国民国家の高度保障から , , , 除外されたり制限されるなどの差別をうけており (法的形式のちがいによる無権利ないし権利制限) 参政 , 権を含め, 多くのばあい政治的参加の権利から排除されるか それを制限的に享受しうるにとどまることが , 多く, 福祉国家への完全な参加を阻止されている (法的不利益) . 法的・政治的には多数派市民と同等の地位をもつ先住民のばあいも 形式上の対等性と その実質的な内 , , 容とくに先住民が求める固有の文化的・社会的生活や習俗的慣習などとの罪離が大きく 差別と抑圧が感受 , さ れている‐. 先住民から移民, その他多様な集団までを含む 人種・民族的少数派にたいするこれらの差別構造は重層 , 的かつ分断的であり, 「移民と同じよう に扱われる」 ことへの先住民の怒りがしばしば語られるように マ , イノリティ全体の連帯を困難なものにしている. そして, こうした民族的差別は, 中南米と北米のあいだにきわだった差異があるなど必ずしも一般化でき ないが, 文化的に再生産され固定化する傾向も色濃くもっている アメリカ合州国に顕著であるが この種 . , の再生産は, 黒人と (白人はもちろん) 他のマイノリ ティ集団との通婚の少なさに示されるよう に 結婚 , や, 民族別・マイノリティ集団別の居住地域の固定化.隔離化としてのゲッ トー化 教育格差などつう じて , お こ なわ れている.. こう して, 福祉国家自体が 人種的・民族的少数派の不利益を再生産している , . ところで, 福祉国家は資本と労働階級の階級妥協の産物であるが そこでの労働 階級とは必ずしも労働者 , 一般ではなく, 中心的には基幹産業・大企業の組織された都市労働者にほかならなかっ た つまり 国外は ‐ , もとより, 国内においても, その他の労働者集団とりわけ先住民や少数民族 移民や 「定住」 外国人労働者 , (そしてとくに, 女性労働者) などの犠牲のうえになりたっ ているのが福祉国家の階級妥協であり 階級和 , 解 であ っ た.. というのも, これらの労働者集団は 労働力不足なかんづく流動労働力需要にこたえる安価な労働力とし , て, また労働の再生産費用抑制という資本の要請にこたえうる存在としての有用性を具えるものだったから である. たとえば外国人労働者のばあい, 若年で単身かつ健康な労働者であれば 医療 教育 介護な どの , , , 社会サービスや年金需要を極力抑制することができるし また法的な地位を制限することによって 社会保 , , 障 (失業給付等の所得移転) の対象から事実上排除したり制限するすることが可能であり しかも所得にか , んする課税や間接税負担などは国家の歳入に資するものとなる . この側面からは, 福祉国家とは 人種・民族的少数派出身の (とく に女性) 労働者による低賃金・不安定 , 労働に依存するもの,と特徴づけることもできる(以上 とく にC.ビアソン「曲がり角にきた福祉国家」 199 , , 1 年, 邦訳未来社, に拠るところが多い) . そう した抑圧的構造は, それがまさに人種・民族的な帰属 にもと づいておこなわれているという点で もちろんそれ固有の特質をもつものであるが 同時に その本質的連 , , , 関においては, 資本主義経済に奉仕するものと しての階級的性格をおびているといえよう 福祉国家の人種 . ・民族的少数派抑圧構造もまた, 階級的 (かつジェ ンダー的) に媒介されている .. 76.

(4) . 福祉国家批判と 「新福祉国家」(n) エ スニ シ テ ィ とア フ ァ ー マ テ イ ヴ・ア ク シ ョ ン. マイノリティ を犠牲にすることで, 資本と社会の多数派の利益を築いてきたのが福祉国家である というの iぢ) の 視 点 か ら の, さ ら に は マ ル チ カ ル チ ュ ラ t和国c e が, かく して, 福 祉 国 家 に た い す る エス ニ シ ティ ( l i i t晒a リ ズ ム (mmt sm) の立 場 か らの 批判 である‐ cul. 福祉国家によるそう した民族的差別・抑圧にたいする 抗議が, 強力な社会運動として展開され, 政治と社 19 64 会に大きなインパクトを与えた典型的な事例は, アメリカの公民権運動であろう. 黒人一般の公民権 ( 65年投票権法) を獲得したこの運動は, 他のマイノリティ集団はもとより社会の諸 年公民権法) .参政権 ( acki sbeau 次元 へ 強 い 影 響 を も た ら しつ つ, 内部 的な葛 藤 をへ て, 自 ら を民 族 と して い わ ば 再 発見 する (B1. d gm!) という経験をつう じて, また当時の国際的な民族独 立運動の大きなう ねりを背景 としながら, 60 t - 年代末以降は, 「エスニシティ」 (民族的な愛着と誇り, 帰属) の意識と運動として, 浸透し拡大していくよ うになる. かくして, 人種・民族的差別のこう した是正要求にたいして, 第一義的には社会的統合を維持・ 確保する立場から, 福祉国家の一定の再編成 が追求されるようになる. アメリカのばあい, この再編の主内 i i t t ve ac on 容 は, 「ア フ ァ ー マティ ヴ. アク シ ョ ン (af取鴎a. 積 極 的差別 是正 措置)」の導 入 である が, そ れ. は, 数世紀間にわたっての人種.民族 (およ び性別) にもとづく歴史的差別と, その結果としての不利 は補 償 さ れる べ き で あ る とす る 論 理 を 基 本 と す る (な お, エ ス ニ シ ティ や ア フ ァ ー マ ティ ヴ・ アク ソ ン に つ い 『 と 収 1986年, 「エ ス ニ シ テ ィ と し て の 民 て, 筆 者 は, 「日 本 社 会 と エ ス ニ シ テ ィ」 , 思 想 現 代』 5 号 所 ,. 2年, 「アファーマティ ヴ・アクショ ンと平等観の転換」 族」 , 『北海道教育 , 『思想と現代』 第31号所収, 199 99 0年, などで論じたことがある). 大学紀要』 第工部B 第41巻第1号所収, 1 この制度が, 一定の (顕著な) 成果をもたらしたことは疑いない‐ 雇用や教育における差別が, 解消され たというには程遠いとしても, 少なくとも緩和されるようになっ たことは事実である し, それが, 政治参加 を促進・活発化する とともに, 運動のひとつの到達点として, つぎのス ッテプを具体的な課題として現実化 させたという意義も否定できない. 黒人をはじめとするマイノリティ (および女性) の雇用や教育の機会の 狭 さ, 極 度 に劣 悪 な 生 活や住 環境 は, た しか に かなり 改 善 さ れた し, ア フ ァ ー マ ティ ヴ・ アク シ ョ ンという. 制度に具現さ れた平等の観念や人権・公民権の意識は, 差別のより広範で本格的 な克服にむけての足場に なっていっ た. そう した運動や意識が, 所得や雇用, 社会保障や公的扶助にかんする資源の配分要求という 形を と っ て, 福 祉 政策 の拡 大 にむす びつ い て い っ た こ と も 疑 い な い.. しかしまた, それらの成果はけっ して十分なものでなく, 成功した黒人 (あるいはキャリアのある女性) を一部で生みだしたものの, マイノリティの大多数の被差別的状況が大きく改善されたとはいいがたく, 黒 人のあいだでの貧富の差はかえって拡大してもいる. 一方で成功者をだしている (しかもその多くは保守化 し, 現状維持的になる) という事態が, かえっ て亀裂を深化させ, 被差別感のいっそうの深化 を招くように さ え なる. そ して, ア フ ァ ー マ ティ ヴ・ ア ク シ ョ ンや 各 種 の 補 償 措 置 へ の 財 政 支 出 に た い す る, 白 人 下層 (poor wb ) i t e. からはじまっ た反発は, 経済の停滞と財政悪化にともなう高負担感とともに白人中間層にも. 拡大し (たとえばカリフォ ルニア州における, 「住民投票」 にもとづく一連の差別是正・補償措置の撤廃・ を併せて, 居住や結婚, と 「 後退) , 「逆差別」 という プロパガンダやマイノリティ の 生活の統合への嫌悪」 ) 教育にかんする隔離が再び進行する よう にもなる(「統合の逆説」 . 今日なお, アメリカの国内政治における 最大のイ ッ シューは, 雇用や福祉, 教育や生活環境にかんする社会政策をめぐる人種・民族間対立である と さ れる. ア フ ァ ー マ ティ ヴ・ アク シ ョ ンのそう した 限界 は, 本 質 的 に はそ れ が, 多 数 派の社 会・ 文化 へ の 人種 ・民. 族的少数派の統合をめざすものであっ たところに求められる‐ というのも, 自らは選択することのできない 属 性 (肌の 色 や 性別) に たい する 差 別 の補償 と して の ア フ ァ ー マ ティ ヴ・ アク シ ョ ンの 最 終的 な 目標 は, 人 77.

(5) . 吉. 崎 祥 司. 種や性別にもとづく分類の解消, すなわち諸個人を差異や属性を捨象した対等な諸個人として社会的に統合 することにあったからである. しかし, そう した集団的な属性や差異を捨象した 多数派の社会文化に安易 , によりかかっ た普遍主義的な統合によっ ては, 現実に存在する苛酷な差別や抑圧を解消することはできな . 「多文化主義 (マルチ・カルチュラリズム)」と 「多文化主義政策」 かく して, 形式 上 ・ 法律 上 の 平等 そ して ア フ ァ ー マ ティ ヴ・ アク シ ョ ンを は じめ とする 諸補 償 措 置 にも ,. かかわらず, 低賃金と高失業に代表されるような経済的・社会的な不遇と不平等 差別が解消しておらず , , ま た文 化 的 に駁め ら れ て いる 状態 が改善 さ れて い な い(「ア フ ァ ー マ ティ ヴ. アク シ ョ ンの頓 挫」)と して 80 ,. 年代以降, 強烈な福祉国家批判を展開したのが 「多文化主義」 であっ た. それは 何よりも アファー マ , , ティヴ.アクションを含む 「人種融合政策の基礎にある統合主義的な平等観念を差別解消のパラダイムにす ること自体に対する原理的批判」(井上達夫 「多文化主義の政治哲学」 油井.遠藤編 『多文化主義のアメリ , カ』 所収, 1999年, 東京大学出版会, 90一9 1ページ) と して, 登場した. そう した多文化主義の根本的関心 は, したがって, 主流派文化とは異質な少数派のアイデンティティの尊重である 「文化の自由市場」 の否 ‐ 定, 主流社会への統合の拒否, 文化的自己保存のための個人の自由や平等への一定の制約それゆえ集団的権 利の恒常的承認の要求, 等がそのゴロラリーをなす. もっとも, 多文化主義とはいっても, それは単一の思潮でなく その概括は容易 ではない. しばしば注意 , されているように, さしあたりその2潮流が区別されるべきであろう. 一方 は, 「文 化 多元 主 義 ( l lpl l i tura cu ura sm)」と も 称 さ れ てき た立場 で, 必 ず しも 新 しいも の では なく,. アファーマティ ヴ・アクショ ンとも親和的な 「リ ベラル」 の主張でもあったが, その特徴は 「差異の承認」 を要求するところにある. しかし, この文化多元主義あるいは 「多様性の多文化主義」 は 私的.文化的な , 領域における多様性は容認するものの, 公的・政治的な領域にお ける多様性は必ずしも認めない. この立場 は, 「私的多様性」 と 「公的統一性 (単一の共通文化)」との相違を強調するものであり たとえば 多言語 , , 教育は認めるとしても, 「複数の公用語」 は容認しない (油井大三郎 「いま なぜ多文化主義論争なのか」 , , 上掲 『多文化主義のアメリカ』 所収, 参照) パ その意味では 文化多元主義は ー動 マン 員の観点か ワ . , , ら, 被雇用者の多様性を認める (認めざるをえない) ものの, その多様性を経営の利害の範囲にかぎる あ , たかも 「企業の多文化主義戦略」 にもつうずるものであっ て 民族的集団の多様性を それ自体に即して承 , , 認し, 尊重しようというものではない. 他方で, 80年代以降の多文化主義の主 要な傾向は, 「差異」 のたんなる 「承認」 でことたれりとするのは いわ ば 「改良主義」 にすぎず, 「差異」 のそれ自体としての尊敬, なかんづく それを具体的に担保するも の と しての 「政治的承認」 こそが眼目であるとみなす. つまり 多文化主義とは まず 民族的少数派の文化 , , , の政治的承認という要求にほかならない. そこでは, 「公的領域における文化の複数性」 が たとえば公用 , 語の複数化を承認するかどうかが, 指標となる. しかも, そのさい, この 「承認」 において最終的な目標と されるのは, 「現実の集団間の社会関係における対等性への要求である以上に 集団間の 「意識」 における , 対等性の要求」(古矢旬 「マリチカルチ ュラリ ズムと国民統合」 99 , 長谷川編 『市民的秩序のゆくえ』 , 19 年, 北海道大学図書刊行会, 2 45ページ) である. すなわち,「「他者性」 をそのまま世界の中に認めて行くこ と」(杉田敦 「アイ デンティティ ーと政治」 , 佐々木編 『自由と自由主義』 , 1995年, 東京大学出版会, 318 ペ ー ジ).. そして, 「差異の政治的承認」 を要求するこう した多文化主義の基本主張のひとつは, したがって 「普遍 , 主義批判」 である. リベラリ ズムの名のもとに 「普遍主義」 と 「文化的中立性」 を標梼する既存の国家は , 78.

(6) . 福祉国家批判と 「新福祉国家」(の. しかし, 単一の公用語=国語に象徴されるような,「「多数派住民」 のためのヘゲモニー装置」 (油井))を組み 込んでおり, じつは 「中立」 なく, その 「普遍主義」 の主張 はみせかけでしかない. 「文化的中立性を標梼 するリ ベラルな国家」 において, しかし, 「文化的マイノリティ の言語・文化遺産・生活形式」 などは 「事 実上周辺化され」 ている (英語の覇権, 競争主義的メ ンタリティ, 社会的地理的移動への積極性, 自動車中 心資源エネルギー蕩尽消費文明な ど, 「独特のライフスタイル」 の支配に 「適応できない人々 は周辺化され て いる」 井 上, 前掲, 100一101ペー ジ). そ こ にある の は, 北 米社 会 の ばあ い で い え ば,「「普 遍 主 義」 の 装 い. 」(古矢, 前掲, 228ページ) にほかならない. をとった 「白人至上主義」 , 「西欧優越主義」 , 「男性優位主義」 qmcrights l th そ れ ゆ え, 文 化 的 多 様 性 の 承 認 ・尊 重 (Po ye. 「多習俗権」 または 「多文化市民権」「エス. ニ ッ ク 文 化 権」 な ど) はも とよ り, そ の 政治 的承 認 が, た と え ばエス ニ ッ ク ・ マイ ノ リ ティ 集 団の コミ ュ ニ. ティ への移住の制限, その居住地域における (個人的または他集団の) 土地所有権・処分権の制限, そのコ ミュニティの自治にかんする (非成員) の選挙権の制限, などが要求される. ⑫ こう して, 人種‐民族的少数派にたいする, 「カルチャーブライ ンドな無差別性を超えて様々な規制や助 成, 優遇措置」 が, いわば 「主流派文化とマイノリティ文化との間の 「競争条件」 の不公平な差異を是正す る」 (井上, 前掲, 101ページ) という観点から, 要求さ れるが, しかし, 多文化主義のそう した要請と, 福 祉国家におけるじっさいの 「多文化主義政策」 とのあいだには大きな懸隔がある‐ 北米や豪州, ヨーロッパその他の諸国で採用 されている 「多文化主義政策」 は, 多文化主義の, これら2 つ の 潮 流 の あ い だ で振 幅 の 大 き い も の で あ り, 一 般 に も っ と も す す ん で い る と み な さ れカ ナ ダの ばあ い に. も, 本質的に統合主義的な限界を超えるものではない. そこでは, 学校での2言語・多言語教育の実施, 公 用語学習の奨励, コミ ュニティ言語の必修化, 公的機関における通訳設置や言語職員の配置, 移民・先住民 ‐諸マイノリティの伝統的文化や言語, 生活習慣維持への公的援助の推 進, 各エスニック集団間の相互交 流, 機会均等を妨げる文化的障壁の打破, な どの諸施策が相当の範囲と程度においておこなわれているが, 国民国家の維持という統合主義の域を超えるものではない. 多文化主義主義政策の現実 は, 「政治的, 社会 的, 経済的, 文化・言語的不平等をなくそうとする一種の国民統合あるいは社会統合イデオロギーであり, 4年, 名古屋大学出版 具体的な一群の政策を導きだす指導原理」 (関根政美 「エスニシテの政治社会学」 , 199 会, 199ページ) にすぎず, 「多様性を承認したうえでの社会統合」 という, いわ ば 「発想の転換」 にとどま る も の で しかな い.. 他方で, そのような施策さえもが, 小さくはない批判 と反発のなかにある. 高度経済成長の頓挫以降はと くに, 新自由主義の影響もあって, 多文化主義的施策にたいする財政支出を過剰であり無駄とみなす傾向, さらには逆差別とさえ断ずる傾向が社会の多数派のなかに強まっている‐ この傾向は, 高失業と生活不安に あえぎ苛立つ, 多数派のなかの下層の経済的不満を下支えとして, 中・上層の, 「行きすぎ」 批判と, 文化 的多様性の際限なき容認による社会的統一の解体への不安を含む, 一般的な反感として存在している‐ しか も, 人種.民族的少数派内部でも, 「移民のための多文化主義」(は先住民差別を隠蔽する) という, 先住民 の移民にたいする反感が存在しており, 多文化主義政策の現在は足踏み状態にある‐. 多文化主義の問題性 多文化主義への多数派住民の反感などとは別に, しかし, 多文化主義が含む問題性もさまざまに指摘され て き た.. 第1に, エスニ ック・マイノリティ に一般的な貧困問題 が, 各集団に固有の伝統的な文化の尊重によっ て, はたしてどこまで解決するの かという問題がある‐ 「貧困や失業の問題は, それ自体として社会経済的 3ページ) いるが, 多文化主義の視点はこの側 に解決さ れなければならない側面をもっ て」(油井, 前掲, 1 79.

(7) . 吉. 崎 祥. 司. 面の分析を必ずしも重視しているとはいえない. 第2に, コストの問題, すなわち「 「差異」 を強調するあまりの 「隔離」 であり, 「隔離」 ゆえの 「差別」 の固定化」(古矢, 前掲, 260ページ) という傾向が懸念されることも少なくない. 差異の強調が 分断を固 , 定し, 「稀少資源をめぐるエスニック集団間の対立と排除」 を招く. 諸エスニック・マイノリティの法的な 認定にともなう資源や予算の配分が, それぞれの集団を 「利益集団化.圧力 団体化」 し 権益の維持や拡大 , を求め, あるいは周辺の諸集団のなかでの支配的位置や有利さの獲得をめざす政治的活動を活発化する そ . のさい, 集団内のエリートによっ て, 指導的な地位や利益, 威信の継続のために 不平等な状態の温存がは , かられたりするだろうことも想像に難くない. そこではしばしば 差別を助長する傾向すら生まれ また , , 「当面する深刻で広範な社会的経済的差別問題を隠蔽してしまうおそれ」 (同 265ページ) が生じる ‐ , 第3に, 多文化主義が, 現実世界において, はたして どこまでの適用可能性をもつのか という疑問も呈 , されている. アメリカの黒人差別が, 必ずしも言語や文化の固有性のゆえでなく もっ ぱら主と して人種的 , 差異によっ ているものであるとするなら, そのようなばあいにも多文化主義は適 合的であるのか否か. ま た, 現に無差別の殺毅が横行するほどの凄まじい民族間憎悪までが生じているような民族紛争社会 あるい , は, 旧植民地主義による国境の懇意的線引きに由来する不安定要因を宿命的な病弊としているかのようなア フリカなどの 「途上国」 において, 多文化主義は どこまでの有効性をもつのか, などがここでの問題性であ る (なかには, ケベックのフランス系住民など, 現にある差別的諸事態はさりながらも 「植民地主義的侵 , 略戦争の 「敗者」 を先住民と同等 に………保護されるべき 「文化的弱者」 とみなすことができる の か」(井 上, 前掲, 95ページ) , といっ た屈折した批判もある) . この種の論議は, 多文化主義の適用範囲が, 現実的 には, たしかに限られていることを予想させるものであろう. 第4に, しかし, 多文化主義におけるおそらくもっ とも重要な問題性は, そこに 「普遍主義批判の二つ ,. の次元」 , すなわち 「擬似普遍主義」 にたいする批判と 「普遍的な 「価値」 や 「慣行」 や 「技術」(いわば 「相対的に普遍的な」 諸価値) への反感や攻撃が混在 していることが少なくない」(古矢 上掲 2 , , 49ペー ジ), と いう こと であろう.. 多文化主義は, リベラリ ズムが求める自由と自立, 平等な機会と寛容, 不可侵の 「人権」 などの普遍主義 的価値の相対化を求め, 人種・民族的に特殊な諸価値の承認と, 一見 「中立的」 で 「普遍的」 な価値の制限 を求める. しかし, 諸集団のそれぞれに固有な諸価値の対等性と併存の主張にとどまるかぎり 多文化主義 , は, 相反する基本的な諸価値の対立という問題を解くことはできない. 多様性の極力の相互承認と尊重は当 然望ましいとしても, 人間の生命を軽んじ, 内的生活やまっ たくの私事に干渉し, 女性を差別し 家父長支 , 配を容認し, 特定の社会的カテ ゴリー (政治的信念やイデオロギー, 民主主義) を抑圧し政治参加を否定す るような文化をも容認することは, とうていできない. エスニシティと新福祉国家‐ (新福祉国家の多文化主義政策) 以上のような, 福祉国家にたいするエスニシティの, さらには多文化主義の立場からの批判をうけて そ , してまた多文化主義の問題性をふまえるならば, 新福祉国家におけるエスニシティの問題は つぎのように , 位置づけられるべきであろう. ①エスニックな領域における新福祉国家の政策原理は, 多様性におかれなければならないが 多様性の承認 , とは, たんなる文化的差異の容認ではなく, ・何よりもまず 社会保障の差別を解消し 伝統的文化の国家的 , , 保護や公的援助を充実し, 社会参加をその基盤である 教育や職業の享受という条件の整備から促進するな ど, 制度形成を現実性と具体性において貫徹するものでなければならず そのようなものとして 「政治的 , , 承認」 でもなければならない. 80. ◆.

(8) . 福祉国家批判と 「新福祉国家」(ロ). そう した多文化主義政策の具体的内容は, 統合主義的な観点からではあれ, すでにいくつかの 「多文化主 義先進国」 で取り組まれてきたものであり, 必ずしも目新しいもので はない‐ 中央政府による先住民や移 民, 周辺マイノリティ諸集団の伝統 的文化や言語, 生活習慣な どの積極的保護と公的援助の推進, 各エス ニック集団間の相互交流や公用語学習 (バイリンガル) の奨励, 社会参加の平等な機会の促進と機会均等を 妨げる文化的障害の打破, 公務員等への積極的登用, ゲッ トー化の解消のための都市中心部対策を中心とし た生活.環境基盤の整備, 教育の具体的改善 (学校での民族語の必修化, 2言語・多言語教育の推進) , 等々がそれであり, また, 事態の根本的な改善が見通せるまでの当分のあいだは, 不利な境遇におかれやす い民族的マイノリティにたいする各種の援助や優遇措置の実施を欠くことはできないだろう‐ ② 「政治的承認」 の制度的基礎 づけとして, 集団的権利 と集団的尊厳が法認されるべきであろう. 近代の人 権・憲法の観念と制度が前提としてきた法体系の個人権的構成 (個人主義的法理) は改変されなければなら なず, 集団的権利が, 個人権とならぶものとして体系的かつ具体的に法定化されなければならない. そう し た集団的権利 は, 労働基本権をはじめとする社会的基本権 と して, 人権の現代的形態を特徴 づ けるもので あっ たが, 法的に確固とした市民権の獲得にさいしては, 個人主義の立場からの根強い抵抗を受けてきたも のであっ た(「自律的個人」 へのこのあたかも偏執, はしばしば集団的カテ ゴリ ーによる差別 を隠蔽する保守 . 現 状維 持 のイ デオ ロ ギー と して 機 能 して き た). エス ニ シ ティ に か か わる こ こ で の 場 面 で も, 60年代 アメ. リカの公民権運動 は, そう した個人主義的な法体系の転換を迫る質を具えていたが, その権利の集団的権利 としての定立は一貫して回避されてきた‐ 新福祉国家の課題は, かくして, 憲法・人権の法体系, 法的論理 構成のうちに 「集団」 を明確に位置づけることであろう‐ そ の さ い, も ち ろ ん の こ と だ が, C. テ イ ラ ー が 強 調 す る よ う に (た と え ば, 『マ ル チ カ ル チ ュ ラ リ ズ. ム』 , 集団的な権利 と尊厳の承認は, あたかも人類史の成果としての, 基本 , 参照, 1996年, 邦訳岩波書店) 的な自由のもつ普遍的価値をすべて相対主義的に否定するようなものではない‐ 自由と自律, 平等と公正, 正義と平和などの人権価値はあくまでも確保しつつ, しかも 「すべての権利のお しなべての尊重」 ではな く, 公共的な観点あるいは集団的な権利にもとづいて, 一定の個人的諸権利を制限することが可能であり, また必要である. 人権・諸権利のそうした区分・弁別 は, たしかに必ずしも容易ではないが, 至難というも の でも な い. ③ エス ニ シテ ィ の 問 題を め ぐっ て の 新福 祉 国家 の 課題 は, こう して, 第一義 的 には, 諸 集 団, この ばあ い は. とくに人種・民族的諸集団のあいだの緊張と対立を緩和 し, これらの集団に多少とも集中 してあら われ, 「社会問題」 として顕在化してもいる, 貧困や生活困難, 差別や抑圧, 不平等や格差を国家の行為において 解決することであるが, その努力はまた, つぎようのような方向性において, 報われるものでもあろう‐ 民族的な多様性の主張はたしかに, コストをともなうといってよいかもしれない (そのかぎりでは, たと えば 「混血的アメリカ」 の一般化という期待 には一理ある) . そのばあい, 重要なことは, 文化的な享受や 豊 鏡 さ な どエス ニ ッ ク な独 自 性 が社 会 全体 にと っ て も っ て いる 意 義 の 浸 透 を は かり な がら, コス トや その感. 覚を縮減していく必要であろう. その意味では, 多文化主義政策は, たんなる民族的少数派対策でなく, 社 会の全体にとっ て有益な課題である. 多様でゆたかな文化的諸分肢と人口構成をもつ社会こそが, 伝統の活 性化と新生をもたらし, 「他者の境遇」 にたいする感受性と知的寛容 を養い, 個性的であり共感的でもある 個人を育むのだから. したがってまた, 多文化教育も, たんなる民族的少数派対策でなく, 国民教育の重要 な-課題, いや 「国民教育」 の制約 (たとえば, イギリスにおける 「多文化教育」 にたいする 「反人種差別. 教育」 の意義について, 佐久間孝正 「地域社会の 「多文化」 化と 「多文化主義教育」 の展開」 , 駒井.広田 96年, 明石書店, 参照) をこえたインターナショナルな 「現代の教育」 編 『多文化主義と多文化教育』 , 19 と しての 性 格 を もつ であろう‐ イ. 81.

(9) . 吉. 崎 祥. 司. なお, エス ニ シテ ィ とく にマ ル チ・カ ルチ ュ ラリ ズ ム の 視点 が, フ ェ ミ ニ ズ ム へ の 強 いイ ン パ ク トを も っ. たこと, すなわち, たんなる 「女性の視点」 でなく, 女性の内部にある人種・民族, 階級などによる差異に 注視することが不可欠であることの示唆を与えたことが, この項のさい ごに強調されるべきであろう. ここ でも ま た, エス ニ シ ティ と ジ ェ ン ダー, 階級 は相 互 媒 介的 であ り, こ の連 関の 無 視・ 軽 視 は一面 的な 理解 を しかも た らさ ない.. 孤 新福祉国家. 現代の課題は, 福祉国家の新自由主義的な縮小・解体でなく, 旧来の福祉国家の限界を克服しつつ, その 可能性を最大限発展させることをつう じて, 新しい福祉国家を形成することである. 新福祉国家の意義 「新福祉国家」 は, 第1に, なによりもまず, 現代資本主義の変容( 「多国籍企業支援型国家独占資本主 義」 (後藤道夫))のもとで高まっている福祉需要にこたえうるものとして, 存在意義をもつ. 日本の ばあい でいえば, 大量生産=大量消費のフォーディ ズム的経済成長方式の終霧とともに, 1980年代半ばから本格的 に多国籍的な展開をとげつつある大企業体制のもとで, 国内高コス ト回避のための, 産業と雇用, 生活の 「空洞化」 が進展しており, 第2段階福祉国家の機能を代替していた 「企業主義的統合」 (家族賃金と間接 賃金としての企業内福利厚生, 終身雇用等) が労働者層の基幹部分で縮減しはじめ, 破綻をきたしつつあ る. また, 農民や自営業者など中間層も, 実質的に福祉国家的機能をはたしてきた保護と規制の削減・緩和 に見舞われており, 所得, 生活基盤にかんする社会保障・福祉需要が急速かつ広範に強まっ ている‐ そし て, いずれの階層においても, 家族内多就業化や少子化・高齢化等家族形態の変容によって, 介護の社会化 要求など対人社会サー ビスの充実が切実なものになっ ている‐ 新自由主義的な支配体制が (いわばなりふり構わずに) 放棄したこの社会保障・福祉という課題を, もち ろん旧来の福祉国家とはちがったやり方においてではあるが, 引き受けていくのが新福祉国家であり, その 点にかかって, 新福祉国家は正 当性を広く認知されるものとなろう. 普通の人間が 「普通に, まともに生き ていきたい」 , というすでに広汎に生じている福祉国家需要にこたえ, 進行中の福祉国家解体・縮小という 新自由主義的圧力に対抗していくことが新福祉国家の直接的な課題である. 新福祉国家は, 第2に, 多国籍企業の世界支配として成立している現代の資本主義体制 (現代帝国主義体 制) に対抗するものと しても, 存在意義をもつ. 多国籍企業体制は, 現地生産・現地投資の 「最適ネッ トワーク」 を展開・拡大して, 国内を上回る海外利 益率を獲得しようとするものであるが, こう した活動は当然ながら, 本国国家の軍事力を背景とした対外膨 張主義を強めることになり, また国内矛盾の激化を国家の強圧によってのりこえようとする傾向をもつ‐ い まや国家は, バランスある国民経済・国内経済循環の維持という課題を放棄して, まさしく 「多国籍企業支 援型」 に転化することになり, その軍事力は, 多国籍企業の展開を軍事的に支える機能を第一義的なものと するようになる. 新自由主義者の 「小さい政府」 という揚言にもかかわらず, この国家は 「強力な国家」 で あり, 強大な軍事力と集権的権力化・治安対策強化を追求しようとする (軍国主義化) ものであって, 雇用 と生活の安定と保障, 国民経済のバランスある発展, 南北格差の克服・国際関係の平等化をめざす新福祉国 家と真っ向から対立する. 福祉国家需要にこたえ, 現代帝国主義とその軍国主義化に対抗するものとして, こう して第3に, 新福祉 国家 は, 「近い将来の社会変革の目標」 となるものであろう‐ 社会体制の全体的改変は, 当面の現実的課題 82. -.

(10) . 福祉国家批判と 「新福祉国家」(ロ). とはなりえない. 他方でしかし, 労働と生活の危機と不安, 要求のなかで不可避的に求められざるをえない 新福祉国家の諸施策は, 体制の根幹部の変革をも迫るような内容を含んでおり, 過渡的な性格 をもっ てい る‐. 新福祉国家の一般的諸特質 新福祉国家が実現す べき直接的な政策目標は, 成員すべての 「快適な」 水準の 「所得保障」 (失業や疾 病, 災害, 老齢による所得中断への保障) と 「対人社会サー ビス保障」(育児や介護の社会化・支援) , そし て 「生活基盤保障」 (住宅の整備・供給支援や公衆衛生をはじめとする標準的に快適な生活保障) である‐ immn) と は, 直 接 に は 「国民 的最 低 ( 1 ) この ばあい の 「快 適」 (mi叩 頭uばn でも maximwm でも な く opt 限」 にたいするものであり, 社会的に標準的な, その社会が可能とする条件のもとでの極力 ゅたかな生活水. 準のことであるが. 浪費・賛沢・過剰な消費等を意味するものではない‐ というのも, 経済の高度成長がも ) が求め ら れて l l inab はや可 能で なく (フ オ ー ディ ズ ム 体 制 の 終 鴬), 持 続可 能な 発展 ( t opment e deve sus. いること, 環境と資源の点で, もはや高成長を前提することはできないという決定的ともいえる制約がある こと, 「南」 の諸国にたいする収奪・搾取構造 を維持すべきでないこと (国内高度成長を制約する国際経済 的.政治的条件=社会的正義.国際的公正) などから, 新福祉国家が追求するものは, 高度の物質的潤沢で はありえないからである. 2 ( ) したがっ て, 新福祉国家は, 節約型, 倹約型という特質をもつ. 新福祉国家は, 資源節約型でなげれ. ばらならず, 国土と環境の保全が, その重要な条件のひとつである. そして, 新福祉国家は, そのような環 境の公正な享受 (環境的公正の実現) を保障すべきであり, 環境レイシズムなど環境差別を許してはならな し\. ( 3 ) さらに, 「南北」 の問題に関説していえ ば, 在来の福祉国家は, 社会帝国主義の系譜に連なるもの と して, 第三世界諸国の民衆の犠牲のう えに成立してき た‐ 対外的な収奪 と搾 取によっ て, 福祉国家の 「繁 栄」 が築かれてきたが, 新福祉国家は, さしあたりは国民国家の枠組みで考えられるとしても, グローバル な規模での平等主義を基本的前提のひとつとするかぎり, そう した抑圧の構造の克服をめざすものである‐ 具体的には, 進出先の国民経済の均衡を掘り崩すような多国籍企業‐銀行の活動を, 多国籍企業本国におい て強力に統制することが必要であろう‐ もちろん, このような規制は, 一福祉国家内では完結しない. 諸種 の統制や規制を最終的に保障するためには, いわば 「福祉国家連合」 の形成が必須であり, この連合によっ てはじめて, 多国籍企業の活動と世界市場における通商のあり方 (対等性と互恵性, 適正なルール・密度や 速度など) をコントロールし, 発展途上国にたいする収奪・搾取の構造を改変 (少なくとも緩和) すること が可能になるだろう‐ その意味では, 福祉国家の成員をグローバルに拡大すること (その地域的萌芽形態も しくは可能性としての 「EU 社会憲章」 など) が求められている. 4 ( ) 国内的にも, 国民経済の バランスある 生産・循環と産業編成, 安定した労働と生活を再建するため に, 新福祉国家は, これまで多国籍企業支援を最優先の課題としてきた国家の政策を改変しなければならな い‐ 雇用 「柔軟化.流動化」 (労働力 「保全」 の国家による条件整備) や 「農業保護」 の縮小をはじめとす 「自由化」 る, 大企業体制の多国籍的展開のための諸種の規制緩和( )はもとより, 多国籍資本の 「国家財政へ の寄生」 から, 本国の法的規制や納税義務の回避などにいたる広い範囲で, 多国籍資本の放逸を厳しく律す ることが新福祉国家の諸活動の基礎をなす. ( 5 ) しかし, 節約・倹約型の福祉国家とはいっても, それは, 福祉国家需要を 「低水準」 で充足すればこ とたれりとするものではない. 新福祉国家の中心的課題は, 普通の人間の誰もが, 老後や失業, 傷病や居住 に不安を感ずることなく, 普通に, まとも に生きていけるような相互的なシステム として国家の諸施策を再 83.

(11) . 吉. 崎 祥. 司. 編することである‐ その意味では, まずなによりも, 「商品」 して扱っ てはならないものの徹底した 「脱商 品化」 を達成することが新福祉 国家の第一義的な政策目標となる‐ 労働者保護立法の強化充実や, 公的諸規 制および労働者自身による資本の社会的規制への支援をつう じて, 「労働力」 の商品としての扱いを極力制 限し, 労働者.勤労者一般の 「普通に, まともな生活」 の確保につとめることが必要である. また, 国民経 済の基礎としての 「土地」 の徹底した商品化を規制するとともに, 国民経済の基盤の確保とバランスある発 展のために, 農業をはじめとする低効率産業部門を保護・育成することが求められる. ( 6 ) 新福祉国家の最重要な特質と しての 「脱商品化」 はまた, 福祉国家の経済的成長条件の縮小によっ て, 社会保障をすべて現金給付と市場経済依存で行うことができないことからも帰結される‐ 「脱商品化」 , いいかえれば, 「社会保障中の, 貨幣に媒介される部分の比重を下げるこ と」(後藤道夫 「新福祉国家論序 97年, 大月書店, 480ページ) 説」 , , 渡辺.後藤編 『講座現代日本第4巻日本社会の対抗 と構想』 所収, 19 再 び 「市場を 「社会に埋め戻す」 こと」 が, 現代社会の経済的条件からも要請されているのである. ここでは, 「市場主義」 の克服が新福祉国家の課題 としてあらわれる. 資本主義は, ほんらい市場化しえ ないもの (労働力・土地・貨幣) を商品化してきたし, 自らの展開条件を極力経済の外部にとどめようとす る (経済の 「外部化」 )衝動をもっ ている. 資本主義経済の存続のためには, 女性の出産能力, 労働力再生 産, 労働力育成・訓練, 自然資源, 自然環境, 社会環境など多くのものが必要不可欠であるが, 資本はこれ らのものを無償で利用することで高利潤と高蓄積を手中にしてきた‐ しかし, これらはほんらい, 支払われ るべきもの, あるいは少なくともその利益の一定部分が社会に還元されるべきものである‐ 新福祉国家は, 資本にたいして, ほんらい市場化しえないものの正当な扱いを求めるとともに, それらの使用にあたっ ては 正当な支払いを, つまり 「経済の内部化」 を要求する.. 新福祉国家の諸施策 これらから, 新福祉国家の諸施策が導出される‐ ( ) 新福祉国家の労働政策は, 完全雇用・最低賃金制度な どによっ て, 労働者の生計基盤を確保するとと 1 もに, (男女) 同一労働同一賃金を原則に, 家族構成の相違や所得中断あるいは住宅等生活基盤の必要から 生じる需要を社会保障.公的福祉が充足するという構造において組織される. 企業規模や就業形態, 性別や 年齢の相違によらない, 同一基準にもとづく処遇と, 諸個人間に平等な一般的生活の公的保障というこの基 本的枠組みはまた, 労働者間においても顕著であっ た階層的格差の解消・緩和をめ ざすものとして, 「脱階 層化」 的である. ( 2 ) 農業や自営業をはじめとする低効率産業部門は, 国民経済のバランスある発展 (成員全体の普通に, まともな生活の基礎) に不可欠でありながら, 新自由主義的な市場至上主義のもとで, ますます困難な状態 に追いやられつつある. 新福祉国家は, この部門を保護・育成し, 産業基盤を確立するとともに, その所得 と生活を社会保障と公的福祉において支持しなければならない. 農業の保護・育成はまた, 食の安定的確保 と安全を手中にし, 国土のエコロ ジカルな保全を達成する保証でもある. ( ) 労働編成や産業編成 と社会保障・福祉のこうした改変によっ て, 国民生活と国民経済の安定をめざす 3 新福祉国家は, しかし同時に, 国際的な経済格差の解消ないし (少なくとも) 減少・緩和につ とめるもので なければならない. 第三世界の犠牲のうえに築かれる先進国福祉国家という構造は, 現代世界においてはも はやいかなる意味においても正当化されないからである. ( 4 ) 以上の具体的な実現としての社会政策の直接的目標は, まず所得と社会サービス, 生活基盤の3領域 における 「保障」 を達成すること, いいかえれば, 「第2段階福祉国家」 の水準 を, 必ずしも物的潤沢を意 l opt i i t 味 し な い と して も, ゆ た か な 生 活 を 安 心 し て 過 ご す こ と の で き る, 「国 民 的 最 適 水 準」 (na ona - 84.

(12) . 福祉国家批判と 「新福祉国家」(ロ) mwm) と して 実 現す る こ と, しか も, 画 一 的 で は なく 多 様 な ニ ー ズ に 極力 応 え る よう に社 会 サ ー ビス を 組. 織すること, であろう. そう した 「保障」 の分け隔てのない実現が, 人びとのあいだの 「脱階層化」 を拡大 して いく.. ( ) 新福祉国家の社会政策の最重点のひとつは, 社会保障 (税制もだが) の 「個人 (単位) 化」 である. 5 原理的なレベルでの 「シングル標準論」 には留保 が必要だとしても, 少なく とも現段階において, 社会保障 における 「世帯単位主義」 ないし 「世帯中心主義」 は差別的であり, 女性抑圧的で, 社会の家父長制化の維 持 ‐ 再 生 産, ばあ い に よ っ て は 強 化 ‐拡 大 に さ え 寄 与 して お り, 正 当 化 さ れる も の で は な い‐ こ の 「個 人. (単位) 化」 が, 育児や家事労働, 介護労働の社会化をまっ てはじめて実質的な意味をもつことも, もはや いう ま でも な い (ジ ュ エ ン ダー ・ エクイ ティ な福 祉 国家 の実 現)‐. 6 ) 新福祉国家の社会政策のいまひとつの重点は, 人種・民族等のエスニックな相違や移住の先発・後発 ( 等 に起 因す る 差別 的処 遇 の停 止 と, こ れらエス ニ ッ ク な帰属 にも とづくハ ン ディ キ ャッ プの補 償 ・補填 であ. る‐ 多数派ないし支配的集団への同化・統合を強いるのではなく, 差異と多様性における平等を政策的に推 進 して いく こ と が, 新福 祉 国家 の 重要 な 課題 とな っ ている.. 「福祉の公共性の三位 ( 7 ) 新福祉国家における行政は, 福祉においてとくに, 包括性 と平等性 を基礎に,( 一体」 といわれることがある) 「総合性・専門性・権利性」 を維持し, サー ビス内容の充実と向上につとめ る ととも に, 福祉の一定部分の市場化 が余儀なくされる ばあいにも, 公的セクターと民間とりわけ営利 セク ターとのあい だの水準の格差防止に責任 をもつ必要がある‐ なお, 社会福祉における公的部門の一定の縮小がやむをえないとされるばあいも, それはイギリスにおけ 87年, 邦訳法律文化社, 参照) や る 「福祉多元主義」 の実際 (N‐ ジ ョ ンソン 『福祉国家のゆくえ』 , 19 「新日本型福祉社会」 論におけるような, 公的部門からインフォーマルおよび営利部門への福祉の移行, 社 会保障の削減と二重化 (階層化) であってはならず, また非営利のボランタリ ー部門も公的福祉 を代替する 機能をはたしうるものではない (いわゆる 「非営利.協同セクター」 の意義と限界) - ( 8 ) 新福祉国家の政治政策は, なによりまず, 平和主義にもとづかなければならない. 多国籍企業の国際 体制の背骨をなす軍事的支配の維持といっ そうの強化が図られている現在, 軍国主義的傾向に対抗し, 軍縮 を 求め ていく こ と が緊 要な 課題 にな っ て いる‐. ( 9 ) 国際平和への志向は, 反 「帝国主義」 ・国際主義と表裏のものとしてある. 在来の福祉国家批判 への 応答としての新福祉国家は, 「北」 の諸国による 「南」 の諸国の収奪・搾取 (帝国主義) と国民経済の破壊 という構造をいかなる意味においても正当化する ことはできない. 新福祉国家は, 南北間の不平等・格差の 解消を, 少なく ともその減少・緩和を実現し, 社会的・経済的公正と充実した福祉の国際化を求める国際主 義の立場に立つ‐ そのような立場から, したがって新福祉国家は, 多国籍企業本国において, 多国籍企業の海外進出の 様態を制限する (国際的労働基準その他の社会的規制の順守, 進出先国民経済への打撃の禁止と産業育成義 回. 務等) などその諸活動一般を規制し, 多国籍企業支援型の労働力政策・経済政策・金融政策・軍事政策を転 換するとともに, 新福祉国家の 「連合」 を組織することで, 世界市場において多国籍企業を規制・制御 し, その野蛮なまでの蓄積衝動に歯止めをかけることをめ ざす. こう して, 新福祉国家は, その内外において社会・経済への介入をおこなう‐ この介入は, 資本蓄積 )ではなく, さしあたりは 「国民」 誰し への奉仕‐資本にとっての経済成長のための介入(「開発主義的介入」 回. )であり, そう した国民生活を可 もの, 労働の保障と生活のゆたかき・安定のための介入(「福祉国家的介入」 「国民経済保全型介入」 )である(「介入」 のこの 能たらしめる 「国民経済」 のバランスある発展のための介入( 3形態の区別について は, 上掲, 後藤論文参照)‐ もちろん, ここでの 「国民」 はもはや排他的で自己利益 85.

(13) . 吉. 崎 祥. 司. 的に完結した 「国民」 ではなく, 諸国民の国際主義に開かれている‐ 浅薄な自由主義理解が主張するのとは ちがっ て, 自由は, 介入一般を排除するものではない (むしろ, 歴史的な自由主義は介入を前提としてはじ めて成立しえた) .⑩ ⑩ 同時にしかし新福祉国家は, 画一主義, 官僚主義 (在来の福祉国家に向けられた批判) を克服して , 人びとの多様なニーズに極力対応し, 社会保障や福祉を権利として, 人間的尊厳を損なうことなく実現しな ければならない. そのための諸手段の要と. なるのは, 地域住民に密着し支持された地方的分権であり, 担当 する行政職員.専門職員の公務.福祉労働 「自己教育運動」(自主研修活動) である. 高水準の平等な社会 保障・福祉は, 大きな財源を要するものであり, 条件の異なる地方的財政がこれを支えることは一般に可能 でない. したがっ て, 強力な中央集中型財政 (の再分配) にもとづく, 分権型社会保障.福祉業務の遂行を 公務および専門職労働が担うというシス テムを組織することが, 新福祉国家の政治的・行政的な課題とな る.. 新福祉国家のイデオロギー的諸前提 以上のような新福祉国家の構想の基礎には種々のイデオロギー的諸問題が伏在するが, そのいくつかに注 目 して お き た い. ( 1 ) 新福 祉 国家 の最 奥 の, しか し単 純 なイ デオ ロ ギー 的 基 礎 は, 「ふ つ う の 人 間 が ふ つう に そ こ で , , ,. 生きられること」 , である. いいかえれば, 現代はとりわけ, 新自由主義的支配の攻勢のもとで, 資本主義 「先進国」 でありながら), 多くの人 びとがふつうに生きることさえ困難になっ ており 先進諸国においても( (ほかならぬアメリカに代表されるような, 貧富の格差の増大, 低所得層の増加と生活苦難の激化, とくに 母子世帯, 高齢者等の困苦) , 労働の 「流動化」「柔軟化」 の強要のもとで 「定住」 さえもがむつかしくなっ ている, そう いう 時代 であ る. 「流 動 化」 と は, じつ は し ば し ば, ふ つう の 人 間 が いま ま で住 ん で き た, そ して住 みつ づ ける こ と を願 っ ている 「そ こ」 で, ふつう に生 き ら れない こ と にほ かな らず した が っ て 新 , ,. 福祉国家はいまや 「定住」 を保障する (しなければならない) ものとしてあらわれることになる. ( 2 ) 新自由主義が尊重してやまない 「自由」 とは, さ しあたり 「何 ごとかをな しうる状態.なしうる能 力」 を意味する. そのようなものとしての 「自由権の絶対性」 を, 新自由主義は (排他的に) 主張する. そ う した自由権を, 所有という 基礎をもたない労働階級が実質的に獲得することは至難であっ たことから, 「集団的権利としての社会権」 が成立するにいたった経緯についてはあらためて述べるまでもないが, 自由 は一般に集団を介してのみ実現される. ブルジョア的個人における自由権でさえじつはそうなのであるが, 新福祉国家は, 集団性における権利の保障と実現という基本的事実に立脚して, そのような社会権にもとづ く介入をおこなう. ⑭ ( 3 ) 社会的・経済的レベルでの 「介入」 について, その3つの形態を区別する必要があり, 開発主義的介 入は容認されないとしても, 国民経済保全的な, そして福祉国家的介入が正当化されることはすでに述べた とおりだが, 「介入」 一般が自由へ の侵害と して否定されるのではない. 福祉国家の介入は, 人びとが 「何 ごとかをなしうる状態・能力としての自由」 のための介入であることは明らかである. 労働権が保障されな い状態, 生活に困難をきたしている状態, 生活に不安のある状態, 等は自由な状態でなく, 人びとがそこで 能力を自由に発揮することははなはだ困難であって, 自由権行使の余地はほとんどない. しかも, 労働や生 活における困難や不安の原因が, 構造的な不況にもとづく失業である ばあいなどにも, そう した状態への新 福祉国家的介入が, 介入であるがゆえに 「自由の侵害」 とされるならば, それは自由の名のもとでの 「自由 の圧殺」 でしかないだろう. さらにいえば, 社会権は福祉権を含むが, この福祉権は, たんに 「依存性を表象するものではなく, 社会 8 6.

(14) . 福祉国家批判と 「新福祉国家」(n) 的ハ ン ディ キ ャ ッ プを有 して いる 人 が, そ れ らを利用 しつ つ, 自律 性 を発揮 し, 自 己実 現 を なす た め の前 提. 8 4ページ) であり, 「何 ごとかをなしう 96年, 法政大学出版局, 1 条件」 (伊藤周平 「福祉国家と市民権」 , 19 る能力」 としての自由のための 「身体的福祉と自律」 という条件を確保しようとする新福祉国家は, とくに i ) 保 護」 と いう 点 で, 道 徳 的 に 正 当 l l t ve 「ヴ ァ ル ネ ラ ブル な 人 た ち」 に た い す る あ た か も 「集 産 的 ( co ec. 化されるものであろう. こう して, 新福祉国家はすべてのひとにとっての必要事としての自由の擁護者であ る‐. 4 ) 新自由主義は自由の名において介入一般に強固な反対 をとなえるが, じつは, 自由主義の歴史自体 ( が, そう した自由の理解を反駁している‐ というのも, 新自由主義が 「古典的自由主義」 として称揚する産 業資本主義期の 「レッセ・フェール」 は, その成立においても (本源的蓄積期の市場への国家の強力な介入 にもとづく産業資本主義・自由競争資本主義の形成) , またその存続においても (労働力再生産費用や資源 ) ‐環境の収奪における 「経済の外部化」 , 社会的な諸関係 と諸資源を前提しており, 国家の膨大な干渉・支 持 に よ っ て は じめ て成 立 しう る も の だ っ た か ら である (レ ッ セ ・ フ ェ ー ル は レッ セ ・ フ ェ ー ル で はな い, あ る い は 規制 緩和 と 国家 主 義 と は連 動 して い る, と いう 逆 説). で あ れ ばこ そ, そ の こ と を 根 拠 に, レ ッ セ・. フェールの専横, 「野蛮で残忍 な資本主義」 の結果 と しての失業や貧困の 「社会問題」 化にさい して, L . T . ホブハウスら19世紀末の 「社会的自由主義者」 たちが, 資本の財の 「国家の共同の 金庫」 への返還を迫 り, 国家の介入の道徳的正 当性を主張したのであった. そこでは, 必要な限度での介入こそが, 諸個人の自 9世紀中葉の黄金期イギリスにお 由を保障する と観念されている‐ ちなみに, 社会的自由主義の出現以前, 1 いても, 民衆の現実の困窮と悲惨に面した社会改革家や博愛主義運動ないし初期社会主義運動の活動もあっ て, 無数の 「自己調整型市場」 (ポランニー) にたいする 「自然発生的反作用」 としての労働立法・規制な どが実施されるようにもなっていた‐ その意味では, 福祉国家はそうした, そのつ どのいわば 「自己調整型 市場への反作用の意識的組織化」 (後藤) であっ て, 社会的自由主義者の自由観念はその理論化にほかなら ず, またそもそも国家が不介入であっ た時代などありえない, といっても過言ではなかろう‐ 自由の観念の転換 という消息につう じることなく, またこの観念を徹底して批判的に吟味するこ ともな かった日本の ばあい, 戦前の軍国主義的国家主義の総体的な抑圧にダブらせた 「介入」 が, 「自由」 に安易 に対置されてきた. 「遅れてやっ てきた福祉国家日本」 の主因のひとつ ともなっ たこう した 「知的」 伝統を 相対化して, 自由と介入の緊張関係をダイナミックにとらえつづけていくことが, 新福祉国家をめぐる中心 的な思想的課題であろう. おわりに その他, 「パターナリ ズム」 や 「自己決定」 , 「ライフス タイ ル」 な ど, 新福祉国家にかかわるイ デオロ ギー的諸問題をめ ぐっ て論ずべきことは多い. パターナリ ズムについては, 一方での, 福祉官僚主義の問題 ととも に, 他方で, それがもつ非市場主義的要素が十分に顧慮されるべきである‐ 自己決定ということで は, 一方では, 自助・自己責任・選択等の価値が, 他方では, しかし, 市場経済の現実のもとで個人の自己 決定・自己責任という規範がいかに無責任 かつ酷薄なものとして罷りとおっているかの考察が欠かせない. そして, ジェ ンダー・ヒエラルキーの克服や, 資源と環境の浪費的で破壊的な生活態度の変更, 真に必要な 労働.日の当たらない労働すべての社会的労働としての積極的評価と相即しての, 労働観の再生ないし創造 など, 新しいライフスタイルの構築が課題として提起されている, 等々. だが, これら及 びその他の諸問題 についての多少ともたちいっ た検討は, 別の機会に委ね ざるえをえない‐ 同様に, 新福祉国家を構築するさいの特殊日本的な条件や課題そして担い手 (新福祉国家論の日本的具体 87.

(15) . 吉. 崎 祥. 司. 化) についても, もはや全体像を整理して提示する余裕がない. 内容的には, おおむね言及してきているつ もりであるが, とりあえずは, 脈絡を追っ ていただきたい. 日本における企業主義的統合の解体傾向と福祉 国家需要の増大, 普遍主義的な社会保障制度.福祉 (第2段階水準福祉国家) の公的確立の要求, 本格的な 帝国主義化・軍国主義化の阻止という課題, 国家的・社会的規制による市場主義的労働市場の構造転換, 農 業・自営業の保護と育成, バラ ンスのとれた産業編成と国民経済の展開, 経済のエコロジー的改変, ジェ ン ダー・ヒエラルキーの解体 (女性差別・家父長制の克服) , 権力の分割・公務労働の見直しと多様なニー ズ (選択の自由) への対応, 財政と水準の公的な支援・規制を背景とした非営利・協 同セクターの参入, 等々 がそ れである.. そして, そう した新福祉国家の担い手は, 本格的な多国籍企業化という今日の経済社会体制 において, 引 き続き利益を享受しうるそれほど多くはない人口部分をのぞく, 大多数の国民各階層であり とりわけ新自 , 由主義のもとで苦杯を喫することを余儀なくされ, されようとしている, 中・下層労働者勤労者, 農民, 自 営業者, 女性, 高齢者, ハンディキャッ プをもつ 人びと, 不安定就業者等々である. ただし これらの存在 , はさしあたりは潜在的であって, 担い手は自然発生的には社会の表面上にあらわれない. その点で, 新福祉 国家の構築にむけた, 労働運動や協同組合運動, フェミニズムやエコロジーその他新旧の社会運動や地域の 維持・発展のための諸運動の活性化とそれら相互のネッ トワークの強化が, 決定的な意味をもつことにな る. 新しい社会運動がシングル・イ ッシュー主義に傾きがち であり, 地域運動がしばしば課題分散的である とするなら, 当面はとくに, 労働運動が自らの正面の課題として新福祉国家運動を展開し社会の諸部分によ びかけていくことが必須であろう. なお, 本稿も多く依拠している上掲の 「新福祉国家論序説」 など後藤道夫の一連の労作が, 新福祉国家を め ぐる諸問題と基本的な理論枠組みの 理解において, もっ とも先駆的でありかつ的確である. 参照された し).. ‐. 註 ①なお, 日本について, これらのいずれにも分類しがたいとして, 「第4の類型」 などをたてるむきもあるが, 伝統的な性別 役割分業への強度の依存という点で, よりヨーロッパ型保守主義モデルに近いという論点はそれなりに成立するとしても (ジェンダー視点からはこの論点が重視されることは了解しつつも) , 二宮のいうように, 福祉国家の基本的な内容が所得 保障と対人社会サービス保障そして住宅等生活基盤保障にあるとするなら, そのいずれにおいても日本は自由主義モデルに 近いとみなすべきであろう. 諸類型は, あくまでも類型であり, 精確さを期して数多くたてればよいというものでもないの ではなかろう か‐. ②福祉国家の階級妥協は, 帝国主義的・新植民地主義的支配の果実と, これを基盤とするフォーディズム的な大量生産=大量 消費の国内経済循環によって可能になっていたが, そのうえでも, 労働階級の社会保障・福祉要求と資本の蓄積衝動とはつ ねに対抗的であり, その内容と水準は, 国内的な, そしてときとして国際的な階級的力関係, 歴史的諸条件, 社会文化のあ り方などによって諸福祉国家間での差異が小さくないとしても, その妥協を主導し妥協の限度を設定するのは資本の側であ る.. ③したがってまた, 市場によって福祉を享受している中間層は, 公的扶助にかかわる税負担には積極的でありえず, 高成長期 とはちがって, 自らの地盤沈下にも厳しいものがある現今の状況下では, 福祉国家のこの部門への支持も消極的になり, と きには敵対的にさえなる‐ アメリカや日本に代表されるような, 国家福祉が第1段階福祉国家の水準にとどまっている諸国 において, 新自由主義的な福祉国家解体・縮小論が影響力を獲得する理由は, この点に存する. ④先進国内部でも生活困難と格差が拡大しており, 困窮と転落は, 不安定就業者等下層労働者, 高齢者, 女性, 人種的・民族 的少数者, 障害者, へき地居住者など 「弱者」 ・低所得層に集中している( 「現代的貧困」 ) . 「公害」 や環境破壊のばあいにさ え同様であって, アメリカにおける 「環境レイシズム」「環境差別」 の問題化に象徴的であるように, それらの被害は, 世. 8 8.

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