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イギリス福祉国家の前夜

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Academic year: 2021

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(1)Title. イギリス福祉国家の前夜. Author(s). 吉崎, 祥司. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 48(2): 9-23. Issue Date. 1998-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2103. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部B) 第48巻 第2号. 平成io年2月. Sec位on IB)VOL48 i fEduca観on( ido Un i tyo lo fHokka vers journa .No2. Febr U園r yl998. イ ギリ ス 福 祉 国 家 の 前 夜 吉. 崎. 祥. 司. 北海道教育大学岩見沢校社会学研究室. はじめに 福祉国家にかんしての筆者の当面の関心は, 主としてそれを形成しあるいは推進した思想的諸要因を考査 することにある. 小稿は, そうした作業のための最初の覚え書き的整理であり, 若干の問題の所在と課題の 提示である. そのさい, 福祉国家をめぐる現段階の理論状況にも留意した. なお, 資本主義の産業化的発展 ) が受 け入 れ難 い こ が単 一 的 (同類 型 的) 福 祉 国家 を必 然 化 する と いう 「収敏 理 論」 ( convergencetheory. とはすでに明らかになっ ており, 種々の類型論に示されているように①, 本来諸福祉国家の発展過程の独自 性を踏まえた吟味が必要であるが, さしあたりはイギリスを中心とした検討に限定せざるをえない.. 1. 福祉国家展開の時期区分 20年代 ) 1870年代から19 i あらかじめ, イギリス福祉国家展開の諸時期を画しておくのが好都合であろう.( 1950年 代 ~60年 代 ま での 「膨 張期」 1930年代 か ら40年 代 ま で の 「統 合期」 ま で の 「試行 期」 n ) , 回1970 , 錠) ,(. 『 6~8 2頁参 年代以降の 「再編期」 ,7 , というH. ヘクロの発展段階論 (毛利健三 イギリス福祉国家の研究』 照, た だ し, 必ず しもイ ギリ ス に限定さ れて いる わ けで はな い) そ の他さま ざま な 区分が試 み ら れている が,. ひとまず以下のように理解しておきたい. i 18 80年代~1 900年) ( )準備期 ( . 「近代福祉国家の離陸」 期であり, 象徴的にいえば, 貧困は個人責任による よ り も, む しろ よ り多 く 「社 会 的 事 故」 ( tmgenc i ) に も と づ く, と いう 「貧 困 観 の 旋 回」 が i副 con soc es. 諸種の社会立法と国家介入を不可避のものとし, 福祉国家を準備する過程である. 908年の老齢年金や11年の国民 同形成期 ( 1900年~30年代). 1897年の (小規模の) 労災保険にはじまり, 1 保険法に代表される 「リベラル・リフォーム」 にいたる社会保障の骨格の制度的整備が, 福祉国家の輪郭 を描き出す. ただし, 191 0年代から30年代にかけては, それほど社会保障制度の進展がみられない (戦争 や不況その他の理由が考えられるが, この 「空白」 の吟味は一つの課題ではある) . 匝 )確立期 ( 6年の国民保険法 (自由党のベヴァリッ ジ 19 40年代) 4年の教育法 (保守党のバトラー主導) .4 ,4 主導) ,同年の国民保健法(労働党のベ ヴァン主導)の成立によってイギリス福祉国家の基礎が確立される. 3 党 による この 「福 祉 国家 の3 本柱」 はま た, コ ンセ ンサス ・ポリ ティ ッ クス と して の福 祉 国家 の予 兆 で あ る.. 5年). 経済成長を背景に福祉国家の施策の拡大がみられる. 同時に, 垂直的分配の ◎拡張期 ( 19 50年代~7 期待を裏切る水平的分配,下層にではなくむしろ中産階層に資する社会サーヴィス,制度の官僚主義化(エ リ ート主義化・パターナリ ズム化) と下層の受動化・クライエ ント化等の矛盾が顕在化あるいは問題視さ れ る..

(3) . 吉 崎 祥 司. 「 )再 編 期 ( ( v 1975年 ~). 石 油 危 機 以 後 のwe旧a ba l ck ash re ‐ , 選 択 的縮小」 の 時期. 福 祉 施 策 の大 幅 な後 退の. 反面で, 財政等の側面からは福祉国家の 「不可逆性」 の存在も確認でき, この側面からは 「選択的構築」 の方向が模索される. こうした展開過程のより巨視的な把握ということでいえば, 社会政策の歴史的過程のパースペクティヴと して示された,( )「救貧法の時代」(教会, 荘園, ギルドなどに代わる地方自治体による貧困者救済) u i )「工 場立法と社会保険の時代」 (産業革命が生む新たな貧困に対する, 国家の仲介による労働力の社会的保全) , 「福祉国家の時代」(景気調整ないし完全雇用のための総需要管理と 権利としての福祉の国家による保障) 伺 ) , , 『 という山口定の特徴づけ ( 政治体制』 50~1頁) も, 福祉国家の形成期によりウエイトをおく小稿にとっ ,1 ては, とくに有益であろう. 「救貧法の時代」 は福祉国家の前史をなすものであり, 「工場立法」 をいわば入 「準備期」 と 「形成期」 口とし, 「社会保険」 をいわば出口とする過渡期 ( ) の営為を経て, 第2次世界大戦 後に福祉国家が確立する. そして, 戦後体制としての福祉国家に注目するならば, 「確立期」 以降のイギリス福祉国家史は,( i )戦後 「 初期のアトリー労働党内閣による 比較的貧しい人々のための福祉国家」 a )その後の保守・労働両党の政 ,( 「すべての階層のための福祉国家」 伝 「 権交代期における・ , )そしてサッチャーによる 比較的豊かな人々のた 『 「 めの福祉国家」 , という段階区分 (中村 サッチャー政権と福祉国家イギリスの変容」 , 日本政治学会年報 1988年 度』 所 収, 21~36頁) によるイ メ ー ジが 明 瞭で, 誤 っ てい ない だ ろう. 完 全雇用 と社 会 サー ビス の 整. 備, 若干の基幹産業の国有化および公営住宅の大量建設に象徴される 「確立期」 が, ともかくも 「『貧困の 絶滅』 と社会保障制度を通じての所得の再分配による 『社会的平等』 の実現」 をその理念の中枢におき, 少 なくともナショナル・ミニマムの保障は実現したとすれば, 「拡張期」 を特徴づけるのは, 福祉国家に関す 「バ ツ ケリ ズム」 る コ ンセ ンサス ・ ポリ ティ ッ クス ( ) の 成 立 であ ろう. C・ ジ ョ ー ンズ のいう 「“福 祉” 資. 本主義」 (再分配強調型) と 「福祉 ”資本主義”」 (資本蓄積に主たるメリッ トをおく福祉国家) の対抗的共. 存 (T:叩esof we鵬are Capit紙sm,in Government 組d opposi亘on, Vol.20,No‐31,1985,pp‐328~42). をつ. う じて最低限保障を越えた福祉の拡大・充実が実現すると .ともに, 所得比例部分の導入その他下層に不利な 制度の展開や水平的分配が矛盾を堆積していく. ② そして石油危機以後の 「再編期」 を主導するのは, 「福 祉国家の危機」 にもと づく, 「必要に応 じた福祉から支払い能力に応 じた福祉への転換」 , 「選択的縮小」 と いう強力な政策的意図である. そこでは 「比較的恵まれた多数派」 (ここには, 値引き・好条件の融資付き 払 い 下 げ に よ っ て 「家 持ち」 に な っ た200万 世 帯 の, あ る い は 株 式 の 大 衆 化 = 「大 衆 資 本 主 義」 ( l ar popu. i t紙sm) によって株主化した少なくはない, 上・中層労働者も含まれる) と, 「『福祉国家』 体制からも c ap 見捨てられ始めた 『恵まれない少数派』」 の分裂が顕在化し, かくして 「普遍主義的な社会政策の体系」 の 破壊と, 社会政策の 「イギリス資本主義の活性化のための経済政策の単なる補助手段の位置へ」 (山口, 1 66 頁) の引き下げがもたらされる. また,このような区分を,福祉国家の質的発展段階という視点からとらえる場合には,後藤道夫にしたがっ 「確立期」 て, 「最低限保障」 が確保された段階 ( ) を 「第1段階福祉国家」 , 拡大した (広義の) 社会サーヴィ 「拡張期」 「『新福祉国家』 スが実現された段階 ( ) を 「第2段階福祉国家」 と規定することが有効であろう ( 『 にかかわる諸論点」 0号所収, な ど参照) . 後藤によれば, 第2次大戦後に完成し , 総合社会保障研究』 第1 た 「第1段階福祉国家」 とは, 「帝国主義への国民動員と増大する労働者階級の圧力への対応として, リ ベ ラ ル・ デモク ラ シ 」 とセ ッ ト」 で, 「主 と して 支 配層 の 上 か らのイ ニ シアチイ ヴ」 によ っ て 形成 さ れた も の. であっ て, 児童期, 失業と疾病, 老齢期における 「貧困線以下への転落防止をナショナル・ミニマム」 で保 障する 「社会的自由主義によるパターナリズム」 を特徴とする。 また, 戦後の長期好景気の時期に展開する 「第2段階福祉国家」 とは 「『豊かな社会』 に照応する福祉供与構造」 であり 「貧困線を上回る階層の新 , ,. 10.

(4) . イ ギリス福祉国家の前夜. たな各種ニーズへの対応」 すなわち 「高等教育, 耐久消費財の安定した大量消費等を支えるレベルの社会保 障」 を 課 題と する 体制 であ っ て, 「パ クス ・ アメ リ カ ー ナ の も と での よ り 明示 的な 階級 妥協, コ ー ポ ラ ティ. ズム」 を特徴とするものである. この規定は, 「確立期」 と 「拡張期」 の質的差異を発展段階として明確化 することを可能にするとともに, 第2段階以降の (退行としての 「再編期」 ではない) 発展をとらえていく 分析枠組 (ひょっとして北欧型 「第2半段階福祉国家」 といった概念規定や, 形成されるべきあたかも 「第 3段階福祉国家」 すなわち 「新福祉国家」 ③の構想など) を提供するものでもあろう.. 2. 福祉国家の歴史的形成要因 )「搾取に対す i 福祉国家の推進要因にかんしてもさまざまな分析があるが, J. サヴィ ルがあげている,( 「 る労働者階級の闘争」 ,に) より効率的な運動循環を求める産業資本主義(便宜上の抽象的概念)の必要条件, とりわけ, 高い生産性をもつ労働力の必要性」 範 )「政治的安定のために支払わなければならない代償につ ,( 4頁参照. なお本節は, 毛利のこの書の第1章 「福 いての資産家階級の承認」 , という諸要因 (毛利, 前掲,8 祉国家史研究の課題と方法」 に負うところが多い) はある意味で典型的である. しかしそれらは, 本質論的 規定としての妥当性をもつであろうが, 福祉国家の歴史的形成要因をたずねようとするこの場面では必ずし も十分ではない④ その意味では, A. ブリグッズの視野はやや広く, 福祉国家の背景的思想, イ デオロギーへの関心という 趣旨からはより示唆的である. ブリッ グズによれば, 福祉国家の重要な推進要因は以下の5点である (同, 「 ) 8 6頁参照).( i 19世紀的救貧法を通用 不能にした 「貧困にたいする態度に生じた基礎的転換」 ,(の 社会的事 「 故」 にかんする詳細 (で衝撃的) な 「調査」 )「失業と福祉政策との緊密な連結」 ,錠 , ◎ 市場資本主義それ じたいの内部における 『福祉』 哲学と 『福祉』 施策の発展」 )「『福祉』 立法の内容と基調にたいする労働 v ,( 者階級の圧力の影響」 . ほかならぬイ ギリス福祉国家の主要な 「形成」 要因としては, その取捨ないしウエ イ トづ け, 内容把握などに疑問を残すところがある (たとえば, 一般的には了解できる としても, 「産業福 祉運動」 ないし 「福祉資本主義」 的な傾向それ自体がイ ギリス福祉国家の前段階でどのように機能したかは 必ずしも分明でないし,労働運動や社会主義運動の位置づけは,イギリスにかんする限り明らかに弱すぎて, 理解を誤らせるおそれがある) が, しかし, 福祉国家の形成にいたる諸要素・諸側面を動態的かつリアルに 分析するという点です ぐれた把握であろう. まず, ブリッ グズ があげている諸要因をフォローしてみたい. 貧困観の転換については後にみるとして,「科学的に無視された」 失業や貧困の実態を 「科学的に」 発見・ 解明したC. ブースやS. ラウントリーらの調査が大きな社会的影響力をもち, 広範な世論に 「固有の社会 政策の必要性」 を喚起したことは広く認められている. M. ブルースは, 「調査」 が 「政治と慈善の世界に 反 映 した」 と いう B. ウ ェ ッ ブの 言 に寄せ て, 「特 に, 慈 善家 たち は非 常 なシ ョ ッ ク を受 けた‐ という のも,. ブースが実証しえたことは, 慈善がほとんど的はずれだったことを示したからである. ……事実, 慈善は救 貧税を軽減する以上のことを何もしていなかったのである. それは貧困の根を未解決のままに残した」 と述 べ て いる. ま た, ロ ウ ン トリ ー の 「この富 裕な 国 にお い て, お そ らく 全 人 口の4 分の 1以上 の 者が 貧困 に ,. あえぐ生活をしているということは,良心のきびしい願責を起こさせずにはおかない事実だ」という一節が, しば しばロイ ドー ジ ョ ー ジ や チ ャ ーチ ル ら自 由党 改革 派の 「愛用」 句 であ っ た こ と を, チ ャ ーチ ルの 「わた. しは, 7つの海を支配しながら, 自らまいた種を刈りとることもできない帝国にほとんど栄光を見いだすこ とができない」 というはなはだ意味深長な (社会帝国主義を排除しない) 言葉とともに, 紹介している (『福 祉国家への歩み』 54~8頁). 社会は 「一定水準の自立した暮らしができない人々の生活に責任を , 邦訳, 2 負う」 べきとし, とくに実態の調査にもとづいて, 老齢年金を先駆的に提唱し, 職業紹介所や最低賃金制度. 11.

(5) . 吉 崎 祥 司. (それらはとりわけ “半” 失業者の境遇の認識から構想された) , そして失業保険の必要性を説いたブース らの営為が, 福祉国家を求める動きに強い説得性を与えたことは疑いない. ただし, ブースとロウントリー 89年と1 90 1年であり, かれらの仕事自体が「激動の80年代」 のなかで動機づけられたもの, の主著の公刊は18 他の諸要因との相互媒介的な関係のなかで意義をもつものであることはいうまでもない. ブリ ッグズがあげている 「失業と福祉政策との緊密な連結」 については, 小稿ではその多少とも歴史的で 具体的な裏付けを用意することができていない. もちろん, 貧困がいわば構造的な失業にもとづくものであ る以上, 福祉政策が必然的に失業に焦点をあてるものでなけれ ばならなかったことは理解しやすいところで ある. しかし, イギリスに限らず, 社会保障の中核として出発した社会保険制度において最後に整備された のが失業保険であることから想像されるように, 失業問題は資本主義的生産様式の根幹にかかわる最も困難 な, それゆえその社会的救済には資本の抵抗がもっとも強い分野であってみれば, 争点としては基本的であ りしたがって課題の推進力であったという (一般的意味) 以上に, あるいは完全雇用 と社会保障という 「確 立期」 の条件下でならともかく, 失業問題がいかなる意味で福祉国家の 「形成」 ないし 「推進」 要因であっ たかの具体的な経緯と含意については, なお吟味が必要であるように思われる. 企業福祉の領域に関していえば, すでに18 10年代に博愛主義的企業家として (また技術的改善によって) 声望を高めたR. オーエンの活動があっ たことを想起することは不当ではないだろう. 工場経営者としての オーエンの基本的立場は, もちろん資本の利潤の確保にある. しかし博愛主義者・人道主義者としてのオー エンにとっ て, 労働者とりわけ女性と年少者の惨状は許しがたいものであっ た. オーエンは利潤を確保しな 0時間半へ) がら, 工場内で, 労働時間の短縮 ( 1 , 年少者労働の制限, 労働者への安価な衣食住の提供 (工 場協同組合ストアの設立・厨房およ び食堂の共同化など), 衛生設備の整備・改善, 工員診療の実施・疾病 共済募金の実行, 悪習の矯正, 住民教育・子弟教育のための 「性格形成学院」 の設立, 貯蓄銀行の設立な ど, すこぶる多岐にわたる事業を展開した.オーエンに限らず,経営側による一種経営家族主義的ともいえる種々 の手当・企業福祉的措置が講じられており, 企業側における労務政策の変化ないし一部の開明的経営者の存 在を認めることができる. そして, このような動きは工場内にとどまらない. 工場立法や失業救済, 労働組 合や協同組合などの社会改革運動に及んだオーエンの活動ほどではないとしても, 工場法制定に向けて尽力 した 「開明的」 工場主たちが少なくなかっ た 〈「運動の先頭にはつねにといっ ていいほどに人道主義の工場 主や慈 善的な エリ ー ト主義 者 がた っ てい た」 ) こと に示さ れるよう に, ジ ェ ン トルマ ン支配層 の恩 恵 的 パ タ ー. ナリズムとも併行して, ミ ドル・クラスの一定部分に 「福祉」 哲学の浸透と 「福祉」 施策の拡大への是認が あっ たことは認めなければならない. 「少数の企業家は, 生存賃金の支払いや適切な貧困救済は脅威ではな く工業の経済的発展にとってむしろ資産であると考え始めた. 企業における人事・福祉部門の設置な どの形 『 3~ である種の社会改革が進行したのである」 (貝塚啓明 「福祉国家論」 , 東大社研 福祉国家 3』 所収, 24 4頁).この側面が,福祉国 .家に向かっての積極的環境の 翼を占めたことはたしかな事実であろう.しかし, それらがイギリス福祉国家の形成に向けて, じっさいにどの程度の規模で どのように影響を及ぼしたかは, 「 「改革の時代」 ( 187 3年大 3年) 18 51~7 18 30~50年) から 「繁栄の時代」 ( , そして 大不況と激動の時代」 ( 0年代) にかけての具体的動態においては (歴史学的な資料を散見するかぎりでも), なお必ずしも 恐慌~8 詳らかではないように思われる. 「労働 者階級の圧力 の影響」 につ い て は 多 言 を要 しな い た とえ ば1885~87年 にか けてのロ ン ドン民 衆 . ,. 運動の昂揚・失業者の街頭行動・未組織不熟練労働者の大ストライキなど, そして国内外の幅広い世論の同 ドック・ストライキな どをみるだけでも, 88 9年の名高い、 情と支持を集めずにはいなかった1 、労働者階級の闘 争こそがはじめて, 労働者・下層民衆の惨状を 「社会問題」 化し, 社会政策的・福祉国家的対応を導いた経 緯のおおよそが了解されてくる だろう.、そう した過程を明確な輪郭をもった社会運動として媒介したのは,. 12.

(6) . イギリス福祉国家の前夜. 「新 組 合 主 義」 (New Umo i n sm) と 「社会主義の復活」 であっ た. 不熟練・未熟練労働 者の組織体として. の 「新組合主義」 は, 旧来の熟練労働者の組合運動 (いわゆる 「新型」 組合) が国家介入に否定的態度をとっ たのにたいして,労働組合のみによっ ては労働の解放があり えないことの認知のもとに,国家介入を要求し, 国家扶助の価値を容認するとともに貧困の除去に関する国家の責務を主張する. そしてまた, 「社会主義の 復活」 を構成する諸潮流・諸運動の多くも, 自由放任の否定と国家介入の必要性を強調した.▲こうした 「危 機」 に面しての選択の幅は, 一般にそれほど広くない. 資本と支配の側が何らかの積極的対応を迫られたこ とは明らかであるし, そうでなくとも良質の協調的な労働力の確保は資本にとっての必須の命題であっ た. 社会政策的施策は不可欠のものとなっ ていったのであり, しかも, 拡大された労働者の政治的参加権=選挙 権行使の帰趨は, 「自由党」 と 「保守党」 の両政治勢力の死命を制するものであった. 福祉国家形成の要因を具体的に分析するというブリッ グズの試みは,その分析自体において ばかりでなく, とりわけ歴史的な種々の要因への目配りの重要性の示唆という点で意義あるものであるが, イギリス福祉国 家形成史に限定しての, その主要契機の指摘としては, こうしていくつかの疑問というよりは不十分さまた は留保をなしとしないものであるように思われる. とも あ れイ ギリ ス の場 合, ブリ ッ グ ズ があ げて い る こ れ らの 要 因 に加 え て, 「前 史」 の段 階 で は, 救 貧 法. をめぐる諸経過, 工場法や選挙法改定をはじめとする改革立法, それらと交錯する 「慈善」 や 「福音主義」 「友愛組合」 その他) の問題な どが, また 「準 など人道主義の系譜, 労働者側の対応としての 「集団的自助」( i ber逝sm) の 思 想 運 備期」 にお い て はL. T. ホ ブハ ウス やj. A. ホ ブソ ンら の 「新 自 由主 義」 (New L. 動な どが, 福祉国家形成につながる (必ずしも単純に肯定的なものとは限らないが), 少なからず重要な諸 契機 と して 取り 上 げら れな け れ ばな らない だろう. もちろ ん, そ れらの 過程 全 体に, トーリ ーとホイ ッ グ,. 保守党と自由党の間のヘゲモニーの獲得をめぐる政治力学が作用していたことはいうまでもない.. 3. 救貧法をめぐ っ て 「前 史」 段 階の 問 題 と して ま ず 触 れ てお か な け れ ばな らな い の は 「救 貧法」 (PoorLaw) を め ぐる 問 , ,. 性である. 18 34年の救貧法改正 (新法) にいたる経緯は, 以下の如くである. 題」 601年のエリザベス救貧法 (旧法) の背景的思想は, 伝統 )通例イギリス社会保障史の出発点とみなされる1 ( i 的な キリ ス ト教 的救 貧思 想 およ び名 望 家 的 パ タ ー ナリ ズム (中世 い らい の 「ノ ブ レス ・ オ ブリ ー ジ ュ」 の. 伝統) , そして重商主義 (それは労働力を国富の重要な要素とみなす) である. そうした背景においては, 中世的な 「身分的属性としての貧困」 への記憶をあわせて, 貧困は, 個人的責任に起因するものであると 同時に, むしろより多く社会的起源をもつものとして立ちあらわれるであろう. 労働不能者や障害者, 高 齢者等の救済はもとより, 貧困者への雇用機会 (必要な場合は道具や原料も) の提供, 貧困者への求職圧 力 (乞食の禁止・救済の非魅力化), 貧困者の (扶養が不可能な) 子弟への就業機会の付与・家族所得の 補助, 貧困者の雇用促進のための賃金補助などの救済措置は, 「官吏の鞭」 とともにあるものとして, も ちろんそれ自体を 「人道的」 と形容することはできないとしても, しかし, 総じて就労機会の創出をめざ すもので, 必ずしも 「懲罰ではなく社会政策的発想が強い」 ものであった. ◎その後, 定住法 (ないし居住地制限法) やワークハウス制度の本格化など種々変更や修正を加えた救貧制 度は, 18世紀末の産業化にもとづく都市化のもとでの労働力移動の活発化 (教区によっての救貧税負担の 増大) や対仏戦争による市場混乱, 凶作による穀物価格の上昇その他から結果した, 働く 「有能貧民」 の 2年のギルバート法を契 78 問題の深刻化などによって, 救貧制度としての有効性を喪失するようになる. 1 「有能貧民」 にたいする仕事の斡旋や不足生活費の補助など救貧行政の 機として救貧法の 「人道主義化」 (. 13.

(7) . 吉 ・崎 祥 司. 緩和 と, 「院外救 済」 ( f ) 制 度の 拡 大) がお こ なわ れる よう になり, 1795年 か らは じまる 「ス outdoorreue. ピーナムランド制」 は最低賃金と家族手当の保障 (パンの価格と家族規模にもとづく救済額の決定) その 他の給付を一般化するようになっ た. しかし, 食料費高騰などによっ て 「賃金だけでは生活できなくなっ た有能貧民にたいする賃金補助制度」 として成立したス ピーナムランド制は, 一方で, 賃金補助によって 労働者の怠惰・労働意欲の減退と堕落した生活を助長するという批判を招くとともに, 他方で, 雇主が制 度を悪用して適正な賃金を支払わないことによっ て, 実質的に雇主への補助制度となっ てしまう. 「生活 できない程度の賃金」実態を固定化し低賃金を構造化するもの,という性格を帯びるようになるのである‐ )かくして対仏戦争終結( 匝 181 5年)後の商業危機, 農産物価格の下落や農村地域失業者の激増にともなって, ス ピ ーナム ラ ン ド制や類 似の ラウ ンズマ ン制 その 他の制 度 は,「救 貧費用 の増 大の主 因と して非 難さ れる」. ようになり, 18世紀後半からの個人主義思想の強まり (プロテスタ ンティ ズムの濃厚な影響) を背景に, 貧困に対するパターナリス ティ ックな観念や制度への批判や, 貧民による社会的救済要求に対する批判が 優勢となって, 救貧法の改正が求められるようになる. 新救貧法を準備した委員会報告は, 貧困の直接の 原因を主として賃金補助制度が招いた 「慎重さ, 先見性と勤勉さの欠如」 のうちに求め, 問題は貧困一般 にではなく, 個々の貧民にあるとみなす. それゆえ, 公的支給は生存水準を限度としかつ 「劣等処遇」 ( l 亙g i b道t ) esse y. とすべきであり, 健康な貧民は施設へ収容されなければならない (健康者に関する院. 外救済の否定) . 労働者の怠惰や雇主の制度悪用などの表面上の理由はともかく, こう した新法制定の狙 いが, 工業化にともなって低廉な労働力を必要としていたブルジョア階級の意向にそうとともに, ス ピー ナムランド制のもとでの救貧税負担の増大を嫌った地主階級の利害を反映したものであることは明らかで ある.. 回しかし, 自明ながら, 社会問題に起因する貧困を個人責任に帰すことは, いまや大量の貧民として登場し かねない労働者にいっそうの苦難を強いるものであっ た. 第1次選挙法改正闘争からチャーチスト運動, そ して「10時 間労働 日」の 闘い にか けて の 労働 運動の 大き な昂揚 のな か で,『タイ ム ズ 紙』 による キ ャ ンペ ー. ンの援護なども受けながら, 新法への反対運動が強まる. 18 30年代中葉の天候不良, 伝染病による多数の 死者, 極度の貿易不振による数多くの工場の操業停止や建設の低迷とこれによる数十万の失業, にもかか わらぬ院外救済の廃止と救貧院の不足・不備, これらによる社会的不安と悲惨,、絶望が, とりわけイ ング ラ ンド北部での新救貧法への反対を激しいものにした (ラディ カルな都市と強力な組合などを背景とする 救貧委員の活動の妨害や新法反対者の委員への選出, そして警察や軍隊との大規模な抗争その他). 新救貧法を福祉国家との関係でどう評価するかは, 必ずしも容易ではない. もちろん, 貧困をもっ ぱら 個人的原因したがって個人的責任に帰し, 公的救済を悪しきパターナリズムとして原則的に排する新法の 「自由主義」 的原理は むしろ福祉国家の論理の対極に位置するものであっ て 新法への評価が基本的に , , 否定的なものであることは明らかである. そのうえで, 一方で新法が, 旧法いらい救済を一種社会権的な もの (社会動態から結果した事態への社会的対応) として拡充してきた動きを停止させるものであるとす るなら, 他方しかし, 「救済権を認めて社会権の萌芽的な要素を含んでいた」 とみるむきもある. また, 新法のもう一つの特徴とされる救貧行政の中央集権化 (ブルジョア革命いらいの地方行政の自治の否定) も, 一方で画期的な行政改革であり, 国家介入へ向かっ ての一里塚でもあるとみなされることがあるが, しかし他方では, そのような意義はほとんど認めるに値しないものである. 評価のこれらのゆらぎを解決 していくことも今後の課題のひとつ であろうが, そのことも含めて, 福祉国家との関連での救貧法の問題 性は, 新法をめぐる議論の高まりのなかで, 法と制度の今後を占うべく取り組まれた190 9年救貧法委員会 報告のなかにみられるべきであろう. すなわち, そこでの 「多数派」 報告は, 依然として貧困の個人責任 を あ げつ らい, 依存 心 の 高ま り に 警告 を 発 し, 健 康 な貧 困者 に 「自助」 ( l se止he p) を迫 っ て いる. 他方,. 14.

(8) . イギリス福祉国家の前夜. 「少数派」 報告は 制度や機構の改革 (機能ごとの中央機関責任と地方自治体への事業分属や健康な貧困者 , の労働省管轄化な ど) を提起するとともに, 救貧法の解体を要求する. 両者が対蒔しているのは, まさし く 「旧観念と新観念との間の, 極貧を救済する救貧法と不幸を防護する多様な援助, つまり, 福祉国家の tの 一節, 184~ 5 頁) であ っ た. 救 貧 前 兆 と の 間の, 戦 場」 (毛利, 前掲 書 に引 用 さ れ ているC ‐L ‐Mowa. 法問題は, このような経緯を経て, 福祉国家の形成に接続していたといえよう. すなわち, 救貧法は福祉 国家を否定的に媒介した. しかし, この時点では, いまやステー ジはすでに, 社会保険制度を中核とする 9 48年 「国民扶助法」 の制定 社会保障体制の漸次的生成へと移行している (制度としての救貧法の終篤は1 をまたなければならない).. 4. 私的慈善・人道主義 劣等処遇・低位性原則や 「有能貧民」 の院外救済の廃止な ど, 救済の厳格化をめざす新救貧法が意味して いたものがむしろ貧困救済の制限であったとすれば, しかし社会的安定のためには, 救貧行政から排除され た, もしくはその可能性をもつ大量の貧民が何らかサポートされなければならない. 公的救済を補完するの 1 9世 が私的救済としての 「慈善」 である. しかし, イギリスではなぜ, 公的救済をはるかに凌駕する規模、( 紀中葉には影しい数の慈善団体が存在した) と支出にお ける慈善活動が展開していたのか. あるいはむし ろ, イギリスにおいてなぜ, 人道主義がかくも広範な影響力をもっ ていたのか. その歴史的研究は興味ある 1 テ ー マ であろう が, 中世い らいの キリス ト教 的 由来と 「ノ ブ レス ・オ ブリ ー ジ ュ」 という 上層 の た しなみ ・ 道徳 的伝 統 はい ま 措く と して, さ しあたり, 18世 紀い らいの 「ジ ェ ン トルマ ン」 の パ ター ナリ ズム と キリス. ト教精神が, イギリス近代における人道主義の源泉とみなすことができよう. たとえば, 「貧困に対して相当の関心を持っているか どうかが文明度をはかる真の尺度」 (前掲ブルース, 6 3頁参照) であると喝破して, 孤児収容施設の設立や刑務所改革運動に尽力した18世紀のいわゆる 「新人道 主義」 者たちは, 遺産贈与や個人寄付による多数の病院建築などでの同調を拡大しつつ, 19世紀における諸 改革の伸展に力を添えた. 奴隷貿易廃止要求や10時間労働日実現あるいは工場法改革の運動などで, 「福音 主 義」 者やメ ソ ジス ト (j. ウエ ズ リ 「できる だ け稼 ぎ, できる だ け節約 し, できる か ぎり 施 す」 ), ク エー. カー教徒らが果たした役割と意義は, もちろんその成果をもっ ぱらかれらの功績に帰すことはできないとし ても, 小さくも少なくもない. そのさい, かれらの活動が主として宗教的信仰と道徳的義務の観念にもとづ いたも のとす れ ば, 社 会 に ひろ が っ た 人道主 義 的態 度, 慈 善 は ジ ェ ン トルマ ンの エー トス をなす とさ れ, ミ ドルク ラス の憧 慢とも な っ た (しば しば 「スノ バ リ」 でも あ っ た) 「リ ス ペ クタ ビリ ティ」 ( ) t re ab道ty spec. の観念にしたがうものであっ たろう. 18 30年代以降の国家介入の強まりにもかかわらず, 7 0年代にいたるま で, 国家の優勢な自由放任主義的政策原理のもとで, 福祉はなお多くの領域が民間の 鳶発注にまかされてお り, 慈善事業は, 貧困世帯の支援, 貧民・浮浪者への給食, 病院あるいは施薬院の運営, 日曜学校をはじめ とする民衆教育・啓蒙, 障害者の援助, 非行防止, 売春婦の更生, 監獄改革・囚人の待遇改善, 禁酒運動, 労働者への住宅供給, 移民保護など広範囲にわたっている. と はいえ, この 人道 主 義 はま た, しばし ば制 約 さ れたも の 限界 をもつ も の であ っ て, たと え ばマ ンチ ェ ス. ター派の 「人道主義」 的な工場法改革運動はあくまでも児童・女性の労働時間短縮等の条件緩和にとどま り, 一般労働者の労働時間短縮に及ぶことは決してなかっ たし, 労働者・下層民衆の教化, 啓蒙において「読 む力」 の普及 (聖書の読解) に努力がなされることはあっても, 意識ある反体制的労働者を育てかねない 「書 く力」 の養成は忌避されていた. そして, そもそも慈善は, 新救貧法と軌を一にした, きわめて個人主義的 な 「自助」 原則に立つものへと収徴していき, もはや 「人道主義」 の名に値しないものに転化してしまうよ. 15.

(9) . 吉 崎 祥 司. うになる. たとえば, 各種慈善事業を統一した 「慈善組織協会」 (COS) の187 6年度年次報告が指導理念 としてあげているのは, 精励と勤労にもとづく 「自助〕 を原則とすること, 慈善の対象を 「例外的な不運」 へ限定すること, 労働者が予想でき準備できたはずの 「非常事態」 にたいする援助は資金の 「有害な誤用」 にあたること, 一時的な疾病・不況時代の失業や低雇用・早婚・老齢などの 「非常事態」 は労働者の生涯に 普通に生起する事態であっ て, それらに備えることは個人の責任であること, などである. COSは, 社会 福祉の管理運営の方法的精錬や福祉の専門性の確立に寄与することがあったとしても, 公的な救貧行政との 相互補完的一体化 (貧困の, 個人の道徳的欠陥への還元, 慈善の対象に値する者と値しない者との区別, 救 貧の極端な制限とスティ グマ等) において, 新救貧法体制を強力にバックアッ プするものとして機能した. こうして人道主義的な観念は, あたかもその実践者それぞれの社会的位置にしたがって分化し, それぞれ の機能をもつものであって, その全体を 「これらの多角的な慈善事業は次第に統一されて, 今世紀の福祉国 2頁) というように評価すること 家の礎石を築いたのである」 (村岡健次・川北稔編 『イギリス近代史』 , 21 には疑問が残るし, そう した意識と活動の全容なら びにそれが果たした機能についてはなお判然としないと ころがある. しかし, 慈善や人道主義にもとづく活動が, 福祉国家を受容する一般的な意識の醸成に与した ことは疑いないであろう し, 少なくとも社会の良質の部分の批判的な感性に継受され, 「貧民に対する富者 の道徳的義務という社会的意識」 あるいはB. ウエッ ブのいう 「新たな罪の意識」 ないし 「集団的な罪悪感」 (couec恒vec fs i ) にお いて, 社 会 変革 の思 想 の培 養基と な っ た こと は間違 い ない. T. H. onsc ousnes so n ・. グリ ー ンは, そう した人 格 の ひとつ の典型 である と思 わ れる.. 5. 「集団的自助」 公的な救済 (救貧法) であれ, 私的な救済 (慈善) であれ, それらがいずれも被救済者にスティ グマを与 えずにはいないとすれば, 労働階級の共済制度は, そう した恥辱を潔しとしない労働者の必要にこたえよう とするものであった. 新救貧法と, 「慈善組織協会」 がリー ドする私的慈善が, ともに,、自助と自立を要求 していたものとすれば, 共済制度 (や協同組合) は労働者の 「集団的自助」 の組織化であった. イ ギリス にお ける 共 済制 度 は 「友愛 組 合」 (Fr i l i end e勾) に代 表さ れる が, そ の淵 源 はす で に, 17世 ysoc. 紀の労働者や農民の自発的相互扶助組織にみられるという. 18世紀には, この友愛組合がもつ救貧対策ない し防貧対策としての有効性が支配層にも注目されることになり, 17 9 3年のローズ法すなわち 「友愛組合の奨 励と救済に関する法律」 が友愛組合の法的資格を規定して, 貧民の相互扶助をすすめているが, その本旨は 救貧税の軽減にあるとみられている. 友愛組合は, 協同組合や労働者たちの少額預金をあつかった 「貯蓄銀行」 や住宅保有をめざす 「住宅協会」 などとともに, 一種ギルド的な擬似共同体と して機能し, 労働社会の生活維持と相互扶助, 連帯の形成に大 きな役割を果たした. 社会的汚名とひきかえの, 非人間的なワークハウスでの耐えがたい公的救済と, 社会 的・道義的制裁体系の一環としての屈辱的な私的救済 (慈善) を避けるためには, しかも時代の支配的思想 が求める自助と自立が (なによりまずその経済的基盤において) 労働者個々人 (の生涯にわたっては) には ほとんど不可能なものであってみれば,労働社会は自らの集団的努力に活路を見だすほかなかっ たのである. こうして, 1 87 0年代初頭の数値では全人口の5分の1が各地の友愛組合に加入していたとされるまでに発 展したが, しかし, 友愛組合は本来, 救済を最も必要とする貧民階層を組織しうるものでなく, 救貧制度の 代替措置としては必ずしも成功しなかった‐ というのも, 集団的自助としての友愛組合への加入者は, 相対 30年代以降には, 1 8 的には高額の拠出金を支払うことのできる常用熟練労働者に限られていたからである ( 貧窮労働者家族を対象とする新タイプの協会として,週1ペニーの拠出で死亡給付だけを行う通称「埋葬協会」. 16.

(10) . イ ギリス福祉国家の前夜. が増加した). そして拠出金の負担が可能な労働者の場合にも, 給付内容は, 疾病や失業による困窮にたい する給付がほとんどであり,財政基盤の脆弱性もあって,寡婦や孤児にたいする給付は通常おこなわれなかっ たし, そもそも老齢や離職の場合は (拠出が不可能であるがゆえに) 給付はなされなかっ た. そこから, とくに老齢による貧困の問題が80年代以降深刻な問題として浮上することになり, ブースの実 態調査 ( 65歳で4分の1, 7 5歳で3分の2の被救済貧民, 等) にもとづく老齢年金の要求 (財源は租税) , ある い は ドイ ツ や ニ ュ ー ジ ラ ン ドで先 行 して い た年 金 プ ラ ンの影響 な ども あ っ て, 国家 の制 度 による 救 済の. 機運が高まっていく. もっ とも, 友愛組合は, 国家介入に否定的であった熟練労働者主導の労働運動と同様 に, 国家財源にもとづく老齢年金制度に反対であった (固有の問題としては, それは労働者の貯蓄をすすめ る友愛組合の競争相手となりかねないから) が, 老齢組合員の増加も含めた財政困難や老齢貧困者が直面し ている苦難の前での説得力の喪失によっ て, 当初の反対を変更せざるをえなくなった. こうして, 友愛組合などの労働階級の共済制度による相互扶助は, 国家と個人のあいだのそれなりの力量 をそなえた中間組織による貧困の救済の必要性とその実行, そして挫折という形で, 福祉国家を準備したと 4つ の源泉」 は, 本人, 親類 縁者, 富 者 の 同情 (私 い えよう か. T‐ チ ャ ーマー ズ によ れ ば, 人民 の 生活力 の 「. 的慈善) , 貧民同士間の相互扶助であるが (これらがいずれも機能しないときの最終的な拠りどころが国家 による公的救済である) , 期待される最後の方法 (相互扶助) によっ ても貧困の救済は可能でないという事 態の社会的認識を形成することによって, 友愛組合は福祉国家に結接するものであろう. 拠出制度が社会保 険構 想 の 具 体 的イメ ー ジの 形成 に 資 した であるう とい,っ た個 々の点 は別 と しても, こう して, 労働 階級の 共. 済制度ひいては 「集団的自助」 の論理は, これによっても救済が実現されないことを媒介として, 福祉国家 的介入を強く要請するものとなったと考えられる‐⑤. 6. 社会改革 1830年代 か ら50年 にか けて の いわ ゆる 「改 革の 時代」 が, 福 祉 国家 形成 の前 史 にお いて い かなる 位置 を 占. めるのかも, かなり微妙な問題である. ( iた の時期には, 工場法, 選挙法, 鉱山法, 公衆衛生法をはじめとする諸種の改革立法・法改正が行われて いる. これらの立法・法改正措置が, 多かれ少なかれ介入的・国家干渉的であることはいうまでもない. そ して そ の 点で, まず確認されなければならないのは, 典型的な自由主義時代すなわち自由放任と個人主 義の時代とされるこの時期, しかし自由放任主義は国家干渉政策をまったく排除するものとはなっていな いことである. この点を一貫して強調している岡田与好の規定にしたがえば (たとえば 「自由放任主義と 『 「 近代国家」 , 吉岡昭彦・成瀬治編 近代国家形成の諸問題』 所収, 参照) , 経済的自由主義は 独占放任型 自由主義」 と 「独占禁止型自由主義」 という分肢をもっということになるが, かつての常識とは異なって, 1 9世紀ないしヴィク トリア期には, その性格の異同や対象領域の特性 (経済政策領域か労働政策領域か, それとも社会政策領域かなど) は別として, あるいはまた 「自由貿易を強要する帝国主義」 という 次元は さて措いて, 国家の介入・干渉政策は珍しいものではない. 1 9世紀においては自由放任主義が優勢な政策 であったことは疑いないとしても, 自由主義はたんなる国家不干渉主義に解消されてはならない. このこ とはまた, 自明ながら, 国家干渉一般がただちに福祉国家的介入を意味するものではないことをも意味し て い る.. ( n )とはいえ, たとえば工場立法が, 資本主義的工業化がもたらしている労働階級とりわけ女性や年少者の福 祉に貢献したことは間違いのないところであり, そのかぎり福祉国家の政策の先駆をなすものであること も否定しがたい. 工場法は, 「自由放任の工業化原則にたいしてなされた代表的な国家干渉政策であった」. 17.

(11) . 吉 崎 祥 司. (村 岡健次・ 木畑 洋 一 『イ ギリス 史 3』, 107頁).. 匝 )しかし, 一連の改革立法が, 自由放任主義的な政策原理を修正する国家介入のひとつの形態であることは 疑いないとしても, 社会権的発想を欠落させた社会立法を, ともかくも社会権 (それは個人的自由権の一 定の制約を前提する) の認識を帰結したイギリス福祉国家政策の淵源として無媒介に位置づけることは正 しくないだろう. 「社会改革」 の時代の社会立法と,社会権の承認にもとづく福祉国家との間には, なお思 想的背景の相違があるといわなければならない. というのも, 「この期の労働立法や環境衛生改善の必要 性が支配階級から提起される場合, 慈善的ないしは人道的な発想が出発点」 であるからであり (第2次選 挙法の場合は, あからさまな党派力学と政治戦術, 労働者票獲得・基盤確保のための競争と少数派による 「 出し抜きが改革の動機と成因であっ た) , また一般に 社会問題を道徳の問題に還元する傾向が強い」 こ の時期には, 「社会構成力の一環としての福祉の発想は出現していない」 からでもある. したがって, 社 9世紀末葉以降に本格化する福祉国家政策の先駆をなすものでしかなく, その中 会立法は, 「あくまでも1 央集権化の規模と意味合いは過大に評価されてはならない」 (前掲 『イギリス史』 . , 74頁) こうして, 福祉国家の 「前史」 の内容をなす諸要因は, それぞれ福祉国家形成の一般的土壌を醸成するも のであり,そのようなものとしておのおの重要な意義をもつ(それらを欠くとき,少なくとも当初世界をリー ドしたイギリス福祉国家の登場と形態は別のものとなったであろう) ものであることは無論であるが, 福祉 国家の基本的徴標 は未だ備えていないものとして, やはり 「前史」 にとどまるものであろう. 社会権的な要 880年代以降の「新 素,すなわち権利としての福祉を基礎に据えたものとしての福祉国家が準備されるのは,1 自由主義」 (社会的自由主義) の時期である. そして, 「新自由主義」による「自由主義」の修正を象徴的にあ らわ している の は, 「貧 困 観」 の転 換 である.. 7. 貧困観の転回 「世紀転換期にお ける貧困観の旋回」 (以下の引照は, 新自由主義者からの引用を含め, おおむね毛利, 前掲書の第2章 「世紀転換期イ ギリスにおける貧困観の旋回」 による) の内容と意義については内外に研究 が多いが, その要点はおおよそ以下のようであろう. 9世紀にかけて, また優勢な社会思潮としては20世紀初頭までを支配した自由主義的貧困観に ( i ) 17世紀から1 よれば, 貧困は, 「概して当人自身の道徳的性格の反映」 であり, かつ 「人生における不可避的条件」 で ある.そのような貧困に対処するのは個々人の責任であるほかなく,「自助」が原理であるが,本人や家族・ 縁者のいかなる努力によっ ても対応しえない場合に限っ て, 「私的な義損金を適切な救助財源とする貧民 の必 要 への対 処」 が適当 である. 「依存 心」 こそ 「あ らゆる 進歩 にと っ て 致 命的」 であり, 「怠惰と酒 びた. りの世界」 を克服させて受益者を目存の状態に導くことが肝要であり, 「見境のない施し」 は自立心や緊 急事態への備えを不要視する生活態度を助長し, 無思慮と浪費癖を奨励するものとして 「有害な慈悲」 で ある. いわんや国家による救済は, 原則的には否定さ れるべき全くの例外的事態であり, 選挙権・市民権 の剥奪や 「劣等処遇」 という汚名や恥辱とひきかえることなしには, 与えられないものである. 70年代以降, 失業の発生とそれにもとづく貧困は, 工業化社会に特有の問題であること (めしかし, とくに18 が社 会 的 に認知 さ れる よう になる (「大不 況」 後の 失業者群 の 街頭 デモ ンス トレー シ ョ ンや ブース らの 「調. 査」 がもたらした世論の覚醒). 大量失業による貧困の拡大と深刻化は, もはや 「慈善」 の対象という限 度をはるかに越えたものであり, r事態の根本的再考の必要性」 が生じている. すなわち, これまでのよ うに貧困をもっ ぱら個人の責任に帰すことはできない. 資本主義的工業化社会における貧困がいわば 「構 造 的」 なもの である こと は, いま や 疑い を容 れないも の である. 18.

(12) . イ ギリス福祉国家の前夜. 伝に うして, 貧困の個別的な解決が困難であるとするなら, そして相互扶助活動が手当できる範囲がきわめ て限定的であるとするなら, いまや労働階級は階層的その他の部分的利害を傍らに押しやって,「一階級」 として結集し, 事態のより根本的打開を図ることが必要になる. 他方, 「博愛主義」 的企業家たちも, 経 営の 「効率」 的改善 (企業福祉) の自ずからなる限界から, 公的施策の強化を求めざるをえなくなるとす れば, 政府と政治的諸党派が抱える課題は, 端的に 「失業の危険な政治的帰結の回避」 である. かくして, 事後的ではあれ, それまでの 「自由主義的介入」 とは質的に異なっ た, 経済・社会過程への組織的国家介 入 が不 可 避のも の と なる.. 回貧困はいまや, たんに道徳的欠陥に由来する個人的問題ではなく, すぐれて 「社会問題」 として成立する のであるが, こう して, 失業問題をあたかも 「推進要因」 として貧困観の転回がもたらされ, 個人主義と 「個人主義や市場原理の修正的解 自由放任というイギリス自由主義の本質的部分の変質がもたらされる ( ). しかも, 貧困観のこの大転換は, 資本主義が生みだす 釈をせまるほどに広範かつ深刻な世界観の変質」 構造的な問題という普遍性から容易に推測されるように, ひとりイギリスのみならず欧米社会全体を包含 する 「世界的思想革命」 でもあり, 貧困からの解放が 「社会権」 に基礎づけられるという内実において, 福祉国家の質を規定する要因につながるものであった. ところで, こうした貧困観の打破に与かっ て力があったのは, 1 9世紀末に登場した 「新自由主義」 の思想 ), その改善に心をくだいたT. である. 下層民衆の窮状に深い同情を抱き (良心的な知識人の 「罪の意識」 「自由放任主義から国家介入主義へ」 の 個人主義から 「集団主義」 H. グリーンの理想主義的自由主義 ( , への, 消極的自由観から積極的自由観への, 自由主義の修正・転換) を精神的土壌とする新自由主義の課題 は, 貧困から社会的汚名を剥ぎ取ることにあった. J. A. ホブソンによれば, そもそも 「慈善組織協会」 な どの認識の基礎にある 「単子論的」 社会観は誤っ ており, 「個別的事実」 ではなく 「社会的事実」 こそを 注視する必要があり, また, 「実際問題として, 大衆の個別的構成員の道徳的活力のなかにだけ社会改良の 唯一の契機を見出す哲学は, まさしく, 富裕な諸階級の人目をはばかる利己主義が, 社会的不平等の土台へ の無作法で不都合な探訪を回避するために, これまで絶えず工夫し続けてきた抜け目のない誼弁法以外の何 物 で も な い」 (Thesoc i副 Probe l ) こ と を見 抜く べ き であ る. 「貧 困 に た い す る 有 emL迂e 紙d Work ‐216 ,p. 機的な治療法とは機会の均等化」 である. そして, 万人に保障されるべき 「自己発展のための均等な機会」 は, 「経済的正義」 なくしては幻想にすぎないのであり, かくして 「富裕の源への攻撃をつう じてのみ貧困 を治癒 しう る」 ( i b ). id,pp .173~5. H. サミュエルによれば, 「人々の個人的統御力を完全に超越した … 経済的諸原因」 に由来する貧困 の存在を認識することが重要である. そして, 「国家の全成員および国家が影響力を行使しうる他のあらゆ る人々にたいして, 最良の生活を営む最大限の可能な機会を保障するのが国家の義務である」 とするなら, 他方, 産業社会の困窮者, 「産業制度のこの欠陥の犠牲者たちは, この産業制度を維持し, かつ, この産業 制 度 か ら利 益 を え て い る 社 会 に た い◆して, 労働 す る 機 会 を 与 え よ と 要 求 す る 権 利 が あ る」 (L i ber縦sm,p .. ). 前者が 「生存権」 思想への接近であるとすれば, 後者は 「労働権」 の萌芽的形態であり, かくして毛 126 利によれば, 「われわれはいま, 史上初めて, 1 9世紀的救貧政策思想とは異質な貧困克服政策思想の萌芽を 自由主義的思想圏の内部に見出す」 (毛利, 172頁). 「個人と国家との相互義務」 ホブハウスの貧困観は, 個人の社会的存在性 ( ) にもとづいてモナド論的貧困 思想と対決しようとするものであり, 「社会体制の欠点」 にたいする責任のもっ とも少ない立場にある労働 者と 「知性と人格が発展しうる諸条件を確保するという国家の機能」 を対置しつつ, 「労働権」 (故e right ” to wo uwロg wage ) の 「人 格 権 や 財 産 権」 と 同 rk) と 「『生 活 で き る 賃 金』 を 得 る 権 利」 (位e nghtt oa“. 格での社会的承認を強硬に要求する. 「個人と国家との相互義務」 とはじつは, 機会の拡大・均等化の保障. 19.

(13) . 吉 崎 祥 司. とそ の 行 使 と いう 「国家 の 義 務 と働 く 者 の権利」 であ る. そ のさ い, 「よ り 新 しい 原 理 に した がえ ば, 社 会. の義務」 は, 「どの市民も, 社会的に有用な労働によって, 健康で文化的な生存にとっ ての基礎的必要だと U L i be 85 経験が立証しているのと同程度の物質的生活資料を稼 ぐ完全な手段をもつべきである」 ( a sm,pp r .1 ~6 ) という 「快適生存原則」 を内容とする社会権観念 (その前提には, 「富は, 、個人的基礎とともに社会 的基礎をもつ」 という意味で 「財産は社会的である」 という認識にもとづく 「社会財」 概念がある) が定礎 される. もっ とも, 被救位民の処遇は独立労働者より低位・劣等でなければならないが↓ 自由主義国家の転換・福祉国家の形成に新自由主義が与えたイ ンパクトは, たとえば, 当時は新 自由主義 者であっ たチャーチルの 「未踏の地」 演説の一節に明瞭であろう. 「私はつぎのように主張する人達に心底 より賛成する. すなわち, 困窮を救済し, または, 雇用の一般水準を規制することを試みるさいには, ほか でもなく困窮を帰結する産業の無秩序を助長する ごときことのないよう細心の注意を払うべきだという人達 である. しかし“ 私はつぎのように主張する人々には賛成致しかねる. つまり, 誰でも皆自分のことには 気をつけるべきであり, だから, 私が論及してきたような問題 [失業問題--引用者註] に国家が干渉する と, 各自の自存, 各自の将来にたいする配慮. および, 各自の節約心に致命的な悪影響をおよぼすことにな l ). 政 治 思想 にお ける この よう な i副 Prob i ber紙sm andthesoc る だろう, と 言う 人々 である」 (L em,p .208 新自由主義影響の一般化 (自由主義の新自由主義化) が, 福祉国家を現実のものとする. ともあれ, こうして, 個人問題としての貧困 (個人主義的貧困観) の社会問題化, 貧困を特殊に道徳的・ 倫理的原因から把握する視角 (道徳主義的貧困観) から社会的・経済的原因に重点をおく視点への転換がな され, 貧困不可避説 (貧困宿命論・貧困必要論) からの離脱の可能性と必要性 (貧民の救済ばかりでなくそ ) が開示される. 新自由主義のインパクトはもちろん の根絶もが政治目標となりうる 「福祉国家的貧困観」 貧困問題に限られるものではない. 新自由主義の寄与の全体についての多少ともたちいった検討は, 稿を改 めて の大 きな 課題をな している.⑥. おわりに 福祉国家といった巨大な歴史的経験の実質を左右するものは, 当該社会が達成している社会的諸前提のボ リュームと質であろう. 自らの資本主義システムを維持しよう とするかぎり, 資本主義諸国家が多かれ少な かれ福祉国家的対応をとらざるをえないのは普遍的事態であるとしても, 現実の諸福祉国家が示している多 様性はそうした普遍性への安易な還元を許さない固有性と含意を有している. そのことはたとえば, 強い平 等主義的志向をもつ北欧諸国と, 「ためらう福祉国家」 ないし 「遅れてやってきた福祉国家」 (そして “さっ さと降りたがっている” 福祉国家) アメリカや日本を対照すれば明らかであろうし, とりわけ今後を規定す るものとしてのこの相違の意味は大きい. 種々の要因が諸福祉国家のそうした違いをもたらしたことはいう までもないが, 重要な要因の一つは, 福祉国家に直接的または媒介的に接合する社会意識や価値観・思想, 集団的あるいは階級的なエートスや社会運動の展開の様態であろう. 比較社会的な考察をふまえてからのこ とではあるが, その意味でイ ギリス社会が豊富な実質を備えていたことは, さしあたり, たしかであると思 われる. そして, 社会がもつそのようなストックがイギリス を福祉国家の先達たらしめた (現在のイギリス が福祉国家としての先進性を喪っていることも, その歴史的経験の内実・あり方と無関係ではない). 小稿はそうした角度から, イギリス福祉国家を準備した社会的諸要素の第一次的考察を試みたものである 「新福祉国家」 ) が少なくともなおしばらくは課題 が, たんに歴史的な事実の確認にと どまらず, 福祉国家 ( であり続けるとするなら, その前提的条件の意識的形成という側面で, イギリスの経験を吟味することが有 意義であろうという問題意識を背後にもっ たものであることを, 念のために付記しておき たい.. 20.

(14) . イ ギリス福祉国家の前夜. 註 ① 福祉国家の諸類型について‐ 福祉国家がそれぞれ固有の歴史と固有性をもっており, 産業化の進展や経済成長にともなう 資本主義の必然的な転態 (類似的発展) として単純に一括できる (収救理論) ようなものでないことについては, 近年大方 の理解 が一致 している‐ 小稿 では, も っ ぱらイ ギリス に材をと っ て, 福祉 国家形成の前史ない し準備期 のいくつ かの要素の. 瞥見を試みているが, ここでは, そうした作業の相対化の必要性の自覚という心積もりから, 福祉国家の類型論に言及して おきたい‐ i )「残 余的福祉 モ デル」 (私 的市場 と家族 によっ ても この領域 での先行 的な 論議 は, 1970年代 の R. M. ティ トマスの,(. ” )「産業的業績達成モデル」 (個人のニーズの充足は当人の業績や 充足されないニーズの社会福祉制度による一時的補填) ,( 「 m ) 制度的再分配モデル」 (社会統合の主要な手段としての社会福祉制度による再分配システム) 生産性にもとづく) ,と ,(. ‐ いう社 会政策の3類型の提示 であろう. そ して, このモ デルを基礎 に提示さ れたのがN‐ フ ァ ーニス とT‐ ティ ル トンの, )「社会福 祉 国家」 という類型 である. アメリ カ 型の 「積極国家」 は, 経済成長のた m a )「社 会保障国家」 ( i )「積極 国家」 ,( ,(. めの政府と企業の協調体制にもとづく最小限の完全雇用政策の展開にとどまる‐ イギリス型の 「社会保障国家」 は, 権利と してのナショ ナル‐ミ ニマム の全市民への保障 と, 最大限の完全雇用 をめ ざす‐ そ して, ス ウ ェ ー デン型の 「社会福祉 国家」. 「福 は,生活条件のより快適な実現と一般的平等の達成,すなわち連帯と平等の追求を特徴とする.さらに,C‐ ジョーンズ( ) やR. ミ シ ュ ラの3類型 な どがある (これらは1970年代 なか ばころ からの, 「福祉 祉 『資本主義』」 と 「『福祉』 資本主義」. 国家の推進要因を労働運動の強さなどの政治的要因に求め, 先進資本主義諸国における福祉国家の歴史的特殊性と発展の多 様性を明らかに しよう という 研 究潮流」 の一翼であり, いわゆる 「社 会民主主義モ デル」 に属 する とさ れる) が, 問題は諸. 類型を区分する基準であり, またそれと福祉国家の発展諸段階論との連関であろう. その意味では, たとえば, T. H. マー シ ャ ルの段階論の展 開 ともみなされる, エス ピ ン グーア ンセルセ ンの類型 論が示 唆的であると思われる‐ エス ピ ングーア ンデルセ ンの区分標識 は 「脱商品化」(の程度) である‐「脱商品化」 と は,「市場 での業績 にかかわりなく,. 個人や家族が通常の社会的に受容された生活水準を享受できる」 状態, もしくは 「サービスが権利として与えられ, 個人が 市場に依存することなく, 生活を維持できる」 状態であり, 労働能力の有無, 労働市場への参加の有無, そこでの業績の程 度にかかわりなく, 全市民が社会的に一般的・標準的な生活水準を権利として享受できる事態をさす (ちなみに, マーシャ 0世紀の社会的権利=「社会権」 は, 「最低限の経済的福 9世紀の政治的権利の発展としての2 ルの,18世紀的な市民的権利, 1 祉と安全への権利から社会的遺産を十分に共有する権利や社会の支配的基準に見合った文化的な生活を営む権利」 である. なお, マーシャルの 図式 は, 権力 の論理を捨象する ところ に成り立っ ており, この点の 吟味がマー シャ ル評価 にさい しての. 核心であろう) ‐ この 「脱商品化」 という標 識 (具体的には, 社 会サー ビスや 給付へのアク セス を決 定 している ルール, 提供されている資 そ酬寸与の範囲な どをメ ルクマールとする) にも とづいて, エス ピ ン グーア ンデルセンが提示 している モ デル(脱商品化の ヴァ m )「社 会民主主義型」 である‐ ア ングロ・サクソン諸国 i )「自由主義型」 a )「コーポラ ティ ズム型」 リ エーショ ン) は,( ,( ,( 「 「 は にみられる福祉 国家の 自由主義 レジーム」 , 脱商品化の程 度が低く, かなり強いス ティ グマ をとも なう 形での社会的. 扶助や社会サービスの付与が行われるタイプ」 である (労働市場での平等な雇用機会を提供する方向・社会的市民権の拡大 にともなう コス トを私 的セク ター に転嫁する 傾向)‐ ドイ ツ, フラ ンス な ど大 陸型 とも いう べき福 祉 国家の 「コー ポラティ. ズム・保守主義レジーム」は,「個人の労働市場での業績や地位に基づいて社会的市民権の付与を拡大するタイプ」であり(所 得比例を基盤とする社会保険制度が福祉国家プログラムの中心・当人の現在もしくはかつての労働市場での業績や地位にも 「 とづく職業的な相違が大きい社会的市民権の付与) , 北欧諸国 (第2次大戦後の一時期のイギリスにも) みられる 社会民 主主義レジーム」 は, 「脱商品化の程度が高く, 普遍主義的市民権の理念に基づくタイプ」 である (高負担, 高支出を前提 とした水準の高い公的社会サービスの提供・社会的市民権の普遍的保障) . なお, 脱商品化促進要因すなわち福祉国家レジームの決定要因のうち重要とされるのは, 「労働者階級を中心とする階級 「 「 「 的動員」 , レジーム制度化の際の歴史的遺制」などであり, 結論的には 福 , 労働者や農民などの階級間の政治的同盟構造」 祉国家レジームの3類型は, 各国の福祉国家成立期の階級同盟のあり方に基づく歴史的遺制によって規定されている」 とさ れている‐. これら諸類型成立の歴史的背景, 原動力等としては, なお労使関係や労働市場の様態, 伝統的な階層間格差にたいする容 認の度合, 家族関係のあり方 (世帯主義や個人主義あるいは女性の自立の文化度などを含む家族関係の相違) , 国家と市民 社会の関係の伝統なあり方 (リベラル型かあるいはいわゆる開発独裁型か) , 伝統的な共同体の強度あるいは残存度, など が吟味されなけれ ばならない だろう.. ともあれ, 脱商品化という概念の導入によって, 類型論を (発展) 段階論と交錯させたエスピングーアンデルセン, ある いは 「より端的に, 社会的市民権の保障の程度を指標とした福祉国家の比較を試みている」 コルピイらの議論は, 今後あり. 21.

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