• 検索結果がありません。

− − 「対象に出会う行為」の舞台としての外出

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "− − 「対象に出会う行為」の舞台としての外出"

Copied!
28
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

『人文コミュニケーション学科論集』21, pp. 57-84. © 2016茨城大学人文学部(人文学部紀要)

−施設居住の高齢者への同行を通して−

松本 光太郎

要 約

 施設に居住する高齢者が外へ出た際に、対象に出会った行為について、整理・考察するこ とが本研究の課題であった。出会った対象のなかから、人間、人間以外の動物、そして植物 の

3

種の対象に出会った行為について事例を検討し、それらの行為について考察を行った。

高齢者が人間に出会ったときに相互行為が生まれることは、他の対象では叶えることができ ない。その一方で、植物が高齢者に身を乗り出す・手を伸ばすといった能動性を発揮させる 受動性を備えていることも特筆すべき特徴であった。また、離れて眺めることは、

3

種の対 象いずれに出会ったときにも生まれた行為であったが、人間以外の動物に限って、高齢者が 志向的な構えを適用することで身体を強張らせることや動くことで見る者を惹きつけること があった。そのほかに、高齢者の対象に出会う行為に同行者が絡んでいることについても検 討を行っている。

1

.本論文の課題

1-1

 外出に注目する理由

 本論文の課題は、施設に居住する高齢者が外出した際に出会っていた対象を提示し、その 対象に出会った際の行為について考察することである。この課題は、人の心の成り立ちを明 らかにする心理学研究の一部であるが、外出に注目することによって人の心の成り立ちをど のように明らかにすることができるだろうか。心理学研究として、筆者が外出に注目する理 由の概略を以下に

5

点示す。

 (

1

)人の心は目に見えない。そこで人の心の成り立ちを明らかにしていく研究の単位に、

人と環境のインターフェイス(界面)を設定する。そのインターフェイスを、外出時 に「対象に出会う行為」の観察、そして観察記録の帰納を通して可視化する。ただし、

人は環境のなかにいる(

Person-in-Environment

)のであって、人と環境は客観的に 対等ではない一面があり、他方で環境の一部である対象に人は主観的に出会っている 一面がある。環境の

2

面性および環境をめぐる客観と主観の中間領域を検討したい。

(2)

 (

2

)移動するなかで発生する「対象に出会う行為」に注目する。移動により、周囲の環 境は連続的に変容するなかで、非連続に訪れる対象との出会いをとらえることができ る。

 (

3

)外出は、内から外へ、外から内への移動により周囲の環境を様変わりさせる。周囲 のなかに生まれる「対象に出会う行為」の内と外の差異に注目すると、人が何に取り 囲まれているか明らかにできる。

 (

4

)日常の行為に注目する。①実験研究のように取り囲む環境や出会う対象を事前に用 意することはしない。取り囲んでいる環境のなかで対象に出会っている日常行為に注 目する。②高齢期への移行過程の一つとして、多くの人において、外出しなければな らなかった日々が外出しなくてよくなる日々へと切り換わる。外出の頻度や目的地だ けでなく、日常行為に高齢期の特徴が表れているはずである。③日常行為は、当人に とって当たり前に行っていることなので、自ら説明できるとは限らない。観察者だか ら説明できることがあると考えられるので、研究する意義がある。

 (

5

)とりわけ施設居住の高齢者においては、歩行の困難をはじめとする理由により、一 人で外出できなくなる。人の助けがなければ外出することは叶わない。人の単位を個 人から別の単位へと変更する可能性を検討できる。そして人の単位の変更は、観察者

−被観察者という区分が自明であった研究法にも関わってくる。

 列挙した外出に注目する理由の妥当性は、別稿にて論じる予定である。ひとまず外出に注 目する理由の概略を示したうえで、外出時に生成する施設居住の高齢者が「対象に出会う行 為」を、採集、整理、そして考察することが本論文の課題である。

1-2

 対象に出会う行為の舞台としての外出

 筆者がかつて行った、自宅で暮らす高齢者を対象にした「外出時の立ち寄りに関するアン ケート調査」(松本、

2004

)の回答アンケートのなかで、

A

さん(女性、

74

歳)が以下のよ うなことを記してくれていた。

 車で送迎してくださいますので、立ち寄りません。各家庭に植えられている花を眺めるの が大好きです。

A

さんは膝を悪くしていて、段差で転倒して足の骨にひびが入ったために、週に

3

日治療 とリハビリのために整形外科とデイケアに送迎車で通っているとアンケートには記してあっ た。同乗者が乗車や下車をするために送迎車が停車をする。その際に、

A

さんが各家庭に植 えられている花を束の間眺めている様子がうかがえる。

 このアンケートの回答に筆者が興味を惹かれた理由は

2

点ある。

1

点目は、送迎車の停車

(3)

時に花を眺めていることは、アンケートに記すには細やかな行為であるように思えたからで ある。他の回答アンケートで記されていたのは、買い物、展覧会での鑑賞、それから病院で の治療や美容室でパーマをかけるといった場所と行為が一致している、いわば言葉にしやす い行為ばかりであった。

A

さんが送迎車の停車時に花を眺めていることを回答したことに興 味を持ったのは、私たちの記憶に残りにくく、アンケート記入時に言語化されることがまれ な行為であるように思われたからである。

 記憶に関する研究知見によると、人の記憶は短期記憶と長期記憶に分けられ、長期記憶は

「宣言的記憶(

declarative memory

)」と「手続き記憶(

procedure memory

)」に区分される(桐 村、

2008

)。前者は言語によって宣言できる記憶で、後者は言語によって述べることができ るとは限らない手続きに関する記憶である。これを基に分類すると、アンケートに記されて いたほとんどの回答は宣言的記憶に区分けされ、送迎車の停車時に束の間花を眺めているこ とは手続き記憶に区分けされる。Aさんの回答は言語化されるとは限らない記憶の部類とな るため、筆者は興味を惹かれたといえる。

 「宣言的記憶」と「手続き記憶」の区分は、コーエンとスクワイヤー(

Cohen & Squire,

1980)

による健忘症者を対象にした実験の結果―鏡文字を覚えた後

3

か月経った読み上げ

時間が統制群に匹敵した―の原因として、健忘症者は「宣言的もしくはデータに基づいた 情報(

declarative or data-based information

)」が乏しい一方で、「手続き的もしくはルール に基づいた情報(

procedural or rule-based information

)」を身につけていたことから発展した。

すなわち健忘症者は言語化されたデータを保持することは難しい一方で、言語で述べること ができるとは限らない手続きやルールに則って課題を遂行することができていた。

 そして、コーエンとスクワイヤーによると、それぞれの情報は、哲学者ライル(

Ryle, 1949/1987

)が人間の理知(

intelligence

)を区分した「内容を知ること(

knowing that

)」と

「方法を知ること(

knowing how

)」に対応している。ライルによれば、両者の関係は、行為 の効果的実践(方法を知ること)が実践のための理論(内容を知ること)に先行する。その 理由として、実践のための方法論(内容を知ること)は、その方法の適応がすでに存在して いるということ(方法を知ること)を前提にしていて、その適応を批判的に探究した結果と して得られるものだとされている。

 そこで本研究は、外出時の自ら語ることができる実践よりも、すでに実践されているけれ ども語られることのあまりない実践を採集しようとするねらいを持っている。

 さて、アンケート回答後のインタビューを受けてもらえなかったので、送迎車の停車時に 花を眺めることを

A

さんが記した背景について理解を深めることは叶わなかった。

A

さんの 記述から筆者が得ることができたのは、人の外出について明らかにする際には、アンケート やインタビューで採集できる宣言的記憶にくわえて、言葉によって述べることができるとは 限らない手続き的記憶にも注目することであった。さらに、記憶をたどる事後的な言語報告 ではなく、外出時の自然場面ですでに実践しているが、あまり語られることのない実践を採

(4)

集することが残された課題であることを、

A

さんの回答から見出すに至った。

 つぎに、このアンケートの回答に筆者が興味を持った理由の

2

点目は、送迎車が停車す る際に花を眺めることは立ち寄りではないと

A

さんが考えていたからである。立ち寄りの 要件について、他の回答アンケートをまとめて、自分の足で立ち、行く方向を選択し、自 ら寄っていくこと、言い換えると主体性と能動性であることを筆者は提示していた(松本、

2004

)。

A

さんは送迎車に乗っているので、自分の足で立っておらず、また行く方向の選択 は運転手に委ねていて、各家庭に植えられている花には送迎車に乗って接近している。送迎 車から各家庭に植えられている花を眺めていることを立ち寄りというには、主体性と能動性 が足りないと

A

さんは判断したのだと筆者は推測した。

 イッテルソンの環境知覚論によれば、私たちの環境知覚は必ず行為を含み、環境は受動的 に観察される存在ではありえず行為のための舞台(

arena

)を提供する(

Ittelson, 1973

)。見 ることの生態を研究したギブソンによると、動物が能動的に移動する際には絶え間ない運動 の視覚的な制御(直立していること、始動・停止・後退すること、方向転換すること、接近 することなど)が必要であることと対照的に、受動的な輸送には運動の視覚的な制御が伴わ ない(

Gibson, 1979/1985

)。受動的な輸送の際には、動いているという視覚的感覚を得てい る一方で、自分が動いていることを視覚的に制御していないというわけである。

A

さんは、

自ら接近する能動的な移動ではない受動的な輸送のなかで、停車時に花を眺めていることを 好んでいた。すなわち

A

さんは、膝が悪く、足の骨にひびが入り、能動的な移動が限られ、

受動的な輸送のなかで、各家庭に植えられている花を束の間能動的に見ていた、ととらえる ことができるのではないだろうか。

 上述の送迎車の停車時に花を眺めていた

A

さんと同様に、主体的・能動的な移動が困難な ことが多い施設に居住する高齢者はどのような対象に出会っているのだろうか。その対象の 採集を自然場面の観察を通して行い、外出時に対象に出会っている行為について整理・考察 することが本論文の課題である。

2

.方法

2-1

 高齢者が居住する施設の概要

 筆者が通っている特別養護老人ホーム(以下、施設)は、福岡市の中心市街地である天神 から郊外に伸びるバス路線の終着地で、福岡市の境目に位置している。目に映る風景は主に、

宅地開発された整然と並ぶ一軒家、点在する中層(

5

10

階)のマンション、そして数軒の 農家が経営する田畑で構成される。施設周辺の概略図は図

1

に示している。

 地域医療を担ってきた総合病院を母体として設立した社会福祉法人が、

2002

年にこの施 設を開所した。介護保険が施行した直後に開所した施設で、それ以前の外部から隔絶した施

(5)

設に比べると、明るく開放的であった。医療法人が母体として作られた施設であるためか、

介護者や看護者を中心としたどこか病院を思わせる配置となっている。

2-2

 経過

 施設への訪問は、

2

つの期間に分けられる。

2002

8

月から

2005

9

月までは毎週通うよう に努めていた。筆者の就職により福岡を離れた

2005

10

月以降は、付き合いのあった高齢 者の変化をフォローするために、現在に至るまで数カ月に

1

度訪れることを続けている。訪 問日数は、

2002

8

月〜

2005

9

月に

160

日、

2005

10

月〜

2016

3

月に

36

日である。

2-3

 研究対象者

 筆者が外出に同行した高齢者のなかで、本研究にて事例を紹介する

6

人の概要を表

1

にま とめた。

3

.結果と考察

 施設に居住する高齢者と外へ出かけた際に、対象に出会う行為を記録してきた。本稿では、

それらの記録を整理し、代表的な事例を提示・検討しつつ考察を進めていく。

5

種(人間、

人間以外の動物、植物、人工物、自然物)の対象に出会う行為のうち、本稿では、人間、人 1 施設周辺の概略図

(6)

間以外の動物、そして植物の

3

対象に出会う行為を検討していく。

 以下各事例の始めには、[事例番号:対象者の名字、年月日]を表記する。年月日は、

2004

10

4

日であれば

041004

と表す。

2004

年は

04

10

月は

10

4

日は

04

で、まとめると

041004

になる。

 また、事例中の高齢者の発言が方言で分かりにくいところには(  )内に説明を加えた。

1 外出に同行した高齢者の概要 性別、

誕生年

付き合いの あった期間

同行した

外出回数 移動手段 主要な疾患 筆者から見た人柄

風間さん 男性、

1925

(大正14年)

20028

20071 24

車椅子。自ら漕 ぐことと押して もらうことを場 合によって使い 分けていた。

脳梗塞で左 片半身まひ を抱えてい た。

周囲とのトラブルが少な くなかったため奔放のよ うに見えて、周囲に気を 配っていた。愉快に生き ようと新たなことに積極 的に取り組んでいた。

川口さん 女性、

1933

(昭和8年)

20028

20074 34

車椅子。もっぱ ら押してもらっ ていたが、ゆっ くりであれば車 椅子を漕ぐこと ができた。

脳梗塞で左 片半身まひ を抱えてい た。

小さなころから病気がち だったためか、集団のな かでは控えめにしてい た。秘めた希望や期待が いろいろあったことを 知った。

中上さん 女性、

1936

(昭和11年)

20037

20098 12

車椅子。もっぱ ら押してもらっ ていたが、ゆっ くりであれば車 椅子を漕ぐこと ができた。

リュウマチ による腰痛 で横になっ て い る こ とが多かっ た。

はじめ遠慮がちで、行動 を起こすと満喫してい るギャップが印象的だっ た。時折自らのことを語 るものの、来歴の多くは 知りえないままだった。

古野さん 女性、

1913

(大正2年)

20028

200411 14 車椅子。足先で 移動することは できていた。

手にリュウ マ チ を 患 い、左耳に 補聴器を着 けていた。

穏やかでありながら、芯 の強いところもあった。

きれいな肌やきちんとし た身なりから、「かわい いおばあちゃん」を地で 行くような人だった。

柳澤さん 女性、

1921

(大正10年)

20029

20165 現在

56

車椅子。現在も 身近な移動は自 分で行っている が、手の変形も あって徐々に外 出するほどには 漕げなくなった。

若いときの 大怪我で右 足が動かな い。また軽 い脳梗塞で 右 手 が 不 自由になっ た。

幾多の困難を乗り越えて きた気丈さは、他人に頼 ることができずにやせ我 慢をしてしまう不器用さ につながっている。元気 であることは、気楽に老 いることができないこと でもあるように思える。

渡邉さん 女性、

1927

(昭和2年)

20043

20091 27 車椅子。入所当 初は歩行訓練を 行っていた。

糖尿を抱え ていた。膝 の大怪我で 歩行が容易 ではなかっ た。

自分の弱いところを隠さ ず、相手を緊張させるこ とがまったくなかった。

冗談を言うのが好きで、

筆者にとって彼女の冗談 のセンスは抜群だった。

(7)

3-1

 人間に出会う

 施設の入居者と外へ出かける日中は私たちの他に出歩いている人は少ない。自動車の通行 量も多くはない。そのなかで外出時に人間に出会った事例を以下で紹介・検討する。

1

)交わり

子どもとの相互行為

 子どもと交わった相互行為を記録していた。隣接するマンション(図

1

のマンション

1

) に居住する親子が施設の柵越しに見えて、小さな女の子から「バイバイ。」と声をかけられ た中上さんが子どもに「バイバイ。」と返した[事例

1

:中上さん、

040430

]。道路にて背中 に幼子をおぶってあやしていた母親が、接近してくる車椅子に乗る柳澤さんとその車椅子を 押す私を見て、幼子に笑いかけ、私たちと母親はあいさつを交わし、そして柳澤さんはその 子の顔を覗き込み、かわいさに歓喜の声を上げていた[事例

2

:柳澤さん、

081213

]。

 以下に紹介する事例

3

も子どもとの相互行為、もしくは子どもを介した相互行為であった。

施設に接している道路の向かいにある民家は、造園業を営んでいたこともあって庭がよく手 入れされていた。その手入れされた庭を見終わって、施設の敷地に戻ろうしていたときに、

3

人の子どもを連れた母親と私たちはたまたま接近した。

[事例

3

:中上さん、

050513

 接近した母親は

3

人の子どもを連れていて、そのうち

1

人はベビーカーに乗っていた。中 上さんが「かわいいね〜。」ともらしつつ、「こんにちは、かわいいですね。」と母親に声を かける。声をかけられて困らないだろうかという心配が一瞬私にはよぎる。

 母親は困った素振りも見せずに、「この

2

人は双子なんですよ。」とベビーカーに乗ってい る子どもと歩いていた子どもを指差した。「えっ、双子なんですか

!?

随分体の大きさが違い ますね。」と私が返すと、「そうなんです。違うんですけど双子なんです。」と気を悪くした 様子はなく、応えてくれた。

 そして、友達がやってきたようで、子どもたちの母親は私たちにあいさつをして、友達の ほうへ移動していった。私たちもあいさつを返して、施設の敷地に戻っていった。「似てい ないけど双子なんだね〜。」「

2

卵性双生児なのかな?」と会話をしながら私たちは散歩を続 けた。[中上さん、

050513

 日中高齢者と外へ出て、道端で人間とすれ違うとき、ゴッフマン(

Goffman, 1963/1980

) の用語を借りれば、一瞬ちらりと見る程度の「焦点の定まらない相互行為」にとどまること が通常で、人間と接近して会話しながら焦点を共有して維持する「焦点の定まった相互行為」

に展開することはまれである。

 そのまれに展開した「焦点の定まった相互行為」として

3

事例を提示した。事例

3

にて中

(8)

上さんは子どもを見た後に母親に「かわいいね〜。」と声をかけている。子どもを媒介にし て母親との会話をはじめとする相互行為が起こっている。事例

2

も同様に、背中におんぶさ れていた幼子が媒介して、柳澤さんと母親の間で会話をはじめとする相互行為が起こってい た。それから事例

1

では親が傍にいたとはいえ、子どもが自ら中上さんに声をかけてきた。

 ゴッフマンによれば、老人や子どものような立場の人は、社会によっては社会的な価値に 乏しく、対面的かかわりにより失うものはないと人々から考えられて、人々の接近を受ける

Goffman, 1963/1980

)。すなわち高齢者の立場に立てば、社会的価値の乏しい子どもであ れば接近することができて、その子どもを媒介にして親との「焦点の定まった相互行為」へ と展開している可能性があり、逆に事例

1

の子どもの立場や事例

2

3

の子どもと一緒にいた 母親の立場からは、社会的価値の乏しい老人であれば、「焦点の定まった相互行為」へと展 開しても失うものはないことを読み込んでいた可能性がある。

 くわえて、筆者が積極的に加わることはなかったが、車椅子を押している筆者が高齢者と 子どもおよび母親との相互行為を構成する一部だったことが考えられる。同行者が傍らにい たからこそ、高齢者との「焦点の定まらない相互行為」から「焦点の定まった相互行為」へ と移行して困ったことになれば、同行者が対応してくれるという期待があって、子どもや母 親は高齢者に声をかけやすかったと考えられないだろうか。高齢者と子どもの相互行為に展 開した事例は、母親 - 子ども - 高齢者 - 同行者の

4

者により相互行為が成立していた可能性を 指摘しておきたい。

大人との相互行為

 外で実現した子どもとの相互行為、もしくは子どもと大人との相互行為を前項で検討した。

そして、外で大人だけとの相互行為が実現することもある。具体的に、施設外を散歩してい たとき、年配の男性が自宅の敷地の中から、「今日は天気がよくてよかったね。ねえ、ばあ ちゃん。ちょっと風が強いけど。」と大きな声で話しかけてきたので、柳澤さんはそちらに すこし顔を向けて、かすかに笑ったこと[事例

4

:柳澤さん、

140310

]、施設近くにあった 菜の花畑(図

1

を参照)が、以前の野菜を栽培する畑から菜の花畑に替わった経緯について 柳澤さんと私で根拠のない推測を戦わせていると、通りがかりの男性が以前の持ち主は少し 前に亡くなって、現在その娘が畑の手入れをしていることを教えてくれたこと[事例

5

:柳

澤さん、

050401

]、田んぼのなかに作られた農道を柳澤さんと散歩していたとき、農作業を

していた女性に柳澤さんが「楽しみですね。」と声をかけ、その女性はこちらを向きながら 立ち上がり、「おままごとです。」「暇があるのでいつも来ています。」とニコニコした表情で 応答したこと[事例

6

:柳澤さん、

081213

]があった。以上の

3

事例と次の事例

7

は出会った 人間の種類が違っている。

[事例

7

:柳澤さん、

140311

 施設から

20

分ほど移動したところで散歩をしていた。そのときスキーのスティックを持っ

(9)

てウォーキングしていた年配の女性に声をかけられる。

 「柳澤さんじゃないね

!?

 その女性にとってなつかしい顔に会ったようで、手で柳澤さんの体に触れながら柳澤さん に話しかける。柳澤さんも「どうしとったね?」と応じる。

 柳澤さんは歩けなくなったこと、こうして散歩に連れてきてもらわないと外へ出られない ことを話し、その女性は昨年

5

月に脳梗塞で手に麻痺が出ていて、日々歩くように心がけて いることを話す。

 柳澤さんが「何さんやったかね〜?」と名前を尋ねると、その女性は「ツカヤマ」と応え ていた。「サキヤマさん?」と柳澤さんが聞きなおすと、「ツカヤマですよ。」とやさしく教 えていた。ツカヤマさんは、柳澤さんの今の居住地を尋ねて暇があったら遊びに行くと話す。

その他しばらくやりとりした後に、ツカヤマさんとは別れた。

 ツカヤマさんと離れて、柳澤さんに「どこで会っていた方なんですか?」と尋ねると、「ど こで会ったんだろうか?」と返ってきた。会話している最中からひょっとしたらと思って様 子を見ていたのだが、やはり柳澤さんはどこの知り合いだったのか分からないなかでやりと りをしていたようだった。顔に見覚えはあるのかと尋ねると、「目の周りに見覚えはあるよ うに思う。」と返答する。ツカヤマさんはマスクをしていたので、顔が見えにくく分かりに くかったのかもしれない。施設内の柳澤さんの居室に戻った際、柳澤さんからツカヤマさん の名前をメモするように頼まれたので、マジックを借りて使用済みのカレンダーの裏に大き く記した。

 事例

4

では、男性から声をかけられた。男性からの声かけは、前述したゴッフマンの指摘

―社会によっては高齢者の社会的価値が乏しいこと―が背景にあって、気安く声をかけ ることができたことが考えられる。以前[

120328

]もこの男性は散歩中の私たちに声をか けたことがあった。その際は男性の自宅の庭に咲いていた牡丹を見ていくように招かれた。

事例

4

の際、男性が

2

年前に私たちに会ったことを覚えていて声をかけた可能性も考えられる。

 事例

5

では私たちが身体を畑に向けて会話していたところに男性が加わった。事例

6

では 柳澤さんが畑で作業している女性に声をかけた。事例

5

では声をかけられ、事例

6

では声を かけたので、主客は逆転しているが、いずれも話しかけられた方に話しかけられる余地が あった。事例

5

では柳澤さんと筆者が畑に関する会話をしていて、事例

6

では女性が畑作業 をしていたので、周囲から見て行為の脈絡を読み取ることができたはずである。この行為の 脈絡が話しかける余地となったと理解することができる。または、事例

5

では話題にしてい た畑の話が第三項となり、男性は私たちと「三項関係」(

Tomasello, 1999/2006

)を形づくり、

事例

6

では育った作物が第三項となり、女性と柳澤さんが三項関係を形づくったと理解する ことも可能だろう。

 そして、知人に出会った事例

7

は、行為の脈絡を必要としない点で事例

4

6

と大きく違っ

(10)

ている。外で知人に出会った時には、無視することを含めて何かしらの対応が必要になる。

過去の歴史が、対応する責任を生み、第三項として両者をつなぐのだろうか。事例

7

でツカ ヤマさんは柳澤さんであることに気づき声をかけている。

 柳澤さんが施設から外出した際に知人に出会うのは、筆者の記録と柳澤さん当人の記憶の 範囲では初めてだった。その理由として、この施設は柳澤さんが暮らしてきた場所から離れ ていることが考えられる。暮らしてきた場所に近ければ、外へ出た際に知人に出会う可能性 が高まるだろう。ツカヤマさんとどこで会っていたのか、柳澤さんには分からない様子だっ た。施設に入所する前に柳澤さんが入院していた近くにある総合病院で知り合ったのではな いかと筆者は推測していた。なぜなら、施設の建つ場所は柳澤さんが暮らしていた場所から 遠く離れているので、施設近くで以前の知人に出会うことはまず考えられない。そう考える と、暮らしていた場所から遠く離れた施設に入所することは、外へ出たときに知人と交わる 機会が限られることにつながるとも考えられる。

2

)離れて眺める 作業している人を眺める

 日中施設から外へ出た際に出会う人が少ないことはすでに紹介した。その数少ない出会う 人のなかで、仕事をしている人、言い換えると目的を持って行動する人は多いように思える。

目的なく外をぶらついている者にとって、目的を持ってせかせかと行動している人は違う次 元にいるようでさえある。そして、日中外へ出ると、屋内では見ることのない類の作業をし ている人たちと出会うことがある。

2

つの事例を紹介する。

[事例

8

:渡邉さん、

040924

 外へ出て施設の敷地内を渡邉さんと散歩していたとき、隣接するマンション(図

1

のマン ション

2

)で改修工事をしていた。渡邉さんは工事の様子をじっと見ていた。作業員がとて も高い場所で作業をしていることが怖く感じると渡邉さんは話す。

[事例

9

:中上さん、

041210

 施設の敷地の外から戻ってきたとき、敷地の入り口付近に立ててあったカーブミラーが倒 れていることに私が気づく。カーブミラーが倒れていることを中上さんに伝えると、中上さ んは倒れたミラーをもの珍しそうに見ていた。すると、特殊車両がやってきた。作業着を着 た男性が車から降り、そのミラーの修理を始めた。中上さんはそのまま作業の様子を眺めて いた。

 事例

8

の渡邉さん、事例

9

の中上さんは、前項で検討した相互行為と違い、作業している 人間を一方的に眺めていた。外は私的な空間ではないので、たまたま通りかかった通行人が 眺めていることを作業している人間がただちに咎めることはないだろう。また、眺めている

(11)

のはもの珍しい作業、もしくはもの珍しい作業をしている人間であって、その人間がもの珍 しくて眺めているわけではない。

 このように外で作業している人間を眺めていることは、今後検討する人間以外の動物や植 物と同様に、離れた位置から対象を一方的に眺めるという能動性だけを発揮している行為が 実現していると理解できる。

3

)聞こえてくる

作業している音が聞こえてくる

 外へ出ると、見えないけれども人が作業している音が聞こえてくることがある。記録に残 されていた

1

事例を紹介する。

[事例

10

:柳澤さん、

150303

 ガンガンガンと驚くほど大きな音が突然鳴り響く。柳澤さんは何が起こっているのか分か らなかったためか、表情が強張り、周囲を見回す。垣根で隠れた道路でトラックから荷を下 ろしている音だろうと私には推測できたので、そのことを柳澤さんに伝えると合点がいった ようだった。

 しばらくすると、作業の様子が見え始めて、トラックの運転手が荷物を高く積んだ台車を 施設に運びこみ始めた。

 大きな音が鳴り響いたとき、柳澤さんにとって原因を特定する判断材料が音以外になかっ た。音を受け止めるだけで、戸惑うばかりの様子だった。私が音の原因を推測できたことと、

後に作業の様子が見え始めたことから、柳澤さんは原因の分からない音をただ受け止めるこ とを終わらせて、音の原因を特定できた。聞こえてくる音を受動することに留まらずに、音 の原因を特定する能動性を後に発揮し始めた事例といえる。

子どもの泣き声が聞こえてくる

 遠くから姿の見えない人の声が聞こえてくることがある。その声は姿が見えないために、

前後関係や声の脈絡が分からない。子どもの泣き声が聞こえてきた事例を紹介する。

[事例

11

:渡邉さん、

040924

 施設の建物から外へ出て、敷地内にとどまっていたとき、遠くから子どもの泣き声が聞こ えてきた。渡邉さんが「泣きようね〜。」と話しかけるので、「まあ、泣くぐらい元気という ことですかね〜。」と話を合わせたつもりで私は返答した。

 しかし、私の返答は気楽すぎたようで、渡邉さんは迷いつつ「元気そうといえばそうばっ てん(そうだけど)・・・。」「かわいそか(かわいそう)。」と沈んだ口調でぼつぼつと返す。

 しばらくすると、子どもの泣く声が聞こえなくなった。「聞こえん(聞こえない)と聞こ えんでどうだろうかと心配になる。」「親にどうかされたっちゃろうか(何かされたのでは

(12)

ないか)とか。」と子どもの身を案じる胸の内を、渡邉さんは表情を強ばらせて私に伝えた。

 私たちはただ遠くから聞こえてくる子どもの泣き声を受け止めるだけだった。泣いている 子どもの姿を見ることはできない。泣いている理由や泣きやんだ経緯を知ること、泣いてい る子どもを慰めることなども叶わなかった。子どもの与り知らないところで泣き声を受け止 めているだけなのだが、渡邉さんは遠くにいる子どもの身を案じていた。

 上記のやりとりの後に、一般的な話として子どもが親から殺されてしまう事件を渡邉さん は嘆いていた。また、渡邉さんは幼少期に親戚の家に預けられていた経験や実の親が厳しかっ た経験を振り返ることがしばしばあり、弱い存在に自分を重ねて気遣うことはめずらしくな かった。

 このような渡邉さん自身の特徴が影響しつつも、事例

10

で柳澤さんが大きな音の原因を 特定できたことと対照的に、姿が見えないがゆえに泣き声の原因に想いを巡らせ続けなけれ ばならないことを事例

11

は示している。

4

)「人間に出会う」のまとめ

 外で人間と出会うとき、作業している人間を一方的に眺めていることや流れてくる音や声 を一方的に聞くことがある。人間との出会いにおいて、一方的に眺める能動的行為のみを発 揮することや、音や声が聞こえてくる受動性を発揮した後にその原因を探索する能動性を発 揮していることがある。後に検討する人間以外の動物や植物との出会いとどう共通して、ど う違いがあるのだろうか。総合考察にてあらためて論じたい。

 人間との出会いで特筆すべきことは、人間と人間の相互行為である。筆者が通っている施 設周辺では、人通りが少ないうえに、すれ違う人間と一瞬ちらりと見る程度の「焦点の定ま らない相互行為」にとどまることが通常であった。そのため、人間と接近して話題を共有す るような「焦点の定まった相互行為」に展開することがまれで、「焦点の定まった相互行為」

に展開したことが謎であり問いであった。

 「一般に、面識のある者同士が社会的状況の中で対面的かかわりを拒否するのには何らか の理由がなくてはならないし、面識のない者同士が対面的かかわりを求めるのにもそれなり の理由がなければならない。」(ゴッフマン、

1963/1980

)事例

7

では知人に出会い脈絡を必 要とすることなく相互行為が展開していた。このような面識のある者同士は体面的かかわり を拒否することに理由を必要とする。一方で、面識のない者同士が出会うときに相互行為へ と展開していくことは、ゴッフマンにおいては「それなりの理由がなければならない」、ま た筆者においては謎であり問いである。

 事例

1

6

の検討を通して、

1

つ目に、接近した双方で、社会によっては社会的価値の乏し い老人や子どもが相手なので、対面的かかわりにより失うものはないと考えられたこと、

2

つ目に、同行者がいたために「焦点の定まった相互行為」へと移行して困ったことになれば、

同行者が対応してくれるという期待があったこと、

3

つ目に、話しかけられた側に話しかけ

(13)

られる余地があり、三項関係を形成できたこと、以上の

3

点が面識のない者同士が出会った ときに相互行為へと展開していく理由として考えられた。

3-2

 人間以外の動物に出会う

 先述したように、通っている施設は郊外に位置しているため、外へ出たとき人間に出会う ことがまれであった。車椅子に乗った高齢者は舗装された道路を移動するため、人間以外の 動物に出会う機会も多いとはいえなかった。とはいえ、動物は自ら動くため、こちらから訪 ねなくても訪ねてくる。くわえて、人間以外の動物は、人間のように訪ねていい場所とそう でない場所の区別がないため、施設の敷地を遠慮なく訪ねてくる。そのため、人間以外の動 物は、対象に出会う行為を高齢者に提供する貴重な対象であるといえる。記録が残っていた 犬、鳥、そして虫に出会う行為について検討していく。

1

)交わり 犬と交わる

 約

1

2

千年前の遺跡から人と一緒に埋葬されたイヌ科の動物の骨が発掘され、その人は イヌの遺骨に手を添えていたことから、人とイヌは親密な関係にあったことが示唆されてい る(濱野、

2013

)。このように犬を代表とする家庭動物、いわゆるペットやコンパニオンア ニマルと人間の関係は古い。近年は野良犬と出会うことはまれになり、出会うのは飼い主を 伴うペット犬に限られるようになった。

 高齢者と日中外に出た際、ペット犬を目にしているはずだが、記録にあまり残っていない のは、すれ違うばかりで、交わることが少なかったからだろう。以下に紹介する

2

事例は犬 と交わった際の記録である。

[事例

12

:柳澤さん、

120304

 田んぼのなかの道を柳澤さんが座る車椅子を押して進んでいるとき、年配の女性が犬を連 れて歩いてくる。私たちは立ち止まっていて、その立ち止まった場所の手前で犬が路端で何 かを見つけたようで立ち止まる。私は「こんにちは。」とあいさつする。柳澤さんは「よ〜

肥えたワンちゃんだこと(とても体格のよい犬ですね)。」と嬉しさが抑えられない上ずった 声で話しかける。飼い主の女性はほがらかな表情で「私も肥えていて、歩くけどそれでは足 りません。」と冗談を言う。柳澤さんは車椅子で視線が低いからか、犬だけを見ていた。そ の後、犬と女性は私たちとすれ違っていった。

[事例

13

:古野さん、

030815

 午後に古野さんと外へ出て会話していた。そこに入居者の家族が飼っている犬を連れて やってきた。自分で外へ出てきていた柳澤さんと一緒に古野さんは犬と接していた。外に出 てきていた看護長から「古野さん、触らせてもらったら。」と促されて、古野さんは犬に直 接触れていた。

(14)

 事例

12

では、立ち止まっていた私たちの前で犬が立ち止まったことで、あいさつをしな ければならなくなった。犬が立ち止まらなければ、犬を連れていた女性とは一瞬ちらりと見 る程度の「焦点の定まらない相互行為」にとどまっていたかもしれない。犬が立ち止ったこ とで、犬を連れた女性と私たちは同じ舞台に束の間乗っていた。それは、あいさつを交わし 合うなど相互行為をすることが求められ、逆に無視をするなど相互行為を拒否することに理 由を必要とする舞台である。人間の空間利用を考察したホール(

Hall, 1966/1970

)による 分類を参考にすると、人間と人間がすれ違う時、「社会距離」―特別な努力をせずに相手 に触れたり触れようとしたりできない―から「個体距離」―相手を抱いたりつかまえた りできる―へ距離が縮まることで束の間お互いに身構えて、再度社会距離へと離れていく なかで緊張を解いていく。この過程がスムーズに進行すれば、一瞬ちらりと見る程度の「焦 点の定まらない相互行為」にとどまって構わなかった。しかし、私たちが立ち止っていた場 所の手前で犬が立ち止ってしまい、両者は個体距離を持続させられるはめになった。そこで、

両者の身構えた緊張を解きほぐすために、筆者は犬を連れた女性にあいさつをしたのだと思 われる。

 筆者があいさつした後に、柳澤さんは犬について女性に話しかけていた。また事例

13

では、

看護長が古野さんに犬に触ることを促していた。濱野によれば、家庭内で飼育されているイ ヌに関しては、主に飼い主が優位個体となり、犬は飼い主に従いながら、信頼感をもって家 庭という群れのなかで集団生活をしていると考えられている(濱野、

2013

)。柳澤さんが犬 を話題にして声をかけたことや看護長が触ることを促したことは、「子どもとの相互行為」

にて検討した社会的な価値に乏しい者は人々から接近を受けてしまうことに通じる行為だろ う。すなわち、犬は人間に対して劣位個体となり、社会的価値の乏しいが故に、飼い主との 話題として取り上げられたり、触ることを促されたりしてしまうのだろう。

2

)離れて眺める 虫を眺める

 渡邉さんと散歩を始めてしばらく経ったとき、施設の敷地内で青虫に出会うことがあった。

[事例

14

:渡邉さん、

040827

 柳澤さんと屋外に出ていたとき、

1

人の介護職員が数名の高齢者と一緒に屋外に出てきた。

その介護職員が、鉢植えのみかんの木に青虫がいることに気づき、周囲にいた高齢者に青虫 がいることを伝えるも反応は芳しいものではなかった。

 柳澤さんとの散歩を終えて、次は渡邉さんと屋外へ出かけた。外にいた高齢者と介護職員 の横を通り過ぎ、「渡邉さん、おもしろいものがあるんですよ。」と声をかけながら、鉢植え のみかんの前にたどり着いた。渡邉さんはそのとき車椅子に身体を深く沈ませて、ぼんやり とした様子だった。鉢の置いてある方向を私が指さすと、渡邉さんはそちらを見ようとする。

(15)

しかし、焦点が対象に合っていないようだった。青虫はみかんの木にくっついていて、対象 と背景が同じ緑色だったので、渡邉さんには見にくかったのかもしれない。

 焦点が合わない目線をすこし動かしていると、ある瞬間焦点が対象に合ったのだろう、渡 邉さんはビクッと身体を強張らせ、顔を引きつらせた。気が動転していることが直ちに私 に伝わった。「渡邉さん、青虫嫌いなんですか

!?

」と慌てて尋ねると、「嫌い。とても嫌い。」

と困惑した顔で応えた。急いで車椅子を鉢から離しているときに筆者は渡邉さんに謝った。

気が動転した余韻が渡邉さんには残っていた。

 同じ日川口さんに青虫を見るか尋ねると顔をしかめた[川口さん、

040827

]。また、中上 さんに青虫について尋ねると、「ダメ、嫌い。」と返答があった[中上さん、

040916

]。この ように虫に拒否反応を示すことは高齢者においても珍しくないようである。

 麻生は、女子大学生に「怖いもの(恐怖症)」について書くことを求めるとゴキブリが一 番多く挙げられたこと、一方で一部の幼稚園児がゴキブリを捕まえ持ち帰ろうとしたことを 紹介している(麻生、

2014

)。多くの大人にとって拒否反応を示すゴキブリであるが、一部 の子どもにとっては魅力的な存在として映っているようである。

 ゴキブリを含めた虫に拒否反応を示すこと、もしくは魅力を感じることの背景の一つと して、人が虫に「志向的な構え」(

Dennett, 1996/1997

)を適用していることがあるだろう。

志向的な構えとは、私たち人がある対象(人間、動物、人工物を問わず)について、主体的 に活動を選択する合理的な活動体と見なして解釈することである。浜田は、ファンツ(

Fantz,

1961

)が赤ちゃんを対象に実施した選好注視実験を取り上げて、平面に〇を書き、その〇 のなかに

2

つの黒点を書き込んだだけで、私たちは他者からの志向性のようなものを感じる ことを指摘していた(浜田、

2014

)。私たちは、虫が自分を志向する他者と見なしているから、

虫に拒否反応を示す人がいる一方、虫に惹きつけられる人もいるのだろう。

 事例

14

で、渡邉さんが青虫に出会うことで、ビクッと身体を強張らせ、顔を引きつらせ た行為が生まれた。この行為から、青虫に焦点が合うことで僅かでも他者からの志向性を受 け止めているに違いない。虫に出会うことは、他者との出会いの一つだといえる。

 さて、渡邉さんは青虫だけでなく虫全般に拒否反応を示していた。事例

14

で紹介した青 虫と出会う行為を経た後に、青虫を含めた虫に遭遇することがあった。その一連の事例につ いては対象を更新することについて検討する別稿にてあらためて紹介したい。

鳥を眺める

 外へ出ると、郊外という地理的条件もあって、頻繁ではないが、鳥に出会うことがあった。

以下では

2

事例を紹介する。

[事例

15

:柳澤さん、

150912

 施設の隣家には広い庭(図

1

を参照)がある。柳澤さんと柵近くに腰を落ち着け、柵を通

(16)

して見える庭木について、大きくなったとか、これは桜の木だとか、さるすべりの木は先っ ぽにしか花が咲かないとか取りとめのない話をしていた。

 そんなときに、茂みからひょいと鶏が出てきた。

1

羽と思っていたら、

2

羽目が出てきた。

私は驚き、柳澤さんに鶏が出てきたことを伝えると、鶏を確認して「チャボだね〜。」と平 然とした様子で応答する。白黒の毛がきれいな丸々と太った立派な鶏だった(図

2

を参照)。

「放し飼いだといいね。いい卵を生むじゃろ。」と柳澤さんは言う。「放し飼いだと、卵をど こに生むのか分からないのですか?」と私が尋ねると、「おそらく決まったところに生むの では。」と返ってくる。そんな話をしている最中に、なんと

3

羽目の鶏がいることに私は気づ いた。「

3

羽いるんだね。」とまたも平然とした様子で柳澤さんは応答した。

[事例

16

:柳澤さん、

140311

 滅多に訪れない川の縁に到着すると、柳澤さんが魚はいるのかと尋ねる。私が川の縁から 身を乗り出して確認するも、魚は見えない。その後に、川縁の離れたところにくちばしの大 きな鳥(おそらくサギ)が動かずに立っていることに私たちは気づいた(図

3

を参照)。「あ の鳥は生きているんじゃないよね?」と柳澤さんから問いかけがあった。ピクリとも鳥は動 かなかったので生きているのか筆者にも即座に判別できなかった。しかし鳥の像を置くよう な場所ではなかった。柳澤さんが問いかけた直後に、鳥は飛び立とうと大きな羽をバサバサ と動かし始めた。「あ〜っ!」、柳澤さんは驚きを隠せず大きな声を上げた。

 事例

15

に関して、高齢者と散歩に出かけた際、隣家の広い庭(図

1

を参照)をよく眺めて いた。しかしその庭で鶏を見かけたことはなかった。いなかったはずの鶏が目の前にいたこ

2 隣家の広い庭に鶏が2

(17)

とは、筆者には楽しい発見だった。それにくわえて、庭の豊かな草木のなかを

3

羽の鶏が移 動すると、あちらこちらで鶏の姿が草木に隠れたり現れたりする変化があって、眺めていて 飽きなかった。ただし鶏に惹きつけられていたのはもっぱら筆者で、柳澤さんは鶏を見ては いたものの平然とした様子だった。柳澤さんは[

090227

]に鳥(鶏と小鳥)を飼っていた ことを教えてくれていた。一方の事例

16

では、離れたところにいたくちばしの大きな鳥の 動かなさに柳澤さんは惹きつけられている。筆者から見ても、生きているのか分からないぐ らいに動かなかった。その鳥が羽をバサバサと動かし始めて、柳澤さんは驚きを隠せずに大 声を上げたわけだが、筆者も声こそ上げなかったが鳥の始動に惹きつけられていた。

 柳澤さんが鶏の出現には平然としていて、大きな鳥が動き始めたことに驚きを隠せなかっ たのは、鶏は見慣れていて何をするのか次の展開が読めていたことに対して、大きな鳥は生 きているのか分からなかったために次の展開が読めなかったことにあったのではないだろう か。筆者のこれまでを振り返ると、鶏を含めて鳥を眺めた経験が実はあまりない。そのため 鶏とくちばしの大きな鳥のいずれも惹きつけられる対象だった。車椅子に乗る高齢者の移動 に合わせて散歩するからこそ、経験できたことかもしれない。そして、高齢者と筆者の外出 は、高齢者が単体で対象に出会う行為を生成しているのではなく、筆者を導きながら、逆に 筆者が導きながら生まれている可能性がある。筆者の存在の位置づけは今後の課題となる。

3

)聞こえてくる

虫・鳥の鳴き声が聞こえてくる

 外で川口さんが語る夫の父親の話を聞いた後、川口さんが「セミがジージー、ジージー 鳴きよう(鳴いている)。」と鳴き声のする方向を指さした。[事例

17

:川口さん、

050805

] 渡邉さんと外へ出て佇んでいたとき、施設に隣接するマンションのほうからセミの鳴き声が 聞こえてきた。鳴き声のする方向に渡邉さんが顔を向けたので、「ツクツクホーシが鳴いて

3 くちばしの大きな鳥が立っていた現場

(18)

いますね。」と私が声をかけると、「ホントね〜!」と顔をクシャクシャにして嬉しそうにこ ちらを振り返る。[事例

18

:渡邉さん、

050826

以上のように、虫の声が聞こえてくるこ とがあった。次に、鳥の鳴き声が聞こえてきた

1

事例を紹介する。

[事例

19

:中上さん、

040423

 施設の建物から出て、敷地内を散策した後、施設の外に向けて車椅子を止めて、しばし休 息する。「鳥が鳴きようね〜。」と中上さんは唐突に私に話しかける。私が耳を澄ませると、

鳥の鳴き声が確かに聞こえる。上空を見上げると、鳥が数羽飛んでいた。「そうですね。鳥 が鳴いていますね。」と中上さんに返答した。

 ここで紹介した人間以外の動物である虫や鳥の鳴き声が聞こえてくることも、声を聞くと いう受動的な行為といえる。人間の泣き声が聞こえてくることはすでに検討した。人間の泣 き声と動物の鳴き声を聞くことの違いは、前者は泣き声の原因に想いをめぐらせるといった 能動的な姿勢を取ることと対照に、後者の鳴き声はその意味が気になることはあまりないこ とにある。言葉が通じないせいか、それとも同型ではないせいだろうか。人間以外の動物の 鳴き声を聞くことは、自分とは関わりのないこととして、能動的な姿勢をとることはあまり なく、動物の鳴き声を受け止めていたと理解した。

3

)「人間以外の動物に出会う」のまとめ

 高齢者が交わったといえる人間以外の動物として記録しているのは、犬に限られていた。

その交わった犬は飼い主を伴うペット犬であったので、犬との出会いは必然的に飼い主との 出会いを伴った。事例

12

で柳澤さんと私が立ち止り、歩いてきた犬と飼い主の女性とすれ 違うことを予定していたのだが、犬がすれ違う手前で立ち止ってしまった。そこで相手を抱 いたりつかまえたりできる距離(個体距離)が持続してしまい、筆者は飼い主の女性にあい さつをすることに、柳澤さんは犬を話題に飼い主の女性と会話をすることになった。そのほ かに、犬を話題にして話しかけたり、犬に触ることを促したりすることは、犬が人間にとっ て劣位個体として扱われているからであると考察した。

 つぎに、虫や鳥を眺めていることを検討した。虫や鳥と直接交わることはなく、また虫や 鳥から働きかけられることはなかった。虫を一方的に眺めるなかで、虫を怖がっていたこと は、虫の志向性を受け止めているからではないかと考察した。一方的に眺めているようで、

人間の主観では受動しているといえるだろう。また、鶏を見ていて飽きないのは(実は高齢 者というより筆者においてだが)、周囲の草木のなかを動くことで鶏が隠れたり現れたりす る変化があることが背景に、そして動かない鳥が羽ばたこうと大きな羽をバサバサと動かし 始めたことに大きな声を上げたことは、次の展開の読めなさが背景にあるのではないかと考 えた。

 それから、虫や鳥の鳴き声を聞くことは声を聞くという受動的行為であるものの、人間の

(19)

泣き声と違っていることを検討した。人間の泣き声は、その原因に想いをめぐらせるという 能動的姿勢を取ることがある一方で、虫や鳥の鳴き声の意味が気になることはあまりないと 考えた。そのため、虫や鳥の鳴き声を聞くことはもっぱら受け身ではないかと結論づけた。

3-3

 植物に出会う

 外出時の植物との出会いは数えきれないほど多かった。なぜなら、植物との出会いは切れ 目なく連続していて、また一度に意識を向けているのは一つの対象ではないからである。そ れから、施設の敷地内に植えられていた桜の木々をはじめとする特定の植物について、外へ 出るたびにくり返し高齢者が言及することがあった。そのため、植物との出会いすべてに筆 者が意識を向けて記録に残すことは難しかった(不可能であった)。以下に示すのは、記録 に残すことができた植物に出会った行為の一部である。

1

)身を乗り出す・手を伸ばす 農作物を見るために身を乗り出す

 畑仕事や園芸に励んでいたことがあった柳澤さんは、植物を見るために身を乗り出すこと が複数回あった。農道を移動しているときに畑に転がっていた不思議なものを私が見つけ、

その正体を尋ねると、柳澤さんは「里芋の親」と答え、自分でガードレールにつかまり、ぐっ と身を乗り出して里芋の親を見ていた(図

4

を参照)。ガードレールにつかまったまま、里 芋の親を含めた周囲をしばらく眺めていたので、私が車椅子を動かすことはできなかった。

[事例

20

:柳澤さん、

090228

同様に農道を移動中、咲いていた彼岸花についてひとしき り会話した後に、茎が伸びきった

2m

ほどある背の高い植物に私は目を引かれた(図

5

を参照)。

あれは何かと尋ねると、柳澤さんは「オクラ」だと教えてくれる。そして、ガードレールの 上部を両手でつかみ車椅子に座ったまま身を乗り出して、オクラの茎を覗き込んでいた。[事

4 里芋の親が転がっている

(20)

21

:柳澤さん、

140911

]さらに同じく農道を移動しているとき、苗が植えてある畑に穴 の開いたビニールシートがかぶせられていることは、最近はめずらしくなくなったが、柳澤 さんには珍しい様子だった。植えてある苗が話題になり、並べてあった苗のケースに「カボ チャ」と書いてあったので、そのように伝えると、柳澤さんは身を乗り出して苗を見ていた。

[事例

22

:柳澤さん、

150912

 柳澤さんが農作物や苗を見るために身を乗り出していた事例を紹介した。事例

20

では、

畑に転がっていた里芋の親を見るために、ガードレールにつかまり身を乗り出していた。事 例

21

でも、背が伸びきったオクラの茎を覗き込むために、ガードレールにつかまって身を 乗り出していた。事例

22

では、何の苗であるのか確認したかったのか身を乗り出していた。

 柳澤さんが身を乗り出すほどに農作物に惹きつけられることには、柳澤さんの個人的経験

(農作業をしていたことや鉢植えの植物を育てていたことなど)が背景にあるだろう。柳澤 さんは農作物や草花を見ているときに、「楽しみ」という言葉を頻繁に口にしていた。事例

6

や後に紹介する事例

30

でも「楽しみ」と口にしていた。事例

30

にて花壇で育つトマトやきゅ うりについて「時間とともに成長する。それが楽しみ。」と話すように、柳澤さんが口にす る楽しみという言葉は、後に作物が実ることや花が咲くことを予定していることの意味をお そらく含んでいる。気象条件に出来不出来が左右されるとはいえ、農作物や花は手をかけれ ば成長し期待通りに実が生り花を咲かせる。柳澤さんが身を乗り出すほどに農作物に惹きつ ける理由の

1

つは、農作物が成長することや変化することではないかと考えている。別稿で、

田んぼの稲穂の垂れ具合が変化していることに言及した事例を紹介する予定である。さらに 考察を重ねたい。

 ところで、身を乗り出していた理由としてもう

1

つ、他人の畑なので手を出せないことが 5 オクラの茎が伸びきっている

(21)

あるだろう。自分の畑であれば、作物や苗のところに行き、引き抜いて畑の端に集めるなど するかもしれない。他人の畑なので、出来ることは身を乗り出して眺めることだけという消 極的理由もあるだろう。

プランターの草花に手を伸ばす

 植物と出会ったとき、特徴的な行為として、手を伸ばすことがあった。草花を眺めること を好んでいた川口さんは植物に手を伸ばすことがあった。施設の敷地内でラベンダーの先を 手でつかみ顔を近づけ匂いを嗅いでいた。[事例

23

:川口さん、

030725

]それから同じ敷 地内に置いてあったプランターの近くで、車椅子の足置きから足を地面に下ろし、足の力で プランターに近づいた後に、手を懸命に伸ばして、プランターに生えた雑草を抜いていた。

[事例

24

:川口さん、

050318

川口さんは、自宅で暮らしていたときに庭の雑草をよく抜 いていたそうだ。

 腕を伸ばして花に触ろうとしていた事例を

1

つ紹介する。この事例は、外に出たときには もっぱら周囲を眺めていた古野さんが、

1

度だけ何かに触ろうとしていた行為を記録したも のである。

[事例

25

:古野さん、

030919

 午後、外へ出て、施設の敷地内で古野さんと私はしばらく話していた。今日は秋晴れで、

日陰にいると過ごしやすかった。建物の逆側に移動するために、建物の玄関前を通過しよう としていた。その時、古野さんが「これは何ですかね〜? スミレですかね〜?」と鉢から伸 びる背の高い紫色の花が先についた植物に興味を示す。古野さんの問いかけに、「色として はそうですかね〜。スミレですかね〜。」と返答した。鉢植えに近づき、古野さんは花に手 を伸ばしたのだが、車椅子が鉢植えからまだ離れていたために手は花に届かなかった。そこ で私は、鉢植えが置かれていた縁石ぎりぎりに車椅子を寄せた。すると、古野さんは手を伸 ばし、花を手で触っていた。手をすぐに離すことはなく、花をしばらく触っていた。

 植物は受動的である。人間が手を伸ばして触ろうとすることに対して、伸ばした手を撥ね つけることや避けることはない。とりわけプランターや鉢植えの植物は、人間が鑑賞するた めに植えているので、人間が手を伸ばし触れることも許容しているように見える。プランター や鉢植えの植物は、人間が手を伸ばす能動性を発揮させる受動性を備えているといえるだろ う。

 子どもの兄弟関係における能動と受動に関して、津守は実例に則して以下のようなことを 述べている(津守、

1987

)。兄弟が同居する場面で、自分(年少の子ども)から手を出すと いう能動の行為が、相手(年長の子ども)から斥けられるという受動の行為として体験され ることがある。能動性を発揮することを妨げられた年少の子どもは、大人を相手に能動性を 発揮する、あるいは物とのかかわりで能動性を発揮する。物は自分を拒否することはないし、

参照

関連したドキュメント

そのため、ここに原子力安全改革プランを取りまとめたが、現在、各発電所で実施中

3000㎡以上(現に有害物 質特定施設が設置されてい る工場等の敷地にあっては 900㎡以上)の土地の形質 の変更をしようとする時..

○池本委員 事業計画について教えていただきたいのですが、12 ページの表 4-3 を見ます と、破砕処理施設は既存施設が 1 時間当たり 60t に対して、新施設は

これら諸々の構造的制約というフィルターを通して析出された行為を分析対象とする点で︑構

・毎回、色々なことを考えて改善していくこめっこスタッフのみなさん本当にありがとうございます。続けていくことに意味

にちなんでいる。夢の中で考えたことが続いていて、眠気がいつまでも続く。早朝に出かけ

夜真っ暗な中、電気をつけて夜遅くまで かけて片付けた。その時思ったのが、全 体的にボランティアの数がこの震災の規

したがいまして、私の主たる仕事させていただいているときのお客様というのは、ここの足