『人文コミュニケーション学論集』
7, pp. 119-131. © 2021
茨城大学人文社会科学部(人文社会科学部紀要)―初期に着目して―
岩佐 淳一
要約
本稿ではタイにおけるコミュニティラジオ放送を特に放送局が設置され 始めた初期(
2001
年〜2007
年)に着目して論じたものである。コミュニ ティラジオ放送局が1990
年代におけるタイ民主化運動の申し子としての メディア改革運動の一環として誕生したことを明らかにすると同時にその 展開過程を追った。コミュニティラジオ放送は国家による政策との狭間で しだいに初期のコミュニティのための放送媒体という理念を喪失して「第2
のマス・メディア」に変貌していくが、一方で、コミュニティラジオ放 送がタイの放送に果たした意義もまた大きなものがあった。本稿ではタイ におけるコミュニティラジオ放送の意義を4
点にまとめた。0
.はじめに
20
世紀末から現在までの約30
年間にわたってタイは大きな政治運動のうねりのなかにある。1992
年のスチンダ首相退陣要求に始まる5
月事件、いわゆる「暗黒の5
月事件」を契機に知 識人層を中心とした民主化運動が起こり、その運動は1997
年憲法に結実することとなった。1997
年憲法のもとで成立したタックシン政権は総選挙での圧倒的勝利を背景に30
バーツ医 療、村への100
万バーツ基金プロジェクト、農家の負債返済猶予、小事業者向け融資制度な どポピュリズム的政策を次々と打ち出していった。
2006
年9
月、タックシンがクーデターで政権を追われた後、ソンティ、スラユット、サマッ ク、ソムチャーイと短命の政権が続くなかで、タイではタックシン派の反独裁民主主義統一 戦線(UDD
)と反タックシン派、民主主義人民連合(PAD
)による激しい政治闘争とそれ による政治的・社会的混乱の時期が長く続くことになった。2008
年12
月から3
年弱にわたっ て政権を担当した民主党主導のアピシット政権が倒れ、2011
年7
月、タックシンの妹インラッ クが政権を担うことになった。しかしながら、インラックは国家安全保障会議事務局長の人 事に不当介入した嫌疑により2014
年5
月に失職、同月、陸軍司令官プラユット・チャンオー チャー率いる国家平和秩序維持評議会(NCPO
)が軍事クーデターを敢行、同年8
月、プラユットは正式に首相に就任し、
2019
年の総選挙を経てタイは民政に復帰、現在に至っている。プラユット政権下では
2017
年憲法が制定施行されたが、選挙が下院に限定され任命制の上 院は軍の影響が極めて強くなるなど民主主義という点で問題を孕んだ政治システムとなって いる。こうしたプラユット政権に対しては2019
年末から現在(2020
年9
月)に至るまで、政 権の強権性に対する批判や退陣要求、学生を中心とした王政改革要求などを含む集会、デモ などが続き、タイの政治情勢は今また不安定化している。このように約30
年間のタイの政 治情勢はまさに激動の時代であった。こうした政治運動の展開において重要な役割を果たしているのが、インターネットである。
インターネットのサイトやブログなどで表明される様々な政治的主張がタイ国民の政治動向 に与える影響は実に大きなものがあると考えられる。また、タイ国民の必需デジタルデバイ スとなったスマートフォン、タブレット端末を使用した
SNS
でのコミュニケーションや情報 交換が政治や社会に及ぼす影響も大きなものがあると考えられるが、これらについては稿を 改めることとし、本稿では特に1990
年代に活発化した民主化運動のコロラリーとして起こっ たメディア改革運動の成果の一つと考えられるコミュニティラジオ放送(1)に着目する。すな わち、タイのコミュニティラジオ放送局がどのような経緯で誕生、開局、普及していったの かについて鳥瞰し、コミュニティラジオ放送のタイにおける意義について論じたい。なお、本稿では考察の対象をコミュニティラジオ放送誕生と普及の初期、すなわち、
2001
年から2007
年までに限定する。その理由はコミュニティラジオ放送の存立根拠とされたのが2007
年まで効力を持った1997
年タイ王国憲法(以下1997
年憲法と呼ぶ)におけるメディア条項 だからである。したがって、本稿では2008
年以降のタイのコミュニティラジオ放送の状況 についてはほとんど触れない。1
.タイの放送概要はじめにタイの放送状況について確認しておきたい。タイにおいてラジオ放送は
1928
年 にPost and Telegraph Department
(PTD
)によって開始された。その後、1941
年にラジオタ イランドが誕生しラジオの全国放送網が完成した。テレビ局をタイに導入したのはプレー ク・ピブンソンクラームで1955
年にタイ初のテレビ局CH
4が誕生している。現在に至るま で地上波テレビの基幹をなす陸軍テレビはサリット時代の1958
年に開局した。タイのラジ オ・テレビ体制(放送メディアの軍・産協同体制)が完成するのはタノム・プラパート時代 であり、陸軍からのコンセッション方式による民間テレビ局は1967
年に置局された。タイにおいては純粋な民間放送局は長らく置局されず、すべての放送局は政府・軍の所有 または政府・軍からのコンセッション=チャンネルリースとして存在してきた。その理由は 第
1
に1950
年代から70
年代にかけてタイの周辺国が次々と社会主義化するなかで、タイの歴代の政権によって放送メディアが社会主義・共産主義に対する橋頭堡として位置づけられた ことにある。反共プロパガンダ装置と位置づけられた放送メディアは民間ではなく国家権力 の装置とするか国家権力の影響が及ぶようにしておく必要がある。こうしたことがタイに民 間放送局が長く誕生しなかった理由である。第
2
の理由は放送事業が生む巨大な利権の存在 である。こうした利権は国家権力のなかで分配された。そもそもタイにおける放送支配の形式は以下のように分類できる。
(
1
)制度を通じた支配・・・法律による放送局規制(2)。(
2
)所有を通じた支配・・・国家、国家機関による放送局所有、コンセッションによって成 り立つ事業、資本役員関係。(
3
)運営上の規制を通じた支配・・・アナウンサーやプロデューサーの免許制。アナウンサー は標準タイ語を正確にアナウンスできることがアナウンサーの義務(だった)であり、タイ語の正当性を国家機関が認定してきた。したがって正統タイ語以外の言語や地方 方言は原則として放送から排除されてきた。
このようにタイにおいて放送メディアはまさに国家統合の手段として機能してきたが、放送 の国家支配に穴が開くのは
1995
年である。1992
年の「5
月事件」の反省をもとに同年、タイ初 の民間テレビ放送局iTV
が設立された(1996
年開局、2008
年公共放送Thai PBS
となった)(3)。 現在、タイでは放送系メディアの多様化、重層化が進行し、オールドメディアともいうべ きラジオ放送、テレビ放送(地上波デジタルテレビ放送(24
チャンネル)、衛星放送)、ケー ブルテレビの自主放送番組に加えて、インターネットによるIP
放送が普及し、これらはタイ 国民の重要な情報源となっている。2
.1992
年5
月事件とメディア改革運動前言したようにタイの民主化運動の発端は
1992
年5
月事件である。スチンダー陸軍大将を 実質的指導者とする国家平和秩序評議会がチャチャーイ政権をクーデターで打倒した際、自 らは首相に就任しないと発言したにもかかわらず、スチンダーは前言を翻し、首相に就任す ることとなった。これに反対する抗議集会が発生し、流血の大惨事となった。最終的には国 王による調停によって事態は沈静化するが、この事件を引き金にタイの民主化運動は活発化 し、その成果は1997
年憲法制定へとつながっていった(4)。この1997
年憲法制定と前後して 展開されたのが主として大学のメディア研究者、市民社会、メディア・アクティビストを運 動主体としたメディア改革運動であり、メディア改革運動はいわば民主化運動の申し子とし ての市民運動と位置づけることができる。
1992
年5
月事件とそこで起こった流血惨事に対して軍・政府は厳重な報道管制を引いた。テレビ放送は事件に関する事実関係を全く報道せず、事件に関する海外からの記事や映像が
タイ国内に逆輸入されて流通することで、タイ国民はどのような事態が起こったかを知るこ とになった(5)。
権力の側が放送メディアを独占することの弊害をタイ国民に知らしめたこの事件を契機と して政治的民主化の一環としての「メディアの民主化」が大きくクローズアップされること になったのである。
さて、
1997
年憲法におけるメディア条項は憲法第39
条、第40
条および第41
条である。こ こでは本論に関係する第40
条を取り上げる。第
40
条(国家資源としての電波)ラジオ、テレビ及び通信に使用する電波は公益のための国家の通信資源とする。
国の独立機関が法律の規定に基づき、第一段落に基づく周波数電波を配分し、ラジオ、テレビおよ び通信事業を監督する。
第二段落に基づく職務では、教育、文化、安全保障及びその他の公益についての国および地域水準 における国民の最大利益、ならびに公正な自由競争に留意しなければならない。
出典:週刊「タイ経済」編集部(
1997
)『仏暦2540
年(西暦1997
年)タイ王国憲法』タイ経済パブリッシング(株)訳を採用した。
第
40
条の条文において留意しなければならないのは以下の2
点である。第1
に放送および通 信における周波数の配分を行う機関を国の省庁から切り離して国の独立機関が行うとした点。それまで周波数の配分はタイ政府の省庁の一つである
Public Relations Department=PRD
が 行ってきた。周波数配分業務を新たに設置する省庁から独立した機関が行うとしたことは放 送・通信に対する国家の影響を軽減または排除する政策のように考えられる。第2
に周波数 の配分において地域水準における国民の最大利益を盛り込んだこと、そして周波数が配分さ れる放送・通信事業者の選定が自由競争によってなされることが明記されたことはこれまで のタイの放送政策を一変させるほどのインパクトをもつものであった。さて、憲法
40
条の規定を実質化するために、2
つの独立機関の設置が検討された。まず2004
年 にNTC
(National Telecommunications Commission
)が 設 置 さ れ、本 機 関 が 通 信 分野を監理することになった。一方、放送分野を監理する機関としてはNBC
(National
Broadcasting Commission
)の設置が検討された。NBC
は11
名の関係各方面の委員からな り(ラジオ1
、テレビ1
、通信事業2
、法学2
、経済分野2
、消費者保護1
、国民の権利・自由1
、 社会開発1
)、任期は6
年とプランニングされた。しかし、設置に関わる議論のなかで軍、政府、メディア事業者らとメディア研究者やメディア・アクティビスト、
NGO
両陣営の間での組 織の理念を巡る見解や利害関係の相違が明らかになっていった。その結果2
回にわたって委 員選出が流れることになった。こうした経緯を経てNBC
の設置は見送られ、結果的に放送 を監督する機関としては2011
年にNTC
とNBC
を統合した単一の独立機関NBTC
(National
Broadcasting and Telecommunications Commission
)の設立を待つことになった。つまり、1997
年憲法の制定施行から2011
年までの14
年間、タイには放送用周波数を割り当てたり、放送を監理するための正式な機関が存在しなかったことになるのである。その間、放送の監 督機関
NBTC
設立までPRD
が暫定的にコミュニティラジオ放送を監理することになった。それにしても、なぜ政府や軍は
1997
年憲法における第40
条の制定を許したのであろうか。恐らく
1992
年5
月事件で厳しい批判にさらされた軍の影響力が一時的に低下したこと、憲法 制定過程に知識人や市民社会の参加があったことが原因と考えられる。次に周波数の配分において地域水準における国民の最大利益を盛り込んだ点である が、「
2000
年無線周波数割当および放送・通信サービス規制のための組織に関する法律」(
The Act on Organization to Assign Radio Frequency and to Regulate the Broadcasting and Telecommunications Services 2000
)では、放送用無線周波数全体の20
%を市民セクターへ 割り当てることが明記された。しかしながら、周波数を監理するための独立機関が設立され ないため、いつまでたっても市民セクターに放送用周波数の割り当てができないという状態 が出来していた。3
.タイにおける放送用周波数国家監理のロジックとコンセッションモンウィパ(
Monwipa, 2008b, pp.1-2
)によればタイにおける放送用周波数が国家(政府)によって監理されるロジックは以下のように整理される。つまり放送用周波数は公的利益の ための事業に使用され、放送というコミュニケーション手段は国家統合、国家の安定のため に使用されるのだから国家からすれば周波数監理を国家が行うのは当然であるということに なる。この国家統合、国家の安定とは、前述のように
1960
年代〜70
年代のタイが置かれた 国際情勢を反映して政府の反共産主義・反社会主義の宣伝装置として放送を位置づけたとい うことである。ところが、上記の位置づけに加えて、放送はしだいに国王や元首、国家、軍の宣伝装置、
そしてとりわけ冷戦終結後はビジネスによって大きな利益を生む経済装置となっていった。
こうしたタイにおける伝統的な放送体制を特徴づけると以下のようになる。
(
1
)すべての放送用周波数を国家または軍が所有する。(
2
)政府や軍による放送局経営と同時にコンセッション方式によって私企業へ周波数の又 貸しを行う。これによって政府や軍は番組制作費と局運営費双方の負担が軽減される と同時に私企業からコンセッション料を手に入れることができる。また放送経営や編 成などの内容面に対して間接的なコントロールを行うことが可能になる。(
3
)すべてのテレビとラジオはPRD
からのニュース報道が義務づけられる。検閲機関と してのNBEB
(The National Broadcasting Executive Board
、1974
設置)が検閲を行う。(なお、事後検閲から事前検閲(
1992
)、事後検閲(2008
年放送法)へと変化)4
.メディア改革運動の展開(6)
1992
年5
月事件のメディアへの直接的影響としてはまず前述したiTV
の設立(1995
)を指 摘することができる。iTV
の冒頭のi
がIndependent
の頭文字に由来するように、タイ初の独 立した民間テレビ局を旗印に発足したものの(その実、株主として王室も参加しており、権 力から独立したという言い方には疑念がある)、報道7
:娯楽3
という番組比率を課されるこ とで、ほどなく経営難に陥った。その後、iTV
は放送メディアのあり方にさしたる影響を与 えるに至らないまま、タックシンが実質支配するシンコーポレーションの所有となり、最終 的には2008
年に公共放送Thai PBS
へと所有と放送形態を変えていった(7)。ともあれ、
1992
年5
月事件の経過をなぜ放送メディアは報道しなかった(できなかった)のかという反省に立ち、放送メディアが政府のマウスピース、
lapdog
ではなく、watchdog
へとその役割を変化させることで国民の「知る権利」「表現の自由」の保障させる媒体へと 代えようとする機運が盛り上がっていった。そしてそのためにまずは放送メディアのコント ロールを許したタイの「メディア所有システム」の改革の主張がなされた。その成果の一つ がiTV
の設立であった。タイにおけるメディア改革運動が起こった第1
の理由が1992
年5
月事 件にあることは明らかである。メディア改革運動が出来した第
2
の理由としてはやはり1997
年憲法第40
条制定の影響を見 逃すことができない。1997
年憲法第40
条が内包するメディア改革の可能性、重大性に気づ いたメディア研究者(8)、メディア・アクティビストたち(9)は例えば、The Article 40 follow- up group
(1998
年 設 立)、The Campaign for Popular Media Reform=CPMR
(2000
年 設 立)等の市民団体を設立し、メディア団体(例えば、
Thai Journalists Association =TJA
)と連携(セミナー、フォーラム等)しつつ、街頭運動によるメディア改革のアピール、キャンペーン、
フォーラムやセミナーの開催などを行った。
例えば、
CPMR
は(1
)1997
年憲法の履行およびメディア関連法案立法過程の監視、(2
)NBC
委員選出過程の促進、(3
)メディア所有法起草の提案、(4
)メディア改革についての 公聴会の開催の提案などを行い、市民への啓蒙活動、アピールを行った(10)。そして、より重要なのはメディア改革運動を担った人々や市民社会による戦略、すなわち、
放送を監督する独立機関の設置や放送マスタープラン作成の施行を待たずに
1997
年憲法に 謳われた権利を直接行使するという戦略である。具体的には、「地域水準において国民の最 大利益を実現すること」=コミュニティを志向する放送局=コミュニティラジオ放送局を憲 法40
条の規定を根拠に置局することであった。こうして、コミュニティラジオ放送のトレーニングワークショップが全国で開催されると ともにタイ初のコミュニティラジオ集会がタマサート大学で開催された(
2002
年10
月)。特 にCivic Net
(1997
年設立)は1998
年からスコータイ・タマティラート公開大学のウアジッ ト・ヴィロートトライラットと共同で、コミュニティラジオ放送のフォーラムやセミナーを立ち上げ、
SIF
(Social Investment Funds
)、CODI
(Community Organizations Development
Institute
)などからのコミュニティラジオをプロモートするための資金援助を受けてトレーニングワークショップを全国で開催し、コミュニティラジオ放送のコンセプト、ラジオ局設 立のプロセス、ラジオ放送の基礎、設立資金、経営、コミュニティの組織化などについて全 国的な啓蒙活動を行った。その結果、
2001
年から2002
年にかけて全国的なコミュニティラ ジオ放送局の置局ブームが起こることになったのである。5
.コミュニティラジオ放送局の展開タイ初のコミュニティラジオ放送局は
2001
年11
月に開局したカンチャナブリ県のMuang Kan
局とされている。また同年同月にはシンブリ県でタイ第2
のコミュニティラジオ放送局Innburi
局が誕生した(Chalisa, 2007, p.22
)。Muang Kan
局のキー・コンセプトは参加型コ ミュニティメディア、つまり、(1
)コミュニティの(に由来する)(2
)コミュニティによる、(
3
)コミュニティのための放送局であった。この3
つのコンセプトはいわばタイにおける初 期コミュニティラジオ放送局の基本理念と言っても良い。一方、Muang Kan
局に始まるタ イのコミュニティラジオ放送局は憲法40
条を根拠にしていると言ってもそれはあくまで放 送局を開設する側の論理であり、電波を監理する国家の側から見れば、周波数や技術的基準 の監理を受けない海賊ラジオ放送=違法な放送ということになる。
2002
年、アントーン県チャイヨー村のチャイヨーコミュニティラジオ放送局が洪水被害 に対する県の対策の無能ぶりをラジオ放送で非難した。これに対して、周波数を所管するPRD
は周波数が違法に使用されていると訴えた。その結果、コミュニティラジオ放送局を 運営するサティエン・チャントーン氏が逮捕され(4
ヶ月の拘留と罰金)、放送機材が押収さ れるという事件が起こったのである(Lisa&Supinya, 2009, pp.108-109
)。リサとスピンヤに よれば、当時、11
%のコミュニティラジオ放送局が地方の官憲や軍から警告の手紙を受け 取けとり、1/4
の局が政治的干渉を受けたという。このようにコミュニティラジオ放送局と 政府機関とは強い緊張関係のもとにあったということができる。タイ全土で設置され始めたコミュニティラジオ放送局をどのように位置づけるかについて はコミュニティラジオ放送局のオペレーターと
PRD
、PTD
の3
者による団体交渉が行われた が、3
者は合意に至らず交渉は決裂している。こうしたなか、タックシン内閣によって、ラ イセンスのないコミュニティラジオ放送局の試験期間運用を認める決定がなされ、コミュニ ティラジオ放送局は正規の局ではなくコミュニティラジオラーニングセンターというコミュ ニティラジオ放送学習の場と位置づけられた。正規の局ではないものの、学習の場としてな ら放送を認めるという玉虫色の解決策である。一方、コミュニティラジオ放送局側は
2002
年10
月、TCRF
(Thailand Community Radio
Federation
)を結成し、4,000
人のコミュニティラジオ関係者がバンコクの民主記念塔前でPRD
に対してコミュニティラジオ放送局の放送継続要求を出す集会を行った。その結果、
2003
年1
月、PRD
、PTD
、TCRF
間でコミュニティラジオ放送の一時的放送基 準の合意がなされ、それらはTCRF
によって「10
の原則」としてまとめられた。「10
の原則」は以下の通りである(
Chalisa, 2007, p.24
)。コミュニティラジオラーニングセンターは(
1
)参加型マネージメントを志向する、(2
) コミュニティによって所有される、(3
)運営はボランティアが基礎となる、(4
)非営利で 運営される、(5
)局の運営は民主的しくみを持つ、(6
)公的関心としての公共圏を促進する、(
7
)コミュニティのニーズと利害に集中する、(8
)コミュニティについて学習し、コミュ ニティをエンパワーする情報センターという位置づけ、(9
)カバレッジが半径15
㎞を超え ない、(10
)放送内容はコミュニティの利益とニーズに対応する。技術面では以下のような取り決めがなされた。それは
30-30-15 Formula
とも呼ばれている。つまり、
(
1
)トランスミッション(出力)は30
ワット以内とする。(
2
)電波送出アンテナは高さ30
メートル以内とする。(
3
)カバレッジ(放送範囲)は半径15
㎞以内とする。こうした取り決めがなされた一方、同時期にタックシン政権はコミュニティラジオ放送 局をタムボン自治体(
TAO=Tambon Administrative Organization
)の一部として合併、局はPRD
に登録するという提案を行っている。その狙いは(1
)国家の支配下にコミュニティラ ジオ放送局を置く。(2
)コミュニティラジオ放送局はPRD
の放送ネットワークの一部とす るというものであった。しかし、この提案はコミュニティラジオ放送局側の強い反対で実現 することはなかった。6
.コミュニティラジオ放送局の普及とその変質
2000
年代初頭に起こったコミュニティラジオブームは瞬く間にタイ全土を覆っていった。Muang Kan
局のキー・コンセプト、TCRF
による「10
の原則」で見たようにタイのコミュ ニティラジオ放送の基本理念はコミュニティを基盤とする参加型指向、コミュニティの(に 由来する)、コミュニティによる、コミュニティのための放送局であった。その後、コミュ ニティラジオ放送局は正式なラジオ局ではなく、コミュニティラーニングセンターというコ ミュニティの学習センターという位置づけとなった。学習センターであり、営利企業ではな いのだから、コミュニティラジオ放送局の広告放送は禁止され、コミュニティ等からの(何 らかの)寄付などの助成で運営されることになった。しかし、コミュニティ指向、非営利指 向であっても放送局運営のためには一定のランニングコストがかかることに変わりはない。また設立されたコミュニティラジオ放送局が一様にコミュニティから安定した助成を受けら れるとは限らなかった。こうしたことから、コミュニティラジオ放送局の一部に広告放送許 可への期待が高まっていった。
これに対してタックシン政権は
2003
年6
月、PRD
への登録を条件にコミュニティラジオ放 送局に対して1
時間に6
分以内の広告放送を許可する(Lisa&Supinya, 2009, pp.109-110
)こ ととした。これは政府からは野放しのコミュニティラジオ放送局を正確に把握する必要性、コミュニティラジオ放送局側からは安定した利潤を上げる必要性、つまり両者の利害が一致 してなされた決定であった。
さて、コミュニティラジオ放送において広告放送の解禁された結果、コミュニティラジオ 放送局数はタイ全国で激増していく。当初のコミュニティの理念に沿った運営を指向する運 営者以外の運営者、つまり利潤獲得を狙った新しいオペレーター(地方政治家、地方企業家、
元放送産業(事業)従事者等)による開局ラッシュが起こったのである。一時期にはコミュ ニティラジオ放送局数が全国に
7,000
局と言われた時期もあった(Kanyika, 2013, p.1,
ちなみ に日本のコミュニティ放送局数は2019
年12
月現在332
局である)。これを単純にタイの県の 数で割る(76
とする)と最盛期には1
県あたり92
局ものコミュニティラジオ放送局が存在し たことになる。コミュニティラジオ放送局の激増とオペレーターの変質、
6
分間の広告時間が許可された ことはコミュニティラジオ放送の重要な使命であるコミュニティに生きる人々の生活の助け となるような情報伝達、コミュニティ向け番組制作という役割を変化させていった。リス ナーを限定せず、広告効果によって利潤を上げようとするコミュニティラジオ放送局は、そ の多くがコミュニティメディアではなく「第2
」のマス・メディアとして機能することになっ た。聴取者獲得や利潤極大化のため、30-30-15 Formula
は無視され、大出力、100
メートル にも及ばんとする電波送出アンテナ、県境を超えるカバレッジを持つ大規模出力のコミュニ ティラジオ放送局が各地に出現し、「コミュニティ」の範囲は有名無実となった。コミュニ ティのコミュニケーション・ネットワークと新しく出現したコミュニティラジオ放送局のカ バレッジの両者は明らかに齟齬を来すようになっていく。混信は常態化し、周波数帯域の逼迫によって、周波数は
0.5MHz
から0.25MHz
刻みへとよ り細かく分割された。その結果として生じたのがリスナー離れと利潤の減少であった。放送 される番組もコミュニティ番組よりも大手音楽会社から提供される音楽CD
を利用した音楽 番組が増加していった(11)。放送を管轄する独立組織の未設置による周波数規律主体の不在、野放しの周波数・メディ ア監理=メディア監理の「真空」状態、無秩序に置局されるコミュニティラジオ放送局と恣 意的な出力による混信の常態化によってもたらされたものは一口でいうと放送における「カ オス」であった。
7
.タイにおけるコミュニティラジオ放送の意義総じて結論づけるならば、タイにおいては「コミュニティの」放送局というコミュニティ ラジオ放送局設立初期の理念は実現したとは言いがたい。コミュニティラジオ放送局の多く は商業的な成功を狙ったラジオ局として位置づけられていった。しかし、それでもなおコミュ ニティラジオ放送局の出現がタイの放送メディアのなかで果たした意義もまた大きかったと 評価することができる。それらは以下にまとめられる。
(
1
)コミュニティラジオ放送は国家または国家機関によって独占された周波数分配の現状 を変える触媒としての役割を果たした。現在、タイではコミュニティラジオ放送のみ ならず地上波デジタルテレビ放送、衛星放送ともに民間局が存在するが、その露払い の役割を果たしたのがコミュニティラジオ放送だった。(
2
)コミュニティ独自の情報伝達回路が作られたこと。タイにおいては、一部のローカル テレビ局、軍のラジオ県域放送以外に放送メディアによる狭域情報伝達回路は存在し なかった。いかに商業化していったとはいえ、またいかにコミュニティという範囲が 曖昧化していったとはいえ、コミュニティというカバレッジを掲げたメディアの情報 伝達回路が誕生したことはタイ史上初の事態であり、この事実は大きな意義として認 めることができる。そしてこのことはバンコク中心の情報流通構造、都市文化などに 対する異議申し立ての回路形成につながったと評価できる。(
3
)方言や少数民族言語での放送、社会的弱者によるコミュニケーション空間への参加。
タイでは国家統合の観点から、これまでの地上波放送においては正統とされる「タ イ語」による放送が義務づけられてきた。それに対してコミュニティラジオ放送では 方言やタイ語以外の放送もさかんに行われている。例えば、北タイの少数民族の言語 を使った放送、東北タイ、サコンナコン県に居住するソー族によるソー語放送、スリ ン県のカンボジア国境地域のクメール語・ラオ語・スワイ(クイ)語・タイ語
4
言語 による放送など、より地域やコミュニティに寄り添った言語を使用することで住民に 近しい放送が行われている例もある。ちなみに2013
年から南部タイ4県ではマラユ 語でのテレビ・ラジオ放送が許可された。(
4
)その他、南タイではムスリム放送、つまりタイの仏教文化が強制されないメディアと してのコミュニティラジオ放送や村長の指導のもと子供たちが番組づくりを行うコ ミュニティラジオ放送局(ルーイ県)が存在するなど、放送における局の性格の多様 性が見られるようになった。8
.メディア改革運動の終わりとコミュニティラジオ放送〜むすびにかえて〜タイにおけるメディア改革運動はコミュニケーションの権利に関する新しい形態の市民運 動、学習過程であったといえる。しかしながら、メディア改革運動は長期かつ大規模な運動 とならずに尻すぼみになっていった。その理由を一言で言うならメディア改革運動の意義が 国民に浸透しなかったことにあるだろう。「知る権利」「表現の自由」という抽象的な理念は 知識人層にはアピールできても大衆を巻き込むような具体的なアジェンダとはなりにくく、
その結果、メディア改革運動は大学研究者や一部の市民社会、メディア・アクティビストの 運動にとどまった。
2006
年に起こったクーデターで憲法が破棄され、軍政が復活、メディア改革運動の運動根 拠となっていた1997
年憲法が停止されるとともに、コミュニティラジオ放送は新しい枠組み のなかで運営されるようになった。2008
年に制定された新しい放送法ではコミュニティラジ オ放送の放送免許区分は以下のようになっている(12)。(
1
)パブリック・サービス(538
)政府からの放送による情報とニュースの伝達、民主主義の促進、広告放送は限定的に 可能。
(
2
)コミュニティ・サービス(328
)コミュニティのための利益にかなう情報とニュースの伝達、コミュニケーションツー ルとしてのサービス、広告放送は許可されない。
(
3
)ビジネス・サービス(1,447
)キャンペーン可能、広告スポットを持つことができる。周波数の取得はオークション 形式。
コミュニティラジオ放送と呼ばれるカテゴリーに属する放送の種類が増加し、本来的なコ ミュニティラジオ放送は(
2
)に位置づけられた。そしてコミュニティ指向のコミュニティ ラジオ放送局数はコミュニティラジオ放送の3
つのサービスの中で最も少なくなっている。このデータはタイにおけるコミュニティラジオ放送の変質を如実に示していると考えられる。
2008
年以降のコミュニティラジオ放送を巡る状況で重要なのは、2010
年前後の、UDD
とPAD
、いわゆる赤シャツと黄シャツによる政治闘争の道具として、とりわけ赤シャツ派に よってコミュニティラジオ放送がその政治的主張の道具として利用されたという事態である。このことは赤シャツ派に反対する市民や政府・軍のみならず、メディアの政治的中立性を重 視する穏健な市民のコミュニティラジオ放送に対する懐疑心を高めてしまった可能性がある。
タイ国民の必要不可欠な情報媒体に成長した電子メディアとの狭間でコミュニティラジオ放 送が自らの役割をどのように定義しつつ放送を行うかは今後のタイにおけるコミュニティラ ジオ放送の行方を占う重要なポイントとなるであろう。
注
(
1
)FM
波を使ったコミュニティを対象とするラジオ放送を本稿ではタイの呼称にしたがってコミュ ニティラジオ放送と呼ぶが、日本では本種のラジオ放送を「コミュニティ放送」と呼ぶ。(
2
)タイのメディアに関わる主要な規律は以下の通りである(2012
年まで)。The Press Act of 1941
The Radio Broadcasting Act of 1955 The Radio Communications Act of 1955
The Act on Organization to Assign Radio Frequency and to Regulate the Broadcasting and Telecommunications Services 2000
The Press Regulation Act 2007
The Computer-Related Offence Act 2007 The Public Broadcasting Service Act 2008 Broadcasting Operation Act 2008
The Act on Organization to Assign Radio Frequency and to Regulate the Broadcasting and Telecommunications Services 2010
The First Broadcasting Master Plan (2012
2016)
The NBTC Notification on Criteria on Temporary Licensing of Community Radio 2012
(3) Thai PBS
の設立過程についてはSomkiat Tangkitvanich (2008) The Creation of Thai Public Broadcasting Service, TDRI Quatery Review, July 2008
に詳細が記述されている。(
4
)タイの民主化運動については玉田(2003
)を参照されたい。(
5
)末廣(1993
), pp.194
205
(
6
)メディア改革運動、コミュニティラジオ放送の事実関係については下記、引用・参考文献を参考 にしつつまとめた。特にPirongrong Ramasoota (2013)
にはメディア改革運動の経緯、目指され た具体的項目等についての詳細が記されている。(
7
)タックシンのメディアマネージメントについてはPasuk and Cris (2009) pp.149-155
が詳しい。な お、浅見(2006, p.8
)はタックシンを「タイ史上最も多くテレビに出演した首相」としている。(
8
)メディア改革運動の主導者の一人は当時チュラロンコーン大学教員だったウボンラット・シリユ バサックである。ウボンラットは2000
年前後に精力的にタイのコミュニティラジオ放送に関する 論文を執筆するとともに地方のコミュニティラジオ放送局設置にも力を貸している。(
9
)例えば、スピンヤ・クランナローンが挙げられる。スピンヤはCPMR
の代表者であり、初代NBTC
の委員となった。(
10
)このあたりの経緯については
Pirongrong (2013)
が詳しい。(
11
)本稿ではタイのコミュニティラジオ放送の具体的事例に触れなかったが、タイ国内の大学にはコ ミュニティラジオ放送の実証的調査によって執筆された修士論文、博士論文が多数収蔵されてい る。また、Junichi IWASA (2017)
はアユタヤ県、ローイエット県、ウボンラーチャターニー県 のコミュニティラジオ放送局の実証的調査を行っている。(
12
)『NHK
データブック世界の放送2016
』pp.54
による。括弧内はコミュニティラジオ放送局数である。引用・参考文献 英語
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Somsak Srisontisuk (edited), Civil Society Movement and Development in Thailand and Lao PDR:
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タイ語
北タイメディア改革委員会(
2007
)『コミュニティラジオハンドブック』日本語
浅見康仁「劇場型政治時代のクーデター」『月刊オルタ』
2006
年12
月号NHK
放送文化研究所編(2016
)『NHK
データブック世界の放送2016
』NHK
出版 末廣 昭(1993
)『タイ開発と民主主義』岩波新書玉田芳史(