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茨城県の商業教育の草創

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(1)

茨城県の商業教育の草創

永  田  忠  哉

(序)

茨城県の近代実業教育の展開は先づ農業教育にはじまり,商業教育,工業教 育の順にその学校設立がはかられ,明治の末年には県民の実業志向の子弟の要 望を充たすことができるようになった。すなわち,農・商・工・水産の実業学 校が揃った。

商業学校は,ほとんど時を同うして2校設立された。先づ,明治34年に「湊 町立商業学校」(現在の那珂湊第一一高等学校),翌35年に「茨城県立商業学校」

(現在の水戸商業高等学校)が開校された。これらのことはよく知られている 事実であろう。また両校の開校に至るまでの事情等はそれぞれの学校の周年記 念の記念誌・史に詳細に述べられてもいる。しかし,それら誌・史では編集の 趣旨によって採り上げられなかった事項,たとえば,政府や県が公布した教育 法令やその他の資料などがあるので,それらを補充して,茨城県の商業教育の 草創の事情をまとめたのが本稿である。

本稿では商業教育を商業学校での教育というように狭く限定しないで,商業 に関係する教科目が教育課程に組み込まれていれば,商業教育が少くとも行わ れていたとして述べる。

←う普通教育に組み込まれた商業教育

明治初期の茨城県の中等普通教育は,「水戸一高百年史」によって,体系的且 つ詳細にみることができる。普通教育の中で教授された商業科目といっても,

それは「記簿法」 (後に簿記と改称)と「経済」が主で,ときに「珠算」の授 業があったりする。以下同書で述べていることを集約してみよう。

明治5年布告の「学制」での中学は下等・上等の2等に分けられ,「下等中学 ハ十四歳ヨリ十六歳マテ上等中学ハ十七歳ヨリ十九歳マテニ卒業セシム」 (第 二九章)るものとされて,学科は下等が国語学・数学・習字・地学・史学・外

(2)

2

下等中学科の学科配当表       国語学・理学・画学・古

●  ●  o

政生  化窮  幾史地外  習  数国

恬摎揄ス国図毒書意学  学学  学学学語画文腰学語 六級

言学・幾何学・記簿法・

歯ィ学・化学・修身学。

ェ量学・奏学(当分欠ク)        ●

ナ,上等にはこのほか経 国同  同同  同同同同  同  同同

ィ     \

?繽繽繽繽繽繽繽繽繽

五級

■  ■

マ学その他が加えられ ス。この規定が簡単なも

のであったため,文部省

同  同同代同同同同  同  同同 は同年九月,「中学教則     数

縺@ 上上  上上上上  上  上上 略」を公布し学制実施上

の基準を示した。それに

博同同同同同同同記図習同古

@      語 よれば,上・下等とも各 物      簿

@上上上上上上上    上同 w      法画字  上

三年とし,それを六級に ェけ毎級六ヵ月とし,第 修    同同同同同同同同  同  同同 六級から順次第一級へと

進むものとした。表から

   上上上上上上上上  上  上上

w 記簿法の授業はいわゆる

同   同同同同同同同同  同  同同

2年次の後半に行われる ことになる。(同書38,

上   上上上上上上上上  上  上上 39頁)。

「中学教則略」(明治5・9)による。

この「学制」の構想によれば茨城県では三校設置される予定であったが,当 時の経済・社会の状態からその設置は不可能であった。

明治11年になると茨城師範学校に予備学科が設置された。次表はその教育課 程表であるが,そこに,記簿法(単記・複記)と経済論がおかれている。修業 年限は4年で,第四級から順次第一級にまで進み卒業となる。したがって,入 学したらすぐ珠算を学び,2年次の前半で経済を学び3年次に進級して簿記を 学ぶことになるが,その内容および程度は不明である。(同書52,53頁)

明治13年,「予備学科」は茨城師範学校から分離し,「茨城中学校」として独 立した。その学則の第一条には「本校ハ小学二次テ高等ナル普通学科ヲ授クル 所ニシテ中人以上ノ業務二就クカ為メ又ハ高等ノ学校二入ルカ為メニ必須ノ学

(3)

予備学科の教育課程(学科と教科書)

史学科 訳書並文章科 英  書  科 数理科並記簿

前半期 石村貞一

早@史 略 登高自卑 シ国立志編

ウヰブストル綴 字 書 Eヰルソン読   本 ッチェル地 理書

筆算

@四則ヨリ至小数

?Z 加減乗除

6 5 6

後半

十八史略 西国立志編シ洋事情外編 ピ ネ オ文   典Oードリッチ万国史略 諸 比 例?@  算

5 4 8

前半

続十八史略 英氏経済諭 マロネル天然地理

}ルカム 英国 史 自利息算 滑J  法

5 4 8

後半

日本外史 自由之理 ス ミ ス仏 国 史Nエケンボス窮理書 ロビンソン 代数学

5 4 8

前半期 日本外史

坙{政記@   5

文章軌範

@   4

クエケンボス大合衆国史

鴻Xコー中化学書

@       8

ロビンソン 代数学 L 簿 法 (単記)

後半期

日本政記 文章軌範

qv八大家文 ヌ本

コードレイ修 身 訓

Aーデン政体書

ロビンソン 代数学 ッ   上 幾何学 L 簿 法 (複記)

5 4 9

前半期 唐宋八大家文

ヌ本

フチソン生 理学

nウセット経 済 論 ラ 一 ジ教 育論

ロビンソン 幾何学

6 12

後半期 論   説

│   訳

ウェーランド大修身書 Eェーランド心理論 M ゾ ウ文明史

ロビンソン 三角術

6 12

「概則」(明治11・8・12),「総則」(明11・11・30)による。数字は週当りの時数。

(4)

4

茨城中学校の教育課程(中学校教則大綱との比較)

初  等  中  学  科 高 等 中 学 科

学 年 1 2 3 4 1 2

計(A}+(B}

(A) (B}

修 身

22 22 22 22 22 22 22

2 14 P6

32 32 33

3

910 23

Q6 和漢文

67 67 66 66 66 66 66

6 42 T0

57 57 57

7 15 Q8

57 V8 英 語

66 66 66 56 56 66 66

6 40 S8

57 47 47

7 13 Q8

53 V6 算 術

55 55 22 12

P2

12 P2 代 数

22 22 32 22

2

910 910

幾 何

22 22 23 32

2

911 91!

三角術

32 32 64 64

地 理

22 32 22 22 22 11

P0

11 P0 歴 史

22 22 22 12 12 12 12

2 10 P6

10 P6

生 物 2

22

2

44 44

2 2 4 4

動 物 2 2 4 4

植 物

22 23 45 45

2 2 4 4

金 石 2 2 4 4

2 2 4 2 3 4 9 13

物 理 2 2 4 2 2 2 3 9 13

2 2 4 2 2 2 6 10

化 学 2 2 4 2 2 3 7 11

2 2 4 4

経 済 2 2 4 4

2 2 2 2 4

記 簿 2 2 2 2 4

本 邦 2 2 4 4

法 令 2 2 2

3 2 2 1 1 1 10 10

習 字 2 2 2 2 8 8

図 画

22 22 22 12 22 22 22

2 13 P6

22 22 23

3

610 19

Q6 体 操

28 Q8

28 Q8

28 Q8

28 Q8

28 Q8

28 Q8

28 Q8

/68 196

Q24 26 Q6

26 Q6

22 Q6

/26 74

P04 270

Q8 上段茨城中学校学則  下段中学校教則大綱

(5)

科ヲ授クル処トス」として教育の目的を示し,教育課程を初等中学科と高等中 学科に分けて,前表のような教科内容であった。入学資格は年令14年以上20年 以下とし,修業年限は初等中学科3ヶ年半,高等中学科1ヶ年半の計5ヶ年で

あった。これによって「経済」が3年次の後期と4年次の前期,毎週2時間で 初等中学科のみの授業であった。「記簿」は初等中学科4年次の前期毎週2時 間と高等中学科1年次の前期毎週2時間の授業であった。学則第一条に示され ている中学校教育の目的が単一でなく就職と進学の2つを包含していたこと は,後に中等教育のあり方をめぐる論議のもととなった。(同書68,69頁)

なお,その後明治15年に制定された学則第三章「教授ノ要旨」によれば,「経 済科ハ理財ノー般ヲ解セシムル者ナレハ生産貿易配財等ノ大意及ヒ銀行会社法 等日用適切ノコトヲ授クルヲ目的トス」(第三十六条),「記簿ハ単複両式ニテ 商業記簿農業記簿ノ記載方法ト其理合トヲ会得セシムルヲ目的トス」(第三十 七条)と規定されていた。なお,高等中学科には「本邦法令」の科目があり,

「日本国民タル者ノ知ラサル可カラサルモノ」として「兵役二関スル法令戸籍 法財産営業法」などが課されていた。次表は具体的な教課育程表および使用さ れた教科書の一覧表である。(同書81〜84頁)

<注:馬耳蘇氏記簿法の馬耳蘇氏とはアメリカ人Christopher Columbus Marsh

(1806〜1884)のことで,一般には「マルス」と読まれていた。 また,小林訳の原 本は,1871年(明治3年)米国で出版された, Marsh s C。urse of Practice in Single−Entry Book−keeping. Science of Double−Entry Book−keeping である。

(「馬耳蘇氏記簿法復刻版」における西川孝治郎氏の解題による。)〉

明治19年には「中学校令」が改正になり,「茨城中学校」は「茨城県尋常中 学校」と改称された。中学校令で,文部省は「尋常中学校ノ学科及其程度」七 ケ条を定め,尋常中学校の教育内容を明示した。それによれば,次表にみられ るように,それまで設けられていた,経済および簿記の科目が除かれ,あらた に,「第二外国語若クハ農業」の科目が設けられた。ところが,5年後の明治 24年の中学校令の改正で各府県公立中学校一県一校が緩和され,文部大臣の許 可があれば各府県に数校設置できるようになり,っついて,明治27年に「尋常 中学校ノ学科及其程度」の改正によって,第二外国語と農業が廃止され,簿記 が復活した。その理由は,第一外国語(英語)だけでも習熟するのが困難であ り,また,農業は普通学科として設けても成果が乏しいためである。簿記は中

(6)

6

茨城中学校の教育課程治(明15・11・11)

通.体1図1 法本 動. 三 幾 文和

学  科

令邦 簿 術 何

28 2 3 2 2 5 6 6 2

徒手運 目在法 習字

本歴

日地

{理n総

諸分加 苣伯ク瘁E・

熾文書o  ● 曇?

8 誌論 小乗 習書 書漢

数除 字取 頒文

28 2 2 2 3 5 6 6 2

遠幾

゚何

菖日

走{ 開諸

読綴

名漢読 文書

画画 地地 文付 り㌔

8

法法

誌誌 百分算 法書

K取

饗 仮法

28 2 2 2 2 2 2 2 6 6 2

器遠 ィ近ユ画

発総

逖̲、  、

支那歴 萬国地 整数四

級開

舶禔@●

読文

走@t

10 本法 習分

オ科

求積 書取

講造

28 1 1 2 2 2 1 2 2 2 5 6 2

12

花物 チ品・

発総 モ鞠 p科

支那歴史 地文 平面一最

汨蜻 ス等

ウ数ニヨ

至り

28 2 1 2 2 1 2 2 3 5 6 2

物樹

i景

萬国

方不 轍.文書 交文読り

n 模臨ハ本

天熱

式式ニヨ 文作・

@文和

美責

至リ

牛ェ

・文 シ・

意磁 名漢

宮8 2 1 2 2 2 1 2 2 6 6 2

写景 ノ総 皮総 平 順二

11 景色

@臨@本

大論

@生

稽学 膚論

サ骨チ憧

寧立錯次

鴛菶s

財配財 ノ大意 循諮

結リ 肉 二式

潟?

8

動景A 交税 z呼及 「難]

0

銀大

s意 ̲難

  ●仮

ソ名

6

械運 動景

A法}

総金論属 総学

̲

総用論等 面三 ・   ・

漢敷

6

非属 総用

̲

0

令関 ヒス

ェ質

 1

直令c 性意ソ

2

刑 

@ 。 

金機 ョ化w

電学

Cノ学大

f

詩名

9 0 0 3 0 1 2 3 7 3 科授業時

ヤ比較

(7)

永 田:茨城県の商業教育の草創      7 初等中学科の教科書(明治15・11・11・茨城中学校学則)

書    名 冊  数 著 訳 者 出版社 出版年月 古  文  孝  経 1

修 身小         学 内外篇2

論         語 自1至3 3

国    史    略 自1至7 7 石村貞一著 東生亀次郎 明治10年1月

十  八  史  略 自1至7 7

続 十  八  史  略 自1至5 5 宮脇通赫著 山中市兵衛 同9年8月 語  格  指  南 自1至2 2 大 矢 透 著 原亮三郎 同13年8月 日  本  政  記 自1至8 8 頼   嚢 著 北畠茂兵衛 同7年1月

和漢文 日  本  外  史 自1至24 12 頼久太郎著 松平直方 同12年5月

本  朝  文  範 自1至6 3 稲垣千穎著 松岡大  同14年12月

通  監  覧  要 自1至1515

文 章 規 範 正 篇 自1至6 2 同    続 篇 自1至6 2

ウエブストルスペルリング 1 米人ウエプストル ウヰルソンリ ー ドル 自1至5 5 同ウヰルソン

英 語 プライマリーグラムマー 同 ピ ネ オ セクスビーヤンリードル 同 ホ ー ス

算 術筆  算  啓   蒙 6至13 8 久米昇次郎編 原亮三郎 同12年矧

代 数代    算    学 自1至5 5 石 川 舞 編 小林新兵衛 同10年10月i 幾 何幾    何    学 自1至1010 堀田維旗訳 堀 田 錦 同11年9月

日 本 地 誌 要 略 自1至6 6 大槻修二編 坂上半七 同10年6月 地 理中  地  理   書 1 米人ミッチル

地    文    学 1 同 コルネル

国    史    略 自1至7 7 石村貞一著 東生亀次郎 同10年1月 十  八  史  略 自1至7 7

歴 史続  十 八 史  略 自1至5 5 宮脇通赫著 山中市兵衛 同9年8月 萬  国  史  略 自1至1111 西村茂樹著

生 理弗氏生理書付録ヲ除ク 自1至7 7 坪井為春訳 東京大学 同8年7月

動 物動    物    学 1 米人ニコルソン

植 物植  物  啓  蒙 自1至3 3 松本駒次郎 前川善兵衛

物 理物  理  全  志 自1至10 10 宇田川準一訳 諸葛信澄 同9年12月 化 学小  学  化  学  書 3 市川盛三郎訳 文 部 省 同7年10月 経済学宝  氏  経  済 学 自1至5 5 永田健助訳 永田健助 同10年9月

記簿馬耳蘇氏記簿法 自1至2 2 小林儀秀訳 文 部省 同8年3月

習 字 不    定 図 画 未    定

茨城中学校学則(明治15・11・11)

(8)

8

学校卒業とともに実務に就く者への配慮で 尋常中学校の学科と授業時数 あった。さらに,就職志望者のため「実科」

を第4年級以上設けることができるように 学科

なった。これは当時の井上文相の実業教育 倫   理 1 1 1 1 1 振興策の一環であり,「尋常中学校実科規 国語及漢文

謌鼕O国語

56 56 57 35 25

程」に発展し,単独の実科中学校の設立が 第二外国語

可能となったが,茨城県では設立を望む声 若クハ農業 4 3

はあったが,設けられなかった。(同書125 地   理 1 2 2 1

〜127頁)なお,次表の教育課程表にみら 歴   史 煤@  学

14 14 24 14 23

れるように,簿記ないし農業の科目は無く 博   物 1 2 3 なり,上級学校進学希望者向け,ないし, 物   理

1 3

教養としての高等普通教育希望者向けのも 化   学 2 のとなった。したがって,明治34年に設立 習   字 2 1

図   画 2 2 2 2 1

された湊町立湊商業学校の開校まで,公的

唱   歌 2 2

な商業教育は茨城県では中断され実施され 体   操 3 3 3 5 5

なかったとされよう。しかし,私的には, 28 28 28 28 28 明治26年11月,水戸市に私立東京簿記精修 「尋常中学校ノ学科及其程度」(明

       19。6・22)第五級が一年にあたる。学館水戸支館という簿記学校が会沢熊太郎

によって設立され,尋常・速成・特別の3部にわけて昼夜とも指導を行ったと され,入学者200余名,卒業者150名を出し,また,28年には受講者の便宜を はかり通信部をおき,毎月2回,日本簿記法解式と題する講義録を発行し,さ

らに,商業組織鑑定部を設け,広く社会の要求に応じたという。彼は県収税部 に奉職し,かたわら簿記の指導をしていたが,明治23年の旧商法の一部施行や 文官登用試験法の実施とともに,将来,簿記学の重要性を痛感し,同26年に職

を辞し,簿記学校の設立を決意したといわれる(水戸商工会議所誌83頁)。こ の簿記学校がいつ頃まで存続したかにっいては不明であるが,明治28年12月15 日付の「いはらき」新聞の第3面の雑報欄の最初の記事に,「水戸支館卒業 水戸市上市清水匡輔,東茨城郡常澄村住谷亮一の二氏は此程東京簿記精修学館 水戸支館にて官用科を卒業す」ということが書かれている。これから類推して みるに,この簿記学校は可成り市民に知られてをり,組織的な教育活動をして いたとみられる。

(9)

学年N齢 李

25

19

24

18

17 帝国大

等師範学

16

15 21

尋常 女子

 一一高P商

]i葦 学 校 業校

専門学校

師範学奨男子 高等師範学校

1

17

16

安邑

9

15 常中学 等女学

補習

8 14

1

13 1

7 1

12 o

6 1専

5

11 高 等小 学校   1習

@      1科

4

10 盲唖

9

3

2

8 尋  常  小  学  校

1

7 6 5 幼稚園 4 3

明治25年学校系統図 (『学制百年史』資料編による)

(10)

10

教 育 課 程 (明治27年実施方法)

物博 地歴

各学級二

理及化学物

理史

語及漢文

科    級

@業 別時

配当

業毎

桴T

ニー ニー三 一一 数授 第一

同一欄内

十五課 楷行草三 博暫不 躰邦邦地歴 習読訳

囎禔A   、

ヤ書

作書漢国

@ 文文

@ 講講

人倫道

課目 年級

ノ課 理史 字取解 文取読読

目授

業毎

業時 桴T

二二 ニー 一二四 ニー二二 数授 第二

数ハ時宣二

十六課目 普通盈弐 自在 遭量書写 理化示教

算幾

{代数何

世本

E邦 n歴 搦j

作読訳

カ方、   、

カ書@取解

作書漢国h文文

カ 講講

@取読読

人倫道徳

課目 年級

ヨリ 二九

業毎

桴T

彼是流 二九

二二 ニー ニー四 二二 三 数授 第三

用シ共通ス 十五課目 兵式 自在及用器 楷行草速写 人体生理

代幾

秤ス

地支

@那

@歴 カ史

作読訳文方、   、文会法話解

作漢 国 s)く附文

カ会書講

@話取読

人倫道徳

課目 年級

三〇

業毎

桴T

三〇

二二 二二 ニー 二五 一三三 数授 第四

9 十四課 写生及用 化動

@植

代幾 世支

E那

 作講

黒カ 、

?カ

作漢国

@文文

@講講

人倫道

課目 年級

学物 数何 史史 話法読 文読読

三〇

業毎

桴T

三〇

三一 二二 二二 二五 一三三 数授

第五

十三課 物動

@植

代三

@角

世本

E邦

 作講

黒カ 、

?カ

作漢国

@文文

@講講

人倫道 課目

年級

理物 数法 史史 話法読 文読読

「茨城県尋常中学校ノ学科及其程度実施方法(別表)」(明治27・3・28)

(11)

永 田:茨城県の商業教育の草創         11

口 商業学校の必要性の認識

明治17年公布の「商業学校通則」は,その第一条で「商業学校ハ此通則二遵 ヒ商ノ学業ヲ教授スル所トス」として,「学制」や「教育令」の公布以来中等 実業教育については実態のない規定にとどめていた姿勢から,ようやく実業教 育全体の法制化に関心を向けはじめた。その第二条で「商業学校ハ之ヲ分テ第 一第ニノニ種トス,第一種ハ主トシテ躬ラ善ク商業ヲ営ムヘキ者ヲ養成スル為 メ上款二遵ヒ之ヲ設置スルモノトス,第二種ハ主トシテ商業ヲ処理スヘキ者ヲ 養成スル為メ下款二遵ヒ之ヲ設置スルモノトス」として,商業学校を2種類に 区分した。第一種は商業自営者の養成を目的とし,第二種は商業管理者の養成 を目的とするものであるが,当然,その教育内容および程度,さらに入学資 格・修業年限・教科目に差別を設け第一種は第二種より低度とされた。このよ

うに高低2種に分類する基本的思考は後の「実業学校令」(明治32年)にもとづ く「商業学校規程」にみられる甲・乙2種の商業学校の規定に引きつがれる。

この「通則」によって設立された商業学校数は明治31年まで約24校であり,そ のほとんどが東京以西で,それ以北では道庁立函館商業学校,市立仙台商業学 校の僅か2校にすぎなかった。設立校数が少ない理由は地方財政の貧弱であ

り,さらに商業教育に対する理解不足によるものであった。茨城県では明治32 年になって商業学校設立の要望が出て来た。

明治32年の「実業学校令」の公布は,前述の明治27年の中学校令改正による 尋常中学校の拡充と実業教育振興策の推進一「実業補習学校規程」(明治26年)。

「簡易農学校規程」・「徒弟学校規程」・「実業教育費国庫補助法」(明治27年)一 とによって,従来の学校制度を改める必要があったからである。すなわち,

(i)尋常中学校の拡充は上級学校進学希望者の増加を促したが,受け皿である 上級教育機関の収容数に限りがあり,満足に高等教育を受けられるのは中学卒 業者のうち六分の一位で,残りの六分の五は進学予備的教育を受けても入学で きず実務につかなければならない,σi)他方,日清戦争後の産業の発展に伴な い実業界における人材の払底がいちじるしい状況になってきた,という社会状 勢の変化によるものであった。会社,銀行,さらに官庁などに「常識常能ある」

少年事務家の欠亡が顕著になったといわれる。それを埋めるのは中学卒業者で あるが,しかし,中学の現状は実務に適しない少年事務家を供するのみとし て,中学教育改革論が,主張されるようになった(日本近代教育百年史9産業

(12)

12

教育(1)443〜446頁)。かくして,中等教育が普通教育と実業教育の2本立 となった。

「実業学校令」にもとつく「商業学校規程」の第一条は「商業学校ハ甲乙ノ 二種トス,土地ノ状況ニヨリ甲種商業学校ノ程度ヨリ更二高等ナル商業学校ヲ 設置スルコトヲ得」と規定された。次表は甲乙二種の比較である。

商業学校の甲種乙種の比較

甲種商業学校 乙種商業学校

○年齢14年以上学力修業年限4 ○年齢10年以上学力修業年限4 箇年ノ高等小学校卒業又ハ之 箇年ノ尋常小学校卒業以上 入学資格 卜同等以上トス、但外国語ヲ (9条)

試験科目二加フルコトヲ得

(5条)

修業年限 03箇年トス、但1箇年以内延 03箇年以内トス(6条)

長スルコトヲ得(2条)

○修身・読書・習字・作文・数 O修身・読書・習字・作文・数 学。地理・歴史・外国語・経 学・地理・簿記。商事要項・

学科目 済・法規・簿記・商品・商事 体操トス。但本項科目ノ他ノ 要項・商業実践・体操トス。 科目ヲ便宜加設スルコトヲ得 但本項科目ノ外他ノ科目ヲ便 (8条)

宜加設スルコトヲ得(4条)

授業時数 ○毎週33時以内トス(3条) ○毎週30時以内トス(7条)

実業学校令の制定により,全国的に,商業学校設立の気運が大いに刺戟され,

また,設立の方法には2つの傾向が指摘されている。1つは商業会議所による 設立運動であり,他は実業家の私財提供による設立である(日本近代教育百 年史9 446頁)。茨城県の場合は前者の方法によっている。明治33年12月12日 付の「いはらき」新聞の2面に,「県立商業学校設立の議」という見出しで,

「県下各商業会議所は昨年来連合して其筋に商業学校設立の建議をなし着々運 動中なりしが薙に石岡地方の人士は同町に商業学校設立のことを企て昨今奔走 中なりとのことなるが之に対し水戸其他の人士は其位置を水戸に変更せしめん

と欲し是亦奔走中なりという。」との記事がみられる(注一建議についての資料は 見当らない)。ついで,同紙はその翌日(12月13日)の紙面(第2面)に「県立 商業学校設立建議」という見出しで,「昨年来企てありし商業学校設立の件に 付一昨日大高会頭より小堀県会議長に向い左の如き建議を提出したり」として

(13)

永 田:茨城県の商業教育の草創         13 次のような建議の全文を載せている。

「本県挽今施政の状況を視るに中小学校及び農学校等の設備盛に起り実に学 道発揮の略成り斯道の為感謝する所にして而して県下の美政と謂うべきなり特 に県会並に当局者の尽力到れりと歎称する所なり翻て一方を顧みるに県内は物 産の豊富近県に抽逸し往々他の美称を受くる所なり而して各人多くは其の物産 を商ふの道に暗く一二の寸地を除くの外商業振はす而も他県商人の為利せられ 却て生産者は労に酬ゆるの益を得ず為に事業の衰微を来せることあり誠に痛歎 の至りに堪へざるなり是れ畢寛商業の知識に乏しき所の致すものと確信せり此 知識を求めんと欲すに一朝一夕に得る所にあらず故に昨年来県下四商業会議所 連合会を開き之が道を講ずること久し遂に商業学校を起し其知識を養生するこ とに決したるも費用の点に至りて一市一郡の堪る所にあらずして県会並に当局 者に訴ふるの外由なきに至れり而して他県の例を見るに已に其設立の遅きの感

あり然りと錐も彼の所謂滝に臨んで魚を羨んよりは退きて網を結ぶに如かずの 讐により今や貴員に向い訴ふる由なり因て県当局者と図り至急県立商業学校設 備の挙あらんことを懇望の至りに堪へず

右本会議所の決議により蝕に及建議候也

明治33年12月11日       会頭 大高織衛門」

この建議書は水戸商業会議所(明治29年創立)からのものである。産業の進 展に応ずる商業上の知識の必要性を認識しているとともに,県立の商業学校の 設立を要望しているが,その位置にっいては何も言っていない。しかし,会頭 および水戸の富商等が水戸への誘致運動を行っていた。

また,那珂湊第一商業学校の創立八十周年記念誌「湊商・湊一高 八十年の あゆみ」 (昭和56年)では「湊商業会議所(明治31年創立)は三十四年十一月 その方針通り県知事宛に建議を行った」と述べている(注一この建議書の全文は見 当らない)。湊町の方針とは,沼津や四日市に倣い,初年度は乙種商業,二年目 は甲種とし,三年目に県移管という手順であった。この移管運動が水戸と激し い誘致合戦を繰り拡げるようになった。結局,水戸市に設置することになった が,県会の票決は僅か2票の差であったという。

誘致運動の激しさは,「八十年のあゆみ」によれば,満2年後の明治37年2 月,双方から刑事被告人を出し,湊側では公文書偽造行使詐欺取材という罪名

となって現われ,責任者として助役および常設委員数名が収監という犠牲者を 出した。それは当時は町予算に町長交際費というものが無かったので運動費の

(14)

14

捻出方法とし港湾調査費の名目で公文書を作り,その資金を運動費に充当した ためであった。水戸側は贈賄という程度で納まったが,その嫌疑で助役を始め 数人が収監された。一方,水戸商業高等学校の「創立八十周年記念誌」(昭和 57年)では,贈収賄事件にまで発展し,多くの収監者を出し争いは明治38年大 審院の無罪判決まで続いた,と述べている。

県会における商業学校の審議は,明治34年12月の第24回の通常県会で行われ た。県会の速記録によれば,商業学校費(原案 経常部予算4,946円42銭 臨 時部予算 24,211円18銭)の審議に入ろうとしたとき,黒沢議員が商業学校の 位置を先決したいとの動議を提出した。採決の結果は10名対20名で否決され

た。ついで予算案の審議に移ったが,賛否両論が展開された。委員会案は延期 論で,その理由として,(i)商業学校は中学校の資格と大差ないこと,(ii)(32 年は土浦,下妻中学校と水戸高等女学校,35年度から太田,竜ヶ崎,水海道に 中学を増設する際であったから)「中学校二均シキ学校ハ先キノ中学校,完成 ニサへ苦シム処テアリマスカラ之ヲ延期シナケレハナラヌ」という財政上の理 由の2点を主張した。これに対し賛成論は,延期論とは「見ル処ヲ殊ニシテ居 ル……中学校ノ真髄ト実業教育ノ真髄トハ自ラ分レテ居ルコト……(財政上か

らは延期したとは多少思うが)……目下ノ有様カラ見レハ実業教育ヲ充分二発 達サセナケレハナラヌ大ハ国家ノ富強ヲ計ル上二於テモ小ハ本県ノ商業ヲ上進 セシメル上二於テモ実業教育バー日モ忽カセニスルコトハ出来ヌ而シテ斯クノ 如キ実業学校力敦レニアルヤト云ヒバ乙種ノ商業学校カーッ本県ニアルノミテ 未タ此ノ如キ商業学校ノ実業教育ヲ与フル処ノ学校カナイ……商業ノ学科ヲ修 メサセタイト思フテモ本県ニハ湊二乙種ノ商業学校カアルノミテ他ニナイ依テ 止ムを得ス商業家ノ子弟モ皆中学ノ教育ヲ受ケテ居ルノテアリマス之ハ果シテ 実業教育ノ上二閾如タルヲ遺憾二考フルノテアリマス」という賛成論の応酬が あり,さらに県官の学科程度も経済,簿記,商品,商事要項,および商業実践 という科目を置くから中学とは余程変っているという補足発言があったのち,

採決に移り,12名20対名で原案が可決された。

かくして,茨城県立商業学校が昭和35年3月15日に河野忠三知事によって次 の規則が公告された。

茨城県立商業学校規則 第一章総則

(15)

永 田:茨城県の商業教育の草創         15 第一条 本校ハ明治三十二年二月文部省令第十号商業学校規程甲種程度ニヨリ

設置シ商業二関スル必須ノ教育ヲ施ス所トス 第二条本校ノ修業年限ハ之ヲ三ケ年トス

第三条 本校生徒ハ百五十名ヲ以テ定員トス 第二章 学科 課程

第四条 本校ノ学科ハ修身,読書,習字,作文,数学,地理,歴史,英語,経 済,法規,簿記,商品,商事要項,商業実践,体操トス

第五条 各学科修業ノ課程ハ左表ノ如シ

学 科課程表

科詳 毎週

條ヤ 第一学年 毎週條ヤ 第二学年 毎週條ヤ 第三学年

修  身 人倫道徳ノ要旨 1 1

読  書 2 漢字交り文

ソ   文 2

習  字 2 楷行草 1 信書速罵

作  文 1 書簡・記事・論説文 1 1

数  学 4 鰍叢} 3 算術{筆算珠算}代数 3 一幾何・代数

地  理 2 内国 1 内国・外国 1 外国

歴  史 2 内国 1 内国。外国 1 外国

読方・繹解・綴字 書取。文法・会話

英  語 10 書取・文法・会話 9 習字・読方・課解 9

習字 綴字・作文

経  済 2 通論

2 銀行論

貨幣論 外国為替貨幣

法  規 2 通論

、法 2 商法

簿  記 2 単式帳合

2 単式帳合

3 複式帳合

複式帳合 複式帳合 英文記帳

商  品 2 内国 1 内国・外国 1

商事要項 2 商事上必要事項 2 内国 2

商業実践 2 内国 4 内国・外国

体  操 3 兵式 3 3

合計 33 33 33

第六条学年ハ四月一日二始リ翌年三月三十一日二終ル

(16)

16

第七条 一学年ヲ分テニ学期トス前期ハ四月一日ヨリ九月三十日二至リ後期ハ 十月一日ヨリ翌年三月三十一日二至ル

第四章 就業日数及休業日

第八条 授業時間ハ毎日六時(土曜日三時)一週三十三時トシ其ノ始業左ノ如

@  シ

@  自四月八日  至五月三十一日   午前入時 自六月一日  至七月二十日   午前七時 自九月十一日  至十月三十一日   午前八時 自十一一月一日  至翌年三月三十一日 午前九時 第九条 休業日ハ左の如シ

一 大祭祝日  一 日曜日  一 春季休業 皇窩月毛目

一・ ト季休業 皇売月庁‡一昌 一 冬季休業 皇壷季月三左宅昌 一本校創立記念日

第五章入学及退学

第十条 入学ノ期ハ毎年一回学年始メト其ノ募集人員及試験期日等ハ其ノ都度 予メ公告ス

但シ時宜二依リ臨時入学ヲ許可スルコトアルヘシ

第十一条 本校二入学セントスルモノハ品行方正身体壮健年令満十四年以上二 シテ修業年限四ケ年ノ高等小学校ヲ卒業シタル者若クハ之ト全等以上ノ 学力ヲ有シ入学試験二合格シタル者タルヘシ但シ志願者ノ数募集人員二 超過シタルトキハ高等小学校卒業者二在リテモ撰抜試験ヲ行フ

第十二条 他ノ公立甲種商業学校二於テーケ年以上ノ課程ヲ卒ヘシ者ハ試験ヲ 要セス相当若クハ其ノ以下ノ学年二編入スルコトアルヘシ

第六章 試験

第廿一条 試験ヲ分ツテ学期試験学年試験ノニ種トス

第廿二条 学期試験ハ学期末二於テ之ヲ施行シ各其ノ学期中二履修シタル学業 ヲ試験ス学年試験ハ学年ノ終二於テ之ヲ施行シ全学年中二履修シタル学 業ヲ試験ス

第廿三条 学科目ノ評点バー百点ヲ以テ定点トス       圏

四条 生徒平素ノ操行二評点ヲ附シ之ヲ試験評点二算入ス

第廿五条 正当ノ事故アルモノヲ除クノ外学期及学年試験二欠席シタルモノハ

(17)

永 田:茨城県の商業教育の草創         17 更二試験ヲ受クルヲ得ス其ノ正当ノ故二依リ学年試験二欠席シタル者二

シテ其ノ欠席科目ノ学期評点平均数四十点以上ナルトキハ次学年ノ始メ 二週間以内二於テ追試験ヲ受クルコトヲ得

第廿六条 学期試験二欠席セシ科目ニハ其学期平常点ノニ分ノー以下ヲ以テ学 期試験評点二充ッ

第廿七条 一科目ノ学期評点ハ学期平常点ノニ倍ト学期試験評点トヲ合シ之ヲ 三除シタルモノトス

第廿八条 学期成績点ハ各科目ノ学期評点ノ和ヲ科目ノ数ヲ以テ除シタルモノ

トス

第廿九条 一科目ノ学年評点ハ学期評点平均数ノニ倍ト学年試験評点トヲ合シ 之ヲ三除シタルモノトス

第三十条 特二試験ヲ要セサル科目二於テハ学期平常点ヲ以テ直二学期評点二 充テ其ノ平均数ヲ以テ学年評点トス

第三十一条 学年成績点ハ各科目ノ学年評点ノ和ヲ科目ノ数ヲ以テ除シタルモ ノトス

第三十二条 学年成績ハ六十点以上各科目ノ学年評点五十点以上ヲ得タルモノ ヲ以テ及第トス

第三十三条 学年成績点ヲ以テ生徒ノ席次ヲ定ム

第三十四条 二学年以下ノ及第者ニハ左ノ修業証書(第五号書式)第三学年ノ 及第者ニハ左ノ卒業証書(第六号書式)ヲ授与ス

第九章 授業料

第四十条 授業料ハーケ月金七十銭トシ生徒在席中ハ出席ノ有無二拘バラス毎 月其ノ全額ヲ徴集ス但シ停学処分一ケ月以上二及ヒタルトキ又ハ学校二 於テ全月休業シタルトキハ当月分ハ之ヲ徴収セス

(第七章 生徒心得,第八章 懲誠 の各条および欠条の部分は省略)

湊商業学校は明治34年2月16日に文部大臣から学校設立を許可され,5月15 日に開校,授業開始しているが,そのときの入学者数は資料がないので不明で あるが,那珂湊一高が保存している「各学科試験成績表」によれば,1年生の 他に2年生もいたようである。明治34年度成績表では第一学年級26名内5名落 第,第二学年級33名内落第1名長期欠席1名であり,科目は,修身・読書・作 文・習字・算術・簿記・経済・地理・商事要項・商品・英語・体操の12科目,

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