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濱崎一敏

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経験的文学社会学の基本原理と問題点

濱崎一敏

Probleme der grundlegenden Prinzipien der empirischen Literatursoziologie

Kazutoshi HAMASAKI

I.経験的文学社会学の基本原理

Escarpit, R.

(ii) Fiigen, H.N.

(iii) Silbermann, A.

Ⅱ.問題点

(i)作品の内在的美学的問題

ii)文学事実が成立する社会的条件の「整理」

文学社会学は、今世紀初頭根づき始め、戦後60年代に至ってようやく活発な 論議を呼ぶに至った新しい領域として、現在でもなおその対象設定及び方法に おいて個々の研究が孤立錯綜している状況にある。それ等はしかも全て今だ糸 口についたばかりで若い。概して述べるならば、文芸学が実証的精神史的ある いは解釈学的方法という展開をとげながら果してきた役割は、あくまでも「作 者」と「作品」という関係のうちに限られていたのに比して、文学社会学は、

「社会」という次元要素を重視しつつ「文学」を問う作業である。しかしなが ら従来文学社会学は、文学に焦点を据えながらも、社会学の一領域として Wilhelm Scherer等の実証主義と結びつき、その方法論は、往々にして社会 学そのものに負うてきたが故に、文学内在的領域より文学に関わる社会的要素 の分析にその比重が移りがちであった。

(2)

136 清崎‑敬

経験的文学社会学は殊に、 Levin Schiicking以来、 Escarpit, Fiigen, Silbermannを経て、 「作者」 「作品」 「読者」という文学に関わるコミュニケー ションモデルに基づき、 「社会」という次元を研究要素に組み入れて文学という 事実性の解明に意を注いできたが、しかしその基本的理念ないしは原理には批 判されるべき問題点がある。現在日本において「文学社会学」は、ややともする と「経験的文学社会学」と同義に理解される傾向にあり、その意味においても ここに、その批判点を明確にし整頓しておくことは、我々が真の自立的な文学 社会学の方法論を構築してゆく今後の指標として、重要な課題であるように思

える。

本論では、経験的文学社会学の原理を二点に整理し批判的に論じた。第一点 は、方法論上の手続過程の問題として、作品そのものの分析、従って作品内在 的美学的次元の分析が不充分であると云うよりも、むしろ、その前段階として、

作品自体の分析解明を言わば意図的に回避しており、この姿勢が経験的文学社 会学の本質的要素であると自ら了解している点。この姿勢からは、文学社会学 が将来自立的な存在として展開してゆく可能性は決して見出せないであろう。

第二点は、文学という事実性と「社会」との関連を問う際の「社会」という要 素の整理の仕方について問題がある。それは、しかもおのずと作品自体の分析 の方法論にも密接に関係してくる。経験的文学社会学は、実証的分析的社会 学の影響下にあり、いわゆる「科学の中立性」に名を借りながら、現実のあり のままの写真を作成しつつ全てを記述し尽くすというところを理想としている が、他方経験的文学社会学が絶えず厳しく批判を繰り返してやまないマルクス 主義の文学研究には、マルクス主義科学に基づいた明確な視点がある。マルク ス主義文学研究は但し、必ずしも一義的ではなく幾多の視点方法論を含んでい

る。本論では、 Goldmannの「可能意識」を分析することによって、経験的文 学社会学との基本的な観点の相違について論じた。我々が今後どのような視点 を獲得し方法論を構築すべきかは、これからの個々具体的な作業段階の中にあ りながら遂‑確認されてゆく筋合いのものであり、我々の大きな課題である。

I.経験的文学社会学の基本原理

i) Escarpit, R.

Levin Schiickingは、 1913年雑誌「オイフォーリオ'/Jに「文学史と美感覚の歴史.

(3)

新しい問題設定の試み」 (" Literaturgeschichte und Geschmacksgeschichte.

Ein Versuch zu einer neuen Problemstellung")を寄せ、 Whilhelm Diltheyの文学観に基づく当時の精神史的方法による文学研究に反対して、文 学をコミュニケーション過程として具体的に把えながら、 「作家」 「作品」 「公 衆」という三者の関連を社会学的に精査するよう要求した。この場合、文学生 産と消費の構造を中心にして社会学的観点から社会全体の縦横の次元(例えば

『年輩層と若年層』、 『男性の公衆と女性の公衆』、 『主都の文学と地方の文学』、

『分配の度合』 etc.が研究の対象となることを主張したが> Escarpitの方 法もまた、 Schiickingのこのような試みを受け継ぎ、人と作品という伝統的な 研究の図式を越えようとするものであった。但しSchiickingの場合には、

Hohendahlの批評によれば?) 「読者の社会史は、文化史地理史的人間学的視点 によって補完されるべき一つの領域」に過ぎず、読者である公衆の分析は不充 分であったために、 「このため焦点がぼけ、その方法に不利な影響を受け、不評 を買った」のであり、その後「Escarpitによって初めて経験的研究は、 Schiicking の試みを越え出ることになる。」のである。

このようにSchiickingの影響を強く受けながら、 Escarpitにおいては「作 家」と「書物」と「読者」か、Lは「創造者」と「作品」と「公衆」の三者と

それ等の関連が文学という事実性の前提となる。これ等のうち、創造者たる個 々人は、 「個人の精神の世界」として、心理的道徳的哲学的解釈の諸問題を提起 し、作品の仲介は、 「抽象的形式の世界」として、美学上文体上語法上枝法上の 諸問題を、公衆たる集団は、 「集団的構造のせ界」として、歴史的政治的社会的 経済的諸問題を提起する。これ等三つの世界のそれぞれ自律した問題分析及び これ等相互の錯綜した関係をどのように取り扱うかの基本原理は次のように整 理できる。

第一にEscarpitの文学社会学は、芸術作品を評価するための価値基準を探 求しようとするものではない。 「ただ、文学事実を条件づけはするが、必ずしも それを決定するわけではなく、またその美学の基礎となるわけでもないある種 の社会的現象を、よりよく理解しようというのである㌘}」文学の本質的要素を規 定しようとする試みでも、その美学的内容を追求しようとするのでもない。文 学という事実性をとりまく社会現象をよりよく理解すること。これが彼の第一 の原理である。従って、いわゆる文学的書物から技術書、科学書、哲学書、新 聞雑誌のたぐいまで、全ての書き物が研究の対象となりうる。これ等のうち何 が文学的かは、 「作者」と「公衆」との間の交換の性質による。書物の定義は「読

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138 潰崎‑敬

書」という「過程」の行為によって初めて可能になる。 「あらゆる文書は、われ われに脱出させてくれたり、夢みさせてくれたり、或いは反対に棋想させてく れたり無償で教養を与えてくれたりする限り、文学となることができる竺)」

Escarpitの文学社会学は、文学の文学たる規定要素を無償性(実際的実用的 機能的でない)という以外、存在論的にそれ以上精密に追求することはない。

元来、文学をコミュニケーション過程として把える研究姿勢のなかには、美的 要素を判断するという問題を存在論的に設定しないで、その「過程」の問題と

して解明しようとする意図が含まれていると云える。

第二に、伝統的な文学研究Escarpitによれば、 「作者」と「作品」と の結びつきを重視し作者の人格を内的に把握して、歴史的或いは批評的な観点 から、読者が作者の表現した内容をより深くより有益に理解し享受することが できるようにするに対する心づかい、 「これらの心づかいも間接的にはや はり文学社会学の仕事である。しかし文学社会学の役割は単にこれ等の問題を 社会的視野の下に考えることである㌘) 」人と作品という従来の研究様式に「社 会」という次元を加えた云わば「文学研究の補助学問」としての役割、これが Escarpitの第二の基本原理だと考えてよい。従って必然的に「それは文学の 美学的な基本次元(die Grunddimension)の前で、文学の『無目的性』の

前で立ち止まって、単に文学の歴史的側面のみを研究しかすればならない(6)」

という結果になる。 Escarpitの方法は、このようにしてHistorismusに基づ く文学研究の補助学問として規定できる。他方で、超時間的美的価値に関わる Formalismusと、社会的政治的経済的一般的文化的な関わり合いのHistorismus

との間にある苦藤を、研究要素に「社会」という次元の要素を加えることによ って克服しようとした、 Escarpitのその意図は、 Scharfschwerdtも指摘する ように(7‑理解できないでもないが、しかしながら、彼の実際的具体的成果を以 下に概観する通り、これは実現しているとは認め難い。

Escarpitの「文学事実に接近する」ための具体的作業は以下の通りである。

文学事実の構造と性質を理解するために、最も社会的な部分であり、客観的 方法によって最も近づき安い「消費」を、書物産業および書物商業に関する諸

々の統計データ‑を用いて分析し解釈を行なう。同様に「生産」 「分配」の構造 についても同様の情報処理を実施し分析する。例えばEscarpitの作業の具体 的個々の課題は次のようなものである(8)

①社会に属している種々のブル‑プの読書行為、本の購売貸出によって、

文学の優秀さ及び教養の水準を表わすことができる。

(5)

②文学市場の統計に基づいた分析(経済的基盤、予算、販売の型、分配の

メカニズム)

③動機づけと読書行為

④公衆ないしは種々の読書グループによる作者への規定要因

このような「消費」 「分配」 「生産」に関する「統計的データ‑は文学事実の 大筋をはっきりと浮き出させることを可能ならしめる。文学事実の大筋が明ら かになったら、もうひとつの客観的データ‑、文学事実を取り巻く社会的諸構 造の研究と、文学事実を条件づける技術的手段の研究とによって提供される 客観的データ‑を用いて、それ等の大筋を解釈しかすればならない。社会的諸 構造および技術的諸手段とはすなわち、政治制度、文化制度、社会的・階級・

層・カテゴリー、職業、閑暇の組織、文盲の程度、作家、書籍販売業者、出版 '者関係の経済的、法的規約、言語上の問題、書物の歴史、等であるど)」

Escarpitの方法においては、「消費」「分配」「生産」の三要素を核とした文学的 事実と社会との関わり具合を、あらゆる局面から全て記述することを理想として おり、従来Formalismusによって解明が試みられた文学内在的自律的要素は、

コミュニケーションの「過程」要素としてのみ単に従属的にしか追求されない。

従って、その意図に関わりなく、 Escarpitの方法論の本質的要素として FormalismusとHistorismusとの隔合調和は不可能だと云わざるをえか)。

(ii) Fugen, H. N.

F軸enの文学社会学的方法の基本理念は、次の言葉に全て集約されていると 云っても過言ではない。 「社会学は、すなわち問主体的な行為を研究対象として いるのであるから、それは文学作品に美学的対象として関心をもつものではな く、文学を用い文学に関連して文学のために、特殊な間主体的射子為が実現さ れている限りにおいてのみ、文学は社会学にとって重要なものとなる。それ故 に、文学社会学は文学にたずさわる人々の行為に関わりをもち、その対象はこ れら文学にたずさわる人々の相互作用なのだ20'」 Fiigenは、文学社会学を「ひ とつの特殊な社会学」と規定したうえで、文学作品については美的対象として 関心を示さない。すなわちここでは作品の内在的美的価値づけの問題は当初か ら脱落しているのである。彼の文学社会学もまた、 Escarpitと同様に、文学 作品を純粋に芸術作品としてではなく、単なる社会現象として観察を行なう。

芸術の価値づけの問題は、彼の方法のなかでは設定されることも答えられるこ

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140 渚崎‑敬

ともない(ll)軸enの云う「文学にたずさわる人々の間主体的行為」とは、 Levin Schiicking以来の、文学のコミュニケーションモデルに基づいた「作家」 「作 品」「読者」という個々の要素に関わる人々の相互的な関連を意味している。但 し彼の具体的な作業方法とその成果は、これからみる通り、作品の商品として の構造に力点を置き「生産」 「分配」 「消費」の三要素を分析の出発点とした Escarpitの方法とは異なっている。 Fiigenの方法における間嘩分析の圏は図 式的に整理すると次のようになる。

経験的文学社会学の問題蘭(1分 (図式的描写)

A文化の型文学

a文学がその中で実現される社 会との基本関係

B社会

C作家C作家の圏

ニー‥二二

E読者e公衆

経験的文学社会学は、このように、 「作家」 「作品」 「読者」という三つの個 々の要素を含む文学事実を解明するにあたって、 「社会」という次元を加味し ながらそれ等を問う作業である。文学と社会との関連の問題は、しかしなが ら周知のように従来文芸学(die Literaturwissenschaft)の領域でも問わ れてきた。マルクシズムの文芸学は殊にこの関連を重視しつつ営まれてきた。

Fiigenは、文芸学がDilthey等の影響により社会文学的(sozialliterarisch)射項 向をもつようになった経過を述べながら、文学社会学(die Literatursoziologie) と社会文学的な文芸単(die sozialliterarische Literaturwissenschaft)との 相違を論じている。 「社会文学的な方法と文学社会学的なそれとの第一の 本質的な方法上の相違は、歴史科学的な方法として、前者は個別化の手続

(7)

(individualisierend)によって、それに反して後者は典型化の手続(typi‑

sierend)によってとり行なわれることにある(13)」前者の場合には!文学作 品に現われた個々の事柄を認識し、それら個々の事柄が、社会的射国〟

の事実によって因果的に規定されるということ(作品が社会を規定するという 逆の場合もありうるが)が問題になる。社会的射国々の事実とは、歴史的に‑

l‖l限りの現象、つまりこれこれの恋の体験と云った個人的な体験や、歴史的な ある国家の宣言や戦争等々である。これら個人的なものまで含む個々の歴史的社 会現象と作品との関係を因果律的に問うことが、社会文学的な(sozialliterarisch) 方法の関心事であり、文学社会学的な方法においては、典型的なものの抽出が 問題となる。事象の典型的な経過、行動様式、その機能の説明に重点が置かれ ることになる。 Fiigenによれば、作品内の事柄と社会的射圃々の事柄を因果的 に結びつけるやり方は、自然科学の法則概念をとり入れたものであり、社会学 には受け入れられない。文学社会学にとっては、社会的な現象と文学の間には、

厳密な意味での因果律的な決定関係は存在しないのであり、 「社会的な現象は、

種々の可能性をもった文学の行動様式のための条件(die Kondition)なので ある(禦」

Fiigenは、彼の著作の1/4 (50ページ)を割いてマルクシズムの文学観を批 判している。マルクシズムの文学観は、彼の言葉によれば「比較的単純」

(relativ einfach)であって、次の三点に要約できる(15)しかもそれぞれが批判 されるべき観点である。

①文学創造が、生きている現実に(因果的に)従属しているという問題。こ の問題は、マルクス・レーニン主義の反映理論(die Widerspielungstheorie) の存在論的形而上学的問題性と密接に関連している。

②プロレタリア革命(党派性)に対する文学の姿勢の問題。

(彰文学の現実と自律存在としての現実との(内容的な)一致の問題。こ の問題は、反映理論のもつ認識論の問題性と関連している。

これ等三点は、文学社会学との対比関係で把え直すと次のようになる。

e文学は社会に従属しているという問題。

(彰文学観察の客観性及び価値判断の無拘束性の問題。

⑨美学外の、社会的事象の領域から取り出された価値尺度、及び、この よう射面値づけの原則から生じる、文学の特殊な位置づけ及び社会との 基本関係、に対する影響の問題。

価値づけと価値判断とを行なわないという科学の中立性の原則に反して、マ

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142 潰崎‑敬

ルクシズムは当初より一定の方向目的性をもっており、しかもそれは、閉鎖的 自律的な文学の内容を、文学外在的射面値尺度で押し計ろうとする。 Fiigenに は、これ等に対する批判と反抗がある。

Fiigenの文学社会学は、 「作家」 「作品」 「社会」に関わる「典型化」の作業 である。その重要な具体的成果は次に示す表に現われている。ここでは経験的 文学社会学の基本原理を探る、というこの論の趣旨に従い、 Fiigenの「典型化」

の具体的作業を垣間見ることができれば充分である。

支配的な社会秩序に対する態度からみた文学の三つの型(la

I . 比較 の基準 Ⅱ. 社会同調型 Ⅲ. 社会 反対型 Ⅳ. 社会背反型 . 1 . 現存の社会秩序 現存の秩序保持 現存 の秩序変革 、 現存社会秩序 には無 .

に対す る態度 保 守的 上層志向層 の感覚 で 関心 か敵対的、ユI トピア的実験の傾向、

しか し社会的現実へ の意識的関連 な し 2 . これ らの型の条

件 となる社会構造

安定‑ 閉鎖的 動的‑ 開放 的 動 的‑ 画一的 3 . 支配層の文学 に

対す る態度

奨 .励 一義的 でない、

V gl.P 164 4 . この態度 が主 に

実現 され る手段

芸 術保護 極端 な場合 ‥公的 な 賞揚の拒絶 もしくは 刑法上の迫害 5 . 文学の 「主人公

達」の所属

支配層 上昇志向層 精神的社会的 アウ ト サ イダー

6 . 主人公達 の外的 相貌

平均よ り上 平均的 しば しば肉体的 にも アブノーマ ル 7 . 通例 の時 間感覚

志向

過去、「黄金時代」

8 . 文学.の主要問題 支配層の問題 上昇志向層の問題 社会内 に組み込 まれ ていない唯美主義者 達の問題

9 . 描 写の仕方 限 られた公衆圏 に即 座 に理解 される象徴 の使用

細 叙的写実 過度 に強調 された ( しば しば技功 主義 的) 形式

10. 思考 と表現法 因習的 独創的 秘教的 ll. 作家の社会的信望 非独立的 独立的 ささや か 12. 信望 の依存 所属 の身分 もしくは

貴族 の愛顧

自律的 職業 と職業の成功 13. 文学の向 く方向 閉鎖的 公衆 巾広い、増 々広 が り

つつ ある層

「玄人」の狭い圏 14. 批評の主なアクセント 宗教的 倫理 的 美学的

(9)

iii) Silbermann, A.

Silbermann著「文学哲学、社会学的文学美学もしくは文学社会学」 ("Literatur‑

philosophie, soziologische Literatur云sthetik oder Literatursoziologie,

1966)は、 Luk丘cs, Goldmann, Adornoを中心としたマルクス主義文学批評 を徹底批判したもので、翌年Adornoは「芸術社会学の命題」 ("Thesen zur Kunstsoziologie," 1967)を書いてこれに反論した。 「今日我々の前にある、経 験的社会学的研究方法に対する攻撃は‑無視であれ、誤解もしくは過度の 拒絶・(例えばr経験主義は、それが知りたいと主張していることを知ってはいな い。Jと云われる場合の)であれ、追従してゆくのは必ずしも容易ではないひど

くやっかいな進歩に対する防御の姿勢以外の何ものをも意味していない禦」

Adornoによる経験主義批判の言葉を引用しつつ行なうこのSilbermannの反 撃の姿勢は、全文を通じてはかまだ痛烈であるが、それだけ一層この姿勢に貫 ぬかれたSilbermannの論文には、 Escarpit, F屯genに続いて、経験的文学 社会学の基本的原理ないしは理念が象徴的に表出されている。この章では、双 方の個々の論争点を挙げ深く立ち入ることはその趣旨ではをい。経験的文学社 会学の方法が意図する部分をくみあげ理解するにとどめる。

Silbermannによれば、社会的解釈(die soziale Interpretation)と社会学 的解釈(die soziologische Interpretation)とは異なる。前者は、文学作品が 描写している、もしくは指し示そうとしている社会的な問題との関連で、文学 を解釈し評価する。後者は、 「特殊な関連の枠に注目しながら、何故その作品が 創作され、何故それが社会に受け入れられ、何故それがあれこれの形式に適合 ないしは支配されたのか、そしてまたそれが文化的な意味をもつ他の事実とど のような関係にあるのか、を分析することが問題となる(禦」 「作品」と←社乱 とを因果律的に関連ずけることを否定し、 「社会」を文学の成立する条件として 把えるFiigenの方法とこれは同じ観点である。 Silbermannにとっては、 Adorno は「物思う文学批評家」、 Luk丘csは「哲学者」、 Goldmannは「Luk丘csのフ

ランスの予言者」に過ぎない。いづれも文学社会学とは無縁の存在である。文 学社会学の本来の課題は、国家や社会の推移からはほど遠い文学のテーマや素 材が、社会に組み込まれている事実を研究することであり、文学の想像力によ

る種々の形態を、それ等が生じた特殊な歴史的シイチュエイションと関係づけ、

このようにして、文学の解釈学を知識社会学(die Wissenssoziologie)の一部 にすることである(19殊にG。Idmannの方法は、確固とした地盤に立とうとし

(10)

144 潰崎‑敬

ている文学社会学にとっては、は射まだ危険な傾向をもっている、という理由 で、ここでは最大の紙面を割いて徹底的に批判されている。

Silbermannの引用に従って、 Goldmannの方法をおおまかにたどると次の ようである禦

Goldmannにとっては、 「小説形式と小説形式がその中で発展してきた社会的 環境の問題、すなわち文学ジャンルとしての小説と近代の個人主義社会との関 係の問題」こそが、小説社会学のかかわるべき第‑の任務である。 「小説形式は、

事実、市場のための生産から生まれた個人主義社会の日常生活の、文学の領域 への置換であるように我々には思える。小説という文学形式と‑人間の富一 般との日常関係、との間には、より広い意味では、市場のための生産社会にお ける人間の他人との日常関係、との問には厳密に一致した関係がある。」以上の ように、 「小説」と「社会」との関係の問題を解明することこそが文学社会学の 第一の任務であり、両者の間には「厳密に一致した関係」 eine haarschArfe

Ubereinstimmung)があるとするGoldmannは、結論として、小説という形式 は「発展しつつあると把えられてきたブルジョワ社会に対する抵抗の形式」で あると述べる。このようなGoldmannの方法に対するSilbermannの批判 の‑論点は二点ある竺l)第一に、心理的社会学的文学史的直観を用いながら、

同時に、レヴィ・ストロースが「構造人類学」の中で行なった方法により社会 構造を殊に近親構造を「整理」して、それからそのような構造の構成要素を取

り出しながら文学のコミュニケーションシステムを提示することが本来重要で あるのに、 Goldmannの場合には、純粋に先見的思考ein reines a‑priori‑

Denken)に基づき、新しくもない彼自身の世界観を創りあげ、彼のイデオロギ ーを文学作品の中に投影させる、もしくは、小説を読む際に直接その作家に尋 ねることもしないで、あたかも手馴れた読心術者のようにふるまっている。要 するに個々の具体的作業において、 Goldmannは社会学の実証性から完全に逸 脱しているのである。第二に、 「′J、説形式」と「社会」との関係を一致した対応 関係として把える彼の方法は、今や共産主義諸国においてさえ受け入れられな

い文学の機能概念に追従したものだ、と云うのである。

Escarpit及びF軸enの章でとりあげた問題に関連する脈絡のなかでここで も整理すれば、 Silbermannもまた、文学社会学の方法のなかには、研究者の 一定の世界観イデオロギー価値観を取り入れてはならないということ、すなわ ち研究者の一定の価値判断を、方法論の問題として、当初から働らかせてpはな らないと考えている。この批判は、経験的文学社会学がマルクス主義文学研究

(11)

の「党派性」を問題にする際の基本的な思考形式に通じるものである。 Silbermann は、さらにまた、 「文学」と「社会」との一致した対応関係、因果関係は認めな いという立場にある。

Ⅱ.問題点

Escarpit, F鞄enそしてSilbermannの経験的文学社会学の基本的な原理 は、五)作品の価値評価の問題、作品の内在的美学的問題には立ち入らない。従 って(ii)文学社会学を、文学をとりあつかう社会学の一領域として位置づけ、

「作家」 「作品」 「読者」という文学的コミュニケーションの成立する社会的条 件を実証的分析的記述的に整理すること。この二点に整頓できる。

(i)作品の内在的美学的問題

経験的文学社会学は、作品の価値の問題、作品の美学的次元の問題は、文学 社会学の問題ではなく文芸学(die Literaturwissenschaft)のものだと規定し ている。例えばFiigenは、文学社会学の対象を「文学にたずさわる人々の間 主体的行為」と定め、文芸学の対象は「純粋に芸術作品としての"文学"」であ

り、文芸学の認識の関心は、 「"想像力の作用による、我々の行為の僅界とは異 なる第二の世界"」留男であると述べて、文芸学と文学社会学とを明確に区別した。

もともとこのようにF軸enをはじめとして、経験的文学社会学は、社会学の 一領域として文学社会学を把握してきたいきさつがあり、社会学の実証的方法 をそのまま活用しながら、もしくは活用するからこそ「作品」分析よりも「社 会」の分析に重点が置かれるという傾向がある。作品分析を行なうにしても、

F軸enのように、おおまかな作品の筋立て内容や素材の典型と社会的条件の典 型との対応関係を問うところに目的をおく。

歴史的にみると、第2次大戦後は、文芸学と文学社会学とをはっきり区別す る動きが顕著であった竺3)文学社会学は、美的価値づけの問題を一切その理論、

方法、実践から排除したのである。経験的文学社会学は、このような歴史的経 過を忠実に引き継いできたものと考えられる。西ドイツでは60年代の終わりに フランクフルターシューレによって、東ドイツでは60年代の初期に至って反 Luk丘cs勢力として、再び価値づけの問題を文学社会学の中に取り入れようと

(12)

146

溝崎‑敬

する傾向に向かう。但し1950年にはすでに、 Hugo Kuhnは、社会学のとりあ っかうべき詩文学の層を三つに分類して津目に値する提言をしている禦すなわ ち、

①超時間的精神的美学的現実

②歴史的現実の層

⑨自然で生物学的な層(血統との結びつき、家庭との結びつき、素性、種 族、基本的な環境世界との結びつき。)

以上三項目が、社会学にとっては重要な課題であるが、価値、真実と美の領 域である①こそが本来の社会学的次元である。 「問題なのは、最早社会学と文芸 学ではなくて、社会的現実と詩文学の形態である禦」

Kuhn (DZ.のような姿勢には、文学社会学の中心課題を①に据えることによ って文芸学でも社会学の一分野でもない文学社会学の自立性を護得してゆこう とする意図がみられる。 「生産」 「分配」 「消費」ないしは「公衆」という、経験 的文学社会学が分析の出発点とした文学の事実性の各要素のうち、 「作品」にか かわる「分配」の要素は、経済的社会的手続の問題として解明が試みられるに とどまり、経験的文学社会学は、 「作品」自体の分析に注目を凝らしてこなかっ た。従って、 「生産」と「消費」ないしは「公衆」間に成立すべき受容美学は、

経験的な方法において、現在もなお真の美学として成立してはいないし、その 原理に従えば、我々がこれまで見てきた通り、其の美学として成立する要件が もともと言わば意識的に完全に欠落しているのである。 「芸術社会学の理想は、

客観的分析すなわち作品の分析、構造的で特殊な作用メカニズム の分析と、そして記録可能な主観的な反応(「消費者の反応」の意‑筆者注) の分析とを相互に調和させることであろう.eO」とAd。rn。は指摘して、経験主 義への批判をこめながら同時に自立した文学社会学が向かうべき将来の方向を 指示している。同様に、しかしAdornoをも否定的にみながら、えmegacは 次のように述べる。 「文学の≫内的な≪領域に対しては、社会学的研究はこれま で殊さら控え目に振舞ってきた。幾多の指標となる試み(Benjamin, Adorno, AuerbachそしてまたLuk丘cs)にもかかわらず、その関心は生産者と読者に 注がれ、そしてせいぜい分配の手続に注がれてきたに過ぎない。 ・‑‑‑‑・文学 社会学の将来の課題の一つは、確かに組織的にとり行なわれる≫文学的なもの

≪の社会学である禦」

文学の内的な領域に踏み込み、内在的諸機能を解明するという、美学的価値 づけを含む試みは、但し、理念的に方向性を打ち出すことはたやすいが、その

(13)

具体的手続にかかわる方法論はは射まだ難かしい。要は「作品」及び「社会」

をどのように分析整理するかの問題である。次章(ii)でとりあつかう問題は、

まさにこの点に結びついている。

(ii)文学事実が成立する社会的条件の「整理」

文学事実が成立する社会的条件の「整理」を中心課題とする経験的文学社会 学の方法は、実証的分析的記述的である。 「社会的条件」を文献学的にあるいは 歴史的に、あますところなく全て分析記述してゆくことを目標とする経験主義 の研究者の姿勢には、社会学という科学ないしは学問に関わる基本的な姿勢と して、マルクス主義者のそれとは明確な相違点がある。前述のSilbermannと Adornoとの厳しい論争が成立する根本的な原因は、単なる方法手続論という 次元の確執ではない。 「人間の存在を規定するものは彼らの意識ではなくて、逆 に、人間の意識を規定するものが彼らの社会的存在である竺勘」というマルクシ ズムのテ‑デを基盤にして、いわゆる「下部構造」と「上部構造」との対比の なかで、文学の「社会的なもの」による一元的決定論を信奉する方向や、プロ レタリア革命という党派性によって文学を位置づけるマルクス主義文学研究の 方法を、 FiigenやSilbermannは批判攻撃したが、 Luk丘csの影響の下にある Goldmannが、 「マルクス主義者の考え方、その他の文学社会学についてのさま ざまな考え方とのあいだに、きわめて大きな相違をうちたてるに足るもっとも 重要な命題e9'」として挙げる四点00'は、マルクス主義耳学研究が彼等が指摘す

るほど単糸屯な図式にはないことを表わしている.長文になるので、ここでは前 後の論脈に必要な最初の一点だけをそのまま引用し、他の三点は必要に応じ要 約して挙げる。

「(a)文学作品というものは、現に与えられている一つの集団意識の単純な戻 映ではなくて、あれこれの集団この意識はある一つの均衡状態をめ ざしているダイナミックな現実として考えかすればならないに固有 ないろいろな傾向の、きわめて高度を整合性のレベルへの到達である。要 するに、この領域においても、ほかのあらゆる領域においても、マルクス 主義社会学を、さまざまな実証的、相対的、もしくは折衷的な社会学的傾 向から区別するものは、マルクス主義社会学が、その中心概念を、現実的 な集団意識にもとめないで、可能意識という構造化された(zugerechnet) 概念にもとめている点であり、この意識だけが前者の意識をも理解するこ

(14)

148 渚崎‑敬

とを可能にするのである。」

Fiigenが批判したマルクス主義の①反映理論、 ②党派性、 ③文学の現実と自 律存在としての現実との内容的一致、のうち(DはGoldmannの挙げるこの第一 点によって否定されていることがわかる。さらにGoldmannは(b)の項で、集団

経験的文学社会学の「公衆」に対応する概念の意識ないしは思想 と、文学創造との関係は、 「内容の同一性にあるのではなくて、さらに高度な整 合性にあり、構造の対応性」にある、と述べて(彰を否定しているGoldmann の方法は単給的一元的決定論ではない。前述したように他方Sildermannが、

先見的思考に基づき、自己のイデオロギーを作品の中に投影させる、とGoldmann を批判したのは、マルクス主義の「党派性」の問題に関連している内容であっ たことは間違いない。 Goldmann自身の方法の中の言葉を使用すれば、すなわ

ち「可能意識」の問題である。

Goldmannはその著「全体性の社会学のために」の第一章「コミュニケーシ ョンにたいする可能意識の重要性」において、この概念を説明している。可能 意識conscience possible)は、ドイツマルクス主義文献における慣用語計算

された意識(Zugerechnetes BewuBtsein)のフランス語訳である。

マルクスは、 「神聖家族」の中で、個々のプロレタリアート、ないしはプロレ タリアート全体がかこを考えているか、は問題ではなくて、プロレタリアート の階級意識とは射こか、ということを知ることが問題である、と述べた。前者 の問題意識は「現実意識」であり、後者が「可能意識」である31)従って「可能 意識」の抱えている問題は、 「ある集団がかこを考えているかを知ることではな くて、集団の本質的射生格に修正を加えることなしに、その意識のなかに生じ うる変化がいかなるものであるかを知ることである22)」先のG。Idmannの第一 点(a)に立ち戻れば、マルクス主義社会学すなわち弁証法的社会学の中心概念は、

「現実意識」ではなくて「可能意識」である。 「可能意識」によってはじめて「現実 的な集団意識」を理解することが可能になる。これに反して、経験的実証的社 会学の中心概念は「現実意識」であると云える。

「実証的社会学と弁証法的社会学との大きな相違は、前者が実在する社会の できるかぎり正確な、そして詳細な写真を展開することに満足しているのに対 して、後者は研究している社会における可能意識、まさに発展しつつあり、そ の社会の超克に向けられようとしている潜在的な諸傾向を引き出そうとしてい

るということであろう。一言にしていうなら、前者の試みは実在する構造作用 の機能を説明することであり、後者の試みは社会的な意識および現実の変化と

(15)

変容の諸可能性の問題に中心がおかれているのである(33)

。」

文学の事実性を支える社会的条件の分析解明整理にあたって、経験的文学社 会学が、正確な写真のような記述を目的とするのに対して、マルクス主義は、

Goldmannにおいて、弁証法的な意識という明確な視点を定めながら、社会の 超克に向けられる潜在的な傾向の抽出を目的とする。この場合「社会の超克」

という言葉は、単給的な政治的行動ないしは姿勢を勿論意味してはいない。そ れは人間が生きてコミュニケーションを成立させる、基本的な人間の行動次元 の問題である。Adornoが指摘するように(34)芸術社会学は、経験的芸術社会学 がそうしているように、例えば芸術作品の社会的作用という一つのアスペクト に対象を限定することはできない。「芸術社会学は‑‑‑‑芸術と社会との関係の 中のあらゆるアスペクトを抱括している」のであり、「作品の諸作用は、分配、

社会的コントロールそして権威の無数のメカニズム、結局社会総体の構造によ る。」と理解すべきであろう。文学社会学が「社会と文学との関係のあらゆるア スペクト」及び「社会総体の構造」に眼を凝らし「作品の諸作用」の分析解明 に従事するという膨大な作業の前に立つとき、我々はこのように、経験的実証 的文学社会学とマルクス主義文学社会学との決定的な視点の相違を少なくとも 把握しておくことが重要である。

Anme「kungen

(1) Levin Schiickingについては、 Scharfschwerdt S.49‑S.56及び日ohendahl

S.17参照

(2) Hohendahl, ebenda (3) Escarpit, S.16 (4) ibid. S.30 (5) ibid. S.22

(6) Scharfschwerdt, S.121‑122 (7) Vgl. ibid. S.122

(8) Vgl‑ Hohendahlの整理したもの、 S.22 (9) Escarpit, S.37

Fugen, S.14

(ll) Vgl. ibid. S.41‑S.42

(18 ibid. S.107

(1讃ibid. S.27

(16)

150 渚崎‑敬

(14) ibid. S.29この場合「文学の行動様式」とは、文学の形式から文学内 に表現された個々のあらゆる要素まで†全てを含むものと思われる。

(15) Vgl. ibid. S.68‑S.69 ibid. S.166‑S.167 (17) Silbermann, S.151

ibid. S.150 Vgl. ibid. S.154

eO)以下、 SilbermannによるGoldmannの引用箇所は、 Vgl. ibid. S.152

1

位1) Ygl. ibid. S.153‑S.155

Fiigen, S.22引用符内はDiltheyの言葉 ロ3)この間の歴史的経過は、 Vgl. Scharfschwerdt, S.112 (24) Vgl. Kuhn, S.450

ibid. S.453 Adorno, S.64

(27) Zmegaと, S.270

Wマルクス・エンゲルス,S.10 Goldmann, 「小説社会学」 S.28 Vgl. ibid. S.27‑S.28

(31) Vgl. Goldmann, 「全体性の社会学のために」 S.12 ibid.S.14

ibid.S.56

(34)以下Adornoの引用は全てS.62

Literaturverzeichnis

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Scharfschwerdt, Jiirgen : Grundprobleme der Literatursoziologie, Verlag W.

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Philippi, Klaus‑Peter : Methodologische Probleme der Literatursoziologie.

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(r小説社会学』川俣晃自訳、合同出版、 1969)

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(r全体性の社会学のために』山路昭訳、晶文社、 1975) マルクス‑エンゲルス: 「文学・芸術論」大月書店、 1968

片山良展、三木正之、八木浩編: 「文学の基礎理論」ミネルヴァ書房、 1974

(昭和55年9月2日受理)

参照

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