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濱崎一敏

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ナチ文芸理論における文学概念

濱崎一敏

Uber den Begriff der Dichtung in der nationalsozialistischen Literaturtheorie

Kazutoshi HAMASAKI

I.ナチ文学の概要

Ⅱ.時代的な危機認識と郷土文学

Ⅲ.ナチ文芸理論における文学概念

ナチズムの文学は、今だ歴史的に明確な尺度をもって定義付けられた或る特定 の文学集団ではない。従って批判的なナチ文学研究は、ナチ文学の要素と機能、

ナチズムの支配下におけるその役割や受容の様態を把える作業と並行して、絶え ずナチ文学とは何かを判断してゆく評価の基準を要求される。本論は、この評価 の基準を明らかにするという、はなはだ困難ながら批判的なナチ文学研究に際し て必要不可欠な目的性に添って書かれたものである。

第‑章「ナチ文学の概要」においては、ナチスが政権を握り支配した第三帝国 期において、ナチ文学を含む国内文学の全てが、国家的な文芸統制政策により非 生産的な不毛性を強いられた過程を明碓にした。ナチ文学は、しかし、ナチ政権 の出発と同時に突如として発生した文学ではなくて、それ以前からすでに長期に わたる歴史的過程を引きずっている。ナチ文学及びナチ文芸理論の主要な骨子は、

19世紀末から20世紀初頭にかけてのウイルへルム帝政期にすでに成立しており、

以後ナチ政体実現のために自らが重要な動力となって働らく内実を備えもってい たものと考えられるのである。

第二章においては、 19世紀末から20世紀初頭にかけて、ナチ文学及びナチ文芸 理論が成立発生してゆく土壌を明らかにすべく努めた。学問、文芸学及び文学創 造の領域統体を包みこんだ当時の時代的な危機意識ないしは文化的な危機意識は、

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瀬峰‑敬

ナチ的理念の発生に際し重要な契機とな?た。危機超克の試みとして、学問領域 全般にわたりナチ的な「新たな信仰」が要求される。文芸学領域においては、従 来の文芸学がことごとく批判されながら新たなナチ的方法が提示される。また文 学の創造領域においては、北方ドイツの農村及び農民‑の回帰が唱導される。す なわち、ドイツ民族の今尚汚されぬ純粋な根源‑立ち戻ることを意図した「血と 土」の文学運動が提起され、郷土文学を成立せしめる契機となった。民族の根源 へ立ち戻るという「血と土」の文学運動は、単に文学領域のみならず、文芸学、

学問、ひいてはナチズムの政治体制全てを根底から支える理念体系の言わば原点 を指示するものである。その意味で、 「血と土」の文学運動から生じた郷土文学 を支える基本的な理念は、当然ナチ文学総体に関るナチ文学概念の中核を構成 するものでもあった。本論第三章において明らかにされるナチズムの文学概念は、

創造的個ないしは詩人の個的意味付け及び世界の意味付けを希求しながら形成さ れる概念であって、ここでも詩人及び文学の民族性‑の回帰が意図される。詩人 及び文学は、民族性への回帰をはかりつつ、民族共同細の決定論的有機的な一分 肢として自己を位置付けながら、 「国民構築の意志力及び生命力」とならなけれ ばならない。ナチ文芸理論における文学概念は、このように個的意味付けから民 族共同体の理念‑至り、民族共同体との有機的な関係の中に創造の神秘を見出す。

同時に詩人及び文学の役割と使命とを「僧侶的役割」、 「政治家的役割」、 「教育者 的役割」の三つに規定するものであった。この場合、個、民族性、民族共同体及 びこれ等個々の関連は、根底において全て非理性的非合理的な「新たな信仰」に よって支えられる。詩人及び文学が本来もつべきクリティクの要素は、共同体に とっては「異種」のものとして排斥される。また「芸術保護」 (M蕗zenatentum) の必要性を訴える主張は、文学の創造及び分配領域に対する否定的な政治介入を、

文学領域に携わる者自らが招来し可能にするものであった。ナチ文芸理論は、総 じて自らがナチ体制の道具的存在であることを主張しながら、ゲルマン民族の根 源への回帰を志向するが故に人種イデオロギーによって貫かれ、個々の作品分析 に関るものというよりは、ナチス全体主義体制の中における文学の位置付け理 論という色彩がはなはだ濃いのである。

I.ナチ文学の概要

ナチス第三帝国期の文学は、一般に三つの様相を呈しているとされる。国外亡 命(AuBere Emigration)の文学、国内亡命(Innere Emigration)の文学、並び にナチ文学の三種がそれである。これらの中、ナチスに対する抵抗は主として亡

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命によってのみ担われた。国内亡命文学については、ナチ体制に対する抵抗及び その従属の有様について綿密な論議が錯綜しているが、時の文化政策による弾圧 のもとで総じて「奴隷言語(Sklavensprache)」(1)の域を脱することはできなかっ た。

抵抗を試みるにしろ、抑圧の力に屈するにしろ、あるいは積極的もしくは従順 にナチ体制に迎合するにしろ、いずれにしても当時の文学は、総体的に、ナチ支 配という政治領域との関りを完全に断ち切り文学という美的領域のみに沈潜す ることは不可能であった。沈潜を志向した国内亡命文学、いわゆる「精神的亡命」

の文学は、 Schonauerの指摘をそのまま借用すれば、 「田園詩や言わゆる素朴で超 時間的な人間関係への逃避、古い真実と不滅なものを無理に強調する伝統主義‑

の逃避、通俗と野蛮さからの美と高貴と永遠なるものへの逃避」(2)に過ぎなかっ た。逃避は、あらゆる意味で現実とは関ることのない不毛を招き、ナチの政治 体制が終始具現した個の抹殺という残酷さの許容に繋がった。従って、美的領域 に沈潜した「精神的亡命」の国内文学も、ナチ体制という政治領域との、このよ

うな意味における堅固な関連を決して断つことはできなかったのである。

国民啓蒙宣伝相Joseph Goebbels (1897‑1945)を頭目とするナチスの文芸統 制政策については、 1933年6月7 ・ 8両日におけるプロイセン芸術アカデミー (PreuBische Akademie der Kiinste)の改組、 5月10日夜を頂点とする約‑ケ月 間にわたる焚書活動(Aktion der Biicherverbrennung)キャンペーン、そしてま た同年9月22日付の全国文化院(Reichskulturkammer)の設置という三つの主 要な事件を観察することにより、その弾圧政策の物々しいすさまじさを知ること ができる<>3) Goebbelsの文芸統制政策がもたらした出版領域における具体的な結 果は、本の出版数が前年(1932)の30%滅、新聞の数は1932年の4700から1934 年には3100に滅、そして10000を越え出ていた雑誌の数は半分以上が出版されな

くなった、というものであるL4)

ナチスによる国家支配の当初、書籍出版に関る禁書目録(Schwarze Listen) が作成された。国民啓蒙宣伝省(Reichsministerium f也r Volksaufklarung und Propaganda‑RMVAP)の手によるものである。これは焚書活動の後プロイセ

ン科学芸術国民教育省(das preuBische Ministerium fur Wissenschaft, Kunst und Volksbildung)から、 「国民文庫粛清のための基本方針」として、また「最 初の官庁リスト」として出版されたL5)こか)ストが、焚書活動においてそしてま た後々書籍組合や図書館協会を通じて、総体的なナチスの出版統制、 "非ドイツ 的"書籍の排斥運動にナチス支配の期間において具体的直接的に大きく貢献した

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琵崎^Mi3

ことは云うまでもない。禁書目録の作成者であるDr. Wolf gang Herrmanは、

禁示されるべき書籍を三つのグループに分類した。第一に、 Remarque等火刑 (Autodafe)つまり焚書に処せられるべきもの、第二は、 Lenin等毒物棚(Gift‑

schrank)に閉じ込めておくべきもの、そして第三番目には、第‑もしくは第二の どちらのグループに入れるべきかを検討すべきグループである。この禁書目録第 一号(Schwarze Liste I)に掲載された文学領域における著作者数は71名を数え、

ナチスによって排斥された文学(Schone Literatur)は、理念的には次の三種に 分類できるものであったL6) ①平和主義的思想傾向のある世界大戦文学(Remarque, Renn, A.Zweig等)0 ㊤社会告発文学(H. Mann, Toller, Jack London等)。

㊥改革ないしは革命的傾向をもった社会告発文学(Brecht, Tucholsky, Rubiner, Ottwalt,同時代のロシア大作家達等)。ナチスによる文化統制政策の文学領域に おける統制は、以上のように細部にわたってその統制力を発揮し、戦争及び体制 批判の文学動向に対し容赦のない圧力となりながら、その着実な効果を充分に獲 得していった。ナチス支配の第三帝国期における国内文学が、ナチ文学は勿論、

国内亡命文学においても量と質とにおいて、非生産的なもの(Unproduktivit蕗t) に陥ったとしても何の不思議もない当然の帰結であったのである。

Ernst Loewyは1966年その著「ハーケンクロイツ下の文学(Literatur unterm Hakenkreuz, Frankfurt am Main 1966)の中で次のように述べている. 「ナチ文 学の歴史はまだ書かれたことがない。書くに値するかどうかが問われるのだ。文 学史という言葉を、真に継承に値する作品群の連線だと理解するなら、この間は 疑念の余地なく否定されてしまうのである。その間は、まず設定されることさえ ない。この種のF著作物jは、一般に文学という概念と結びつく全てのものから は、はるかに遠く離れているのである。」(7)また70年代初頭の1973年、 Klaus Vondungは「民族国民的及び国民社会主義的文学理論」 (Volkisch‑nationale und nationalsozialistische Literaturtheorie, M屯nchen 1973)の冒頭において、 1945 年以降ドイツの文芸学は、第三帝国期における民族国民的文学及び国民社会主義 的文学にあまり配慮をして来なかった事実を指摘しつつ二つの理由を挙げてい る㌘)すなわち、 ①これ等の文学は、伝統的な芸術作品という概念からすれば無意 味な作品群であって、 ④これ等は、当時ナチイデオロギーを語り普及の役割を果 たし、ナチスの権力掌握及び支配を支えた文学であったからである。以後10余年 もしくは20年を経た今日に至るまで、 Vondung及びLoewyが述べたナチ文学研 究に対する一般的な理解、そしてまたナチ文学の一般的な評価には、さしたる 変化も生じていない。従来我々の関心の的であるナチ文学は、 「歴史を書くに値

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しない文学」 「伝統的な芸術作品という概念からすれば無意味な作品群」という 評価を与えられ、時折個別テーマに関る研究が散発的に出版されるに過ぎなか った。ナチ文学は、しかし、ナチ体制に対する抵抗を担った国外亡命文学とは完 全に相対立する文学であることは勿論のこと、政治的否定的なナチスの文芸支配 に対する積極的な支持度において、そしてその実体的な有様において、国内亡命 文学ともまた完全に異なった様相を呈しながら、明らかに文学として存在した。

1944年、当時のドイツにおける最も重要な作家達の傾向と本質を示すために書 かれたHermann Sch蕗ferの「現代のドイツ文撃」 (Deutsche Dichter der Gegen‑

wart, Tokyo 1944,‑原題は「現代のドイツ詩人」であるが日本語翻訳書のタ イトルは「現代のドイツ文筆」となっている‑筆者註)は、ドイツと言うより 殊に日本の読者層を対象として、開成館から日本語の訳書と同時に出版されたが、

これ等日独はぼ同内容の二冊の本にSchaferと並んで序文を書いたのは、時の東 京帝国大学独文科教授木村謹治であった。木村は、この序文の中でそれなりに的 確に、当時のドイツにおける代表的なナチ文学の有様を要約している。木村の序 文によれば、 1933年のドイツ国民革命は、ドイツ文学に世界の文学史上例を見な い様相を与えた。しかし、それは国民革命によって突然生じた変異ではなくて長 年来の蓄積によるものであった。ナチスの詩人達(Dichter)は、 「民族の真の詩 人として、すでに長年来静かに影響を及ぼし続けていた。不滅の美を備えた彼等 の長期にわたる一連の作品群が、有弁にこのことを示している。彼等は彼等の創 作力を郷土と民族から汲み取り、ここにこそ彼等は彼等の創作の根源をもってい たのである。」 (9)さらに、 「Paul Ernst, Binding, Kolbenheyer, Grimm, Griese, Dwingerのような現代の指導的なドイツの詩人達は、それ故に、外国の悪意をも

った批評家や敵達が主張するような国民社会主義政権のあやつり人形ではなくて、

帝国の理念の告知者であり造形者であって、長年骨折りつつ闘いを遂行し大ド イツ帝国実現のために共に創造的に関った人達である。」(10)木村によれば、享 楽主義的唯物主義的デカダンス文学とは異なるナチ文学の真の本質は、外国にお いて度々誤解されている。外国人達は、批評家達の盗意に委ねられた新聞雑誌の 類の限られた情報の中でしかドイツの文学を知る機会をもっていないからであり、

殊に1933年以前のドイツの出版物は、ユダヤ人の支配下にあったものであって、

従って、これ等の出版物からはドイツ文学の真の本質は伝わるべくもなかったか らである。現在の日本独文学会誌「ドイツ文学」の出発であり基礎付けとも言う べき東京帝国大学独文科発行の研究誌「エルンテ」 (昭和4年2月第1号、昭和 12年1月第26号をもって廃刊、以後昭和12年4月からは東京帝大独文研究誌

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瀬峰‑敬

「親逸文撃」として昭和19年3月まで受け継がれてゆく)の創設者であって初期 の日本のゲルマニスティクを先導した木村謹治という人物でさえ、時代潮流とし てのナチスの荒波に批判的に抗するどころか、そのまま無邪気に従順に呑みこま れていった歴史的事実に関る諸問題、広くは当時の日本のゲルマニスティクに 関る問題性についてはしばらく措いて稿を改める機会を模索しなければならな いが、木村謹治がここで言わんとするところは、ナチ文学関係の当時の文献自体 及び戦後の大方のナチ文学研究者達が述べるナチ文学に関する概要をそのまま正 しく伝えている。すなわち、 ①ナチ文学は、ナチ政権誕生(1933 ‑ 1 ‑ 30)と 共に突如として発生したものではなくて、それ以前から長年来の歴史的過程を引 きずっているということ。 ㊥ナチ文学の主要な部分は、ほとんどナチ政権期以前 に書かれたものであって、それ等は、ナチスの支配力によって産み出されたもの

と言うよりはむしろ、それ自身の中にナチ理念を包含しつつナチ理念の告知者と なりあるいは造形者となって、ついには、ナチス第三帝国実現のために"創造的 に"関ったということ。 ④ナチ文学は、ユダヤ人を初め、ドイツ民族以外の人 種を排斥する人種イデオロギー(Rassenideologie)に貫かれていたということ。

④このようなナチ文学は、民族を郷土とする郷土文学(Heimatliteratur)を原形 としていること。以上である。

ナチ政権下の強権的抑圧政策が、当のナチ文学そのものをも含む国内文学の全 てに対して、非生産的な不毛性を強いる結果になっていたにしても、ナチスは当 惑を覚える必要はなかった。ナチ文学そしてまたナチ文芸理論は、第三帝国誕生 以前にすでに産声をあげ、主体的自律的にナチス政体実現と維持のために機能す るところのナチスにとって重要な作家群及び文芸理論家達を、すでに当初から長 年来の蓄積として備えもっていたからである。

Ⅱ.時代的な危機罷織と郷土文学

ビスマルクを宰相としたウイルへルム帝政が、第一次世界大戦へ向けて直進す る時期から、大戦を経てHitler (1889‑1945)の第三帝国が成立するに至るまで、

19世紀末から20世紀初頭にかけては、ニーチェが「神は死んだ」と述べて時代 の混乱を告知したように、政治及び社会領域のみならず、混乱した文化状況がド

イツをも支配していた。学問領域における絶望もはなはだしく、 1932年春には、

ミュン‑ンの学生団(Miinchner Studentenschaft)が8名の学者や作家達に向け て、 「ドイツ文化は終末を迎えたのか? (1st diedeutscheKultur am Ende?)」

という問いを発し、問いを投げかけられた者達は一連の講演の中でその立場を明

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らかにすべく要求された。ナチスにより改組改名されたドイツ文学アカデミー (Deutsche Akademie der Dichtkunst)の会員であり、当時Hans Grimm等と 並びナチ文学の代表的存在であったE.G.Kolbenheyerは、名指しをされた一人 ではなかったけれども、講演嫌いの重い腰をあげて「我々の解放闘争とドイツ文 芸」 (Unser Befreiungskampf und die deutsche Dichtkunst, 1932年春)という 講演を行なわざるを得なかった。この間は、狭くアカデミックな大学内の学生 達によってのみ発せられている問ではなくて、言わば時代の声としてKolben‑

heyerを震憾させたからである。 「この間は、終末論的であり、人類の究極的な ものに触れるものだ」(ll)との認識に立ち、 Kolbenheyerは次のように言う。 「ドイ ツの文化が終末を迎えるとすれば、ヨーロッパもアメリカも最悪の事態に陥るで あろう。白人種達は、東洋の汲み尽くせない水槽から湧き出て来る群集の侵入に さらされることになるのだ。そうなれば、我が人種の秩序ある地上支配の業積は おぼれ、統率なきものによって、つまりただ単に存在することを目的として存在 の向上を目ざさない植物人間達によって、引きさらわれてしまうのだ。これは確 実に白人種文化の没落を意味する。なぜなら、現に植物的な存在ばかりではなく て、規律をもって高められた存在から成り立っている人類の、差異的状態が主張 される時にのみ、白人種文化は可能になるからである。

それ故に、人類の究極的なものを意味するこの間のもとで、私は諸君に、我 々が我々の生の価値を意識するようになり意識していれば保たれ得るところの、

文化的な民族の力の本質的な部分について語りたいと思う。私は諸君に、民族の 解放とヨーロッパの解放を目ざすドイツ民族の闘争の中にある文学の生の価値に っいて、語りたいと思う。」(12)東洋人を植物人間だと規定し、西欧文化の優位性を説 き、白人種文化は人種の差異的状態すなわち差別的状態が主張された時にのみ可 能になる、と考えるKolbenheyerのこの論は、ドイツ及び西欧に属する人種及び 民族の文化的な力を不当に誇示することによって、ドイツ民族の解放が、ヨーロ

ッパアメリカを含む西欧の総体的な解放に繋がることを主張しているのである。

それははからずも、同じ時代に日本において、日本民族の解放はアジア民族総体 の解放に繋がると唱導されたのと同類であった。 Kolbenheyerを捕え震憾させた 時代の危機意識文化的危機意識は、学問領域全般に及び、文芸学の領域も当然そ の影響下にあった。 「ドイツの文芸学は、芸術史と哲学と共に、極めて強力に近 代科学の危機によって捕えられている。この危機は19世紀において支配的でリベ ラルであった合理主義の科学の神格化が今日崩壊してしまったということ以外の 何ものをも意味していない。」(13)後に取り上げるHeinz Kindermannと並んでナ

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m

日時^H^i

チス文芸理論の代表者の一人であったWalther Lindenは、このように述べ、こ の危機は、新しい信仰(Glauben)によってしか阻止することはできないと説く。

すなわち、あらゆる生と歴史は神的意味によって満たされているという宗教的信 仰、及びあらゆる個別的なものは生々とした有機的な共同体運動の中に宿ってい るという共同体信仰の二つを骨子とした新しい信仰である。 Heinz Kindermann は、 Lindenと同じ状況認識を基盤としながら具体的な形で従来の文芸学を批判 し、新たな文芸学を構築するために基本的な提起を行なっているKindermann によれば、これまでの文芸学は三つの段階を経て来た。第一に、作家の手書きの 草稿や書籍の第一版などの、収集活動を通じて行なわれる歴史的文献学的観察方 法。これは「実証主義」 (Positivismus)として特徴付けられる。第二番目は、

印象主義の時代における「芸術学」 (Kunstwissenschaft)であって、芸術は,1'art pour l'art'という独占的な意味において理解され、内容よりも形式が強調され ることによりスノビズムに陥った段階である。第三段階は、事実確認よりも解釈

(Deutung)が全てである時期。すなわち「精神科学」 (Geisteswissenschaft)の 時代であって、 「詩人はあたかも哲学者の亜種のように考えられていた。人々は、

詩人のもつ創造的な独自の意味を誤認して、詩人の特性が、血に満ちた民族の生 命の全体からのみ明らかになるのであって、全く異なった思考空間、自ら生の全 体を完全に別様に評価する論理的‑哲学的思考空間からは明らかになることは ない、ということを明確にして来なかった。」(15)文芸学における「精神科学」の 時代には、文学を民族的有機的な生の全体の中に位置付ける観点が脱落していた と言うのである。このよ、うにして、新たな文芸学を構築するためには次の三つの 基本的要求が実現されなければならない(16) ①人種の区別(Rassenscheidung)及 び民族への所属(Volkszugehorigkeit)の上に構築される秩序意識。 ⑧共同体が もつ超個別的な生の理想。これはまた秀でた個性というものに初めて存在の権利 と創造の目的を贈ることになる。 ④新しい世界観、新しい生形成の意志的有機的 に基礎付けられた全体性の要求。従って新たな文芸学には、 ①人種イデオロギー (Rassenideologie)、 ㊥民族共同体の思想、 ⑨全体主義、が必要だとKindermann は述べているのである。

以上のような時代及び文化、学問、文芸学における危機意識は、同時に個々の 作家の創作活動領域における危機意識でもあって、それが、ナチ文学の原形とも 呼ぶべき郷土文学(Heimatliteratur)を産み出す土壌ともなった。郷土文学の成 立を支えた代表的な人物には、哲学者のJulius Langbehn (185ト1907)、郷土作 家のAdolf Bartels (1862‑1945)、そしてまたエルザスの郷土作家で1900年以

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降雑誌「郷土」 (Heimat)を発行していたFriedrich Lienhard (1865‑1929)逮 がいる。東ドイツのゲルマニストGiinter Hartungの言に従えば、彼等の「出発 点は、近代資本主義による明らかな文化的頚廃(Kulturverfall)である。そして それは、彼等にとっては第二帝国の文化危機(Kulturkrisis)を意味したのであ

る。」(17)

民族と芸術との一致を説き文化革新に努めたJulius Langbehnは、その主著

「教育者としてのレムプラント」 (Rembrandt als Erzieher, 1890)の中で次の ように述べる。 「郷土は理想である。この意味でドイツ人もしくは低ドイツ人は、

殊に秀れて理想的な自然である。農民精神こそが郷土の精神なのである。」(18)そ してまた、 Langbehnと並び郷土文学を支えた理論家としても知られるAdolf Bartelsは、郷土を主題とした長篇小説「ディトマルシェン人」 (Die Dithmarscher, 1898)を書くと共に、反ユダヤ主義(Antisemitismus)を文学批評の中に持ちこ み、そしてまた「デカダンス」という言葉を使った最初の人物で、このような彼 独自の観点から19世紀末のドイツの文学潮流を批判したのであった。 Bartelsに

とって「デカダンス」とは、 「個別的でアブノーマルな発展から生じた民族性の 病い」(19)であったLangbehnやBartelsにとっては、大都市の文明こそが「民族 性の病い」すなわち「デカダンス」の温床であり排斥すべき対象であった。都市 の発展した社会機構の中で栄えた啓蒙主義的合理主義、インターナショナルなも の、リベラルなもの、民主的なもの、そしてまた社会主義的なものを彼等は排斥 し、その対極として、北方ドイツの農民的な風土と精神性を理想としたのである。

彼等の合言葉は≫Los von Berlin≪ (ベルリンから離れよ)であった。後に彼 等は、 「アスファルト文学」 (Asphaltliteratur)という言葉をも創作し、それは 大都市において生じたいわゆる「デカダンス文学」の象徴的表現として用いられ た。但し、郷土文学と並行して都市社会に生じた労働者文学(Arbeiterdichtung) は、彼等にとっては、郷土文学の都市における相対的な形態であった。ナチスに よる労働者文学は、革命的な色彩を全くもってはおらず、社会主義やマルクシズ ム、そしてインターナショナリズムとは無縁のものであって、排斥の対象とされ ることはなかった。

北方ドイツの農村及び農民の在り方を理想としたナチスの郷土文学と、その都 市における相対的形態としての労働者文学とは、ナチ文学の原形として、先進西 側ヨーロッパの近代合理主義から産み出されたあらゆる非ドイツ的なものを排斥

しながら、これ等と敵対する姿勢を保ちつつ、地方的なもの田舎的なものを求め てゆく。それは、ゲルマンという名の民族の根源を探求しつつそれへと立戻ろう

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HI

済崎‑級

とする「血と土」 (Blut und Boden)の文学運動の表現形式であった。文学領域 における民族性の根源‑の志向と希求が、本来の文学という個別的領域を越え出 て社会という領域の理念‑拡大成長してゆくとき、それは民族共同体の理念とし て結実してゆき、さらに全体主義という政治体制を招来するもの‑と発展移行し てゆくのは、ナチスの文芸理論にとっては、次章でみる通り必然的かつ自然な成 行であった。

m.ナチ文学理論における文学概念

本論の第二章において明らかにしたように、 19世紀末から20世紀初頭にかけ てナチスが拾頑し政権を獲得してゆく時期において、ナチスは時代的な危機、文 化的な危機を予感していた。その超克の試みと過程とが、歴史的な観点から判定 すれば、はなはだ非合理的で個の抹殺に繋がる残酷なものであったことは明白で ある。従って、その非と責を問うことは、一面容易な作業である。その非論理の 一つ一つに呆れ返り即座に噸笑を浴びせ掛けることも簡単である。但し、現在か ら数えてはぼ50年以前のナチスの手による文献自体を、ひとまず主観的な価値評 価をできるだけさし控えながら読もうとする者にとっては、文学領域におけるナ チスの世界観が、或る程度一つの完結した形態として浮び上がって来る。文学 領域におけるナチスの一つの完結した世界観を、限られた紙幅の中で文学という 概念に焦点を当てながら、できるだけ客観的忠実に再構築しつつこれを正しく批 判してゆくこと、これが本論稿の主題である本章の目的である。この試みは同時 に、ナチ文学の原形とされる郷土文学、ひいてはナチ文学全体の本質的な部分を 明らかにしてくれるはずである。

ナチス時代に、 「ドイツ文学史」 (Geschichte der deutschen Literatur, Leipzig 1937)、 「我々の時代の民族揮情詩」 (Die volkische Lyrik unserer Zeit, 1935) その他多数の著作を残したWalther Lindenは、 1933年ナチス政権獲得の年「国 民文芸学の課題」 (Aufgaben einer nationalen Literaturwissenschaft, Miinchen 1933)を書き、当時の文学概念の基本的な部分を措写している。 「あらゆる本来 の深い文学は、一つの本質的基本的な問の廻りを巡っている。すなわち、世界 の意味、我々人間存在及び行為の意味を問う問である。偶然によっておびやか される生の外見上の無意味さ、我々の地上存在の暗い運命に入りこみ、まさに中 世紀末以来、近代の自己規定を目ざし内的自由を求めて格闘している人間は、絶 えず新たに次のような疑問を投げかけざるを得ない。すなわち、どのようにして 私は、私の生を意味深く価値あるものに形成できるのか?どのようにして私は、

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私の無常な個的存在を神の秩序の世界に組み入れることができるのか?という 問である。我々は皆、最終的な目的設定において絶えず謎であるこの把え難い 人生の中で格闘している。あらゆる純粋で創造的な文学は、生の意味付けであり 世界と人類の最も奥深い意味を求める根源的な本性の格闘である。このような観 察方法においては、 ̀̀美的なもの"は消失する。それは、 l'arレpour‑1'artの立場 へ余儀なく進むものであり、有機的な生の全体からは遊離して、単にリベラルな 個人主義的原子論によってのみ、また神に定められ神に導かれる世界の不信仰に よってのみ築かれたものに過ぎないのである。耽美主義の歴史は、現代世界から の神の剥奪の歴史である。」(20) Walther Lindenにとって文学とは、生と世界の意 味付けである。この観点からは、美を美自体として追求してゆく方法は排除され る。古来哲学的な一大テーマであった生と世界の意味付けは、個的な観点からで はなく、 「有歳的な生の全体」すなわち民族共同体という観点から、この場合容 易に解答を見出す。個自体と共同体自体に関して、そしてまた個と共同体との関 連部分に無限に散在する論理を全て捨象したその論理的飛躍の著しさは、言うま でもなくはなはだしい。 「真に生命に満ちた個は、流れるような生の関連の内に おいてのみ存在し、かつ作用することができる。それは自らを共同体の有機的な 分肢であると感じるのであり、自らの運命を民族の大いなる運命全体の一部であ ると感じ、このようにして、彼の思考と造形(Gestalten)とは、民族の運命の廻 りを、共同体、殊に民族の意味と価値形式の廻りを巡るのである。」121) Walther Lindenと共に当時活躍した文芸理論家のHeinz Kindermannは、その著「文学と 民族性。新しい文芸学の基本要綱」 (Dichtung und Volkheit. Grundziige einer neuen Literaturwissenschaft, Berlin 1937)の中で、文学に関する二つの基本認 識(zwei grundlegene Erkenntnisse von der Dichtung)を提示している。 「1.我々 は、詩人の創造過程を、生物学的過程として魂と精神の血液循環として理解しな ければならないという事実。何故ならば、詩人の創造的個性は、その極めて重要 な諸力を人種民族血統の共同体から受け取り、そしてまたこの諸力を、淘汰によ って精選された者(Auserlesener)、神の恵みを与えられた者として、新たな形態 を作りあげながらこの共同体に対し再び贈りものとするからである。 2.文学の

このような生法則の根源に従い、文学の芸術的創造物は、遊びの意味も単なる美 学的な意味ももつことはできないのであって、真実のすなわち民族的に純粋な文 学は、絶えず国民構築の意志力及び生命力とならなければならない、ということ を我々は認識した。」(22) Kindermannによれば、民族共同体から生物学的過程と

して産み出された詩人及び文学は、再び民族共同体の新たな形成者として働かね

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演鴫‑敬

ばならない。それ等は国民の魂を変化させ新たな生の造形者として「国民構築の 意志力及び生命力」となるのである。

ナチスの代表的文芸理論家Heinz Kindermannにとって、民族性(Volkheit)と は、民族本体(Volkskorper)と民族精神(Volksgeist)及び民族の心(Volks‑

seele)の三つから成る生の全体であって、それは、民族の心の最も内的で深い神 秘を包含しているものであった。民族性は、 「血で結ばれた世界」(23) (Blutwelt) の共同体という枠組の中で、詩人及び詩人の芸術的創造物を産み出す基盤となる。

民族共同体を基盤として、詩人の天才は、遺伝の力によって、そしてまた極めて 高度な生物学的淘汰(Auslese)の法則に従って、或る特定の選択過程を経ながら かつ神秘的に産み出される。従って、詩人の詩的幻想は、個人的な意志や遊びの 衝動行為から生じるものではない。数多くの世代のあらゆる憧憤、苦悩、幸福、

あらゆる意志力、闘争、断念、自己主張そして信仰からそれは生じる。このよう にして、詩作品の本質は、最も深い部分において、個々人の意志ではなく民族共 同体の遺伝的特質が決定することになる。詩作品の成立を可能にする言語法則も また当然、血で結ばれた人種的構成の民族共同体に規定されたものであった。し かしながら、それは一方的に言語による個的表現を否定するものではないO民族 の言語法則は、個々人が個々人の個性や在り方を語り表現することを妨げること なく、むしろそれは、個的表現の基盤と手段、そして語る者達の相互理解及び共 同体形成の可能性を与えるものであるKindermannにとっては、詩人と詩作品 そして言語法則は、確かに民族共同体によって規定されたものであるが、それは 具体的日常的な個的表現を否定するものではなかった。個とは、彼にとっては、

そもそも歴史以前の問題として民族共同体に生れながらに組みこまれた一分肢 に過ぎなかったからである。そのような次元で考察する限りここに矛盾は生じな い。ナチス文芸理論にとっては、創造的個と民族共同体という全体とは、超歴史 的決定論的かつ有機的関係の中にあったのである。個と全体とは同じ檀(gleich‑

geartet)であり、また同じ種でなければならない。その時にのみこの同じ種の創 造的精神は民族全体に語りかけることができる。同じ種という言葉は、人種とい う民族本体の同一性を意味すると共に、同じ精神、同じ心を意味した。民族本体

(Volkskorper)と民族精神(Volksgeist)及び民族の心(Volksseele)の同一性 に貫かれた詩人もしくは文学は、民族性の言わば容器である共同体によって規定 されているというよりは、実は、種を同じくするという意味において、民族共同 体に不可分な一分肢として有機的決定論的に当初から組みこまれた存在であって、

従って、共同体から遊離した在り方を実現することはあり得ない存在であった。

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「このようにして、詩人は民族の良心となり、血と心の声となり、理性以前の認 識であるが故にそれだけ一層重要で決定的かつ根源的な意志力の声となる・・‑‑」(24) のである。ここに言う「根源的な意志力」が、民族共同体の意志力であることは 言うまでもない。それは、理性的合理的認識以前の認識の問題であった。ナチス の文芸理論は、このように個と共同体の関係にかかわる論理的説明において、個 と共同体自体に関する説明において、行きつくところ常に非理性的非合理的な信仰 によって支柱を与えられながら構築された理論だと言うことができる。ナチスの 理論は、文字通り20世紀に生じた神話に他ならなかった。

・・・・

以上のような文学の民族共同体による実質的な一方的決定論は、文学が本来も つべきクリティクの要素を極めて簡単に否定する。 「天才的な詩人達にとっては、

この天賦の才が、それが産れ出た民族の本質に反抗するようなことを言ったり 創造したりすることはできないということは明らかなことである。」(25)同様に、「私 の母の思い出を侮辱する文学は、私にとっては芸術作品ではなくて破廉恥な作品

(Schandwerk)であるo共同体の認められた価値に反対し、あるいはそれを否定 し侮辱する芸術作品は、この共同体にとっては芸術作品ではない。ゲーテの三つ の畏敬の念、つまり我々の上にあるもの我々の周囲にあるもの我々の下にあるも のに対する畏敬の念をもっていなければ、芸術作品というものは存在しないの だ。」(26)共同体の価値を汚しこれに反抗を企てる作品は、芸術作品ではない、と Kindermannはゲーテを引用しながら明言する。このようなナチ文芸理論のもと では、文学がもつクリティクの要素は、民族という体制の価値に照らして「異種」

のものと判定され、全て否定される。唯物主義的な作品は勿論、個人主義的なも のインターナショナルな思考と作品は全て抹殺される運命にあった。ナチスによ って頼廃作家と熔印を押された者達には、例えばMann兄弟、 Lion Feuchtwanger, Franz Werfel, Zweig兄弟、 Tucholsky, Erich K蕗stner, Remarqueその他多数が ある。

詩人及び詩人の創造的作品は、民族共同体との間に有機的関係を保ちながらこ れを基盤として産み出されるKindermannによれば、しかし「どのような創造 的な才能もどのような詩人も、勿論、彼の作品を適当な瞬間に自ら成就させるこ とはできない」(27)のであって、詩人と読者である民族との間には、自らは創作は 行なわないが、歴史的に適当な時期に創作物を民族に作用させる働きをするとこ ろの「芸術保護者」 (MAzen)が必要である。彼は天賦の才能をもち、人種に適い 社会的政治的な人物としてその役割を果す。このような人物の必要性、すなわ ち「芸術保護」 (M蕗zenatentum)の必要性が従来顧慮されて来なかったとKinder‑

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漬崎‑敬

mannは訴える(28)この主張は明らかに、芸術創造及び作品の分配領域における政 治的介入を意味している。本論第‑章において述べた国家的なナチスの文芸抑圧 政策は、政治領域において政策的に、単に政治家達のみによって実現が謀られた弾 圧政策ではなくて、文学領域において、文学に携わる者自らがその理論と主張を もって呼び出し実現を可能にしたものであった。ナチ文学の政治介入による不毛 性は、自らが招き入れた不毛性であったのである。

Kindermannはさらに、詩人が果すべき三つの役割を提示する。 「我々がま ず、文学は神との対話であり自然民族兄弟姉妹そして自分の魂との対話であるこ とを認識しておくならば、この対話を民族の良心の探究(Gewissenserforschung) として行なうのが詩人であると言える。というのも、彼の使命は天才的な仲介者 となることであるからである。つまり、彼はこの役割を三重の方法で行なう。彼 は神性と民族性との間の天才的仲介者である、 ‑彼は僧侶的役割を果す。ま た彼は民族性と民族性との間の天才的仲介者である、 ‑彼は政治家的役割を果 す。また彼は民族性と個々人との問の仲介者である、 ‑彼は偉大な共同体が 与えた教育者の役割を果すのである。」(29)神性と民族性との問の僧侶的役割、

民族性と民族性との間の政治家的役割、そして民族性と個々人との間にある共同 体形成のための教育者的役割、これ等三つの役割を担った詩人は、民族性と民族 共同体、そして共同体の中に宿る個々人が、理性をもってしては合理的に解明で きない神性に満ちていることを示しながら、対外的には、ドイ.ツ民族の世界にお ける位置とその侵略戦争を主とする行為の正当性を主張する政治家となり、国内 の団結を促す教育者とならなければならない。ナチ体制内における詩人及び作家 は、ナチ文芸理論において、自らがナチ体制を支える道具的存在であることをこ

こで主張しているのである。

Walther Linden及びHeinz Kindermannのナチ文芸理論における文学概念は、

以上のように、個的生の世界における意味付けを希求することから出発して、民 族性と民族共同体の理念へと至り、そして詩人と民族共同体との決定論的有機的 関係の中に、詩的創造の神秘を見出すと共に、詩人の役割と使命とを三つに分類 して明確に規定するものであった。抽象的ながら一つの完結した世界として描か れた彼等の文学概念は、 Hermann Schaferによってより具体的なものとして次の ように述べられるO 「自然な共同体に故郷を見出した民族が闘い取った生の統一 体の中に、彼等(ナチ作家達‑筆者註)は、彼等の文学的使命の意味と目的と を見るのであって、彼等の核心(Kern)と星(Stern)は、帝国という純粋な理念 なのだ。この生の統一体とこの帝国こそが、闘いの中で勝ち取られねばならなか

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ったものであるだけに、闘う人間の体験がまず等一に文学の内容であるのである。

この文学においては、個性の強靭な(charaktervoll)態度と熱烈な目的性とが重 要であり、寄せ集めの複合や部分部分は問題ではなく、全体もしくは全体へ至る 解放こそが問題なのだ。これが我々の時代の文学の本質なのである。さらにこれ 以上に重要な本質は、現代のドイツの著作物全体の中に統一的に、新秩序の法則 から生れた来たるべき未来が今日我々に提起している大きな諸問題に対し回答 を見出そうとする、新たな信仰が湧き起っているという事実である。」(30)ナチ 作家達は、民族共同体という生の統一体の中に、文学的意味と目的とを見出す。

同時に彼等は、第三帝国という全体へ向かう解放闘争をこそ主要テーマとして文 学を創造する。このような文学及び作家達の在り方と行為を支えるのは「新たな 信仰」であった。信仰を基底とした民族共同体による全体主義的な個の解放は、

明らかに拠って立つべき基底喪失の論理であり、個と全体との倒錯した関係の中 にあって、歴史的事実としての悲劇的な挫折を免れることはできなかった。 「こ の文献の出版に対し、国民社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)の側からは何等 の疑義も出されていない」という覚のNS文献保護審査委員会会長の証明を掲げ ながら1935年に出版されたHellmuth Langenbucherの「国民社会主義の文学」

(Nationalsozialistische Dichtung, Berlin 1935)は、さらにより具体的にナチ 文学概念及びナチ文学の主要テーマを明らかにしている。 「このような闘いの体 験(ナチ闘争の体験‑筆者註)が単に間接的に触れられる、もしくは全く触れ

られないところでも、それが国民社会主義の観点から書かれている場合には、そ してその内的姿勢が国民社会主義の姿勢と一致している場合には、国民社会主義 の書物は存在し得るのである。この運動の勝利‑直接通じていた闘争の外部にも 一連の生の問題があるのであって、それは、それ故に新しいドイツの、国民社会 主義によって規定された生の運動というより広い枠組の中に完全に属しているの である。これをより明らかにするために若干の例を挙げるとすれば、我々は、例

えば労働奉仕、植民運動及び我々の東方志向と密接に関連しているドイツの生活 空間の問題、大都市問題の解決と密接に関連している農民層への回帰、包括的で 社会的な階層の組み換え、そしてこれと関連している新しいドイツ民族の生の秩 序、もしくは最後に、我々を殊の外強く動かしまたそれを把えるには最も強力な 創造力でも充分ではあり得ない血と人種の問題、を考えてみるだけでよい。」(31) LindenやKindermannのナチ文芸理論に呼応してナチ文学が取りあげる中心テ ーマは、このようにLangenbucherによりはなはだ詳細に示されている。全体主 義に対する無償の奉仕活動を意味した「労働奉仕」のテーマは、ナチスの植民地

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演崎‑敬

獲得のための戦争遂行には欠かせぬ文学的条件であった。 「植民運動」と「生活 空間」の問題は、ナチス政権の東方政策を中心とした植民地獲得政策に直結して いる。また「農民層‑の回帰」は、北方ドイツの農村及び農民への回帰、すなわ ちドイツ民族の根源‑立ち戻ろうとする「血と土」のテーマであった。民族性の 根源へ立ち返ると共に、民族共同体の構築を企て、ついには第三帝国という全体 主義‑と至るナチ理論の過程において、自ずと「血と人種」の同一性が意識的に

強調され民族共同体内部の対外的な団結が謀られる。血と人種の同一性及びナチ 体制への迎合と奉仕の度合が判定の尺度となり、従来の「社会的階層が組み換え」

られ、新しい「ドイツ民族の生の秩序」が確立されるというナチ体制全般の構造 的概略を、我々はここに読み取ることができる。ナチ文芸理論は、このように、

個々の作品分析に関るものと言うよりは、民族共同体を基盤とした全体主義体 制における文学の位置付け理論という色彩がはなはだ濃いのである。

(1) Loewy. S. 28.

2 Schonauer. S. 127.

(3) Vgl.潜時. S. 142‑147.

(4) Vgl. Brenner. S. 41.

(ら)以下禁書目録についてはVgl. Ebd. S. 43‑45.

(6) Brennerの分類によるVgl. Ebd. S. 45.

(7) Loewy. S.ll.

(8) Vgl. Vondung. S.1.

(9) Sch蕗fer. Vorwort I.

u功Ebd. Vorwort II.

(ID Kolbenheyer. S. 4.

位功Ebd. S.4.

LincU)n. S. 1.

(14) Vgl. Ebd. S.2.

(15) Kindermann. S. 34.

Vgl. Ebd. S.35.

Hartung. S. 20.

Julius Langbehn: Rembrand als Erzieher, 1890. Zit. nach Hartung. S. 21.

09 Hartung. S. 25.

C瑚Linden. S. 21‑22.

Ebd. S.22.

(17)

Kindermann. S. 31.

Ebd. S.9.

伽Ebd. S.12.

Ebd. S.4.

伽Ebd. S.68.

(抑Ebd. S.18.

Vgl. Ebd. S.18.

Ebd. S.12.

(謝Sch邑fer. S. 25.

Langenbucher. S. 22‑23.

引用文献

Heinz Kindermann : Dichtung und Volkheit. Grundz也ge einer neuen Litera‑

turwissenschaft. Berlin 1937.

Walther Linden : Aufgaben einer nationalen Literaturwissenschaft. Miinchen 1933.

Hermann Sch邑fer: Deutsche Dichter der Gegenwart. Ihr Leben und ihre

Werke. Tokyo 1944.

E. G. Kolbenheyer : Unser Befreiungskampf und die deutsche Dichtkunst. Rede, g‑ehalten an deutschen Hochschulen lm Frdhjahr 1932. Munchen

1934.

Franz Schoilauer : Deutsche Literatur im Dritten Reich. Olten und Freiburg lm Breisgau 1961.

Ernst Loewy : Literatur unterm Hakenkreuz. Frankfurt am Main 1966.

Klaus Vondung : Volkisch‑nationale und nationalsozialistische Literaturtheorie.

Munchen 1973.

Hildegard Brenner : Die Kunstpolitik des Nationalsozialismus. Reinbek bei Hamburg 1963.

Giinter Hartung : Literatur und Asthetik des deutschen Faschismus. Berlin/

DDR 1983.

凍暗‑敏「第三帝国におけるナチズム文学研究」 r長崎大学教養部紀要」人文科学篇第 25巻第2号1985年1月。

※ナチ時代の古い文献収集に際し、京都大学の池田浩士氏及びドイツ留学中の京都 産業大学生田蔵人氏にお世話になりました。記して謝意を表しますO

(昭和61年9月17日受理)

参照

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