奈良教育大学学術リポジトリNEAR
国語科における反戦平和教育
著者 吉本 悦子
雑誌名 奈良教育大学国文 : 研究と教育
巻 8
ページ 41‑48
発行年 1985‑03‑31
URL http://hdl.handle.net/10105/10530
国 語 科 に お け る 反 戦 平 和 教 育
吉本悦子
[︑反戦平和教育と文学教育
↓反戦平和教育の必要性
戦後三十九年がたち︑戦争体験者が少なくなっていくとともに︑
現代は︑戦争・原爆を過去のものととらえ︑その苦しみ︑悲しさ︑
怒りを忘れさせられていく方向へ動きつつある︒戦争の後始末も今
だにすんではいないのに︑世の中はきわめて危険な緊張状態にある
のではないだろうか︒
平和がおびやかされ︑戦争がおこるとき︑必ず人間のすべての基
本的人権が奪いつくされる︒それは︑先の戦争をふり返れば明らか
である︒空襲・原爆・沖縄戦・集団自決・強制連行・南京大虐殺・
空腹の子供達・軍需工場の学生達︑ならべればきりがない︒人間の
自由は無視され︑抑圧的な扱いをうけてきたばかりか︑生存権さえ
否定されていったのである︒中でも戦争が残酷な非人間を生み出し
たことは重大な問題である︒虐殺︑自分のために他をみすてた人︑ 反対することが許されない社会︑おいつめられた戦争という状態が︑
そして︑命を捨てさせる教育が︑人間の心の歯車を狂わせてしまっ
たのではないだろうか︒
それゆえ︑私たちは︑今︑﹁教え子を再び戦場に送るな﹂の誓い
を再確認し︑基本的人権や人間の尊厳を守る教育に真剣に取り組ま
ねばならない︒
口平和教育における文学教育の役割
国語科においては︑戦争体験を直接もたない児童に︑戦争︑原爆
に関する文学作品を学習させることにより︑戦争のもたらす非人間
性や悲しさの事実を︑心情を通して理解させ︑戦争への怒りと憎し
みの感情を育てるとともに︑命や平和の尊さを追究していく姿勢を
もたせたい︒
すぐれた文学作品は︑作者それぞれのことばの表現で︑直接読み
手の感性にはたらきかけ︑心をゆさぶる力をもっているのだから︑ 一
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﹁
文学教育が平和教育において︑重要な役割をもつことはいうまでも
ない︒
そのうえ︑すぐれた文学作品は︑ただたんに人物の気持ちや感情
だけを描いているのではない︒そこには︑そのものをとりまく状況
つまり自然の様子︑社会の動きや思想が深く鋭く追究され︑表現さ
れているのである︒戦争文学に関していえば︑そこに戦争の原因を
追究し︑戦争をひきおこす力とその本質にせまる基盤が存在すると
考えられる︒
さらに︑すぐれた文学は︑読み手の意識にはたらきかけて︑人間
の生き方やその真実を内面からゆり動かす力ももっている︒ある状
況下に生きる人物を通し︑共感・葛藤をくり返すことにより︑人間
の内面を深くみつめ︑さらに自己の存在を考えさせるはたらきをも
っているのである︒例えば︑原爆投下という地獄の状況における生︑
死の描写は︑原爆とは︑命とは人間にとって何であるか︑人間らし
く生きるとはどういうことなのか考えさせるはたらきがあるという
ことだ︒
そして︑文学作品を読んだ子供達が︑感動や人物の生き方にかか
わる考えを︑自分のことばで発表したり︑作文に書いたり︑また絵
に表現したりすることは︑自分の心を行動で表し︑他へ働きかける
ことへの第一歩をふみ出していると考えられよう︒他に働きかける
行動なしに平和の問題を語ることはできないと思うから︑意識を刺 激され︑表出した実践力は大切に育てていきたい︒
以上述べてきたように︑文学による感動が表現や行動を内側から
換起し︑生き方をも示唆する力があると考えたとき︑反戦︑平和教
育のなかではたす文学教育の役割は︑きわめて重要であるといわね
ばならない︒
二︑六年生の反戦平和教育
H五十八年度のとりくみから
六年生の反戦平和教材というと︑修学旅行(広島方面)とかかわ
って︑原爆を扱ったものとなる︒修学旅行の事前学習として﹁ヒロ
シマのうた﹂(今西祐行)︑事後学習に﹁川とノリオ﹂(いぬいとみ
こ文︑丸木俊絵)をとりあげた︒
﹁ヒロシマのうた﹂では︑原爆による地獄のような悲惨な状況を
しっかりとイメージ化させること︒直接被爆しなかったものの︑何
年か後に白血病で死んでいったヒロ子の育ての父親︑そして様々の
困難に出会いながら生きていかねばならないヒロ子親子︑これらの
人々の姿を通して︑原爆があの瞬間に終わらず︑生き残った人々ひ
とりひとりの生活の中や︑心の中にいつまでも深く残されているこ
とを読みとること︒そして︑十五年後︑明るく成長していたヒロ子
の姿から︑ヒロ子の願いや思いをじっくり考えること︑この三点を
視点とした︒
︿指導計画﹀
﹁ 42
一
第一次朗読をきき︑感想をもつ
第二次話し合う視点を︑感想を発表しながらまとめる︒
第三次課題の話し合い
第四次まとめと発展
︿授業から﹀
◎話し合ったこと(課題)
︒わたしが見たヒロシマの様子
︒わたしが見た母親と赤ちゃんの様子
︒さまざまな困難に出会いながら生きていくヒロ子の姿から︑﹁あ
たし︑お母さんに似てますか︒会ってみたいな︒﹂と言ったヒロ
子の気持ちを考える︒
◎子供達がよく考えたところ
︒原爆投降下の悲惨な状況
・夜が明けても人で足のふみ場がない
・みんなおばけのようだ
・ぱんぱんにふくれた素足
・赤くにごった水
・軍医がまるで死んでいるかどうかを魚を選り分けるように調
べていくところ
︒母親と赤ちゃんの様子
目が見えないためにわが子がどのようになっているのかわか らなくて︑心配でおそろしくてしかたのない母親が︑自分の気
が何回も遠くなりかけていくのに︑気がつくたびにミーちゃん︑
ミーちゃんと呼ぶことから︑その愛情や戦争のつらさ︑悲しさ
を感じたようだ︒
また︑わたしが︑この赤ちゃんが気になって︑他の人に預け
ようとしたために軍隊のテントに帰るのがおくれてしまい︑兵
長にひどくぶたれるという場面で︑人命を助けようとしておく
れていっても︑軍隊には通用しないことを知り︑戦争のこわさ︑
悲しさ︑戦争への憤りを感じる子どもも多かった︒
・ヒロ子の気持ち
自分のお母さんは死んだときかされても泣かなかったことか
ら︑強い子だと思うが︑ほんとうはとても悲しくて︑ただ稲毛
さん(わたし)が困ってはいけないという思いで泣かなかった
のかもしれないという意見が出た︒人のことを考えられる女の
子であると思ったのである︒
原子雲のししゅうについては︑稲毛さんに原爆のこと︑自分
のことをわすれないでいてほしいという思い︑また︑ヒロ子は
原爆に負けず︑がんばっていくという決意の表れだという意見
にまとめられた︒
︿授業を終えて﹀
この作品では︑子供達の心に原爆投降下のヒロシマの町や人々の
一 43 一
様子︑そしてヒロ子の明るさ︑強さが残ったようだ︒
自分たちのこれからの生き方を考えるまでには発展していかなか
ったが︑それでも︑人間が戦争によって魚のような扱いをされたり︑
人としての心をもつことが許されない場合があったりすることから︑
戦争がいかに悲しい非人間的なことであるかを感じとってくれたよ
うである︒
この後︑修学旅行で原爆資料館︑記念館︑平和公園を見学し︑さ
らに被爆された方の話を聞くことで︑﹁ヒロシマのうた﹂の学習も
深まったと思う︒原爆投降下のむごい状況がイメージ化していた以
上であったし︑被爆し生きてきた人の悲しさ︑どうしようもなく他
人をふりきって逃げてしまったことに対するやり場のない苦しみを
知ることで︑苦しさを心に持ちながら強く生き︑みんなに自分のつ
らさを話していこう︑それが戦争に反対する道なのだとされるその
人にヒロ子ちゃんの姿を重ねた者もあったからである︒
帰校後︑﹁川とノリオ﹂に取り組んだ︒﹁川とノリオ﹂は︑直接戦
場の場面にふれることはないが︑じいちゃんやかあちゃん︑ノリオ
の心の動きの形象︑象徴性の高い︑美しい描写形象を読み深めるこ
とにより︑戦争に対する怒り︑悲しさが静かにわきあがってくる作
品である︒この作品では︑かあちゃんのあたたかさ︑戦争によって
そのかあちゃんととうちゃんを奪われたノリオ︑ノリオを育ててい
くじいちゃん︑それぞれの思いをじっくり読み深めながら︑戦争に よる悲しみ︑怒り︑非人間性を考えさせたい︒そして戦争の真実に
せまることにより︑戦争を憎み︑反対する心を育てていきたいと思
った︒
︿指導計画V
第一次読みきかせ︒感想を出し合う︒
第二次段落分けをし︑ひとり読みと書きこみをくり返しながら読
み深めていく︒
第三次感想を書く︒
︿授業を通してV
﹁サクッ︑サクッ︑サクッ︑かあちゃんかえれ︒サクッ︑サクッ︑
サクッ︑かあちゃんかえれよう︒﹂とノリオと共に︑戦争に対する憤
りをこめて叫べるかどうか︑川の流れとともにまだまだ続いていく
世の中で︑ノリオ(自分)はいかに生きていくのかを最終的に考え
られるように︑ノリオやじいちゃんの思いをかなり細かく考えてい︑
った︒自分が感じることをどんどん書き込ませていったが︑自分の
思いをうまく文章に表せなくても︑文章を声に出して読むとき︑そ
の子の感じ方が表れているように思えた︒全体を通し︑人の心をゆ
さぶる教材であった︒特に子供達が深く考えたのは︑二才の神様で
あったあの愛情に満ちていた日々が︑一転してしまったその後のノ
リオの気持ち︑年老いてから心にやりきれない思いをいだいたまま︑
ノリオを一生懸命育てようとしているじいちゃんのこと︑慰め合う
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