インドの金融機構
イ ン ド の 金融機構
一インド準備銀行について一
河 本 博 介
目 次
序
インド準備銀行の設立とその機能 銀行券発行制度
1951年4月にはじまったインドの経済開発5ケ年計画によって=〔業近代化が大規模に行 われてきたが,一方停滞的な農村地帯をかかえ,過剰二二の圧力のもとに国民所得はなお きわめて低い水準にある。
インドの社会経済が二重構造的であることは他の東南アジア地域と共通的な点である。
村落農業を母体とする自己的な経済と商業生産のうえにたつ交換経済の併存のごとく,そ の特異性は種々の角度から分析されよう。経済成長の歩みは遅々として停滞的である。そ れにもかかわらず人口増加率が高いことは,他の制度的,社会的要因と相まって発展を阻 害する要因となっている。
一般に東南アジア地域の経済開発については,その計画遂行に必要な資金,技術,設備 などのすべてが,かっての宗主国か.ら援助されているとう関係にはない。発展途上国では 資金さえ導入すれば容易に開発の効果があがるという実情ではないが,経済開発計画の遂 行上の困難さが,開発のための資金調達の点に集約的にあらわれていることも事実であ
る。
発展途上国の経済開発に開発金融上の困難さを伴なうことは必然である。開発を急速に 進めてゆくうえで金融に課せられたことは,必要な開発資金の調達であり,また財政政策
と金融政策との円滑な調整であって,金融政策の果すべき課題は重要である。
したがって発展途上国が,その経済開発にあたって中央銀行の金融的側面からする役割 の重要性はいうまでもないが,中央銀行の力でその役割を果しうることの可能性を,安易に 期待することもむつかしい状態であろう。しかしながら開発金融の効果的な発現を;期待す るためにはその国の金融構造の如何は重要な問題であろう。
インドが積極的な開発計画によって,社会経済の面で変化発展をとげてきたことは明ら
かである。しかしながらインドは余りにも地域広大であり,歴史的にも伝統的な古い部門 が大きな比重を占めている。新旧混合の過渡期が,インドの実体を示すものであるとい い得るであろう。以上のことは,インドの金融制度についてみた場合もその例外ではな
い。
インドにおける金融機関が,一方において都市を中心に発達した近代的な商業銀行と,
他方に広大な内陸地域において,重要な地位を占めている伝統的且つ古い経営方式の土着 金融機関が存在し,それらが殆んど相互の山けいもなく,併存して金融活動を営んでい
るところにインドの金融機構の実態がある。
近代的形態の銀行が英国のエイジェンシー・ハウスによりカルカッタで最初に設立され たのは1830年代の初期であった。当時の銀行は貿易業務を営むかたわら銀行業務を行なっ たもので,その意味では純粋に近代的銀行といえないものであった。1860年に有限責任の 原則が株式銀行にも適用され,インドの銀行制度の発達上重要な意義をもった。しかし何世 紀にもわたってインドの経済活動に重要な役割を果たしてきたものは土着金融機関であっ た。インドにおける金融業の歴史は古く,インドの最古の立法学者マヌ(Manu)は西歴
3世紀頃作成した法典のなかで,「貸金の取立」と「預金および担保」の章をあててい る。 (:K.:N.R. Ramanujan:1「インドの銀行制度」吉野俊彦・小川精一氏訳世界の限行 制度所収131頁,Colnparative Banking;ed. by H. W. Auburn)土着金融機関は土着 銀行およびマネー・レンダーを総称したもので,古い歴史をもち農村社会に浸透した金融 業者で,現在も重要な部門を構成している。土着銀行は通常回るカーストや地域社会に所 属しており,ムルタニス (Multanis),マルワリ(Marwaris),ナチュコッタイ・チェ ティ(Natukottai Chettis, Chettiars),カラドクルチ・ブラーミンズ(KaHadkurchi Brahmins)などの名弥で呼ばれており,農村および都市で営業する。(J. S. G. Wilson;
The Business of Banking in lndia, in Banking in the British Commonwealth ed. by R.S. Sayers, PP,178−80.)またマネー・レンダーもソワカール(Sowk:ar),
バニヤ(Bania),マハジャン(Mahajan)或いはシュロッフ(Shroff)など呼ばれてい る。ポルトガルがインドと通商を開始するようになった頃にはすでに土着金融制度は確立 していた。 (L.C. Jain;Indigenous Banking in India, PP.8−9.)
インドの銀行はイギリスの銀行をモデルとしており,組織的な部門を構成しているのは インド準備銀行,株式組織の商業銀行および協同組合組織の信用銀行等である。ボンベ イ,カルカッタはインドの代表的な金融市場であるが,この面でも組織的な市場と非組織 的なそれとの併存がみられる。銀行制度を規制する法律は,1934年のインド準備銀行法お よび1949年の銀行会社法である。これらによってインド準備銀行は,銀行の設立,支店の 設置,貸付および投資活動など商業銀行のすべての面を規制する権限をもっている。銀行 の資本金および積立金の最低限度は銀行法によって規定されている。
ところでインドにおける金融組織を構成する主要な金融機関をみるとつぎのようなもの
があげられる。
(a)土着金融機関
(1)マネー・レンダー(Money Lender)
(2)土着銀行(lndigenous Bank)
(b)インド株式銀行(lndian Joint Stock Bank)
(c)外国為替銀行(Foreign Exchange Bank)
(d) ステート・バンク(State Bank of lndia)
(e)インド準備銀行(Reserve Bank of India)
lf}農業金融機関
(1)土地抵当銀行(Land Mortgage Bank)
(2)協同組合銀行(Co−operative Bank)
(h)特殊金融機関
特殊金融機関は,第二次大戦後干に独立後,その工業発展につれ多くのものが設立された が,インド工業金融会社(lndustrial Finance Corporation of India, IFCI),州金融会 社(State Financia1 Corporation, SFC),全国工業開発会社(The National lndustrial Development Corporation, NIDC),インド工業信用投資会社(The Industrial Credit and Investrnent Corporation of工ndia, IICICI),全国小企業会社(National Srnall Industries CorPoration, NS工C),国際金融会社(工nterrlational Finance Corporation,
IFC),および再融資会社(Refinance Corporation, RC)などある。
インドにおける金融制度は二重構造的な構成を示しているが,そこには中央銀行を中心 とする体系的な機構がなお十分に確立していないことをあらわしている。諸金融機関が相 互に十分に有機的な連けいで結ばれていないことを意味している。ことに土着金融機関 が,農村社会に定着して大きな影響力をもっている。したがってインドの金融制度を明ら かにしてゆくうえでは,組織的な金融部門のみでなく前近代的な部門をみることが必要で ある。筆者はまえにインドの金融機構について述べ,土着金融機関について紹介した。
(拙稿,インドの金融機構,研究年報第4集)この小論では前稿を補充し,組織的部門を 個別的に,まずインド準備銀行について考察することにしたい。
1
インド準備銀行は,1934年のReserve Bank of India Actにより設立された。「イン ドにおける通貨の安定を確保する観点から銀行券発行と準備金の保有を規制し,且つ一般 的に国家の利益となるよう通貨および信用制度を運営するため」 (同法前文)の目的で,
資本金5千万ルピーの株式銀行として発足したものである。インド準備銀行はイングラン ド銀行をモデルとし,もっぱら中央銀行業務を行なう金融機関としての機能を有し,イン
ドに本来的な中央銀行がはじめて設けられることになった。
元来中央銀行或いは国立銀行という考え方は古くからあった。最初の試験的な努力は 1921年における省立銀行(Presidency Bank)の合併によるインド帝国銀行(工1nperial Bank of India)の創設まで遅れることになった。インド準備銀行設立に至るまでの経過
は,長い年月を要し迂余曲折があった。インドがイギリスの植民地として宗主国の植民地 政策のもとにあって,独立国における中央銀行の設立といったごときと,事情を異にした 背景があったことを考えねばならぬ。
インド準備銀行の設立に至るまでの経過は歴史的には3つの段階を経て実現したものと いえる。
1 まず19世紀前半における心立銀行の設立
皿 ついで1921年,塗立銀行の合併によるインド帝国銀行の設立
インド帝国銀行はその設立の年から1955年ステート・バンク(State Bank of India)に 改称されるまで,インドにおける最大の商業銀行として,且つ準備銀行の設立までは中央 銀行的役割を果たしたものである。しかし中央銀行としては多くの制約があり,中央銀行 的機能は確立されたものではなかった。
皿 うえの経過を経て,1934年インド準備銀行の設立
準備銀行の設立に至るまでの経緯について,各時;期につきいますこしこれを補足して述
べる。
まず心立銀行についてみると,ベンガル銀行が1806年,ボンベイ銀行が1840年,またマ ドラス銀行が1843年にそれぞれ設立された。省立銀行の資本金は政府が一部を出資し,政 府は銀行総裁を政府職員であて,また若干の理事を任命した。
1862年までは省立銀行は直接政府によって支配されてきた。舌面銀行は他の私的銀行と 並んで銀行券発行の権限を享有していた。当時は銀行券発行の権限をもつことは特権銀行 として考えられたものであった。しかしまた条例によって課せられたある制限内で,銀行 は業務活動を行わねばならなかった。例えばベンガル銀行はつぎのような制限をうけてい た。個人に対する貸付は10万ルピー,政府に対する貸付は50万ルピーをこえてはならな い。.利率の最高は12%と規制された。現金準備は要求払債務の少なくとも3分の1を保有
し,全体の債務一預金と銀行券の額は資本金(500万ルピー)をこえてはならぬと規定さ れた。1823年には,銀行券発行額は最高2千万ルピーと定められ,現金準備も要求払債務 の最少限4分の1と変更された。さらに1839年の条例では,個人に対する貸付の限度がεO 万ルピーと増加し,貸付は期限3ケ月とされた。保証は関係のない2名が指図され,ま た割引手形はインド国内でのみ支払われるものであった。 (S.K.Muranjan;Modern
Banking in India, P.95.)
1862年,直立銀行は銀行券発行の権限をとりあげられたが,政府の代理人として,新た な政府の銀行券発行の取扱いをつづけた。その特権喪失の損失に対する補償として,省立
銀行は銀行業務に課せられていた古くからの種々の制限から自由となり,政府預金残高の 管理運営を認められた。1866年には政府は自ら紙幣の管理を行なうことになった。
省立銀行の業務に対する制限の緩和は,早速ボンベイ銀行の行動によって例証されるこ とになった。銀行の総裁,理事の怠慢或いは無能力はさておき,1863年の条例10号により 与えられた権限の濫用,健全な法的勧告および援助の欠如など,銀行の失敗の主たる原因は 1862年以隆の条例の変更にあることは疑いない。1874年,ボンベイ銀行は破綻し,ついで 1876年の省立銀行法はそれまでの政府と省立銀行との関係を変更させるものとなった。銀 べ
行はかっての制限を復活し,外国為替業務の営業,インド国外で支払われる預金の受入 れ,6ケ月をこえる長;期の貸付或いは不動産または複名でない約束手形を担保または保証 とする貸付などを禁止した。政府は準備国庫を設け銀行預金をこれに移したが,銀行の処 理する政府預金残高は厳格に制限された。同時に政府は保有する銀行の株式を売却し,ま た政府側理事の任命をもとりやめた。(S.K. Muranjan;ibid.,PP.95−6.)政府は出資 金を引上げたが,省立銀行に対する監督は継続した。省立銀行の発展に対する政府の関心 にもかかわらず,銀行券の発行権限を失ったことは省立銀行の発展に障害となるものであ
った。
省立銀行の設立は3行のみであった。ところでインドにおける株式銀行の創設は1863年 のアッパーインド銀行(The Bank of UpPer India, Meerut)につづき,1865年アラバ バッド銀行(The Allahabad Bank)がある。これらは英人経営になる銀行であった。さ らにアライアンス銀行(The Alliance Bank of Simla)が1874年に設立されたが,イ ンド人の株式銀行としては1881年のオードコマーシャル銀行(The Oudh Commercial Bank),1894年のパンジャップ・ナショナル銀行(The Punjab:National Bank)が最 初であった。株式銀行数をみると1870年で2行,1880年で3行,1890年で5年,190Q年で
9行であった。この間それぞれの時期における為替銀半数をみると,3行,4行,5行,
8行と脚数において殆んど差がない。しかし資本金および預金額については,対省立銀行 をも含めてかなりの差があった。一般に銀行業の発展は1900年頃までは極めて遅々として いた。しかし19世紀末の最後のIO年間で株式銀行は預金において5千万ルピーをこえる実 質的増加を示したが,一方為替銀行は3千万ルピーの改善にとどまり,逆に野立銀行は2 千5百万ルピーの預金減少を示した。(S.K:. Muranjan;ibid.,PP.28−9.)しかし これまではともかく,下立銀行と為替銀行が主役を演じていたといえる。
1905年に始まったインドのスワデシ運動は,インドの民族産業のみでなく,金融制度の うえにも変革をおよぼすものとなった。インドの株式銀行は急速に発展していった。こう した状況のなかで,中央銀行の設立は第二段階を迎えた。第一次大戦が終了して,かねてか らの懸案であった中央銀行が,19撃年のチェンバレン委員会(Chamberlain Commission)
のメンバーであったケインズの提案に準拠して設立の運びとなった。すなわち1921年3省 立の銀行の合併によるインド帝国銀行の創設であった。
インド帝国銀行の機能についてみる前に,資本金,預金など合併前と合併後の数字をか かげておく。
授 権 資 本
1払 込 資 本
}積 立 金
預 金 政 府 預 金 残
1
合
併
前i合併後(、92ユ年ユ月)i
3,75・州 3,750 1 3・400 i 76,000 ;
1,9。。
11,250 5,600 3,750 76,400 7,900
万ルビー
(S.K, Muranjan,前掲書)
インド帝国銀行の行なう業務,機能についてみるとつぎのごとくである。(P.C. Jain;
Currency, Banking and Finance in India, pp.217−8.)この銀行は通常の商業銀行 業務すなわち預金の受入れ,貸付,送金業務など営んだが,その特殊な性格から政府によ
って,その商業銀行業務にある制限が課せられた。6ケ月をこえる貸付,また不動産にも とつく貸付や自行の株式を担保とする:貸付は許されなかった。さらに自行の顧客の真実の 必要に対応する場合を除いて,外国為替業務を行なうことも認められなかった。
第二に,銀行は通貨の管理を行ない,金融市場の利子率を調整した限りにおいて中央銀 行機関として行動した。インドの商業銀行および為替銀行は預金を帝国銀行に保持し,
銀行はこの国の手形交換所を管理した。しかし公定歩合が帝国銀行により公表され,また 商業銀行がこの銀行に預金を保持するものであったが,帝国銀行は十分に成熟した中央銀 行ではなかったし,また金融市場を支配する程度も,中央銀行としての資格に付与される 必要な程度のものではなかった。インドにおける商業銀行のうち若干のものは強力で,そ れらのすべてが為替銀行を除いて,帝国銀行が外函の利益によって管理運営されているも のだとして信頼しなかった。このことが帝国銀行をして,中央銀行としての有効性を阻害 させるものとなった。 . 第三に帝国銀行は政府業務を代行した。政府預金の受入れ,支払いを行ない,政府に対 する貸付を行なった。また公債を管理し,政府業務に関連して必要な業務をすべて取扱っ た。ζの業務は巨額の無利子の流動資金を帝国銀行の処理に委ねるものであったことか ら,一般からの批判もあった。
インド帝国銀行はインド株式銀行法に準拠する中央銀行として発足したものである。イ ンド帝国銀行法は1876年の省立銀行法とほゴ同様で,省立銀行よりも制限は梢々緩和され ていたが外国為替業務は認あられていなかった。設立ρ)経緯が外国系為替銀行,とくにイ ギリス植民地銀行の権益を保護する目的があったたあである。外国系為替銀行に対抗し得 るインド系為替銀行は発展しなかった。インド系株式銀行が植民地銀行と利害が対立する
インドの金融機構
場合,インド系銀行を抑制する措置がとられたであろう。外国為替業務は外国系銀行とイ ギリス政府によって独占されていた。したがって帝国銀行と一般金融機関との関係は先進 国における中央銀行と市中銀行との関係のようなものではなかった。(鎌谷茂喜氏「イン
ドにおける為替銀行」インドの金融制度所収,270−1頁,279頁.)
インド帝国銀行は設立の時支店数69行を数えたが,その後の5年間で新たにユ00行の支 店を各地に設置した。同時にこの期間は株式銀行の発展も著しく,両者の間で激しい競争 が行われたが,帝国銀行はインド最大の商業銀行としての地位を確立した。しかしこ\で 特に注目さるべきことは,帝国銀行が銀行券発行の権限を与えられなかったことである。
したがって通貨および信用の統制に一元性を欠いでいたことは,中央銀行としては致命的 であった。先進国の中央銀行のもつ銀行券発行,金融調節機能の権限をもたなかったこと は,イギリスが植民地政策上それらの権限を全面的にインドに移譲しなかったためで,実 質的には中央銀行としての十分な名に値するものではなかった。帝国銀行がイギリスの利 益に緊密に関連づけられ,イギリスのリーダーシップを受け入れざるを得なかった運命に あったことは反インド的であるという世評をうけ,真の国民的機関である独立した中央銀 行を求める声があがったのも当然のなりゆきであった。
インド帝国銀行は商業銀行機能と中央銀行機能とを兼ねた銀行ではあったが,インドに おける多数の銀行危機,破綻に際し中央銀行として無力であった。銀行制度および信用制 度の欠陥を除去し,金融制度の整備,経済の発展のためにも中央銀行の設立が各方面か
ら強く要望された。1925年目ルトン・ヤング委員会(HiltonYoung Cornmission, Royal Commission on Indian Currency and Finance)がっくられた。同委員会は通貨および 信用の統制が2つの異った当局の手中にあり,それぞれの当局の政策が分離している制度 の弱点を指摘し,この欠陥を克服する中央銀行計画案として,インド帝国銀行を新中央銀 行に昇格させずに,別個の新中央銀行の設立を勧告した。中央銀行を株式組織とするか,
政府出資の銀行とするかで同委員会は株式組織の中央銀行を勧告した。政府はこの勧告に したがって1927年法案を議会に提出し,法案は委員会(AJoint Select Committee)に 付託された。新中央銀行の組織および構成について議会では激しい反対があった。この案 がイギリス資本のインド金融機構の支配を意図したものであるとする理由でもあった。結 局長年月の言忌曲折を経て,Reserve Bank of lndia Actが1934年3月議会を通過し,
資本金5千万ルピー,株式組織の新しい中央銀行が設立されることになった。インド準備 銀行は1935年4月より営業を開始し,従来外国系銀行がインド帝国銀行に対し独立的であ った弊を改あ,新中央銀行に従属させ,通貨,金融,外国為替政策を統制しうるようにな った。 (S.K. Murnjan;ibid.,pp.245−7,鎌谷氏前掲論文,272−3頁)
インドの金融制度のうえで準備銀行の設立は重要な意味をもつものであった。準備銀行 の設立で,これまでのインド帝国銀行の地位と活動は重要な変化を受けることになった。
1934年のインド帝国銀行法修正にもとづいて,これまで銀行の貸付業務に課せられていた
制限はすべてとり除かれ,不動産を担保とする6ケ月をこえる貸付,また自行株式を担保 とする貸付を行なうことができ,また外国為替業務の取扱いもできるようになった。さら に政府関係の業務は準備銀行へ引継がれたが,準備銀行の補助的役割をにない,準備銀行 がその支店をもたない地域において代理店として行動した。帝国銀行は最大の商業銀行と して金融市場のリーダーであった。帝国銀行のフンディ手形(hundi)の割引レートおよ び貸付利率はインドの金融市場で特別な地位を占めていた。(P.C. Jain;ibid.,p.
218)インド帝国銀行は,その後1955年のState Bank of hdia Actにより改称され,国 有化されることになったが,これらの問題については別の機会に譲ることにしたい。
ところでインド準備銀行は,インド独立後の1948年,準備銀行国有化法(Nationali−
zation of the Reserve Bank Act)が制定され,1949年L月から国有化が実施されるこ とになり,名実共にインド人の手に帰することになった。このような国有化を推進させた 要因にはつぎのような点が考えられる。もともと国有化は準備銀行の設立以前において,
初;期の論争の段階で中央銀行の国有化を志向した人の見解で,結果はその通りとなったわ けである。国有の機関が民有の中央銀行より望ましいとされた理由は,いまではこの見解 の支持者が当初提言したものと若干異なったものがある。
(1)イギリスを含めた英連邦およびその他の国で中央銀行の国有化が行なわれ,それが 世界的な傾向であること。
② 準備銀行の独立性の根拠のなさについての戦時中の経験。準備銀行は殆んど大蔵省 に従属する政府の一部門となっており,国有化はいわば事実上の地位に対し法律上の承認 を与えるものであること。
(3)準備銀行を私的所有の機関としておくと,株式の少数者の手に集中する恐れのある こと,また通貨および銀行業務を規制する銀行の強力な権限が誤用される危険のあるこ と,1949年の銀行会社法(The Banking Companies Act)は準備銀行に強力な支配,統 制力を与えるものであることからの考慮がなされた。
(4)経済開発5ケ年計画を実施していくうえで,計画委員会と準備銀行との間で完全な 協調を保持することの必要性。
かくて準備銀行の株式は,額面100ルピーの払込株について118.1ルピーの割で株主に補 償が支払われ,1949年1月をもって全部中央政府に引渡された。準備銀行の機能について
は,国際通貨基金への加入により若干の変更がみられたが,国有化によってそれ以前に果 していた機能には殆んど変化はなく,1934年の準備銀行法が適用されている。 (P.C.
Jain;ibid.,pp.202〜3,金原賢之助氏「インドの貨幣金融制度」,東南アジアの金融 制度所収,87〜8頁)
2
インド準備銀行の資本金は設立時において5千万ルピーで,額面百ルピーの全額払込株
式に分割されている。インドに定住する者およびインド会社法(1ndian Colnpanies・Act)
のもとに登録された会社はすべて準備銀行の株主となり得る。
準備銀行の株式が国内の特定地域に,或いは少数の者の手に集中することを防ぐ方法が あらかじめとられた。全株式が相対的重要性にもとずいて5地区すなわちボンベイ,カル カッタ,デリー,マドラスおよびラングーン(ビルマ分離後は4地区に変更)に分割さ れ,そこで登録された株主に割当てられた。しかし法律は株式の一地区から他地区への登 録の移動を禁止していなかったので,実際は期待されたにもかかわらず,株式会社の経済 力と本来的傾向がうえの趣旨を次第にうちくだいていった。ボンベイの金融力が強力とな ってくるにつれ,その地区の株式保有は1935年4月の1,400万ルピーから,1946年6月末 には2,360万ルピーに増加した。さらに一般の株主は準備銀行の公的重要性について理解 すること乏しく,ただ投資株券としての関心しかもたなかったので,準備銀行の株式は次 第に少数の者の手中へと集中していった。うえの期間の間に株主数は9万2千人から約4 万6千人と半分に減少した。株式の地区間の移動の禁止,個人の保有することを認められ る株式の制限のいずれもなかったので,うえの傾向をとめることは困難であった。時の 経過につれ,株式保有は少数の財閥家族の手中に帰することになった。(S.K.Muranjan;
ibid.,pp.248〜9.)
インド準備銀行は本店をボンベイに置き,ボンベイ,カルカッタ,ニューデリー,マド ラスに地方本店を設置している。準備銀行の政策決定および一般業務監督の機関として中 央理事会(Central Board of Directors)があり,その構成は総裁1名,副総裁2名(議 決権なし),理事10名このうち4名は地方理事会を代表する者で,ほかに議決権をもたぬ政 府職員1名の計14名からなり,すべて中央政府の任命である。総裁,副総裁の任期は5 年,理事は4年となっている。上記の4地区に地方理事会が置かれている。地方理事会は 中央政府の任命する5名の理事で構成される。理事の任期は4年で土着銀行および協同組 合銀行の利益と同様に地区の経済的利益を代表する。地方理事会はこの点に関し中央理事 会に勧告を行なうとともに,中央理事会から委任された事項を処理遂行する。
理事会の構成は準備銀行の国有化によって変更され,うえのごとくであるが,以前にお いては中央理事会は政府任命の総裁1名,副総裁2名,理事4名および各地区の株主の利 益代表として選任された理事8名に,政府職員1名をくわえ計16名で構成された。また地 方理事会は8名の理事で構成され,そのうち5名は当該地区の株主の中から選任され,3 名は政府任命の理事であった。 (P.C. Jain;ibid.,p.191.)
3
インド準備銀行の主要な機能は,いずれの国の中央銀行と同じくこの国の通貨信用を調 節し,ルピーの対外価値の安定をはかり,また政府の銀行業務の処理にあたる。通貨信用 の調節機能は,準備銀行の最も重要にしてまた困難なものである。準備銀行がこの制度の
中で通貨信用量を調節し,循環に必要な通貨量に過不足なきようにつとめ,また商業銀行 による信用膨脹の規制や緊急時における加盟銀行の援助をも行なわなければならない。
(P.C. Jain;ibid.,P.192.)準備銀行はその目的として,通貨価値の安定ということ を準備銀行法前文で強調している。現在中央銀行として広範な権限と機能をもっている。
かくて準備銀行は経済の安定を維持し,政府経済政策との調和をはかり経済成長を助長す るように金融調節を行なう。その主要業務とするところはつぎのようなものである。
ω 銀行券の発行
準備銀行は独占的な発券銀行としての権限をもち,銀行券の発行および準備資産につい て規制する。
(ロ)金融調節
準備銀行は種々の金融統制の手段を用いている。それらは公定歩合操作,オープン・マ ーケット・オペレーション,支払準備率操作など量的統制のほか,選択的金融統制や直接 的な融資など質的金融統制をも行なう。準備銀行は金融政策の効果を高あるために,商業 銀行に対し流動比率制度を設けている。また産業界に対する直接的な資金調節をも行な
う。すなわち準備銀行はインドの農工業の発展に利すると判断した場合に,その適格手形 の割引によって直接民間企業に対する資金の供給を行なう。一般の中央銀行の行なわない 直接民間企業への介入はインドの事情を反映したもので,流動比率制度とともに準備銀行 の特有の制度ということができる。
㈲ ルピー貨の対外価値の保持も準備銀行の重要な業務で,中央政府が随時決定する為 替レートならびに条件で,為替銀行を相手として外国為替の売却および買入れを行なう。
(→ 準備銀行は商業銀行や州協同組合銀行を含む金融機関に対し,最終のよりどころと しての機能をもつ。適格商業手形の再割引および売却を行ない,また6ケ月をこえない担 保貸出を行なう。
困 政府の銀行としての役割を果たす。準備銀行は中央政府および州政府との協定で,
国庫金の受入れ,支払および送金業務を行なう。また金銀の売買,公債の管理を行なう。
旧債の発行業務も準備銀行がこれを行なっている。
インド準備銀行は中央銀行としての性格上,利潤原理にもとづいて活動するものではな い。その政策と業務は商業銀行のそれとは異なり,利潤の考慮が指標となるものではな い。その考慮は公共の利益を守り,国民の経済的福祉を確保することにむけられる。また 政策立案にあたり公平であること,中央銀行当局は純粋に経済的,金融的考慮にもとづい て指示されるべきで,政党によってまた政府の恣意によって動かされてはならない。中央 銀行の資本金が政府出資であっても,また主たる執行権者が政府任命であっても,独立的 な公平な活動のチャンスは銀行業務の達成のために必要で且つ大きい。中央銀行は大蔵省 や大蔵大臣の恣意が銀行当局の独立性,公平性をそこなう恐れのある場合,政府の一部門 であってはならない。同時に中央銀行は国の他の機関と同じく,政府の方針,政府により
設定された通貨政策にしたがわなければならない。 (P.C. Jain;ibid.,PP.98〜9.)
ここではまずインド準備銀行の銀行券発行制度について,主としてダダチャンジ氏にし たがい,その説くところを要約し(B.E. Dadachanli;The Monetary System of lndia,
chap.1,互and Supplement.),インドにおける場合を述べることにする。
1
中央銀行は今日すべて銀行券発行の独占権を有している。インド準備銀行もインド準備 銀行法により同様の権限を付与され,その結果インド政府の発行独占権は廃止された。す でに述べたごとく,発行権限を有していた省立銀行も1862年その権i限を失ない,以後政府 の権限となっていた。
政府は実際上,日常の取引による銀行券需要に対する正確な知識をもつことはできな い。政府は銀行業務に従事するものではなく,銀行を通ずるほか需要の変化を知ることは できない。したがって政府は銀行券供給を,それに対する需要に正確に適応させることに 失敗するであろう。政府の機構は緊急時において突然の変化に即応し得ない。
しかし中央銀行の銀行券発行の場合はうえと異なり,銀行券の量を絶えず取引よりする 要求に適応せしめる目的に合致する。なんとなれば,その発行が直接商業取引にもとづい ているからである。銀行業務が適正であれば,銀行券の発行は信用拡大の結果である。
信用が正当に拡大され,銀行券を需要する場合,銀行券は商業銀行を通して流通するであ ろうし,その必要が止んだ時には銀行に還流するであろう。例えば好況の場合,多量の手 形が顧客により割引のため商業銀行にもちこまれ,銀行券の量は大きくなる。取引のため 需要がなお増大すれば,商業銀行はこれら手形の大半を中央銀行で再割引を求あ,銀行券 を入手しようとする。不況の際においてはうえの事情と反対に減少するであろう。いずれ にしても手形の満期日が到来すれば,銀行券は中央銀行に還流する。かくて銀行券発行 は自動的且つ弾力的である。
政府による銀行券発行に内在する危険は,健全な貨幣経済に対する考慮にまして,遅か れ早かれ政治的考慮や政府の財政上の必要が決定的な事実となることで,銀行券の過剰発 行と結果的には価値低落の恐れがあるという事実の中にある。政党政治の緊急時,予算の 不足或いは種々の弊害が,多くの政府をして銀行券発行の法的制限を侵させてきた。本質 的な弱点は,政府が通貨の最終的管理者であるために,そのうえにたって直接通貨の操作 をチェックするほかの機関がないという点にある。しかしこの危険は,中央銀行における 銀行券発行の場合には存しない。その発行は商取引の原則にもとづいている。その発行量 は特別法でまた社会の実際の必要にもとずいて規制されているからである。
ところで中央銀行による銀行券発行制度の有益性の試金石となるものはある基準の遵守 にある。それはつぎのような点である。
(1)本来,銀行券発行には完全な保証が用意されていなければならない。すなわち銀行
券の正貨免換が要求に応じていつでも保証されなければならない。それによって公衆は銀 行券に対し全面的な信頼をいだくであろう。
(2)銀行券の流通には弾力性をもつことが重要である。それは現在の需要の増減に即応 すること一増減のいずれであろうと,その月,その週,その日の必要に適応することを意 味するもので,取引量の拡大,収縮に対応して拡大,収縮する力をもち,しかも取引の必 要の変化に速かに応ずるものでなければならない。
(3)銀行券の発行は,また金融市場の利益になるごとく管理されねばならない。中央銀 行は商取引に金融的援助を拡大するために,振出された為替手形,約束手形など適格の手 形を常に購入する用意をすべきである。これは銀行券発行をして弾力的たらしめるのみ でなく,また自動的たらしめることである。
(4)中央銀行は銀行券の一方で必要としない拡張すなわち過剰発行,他方で必要としな い収縮すなわち逼迫を防ぐべきである。これは利子率並びに価格に安定性をもたらす傾向 をもち,金融市場をして取引を円滑に行なわしめることになる。
かくて法律は銀行券発行に対する裏付けとして保持すべき準備資産がつぎのものから構 成さるべきことを規定している。
ω 最初にあげた基準の要求するところをみたすための地金および硬貨。
回 緊急時にあたり,速かに且つ損失を蒙むることなく売却でき,換金し得る指定政府 証券への放資。同時にこれらへの放資は利子を生むもので,これに反し,仮りに地金のみ で準備されると無駄に固定されることになる。
㈲ ポートフォリオのうえで為替手形およびその他適格の手形。
2
インドに最適の銀行券発行制度に関し,如何なる決定をなす場合にも,まず正常な季節 的の面に最初の考慮がむけられねばならない。インドは全くの農業国で,作物の収穫と流 通に対する融資という重要な問題がある。1年の2つの時期の間,すなわちモンスーン作 物(Kharif)と冬作物(Rabi)とが収穫され,村から町や市に移送されるときに,資金 の必要量が最も大きくなる。この2つの取引の流れを融通するために,2つの大きな融資 の洗れを必要とする。しかしモンスーンの期間の殆んど3ケ月にわたる閑散な時期があ
り,その間は資金に対する需要が最:も少ない。資金に対する需要が自然という事実の中に その根をおろしているわけである。1年の間における貨幣需要の異常な変動が,必然的に 利子率に異常な変動をもたらし,したがって取引を阻害する。インドには殆んど70万にの
ぼる村が全国にわたり散在し,通貨が広大な地域をお\わねばならない。運輸通信はなお 極めて不十分で,その結果通貨の可動も困難である。農村人ロは巨大で,町や市は総人ロ の一部分を支えるにすぎない。農民の平均所得は極めて低く,またこの階級の教育も殆ん ど欠如している状態にある。農民の生活の最関心事は降雨かその補助的灌蔵施設のこと
で,もし,そのどちらかが正常であれば村の政治については忘れてしまう。もし可動性が 主として運輪通信の欠如によって困難であれば,農民は自らの農業所得を補充するための 出稼ぎにゆく機会がみつけられない。この外部世界との接触を欠いでいるごとが,農民を して極度に保守的にし,疑深くまた迷信深いものとさせている。もし市場と容易に接触す ることができれば,農民はその低い水準の範囲内であってもともかく,作物と引換えに受 けとった貨幣が商品と再び交換され得るのである。しかし運輸通信の欠如がこれを困難と し,その結果通貨は早急に還流せずに何ケ月もの間その村を離れて流れてゆく。これら要 因は通貨の流通速度を低水準におく原因となっている。要するに通貨の非常な欠乏という 事態に直面するわけである。道路その他運輸の便宜の急速な発展が,この欠乏状態を相当 範囲まで引下げるに役立つであろうし,インドにおける貨幣流通に大きな価値をもつもの
となるであろう。
欧米先進国では預金銀行業務が十分に発達し,小切手制度が商取引のうえで大きな役割 を果している。インドにおいても商業銀行がその支店を拡充し,農村部はともかく,都市 におけるこの制度は殊に近年発達をみたが,いまだこの国の取引で必要とする弾力性に適 応するものでない。これらすべての事情にもとづいて,インドは弾力的な銀行券発行制度 を必要とする。
さてインド準備銀行は,イングランド銀行のパターンにそって2つの部門,発行部と銀 行部とをもつ。このような分割は通貨学派の勧告でイギリスで行なわれたものである。す なわち通貨を管理する業務をその他の業務と区別して,銀行職能のうえで前者を発行部 で,後者を銀行部で行なうべきものとした。銀行券の発行と通貨の管理については競争は 容認すべきでなく,銀行業務はその他銀行の業務と同様の立場にたつものとした。2つの 部門への分割は,銀行券発行業務と銀行業務との間の原則の事実上の区別を明瞭にするた めに工夫されたものである。しかし銀行の2つの部門への分割は,なんら有用な目的に役 立つものではなく理論的な正当性はない。銀行券発行に関しての現実の重要なことは通貨 制度における人の信頼にある。 (P.C.Jain;ibid.,P.192.)1934年のインド準備銀行法 は比例準備制度(Prorortional Reserve Systeln)を採用した。
準 備 資 産 1
40%
金貨,金地金
またはスターリング証券。
金貨および金地金の最低額 は4億ルピーをさがっては ならない。
1残余の60%
1
(a)
ルピー貨およびインド政府
のルピー証券。
証券の額は全準備資産の25
%または5億ルピーのいず れか大きい方をこえてにな
らない。
1
(b}
適格の国内為替 手形および約束 手形。
銀行券発行についてそれを確実にするために準備資産について規定を設けている。
α)正貨準備の比率は流通銀行券の40%と規定しているが,この部分にはスターリング 証券を含んでいる。このうち金貨,金地金については最低額を定め,4億ルピーよりさが
ってはならないとしている。
② 残余の60%はルピー貨,インド政府のルピー証券およびインド国内で支払われ,法 律で準備銀行が購入するに適格の為替手形および約束手形で充当する。しかしインド政府 のルピー証券については保持する額に制限が設けられ,その最高額は全体の25%または5 億ルピーのいずれか大きい方をこえてはならない。さらにGovemor−General in Counci1 による事前の認可があればこの額に1億ルピーを付加することができる。
つぎのことは注目すべきことである。ルピー貨および政府のルピー証券をあわせた全体 の量については最高額の制限が設けられていない。したがって準備銀行は残余の60%の全 部をこれらで維持することをさまたげられない。そこで準備資産の構成で,準備銀行の購 入する用意のある適格の為替手形および約束手形一それらは緊急の際に金融市場を救済す るうえで必要なものとなるが一が無視され得ることである。逆にまた準備法は,準備銀行 が残余の60%の構成のなかで,ルピー貨おまび政府のルピー証券を犠牲にして,望ましく ないパーセンテージに達する量にまで,適格の手形を購入することをさまたげる規定もな い。法律で裏書きを必要とされ指定銀行(Scheduled Bank)で保証された適格の為替手 形および約束手形の購入は,準備銀行の側にとって危険な投資ではなく,かかる購入に最 高額制限の必要はおかれない。
(3)さらにアメリカの連邦準備銀行法におけるごとく,緊急時における準備要求の停止 に対する条例の規定がある。すなわち規定は金貨,金地金およびスターリング証券で保有 すべき準備資産は40%となっているが,うえにのべたごとき事前の認可で,最初の場合30 日をこえない範囲で,さらにまた経過によって15日をこえない範囲で延長して40%をわっ てもよいとしている。しかしこの場合準備銀行は保有額が規定された最低限以下に減少す ると,その額について税を支払わねばならない。この税は三々に変わり累進的である。税 は罰則的のもので,ある程度に達すると禁止的となる。というのは特別の上限をこえた銀 行券発行は,同時にその税の支払いで準備銀行に絶対的な損失を負荷するものとなるから である。うえの条項は銀行券発行についての付加的な弾力性に対する規定である。
つぎの表はインド準備銀行の営業開始のときの銀行券発行の状態を示したもので,1935 年4月5日付発行部の最初の週のステートメントで示された資産・負債である。
この表から知り得ることは,インド政府が準備銀行に引渡した金貨および金地金が 4,44217億ルピーであったこと,さらに囚の合計額が準備資産の50.Olパーセントを占めて
いること,さらに保有手形が皆無であった点である。
準備銀行の業務開始後,銀行券発行は継続的に増加を示し始めた。しかしその増加は第 二次大戦の勃発およびそれにつづく聞著しく急速であった。銀行券発行の増加には多くの 要因が考えられるが,とりわけ工業生産の増大および戦争に関連した商業活動の増大テン
発行部(1,000ルピー)
負
債 資 産1.銀行部の保有する銀行券 190,529 2 流通銀行券 1,669,997
合計 1,860,526
A 金貨および金地金
{a)インド国内保有分 415,519
(b)インド国外保有分 28,698 (c}スターリング証券 486,295
計930,512
B(1) ルピー貨 499,495
(2)インド政府ルピー証券 430,519 (3)国内為替手形,その他 niI 商業手形
合計 L860,526
ポに負うところ大である。1939〜40年から1943〜44年に至る5年間の民間および軍事の全 支出は100億5千万ルピーにおよんだ。基準となる1938〜39年における支出でとってみる
と,この間の正常な全支出は42億6千万ルピーであったであろう。そうすると余分の57億 9千万ルピーは戦時供給のためからの需要の結果であった。準備銀行の銀行券発行および 資産の構成にも変化があらわれた。それをみると下記の表のごとくである。
発行部(10万ルピー)
負 債 資 産
金曜日
の平均1938−39 1939−40 1940−41 1941−42
流 通銀行部にお 銀行券ける銀行券
1 2
・942−43151・344 1943−44 1944−45 1945−46 1946−47 1947−48 1948−49 1949−50
11950−51
i18,236i 20,9221
124,1411
30・768}
}
77・717P96,869i
・・6・2641 122,2961
{
122,7821 1123,1841 112,8941116・321
2,828 1,879 1,726 1,221 1,180 1,050 1,093 1,614 3,261 4,712 2,202
全銀行券発行高 3
21,064 22,801 25,867 31,989 52,524 78,767 97,962 117,905 122,557 127,495 125,386 2,4・・1・15,294 L7 9 堰f18・040
金貨およ び金地金
4
4,442 4,442 4,442 4,442 4,442 4,442 4,442 4,442
14,442
4,442 4,449 4,002 4,002
スターリ
ング証券5
6,695 7,863 12,992 16,500 31,911 64,352 86,373 106,126 113,388 113,532 90,747
ルピー ルピー貨 証 券 6 7
6,7、、13,2、6 6・752i3・744
劉轡逡
64,704i
l
62,4703,587 3,528 2,233 1,428 1,352 1,553 1,943
3,236i
4,296 5,053i41,5365・72
m45・847
t4,8461 7,51gI
13,938 8,545 5,795 5,784 5,784 6,284
26,5621
Ni1
!ノ
〃
〃
(!
〃
〃
〃
〃
〃
〃
!ノ
〃
52.91 53.97 67.39 65.47 69.21 87.34 92.70 93.78 93.85 92.53 75.43 59.59 56.31
%
B.E. Dadachanli,前掲書
うえの表についてみると,(イ)金貨および金地金については1947−48年までコンスタント で増減がなかった。1949−50年以降若干の減少をみたが,これはパキスタンの分割で引渡 された結果である。なお金の再評価は行なわれていない。回スターリング証券を含めて 正貨準備の割合は,1941−42年を除き連年漸増をつづけ,ユ946−47年には93.85%に達し
たが,これはスターリング証券の増大の結果である。しかし1948−49年.以降は下降を示し ている。㈲適格の為替手形および商業手形が発行部の資産のなかに全く組入れられてい なかったことが注目される。この部分は1950−51年に至るまでの間全く機能していなかっ たことが明かである。
3
いままでに述べてきたごとく,準備銀行の設立によって,従前の政府の銀行券発行の独 占権は準備銀行の手中に帰し,固定的な保証準備による銀行券発行から比例準備制度が確 立し,その後20年以上にわたり変更されることがなかった。ところで1956年および1957年 の修正法によって,比例準備制度は放棄され,代って対外準備の最低額を固定する新しい 制度が導入された。新制度の説明のまえに前表で示した以降1956年に至るまでの発行部の 資産・負債の状態を示しておく。
(10万ルピー)
負
債 1 資産
金曜日の
平 均 綾行乱心劉鉾矯
ユ 行券 2 1 3
、95、_52i
1952−53 1953−54 1954−55
ユ955−56
118,984 111,484
i
113,3951
119,6191
133,939
2,778 2,787 2,303 2,298
1
1,7081
1端張1う多謝ルビ贋
4 5 6
l
12].,762 1
、、4,2721
115,697 121,918 135,647 i
l
4,002 4,002 4,002 4,002 4,002
62,527 56,440 59,4Q2 64,88ユ
65,652 6,398 80,22 9,283 10,226 10,687
証 券ルピー
7
48,836 45,808 43,0ユユ
42,809 55,306
(4+5)
の(3)に対
する比
%54.64
52.89 54.80 56。50 51.35
(金原氏,前掲論文)
ところで銀行券発行制度のうえでこの変更をもたらした要因を要約すればつぎのごとく である。
(1)2次にわたる経済開発5ケ年計画が必然的に通貨の継続的膨脹を惹起し,同時に計画 遂行の融資をまかなうために準備銀行で保有する対外準備に依存することを必要とした。
(2)戦中,戦後の期間,中央銀行についての立法の一般的傾向は,対外準備を銀行券発 行にリンクせしめないようにすることであった。対外準備を銀行券発行にリンクさせるこ
とは,国際金本位制の存続する時代における名残りと考えられた。
1956年の修正法
まず最初の変更は,1956年10.月6日から施行された同年のインド準備銀行修正法により 行なわれた。その骨子はつぎのとおりである。 ・ (1)比例準備制度に代って最:低額準備法とでもいうべき制度を新しく採用した。これは 対外準備金の最低限度を規定するもので,すなわち,(a)外国証券を40億ルピー,㈲金
および金地金を11億5千万ルピーと定めた。したがって全額では51億5千万ルピーとな
る。
(2)修正法施行前の準備銀行の保有金は,1ルピーが8,47512グレインの割合で,すな わち1トーラ(書オンス)が21.24ルピーと評価されていたが,修正法ではIMFによ り承認された公定平価で金を再評価し,1ルピーを2.88グレイン,すなわち1トーラを 62.50ルピーとした。その結果いままで4億ルピーと評価されてぎた金が新たに11億5千 万ルピーとなり,金の量に変更はないが再評価格の引上げとなった。
1957年の第二次修正法
ついで1957年インド準備銀行法(第2次修正)によって銀行資産の構成に変更がもたら されることになった。修正法の規定する趣旨はつぎのごとくである。
(1)発行部で保有される金貨,金地金および外国証券の額は何時でも20億ルピーをさが ってはならない。またこのうち金貨,金地金の額はU億5千万ルピーをさがることを得な
い。
(2)外国為替に関する準備要求は,予見し得ぬ偶発時に対応して停止され得る。かかる 規定は多くの国の中央銀行の資産状態についてみられるところである。
かくて準備銀行は一方で常に最低11億5千万ルピーの金を保有せねばならず,他方外国 証券の保有は完全に無しで済ますことも可能となった。
ここで銀行券発行制度の変更以後における銀行券発行状態をみることにしよう。
この表では,金の再評価(1956年 i年月末
最 終
金曜日
資
産
陵 債金陣門薦誘
1956.12 1957.12 1958.12 1959.12 1960,12 1961.12 1962.12 1963.12 1964.12 1965.12 1966.ユ2 1967,12 1968.12 1969.12 1970.12 1971.ユ2 1972.ユ2
1973.8
1,178 11,178 1,178 1,178 1,178 1,178 1,178
L178
1,178 1,338 1,159 1,159 1,159 1,825 ユ,825 1,825 1,825 1,825
4,473 2,752 1,647 ユ,630 1,280 1,169 881 975 855 751 1,864 1,664 2,064 2,214 3,l14 1,859 1,717 1,774
7,854 9,973 11,848 13,274 ユ5且21 16,038 18,184 20,293 22,161 24,281 24,949 27,002 28,631 31,623 34,673 40,206 44,243 50,447
発 行銀行券
14,661 15,233 16,038 17,411 18,852 19,615 21,483 23,622 25,217 27,384 28,854 30,610 32,682 36,361 40,190 44,318 47,993 54,ユ76
(100万ルピー) 日本銀行,外国経済統計月報
修正法)により,準備銀行の保有す る金貨,金地金の額は4億20万ルピ ーからU億7800万ルピーに変更され たが,1965年以降若干の増減を経て 18億2500万ルピーに増加した。外国 証券は大部分がスターリング証券で あるが,減少をつづけ途中増減を繰 返しながら半分以下に減少した。
1956年の保有額は修正法の最低限度 額の要求をみたしている。但しこの 修正法では緊急の際においては政府 の事前の認可で30億ルピーまで引下 げることを得たが,1957年の第二 次修正法ではこの規定も削除され た。これは増大する外国為替の危機 に即応するための措置であった。
(P.C. Jain;ibid.,P.193.)1957年外国証券の保有額は急激に減少し,5ケ年計画の進 行で減少をたどっていることは表によってみられるところである。銀行券の発行は政府証 券の買入れや商業銀行貸出によって銀行部を通じて行なわれるが,準備資産についてはす でに述べた最低保有額のほかは,とくに厳格な規定はみられず,銀行券発行の増加を抑制 する働きをもっていない。銀行券の発行は数次にわたる5ケ年計画の遂行で継続的に大幅 な増大を示しているが,準備資産のなかで金貨,金地金および外国証券の保有額は総額で 減少し,準備資産のなかでの割合は僅少で,結局大部分が政府証券で占められている状態 である。通貨供給の源泉が政府証券や政府貸付金によることの大きい点がインドにおける 特徴といえよう。準備銀行が政府の赤字財政をまかなっていることである。こうした背景 にはインド経済の実情があろう。インドが5ケ年計画を遂行し,工業化を達成するために 公債発行,赤字財政に依存することもやむを得ないであろう。外国の経済協力を期待する
こともさりながら,増税や公債公募で計画投資を十分にまかなうことを得なければ,結局準 備銀行の公債引受或いは政府貸付金の形式による赤字財政に依存せざるを得ないわけで,
そこにまた準備銀行の関連する多様な問題があることが考えられるbここでは準備銀行の 銀行券発行制度についてとりあげるにとどまり,他に言及する余裕をもたなかったが,別 の機会に行なうことにしたい。