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「想定外」に思うこと

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Academic year: 2021

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「想定外」に思うこと

正本 忍

文化環境研究会会員

「想定外」。昨年3月の大震災および福島原発事故の直後、この言葉がメディアに踊ったのは記 憶に新しい。「想定外」の地震と津波は未曾有の災害をもたらし、原発事故による被害は今なお 拡大中である。

「想定」とは人知の及ぶ範囲である。人は、経験により、科学により、「想定」する。科学に基 づく「想定」こそわれわれを他の動物と分ける営みであり、その人類の最も本質的な行動によっ て、われわれは自然の中で自らの活動領域を拡げてきた。

今回の大地震や原発事故は「想定」の外にあった、と関係者や専門家は口々に主張した。確か に、被害の大きさに圧倒され、彼らの主張にうなずいた人も多かったであろう。だが、少数なが ら、これほどの規模の地震や津波、原発事故を「想定」していた人たちがいて、それが決して「想 定」できなかったわけではないことも、その後明らかになった。

人はそれぞれ経験知も科学的知見も違う。当然、「想定」可能な領域も人によって変わってく る。また、仮に経験や科学を介して得られる情報量を同じにしたとしても、「想定」の範囲は違っ てくるだろう。なぜなら、人は利害や都合で「想定」の範囲を決めるからである。われわれは自 分に利益をもたらす「想定」であればその射程を拡げるが、不利益をもたらす「想定」であれば、

その範囲を制限する。しかも、利害や都合を短期的に判断してしまいがちである。こうして、経 験の蓄積や科学の発展によって拡がり続ける「想定」の最大領域と、われわれが実際に設定する

「想定」との間には「想定外」が広く横たわることになり、大きな事故や災害は時に「想定外」

として片付けられてしまう。

それでは、短期的な利害や都合に囚われず「想定外」を少しでも減らすにはどうすればいいの だろうか。人は経験を科学することができるし、想像力を使うこともできる。人類の経験のあら ゆる形態 ―それは記憶ともいえるし、遺産ともいえるだろうが― と想像力の産物を扱うのが人 文学(the humanities)だとすれば、その一領域としての文化環境諸研究の間をたゆたうのも、決 して意味のないことではないだろう。そう思いながら、『文化環境研究』最新号のページをめく ることにしたい。

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