自 然 法 思 想 と 実 存 思 想
︵ こ
はじめに 一実存思想とは何か︵以上本号︶
ニ再生自然法思想1形而上学あるいは隠された実存思想 三 自然法の﹁存在﹂及び﹁機能﹂の超越論的根拠としての﹁実存−投企﹂
むすびー自然法思想 あるいは永遠のシジフォス
は じ め に
南 利 明
秩序と正義がかつてないほど法それ自体によって引き裂かれた精神の焦土に︑ひとり﹁自然法﹂が任命される︒むろん
その任務は︑﹁法ニヒリズム﹂の回帰の防止ということだ︒以来︑既に1/3世紀空の歳月の経過をみた︒その間︑自然
法が法に対して希望を失なった人々の未来であったのは︑ほんのつかのまのことであり︑やがて彼女のもとには忘の解
任通知が届けられる︒その理由は︑秩序と平安を乱すというわけだ︒あたかもそのことが自らの存在のあかしでもあるか
のように︑かつて多くの人々が争うようにして自然法について語ったにもかかわらず︑今日では︑人はその終焉について
語ることさえ忘れてしまっているかのようである︒人が今日口にするのは﹁法規範の分析﹂であり﹁法的推論﹂であり
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﹁法律学的ヘルメノイティーク﹂﹁法理論﹂⁝⁝といったものである︒かつてあれほど声高に語られた自然法は︑わずか
にカトリックの法理論の中で命脈を保っているにすぎない︒無関心であることによってそれを片づけてしまうこと︑それ
が今日流のやり方なのだ︒
しかしこうした広くゆきわたった無関心は︑第二次大戦後の西ドイツを中心とした自然法思想の再生を︑法思想史のも
っとも新らしいページに書き加えられた出来事として︑それとの﹁対話﹂を行なわんとする者にとっては︑かえって好都
合なことといえるかもしれないUそれというのも︑絵画を鑑賞するためには︑それに適した﹁距離﹂が必要であるよう
に︑ある出来事を正しく見るためには︑それへの﹁距離をおいた客観性﹂が必要とされるであろうから︒自然法の再生か
らl/3世紀︑シエラウスケによる戦後自然法論の﹁たなおろし﹂ からさえ既に一五年近くたった今日︑我々はそうした
﹁時間距離﹂を手にしているといってよいであろうUむろんそのことは︑自然法思想を︑現在の状況から切り離され︑我
々に無関係な客体でもあるかのように取りあつかおうということではない︒むしろ再生以来三〇年余という時の経過の中
で︑無関心という形においてであれ︑あるいは忘却という形においてであれ︑自然法思想が陥っている﹁疎外﹂からそれ
を救い出し﹁対話の生きた現在に戻そうとすること﹂︑それが我々の究極の狙いである︒
﹁対話﹂の開始は﹁問う﹂ことによってはじまる︒再生した自然法思想と実存思想の関係を明らかにすること︑それが
以下の論敦のテーマである︒しかしそのさい︑我々の主たる関心事は︑実存思想の自然法思想に対する直接的な影響関係
を明らかにしようとすることにあるのではないU そうではなくて︑以下において問題としたいことは︑﹁法ニヒリズム﹂
の克服という課題に向けられた戦後の自然法思想が︑その形上而学的な装いにもかかわらず︑!論者自身︑そのことを
明確に認識していたか否かはともかくとして−︑その全体において︑通常それとは対照的な立場に立つと思われてきた
実存思想によって支配され貫徹されていたのではなかったか︑ということである二現代の自然法思想は存在︵Sein︶へ
と定位づけられている﹂とアルトウール・カウフマンはいう︒むろんそうした面は否定しえないものであるにせよ︑それ は﹁存在﹂よりもむしろ﹁実存︵Ek・SisIePZ︶﹂に定位づけられていたのではなかったか︑あるいは少なくとも﹁実存﹂
に定位づけることによってより良く理解されうるものではないのか︑そのことを我々は竿において明らかにしたいと思
そのためにまず︑﹁実存思想﹂とは果たして何か︑ということの検討から出発することにしよう︒
︵ 1
︶ H ・ G a d a m e r ︑ W a h r h e i ︷ u ロ d M e − h O d e
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︵ H r s g ・
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− 琴
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一実存思想とは何か
H E 訃 I e n ぢ h i
− O S O p h i e O d e r E 舛 i s
− e P Z p h O S O p h i e n
完世紀の中頃︑キルケゴールとニーチェに端を発し︑二度の世界大戦を経て大きな哲学的潮流となり︑やがて完六
〇年代︑フッサールルネサンスや構造主義の登場により哲学の表舞台から退いていった﹁実存思想﹂とは果たして何であ
︵1
︶
それは人間を﹁環境の所産﹂としてとらえるのでもなければ︑﹁絶対的立法者﹂としてとらえるのでもなく︑﹁生産され
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自然法思想と実存思想︵一︶ 四
生産するもの﹂としてとらえる哲学のことであるのか︑それとも唯物論も観念論も克服したと自称する﹁帝国主義段階に
固有な哲学上の﹃第三の道﹄の現代における頂点を︑またそのもっとも精巧なかたちを代表する﹂ものにすぎないのか︒
あるいは︑マルクス主義と対立するものではなく︑むしろ﹁われわれの時代ののりこえ不可能な哲学﹂である﹁マルクス
主義の内部に人間を回復させる﹂課題を担ってマルクス主義の﹁余白﹂に発達したものであるのか︑それとも独占資本字
義という土壌によって養われ﹁ブルジョアジーのイデオロギー的顎廃から養分をすいと.った﹂ところの﹁現代のすべての
観念論哲学のうちで党派的にはもっとも反動的な哲学のひとつである﹂のか︒あるいは︑﹁デモクラシーといわず︑ファシ
ズムといわず︑社会主義といわず︑あらゆる社会組織のうちで機械的生産と手に手をとって進む集団主義的な非人格化へ
の傾向に反対する﹂﹁解放の哲学﹂であるのか︑それとも﹁ヨーロッパの病弱な精神が分泌するニヒリズム的な毒のエキ
スである﹂のか︒あるいは︑﹁形而上学に過去の偉大な哲学者たちが与えてきたような輝きを取り戻すための努力﹂ であ
るのか︑それとも﹁個人の心意にかかわる事柄を︑哲学の問題と呼ぶに値するものにまで昇格﹂させようとする﹁街の娘
っ子のおしゃべりにふさわしいような種類の形而上学﹂に他ならないのか︒あるいは﹁神にもとづく人間の現存在の理解
を破壊するもっともラディカルな試みである﹂のか︑それとも﹁聖書と聖書の宗教は我々の哲学することの基盤であり不
断の方向づげであり︑そしてかけがえのない内実の源泉である﹂とする哲学のことであるのか︒
こうした対比をさらに積み重ねてゆくこともできようが︑しかしそれによって明らかになることは︑実存思想の統一的
像をうることの困難さだけである︒﹁この言葉を使う大部分の人は︑これに正当な定義を下そうとなると手も足も出なく
なる﹂という事態は︑実存思想の流行が終わって既に久しい今日でも変わりはない︒それというのも結局は︑実存思想は
﹁共通の内容をもった哲学的理論﹂などではなく︑そもそもはじめから実質定義が可能であるような﹁このコトバが指し
示す本質性といったものは存在しなかった﹂のだから︒あるいは実存の本質に対する優位をとなえる哲学の共通の本質性
嘉めること自体背理といえるかもしれない︒事実︑現代の実存思想の成立に直接的影響を与えたといわれるキルケゴー
ルとニーチェの間にあって︑あるいは今日代表的な実存思想家として挙げられるハイデッガー︑ヤスパース︑サルトル︑
マルセル⁝⁝の間にあっても︑人は共通点よりもむしろ相異点を兄い出すことの方がはるかにたやすいことであろう︒た
とえば彼らの哲学の究極のテーマについてみても︑ハイデッガーにおいては存在者と区別された﹁存在﹂︑ヤスパースに
ぉいては﹁包括者﹂あるいは﹁超砦﹂︑マルセルにおいては﹁存在の神秘﹂︑サルトルにおいては﹁自由﹂といったよう
に互いに異なったものであり︑あるいは︑彼らが共に哲学することの根本概念としてとらえ︑それゆえに又人が彼らを
﹁実存哲学者﹂と一括して呼ぶところの﹁実存﹂概念についても︑彼らが下す定義は一見してわかるようにまちまちであ
る︒﹁自己自身から外へ出︑世界の内に存在していること﹂あるいは﹁存在の明るみの中に立つこと﹂を﹁実存﹂と呼ぶ
ハイデッガー︑現存在からの飛躍による﹁超越する働らき﹂の中で﹁自己自身に関係し︑且つそうすることのうちで超越
者に関係する﹂と︒ろの人間存在を﹁実存﹂と呼ぶヤスパー聖あるいは︑デカルト的なコギトが開示する実在とはまっ
たく異なって︑むしろ﹁古典的な主観・客観関係がもはや厳格に適用されなくなる﹂そういった﹁客観性の範囲を越え﹂
たところの一つの領域を﹁実存﹂と規定するマルセル﹁未来のなかにみずからを投企すること﹂によって自己自身の存在
を選択し創造する人間存在のあり方を﹁実存﹂と呼ぶサルトル︑彼らのこうした実存概念のうちに果たして人はいかなる
共通点を兄い出すであろうか︒さらにやっかいなことに︑マルクス主義や現象学におけるように︑その思想を一人で表現
しぅるような創始者にして代表者といったものが見あたらないばかりか︑実存思想の起源についてさえも人々の見解が一
致しているというわけではない︒ボへンス千によれば︑それは﹁われわれの時代にはじめてできあがったもので︑せい ぜいキルケゴールまでしか遡れない﹂のに対して︑ムーニエによれば︑実存主義の系譜はソクラテスやストア学派︑アウ グスティヌスにまで遡りうるという︒こうした事態嘉にして︑たとえばボへンス千は実存哲学の表的特警論ずる
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︶
五
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︶ 六
に先立って﹁実存哲学は何でないか﹂と問い︑あるいはハイネマンは﹁存在するのは一個の実存哲学ではなく︑相互に深
甚な差異をもったさまざまの哲学である﹂という︒結局我々が手にしうるのは﹁幾つもの実存主義﹂だというわけであ
︵ 飢 ︶
さらに我々を困惑させる奇妙な出来事は︑実存思想家と世間から目されている人々がいずれもそうした呼び名を拒否
し︑実存の立場をのりこえてゆこうとする現象である︒﹁存在﹂を思惟の竺のテーマとし﹃存在と時間﹄の人間学的読
解を終始拒否してきたハイデッガーはいうまでもなく︑かつては自らの著書に﹃実存哲学﹄という題名を冠することにや
ぶさかではなかったヤスパースも第二次大戦後︑自らの哲学を﹁理性の哲学﹂と規定するに至っている︒あるいは︑従来
﹁キリスト教的実存主義者﹂とみなされてきたマルセルも又完五−年の﹃存在の神秘﹄の﹁まえがき﹂の中で﹁︑芸・
ソクラティスム︑あるいはキリスト教的ソクラティスムという名称﹂の採用を宣言している︒さらに︑かつて﹁実存主義
とはヒューマニズムである﹂と宣言し︑実存主義流行の口火を切ったと考えられてきたサルトルでさえ︑完五〇年代に
はマルクス主義への接近を試み︑最近のインタビューではミッシェル・コンタの質問に答えて次のようにのべている︑
﹁この言葉︹実存主義︺そのものは馬鹿げている︒それにこの言葉を選んだのはど承知のとおりわたしじゃない︒誰かが
わたしにはりつけて︑わたしはこれを受け入れただけだ︑今日だったならばもう受け入れないだろうがね︒﹂
結局︑ボルノーがいうように﹁純粋﹂な実存思想といったものはどこにも存在しなかったのであり︑ただ人為的にのみ
つくり出された実存思想というものが存在したにすぎなかったということになろう︒我々に残されたことはせいぜいハイ デッガーの哲学︑サルトルの哲学⁝⁝について語ることだけだ︑ということになるかもしれない︒しかしそれにもかかわ
らず︑他の現代思想の諸傾向に対して彼らの哲学思想を﹁実存思想﹂としてまとめることが不可能だというわけではな
い︒それというのも︑彼らの思想は同じ時代の子として︑彼らの時代が経験したヨーロッパ文化と人間の﹁危機﹂状況の
中で︑共に﹁現実世界の内で生きている具体的で個別的な人間存在の核1!実存﹂への回帰を通じて危機と対決し︑それを
克服しようとするものであり︑その限りにおいて我々は彼らの相異なる理論を斜めに貫いて走る共通の思想的特徴を指摘
することが可能だからである︒それゆえ実存思想の共通の特徴を明らかにしようとするさい︑その一つの手がかりは︑そ
れが登場した歴史的︑社会的︑思想史的背景を明らかにすることだということになろう︒
︵1︶人間存在を抽象的で透明な認識理性としてではなく︑むしろ︑この現実世界の内へ投錨されている生ける具体的・個別的存在=実
存としてとらえ︑そうした実存を何らかの意味で哲学することの基本的前提としている現代のヲロッパの哲学思潮をいかなる名称
で呼ぶかについては︑その思潮を代表すると目される哲学者たちのそれぞれの思想内容の相異ともかかわって︑﹁実存哲学﹂﹁実存論 的哲学﹂﹁実存主義﹂﹁実存思想﹂といった具合に︑必ずしも壷があるわけではないCたとえばレンツは﹁実存主義︑実存哲学︑実
存 論 的 哲 学 は 本 質 的 に 同 じ も の を 意 味 し て い る ︑ 即 ち ド イ ツ ︑ フ ラ ン ス の 現 代 哲 学 の 現 代 的 傾 向 を
﹂ ︵ D e r m O d e r n e d e u t s c h e u P d f r a P Z 賢 s c h e E 鼓 I e n I i a
− i s m u s S ・
− N
︶ と す る の に 対 し て ︑ ロ ッ ツ は
︑ ﹁ 実 存 哲 学
﹂ と い う 名 称 を ヤ ス パ ー ス に ︑
﹁ 実 存 論 的
哲学﹂をハイデッガーに︑そして﹁実存主義﹂をサルトルにあて︑﹁実存主義﹂という流行のコトバがドイツの﹁実存哲学﹂﹁実存論
的 哲 学 ﹂ に 転 用 し な い こ と が 肝 要 で あ る と い う ︵
〜 u m W e s e ロ d e r E 已 S
︷ e ロ Z p h i − O S O p h i e ・ i ロ
⁚ S c h O − a s t i k ● N ド
︵ ︼ 琶 ︶
. S
. ︼ 琶 ︶
︒
以下の論述においては︑一応原則として︑第一次大戦後において成立した哲学思潮を﹁実存哲学﹂︑第二次大戦後フランスで展開
されたそれを﹁実存主義﹂︑キルケゴールに始まるそうした現代の思潮全体を包括する名称として﹁実存思想﹂という言葉を用いる
︵ 2
︶ M ・ M e r − e a u ・ P O n − y − S e n s e − n O P ・ S e ロ S
・ − 蓋 ・ p ・ 捏 苛
︹ 永 戸 訳
﹁ 意 味 と 璧 息 味 ﹂ 二 二 二 頁
︺
︵ 3
︶ G
・ L u k a c s − E 已 S − e P t i a − i s m e O u m a r 註 m e
= 軍 p ・
− 料
︑ −
∞ e
− S
・ ︹ 城 塚
・ 生 松 訳
﹁ 実 存 主 義 か マ ル ク ス 主 義 か ﹂
⁚ 1 1 ︑
・ 芸
︺
︵ 4
︶ J
・ P
・ S a r I r e I C r i − q u e d e − a r a i s O ロ d i a
− e c I i q u e
・ → O m e = 芦 p
・ 岩 違
︹ 平 井 訳
﹁ 方 法 の 問 題
﹂ 六
︑ 二 五 ︑ 九 妄
︺
︵ 5
︶ G
・ M e n d e
・ S I u d i e n 賢 r d i e E 已 S
− e n Z p h i − O S O p h i e ・
− 望
・ S
・ − 三 栗 本 ︑ 相 原 訳 ﹁ 実 存 主 義 研 究
﹂ 四 七 頁
︺
︵ 6
︶ F
・ H e i n e m a ロ ロ
︑ E 註 I e ロ Z p h i
− O S O p h i e L e b e P d i g O d e r
− 0
− ご 茫 S
・ − ヨ ︹ 飯 島
︑ 岩 永 訳
﹁ 実 存 哲 学 そ の 生 け る も の と 死 せ
るもの﹂三一四頁以下︺
自 ・ 然 法 思 想 と 実 存 思 想 ︵ 一 ︶
七
屯Ⅱ表題取壊刃蝋聴取肇(1)
(ト)H.Kuhn,BegegnungmitdemNichts.1950.S・39〔恒賀拓「唱巌JJQ竃朝ニ」EIii頓〕
(co)上b、=r(エローr(量「蝋壮相場」逗∩ニtJ、ミロ=軍人lトヽ史観臣」吏皆′肇霊場回Q叶い定植・拙刃二小O C・L6vi−StrauSS, Dequelquesrencontres・in:L,Arc・46(1971)p・43〔聾拓「ニ〉吏旨量Q竃朝ニ」瞞慮朴芯蔚u磐石叶「#.っr(・ヽミロ
=軍人lトヽ」10輯〕
(0))C.L6vi−Strauss,Tristestropiques・1955・〔≡乱拓「顆■勅感牲」(Jl)<貞屈〕
(ヨ)W.Weischedel,WesenundGrenzenderExistenzphilosophie・in:Frankfurter Hefte・3(1948)S・730,732;J・P・ sartre,L,existentialismeestunhumanisme・1946・P・94〔塾富拓「蝋穂川瀾刃想定量」刊く舶
(コ)K.Jaspers,Der philosophischeGlaube・1948・S・75 (Sj)J.P.Sartre,Op・Cit・,P・15〔1EI頓〕
(53)A.Wenzl,ZumProblemderExistentialphilosophie・in‥Hochland・Bd・40(1947/48)S・343,353
(ヨ)F.Heinemann,SchicksalundAufgabederPhilosophieinzwanzigstenJahrhundert・in:DiePhilosophieim20 Jahrhundert.(Hrsg.vonF・Heinemann)1963・S・275
(Ee)M.Heidegger,DieGrundproblemderPhanomenologie・1975・S・242
(ヨ)M.Heidegger,UberdenHumanismus・1968(lAufl・1949)S・13豚柊拓「ルート‥冗弓逗〔こい」日日郵 (5)K.Jaspers,Philosophie・ErsterBand・3Aufl・1956(lAufl・1932)S・15〔層礫拓「離幅御如拙侶10舶
(3)G.Marcel,Journalm6taphysique・1927・p・315ets・〔吊普茶「染濫1朴皿吼El<<咽rL] (3)J.P・Sartre,Op・Cit・,p・22ets・〔1ii酔到円 (焉)J.M・Bochenski・Europ箆ischePhilosophiederGeganwart・2Aufl・1951・S・165・〔基硝「配Qm←ロト相削1<仁舶
(扇)E・Mounier,Introductionauxexistentialismes・1947・p・8ets・〔車上拓「蝋壮用瀾腑iE」朝鮮〕 ∪銅氾濫」岬ミ\−Q司トQ恕漕漣騰蜜殉忌七二′「1般Q蝋壮釦朴霊堂番頭起句か司堤糾掛Q製覇Q与逗麗欄」鳩 ハ蟻忌巨二時。仲もK…仰てミ只ミ量睾題的忌噂。>へl卜…㊦河童中耳〉用Q皇酢蛸・良く忌ハ相川P射小OJ量 」畔釦酢蛸擬捌贈P聖′聖i)愛付根Unpミ蛸足悪榊」(0・F・Bollnow・ZurDiskussionuberdieExistenzph−
ilosophie auf dem philosophischen Kongressin Gramisch−Partenkirchen・in:Zeitschrift fur philosophische
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