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自然法思想と実存思想(こ

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(1)

自 然 法 思 想 と 実 存 思 想

︵ こ

はじめに 一実存思想とは何か︵以上本号︶

ニ再生自然法思想1形而上学あるいは隠された実存思想 三 自然法の﹁存在﹂及び﹁機能﹂の超越論的根拠としての﹁実存−投企﹂

むすびー自然法思想 あるいは永遠のシジフォス

は   じ   め   に

南     利   明

秩序と正義がかつてないほど法それ自体によって引き裂かれた精神の焦土に︑ひとり﹁自然法﹂が任命される︒むろん

その任務は︑﹁法ニヒリズム﹂の回帰の防止ということだ︒以来︑既に1/3世紀空の歳月の経過をみた︒その間︑自然

法が法に対して希望を失なった人々の未来であったのは︑ほんのつかのまのことであり︑やがて彼女のもとには忘の解

任通知が届けられる︒その理由は︑秩序と平安を乱すというわけだ︒あたかもそのことが自らの存在のあかしでもあるか

のように︑かつて多くの人々が争うようにして自然法について語ったにもかかわらず︑今日では︑人はその終焉について

語ることさえ忘れてしまっているかのようである︒人が今日口にするのは﹁法規範の分析﹂であり﹁法的推論﹂であり

自 然 法 思 想 と 実 存 思 想

︵ 一

(2)

自 然 法 思 想 と 実 存 思 想

︵ 一

﹁法律学的ヘルメノイティーク﹂﹁法理論﹂⁝⁝といったものである︒かつてあれほど声高に語られた自然法は︑わずか

にカトリックの法理論の中で命脈を保っているにすぎない︒無関心であることによってそれを片づけてしまうこと︑それ

が今日流のやり方なのだ︒

しかしこうした広くゆきわたった無関心は︑第二次大戦後の西ドイツを中心とした自然法思想の再生を︑法思想史のも

っとも新らしいページに書き加えられた出来事として︑それとの﹁対話﹂を行なわんとする者にとっては︑かえって好都

合なことといえるかもしれないUそれというのも︑絵画を鑑賞するためには︑それに適した﹁距離﹂が必要であるよう

に︑ある出来事を正しく見るためには︑それへの﹁距離をおいた客観性﹂が必要とされるであろうから︒自然法の再生か

らl/3世紀︑シエラウスケによる戦後自然法論の﹁たなおろし﹂ からさえ既に一五年近くたった今日︑我々はそうした

﹁時間距離﹂を手にしているといってよいであろうUむろんそのことは︑自然法思想を︑現在の状況から切り離され︑我

々に無関係な客体でもあるかのように取りあつかおうということではない︒むしろ再生以来三〇年余という時の経過の中

で︑無関心という形においてであれ︑あるいは忘却という形においてであれ︑自然法思想が陥っている﹁疎外﹂からそれ

を救い出し﹁対話の生きた現在に戻そうとすること﹂︑それが我々の究極の狙いである︒

﹁対話﹂の開始は﹁問う﹂ことによってはじまる︒再生した自然法思想と実存思想の関係を明らかにすること︑それが

以下の論敦のテーマである︒しかしそのさい︑我々の主たる関心事は︑実存思想の自然法思想に対する直接的な影響関係

を明らかにしようとすることにあるのではないU そうではなくて︑以下において問題としたいことは︑﹁法ニヒリズム﹂

の克服という課題に向けられた戦後の自然法思想が︑その形上而学的な装いにもかかわらず︑!論者自身︑そのことを

明確に認識していたか否かはともかくとして−︑その全体において︑通常それとは対照的な立場に立つと思われてきた

実存思想によって支配され貫徹されていたのではなかったか︑ということである二現代の自然法思想は存在︵Sein︶へ

(3)

と定位づけられている﹂とアルトウール・カウフマンはいう︒むろんそうした面は否定しえないものであるにせよ︑それ は﹁存在﹂よりもむしろ﹁実存︵Ek・SisIePZ︶﹂に定位づけられていたのではなかったか︑あるいは少なくとも﹁実存﹂

に定位づけることによってより良く理解されうるものではないのか︑そのことを我々は竿において明らかにしたいと思

そのためにまず︑﹁実存思想﹂とは果たして何か︑ということの検討から出発することにしよう︒

︵ 1

︶   H ・ G a d a m e r ︑ W a h r h e i ︷ u ロ d M e − h O d e

● N A u P − 害 . S . N 遥

︵ 2

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− 蓋

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︵3︶ H●Gadamer.a.a.PS.当∽

︵ 4

︶   H

● G a d a m e r

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︵ 5

︶ A

・ K a u f m a ロ n − E i n − e i I u n g

・ i ロ ⁚ D i e O n − 0 − 0 g i s c h e B e g r 邑 u 完 d e s R e c h t s ・

︵ H r s g ・

⁝ A r − h u r K a u f m a n ロ ︶

− 琴

S . −

一実存思想とは何か

H   E 訃 I e n ぢ h i

− O S O p h i e O d e r E 舛 i s

− e P Z p h O S O p h i e n

完世紀の中頃︑キルケゴールとニーチェに端を発し︑二度の世界大戦を経て大きな哲学的潮流となり︑やがて完六

〇年代︑フッサールルネサンスや構造主義の登場により哲学の表舞台から退いていった﹁実存思想﹂とは果たして何であ

︵1

それは人間を﹁環境の所産﹂としてとらえるのでもなければ︑﹁絶対的立法者﹂としてとらえるのでもなく︑﹁生産され

自 然 法 思 想 と 実 存 思 想

︵ 一

(4)

自然法思想と実存思想︵一︶      四

生産するもの﹂としてとらえる哲学のことであるのか︑それとも唯物論も観念論も克服したと自称する﹁帝国主義段階に

固有な哲学上の﹃第三の道﹄の現代における頂点を︑またそのもっとも精巧なかたちを代表する﹂ものにすぎないのか︒

あるいは︑マルクス主義と対立するものではなく︑むしろ﹁われわれの時代ののりこえ不可能な哲学﹂である﹁マルクス

主義の内部に人間を回復させる﹂課題を担ってマルクス主義の﹁余白﹂に発達したものであるのか︑それとも独占資本字

義という土壌によって養われ﹁ブルジョアジーのイデオロギー的顎廃から養分をすいと.った﹂ところの﹁現代のすべての

観念論哲学のうちで党派的にはもっとも反動的な哲学のひとつである﹂のか︒あるいは︑﹁デモクラシーといわず︑ファシ

ズムといわず︑社会主義といわず︑あらゆる社会組織のうちで機械的生産と手に手をとって進む集団主義的な非人格化へ

の傾向に反対する﹂﹁解放の哲学﹂であるのか︑それとも﹁ヨーロッパの病弱な精神が分泌するニヒリズム的な毒のエキ

スである﹂のか︒あるいは︑﹁形而上学に過去の偉大な哲学者たちが与えてきたような輝きを取り戻すための努力﹂ であ

るのか︑それとも﹁個人の心意にかかわる事柄を︑哲学の問題と呼ぶに値するものにまで昇格﹂させようとする﹁街の娘

っ子のおしゃべりにふさわしいような種類の形而上学﹂に他ならないのか︒あるいは﹁神にもとづく人間の現存在の理解

を破壊するもっともラディカルな試みである﹂のか︑それとも﹁聖書と聖書の宗教は我々の哲学することの基盤であり不

断の方向づげであり︑そしてかけがえのない内実の源泉である﹂とする哲学のことであるのか︒

こうした対比をさらに積み重ねてゆくこともできようが︑しかしそれによって明らかになることは︑実存思想の統一的

像をうることの困難さだけである︒﹁この言葉を使う大部分の人は︑これに正当な定義を下そうとなると手も足も出なく

なる﹂という事態は︑実存思想の流行が終わって既に久しい今日でも変わりはない︒それというのも結局は︑実存思想は

﹁共通の内容をもった哲学的理論﹂などではなく︑そもそもはじめから実質定義が可能であるような﹁このコトバが指し

示す本質性といったものは存在しなかった﹂のだから︒あるいは実存の本質に対する優位をとなえる哲学の共通の本質性

(5)

嘉めること自体背理といえるかもしれない︒事実︑現代の実存思想の成立に直接的影響を与えたといわれるキルケゴー

ルとニーチェの間にあって︑あるいは今日代表的な実存思想家として挙げられるハイデッガー︑ヤスパース︑サルトル︑

マルセル⁝⁝の間にあっても︑人は共通点よりもむしろ相異点を兄い出すことの方がはるかにたやすいことであろう︒た

とえば彼らの哲学の究極のテーマについてみても︑ハイデッガーにおいては存在者と区別された﹁存在﹂︑ヤスパースに

ぉいては﹁包括者﹂あるいは﹁超砦﹂︑マルセルにおいては﹁存在の神秘﹂︑サルトルにおいては﹁自由﹂といったよう

に互いに異なったものであり︑あるいは︑彼らが共に哲学することの根本概念としてとらえ︑それゆえに又人が彼らを

﹁実存哲学者﹂と一括して呼ぶところの﹁実存﹂概念についても︑彼らが下す定義は一見してわかるようにまちまちであ

る︒﹁自己自身から外へ出︑世界の内に存在していること﹂あるいは﹁存在の明るみの中に立つこと﹂を﹁実存﹂と呼ぶ

ハイデッガー︑現存在からの飛躍による﹁超越する働らき﹂の中で﹁自己自身に関係し︑且つそうすることのうちで超越

者に関係する﹂と︒ろの人間存在を﹁実存﹂と呼ぶヤスパー聖あるいは︑デカルト的なコギトが開示する実在とはまっ

たく異なって︑むしろ﹁古典的な主観・客観関係がもはや厳格に適用されなくなる﹂そういった﹁客観性の範囲を越え﹂

たところの一つの領域を﹁実存﹂と規定するマルセル﹁未来のなかにみずからを投企すること﹂によって自己自身の存在

を選択し創造する人間存在のあり方を﹁実存﹂と呼ぶサルトル︑彼らのこうした実存概念のうちに果たして人はいかなる

共通点を兄い出すであろうか︒さらにやっかいなことに︑マルクス主義や現象学におけるように︑その思想を一人で表現

しぅるような創始者にして代表者といったものが見あたらないばかりか︑実存思想の起源についてさえも人々の見解が一

致しているというわけではない︒ボへンス千によれば︑それは﹁われわれの時代にはじめてできあがったもので︑せい ぜいキルケゴールまでしか遡れない﹂のに対して︑ムーニエによれば︑実存主義の系譜はソクラテスやストア学派︑アウ グスティヌスにまで遡りうるという︒こうした事態嘉にして︑たとえばボへンス千は実存哲学の表的特警論ずる

自 然 法 思 想 と 実 存 思 想

︵ 一

(6)

自 然 法 思 想 と 実 存 思 想

︵ 一

︶                                               六

に先立って﹁実存哲学は何でないか﹂と問い︑あるいはハイネマンは﹁存在するのは一個の実存哲学ではなく︑相互に深

甚な差異をもったさまざまの哲学である﹂という︒結局我々が手にしうるのは﹁幾つもの実存主義﹂だというわけであ

︵ 飢 ︶

さらに我々を困惑させる奇妙な出来事は︑実存思想家と世間から目されている人々がいずれもそうした呼び名を拒否

し︑実存の立場をのりこえてゆこうとする現象である︒﹁存在﹂を思惟の竺のテーマとし﹃存在と時間﹄の人間学的読

解を終始拒否してきたハイデッガーはいうまでもなく︑かつては自らの著書に﹃実存哲学﹄という題名を冠することにや

ぶさかではなかったヤスパースも第二次大戦後︑自らの哲学を﹁理性の哲学﹂と規定するに至っている︒あるいは︑従来

﹁キリスト教的実存主義者﹂とみなされてきたマルセルも又完五−年の﹃存在の神秘﹄の﹁まえがき﹂の中で﹁︑芸・

ソクラティスム︑あるいはキリスト教的ソクラティスムという名称﹂の採用を宣言している︒さらに︑かつて﹁実存主義

とはヒューマニズムである﹂と宣言し︑実存主義流行の口火を切ったと考えられてきたサルトルでさえ︑完五〇年代に

はマルクス主義への接近を試み︑最近のインタビューではミッシェル・コンタの質問に答えて次のようにのべている︑

﹁この言葉︹実存主義︺そのものは馬鹿げている︒それにこの言葉を選んだのはど承知のとおりわたしじゃない︒誰かが

わたしにはりつけて︑わたしはこれを受け入れただけだ︑今日だったならばもう受け入れないだろうがね︒﹂

結局︑ボルノーがいうように﹁純粋﹂な実存思想といったものはどこにも存在しなかったのであり︑ただ人為的にのみ

つくり出された実存思想というものが存在したにすぎなかったということになろう︒我々に残されたことはせいぜいハイ デッガーの哲学︑サルトルの哲学⁝⁝について語ることだけだ︑ということになるかもしれない︒しかしそれにもかかわ

らず︑他の現代思想の諸傾向に対して彼らの哲学思想を﹁実存思想﹂としてまとめることが不可能だというわけではな

い︒それというのも︑彼らの思想は同じ時代の子として︑彼らの時代が経験したヨーロッパ文化と人間の﹁危機﹂状況の

(7)

中で︑共に﹁現実世界の内で生きている具体的で個別的な人間存在の核1!実存﹂への回帰を通じて危機と対決し︑それを

克服しようとするものであり︑その限りにおいて我々は彼らの相異なる理論を斜めに貫いて走る共通の思想的特徴を指摘

することが可能だからである︒それゆえ実存思想の共通の特徴を明らかにしようとするさい︑その一つの手がかりは︑そ

れが登場した歴史的︑社会的︑思想史的背景を明らかにすることだということになろう︒

︵1︶人間存在を抽象的で透明な認識理性としてではなく︑むしろ︑この現実世界の内へ投錨されている生ける具体的・個別的存在=実

存としてとらえ︑そうした実存を何らかの意味で哲学することの基本的前提としている現代のヲロッパの哲学思潮をいかなる名称

で呼ぶかについては︑その思潮を代表すると目される哲学者たちのそれぞれの思想内容の相異ともかかわって︑﹁実存哲学﹂﹁実存論 的哲学﹂﹁実存主義﹂﹁実存思想﹂といった具合に︑必ずしも壷があるわけではないCたとえばレンツは﹁実存主義︑実存哲学︑実

存 論 的 哲 学 は 本 質 的 に 同 じ も の を 意 味 し て い る ︑ 即 ち ド イ ツ ︑ フ ラ ン ス の 現 代 哲 学 の 現 代 的 傾 向 を

﹂ ︵ D e r   m O d e r n e   d e u t s c h e u P d f r a P Z 賢 s c h e   E 鼓 I e n I i a

− i s m u s S ・

− N

︶ と す る の に 対 し て ︑ ロ ッ ツ は

︑ ﹁ 実 存 哲 学

﹂ と い う 名 称 を ヤ ス パ ー ス に ︑

﹁ 実 存 論 的

哲学﹂をハイデッガーに︑そして﹁実存主義﹂をサルトルにあて︑﹁実存主義﹂という流行のコトバがドイツの﹁実存哲学﹂﹁実存論

的 哲 学 ﹂ に 転 用 し な い こ と が 肝 要 で あ る と い う ︵

〜 u m W e s e ロ d e r E 已 S

︷ e ロ Z p h i − O S O p h i e ・ i ロ

⁚ S c h O − a s t i k ● N ド

︵ ︼ 琶 ︶

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. ︼ 琶 ︶

以下の論述においては︑一応原則として︑第一次大戦後において成立した哲学思潮を﹁実存哲学﹂︑第二次大戦後フランスで展開

されたそれを﹁実存主義﹂︑キルケゴールに始まるそうした現代の思潮全体を包括する名称として﹁実存思想﹂という言葉を用いる

︵ 2

︶   M ・ M e r − e a u ・ P O n − y − S e n s e − n O P ・ S e ロ S

・ − 蓋 ・ p ・ 捏 苛

︹ 永 戸 訳

﹁ 意 味 と 璧 息 味 ﹂ 二 二 二 頁

︵ 3

︶ G

・ L u k a c s − E 已 S − e P t i a − i s m e O u m a r 註 m e

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・ ︹ 城 塚

・ 生 松 訳

﹁ 実 存 主 義 か マ ル ク ス 主 義 か ﹂

⁚ 1 1 ︑

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︵ 4

︶ J

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・ S a r I r e I C r i − q u e d e − a r a i s O ロ d i a

− e c I i q u e

・ → O m e = 芦 p

・ 岩 違

︹ 平 井 訳

﹁ 方 法 の 問 題

﹂ 六

︑ 二 五 ︑ 九 妄

︵ 5

︶ G

・ M e n d e

・ S I u d i e n 賢 r d i e E 已 S

− e n Z p h i − O S O p h i e ・

− 望

・ S

・ − 三 栗 本 ︑ 相 原 訳 ﹁ 実 存 主 義 研 究

﹂ 四 七 頁

︵ 6

︶ F

・ H e i n e m a ロ ロ

︑ E 註 I e ロ Z p h i

− O S O p h i e L e b e P d i g O d e r

− 0

− ご 茫 S

・ − ヨ ︹ 飯 島

︑ 岩 永 訳

﹁ 実 存 哲 学 そ の 生 け る も の と 死 せ

るもの﹂三一四頁以下︺

自 ・ 然 法 思 想 と 実 存 思 想 ︵ 一 ︶

(8)

屯Ⅱ表題取壊刃蝋聴取肇(1)

(ト)H.Kuhn,BegegnungmitdemNichts.1950.S・39〔恒賀拓「唱巌JJQ竃朝ニ」EIii頓〕

(co)上b、=r(エローr(量「蝋壮相場」逗∩ニtJ、ミロ=軍人lトヽ史観臣」吏皆′肇霊場回Q叶い定植・拙刃二小O C・L6vi−StrauSS, Dequelquesrencontres・in:L,Arc・46(1971)p・43〔聾拓「ニ〉吏旨量Q竃朝ニ」瞞慮朴芯蔚u磐石叶「#.っr(・ヽミロ

=軍人lトヽ」10輯〕

(0))C.L6vi−Strauss,Tristestropiques・1955・〔≡乱拓「顆■勅感牲」(Jl)<貞屈〕

(ヨ)W.Weischedel,WesenundGrenzenderExistenzphilosophie・in:Frankfurter Hefte・3(1948)S・730,732;J・P・ sartre,L,existentialismeestunhumanisme・1946・P・94〔塾富拓「蝋穂川瀾刃想定量」刊く舶

(コ)K.Jaspers,Der philosophischeGlaube・1948・S・75 (Sj)J.P.Sartre,Op・Cit・,P・15〔1EI頓〕

(53)A.Wenzl,ZumProblemderExistentialphilosophie・in‥Hochland・Bd・40(1947/48)S・343,353

(ヨ)F.Heinemann,SchicksalundAufgabederPhilosophieinzwanzigstenJahrhundert・in:DiePhilosophieim20 Jahrhundert.(Hrsg.vonF・Heinemann)1963・S・275

(Ee)M.Heidegger,DieGrundproblemderPhanomenologie・1975・S・242

(ヨ)M.Heidegger,UberdenHumanismus・1968(lAufl・1949)S・13豚柊拓「ルート‥冗弓逗〔こい」日日郵 (5)K.Jaspers,Philosophie・ErsterBand・3Aufl・1956(lAufl・1932)S・15〔層礫拓「離幅御如拙侶10舶

(3)G.Marcel,Journalm6taphysique・1927・p・315ets・〔吊普茶「染濫1朴皿吼El<<咽rL] (3)J.P・Sartre,Op・Cit・,p・22ets・〔1ii酔到円 (焉)J.M・Bochenski・Europ箆ischePhilosophiederGeganwart・2Aufl・1951・S・165・〔基硝「配Qm←ロト相削1<仁舶

(扇)E・Mounier,Introductionauxexistentialismes・1947・p・8ets・〔車上拓「蝋壮用瀾腑iE」朝鮮〕 ∪銅氾濫」岬ミ\−Q司トQ恕漕漣騰蜜殉忌七二′「1般Q蝋壮釦朴霊堂番頭起句か司堤糾掛Q製覇Q与逗麗欄」鳩 ハ蟻忌巨二時。仲もK…仰てミ只ミ量睾題的忌噂。>へl卜…㊦河童中耳〉用Q皇酢蛸・良く忌ハ相川P射小OJ量 」畔釦酢蛸擬捌贈P聖′聖i)愛付根Unpミ蛸足悪榊」(0・F・Bollnow・ZurDiskussionuberdieExistenzph−

ilosophie auf dem philosophischen Kongressin Gramisch−Partenkirchen・in:Zeitschrift fur philosophische

(9)

′【\  (  ′【\

24 23 22

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O r S C h u n g

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︶ S

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︒ J ● M . 厨 O C h e m s k i ︑ a ︐ a . O t

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. − 澄 二 八 〇 頁 ︺ F ・ H e i ロ e m a n n I   E 已 s t e P N p h i − O S O p h i e L e b e n d i g   O d e r   t O t J ヒ 器 亘 S .

︼ 謡

︹ 三 二 貢

︺ P ・ F O u − q u i か

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− e 已 s t e ロ t i a

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− ∞ 註 ・

− 笥 U l

︵ − 芸 ︐

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. い ぬ ︹ 矢 内 原 ・ 国 鳥 訳 ﹁ 実 存 主 義

﹂ 四 一 貢

︺ この点に関して我々の興味をひくのは︑ヴァールやムーニ工のテクストの表題がいずれも次のように複数形で表現されていること で あ る ︑ 即 ち

︑ ︒ ト 票 箋 誉 箋 箋 訂 d e −

− e 已 s t e ロ C e ㌦

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㌦ H n t r O d u c t i O ロ 豊 的 簑 訂 ︑ 芸 ︑ 訂 ︑

㌻ § 芦 ︒

︵ E

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︶ ︒

︵ 2 5 ︶   M

・ H e i d e g g e r I S e i P   u ロ d N e i

− ・ E   A u P ﹈

﹄ 等

︵ − A u P G N O   S

. − 可 ︹ 辻 村 訳 ﹁ 有 と 時 ﹂   三 三 貢

︺   い d e r s . I E i P f 各 r u 品   i n d i e   M e t a p h y s i k

・ ∽   A u P

− 器 の ︵

− A u P

− 誤

∽ ︶ S ●

− ○ 可 − 岩 の

︵ 川 原 訳

﹁ 形 而 上 学 入 門 ﹂ 一 七 九 ︑ 二 五 九 頁

︶   い d e r s .

︑ q b e r   d e ロ H u m a ロ i s m u s

. S

. −

∞ ︹ 二 七 貢 ︺

(   ′ ̄\ ′′ヽ ′′ ̄ヽ

29 28 27 26

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∽ O

G ・ M a l C e r   L e   m y s t

㌣ e   d e − 示 t r e L 澄 P   p .

∽ ︹ 松 浪

︑ 掛 下 訳

﹁ 存 在 の 神 秘

﹂ 七 貢 ︺

J ・ P ・ S a r t r e

− S i t u a t i O ロ S 舛

・ − 讐 声 p ● G N

︹ 海 老 坂

︑ 鈴 木 訳

﹁ シ テ ュ ア シ オ ン

Ⅹ ﹂ 一 七 九 貢

〇 ・

F ・

B O

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S . ト か

︹ 塚 越 ︑ 金 子 訳 ﹁ 実 存 哲 学 概 説

﹂ 二 三 頁

︺ そ の 他 ︑ ク ー ン も 同 様 の 指 摘 を お こ な っ て い る ︑ 即 ち

﹁ 完 全 な 実 存 主 義 は 存 在 し な い

﹂ ︵ a . a .

〇 .

− S

. N 0 0

︹ 三 五 貢

︺ ︶

出 実存思想の成立と展開

今日︑実存哲学︑実存論的哲学︑実存主義︑あるいは実存思想といろいろな名前で呼ばれている思想の登場は︑少なく

とも生前ほとんど省りみられることのなかった一九世紀の二人の思想家1キルケゴールとニーチェに遡りうるというこ とについて︑大方の一致がえられるであろう︒たとえばヤスパースは一九三五年の﹃理性と実存﹄の中で次のようにのべ

ている︑即ち﹁現代の哲学的状況は︑生きている間はものの数ともせられなかったし︑その後にもなお永い期間哲学史に

自 然 法 思 想 と 実 存 思 想

︵ 一

(10)

自然法思想と実存思想︵一︶      一〇

おいて重要視せられなかったキルケゴールとニーチェという二人の哲学者が︑かれらの意義をたえず増大してきたという

事実によって規定せられる﹂と︒そしてヤスパースがいう﹁彼らの意義﹂とは何よりもまず︑彼らが近代的人間観︑即ち

人間存在を世界を対象として構成する超越論的主体としてとらえる近代の合理主義的人間把握との対決によって︑近代の

合理主義的思惟を転回させたことに求められるであろう︒むろん﹁キリスト者になる﹂ことを終生の課題としたキルケゴ

ールと︑徹底したアンチ・クリストであるニーチェとの間には︑一見して明白な相異があることは否定しえないが︑それ

にもかかわらず︑なおかつ彼らは共にそれまで支配的であった合理主義的な抽象的人間観を超蒐し︑従来気づかれること

のなかった人間存在のあり方を発見したことによって︑現代の実存思想の先駆けとなったのである︒

まずキルケゴールについていうならば︑彼の場合︑近代の合理主義的人間観に対する批判とその超克は︑﹁いかにして

人はキリスト者となるか﹂︵⑲三二貢︶という彼の終生の課題との関連の下で提起されている︒彼は︑誰もが生後一四日

目という幼い年令で洗礼を受け︑何の苦もなく又決断もなく︑信仰への飛躍もなしにいともかんたんに名前の上だけでは

キリスト者となり︑今さら誰も改めて﹁キリスト者になる﹂という課題を立てようなどと思いつきもしない︵⑧五八︑三 二衰︶当時のデンマークのキリスト教界の現状に抗して︑﹁ひとりの人間がなるところのもののなかでもっとも決定的

なものである﹂と彼がいう﹁真実にキリスト者になること﹂︵⑨三六五頁︶という課題を立てる︵⑲二一︑五七頁︶︒とこ

ろで︑かかる課題に答えることだけではなく︑それを立てることさえ不可能にし又忘却してしまっているのが当時支配的

であったヘーゲル的な客観的思弁である︑とキルケゴールはいう︒客観的思弁は﹁主体的であることなど人間の恥である

といわんばかりに︑﹃個﹄としての存在の範境を無視し︑﹃類﹄の範噂にしがみつき﹂︵⑧一七七貢︶︑その結果具体的な実

存に生きる主体を抜き去り︑実存に生きるとは何か︑又内面性とは何であるかを忘却してしまっている︵⑧一〇二︑二二

九︑二五七頁︶︒そこでは真理も又客観的な仕方で問われ︑真理とはせいぜい思惟が向かうひとつの対象に他ならないも

(11)

のとされる︵⑧二八頁︶︒人はキリスト教についても客観性の立場を決めこみ﹁神が十字架につけられたその出来事﹂を

﹁客増に考察しようとする﹂︵⑧二九︑三七頁︶︒しかし︑かかる客欝思弁によってはキリスト教の真理には到達し

ぇない︵⑧二九頁︶︒それというのも﹁神は﹃主体﹄そのものであり﹂︵㊥二九貢︶︑信ずる者の内面性をかけた信仰こそ

がキリスト教的なものの内実をわがものとする道なのだから︵⑦一〇〇︑二三三頁︑⑧七二︑一八二頁︶︒キリスト教の立

場からすれば︑真理は客観的思弁が問題とするような﹁何﹂にではなく︑キリスト者がいかなる仕方で生きるかというと

ころに求められねばならない︵⑧三五頁︑⑨三七八頁︶︒神についてより多くの知識を獲得することではなく︑主体的情熱

をかたむけて実存に生きることこそが︑そもそもキリスト教に対して何らかの意見をもつための絶対的条件なのである

︵㊥一七八頁︶︒その結果︑﹁キリスト者になる﹂という課題をめぐって︑純粋な思弁にとどまり思考の主体とその生き方

に対して無関心である﹁客観的思弁﹂から︑実存に生きる者として自己自身の思惟に本質的に関与し︑実存から目をそら

さずまさにその中に身をおいて生きる﹁主体的思惟﹂への転回が要請されることになるのである︵⑦三九頁︑⑧二九三︑

二九五頁︶︒キルケゴールはこうした転回を﹁強力な魔力祓いの呪文をとなえ︑魔法にかかった思弁的思想家を︑彼の真の

姿に︑つまり個々の実存をかけて生きる人間に変化させる︑または呪文をかけかえることである﹂︵⑧三〇八頁︶と表現

している︒しかしながら︑かかる思惟の転回によって人はただちにキリスト者になるというわけではない︒それはただ客

観的思弁によってはキリスト教の真理に到達しえない︑というだけである︒﹁実存は生成である﹂︵⑧二三頁︶︒人は︑ドン

・ファンによって象徴されるような︑この時間的世界の内で没我的に﹁あれもこれも﹂と常に新らしい享楽と変化を求め︑

しまいには倦怠におわるだけの﹁剃郡的生活﹂を送る﹁美的実存﹂︵④四六頁以下︶から︑﹁倫理的実存﹂即ち︑美的実存

がそれから眼をそらし︑そのげっか﹁出まかせの生活﹂に逃避するに至るところの絶望を直視し︑﹁あれかこれか﹂の決

断にもとづいて︑それを選択すべく意思することによって﹁永遠の妥当性における自己自身﹂=﹁自由﹂を真に選ぶに至る

自 然 法 思 想 と 実 存 思 想

︵ 一

(12)

自然法思想と実存思想︵一︶      一二

﹁倫理的実存﹂︵@九六頁以下︶へ︑さらに︑内在の宗教である宗教性Aをこえて超越の宗教である宗教性B︑つまり﹁神︑

すなわち永遠者が︑時間のなかにひとりの人間として生成した﹂︵⑨三五六貢︶という逆説を︑一切を賭する ﹁信仰の飛

躍﹂をもって身に引き受け︑救い主としてのキリストに関わるという飛躍の﹁質的弁証法﹂の中ではじめて ﹁宗教的実

存﹂ へと至るのである︑とされる︵⑨二九三貢以下︶︒

キルケゴールと並んで現代実存思想の先駆として挙げられるニーチェも又︑近代的思惟との対決をおそらくはキルケゴ

ール以上の強さでもって徹底的に試みたといえよう︒たとえば﹁自分はあくまで肉体であり︑それ以外の何ものでもな

く﹂﹁肉体は一つの偉大な理性である﹂といい︑﹁きみのささやかな理性を︑兄弟よ︑きみは﹃精神﹄と呼ぶが︑それも実

は肉体の道具にすぎない﹂︵戸S.∽00︹⑨五七頁︺︶というとき︑あるいは又︑﹁世界は深い −︒かつて昼が考えたより

深い︒すべてのものが昼の前で発言を許されるわけではない﹂︵戸云忘︹㊥二六〇頁︺︶というとき︑そこには明らかに近

代的な人間把握によってはとらえきれない人間存在の層が︑ニーチェ固有の比喩的表現でもって語り出されているといえ

よう︒しかしニーチェの否はより大きなスケールで展開されてゆく︒即ち︑近代人がそこからすべての意味を引き出そう

とする﹁理性の権威﹂などは︑かつてヨーロッパを支配してきたキリスト教の神がその力と権威を失ないはじめたその後

に︑なお別の権威を彼岸に求めようとする世間の人々の古くからの習慣によって ﹁新たな神=代理の神﹂として呼び出さ

れたものにすぎない︑といわれる︵芦S.∽∽三一叫三四頁︺︶︒近代人たちも所詮は︑感覚的世界と超感性的世界を対立させ︑

後者こそが永遠不変の必然的な莫なる世界であるとみなし︑前者はそれを不完全にしか反映しない仮象の世界であるとみ

なすプラトニズムの後裔1−−﹁背後世界の錯覚者﹂︵戸S.N笥︹⑨五二頁︺︶に他ならない︒背後世界の結党は﹁あらゆる

結党のうちでも最悪の︑もっとも退屈な︑もっとも危険な鎗覚﹂︵戸S.誤の︹⑲二一頁︺︶ であるとニーチェはいう︒それ

というのも超感性的世界なるものは元来ありもしないにもかかわらず︑そして実のところそうしたものは人間自身によっ

(13)

てありもしない彼岸へと投げ入れられたものであるにもかかわらず︵芦S・笥∞︹竺元頁︺︶︑そのことを忘れ︑それこ

そ真実なる世界であるとみなし︑それにもとづいて現実の生を律し評価し︑この現実世界を断罪し不完全な世界としかみ

ないからである︒﹁大衆向きのプラトン哲学﹂︵戸S・冨︹⑲=ニ頁︺︶であるキリスト教の神を拒否しながらも︑近代精

神の世界も又なおかつ様々な偽神−−理性の権威︑歴史の進歩︑最大多数の最大幸福等−をまつりあげようとする不可

解であいまいな世界に他ならない︒そうした奇妙な延命策にもかかわらず︑来たるべき二世紀の内にヨーロッパ二千年の

伝統を支配してきたプラトニズムの崩壊が現実化し︑近代の偽神を含めて一切の超感性的世界がその影響力を喪失する時

代・1﹁言リズム﹂が到来する︵芦S・宴−∞00⑭=二︑完頁︺︶︑とニーチェはいう︒そこでは﹁至高の諸価値が

その価値を剥奪される︒目標が欠けている︒﹃何のために?﹄に対する答えが欠けている﹂︵芦S.∽∽ご⑭二二頁︺︶Cニ

ーチェは﹁おれたちは無限の虚無の中を彷径するように︑さ迷ってゆくのではないか﹂︵戸S.−Nご⑧一八八貢︺︶と自問

する︒﹁無﹂︑即ちヨーロッパの文化と生を支え導いてきた超感性的世界の欠如=すべての訪問客のうちでもっとも無気

味な訪問客﹂﹁ニヒリズムが戸口に立っている﹂︵芦S・∞∞=⑭完頁︺︶︒神が死んだ世界の中で一切の生をのみつくさ

んとする虚無の深淵の中に自己を喪失せんとする危機を前にして︑何よりもまず必要なことは︑﹁神の死﹂を直視しっつ

それを引き受け﹁背後世界﹂の錯覚を完全に断ち切ることである︒それというのも︑﹁神の死﹂に直面しながらもなおか

っ新たな偽神を彼岸に設定することによってニヒリズムを克服しようとする試み1−不完全なニヒリズムーはかえって

その正反対をうみ出すだけだから︵芦S・琵︹聖元頁︺︶︒神の死の受動的な引き受けにとどまらず﹁能動的殺害﹂︵戸

S・琵︹⑨三二七頁︺︶が要請されるのもこのゆえに他ならない︒そこからして1丁チェは遍人﹂︑即ちこれまでの青い

﹁価値の板を破り裂﹂き︑不断に自己自身をこえて創造しようとする﹁権力への意志﹂をもって﹁新しい価値を新しい板

の上﹂にしるそうとする︵戸S・N笠︹⑨三八頁︺︶﹁神と虚無の克服者﹂の到来を予告し要請するのである︵戸S.︺会︹⑨

自 然 法 思 想 と 実 存 思 想

︵ 一

(14)

自然法思想と実存思想︵一︶

二 二

ハ ︺

︶ ︒

ヨーロッパの北の辺境で︑深刻な例外者意識にさいなまれつつ︑キリスト教会︑ヘーゲル哲学︑それに彼にまつわりつ

く大衆との孤独な戦いの中で︑客観的な理性存在には還元されえない主体的で具体的な生ける人間の存在を発見したキル

ケゴール︑海を背にした火刑台の前で﹁もはや別様には来たりえない﹂︵芦S・望︹⑭二二頁︺︶ニヒリズムの到来を単

なる予感以上の確実さでとらえ︑やがてみずからは﹁ヨーロッパの最初の完全なニヒリスト﹂︵芦S・整︹⑭一四頁︺︶

として狂気の闇の中に沈んでゆくニーチェ︑彼らは共に﹁来たるべき世紀の初児にして早生児﹂︵戸S・父訪︹⑧三六

頁︺︶として﹁情熱と内面性に欠け︑分別と反省の過剰な﹂︵キルケゴール⑪一九一頁︶彼らの時代には受け入れられるこ

となく忘れてゆかれざるをえなかったのである︒しかし︑合理主義的思惟によってはとらえきれない生ける具体的な人間

存在の層の発見において︑あるいは又現実世界の中での不断の自己超寛による新たな自己の生成の主張において︑そして

又一切を水平化し愚鈍化する大衆化現象からの単独者︑例外者への自己揚棄において︑﹁二〇世紀の初児にして早生児﹂

たる彼らは共にやがて現代実存思想の成立に決定的影響を与えることになるのである︒

ところでキルケゴールとニーチェがそれぞれ固有の仕方で孤独な戦いを挑んだ近代の合理主義は︑その賄子そのもので

ある自然科学の嶺域における﹁数学の危機﹂﹁物理学の危機﹂といった出来事に典型的に表現されているように︑完世

紀後半から二〇世紀にかけて大きな動揺に見まわれることとなる︒とりわけ︑或る運動している粒子の一定時間における

﹁位置﹂と﹁速度﹂を同時に任意の高い精度で知ることの不可能性から︑観測者と観測対象の相互依存性を明らかにした

不確定性原理は︑合理主義をその根底において支えてきた認識論的図式︑つまり一方で世界から切り離された純粋理性で

ある認識主体としてのrescOgi−aPS︑他方でそうした主体によって構成され機械論的に説明されるところの即日的自然

=客体としてのrese芸PSa︑そうした近代の知のデカルト的枠組みの絶対的妥当性を決定的に疑わしいものにしたとい

(15)

ぇよう︒あるいは又︑精神科学の領域におけるフロイトによる無意識の発見は︑彼自身の志向それ自体は合理主義へと定

位されたものであったとはいえ︑近代の透明な人間理性への信頼に冷水を浴びせかけるものであった︒他方哲学の領域に

目を転ずるならば︑それまで支配的であった新カント派哲学の形式的な認識論的問題設定から︑そうした知の枠組みの外

にある具体的な人間的生への視向の転回の方向を決定づけたものとして︑完世紀後半以降の﹁生の哲学﹂の登場と流行

が挙げられねばならない︒さらに︑二〇世紀の初頭﹁事象そのものへ﹂というスローガンのもと︑近代の二元論的図式を

括弧に入れ︑認識主体によって構築される科学的世界の手前にあるそれ以前の生きられたままの生活世界のロゴスの開示

と記述を新たな哲学の任務であると標梼する現象学の登場が︑やがて現代実存思想によって企てられる新たな人間理解︑

存在理解に対して方法的基礎を与えることとなったのである︒

以上みてきたように︑近代の合理主義の知の全体構造が批判と動揺にさらされていたちようどそのとき︑合理主義的精

神によって支えられ︑完世紀において多くの果実をもたらしたかにみえた﹁進歩の観念﹂も又世紀末には大きな動揺に

見舞われるに至る︒人間を苛酷な労働と不合理な自然の支配から解放することによって人々に自由の回復と経済的豊かさ

を可能ならしめるものと信じられてきた近代科学と結びついた技術的な世界支配の発展は︑逆に貧豊の差の拡大と人間の

機械への隷属化をもたらし︑人間と人間の自由に敵対する脅威となり始めていた︒工業化がもたらしたところの人口の都

市集中︑画一化された単純な機械的労働︑短時間に多数の人々に同一の情報を伝えるマスコミの登場︑抽象的な法律によ

って画一的に行なわれる技術的な行政と司法︑それらによってもたらされる水平化・大衆化現象は︑疎外を単に労働の疎

外にとどめず﹁人格の疎外﹂にまで加速させ深刻化させる危険を内包するものであった︒人間は理性人としてよりも︑む

しろあらゆるものを水平化する無名の大衆の支配の中で自己白身を喪失する危機に直面していったのである︒既にキルケ

ゴールは︑後にヤスパースが﹁あたかも昨日書かれたかのようなおもむきであわと呼んだ﹃現代批判﹄の中で︑﹁現代﹂

自然法思想と実存思想︵一︶

(16)

自 然 法 思 想 と 実 存 思 想

︵ 一

︶                                                   一 六

を﹁すべての人々であってしかもだれでもないところの︑ある巨大なエトゲァスであり︑抽象的な荒蕉地︑無人界﹂に他

ならない﹁公衆﹂によって支配される﹁水平化﹂の時代であると規定していた晶㌃ITチェは︑一八八八年に公刊され

た﹃この人を見よ﹄の中で﹃反時代的考察﹄第二編を回顧しながら次のように語っていた︑﹁非人間化されたこの歯車と

メカニズムとに︑労働者の﹃非人格性﹄に︑﹃分業﹄という誤れる経済に病んでいる生命︒文化という目的は失われ・11

手段︑つまり近代的な学問経営は野蛮を生む⁝⁝この論文において︑一九世紀が誇りとしている﹃歴史的感覚﹄なるもの

が初めて病気として︑典型的な衰退の兆候として看破せられている﹂と︒

一九世紀が過去において比較しうるもののない経済的物質的な発展と繁栄を成し遂げ︑多くの人々がそれを享受してい

たその背後に︑不吉な影として忍び寄る大衆化現象と人格の疎外に対して︑もはや伝統的なキリスト教の教理も︑又それ

にとって代わったはずの﹁理性﹂も共に有効な処方箋を書さえないということは明らかであった︒進歩の観念に代わって

デカダンスが人々の口にのぼり︑伝統的な支配的価値が権威を失なってゆく中で︑ニーチェやキルケゴールが予言したヨ

ーロッパの社会と人間の危機の現実化を誰の目にも明らかにしてみせたのが第一次大戦に他ならなかった︒

それがもたらした嵐は︑通りすぎるのをただ身をかがめてまちさえすれば︑その後に再び平安がやってくることを期待

しうるような一過性の嵐などではなかった︒ポール・ヴァレリーは一九二二年二月一五日の講演で次のように語ってい

る︑﹁嵐は終ったばかりなのに︑われわれは︑あたかも嵐がこれから勃発しようとしているかのように落着かないし不安

である︒﹂四年にわたる殺教と破壊の後に残されたものは︑ヨーロッパの政治的︑経済的地盤沈下及びヨーロッパの合理

主義精神と文化の危機に他ならなかった︒敗戦直前の一九一八年に表明されたジンメルの危慎︑即ち﹁ドイツについての

不安と︑失なわれたヨーロッパへの懸念︑それらが互いに強めあって一つの重荷となります︒そんなことは四年前には想

像もしえないことでしたし︑今までならそれをはね返すこともできたでしょう︒このヨーロッパの自殺がアメリカのため

(17)

に世界史の幕を開くことになると考えることは︑もっともいとわしいことです︒そこにおいて世界史は東から西への移動

を引き続いておこないます︒何千年も前にアジアにおいて頂点に達し︑やがてヨーロッパへと移動してきたように︑世界

史はこれからさらにアメリカへと進んでゆくのかもしれません﹂という危倶に答えるかのように︑ハイデッガーはそれか

ら十数年後﹃形而上学入門﹄の中で次のように語っている︑﹁このヨーロッパは今日救いがたい盲目のままに︑いつもわ

れとわが身を刺し殺そうと身構え︑一方にはロシア一方にはアメリカと︑両方からはさまれて大きな万力の中に横たわっ

ている︒ロシアもアメリカも形而上学的に見ればともに同じである︒それは狂奔する技術と平凡人の底のない組織との絶

望的狂乱である︒⁝⁝大地の精神的堕落はひどく進んでしまって︑諸民族は堕落を見て︑それを堕落だと認めることがで

︵1 5︶ きるだけの精神力の最後のかけらをさえも失いかけている︒﹂

こうしたヨーロッパの﹁精神の危機﹂︵ヴァレリー︶のもたらす底知れぬ時代の不安と動揺のうちで︑ニヒリズムの到

来を文字通り﹁西欧の没落﹂︵シュペンダラー︶という形で受け入れざるをえなかったヨーロッパ人に残された道は︑そ

れまでたえず外の世界へと向けられていた自らの視向を自己自身の内面へと向けなおすことであった︒ボルノーは第一次

大戦後の実存哲学の成立を回顧しながらこの点について次のようにのべている︑﹁確固たる秩序のすべてが崩壊の脅威に

さらされ︑以前は揺るぎないとみられていた価値が実は疑わしいと判った時代︑したがって相対主義がもはや孤独な思索

の重要事ではなくなって︑客観的な生の秩序そのものを打ち壊しはじめた時代になると︑必然的に︑全般にわたる解体に

ももはや冒されない最後の絶対的支柱を求める欲求が目覚めずにはいなかった︒そして人間が客観的にものどとを信ずる

ことに悉く失望し︑一切が疑わしくなってしまい︑相対化のゆえに生の内容の意味づけがすべて疑われるようになってか

らはただ自己の内面へ立ち戻ることのみが残されていた︒それは自己の内面において︑すなわち一切の内容的規定に先だ

ってすでに存在している最後の深みにおいて︑客観的な世界秩序のなかではもはや見出されなかった支柱を獲得するため

自 然 法 思 想 と 実 存 思 想

︵ 一

(18)

自然法思想と実存思想︵一︶一八

であった︒人間のこの究極の最も内奥の中核が︑キルケゴールから受けつがれた実存という概念でいい表わされたのであ

︵1 6︶ る︒﹂

このように生の哲学あるいは現象学によって準備されていった哲学的視向の転回と︑第一次大戦によって露呈されたヨ

ーロッパの文化︑精神︑社会︑政治状況全般にわたる危機がもたらした不安を契機として︑一九世紀ヨーロッパの異邦人

であったニーチェとキルケゴールの先駆的思惟が再発見︑再評価されるに至り︑なかでも戦争によってもっとも手ひどい

打撃を受けたドイツにおいて︑﹁今この現実世界の内に生きている具体的・個別的な人間存在﹂から出発するいわゆる

︵1 7︶ ﹁実存哲学﹂が成立︑登場するに至ったのである︒

実存哲学の記念碑的著作であり︑現代哲学のみならず現代思想全体に対して衝撃的影響を与え︑二〇世紀思想の一つの

方向を決定したといわれるハイデッガーの﹃存在と時間﹄前半部が︑フッサール編韓の﹃哲学及び現象学的研究年報﹄第

八巻に発表されたのは一九二七年のことであった︒この﹃存在と時間﹄は元来﹁存在の意味への問い﹂を﹁新たに立て﹂

︵1 8︶ ﹁具体的に仕上げること﹂を意図した﹁基礎的存在論﹂に他ならず︑又後にハイデッガー自身﹁実存主義の主題と﹃存在

と時間﹄の命題とはいささかの共通点ももってはいない﹂と明言しているにもかかわらず︑﹁存在﹂に至る方法的通路と

して他の存在者とは異なって常に既に﹁存在理解﹂を有している﹁現存在﹂の﹁実存論的分析﹂をそのテーマとした﹃存

在と時間﹄第一部第一・二編は︑彼自身の究極の意図とは裏腹に当時の時代思潮の中で﹁実存哲学の書﹂として読まれ︑

以後のドイツ︑フランスにおける実存思想の成立と展開に決定的影響を与えることになったのである︒

﹃存在と時間﹄が刊行されてから二年後の一九二九年にはハイネマンが﹃哲学の新しい道﹄において︑近代から現代へ

の哲学の思潮の変化を﹁精神﹂1﹁生﹂1﹁実存﹂という流れでとらえ︑当時ドイツにおいて成立しっつあったハイデッ

ガーやヤスパースらに代表される新たな哲学の流れをはじめて明確に﹁実存哲学﹂の名称で呼ぶことになる︒さらに現代

(19)

実存思想のもっとも早期の著作といわれる﹃世界観の心理学﹄を一九一九年に発表したヤスパースは︑一九三一年の﹃現

代の精神的状況﹄と﹃哲学﹄において自らの立場を明確に﹁実存哲学﹂として標傍し︑ここにドイツ実存哲学がその形を

ととのえるに至ったのである︒

しかし政治︑社会状況の急激な変化の中で︑一方ではハイデッガーのナチスへの接近とそこからの急速な離反が︑他方

ではナチスによるヤスパースの追放が生じ︑彼らの思惟の転回ともあいまって︑やがて第二次大戦中には﹁実存哲学﹂は

下火となってゆく︒たとえばボルノーは一九四九年の﹃実存哲学﹄第三版の﹁まえがき﹂の中で次のようにのべている︑

﹁これはニコライ・ハルトマンによって編集されたドイツの体系的哲学に関する論文集のために︑一九四二年に書かれた

ものであるが︑当時︑実存哲学はすでに結末のついたほとんど忘れられてしまったことのように思われており︑その成果

︵23︶ をまとめてできる限り保存しておく必要があった﹂と︒

ところがかつて第一次大戦が露呈したヨーロッパの危機と精神の不安をより大規模に展開してみせた第二次大戦後︑フ

ランスにおける対独レジスタンス運動の中からドイツ実存哲学の影響を受けた﹁実存主義﹂が登場し︑彼らの思想は大戦

後の時代精神を集約表現する符牒となってフランスのみならずドイツにおいても哲学︑文学︑芸術さらには人々の日常生

活にわたるまでの知的流行となっていったのである︒

以上のべてきたところからもわかるように︑実存思想の成立と展開は︑ボルノーが正しく指摘するように単に﹁特殊哲

学的出来事﹂などではなかったということになろう︒むしろ︑それは近代ヨーロッパの合理主義精神の絶対性の崩壊と︑

二つの大戦が暴露した﹁西欧の没落﹂という一九世紀後半から二〇世紀にかけての﹁包括的な精神史的発展の必然的表現﹂

であり︑﹁我々の時代の危機の表現﹂に他ならなかったのである︒それは﹁ニーチェの時代以降︑ヨーロッパのニヒリズム

︵が︶︵2 7︶ と呼びならわされるに至った精神的生活全体の重大な脅威﹂を背景としつつ︑一方では近代の合理主義的人間観に反対し︑

自然法思想と実存思想︵一︶

(20)

自然法思想と実存思想︵一︶二〇

他方では二つの大戟によって加速された技術的な世界支配がもたらした大衆化現象による精神の疎外から人間を解放しよ

︵2 8︶ うとする思想運動であったというべきである︒

我々は以下において︑実存思想の基本的特徴を︑我々のテーマとの関わりの上から︑次の三点︑即ち﹁人間存在の実存

論的構造﹂﹁人格の疎外からの実存論的解放﹂﹁実存思想の役割﹂に限定して検討することにしたい︒

︵l︶K.Jaspers.くerロuロftundE已steロZ.−罠.S.∽︹草薙訳﹁理性と実存﹂﹃世界の大思想﹄出T︼竺一七二頁︺

︵2︶たとえばクニッターマイヤーは︑︒DiePhi−OSOphiederE已steロZ.言PderRenaissancebiszurGegen宅art︶uL罠の中

で︑実存哲学の系譜をたどるにあたって︑ニーチェやキルケゴールに先立ってルネサンスまで遡りうるとし︑イタリアの人文主義者

やデカルト︑パスカル︑ヴィコ︑さらにはフォイエルバッハやマルクスの名を挙げている︒このことは一見我々の本文での解釈に反

するようにみえるが︑しかし決してそうではない︒それというのも彼は実存哲学を﹁近代哲学の歴史の中で︑哲学の課題を近代科学

の自己意識に委ねることのできなかった他の流れ﹂︵<OrW01−︶としてとらえ︑先に挙げた人々をそうした﹁反流﹂を代表する思想

家であると考えているがゆえに︒彼はいう︑即ち﹁近代科学がスコラ学から独立し︑その途方もない可能性を自覚しはじめ︑また哲

学がそうした科学と結びついて︑精神的︑物質的な世界制覇をめざす人間の自己意識の傾向を支え︑駆り立てたとその同じ時代の中

に︑反流も又存在していた﹂︵S●−害と︒彼も又結局︑実存哲学を近代の知の枠組みをこえるものとしてとらえていた︑といえよう︒

︵3︶S.Kieerkegaard杉山・小川訳﹁哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき︵申︶﹂﹃キルケゴール著作集﹄第八巻︑三二頁

の略記︒以下︑丸抜き数字は右著作集の巻数を示す︒

︵4︶なおこの点に関して︑﹁アンチ・クリスト﹂ニーチェは炭時代的考察﹄の中で驚くほど似通った指摘をおこなっているF・Nie・

tzsche−WerkeiロdreiB餅ロdeロ︵Hrsg・言nK・SchーechIa︶Bd・Ⅰ・S・N琵︹小倉訳﹁反時代的考察﹂≡−チェ全集﹄第四巻

一五一頁以下︺参照︒

︵5︶F.Nieetzsche︑WerkeiロdreiB詳den︵Hrsg・言K・Sch1echIa︶BdLⅠ・S・筈の略記︒なお丸抜き数字は︑理想社版

﹃ニーチェ全集﹄の巻数を示す︒以下同様︒

︵6︶﹁権力への意志﹂として知られる遺稿の中に次のような表現が兄い出される︑﹁一八世紀の妖怪である理性﹂︵WerkeiPdrei

Bぎdeロ.Bd.ilI.S.∽憲︹原訳﹁権力への意志︵上︶﹂﹃ニーチェ全集﹄第十一巻四二六貢︺︶︒

(21)

︵7︶ニヒリズムとニーチェの名は切っても切れない形で結びつけられているが︑しかしそれではニヒリズムとかニヒリストという言葉

が果たしてニーチェにおいて何を意味しているかといえば︑その多様な用法ともあいまって必ずしも明確ではない︒

まず︑これまでのプラトニズムがその影響力を失ない︑キリスト教の神を含めて一切の神がその権威を喪失した状態が﹁ニヒリズ

ム﹂と呼ばれていることは明白である︵WerkeindreiBぎden・Bd・−ⅠⅠ・S・∞∞二原訳﹁権力への意志︵上︶﹂Fニーチェ全集﹄第

十一巻完頁︺︶︒こうしたニヒリズムは︑これまでの価値の没落と新たな価値の未成の間にはさまれた﹁中間状態﹂に他ならない︑

とニーチェはいう︵Ⅰ−Ⅰ・S・票這︹二四頁︺︶︒中間状態としてニヒリズムは︑一方では︑デカダンス︑生の憩落の徴候であり︑人は神

なき世界の内で卑俗な不道徳と不信仰の中で自己を喪失する危険におちいる︒そこでは︑ロシアのテロリストにおけるように﹁破壊

の暴力として相対的な力の極大に達する﹂﹁能動的ニヒリズム﹂︵=Ⅰ・S・∽∽∞︹三六頁︺︶となるか︑あるいは﹁精神の力が疲れはて︑

樵惇しきり﹂もはや攻撃することのない﹁受動的ニヒリズム﹂︵ⅠⅠⅠ・S・∽慧︹三五頁以下︺︶となるかのいずれかである︒他方︑そ

ぅした自己喪失の危険を前にして︑再び新たな神を担造することによってニヒリズムを突破しようとするとき︑それは﹁不完全なニ

ヒリズム﹂となる︵=Ⅰ・S・のN二三九頁︺︶︒しかし又︑ニヒリズムは中間状態として︑背後世界の鎗覚に終止符をうって新たな世界

経験への移りゆきを可能にする﹁曙光﹂でもある︵Ⅰ−・S・NO巴︹信太訳﹁悦ばしき知識﹂≡−チェ全集﹄第八巻三一五頁以下︺︶︒

そこにおいて﹁彼岸とか﹃神的﹄であり道徳の体現であるような事物それ自体を措定する権利を︑私たちはいささかももってはいな

い﹂ということを洞察し︑権力への意思をもって新たな価値創造に向かうとき︑人は﹁徹底的ニヒリズム﹂に至りつくという︵−ⅠⅠ.

S・∽笥︹﹁権力への意志︵上︶二二頁︺︶︒このように﹁ニヒリズム自身をすでにおのれの内部において終末まで生きぬいてしまってお

り︑−それをおのれの背後に︑おのれの足下に︑おのれの外部にもっている﹂徹底的ニヒリスト︑それが﹁完全なニヒリスト﹂の

名で呼ばれるのである︵l.S.農A二四頁︺︶︒

なお右の点に関して是非︑川原栄峰三とリズムL第三章﹁ニーチェとニヒリズム﹂を参照されたい︒

︵8︶ヤスパースの次の指摘を参照されたい︑﹁技術と大衆とは︑互いに相手を作り出した︒技術的な現存在秩序と大衆とは︑切っても切れ

ない関係にある﹂︵K・la竃erS︑DiegeisIigeSiIuaIiOロderNeiI・︼笥叉−AuP−琵︶S・澄︹飯島訳﹁現代の精神状況﹂五三頁︺︶︒

︵9︶K●lasper∽−a●a●〇.︑S.︼N︹二〇貢︺

︵1 0︶S・Kierkegaard飯島訳﹁現代の批判﹂Fキルケゴール著作集﹄第一巻二三二貢

︵11︶S●Kierkegaard﹁前掲訳書﹂二一七貫以下

自 然 法 思 想 と 実 存 思 想

︵ 一

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