「~と思う」と否定 -「~ないと思う」と「~とは思わない」-
13
0
0
全文
(2) 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第59巻 第1号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(HumanitiesandSocialSciences)Vol.59,No.1. 平成20年8月 August,2008. 「∼と思う」と否定 −「∼ないと思う」と「∼とは思わない」−. 阿 部 二 郎 北海道教育大学国際交流・協力センター. −tOOmOuandNegation: −JJ〟JJ(ノ∽J川〝alld−J(ノ…ソ∽J川〃WJJ〟J. ABE Jiro InternationalCenter,HokkaidoUniversityofEducation. 概 要 本稿では「∼と思う」を否定する2つの形式「∼ないと思う」と「∼とは思わない」について,なぜ2つ の形式が存在するのか,それらは同じものと見なしてよいのかという点と「∼とは思わない」は「∼と思う」. の単なる否定分化したものとみなせるかという点を問題とし,従来は語用論的観点から論じられることの多 いこの間題について文法的な観点から考察した。その結果,両者は統語的に平行的な関係にないことを明ら かにした上で,「∼と思う」と「∼とは思わない」の関係が,「∼と思う」と「∼ないと思う」の対立とは異 なり,命題の肯定対否定という単純な図式では捉えられないことを主張した。とりわけ,「∼とは思わない」. は既定的前提という概念を介して評価文と通底する性質を有していることを示した。. 1.はじめに. 文末に「∼と思う」の現れている文の否定には,以下のように「∼ないと思う」と「∼とは思わない」の 2つの形式が存在する。. (1)別にこの仕事に厭気がさしているわけではないけれども,長く続けてゆける仕事ではないと思. i。(林芙美子『放浪記』新潮文庫:下線部筆者) (2)別にこの仕事に厭気がさしているわけではないけれども,長く続けてゆける仕事である阜旦堅 わない。. 33.
(3) 阿 部 二 郎. (1)と(2)は論理的にほぼ同様の意味を表しているように思われる。ここから次のようなごく素朴な疑問が生. じる。それは,1つの事柄を否定するのになぜ2通りの形式が存在するのかということである。 先行研究では,両者が上例のように論理的に等価になり得る一方で,実際の用法上は分布の違いが見られ るという点に着目し,文脈やニュアンスの違いといった語用論的観点から両者の異同について論じられる傾 向がある。これに対し,本稿では,両者に文法的なレベルにおいても違いが見られることを指摘した上で, 文法的観点からの記述を行う。. 2.「と思う」のムード的用法 本節ではまず,文末に現れる「と思う」について,先行研究を参考に理論的前碇の確認を行う。 引用の「∼と」を取る動詞(引用動詞)は,一般的には以下の(3)のように「主語+『∼と』+動詞」の形. で通常の動詞述語文である引用構文を形成する。しかし,砂川(1987)は,こうした一般的な引用構文の他 に,引用動詞の本動詞としての性質が希薄化し,文末モダリティ形式に近づくタイプが存在することを指摘 している。砂川は,引用動詞が本動詞として用いられているものから段階的に文末モダリティ形式に近づく 形で引用構文を以下の3つのタイプに分類している。. 砂川(1987)による引用構文(「∼と[動詞]」)の3類型 (3)彼は「もう帰ろう」と言った。. a.一般的な引用構文. (4)(私は)彼が犯人だと思う。. b.「∼と思う」型引用構文. (5)彼はもう来ないと見える。. C.「∼と見える」型引用構文. これらの分類の基準となっているのは主節主語に対する制約である。一般的な引用構文には主語となる名 詞に何ら制約が存在しない。したがって,次の例のように,あらゆる人称の名詞が主語となることができる。. (6)彼は「もう帰ろう」と言った。 (7)私は彼に「もう帰ろう」と言った。. 一方,「と思う」や「と見える」を述語に持つ引用構文は主語に制約が存在する。まず,「∼と思う」型引. 用構文では,主語に次のような人称制限が見られる。. (8)私は彼が犯人だと思う。. (9)*花子は彼が犯人だと思う。. Cf・花子は彼が犯人だと思っているらしい。 「と思う」は,もっぱら発話時における話者自身の命題に対する蓋然的判断を表す。したがって,「と思う」. が文末に現れている文は主語が一人称に限られる。なお,「思っている」のようなテイル形や「思っ た/て いる らしい」のように夕形やテイル形にムードが後接している場合は,他者の思考内容を表すことも可能 となるため,人称制限が無くなる。この場合の「思っている」などは本動詞的に用いられ,文全体は一般的 な引用構文となる。 このように,「∼と思う」は,発話時における話者の命題に対する態度を示すという点において「だろう」,. 34.
(4) 「∼と思う」と否定. 「らしい」,「ようだ」といった文末モダリティ形式に近い機能を有している。ただし,人称制限があるとい. う点において意味的にはモダリティを表すようになっていても,主語が現れ得るという点において文法的に は完全に文末モダリティ形式になっているとは言えない。 次に,「∼と見える」型引用構文では,主語が出現すること自体が不可能となる。. ㈹ *私には彼はもう来ないと見える。. この場合は,「と思う」の場合のように意味的にモダリティを表すだけでなく,主語を取り得ないという 点において文法的にも動詞としての機能を失い,文末モダリティ形式として助動詞的に機能している。. 以上のように,引用構文は段階的にタイプ分類され,「と思う」は本動詞と助動詞の中間的な特徴を有し ていることが分かる。さらに,以上のような「と思う」の中間的特徴について,藤田(2000)が次のように 論じてい る。すなわち,以下の例に見るように,「と思う」は,テンス・アスペクト分化しないという点に. おいて助動詞的特徴を有している一方で,肯定/否定分化するという点においては助動詞といえない特徴を 有する。. ㈱ 花子は彼が犯人だと思った/思っている/*思う。 ㈹ 花子は彼が犯人だ*と思う/??とは思わない。 「∼と思う」における人称制限のところでも述べたが,仕方のように「思う」のみ人称制限が生じるという ことは,「思う」と「思った/思っている」は同一の動詞がテンス・アスペクト分化したものではなく,異 なるものと見なすことができる。したがって,「思う」はテンス・アスペクト分化せず,専ら発話時現在を 表すモダリティ形式として機能している1。一方で,「∼とは思わない」の形で否定分化する点においては助 動詞的でない。「∼とは思わない」は「思った/思っている」の場合と異なり,㈹のように主語に対する人 称制限があることから「思う」の否定分化したものであると考えられる。 以上,先行研究による「∼と思う」の特徴をまとめると次の通りである。まず,「∼と思う」は動詞述語 文の形をとりつつ,意味的にはモダリティを表すという特徴を有している。次に,「∼と思う」は「∼とは 思わない」の形で否定分化する。. 3.問題の所在 先行研究では「∼と思う」の否定分化したものが「∼とは思わない」であるとされている。まず,これが 正しいとして,冒頭に見たように「∼と思う」で表される事柄を否定する別の形式として「∼ないと思う」 が存在する点が第1の問題となる。すなわち,1つの事柄を否定するのになぜ2通りの形式が存在するのか ということである。次に,そもそも「∼とは思わない」が単に「∼と思う」を否定しているだけなのかとい う点が第2の問題となる。以卜ではまず,「∼ないと思う」と「∼とは思わない」を扱った先行研究を概観し,. 次にここで提示した2つの問題点について統語的および意味論的観点から分析を行う。. 1 「かもしれない」,「らしい」,「ようだ」など,テンス分化する文末モダリティ形式も存在するが,これらのテンス分化し たものは本来のモダリティではなく,より命題的なものとして区分される。詳細は益岡(1991),仁田(1991)などを参照。. 35.
(5) 阿 部 二 郎. 4.先行研究 「∼ないと思う」と「∼とは思わない」を扱った先行研究には,意味論的観点から両者を同じものと見な しているものと語用論的観点から両者の違いを分析しているものが存在する。以下ではこれらについて概観 する。. 4.1 中右(1979) 中右(1979)は意味論的観点から両者を実質的に同じものと見なしている。先の例において「∼ないと思 う」には「∼と思う」と同様に主語の人称制限が見られた。. ㈹ 花子は彼が犯人だ*と思う/??とは思わない。 Cf・私は彼が犯人だ と思う/とは思わない。 「∼と思う」の引用内容を否定した「∼ないと思う」についても「∼と思う」と同様,主節の主語には人. 称制限が生じる。中右(1979)は次の2つの例を挙げ,いずれにおいても同様に主語の人称制限が存在する ことから,「∼ないと思う」と「∼とは思わない」を平行的なものと見なしている。. ㈹ 私は,アンが正直でないと思う。 Cf・*彼は,アンが正直でないと思う。 ㈹ 私は,アンが正直だとは思わない。 Cf・??彼は,アンが正直だとは思わない。. 具体的には次の通りである。まず,「∼ないと思う」は「∼と」で引用される命題に否定辞が付いており, 命題内容を否定していることは自明である。次に,「∼とは思わない」は,「∼と思う」に「ない」が付いて いるため,表面的には思考内容ではなく思考作用を否定しているように見える。しかし,㈹および仕鋸こ観察 されるように「∼ないと思う」と同じように主語人称制限が現れることから,実際は「∼とは思わない」に おいても否定されているのは思考作用(「思う」)ではなく思考内容(「∼と」の内容)であるとされている。 つまり,表面的に否定辞が補文内あるいは主節末のいずれに現れていても,その否定は実質的には補文の命 題を指向しているということである2。. 4.2 宮崎(2001) 宮崎(2001)は中右の論を参考に「∼ないと思う」と「∼とは思わない」が論理的に等価であるとしつつ も,用法上の分布の違いが認められる点に着目し,両者のニュアンスの違いについて論じてい. る。宮崎によ. ると,まず,両者は く否定的な態度表明〉 という点では共通している。しかし,実際の使用においては両者. の入れ替えが困難な場合がある。それは,両者が次のように態度表明の積極性・消極性という点で対立して いることに起因するという。. 2 中右(1979)ではモダリティの否定が命題の否定と等価である(∼M(P)=M(∼P))とされているが,中右(1994)の モデルではモダリティ否定における否定は命題内要素ではなくモダリティ要素の一部とされている。しかし,その場合もモ ダリティ自体の否定ではなく,命題を否定的に判断するモダリティとされる。. 36.
(6) 「∼と思う」と否定. ㈹ この本は面白くないと思う。 (「この本は面白くない」ということについての く積極的な態度表明〉) 圧力 この本は面白いとは思わない。 (「この本は面白くない」ということについての く消極的な態度表明〉). 4.3 小野(2005) 小野(2005)は語用論的観点から「∼ないと思う」と「∼とは思わない」の遠いについて論じている。具 体的には,主体による思考時(TT)と発話時(UT)との関係が両者によってそれぞれ異なっていると説 明される。. ㈹ 彼女がピアノを弾かないと思う。. TT=UT. q9)彼女がピアノを弾くとは思わない。. TT→=UT X≧話し手. X≧話し手. ㈹では,主体が「彼女がピアノを弾かない」という思考を抱いた時点と文の発話時点が同時になっている (TT=UT)。一方,q9)では「彼女がピアノを弾く」という思考が発話に先行しており,発話によってそ れが打ち消されている(TT→=UT)3。その根拠として小野は「本当ですか」テストという基準を設けて いる。このテストでは,以下のように「思う」や「思わない」の文に対し聞き手から「本当ですか」と問い かける形を作る。すると,問いかけの焦点に違いが生じる。. 伽)A:私は[トムが真犯人だと]思う。 B:本当ですか?. 飢 A:私は[トムが真犯人だと]思わない。 B:本当ですか?. 伽)では,Bの問いかけは「トムが真犯人だ」という命題に向けられている。一方,拙では「思わない」と いう思考作用に対して問いかける解釈(「本当にそのように思わないのですか?」という解釈)となる。こ れは,後者においては思考時が発話時に先行しているため,発話に対する問いかけの焦点が当たらなくなる と小野は説明している。. 4.4Jll蔦(2005) 川蔦(2005)は,「∼ないと思う」と「∼とは思わない」が「思う」の受ける命題内容によって意味的に 近似したり離れたりするとして,語用論的な観点から「∼と」の内容ごとに観察している。その中で,両者 が同じ命題を取りながら意味的に異なるときは,文脈における打ち消しの対象の有無という点において違い が見られるとしている。以下,川蔦による用例と分析を引用する4。. 3 「Ⅹ≧話し手」は「話し手以上に埋め込み節について詳しい情報を所有する存在があり得ることと,この文だけではその 存在を特定できないことを示している」(小野2005:p.134)とされる。 4 例文判定は原文ママ。(22b)は両が降るかどうかを予想・期待していない文脈では通常現れないという意味で「#」が付. されている。. 37.
(7) 阿 部 二 郎. 幽 明日の天気どうかな。 a.雨は降らないと思う。 b.#雨が降るとは思わない。. 実際の用例をみると,トハ思ワナイが使用される場合とナイト思りが使用される場合ではコンテクスト が異なる。Pトハ思ワナイが使用されるときはPと想定しようとするコンテクストがあり,その予想, 期待どおりにならないと,その予想,期待が打ち消されている。一方,そのような予想,期待は存在し ていない場合は,ナイト思りが使用される。(川蔦2005:p.40). ㈹の例で説明すれば次のようになる。天気について聞かれているときは雨という特定の天候が話題になっ. ているのではなく,あらゆる気象状態が想定できる。したがって,特定の天候への予想や期待がないため通 常は「∼とは思わない」ではなく「∼ないと思う」が用いられる。. ここで川蔦は重要な指摘をしているように思われるが,用法の観察に留まっている。しかし,これについ ては,文法的な観点からさらに掘り下げた記述を行うことが可能であるように思われる。. 5.分 析 以上に見た先行研究では,「∼ないと思う」と「∼とは思わない」の文法的な差異についてはあまり言及 されず,主に語用論上の違いについて論じられている。そこで,本稿ではまず,統語論的観点から分析を行 い,両者が統語的に平行的ではないことを示し,次に,意味論的観点からその違いについて論じる。. 5.1 統語的差異 ここでは「∼とは思わない」と「∼ないと思う」が統語的に平行的な関係にあるかどうかについて,否定 辞とスコープを中JLりこ考察する。. 5.1.1否定対極表現と否定辞繰り上げ 「そんなに∼ない」に見られる「そんなに」などのいわゆる否定対極表現は,否定辞(または否定を表す 何らかの表現)が存在しないと認可されない。 錮 この料理はそんなにおいしくない。 糾 *この料理はそんなにおいしい。. これは,次の郎),¢捌こ見るように補文内においてもほぼ同様であるが,補文内の否定対極表現は否定辞が. 同一補文内ではなく主節に現れている場合も認可されることがある。 錮 そんなにおいしくないと思う。 鯛 *そんなにおいしいと思う。 即 そんなにおいしいとは思わない。. 即は引用句「∼と」の内部に「ない」が存在していないが,主節に「ない」が現れており,結果として補. 38.
(8) 「∼と思う」と否定. 文内の「そんなに」が認可されている。この現象について統語的に説明を試みたものとして「否定辞繰り上 げ分析」がある。. 否定辞繰り上げ(Neg−raising)分析. 鯛 そんなにおいし いと 思わない. ニニ・∴ 人 即では,鯛のように基底構造においては否定辞「ない」が補文内に存在し,錮と同様に同一補文内に存在 する否定対極表現「そんなに」を認可した後,派生の過程で主節末に繰り上げ移動していると分析される。 しかし,「∼とは思わない」と「∼ないと思う」に関する先行研究の観察を見ると,このような否定辞繰り 上げ分析では問題となる現象が存在する。. 5.1.2 否定辞繰り上げ分析の問題点 川蔦(2005)は,「∼とは思わない」と「∼ないと思う」が「意味的に離れる」例として,「わざと」や「うっ かり」を含む次のようなものを挙げている。. 錮 彼はわざとボールと蹴ったと思わない。 郎)彼はわざとボールを蹴らなかったと思う。. 師 花子はうっかり電気を消したと思わない。 ¢勿 花子はうっかり電気を消さなかったと思う。. 先に見た錮と即では「ない」の位置に依らず同一の文意であったが,錮と郎)や師と¢勿は「ない」の位置に よって異なる文意となる。これらの文意の違いは否定辞「ない」のとるスコープの違いに起因している。た とえば,錮と郎)におけるスコープと文意の違いは以下のようになる。. スコープの違い. 錮のスコープ: わざと < ない 文全体の解釈:事態が故意であることを否定 郎)のスコープ: わざと > ない. 文全体の解釈:否定された事態が故意であると主張 なお,「∼とは思わない」・「∼ないと思う」以外に,「∼のではない」・「∼ないのだ」においてもこれ と同様の現象が観察される。. 郎)彼はわざとボールを蹴ったのではない。. わざと < ない. 朗)彼はわざとボールを蹴らなかったのだ。. わざと > ない. 39.
(9) 阿 部 二 郎. 「∼とは思わない」と「∼ないと思う」否定辞の位置によってスコープ解釈・文意が変化することは,両 者が統語的に異なるものであることを反映していると言える。. 郎) 彼は[わざとボールを蹴ら[なか]った]と思う 郎)[彼は[わざと]ボールと蹴 ったと思わない] 人 L三∋く=ニ. 郎)において「ない」が否定辞繰り上げ操作によって補文内から主節末に移動しているとしたら,理論的に は基底位置における郎)の解釈も可能となるはずであるが,実際はそのような解釈とならないからである。し たがって,「∼とは思わない」と「∼ないと思う」は統語的に平行的な関係(派生関係)にあるとは考えら れない。. なお,以上の分析では,なぜ即のような否定辞が主節にあり否定対極表現が補文内にある文が認可される かというかという点が問題として残る。これについては次のような分析の可能性を碇示する。否定対極表現 は基本的には否定辞によって認可されるが,語用論的に否定の解釈ができる文脈に現れることもできる。錮 では否定対極表現が持つ何らかの性質によって,節境界を越えた否定辞による長距離の認可が可能となって いる可能性がある。この点についての精査は今後の課題とし,ここでは少なくとも「∼とは思わない」と「∼ ないと思う」が否定辞繰り上げのような統語的な操作では平行性を示すことができない点を示すに留める。. 5.2 文法的現象に見る「∼と患う」と「∼とは患わない」の違い 実際の用法においても「∼とは思わない」には,「∼(ない)と思う」とは文法的に異なる振る舞いが観 察される。. 「∼と思う」は主節の主語を明示することも明示しないことも可能である。思考の主体を表す主語が消失 して用いられると,よりモーダルになり,「∼と見える」型引用構文に近い性質を帯びるようになる。この ことを示唆する以下のような現象がある。 次の郎),㈹のように,通常,引用句「∼と」内の文には主題の「ハ」と中立叙述の「ガ」のいずれも現れ ることができる5。. 郎)私は,流行歌はみずからをなぐさめる歌であると思う。. 錮 私は,流行歌がみずからをなぐさめる歌であると思う。. ところが,次のように「私は∼と思う」から主節主語「私は」が消失すると,「∼と」の受ける文中に中 立叙述の「ガ」が現れなくなる6。 錮 流行歌は,みずからをなぐさめる歌であると思う。(五木寛之『風に吹かれて』新潮文庫). 5 β鋸ま他者を排除するいわゆる総記の「ガ」の解釈も可能であるが,ここでの論点はβ鋸こおいて中立叙述の「ガ」の解釈が. 可能であることにある。 6 「ガ」が「総記」解釈ならば,この文は自然であるが,中立叙述の解釈は不叶能であるという点から判定に「??」を付し ている。また,「流行歌が……歌であると思うこと」のように文全体を従属節に埋め込むと許容度が上がるが,本例文の判. 定は主節におかれた場合を想定している。. 40.
(10) 「∼と思う」と否定. 鯛??流行歌が,みずからをなぐさめる歌であると思う。. 郎」如)の現象は,「∼と思う」の主語が消失することで,「思う」が「∼と」で標示される補文をとるので はなく,「と思う」が文末モダリティ形式として機能するようになり,「∬はッだろう」,「∬はプにちがいない」 等と同様に主題の「ハ」を「∼と思う」で受ける構造になっていることを反映していると思われる。実際に,. 次の例のように「だろう」や「にちがいない」を文末に持つ文の主題名詞を中立叙述の「ガ」を伴った形に 変えることはできない。. ㈱ 流行歌は,みずからをなぐさめる歌であろう。 ㈹ 流行歌は,みずからをなぐさめる歌にちがいない。 ¢預??流行歌が,みずからをなぐさめる歌であろう。 ¢4??流行歌が,みずからをなぐさめる歌にちがいない。. ところが,「∼とは思わない」の場合は,主体が示されていなくても「∼と」の受ける文中に中立叙述の「ガ・ が現れることが可能である。. ㈹ ソン・イェジンは16日午後,ソウル光化門のレストランでスターニュースのインタビューに答 え,「恋愛の終着点が結婚だとは思わない」と話した。(『朝鮮日報』日本語版2005年12月18日 :下線は筆者). この例では「恋愛の終着点は結婚だ」という名詞述語文が「とは思わない」に前接し,主題の「ハ」が中 立叙述の「ガ」に置き換わっている。. 以上をまとめると次の通りである。引用句「∼と」内における中立叙述の「ガ」の出現可否から,「∼と 思う」型引用構文から主語が消失すると「と思う」が文末ムード化するのに対し,「∼とは思わない」につ いては主語が消失しても「とは思わない」の文末ムード化が起こらないということが分かった。 しかし,「とは思わない」は「と思う」と同様のムード化が起こらないとはいえ,「∼とは思わない」の引. 用句内に中立叙述の「ガ」が現れているときに,主節の主語が単に省略されているとも考えにくい。仮に, ㈹のタイプに中立叙述の「ガ」が現れるのは,この文から「私は」が省略されていて本来は郎)同様補文だか らであると仮定する。もしそうであるならば,錮も郎)から「私は」が省略されていると考えれば,㈹も㈹か. ら主語が省略され中立叙述の「ガ」を含んだものとして許容可能なはずである。ところが実際には仕鋸ょそう した解釈では許容できない。つまり,「∼とは思わない」における主節主語の消失現象が省略によるもので あるならば,文末ムード化していない方の「∼と思う」においても同様の主語省略があってもいいはずであ るが,実際にはそうなっていない。「∼と思う」は主語が消失した時点で文末ムードへと変質しているので ある。このような「と思う」の主語消失による変質が,主語人称制限を持つ「と思う」の性質に由来するも のであるとしたら,同様の主語人称制限を持つ「とは思わない」についても,主語消失によってなんらかの 変質を起こしている可能性がある。ここでは,「∼とは思わない」において主語が標示されていない場合も 何らかの意味があるという仮説の下,以下考察を進める。. 5.3 評価文との関連性と既定的前提 「思う」が否定化され「思わない」になった場合,前接する引用の「ト」は「トハ」になるのが一般的で. 41.
(11) 阿 部 二 郎. ある7。上田(2002)は「思わない」と「トハ」が密接な関係にあることに着目し,「∼とは思わない」を次 のような「PトハⅩダ」の形をとるタイプの文と連続的なものとして見ている。. 郎)ご主人が先へ帰るとはひどい。(夏目淑石『坊っちゃん』新潮文庫). 郎)のタイプの文は,「トハ」が「ト」+「ハ」という2つの独立した助詞ではなく,複合辞となって掟題 的な機能を帯びており,述部で評価を下す文となっている。この「トハ」が,引用の「ト」に対比の「ハ_・. が随意的に付加したものでないことは,次のように「ハ」が省略不可能であることから確認できる。. ㈲ *ご主人が先へ帰るとひどい。. 上田は,「∼とは思わない」においても基本的に「ト」単体でなく「トハ」の形で現れることから,「∼と は思わない」と「PトハⅩダ」タイプの評価文との連続性を主張している8。一方,「∼と思う」については, これが「∼とは思う」と言い切りの形で用いられるのは一般的でなく,用いられたとしても,「ハ」による 強い対比解釈が求められるときだけである。 「PトハⅩダ」のタイプの評価文は藤田(2000)も扱っており,その中で「トハ」の受ける内容が話し手 によって「所与のもの」として承認されていると説明している。. ㈹ 嘘をつくとはけしからん。. この例において「嘘をつく」という事柄は「話し手の意識に所与の事柄として現前している」とされる。 ただし,ここでの「所与のもの」とは,事実であるという意味ではなく,既に想定にあると話者によってみ なされる事柄である。藤田の用いるこの「所与性」は,先に見た川蔦(2005)による「∼とは思わない」の 分析における「Pと想定しようとするコンテクスト」という概念と通底している。つまり,雨を予想・期待 するようなコンテクストがあった時,それを打ち消す形で「雨が降るとは思わない」が用いられるというこ とである。両者は中右(1983)の提案する次のような「既定的前碇(既定的知識)」という概念にまとめる ことができると考えられる。. ㈱ 既定的前碇(既定的知識). ある事柄の知識(概念,命題)が発話の時点に先立って,あらかじめ確定した話題として,話し 手の意識のなかにあるとき,その知識は既定的である。 (中右1983:p.549). このように,「∼とは思わない」は「∼とは」の内容が既定的前碇となっているという点においても,「P トハⅩダ」型の評価文との関連性が示唆される。さらに,「∼とは」と既定的前提の議論は,先に見た小野(2005). 7 上田(2002)は「思わない」に「ト」単体で付くケースがほとんど見られないことを実例に基づき数量的に示している。 8 「トハ」が複合辞として文法的に不叶分となっている「上)トハⅩダ」タイプの評価文と異なり,「∼とは思わない」では「ト」 と「ハ」が文法的に絶対不可分なわけではない点は注意を要する。意味的連続性は認められるものの,「∼とは思わない」 は文法的には評価文そのものではなく,引用構文としての性質を保っている。. 42.
(12) 「∼と思う」と否定. において「∼とは思わない」では思考時が発話時に先行しているとされる分析とも密接に関連する。既定的 前碇は,その定義より,発話の時点に先立って存在しているとみなされるものだからである。 ところで,5.2節では「∼とは思わない」の「∼とは」内に現れる中立叙述の「ガ」について論じたが,「P. トハⅩダ」のタイプの文が取り上げる事柄の内容にも中立叙述の「ガ」が現れる。. 郎)彼が言語学者だとは意外だ. 奇しくも,川蔦が「とは思わない」の説明のために挙げている例㈹(以下に再掲:下線部筆者)において も「∼と思う」では「ハ」が用いられ,「∼とは思わない」では「ガ」が用いられている。. 机 明日の天気どうかな。 a.雨は降らないと思う。 b.#雨が降るとは思わない。. ・トハ」内に中立叙述の「ガ」が現れると既定性が生じるのか,あるいはその道であるのか,現時点では 分かっていない。しかし,少なくともこれまでの観察から両者には何らかの密接な関係があると考えられる。 この点については今後の課題としたい。. 6.まとめ. 本稿では,「∼ないと思う」と「∼とは思わない」について2つの問題点を碇起し,文法的観点から記述 を行った。まず,なぜ2つの形式が存在するのか,それらは同じものとみなしてよいのかという点について 考察し,両者は文法的に平行的でなく,異なる文法的振る舞いをすることを示した。次に,「∼とは思わない」 が「∼と思う」の否定分化したものと見なせるかという点について考察し,「∼と思う」と「∼とは思わない」. の関係が,「∼と思う」と「∼ないと思う」の対立とは異なり,命題の肯定対否定という単純な図式では捉 えられないことを主張した。具体的には,「∼と思う」が文末モダリティ的な振る舞いをするのに対して,「∼. とは思わない」は評価文に通底する性質を有していることが明らかとなった9。とりわけ,「∼とは思わない」 のとる事柄が既定的前碇となっている点が,「∼と思う」と決定的に異なる点であると考えられる。 一方で,本分析により課題も多く生まれている。まず,「∼とは」内における中立叙述の「ガ」の出現と,. 既定性を関係づけるメカニズムが未だ明らかになっていない。また,「と思う」の場合と同様に主題の「ハ」 を伴った「とは思わない」についての分析が残されている。また,本考察はより一般的で根本的な問題とし て,モーダルな成分と否定との関係がどのようになっているのかという考察に発展していく可能性がある。. 参考文献 阿部二郎(2006)「引用句内に現れる『ハ』と『ガ』」矢澤真人,橋本修編『現代日本語文法 現象と理論のインタラクション』 pp.127−150,ひつじ書房. 9 ただし,評価文が話者の態度を示していないと断言することも躊躇される。評価文と話者の態度の関係性の有無につい、し. も今後精査が必要である。. 43.
(13) 阿 部 二 郎 阿部二郎(2007)「複合辞の『トハ』と複合辞でない『トハ』」『札幌国語研究』12,pp.1−10,北海道教育大学国語国文学会・. 札幌 上田博人(2002)「R本語の『ハ』とスペイン語の凛航法」『R本語学』2l−8,pp.13−24,明治書院 小野正樹(2005)『日本語態度動詞文の情報構造』ひつじ書房 川篤信恵(2005)「認識のモダリティの否定」『日本語・日本文化研究』15,pp.37−46,大阪外国語大学日本語講座 砂川有里子(1987)「引用文の構造と機能一引用文の3つの類型について−」『文蛮・言語研究言語篇』13,pp.73−91,筑波. 大学文芸・言語学系 中右実(1979)「モダリティと命題」『英語と日本語と』林栄一教授還暦記念論文集,pp.223−250,くろしお出版 中右実(1983)「文の構造と機能」太田朗編『意味論』pp.548−626,大修館書店 中右実(1994)『認知意味論の原理』大修館書店 仁田義雄(1991)『日本語のモダリティと人称』ひつじ書房 野田春美(1997)『「(の)だ」の機能』くろしお出版 藤田保幸(2000)『国語引用構文の研究』和泉書院 益岡隆志(1991)『モダリティの文法』くろしお出版 宮崎和人(2001)「動詞『思う』のモーダルな用法について」『現代日本語研究』8,pp.111−136,大阪大学大学院文学研究. 科日本語学講座 山田小枝(1997)『否定対極表現』多賀出版. Gajewski,Jon(2005)几な−Raising:1blari&andPrest44)OSition.Ph.D.Dissertation,MユT.. (国際交流・協力センター講師). 44.
(14)
関連したドキュメント
しかし何かを不思議だと思うことは勉強をする最も良い動機だと思うので,興味を 持たれた方は以下の文献リストなどを参考に各自理解を深められたい.少しだけ案
サビーヌはアストンがレオンとの日課の訓練に注意を払うとは思わなかったし,アストンが何か技を身に
最後に要望ですが、A 会員と B 会員は基本的にニーズが違うと思います。特に B 会 員は学童クラブと言われているところだと思うので、時間は
帰ってから “Crossing the Mississippi” を読み返してみると,「ミ
長期入院されている方など、病院という枠組みにいること自体が適切な治療とはいえないと思う。福祉サービスが整備されていれば
層の積年の思いがここに表出しているようにも思われる︒日本の東アジア大国コンサート構想は︑
に至ったことである︒
討することに意義があると思われる︒ 具体的措置を考えておく必要があると思う︒