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スティーブンズと 年のイングランドの労働運動

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(1)

ステーリイブリッジの宣教師ジョウゼフ・レイナー・

スティーブンズと 年のイングランドの労働運動

ゲオルク・ヴェールト 髙 木 文 夫 訳

マルサス――『人口の原理についてのエッセイ』,最初に刊行されたのは

―― は,世界の人口は完全な自由発展の場合 年ごとに 倍になる,つまり幾何級 数的な割合で増加するが,食料は世界の現状を考慮し,最も好都合な状況下でも算術 的な割合でしか上昇させることができないと想定した。従って,人口は . . .

. . . . と増加するだろうが,食料は . . . . . .

. . と増えるだけである。二世紀後には人口は食料と 対 の比になり,

三世紀後には , の比になり,二千年後にはその差は殆ど計算できなくなる

―― もし戦争,ペスト,貧困そして死が人口を常に食料と均衡させることがなけれ ば,人類の存続はまもなく不可能になるだろう。これに基づいてマルサスは貧困と悪 徳をすばらしいことだと説明する。何故なら両者は常に食料を超えて発展する傾向を 持つ人口を適切な限度内に戻すからだ。彼は人間の困窮を喜捨によって軽減する試み はどれも愚かで,危険だと説明する。何故なら,こうすることは民衆の貧しい部分を 誤って導き,遅かれ早かれあらたにもっと大きな貧困を招くだけだからだ。彼は結婚 も幸運に恵まれた人にだけ許し,言葉通りに「すでに満席になっている世界に生まれ る人間は,もし家族が養うことができず,社会が彼の労働を必要としない場合には,

食料にはほんのわずかだけでも権利を有さない。彼はこの世では過剰なのである。自 然の大きな饗宴では彼の織機は置かれていなかった。自然は彼に縁を切ることを命 じ,この命令を自ら実行することをためらわない」と言っている。同様に第一巻の末

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尾では,言葉通りに,「大都会やマニュファクチュアで,静かな,しかし確実に生命 を損なうことは多くの貧しい人々の狭い住居や不充分な食物は食料が人口を超えるこ とはなく,確かに最初は奇妙に見える発言を許して貰えば,過剰を無くすために大き な伝染病が必要であることから免れ得ない。」――

ここはマルサス主義者の理論にさらに立ち入る場所ではない。近年の徹底的な反論 については『独仏年誌』(

Fr.

エンゲルス:「国民経済学批判要綱」)を挙げておくが,

そこではマルサスの理論に拠れば,たった一人の人間が存在するだけでも地球はすで に人で溢れることになると非常に正しく述べてあり,特に人口と食料の拡大を比較す る場合,いつか困窮が人間に特にこのことに取り組むよう強制するようになれば,学 問がどんなに大きな影響を地上で持つようになるか考慮することを忘れたのだ。

いずれにせよ,社会の支配階級はマルサスの人口理論を大歓迎した。というのはこ の理論は背徳や貧困がまったくすばらしいことだと証明しようとしただけでなく,背 徳や貧困を絶えず支えて,過剰人口を予防することを支配階級に義務づけたのだ。支 配階級はまさしく不可欠なものとしてのプロレタリアートとの闘争で強化された。彼 らは今,貧しい階級から盗みを働き,食料を奪い取り,彼らの没落に逆らって,すっ かり気を落ち着けることができた。

一言で言えば,マルサスの理論は現在の社会状態を学問的に是認することだった。

人口理論が誕生したイングランドではこの理論の結論はこのようなものとして公的に 認められた。しかも二通りの方法で。第一に新救貧法によって ―― 修正救貧法案に よって。これによれば,現在毎年数千人が国家によって大量虐殺されている。第二に マーカスの著作では公然と嬰児殺しが要請されることによって。まず新救貧法につい て話せば,我々は完全に理解するためには,イングランドの宗教改革が始まった時代 に遡らねばならない。当時聖職者は土地の十分の七を所有していた。 , をくだら ない宗教施設が国土を覆っていた。ヘンリー八世は修道院を廃し,財産を押収し,修 道院の住人も寄贈が喜捨によって聖職者に扶養されていたすべての人々にも運命を譲 り渡した。だから社会的貧困が王国全体に身の毛もよだつようなかたちで明るみに出 るまで長くはかからなかった。すべての伯爵領は浮浪者,乞食,そして泥棒で溢れた。

エリザベス統治下でこの状態がひどく蔓延したので,女王は数百人単位で徒党を組ん

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で略奪しながら国中を歩き回る不幸な人々をますます厳格に追跡することを図らなけ ればならないと思った。しかし,可能な限りの処罰を試み,数千人が死を被ったあと,

人々はこの方法では災いは舵取りできないことを理解した。それでエリザベスは救貧 法の公布を決定したが,それによれば,市町村の住民は税を支払い,各市町村は労働 可能な者は就労させ,老人と病人は救済して,貧しい人々の面倒を見なければならな かった。エリザベスの救貧法は 年まで効力があった。それでこの法が住民に及 ぼした効果を追跡すれば,かの救貧法は,まさにそれによって貧困を除去する事を考 えていただけだったので,税が信じられないような額に引き上げられた時でさえ,

常に不充分なままであり,ますます住民の大多数を継続的な貧困のままにおいておく ことに貢献しただけだった。毎年イングランドの救貧制度を維持するために必要とさ れた額がこのことをきわめて明瞭にしている。 年困窮に苦しむ人々を救済する ために市町村で定められた額は , , ポンドになり, 年には , , の住民に対し, , , ポンドになった。 年には税は 万ポンドを超えた が,スコットランドとアイルランドは含まれていない。 年には , , 人の 貧民が救済されたので, 人に対し 人の貧民をということになる。新救貧法を準備 した 年の調査によって,このような結果を目の当たりにしたとき,喜捨では貧 困を除去できないことが分かった。しかし,あのような不幸な状態の変化を社会の全 般的な変革に求める代わりにこのとき突然以前のように巨額の喜捨を与える代わりに 今後喜捨を施すことなく,あるいは少なくともイングランドの貧しい住民の大部分が 政府の新しい方法に従って扱われるよりも,むしろ破滅することを選ぶという条件下 でのみあてがうことによって,極端から極端へと転換した。率直に言えば,政府は常 に増大し,圧迫する税から国を解放するために, 年,すでに前世紀末すべての 喜捨は愚かな行為である,貧困は制御するに及ばない,何故ならそれは神の世界支配 に不可欠であり,人口の過剰部分を取り除くために不可欠であると説明した,学識あ るマルサスの忠告に従ったのである。

修正法案,旧救貧法の変更あるいはむしろまったく新しい救貧法は議会により採択 された。これまでのように貧しい人々を救済する代わりに,他ならぬ貧しい人々を根 絶やしにすることを目的としたこの措置の結果は新しい法律の導入後 年ですでに救

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貧税がほぼ四百万ポンドも減少したことから明らかになった。 年には平均して 一人当たり シリング ペンスであった税が 年には シリング ペンスに 減ったのである。

新救貧法の要点は,以前のように貧民救済が市町村に委ねられることではなく,今 度は毎週一度招集される行政評議会によって救貧制度が考慮される協会をおよそ の市町村で結成するが,この行政評議会はサマーセット・ハウスの中央委員会の管理 下に置かれるということにある。救済を要求する人々は行政評議会の事務局 ―― ボ ード・オブ・ガーディアンズ ―― に申し出なければならないが,一時的な困窮を終

レリーヴィング・オフィサー

わらせるためには旧制度下におけるように金銭の援助ではなく, 救 済 官 吏が彼ら の困窮が真実であり,おぞましいものだと判断したあと,救貧院 ―― ワーク・ハウ ス ―― に行く許可を得る。

各協会に一つはなければならない救貧院は,ある程度新システム全体の基盤をなし ている。設備はそこで老人,病人および孤児に充分な日々の糧を給することができる が,それに反して,労働可能な者には滞在は極度に厭わしいものであるようになって いる。この最後の事態は貧しい住民の大部分を,言葉の本来の意味で,救貧院に入 ることを思いとどまらせるように貢献することになっている。何故なら救貧税を

ア・トゥト・プリ

完 全 に 削減するつもりであるし,それ故困窮者をできるだけ厄介払いをすることが 求められなければならないからだ。それ故,一方で労働不能な人々をどうにかこうに か扱っているのに,高物価あるいは不景気という不運が救貧院に追いやる労働可能な 人々はその分だけ残酷に扱われる。男たちは妻たちと引き離され,母親は子どもたち から引き離される。彼らは別々の部屋に閉じ込められ,そこを離れることは許されな い。労働不能な人々に対してももちろん非常にまれではあるが,十二分にあてがわれ る食料は労働可能な人々には常に質が悪く,量も少ない。その他にもあの不幸な人々 はもっとみすぼらしい仕事に就くことを余儀なくされる ―― 要するに,彼らに対し ては滞在が地獄となるようにして,むしろ昔の貧困に戻り,まもなく破滅するように と仕向けられている。

しかし,そうすることで,まさに新救貧法の目的が達成される。それどころか産業 の発展によって毎年増加するプロレタリアートをこれ以上救済するつもりはない,い

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や,抹殺しようとしている。しかし,そうすることで社会全体の改革により,そもそ もプロレタリアートの廃絶をなくそうとしているのではない,いや,個人を,言葉に 真の意味で,人目につかない方法で破滅させることでなくそうとしているのだ。

イ ド ・ エ ス ト

すなわち,地主や工場主はもっと貧しい住民をずっときわめて我慢強く,おそろしく 平静に奪い取り,盗み,酷使する。そして世界が増加する貧しい人々が破滅すること によって,人口過剰という害悪からずっと守られるようにすべてをそのままにしてお

ひる

くのだ。何故なら,マルサスが,蛭のような,ブルジョワの,そして巾着切りの救世 主であるマルサスが彼らにそう助言したからである。

これからマルサス主義理論の第二の結論について語るのであれば,マーカスの著作 に言及しなければならない。この著作の標題は『人口制限ノ可能性ニツイテ ―― 人 口稠密ニツイテノエッセイ ―― 無痛死ノ理論付 ―― マーカス著』である。 にロンドンはストランド・ホーリーウェル街で,

W.

ダグデールによって出版された 第 版が私の前にある。この悪行がどういうものであるかを示すには本書の各章の内 容を引用する以上の必要はない。第 章で著者は,マルサスがまず過剰人口の理論を 広め,背徳と貧困は創造主によって課せられた,変更不可能で不可避な運命である,

何故なら背徳や貧困によって神は人間の急速な増加を制御できるからだと,背徳と貧 困を最初に人類に宣告したという栄誉を彼に与えている。第 章では著者は古代にお いて奴隷制度や嬰児殺しは過剰人口の害悪を予防していたので,当時はこれらは重苦 しく感じられることはなかった,それゆえ注意を払うこともなかったと論じている。

第 章では著者は彼の理論の基礎について述べているが,それは貧しい家庭で三人目 以上の子供たちはすべて人口減少のために殺されるべきだという点にある。それどこ

くじ

ろか三番目の子供たちを集め,そのつど四人の内三人に死なせるための籤を与えるべ

アソシエーション

きだとのことだ。第 章では著者は合法的な認可の元にこの計画を実行すべき連合体 を結成することを提案している。第 章ではすべての貧しい労働者階級,そもそも一 定額の財産を有しない階級は絞殺するために子供たちを差し出すべきだと要求してい る。アイルランドでは貧しい家庭は当地の人口を減少させるために子供を育てて良い のは一人だけだということにすべきだ。彼は同様に親は低収入のために彼らの子供た ちを死なせるときには心を落ち着かせるようにすべきだし,特に子供なしでいたいと

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約束する者が救済されるべきだと提案する。書物の最後で著者は親に社会が要求する 以上の子供を育てる権利はないと説明し,さらに子供には生きる権利はなく,生命を 継続していいかどうかを決定する力だけを必要としていると述べている。彼は子供の 生存要求を空虚な権利だと呼ぶ。彼は母親は子供たちを死なせる様子の美しく楽しい 絵で心を落ち着かせることを提案する。母親は生まれたばかりのおちびちゃんたちを 犠牲にすることは世界の幸福のためだという考えに親しむべきなのだ。しかし,何よ りもまず,殺された子供たちはきれいに並べられて埋葬されなければならないし,花 や美しい灌木で飾らなければならない。この墓石の並びは「子供たちの楽園」と名付

プロムナード

けられ,その場所は貧しい階級の保養地で遊歩道とされるべきだ。著者はこのあと彼 が「無痛の抹殺理論」と名付けた殺人方法を論じているが,それは苦痛を招かずに殺 す技術である。この技術は子供たちが初めての眠りについている間に呼吸する空気に しだいに充分な量の致死ガスを混入し,まどろみを死の眠りに変えることが肝心だっ た。

こんなことを読むと呪うべきか笑うべきか分からない。このような無痛抹殺理論を 誰が生み出したのか。この本を誰が書いたのか。このマーカスというのは誰なのか。

誰も彼のことを知らない。ただ確かなことはこの本が最初,これまで道徳や宗教の著 作を熱心に広めていた,ロンドンの立派な本屋で出版されたことだ。ただ確かなこと はこのマーカスの本はイングランドの新救貧法を呼び出したのと同じ考えを基礎とし ていることだ。

父マルサスを,一方が「新救貧法」と,他方が「無痛抹殺理論」と名付けられた,

彼の愛すべき二人の子供たちとともに述べたことを前置きとして,この後は の出来事に移ろう。この出来事からステーリイブリッジのメソジスト派宣教師ジョセ フ・レイナー・スティーブンスは,私はこの記事を彼に捧げるが,彼は荒々しいチャ ーティストの指導者ファーガス・オコーナーと荒れ狂うトーリー党員リチャード・オ ーストラーとともに抑圧された民衆のためのきわめて熱烈な闘士として輝き出す。

何という出来事の年だったことか。激怒した大波となって民衆は震撼する古いイン グランドの隅々まで轟音を立てる。人の波はランカシアとヨークシアの工場地帯に源 を発し,南へ旋回して,ロンドンの最も腐敗した悪名高い路地からほとばしり出た憤

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激と憎悪のあらゆる要素と一体になる。毎週のように,毎日のように民衆運動が高揚 する。それは初めて巨大な群衆となって立ち上がる労働者の運動で,まさにこの運動 によってまもなく労働者は完全に目覚めることになる。

選挙法改正案が通過し,まだ国中が動揺していた間,対策を決定的なものにしよう という民衆の試みはどれも暴力によって弾圧された。それ故民衆は自己防御のために 対策を立てることを決め,時間が過ぎるとともに商業恐慌が数千の労働者を不幸に突 き落とすと新しい救貧法が残忍に効果を発揮し始め,出版されたばかりのマーカスの 本が,上層階級は貧しい民衆に対しどのように考え,様々な州の議員で構成され,時 代の要求に従ってどのように事に当たらなければならないか,その方法について助言 するように依頼された会議の理念と急速に慣れ親しんだかをあまりに明瞭に示したの である。若いヴィクトリア女王が慣習に従って議会開会の参列に赴いたのと同じ日に この会議は「ブリティッシュ・コーヒー・ハウス」で最初の会合をもった。それは

年 月 日のことである。議員の数は 名だった。

最初の週は準備で過ぎた。普通選挙による議会を要点とする人民憲章導入のための 請願を女王に送ることが決められた。さらに会議構成員をイングランド中に送り,至 る所で国民に憲章の原則を周知し,国民年金への寄付と請願の署名を集めることが決 められた。その後まもなく政府がこの会議を力で解散することを狙っているとの報告 が広まったとき,この件では全議員が自分の州に戻って,国民の怒りや不興に関して この瞬間に平穏な方法で貫こうと努めることを完成すると説明された。

ここで申し立てることはできなかった,会議のそれ以上の討論はまもなく全労働者 世界の注目を要求した。彼らの間では特に国民の武装権についての議論が際立った が,それは国民が目的に達するための手段や方法をいかに洞察しているかを明瞭に証 明した。

フ リ ー ・ ト レ ー ダ ー

自由貿易論者の行動が同様にきらびやかに光を当てられたが,彼らは自らの意図を 象徴するために,喜んで民衆運動を自らの側に付けた。このことは一方ではとっくに 決着がついていた。というのは労働者は自由な交易で起こるかも知れない,もっと大 きな商業にもかかわらず,まもなく賃銀の切り下げによってすべての利点が失われる だろうと分かっていたからである。

(8)

一方で会議の構成員 人は様々な州に赴いて,煽動した。彼らは至る所で大きな

ミーティング

喝采で出迎えられた。 万人から 万人の集会がまもなく議論の対象となった。集会 では常に大量に出席し,通常演壇の演説者を取り囲んだ妻や娘たちも至る所で煽動的 な会合を持ち,憲章のための戦いで,夫や恋人をしっかりと支え,恥知らずなホイッ グ,とりわけジョン・ラッセル卿をもうじき地獄へ送るよう鼓舞することを決定し た。ロバート・オウエン支持者である社会主義者たちは運動とは距離を置いていた。

というのはすべてを愛すべき道徳で,平和で市民らしい方法で強制しようとし,情熱 に訴えることを敢えてしようとはしなかったからだ。中産階級のもっと多くの人たち が彼らの間に隠れてもいたので,彼らはボロをまとったチャーティストたちとは関わ りを決して持とうとはしなかった。ずんぐりしたオコンネルも驚いて勇敢なイングラ

ンド人たちに背を向け,後になって彼らのこの英雄的行動を自慢して羞じなかった。

彼は昔の教え子,ファーガス・オコーナーをどんなことをしてもイングランドの民衆 に対し嫌疑をかけ,そもそも当時アイルランド民衆運動を得意分野とした当人である 彼は本当のならず者であることを示し,残念ながらまだ広く知られていたので,自分 の年金に有益である限りで,運動の手綱を緩めたのである。イングランドでは運動 は嵐のように前進した。オーストラー ―― 労働者たちが名付け た と こ ろ で は,

ジ・オウルド・キング

「老 国 王」―― は国内を旅して回り,至る所で,国民をチャーティストの味方に付 けるためにはほんの僅かでも役に立たない新救貧法を激しく非難した。憲章に対して は彼はそんなには夢想していなかった。トーリー党員として彼は新しい措置に反対し て戦い,いつかはラッセル卿にすばらしい贈り物を運んでいくだけの大胆さを持って いた。彼は新救貧法に対する最後の議論としてぴかぴかに磨かれた短剣をラッセル卿 に送ったのである。国民に武器を取るよう接岸したマンスフィールドでの 時間に及 ぶ演説の後とうとう疲れ果てて倒れたとき,人々が聞いたのは「マンスフィールドの 皆さん,私の心は温かい,しかし,体は持ちそうにありません,武器を,武器を取りな さい。永劫の罰を,この呪われた救貧法に永劫の罰を」という言葉だけだった。そし て民衆は意気揚々と彼を連れ去った。チャーティストの中で最も熱烈な人物はファー ガス・オコーナーで,この会議の一員であるが,会議のメンバーは町から町へ,村から 村へと運動を高揚させ,拡大した。オコーナーは朝自らの新聞『ノーザン・スター』

(9)

に報告を書き,夥しい通信文を片付けると,午後には周辺を歩き回ってもっと煽動し た。夕方は演壇に立ち , 時間話し,それから深夜には他の町へ行って改めて同じ ことをしたが,これを数ヶ月間続けたのである。彼の不正直な意図を非難するのは根 本的に間違っている。努力の大部分は運動に捧げた。アイルランドの財産は担保になっ ていたそうだ。何かをうなることの代償に支持者に寄食する同郷人ダニエルのように はしなかった。――『ノーザン・スター』は当時イングランドで最もよく読まれた新 聞だった。土曜日の夕方工場地区へこの新聞を運ぶ郵便が到着すると数百人が寄って きて一部ずつ買っていく。おそらくは新聞の束が手押し車に載せられて通りを抜け,

前週の出来事をすべて報じる新聞を渡す。たいていの労働者は読むことが充分ではな いので,ふつうは街角で誰かが少し高いところに立ち,他のものに読んで聞かせた。

国中が政治に興奮していたのと同じ時期に初めて多くの労働者の心にある怒りや悲哀 が短い見事な歌になって世間に響いていた。それはわざとらしい苦痛でなく,作り物 の憤激ではなかった。

こぶし

そして宣教師スティーブンズ ―― 荒々しい熱狂家だ。彼は怒って拳で聖書を叩い た。他の全員がただ憲章のために,政治的措置のために戦っている間,彼は神の名に おいて自治体に神の被造物を軽んじることをすぐに止めないのであれば,もうこれ以 上財産を尊重するのではなく,むしろ火を付け,掠奪することを要求した。限度を知 らない熱狂の炎を燃やして,彼は民衆を抑えつけるものに逆らって暴れた。改善を生 み出す措置がどんな名前かは彼にはどうでも良かった。どのような犠牲を払っても,

彼は社会の変革を望んだ。彼は貴族や聖職者及びブルジョワに向かって突進した。

年 月 日彼はステーリイブリッジで次のような説教をした。

「友人諸君!

かなり前からイングランドは悪魔が最も狡猾な,それ故最も有害な弾丸を撃ち込ん だ国だ。初めはこっそり気づかれずに,それからもっとあからさまに,そして今はと うとうまったく遠慮もない。遺産相続をするように,掠奪するようにサターンはイン グランドに要求する。神掛けて間違いない。イングランドの偉大さの太陽が ―― 私 には時々時代のあらゆる徴候に従って恐れるが ―― 正午を回ってすぐにではない が,暗い真夜中に沈んでいくかどうかはサターンだけは分からない。我々が一つの国

(10)

フォルク

として没落するなら,我々が一つの国民として破壊されるなら,破壊はおそらく一度

もみ

に我々に襲いかかる。一撃で我々は倒れ,嵐の前の籾わらのように地上から消え去る

ナツィオーン

のだ。君たちは我が国民を現在の危機において転落から救う手段は一つも見せること ができない。君たちは希望を求めてどこを向く。救助を求めてどこを向く。周囲を見 回して見つからなかったときにはそれはやって来ない。何故なら私がそれを見つけよ うと思っていないからではなく,発見するのが不可能だからだ。宮廷に行って,何を 見つけるのだろうか。敬虔な女王を,国民の母親を見つけるのだろうか。」(違う,違 う)「この国の女王は望めば救助し,救済し,民衆を解放する能力を持っていること を否定しない ―― しかし,女王が若さ故に,そして女性に過ぎないことから,先入 観に満ち満ちて,この先入観が寛容も,愛情も,同情もわき起こらないこと,そして 女王は民衆の苦しみを正反対の側にいる任意の若い女性たちほどにも知らないことを 認めなければならない。私はこのことを怒って言っているのではない。不安で言って いるのであって,君たちを解放する源泉の一つが涸れていることを分からせるために

ふさ

取り上げているに過ぎない。この源泉は栓を塞ぎ,もはや水を流れさせることが許さ れない源泉である。女王が惑わされ,欺されていること,他の方向に導かれなければ たぶんまたまもなく国民とともに没落するだろうということを私は否定しない。

貴族院を,憲法と古い時代の風習の精神に従って防塁であるはずの議院を観察し て,そして,もしそもそも何か良きことに定められていたのであれば,さらに歴史の いくつかの節目には,一方で国王の思い上がりに対する,他方では民主主義の攻撃に 対する防塁であったのであれば ―― この議院を観察して,私は何を見つけるのだろ うか。古い騎士精神の痕跡を,国の諸制度を,国民の特権を,財産の不可侵と何より もまず国民の権利を擁護する,大貴族の勇敢で男らしい献身の痕跡を私は見つけるの だろうか。いや,違う。私が見つけるのは道徳的に零落し,腐敗した貴族で,憲法上 の雑種なのだ。―― 彼らは雑種で,もはやこの国の息子たちではない。この議院に 国家の舵をとる生気のない罪人から,政治的には干し草のようにかき集められたどん 尻の新入りに至るまで一人の男はどこにいるだろうか。彼らの中に,誰も伴わないス タンホープ伯爵であっても,あるいは聖職者を誰も伴わないエクスター主教であって も,彼のように神の命令に従う男がどこにいるだろうか ―― 彼らの中に寡婦や孤児

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を保護するために立ち上がる男がどこにいるだろうか。裏切り者や不信心者の不遜と 民衆の権利や自由との間にあえて割り込もうとする,あるいはそれだけの気持ちがあ るように見える男がこれ以外に見つかるだろうか。いや,君たちは名前,階級,称号,

ナツィオーン

そして影響の重みをすべて法律のために, 国民の,キリスト教徒であれ,異教徒で あれ,その精華に毒を盛る法律よりももっと凶悪な救貧法を支持するためにしか使用 しない,この道徳的に零落した貴族を目にするのだ。君たちは貴族の血筋を引くこの 紳士方,この国の救貧法の城砦をあちらこちらにふらつき回り,小屋の一つ一つを,

鍋釜の一つ一つをのぞき込むか,空っぽの鍋釜を満たすのではない ―― いや何か 入っていないか,ひょっとして小屋が良い状態にあるのではないか,何か取り出すこ とができるのではないかを調べるためであり,小屋が良い状態になければ,改善しよ うとして見るのではない,あるいは二枚のシーツでも,一つでも,ぼろ切れだけでも 中に入っていれば,ぼろ切れを残し,シーツは持ち去ろうと調べるためにのぞき込む のだ。」(そうだ,そうだ。)「君たちが目にするのはこの国の上流貴族たち,彼らの中 で最も高位な人たち,君たちのフィッツウィリアム家の人たち,君たちのブルーアム 家の人たち,君たちのラドナー家の人たちで,彼らは手に秤を持ち,パンを一ロート ずつ量り,水をひとしずくごとに測って,それどころか神が自分に似せて作った者た ちの命を犠牲にしてパンくずさえも盗もうと思っているのだ。このように退廃した人 たちに我々は何を期待し,何を望むというのか。

主教に関してはこのことだけを言うつもりだ。私はただ尋ねる。君たちの最年長者 は主教が上院でベンチから立ち上がり,『私たちはイエス・キリストの代理人として,

神に遣わされた者として,私たちは教会と民衆の使用人としてキリストの名にかけ て,私たちは罰を,未来永劫の罰をあなた方に,我らが兄弟の男爵に申し渡します。

あなた方に,貴族院議員の同僚の方々に。私たちは神の怒りと地獄の永劫の罰があな た方に下されるように求めます。それであなた方がしていることは寡婦の家を踏みに じり,父なし子を悲しませ,弱者や身寄りのない者を抑圧し,神とキリストが結び合 わせた人々を二つに切り離すことなのです。』」(そうだ,そうだ,アーメン。)「しか し,主教がこの呪いを口に出さなかったとしても,それは神がしたことで,もし主教 が繰り返すのであれば,神は公然と答弁を求め,最高権威として弾劾することにな

(12)

る,彼らの兄弟である男爵たちと同様に彼らを亡き者にするだろう。

君たちが国民代表の第一院から第二院に目を移すとそこで何を見るだろうか。――

君たちは神がかつて生かしておいた最も卑しい,犬のように最も卑屈な,最も厭わし い寄生虫を目にする。この議院をほとんど一致して羊のように泣き叫ばせた開院の勅 語とは何なのだろうか。」(そうだ,そうだ ―― とあらゆる方向から声があがった。)

「この勅語に,国内の大量の民が破滅しようとしているとき,イングランドのたいて いの住民が荷役動物よりももっと過酷な労働で押しつぶされるとき,彼らが労働で押 しつぶされるだけでなく,困窮によってもずたずたにされるとき,すべての労働を終 えた後でも,子供たちの飢えを鎮めたり,家族の裸の体に服を着せたりする力はまっ たくないとき,国土が重荷の元に呻き声を上げ,国の端から端まで君たちが苦しむ 人々だけ,辛抱強く耐えながら苦しむ人々を見るとき,そう,それにもかかわらずま だ政治強盗も,政治謀殺者もいないとき,それでも平穏と平和,それでも忍耐と諦念 が支配し,祈るための手もなく,それでも天を見上げるための眼もなく,―― そう,

天を,助けを求めるために ―― こういったことすべてにおいて,君たちは開院式の 勅語に,国民の状態がかくも悲惨であることへの国民への配慮の表現を,遺憾の言葉 を目にするだろうか。若々しい女王の眼から同情の一筋の涙が流れ落ちただろうか。

否。女王の眼は泣くことを拒まれ,女王の心は感情を拒まれている。女王の魂は国民 のことで嘆き悲しむことは禁じられた。彼女だったらしたように,国民への恵みの象 徴である平和のオリーブの枝を持つ代わりに,女王は手に短剣と松明を持ち,鉄の笏 をイングランド中に広げることを命じた。女王は国民に,鉄の鞭で統治するつもりで あると言うように強制されたのだ。」(神が女王に哀れみを与えるように。)「女王は国 民に対し兵士の槍が眼を突き刺すことも胸を貫くことも望まない,雇われた謀殺者の 軍団を,警察一味を刈りこませようと言う気にさせられた。女王は救貧法を,この悪 魔の法律を力尽くで施行するつもりである,イングランド北部のひとりの母親が子供 のことで,ヘロデ王の使いに子供を奪われたラーエルのように泣くとき,一人の子供 が母親の服にしがみつき,細い腕で母親のうなじに抱きつき,母親の胸を離そうとし ないとき,この子供と母親,そして隣に立つ不幸な父親にお前たちがただ泣くだけ で,あえて祈るだけなら,警察が手を出すだろう,警察がお前たちを鎮圧するだろう

(13)

と説明する。―― 女王は君たちにこの地獄の法律はたとえ玉座がこの闘いで倒れて も貫かれることになると言うように仕向けられたのだ。」(おいおい,恥辱だ,恥辱だ ぞ)

「さて,私は諸君に言おう,この法律が遂行され,女王の特権と玉座の権力にその 支援をさせられるとき,私は諸君に言おう,そうしたらこの玉座は没落するだろう,

そうなるべきで,そうならなければならない。」(そうだ,そうだ,―― 大きな興奮が 起こる)「私はこの国の古い制度を愛している,女王を敬愛している,しかし,女王 にはこの法律を押しつける権威はない,この法律を施行する力はない,そして神のこ の言葉にかけて」―― ここでスティーブンズは手を聖書に置いた ――「ここやあらゆ るところの同郷人に嘆願する,彼らが神を恐れ,肉体だけを殺すことができる連中を 恐れないことを。さもなくば我々はどこに救いを求めるべきだというのだろうか,教 会の従僕にだろうか。やつらは盲人の目に見えぬ導き手だ。そしてそれ以上だ。やつ らは目が開けられた彼らに眼を使うことを決して許さず,ほこりを投げつけてあらた めて目をくらまし,誤らせるのだ。私はあらゆる教会の支持者である君たちに尋ねる

―― 何故なら,私は周囲に宗教に対する多様な考え方の人たちが立っているからだ

―― 君たちに尋ねる,この町の君たちの牧師たちの何人が,この辺り一帯の彼らの うち何人が寡婦や孤児を気にかけるだろうか。彼らは説教壇から,演壇から,新聞雑 誌を通して,あるいは書斎で実行するのだろうか。」(いや,違う)「いや,彼らは秘 密裏にもそして公然と,弁舌でもペンでも,言葉でも行動でも実行することはない。

彼らは名目上予言者であるが,羊の皮を被った狼なのだ。彼らは放牧するようにと羊 の群れを与えられる。しかし,毛を刈り込むためにだけこの群れを引き受けるのだ。

彼らは番人になって,泥棒が近づくと警鐘を鳴らすことになっている ―― しかし,

彼らは泥棒に合図を送り,中に入る手助けをし,略奪し,痛めつけ,破滅させること を手伝うのだ。―― どこに希望があるだろうか。どこに救いがあるだろうか。民衆 の中にだろうか ―― その通り ―― 彼らの中にあるのだ。確かに国のどんな暴力もど んな党派も我々に抵抗している。しかし,民衆はこれまで真実に対し感受性も示し,

真実を拳の剣で実現するだけの能力も持っていることを私は知っている。

民衆を救う代わりに偉大な国家の悪党たちはただ種々に卑劣きわまる計画を企み,

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喜び,確かな好意を持って,私が証明できるところでは,ごく最近サターン・マーカ スが行ったような悪魔の提案を見下している。このマーカスという人物は過剰で不快 な貧しい住民をこの世から閉め出すためのすばらしい,効果的な手段を発明した。外 へ出るとき,隣家の壁を見よ。君たちはポスターにマーカスの本の広告を見つける。

この男は今世紀の学識があり,開明的な哲学者の一人であり,彼の言葉を大部数で広 めたこの国の一級の男たちに支援され,引き立てられた。この本では 人目の子ども を殺すことが提案されている。これは倫理的な義務だと ―― 宗教的な慣習だと断言 された。」(大きな動揺)「この方法は道徳にかない,正しいことだと,この国のキリ スト教徒に適合すると推奨される。マーカスはこう言っている。生まれたいかそうで ないか子どもは尋ねられない,あるいは子どもは決して生まれたいかそうでないかと 訊かれないので生まれると言うことへの同意もあり得ない,だから子どもは生きる権 利を持たない,だから生存要求もしない,従って生命を奪っても,それは子どもの略 奪では断じてない,と。生きることは権利ではないので,子どもは不当を被ることも ない。我々は貧困の機会以外のことを奪うわけではない。―― これが論拠だ。これ が論理だ。これが政治経済学だ。そして哲学と政治経済学が玉座に座っている。そし てイェホヴァはベルゼブルの,金銭の,そしてモレクの下男になる。」(大きな動揺)

「神は噓つきだ。そして哲学者マルサスと悪魔マーカスは真実を語っている。このよ うなことに誰が驚くだろうか。見よ,このような本がイングランドでは支援されてい る,宗教上のあらゆるけばけばしさで,つねに第 子を生まれるやいなやガスで窒息 させるのが良いことだと事細かに説明される本が,である。

このマーカスの本は時代の象徴の一つである。これを見て読んだとき私は全然驚か なかった。この本を見るずっと前に私は君たちに公然と,このようなことはまもなく 実現するだろうと言った。私は君たちに一度だけでなく繰り返し,新救貧法が通過す ることに驚かないと言わなかったか。新救貧法はマーカスのこの原理の産物なのだ。

新救貧法は夫を妻から切り離す ―― しかし,何がそうするのだろうか。工場主はこ んなこともかなり長い間やってきた。違いは,夫が妻から切り離されて,「協会矯正 施設」と呼ばれる牢獄にいるか,あるいは「工場」と呼ばれる牢獄にいるか,にある のだろうか。新救貧法は両親を子どもから切り離す。この法律は子どもを母親の胸か

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ら引きちぎる ―― しかし,それはどういうことになるだろうか。君たちはもうとっ くの昔から自分の子どもたちを自分の胸から引き離してきた。工場の制度は母親たち に子どもたちを重荷のように見ることを教えた。かなり多くの尊敬すべき,信頼に価 する医師たちから私は彼らが工場地区でお産間近の女性に呼ばれたとき,彼女が子ど もから解放されることに気付いたとたん医師に子どもの命を維持することに労力を注 がないように切に願ったことを聞いた。」(大きな動揺)「私はステーリイブリッジや ランカシアの多くの地区でこのような例をたくさん聞いた。私はマーカスの本や新救 貧法のようなものが決して国民を急襲することはないと示すために言及している。そ れらはいつも進歩的である。工場システムはほぼ完全に君たちから自然の愛情を奪っ た。子どもたちは母親を知らない。生きることが許される人々は医者には良心によっ て抹殺されることはない ―― 君たちの願いに応じる医者も存在する ―― 生きること を許された人々はどうなることだろうか。彼らは乳母の元へ,特別な女性の元へ送ら れ,マーカスのガスを餌として与えられないとしても,ほとんど致死と一緒のアヘン チンキが与えられる ―― ほぼ死は確実である。だから我々は政府がこのことを知っ ていること,政府が民衆をどれほど零落したかを知っていることに驚く必要はない。

そして,それでもこの国で救貧法に従うつもりがなければ,こんなことが起こるの だ。何故ならお互いの愛情が胸に目覚めるからだ。スティーブンズは以前の感情を取 り戻すために,己のことをした。神の言葉だけがスティーブンズの唇から漏れ出たの で,アシュトンや南ランカシアの男たちもついに立ち上がって歌ったのだ。

「妻と子どものために 短刀を持ち,戦いに急げ」

「バスチーユを打倒せよ」――「我らが神と我らが権利よ」スティーブンズさん,君 たちはこういったことすべてのための教科書を持っていないのか。そのとおり,私は 君たちに聖書全体が今夜私の教科書ではなかったかを証言するようにと訴える。その 他に私は君たちに創世記第 章を,アブラハムが息子を捧げようとする等々の物語 を参照するように指示する。―― さて,アブラハムが自分の息子を,たった一人の 我が子を,約束の子どもを殺す用意ができて,他ならぬ正しい行いをしているのだと 言ったとき ―― 神が我々の子どもたちを殺さず,子どもの命を奪おうとした奴らを

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殴り殺せと命じたならば,我々はひるみ,手をこまねいているべきだろうか。アブラ ハムが自らの手を自らの血に浸し,子どもの血を手で洗おうとするとき ―― 神が我 らに願ったならば,神が剣を取り,敵の心臓を貫くまで二度と鞘に入れてはならぬと 命じたならば,我々はためらうべきだろうか。神は人間の死を望みはしない。しかし,

今イングランドの恥辱として存在する救貧法委員会が設立されることも望んでいな い。神は今イングランドの呪いとして存在する救貧法のバスチーユを建設することを 望みはしない。スコットランド人やアイルランド人を,女や子どもを,横になって眠 らなければならない,数個のジャガイモと一匹のニシンをあてがわれる,数フィート の広さしかない部屋に家畜のように押し込められることも神の意志ではない。しか し,このようにして貧しい人々を衰弱させ,夫と妻を離し,無辜の,尊敬すべき貧し い人々を投獄し,破滅させる人間がイングランドにいるならば,このような人間は地 上から抹殺されるべきだというのが神の意志なのだ。

アブラハムが意図された犠牲のことで全能の神の意志に従った後,神は手を引っ込 め,彼に息子の代わりとして犠牲として雄羊を与え,天使がやって来て,彼に祝福を 与えたのである。―― 何によって天使はアブラハムを祝福したのか。「汝は一年中そ こに住むように宮殿を持て」と神が言わなかったか。「汝は数千のさまざまな気晴ら しを,加えて金と銀を持て」と神が言わなかったか。神の祝福とは何か。非常に奇妙 なことだ。神が人間や国民に祝福を与えるのであれば,神は金や銀,家屋や国土を決 して特権とはしない,わずかな選ばれた人々への特別な恵みとは決してしないのだ。

神の祝福はつねに違った形をとる。しかし,特にここではアブラハムの例がある。天 使が叫ぶ。「このように主が言われる。『汝の種に祝福を与え,空の星のように,海岸 の砂のように種よ増えよ』」―― 何だって,神は種を増やすおつもりだ,種だって

―― 子どもたちのことだろうか。何故アブラハムはこの慈悲深い恵みを我らが神の 足元に投げつけなかったか。何故彼はそれを払いのけなかったのか。何故彼は「これ はすべての哲学に反します,私はいつも 人目の子どもを殺さなければなりません,

すでに多すぎるほどの人口があります,人間が増加するのが早すぎ,食糧を不足させ

わし

すぎています」と言わなかったのか。何故アブラハムは天にまします父親に,儂は間 違っています,世界は住民にとって狭すぎます,人間は大地よりも遥かに大きな繁殖

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力を備えています,と言わなかったのか。何故彼は贈り物を,恵みを突き返さなかっ たのだろうか。

神は「汝の種を空の星のように増やそう」と言われた。まるでアブラハムが望遠鏡 ですべての星を探し,数え上げることができるかのように,神はさらに「海岸の砂の ように」と付け加えられた。―― 神の祝福は心と肉体の恵みである。神が天から祝 福を与えるのであれば,心と肉体に祝福を与えるのであり,神が天から呪うのであれ ば,神は心や肉体を呪うのである。そして我々は今このときイングランドで呪いを受 けているのである。心や肉体が呪われているのであれば,すなわち,母親がもはや子 どもたちが生きながらえるのでしょうかと尋ねるのであれば,そして夫が居るかどう かがどうでも良いことであるのならば,結婚しているかどうかが男たちにとってどう でも良いことであるならば,彼らが結婚で子どもを多いよりは少なく持つ,いくらか 居るよりはむしろまったく持たないのであれば,―― 時が来れば彼らは神の言葉が 書かれた呪いを受け取るのである ―― そして我々は今このイングランドでこの呪い を受けている。―― そしてこのことは呪うべき経済学の呪うべき結論なのだ ―― こ れはあのマルサスの発見の産物なのだ,神が奴らをこぞって地獄の底に突き落とすこ とを神に願おうではないか。」(アーメン,アーメン)「しかし,詩編には『彼は妻を 持つべし,妻は実り豊かなブドウであるべし,彼は多くの子供を持つべし,そして食 卓の周囲のオリーブの枝のようにあるべし』と書かれている。キリストは,夫は妻の ために父母の元から立ち去るだろうと言わなかったか。キリストは,神が結び合わせ た人間は別れてはならないと言わなかったか。イングランドの議会よ,このことを聞 け。

議会に持ち込まれる次の法案は神を変え,改善するための法案であるだろうと私は 最近君たちに言った。私はそのことをつゆほども疑っていない。そうなるだろう。何 故なら聖書と新救貧法はこの国ではあい並ぶことはできないからだ。そして君たち経 済学者,人間の繁殖力は大地のそれに比べ大きすぎることを語る君たち,聞きたま え,マーカスとマルサスの門弟である君たち,これを聞きたまえ,君たち工場主,君 たちはいつも外国との競争が僅かばかりの商業の利益を持続することをこれ以上許さ ない,穀物法の廃止以外に君たちの労働者を守ることはないと断言する君たちよ。穀

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物法を廃止せよ ―― 女王の頭を次から次に打ち落とすのと同じことを要求するかも 知れないのだ。一方は他方と同じだけ国を困窮に陥れるかも知れない。私だったら空 気と同じように穀物を自由にイングランドに入れる。しかし,私だったらステーリイ ブリッジの有閑階級一人一人を取り押さえ,耕作用に エーカーの土地を与える前に はその話はしないだろう。私だったら穀物を自由に空気のように取り入れるだろう,

しかし,むしろ一人一人に必要なだけの採石をするために採石場に行く,必要な限り の木を切るために森に行く,そして木と石を合わせ,自分で素晴らしい家を建てる許 可を与えるだろう ―― そして君たち全員が家を建てるのに倦み,自分の畑を耕し,

自分の穀物を収穫するのに飽きて,その上飢えているのであれば,私が思うに,そう すると穀物をポーランドやロシアから取り寄せるべきかどうかを語るときが来たとい うことだろう。ポーランドやロシアと我々は何の関係があるだろうか。神の意志を実 行する以前に我々は他国と何の関係があるだろうか。このことについてキリストは何 と言っているだろうか。キリストは言う,『君たちが何を食べ,何を身に付けるべき か思い悩むな』と。―― 何だって,我々はそんなこと思い悩むべきなのだろうか。

我々は熟考すべきではないのか。神は,我々は自分の家のことを調達し,妻や子を養 うべしと言っている ―― しかし,君たちは妻子に養われている。神は『盗みを働い た者に二度と盗みを働かせるな』と言わなかったか。しかし,何故かの者に盗むなか れと命じないのか。充分に強いときでも何故必要なものを奪う権利を持っていないの か。神の命令に根拠はないのだろうか。そのとおり。神の命令は限りなく賢く,限り なく善良だ。そこに書かれていることを聞きたまえ。『盗みを働いた者に二度と盗み を働かせることなかれ,されどかの者をして働かせよ,両手を持って働かせよ,何も 持たざる者にかの者が与えることができるように。』その通りだろうか。そう,その 通りだ。神は言われている,人間は働こうとするときは自分自身にのみ充分なだけで はなく,寡婦や孤児に与え,目の見えない者や歩くことが困難な者に与えるためにも のを持つべきだと。しかし,これが不可能なとき,労働にもかかわらず貧しい人々に 与えるどころか,自分の家計に足りるだけのものを持てないときには何がなされるべ きだろうか。機械の背後で,鉱山で,田畑で働いても子どもたちの餓えを静めるには 充分ではないとき,我々は何をなすべきだろうか。―― この問いに答えることを私

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は恐れてはいない。そして神の言葉に従って私は自由に説明しよう,まじめな労働で 家族を養うことが不可能な,今この瞬間に,同じ時刻に「汝盗むなかれ」という戒告 が無であること,男たちも女たちも子どもたちも破滅しないように配慮することが,

民衆の権利であるだけでなく,義務であることを。もうこれ以上我らの手による労働 によって生活することができないのであれば,我々に可能なところで,神の命令を受 けることを神はお望みだ ―― 可能ナ所ニテ命令ニ従ワン!

いつかそれが問題になることがあれば,私は君たちの元にいて,先頭に立って歩く だろう,上着の下に短剣を潜めるのではなく,いや首にマスケット銃を負って行くの だ。」(そうだ,そうだ ―― 婦人全員からの声)「呪われた政府はくたばれ。下院はく たばれ。貴族院はくたばれ。そうだとも,玉座はくたばれ。祭壇さえもくたばってし まえ。教会を燃やせ ―― 位階などくたばっちまえ。あらゆる威厳,あらゆる称号,

あらゆる暴力はくたばっちまえ,正直な貧しい男に良い仕事の賃銀とよき生存が与え られるまで。」(そうだ,そうだ,アーメン)――「君たちは今これから君たちの憲章 のために多くの労苦を負う。それに対して与えることは何もない。その労苦は本当に 良いかもしれない,その労苦は本当に素晴らしいかも知れない。そして君たちはその 権利を持っている,それは分かるだろう.私はいつも君たちを助けるつもりだ。だが,

私はそれに価値は置かない。―― 共和国に対しても私は何も与えない。労働の息子 たち一人一人に,生きている人々一人一人に全能の神の意志と命令に従って,完全 な,充分な,良き生存を保証するのでなければ,私はどんな状態に対しても何も認め ない。」――

スティーブンズは丸々 時間しゃべった。彼が礼拝堂を去るとき,この土地の子ど もたちが彼に抱きつき,どれほど彼を愛しているかを表そうと最大の骨を折っている のを見るのは心地よかった。――

スティーブンズはこのような説教を数多く行った。すると民衆の喜びは際限を知ら なかったのである。上に報告した説教の数週間後ランカシアやヨークシア中からこの 火のような牧師に耳を傾けるために人々が集まった。リヴァプールから,マンチェス ターから,ベリーから,ミドルトン,オールダム,リーズ,そしてブラッドフォード から労働者が押し寄せるのが見られた。スティーブンズはちょうど自分の礼拝堂に行

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き,説教壇に登ろうとしていた ―― 春のある晴れた日の午後のことだった ―― しか し,それは不可能だった。彼自身も他の誰かも礼拝堂のドアまで通り抜けることがで きなかった。そこで外の広場で礼拝を行った。スティーブンズは広場の真ん中の車の 上に立ち,聴衆は最も離れた通りの奥まで取り巻いた。この祝典が集まった群衆に与 えた影響は民衆に関わる問題を決定するためには当時は合図一つで充分だったという ことだったそうだ。スティーブンズにはこのことはよく分かっていた。しかし,彼は 前より穏健に登場した。何故なら労働者は全員非武装だったからで,周囲の山には国 王の砲兵隊が輝くばかりのパレードをしていたからである。スティーブンズがその瞬 間に後ずさりしたことは彼に最高の栄誉を与えた。民衆はいずれにせよ打ち負かされ なければならなかった ―― 他にも他の州ではまだ充分に準備ができていなかった。

これは 年春のことだった。ついでに言うと,スティーブンズの時代がまもなく やって来た。ブルーアム卿が貴族院での演説で名付けたところでは,「尊重すべき煽 動者」「尊重すべき付け木」である彼はまもなく裁判沙汰を起こされ,ロンドンで裁 判官を前に自己弁護するために説教壇を去らねばならなかった。チャーティスト運動 にとってはこの裁判は好都合だった。それによってスティーブンズの演説が王国内に すばやく知れ渡ったからである。このできごとの全容が正しく光を当てられることも ためらわなかった。倦むことを知らない演説家リチャード・オーストラーはまもなく 国内を歩き回って友人スティーブンズを政府から守った。彼は至る所で裁判費用の支 払いのために募金を行い,まもなく炎のスティーブンズが少し前に立っていた説教壇 に登った。以下はオーストラーの弁護演説である。

「ステーリイブリッジの女たちと男たち ―― これは特別な光景である ―― これは 私は感謝で満たし,しかし,同時に私を絶望させる光景だ。私はスティーブンズの説

しもべ

教壇に立つ,これはあの神の僕がふだん民衆に説教したのと同じ神の本だ ―― この 神聖な屋根がスティーブンズの羊の群れを覆っている ―― しかし,彼らの牧人はど こにいる。恥ずべき手が彼を鎖につないだ。君たちは真理の源泉からほとばしるよう に彼の能弁な唇から流れ出る真理の教えを聞くために,これ以上会合を持つことはな い ―― 君たちはことばの香油をほとんど挫けてしまった心のために神が送り,君た ちが牧師として選んだ男から受け取るためにはここに座っていない。しかし,君たち

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の同情を我々のそれと合わせ,私と共に君たちが選んだ男を,神が遣わした者を,決 してまどろむことも眠ることもしない神がこのシオンの壁に置いた番人を,恥ずべき 無慈悲な人間の手から救う手段をもくろむために君たち教区のキリスト教徒が集めら れているのだ。天使は厭うべき人間と悪魔が一瞬でも喜びに身を委ね,少なくともし ばらくの間神殿の光が消えている一方で,君たちを見下すと同情するに違いない。そ して我々は本当にイングランドに,啓発されたキリスト教のイングランドにいるのだ ろうか。ここは聖書と布教者の国だろうか。友人諸君,君たちが望むことを言いたま え。誰にもまして神を畏れる男を,畏敬心もなく貧者にも金持ちにも神の言葉すべて をあえて明らかにする男を攻撃することはイングランドの国民がキリスト教の国民で はないことを,イングランドが自由な男たちではないことを証明している。―― 君 たち,スティーブンズの子どもたちよ,私に言いたまえ,何故なら君たちは彼を知っ ているからだ ―― 何年も前から彼はみんなの教師であり,彼の私生活も性格も君た ちの目の前でつねにこれ以上ないほどしっかりと見られている ―― 言いたまえ,何 故スティーブンズが説教壇から引き離されたのか ―― 何故スティーブンズは聖書か ら追い立てられたのだろうか ―― 何故彼は羊の群れから隔てられたのだろうか,

おおやけ

公 に,そして私生活で彼がどんな犯罪を犯したというのだろうか ―― 」(大きなセ ンセーション)「私は君たちに尋ねる,何故なら君たちは彼を知っているからだ。そ して私は君たちの返答を,まもなく彼のために私が訪ねていく,ロンドンや他の町に 携えていこう。さあ,私に言いたまえ,スティーブンズはこの本を,聖書を君たちみ んなのために明らかにすることをためらっただろうか ―― 神の真理すべてを貧者に も金持ちにも,使用人にも主人にも説教しなかっただろうか」(いや,断じてそんな ことはない)「彼は無頼の貧者に対しても,誇り高く無法な金持ちに対しても,神の 呪いを吐露することを恐れただろうか」(ない,絶対にない)「君たちは彼が危険や障 害を公務を実行する際にひるんだのを見たことがあるだろうか」(絶対にないぞ)「ス ティーブンズは不安な日々に君たちを慰め,幸福なときには共に喜ぶことをためらっ たことがあっただろうか」(断じてない)「スティーブンズに向かって,優しく迎えら れなかった不幸な人々,可能なときに彼が支えなかった不幸な人々を見たことがな かったか」(断じてない)「彼は金持ちの狼が貧しい羊の群れの肉をズタズタにしよう

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