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バスは大津を過ぎ外輪山を侵触 した白川の火口瀬へは入る

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Academic year: 2021

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【行事報告

阿 蘇 火 山 巡 検 記

10月6日8時5分前、辛島公園にはすでに 参加者のほとんどが集り、顔見知りの人達は 互に挨拶を交わしている。8時5分には出発

する。幹事の甲斐先生主り京大火山研究所へ は道路不通の為に行けないとの連絡があり少 々失望する。甲斐先生に紹介された松本先生 はさっそく阿藤山について脱明を始められる 古い阿蘇がとぼうもなく高い山であったとは 誤りであり幾つかの火山が現在のカルデラを 中心として噴火をしていた。それらの火山が 広い範囲に渡って熔岩を流し現在の外輪山の 基礎を作った事、俵山、鞍岳はその頃にでき 上った火山である。その後現在のカルデラ内 の区域にあった幾つかの火山は熱雲式の噴火 を行って外輪山の外側に遠くまで火山灰や砕 屑岩を飛ばした。この噴出物は熔結凝灰岩又 は灰石として熊本県、大分県、福岡県の各地 で見られる。熱雲式噴火の後カルデラができ た事等が話された。俵山が近まり外輪山の中 腹の高畑山が見えると、高畑山の北側(大津 街道からは左手)に見える高地は外輪山を貫 いている角閃石安山岩の大きな岩脈であり、

岩脈はカルデラの中央へ向ってのびている事

甲 佐 高 岩 尾 佳 郎

が話された。バスは大津を過ぎ外輪山を侵触 した白川の火口瀬へは入る。北向山の中腹の 原始林を横切って杉並木がのびている。昔、

.南郷谷へ行く道であったとか。カルデラの中 にスろと京大火山研究所が杵島岳や草千里を 後にして美しい調和を見せている。中央火口 丘の裾野をめぐって坊中から登山道へ入る。

林の間から外輪山の向うの鞍岳が見える。九 重は悪天候の為に薄くぼかされている。根子 岳は岩脈のテング岩を空につき出している。

往生岳の山腹をすぎ、杵島岳の下で米堀が急 に現れる。パスを降りて米坂の南方で登山道 路近くの上米壕へ松本先生は案内される。上 米緑には三つの火口が小丘を作っているが米 壌ほどには整っていない。これらの火口は20 年程以前にはもつと火口らしい形をしていた とか、直径20m程の火口は人が池でも作った 跡のようにも思えてくる。火山の強力な力を 想像していただけにひ主うしぬけの感じであ る。上米壕の頂上から米塩の火口や杵島岳の 雨裂がよく見え写真を取るのに最適であった 上米録を下りて、上米録の山体が道路の切通 しの為に良い露頭ができている所へ行く。と

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阿蘇火山巡検記岩尾佳郎

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とには多孔質の安山岩質岩津がつもり、上米 壕の火口を中心として噴石丘をつくっている。

上米塩は熔岩を流出する事もなく火口の近く に火山岩拝をとばした穏やかなものであった ろう事がよくわかる。又杵島岳が登山道路に より切り通しとなっている所では自破砕熔岩 が見られる。諜状の安山岩の魂には粘性の高 い熔岩が斜面を流れながら千切れた様子がう かがえた。バスを降り熔岩に近づき写真をと った。草千里では火口の中に小丘があり右手 西側には小さな湖ができているのが見られる

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草千里の火口は複式火 山の模型の主うに見え るが、これは火口壁が 二 重 に 茂 っ て い る の で あって、小丘は東側を 中心とする火口壁の構

造を持っていちとの率

である。、草千里から湯 谷へ150m程下りた所 で草千里火口から流れ た熔岩が流理を示して 現れている。風化によ り変色し流理をいっそ う明瞭にしている。こ の草千里熔岩は石基の 部分がカラス質に富み 球果状構造が囲められ るとと事である。それ じゃ顕微鏡でのぞいて やろうと熔岩の固そう

な と こ ろ に ハ ン マ ー を 入れる人もいた。バス に戻り山上神社へ向う。

山上広場では一時間の 昼食時間が取られ、そ の間に山上測候所の見 学を希望する者は測候 所に三々五々集る。

入口には美しい紡錘形 をした火山弾がおかれ入目を引く。応接間ら しい室内には近年の中岳鰯発の資料が集めら れている。松本先生の案内で温度の変化を綴 う為に開放禁止のハリ紙のある地震計室へ入 る。地震計の記録には夜中は静かであるが日 中は震動がはげしい事が示されている。これ は観光パスが測候所の近くを通っている事か ら来る震動であり、竣近では火山性の震動と 混合して地震④観測に支障を来たしていると の事である。又段近傾斜計は中岳火口の方向 が隆起の傾向にある事を示しており、これは

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鰻発前の特徴の一つであるとか。午後一時に 集合し中岳火口へ向う。火口への道は岩津か ら一枚岩の熔岩へ一枚岩の熔岩から岩津へと 登るにつれて変化する。火口まで500m程の 所に厚さ50麺広さ10㎡程の平たい岩がある。

どれは昭和.8年の鰯発により第2火口から噴 き飛ばされたもので「平昭八」の名前が付け られている。10トンの重さがあると推定され ている。この平昭八は燭発の直後まだ小学生 であった松本先生が中岳に登られた時には、

まだ熱を帯びており内部が赤く見えたそうで ある。火口へ向って登り続けると阿蘇山の中 で最も力強く変化に富んだ火口が見えて来た。

この日は噴煙は少ないらしく向う側の火口壁 の成層の様子が良く見える。現在活動中の第 1火口には8月の曇雨以来、水が溜 りこの時 は青白い水を湯気や噴煙の間に見せていた。

火口の水は時には茶色に叉は赤みを帯びた色.

Iごと変化するそうである。第1火口壁の中ほ どの高さに帯状に火山ガスが噴出している。

ガスが噴出する岩肌には白い結晶らしいもの が付落している。この白いものが付蒲してい る時はガスの温度が低いそうである。昭和8 年の爆発には大いに活動したという第2火口 は静かなもので、第1火口へ流れこむ雨裂が 通っていた第2火口壁の端にどっしりと乗っ ている丸い火山弾は平昭八と同じ煙発の時に 噴出したもので8トンの重さがあると推定さ れ、「丸昭八」の名が付けられている。キズ をつけるな等と書かれた立札が立てられ阿蘇 の観光に一役買っているらしい。第4火口底 は土砂で埋玄り.、火口壁には10m程もある厚 い熔岩が見られる。穏やかなように見える第 4火口底は最近地温の上昇が観測されて.おり、

もし現在の第1火口以外に火口が出来るとす る表らば最も可能性があるとの事である。中 岳の.火口から砂千里へ来ると観光客も少なく

なる。緩やかな砂の斜面には小石が散らばっ ており、ここでは潮干狩の様に皿石拾いが行 なわれた。皿石は火山灰の微粒子が膜状珪酸

によって小石のさわ.りに腰着したも.のであっ て、火山噴出物とは直接の関係はないことが 解明されているとの事である。下山が遅くな ったので大観望へ行くのはとりやめて、戸下

温泉へ枠島岳往生岳基底熔岩の熔岩流を見に 行くことになった。裳ず赤水、立野間で白川 を渡る橋の上から河床の熔岩流を見る、川の 流れとは斜交して熔岩の固い部分が川の侵触 に残り熔岩流の方向を示している。立野から 戸下温泉へ坂道をおりて行く内にも柱状節理 の30m程はあろうと思われる塵が切り立って いる。同じような嵐は白川の両岸にあり、戸 下温泉近くの橋から基底熔岩流と古い角礎凝 灰岩とが接している様子がわかる。曇空と夕 暮れが近くなった事からなり光線の具合は悪 いのだがカメラのシャッターを切る人が多か った。戸下温泉から高森へ700m程の所で基 底熔岩の観察も行なわれる。杵島岳往生岳基 底熔岩はガラス質に富み安山岩としては固い 方であろう。ガラス質の状態は熔結凝灰岩の あるものによく似ている。との杵島往生岳基 底熔岩は草千里の熔岩の下にあり、ほぼ西方 へ白川の火口瀬を目指して流れ現在の日窒発 電所ま..で流れ固結した熔岩の一部は戸下か ら栃木方向の南郷谷へ逆流している。その後 昔の白川は熔岩の上を流れ日窒発電所近くに 滝を作った。この滝は途々に後退して行った。

滝は白川と黒川が合流する戸下で二手に分れ 現在の数鹿留滝と鮎帰りの滝とになっている

との事であった。バスは戸下温泉を通り帰路 についた。

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