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震災と人心

―「大正大震災」を手がかりに―

織 田 健 志

   

    目  次 1.はじめに

2.人情美と相互扶助―「災害ユートピア」?

3.消費される震災エピソード

4.利己心と群集心理―「万人の万人に対する闘争」?

5.流言蜚語―朝鮮人迫害をめぐって 6.むすびにかえて

 1.はじめに

 2011311日に発生した東日本大震災では,ボランティアの活力や見知 らぬ被災者同士の「思いやり」「助け合い」の様子が,世間の注目を集めた。

震災ボランティアの奮闘や被災地における人情美をメディアが競って報道した ため,記憶に残っている人も多いだろう。ただ,これは何も東日本大震災に限っ た話ではない。四半世紀ほど前の阪神・淡路大震災(1995.1.17),さらにはほ ぼ一世紀前の関東大震災(1923.9.1)―当時は「大正大震災」と呼ばれてい た―において,同種の議論はすでに見られたのである。

 本稿では,大正大震災を題材に,震災が人心にもたらした影響について,正 負両面から考察する。そうした作業を通して,今日のわれわれが「未曾有の災 害」に直面した際の「心構え」について,示唆を得ることを目的とする(1)

(2)

 2.人情美と相互扶助―「災害ユートピア」?

 大正大震災は「未曾有の災害」であった。大地震とその後につづく火災により,

ある者は倒壊した家屋の下敷になり,またある者は火災旋風に巻き込まれて絶 命した。炎から逃れるため川に飛び込んで窒息した者もいた。命からがら生き 延びた者も,瓦礫と残骸と灰塵を前に,途方に暮れるよりほかなかった。災害 は基本的に恐ろしく,しばしば無数の惨劇を引き起こす脅威であり,決して望 ましいものではない。しかし同時に,それは慌ただしい日常生活で忘れかけて いた,連帯感や思いやりの心を呼び覚まし,われわれを無数の利他的な行動へ と駆り立てる。

    地震,爆撃,大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的にな り,自身や身内のみならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ,まず思い やりを示す。大惨事に直面すると,人間は利己的になり,パニックに陥り,

退行現象が起きて野蛮になるという一般的なイメージがあるが,それは真 実と程遠い。(ソルニット2010, pp.10f)

 大正大震災の場合はどうか。震災体験記を紐解くと,他者からの好意につい ての記述が目を引く。当時旧制中学3年生だった清水幾太郎は,巡査の指示に より小学校に避難した妹と弟が,迫る火の手から自力で逃れ,妹の友人の親戚 宅で10日ほど厄介になっていた様子を記している(清水2011, pp.256f)。挿絵 画家の太田政之助は,9月5日に夫人とともに東京から群馬県高崎へ避難した が,混乱の最中にもかかわらず,給食・宿泊・治療・乗車等に世話を焼いてく れた人々に対し,「いつまでも忘れ得ないのは高崎市民の好意である」と謝意 を表している(鈴木2016, p.199)。また,震災で夫を失ったある被災者は,次 のように述べている。

    ああこの先どうして生活して行けるでしょうと,じっと思案に呉れる事

(3)

もありましたが,しかし殺す神があれば助ける神もあります。旅は道連れ 世は情けとか,世の人々の情は実にありがたいものです。知人で私のこう して困っているのを知っている方は品物やお金も下さいました。そのうち に日本各地からの慰問袋等も集まって来てその中の配給も受けましたの で,さほど不自由もせず生活が出来ました。これもひとえに世の人様の厚 い御同情によるものと感謝するのであります。(武村2005, p.85)

 震災後に筆を執った言論人たちも,被災者たちが見せた人情美や相互扶助を 賞賛した。ジャーナリストで哲学者の三宅雪嶺によれば,「電車で足を踏んだ とか踏まぬとか」といった些細なことで喧嘩騒ぎが起こる日常の東京と異なり,

震災直後には,「人々が道を譲り,老人や女子供を助けた所は,世間で予想し た以上に出でて居」た(2)。社会主義者の安部磯雄は,資本家と労働者,地主と 小作人,すなわち持つ者と持たざる者を互いに対立させていた「貧富の懸隔」

が震災により崩れ去り,「温い同情」が芽生えている様子を肯定的に捉えた(3)。 ジャーナリストの馬場恒吾(戦後,読売新聞社の社長に就任)は,避難先の芝 公園での自身の体験をもとに,震災がもたらした人情美について感嘆をもって 書き記した。

    やがて蝋燭が尽きて火が消えた。最早目印がなくなる。妻も困りました なあもう蝋燭はありませんという。僕も困ったなあというのみでよい智恵 も出なかった。すると隣りに陣取った一家族人が,蝋燭の細いのでよけれ ば,ここに一本ありますから上げましょうという。それが見ず知らずの人 である。僕等は心から感謝してその蝋燭を貰った。〔中略〕

    自然は物資を破壊し得た。しかし人情を破壊し得なかった。否人情は益々 美くしさを増した。生死の境をさまよっている人々が互に助け合った幾多 の話がこれを証拠立てる。しかして平常は喧嘩早い東京の人が,この危難 に際して,極めて温和に,極めて親切で,極めて秩序正しかった事を見て,

僕は日本人は野蛮人ではない。確かに教養の深い人々であると思った(4)

(4)

 東日本大震災後に流行語となった「災害ユートピア」とは,このような状況 を指すのであろう。それは,人々にとって温かく貴重な想い出となり,まさに

「パラダイスに近い市民社会の体験」にほかならない(ソルニット2010, p.21)

 3.消費される震災エピソード

 被災地に「閃光のように」出現した,相互扶助と利他主義に彩られたコミュ ニティ。被災という苦境の中で発揮された人間の美しい行動と気持ちに,われ われは心を打たれる。だが,穿った見方をすれば,人情美や相互扶助を力説す る議論からは,ある種の政治的意図が透けて見える。私利私欲と搾取,刹那的 な快楽主義。大正大震災はこれらを焼き滅ぼし,焼け跡に芽生えたのは,平等 であり,他者への思いやりの気持ちであり,利他的に行動する個人である。災 害は社会変革にとって大きなチャンスであった。それは今日でも同様である。

    災害は普段わたしたちを閉じ込めている塀の裂け目のようなもので,そ こから洪水のように流れ込んでくるものは,とてつもなく破滅的,もしく は創造的だ。ヒエラルキーや公的機関はこのような状況に対処するには力 不足で,危機において失敗するのはたいていこれらだ。反対に,成功する のは市民社会のほうで,人々は利他主義と相互扶助を感情的に表現するだ けでなく,挑戦を受けて立ち,創造性や機知を駆使する。〔中略〕そういっ た瞬間には,市民そのものが政府,すなわち臨時の意思決定機関となるが,

それは民主主義が常に約束しながらも,めったに手渡してくれなかったも のだ。このように,災害は,革命でも起きたかのような展開を見せる。(ソ ルニット2010, pp.427f)

 社会変革を目指す人々だけではない。読者の興味をひく読み物を欲していた 新聞や雑誌も,震災エピソードの「争奪戦」に加わった。雑誌はこぞって「震 災特集号」を組み,グラビアを交えながら震災の様子をつぶさに報道した(5)

(5)

さらに,震災の惨状をいわば「売り物」として提供するものも現われた。初刷 り50万部以上を記録する大ベストセラーとなった,大日本雄弁会講談社の『大 正大震災大火災』である。その目次には,「鬼神も面を蔽ふ悲話惨話」「人情美

の発露! 美談佳話」など,如何にも扇情的なタイトルが溢れている。メディア

の過剰な商業主義は,何も今日に始まった話ではないのである。

 政府も参戦した。文部省が震災からわずか2ヶ月でまとめた『震災に関する 教育資料』には,御真影を守り抜いた小学教員,殉職した公僕などのエピソー ドを収録している。東京府の『大正震災美績』(1924)も「責任篇」「愛情篇」

「防火篇」などのカテゴリーに分けて奮闘する職員の様子を紹介している(尾

2012, pp.108f)。じっさいには「大震災当日は恰も土曜日で吏員の大部分は

退庁帰宅」(『東京府大正震災誌』1925)しており,任務を放棄していち早く帰 宅した者も多かったが,むろんその手の話は出てこない(鈴木2016, pp.35f)。 公徳心をことさら説き,公的秩序への献身を礼賛する「道徳臭」漂う逸話を編 纂する行為が,ある特定の政治的意図に基づいていることは,改めて説明する までもないだろう。

 4.利己心と群集心理―「万人の万人に対する闘争」?

 このように考えると,「災害ユートピア」は,ある(必ずしも同一とは限ら ない複数の)政治的立場にとって都合の良い人間像を投影したものに過ぎない のではないかという疑念も生じてくる。じじつ,「未曾有の災害」は人間の「自 我」や「本能」を呼び起こし,それが利己的な,場合によって攻撃的な行動と なる。震災で家を失った編集者の中山泰昌は,食糧難にあえぐ避難所生活を体 験したが,長引く避難により,被災者が平常の道徳心を失い,利己的な行動に 向かってゆく様を書き残している。

    事実食糧がないのだから仕方がないが,しかしそうなると腹の方が承知 しないから,人数の嘘をいっても一個でも余計に取ろうとする。それを発

(6)

見されて叱られる。以上の緊張と混乱とがみるみる影を濃くして行って一 種ものすごい光景となった。そのところへ行くと,自分の奪う一個が他に どれだけの影響を与えるかというようなことを考える暇はなくなってしま う。〔中略〕人を押しのけ突きのけ,我まず取ってしまえば直ぐに口に押 し込んでペロリと平げ,隣の人が貰えようが貰えまいがテンで気の毒らし い様子もしない。その罹災民収容所で,同じ一枚の畳,一枚のござを占領 しあうにも,互に席を譲り合うというような平生の美徳は影形もない。た だそのところには,「自我」と「本能」とがむきだしにされて,お互が自 分というものを譲り合うよりほかはないのである(6)

 むろん,この一事をもって,災害に直面した人間はパニックになり,利己心 に支配され,つねに他者を押しのける行動を取ると断定はできない。また,そ うしたところで意味もない。利己心も利他心も等しく人間の「本能」だからで ある。美人画で名声を博した竹久夢二が鋭く観察したように,震災は,一方で「自 然との戦につかれ,神経の尖った,心の荒んでしまった人間」の恐ろしさや浅 ましさを白日に晒したとともに,他方で「多くの家族と,種々の家庭が,急造 のテントの下で,相扶け相励まして,一つ釜で一つの火で食事をした」体験に 見られる思いやりや助け合いの精神も顕にしたのである(7)。このような排他的 な側面と利他的な側面が,同一人の行動に現われることもあったに違いない。

配給の握飯を強奪して畳を占領している人物が,別の日に目印の提灯に火を灯 すための蝋燭を施してくれたとしても,何ら不思議はない。つまるところ,伝 える側の「切り取り方」次第ということに落ち着きそうである。

 だが,問題はまだ残されている。いわゆる「群集心理」についてである。災 害によって通りや避難所に集まった被災者は,共通の喪失(家族や住居など)

を体験し,救済を必要とする不安定な状態に陥り,一塊の「群集」となる。

    私たちは,間もなく,動き出しました。亀戸の町は,いつか,暗くなっ ています。広くもない往来を埋めて,手に手に荷物を持った群集がノロノ

(7)

ロと流れて行きます。どこへ行くのか,誰も知らないのです。ただ流れて 行くのです。私は群集の中に完全に融け込んでしまいました。〔中略〕無 気力な,暗い,しかし,どこか甘いところのある気分が私たちを浸してい ます。我を張った個人というものの輪郭は失われて,すべての人間が巨大

0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 00 0 0 0 0 0 0 0 0 0

な一匹の獣になってしまったようです

0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

。(清水2011, p.279 傍点織田)

 恐怖に怯え不安に苛まれた個人は集団に埋没し,あたかも「巨大な一匹の獣」

の如き「本能」の赴くままに行動する群集へと変貌する。中山泰昌や竹久夢二 が震災後に垣間見た恐ろしく浅ましい人間とは,このような群集の姿の一面に ほかならなかった。そして,冷静な判断力を失い群集と化した人々がフェイク・

ニュースに接したとき,時としておぞましい行動を引き起こす。

 5.流言蜚語―朝鮮人迫害をめぐって

 人間性を回復する契機として,「災害ユートピア」の可能性に賭けるソルニッ トにとっても,災害が生み出す群集は厄介な存在であった。「群集は必ずしも 無害な現象ではない。災害の起きている瞬間には利他主義が優勢だが,それに 続くのは,とくにスケープゴート探しだ」(ソルニット2010, p.119)。周知のと おり,大正大震災の場合,「スケープゴート」は「不逞鮮人」であった。

 朝鮮人による暴動・放火に関する流言蜚語が発生したのは,震災当日夕刻で あった。午後4時に北豊島郡・王子署管内,午後6時には芝区・愛宕署管内,

そして午後8時には北豊島郡・小松川署管内でそれぞれ確認された。これらの 地域は,避難所(愛宕署内の芝公園)であったり,鉄道や主要街道沿いであっ たりと,避難経路に位置していた(宮地2012, pp.146f)。これらの地域では,

流言への過剰反応として,朝鮮人に対する暴力行為が繰り広げられた。では,

なぜ人々は流言を信じ,朝鮮人を迫害するに至ったのか。

 第一の理由は群集心理である。東京高等学校(現,一橋大学)出身で十五銀 行本店庶務課長の染川春彦は,震災翌日の2日,朝鮮人が爆弾を投げたという

(8)

噂に接したが,流言を真に受けてざわめき立つ群集と自身の冷静な反応につい て書き記している。

    いかに多数の鮮人が居るにしても,彼等に爆弾の用意があるべきはずが ない。この不意の起った災害を,鮮人が予知することが何でできるものか,

と私は言って聞かせた。うみ疲れて神経過敏になっている人達には,深く 考える余裕がなくなってしまっている。一犬虚を吠えて万犬実を伝えてく る。伝えてくるくらいはよいが,自分は現に爆弾を投げ入れたのを見たよ うなことを話してるおろかな人さえある。現に火事場の爆音を聞いた私は,

それが包装した樽や鑵の破裂する音であるという確信を持っていたが,そ れを知らぬ人達は,家の焼けるとともにすさまじい爆音がとどろくのを聞 いて,これはいよいよ鮮人の仕業に違いないと推定してしまった。(染川 1981, p96)

 ところが,その夜に避難先で,「井戸の中に劇薬が入れてあるというから,

諸君気をつけろよう」という青年団員の報告を聞き,「これは路傍の無智な人 達の噂ではない。いやしくも青年団で,皆に知らせる必要があるという証左を 得たからであらねばならぬ」(染川1981, p99)と思い,自宅へ一度引き返した。

そして,3日朝に上野公園出口で群集が朝鮮人を暴行している場面に遭遇し,

自らもそれに加わろうとまで至ったのである。

    この奴が爆弾を投げたり,毒薬を井戸に投じたりするのだなと思うと,

私もつい怒気が溢れてきた。我々は常に鮮人だと思って,あわれみの心で 迎えているので,この変災を機会に不逞のたくらみをするというのは,い わゆる人間の道を弁えないものである。かくのごときは宜しくこの場合血 祭りにすべきものである。(染川1981, pp.105f)

 染川春彦は学識と判断力を有したエリートであった。当初,流言蜚語に惑わ

(9)

されなかったのも,そのためである。しかし,彼の活躍の舞台は勤務先の銀行 であり,地域社会との結びつきはほとんどなかった。結局,地域社会の権威の 象徴である青年団の言葉をうのみにし,流言蜚語を信じてしまったのである。

職住分離が一般的な現代に生きるわれわれにとって,それは決して他人事では 済まされない。

 第二の理由は,警察や軍による「陰謀」の結果である。ソルニットは大正大 震災における朝鮮人虐殺について,次のようにまとめている。

    約六千人もの朝鮮人もしくは朝鮮人に間違われた人々が,何人かの社会 主義者とともに自警団員により殺された。こういった人々が軍や警察に守 られた例もあったが,結託した当局が殺人を指揮したり,社会の中で嫌わ れているグループを壊滅させるのに都合のいい噂を煽ったケースもあっ た。〔中略〕関東大震災の残忍な出来事は現状の破壊が目的ではなく,む しろ権威機関の結託による,もしくは直接彼らの手による,現状を維持し ようとする行為だった。(ソルニット2010, pp.119f)

 軍や警察のような「権威機関」が,虐殺を伴う朝鮮人迫害の残虐行為へ人々 を駆り立てたというわけである(8)。確かに,警察は流言蜚語の発生源であった。

震災の翌々日の3日,千葉県船橋の海軍無線電信送信所から,内務省警保局長・

後藤文夫の各地方長官宛電報が発信された。内務省警保局長は全国の警察を管 掌する警保局のトップであり,治安当局の責任者である。

    東京付近の震災を利用し,朝鮮人は各地に放火し,不逞の目的を遂行せ んとし,現に東京市内において爆弾を所持し,石油を注ぎて放火するものあ り。現に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に,各地において充分周 密なる視察を加え,鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし(9)

 要するに,警保局長の公式見解として,朝鮮人の暴動が認定されたのであ

(10)

る(山田2014, pp.14f)。また,警視庁には,震災当日の夕方には「朝鮮人騒ぎ」

の流言が伝わり,正力松太郎官房主事(後の読売グループ総帥)は記者に警戒 と協力を呼びかけていた。そして,翌2日には東京府下に広まった流言の調査 と偵察に向かった。川崎方面から「不逞鮮人」が来襲しつつあるとの伝令を受 けて帰庁した正力は,庁舎に張られた物々しい警戒線を見て,流言を事実と信 じ込んでしまった。正力ら警視庁の中堅官僚は,流言蜚語の真偽確認に追われ るうちに,それを事実と認めるようになったのである(宮地2012, p.130)。  軍隊の活動の影響も見られた。上野方面で活躍した近衛歩兵第二連隊は,上 野で50名,三河島で70名,千住で200名の朝鮮人を「保護」した。じっさい,

警備に出動した軍隊は,朝鮮人と見れば片端から捕らえていた。これでは「保護」

と容疑者の逮捕との区別など,一般人には理解できるはずもない(鈴木2016,

pp.180f)。軍隊の虐殺への直接的な関与は不明な点も多いが(10),清水幾太郎の

回想は,朝鮮人虐殺に加担した兵士の様子を生々しく伝えている。

    夜,芝生や馬小屋に寝ていると,大勢の兵隊が隊伍を組んで帰って来ま す。尋ねてみると,東京の焼跡から帰って来た,と言います。私が驚いた のは,洗面所のようなところで,その兵隊たちが銃剣の血を洗っているこ とです。誰を殺したのか,と聞いてみると,得意げに,朝鮮人さ,と言い ます。私は腰が抜けるほど驚きました。朝鮮人騒ぎは噂に聞いていました が,兵隊が大威張りで朝鮮人を殺すとは夢にも思っていませんでした。(清 水2011, p.281)

 ところで,被災者は「権威機関」の発する流言に唆され,翻弄された受動的 な存在に過ぎなかったといえるのか。答えは否である。朝鮮人襲来の流言蜚語 に対応して,1日夕方ごろより,各地で町会・青年団・在郷軍人会のメンバー を中心に「自警団」が結成された。警察は当初,地域住民に自警団活動を促し たようだが,遅くとも3日には統制監督を徹底するように方針転換がなされた

(宮地2012, pp.133, 148)

(11)

 2日夜には,朝鮮人と見れば民衆が拠って集って迫害を加えているという報 告が警視庁に入り,朝鮮人を警察で収容する必要が生じた。朝鮮人に間違われ てリンチされかけた人々もいた。後に演出家・俳優として有名になる千田是也 は,2日夜,千駄ヶ谷で自警団に取り囲まれた。また同日には,大正大震災直 前にその可能性を予告した震学者の今村明恒も,帰路の途上に夜警の青年団か ら酷い目にあわされたという(武村2005, p.43)。極めつけは,警官の制止を振 り切り,警察署に保護されていた朝鮮人を惨殺し,警官の命を狙うこともあっ た(11)。暴走する自警団は,「敵」である朝鮮人を保護する警察権力をも標的と するに至ったのである。

 このような陰惨な出来事は,思いやりと人情美に溢れる「ユートピア」から は程遠い「デストピア」のように見える。しかし,両者には共通点があった。

権力から自立した―時に行き過ぎて権力への反逆を伴った―「自治」の精 神の現われである。救いの手を差し伸べるべき「われわれ」と排除されるべき 異質な他者。大正大震災における朝鮮人迫害事件は,「自治」や「共助」をめ ぐる深淵に潜む,暗く重い問題を暗示している。

 6.むすびにかえて

 本稿では,大正大震災を題材に,「未曾有の災害」が人心に及ぼす影響を,

いくつかの局面について検討してきた。今さら100年も前の話を取り上げる意 味があるのか。あるいは,大正大震災時の朝鮮人迫害は痛ましい出来事だけれ ども,東日本大震災でそのような蛮行はなかったではないか。関係ない,過去 のことだ。しかし,本当にそのように断言できるだろうか。

 東日本大震災のときにも,「外国人の窃盗団がいる」「レイプが多発している」

「二,三件強盗殺人があった」など,流言が飛び交った。じっさい,宮城県警が 避難所でチラシを配り,被災者に冷静な対応を呼びかける事態となった(12)。当時,

全国版の社会面でそれなりの大きさの記事で掲載されていたが,このような報 道があったことを今日でも覚えている人は,果たしてどれほどいるだろうか。

(12)

 関東地方を中心に記録的な大雨をもたらした令和元年台風19号は,いまだ 記憶に新しいであろう。台風の接近・上陸した1012日,東京都台東区の自 主避難所で,ホームレスの男性2名が受入を拒否された(13)。支援団体がSNS で伝えたことでメディアに取り上げられることになったこの出来事をめぐっ て,インターネット上では受入拒否の賛否を含めて大きな波紋を呼んだ。この ホームレスの男性たちが,避難所の区民や区職員の眼に「もはや支援の手を差 し伸べ,助けるべき「同じ人」としては映ってはいない」(14)恐れは,充分にあ り得る。大正大震災における朝鮮人迫害と,構図は全く変わっていない。

 災害時に冷静な判断を下すことは,(口でいうのは容易いが)大変な困難を 伴う。歴史の先行事例に学び,さまざまな状況を想像すること。われわれはま ずそこから始めなければならない。

参考文献

 尾原宏之『大正大震災』(白水社,2012年)

 北原糸子『関東大震災の社会史』(朝日選書,2011年)

 清水幾太郎『流言蜚語』(ちくま学芸文庫,2011年)

 鈴木淳『関東大震災』(講談社学術文庫,2016年)

 染川藍泉『震災日誌』(日本評論社,1981年)

 武村雅之『手記で読む関東大震災』(古今書院,2005年)

 松尾章一『関東大震災と戒厳令』(吉川弘文館,2003年)

 宮地忠彦『震災と治安秩序構想』(クレイン,2012年)

 山田昭次『関東大震災時の朝鮮人迫害』(創史社,2014年)

 レベッカ・ソルニット (高月園子訳)『災害ユートピア』(亜紀書房,2010年)

 (1)  当時の雑誌・新聞記事からの引用は,尾原(2012)に多くを負っている。ただし,

註が煩雑になるため,本稿では所引については明示しない。なお,引用に際して,

旧字体・旧仮名遣いは現行のものに,難読漢字は平仮名に表記を改めた。

 (2)  三宅「災害中にあらはれた日本人の美点」(『中央公論』1923年10月号)。  (3)  安部「学び得たる教訓五つ」(『新青年』1923年11月号)。

 (4)  馬場「破壊の中に立ちて」(『我観』1923年10月号)。

(13)

 (5)  この点については,女性雑誌を題材に検討した北原(2011)序章を参照。

 (6)  中山「「人間」の醜さに直面して」(『サンデー毎日』1923年916日号)。  (7)  竹久「新方丈記」(『婦人世界』1923年10月号)。

 (8)  さらに付け加えれば,全国各地の新聞の大半が,「不逞鮮人が殺人放火している」

という類の流言を盛んに報じたことにより,事態はいっそう悪化した。この点 については,山田(2014)序章,宮地(2012)第3章。

 (9)  「呉鎮副官宛打電 九月三日午前八時十五分了解 各地方長官宛 内務省警保 局長 出」,『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』(みすず書房,1963年)p.18  (10)  朝鮮人ではないが,軍隊が関与した著名な事件として,江東区大島で陸軍中隊 が「群集」と一緒になり中国人労働者を虐殺した大島事件,クリスチャンで社 会事業家の王希天の殺害などがある。王希天事件については,田原洋『関東大 震災と中国人』(岩波現代文庫,2014年),仁木ふみ子『震災下の中国人虐殺』(青 木書店,1993年)。

 (11)  たとえば,9月4日から5日にかけて埼玉県と群馬県で起きた神保原事件・本 庄事件がある。尾原(2012)pp.116-118を参照。

 (12)  「飛び交うデマ 惑わされないで」(朝日新聞2011326日付)

 (13)  「台東区の自主避難所,ホームレス男性の避難断る」(朝日新聞20191013日付)。その後の反応と対応策に触れた記事として,「【台風19号】路上生 活者「NO」…避難所利用を拒否した区役所に批判 必要な配慮とは」産経新 聞HP,20191027日 配 信,https://www.sankei.com/affairs/news/191027/

afr1910270027-n2.html 20191128日閲覧。

 (14)  真鍋厚「武蔵小杉をあざ笑う人々に映る深刻な社会分断」,東洋経済オンライ ン,2019年1017日 配 信,https://toyokeizai.net/articles/-/309170 2019年1128日閲覧

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