奈良教育大学学術リポジトリNEAR
音声言語学習学の構想
著者 増田 信一
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 40
号 1
ページ 1‑12
発行年 1991‑11‑25
その他のタイトル A Proposal of a Speech Learning Theory URL http://hdl.handle.net/10105/1779
奈良教育大学紀要 第40巻第1号(人文.社会);f成3年
kill. Nara Univ. Educ. Vol. 40. No, 1 (Cu】L & Soc.),1991
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音声言語学習学の構想
増 田 信 一 (奈良教育大学国語科教育教室)
(平成3年4月24日受理)
I 音声言語教育の過去と現在
音声言語教育の必要性については、これまで多くの人が強調してきたところであるが、それぞ れの時代にかなり多くの実践はくりかえされてきたものの、学問的な構成をうながすような理論 的な裏づけをもつものは少なく、その成果はあまり上がらなかったと言ってよいであろう。
音声言語教育が最初にさかんになったのは、自由教育が活発に行われだした大正時代のことで ある。この時期には、話しかた指導の最初の専門研究書である『話方教授』(1)が話題を呼んだし、
話し方の教科書として広い範囲で使われた『尋常小学校話方教授書』(2)、話しことばの教育を生 活学習の中に位置づけようとした『文化中心国語新教授法』(3)、話しことばの教育を理論化して 科学化しようとした『話方教育の原理と実際』(4)などの名著が続出した。これらについての私の くわしい考察は、 『音声言語教育実践史川)』当こ述べたので、ここでは省略する。
大正時代にはかなり活発化したのに、昭和時代に入ると、音声言語教育がすっかり低迷化して しまったのは、国家体制のあり方と大きくかかわっている。大正時代には、社会的に自由主義の 風潮が高くなってきたので、学校教育における話しことばの教育もさかんになれたのであるが、
昭和期に入ると、軍国主義の勢力が台頭してきて、言論の自由が束縛されるようになり、 1925年 の治安維持法の制定をはじめとした言論統制が強化されるに及んで、話しことばの教育は大きな 制限を受け、ないがしろにされるようになってしまった。
明治時代の国語科教育においては、西欧の列強国と背を並べられるような近代国家を急速につ くるために、近代国家に進んで奉仕することができる人間を育てるところに主眼があったから、
音声言語教育においても、おとなのまねをした演説がはやり、多人数の前で話せる人間を育てよ うとする指導が行われ、社会人として通用する実用的な学力を身につけさせようとする傾向が強 かった。
大正時代になると、優れた文学作品を国語科の教科書に盛りこもうとする動きが強くなったの で、文章内容を忠実に理解させようとする文学教育全盛の時代を迎えた。このような形の文学教 育が深化していけば、どうしても解釈学的な色彩が強くなってしまう.そのために、国語科の授 業の大部分が教材文を理解させるための指導に費されるようになった。いわゆる教科書を教える という教育観の登場である。こうなると、教育目標、学習者の興味・関心、発達段階などは無視 されてしまった。戦後、このような教育に対する反省がなされ、 「教科書で教える」という考え 方に変わったが、戦前の「教科書を教える」という考え方は、現代でも根強く残っている。
文字言語を中心とした国語科教育は、知識注入に比重がかかるようになっていったし、指導し た結果をペーパーテストによって判定しようとする傾向が強くなった。明治時代から少しずつ減 らされてきた義務教育期間中に学習すべき漢字は、戦後になって、逆に増加の一途をたどるよう になった。これは、文学教材を学習させるうえで、漢字量の多いほうがより原作の意図にそえる
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という判断に基いているものと思える。要するに、学習者の発達段階よりも、教材そのものの必 要性から、漢字を多くするようになっていったのである。
太平洋戦争に日本が負けたことによって、アメリカの民主主義の国語科教育が導入され、話し ことばの教育はいっせいに花開き、子どもたちが経験したことを話し合わせる教育がさかんに なったが、占領軍が撤退するに及んで、経験主義の教育はしぼんでしまい、文字言語偏重の教育 が復活し、話しことばの教育は再び冬の時代を迎えることになった。これが最も端的に現れたの
は、昭和34年版の学習指導要領である。
昭和22年版と昭和26年版の学習指導要領は「試案」であり、現場の教師の自由な裁量がかなり 大幅に認められていた。 「聞くこと」 「話すこと」はかなり大胆に授業で実践できるように、学習 指導要領のうえでも工夫されていた。ところが、昭和34年版学習指導要領は、法的な制限を伴う
「告示」という形に変更され、基礎学力の重視が前面に押し出され、学習内容の精選という名の もとに、話しことばの教材は大幅に削られてしまった。 「会議の進め方」や「電話のかけ方」な どもこのときから姿を消すことになった。このような経過を通して、戦後も、文字言語偏重の教 育は続けられてきたのである。
I 音声言語教育を重視しなければならない理由
文章教材を正確に理解させるための指導を強化していくと、主人公であるべきはずの子どもた ちは、だんだん受け身の立場に追いやられてしまうことになる。教材文を読んでの初発の感想の 話し合いや、教材内容についてのグループ学習などは、だんだん軽視されるようになり、教師の 教材文に対する解釈だけが唯一の答えであるかのような授業がはびこっていくことになる。この ような授業が、大正時代と昭和時代を通して70年以上も続いたのであるから、国語科を担当する 教師の指導観も一色に染まってしまった。
学習者の立場にすれば、あけてもくれても受け身だけの国語科の授業ではたまったものではな い。本来は楽しみ読みの対象となるべき文学作品も、教科書教材になったとたんに、無味乾燥で 一方的な知識注入の道具と化してしまい、国語科という教材は子どもたちから嫌われる存在にな
り下がっていってしまったのである。
昭和43年版学習指導要領では、このような困った傾向を打破するために、作文指導と読書指導 の重視を打ち出して、子どもたちの主体的な学習を育てる方針を打ち出したが、長いあいだの文 字言語偏重教育に洗脳されてしまった教師は、従来のままの読解指導を温存し続けたので、その 片手間に作文指導や読書指導を扱おうとしたから、それから10年経っても、国語科の指導体制を 変えることはできなかった。
昭和52年版学習指導要領では、 10年前鳴り物入りで導入された読書指導は簡単に消されてし まった。せっかく学習者の主体性を高め、学習意欲をかき立てようとした読書指導が、たった10 年間で国語科から抹殺されてしまった責任は、きわめて重いものがある。
昭和20年代に、敗戦の痛手から立ち直ろうとした学校現場が、必死になってやろうとしたこと の一つに、学校図書館の建設がある。廃品回収から始まった学校図書館作りは、全校の教師が自 分たちの手で守り育てていくのだという意識によって支えられてきたが、昭和43年版の学習指導 要領によって、読書指導は国語科が担当するのだという国家の方針が「告示」という法的な規則
を伴って実施されたために、大多数の教師は学校図書館から去っていくことになった。
昌‑声言語学習学の構想
学校現場においては、校務分掌がその教師の校内での役割や仕事を限定するが、国語科の教科 部会に属する教師はわずか数名でしかない。国語科だけが学校図書館をしょいこむことになった のだが、 10年後の昭和52年版の学習指導要領では、国語科が読書指導を捨て去ってしまったので ある。意地の悪い言い方をすれば、国家の力によって、 「学校図書館いじめ」 「読書指導いじめ」
をしているという見方もできる。その結果、学校図書館を本気でもり立てようとする教師はます ます少なくなってしまった。
このように、戦後も教科書教材の読解指導中心の体制が続いたために、音声言語教育は読書指 導以上に軽視され続けた。 「おしゃべりばかりが得意になって、ちっとも勉強してくれない」と いうことを嘆く国語科担当の教師は年々増加し、おしゃべりの本質的な意味を認めようとしない 傾向が強くなった。実は、 「おしゃべり」の中にこそ、子どもたちの問題意識が生まれる芽が育 つのであり、疑問も生じてくるのだし、もっとくわしく調べてみようとする意識も働くようにな るのである。学習に対する積極性だとか学習意欲というものは、 「おしゃべり」の中からこそ生 まれると考えるなら、おしゃべりの場をもっと増やし、おしゃべりの中味を濃いものにするため の研究を進めなければならないはずである。
すべての学習は、学習者自身の疑問ややる気から出発するはずであるから、 「おしゃべり」を うまく活用することによって、学習を生気のあるものにし、充実した学習を成立させ得ることに なる。音声言語教育を重視しなければならない理由の一つは、この点にある。
また、ひとつのことがらについて一人の人間が考え得ることは、きわめて狭いものでしかない し、その狭い考えに固執したがる傾向がある。それを打ち破るためには、話し合い学習によって 友達の考えを謙虚に聞き、その長所を受け入れることによって自分の考えをふくらませ、観点を 広げていくことが可能になる。人間はだれでも意地があるし、自分を守ろうとするところがある から、よほど納得できるような深みのある話し合いでないと、自分の考えを改めて、他人の考え を受け入れる決断はつかない。
私は、教育の最大の眼目は、 「自己変革」にあると考えている。どんなに小さな子どもでも、
自分自身の考えを形づくっているし、ものごとを判断するための自分なりの体制を作っている。
それを打ち破り、さらに新しい別の自分を再構成していくのは、とても勇気のいることである。
この自己変革にとって、最も有効な手段は、話し合い学習である。
現在の国語科教育において欠けているものの一つに、思考力の欠如が挙げられる。文章教材を 読んで、それを正確に理解させるだけの教育では、自己変革は望めないし、思考力が働く余地も あまりない。しっかりした思考力を養うためには、子どもたちの自由なおしゃべり、それの進化 した話し合い、それらにもとづいて自己を深めていく「自己との対話」が必要になる。この思考 力を養ううえで音声言語の教育が果たす役割はとても大きいはずである。
Ⅱ 「音声言語学習学」という名称を使う意味
従来、 「教育」という用語が、それほどの抵抗もなく多用されてきたが、この用語は教師の指 導面を強調しすぎる感じがする。 「教え育てる」の主語は「教師が」であって、 「子どもたちが」
ではない。これまでの国語科教育で主流を占めてきた読解指導なら、教師主導型の「教育」とい う用語がぴったりするが、子どもたちの主体的な音声言語の活動をもり立てようとするにあたっ て、 「教育」という用語はそぐわないように、私には思える。
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これまであまりにも不振であった音声言語の学習を復活させ、以前よりもっとさかんにしよう とする立場に立つとき、 「音声言語教育学」とは言わず、 「音声言語学習学」という名称をつける ことにしたい。そうすることによって、子どもたち自身が学び、習いながら身につけていく意味 を強調したいのである。
国語科の学習領域を大きく二分する言葉として「表現」と「理解」という用語がある。長いあ いだ「理解」が優先していたが、昭和52年版学習指導要領から「表現」が先行するようになった。
学習指導要領の指導事項の示し方において、「表現」の項目が先に出されるようになったのであるo このことはとても大きな意味をもっているように、私には思える。
長いあいだ続いた国語教科書の文章教材の学習に重点があったときは、 「理解」が先行して当 然であるが、 「表現」が先に出されるようになった以上、表現学習に重点をおくように変更して いかなくてはならないはずである。このような意味から、国語教科書のあり方を大きく変えてい
く必要がある。
本来、言語活動の目的という面からみると、 「表現」が中心的な位置を占めている。表現する ために必要な材料を取捨選択し吟味するのであって、 「理解」は表現活動の中の一部分でしかな いはずである。おとなの場合だったら理解し鑑賞するために読む場合もあるが、子どもの場合に は理解し鑑賞する学習活動はしても、それは思考力を伸ばすためであったり、感想力を高めたり するのが目的となる。ここで養われた思考力や感想力は、次の表現活動に生かされてこそはじめ て成果が上がるわけである。
このことは、 「話す」と「聞く」の関係においても同様である。聞くために聞くのではなく、
次の行動を意味のあるものにするための手段として聞くという活動が必要になってくるわけであ る。このような意味から、音声言語学習学においては、話す学習が中心的な位置を占め、その補 助的な手段として、聞いたり、読んだり、書いたりする学習が必要になってくるのである。
「音声言語学習」といわないで「音声言語学習学」とした意味も、きちんと考えておかなくて はならない。 「国語科教育」という言葉は広く使われてきたが、 「国語科教育学」という言葉はま だ熱していないという人もいる。 「‑‑・学」というからには、しっかりした全体構造をもち、理 論的な体系が構築されていなければならないのに、国語科教育にはまだそれができていないとい う理由からである。音声言語の学習も単に実践をするだけでなく、理論的な構築を進めなくては いけないという意味で、 「学」という名称をつけたいのである。
Ⅳ 音声言語生成過程のモデル
これまでの音声言語についての指導実践はかなり多いにもかかわらず、音声言語の教育が国語 科教育の中でしっかり位置づけを確保することができなかったのは、単なる指導実践に終わって しまっていたからである。 「おしゃべり」そのものをいくらくりかえしても学力の向上に結びつ かないのは、 E]的意識も技能の向上もみられないからであるO話し合いの学習を進めるにしても、
はっきりとした目的意識をもち、話し合いのルールにそって進行し、その結果何らかの結論に到 達するのであれば、学習として成立することになる。そして、その話し合いのどこかの過程で、
教師が効果的な指導を加えていけば、学習の成果も大きくなっていくはずである。
このような意味から音声言語を生成していく過程を明らかにし、各過程の役割とその問題点を 分析していくことは、音声言語の学習を定着させていくうえで大きな意味があると思う。私は、
音声言語学習学の構想
これまでに読みの過程のモデル化を考えてきた√6)が、その考えを発展させて、 「音声言語生成過 程のモデル」を作ってみた。次にそのモデルを示し、モデルの見方についての解説をする。
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〔外 言 〕
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( 内 言 の 種 ) ( 内 言 の 芽 ) ( 内 言 ) (内 言 )
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( 内 言 の 内 部 自 ー ドバ ッ ク )
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1. 「受信」の段階
刺激(外部刺激の場合と内部刺激の場合とがある)を、感覚器官(視覚・聴覚・嘆覚・味覚・
触覚の五感)で受け入れる。この刺激はまだ言語化されていない状態のものである。この段階 での指導上の留意点は、 「刺激に対して注意力を集中させる」ことである。
2̲ 「識別・一一再構成」の段階
これまでの学習体験によって蓄積されてきた刺激・技能・態度などを総合した価値力や判断 力によって、 「識別」 (自己の必要に応じて、刺激をふるいわけ、取捨選択する活動)と「再構 成」 (拾い出した刺激と刺激を結びつけたり関連させたりしながら、意味のある情報を作り直 す活動)が何度もくりかえされていき、 「内言の種」にあたるものが見えはじめてくる。この 段階での指導上の留意点は、 「自分にとって何が必要であるのか意識化し、適切な判断を下さ せる」ことである。
3. 「思考生成」の段階
自分なりに、価値あるものとして再構成された情報を「種」として、問題意識力を働かせて
「テーマ化」し、自分だけのオリジナルなものとして、 「個性化」し、順序性や価値の重さなど を考慮に入れて「構成化」していく。 「内言の種」が芽ぶきはじめ、 「内言の芽」として育ち出 す。この段階での指導上の留意点は、 「なぜ、このテーマを取り上げるのか自問自答して練り 上げさせる」、 「自分らしさがどのように発揮できているのか検討させる」、 「考えを筋道だてて 論理性を高めさせる」などである。
4. 「新情報記号化」の段階
生成された内言の内容を発信する手段として、どのような手段をとれば効果的であるのか考 えて「音声言語化」するのか、音声言語を助ける手段として「具象化」するのか、 「動作化」
するのかふりわける。この段階での指導上の留意点は、 「音声言語の効率化を高めるために、
具象化・動作化を工夫させる」、「情報の受け手である相手が聞き入れやすいように工夫させる」
などである。
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5. 「発信」の段階
2 ‑ 3 ‑ 4の過程を経て生成された新情報を、外部‑ 「外言」として発信する。まだ発信す る段階にまで至っていないものは、「内言」の状態のままで2の段階‑フィードバックし、 2 ・
3 ・ 4の過程をやり直す。これを何度もくりかえす場合も出てくる。この段階での指導上の留 意点は、 「発信にともなう各種の条件を考慮して、効果的に発信させる」ことである。
この「音声言語生成過程のモデル」の最大の特色は、三番めの「思考生成」の過程である。従 来の話しことばの指導においては、 1・ 2・4 ・5の過程にあたる指導はあったが、 3の過程に ついての指導は全く欠落していた。文字言語の場合には、思考力を養うための読みの指導や作文 指導は、かなりの話題になり実績も上がっているが、音声言語は瞬間的に行なわれるせいか、ほ
とんど話題もならなかったのである。
音声言語そのものは瞬間的に行われる行為であっても、五つの過程が存在するわけであるから、
その一つひとつにしっかりした指導事項をおき、カリキュラム化していかなければならない。数 多くの情報を受信した中から、自分にとって価値があると認めたものを再構成し、テーマ化し、
そのうえに個性化することは、段階を追いながら情報の手を加えさえすれば、習慣化させ定着化 させることはそう困難なことではない。思考を生成していく過程でストノブをかけ、何をどうよ うにまとめようとしているのか言わせたり書かせたりしながら、さらにもっと密度の濃いものに 育てさせる指導が加えられていけば、内言の芽はしっかりしたものに育つはずである。
私は20年ばかりのあいだ、演劇活動や演劇指導をしてきたが、演劇においては「間」のとり方 がとても大きな効果を発揮する。じっくりと生成された思考内容を記号化する際も、単に音声言 語化するための工夫だけでなく、補助的な手段として動作化をどこでどのように発揮するのか、
また、効果的な具象化はどのように工夫していけばよいのか演出していくことによって、相手に 訴える説得力は大きく変わってくる。このように考えてくると、音声言語の指導にあたる教師は 演劇の素養も必要になってくる。
Ⅴ 音声言語学習の全体像
音声言語の学習を活発にし、学問として構築していくためには、その全体像をしっかりと把握 しなければならない。昭和20年代と昭和30年代の前半には話しことばの教育がさかんであったか ら、全体像についての論考がいくつかあったが、この面についての研究はさかんにならなかった。
そこで、全体を大きく四つのグループに分け、さらにそれを細分化していくようにした。
1.音声言語機能を高める学習・指導
①わかりやすく話す学習、正確に聞く学習(主として小学生低学年・中学年)
コミュニケーションとしての伝達の力を養う学習であり、教科書教材としては2‑3ページ の短い教材があり、比較的に多く指導されている。ここでの学習事項としては、 「要点をメモ にまとめる」 「聞きとりやすい速さで話す」 「適度の間をとりながら話す」などがある。
②論理的に話す学習、筋道を立てて聞く学習(主として小学校高学年・中学校)
この面についての学習は、作文の構成を練習や説明文の読解学習と並行して実施されてきた が独自性に欠け、ともすれば、作文学習や読解学習の中に埋没してしまっていた。独自の指導 法を確立するのは今後の課題である。ここでの学習事項としては、 「全体の構成をメモにまと
音声言語学習学の構想
める」 「必要最小限の資料をふりわける」 「しっかりしたテーマで話す」などがある。
③表現の豊かさに注意して話す学習、相手の真意を聞き分ける学習(主として中学校・高等学校) これまでの音声言語学習で最も欠けている面である。コミュニケーションの機能や論理性の 機能を高める学習指導が強調されてきた反面、この面の各個人の人間性や情緒面を高める学習 指導は忘れられてきた。音声言語では文字言語よりもいっそう「豊かさ」や「潤い」など感情 の表出に重点がおかれるから、こういう面の学習は工夫されなくてはならない。外国人と日本 人が相対して話し合うとき、日本人の顔の表情が無表情であり、まるで能面のようだと批評さ れるのは、この面についての重点的指導なされてこなかったことに起因していると私には思え てならない。
日本の国は千年以上の長いあいだ封建主義が続き、昭和前期には強固な軍事国家の体制がし かれたために、自分の考えなどはもたないように教育されてきた苦い経験があるだけに、平和 国家になって半世紀近く時間が経過しても、この困った伝統は生きつづけているのである。だ からこそ、心を開いて、おたがいに向上しようという意欲によって、表現の豊かをみがく学習 が大きな意味をもってくることになる。ここでの学習事項としては、 「話す前の準備をしっか
りする」 「表現効果を高める工夫をする」などがある。
2.音声言語技能を高める学習・指導
④ 発音・発声の学習(主として小学校低学年)
学習指導要領では最も重点的に扱っているし、教科書教材も豊富であるから、実際の指導も なされているのに、この面についての指導効果はあまり上がっていない。教室で話される子ど もたちの声が小さくてよく開きとれなくて苦労させられるのは、多くの国語担当教師がロにす るところである。第一、口の開き方が小さすぎて発音が明確ではないし、息の吸い方が悪くて 呼吸量が少ないから音量が乏しすぎる。これらも演劇を本格的にやったことがある者なら気に なって仕方がないところである。
16年ほど前、第五回国際読書会議がウィーンであり、その帰路、フランスのパリで読み聞か せの日仏共演の場がもたれたことがあった。それぞれの国の代表の読み聞かせのあと、意見発 表の場では、日本語の読み聞かせの情緒の豊かさに対して、フランス語の読み聞かせの発音の 美しさが参会者の話題になった。司会をしていた私は、読み聞かせをしてくれたフランスの図 書館司書の人にそのことを尋ねたら、フランス語の美しさを子どもたちに伝える使命があるか ら、ことさら発音や発声には注意しているという答えが返ってきた。司書の資格を取るために は、読み聞かせ力を見るテストもあるということであった。
このような意味から、音声言語の学習を徹底させるためには、教員養成大学では演劇の講座 を必修単位にし、学生に発音・発声の本格的な訓練をさせる必要があると提案したい。ここで の学習事項としては「口型をととのえて発音する」「息をたくさん吸いこんでから発声する」「ア クセントやイントネーションに気をつけて話す」などがある。
⑤共通語の学習(主として小学校中学年・高学年)
最近ではテレビの普及によって、共通語を聞き分ける力はかなりついている。これは学校教 育の成果ではない。しかし、共通語を話す力はあまりついているとはいえない。共通語をどれ だけ話せればよいかというと、関西地方で生活していると、大多数の者が関西弁で話しているか ら、共通語で話せなくてもよいことになる。関西在住者以外の者と応対するときだけ、最小限の 共通語を話せればよいことになる。ここでは、むしろ幼児音からの脱皮、流行語の使いすぎに
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注意して、美しい日本語を創造していくことが必要になる。ここでの学習事項としては、 「幼 児語を使わなくなる」 「方言と共通語の違いを知って使いわける」 「流行語の使い分けをする」
「美しい日本語を創造する努力をする」などである。
⑥敬語の学習(主として小学校高学年・中学校)
外国人が日本語を学んでいく中で困難さを訴えることの一つに敬語の問題がある。最近では 日本に生まれ育っても敬語を正しく使いこなせない人が増えつつあるといわれるようになっ た。私は、新しい学期がはじまると必ず「私」という漢字を板書して「音」と「訓」を学生に 書かせるようにしているが、正しく「シ・わたくし」と答えられる者は半数程度しかいない。
残りの半数は、 「訓」が「わたし」と「わたくし」の両方認められていると思いこんでいるの である。 「わたし」と「わたくし」とでは敬意の表し方にどれだけ差があるのか区別できない 者がかなり存在しているわけである。
日本は民主主義の社会になったといわれているが、身分差や性差などはかなり残っている。
敬語の指導にあたっては広い範囲にわたって取り扱わなければならない。ここでの学習事項と しては、 「相手に対する思いやりをもつ」 「常体と敬体を適切に使いわける」などがある。これ らの学習事項を知識として教えこむのではなく、具体的な学習場合を設定して、ごっこ遊びな り劇化学習の中で自然に身につくようにさせたいものである。
⑦音声言語の文法く主として中学校・高等学校)
音声言語の学習が長いあいだ軽視されつづけてきた最大の理由は、 「音声言語の文法」がま だできていない点にある。文法といっても、文字言語における品詞論中心の文法ではなく、 「音 声言語を話したり闘いたりしていくでの共通の約束・きまり」である。ここが定まらないため に音声言語は試行錯誤の段階を抜けきれないのである。ここでの学習事項は、 「一語文から脱 皮する」 「接続語・指示語を正しく使う」 「段落相互の関係をととのえる」 「場に応じた応対の 仕方を身につける」などである。
3.音声音譜活動を高める学習・指導
⑧対話力を高める学習(主として小学校低学年・中学年)
「あいさつ」 ・‑‑あいさつは人間関係の出発点であり、よりよい人間関係を作っていくうえで 重要な役割をもっている。ここでの学習事項は、 「明るくすること」 「人より先にすること」
などである。
「問答(質疑応答・電話も含む)」‑‑‑E]常生活の中で多くなされる活動であり、要件を適確に、
しかも相手に好感を与えるように話し、相手の応対に応じてどのように結末‑導いていく必 要がある。ここでの学習事項は、 「要件をまとめて順序よく話す」 「相手の真意を正しく受け
とめて反応する」などである。
「面接(インタビューも含む)」 ・‑‑質問をする側と答える側とに分かれる。 「問答」の発展し たものである。ここでの学習事項は、 「何を問い何を答えるか明確にして面接する」 「相手に 対して礼を失わないようにする」などである。
「対話」 (対談も含む)一一他人と一対一で話す場合。この一対一の問答のしかたは音声言語 学習の最も基本的な形である。ただし、相手が数人になる場合でもこの用語を使う。小学校 の低学年では教師と児童の一対一で気楽な雰囲気の中で話し合う経験をさせることにより、
話し方についての基礎的な技能を養うことができる。それができたら、友達どうLでの対話 の練習をさせ、その場に応じた話題や音量などにも注意するようにしむけていく。中学校や
音声言語学習学の構想
高等学校では探味のある話題についてつっこんだ対話をさせると、思考力や批判力が急速に 身についていく。最近は、カセットテープやビデオテープに録音・録画することも簡単にで きるようになりつつあるので、これを再生させることによって、学級全体での学習に活用す るようにするとよい。ここでの学習事項は、 「お互いに向上するために対話する」 「対話を深 めていき新しい価値をみつける」などである。
⑨会話力を高める学習(主として小学校中学年・高学年)
「話し合い」 (会話・座談も含む).I‑・・一つの話題に固定されずに、一対多の関係で自由に話 し合うこと。一対多の音声言語活動の基本的な形である。自由な話し合いであるだけに、個 性の強さや感情的な発言も出やすい。望ましい人間関係を形成するための基本的な練習を はっきり位置づけて、時間をかけて力をつけるようにしたい。ここでの学習事項は、 「あい づちをうったりうなづいたりしながら聞く」 「あげ足を取ったり話の腰を折らない」 「人の発 言を注意しながら聞く」 「適当な機会をとらえて発言する」 「話し合いの方向をととのえるよ
うな発言をする」などがある。
「討論」 (パネルディスカッションも含む)一一議論をたたかわせることであり、議論の内容 を深めることに主眼がある。結論を出すときには投票による多数決で決める。立場を明確に し賛成派と反対派に分けたうえで実施する場合が多い。ここでの学習事項は、 「相手の論拠 を受けとめて批判する」「相手を説得するための根拠や理由をそろえて発言する」などである。
「討議」一一話題を固定し、それぞれの立場から意見を述べて、よりよい解決や結論を見出そ うとする改まった形のもの。集団的な思考力を養うのに適している。おたがいに意見を交換 して問題点についての認識を深めていくのに適している。ここでの学習事項は、 「問題を認 識して現状を分析する」 「建設的な発言をする」 「本題からそれた発言をしない」 「話し手の 意図を推測しながら聞く」などである。
「会議」(司会・議長も含む)‑・‑議長か司会者を決めてより計画的におこなわれる集団討議で、
具体的な解決策を求めたり、関係者間の調整をはかったりする。児童会・生徒会・各種の委 員会などはこの中に入る。ここでの学習目標は、 「現状を分析して解決策を提案する」 「痩情 的な発言をつつしむ」などである。
⑲独話力を高める学習(主として小学校高学年・中学校・高等学校)
「発表」 (報告も含む意見発表・研究発表などが中心) ‑‑・この面の学習は、従来は作文指導 の中で「意見文」 「研究報告」という形で行なれることが多かった。独話形式の中での基本 的な学習である。作文指導と共通する点は、しっかりとした主題について適切な資料をとと のえ、内容の構成をしっかりさせるということである。音声言語面の指導の重点は、聞き手 を意識して筋道を立てわかりやすく話すという点である。 「三分間スピーチ」的なものもこ の中に含まれる。前もってしっかり準備させ、教師の前で練習して合格した者だけを発表さ せるようにしたい。原稿を見ながらの発表は原稿の棒読みになりやすいので、やめさせたい。
ここでの学習事項は、 「しっかりした発表メモを作る」 「練習を重ねて効果的な発表をする」
「資料などを効果的に使う」などである。先にカセットテープを使う例を述べたが、ここでも、
前もって自己評価用のチェックリストを用意しておいて、カセットテープを聞きながら自己 評価し、さらに練習を重ねさせるとよい。
「お話」 (ストーリーテリング・談話を含む) ・‑‑戦前は、 「おとぎばなし」 「童話」 「笑い話」
など既成の物語を話す場合が多かったが、最近は、自分が実際に経験したことを話す場合が
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増 田 信 一
多くなったO ここでの学習事項は、物語を話すストーリーテリングでは、 「物語を順序立て てはっきり話す」 「人物の名前や場所などをはっきり話す」など、自分の経験などを話す談 話では、 「一つの話題にしぼって話す」 「五W‑Hをはっきりさせて話す」 「聞き手の興味を そそるような工夫をする」などである。
「伝言」 ‑‑・児童会・生徒会からの伝達、明日の授業準備のための連絡、教師から家庭への連 絡(その逆の場合)など。正確に伝わらないことが意外なほど多いから、 「伝言ゲーム」な
どによって練習を重ね、自覚させておく必要がある。ここでの学習事項は「伝言すべき事項 をはっきりさせる」 「必要に応じてメモをとる」などである。
「演説」 (講話・講義なども含む) ‑‑・多くの人の前で自分の主張を述べること。校内弁論大 会を、学級での予選、全校での決戦の型式で開いている中学校や高等学校はかなり存在する。
それ自体は国語科の授業から外れるが、明治時代の国語科の授業ではかなり広範囲に実施さ れていた。考え方としては、基礎的な学力は国語科で養い、発表の場は国語科外と考えたい。
ここでの学習事項は、 「多数の人を相手にして効果的に話す」 「演説を批判的に聞く」などで ある。
⑭総合的な音声言語力を高める学習(すべての段階)
「ごっこ遊び」 (動作化を含む)一一小学校低学年では実際に体験させることによって学習さ れていくことに大きな意味がある。 「おうちごっこ」や「おみせごっこ」などであいさつの しかたやことばづかいのありかたなどを身につけていくわけである。このことは、幼稚園・
保育園の教育ではいっそう重要なものとされている。ここでの学習事項は、 「自分から進ん でその役に挑戦する」 「楽しみながら演ずる」などである。
「紙芝居」 (人形劇も含む) ‑‑・小学校の低学年や中学年の物語教材の読解学習の発展学習と して、その教材について紙芝居を作って演じたり、人形劇をしたりする例はかなりある。場 面わりをして、絵とせりふを作っていくのであるが、グループ学習でする場合が多い。ここ での学習事項は、 「場面なり役割の特色を生かして作る」 「物語の楽しさ・おもしろさが出る ように演ずる」などである。
「読み聞かせ」 ‑‑ここでは教師がするのではなく、子どもたちが役を決め分担を決めて演ず る読み聞かせを指す。読み聞かせは幅広く行われているし、子どもたちの人気も高いから、
ぜひ定着させたいものである。ここでの学習事項は、 「主人公の心情を効果的に表現する」「聞 き手の反応を見ながら間の取り方を工夫する」などである。
「呼びかけ」 (シュプレヒコールも含む) ‑‑・卒業式や学芸会に呼びかけを採用している小学 校はかなりある。学級全員でも学年全員でもごく少人数でもできるところが便利である。こ
こでの学習事項は、 「チームワークを大切にしながら演じる」 「表現効果を確かめながら演じ る」などである。
「演劇」 (放送劇・映画を含む) ‑‑教科書材料を学習したあとの劇化学習はかなり広く行な われている。教材の特定の部分を演ずる場合や朗読と演劇の組み合わせ、呼びかけと演劇の 組み合わせなどもある。ここでの学習事項は、 「自分の役割を適確に演じる」 「全体の雰囲気
をもり立てる」などである。
4.音声言語力を高めるその他の学習・指導
⑫入門期の音声言語の学習(幼稚園・小学校低学年)
幼稚園や保育園では文字言語の教育はしないから、音声言語の指導はかなり工夫されなけ
音声言語学習学の構想 ll
ればならない。小学校低学年でも音声言語が占める比重は大きい。ここでの指導は、 「積極 的に発言する」 「相手の話をよく聞く」などである。
⑲朗読の学習(小学校高学年・中学校・高等学校)
学習指導要領では、小学校4年までが「音読」 (理解の指導事項)、小学校5年からが「朗 読」 (表現の指導事項)と位置づけているが、両者の区別はレベルによるものである。中学 校や高等学校の段階でも「音読」のレベルでしかない生徒は過半数存在するのが実情である。
また、 「朗読」を表現の指導事項の中に入れているが、これも問題を含んでいる。文章を読 んで理解したことを効果的に表そうというわけであるから、本質的には「理解」の範囲に属 するものと私は考えている。ともかく、音読の練習を徹底させ、朗読の域にまで高めさせる 指導をしていかなければならない。ここでの学習事項は、 「内容がよく味わえるように朗読 する」 「表現のすばらしさを味わえるように朗読する」などである。
⑲音声言語学習の学習材・テキストの作成
授業に使う学習材は、現状では教科書教材によらなければならないことになっているが、
満足できるような音声言語教材はほとんどないし、音声言語教材の数はきわめて少ない。し たがって、教師が作成するか、子どもにも参加させて授業の中で作っていくしかない。学習 材作成の留意点は、 「子どもの生活に密着した内容にする」 「一人ひとりの子どもに対応した
ものを作る」などである。
⑮ 音声言語学習カリキュラムの作成
音声言語学習を年間を通してきちんと実施している現場が少ないせいか、これまでのとこ ろ、しっかりしたカリキュラムを作成している例はきわめて少ない。音声言語の学習そのも のを活発化して、その中からカリキュラムを生み出していくしかない。その際留意すべき点
は「国語科内の学習活動とそれ以外の学習活動との円滑な関連をはかる」 「それぞれの学習 は自己評価力を養うものであるようにする」などである。
①〜⑫の学習の末尾につけた学習事項は、関連する学習の学習事項にもなるはずである。いず れ、これらを整理して、音声言語の学力の構造化をはかる必要があると考えている。
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飯田恒作『話方教授』、教育研究会、 1918年、 315ページ
友納友次郎F尋常小学校教授書』巻のI‑ ・巻の二、目黒書店、 1919年、巻の一一320ページ、巻の二362
ベーン
(3)峰地光量『文化中心国語新教授法』上巻、教育研究会、 1925年、 226ページ (4)奥野庄太郎『話方教育の原理と実際』、東洋図書、 1928年、 353ページ
( 5 )増田信一「音声言語教育実践史(Ⅱ)」、 『東京学芸大学附属大泉中学校研究集録第30号』 1989年、 1 ‑ 30ページ
( 6 )増田信一「読むことの意味とその過程」増田信一『読書感想の指導』学芸図書、 1982年、 26‑38ページ
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A Proposal of a Speech Learning Theory
Shinichi MASUDA