発 端
厚生労働省は,2001(平成13)年に厚生省と労働省の中央省庁再編で設立されているが,
両省の淵源のひとつは,かつての内務省社会局にさかのぼることができる。同局は,1920(大 正 9 )年 8 月に内務省地方局社会課を前身にして誕生し(1),戦前段階では,巨大な内務省にあっ て,社会事業,公衆衛生・医療,住宅,労働,卸売り市場などの,いわゆる社会行政を守備 範囲にしながら,大戦をまえに軍事援護,健民建兵策も包含した戦時厚生事業を所管するこ ととなった。終戦直後の1945(昭和20)年10月には厚生省官制中改正及び厚生省分課規定改 正で社会局は再編成され,それより福祉 3 法,福祉 6 法実施体制の要になり,今日では社会 局から改組・発展した社会・援護局,子ども家庭局,老健局,及び障害保健福祉部の 3 局 1 部が国の社会福祉行政の担い手となっている。
社会局は,2020(令和 2 )年 8 月に100年を迎える。社会局は,近現代史のなかでどういっ た道をたどって今日に至っているのか。そのなかでも,時代の転換点にあたって登場する官 僚の社会観,政策価値や手法には興味が尽きない。社会局100年。それぞれの時代のなかで日 本の社会福祉はどのように構想され,今日の社会福祉行政がつくられたのか。100年の結節点 に登場する何人かの官僚に焦点をあてながら,その今日的意義を考える。予備的考察のため に,社会局創設の背景,関連資料の整理から始めよう。
社会局が創設された時代
社会局誕生とその時代背景は,以下のように要約される(2)。
明治にはいって殖産興業,富国強兵策で近代化をめざしたわが国は,綿糸紡績,製糸,織 物業を基礎に工場制工業を発展させ,日清戦争(1894-1896年)・日露戦争(1904-1905年)
の勝利を契機に鉱業,重化学工業を整備して20世紀の初頭にはアジアで最初の産業革命を達 成した。同時に,この一連の展開過程は次々と多くの労働力を吸収し,農村は低賃金労働力
*立正大学社会福祉学部社会福祉学科
キーワード:内務省,社会局100年,内務官僚,政策価値
社会局100年 内務官僚の時代とその思想
The Bureau of Social Affairs for a Century;An Age of the Ministry of Home Officials and their Thought
蟻塚 昌克
*Masakatsu Arizuka
〈研究ノート〉
の給源となっていく。他方では過酷な労働,原生的な労働関係のなかで労働力の摩耗は激し く,争議が多発するなど労働問題も顕在化することとなった。
わが国の経済は,やがて繊維産業の大量生産と低賃金労働力を武器に世界市場に乗り出し ていく。さらに1914(大正 3 )年に勃発した第一次世界大戦の結果,戦勝国としていっそう の膨張と植民地経営という新たな段階を迎える。しかし,疾風怒涛の経済発展の対極には,
過剰生産の寄り戻しをはじめ,投機・取り付け騒ぎ,物価騰貴などのゆがみが生じる。失業,
貧困で生活困窮者が増加し,米・繭の暴落で農民の生活は窮迫する。シベリアの彼方では社 会主義国・ソ連が誕生。社会局の設置は,こうした社会経済のうごきも背景に検討されたの である。実際のところ,社会局が設置された1920(大正 9 )年は, 3 月にシベリア出兵に端 を発した尼港事件が発生するとともに,戦後恐慌が始まり, 4 月に東京市電ストライキ, 5 月にはわが国最初のメーデーが開かれるなど,社会は騒然となっていく。
ところで,1909(明治42)年に井上友一の著『救済制度要義』に社会事業という用語が登 場するが,社会事業が国の施策で正式に用いられるようになったのは,1920(大正 9 )年に 内務省に社会局が設置され,社会事業を所管してからである。すなわち,貧困に対して組織 的に対応するのが社会事業であり,この時代になってようやく,貧困の背景には個人の怠惰 だけではなく,社会問題があるという認識が登場してくる。これが社会事業と慈善事業,感 化救済事業の異なるところである。さらに徐々にではあるが,貧困を放置すれば社会不安が 募り,やがてそれは圧縮されて爆発するという危機感が形成されるようになってくる。
1928(大正 7 )年に富山県で発生した米騒動はまさにそうであった。米価の高騰に端を発 した米屋,豪商,警察署の打ち壊しは,空前の民衆暴動として全国に波及。連動して労働争 議,農村争議も多発する。深刻な社会問題や大量の貧困層は,もはや恤救規則では対応でき ない。今日の民生委員制度の源流となる大阪における方面委員制度創設もこの年である。
1929(昭和 4 )年に政府は救護法案を提案。その理由を「現行救貧制度トシテハ明治 4 年 太政官布告棄児養育米給与方及明治 7 年太政官達恤救規則アルモ何レモ其ノ規定内容不備ニ シテ現下社会ノ実情ニ適セズ到底救貧ノ目的ヲ達スルコト能ハザル状況二在リ依テ之ガ根本 的改善ノ趣旨ヲ以テ別紙救護法ヲ制定セン」とする。1874(明治 7 )年制定の恤救規則の限 界を見極めて救護を国の責任とし,対象者や救護の種類を大幅に拡大した同法は可決・成立 する。これより社会局の業務と範囲は急速に増大していくこととなる。
慈善事業から社会事業へ 時代を主導した人びと
明治年代は封建制社会の制限を破砕したが,新体制への移行という過度期の混乱のなかで,
また急速な経済発展にともなって窮乏層が形成されていく。横山源之助『日本の下層社会』
(1899年)はこの一端を丹念に描写した記録としてつとに知られ,同書には金沢の慈善事業家 として小野太三郎が登場している。岡山孤児院の石井十次や長野・善光寺をはじめとする宗
り組まれた。その反面では,わが国の社会福祉の法制度の源流となる1874(明治 7 )年制定 の恤救規則が,隣保相扶という自助の原理を強調することで救済活動をもっぱら民間にゆだ ね,奨励したことも見逃せない。
慈善事業家の交流も活発となる。1903(明治36)年に大阪で岩田民次郎らにより第 1 回慈 善大会が開催され,全国からその道に尽力した人々200名が集結。経験交流や研究などをつう じて関係者の連携,全国組織結成の機運が高まっていく。
1908(明治41)年に内務省は感化救済事業講習会を開催。これを契機に同年10月に中央慈 善協会が設立されて初代会長に渋沢栄一が就任する。今日の全国社会福祉協議会の起源とな る組織の誕生である。同会の設立趣意書では,中央慈善協会の目的を慈善救済事業の方法の 調査報告,関係者の連絡,事業の指導奨励や関連行政の翼賛としている。
写真 1 は,中央慈善協会結成時の関係者の記念写真で,当時の関係者のなかで主導的な位 置にいた人物がわかる貴重な史料である。
写真 1 中央慈善協会結成の主唱者 出典:『社会福祉学習双書 社会福祉概論Ⅰ』
(全国社会福祉協議会,2020年)10頁
前列中央が,内務官僚の窪田静太郎である。窪田は,井上友一らと貧民研究会を結成し,
内務省衛生局長,社会政策学会幹事を務めながら,民間慈善事業の組織化に奔走した人物で,
この段階で窪田が関係者のなかで最も指導的な位置にいたことがわかる。向かって窪田の右 隣の留岡幸助は感化救済事業,左隣の原胤昭は免囚者保護事業の先駆けである。後列左の小 橋實之介は少年保護,相田良雄は内務省で慈善・社会事業に最も永く従事した生き字引的存 在で,右隣の土屋弘敏と加島敏郎は少年保護に従事している。
主要な関連史料や先行研究など 年史・行政報告関連
内務省社会局社会部『本邦社会事業概要』(内務省社会局社会部,1926年)
内務省社会局社会部『本邦救済制度概要』(内務省社会局社会部,1927年)
Bureau of social aff airs Ministry of Home Offi ce(1928)Social Work in Japan 厚生省社会局『社会局参拾年』(厚生省社会局,1950年)
厚生省社会局『社会局五十年』(厚生省社会局,1970年)
大霞会『内務省史』(地方財務協会,1971年)
厚生省五十年史編集委員会『厚生省五十年史』(厚生問題研究会,1988年)
このうち『本邦救済制度概要』は,1926(大正15)
年 8 月16日に開催された社会事業調査会の社会事業 体系に関する特別委員会における富田愛次郎の報告 を編集したもの。富田は欧米の社会事業への関心が 高く,救護法制定前の日本の救済制度の歴史と特質 を簡潔に取りまとめている。
Bureau of social aff airs Ministry of Home Offi ce
(1928)Social Work in Japan は,内務省社会局が作 成した日本の社会事業の概要を紹介する異例の英文 パンフレット。A 5 判,115頁。前出の内務省社会局 社会部『本邦救済制度概要』を底本にしたものとみ られる。
先行研究
田子一民『社会事業』(帝国地方行政学会,1922年)
富田愛二郎『社会事業の展開』(巌松堂,1942年)
日本社会事業大学『窪田静太郎論集』(日本社会事業大学,1980年)
日本社会事業大学『窪田静太郎戦時下手記』(社会事業研究所,1992年)
吉田久一『日本の社会福祉思想』(勁草書房,1994年)
吉田久一『日本社会福祉理論史』(勁草書房,1995年)
姜克實『近代日本の社会福祉思想』(ミネルヴァ書房,2011年)
吉田久一『日本社会福祉理論史』(勁草書房,1994年)
日本社会事業大学救貧制度研究会『日本の救貧制度』(勁草書房,1960年)
副田義也「内務省の社会史」(東京大学出版会,2007年)
写真 2 Social Work in Japan
社会局の歴史に登場する内務官僚
社会福祉行政の歴史の分岐点に位置する内務官僚は,以下のとおり。
1 .後藤新平(1857-1929)衛生行政,労働者保護策などを手がけ,台湾総督府長官,満鉄 総裁,内務大臣,東京市長。ドイツ留学時にビスマルク社会保険を学び,窪田静太郎に労 働者疾病保険制度創設を命じ,内務省に社会行政策を位置づける。
2 .窪田静太郎(1865-1946)後藤新平のもとで労働者保護策にあたり,工場法制定時の工 場調査 ,『職工事情』に参与する。貧民研究会を立ち上げて関係者を糾合して救済制度の方 向を探り,中央慈善協会を創設。社会政策学会に参画。
3 .井上友一(1871-1919)後藤―窪田―井上ラインで社会事業行政の土台を築く。『救済制 度要義』で「社会事業」を用いる。地方改良を担い,救貧より防貧,教化の役割を強調。
経済保護事業。東京府知事,東京府慈善協会会長。
4 .田子一民(1881-1963)地方局社会課から社会局新設を計画して奔走する。社会局長を へて衆議院議員,衆議院議長。全国社会福祉協議会会長をつとめる。
5 .富田愛次郎(1885-1954)救護法以前の日本の救貧制度をとりまとめるとともに,イギ リス労働党幹部,フェビアン協会のウエッブ夫妻と交友を持つなど欧米事情の知見が深い。
『本邦救済制度概要』,『社会事業の展開』。
6 .灘尾弘吉(1899-1994)1938年社会事業法制定で社会事業における日本的公私関係をつ くる。内務事務次官,衆議院議員,文部大臣,厚生大臣を歴任。衆議院議長。自民党「三 賢人」。全国社会福祉協議会会長をつとめる。『社会事業行政』
註
( 1 )厚生省社会局『社会局五十年』(厚生省社会局,1970年)90頁
( 2 )拙稿「わが国における福祉制度の発展」(『社会福祉学習双書 社会福祉概論Ⅰ』全国 社会福祉協議会,2020年)11頁