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哲 学 の 根 本 問 題 ( そ の 五 )

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(1)

哲学の根本問題︵その五︶

と認識

法華教学に至る資料とその考察

六︑カント哲学︵目認識論的観念論︶と世親哲学︵目主

的観念論ないし観念論的認識論‖唯識説︶とを比 し図解して対照する

1︑比較の観点より見ると 哲学の見地より︑仏教思想史上の説明大乗といわれる

yo

gacaユ⊃の唯識ms︐ ︵vijfiapti−matra−vada︶ S位置と役割につい

て︑私見により︑スペキュレーションとして規定︵となる︶仮説を

         ヘ  ヤ提示すると︑左の如﹂

Φ Vaibha$ikag実在論的存在論は︑独断的・合理論的.スコラ 的形相︵11形式︶主義であり.

 Madhyamaka ︵︶観念的存在論は︑啓蒙的・合理論的・形而上 弁主義であり︑

 Sautrantika g実在論的認識論は︑懐疑論的・経験論的・心理

学的現実主義である

 ぺoσq.輌O⑩ユコの観念論的認識論は︑<m三︺一5三6の実在論的存在

とζ注ξエ∋莞但の観念論的存在論とを︑しc但三品巨完但の実在論 的認識論を媒介として︑︵止揚して︶総合する批判哲学︵蚕二⊃・巳一︵弓

 Idealismus︶として成立する︑

ちく︹三︶言竺言−x︶ Madhyamakaとの合理主義のもつ存在論的  な有・無の空疎を︑経験的現実性としての識︵く言営巴をもって 元的に代置して︑仏教心理学における心識説︵︹三午く言芦牡ぐパ一α三 を形相⌒11形式︶的に純化することによって︑方法的自覚化とし

 て成立する一.

41

別言すると︑有限で経験的な人間の個人的な意識の立場から︑

 ︵悟性く○豆︹5エとしての︶me ︵くijrtal︶a︶を運用し転化しうる地平      ヘ  へ として︑⌒理性く巳日§津として︶の唯識︹ぐご日℃ご出昼算巴の構造

      ヘ  へ と仏境︵ひ已合言−臓︵︶︹芦①︶の機能との関係を分析し総合する︑経験

哲学の根不問題;ての五  伊藤∨

(2)

      法華文化研究︵第四十号︺

哲口字︵︵×℃︹・﹁三ズ・三巴℃︸己o°︒o℃庁冠の立場を確立する

要するに︑有・無という︵諸法の真性を研究する︶実体概念︵の

 立場︶より唯識という︵諸法の性相を分析する︶機能概念︹の立

場︶への推移を意趣しているから︑フッセルの用語を借りれば︑

相︵11形式︶的還元を確立しているに外ならない

くして︑その点で相似するカント哲学は︑

究の対象とされてよいであろう.

唯識との比較研

 ところで︑ライプニッツの認識論は︑ロックの﹁人間悟性論﹄

を批評するli.新人間悟性論﹄︵o︵三く竺⊆z一巴∫°・︹三一七o八︶におい

 て︑ロックの﹁悟性の中には感性の中に存在しなかったものは何

 ものも存在しない﹂というテーゼに対して︑﹁悟性そのものの他に

      ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ   ヘ  へ は﹂をもって応酬して︑認識論上のいわゆる︵悟性の︶先験主義

 を主張する︐

すなわち︑ライプニッツは︑一往は︑経験論の主張を容れて理 的観念論には感性的観念が先行するが︑再往は︑単子︵モナド﹀

 には窓がないから感性的観念も外から与えられるのではなく︑理

的観念︵一意識ヨ呂O−くご日日﹁︶のうちに素質︵一阿頼耶識〇一芸午

 く言竺芝として含まれている︑とする一       らロわ  心は︑白紙ではなく︑そのうちにやがて現れる像︵習気く器竺5︶  を含む石塊﹁一種子9竺である︑という

筆者は︑これを経験主義的理性的観念論と云うことにする  よって︑ライプニッツ︵1ーヴォルク︶哲学も︑世親唯識との比較

象とされてよい︐已に試行した如Vである

       ロダニ

 よって︑多少修正して︑図解すると︑第三十六図の如し.

2︑唯識説構造機能分析総合図を再確認する

      ペ  シ

次に︑カント認識論について︑本田修郎博士の作成した図解を転 し︑これに比較せしめて︑已に論明した世親認識論︵心識説︶の 素と体系について要説をなして︑図解を作成して対照したい︑

と思う       ヘ   へ

そのために︑已に世親の唯識思想の基本を構造機能分析して総合

        ロトヒロして図解化したものを︑再確認する︑

更に訳語を挿入し修正して示すと︑第二十図の如vなる.

 3︑コペル一一クス転回図による比較

 ﹃純粋理性批判=第二版序三三に云く︑﹇従来︑一切の認識は対象

に準拠せねばならないと考えられていたが︑むしろ対象が我々の認

に準拠すべきであると考えねばならない﹂と一

 ﹃唯識二十論﹁に云く︑=切は︑唯記識のものである︵⊃・︹二≦ヨ

(3)

第三十六図

1

Im

g

Ψ

合理言命 {Rationalismじls)

独断論 { Dogmatismus 1i       △

教基本四学派思想分解比較図

dω

ir

       ▽

Vaibhasika

{=SarvAsti−y  Ontologie

オントロギー;

     ▽

Madhyamaka(=Madhyamika〕

{=Nihs\abhava−vadin //

      \         \\

real三stisch Ontologie

2議董

コ㌶

 としP flH

idealistisch Ontologie

RealiSmus レアリスムス

ノ.

諸法は観念とし

しか存在しな

い︑と見る︶

念論的存在論

較哲学の根本問題;ての五二伊﹈讐

  Idealismus

(イデアリスムス

実在論的認識論

法を実在とし

て罰恥識・する A.l

見る︶

論的存在論を前提ン三丁る︸

能取の心が所取 を所縁とし るから︑

 外境はないが︑

もって︑諸法と 内心のみは有る︑

して一観人芯を認識 する︑と見る︶

的認識論

Sautrantika

;=D工 Sしanta−v烈din)

       千

  Erkenntnislehre エアケントニスレーレ1

       ▽

ライプニッツの経.験 i三義的理性的観念論

衷旨近1論  .SkeptiziSmus        ///

yog acarin

{=Vij亘apti−matra−vadin)

     A                                                      i

      ▽

カントの批判論〔Kritizismus:

としての認識論的観念論

vijfi2二pti−nt2.itiakam =この三界に

属するものは即ち唯心である

ci

ttf i−milti21m idaip yad id2iip

       つぴマ

tr aidhtitukam︶﹂ A.︶..

これ︑比較の要点である︑.

カント認識論︵日批判論︶は︑

客観が主観に準拠するとして︑主

観と客観との位置を転倒した︑

は︑天動説を転倒して地動

説を主唱したコペルニクスの革命

的業績に対比され︑コペルニクス

的転回と称する︒

     また

それは︑亦︑仏教認識論におけ

る之m二三5竺言の実在論的存在論

論︶をζ註享聾三宗oの観

念論的存在論二合理論︶と

⊃c︹﹀三己一三窒の実在論的認識論とを

媒介として転倒して観念論的認識

判論︶を主唱したことに

される t.

(4)

       ・citta−matra(唯心)                                                              

i

i eka− l citta il −dharmata  ) :一心の法性〕

    atmabhiniveSa (我執=avidva無明1−→

              、・ijfiana   ( 言哉   一*pa「atantra−      ▽

      svabhava・………一・.…........ vijhana−parinamaづ       1依他起性)         (識の転変)   

      

  1        ∀.

     °utPatu−   ............一...・vikalpa(妄分別)

      nihsvabhavata

       ガ

! 〔生無性}…・….…..............。iin、pti i記識一r別・

一一一ヱー一*parikalpita−

      svabhava     ..........

      (分別性遍計所執性・

      

      ▼       ・vikalpa  <・

     ・lak§ar]a−         分号|」、

      nihSvabhavata      .

        コ      

      1‡目無・il生.

  一*parirpi$panna−    ●grahaka       svabhava.....・…「   「能取ト       :円成実性}

      11        .

       

!  ・paramartha−   l

      nihsvabhavata .......・  ...........

      (勝義無性)

I      

                                                                                                                                                                                        l     

                                        1       

vad alambanam

 Vl」nanarn na1VO・

 palabhate

 ・識が所縁を全く了  得しないならば1

      

tada sthitam  Vljnana LVIjfiapt1:−

 matratve

 〔そのとき、唯記識 性に安住する1

      

sarva.dharmanam

 nalratmya−praveso  bhavati

*anulOMa一ρratya vek$aηa(順観=流転門)

parinama(転変)

pratibhasa c f以現▼

         parikalpita−

         svabhava           :遍計所執性:.

       .1

 <一一一一9rahya l所取:

       .!

      . iyad vikalpyate        tena分別されたものi                                                                                                                                                                                                                i

     .・tall nastl

       [それは存在しない}

 .alay akhya−x・ijfiana−

.   vipaka−parinama      (阿頼耶と名ける識なる

  異熟の転変}

   ・manan akhya−vij品na−

     parlnama      億と名ける識なる      識の転変〕=tad−aSritva      pravartate

     alava−alambana      n]anO nama Vl」nana

      阿頼耶識に依りて起り

     阿頼耶識を所縁とする      もので意と名ける識・

     =manan atmaka

     l思量を自体とするもの

▽一一●vijfiaptir vi$ayasya

sarva−dharmanam

 nihsx・abhavata

 卜切の諸法は無自性である parlnama

信己識とは対境の転変

である:〕=

sad−vidhasva va vi$ayasy6palabdhih sA

(それは六種の境をr得 するものである1

・sarvam vijfiapti−matrakam

  (一切は唯記識のもの〈=現われのみ〉 である)

      一・vijhapti−matratva:唯記識性一vyavasthapanaの 女、ttl .i

       ・anabhilapy atman〔不可言説の自体

      ・astitva〔有 [生;実在・i生)

      ・buddhanam visava{言.苫fムの対境)

       1

Pratiloma−Pratyavek§arla  ・buddha−gocara

  (逆観=還滅門)      i仏の行境=vijnapti−matrata−siddhi唯記識性の成就1

*11体系学的1 systematologisch.

2:1方法論的〔methodologisch:

31体系を構成する方法となる原理を、その構造・機能を分析;統合する 4iその原理を示すキー・コンセプトは何か?

第二十図 世親唯識︵思想︶構造機能分析総合図︵式︶ 法華文化研究⌒第四十号

(5)

       ロリワ

−V︶すなわち︑カント批判論の目的は︑知的・道徳が心内・社会に じ発達するかを問う事実問題︵quid facti︶にで はなく︑知識は如何なる権利根拠によって客観性を主張しうるか︑

道徳の法則は如何なる根拠で行為を規定する道徳性たりうるかを 問う権利問題︵Ω⊂己巳ris︶にある︑という

      ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  へ・ Yogacarin・世親唯識の目的は︑むしろ知識が心内に如何に生

じて展開するかを問う事実問題にあるのではないか カント哲学は︑理性偏重主義ないしヴォルフ系の啓蒙哲学の独 断論的傾向に対する反省・批判を通して︑理性の限界を定め許さ

る範囲に︑その権利を確保するという意味で︑啓蒙哲学の完成 を示す︑と見倣しうる一︑

了︶即ち︑認識問題について︑ヒュームなどの先天的分析的︵︹蒙ニペー

 tisch︶ ge天的 ︵a posteriori︶総合的なるに対して︑先天的︵①

 priori︶sc︿a的 ︵synthetisch︶なる判断︵11数学や自然科学で

事実認識︶が如何なる根拠によって可能であるかという権利問 を問う//

亘 これに答えて︑認識の先天性である普遍性・必然性を説明する

ために︑主観が客観に準拠するとする主客の関係を逆転せしめて

       コ  ヘ ア  ニ あイ   ニ  ノ   

客観が主観に準拠する︵1ーコペルニクス的pa回kopernikanische

  ト  ェ  ノ ヘ ロ  ン ラ

Wendung︶として︑知識に形式と素材とを区別して︑形式が認 を成立せしめ認識の対象たる客観を可能ならしめる根拠である︑

比較哲学の根本問題︵その五︶︵伊藤︶

 と︹11認識形式である因果関係のもとに始めて客観世界も成立す

るという観念論をもって︶する

   ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  へ5 客観が主観に準拠するという︵コペルニクス的転回︶のは︑世

      ヘ   ヘ   ヘ   へ fi唯es ︵Yogacarin︶ G主張する唯識無境︵11三界即唯心.十ニ

        ヘ   ヘ   ヘ   へ

有支皆依一心 唯識有境︶の学説への転回に類通し対比されよう︑

 これ︑要処である

   ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ       ヘ  ヘ  へ6 認識の先天性である普遍性・必然性とは︑識のtw﹀F ︵bija︶に

類通するも︑種子は自業の果報の増上力〜vakaima−

 ≦冨六.注巨℃N言巴でもある業の薫習による習気︵vasana︶をも

 つ点に着目を要する一︑

6 認識の対象たる客観を可能ならしめるとは︑種子として生起し

として似現︵鋤bh⑩sa︶すること︵すなわち識の転変

 vijfi①na−paユrpama︶に対比される︐

これ︑要点である︐

カント認識論と世親唯識説とを比較すると︑第三十七・三十八

 図の如vになる/.

4︑斉一ということでの比較 カントにおいてはr自然の斉一﹂の原理とは︑自然界には同じ条

件のもとでは︑同じ現象が起こるということである.この原理ある

により︑帰納科学の知識は確実性を保持しえている︑という.

(6)

      法華文化研究︹第四ー号一 なわち従来の模写論的自然観は︑自然界の事物︵11三

界諸法﹀の間に客観的な﹁自然︹11諸三界法︶のrc﹈ ︵=

真如法性こが成り立っており︑これを主観がそのまま写す

ことが客観的真理を与える︑と主張する.

 ﹁理性の斉一﹂の原理とは︑理性的主観︵11唯識︶が自然

という実体︵11三界ご已合竺三∧﹃諸法巳言;ぱ二ごから因果

法則性︵11実相巳9﹁己巴竺を汲みとる︵11自然の斉

I原理︶のではなく︑主観における理性︵日唯識︶の自

然現象︵11諸法︶を構成︵日似現︶する先天的形式︵11種

子︶のもつ因果性である︑

その構成の仕方︵11唯記識性︶に合法性︵日釜三く竺あ

りとするのである

るに︑カントの構成的自然観は︑多くの.N観 ︵=認

識︶の間に﹁理性→唯記識︶の斉一︵目似現性二が成り

るから︑1つの客観的自然︵⊥二界・諸法︶が認

られるとして︑主観︵11記識︶の構成︵11転変℃三三雪三・

似現﹇﹁三己竺11s≦σ︸5°・已巳含11℃竺三旨び三作ff ︵=唯記識

      あらわ性ぐご己巳−己竺﹁竺口︶なしには客観︵11諸法︶も現れない︑

と主張する

なお︑筆者は︑唯識似現の斉一性の根拠を説明しうるも

として︑共通せる各自の業の果報の増上力︵c︒①∋鋤コ旬

カント認識論のコペルニクス

的転回図

   コペルニクスの  地動説的体系(カント)

し・   雅

v、t x

  王 観   Vt−x

\∫∫s㌦

     、       t

アリストテレス=プトレマイオスの      天動説的体系

        、、、、−sl∫

︐/

 ./

◎ l︶﹈・

       ︑      ︑         ︑         

        ︑        

       ︑                  ︑

クス的転回図

t tt

〜s2rxVf/

  一

      れ     

蓬識如

〜王贋〜〜

f︵唯記璽∫\

/しン\\

   法貝       

      ー      

       

       こノ オ      ロ    バ

  客璽  へ

 ︵壬寺自性︶ \

 ︐        イー+了      ︑   ノ        /      \

イ       ︑

(7)

sv ak

arma−vip鋤k鋤dhipatya︶なる用語概念に着目する︐

ると︑第三十九・四十図の如くなる︐

       ロ  け 5︑カント認識論と世親唯識説とを要点比較す 次に本田書におけるカントの認識論の図解を︑少しく改変して

示すと︑第四十図等の如Vである

論述文面は山崎論文等に重複し簡約なので過半を省略して取要す

る=

      ロシ 前提として︑カント認識論と世親唯識説とを対比して︑比較の要 を示すと︑左の如し︐

了︸カント認識論において︑広義の理性には︑感性と悟性とがあり︑

狭義の理性がある一.

         ンノじピ ぷノィ 

← その中︑感性︵Oc一三三∩三︵つ三は︑受動的な能力であり︑直観を 作用として時間︵の前後︶空問︵の配置︶を先天的な形式として

覚的な素材を受容する

8 感性とは︑唯識説の五塩の中︑楽・苦・不苦不楽の領納を作用

 ︵=感受作用︶とする受︵<Φ○③⊃鋤︶に類通する︐

      ノも  ロよヰつ

と倶生する身受︵k鋤yik鋤 vedan鋤︶が空間︵の配置︶を︑

意識と倶生する心愛︵caitasiki v°︶が時間︵の前後︶を︵先天 的︶形式として感受するのではないか︐

ctC︶vesc ︵Verstand︶は︑能動的な能力であり思惟︵判断︶を作用

      比較哲学の根本問題︹その五︸⌒伊藤︸

として︑︵分︶量・︵性︶質・関係・様相の観点から︑いずれかの 式カテゴリー︵ス筆め碧ユ§純粋悟性概念︶を先天的な形式 として認識する.

1 カテゴリー︵範疇︶は︑先天的総合的な認識を可能せしめる根

として︑客観世界に妥当する形式である︵1ーカテゴリーの先験

     フ ンスノ ニ ノヨア ノプ しレ  ゴア ト  フノノす コン

的演繹一寒5総2己つ三︹三・Oa⊆π︷5口による﹀から︑感性受容の現  象という経験的直観の範囲に限られる一〒

9 悟性とは︑想︵⊃・︹三三竺薔と識︵くご日コ巴とに類通する一想       ま と め

は︑諸法の相己己三巴︑名百ロ己凶巳・wt ︿artha︶を仮合して覚        ヘ  へ 11解︶して︑尋三↓昌ζ︶・伺︵≦9日︶の因となることを作 用とするから︑何らかの意味で︑カテゴリーを覚知しうる.

dしかし︑識︹11前六識︶は︑所縁の了別︵O巨ゴσ︹己午くご日℃二︶

       なるもの

を作用として︑色等の境の事ε﹁9ぐく巴のある限り︑そのすべて を識別する︵℃日巳之+Sコ竺から︑カテゴリーを認識しうる.︑

 ことに︑悟性は︑前六識の中︑法境を所縁とする第六意識︵∋①⊃o−

 vijfi鋤na︶に相当しよう..

   

法とは︑任持自性︵11自性を任持するもの︶・軌生物解︵11軌範

       ヘ      へ

となって事物の理解を生ぜしめるもの︶の二義をもつ.法︵境︶

とは︑軌生物解の義よりすれば︑認識の標準となる軌範︵カテゴ リ−︶を意味する︐

10 義のrwsu ︵Vernunft︶とは︑イデー︵理念︶にかかわる高い

      七

(8)

法華文化研究⌒第四十号  図 西哲認識論における﹁自然の斉一﹂と﹁理性の斉一﹂

構成説(カント)

模写説

t l /

王i観−+

 / \

 \ /

客一観1−﹀

 / \

 .心 き/

\.

iy︐◎\ts

4

◎︐.

ノ1

四十図 仏教認識論における﹁諸法の斉一﹂と﹁唯識の斉一﹂

構成説1カントの構成論的自然観.

}莫 弓:見  =季莫二EJ:EgtiL自勺自タ長雀見.

橿螂一

↓/渡

諸}

客見←(似王)

  \1⑳

   /

主観

(真如

k

諸法 客観 実相

 tt

   題見識

如観闇

  マ      ム  

 真主倥

諸法 客観 実相

?iil の 煮

(9)

 思考能力である.

11理論︶ewsu ︵reine Vernunft︶とは︑定立.反定立と

         ヘ ノエ ノ ミ       みんちヘ     ヘ ヘ ヘ へ いう解決不可能な二律背反の誤謬に陥凹する推論能力である︐

 S+K践twsu ︵Praktische V°︶とは︑最高善の実現を求めて止ま

    ヘ   ヘ   ヘ   へ

ない意志能力である

9

識において︑理性に対比されうるのは︑第七末那識︵竺曇亨

 man︹二忌己工くこコ営工染汚意と名くる識︶11意三≦邑o︶であろう

それは︑阿頼耶識を所縁⌒tilambana︶として常に我擬︵襲︵己午

 moha︶ 我見︵筑.−合¢三・我慢︵コ゜ニゴ雪巴・我愛︵助.法山合巴等と相

る識であり︑一類に相続して随転する︑という︑

性は︑末那識の我擬・我見に相当する︐

性の最高善を求める意志能力は︑我慢・我愛に相当する

 かもしれない

否︑むしろ︑それは︑別の体系である華厳十地の菩薩行

 ︵bodhisattva−cary2i︶における仏智を求め︵ひ戸己α言−言巴5⊆言竺︶︑

     はニめ

を首とする︵ヨト己竺£﹁二言−U﹇二く凶︼づ窒己巴発菩提心︵σoOコ+

 citt6tpada︶ないし願行 ︵pranidhana−cary輌︶に相当するのか

 もしれない判然としない.

もって︑第四十一・四十二図の如vに︑図解して比較できよう一

問題︹そのki︶ ︵伊蔭︶

6︑カント認識論を再確認する 別な形で確認しよう︐

カントの批判︵哲学︶は︑超越論的︵‖先験的︶観念論︵ご9コ゜・︹§−

dental idealism︶とも云う.

的というのは︑経験認識の対象そのものに関して云うので

はなく︑対象を認識する︑その仕方に関して云うのである︑

即ち︑悟性の先天的形式が関係することを︑かく云う︐

間と時間とは主観の直観形式であり︑事物の形や持続は主観が

感覚に与えた枠組みであるから︑超越的観念性を持つからである

カントは︑この対象そのものを﹁ss自体 ︵das Ding an sich︶﹂

と呼ぶ一.それは︑認識にとって不可知なものとする︑不可知論に立

ある一

また︑認識が成立するというのは対象そのものである不可知な

物自体が与える︵11から触発きN一零つコされる︶感覚を素材として︑

的な諸形式が働くことにより︑自然という現象が構成されるこ

とを意味する.

ち︑超越的な構成論として唯現象論である一 別言すると︑事物は︑一往︑経験上︑存在する︑しかしその実在 は︑再往︑超越的な主観の観念的︵日悟性の諸形式︶な働きに基 される︑とする︑いわゆる︵認識論的︶観念論である︑

 感性的な空間・時間の多様は︑悟性の先天的形式であるカテゴリー

(10)

      「(後天的内容)……感覚          「感性;直観の能か受容性)二(先天的形式)一鵠

       一量のカテゴリー 認識能力1=理性〕

      質のカテゴリー          一悟性=思惟・=概念1の能ノJ……(先天的形式)一

      関係のカテゴリー        (自発性1        [12カテゴリー1

       一様相のカテゴリー

         一理性麟巖二欝獣二㌶ノミー

四十一図カントの認識論 法華文化研究⌒第凹十号︸

認識

(後天的内容)

受=領納を作用とする一

  (vedana)

(vil負apti) (先天的形式)

楽・sukha ・苫ヨdulユkha.・不苦不楽

  、 asukhadubkha ・iを領納する

愛1 tl−51〕a の因となる

識の差別により六識と六根との触

  ・sparSa.より生ずる六種ある

五識と倶生する身受

  ikayika vedana l;空間の配置1  意識と倶生する心受

  「caitasika N edani =.時間の前後1

(第八)阿頼耶識一一切の行の種子なるもの・sarva−samskara.

 bijaka.であ;)、境のJ 別・vi5aya−、・ijhaptUと名ける1ヒ・転識

 pravlltiへ∵を生じ……生死に流転し……一類として随転する.

 身体を執持するから阿陀那識 adana−v、}とも称する

(先天的形式)

第四十二図 唯識説の認識論

        一諸法の相(nimitta小・大・無量)一        と名(naman)と義(artha)と

想(sarpjfia)一  を仮合して覚知する

                                                                                                    

 =概念の能力?一尋〔vitarkaい伺1、 icara}の囚となる一

        ≡識の差別により受の如く六種ある一

       一・L・イく†目[芯イ〒 (citta−viprayukta−s.〕

「一前六Ue−一所縁を了別する〔alambana−vijnapti 1

(第七)末那識c klista−mano nalna v,1一阿頼耶識

  c,i laya−v,)を所縁〔alambana)として我髭(atma−

  mohaい我見〔−dl・$li}・我愛Lsneha〕等と相L己1を

    ユ  づ

    ハQ

行(sam、ka,a)二⊆概:行lcitta−・a・P・ay・kta−s. 

境に対して 相を執持する

(vi$aya一

nimit6dgrahana)

受・想を除く心所法

〔caitasika)

第六意識

(mano−vijhana)

L−

法境を編とする1

       

      

       

      

       

      

       

      

       

      

       

      

       

      

       

      

       

      

       

      

       

      

       

      

       

      

       

      

       

      

       

      

       

      

       

      

1

      カテゴリー(_任持自性・軌生物解)を識別する       六境($aq−vi§aya)を識別する(prati−vi−〜 jfia)

濫嶽蹴二鑑a㍑⊇;蕊・ha、,

      一択滅1 pratisarpkhy,i −n.・=浬繋 nirvana I

      一真如([athata ,=dharma:〕alp dharmata=dharma−nairatmva.ではない

・穂処界説は三種の我執(一性我執ekatva.g,受9一我執bhoktrtva−g,.作者我執kartrty・a−g.)を 対治する [ri−vidh atma−graha−pratipaksa ]ために説示されたものである,

(11)

役目を要する︑また︑因果性の時間図式の目安が必要になる︑

ち︑ここに受容的感性と自発的悟性とをつなぐ超越論的構想力 る.

その構想力の総合は︑純粋自己意識としての超越的as︷R ︵taran−

szentale Apperzeption︶ g統一作用である この主観の統一作用において︑﹁我は思う﹂という自覚︵11自意

    われ識︶が︑我のあらゆる表象に伴うというのである.

カントは︑ライプニッツの﹁モナド︵単子︶のうちに素質があり︑

ドのうちから展開する﹂‖﹁モナドには︑窓がないから感性的

観念も⁝⁝理性的観念のうちに素質として含まれている﹂を承けて︑

T験世界そのものは⁝⁝先験的主観が作り出す結果である﹂と云

つ二即ち︑経験世界そのものは︵11世界の叡智的内容イデーも︶︑大量

   ヘ  ヘ      ヘ  へ

覚︵11感性︶から︑︵形式原理としての︶先験的主観︵11悟性・

性︶が︑作り出す⌒=創造する︶結果である︑と云う.

 7︑世親唯識論を再確認して唯識五穂体系図を示す 親はコニ界に属するものは︑即ち唯心である﹂と云う︐

       ヘ   ヘ   ヘ   へ

験世界︵写ど合但ごζ11巳く卿旨留⊆5く呂口讐ごは︑能所二取︵1ー

         ヘ   ヘ   へ

      てへべん   しヨん 根・五境・五識︶として先験的主観→記識くご君℃二︶そのもの

citta−m︐itra = eka−citta︶が︑転変・似現する結果︵子ad idam =

根本問題⌒その五︶︹伊藤︶

乙・︹三日恥ユド帆︼三︶である︑と云うのである−

おいて︑究極的実在︵11真理︶とは︑如何に考索されて

︑  い︐︾しるカ

=︶カントの .純粋理性批判﹄︵大﹁ミキqΦ﹁﹁einen Vernunft 1781.

      ニ づ ノぷ イ ヌ ノラ       プ ス 1787︶によると︑客観のqmaem ︵Erscheinung︶は︑物自体︵●①cリ

 ニ ノ  ノ ァ  ア ン  ノ  ニ Dinge an sich︶ではなく︑形式が妥当して認識の対象となる実

      ヘ  ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  ヘ  へ

H ︵RealitAOであり︑物自体は︑思惟されるけれども︑認識され

   ヘ  へ

ない⌒11認識は感性の所与である現象に限られるから︑経験の範

囲を超えてはならない︶︑とする

7 このssg!I体 ︵das Dinge an sich︶というのは︑世親唯識でい

    ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  ヘ  へ

う不可言なる自体としての仏のLt zapt ︵nirabhilapyen.atmana

 buddhOn鋤ヨ gocarab︶というのに類通する︑

とは︑如来法言三養︹言−合完﹁己芝であり︑唯記識性

 ︵vijコapti−matratva︶ ︵という構造機能︶なる有性︵①⑩完く①実在      あOトニつ

性︶であり︑その︷mb.ev ︵saヨdha = abhipraya︶は︑諸法無自 性二二性三無性﹀であり︑諸法無我︵への悟入︶であり︑諸法の

      ヘ   ヘ   ヘ   へ tl.︷.SS1 ︵dharmΦnamdharmata︶ =ものそのものでもある︐

それは︑人無Cll︿ ︵pudgala−nairtitmya︶ 法無我︵合5巳崇二ごで

 もある

それは︑唯識三十頒︵TrimSika︶の二十八煩の安慧釈による と︑如実の境︵さ三酬工芸﹇二含三一峯︶にして︑自己の心法性︵°・さ芸三苧

(12)

法華文化研究︵第四十号︺

 dharmEitA︶でもある一.

⑬ 先験的統覚11先験的意識とは︑有限な個人的な経験的統覚・意

ち︑それを可能ならしめる根拠であるから︑経験的統覚

 ︵die empirische Apperzeption︶ =経験的︷M4A︐. ︵das empirischo

   ヘ トノ ブの ロペ せ イの ノ Bewul︸tsein︶に対する︑これは︑形相に対する質料の︑権利︵法︶

に対する事実︵法︶の関係にある..

⑭先験的as︷tBl ︵die transzendental︵. Apperzenption︶ S下に感性

的直観によって︑時間・空間の純粋形式において与えられる多様

表象がもたらされて始めて︑多様のsc︿llas l ︵die svnthetit che

 Einheit des Mannigfaltigen︶が可能となり︑それに悟性的思惟が

 働きかけて︑カテゴリーを適用して統=τ与え︑もって対象の認

なる..

⑮ かくして︑先験的統覚とは︑かかる悟性の自発性の主体的作用

ものを意味する.

      で ノヒ    ハ  ノラ フロプ ラ つ⑯ それは︑感性と悟性とを媒介する構epe力 ︵Einbildungskraft想

 像力︶である︑構想力とは形像︵ooild︶を形づくり構想する能力︑

ち︑=対象を︑それが現に存在しなくとも︑直観において表象 る能力﹂︵軍﹂ω︵︶きである

11 ここに示される主観そのものの形相化︵11唯記識H似現︶とし

識の成立過程︵‖識の転変︶は︑世親唯識における識の転

 tset ︵vijfiana−parioama︶を明す唯識の安立︵≦コ③⊃①ーヨ鋤↓﹁①−

図 唯識五穂体系図

kandha i

   (第七)未那識(kli$ta−mano nama v.)一阿頼耶識/. Alava−v.)を所縁(alalnbana)

     として我磁{atma−moha l・我見1−dy$ti  i・我愛1−sneha}等と相応をする.

   (第八)阿頼耶識一一切の行の種子なるもの〔sarva−salpskara−bijaka Jであり、

    境のJ 別〔viSaya−vijl〕aptい と名ける 〔七)転識cpravrtti−v. mano−vijana=

    分別事識vastu−p1−ativikalpa−vijhana)を生じ……生死に流転し・・…・一類として     随転する.身体を執持するから阿陀那識(adana−v.}とも称する.

(13)

 vyavasth輌na︶に類通する 12 即ち︑﹁我思う﹂という先験的統覚日意識は末那識︵ζ芸三三一竺

 コ讐崇;こコ雪竺と意識との仮合の分位に︑その下の感性的直観は

   ヘ   へ

受穂⌒11苦・楽・不苦不楽︑愛・非愛・非二を領納する≦・巳︹三〇ープニ

       ヘ  ヘ       ヘ  へ

と五境を識知する五識とに︑悟性的思惟は想穂⌒u法の相.名.

義を仮合し解知し境に相を執持し取像を作用とする竺巨コ午エしと

   ヘ  へ

意識︵11意根を依所として三世の一切法に対して法境を認識・推 理・追想する∋§9く言芦巳11分別事識︵11現象界の諸種の事物 を認識する作用をもつく①゜・ご−肩︹三く=︿三一︺午く言き竺に︑悟性の︵形

を構想する︶構想力というのは想緬と意識との仮合の分位に︑

それぞれ類通する︑と見ることができよう︑

9 しかし︑いわゆる形像を表象する能力で︑感性と悟性とを媒介

    ヘ ヘ ヘ ヘ  アイノレ しトパンブスンうフト

する構想作用︵□⊃σ一一〇⊆コoqω天﹁①↓↓︶は我執によって能・所を分

       ヘ   へ 妄くIRas ︵vikalpa︶ g概念に類似する︑

近時︑この分別に対する現代訳語としてカント哲学訳語の構想

   ヘ   へ

作用の成語が転用されている︐これは︑一考を要する 9また︑構想作用をもつ構想力は︑潜在的形成力として働く行穂

 ︵saヨsk鋤ra−skandha︶に相当するかもしれない一

       ごこ

もって︑唯識の五緬説を図解化すると︑第四十三図の如し

哲学の根本問題︷その五︸⌒伊藤︶

      ヘワ 8︑カントの認識体系と世親の唯識体系とを比較する 図を踏まえて︑認識の成立過程を比較して図式化すると︑

第四十四図の如Vなる

第四十四図 認識成立過程比較図

K・←

段階

段階

第二段階第三段階 を感性と悟性との中間に介在せしめて考えると

カント認識論世親唯識︹転変似現︶

おける覚知︹﹀三己巳ズ︑コーヲエ2>5︹㎡三⊆三完︶

における再現ヘカ2≒︵︶匹三で己工隅丙己三己5恒︶

窺︵samskara−skandha︶W想羅︵sarpjfi鋤あkandゴa︶廿意識︵mano−vunana︶

における再認︵πつ六〇蛤コ一−巨野拾︐ぼつ︶

      のハシ18︶カントは︑再現︵﹇We︹○○⊆ごδ三・再認識︵琴六〇頂三三︶三とい

う受動的な面を斥けて︑悟性的認識能力の自発的能動性を強調し

個人的形相を明確化する

19﹁先験的統覚の統一とは︑意識の主観的統一ではなくして︑対象

に関わる客観的統一である

⑳ 感性に対する悟性⌒の︶作用として︵ある︶構想力の自発的能

力性は︑︵再生構想力と区別される︶産出的構9fe力 Cdie produktive

 Einbildungskraft︶である

(14)

法華文化研究︹第四十コ?

21︺先験的統覚による感性的直観における多様の総合こそが︑覚知

      のド ラ     ヒ マ    ら  ノ フ       ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

のsc︿ukiy−Sり︑知︷R ︵Wahrnehmung︶は覚知の総合に基づく らも︑感性に対する悟性の自発性︵け先験的統覚︶に基づ  vc

E l︶先験的統覚︵‖構想力︶によるカテゴリーの使用によって︑自 然の客観的対象界の構成が︑すべて可能になる 14 ⑳二21に云う悟性の構想力の自発的能力性なる︵対象界の構成 を可能ならしめる︶産出的構想力とは︑識の転変︵≦コ⑩⊃①ー

       ヘ   ヘ       ヘ   へ parirpama︶なる︵諸法を分別11構想する︶妄分as ︵くikalpa︶に

 相当する//

産出的構想力として働くものとして︑五蓋説ないし十二有支縁

における行︵°・︹已まζ﹇竺が指定されもする とは︑十二有支説において︑心のswNn ︵bija︶を植えて生成 を起すもの︑業の異熟︵百﹁己午く一▽笑巴︑識の依事︵くごコOヨー≦乙・ρ一︶︑

熟・識を現起せしめるもの︑業道=ζ﹁ヨ苧≦三ヨ︹一三を断じな

      ロ  ヤ いものである︑と私見する一

       ヘ   ヘ   ヘ       ヘ   ヘ   ヘ   へ

15 ・15には﹁先験的統覚とは︑悟性の自発性そのものである﹂と云

       ヘ   ヘ   ヘ       ヘ   ヘ   ヘ   へ

う.しかし︑カントは先験的 すなわち悟性の自発性そのものを 特徴づけ性格づける先験性の生成と作用との源泉を究明してはい ない 悟性の自発性そのものを可能ならしめるものとは何か

        ヘ   へ

実体︹一頼耶︶と生成︵・転変︶と作用︵似現︶とを解

 明しえていない

       ヘ   へ

れを解明するもの︑それは世親唯識の説示する頼耶転変似現

       ヘ  へ

 説・業薫習種子説である︑と愚考する 16 なお︑カントは︑美的判断力の批判をなして︑美的趣味判断は︑

多様を綜合する構想力︵Einbildunoskraft︶と概念を統一

       あパ      はたヤつ lvsKPveigd ︵Verstand︶とが相互に相合致し調和して働く︑自由

なる遊戯活動︵ヲ・テ乙ら巳︵三という心の状態に基づく︑とする︵\ぐ﹇

 tik ︷ieこ\ミ募ミミざ蹴︷︶ー一ご

は︑これに如何に応答しうるのであろうか.︑

25・悟性は︑その概念および原則に関して経験的使用︵巳め﹁

 empirische Gebrauch︶をなしうるのみで︑先験的zzff ︵der tran−

 szendentale Gal﹈rauch = deこranszendente Gebrauch超験的使用

 =ssMI 1S Dinσe an sich se一bstに関わる場合を意味する︺をな

 しえない︑という

    ヘ   ヘ      ヘ   ヘ   へ

17 悟性は︑概念を分析する能力であり︑物自体に関わる能力は︑

実践理性である

    ヘ   ヘ       ヘ   ヘ   ヘ   へ

と純粋理性とは︑分別︵vika一pa︶をなす頼耶の転識であ

る末那識・意識と想羅とに相当する

    ヘ   ヘ   ヘ   へ

L実践理性は︑真如︵tathata︶を覚知する根本無分別智に相当  するか ﹁究寛一wa︵0+l$tiS︐e.﹄ ︿Ratna−gotra−vibhaga−ミahayan6ttara−

参照

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