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清 末留 日中 国人学 生 と愛 国意 識 の高 揚

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清 末留 日中 国人学 生 と愛 国意 識 の高 揚(高 橋)29

清 末留 日中国人学生 と愛国意識 の高揚

一 牧 口常三 郎 著 『人 生 地 理 学 』 を 中心 として 一

高 橋

1.序

2.愛 国 意 識 形 成 の 要 因 3.実 業 に よ る産 業 救 国 4.教 科 書 に よ る教 育 救 国

5.新 知 識 に よ る科 学 救 国 6.結

1.序

今 か ら約100年 前 の20世 紀 の初 頭 、 中 国 か ら 日本 へ の 大 き な 留 学 の 波 が 起 こ っ た 。 最 盛 期 の1906年 に は1万2千 名 に達 した と言 わ れ る。 もち ろ ん留 学 の 目的 は多 岐 に渡 ろ うが 、 大 半 は 中 国 に 先 駆 け て 近 代 化 に成 功 した 日本 の 経 験 を学 び、 中 国 の近 代 化 促 進 に 資 す るた め で あ っ た。 日本 の経 験 を、 あ る時 は 学 校 で の 講 義 か ら、 また あ る時 は新 聞 雑 誌 や 書 物 か ら、 さ らに は 日常 生 活 の 見 聞 の 中 か ら等 、 精 力 的 に 吸 収 して い っ た 。

当 時 中 国 が 置 か れ て いた 国 内 外 の 情 勢 は 、 清 朝 政 府 の 弱 体 化 、 日本 を含 め た 西 洋 列 強 に よ る中 国 分 割 の 危機 等 、極 め て複 雑 で 深 刻 で あ っ た 。 そ うで あ る が 故 に 、 留 学 生 の 中 国 に対 す る心 情 は深 ま り、 愛 国 意 識 も高 ま って 行 っ た と考 え られ る。 列 強 に 仲 間 入 り し、 中 国 に 対 し勢 力 を 拡 大 し よ う と して い た

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日本 に滞 在 して い る が 故 に、 そ の 意 識 は更 に 強 くな っ て い っ た と思 わ れ る。

本 稿 は 、 ま ず 愛 国 意 識 形 成 の 要 因 を3つ の フ ァ ク タ ー 、 即 ち 日本 フ ァ ク タ ー 、 中 国 フ ァ ク タ ー 、 新 知 識 フ ァ ク タ ー か ら概 観 し、 次 に そ の 愛 国 意 識 が 個 々 の 事 例 に どの よ う に反 映 され て い る の か を分 析 しな が ら、 留 学 生 の愛 国 意 識 の 高 揚 を 考 察 す る。

個 々 の 事 例 と して 本 稿 が 取 り扱 うの は 、 牧 口常 三 郎(創 価 教 育 学 の 創 始 者 ・創 価 学 会 初 代 会 長 、1871年 一1944年)著 人 生 地 理 学 』(1903年10月 版)の4種 類 の 中国 語 翻 訳 編 集 版 で あ る。

牧 口 は1904年 か ら1907年 に か けて 、 留 日中 国 人 学 生 の 多 くが 通 う弘 文 学 院 (後 に 宏 文 学 院 に改 名 、1902年 一1909年)で 地 理 学(「 人 生 地 理 学 」)を 教 え た 。 同 「人 生 地 理 学 」 の 内 容 は 、 牧 口 の 講 義 を受 講 した 江 蘇 師 範 学 生 に よ っ て 、1906年 に 江 蘇 省 の 教 科 書 『江 蘇 師範 講 義 ・地 理 』 と して 翻 訳 編 集 さ れ 出 版 さ れ た 。 翌 年1907年 に は 『最 新 人 生 地 理 学 』 と して 全 訳 が 、1909年 に は 弘 文 学 院 出 身 の 凌 廷 輝 に よ り 『人 生 地 理 学 』 と して 翻 訳 編 集 さ れ 出 版 され た 。

人 生 地 理 学 』 の最 初 の翻 訳 は1903年 で 、『漸 江潮』 に部分 訳 が掲載 され て い る。 『人 生 地 理 学 』 は 出 版 直 後 か ら、 留 学 生 に 注 目 さ れ 始 め た とい う こ と に な る。 こ れ らに は、 い た る所 に翻 訳 編 集 者 の 見 解 が 追 加 され て お り、 当 時 の 留 日学 生 の 日本 や 中 国 や 国 際 情 勢 へ の 心 情 や 認 識 を理 解 す る 上 で 、 大 変 に 貴 重 な 資 料 とな っ て い る。

2.愛 国意識形 成 の要 因

(1)日 本 フ ァ ク タ ー

近 代 中 国 の ナ シ ョナ リズ ム の 勃 興 に は 、 二 っ の歴 史 的 過 程 が あ る と言 わ れ

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る。 一 つ は清 末 以 降 の 中 国 と、 先 行 して 近 代 国 家 に な っ て い た 国 々 との 交 流 で あ る。 留 学 生 の 日本 へ の 派 遣 は 、 中 国 ナ シ ョナ リズ ム の 勃 興 を 刺 激 す る象

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清末 留 日中 国人学 生 と愛 国意 識 の高揚(高 橋)31

徴 的 契 機 の 一 つ で あ る 日清 戦 争 勃 発 後 の1896年 に 始 ま る。 洋 務 派 官 僚 の 張 之 洞 が 「一 年 間 の 洋 行(留 学)は3年 間 の 読 書 に勝 る」 と述 べ た よ う に、 改 革 を 担 う人 材 の 育 成 に は 留 学 が 効 果 的 で あ る と考 え られ て い た 。 初 め は十 数 人 程 度 に過 ぎ な か っ た 日本 留 学 生 は1905年 に8000名 、1906年 に は1万2000名

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急 増 した。

実 藤 恵 秀 は 、 中 国 人 留 学 生 の 観 念 に つ い て 次 の よ う に捉 え て い る。"来 日 前 は 、 郷 党 観 念 は強 い が 、 国 家 観 念 ・民 族 観 念 は 弱 か っ た 。 しか し 日本 に 生 活 す る こ とに よ っ て 、 変 化 せ ざ るを 得 な か っ た"と 。 そ して そ の変 化 の原 因 と して 、 積 極 的 原 因 と消 極 的 原 因 を あ げ て い る 。 積 極 的原 因 は、 日本 人 の 愛 国 心 に刺 激 され て 、 これ を 移 入 し よ う と し た こ とで あ る。 梁 啓 超 は 「祈 戦 死 」 とい う文 章 の 中 で 、 日本 の 出 征 軍 人 を送 る 幟 の 文 句 「祈 戦 死 」 を見 て 、

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深 く感 動 した こ とを 述 べ て い る。

穂 積 八 束 『国 民 教 育 愛 国 心 』 の翻 訳 が 北 京 大 学 堂 書 局 か ら発 行 され 、 教 科 書 と し て 使 用 さ れ た り、 また 日本 の 愛 国 者 の 伝 記 も多 く翻 訳 さ れ た 。 例 え ば 、 『吉 田松 陰 遺 墨 』(国 民 叢 書 社)、 『日本 七 十 三 義 侠 伝 』(神 戸 、 東 亜 書 局 1898年)、 『日本 近 世 豪 傑 小 史 』(商 務 印 書 館1903年)、 『日本 維 新 人 物 志 』(金 港 堂1903年)等 。 これ らは 、 直 接 的 に 中 国 人 を刺 激 し、 愛 国 心 や 民族 意 識 を

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育 て て い っ た 。

消 極 的 原 因 とは 、 日本 の 対 中 国 侵 略 政 策 や 日本 人 の 中 国 人 軽 蔑 で あ る。 日 本 人 が 中 国 人 を軽 蔑 して 呼 ぶ チ ャ ン コ ロ と い う言 葉 は、 日本 人 の側 か ら も

閉 口 す る」 とか 「我 慢 で き な い 感 情 」 と指 摘 さ れ て い る。1905年 日本 政 府 は 清 朝 政 府 の 要 請 を 受 け 「清 国 留 学 生 取 締 規 則 」 を 公 布 した が 、 留 学 生 は

「日本 政 府 は 僕 ら の 人 格 を 尊 重 しな い 」 と反 発 し、 帰 国運 動 に まで 発 展 し

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た 。

以 上 の 分 析 を通 し実 藤 恵 秀 は 次 の よ うに 結 ん で い る。 「そ の 愛 国 心 は 、 日 本 が 直 接 、 間 接 に 教 え た もの で あ る と も い え る。 た だ 、 そ の 愛 国 心 に よ っ て

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抵 抗 され た の は、 ほ か な らぬ 日本 で あ っ た と こ ろが 悲 劇 で あ る」 と。

(2)中 国 フ ァ ク タ ー

1890年 代 か ら20世 紀 初 頭 にか け て 中 国 で は 、 亡 国 の 危 機 、 瓜 分 の 危 機 が 問 題 に さ れ 、 救 国 こ そが 知 識 人 の 課 題 とさ れ て き た。 日本 に 留 学 して い る が 故 に 、 こ の救 国 の意 識 が 更 に 高 ま る中 、 義 和 団 戦 争 で 出 兵 した ロシ ア 軍 が 東 北 地 方 に居 座 り侵 略 行 為 に及 ん で い る こ とに 憤 慨 し、 留 学 生 は1903年 に 東 京 で

赴 敵 致 死 」 の 拒 俄 義 勇 軍 を 結 成 し抗 議 した。 清朝 は こ の 運 動 を 革 命 派 に よ る策 動 と受 け止 め 、 東 京 の 拒 俄 義 勇 軍 を解 散 させ 、 上 海 や 北 京 で 開 催 さ れ た 反 ロ シ ァ集 会 を解 散 させ た 。 これ を 知 っ た 留 学 生 は も は や 清 朝 に未 来 は な い

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と考 え、 革 命 に参 加 す る よ う に な っ た とい う。

斉 藤 道 彦 は、 この 拒 俄 運 動 に お け る留 学 生 の 意識 の 変 化 を次 の よ う に捉 え て い る。 当 初 は、 清 朝 中 国 の 「国 民 」 とい う意 識 で も っ て 、 清 朝 が ロ シ ア に 抵 抗 す る こ とを 求 め て い て 、 漢 族 に 限 定 され た 「中 国 」 で は な く、 また 華 夷 意 識 も認 め られ な い 。 しか し清 朝 の運 動 抑 圧 策 に対 して 、 運 動 側 か ら反 発 が 起 こ り、 「わ が 漢 種 」 と い う漢 族 意 識 ・「排 満 」 論 が 表 明 され る に至 っ た 。 そ して この 漢 族 意 識 ・「排 満 」 論 へ の 転 換 に 、 主 導 的 役 割 を 果 た した の が 郷 容 の 『革 命 軍 』(1903年)で あ り、 時 期 的 に は1903年5月 か ら6月 こ ろ で あ っ

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た と指 摘 して い る。 な お 清 末 民 初 に大 い に流 行 した 「人 種 」 とい う新 知 識 、

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そ れ が 近 代 中国 の 民 族 意 識 の 形 成 に お よ ぼ した 影 響 も無 視 で きな い 。 斉 藤 の 次 の 記 述 は この 転 換 を 絶 妙 に 表 現 して い る。 「革 命 軍 』 は 『排 満 』 意 識 の 起 爆 剤 とな り、 劇 薬 の ご と き効 き 目で 清 朝 『中 国 人 』 意 識 を分 解 し、

清 朝 と 『中 国 』 を分 解 させ 、 清 朝 『中 国 』 の 『国民 』 と して の恥 辱 感 を漢 族

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と して の恥 辱 感 に転 換 させ た の で あ っ た」。

この 「排 満 」 論 は 排 満 革 命 論 者 た ち に よっ て 、漢 族 の 民 族 意 識 と誇 りを確 立 ・普 及 す る た め に、 漢 族 は 「黄 帝 の 子 孫 」 あ る い は 「炎 黄(炎 帝 ・黄 帝)

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清末 留 日中 国人 学生 と愛 国 意識 の高揚(高 橋)33

の 子 孫 」 で あ る こ とが 強 調 し始 め られ た 。 『黄 帝 魂 』(1903年)の 出 版 は そ の 先 鞭 とい わ れ る。 『民 報 』 創 刊 号(1905年)の 刊 頭 に は 黄 帝 の 肖像 が掲 げ ら れ 、 その 上 に 「世 界 第 一 の 民 族 主 義 の 大 偉 人 、 黄 帝 」 と書 か れ 、 肖像 の 下 に

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は 「中国 民 族 開 国 の 始 祖 」 と書 か れ て い る。

秋 理 集 』 に よ る と 「黄 帝 紀 元 大 事 表 」 が1903年 に 発 表 さ れ た。1904年 に 華 興 会 に 参 加 した 宋 教 仁 は 、 同年 、 清 朝 皇 帝 年 号 を使 う こ とを 拒 否 し、 黄 帝

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紀 年 を用 い る こ とを主 張 して い る。

(3)新 知 識 フ ァ ク ター

近 代 中 国 の ナ シ ョ ナ リズ ム の 勃 興 の 二 つ 目 の 歴 史 的 過 程 は、 西 洋 の 「 族 」、 歴 史 と地 理 、政 治 と法 律 と い っ た 新 知 識 ・新 思 想 ・価 値 観 の 中 国 へ の

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伝 来 で あ る。

留 学 生 は 日本 で 、 そ れ ぞ れ の 専 門 分 野 で 精 力 的 に新 知 識 ・新 思 想 の 吸収 に 取 り組 ん だ。 そ の こ とは、 現 在 残 され て い る彩 しい数 の 翻 訳 書 や 講 義 録 、 雑 誌 な ど に 掲 載 さ れ た 論 説 に よ っ て 知 る こ とが で き る。 梁 啓 超 は亡 命 後 、 「 日 以 降 、 日本 書 を博 捜 して読 む と興 味 津 々 と して 応 接 に暇 な く、 自分 の 頭 脳 も そ の た め に変 わ り、 思 想 言 論 も別 人 の よ う に 一 変 した 」(「汗 漫 録 」)と 述 懐 して い るが 、 同様 の 思 想 的 体 験 を ほ とん どの 留 学 生 た ち が 共 有 した こ とで

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あ ろ う。

1896年 か ら1911年 に か け て 、 日本 書 の 漢 訳 は958種 類 に の ぼ り(実 際 は更 に 多 い と言 わ れ る)、 そ の 内訳 と して 多 い 順 に 、 社 会 科 学(政 法)366種 、 世 界 史 地175種 、 自然 科 学 ・応 用 科 学172種 、 語 文133種 類 等 で あ っ た 。 世 界 史 地 の 多 さ は、 世 界 情 勢 を 理 解 し外 国 の 経 験 を モ デ ル に し、 民 族 覚 醒 を喚 起 す

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るた め で あ っ た 。

留 学 生 の 翻 訳 振 り に つ い て 梁 啓 超 は 、 次 の よ う に述 べ て い る。 「日本 で 新 し い書 物 が 出 る と翻 訳 者 が や や もす る と数 人 出 る とい うふ うで 、 新 思 想 の輸

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Us)

入 は膨 濟 と して 起 こっ た」(『清 代 学 術 概 論 』)と 。

清 末 民 初 に 大 い に流 行 した 「人 種 」 とい う新 知 識 、 そ れ が 近 代 中 国 の 民 族 意 識 の形 成 に お よぼ した 影 響 も無 視 で きな い 。 『地 理 全 志 』 に は 、 世 界 の 人 種 は 白人 ・黄 人 ・紅 人 ・黒 人 ・銅 色 人 の 五 種 に分 け られ る と書 か れ て お り、

人 種 の 挿 図 が 付 され て い た 。 そ れ ら に よ っ て 、 自 ら を 中 国 人 とい う 「黄 族 人 」 と位 置 付 け、 自 ら そ う あ りた い と願 う と い う民 族 意 識 が 次 第 に形 成 さ れ 、 それ が 当 時 の 中国 人 の 亡 国 滅 種 」 とい う危機 意 識 の 重 要 な構 成 要 素 と

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な っ た 。

当 時 、 地 方(省)を 中 心 と した 秩 序 再 建 の 下 、省 へ の帰 属 意 識 を 高 め る議 論 も活 発 化 し、 主 と し て都 市 の 知 識 人 は、 省 一 中 国 一 世 界 とい う広 が り の

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下 に 重 層 的 な帰 属 意 識 を抱 くよ うに な っ て い た 。

留 学 生 が 日本 で 定 期 発 刊 した 雑 誌 例 え ば 『漸 江潮 』 で は 、 毎 号 省 内 の府 の 地 図 を 掲 載 した 。 この 地 図 は従 来 の地 方 志 に見 え る 「輿 地 図 」 の 類 と は 異 な り、 西 洋 の 新 知 識 を導 入 し、 縮 尺 を意 識 して 山 河 ・城 鎮 等 の 地 勢 を そ の ま ま 表 現 して い る。 さ らに 漸 江 省 そ の もの も中 国 地 図 の 中 に位 置 付 け て 、 「府 一 省 一 中 国 」 と い う階 層 性 を 認 識 させ 、 そ れ ぞ れ に 対 す る 帰 属 を確 認 す る 契 機 と して 地 図 が 使 わ れ て い る。 同 誌 は 、 こ の よ うな認 識 の 延 長 と して 、 全 世 界 の 中 に 中 国 を位 置 付 け、 そ して 自 らの省 を そ の 中 に 位 置 付 け よ う と し て い

(i9) る。

新 知 識 ・新 思 想 との 出会 い は 、 自身 の 人 種 と して の 、 ま た 中 国 の 中 で の 位 置 付 を 、 さ らに 中 国 の 世 界 の 中 で の位 置 付 け を意 識 させ(存 在 論)、 中 国 の あ る べ き姿 を も熟 慮 さ せ(価 値 論)、 様 々 な 救 国の 方 途 を 提 起 す る為 の 貴 重 な機 会 を提 供 す る こ と とな っ た。

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3.実 業 に よる産業 救 国

人 生 地 理 学 』 第17章 植 物 」 の 翻 訳 が 、 『漸 江 潮』(第9期 、10期1903年 ll月 、12月)「 植 物 与 人 生 之 関 係 」 と して 掲 載 され た 。 「植 物 与 人 生 之 関 係 」 は 同誌 の 中で は 「実 業 」 とい う項 目 に 分 類 さ れ 、 翻 訳 者 は黄 孫 で あ る。

内 容 は 、 『漸 江 潮 』 に掲 載 され た 各 地 物 産 の調 査 報 告 「紹 興 新 昌 県 」(第4 期1903年5月)、 青 田 県 」(第6期1903年7月)、 湖 州 」(第7期1903年8 月)等 を、 『人 生 地 理 学 』 「植 物 」 の視 点 か ら整 理 し、 次 に そ れ を翻 訳 し、 更 に そ れ に 関連 す る 中 国 の現 状 や 、 翻 訳 者 自身 の 見 解 を書 き加 えた 体 裁 を と っ て い る。 この 追 加 の 部 分 に 、 当 時 の 留 学 生 の 意 識 が 十 分 に反 映 さ れ て い る。

例 え ば 、 『人 生 地 理 学 』 第17章 第2節 工 芸 製 造 用 植 物 」 の 中 に あ る稲 、 麦 、 粟 属 、 豆 類 、 甘 庶 お よ び甜 菜 、 甘 藷 お よ び馬 鈴 薯 、 茶 、 煙 草 、 藍 、 綿 、 麻 、 亜 麻 の 項 目 の 内 、 稲 、 麦 、 豆 類 、 甘 一・‑1、茶 、 綿 、 麻 、 煙 草 の み を翻 訳 し、 桑 を 新 た に加 え て い る。 漸 江 省 の実 情 に合 わ せ て項 目 を選 択 し て い る。

稲 や 桑 の 項 目 で は、"紹 興 酒 は 米 で 醸 造 した もの で 、 葡 萄 酒 と同 様 に称 され

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る べ きで 、 我 が 漸 江 の 富 の 源 で あ る"と 、 ま た桑 の項 目 で は、"我 が 国 漸 江 一 帯 が 最 適 の地 で あ る"等 、郷土 への 自負 が至 る所 に表 現 されて い る。麦や

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甘 薦 の 項 目 で は 、 中 国 へ の 北 ア メ リカ や 日本 か ら の輸 入 状 況 を 紹 介 し、 そ の

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超 過 に 憤 慨 して い る。 綿 の 項 目 で は 、 中 国 綿 の よ さ を 述 べ る一 方 で 、 西 洋 諸

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国 で は 綿 か ら紙 を 作 っ て い るが 、"中 国 は ま だ そ の 域 に 達 して い な い"と い て い る。

また 『人 生 地 理 学 』 第17章 第2節 果 樹 類 」 の 中 に あ る梅 、 柑 類 、 桃 お よ び 柿 、 梨 類 、 林 檎 お よ び葡 萄 等 の 項 目 の 内 、 梨 、 林 檎 、 葡 萄 の み に 言 及 し、

新 た に レイ シ、 龍 眼 、 ミカ ン 、 ザ ボ ン を加 え て い る。 訳 者 は 日本 や ドイ ッ の 実 情 を調 査 し、 次 の よ うな 主 張 を して い る。 「日本 人 は そ の 事 情 を調 べ 果 実 業 を大 い に奨 励 して い る。 薩 摩 の 榿 、 紀 州 の ミカ ン は輸 出 され 、 大 き な利 益

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を得 て い る。 我 国 が も し こ れ を 模 倣 で きれ ば 、 利 を得 る こ とは 莫 大 で あ ろ う。 ドイ ッ人 が 山 東 に果 物 工 場 を 開 き 、安 く各 種 の 果 物 を集 め 、 欧 米 に運 び

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大 き な利 益 を上 げ て い る そ うだ 」 と。

人 生 地 理 学 』 第17章 第2節 森 林 の 生 業 に対 す る 直 接 効 用 」 の 中 に あ る 摺 附 木 、 洋 紙 の 内 、 洋 紙 の み を翻 訳 して い る。 こ こで は 、"上 海 の 書 店 に な らぶ 書籍 の紙 は皆 日本 製 だ と知 り大 変 に悲 しん で い る"、"故 郷 で あ る漸 東 で は竹 林 が 多 く、 農 民 は 多 く製 紙 を して い るが 、 製 品 は 黄 色 で 粗 悪 で あ る" 、

"印 刷 事 業 に 従 事 しよ う とす る者 は

、 異 邦 の輸 入 品 を用 い ざ る を得 な い"と 現 状 を述 べ 、 「新 法 を用 い て 、 粗 を 精 に し、 黄 を 白 に して 、 莫 大 な利 源 を 実 現 させ よ う。 同 胞 た ち よ、 そ の為 に立 ち 上 が ろ う。 我 が 生 活 を豊 か に す る為 に 、 も し再 考 しな けれ ば 、 異 民族 が 我 々 に とっ て代 わ るだ ろ う」 と結 ん で い

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る。 産 業 救 国 の 熱 き心 情 が 表 現 され て い る。

以 上 の各 項 目 に お い て 追 加 され た 内 容 は 、 結 果 と して 郷 土 漸 江 の そ れ か ら 更 に 中国 全 体 に まで 言 及 した もの に な っ て い る。

人 生 地 理 学 』 第10章 海 洋 」 の 翻 訳 が、 『漸 江 潮 』(第10期1903年12月)

地 人 学 」 と して 掲 載 され た。 「地 人 学 」 は 同誌 の 中 で は 「地 理 」 とい う項 目 に分 類 され 、翻 訳 者 は 壮 夫 で あ る。

内 容 は 、 『人 生 地 理 学 』 第10章 海 洋 」 第7節 海 洋 と衛 生 」、 第8節 洋 と産 業 」、 第9節 海 洋 と心 情 」、 第10節 開 明人 と海 洋 」 の 抄 訳 を しな が ら、 訳 者 自身 の 見 解 を 加 え た もの で あ る。 漁 業 や水 産 業 の 振 興 を訴 えて い る 一 方、特 に第10節 の 中 の 「太 平 洋 と列 国」 の 項 目の 部 分 で は、 欧 米 列 強 国 が 太 平 洋 を 舞 台 に して 、 船 舶 や 海 運 等 を以 て 、 制 海 権 、 通 商 権 を め ぐっ て 熾 烈

な競 争 を繰 り広 げ て い る現 状 を 、 詳 細 に紹 介 して い る。

訳 者 は 自 身 の 見 解 の 中 で 、"陸 軍 を 以 て で は な く鉄 道 を 以 て 、 海 軍 を 以 て で は な く、 船 舶 運 輸 事 業 の 勢 力 を 以 て"、"白 人 化 さ れ つ つ あ る支 那 問 題"を

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指 摘 し、 中 国 が"無 限 に 白 人 化"さ れ よ う と して い る危 機 感 を述 べ た り、 ま

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清 末留 日中国 人学 生 と愛 国意 識 の高 揚(高 橋)37

た"中 国 は太 平 洋 上 の 国 家 で 、 太 平 洋 で の 権 限 を有 す る の は 当 然 で あ る"に もか か わ らず 、 そ れ を 実 現 す る為 の海 軍 が 根 拠 地 とす べ き港 が 、 西 洋 列 強 国 に分 割 され て お り、"ど の よ う に して 、 吾 人 ら の 手 に取 り戻 す こ とが で き よ うか"、"英 国 、 ロ シ ア、 フ ラ ン ス 、 ドイ ツ 、 ア メ リカ、 日本 の 各 強 国"の

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力 か ら"自 立 が 出 来 る の で あ ろ うか"等 、 現 状 を 憂 う心 情 が 十 分 に述 べ られ て い る。

な お 『漸 江 潮 』 で は 魯 迅 も、 愛 国 主 義 を 鼓 舞 し た 翻 訳 小 説 「ス パ ル タ の 魂 」(第5期 、9期)、 亡 国 の 危 機 感 や産 業 救 国 の 心 情 に溢 れ た 地 質 論 中 国 地 質 略 論 」(第8期1903年10月)、 科 学 へ の 興 味 を 喚 起 し よ う と した翻 訳 小 説

地 底 旅 行 」(第10期)等 、 多 数 の文 章 を発 表 して い る。

4.教 科書 に よる教育救 国

1906年 に 江 蘇 師範 生 の 編 集 に よ る 『江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 が 、 江 蘇 寧 属 学 務 処 と江 蘇 蘇 属 学 務 処 よ り出 版 さ れ た 。 同書 は江 蘇 師 範 生 が 、 日本 に留 学 し

て い た 際 、 弘 文 学 院 で 牧 口常 三 郎 の 『人 生 地 理 学 』 の講 義 を受 け て 、 仲 間 数 人 の 講 義 ノ ー トを編 集 し教 科 書 と して 出版 した もの で あ る。

同 書 の 「序 」 に は 、 「人 生 地 理 学 。 日本 牧 口常 三 郎 講 義 。(略)講 師 、牧 口 先 生 に は専 門 書 が あ る。 根 拠 が 甚 だ 正 確 で あ る。 そ の 中 で の議 論 も 多 く豊 か で あ る。 編 集 し要 約 を選 ん だ もの で あ る。 以 て 教 科 書 の 用 に備 え る 。 も し全 貌 を見 た い と欲 す る な らば 、 先 生 の 原 著 『人 生 地 理 学 』 が あ る の で 、 参 考 に

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す る事 が で き る」 とあ る。

内 容 は、 受 講 した 内 容 を編 集 した 部 分 に 、 編 集 者 独 自の 見 解 が 新 た に追 加 さ れ 、 計5編21章(原 著 『人 生 地 理 学 』 よ り13章 少 な い)か ら構 成 さ れ 、5 枚 の 地 図 が 付 さ れ て い る。 第1編 第2章 は測 量 製 図理 論 に 関 す る 内容 で 、 こ

れ は原 著 に は存 在 しな い 。 正確 な地 図 作 成 へ の 需 要 の 高 さが 現 れ て い る。 当

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時 は地 図 を通 して の 重 層 的 な帰 属 意 識 の 形 成 が 必要 とさ れ て い た 。 教 科 書 と して 編 集 す る に 当 た り、 そ の 地 図 作 成 に 関 わ る内容 を追 加 した の で あ ろ う。

教 育 的 配 慮 を 感 ず る。

編 集 者 に よ る追 加 部 分 を分 析 す る と、 次 の3つ の 内 容 、 即 ち 日本 に 関 す る 記 述 、 中 国 に関 す る記 述 、 西 洋 と中 国 に 関 す る記 述 に分 け られ る。

(1)日 本 に関 す る記 述:

個 人 と世 界 の 関 係 」 につ い て 講 義 を 聞 き

、"中 国 が 世 界 の 中 で お か れ て い る位 置 を 明 らか に しな けれ ば な らな い"と 主 張 して い る。 そ の 際 に次 の 注 意 点 を指 摘 して い る。"そ の 位 置 を 高 す ぎ て 見 る と、 尊 大 ぶ っ て し ま う。 こ こ で の 弊 害 は驕 りで あ る 。驕 りは 進 歩 が な い。 ま た そ の位 置 を卑 しす ぎ て 見 る と、 臆 病 に な る 。 日本 は 前 者 とい う こ とに な ろ う"と 。 日本 へ の 批 判 が あ る

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一 方 で、"維 新 の 前 、 鎖 国 派 の 者 が 気 勢 を張 っ たが 、 幸 い騒 然 状 態 も長 くな く、 民 の智 慧 は次 第 に 、 自 ら の そ の 地 位 の 所 在 を明 らか に し始 め た"こ と に 評 価 を与 え て い る。 客 観 的 な 態 度 で 観 察 して い る。

世 界 の 体 勢 は、 陸 地 か ら海 面 へ 向 か う」 に つ い て 講 義 を 聞 き、 日本 の 現 状 を 分 析 し て い る。"島 国 の 地 位 は優 勢 で、 人 口が 増 加 し、 収 ま り切 れ な く な る と、 次 第 に 植 民 地 を企 て 、 勢 力 を拡 大 す るで あ ろ う。 日 本 の 侵 略 政 策 は 、 最 近 発 動 し始 め た 。 太 平 洋 は 将 来 大 和 民 族 の格 好 の 舞 台 で あ ろ う、 との

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議 論 が 久 しい"と 。 さ ら に"英 国 に 属 す る多 くの地 は 、 ど こ も優 れ た 地 に な って い る 。 英 国 は そ の 経 営 に力 を 注 ぎ 、 そ の 勢力 の拡 張 は 、 どこまで行 く

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の か推 測 も で き な い"と 、 日本 ば か りで な く英 国の 植 民 地 拡 大 に も警 戒 して い る。 世 界 情 勢 に 極 め て 敏 感 で あ る。

島 国 の 特 質 」 を受 講 して、 日本 人 の 愛 国 心 を想 起 した の で あ ろ う、 日露 戦 争 の 中 で の そ れ につ い て 言 及 して い る。"島 民(日 本 人)は 愛 国 心 を 担 う 以 上 は、 国 家 の 大 事 に 際 して は、 知 って い る こ とは何 で も行 い 、形 式 は足 ら な くて も、 精 神 は余 裕 しゃ く し ゃ くで あ る。 日本 軍 は旅 順 を包 囲 し、 無 数 の

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生 命 を 投 入 して 顧 み な か っ た"と 述 べ て い る。 こ こで の 愛 国 心 に は 、 や や 無 鉄 砲 とい っ た 意 味 合 い が 込 め られ て い る よ う に思 え る。

海 洋 」 を受 講 して 、編 集者 が 新た に商業 との関係 を追加 し、特 に 日本 と 中 国 の 商 業 関 係 に言 及 し て い る。"中 国 は 綿 花 を 日本 に 輸 出 す る。 日本 製 の 布 が 中 国 に逆 輸 入 さ れ 、 そ の 価 格 は 数 倍 に増 加 す る。 故 に文 明 国 人 は 原 料 を 購 入 す る 人 で 、 未 開 国 人 は原 料 を 売 り出 す 人 で あ る。(略)文 明 国 は未 開 国

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を抑 圧 して い る。(略)今 日経 済 の 上 で は 、 結 局 主 従 関 係 に あ る"と 。 (2)中 国 につ い て の 記 述:

半 島 と文 化 の 関 係 」 を 受 講 す る中 で 、 「半 島 は文化 の起源地 で あ る。孔子 が 山 東 半 島 で 生 まれ た 如 く」 との 牧 口 の 学 説 に 触 れ て 、 儒 教 を想 起 し次 の 内 容 を 追 加 して い る。"儒 教 の影 響 は全 国 に遍 き、 近 くは朝 鮮 か ら遠 くは 日本 ま で 至 り、 崇 拝 さ れ て い る。 西 暦944年 日本 は 朝 鮮 を通 して 論 語10巻 、 千 字

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文1巻 を得 て 、 儒 教 と文 字 を 持 ち始 め た"と 。 中 国 文 化 に対 す る誇 りが 表 明 され て い る。

中 国 へ の 誇 り は、 「河 と人 生 の 関 係 」 を 受 講 して 追 加 した 揚 子 江 流 域 の 記 述 に も表 れ て い る。 更 に そ こ で は 日本 との 比 較 まで し て い る。"中 国 揚 子 江 の 灌 概 流 域 は約12万 平 方 里 で 、 日本 の 面 積 と比 較 す る と、4倍 強 で 大 変 に 驚 く。(略)貨 物 の 集 積 は 多 く、 人 口 密 度 も高 い 。 ま さ に ア ジ ア 第1の 大 水 で

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あ る"と 。

(3)西 洋 と中 国 につ い て の 記 述:

世 界 に お け る 自 らの 位 置 を 明 らか にす る」 とい う主 題 は 、列強諸 国特 に 西 洋 との 関 係 に 言 及 す る に至 るの で あ る。 そ の 中 で 特 に 関 心 が 向 け られ た の は、 貧 富 の 格 差 で あ る。 編 集 者 は そ れ を 生 み 出 した 要 因 と して、 工 業 発 展 の 格 差 に注 目 して 次 の よ う に述 べ る。"東 洋 と西 洋 の 貧 富 の 分 岐 点 は工 業 に あ る。 工 業 の 発 達 とは優 れ た もの を製 造 し(原 料)輸 入 の 金 額 が 莫 大 で あ る こ と。 工 業 の 行 き詰 ま り とは粗 悪 な もの を 製 造 し(粗 悪 品)輸 出 の 金 額 が莫 大

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で あ る こ と。(略)西 洋 人 は富 を得 、 東 洋 人 は 貧 を得 て い る"と 。

編 集 者 は 、 中 国 が す で に世 界 経 済 の シ ス テ ム に組 み 込 ま れ て い る こ と を 、 十 分 に 認 識 す る に至 っ た の で あ ろ う。 東 西 の 経 済 関 係 を 次 の よ うに 表 現 して い る 。"商 戦 の 世 に 国 を 立 て 、 政 治 の 上 で 独 立 を主 張 して も、 経 済 の 上 で は 主 従 に属 す る 。 東 洋 人 の 製 造 は 行 き詰 ま って い る。 常 に 原 料 を輸 出 し、 西 洋 人 が 厚 利 を享 受 で き る よ うに させ て い る。 東 洋 人 は 西 洋 人 の 労 働 者 に な っ て い る。 地 理 学 を 語 る者 は、 速 や か に措 置 を め ぐ ら し、 主 権 を 回 収 し な け れ ば

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な らな い"と

主 権 の 回 収 」 につ い て は、更 に言及 が続 き、次 の よ うな提案 も して い る。

"ア ジ ア 人 が 生 来 愚 か とい う こ とで は な い

。 欧 州 人 が 各 種 の 利 器 を発 明 で き た こ と と、 ア ジ ア人 が 古 い 道 に 拘 泥 し、 改 良 を求 め て こ な か っ た こ とに よ る。 今 日 ア ジ ア 人 は す で に 古 き を変 え、 新 し き に従 う こ とが で き て い る の

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で 、 後 日 は必 ず ア ジ ア人 は 欧 州 人 を乗 り越 え追 い越 す こ とが で き る"と 。

5.新 知識 に よる科学 救国

1907年 に 『人 生 地 理 学 』 の 全 訳 が 上 海 群 益 書 局 か ら 『最 新 人 生 地 理 学 』 と して 出 版 され た(7月 に 初 版 、10月 に は再 版 が 出 版)。 翻 訳 は膠 州 湾 に あ っ

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た世 界 語 言 文 字 研 究 会 編 集 部 に よ る。 「白 洋 」 に よ る 「序 」 に、 新 知 識 と し て の 『人 生 地 理 学 』'に対 す る反 響 が 現 れ て い る。

進 化 論 の 影 響 を 強 く受 け て い る の で あ ろ うか、"生 物 の そ の 多 くは 地 球 の 環 境 に 不 適 応 で あ っ た の で 、 そ の 発 展 過 程 に お い て 、 次 第 に その 種 を 消 滅 さ せ て い っ た 。 人 類 は 全 て の 生 命 の 中 で 、 最 も適 応 能 力 を有 す る種 類 で あ る"

との 話 題 か ら始 ま って い る。 次 に人 類 と 自然 との 関 係 に つ い て 、"全 て の 生 命(生 物)の 生 存 方 式 は、 自然 か らの運 命 的 支 配 を 受 け 入 れ る方 式 で あ る。

人 類 は 一 種 の 主 体 的存 在 と して 、 自然 か らの 運 命 的 支 配 を受 け入 れ る こ と に

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甘 ん じ な い で 、 自 身 の 命 運 を 自身 で 掌 握 す る こ とを 望 ん だ が 、 自然 の 規 律 に 違 背 す る こ とは で きな か っ た 。 中 国 四 千 年 の 悠 久 の 文 明 は、 人 々 が 積 極 的 に 自然 界 に順 応 し獲 得 して きた 成 果 で あ る"と 、 自然 の 規 律 へ の順 応 の 重 要 性 を述 べ て い る。

最 後 に読 者 に 対 す る啓 蒙 的 な 内 容 で 結 ん で い る。"し か し 自然 界 に 対 し、

我 々 自 身 は 自然 界 の 中 の一 分 子 で あ る こ と を、 果 た して 理 解 して い る か ど う か 。 中 国 の 地 表 、 地 表 下 は 、 我 々 とそ の他 動 物 が 共 に存 在 して い る環 境 で あ る。 人 類 は 自然 の 規 律 に 違 背 して い な い と 自慢 して い た が 、 どれ だ け実 行 し て 来 た の で あ ろ うか 。 本 書 『人 生 地 理 学 』 の著 者 は、 人 類 は使 命 を負 っ て い る の に 生 命 の 意 義 を理 解 して い な い こ と を、 ま た 地 球 に責 任 を 負 っ て い るの に 、 科 学 の道 理 を理 解 しな い こ とを省 め た が 、 も し我 が 国 の 民 衆 が 関 心 が な け れ ば 、 ど うな る こ とで あ ろ うか"と 。 進 化 論 の 影 響 、 自 然 界 や そ の他 動 物

との共 生 思 想 等 が 表 現 され て い て 、 大 変 に興 味 深 い。

凡 例 」 の 中 に"こ

(ao)

の 書 は 、私が著 した もので な けれ ば、編 集 した もので も な く、 翻 訳 した もの で 、 他 人 の 研 究 成 果 を使 用 した の で 、 一 人 の 中 国 人 と

して 、 只 々 、 恥 ず か しい 限 りで あ る"と あ るが 、 当 時 の 留 学 生 が 大 量 の 日本 語 書 籍 の翻 訳 作 業 に追 わ れ 、 研 究 成 果 を 出せ な い現 状 に 、 自身 に対 して も、

ま た 誇 りあ る 中 国 に対 して も不 甲斐 な さ を 感 じ た の か も知 れ な い。

1909年 に凌 廷 輝 編 『人 生 地 理 学 』 が 上 海 に あ る新 学 会 社 か ら出版 され た。

前 述 の 『最 新 人 生 地 理 学 』 を底 本 に して 、 牧 口常 三 郎 『人 生 地 理 学 』 を翻 訳

(ai)

し、 編 者 の 見 解 を追 加 した 内容 で あ る。 本 書 編 集 の 目 的 は 「総 論 」 に明 らか に さ れ て い る。

そ こ で は ま ず 「人 生 地 理 学 」 とい う新 しい 学 科 に 大 き な 期 待 を 寄 せ て い る。"人 類 が こ の地 球 上 に存 在 して 、 生 存 競 争 を して い る が 、 大 地 と如 何 な る 関 係 を持 って い るの で あ ろ うか 。 そ の 真 実 の原 理 が 分 か る た め に は、 地 理

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と人 生 の 関 係 を理 解 しな け れ ば な ら な い 。(略)地 理 学 は多 くの 学 科 と密 接 な 関 係 を持 って い るの で 、地 理 学 の 思 想 や 知 識 を拡 充 す るた め に は、 地 理 と 人 生 の相 互 関 係 を研 究 す る必 要 が あ る"と 述 べ て い る。

次 に 「人 生 地 理 学 」 に よ り形 成 され た 地 理 知 識 を も っ て 民 衆 を啓 蒙 し、 弱 国 中 国 を救 って 行 きた い との 心 情 を 表 明 して い る。"地 球 上 の 種 族 間 競 争 は 、 優 勝 劣 汰 、 弱 肉 強 食 の 状 況 を 呈 して い る 。 今 日民族 帝 国 主 義 の 目 的 は勢 力 拡 大 に あ るが 、 その 実 現 の 鍵 は 世 界 観 念 が あ るか 否 か で あ る。 世 界 観 念 が あ る か否 か の 鍵 は地 理 知 識 が あ る か 否 か で あ る。 従 って 強 国 の 民 衆 は豊 富 な 地 理 知 識 を持 ち、 弱 国 の 民 衆 は そ れ が 欠 乏 して い るは ず で あ る。(略)欧 米 列 強 の狡 猜 な陰 謀 に勝 利 した い と思 うな ら ば 、 民 衆 の眠 りを 覚 ま す こ とだ 。 地 理 を理 解 しな い で 、 何 に頼 る の か 。 地 理 とい う学 科 の み が 、 列 強 の 陰 謀 を伺 い 知 る に足 り、 愛 国 精 神 を 奮 い起 こ す に足 るの で あ る"と 。 地 理 知 識 に 対 す る 期 待 の 大 き さ 、 そ れ の 包 括 す る範 囲 の 広 さ に は や や 驚 き を感 じ るが 、 新 知 識 に よ る救 国 の 心 情 が 十 分 に表 明 さ れ て い る。 「人生 地 理 学 」 を 、 一 種 の 中 国 を救 済 す る啓 蒙 の 学 科 と捉 え て い る よ う で あ る。

な お 追 加 さ れ た 編 者 の 見 解 の 中 で は 、 特 に 第18章 海 」 や 第19章 洋 」 に お い て 見 られ る よ う に 「海 上 権 」 に 関 す る記 述 が 多 い 。 そ こで は 西 洋 列 強 の 北 太 平 洋 に お け る勢 力 拡 大 を取 り上 げ、"北 太 平 洋 即 ち 中 国 全 土 は 、 実 際 は

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列 強 の 注 視 の 的 とな っ て い る"と 、 中 国 を め ぐ る国 際 関 係 へ の 懸 念 を表 して い る。 また 欧 州 の 地 理 歴 史 に 関 す る記 述 も豊 富 で あ る。

6.結

留 日学 生 の 愛 国 意 識 を 、 そ の形 成 要 因 で あ る3つ の フ ァ ク タ ー か ら、 留 日 学 生 が 中 国 語 に翻 訳 編 集 した 『人 生 地 理 学 』 の 中で 考 察 して 見 る と、 実 に興 味 深 い側 面 を見 出 す こ とが で き る。

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清末 留 日中国 人学 生 と愛国 意識 の高 揚(高 橋)43

日本 フ ァ ク タ ー に つ い て は 、 日本 の 経 済 侵 略 へ の 憤 りや 日本 の尊 大 さ へ の 批 判 、 ま た 日本 の太 平 洋 に 向 け て の 勢 力 拡 大 に警 戒 とい う形 で 表 れ て い る。

他 方 、 世 界 に お け る 自 らの位 置 を 明 らか に し始 め た 民 の 智 慧 に は 、 一 定 の 評 価 を与 え て い る。 日本 か ら学 ぶ とい う姿 勢 は存 続 して い る。 日本 人 の 愛 国 心 に つ い て は 、 関 心 は 持 っ て い た の で あ ろ うが 、 や や 無 鉄 砲 と い っ た 意 味 合 い で 捉 え て い る。

中 国 フ ァ ク タ ー に つ い て は、 中 国 語 に翻 訳 編 集 され た 『人 生 地 理 学 』 が 漢 族 意 識 ・「排 満 」 へ の転 換 が な され た 後 に 出版 さ れ た の で 、 清 朝 中 国 の 「 国 人 」 意 識 とい う もの は 感 じ られ な い 。 漢 族 中 国 人 と して 、 広 大 な 中 国 や 中 国 文 化 へ の 誇 りを 表 現 す る一 方 で 、 中 国 の 遅 れ た 現 状 へ の 嘆 き、 困 窮 状 態 を 憂 う心 情 が い た る所 に現 れ て い る。 特 筆 す べ き こ とは、 そ こで 留 ま る こ とな く、 産 業 の 振 興 を 通 して 、 ま た 教 科 書 の 編 集 を 通 して、 さ ら に新 知 識 の 普 及 を通 して 、 救 済 の 方 途 を 模 索 し提 示 して い る こ とで あ る。 強 い責 任 感 を 感 じ る。

新 知 識 フ ァ ク タ ー に つ い て は 、 新 しい学 科 と して の人 生 地 理 学 に大 き な期 待 を 寄 せ 、 そ れ を受 け て 進 化 論 や 共 生 思 想 の 新 た な展 開 を試 み て い る。 ま た この 期 待 は更 に 大 き くな り、 人 生 地 理 学 に よ る地 理 知 識 を もっ て 民 衆 を 啓 蒙 し、 弱 国 中 国 を 救 済 して 行 きた い との 心 情 も表 明 さ れ て い る。 知 識 人 と して の 自覚 と気 概 を 感 じ る。 な お 新 しい 知 識 と して の 測 量 製 図 理 論 は 、 地 図 を通 して 全 世 界 の 中 に 中 国 を位 置 付 け よ う と試 み る際 に 、 大 き な役 割 を果 た す も の と思 わ れ る。

人 生 地 理 学 」 の 翻 訳 編 集 に携 わ っ た 留 学 生 は、 「世 界 の 中 で の 中 国 の 位 置 」 に つ い て 多 くの視 点 を 吸 収 した 。 特 に 欧 米 列 強 が 太 平 洋 を 舞 台 に 、 制 海 権 や 通 商 権 を め ぐ り熾 烈 な 競 争 を繰 り広 げ て い る現 状 、 そ して そ の 国 際 関係 に お け る中 国 の位 置 付 け に つ い て は、 強 い 関 心 を持 った の で あ ろ う、 そ の 関 連 の 記 述 が 多 い。 ま た 東 西 の 経 済 関 係 の 中 で 中 国 を位 置 付 け 、"商 戦 の 世 界

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に あ っ て は 、 政 治 の上 で 独 立 を 主 張 して も、 経 済 の 上 で は 主 従 に属 す る"や

"東 洋 人(中 国 人)は 西 洋 人 の 労 働 者 に な

っ て い る"の 認 識 は極 め て 的 確 で あ る。

牧 口 著 『人 生 地 理 学 』 は、 留 日学 生 の 愛 国意 識 の 高 ま りの その 渦 中 に 存 在 した 一 書 で あ る と言 っ て も過 言 で は な い だ ろ う。 留 日学 生 の 関 心 を 引 き 付 け て や ま な か っ た も の は 一 体 何 な の か 、 そ の 解 明 は今 後 の 課 題 と した い。

(1)飯 島 渉 、 久 保 亨 、 村 田雄 二 郎 編 『シ リ ー ズ20世 紀 中 国 史(1)』 東 京 大 学 出 版 会2009年7月187‑188頁

(2)菊 池 秀 明 『中 国 の 歴 史10』 講 談 社2005年9月131頁

(3)実 藤 恵 秀 『中 国 人 日本 留 学 史 』 く ろ しお 出 版1970年10月512頁 (4)実 藤 恵 秀 『中 国 人 日本 留 学 史 』 前 掲513頁 。

(5)菊 池 秀 明 『中 国 の 歴 史10』 前 掲135頁 。

(6)実 藤 恵 秀 『中 国 人 日本 留 学 史 』 前 掲514‑516頁 (7)菊 池 秀 明 『中 国 の 歴 史10』 前 掲135頁 。

(8)中 央 大 学 人 文 科 学 研 究 所 編 『民 国 前 期 中 国 と東 ア ジ ア の 変 動 』 中 央 大 学 出 版 部1999年3月232‑236頁

(9)飯 島 渉 、 久 保 亨 、 村 田雄 二 郎 編 『シ リー ズ20世 紀 中 国 史(1)』 前 掲188‑189頁 (10)中 央 大 学 人 文 科 学 研 究 所 編 民 国 前 期 中 国 と東 ア ジ ア の 変 動 』 前 掲238頁 。 (11)中 央 大 学 人 文 科 学 研 究 所 編 民 国 前 期 中 国 と東 ア ジ ア の 変 動 』 前 掲239頁 。 (12)中 央 大 学 人 文 科 学 研 究 所 編 『民 国 前 期 中 国 と東 ア ジ ア の 変 動 』 前 掲240‑241

頁 。

(13)飯 島 渉 、 久 保 亨 、 村 田雄 二 郎 編 『シ リー ズ20世 紀 中 国 史(1)』 前 掲187‑188頁 (14)源 了 円 ・厳 昭 湯 編 『日 中 文 化 交 流 史 叢 書(3)』 大 修 館 書 店1995年10月503頁 (15)王 暁 秋 『中 日 文 化 交 流 史 話 』 日本 エ デ ィ タ ー ス ク ー ル 出 版 部2000年4月415‑

416頁 。

(16)源 了 円 ・厳 昭 湯 編 『日 中 文 化 交 流 史 叢 書(3)』 前 掲502頁 。

(17)中 央 大 学 人 文 科 学 研 究 所 編 民 国 前 期 中 国 と東 ア ジ ア の 変 動 』 前 掲188‑189 頁 。

(18)川 島 真 『中 国 近 現 代 史 ② 』 岩 波 新 書1250、2010年12月82頁

(19)孫 文 研 究 会 『辛 亥 革 命 の 多 元 構 造 』 孫 中 山 紀 念 会 研 究 叢 書IV2003年12月321一

(17)

清 末留 日中国人 学生 と愛 国意 識 の高揚(高 橋)45

328頁 。

(20)黄 孫 「植 物5人 生 之 関 係 」『漸 江 潮 』第9期 、 漸 江 同郷 会 雑 誌 部1903年ll月31‑

32頁 。

(21)黄 植 物 与 人 生 之 関 係 」 『漸 江 潮 』 前 掲35‑36頁 (22)黄 植 物5人 生 之 関 係 」 『漸 江 潮 』 前 掲32、33、34頁 (23)黄 植 物5人 生 之 関 係 」 『漸 江 潮 』 前 掲34‑35頁 (24)黄 孫 「植 物5人 生 之 関 係 」 『漸 江 潮 』 前 掲36‑37頁 (25)黄 植 物5人 生 之 関 係 」 『漸 江 潮 』 前 掲39頁 。 (26)壮 地 人 学 」 『漸 江 潮 』 第9期 前 掲1903年12月76頁 (27)壮 地 人 学 」 『漸 江 潮 』 前 掲77‑78頁

(28)江 蘇 師 範 生 『江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 江 蘇 寧 属 学 務 処 江 蘇 蘇 属 学 務 処1906年 4月(序)。

(29)江 蘇 師 範 生 『江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 前 掲3頁 (30)江 蘇 師 範 生 『江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 前 掲54頁 。 (31)江 蘇 師 範 生 『江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 前 掲54‑55頁 (32)江 蘇 師 範 生 『江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 前 掲59頁 。 (33)江 蘇 師 範 生 『江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 前 掲66頁 。 (34)江 蘇 師 範 生 『江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 前 掲67頁 。 (35)江 蘇 師 範 生 『江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 前 掲96頁 。 (36)江 蘇 師 範 生 江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 前 掲72‑73頁 (37)江 蘇 師 範 生 江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 前 掲73頁 。 (38)江 蘇 師 範 生 『江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 前 掲ll6頁 。

(39)世 界 語 言 文 字 研 究 会 編 集 部 最 新 人 生 地 理 学 』 群 益 書 局1907年7月(序)。

(40)世 界 語 言 文 字 研 究 会 編 集 部 最 新 人 生 地 理 学 』 前 掲(凡 例)。

(41)凌 廷 輝 編 人 生 地 理 学 』 新 学 会 社1909年4月1‑3頁 (42)凌 廷 輝 編 人 生 地 理 学 』 前 掲48頁 。

参照

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