2.行真造『小阿弥陀経疏』について
海印寺の毘盧遮那仏坐像の腹蔵典籍として,2005 年に発見された「白紙墨書写 経」(宝物第 1780 号)には,前後二種類の文献が収録されている.その最初の研究 である李 2010 によると,「小阿弥陀経疏西京玄法寺行真法師造」と始める後半部 (171 行から 477 行まで)の文献が伝『基疏』の抄出であることが指摘され,これに より,伝『基疏』の実際の撰者を玄奘(602–664)や基と同時代に活躍した長安玄 法寺の行真であるとする新説が提示された.また,前半部については,白 2014 に よって 8 世紀頃の唯識関連の未知の文献であることが,後半部については,崔 2014 によって義天の『新編諸宗教蔵総録』(1090 年成立)以前に書写されている可 能性が指摘されている.このように海印寺本は,伝『基疏』の実際の撰者を論ず る上で新たな資料になり得るために,二疏の親本の存在有無を含め,今後さらに 検討するべき余地があると考えられる.ただ,行真の行跡については断片的な資 料しか伝わらず,海印寺本以外に彼の著述や引用が確認できないために,この点 は問題点としてあげられる.3.伝僧肇撰『阿弥陀経義疏』について
真福寺の『漢書食貨志第四』(国宝 21)の紙背文書である真福寺本は,山田 1928 によってその存在が知られるようになった.伝『基疏』との関連性を検討するべ く,筆者は真福寺本の翻刻を行い,二疏を比較した結果,二疏は若干の字句の相 異を除いて,ほぼ同文であることが明らかになったのである.真福寺本の巻末に は「嘉保二年乙亥九月廿六日書写畢沙門慧𣴴𣴴」という書写者慧海(1063–1135)に よる 1095 年の奥書があり,次いで「勘云保延元年」(1135)云々という別人によ る加筆がある.ことに注目するべき所は,巻頭の「阿弥陀経義疏一巻 □□法師 撰」という記述であるが,この欠損部分に対して従来の研究では「聡肇」と判読 している.しかし,落合 2012a,2012b は「僧肇」と異なる読みを提示している. 伝『肇疏』は長西(1184–1266)の『浄土依憑経論章疏目録』を初見とする逸書で, 中村・早島・紀野(1991, 227)は唐代の人の作であると推定している.小沢 1978 は良忠の『法事讃私記』に引用されている伝『肇疏』からの逸文 23 箇所を伝『基 疏』と比較し,このうち 17 箇所は伝『基疏』と全く一致すること,さらに別時意 説にあたる 6 箇所については著しい相異が認められることを指摘している. 従って以下では,小沢によって指摘されている伝『基疏』と伝『肇疏』の相異 基撰とされる『阿弥陀経疏』の諸本について(曺) (17)基撰とされる『阿弥陀経疏』の諸本について
曺 勢 仁
1.はじめに
鳩摩羅什訳(402 年頃)『仏説阿弥陀経』一巻に対する基(632–682)の注釈書と しては『阿弥陀経疏』一巻(以下,伝『基疏』)と『阿弥陀経通賛疏』三巻が現存し ているが,二疏とも撰者については真偽が疑われている. 本稿で取り上げる伝『基疏』については,望月 1942 によって偽撰の可能性が極 めて高いことが指摘され,林 2006 によって思想的には迦才(唐代初期)の『浄土 論』などに連なる著作であることが指摘された.しかし,実際の撰者については いまだ結論が出されていないのが現状である. 伝『基疏』の日本への伝来については,円行(799–852)の『霊厳寺和尚請来法 門道具等目録』(839 年成立)と円珍(814–891)の『智證大師将来目録』に記載があ り,『大正』の底本である寛政四年(1792)刊龍谷大学蔵本(241.5/435-W/1–2)に は,後批に円珍による大中七年(853)の入手のことが,また典寿の跋には,彼が 智積院の写本(原本)を得て,自ら校訂し開版した旨が記されている. ただし能島(2011, 137–138)によると,智山書庫の原本には,大中七年,貞元二 年(977),享保八年(1723),宝暦五年(1755)に至るまでの伝歴が記されているも のの,寛政四年の刊本には後三者の記録がなく,龍谷大学の写本(241.5/174-W)に は前三者の記録までが確認できるという. 本稿では,伝『基疏』と関連性が高いと考えられる以下の諸本,即ち海印寺の 『小阿弥陀経疏』(以下,海印寺本)と真福寺(大須文庫,あるいは大須観音宝生院)の 『阿弥陀経義疏』(以下,真福寺本)及び良忠(1199–1287)の『法事讃私記』に引用 されている僧肇(384–414)の『阿弥陀経義疏』(以下,伝『肇疏』)の逸文を用い, 伝『基疏』との関連性について考察することにしたい1). (16) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 1 号 平成 28 年 12 月 ─ 509 ─2.行真造『小阿弥陀経疏』について
海印寺の毘盧遮那仏坐像の腹蔵典籍として,2005 年に発見された「白紙墨書写 経」(宝物第 1780 号)には,前後二種類の文献が収録されている.その最初の研究 である李 2010 によると,「小阿弥陀経疏西京玄法寺行真法師造」と始める後半部 (171 行から 477 行まで)の文献が伝『基疏』の抄出であることが指摘され,これに より,伝『基疏』の実際の撰者を玄奘(602–664)や基と同時代に活躍した長安玄 法寺の行真であるとする新説が提示された.また,前半部については,白 2014 に よって 8 世紀頃の唯識関連の未知の文献であることが,後半部については,崔 2014 によって義天の『新編諸宗教蔵総録』(1090 年成立)以前に書写されている可 能性が指摘されている.このように海印寺本は,伝『基疏』の実際の撰者を論ず る上で新たな資料になり得るために,二疏の親本の存在有無を含め,今後さらに 検討するべき余地があると考えられる.ただ,行真の行跡については断片的な資 料しか伝わらず,海印寺本以外に彼の著述や引用が確認できないために,この点 は問題点としてあげられる.3.伝僧肇撰『阿弥陀経義疏』について
真福寺の『漢書食貨志第四』(国宝 21)の紙背文書である真福寺本は,山田 1928 によってその存在が知られるようになった.伝『基疏』との関連性を検討するべ く,筆者は真福寺本の翻刻を行い,二疏を比較した結果,二疏は若干の字句の相 異を除いて,ほぼ同文であることが明らかになったのである.真福寺本の巻末に は「嘉保二年乙亥九月廿六日書写畢沙門慧𣴴𣴴」という書写者慧海(1063–1135)に よる 1095 年の奥書があり,次いで「勘云保延元年」(1135)云々という別人によ る加筆がある.ことに注目するべき所は,巻頭の「阿弥陀経義疏一巻 □□法師 撰」という記述であるが,この欠損部分に対して従来の研究では「聡肇」と判読 している.しかし,落合 2012a,2012b は「僧肇」と異なる読みを提示している. 伝『肇疏』は長西(1184–1266)の『浄土依憑経論章疏目録』を初見とする逸書で, 中村・早島・紀野(1991, 227)は唐代の人の作であると推定している.小沢 1978 は良忠の『法事讃私記』に引用されている伝『肇疏』からの逸文 23 箇所を伝『基 疏』と比較し,このうち 17 箇所は伝『基疏』と全く一致すること,さらに別時意 説にあたる 6 箇所については著しい相異が認められることを指摘している. 従って以下では,小沢によって指摘されている伝『基疏』と伝『肇疏』の相異 基撰とされる『阿弥陀経疏』の諸本について(曺) (17)基撰とされる『阿弥陀経疏』の諸本について
曺 勢 仁
1.はじめに
鳩摩羅什訳(402 年頃)『仏説阿弥陀経』一巻に対する基(632–682)の注釈書と しては『阿弥陀経疏』一巻(以下,伝『基疏』)と『阿弥陀経通賛疏』三巻が現存し ているが,二疏とも撰者については真偽が疑われている. 本稿で取り上げる伝『基疏』については,望月 1942 によって偽撰の可能性が極 めて高いことが指摘され,林 2006 によって思想的には迦才(唐代初期)の『浄土 論』などに連なる著作であることが指摘された.しかし,実際の撰者については いまだ結論が出されていないのが現状である. 伝『基疏』の日本への伝来については,円行(799–852)の『霊厳寺和尚請来法 門道具等目録』(839 年成立)と円珍(814–891)の『智證大師将来目録』に記載があ り,『大正』の底本である寛政四年(1792)刊龍谷大学蔵本(241.5/435-W/1–2)に は,後批に円珍による大中七年(853)の入手のことが,また典寿の跋には,彼が 智積院の写本(原本)を得て,自ら校訂し開版した旨が記されている. ただし能島(2011, 137–138)によると,智山書庫の原本には,大中七年,貞元二 年(977),享保八年(1723),宝暦五年(1755)に至るまでの伝歴が記されているも のの,寛政四年の刊本には後三者の記録がなく,龍谷大学の写本(241.5/174-W)に は前三者の記録までが確認できるという. 本稿では,伝『基疏』と関連性が高いと考えられる以下の諸本,即ち海印寺の 『小阿弥陀経疏』(以下,海印寺本)と真福寺(大須文庫,あるいは大須観音宝生院)の 『阿弥陀経義疏』(以下,真福寺本)及び良忠(1199–1287)の『法事讃私記』に引用 されている僧肇(384–414)の『阿弥陀経義疏』(以下,伝『肇疏』)の逸文を用い, 伝『基疏』との関連性について考察することにしたい1). (16) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 1 号 平成 28 年 12 月 ─ 508 ─ぼ同文でることが判明した.とくに B・C の対応関係により,真福寺本がすでに 逸して伝わらない幻の伝『肇疏』そのものである可能性を指摘しておきたい.
4.おわりに
本稿では,海印寺本と伝『基疏』との関係により,後者の撰者を行真とする新 説に言及したが,前者からは別時意説にあたる箇所が見当たらず,真福寺本との 関係については論じ得なかった.また,真福寺本と伝『肇疏』との関係により, 両者が同本である可能性を指摘したが,撰者の究明までは至らなかった.以上の 未解決の問題を含めて,諸本の関連性について今後さらに検討していきたい. 1)真福寺本については,名古屋市博物館より筆者の指導教授である落合俊典氏に提供 された写真 10 枚(未提供の部分がある)を借用して研究を行うことができた.写真の 利用を許可していただいた同館の関係者及び恩師に深く感謝申し上げる次第である. 2)A と B の相異箇所は太字で,B と C の相異箇所は波線で示した.C の括弧は,〈慧海 の校正(添字)〉と[筆者による欠損箇所の推定]を表す. 〈参考文献〉 小沢勇慈 1978「慈恩大師の阿弥陀経註疏について」『大正大学大学院研究論集』2: 115–122. 落合俊典 2012a「真福寺の浄土教文献」名古屋市博物館・真福寺大須文庫調査研究会編 『大須観音――いま開かれる,奇跡の文庫』大須観音宝生院,134. ――― 2012b「東アジア仏教世界をつなぐ――敦煌写本・海印寺写本・奈良平安写本」『い とくら』8: 1. 中村元・早島鏡正・紀野一義訳註 1991『浄土三部経 下』岩波書店. 能島覚 2011「智積院新文庫聖教と浄土教典籍」『印仏研』60 (1): 135–138. 林香奈 2006「基撰とされる『阿弥陀経』注釈書について」『印仏研』55 (1): 106–109. 望月信亨 1942『支那浄土仏教理史』法蔵館. 山田孝雄 1928『漢書食貨志』古典保存会. 白眞順 2014「海印寺白紙墨書写経中の唯識論議の分析――中有と続善根に対する唯識諸 家の解釈を中心として」『韓国思想史学』(ソウル)48: 49–76. 崔鈆植 2014「海印寺大寂光殿毘盧遮那仏腹蔵白紙墨書写本の基礎的検討――書誌的特徴 と判読を中心として」『韓国思想史学』(ソウル)48: 5–47. 李姸淑 2010「海印寺腹蔵遺物から出た阿弥陀経疏写本の性格」『仏教学レビュー』(ソウ ル)8: 295–311. 〈キーワード〉 僧肇,行真,玄法寺,海印寺,真福寺,『小阿弥陀経疏』,『阿弥陀経義疏』, 別時意説 (国際仏教学大学院大学) 基撰とされる『阿弥陀経疏』の諸本について(曺) (19) 箇所を軸に再検討を行うとともに,新たに真福寺本を加えて比較検討を行うこと によって,三疏の関連性について明らかにしたい2). A 伝『基疏』 B 伝『肇疏』 C 真福寺本 ①経曰舎利弗不可以少善根 福徳因縁得生彼国次釈第一 簡少因也良恐衆生曽聞仏説 臨終十念即得往生我今天命 未究且当放逸為遮此念故言 不可以少善根得生彼国(中 略)②一念便除八十億劫生 死之罪何況多念即是有行非 唯発願③十住論云諸菩薩凡 起小行発深大願願大故得大 果④我今多念於仏是即多行 ⑤又願往生願行相資扶何為 不得生於浄土衆生由聞少善 不生即懐疑惑幾許功徳方可 得生於彼乎⑥故下経云如来 教令一日念仏乃至七日也是 知念仏発願必得往生非別時 意⑦今経言善根者未必要是 無貪瞋痴三善根也然亦不離 但今所論一日念仏等所修善 根三業無非往生決定非別時 也 (T37, 325b15–c5) 肇公義疏云①舎利弗不可以 少善根福徳因縁得生彼国次 簡少因良恐衆生曽聞仏説臨 終十念即得往生我今大命未 竆且当放逸為遮此念故言不 可以少善根福徳因縁得生彼 国④多持斉多持戒多念仏多 誦経多礼拝多行檀布施乃得 生彼③十住論云諸菩薩凡起 少行発深大行以行力大故得 大果報②至心一念阿弥陀仏 滅八十億劫生死之罪何況多 念即是有行⑤又願往生行願 相扶何為不得衆生聞少善根 不生彼国即懐疑惑多許功徳 方可得生⑥故如来教令一日 念仏乃至七日念仏発願必得 往生(已上)⑦なし (『浄全』4, 73a8–b1) ①舎利弗不可以少善根福得 因縁得生彼国以簡少因良恐 衆生曽聞仏説臨終十念即得 往生我今天命未窮且当放逸 為遮此念故言不可以少善根 得生彼国④多持斉多持戒多 念仏多誦経多礼拝多門〈行 ヵ〉檀布施乃得生彼③十住 論云仏花凡〈諸菩薩〉凡起 少行発深大行[以]□[力] 大□〈大〉[故得]大果報② 至心〈一〉念阿弥陀仏滅八 十億劫生死之罪何況多念即 是有行⑤又願往生行願相扶 何為不得衆生聞少善根不生 彼国即懐疑惑多許功徳方可 得生⑥故下如来教令一日念 仏乃至七日念仏発願必得往 生⑦なし (写真 7 枚目) ① は三疏とも字句の相異がみられる.とくに A は後半にかなりの省略がある. ② の一念の滅罪をあげて多念を説く所は,B・C は完全に一致するが,A は冒頭 の句を異にし,末尾に「非唯発願」とある.③ の『十住論』の引用は,B・C は ほぼ一致するが,A は字句の相異がみられる.④ の諸善を説く所は,B・C はほ ぼ一致し,諸善と念仏を同時に説くが,A は大きく省略し,念仏のみを多行とす る.⑤ の衆生の往生を説く所は,B・C は完全に一致するが,A は字句の相異が みられる.⑥ の一日七日の念仏を説く所は,B・C はほぼ一致するが,A は句の 相異がみられ,末尾に「非別時意」とある.⑦ は別時意説を否定する所である が,B・C には見当たらない. 三疏を比較検討した結果をまとめると,思想的には念仏のみを多行とし,別時 意説を否定する A に対して,B・C は諸善と念仏を合わせて多行とし,別時意説 を否定する所は見当らないこと.そして A に対して,B・C は順序が一致し,ほ (18) 基撰とされる『阿弥陀経疏』の諸本について(曺) ─ 507 ─ぼ同文でることが判明した.とくに B・C の対応関係により,真福寺本がすでに 逸して伝わらない幻の伝『肇疏』そのものである可能性を指摘しておきたい.