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九州方言推量・打消助動詞活用分布相

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Academic year: 2022

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

九州方言推量・打消助動詞活用分布相

吉町, 義雄

https://doi.org/10.15017/2332983

出版情報:文學研究. 36, pp.183-204, 1948-03-30. The Kyushu Literary Society バージョン:

権利関係:

(2)

︒−﹃口話法訓在報告書﹄鋪二條は川段活川の動詞を未来に川ゐた﹁北凹カム﹂竿を一︲韮凶カウ﹂弊と云ふかの回答が扱って

ロQ一あり︑第二篠以下に上一展以下各種活川同形が助動訓に至るまで含まれてをり︑﹃口話法分布脚1一・は節一◇︵川段︶︑

輔二︵下二︶︑鋪三︵加鍵︶︑第川︵佐鍵︶が参照されろ︒

凸少

館一脚によると叫段﹁北昌1﹂︵我︶は東北・東海以外の全幽を風脈し︑﹁謀クベー﹄︵赤横線︶は川形・禰肪︑

﹁韮ロク・ヘー﹂︵赤縦線︶は見附らず︑﹁土凹カーズ﹂弓書カズ﹂︵赤枇線は︶愛知一部︑﹁北脚カー︐一︵青縦線︶は愛郷・

〃︒烏根一部︑﹁韮冒卜﹂﹁書カー﹂並川︵澁地青縦迩は干莱・愛知一部︑﹁北冒I﹂﹁北叫カズ﹄︵武地圭円横線︶は山

.●

一宇〃ノー一一一t﹄︽一今ヂ

九州方言推量・打梢助動詞活用分布相.

1

一一

一 一 一

九州方言未來助動詞活川分布机

九州方言推蚊助動詞活川分布机

九州方言打消助勤荊稲川分布相

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「.

町 や可

義雄

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守ゞ

里 召

8

I

(3)

梨・師岡全部と愛知一部︑﹁書クペー﹂﹁書ク︒ヘリ〆心は來球一部になってゐる︒

上二段は香川から近畿以東は﹁起キョー﹂呼で

を混ぜ︑中幽西部は﹁起キュー﹂等だが術﹁起キ

キ︑−﹂を混ぜる︒共他﹁起キ副﹂〃﹃起ツキョー﹂︲

キロー﹂等がある︒

上一段は近畿・凹國以東は﹁藷ヨー﹂等と云ひ

で稀に﹁着ヨー﹂を混ぜろ︒共他﹁藷ウ﹂や﹁満

あり︑宮崎・鹿兒島に﹁蒲ロ﹂がある︒

節二岡によると専川七・並川八に分けてあり︑

部と中剛四半は﹁受キョー﹂︵樺椛級︶︑九州は一

線︶そして耐岡は報告不明︵白︶になってゐる︒

日本に見られ︑各種並川が所糞に存する︒

加塑と佐鍵は此庭へ操返す必要がない︒

奈愛は全幽的に﹁死ノー﹂である︒良鍵も勿論

﹃口諦法別記﹄は右と大同小異である︒

r

〃 四段活用は別知︒ 共他﹁受クベー﹂﹁受ケルベー﹂﹁受ケーズ﹂﹁受ケロ︑l﹂等が東 ﹁受キュ.l﹂︵縦縦線︶であるが宮崎一部は﹁受キ︑l﹂並川︵樺縦描 近畿以東は大抵﹁受ケョー﹂︵渋︶であり︑巾部・近畿・伽閏の一 ﹁起キ島等が散在するが︑宮崎には↓起キュ﹂等が︑佐焚には﹁起 ヨー﹄等を汎ぜ︑九州は大抵﹁起キュー﹂だが稀に﹁起キョー﹂﹁起 あり︑徳烏・愛媛では﹁起手︽−﹂逓混ぜ︑商知では﹁起キュー﹂

中幽は﹁藩11﹂で稀に﹁藩ョ上を混ぜ・九州は大抵﹁満11︲−

1ョ﹂が散在するが︑筑前・佐蛮・熊本・大分・宮崎に﹁満ロー﹂か 一八W

−﹂︵赤縦械級︶は岩手︑﹁書カー﹂﹁響クベー﹂︵亦横青縦線︶

I

01日日■日日0日■10日日■■01010日I■IIIIIIIIIIIll00dqI1I0ⅡII1IIlIIl1i

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(4)

P

﹃九州方言調在表﹂︵川典ハ百通︶8豆助動詞弗六側上に

︑lノ︑︐ノ全 ︑未来は入リュー・兇11弾の如く云ふか︑︑

入りゞ1..もし竿の如く云ふか︒.︒

と刷込んだに對する回答挨様は別表12の通り︒九州全般としては古風﹁11﹂が保た肌てゐるが︑脈岡北牛と對馬

は西図的︒−﹂が進出し︑鹿兄烏は南幽的﹁ロー﹂良行四段の跳厄を認めねばならぬ︒

謹別表12﹁兄ヨー﹂臭帆素たものも﹁入リョ︲﹂と並記されたものは前後閥係よりして﹁是︲﹂撚入・﹁入ロ︲﹂と

巳並記のものは﹁見ヨーーに弊入︒又ヨー﹂とのみした・ものは﹁見﹂﹁入﹂両方へ算入︒叉﹁入ヨロー﹂は捨てた︒

︒とユキ︑1ノ祇岡縣浮詞郡御幸村﹁シリュー見ルといふ譜少く多くシルといふ語で代川する﹂

松下大三郎博士﹃標準日本口論法﹄昭和五年二月の一八八頁では肯定未然の七方式の五として﹁﹁う﹂の下へ﹁ず﹂を附けて

﹁・行かうず﹂などの如くr希文語の﹁行かんず﹂と同様である︒九州及び愛知鱸あたり緯行はれてゐる・﹂.

︑.﹁思はるる﹂式の丈譜活川を口譜・丈へ交へるのは紬がよいのかも知れいがかふる二段古形を土茄方言とする西國では.一方に.

新形ラ行四段化は﹁見せろ−一と迄伽かしてゐる魂焚である︒.

■◆一一︑

訓秀表8頁助動詞節七棚上に

︑推戴に於て書クローの如き形をと為や︒

P

6

一一心八一狸

(5)

談ミツ・ロ−の如き形を川ゆろか︒〃

.と刷込んだに對する回答模様は別表3の通り︒︒.︑

黒刷節二回袖迩同然表︵同收二百二十通︶に

叩︑

七未来推塗﹁書くだらう員を〃神クローの様に巾しますか︒.

八過去推欺﹁書いたらう﹂逓神イッローケーッローと言ひますか︒

と刷込だに剥すろ回答模様は別表45の通り・・・・

タかくて現在推堂は九州としては﹁ロー﹂﹁ジャロ|−﹂﹁ヂャロー﹂が塒微となるが︑更に左の様相に分れる︒〆

一一 でロ11︲筑後︑剛肥︑削後 ・ドーーlI肥後.︒.〃

過去推簸は﹁シロー﹂が九州式であるが︑更に

●ツローI湘筑や堂岐麺對賜︑薩隅

タローI叩肥︑叩盟

タローI叩肥︑ ジャローヂャローヤロー

コー︐

一i筑後︑

︸l筑前

雨肥︑雨塑︑︵日向︶諸縣

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一八六

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1

(6)

なち分布が解る︒

註・別表3﹁見ロー﹂等と弊へたのは﹁拝グロー﹂に︑﹁兄ツロー﹂等は﹁領ミッロ雲l﹂に算入︒﹁群キョロー﹂﹁縦ミョロー︐﹂ F

﹁談諏ドロー﹂等は捨てた︒

﹁秤クイロー﹂・佐一︑.﹁ケーッロー定細後二︑﹁ケヅロー・一熊一・

﹁識メッロー﹂災對一︑一︲世ンツロ・﹂鹿隅一・︑

●別表45蝉入外のものに﹁番クッチャロー﹂遮一鴫﹃許クダロー﹂狸一︑一番久ヨー﹂鹿薩一︑﹁ケーチロー﹂鹿隅R之

烏︶︑﹁キャIグョワ﹂鹿朧︵里村︶︒又﹁番イチョロー﹂数通は播てた︒︒↑︒

﹁秤ク﹂は﹁番ヅ﹂ともなる心﹁ケー﹂は﹁・キャー﹂﹁ケ﹂ともなる︒

リワ

雨岡暁教育令本祁凛岩瓜次郎氏︶﹃榊同縣内方言集﹄明治冊二年十二月2一○六七頁﹁つちう︵久︶︵弁︶︵派︶〃︵糸︶

つらんの蒋砒ニプ己然ノ事フ推測スル芹一一川フル助僻ナリ例へ・ハ塞・かシたであらうトィフーフさむかシつらうトィフガ如シ﹂

新村出博士﹁足利時代の言語に就いて﹂︵明治三十・八年四月﹃剛畢院雑誌﹄第十一巻第四︶一三三頁︵昭和二年十二月﹃東

方言語史叢考﹄所收一二凹・七頁︶﹁今では日本の中央部地方の方言に﹁讃んづら﹂﹁祥いつら﹂﹁何虚へ行っつら﹂と﹁っらゾロ−ん﹂と云ふ形から出て來た﹁つら﹂と云ぶ過去の推趣の形を川ゐて居ります︒︹中略︺今でも中間や九州では﹁つら・う﹂と

云ふ形になって這って居ります︒﹂.一

﹄一一■

︑︑↑町田孝雄博士﹃日本︑語法識義﹄大派十一年十一月初版一二二頁﹁土佐などの方言に﹁あるらう﹂﹁面官かつつらう﹂など

のやうに川言又仙の複語尾につげて川ゐられるものもある︒︵﹁あるらう﹂は文語の﹁あるらむ﹂一面白かつつら一う﹂は丈

語の﹁面白かりつらむ﹂であるご

春Ⅱ政治博士﹁桃町時代の口語に就いて﹂︵隅和二年十一月︻派岡︼倒語漢文學御にて︶二一頁﹁唯シを慨かないで動詞に

■・屯

I f

L﹄

0

一八七

I

(7)

椛告書錐三十一條は動詞を打泊に形作るには﹁間カナイⅧカナイデ側カナク篝︿間カナヶレゞ︿側カナカヅ

ロ−夕聞カナヵラウ﹂など云ふか︑叉は一剛カヌ聞カヌデ閲カズバ岡カネ寺筐など云ふか︑又此の打泊の﹁ヌ﹄

を﹁とと波音するかに就でであり︑分布Ⅲ雛五﹁﹁ぬ﹂﹁ない﹂等ノ分布州﹂︑錐八﹁﹁なんだ﹂﹁なかゾた﹂等

か■

一八八ゞ

戒ぐこのラ・ソを弓いる形は派岡には除叫剛きませぬ︒これはもうチト南の方へ行くと1挺崎着しくは鹿兒肪でずかIあ

るやうに州いて居ます︒﹁やすういくラワ﹂と血ぐラウを胃りる︒﹂・

松下大三郎博士﹃標準日本同語法﹄一九川頁﹁文語の﹁らむ﹂は九州凹閣では﹁らう﹂となり駿遠蓼叩信邊では﹁ら﹂L|な

って残ごLゐる︒﹂︑

安田喜代門氏﹃國語法概説﹄昭和三年三月初版一三八頁﹁ラムは土佐や曇門などには︑一ノルラッ︑面白・刀ツッラ・ソ︑降ルラ

ウなどと言︽由︒ツラウは博多言葉にもある︒﹂同﹃商筆國語法﹄昭和四年十二月初版八六頁﹁ラウと熟合して破レッラウ

の様に川ゐられなどして優勢であったが︑今は一部の方言にしか残ってゐない︒﹂九五頁﹁ラ・ソは室町以後更に衰へ一︑今は西

の方言の一部に行はれるだげである︒﹂

束條操激授﹁本州西部の方言﹂︵昭和九年十二月﹃國語科學誰座﹄︶開係記雄琴照︒

永田吉太郎氏﹁推飛に閥する諸形式i方言語法の問題︵六︶l﹂︵昭和十年二月﹃方言﹄節五巻第二雛︶8頁下﹁ラム

一戸か︑わう・ワを鯉てローになったものもあるぷ︑新潟縣及び商知縣に川ゐられ︑・形奔詞の迦総形にも面接する︒鹿兒腸ではドー

ともドともいふが︑ドは宮崎厩及び熊本縣にも行はれてゐる︒﹂

一 一 一

Q,

1

(8)

︽大部︑長崎一部になってゐる︒ ︑①

●可

ノ分布岡﹂鋪九︲﹁雨で﹂一Jないで﹂邪ノ分布側﹂に表さ肌てある︒

鯆五間に依ると﹁ナイ﹂﹁ナエ﹂と云ふ地方︵土円︶は東日本大部又﹁ヌ﹂︵黄︶は長野大部︑群馬・山梨・靜岡.

京都・大阪一部︑﹁ン﹂︵黄縦線︶は四日本大部︑﹃ナイ﹁−1ナェ﹂﹁ン﹂並川︵青地茜樅線︶は秋川全部︑山形・

新潟・群馬・埼玉・愛知・岐阜・奈良・旗貼・烏根・香川一部︑北九州職簡所︒

擁八岡に依ると﹁ナカヅタ﹂︵青︶は東日本大部︑奈良・香川一部長崎本土︑﹁ンカヅタ﹂︵沌青樅線︶は新潟・

宮崎一部︑一ノナンダ﹂︵黄縦横線︶は本州四部︑四剛大部︑山梨全部︑長野・靜岡・祁脚一部︑佐渡︑﹁ザヅタ﹂︵黄︶

はい帳・官崎一部︑一︲ダゾタ﹂︵青縦線︶は貼根一部︑﹁ンダヅタ﹂︵背樅緋︶は熊本全部︑﹁︽ヂ聯ゾタ﹂︵青斜線︶

は佐賀m一︲ナカヅタ︲一﹁ナンダ﹂並用︵緑︶は岐阜全部︑群賜・埼玉・愛知・岡山・廠肪一部︑﹁ナンダ﹂﹁ザヅダ﹂

並川︵黄樅線︶健同知全部︑﹁ナカ珊夕﹂一︲ダ釧夕﹂並川︵薄圭脚地濃青縦線︶は島根一部︑|﹁ザゾタ﹂﹁ンヂャヅタ﹂並ゞ

川︵茨地圭円斜線︶は耐岡大部︑そして別種の云ひ方や報告不明不茄の地方︵白︶が九州では大分・鹿兒島全部小宮崎

鋪九個に依ると﹁ナクテ﹂﹁ナクヅテ﹂﹁ネクテ﹂と云ふ地方は荊渦一部︑↑﹁ナィデ﹂﹁ナェデ︲一一ノネー一プ﹂﹁ネーこ

は山形・新潟・埼玉一部︑﹁ンクテ﹂﹃ンクヅーZは新潟一部︑﹁イデ﹂︵茜︶健一壷・兵叩全部2耐山・和歌山︒岡

山・愛媛・禰岡一部︑﹁ン一Z︵樺枇線︶は山梨・佐賀・熊本・鹿兇貼全部︑愛知大部吹貼・宮峅一部︑﹁ナクテ﹂

﹁ナイデ﹄叉その縛靴︵線︶は東日本大部.奈卑.香川一部︑﹃ナェデ﹂/﹁ンクテ﹂は新潟一部︑﹁イュご﹁ンデ︲一

︵黄地樺横紐︶は四日本︵九州以外︶大部.寓崎一部︑﹁イデ﹂﹁ン卜﹂は大阪大部︑京都・和歌山︑一部︑﹁ン

一八九 qI0

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(9)

と刷込んだに對する回答棋様は別表7の通り︒ と刷込んだに對する回答模様は別表6の通り︒ デ﹂﹁ナンデ﹂はそして報告不明不着地方は九州では大分全部︑輻岡・長崎・宮崎大部︒ゞ

恢小斑目雄三士︽一・三土二・三十四條は加型・佐型勤訓の打消であって︑分布岨弟六・七・十・十一・土一と共に既

知事攻あでる︒

ノノ

グ︑

別記には極概略のみが見られる外に︑ゞ尋イ﹂に就て述べてあるが︑庇の方の方言様相は逃げてゐる︒・・ p

﹁ンクヅテ﹂は新

︑﹁ナクテ﹂﹁ナイ

無刷鰯二回袖迩

四﹁行かな

かくて過去打消

ンジやヅ

訓在表8︐助動詞鋪五州上に

否定過去はン 二.九○

︑長野大部︑・愛知一部︑﹁1デ﹂﹁こは山口︑﹁チ土ごフデ﹂は新潟・一部︑ワデ﹂﹁ンクープ﹂

Q潟一・部︑﹁ナクーご一チイデ﹂﹁イデ﹂は山形一部︑﹁ナクーご﹁イデ﹂﹃一Zは烏根・宮崎一部︑〃

︒︑一Zフデ﹂﹁イデ﹂は茨城・埼玉・愛知・岐阜・岡山・臓貼一部︑﹁ヂー﹂一デ﹂は宮崎一部︑

は九州は﹁ンジャヅター﹁ンヂ労夕﹂式で︑史に

夕・ンヂ予夕l附蜘︐肥前

﹁一

回答表に.

二e

JIIIⅡ○911Jかつた﹂を行カンカヅタと云ふか・行カン一ヤヅタ・と言ふか︒ フブヂャヅタ・ン笏ク.︑瀦夕︵勃夕︶・ナンダの何れか︒

§

Ⅲ11111■■■■■虫■■■ロⅢ■■

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(10)

︑一 ジャヅタ吟デャヅター筑前︑登岐︑對馬︑日向.︑

〆ンダヅターl肥後 ンニャヅター薩隅↑

少・ンヤヅター筑前〆

︑ンカヅタ刊11日向

に塒異的と見微せよう︒.

げ黒刷節一回補迩質問表︵回收三百六十通︶に

九打消接絨法の例へぱ﹁出ないで置く﹂は出ランナ出ランデ出ランヂーの何れですか︒

と刷込んだに對する何容模様は別表8右半の通り︒

右に川ろと九州は﹃出ラン一Z﹁剛ランナ﹂式︑更に序

Ca一口一﹀︑︑︑今・

芯フン一テー卿

出ランヂー叩蝋︑薩隅

・出ラヂ!l肥前

出ランナー雨筑︑肥後

に旺盛と結論出来よう︒

6

● ノ

一九一

17

一A

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